2023年12月10日日曜日

引用文献の「一実施形態」の記載に基づく「阻害要因」の存否が争われた事例

知財高裁令和51114日判決
令和4(行ケ)10113号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許出願人である原告が特許出願に対する拒絶審決(進歩性欠如)の取り消しを求めた審決取消訴訟の、審決維持、請求棄却の判断がされた知財高裁判決である。
 審決は、本件発明は、引用文献1に記載の発明(引用発明)に、引用文献3に記載された「技術常識3」(後述の「照度輝度比例構成」)を組み合わせることにより容易に想到可能であると判断した。
 出願人である原告は、引用発明は周囲光の照度がしきい値を下回るときに最低輝度を維持するような制御をするもの(以下「最低輝度の維持制御技術」という。)であり、本件補正発明のように照度と放射輝度が比例関係となるような構成(以下「照度輝度比例構成」という。)を採用することには阻害要因がある、と主張した。
 知財高裁は、原告が阻害要因の根拠とする「最低輝度の維持制御技術」に関する引用文献1の記載は「一実施形態」の説明であり、「・・・してもよい。」といった記載からみても、「最低輝度の維持制御技術」は本来の目的から必須の構成として記載されているわけではない、として、阻害要因の存在を認めなかった。
 
2.裁判所の判断のポイント
(5)阻害要因に関する原告らの主張について
ア 原告らは、引用発明は周囲光の照度がしきい値を下回るときに最低輝度を維持するような制御をするもの(以下「最低輝度の維持制御技術」という。)であり、本件補正発明のように照度と放射輝度が比例関係となるような構成(以下「照度輝度比例構成」という。)を採用することには阻害要因がある旨主張する。
 
イ そこで検討するに、引用文献1(1、乙13)には、以下の記載があることが認められる。
 ()本発明は、表示装置のための画像処理方法及び装置に関し、より具体的には、紙モードを含む様々な画質モードを可変制御する表示装置のための画像処理方法及び装置に関する(0003)
 ()表示装置とは異なり、紙は自ら発光するものではなく周囲光を反射するのみである。したがって、本開示の実施形態の発明者は、人が知覚する光学特性は、紙に印刷された画像コンテンツに関しては、変化する周囲光条件の下においては、表示装置に表示される画像コンテンツのものとは異なること...、ほとんどのユーザーが、液晶表示装置及び有機発光表示装置などの一般的な表示装置と比較して、紙のような感じがするものなどの自然な画質を好むことを認識した(0007】、【0009)。したがって、本開示の一態様は、周囲環境下で実質的な紙の光学特性を模倣するための表示装置のための画像処理方法に関する。特定の周囲光条件下で表示装置上において印刷物のような自然な画像品質を提供するために、周囲光特性及び実質的な紙の光学特性が、その紙に印刷された画像コンテンツの特性を模倣するために用いられることができる(0010)
 ()一実施形態においては、周囲光特性は、周囲光の照度(illuminance)を含み、画像データのスケーリングされたRGB色値は、周囲光の照度(illuminance)がしきい値を下回るときに最小輝度(luminance))を維持するように、ディスプレーのためのプリセット値で補償される(0013)
 ()...紙モードにおける輝度は、周囲光の照度に応じて適用される紙の反射率を用いて示されている。紙モードにおける目標輝度は、周囲光が暗すぎるとユーザーが実際の紙を見ることができず、紙モードも同じであるため、ユーザーの視認性に対するオフセットとして最小発光輝度を有してもよい。...画像特性決定部122は、紙の反射率と周囲光の照度に基づいて紙モードの輝度を決定してもよい(0102)
 
ウ 以上の記載に照らすと、引用文献1に記載されている発明は、表示装置と紙の発光の仕組みの違いを踏まえつつ、表示装置においても印刷物のような自然な画像品質を提供することを目的として、これを実現するため、周囲光特性及び実質的な紙の光学特性を用いて、紙に印刷された画像コンテンツの特性を模倣しようとするものと認められる(本件審決が認定する引用発明の第1段落部分参照)
 
 このような引用発明において、紙の光学特性(紙のような印刷表示媒体を反射面とする外光の照度とその反射光の輝度は比例関係にある)を用いて、表示装置の表示における外光の照度と放射輝度の関係を、印刷表示媒体を反射光とする外光の照度とその反射光の輝度の関係に一致させることにより、外光による印刷表示媒体の外観を模した表示画像とすること、すなわち技術常識3を適用することは、ごく自然なものというべきである。
 引用文献1には、原告らの主張するとおり、最低輝度の維持制御技術の開示があり(上記イ())、本件審決はこれを引用発明の構成要素として認定している(本件審決の認定に係る引用発明の第3段落部分)。しかし、引用文献1の記載事項全体を踏まえてみれば、最低輝度の維持制御技術の位置づけは、「一実施形態」であり、本来の目的との関係で必須のものとはされていない。上記イ()の記載(「・・・してもよい」)も、これを裏付けるものである。
 また、最低輝度の維持制御技術は、周囲光の照度がしきい値を下回るときに初めて発動されるものであって、それ以外の条件下においては、照度輝度比例構成と矛盾・抵触するものではなく、むしろこれを前提とするものといえる。すなわち、最低輝度の維持制御技術と照度輝度比例構成とは、技術思想としては両立・並存するものということができ、引用発明が最低輝度の維持制御技術を有するものであるとしても、照度輝度比例構成の採用を必然的に否定するような関係にはない。
 以上の検討を踏まえると、引用発明に含まれる最低輝度の維持制御技術は、引用発明と技術常識3を組み合わせる阻害要因になるものではないというべきである。
 
エ 以上によれば、引用発明において、相違点2に係る本件補正発明のように、紙の光学特性を模倣して照度と輝度を比例関係として構成することは、当業者が容易に想到し得たと認められる。」

2023年11月26日日曜日

用途が特定された物の特許発明に対する間接侵害が認容された事例

東京地裁令和5228日判決
令和2()19221号特許権侵害差止等請求事件
 
1.概要
 本事例は、原告が有する特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 本件発明1は、下記2の通り、
「複数個の、金属マグネシウム(Mg)単体を50重量%以上含有する粒子を、水を透過する網体で封入してなることを特徴とする洗濯用洗浄補助用品。」
という、用途が特定された物の発明であった。
 一方、被告の行為は、「金属マグネシウム粒子」の製造及び販売の申出であった。
 特許法101条第2号の非専用品間接侵害に該当するかが争点となった。
 東京地裁は、製品パッケージの記載や、インターネットショッピングサイトでの商品説明等の記載を考慮し、特許法101条第2号に該当すると判断し、原告による被告製品の差し止めを認容した。
 
2.本件発明1
(構成要件1A) 複数個の、金属マグネシウム(Mg)単体を50重量%以上含有する粒子を、水を透過する網体で封入してなる
(構成要件1B) ことを特徴とする洗濯用洗浄補助用品。
 
3.被告の行為
ア被告による被告製品の販売
 被告は、遅くとも令和元年729日から、金属マグネシウムの粒子の販売及び販売の申出を開始し、令和21月ないし3月頃から、業として、被告製品の販売及び販売の申出を開始したが、遅くとも口頭弁論終結時までには販売及び販売の申出が停止された。
 
イ被告製品の商品説明の表示
()被告製品の商品パッケージの記載
 被告製品の商品パッケージには、「BATH」、「WASH」及び「CLEAN」の記載がある。
()インターネットショッピングサイトAmazonにおける被告製品販売ページの記載
 インターネットショッピングサイトAmazonにおける被告製品販売ページ(以下「本件ウェブページ」という。)には、「DIY」及び「【洗濯に】高純度のマグネシウムペレットを水の中に入れると水道水が弱アルカリイオン水に変化します。この弱アルカリイオン水には臭い成分の分解や洗浄力があります。」、「部屋干しの生乾きの嫌な臭いに・雨の日の洗濯物の嫌な臭いに・タオルの生乾きの嫌な臭いに」などの記載がある。
 
4.裁判所の判断のポイント
「争点1(被告製品の製造、販売及び販売の申出による間接侵害の成否)について
(1)被告製品が本件各発明に係る物の生産に用いる物といえるかについて
・・・(略)・・・
 前記イのとおり、洗濯に用いるために洗濯ネットに被告製品に係る金属マグネシウムの粒子を封入して製造された物品は、本件各発明の技術的範囲に属するから、被告製品は、本件各発明に係る物の生産に用いる物であるといえる。
 
(2)「課題の解決に不可欠なもの」について
 本件明細書の記載によれば、本件各発明の課題は、洗濯後の繊維製品に残存する汚れ自体を、金属マグネシウム(Mg)単体の作用により減少させることによって、生乾き臭の発生を防止しようとするものであり(0006)、かかる課題を解決するために、金属マグネシウム(Mg)単体と水との反応により発生する水素が、界面活性剤による汚れを落とす作用を促進させることを見出し(0007)、構成要件1Aの「金属マグネシウム(Mg)単体を50重量%以上含有する粒子」を洗濯用洗浄補助用品として用いる構成を採用したものであると認められる。
 そして、被告製品は、前記(1)()のとおり、構成要件1Aを充足するものであり、本件ウェブページには、被告製品を洗濯に用いることで、金属マグネシウム(Mg)単体の作用により洗濯後の繊維製品に残存する汚れ自体を減少させ、生乾き臭の発生を防止することができることが示唆されているから、本件ウェブページの記載を前提とすると、被告製品は、本件各発明の課題の解決に不可欠なものに該当するというべきである。
 
(3)「日本国内において広く一般に流通しているもの」について
ア特許法1012号所定の「日本国内において広く一般に流通しているもの」とは、典型的には、ねじ、釘、電球、トランジスター等の、日本国内において広く普及している一般的な製品、すなわち、特注品ではなく、他の用途にも用いることができ、市場において一般に入手可能な状態にある規格品、普及品を意味するものと解するのが相当である。本件においては、前記(1)アのとおり、被告製品には、購入後に洗濯ネットに入れて洗濯用洗浄補助用品を手作りし、洗濯物と一緒に洗濯をする旨の使用方法が付されている。そして、本件明細書には、洗濯用洗浄補助用品として用いられる金属マグネシウムの粒子の組成は、金属マグネシウム(Mg)単体を実質的に100重量%含有するものがより好ましく(0020)、洗濯洗浄補助用品として用いられる金属マグネシウムの粒子の平均粒径は、4.0~6.0mmであることが最も好ましい(0022)と記載されているところ、前記(1)イのとおり、被告製品は、これらの点をいずれも満たしている。そうすると、被告製品を洗濯ネットに封入することにより、必ず本件各発明の構成要件を充足する洗濯用洗浄補助用品が完成するといえるから、被告製品は、本件各発明の実施にのみ用いる場合を含んでいると認められ、上記のような単なる規格品や普及品であるということはできない。以上によれば、被告製品は、「日本国内において広く一般に流通しているもの」に該当するとは認められない。
イこれに対し、被告は、被告製品に係る金属マグネシウムの粒子と同じ構成を備える金属マグネシウムの粒子が市場に多数流通しており、遅くとも口頭弁論終結時までには、日本国内において広く一般に流通しているものになったといえると主張する。
 しかし、「日本国内において広く一般に流通しているもの」の要件は、市場において一般に入手可能な状態にある規格品、普及品の生産、譲渡等まで間接侵害行為に含めることは取引の安定性の確保の観点から好ましくないため、間接侵害規定の対象外としたものであり、このような立法趣旨に照らすと、被告製品が市場において多数流通していたとしても、これのみをもって、「日本国内において広く一般に流通しているもの」に該当するということはできない。
 したがって、被告の主張は採用することができない。
 
(4)主観的要件について
 間接侵害の主観的要件を具備すべき時点は、差止請求の関係では、差止請求訴訟の事実審の口頭弁論終結時である。
 そして、前記前提事実(4)のとおり、原告製品は、令和21月頃までには、全国的に周知された商品となっていたこと、本件ウェブページには、被告製品の購入者によるレビューが記載されているところ、令和24月から同年7月にかけてレビューを記載した購入者45人のうち、20人の購入者が、被告製品をネットに封入して洗濯に使用した旨を記載しており、7人の購入者が「まぐちゃん」、「マグちゃん」、「洗濯マグちゃん」、「洗濯〇〇ちゃん」などと、洗濯用洗浄補助用品である原告製品の名称に言及したと解される記載をしていることを認めるに足る証拠(111)が提出されていることからすると、被告は、遅くとも口頭弁論終結時までには、被告製品に係る金属マグネシウムの粒子が、本件各発明が特許発明であること及び被告製品が本件各発明の実施に用いられることを知ったと認められる(当裁判所に顕著な事実)
 これに対し、被告は、被告製品については、構成要件1Aの「網体」には含まれない、布地の巾着袋等に被告製品を入れて洗濯機に投入して洗濯を行う使用方法などが想定されていたのであり、被告には被告製品が本件各発明の実施に用いられることの認識はない旨主張する。
 しかし、「網」は、被告が主張する意味のほかにも、「鳥獣や魚などをとるために、糸や針金を編んで造った道具。また、一般に、糸や針金を編んで造ったもの。」(広辞苑第7)の意味もあると認められること、本件明細書においては、「網体」の意義について、「本発明の洗濯用洗浄補助用品は、複数個の、マグネシウム粒子を、水を透過する網体で封入したものであるので、使用時には洗濯槽に入れやすく、使用後には洗濯槽から取り出しやすいものとなっている。」(0023)、「この網体の素材は、耐水性があるものであれば、各種天然繊維、合成繊維を用いることができるが、強度が高く、使用後の乾燥が容易で、洗濯時に着色傾向の小さいポリエステル繊維を用いることが好ましい。」(0024)、「この網体自体の織り方としては、水を透過するものであれば各種の織り方が採用できる。」(0025)と記載されているのみで、網目の細かさについては言及されていないことからすると、被告が主張する使用方法も、本件各発明を実施する態様による使用方法であることに変わりはないといえる。したがって、被告が、購入者が構成要件1Aの「網体」には含まれない、布地の巾着袋等に被告製品を入れて洗濯機に投入して洗濯を行う使用方法が想定されていたとしても、被告において被告製品が本件各発明の実施に用いられることの認識があったことを否定する事情とはならなない。
(5)小括
 したがって、被告が、業として、被告製品の販売又は販売の申出等をした行為(前記前提事実(5))について、本件特許権の特許法1012号の間接侵害が成立する。」

2023年11月5日日曜日

「除くクレーム」とする訂正の適法性が争われた事例

 知財高裁令和5105日判決

令和4(行ケ)10125号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は、特許権者である原告が有する特許発明についての特許を無効とした審決の取消訴訟であり、争点は、特許法134条の2において準用する同法1265項に規定する訂正要件違反の有無である。

 

 特許権者である原告は、特許無効審判を請求され、甲4発明による新規性・進歩性欠如の無効理由がある旨の審決の予告を受けた後、以下の訂正を行なった。

 訂正の内容は、

訂正前の請求項1

HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物。」を、

 訂正後の請求項1(下線部を追加)

HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbと、を含む組成物(HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物を除く)。」

に、いわゆる「除くクレーム」へ訂正するものである。

 

 審決では、「除く」対象が、訂正前の本件発明に含まれていないことから、本件訂正は新規事項の追加に該当し適法でないと判断した。

 さらに被告は、本件訂正は、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていないから認められないと主張した。


 知財高裁は、訂正は適法であると判断し、審決を取消した。

 知財高裁は、被告の上記主張に関して「特許法134条の21項に基づき特許請求の範囲を訂正するときは、願書に添付した明細書、特許請求の範囲または図面に記載した事項の範囲内でしなければならず、実質上、特許請求の範囲を拡張し、変更するものであってはならないとされている(同条9項、同法1265項及び6)が、それ以上に先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない。」と判示した。

 

 なお、(訂正でなく)補正の新規事項追加に関する審査基準(第IV部第2章3..1(4))では、次のように記載されている。

「補正前の請求項に記載した事項の記載表現を残したままで、補正により当初明細書等に記載した事項を除外する「除くクレーム」は、除外した後の「除くクレーム」が新たな技術的事項を導入するものではない場合には、許される。

 以下の(i)及び(ii)の「除くクレーム」とする補正は、新たな技術的事項を導入するものではないので、補正は許される。

(i) 請求項に係る発明が引用発明と重なるために新規性等(29条第1項第3号、第29条の2又は第39)が否定されるおそれがある場合に、その重なりのみを除く補正

(ii) 請求項に係る発明が、「ヒト」を包含しているために、第29条第1項柱書の要件を満たさない、又は第32条に規定する不特許事由に該当する場合において、「ヒト」のみを除く補正」

 上記(i)(ii)は「除くクレーム」として適法な補正の「例」であり、これらに限られることを示したものではないと考えられるが、現実には、上記(i)(ii)以外の補正(例えば、引用発明と重複する部分よりも広い範囲を除外する補正)は除くクレームとして許容されず新規事項を追加するとして拒絶理由が通知される場合がある。

 

2.審決の判断(訂正は新規事項追加)

 本件訂正のような、いわゆる「除くクレーム」に数値範囲の限定を伴う訂正が新規事項を追加しないものであるというためには、「除く」対象が存在すること、すなわち、訂正前の請求項1に係る発明・・・において、「HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物」が含まれているといえるか、または、「除く対象」が存在しないとしても、訂正後の請求項1に係る発明・・・には、「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれることが明示されることになるから、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれているといえる必要があると解される。

 しかしながら、訂正前の請求項1には、HCFC-225cbについての規定はなく、請求項1を引用する請求項2~7においても、HCFC-225cbについての規定はないし、本件明細書等にも、HCFC-225cbについての記載を見いだすことはできず、本件発明1に「HCFC-225cb」が含まれているかどうかは判然としない。さらに、本件明細書等に記載されたいずれかの反応生成物にHCFC-225cbが含有されるものであるという技術常識も存在しない。

 ましてや、本件明細書等には、HCFC-225cbについての記載がないのであるから、その含有量については不明としかいうほかない。すなわち、本件発明1が「HCFC-225cb」を含むことは想定されていないというべきである。

 そうすると、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物」が含まれているということはできないし、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれているということもできない。

 ウ 以上のとおり、訂正事項1は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導入するものであって、新規事項を追加するものに該当し、特許法134条の29項において準用する同法1265項の規定に違反する。

 

3.裁判所の判断のポイント(訂正は新規事項を追加せず適法)

「エ 本件審決は、いわゆる「除くクレーム」に数値範囲の限定を伴う訂正が新規事項を追加しないものであるというためには、「除く」対象が存在すること、すなわち、本件発明1において、「HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物」が含まれているといえるか、または、「除く」対象が存在しないとしても、本件訂正発明1に「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれることが明示されることになるから、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれているといえる必要があると解した上、本件では、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物」が含まれているということはできないし、本件発明1に「HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物」が含まれているということもできないから、本件訂正は新たな技術的事項を導入するものであると判断した。

 そこで検討するに、前記イの通り、本件明細書等にはHCFC-225cbに係る記載は全くないものの、前記ア()のとおり、本件発明1に係る特許請求の範囲の記載は、その文言上、HFO-1234yfと、HFC-254ebと、HFC-245cbを含む限り、それ以外のいかなる物質をも含み得る組成物を意味するものと解されるものである。そして、本件訂正により、「HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物を除く」と特定されたことをもって、本件訂正発明1には、HCFC-225cb1重量%以上で含有する組成物が含まれないことが明示されたということはできるものの、本件訂正発明1が、HCFC-225cb1重量%未満で含有する組成物であることが明示されたということはできない。

オしたがって、本件訂正は、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものというべきである。

(5)被告は、本件訂正は、甲4発明と同一である部分を除外する訂正とはいえず、除くクレームによって「特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正」になっていないから認められないと主張する。

 しかしながら、特許法134条の21項に基づき特許請求の範囲を訂正するときは、願書に添付した明細書、特許請求の範囲または図面に記載した事項の範囲内でしなければならず、実質上、特許請求の範囲を拡張し、変更するものであってはならないとされている(同条9項、同法1265項及び6)が、それ以上に先願発明と同一である部分のみを除外することや、当該特許出願前に公知であった先行技術と同一である部分のみを除外することは要件とされていない。そして、訂正が、「明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」行われた場合、すなわち、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正によって第三者に不測の損害をおよぼすとは考え難いから、同項に規定する訂正要件の解釈として、被告が主張するような要件を加重することは相当ではないというべきである。

 また、被告は、除くクレームの形式で自由に訂正発明の内容を規定することは許されない旨主張しているところ、・・・・本件訂正は、甲4に記載された発明と実質的に同一であると評価される蓋然性がある部分を除外しようとするものといえるから、本件訂正は先行技術である甲4に記載された発明とは無関係に、自由に訂正発明の内容を規定するものとはいえない。

(6)そして、本件審決は、本件訂正が新たな技術的事項を導入するものであることを理由に訂正を認めず、本件発明に係る本件特許を無効としたものであるが、本件訂正が新たな技術的事項を導入するものであるとはいえないことは前記したとおりである。そうすると、本件審決は同法134条の29項において準用する同法1265項の訂正要件の解釈を誤ったものとして、取消しを免れない。」

2023年10月15日日曜日

発明が解決しようとする課題が理解できないことを理由にサポート要件違反とされた事例

知財高裁令和5105日判決

令和4()10094号特許権侵害差止等請求控訴事件

(原審・東京地方裁判所令和3()29388)

 

1.概要

 本事例は、原告が有する特許権に基づく特許権侵害訴訟の第二審知財高裁判決である。第一審では東京高裁が、分割出願による本件特許が、原出願の明細書等に記載されたものではないため分割要件を満たさず、実際の出願日において新規性を有さないから、無効理由を有し、本件特許権を行使することができない、と判断した。

 知財高裁は、本件発明に係る特許請求の範囲の記載には、分割出願が適法であるか否かにかかわらず、サポート要件違反があることが認められるから、本件特許は特許法3661号違反により無効にされるべきものであり、本件特許権を行使することはできない、と判示した。

 本件特許に係る特許請求の範囲請求項1記載の発明(本件発明)は、次のとおりである。

 

HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143a0.2重量パーセント以下で、HFC-254eb1.9重量パーセント以下で含有する組成物。」

 

 冷媒であるHFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有し、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であることは公知である。

 本件明細書には、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されている。

 しかしながら、本件明細書には、特定の追加の化合物が少量で存在することによる作用効果や、本件発明が解決しようとする課題が理解できるように記載されていない。

 

 知財高裁は、

HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。

本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。」

と指摘しサポート要件を満たしていないと結論づけた。

 

2.裁判所の判断のポイント

1本件発明について

(1)本件明細書には、別紙「特許公報」のとおりの記載がある(2)

(2)本件発明の概要前記(1)の記載によると、本件発明は、熱伝達組成物等として有用な組成物の分野に関するものであり、新たな環境規制によって、冷蔵、空調及びヒートポンプ装置に用いる新たな組成物が必要とされてきたことを背景として、低地球温暖化係数の化合物が特に着目されているところ、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出したというものである・・・。

 

2争点2-2(サポート要件違反を無効理由とする無効の抗弁の成否)について

(1)特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決することができると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決することができると認識することができる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。

(2)本件についてみると、本件明細書(以下、原出願当初明細書も同じ。)には、「発明が解決しようとする課題」として、「出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。」(0003)との記載がある。また、「本発明によれば、HFO-1234yfと、HFO-1234zeHFO-1243zfHCFC-243dbHCFC-244dbHFC-245cbHFC-245faHCFO-1233xfHCFO-1233zdHCFC-253fbHCFC-234abHCFC-243fa、エチレン、HFC-23CFC-13HFC-143aHFC-152aHFO-1243zfHFC-236faHCO-1130HCO-1130aHFO-1336HCFC-133aHCFC-254fbHCFC-1131HFC-1141HCFO-1242zfHCFO-1223xdHCFC-233abHCFC-226baおよびHFC-227caからなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物とを含む組成物が提供される。組成物は、少なくとも1つの追加の化合物の約1重量パーセント未満を含有する。」(0004)、「HFO-1234yfには、いくつかある用途の中で特に、冷蔵、熱伝達流体、エアロゾル噴霧剤、発泡膨張剤としての用途が示唆されてきた。また、HFO-1234yfは、V.C.Papadimitriouらにより、PhysicalChemistryChemicalPhysics20079巻、1-13頁に記録されているとおり、低地球温暖化係数(GWP)を有することも分かっており有利である。このように、HFO-1234yfは、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補である。」(0010)といった記載に、【0013】、【0016】、【0019】、【0022】、【0030】、【図1】の記載を総合すると、本件明細書には、HFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有することが知られており、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であること、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243dbHCFO-1233xfHCFC-244bb)に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されているということができる。しかるところ、HFO-1234yfは、原出願日前において、既に低地球温暖化係数(GWP)を有する化合物として有用であることが知られていたことは、【0010】の記載自体からも明らかである。したがって、HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。しかし、本件明細書には、これらの点について何ら記載がなく、その余の記載をみても、本件明細書には、本件発明が解決しようとした課題をうかがわせる部分はない。本件明細書には、「技術分野」として、「本開示内容は、熱伝達組成物、エアロゾル噴霧剤、発泡剤、ブロー剤、溶媒、クリーニング剤、キャリア流体、置換乾燥剤、バフ研磨剤、重合媒体、ポリオレフィンおよびポリウレタンの膨張剤、ガス状誘電体、消火剤および液体またはガス状形態にある消火剤として有用な組成物の分野に関する。特に、本開示内容は、2333-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yfまたは1234yf)または23-ジクロロ-111-トリフルオロプロパン(HCFC-243dbまたは243db)2-クロロ-111-トリフルオロプロペン(HCFO-1233xfまたは1233xf)または2-クロロ-1112-テトラフルオロプロパン(HCFC-244bb)を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物に関する。」(0001)との記載があるが、同記載は、本件発明が属する技術分野の説明にすぎないから、この記載から本件発明が解決しようとする課題を理解することはできない。そうすると、本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。

(3)・・・(略)・・・

(4)以上のとおり、分割出願が有効であり、出願日が原出願日(平成215207)となると考えたとしても、本件発明に係る特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するということができないから、本件発明に係る特許は、無効審判請求により無効とされるべきものである(特許法12314号、3661)。」

 

2023年9月21日木曜日

新規性判断において「中間」という用語の解釈が争点となった事例

知財高裁令和5年9月12日判決
令和4年(行ケ)第10117号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許出願人である原告が拒絶査定不服審判の審決(拒絶審決)の取り消しを求めた審決取消訴訟において、審決は適法であるとして原告の請求を棄却した知財高裁判決である。
 下記の本件補正発明の構成要件D及びE中の「カップ容器本体の高さ方向中間位置」が、上端又は下端に偏らない中間位置(真中付近に限られるとする狭い解釈)を指すのか、上端と下端との間の位置(間であれば位置は任意とする広い解釈)を指すのかが争点となった。原告は前者の通り解釈し、本件補正発明は、中皿が中央よりもやや上端寄りに配置される引用発明とは相違すると主張した。審決及び知財高裁は、後者の通り解釈し、本件補正発明は引用発明と相違しないと結論づけた。
 用語の解釈にあたって、用語の辞書的な意味、発明が解決しようとする課題との関係、及び、図面の描写が参酌された。
 
2.本件補正後の請求項1(本件補正発明)の構成
【請求項1】
A コンビニエンスストア等で販売され、加熱して食するカップ状容器に収納されたカップ食品であって、
B カップ容器本体と、
C 前記カップ容器本体の上部を覆う蓋体と、
D 前記カップ容器本体の高さ方向中間位置に形成された2段の段差部と、
E 周面に前記2段の段差部に嵌合する嵌合部が形成され、該嵌合部を前記2段の段差部に嵌合させることにより前記カップ容器本体の高さ方向中間位置において前記嵌合部が前記蓋体と離間した状態で内壁に着脱自在に取り付けられる中皿と、
を具備し、
F 前記中皿の下部の第1の空間にスープ状の第1の食材を収納し、前記中皿の上部の第2の空間に第2の食材を収納し、食に際しては、容器全体を加熱した後、前記中皿を前記カップ容器本体から外して、前記第2の食材を前記第1の食材の上に落下させる
ことを特徴とするカップ食品。
3.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由(独立特許要件の判断の誤り〔本件補正発明と引用発明の同一性の判断の誤り、相違点の看過〕)について
(1) 構成要件D及びE中の「カップ容器本体の高さ方向中間位置」について
ア 本件補正発明における「カップ容器本体の高さ方向中間位置」の意義
 原告らは、構成要件D及びE中の「カップ容器本体の高さ方向中間位置」とは、カップ容器本体の上端又は下端に偏らない中間位置を示すものと解釈すべき旨主張する。
 しかし、「中間」の語は、「二つの物事、地点の間、特に、そのまんなか」(広辞苑第4版1663頁、平成3年発行、甲5)、「二つの物の間に(で)あること。」(新明解国語辞典第7版968頁、平成28年発行、乙1)や「物と物との間の空間や位置。」(大辞泉第2版2342頁、平成24年発行、乙2)とされ、二つのものの間を広く含むものと解するのが相当である。そして、本願明細書には、「中間」の語をこれと異なる意義と解すべき記載はない。
 さらに、前記1に認定したところに鑑みれば、本件補正発明は、従来のスープ状の食材を含むカップ食品のうち、冷凍あるいはゼラチン状のスープ等を用いるものは満足な味が得られず、一方、ストレートスープを用いた場合には、スープ状の食材と他の食材を分離状態に保持するのが難しく、またスープ状の食材が容器からこぼれてしまう虞があるという課題を解決するため、カップ容器本体の高さ方向中間位置でカップ容器本体の内壁に着脱自在に嵌合する中皿を配置し、蓋体でカップ本体上部を覆うことによって、中皿の下部の第1の空間と中皿の上の第2の空間を形成し、第1の空間にスープ状の第1の食材を収納し、第2の空間に他の食材を収納することで、スープ状の食材と他の食材を分離状態に保持し、スープがこぼれることもなく、簡単な構成で満足のいく味を実現するというものであって、この課題の解決のためには、中皿がカップ容器本体の高さ方向の上端と下端の間の任意の位置でカップ容器本体の内壁に嵌合することで第1の空間と第2の空間が形成されればよく、カップ容器本体の高さ方向の上端と下端の間の特定の位置と解すべき理由はない。
 別紙1の図1(C)、図4、図7、図8、図11によれば、本件補正発明の実施例において、カップ容器本体30に設けられた2段の段差部31が、容器本体の高さ方向の上端側にやや偏った位置に形成されているのも、上記の理解に沿うものといえる。
 
イ 引用発明における中皿嵌合部の形成位置
 本件補正発明の「2段の段差部」に相当するのは引用発明の「中皿嵌合部」であるから、その形成位置が「カップの容器本体の高さ方向中間位置」にあるといえるかを検討する。
 原告らは、・・・・引用発明における中皿嵌合部は容器本体の「高さ方向中間位置」ではなく、「上端位置」に形成されている旨主張する。
 しかし、引用発明において、・・・中皿嵌合部が「カップ容器本体高さ方向中間位置」に形成されていることは明らかである。
 
ウ したがって、本件補正発明と引用発明は、「カップ容器本体の高さ方向中間位置」の構成において相違点はない。」

2023年9月14日木曜日

訂正が「誤記の訂正」に該当しないと判断された事例

 知財高裁令和5年8月10日判決

令和4年(行ケ)第10115号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許異議申立の特許取消決定に対する取消訴訟の知財高裁判決である。

 異議申立において特許権者である原告が請求した訂正の適法性(誤記または誤訳の訂正に該当するか)が争点となり、知財高裁は誤記の訂正には該当せず、訂正は適法でないと判断した。

 特許法120条の5第2項の但し書きでは、訂正は、一 特許請求の範囲の減縮、二 誤記又は誤訳の訂正、三 明瞭でない記載の釈明、四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること、のいずれかを目的とするものに限られるという要件が課されている。裁判所は、誤記の訂正といえるのは「当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならない」から、誤記の訂正には該当しないと結論付けた。

 なお、争われた訂正事項1は、審査段階に補正において、過誤により追加された事項の一部を削除する訂正であった。審査段階での補正により技術的に適当でない特徴が追加された場合に、特許後にそれを訂正により削除しようとすると、特許法120条の5第2項の但し書きに該当しない訂正となる、いわゆる「逃れられない罠」に陥ることがあり注意が必要である。

 

2.訂正の内容

「訂正事項1」は、本件訂正前の請求項1中の発明特定事項である、

「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」を、

「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」

に訂正することを含む。

 すなわち、訂正事項1は、非アミドワックス成分(B)が、ポリオレフィンワックスである場合を削除することと、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」という特徴を削除することを含む。

 

 マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油(判決文中では、これらを総称して「マイクロクリスタリンワックス等」)は、重合体ではないため分子量は1,000未満であり、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」となることはないことに争いはない。

 原告は、マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油について、重量平均分子量の規定を削除することは「誤記の訂正」に該当するため、上記訂正は適法であると主張した。

 

3.裁判所の判断のポイント

ア 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するか否かについての判断基準

 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するといえるためには、同項本文に基づく訂正の前の記載が誤りで当該訂正の後の記載が正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかで、当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならないと解するのが相当である。

イ 本件訂正前の記載について

(ア) 本件訂正前の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正前の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) ポリオレフィンワックスについて

 ポリオレフィンワックスの中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすものと満たさないものが存在することが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に上記の条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解すると認められる。

(ウ) マイクロクリスタリンワックス等について

 マイクロクリスタリンワックス等の分子量ないし重量平均分子量(ポリスチレン換算によるもの)がいずれも1000未満であることが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、当業者は、当該周知の技術的事項に基づき、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解すると認められるから、そのように理解する当業者は、本件訂正前の記載に接したときは、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得ると認めるのが相当である。

(エ) 本件訂正前の記載が誤りであることが当業者にとって明らかといえるか否かについて

 本件訂正前の構成は、非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質について、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」と規定するのであるから、その文言に照らし、当該物質は、マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの全部又は一部であると解される。そして、前記(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれ、他方で、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、そのように理解し得る当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質がマイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの一部のみ(ポリオレフィンワックスのみ)であると理解し得ると認められるところ、当該理解は、本件訂正前の構成についての上記解釈(非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質に係るもの)と整合している。このように、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質(ポリオレフィンワックス)が現に存在すると理解するとともに、当該物質の種類が本件訂正前の構成中に掲げられた「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックス」の全てではないとしても、そのことは本件訂正前の構成の「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」に係る解釈と整合すると理解するものと認められるから、結局、本件記載を含む本件訂正前の記載については、当該当業者にとって、これが誤りであることが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。

ウ 本件訂正後の記載について

(ア) 本件訂正後の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正後の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) 本件訂正による訂正後の記載としての他の選択肢の存在

 前記イ(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解し、他方で、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解することにより、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等がおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、当該当業者にとっては、本件訂正前の記載のうちポリオレフィンワックスに係る部分を全部削除した上、マイクロクリスタリンワックス等に係る部分について重量平均分子量に係る条件(本件記載)のみを削除するとの選択肢(本件訂正後の記載を採用するとの選択肢)のみならず、本件訂正前の記載のうちマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持するとの選択肢(本件訂正による訂正後の記載を「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とするポリオレフィンワックスからなる非アミドワックス成分(B)と、などとする選択肢)も存在し得るものと理解すると認めるのが相当である。

 そして、上記のとおり、当該当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすポリオレフィンワックスは含まれるが、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、当該当業者において、非アミドワックス成分(B)に含まれていた物質を維持し、およそ含まれていなかった物質を除外する趣旨の記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないものと認めるのが相当である。

(ウ) 本件訂正後の記載が正しいことが当業者にとって明らかであるといえるか否かについて

 前記(イ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の記載からマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持する趣旨の記載が正しいとも理解することができるものであって、当該当業者においてこのような記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、本件訂正後の記載については、当該当業者にとって、これが本件訂正による訂正後の記載として正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。」

「なお、原告は、本件記載は手続補正において原告の過誤により追加されたものであるから、本件記載を削除する本件訂正は特許法120条の5第2項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると主張するが、仮に、原告が主張するような事情が存在するとしても、少なくとも本件においては、そのような事情が存在することをもって、本件記載を削除する本件訂正が同項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると認めるには不十分である。」

2023年9月4日月曜日

プロダクト・バイ・プロセスクレームが明確性要件違反と判断された事例

 知財高裁令和4年11月16日判決

令和3年(行ケ)第10140号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判における請求項6及び9に対する請求は成り立たない(権利有効)との審決の取り消しを求め、原告が請求した審決取消訴訟において高裁判決(審決取り消しの判断)である。

 請求項6及び9に係る発明は、製造方法により特定された物の発明(プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)であり、その明確性要件違反の有無が争点の一つとなった。

 知財高裁は、「物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合であっても、・・・出願時において当該製造方法により製造される物がどのような構造又は特性を表しているのかが、特許請求の範囲、明細書、図面の記載や技術常識より一義的に明らかな場合には、第三者の利益が不当に害されることはないから、不可能・非実際的事情がないとしても、明確性要件違反には当たらない」との判断基準を示した。そのうで、本件発明6及び訂正発明9の製造方法により製造された電鋳管の構造又は特性が一義的に明らかであるとはいえないこと、並びに、不可能・非実際的事情が存在するとはいえないことから、上記判断基準に照らして明確性要件違反であると結論付けた。

 

2.裁判所の判断のポイント

(1)判断基準

  物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合において、特許請求の範囲の記載が特許法36条6項2号にいう「発明が明確であること」という要件に適合するといえるのは、出願時において当該物をその構造又は特性により直接特定することが不可能であるか、又はおよそ実際的でないという事情が存在するときに限られる(最高裁判所平成24年(受)第1204号同27年6月5日第二小法廷判決・民集69巻4号700頁)。

 もっとも、上記のように解釈される趣旨は、物の発明について、その特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合(プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)、当該発明の技術的範囲は当該製造方法により製造された物と構造、特性等が同一である物として確定されるところ(前掲最高裁判決)、一般的には、当該製造方法が当該物のどのような構造又は特性を表しているのか、又は物の発明であってもその発明の技術的範囲を当該製造方法により製造された物に限定しているか不明であり、特許請求の範囲等の記載を読む者において、当該発明の内容を明確に理解することができず、権利者がその範囲において独占権を有するのかについて予測可能性を奪う結果となり、第三者の利益が不当に害されることが生じかねないところにある。

 そうすると、物の発明についての特許に係る特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されている場合であっても、上記一般的な場合と異なり、出願時において当該製造方法により製造される物がどのような構造又は特性を表しているのかが、特許請求の範囲、明細書、図面の記載や技術常識より一義的に明らかな場合には、第三者の利益が不当に害されることはないから、不可能・非実際的事情がないとしても、明確性要件違反には当たらないと解される。

(2)検討

 ア 本件発明6及び訂正発明9は、「電鋳管」に係る発明であるところ、本件発明6は、「外周面に電着物または囲繞物とは異なる材質の金属の導電層を設けた細線材の周りに電鋳により電着物または囲繞物を形成し、前記細線材の一方または両方を引っ張って断面積を小さくなるよう変形させ、前記変形させた細線材と前記導電層の間に隙間を形成して前記変形させた細線材を引き抜いて、前記電着物または前記囲繞物の内側に前記導電層を残したまま細線材を除去して製造される」という製造方法による特定が、訂正発明9は、「外周面に電着物または囲繞物とは異なる材質の金属の導電層を設けた細線材の周りに電鋳により電着物または囲繞物を形成すると共に、前記細線材の両端側に前記電着物または前記囲繞物が形成されていない部分を形成し、前記細線材の一方又は両方を引っ張って断面積を小さくなるよう変形させ、前記変形させた細線材と前記導電層の間に隙間を形成して前記変形させた細線材を引き抜いて、前記電着物または前記囲繞物の内側に前記導電層を残したまま細線材を除去して製造される」という製造方法による特定を含む。

 イ そこで、本件発明6及び訂正発明9の製造方法により製造された電鋳管の構造又は特性、具体的には被告が主張する電鋳管の内面精度が、一義的に明らかであるか否かについて検討する。

 まず、特許請求の範囲の記載から本件発明6及び訂正発明9の製造方法により製造された電鋳管の内面精度が明らかでないことはいうまでもなく、また、本件明細書には、本件発明6及び訂正発明9の製造方法により製造された電鋳管の内面精度について、何ら記載も示唆もされていない。

 そして、本件明細書には、細線材を除去する方法として、電着物等を加熱して熱膨張させ、又は細線材を冷却して収縮させることにより、電着物等と細線材の間に隙間を形成する方法、②液中に浸して又は液をかけることにより、細線材と電着物等が接触している箇所を滑りやすくする方法、③一方又は両方から引っ張って断面積が小さくなるように変形させて、細線材と電着物等の間に隙間を形成したりして、掴んで引っ張るか、吸引するか、物理的に押し遣るか、気体又は液体を噴出して押し遣る方法、④熱又は溶剤で溶かす方法が記載されている(【0041】、【0116】)が、これらの方法と、製造される電鋳管の内面精度との技術的関係についても一切記載がなく、ましてや、本件発明6及び訂正発明9の製造方法(上記の方法に含まれる。)が、他の方法で製造された電鋳管とは異なる特定の内面精度を意味することについてすら何ら記載も示唆もない。さらに、上記各方法により内面精度の相違が生じるかについての技術常識が存在したとも認められない。

 そうすると、本件発明6及び訂正発明9の製造方法により製造された電鋳管の構造又は特性が一義的に明らかであるとはいえない。

 ウ 以上のとおりであるから、本件発明6及び訂正発明9が明確であるといえるためには、本件出願時において、本件発明6及び訂正発明9の電鋳管をその構造又は特性により直接特定することについて不可能・非実際的事情が存在するときに限られるところ、被告はこのような事情が存在しないことは認めている。

・・・・

(4)小括

 よって、本件発明6及び訂正発明9は明確であるということはできず、取消事由5は理由がある。」

2023年8月27日日曜日

医薬用途を限定する訂正が新規事項追加と判断された事例

 知財高裁令和437日判決令和2(行ケ)10135号審決取消請求事件
 
1.概要
 本件は、原告が有する特許権に対する無効審判の審決(特許無効の判断)の取り消しを求めた審決取消訴訟において、請求が棄却された事例である。
 争点の一つが、「痛みの処置における鎮痛剤」を,「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤」に訂正する「訂正事項2-2」が、訂正新規事項追加に該当するとの判断の適法性である。
 発明の詳細な説明には、「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の」痛みの処置に用いることができるという「一行記載」は存在する。しかし効果を示す実験データは存在しない。
 知財高裁は、訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が,当業者によって,本件出願日当時の技術常識も考慮して,本件明細書は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項として存在しなければならない、として訂正事項2−2は新規事項追加に該当すると判断した。
 
2.訂正事項
 訂正事項2に係る本件訂正は,請求項2において,
Iの構造式を追加し(訂正事項2-1)
「請求項1記載の鎮痛剤」,すなわち「痛みの処置における鎮痛剤」を,「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤」(訂正事項2-2)に訂正するとともに,
請求項1との引用関係を解消し,独立形式に改めることを求めるものである。
 
3.裁判所の判断
「本件発明2は,公知の物質である本件化合物2について鎮痛剤としての医薬用途を見出したとするいわゆる医薬用途発明であるところ,訂正事項2-2に係る本件訂正は,「請求項1記載の(鎮痛剤)」とあるのを「神経障害又は線維筋痛症による,痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における(鎮痛剤)」に訂正するというものであり,鎮痛剤としての用途を具体的に特定することを求めるものである。そして,「痛みの処置における鎮痛剤」が医薬用途発明たり得るためには,当該鎮痛剤が当該痛みの処置において有効であることが当然に求められるのであるから,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が,当業者によって,本件出願日当時の技術常識も考慮して,本件明細書(本件訂正前の特許請求の範囲を含む。以下同じ。)又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項として存在しなければならないことになる。
ウこの点に関し,原告は,新規事項の追加に当たるか否かの判断においては,訂正事項が当業者によって明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であるか否かが検討されれば足りることから,本件審決の判断には誤りがあると主張する。しかしながら,上記のとおりの本件発明2の内容及び訂正事項2-2の内容に照らせば,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置に「効果を奏すること」が本件明細書又は図面の記載から導かれなければ,訂正事項2-2につき,これが当業者によって本件明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であるとはいえない。したがって,原告の上記主張を前提にしても,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が本件明細書又は図面に記載されているか,記載されているに等しいと当業者が理解するといえなければならないというべきである。
エしたがって,訂正事項2-2に係る本件訂正が新規事項の追加に当たらないというためには,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤として「効果を奏すること」が本件明細書に記載されているか,記載されているに等しいと当業者が理解するといえなければならないというべきであるとした本件審決・・・は,特許法134条の29項において準用する同法1265項の適用を誤るものではない。」
 
「本件明細書には,発明の概要として,本件化合物2が使用される疼痛性障害の中に神経障害及び線維筋痛症が含まれる旨の記載があるが,この部分には,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置において効果を奏する旨の記載はない(なお,本件化合物2が使用される疼痛性障害の中に神経障害及び線維筋痛症が含まれるとの一般的な記載があっても,そのことから,本件化合物2が神経障害又は線維筋痛症による痛覚過敏又は接触異痛の痛みの処置において効果を奏すると解することはできない。)。」

2023年8月13日日曜日

「設計的事項」を理由として進歩性欠如と判断された事例

知財高裁令和5725日判決
令和4(行ケ)10111号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許無効審判の審決(特許有効)に対する取消訴訟において、審決取消の判断がされた知財高裁判決である。
 本件発明1の、甲1発明1に対する進歩性が争点となった。
 本件発明1と甲1発明1との相違点1として、「縦フランジ部の下部から内側方向に延びる段差部」に関して、本件発明1においては、縦フランジ部の下部から内側方向に「ほぼ水平に」延びる段差部であるのに対して、甲1発明1においては、縦フランジ部の下部から昇降窓ガラス側方向に「やや下方に」延びる段差部である点、が認定された。
 審決では、甲1発明1において、「やや下方に延びる段差部」を「ほぼ水平に延びる段差部」とする理由はなく、ベルトラインモールにおいて、「ほぼ水平に延びる段差部」を有する構成とすることは、本件特許出願前に周知の技術でもない、ことなどを理由に進歩性を肯定した。
 知財高裁は、本件明細書には、段差部が縦フランジ部の下部から内側方向に「ほぼ水平に」延びることの技術的意義についての記載はないこと、段差部が「ほぼ水平に」に延びても「やや下方」に延びても、本件発明の作用効果に何ら影響するものではないこと等を理由に、甲1発明1において「やや下方に」延びる段差部を「ほぼ水平に」延びるように構成することは、当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎない、と判断し審決を取消した。
 
2.本件特許の本件訂正後の特許請求の範囲請求項1(本件発明1)
「車両ドアに装着されるベルトラインモールであって、
 ベルトラインモールはドアガラス昇降部からドアフレームの表面にわたって延在するモール本体部と、
 当該モール本体部の上部から内側下方に折り返したステップ断面形状部を有し、
 前記ステップ断面形状部は、ドアガラスに摺接する水切りリップを有するとともに前記モール本体部の上部から下に向けて折り返した縦フランジ部と、当該縦フランジ部の下部から内側方向にほぼ水平に延びる段差部と、前記段差部の端部より下側に延在させた引掛けフランジ部を有し、
 前記ドアガラス昇降部はモール本体部と引掛けフランジ部とでドアのアウタパネルの上縁部に挟持装着され、前記ドアフレームの表面に位置する端部側の部分は前記縦フランジ部が残るように前記水切りリップ、前記段差部及び引掛けフランジ部を切除してあり、前記端部はエンドキャップを取り付けることができる断面剛性を有していることを特徴とするベルトラインモール。」
 
本件発明1と甲1発明1との相違点として以下の相違点1が認定された。
〔相違点1
「縦フランジ部の下部から内側方向に延びる段差部」に関して、本件発明1においては、縦フランジ部の下部から内側方向に「ほぼ水平に」延びる段差部であるのに対して、甲1発明1においては、縦フランジ部の下部から昇降窓ガラス側方向に「やや下方に」延びる段差部である点。
 
3.相違点1に関する無効審判審決の判断
1発明1の「段差部」は、「縦フランジ部の下部から昇降窓ガラス側方向にやや下方に延びる」ものである。「ほぼ水平」が「およそ水平」、「だいたい水平」を意味するものと理解すると、このような甲1発明1の縦フランジ部の段差部を「ほぼ水平」ということはできないから、相違点1は実質的な相違点である。
1発明1において、「やや下方に延びる段差部」を「ほぼ水平に延びる段差部」とする理由はなく、ベルトラインモールにおいて、「ほぼ水平に延びる段差部」を有する構成とすることは、本件特許出願前に周知の技術でもない。原告は、甲2には、「ガラスアウタウエザストリップにおいて、ドアガラスに摺接するガラスシールリップを有するとともに突出部の車内側に有する段差と、当該段差の下部から内側方向にほぼ水平に延びる水平部を有していること。」が記載されており、「ほぼ水平」に延びる段差部とすることは当業者が容易に想到し得ると主張するが、甲2に記載された事項は、車内側側壁が「ほぼ水平に延びる段差部」を有する構成とすることを示すものではない。
 上記相違点1に係る本件発明1の発明特定事項は、甲1発明1及び甲2記載事項から、当業者が容易に想到できたものではない。」
 
4.裁判所の判断のポイント(相違点1について)
(相違点1は、「縦フランジ部の下部から内側方向に延びる段差部」が、本件発明1においては、縦フランジ部の下部から内側方向に「ほぼ水平に」延びる段差部であるのに対して、甲1発明1においては、縦フランジ部の下部から昇降窓ガラス側方向に「やや下方に」延びる段差部であるというものである。甲1発明1のモールディングが取り付けられるドアパネルが、アウタパネルであることについては当事者間に争いがなく、甲1発明1の「昇降窓ガラス側方向」は、本件発明1の「内側方向」(車内側を指す。)と同じ方向を意味するものと認められるから、相違点1においては、段差部が「ほぼ水平」に延びるか「やや下方」に延びるかという点のみが問題となる。
()そこで検討するに、本件明細書には、段差部が縦フランジ部の下部から内側方向に「ほぼ水平に」延びることの技術的意義についての記載はない。また、前記1(2)のとおり、本件発明は、端末の剛性に優れるベルトラインモールを提供するために、ドアフレームの表面に位置する部分は縦フランジ部を残して、水切りリップや引掛けフランジ部を切除できるようにし、モール本体部と縦フランジ部とで略C断面形状を形成しつつ断面剛性を確保したというものであり、ベルトラインモールの端末では、ドアフレームの表面に位置する部分は縦フランジ部を残して切除されるものであって、段差部も切除されるのであるから、段差部が「ほぼ水平に」に延びても「やや下方」に延びても、本件発明の作用効果に何ら影響するものではない。そうすると、段差部が「ほぼ水平に」延びるものとすることについて何らかの技術的意義があるとは認められない。
 そして、1発明1においても、段差部が縦フランジ部の下部から昇降窓ガラス側方向(内側方向)に「やや下方に」延びることに何らかの技術的意義があるとは認められず、甲1発明1において「やや下方に」延びる段差部を「ほぼ水平に」延びるように構成することは、当業者が適宜なし得る設計的事項にすぎないというべきである。
 そうすると、甲2記載事項について検討するまでもなく、1発明1において段差部に設計的変更を加え、これを「ほぼ水平に」することは、当業者が容易に想到できたものと認めるのが相当である。
()したがって、本件審決には、相違点1に係る容易想到性の判断に誤りがある。」

2023年7月30日日曜日

物理学的な発明におけるパラメータ発明のサポート要件充足性が争われた事例

 知財高裁令和5713日判決
令和4(行ケ)10081号 特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、原告が有する特許に対する特許異議申立の特許取消決定(サポート要件非充足)の取消請求訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、サポート要件非充足の本件決定の判断に誤りはないとして原告の請求を棄却した。
 本件発明1は、複数のパラメーターにより規定したドライバー用ゴルフクラブ用シャフトに関する発明である。
 発明の詳細な説明には、本件発明1で規定する複数のパラメーターに関して本件発明1の範囲内に含まれる実施例1のシャフトと、本件発明1の範囲外の比較例1のシャフトが記載されており、実施例1のシャフトは「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものが得られる」との効果を有するのに対し、比較例1のシャフトは当該効果を有さないことが記載されていた。
 知財高裁は、発明の詳細な説明の記載は、所定のパラメータを本件発明1の範囲内とすることにより、なぜ本件発明の課題が解決されるのかについて適切に説明するものとは言えないとしてサポート要件を充足しないと判断した。
 原告は、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であって、発明の実施方法や作用機序等を理解することが比較的困難な技術分野(薬学、化学等)に属する発明ではないとして、構成2の境界値の厳密な根拠が本件明細書に記載されている必要はないと主張した。しかし裁判所は、「本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であることをもって、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決される理由を本件明細書の発明の詳細な説明において適切に説明する必要がないということはできない」などと指摘し、物理学的な発明においてもパラメーター発明のサポート要件充足性の判断基準に違いはないと判示した。
 
2.本件発明1
 複数の炭素繊維強化樹脂層で構成される、ドライバー用ゴルフヘッドを装着する、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフトであって、炭素繊維がシャフト軸方向に対して+30~+70°に配向された層と、-30~-70°に配向された層とをシャフト全長に渡って貼り合せて成るバイアス層と、炭素繊維がシャフト軸方向に配向され、シャフトの全長に渡って位置するストレート層と、炭素繊維がシャフト軸方向に対して+30~+70°に配向された層と、-30~-70°に配向された層とを貼り合せて成る細径側バイアス層と、さらに同様な太径側バイアス層を有しており、前記バイアス層と前記ストレート層の弾性率がともに、200GPa~90 0GPaの強化繊維から成る繊維強化樹脂層で構成され、シャフトのトルクをTq(°)とした場合に、1.6≦Tq≦4.0を満たし、前記バイアス層の合計重量をB(g)、シャフト全体に渡って位置するストレート層の合計重量をS(g)とした場合に、0.5≦B/(B+S)≦0.8を満たし、前記細径側バイアス層の 重量をA(g)、前記バイアス層の合計重量をB(g)とした場合に、0.05≦A/B≦0.12を満たし、前記細径側バイアス層の重量をA(g)、前記太径側バイアス層の重量をC(g)とした場合に、1.0≦A/C≦1.8を満たす、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフト。
 
 すなわち、本件各発明は、課題を解決するための手段として、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフトを対象として、
(構成1)各バイアス層と全長ストレート層の弾性率がともに、200GPa~900GPaの強化繊維から成る繊維強化樹脂層で構成され、
(構成2)シャフトのトルクをTq(°)とした場合に、1.6≦Tq≦4.0を満たし、
(構成3)各バイアス層の合計重量をB(g)、シャフト全体に渡って位置するストレート層の合計重量をS(g)とした場合に、0.5≦B/(B+S)≦0.8を満たし、
(構成4)細径側バイアス層の重量をA(g)、各バイアス層の合計重量をB(g)とした場合に、0.05≦A/B≦0.12を満たし、
(構成5)細径側バイアス層の重量をA(g)、太径側バイアス層の重量をC(g)とした場合に、1.0≦A/C≦1.8を満たす
という構成を採用した。
 
3.裁判所の判断のポイント
「本件各発明の課題は、「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、スイングの安定性が高く、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものを提供すること」(以下「本件課題」という。)であると認めるのが相当である。」
「構成2について
()Tq≦4.0°について
aシャフトのトルク(Tq)4.0°以下とすることにより得られる効果等に関し、本件明細書の発明の詳細な説明には、「トルク(Tq)4.0°以下とすることによって、ゴルファーの力量が飛距離の安定性や左右への方向安定性に与える影響を低減させることができ、これらの両立を達成できる傾向にある。」との記載(0021)があり、また、「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものが得られる」との効果(以下「本件効果」という。)が得られたとされる実施例1及び本件効果が得られなかったとされる比較例1の各トルク(°)がそれぞれ2.4及び4.8であるとの記載(【表4)がある。しかしながら、これらの記載は、シャフトのトルクを4.0°以下とすることによりなぜ本件課題が解決されるのかについて適切に説明するものとはいえず、したがって、構成2のうちシャフトのトルクを4.0°以下とするとの点については、本件明細書の発明の詳細な説明の記載により本件出願日当時の当業者が本件課題を解決できると認識できる範囲のものであるということはできない。
b原告は、低トルクのシャフト(ねじり剛性が高いシャフト)が飛距離の安定性及び方向安定性において優れていることは本件出願日当時の技術常識であり、本件出願日当時の当業者は実施例1と比較例1との比較から、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより飛距離の安定性及び方向安定性(比較例1よりも優れた飛距離の安定性及び方向安定性)が得られるものと理解し得ると主張する。しかしながら、原告の上記主張並びに原告が上記技術常識に係る証拠として提出する甲12及び21ないし23は、シャフトのトルクを4.0°以下とすることによりなぜ本件課題が解決されるのかについて適切に説明するものとはいえず、その他、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決されるとの本件出願日当時の技術常識を認めるに足りる証拠はないから、構成2のうちシャフトのトルクを4.0°以下とするとの点については、本件出願日当時の当業者がその当時の技術常識に照らし本件課題を解決できると認識できる範囲のものであるということはできない。
cなお、原告は、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であって、発明の実施方法や作用機序等を理解することが比較的困難な技術分野(薬学、化学等)に属する発明ではないとして、構成2の境界値の厳密な根拠が本件明細書に記載されている必要はないと主張するが、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であることをもって、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決される理由を本件明細書の発明の詳細な説明において適切に説明する必要がないということはできないから、原告の上記主張を採用することはできない(この点については、以下の構成2のうちシャフトのトルクを1.6°以上とするとの点及び構成3ないし5についても同じである。)。」

2023年7月23日日曜日

請求項の範囲内の実施例がない場合でもサポート要件の充足が肯定された事例

知財高裁令和5615日判決

令和4(行ケ)10059号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、被告が有する特許権に対する、原告による無効審判の審決(請求棄却、特許有効の判断)に対する審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、原告の請求を棄却した。

 本件発明1等のサポート要件が争われた。

 本件発明1は以下の通り分説できる。なお判決中、本件発明1の構成A1A12は「本件組成要件」、構成BCD、及びEは「本件物性要件」と称されている。

「本件発明1

 質量%表示にて、 

A1  B2O3SiO2との合計含有量が21~32質量%

A2A12 (略、いずれも成分組成に関する構成)

であり、

液相温度が1140℃以下であり、

ガラス転移温度が672°C以上であり、

屈折率nd1.825~1.850の範囲であり、

かつアッベ数νd41.5~44である酸化物ガラスであるガラス

(但し、・・・(省略)・・・であるガラスを除く)。」

 

 本件特許の発明の詳細な説明には、本件発明1の構成要件を全て充足するガラスの具体的な実施例は記載されていない。ただし参考例は、本件組成要件の全てと、本件物性要件のうち、構成要件C(ガラス転移温度)以外の3つの構成要件を満たす具体例を含む。

 特許権者である被告は実験成績証明書を提出し、参考例において、ZnOを減量してSiO2を増量して改変することにより、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得らたことを示した。

 

 知財高裁は、

本件明細書には、各成分と作用についての説明を基に、A1及びA7SiO2を増量し、又はA12ZnOを減量する成分調整することにより、上記各参考例のガラス転移温度を本件物性要件を充足する範囲内に調整できることが説明されているといえ、光学ガラス分野の当業者であれば、上記いずれかの方法に沿って技術常識である通常の試行錯誤手順を行うことで本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスが得られ、それにより本件発明の課題を解決できると認識できるものといえる。」

「実験成績証明書には・・・・いずれもZnOを減量してSiO2を増量する改変において、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得られたことが示されている。」

ことなどを認定し、サポート要件が充足されると判断した。

 

 本件と同様に、請求項の範囲内の実施例が記載されていない特許のサポート要件が肯定された裁判例として、下記の2事例を本ブログでこれまでに紹介した。

 

知財高裁令和2年5月28日判決令和元年(行ケ)第10075号

https://benrishie.blogspot.com/2020/06/blog-post.html

 

知財高裁平成24年10月11日判決平成24年(行ケ)第10016号

https://benrishie.blogspot.com/2012/10/100.html

 

 

2.裁判所の判断のポイント

「ア 本件発明の課題について

 前記1(1)の本件明細書の記載によれば、本件発明の課題は、次のとおりのものと理解できる。

 色収差の補正、光学系の高機能化、コンパクト化のために有用な光学素 子用の材料となる、屈折率nd1.800ないし1.850の範囲であり、 かつアッベ数 νd41.5ないし44の範囲にあり(0004】、【00 05)、安定供給可能とするため、希少価値の高いGdTaのガラス組 成に占める割合が低減されており(0006)、近赤外域に吸収を有し、ガラスの比重を増大させる成分であるYbのガラス組成において占める 割合が低減されており(0007)、熱的安定性に優れていてガラスを製造する過程での失透が抑制され(0008)、機械加工に適するガラスを提供すること(0012)

 

イ 本件発明1の課題解決手段について

 本件明細書には、GdTaがガラス組成に占める割合を低減させるため、Ta2O5の含有量を5%以下とすること(0034)La2O3 Y2O3Gd2O3及びYb2O3の合計含有量に対するGd2O3含有量の質量比を0ないし0.05の範囲とすること(0042)を定め、Ybのガラス組成において占める割合を低減させるため、上記の、Yb2O3含有量を3%以下とすること(0038)、熱的安定性に優れたガラスを提供するため、液相温度が1150°C以下であることがより一層好ましいとすること(0206)、機械加工に適するガラスを提供するため、ガラス転移温度が640°C以上であることが好ましいこと(0198)が記載されており、これら本件明細書に記載からみて、本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスは本件発明の課題を解決し得るものと認められる。

 ところで、本件明細書には、本件組成要件及び本件物性要件の全部を満たす実施例がそもそも記載されていない。さらに、本件発明の光学ガラスは多数の成分で構成されており、その相互作用の結果として特定の物性が実現されるものであるから、個々の成分の含有量と物性との間に直接の因果関係を措定するのが困難であることは顕著な事実である。そうすると、前記(2)の好ましい数値範囲等の開示事項から直ちに、本件組成要件と本件物性要件とを満たすガラスが製造可能であると当業者が認識できるものではなく、具体例により示される試験結果による裏付けを要するものというべきである。

 そこで、そのような裏付けがされているといえるのかとの観点から、具体例として掲記されている参考例1ないし33について検討を加える。

 

ウ 参考例について

 本件明細書に記載された参考例1ないし33のうち、参考例151621ないし24272830ないし3212例は、本件組成要件の全てと、本件物性要件のうち、構成要件C(ガラス転移温度)以外の3つの構成要件を満たす具体例である。

 ここで、本件出願当時、光学ガラス分野においては、ターゲットとなる物性を有する光学ガラスを製造する通常の手順として、既知の光学ガラスの配合組成を基本にして、その成分の一部を当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い、ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで、求める配合組成を見出すという手順を行うことは技術常識であったと認められ(3ないし6)、また、この手順を行うに当たって、当業者が、なるべく変更の少ないものから選択を開始することは、技術分野を問わず該当する効率性の観点からみて自明な事項である。そして、前記1(2)のとおり、本件明細書には、本件発明1の各組成要件に係る成分の物性要件に対する作用について記載されており、当業者であれば、本件明細書には本件発明1の物性要件を満たすような成分調整の方法が説明されていると理解できる。そうすると、当業者において、本件明細書で説明された成分調整の方法に基づいて、参考例を起点として光学ガラス分野の当業者が通常行う試行錯誤を加えることにより本件発明1の各構成要件を満たす具体的組成に到達可能であると理解できるときには、本件発明1は、発明の詳細な説明の記載若しくは示唆又は出願時の技術常識に照らし課題を解決できると認識できる範囲のものといえる。

 そこで、次に、参考例の成分調整について具体的にみてみる。

 

エ 参考例の成分調整について

・・・(略)・・・そうすると、本件明細書には、各成分と作用についての説明を基に、A1及びA7SiO2を増量し、又はA12ZnOを減量する成分調整することにより、上記各参考例のガラス転移温度を本件物性要件を充足する範囲内に調整できることが説明されているといえ、光学ガラス分野の当業者であれば、上記いずれかの方法に沿って技術常識である通常の試行錯誤手順を行うことで本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスが得られ、それにより本件発明の課題を解決できると認識できるものといえる。

 

 なお、実際に、11実験成績証明書には・・・(略)・・・いずれもZnOを減量してSiO2を増量する改変において、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得られたことが示されている

 

・・・

 

 以上のとおり、本件明細書で説明された成分調整の方法をもとに、光学ガラス分野の当業者が通常行う試行錯誤により参考例を起点として本件発明の各構成要件を満たす具体的組成に到達可能であると理解できるといえるから、本件発明は、発明の詳細な説明の記載若しくは示唆又は出願時の技術常識に照らし課題を解決できると認識できる範囲のものといえる。」

2023年6月17日土曜日

「平均分子量」の明確性が争われた事例

 「平均分子量」の明確性が争われた事例
 
知財高裁平成29118日平成28(行ケ)10005(1次判決)
知財高裁平成3096日平成29(行ケ)10210(2次判決)
 
1.概要
 「平均分子量」の明確性が争われた無効審判の審決取消訴訟の判決を紹介する。なお第1次判決は2017129日付の記事でも紹介している。
 本件発明1は、「平均分子量が0.5~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」を構成要件に含む眼科用清涼組成物に関する。発明の詳細な説明では、平均分子量についての明確な記載はなく、「重量平均分子量」を意味すると解釈できる記載と、「粘度平均分子量」を意味すると解釈できる記載(段落0021の「,マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等」という記載)とが含まれていた。このため明確性要件違反の無効理由の存否が争われた。
 1回目の無効審判審決(1次審決)では「平均分子量」は不明確とは言えないと判断されたが、知財高裁は、不明確であるとして第1次審決を取り消した(第1次判決)。
 特許権者は、特許請求の範囲及び明細書の訂正を行い、本件発明1における「平均分子量が0.5~4万」を「平均分子量が2~4万」に限定するとともに、明細書の発明の詳細な説明における段落0021の上記の記載を削除した。この訂正により、「粘度平均分子量」を意味すると解釈できる記載は含まれないこととなった。
 2回目の無効審判審決(第2次審決)では上記訂正後も「平均分子量」がいかなる分子量を意味するのか不明確であるから明確性要件を満たさないと判断された。しかし、知財高裁は、訂正後の特許請求の範囲及び明細書によれば「平均分子量」が「重量平均分子量」を意味するものと推認できると判断し第2次審決を取り消した。
 
2.第1次判決
.1.第1次判決時の本件発明1(請求項1)
a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,および
c)平均分子量が0.5~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。
 
.2.第1次判決時の本件明細書(0021)の記載
「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5~50万のものを用いる。より好ましくは0.5~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5~10万,特に好ましくは0.5~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。
 
.3.第1次判決の要点
本件特許請求の範囲及び本件明細書には,単に「平均分子量」と記載されるにとどまり,上記にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない。
もっとも,本件明細書に記載された他の高分子化合物については,例えば,ヒドロキシエチルセルロース(0016),メチルセルロース(0017),ポリビニルピロリドン(0018)及びポリビニルアルコール(0020)の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は,重量平均分子量の各数値が記載されているものであり,この重量平均分子量の各数値は公知であったから(5861ないし67),当業者は,これらの高分子化合物の平均分子量は,重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される。」
本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては,本件明細書において,これを明らかにする記載は存在しない。もっとも,このような場合であっても,本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌して,その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには,そのように解釈すべきである。しかし,本件においては,次に述べるとおり,「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか,粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない。
前記(2)ないし(4)の認定事実によれば,本件明細書(0021)には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5~50万のものを用いる。より好ましくは0.5~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5~10万,特に好ましくは0.5~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされている。また,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は,重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり,他方,粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば,本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。
・・・
のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。
したがって,当業者は,本件出願日当時,本件明細書に記載されたその他高分子化合物であるヒドロキシエチルセルロース(0016),メチルセルロース(0017),ポリビニルピロリドン(0018)及びポリビニルアルコール(0020)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても,少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる。
以上によれば,本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法3662号に違反すると認めるのが相当である。
 
3.第2次判決
.1.第2次判決時の訂正後の本件発明1(請求項1)(平均分子量の範囲が2万〜4万に限定された)
 
a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,および
c)平均分子量が2~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物(ただし,局所麻酔剤を含有するものを除く)
 
.2.第2次判決時の訂正後の本件明細書(0021)の記載(訂正前の「,マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等」が除外された)
 
「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5~50万のものを用いる。より好ましくは0.5~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5~10万,特に好ましくは0.5~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)が利用できる。
 
.3.第2次判決の要点
「イ上記1(2)カのとおり,本件訂正明細書には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5~50万のものを用いる。より好ましくは0.5~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5~10万,特に好ましくは0.5~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)が利用できる。」(段落【0021)と記載されている。
 上記の「生化学工業株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)」については,本件出願日当時,生化学工業株式会社は,同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について重量平均分子量の数値を提供しており,同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然に知られた数値は重量平均分子量の数値であったこと(上記(3)())からすれば,その「平均分子量」は重量平均分子量であると合理的に理解することができ,そうだとすると,本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量も重量平均分子量を意味するものと推認することができる。加えて,本件訂正明細書の上記段落に先立つ段落に記載された他の高分子化合物の平均分子量は重量平均分子量であると合理的に理解できること(上記(2)),高分子化合物の平均分子量につき一般に重量平均分子量によって明記されていたというのが本件出願日当時の技術常識であること(上記(2))も,本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が重量平均分子量であるという上記の結論を裏付けるに足りる十分な事情であるということができる。
よって,本件訂正後の特許請求の範囲の記載は明確性要件を充足するものと認めるのが相当である。
被告は,マルハ株式会社製の製品に関する記載を削除する本件訂正により明確性要件の充足を認めるのは特許請求の範囲を実質的に変更するに等しく妥当性を欠くと主張する。しかし,本件訂正は,(1)本件明細書の「かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」(段落【0021)との記載から,「,マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等」を除く訂正(訂正事項5)(2)請求項1及び6の「平均分子量が0.5~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」を「平均分子量が2~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」と改める訂正(訂正事項1及び3)を含むものであるところ(95),これをもって,実質上特許請求の範囲を変更したものということはできず,被告の主張は採用できない。