2023年7月30日日曜日

物理学的な発明におけるパラメータ発明のサポート要件充足性が争われた事例

 知財高裁令和5713日判決
令和4(行ケ)10081号 特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、原告が有する特許に対する特許異議申立の特許取消決定(サポート要件非充足)の取消請求訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、サポート要件非充足の本件決定の判断に誤りはないとして原告の請求を棄却した。
 本件発明1は、複数のパラメーターにより規定したドライバー用ゴルフクラブ用シャフトに関する発明である。
 発明の詳細な説明には、本件発明1で規定する複数のパラメーターに関して本件発明1の範囲内に含まれる実施例1のシャフトと、本件発明1の範囲外の比較例1のシャフトが記載されており、実施例1のシャフトは「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものが得られる」との効果を有するのに対し、比較例1のシャフトは当該効果を有さないことが記載されていた。
 知財高裁は、発明の詳細な説明の記載は、所定のパラメータを本件発明1の範囲内とすることにより、なぜ本件発明の課題が解決されるのかについて適切に説明するものとは言えないとしてサポート要件を充足しないと判断した。
 原告は、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であって、発明の実施方法や作用機序等を理解することが比較的困難な技術分野(薬学、化学等)に属する発明ではないとして、構成2の境界値の厳密な根拠が本件明細書に記載されている必要はないと主張した。しかし裁判所は、「本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であることをもって、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決される理由を本件明細書の発明の詳細な説明において適切に説明する必要がないということはできない」などと指摘し、物理学的な発明においてもパラメーター発明のサポート要件充足性の判断基準に違いはないと判示した。
 
2.本件発明1
 複数の炭素繊維強化樹脂層で構成される、ドライバー用ゴルフヘッドを装着する、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフトであって、炭素繊維がシャフト軸方向に対して+30~+70°に配向された層と、-30~-70°に配向された層とをシャフト全長に渡って貼り合せて成るバイアス層と、炭素繊維がシャフト軸方向に配向され、シャフトの全長に渡って位置するストレート層と、炭素繊維がシャフト軸方向に対して+30~+70°に配向された層と、-30~-70°に配向された層とを貼り合せて成る細径側バイアス層と、さらに同様な太径側バイアス層を有しており、前記バイアス層と前記ストレート層の弾性率がともに、200GPa~90 0GPaの強化繊維から成る繊維強化樹脂層で構成され、シャフトのトルクをTq(°)とした場合に、1.6≦Tq≦4.0を満たし、前記バイアス層の合計重量をB(g)、シャフト全体に渡って位置するストレート層の合計重量をS(g)とした場合に、0.5≦B/(B+S)≦0.8を満たし、前記細径側バイアス層の 重量をA(g)、前記バイアス層の合計重量をB(g)とした場合に、0.05≦A/B≦0.12を満たし、前記細径側バイアス層の重量をA(g)、前記太径側バイアス層の重量をC(g)とした場合に、1.0≦A/C≦1.8を満たす、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフト。
 
 すなわち、本件各発明は、課題を解決するための手段として、ドライバー用ゴルフクラブ用シャフトを対象として、
(構成1)各バイアス層と全長ストレート層の弾性率がともに、200GPa~900GPaの強化繊維から成る繊維強化樹脂層で構成され、
(構成2)シャフトのトルクをTq(°)とした場合に、1.6≦Tq≦4.0を満たし、
(構成3)各バイアス層の合計重量をB(g)、シャフト全体に渡って位置するストレート層の合計重量をS(g)とした場合に、0.5≦B/(B+S)≦0.8を満たし、
(構成4)細径側バイアス層の重量をA(g)、各バイアス層の合計重量をB(g)とした場合に、0.05≦A/B≦0.12を満たし、
(構成5)細径側バイアス層の重量をA(g)、太径側バイアス層の重量をC(g)とした場合に、1.0≦A/C≦1.8を満たす
という構成を採用した。
 
3.裁判所の判断のポイント
「本件各発明の課題は、「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、スイングの安定性が高く、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものを提供すること」(以下「本件課題」という。)であると認めるのが相当である。」
「構成2について
()Tq≦4.0°について
aシャフトのトルク(Tq)4.0°以下とすることにより得られる効果等に関し、本件明細書の発明の詳細な説明には、「トルク(Tq)4.0°以下とすることによって、ゴルファーの力量が飛距離の安定性や左右への方向安定性に与える影響を低減させることができ、これらの両立を達成できる傾向にある。」との記載(0021)があり、また、「ねじり剛性が高い繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト(ロートルクの繊維強化樹脂製のゴルフクラブ用シャフト)であって、プレーヤーのスイングスピードや力量に左右されることなく飛距離の安定性と方向安定性の双方に優れたものが得られる」との効果(以下「本件効果」という。)が得られたとされる実施例1及び本件効果が得られなかったとされる比較例1の各トルク(°)がそれぞれ2.4及び4.8であるとの記載(【表4)がある。しかしながら、これらの記載は、シャフトのトルクを4.0°以下とすることによりなぜ本件課題が解決されるのかについて適切に説明するものとはいえず、したがって、構成2のうちシャフトのトルクを4.0°以下とするとの点については、本件明細書の発明の詳細な説明の記載により本件出願日当時の当業者が本件課題を解決できると認識できる範囲のものであるということはできない。
b原告は、低トルクのシャフト(ねじり剛性が高いシャフト)が飛距離の安定性及び方向安定性において優れていることは本件出願日当時の技術常識であり、本件出願日当時の当業者は実施例1と比較例1との比較から、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより飛距離の安定性及び方向安定性(比較例1よりも優れた飛距離の安定性及び方向安定性)が得られるものと理解し得ると主張する。しかしながら、原告の上記主張並びに原告が上記技術常識に係る証拠として提出する甲12及び21ないし23は、シャフトのトルクを4.0°以下とすることによりなぜ本件課題が解決されるのかについて適切に説明するものとはいえず、その他、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決されるとの本件出願日当時の技術常識を認めるに足りる証拠はないから、構成2のうちシャフトのトルクを4.0°以下とするとの点については、本件出願日当時の当業者がその当時の技術常識に照らし本件課題を解決できると認識できる範囲のものであるということはできない。
cなお、原告は、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であって、発明の実施方法や作用機序等を理解することが比較的困難な技術分野(薬学、化学等)に属する発明ではないとして、構成2の境界値の厳密な根拠が本件明細書に記載されている必要はないと主張するが、本件各発明が構造力学に基づく物理学的な発明であることをもって、シャフトのトルクを4.0°以下とすることにより本件課題が解決される理由を本件明細書の発明の詳細な説明において適切に説明する必要がないということはできないから、原告の上記主張を採用することはできない(この点については、以下の構成2のうちシャフトのトルクを1.6°以上とするとの点及び構成3ないし5についても同じである。)。」

2023年7月23日日曜日

請求項の範囲内の実施例がない場合でもサポート要件の充足が肯定された事例

知財高裁令和5615日判決

令和4(行ケ)10059号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、被告が有する特許権に対する、原告による無効審判の審決(請求棄却、特許有効の判断)に対する審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、原告の請求を棄却した。

 本件発明1等のサポート要件が争われた。

 本件発明1は以下の通り分説できる。なお判決中、本件発明1の構成A1A12は「本件組成要件」、構成BCD、及びEは「本件物性要件」と称されている。

「本件発明1

 質量%表示にて、 

A1  B2O3SiO2との合計含有量が21~32質量%

A2A12 (略、いずれも成分組成に関する構成)

であり、

液相温度が1140℃以下であり、

ガラス転移温度が672°C以上であり、

屈折率nd1.825~1.850の範囲であり、

かつアッベ数νd41.5~44である酸化物ガラスであるガラス

(但し、・・・(省略)・・・であるガラスを除く)。」

 

 本件特許の発明の詳細な説明には、本件発明1の構成要件を全て充足するガラスの具体的な実施例は記載されていない。ただし参考例は、本件組成要件の全てと、本件物性要件のうち、構成要件C(ガラス転移温度)以外の3つの構成要件を満たす具体例を含む。

 特許権者である被告は実験成績証明書を提出し、参考例において、ZnOを減量してSiO2を増量して改変することにより、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得らたことを示した。

 

 知財高裁は、

本件明細書には、各成分と作用についての説明を基に、A1及びA7SiO2を増量し、又はA12ZnOを減量する成分調整することにより、上記各参考例のガラス転移温度を本件物性要件を充足する範囲内に調整できることが説明されているといえ、光学ガラス分野の当業者であれば、上記いずれかの方法に沿って技術常識である通常の試行錯誤手順を行うことで本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスが得られ、それにより本件発明の課題を解決できると認識できるものといえる。」

「実験成績証明書には・・・・いずれもZnOを減量してSiO2を増量する改変において、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得られたことが示されている。」

ことなどを認定し、サポート要件が充足されると判断した。

 

 本件と同様に、請求項の範囲内の実施例が記載されていない特許のサポート要件が肯定された裁判例として、下記の2事例を本ブログでこれまでに紹介した。

 

知財高裁令和2年5月28日判決令和元年(行ケ)第10075号

https://benrishie.blogspot.com/2020/06/blog-post.html

 

知財高裁平成24年10月11日判決平成24年(行ケ)第10016号

https://benrishie.blogspot.com/2012/10/100.html

 

 

2.裁判所の判断のポイント

「ア 本件発明の課題について

 前記1(1)の本件明細書の記載によれば、本件発明の課題は、次のとおりのものと理解できる。

 色収差の補正、光学系の高機能化、コンパクト化のために有用な光学素 子用の材料となる、屈折率nd1.800ないし1.850の範囲であり、 かつアッベ数 νd41.5ないし44の範囲にあり(0004】、【00 05)、安定供給可能とするため、希少価値の高いGdTaのガラス組 成に占める割合が低減されており(0006)、近赤外域に吸収を有し、ガラスの比重を増大させる成分であるYbのガラス組成において占める 割合が低減されており(0007)、熱的安定性に優れていてガラスを製造する過程での失透が抑制され(0008)、機械加工に適するガラスを提供すること(0012)

 

イ 本件発明1の課題解決手段について

 本件明細書には、GdTaがガラス組成に占める割合を低減させるため、Ta2O5の含有量を5%以下とすること(0034)La2O3 Y2O3Gd2O3及びYb2O3の合計含有量に対するGd2O3含有量の質量比を0ないし0.05の範囲とすること(0042)を定め、Ybのガラス組成において占める割合を低減させるため、上記の、Yb2O3含有量を3%以下とすること(0038)、熱的安定性に優れたガラスを提供するため、液相温度が1150°C以下であることがより一層好ましいとすること(0206)、機械加工に適するガラスを提供するため、ガラス転移温度が640°C以上であることが好ましいこと(0198)が記載されており、これら本件明細書に記載からみて、本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスは本件発明の課題を解決し得るものと認められる。

 ところで、本件明細書には、本件組成要件及び本件物性要件の全部を満たす実施例がそもそも記載されていない。さらに、本件発明の光学ガラスは多数の成分で構成されており、その相互作用の結果として特定の物性が実現されるものであるから、個々の成分の含有量と物性との間に直接の因果関係を措定するのが困難であることは顕著な事実である。そうすると、前記(2)の好ましい数値範囲等の開示事項から直ちに、本件組成要件と本件物性要件とを満たすガラスが製造可能であると当業者が認識できるものではなく、具体例により示される試験結果による裏付けを要するものというべきである。

 そこで、そのような裏付けがされているといえるのかとの観点から、具体例として掲記されている参考例1ないし33について検討を加える。

 

ウ 参考例について

 本件明細書に記載された参考例1ないし33のうち、参考例151621ないし24272830ないし3212例は、本件組成要件の全てと、本件物性要件のうち、構成要件C(ガラス転移温度)以外の3つの構成要件を満たす具体例である。

 ここで、本件出願当時、光学ガラス分野においては、ターゲットとなる物性を有する光学ガラスを製造する通常の手順として、既知の光学ガラスの配合組成を基本にして、その成分の一部を当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い、ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで、求める配合組成を見出すという手順を行うことは技術常識であったと認められ(3ないし6)、また、この手順を行うに当たって、当業者が、なるべく変更の少ないものから選択を開始することは、技術分野を問わず該当する効率性の観点からみて自明な事項である。そして、前記1(2)のとおり、本件明細書には、本件発明1の各組成要件に係る成分の物性要件に対する作用について記載されており、当業者であれば、本件明細書には本件発明1の物性要件を満たすような成分調整の方法が説明されていると理解できる。そうすると、当業者において、本件明細書で説明された成分調整の方法に基づいて、参考例を起点として光学ガラス分野の当業者が通常行う試行錯誤を加えることにより本件発明1の各構成要件を満たす具体的組成に到達可能であると理解できるときには、本件発明1は、発明の詳細な説明の記載若しくは示唆又は出願時の技術常識に照らし課題を解決できると認識できる範囲のものといえる。

 そこで、次に、参考例の成分調整について具体的にみてみる。

 

エ 参考例の成分調整について

・・・(略)・・・そうすると、本件明細書には、各成分と作用についての説明を基に、A1及びA7SiO2を増量し、又はA12ZnOを減量する成分調整することにより、上記各参考例のガラス転移温度を本件物性要件を充足する範囲内に調整できることが説明されているといえ、光学ガラス分野の当業者であれば、上記いずれかの方法に沿って技術常識である通常の試行錯誤手順を行うことで本件組成要件及び本件物性要件を満たすガラスが得られ、それにより本件発明の課題を解決できると認識できるものといえる。

 

 なお、実際に、11実験成績証明書には・・・(略)・・・いずれもZnOを減量してSiO2を増量する改変において、本件組成要件と本件物性要件を全て満たすガラスが得られたことが示されている

 

・・・

 

 以上のとおり、本件明細書で説明された成分調整の方法をもとに、光学ガラス分野の当業者が通常行う試行錯誤により参考例を起点として本件発明の各構成要件を満たす具体的組成に到達可能であると理解できるといえるから、本件発明は、発明の詳細な説明の記載若しくは示唆又は出願時の技術常識に照らし課題を解決できると認識できる範囲のものといえる。」