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2024年11月23日土曜日

「本発明の1態様・その他の態様」が奏する効果の記載と、発明の課題の認定との関係について判示された事例

 知財高裁令和6年10月31日判決
令和5年(行ケ)第10090号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する原告が請求した無効審判における、訂正後の請求項18〜34に係る発明について無効審判請求は成り立たず権利は有効であるとする審決の取り消しを原告が求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。新規性、進歩性、実施可能要件、サポート要件の違反が争われたが、知財高裁は審決に違法性は無いとして原告の請求を棄却した。
 本件訂正発明18が解決しようとする課題は、「少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供する」ことである。
 そして、実施例として記載の実験データでは、本件訂正発明18に包含される医薬製剤である製剤F1について、インビボウサギ試験を行い、5日間にわたってフルベストラントの沈殿及び放出プロフィルを測定したところ、均一な放出プロフィルを示したことが示されている。
 一方、明細書には、「本発明の1態様として…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤を提供する。」という記載、「本発明の他の態様は、…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤である。」という記載がある。
 原告は明細書の記載から、本件発明の課題は、「少なくとも2週間」の徐放性を意味するため、5日間の実施例の記載によっては課題が解決できるとは認められずサポート要件違反であると主張した。
 これに対し裁判所は、明細書の上記記載について、「これらは発明の一つの態様として記載されたものと認められ、本件各訂正発明の課題が、『少なくとも2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する』、あるいは『徐放性が2週間以上継続する』ことを示す記載であるとは認められない。」と判示し、本件発明の課題を規定するものではないと判断した。
 
2.本件訂正発明18(訂正後の請求項18)
「筋肉内注射によりヒトに投与するための医薬製剤であって、少なくとも45mg/mlのフルベストラント、製剤の容積当たり15~25重量%の医薬的に許容できるアルコール類、製剤の容積当たり10~25重量%の、ヒマシ油中の安息香酸ベンジル、および少なくとも45mg/mlのフルベストラントの製剤を調製するのに十分な量のヒマシ油を含み、医薬的に許容できるアルコール類がエタノールおよびベンジルアルコールの混合物であり、エタノールおよびベンジルアルコールが製剤の容積当たりほぼ等しい重量%で存在する、筋肉内注射に適する医薬製剤。」
 
3.明細書中の本件発明の効果の記載についての裁判所の認定
「本件発明の効果
 フルベストラントは他のいずれの油よりヒマシ油中において有意に溶解度が高い。しかし、本発明者らは、最良の油性溶剤であるヒマシ油を用いた場合ですら、フルベストラントを油性溶剤のみに溶解して低容積の注射で患者に投与するのに十分な高濃度を達成しかつ療法的に有意の放出速度を達成するのは不可能であることを見出した。 (段落【0019】、【0020】)
・・・(略)・・・
 本発明者らは予想外に、本発明の製剤が筋肉内注射後、長期間にわたって十分なフルベストラントを放出することを見出した。この知見は次の理由からみて確かに予想外である。・・・(略)・・・
 本発明者らは、追加の可溶化添加剤(solubilising excipients)、すなわちアルコール類及び医薬的に許容できる非水性エステル系溶剤が製剤の注射後、製剤ビヒクル及び注射部位から直ちに排除されるにもかかわらず、本発明の製剤によればなお治療上有意なフルベストラント濃度を長期間にわたって達成できることを見出した。(段落【0043】)」
 
4.裁判所の判断のポイント(実施可能要件、サポート要件について)
「5 取消事由4(訂正発明18~24、26~34の実施可能要件違反の有無に関する判断の誤り)及び取消事由5(本件各訂正発明のサポート要件違反の有無に関する判断の誤り)
(1)実施可能要件違反について
 ・・・(略)・・・・
 本件明細書等では、エタノール[96%](10%)、ベンジルアルコール(10%)及び安息香酸ベンジル(15%)について、65mg/mlという十分なフルベストラント溶解度を有することが確認されており(段落【0047】、【0048】、表3)、フルベストラント(5%)、エタノール[96%](10%)、ベンジルアルコール(10%)及び安息香酸ベンジル(15%)を含み、ヒマシ油で容積調整した製剤を「製剤F1」と呼び、この製剤F1について、インビボウサギ試験を行い、5日間にわたってフルベストラントの沈殿及び放出プロフィルを測定したところ、均一な放出プロフィルを示し、フルベストラントの沈殿の証拠がなかったことが確認されている。そのため、本件明細書等の発明の詳細な説明によれば、本件明細書等の「製剤F1」、すなわち「エタノール10重量%、ベンジルアルコール10重量%、安息香酸ベンジル15重量%、十分な量のヒマシ油」である組成の溶剤とすることにより、少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含み、筋肉内注射によりヒトに投与し、乳がんの治療に用いるための徐放性の医薬製剤を、当業者が過度な試行錯誤を要することなく製造し使用できることを理解することができると認められる。
 ・・・(略)・・・・
(2)サポート要件違反について
 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 本件特許に係る特許請求の範囲の記載及び本件各訂正発明の概要(前記1(1))によれば、本件各訂正発明の課題は、少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供することであると認められる。
 前記⑴によれば、本件明細書等において、製剤F1について、ウサギに筋肉内注射した際に、注射部位に沈殿が生じず、徐放性を有することが確認されており、製剤F1については、「少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供する」という課題を解決できることが具体的に確認されている。
 そして、前記(1)のとおり、本件各訂正発明は、溶剤の種類が製剤F1と同一であり、各溶剤の含有量が製剤F1と同一又は近似している。
 したがって、本件明細書等の発明の詳細な説明の記載及び本件特許の出願時における技術常識に照らし、本件各訂正発明は、当業者が上記の課題を十分に解決できると認識できる範囲のものであり、かつ、発明の詳細な説明に記載されたものと認められる。したがって、本件各訂正発明について、サポート要件違反は認められない。
(3)原告の主張(前記第3の4〔原告の主張〕)に対する判断
 原告は、本件各訂正発明の課題(前記(2))にいう「徐放性」が「徐放性が2週間以上継続する」ことを意味するとすれば、本件明細書等では4日目までしか血漿中フルベストラント濃度が確認されておらず、本件各訂正発明は、そのような課題を解決できる物として製造できることが本件明細書等に記載されていないから、実施可能要件違反であり、かつ、そのような課題を解決できることが本件明細書等に記載されておらず、そのような課題を解決できると当業者が理解することもできないから、サポート要件違反であると主張する。
 しかし、本件各訂正発明の特許請求の範囲の記載には、徐放性が2週間以上継続するものであるとの内容は含まれていないから、本件明細書等において2週間の徐放性が継続することが確認されていないことをもって、本件各訂正発明が実施可能要件に違反するとは認められない。
 また、本件明細書等には、「2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する」と記載された段落があるが(段落【0023】、【0024】)、段落【0023】には、「本発明の1態様として…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤を提供する。」と記載され、段落【0024】には、「本発明の他の態様は、…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤である。」と記載されており、これらの段落全体の記載からすれば、これらは発明の一つの態様として記載されたものと認められ、本件各訂正発明の課題が、「少なくとも2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する」、あるいは「徐放性が2週間以上継続する」ことを示す記載であるとは認められない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。」

2024年8月31日土曜日

サポート要件実施可能要件が少数の薬理試験結果により満たされるか争われた事例

 知財高裁令和6年8月7日判決言渡
令和5年(行ケ)第10019号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許権者である被告の有する特許権に対し原告が請求した無効審判の審決(無効理由なし、請求棄却の審決)についての審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 無効審判での訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明)は下記のとおり:
「【請求項1】
患者において中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)を処置する方法に使用するための治療上有効量の抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片を含む医薬組成物であって、ここで前記患者が局所コルチコステロイドまたは局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないかまたは前記局所処置が勧められない患者である前記医薬組成物。」
 上記の本件訂正発明の医薬組成物の有効成分は「抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片」であるのに対し、明細書にアトピー性皮膚炎についての薬理効果が示されている抗体は「mAb1」と称される1つのみであった。
 本件訂正発明の進歩性要件、サポート要件、実施可能要件の充足性が争われたが、裁判所はいずれの要件も満たされていると結論した。
 実施例の数と、サポート要件の充足性との関係について、裁判所は次のように判示した。
「しかし、サポート要件の適合性につき、・・・(中略)・・・どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、・・・(中略)・・・演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。」

 このように、サポート要件を満たすために必要な実験の数は、発明の構成により課題が解決できることが、メカニズム等から「演繹的に導かれる」場合と、実験結果から「帰納的に導かれる」場合とで異なり、本件のように前者の場合はより少ない実験で足りるという判断が示された。
 
2.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由2(サポート要件違反)について
(1)原告は、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるところ、本件訂正発明はmAb1とは結合親和性や薬物動態が異なる抗体等を含むものであり、これが臨床で治療に使用可能であるとは当業者は認識しない、その結果、本件特許の権利範囲は本件明細書の開示と比して著しく過大となっているとして、サポート要件の適合性に関する本件審決の誤りを主張する。
 この点、特許法36条6項1号は、特許請求の範囲に記載された発明は発明の詳細な説明に実質的に裏付けられていなければならないというサポート要件を定めるところ、その適合性の判断は、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解されるので、以下、この見地から検討する。
(2)本件明細書に示されている本件訂正発明の課題及び当該課題の解決手段は、次のとおりである。
ア まず、前記第2の2(2)のとおり、本件明細書には、アトピー性皮膚炎(AD)は、強い掻痒感(例えば、激しい痒み)ならびに鱗状及び乾燥した湿疹病変を特徴とする慢性/再発性炎症性皮膚疾患であり、アトピー性皮膚炎の病態生理は、免疫グロブリンE(IgE)による感作、免疫系、及び環境因子の間の複雑な相互作用により影響されること、主な皮膚の欠陥は、遺伝子突然変異と局部炎症との両方の結果である上皮バリアの機能障害を伴う、IgEによる感作を引き起こす免疫障害によるものであるところ、従来のアトピー性皮膚炎のための典型的な処置としては、局所ローション及び保湿剤、局所コルチコステロイド軟膏、クリームまたは注射が含まれるが、これらは、一時的な、不完全な、症状の緩和を提供するに過ぎず、さらに、中等度から重度のアトピー性皮膚炎を有する多くの患者は、局所コルチコステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して耐性になるという問題があったこと、そこで、アトピー性皮膚炎の処置及び/又は防止のための新規標的療法が当業界で必要とされていたことが記載されており、以上の記載及び特許請求の範囲の記載からみると、本件訂正発明の課題は、「中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)患者であって、局所コルチステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないか又は前記局所処置が勧められない患者を処置する方法に使用するための治療上有効な医薬組成物を提供すること」であると認められる。
イ そして、当該課題を解決する手段は「治療上有効量のインターロイキン-4受容体(IL-4R)アンタゴニストを含む医薬組成物」の患者への投与(前記第2の2(2)エ)である。なお、ここでいう「インターロイキン-4受容体」(IL-4R)アンタゴニスト」とは、IL-4Rに結合するか、又はそれと相互作用し、IL-4Rがin vitroまたはin vivoで細胞上で発現される場合にIL-4Rの正常な生物学的シグナリング機能を阻害する任意の薬剤であると記載されており、その非限定例として、ヒトIL-4Rに特異的に結合する抗体または抗体の抗原結合断片が挙げられている。
(3)以上の課題解決を裏付ける根拠として、本件明細書には、以下の開示があることが認められる。
ア  本件明細書の実施例において取得された抗体は、いずれも甲3に記載のように作成されたものであるところ(【0153】)、甲3は、公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4のhIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることが開示されていることが認められる。
  そうすると、本件訂正発明における抗体は、いずれも抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であり、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであることが認められる。
  そして、本件明細書の実施例1には、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が、甲3に記載のように作成されることが開示されている。
イ  また、実施例8及び実施例10には、本件患者に対し、mAb1を投与した試験において、アトピー性皮膚炎の病変の割合や重症度、掻痒感を評価する指標であるIGA、EASI、BSA、SCORAD、NRS掻痒感の有意な改善をもたらしたことが確認されている(【0324】、【03】、【0389】)。
・・・(中略)・・・・
(5) 以上の本件明細書の記載及び技術常識を総合すると、本件明細書には、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから、これに接した当業者は、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解するものといえる。そうすると、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体(本件抗体等)であれば、mAb1に限らず、本件患者に対して治療効果を有するであろうことを合理的に認識でき、前記(2)に記載した本件訂正発明の課題を解決できるとの認識が得られるものと認められる。
(6)ところで、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであることは、原告の指摘するとおりである。しかし、サポート要件の適合性につき、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」等を判断するに当たって、どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。上記作用機序は、本件抗体の一つであるmAb1がIL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであり、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善し、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーも低下したのであるから、mAb1以外の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体である本件抗体等(mAb1以外の32種)も同様の作用効果を有すると当業者が理解できることは明らかである。
 本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるとの原告の指摘は、上記認定判断を左右するものではない。
(7)また、原告は、サポート要件違反の根拠として、本件抗体等には、結合親和性、血中半減期、保存安定性等が全く異なるものが含まれている点を挙げる。しかし、アトピー性皮膚炎に対する治療に必要な効果が得られる本件抗体等のスクリーニングが必要となることはあっても(この点は実施可能要件の問題として後述する。)、結合親和性、血中半減期、保存安定性等の違いが、上記作用機序を否定するようなものであると認めるに足りる証拠はない。したがって、本件抗体等の中には結合親和性等の点で違いが存在するとしても、上記(6)で説示したところに照らして、サポート要件違反を導くものとはいえない。
・・・(中略)・・・
3 取消事由3(実施可能要件違反)について
(1)原告は、① 本件特許の特許請求の範囲に記載されている抗体等には、結合親和性が弱いため治療に使用できないものがあり、臨床で治療に使用可能なものを選別しなければならず、また、② 治療上の有効量についても、都度臨床試験で確認する必要があり、いずれについても過度の試行錯誤を要するから、本件訂正発明1~7、10~16について実施可能要件違反であると主張する。
 この点、特許法36条4項1号に規定する実施可能要件については、明細書の発明の詳細な説明が、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、特許請求の範囲に記載された発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているかを検討すべきである。
(2)以上の枠組みに基づき、まず原告の主張①についてみると、本件抗体等は、前記のとおり抗IL-4Rアンタゴニスト抗体及びその抗原結合断片を意味し、本件明細書の実施例1においては、甲3に記載のように、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が取得されたことが記載されている。そして、甲3は、本件特許の出願時において公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4のhIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることを開示したものである。また、実施例の記載によれば、本件患者にmAb1を投与すると、mAb1のIL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわちアンタゴニストとしての作用によりアトピー性皮膚炎治療効果を発揮することを理解することができる。
 そうすると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体、すなわち本件訂正発明1における抗体を、公知の方法及びスクリーニングすることにより、過度の試行錯誤を要することなく製造することができ、それを、本件患者に対して投与した場合に治療効果を有することを合理的に理解できるものと認められる。したがって、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件訂正発明1を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているといえる。
(3)次に、原告の主張②(治療上の有効量を都度確認する必要があるとの点)を検討するに、本件明細書には、mAb1の具体的用量300mg(実施例10)が開示されており(【0353】)、段落【0019】等にも用量の目安の記載があるから、mAb1以外の抗体についても、アンタゴニスト活性の程度に応じて治療上有効量を設定することが当業者にとって過度の試行錯誤を要するとまで認めることはできない。
・・・(中略)・・・
(5)以上により、本件訂正発明1~7、10~16について実施可能要件違反をいう原告の主張は、採用することができない。」
 

2020年6月28日日曜日

実施例と合致しない特許発明の実施可能要件サポート要件

知財高裁令和2年5月28日判決
令和元年(行ケ)第10075号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は被告が有する特許権に対する無効審判審決(特許有効の判断)を不服とする原告による審決取消訴訟の高裁判決であり、下記の本件発明6については審決の判断(実施可能要件違、サポート要件を満たす)が維持された事例である。

 本件特許の請求項6に係る発明(本件発明6)は以下の通り
「【請求項6】第1のスキン層と,コア層,及び第2のスキン層とを含むポリオレフィンフィルムを押出成形する第1の押出ステップと,/前記押出成形されてなるフィルムを冷却させる第1の冷却ステップと,/前記第1の冷却ステップを経たフィルムを縦延伸する縦延伸ステップと,/前記縦延伸されたフィルムの第1のスキン層上に熱封着樹脂層が形成されるように押出成形する第2の押出ステップと,/前記熱封着樹脂層が形成されたフィルムを冷却させる第2の冷却ステップ,及び/前記第2の冷却ステップを経たフィルムを横延伸する横延伸ステップと,/を含み,/前記第2の冷却ステップは,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて樹脂層に空気チャンネルを形成させることであり,/前記冷却ロールに形成された凹凸構造は,5μm~30μmの深さを有することを特徴とする,ポリオレフィン系延伸フィルムの製造方法。」

 この方法で製造されるポリオレフィン系延伸フィルムは、(凹凸を有する)熱封着樹脂層、第1のスキン層、コア層、及び、第2のスキン層がこの順で積層された構造を有する。そして、熱封着樹脂層に凹凸が形成されている。
 特許明細書には、この構成の効果として、空気チャネルの形成によって巻き取り時のしわ寄りが効果的に防止されることや、優れた層間接着強度を有することが記載されている。
 しかし、上記の製造方法を実施し、効果を確認した実験結果は記載されていない。明細書の実施例1、実施例2では、表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて、熱封着樹脂層の裏側にあたる第2のスキン層に凹凸を形成することは記載されているが、熱封着樹脂層に凹凸を形成する例ではない。

 そこで原告は、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たさないと主張した。
 これに対して知財高裁は、以下のように判示し、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たすと判断した。

2.原告の主張に対する裁判所の判断のポイント
「4 取消事由4(本件発明6に係る実施可能要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を前提に,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40とは反対側の面に当てる態様を開示しており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40表面に当てる態様については,空気チャンネルの形成によって巻取時のしわ寄りが効果的に防止されるとの効果が奏されるとの実験的な確認がなく,実施可能要件に適合しない旨主張する。
 本件明細書には,図4に示す装置を前提に,「先ず,共押出により第1のスキン層10/コア層30/第2のスキン層20が積層されてなるフィルムを作製した後,第1の冷却を行ない,次いで,縦延伸比4倍で縦延伸を行なった。そして,縦延伸後,連続押出によるインライン(In-Line)工程により前記第1のスキン層10上に樹脂層40としてのEVA層を押出積層した後,冷却ロールに通させて第2の冷却を行ない,次いで,横延伸比8倍で横延伸して,図3に示すような4層構造の延伸フィルムを作製した。…冷却する際に,…実施例2の場合は,サンディング処理が施されたマットタイプロールに通させて冷却を行なった。」(【0066】,【0067】)との記載があり,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールが第2のスキン層に当てられ,第2のスキン層に空気チャンネルが形成される実施例2が記載されている。
 しかしながら,実施例2を参照した場合でも,請求項6や【0051】の記載を参照して,第2の押出ステップにより成形されたフィルムを実施例2と上下逆にすれば,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40に当てることは容易にできるから,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明6の空気チャンネルを形成することはできるというべきである。
 そして,実施可能要件は,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要するとするものであって,作用効果を奏することの実験的な確認を要するものではない。」

「5 取消事由5(本件発明6に係るサポート要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を用いており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層には当たらず,樹脂層とは反対側の面に当たるようになっているから,これらの記載によっても,本件発明6によって,「優れた層間接着強度でラミネートされた多層ポリオレフィン延伸フィルムを提供」されているのか否かを理解することができず,サポート要件に違反する旨主張する。
 本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1のポリオレフィン系延伸フィルムとは,本件発明6の空気チャンネルが実施例1では形成されない点で異なり,実施例2のポリオレフィン系延伸フィルムとは,空気チャンネルの形成場所が本件発明6では樹脂層であるのに対し,実施例では第2のスキン層である点で異なる。
 しかし,本件明細書の「空気チャンネルによってフィルムの巻取品質が向上する。…横延伸されたフィルムは,巻取ロール600に巻き取られることとなり,このとき,巻取工程でしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。樹脂層40の形成の際,従来のようにコーティング工程等によらずに,縦延伸後の連続的な追加の押出工程(第2の押出ステップ)により樹脂層40を積層するため,巻取時にしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。」(【0049】),「空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止する。すなわち,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する。」(【0050】),「本発明の実施例に係るフィルムの場合,巻取後の外観性においても良好であることが分かり,特に実施例2の試片は,外観性等の巻取品質が非常に優れていることが判明した。」(【0075】)との記載によれば,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供することで,巻取時のしわ寄りを効果的に防止することを理解することができる。
 そして,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40側に当てられた場合であっても,巻き取られたフィルムに空気チャンネルが形成されることは,スキン層に空気チャンネルが形成された実施例2の場合と同様であるから,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供し,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏するものと解される。
 また,本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1,2のポリオレフィン系延伸フィルムと各層の材料は同じであり,各層の層間の状態に違いがあることはうかがわれない上,空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止するものであるから,空気チャンネルが設けられているのが,フィルムの表面であるか樹脂層の側であるかによって,層間接着強度が大きく変わると解すべき根拠はない。
 そうすると,当業者は,実施例,比較例をみれば,本件発明6のポリオレフィン系延伸フィルムについても,実施例1,2と同様に,第1のスキン層と樹脂層との優れた層間接着強度,樹脂層と被着体(紙)との優れた層間接着強度を有することや,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏することが理解できるというべきである。したがって,図4の装置を用いた実施例及び比較例の記載の記載が本件発明6と整合しないとしても,それのみをもってサポート要件違反となるものではない。
 よって,原告の主張は採用できない。」

2019年4月21日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟で限定的でなく広く解釈された事例

東京地裁平成31年1月17日判決

平成29年(ワ)第16468号 特許権侵害差止請求事件



1.概要

 本事例はモノクローナル抗体とそれを含む医薬組成物を対象とする特許権の特許権者(原告)による被告製品の差止を求めた特許権侵害訴訟の東京地裁判決である。

 本事例の「本件発明1」では、プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対するモノクローナル抗体が、「(1A)PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,(1B’)PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する」という結合特性により特定されている。本件発明1の抗体は、実施例で記載の、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和するPCSK9に対するモノクローナル抗体「21B12」を拡張したものであり、参照抗体21B12がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,参照抗体21B12とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体に該当する。「本件発明2」の抗体も同様に、別の参照抗体31H4と同等の結合特性を有する抗体に該当する。

 争点は、被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否か、特許発明のサポート要件充足性、特許発明の実施可能要件充足性等である。

 被告は、抗原との結合特性が機能的に特定された抗体発明の技術的範囲は限定的に解釈すべきであり、実施例に記載の抗体、及び、それにアミノ酸配列が近い抗体に限られ、被告製品は技術的範囲に属しないと主張した。しかし、東京地裁はこの主張を認めず、被告製品の抗体は、結合特性に関する構成を満たす以上は技術的範囲に含まれると結論付けた。東京地裁はまた、サポート要件違反及び実施可能要件違反もないと判断した。

 本事例では、「本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。」ことが、技術的範囲を限定解釈が適用されない根拠とされている。

 なお、東京地裁は、2018年(平成30)年3月28日判決平成28年(ワ)第11475号において、機能的に特定された抗体の権利範囲を限定的に解釈した(本ブログ2019年2月17日記事参照)。この2018年判決では、「特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」と判示している。

 本事例(2019年判決)では、本件参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体が、明細書等の記載から当業者が実施し得るという前提のもと、技術的範囲を広く解釈しており、2018年判決とも矛盾しないようにも思える。しかし、本事例(2019年判決)において、本件特許明細書には、被告製品の抗体と同じアミノ酸配列からなる抗体が実施例で記載されているわけではなく、被告製品の抗体と同じアミノ酸配からなる抗体を製造するための手順も記載されていない。本事例では「被告製品が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えは「いいえ」であるから、特許明細書に実施できるように記載されていない被告製品は技術的範囲に含まれないと結論するのが2018年判決とも矛盾せず適切ではなかったかと思われる。本事例は「特許発明が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えが「はい」であることのみを以って被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると結論づけていることに問題があるのではないか。
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2.本件発明

ア 本件特許1

 訂正後の本件特許1の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明1-1」という。)は,次のとおり分説することができる。

1A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

1B’PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

1C 単離されたモノクローナル抗体。

 訂正後の本件特許1の請求項9記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明1-2」といい,本件訂正発明1-1と併せて「本件訂正発明1」という。)は,上記構成要件1A,1B’,1Cのほか,次のとおり分説することができる。

1D を含む,医薬組成物。



イ 本件特許2

 訂正後の本件特許2の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明2-1」という。5 )は,次のとおり分説することができる。

2A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

2B’PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

2C 単離されたモノクローナル抗体。

 本件特許2の請求項5記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明2-2」といい,本件訂正発明2-1と併せて「本件訂正発明2という。)は,上記構成要件2A,2B’,2Cのほか,次のとおり分説することができる。

2D を含む,医薬組成物。



 本件訂正発明1の構成要件1B’は,本件明細書1で21B12抗体と呼ばれる抗体(以下「21B12参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである。

 本件訂正発明2の構成要件2B’は,本件明細書2で31H4抗体と呼ばれる抗体(以下「31H4参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである



3.裁判所の判断

「前記の本件各明細書の記載によれば,21B12参照抗体及び31H4参照抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であるところ,本件各発明は,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,21B12参照抗体(本件発明1)又は31H4参照抗体(本件発明2)と競合する単離されたモノクローナル抗体又はそれを含む医薬組成物が,PCSK9とLDLRの結合を中和してLDLRの量を増加させることによって,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療又は予防することを目的とするものであると認められる。



2 争点(1)(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について

(1)

 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

(2)

 本件各明細書には,21B12参照抗体や31H4参照抗体及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。

・・・

カ 上記のスクリーニング等によって,PCSK9に対する抗体の最も高い力価を有するハイブリドーマが同定され,表2に記載される32の抗体が得られた。32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非PCSK9-LDLR結合中和抗体,3B6,9C9及び31A4は15 弱いPCSK9-LDLR結合中和抗体,その他(21B12参照抗体及び31H4参照抗体を含む。)は,強いPCSK9-LDLR結合中和抗体である(段落【0138】【0336】)。この32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が1個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が7個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が1個

である(段落【0373】【0374】【0494】)。そして,上記ビン1の抗体19個とビン3の抗体7個は,いずれもPCSK9-LDLR結合中和抗体である。

キ また,上記カとは別の組(合計39抗体)に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が3個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が10個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が2個である。そして,ビン1に属する抗体のうち16個,ビン2に属する抗体のうち2個及びビン3に属する抗体のうち7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体を除く少なくとも22個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが確認されている(段落【0138】【0489】~【0495】)。

(3)

 前記(2)のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。

 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

(4)

 また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR5 結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。

 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9-LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。

 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるから(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

(5)

 証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。・・・



3 争点-ア(サポート要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。

 また,本件各明細書の高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載(段落【0155】【0270】【0271】【0276】)から,当業者は,本件発明1-1,本件発明2-1の各抗体を医薬組成物として使用できることを認識することができる。

 したがって,本件発明1及び2は,いずれもサポート要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれもサポート要件に違反するとはいえない。



4 争点-イ(実施可能要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各発明の抗体及び医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,本件発明1及び2は,いずれも実施可能要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれも実施可能要件に違反するとはいえない。」

2019年2月17日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟において限定的に解釈された事例


東京地裁平成30年3月28日判決
平成28年(ワ)第11475号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本事例は特許権侵害訴訟の東京地裁による第一審判決である。
 原告が有する特許権に係る本件発明1は以下の通り分説できる
1A 第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,
1B 凝血促進活性を増大させる,
1C 抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:American Diagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。
 原告が有する特許権に係る本件発明4は以下の通り分説できる
4D 請求項1に記載の抗体または抗体誘導体であって,
4E ここで,該抗体または抗体誘導体は,モノクローナル抗体,抗体フラグメント,キメラ抗体,ヒト化抗体,単鎖抗体,二重特異性抗体,ダイアボディー,およびそれらのダイマー,オリゴマー,またはマルチマーからなる群から選択される,
4F 抗体または抗体誘導体。

 このように、本件各発明は、抗体又は抗体誘導体を「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体」、「凝血促進活性を増大させる」という機能のみにより特定した発明である。
 東京地裁は、
「特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。」
と判断し、本件各発明の技術的範囲を限定的に解釈し、被告製品はこの範囲に含まれないと結論付けた。
 なお、この訴訟では本件各発明の実施可能要件欠如、サポート要件欠如による無効理由の存在が被告により主張されているが、この争点について裁判所は判断を下していない。しかし、判決中で「当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。」と認定されていることから、本件各発明は実施可能要件、サポート要件は充足していると裁判所は判断しているように思われる。

 機能により特定された抗体に関する特許発明の技術的範囲を巡っては平成31年1月17日にも東京高裁で判断が示されたが、機能的クレームであるから限定的に解釈すべきであるという判断はなされなかった(平成29年(ワ)第16468号)。このれらの事例の比較検討は今後進める予定。

2.裁判所が認定した本件各発明の意義
「(2)本件各発明の意義
 以上の本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件各発明の意義は,大要,以下のとおりのものと認められる。
 すなわち,従来の血友病Aの患者の処置は,欠如又は不足した第VIII因子の不足を補うために第VIII因子濃縮物の投与による補充療法であった(段落【0003】)。しかし,補充療法には,第VIII因子インヒビターを生じさせる患者に対する処置が非常に困難かつ危険性を含んでおり(段落【0003】),そのような患者に対する処置としては,高用量の第VIII因子を投与するなどのいくつかの治療方法が存在するが,高価である(段落【0004】,【0005】),多大な時間を必要とする(段落【0004】),重篤な副反応を伴い得る(段落【0004】),患者への負担が大きい(段落【0005】)等の問題点があった。本件各発明の目的は,第VIII因子を抑制する患者についての特定の利点を有する,血液凝固障害の処置のための調製物を提供することであり(段落【0010】),これを,第IX因子又は第IXa因子に結合して第IXa因子の凝血促進活性を増大させる抗体又は抗体誘導体によって達成するというものである(段落【0011】)。
 そして,抗体又は抗体誘導体は,具体的には,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製し(実施例1ないし3),これを色素形成アッセイ等の方法で凝血促進活性の程度を評価し(実施例4ないし9,14),そのモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から様々な抗体誘導体(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)を作製するものである。」

3.裁判所が認定した被告製品の構成
「2 被告製品の構成等について
(1)被告製品の構成
 被告製品は,別紙被告製品説明書及び「被告製品のアミノ酸配列」記載のアミノ酸配列を有する非対称型バイスペシフィック抗体であり,抗体の中でもIgGに分類される。被告製品は,2つの抗原結合部位を有し,その一方が第IXa因子を認識し,他方が第X因子を認識する。(甲23,乙28,38,弁論の全趣旨)
(2)被告製品の開発経緯
 被告製品の開発過程において,被告がバイスペシフィック抗体を作製するに当たり用いられたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,ヒト第IXa因子に特異的に結合し,かつ,第IXa因子の酵素活性に対してできるだけ阻害活性の弱い抗体が選別された。そこで作製されたバイスペシフィック抗体のうち,最も第VIII因子補因子活性が高かった抗体は,XB12/SB04であるが,これは第VIII因子補因子活性を有さないモノスペシフィック抗第IXa因子抗体から作製されたものである。よって,被告製品の開発において選別されたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,第IXa因子の凝血促進活性を増大させるか否かとは無関係に選別されたと認められる。また,モノスペシフィック抗第IXa因子抗体の第VIII因子補因子活性とそれから作製されたバイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性との相関関係があるとは認められず,バイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性は,抗第IXa因子抗体由来の構造だけなく,抗第X因子抗体由来の構造にも影響を受ける。(乙55,57,75)
 そして,被告製品は,第IXa因子と第Ⅹ因子との空間的な配向を好適な状況に制御し,酵素の活性部位と基質とを正確に接触しやすくすることで,第IXa因子が触媒する第VIII因子補因子活性を促進するという機序により,凝血促進活性を増大させるものである(乙33,甲165)。そして,その増大の程度は,本件明細書の実施例と同様の手法で作製された抗体(198A1,198B3,224F3)と比較して,優れた効果をもたらすものである(乙6,36によれば,約1000倍の効果とされてい
る。)。」

4.争点1(被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するか)についての裁判所の判断
「(1)本件特許請求の範囲の請求項1(本件発明1に係る特許請求の範囲)の記載は,「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,凝血促進活性を増大させる,抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:AmericanDiagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。」であり,請求項4(本件発明4に係る特許請求の範囲)は請求項1を引用している。ここで,「凝血促進活性を増大させる」との記載の意義については,本件明細書においてこれを定義した記載はない上,「血液凝固障害の処置のための調製物を提供する」(段落【0010】)という本件各発明の目的そのものであり,かつ,本件各発明における抗体又は抗体誘導体の機能又は作用を表現しているのみであって,本件各発明の目的又は効果を達成するために必要な具体的構成を明らかにしているものではない。
 特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。
 したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
 ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。
(2)そこで,本件明細書において開示された具体的構成に示されている技術思想について検討する。
ア ある抗体が,第IX因子又は第IXa因子に結合し,第IXa因子の凝血促進活性を増加するか又は第VIII因子様活性を有することを示すための試験方法としては,凝血試験や色素形成試験等があり,これらによって評価が可能である(段落【0013】,【0014】,【0037】,【0065】)。そして,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングし,色素形成アッセイによって第VIII因子様活性を有するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が複数作製されており(実施例4,9),そのなかで第VIII因子インヒビターを有する血漿の凝血をもたらす抗体(193/AD3)も確認されている(実施例7)。よって,当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。
 また,凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も複数作製されているから(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)),凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も作製できたと認められる。
 もっとも,「凝血促進活性を増大させる」程度については,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度(例えば,段落【0081】・図11において,198/AP1はネガティブコントロールとの比が1.7程度であるが,凝血促進活性を示さないとされている。段落【0067】・図7A(196/AF2 35μM Pefabloc Xa(登録商標)),段落【0068】・図7B(198/AM1 35μM Pefabloc Xa(登録商標))も同様。)や2程度(段落【0105】・図20において,A1/5はネガティブコントロールとの比が2程度であるが,有意な凝血促進活性はないと評価されている。)の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超える程度のものでなければならないものと解するのが相当である。そうすると,凝血促進活性の増大がわずかであるものは,「凝血促進活性を増大させる」とは評価できず,その程度は,実質的なものでなければならないのであって,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えており,実質的に凝血促進活性を増大させる程度の増大であることを要するものと解すべきである。
イ バイスペシフィック抗体については,本件明細書において,実施例として作製された例は記載されておらず,第IX因子又は第IXa因子に結合するアーム以外のアームが結合する対象の抗原がいかなるものかも開示されてない。しかし,バイスペシフィック抗体自体は,抗体誘導体の一態様として明記されている(段落【0019】,【0026】)。そして,凝血促進活性を増大させるモノスペシフィック抗体からの誘導体も複数作製されており(実施例10ないし13,15ないし18),本件出願日当時の技術常識によれば,第IX因子又は第IXa因子に対するバイスペシフィック抗体を作製可能であり,第IX因子又は第IXa因子に対するモノスペシフィック抗体から誘導されたバイスペシフィック抗体が,モノスペシフィック抗体が有する凝血促進活性を増大させる作用を維持できると予測できたと認められる。そうすると,バイスペシフィック抗体についても,モノスペシフィック抗体の活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体の一態様として「抗体誘導体」に含まれると解される。
ウ したがって,本件各発明の技術的範囲に含まれるというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であるものの,バイスペシフィック抗体は「抗体誘導体」の一態様としてこれに含まれ得ると解すべきである。
エ 被告は,色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるモノスペシフィック抗体及びその誘導体に限られる旨主張する。
 そこで検討するに,本件明細書には,2時間のインキュベーション後の第VIII因子アッセイにおいて,ネガティブコントロールとの比が3を超える場合には,「凝血促進活性を増大させる」と評価できる旨の記載がある(段落【0013】,【0014】)。
 他方,本件明細書においては,凝血促進活性の検査方法について,色素形成アッセイ以外にも凝血試験などの全ての方法が使用でき(段落【0037】,【0065】),同じ色素形成アッセイであってもインキュベーション時間が2時間ではない例も記載されている(実施例11・図18ないし20)。そうすると,本件明細書に記載された凝血促進活性の評価方法は,複数存在するということができるところ,一般に,評価方法が異なればその基準が同一であるとは限らないから,本件明細書において「凝血促進活性の増大」が色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるものであると一義的に決定されているとは,直ちには解することができない。
オ 原告らは,「凝血促進活性を増大させる」とは,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分である旨主張する。
 しかし,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度や2程度の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分であるとはいえないことは,既に説示したとおりであって,原告らの上記主張は採用することができない。
(3)他方,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものでない場合には,別異に解すべきである。すなわち,本件各発明の技術的範囲に属するというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であると解されるところ,これには,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではない第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)は含まれないし,かかるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から誘導される抗体誘導体(バイスペシフィック抗体もこれに含まれる。)も含まれないというべきである。このような抗体誘導体(バイスペシフィック抗体)は,たとえ,それ自体が第IXa因子の凝血促進活性を増大させる効果を有するものであったとしても,本件各発明の課題解決手段とは異なる手段によって凝血促進活性を増大させる効果がもたらされているのであって,本件明細書の記載に基づいて当業者が実施できるものとはいえないというべきである。
(4)前記(2)において説示したとおり,「凝血促進活性を実質的に増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えるものでなければならないものと解されるところ,前記2において認定したとおり,左右のアームがいずれも被告製品の第IXa因子に結合するアームで構成されたモノスペシフィック抗体(Qhomo)の色素形成アッセイキットによって測定されたネガティブコントロールとの比は,1.36から1.48であったこと(乙38)からすると,Qhomoは第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるモノスペシフィック抗体とはいえない。
 そして,被告製品は,Qhomoの片方のアームを第Ⅹ因子に対するものに改変したバイスペシフィック抗体(抗体誘導体)であるから,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体からの誘導体ということができる。
 そうすると,被告製品は,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体から,その第IXa因子結合部位を取り出し,特定の第Ⅹ因子結合部位と組み合わせてバイスペシフィック抗体に変換させることにより,凝血促進活性を増大させる作用をもたらしたものということができるから,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」に該当するとは認められない。
(5)したがって,被告製品は,本件各発明の技術的範囲に属すると認めることはできないというべきである。」

2019年1月20日日曜日

モノクローナル抗体を結合特性のみにより特定した発明のサポート要件が争われた事例


知財高裁平成30年12月27日判決
平成29年(行ケ)第10226号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対し原告が請求した無効審判の特許維持審決に対する審決取消訴訟において請求が棄却され特許権が維持された事例である。
 本件特許発明1では、モノクローナル抗体を、抗原との結合に関与する可変領域のアミノ酸配列等の構造により特定しておらず、抗原との結合特性のみによって特定している。原告はサポート要件及び実施可能要件欠如による主張したが、審決及び知財高裁判決では主張を認めず特許権を維持した。
 知財高裁はモノクローナル抗体の作製プロセスにおいてアミノ酸配列等の構造は必須の情報ではないことに着目して、「動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない」と判示した。

2.本件特許発明
【請求項1】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体。
【請求項5】請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む,医薬組成物。

3.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由2(サポート要件の判断の誤り)について
(1) サポート要件の適合性について
ア 前記1(1)及び(4)ウ(ア)の認定事実を総合すると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件訂正発明1及び5に関し,次のとおりの開示があることが認められる。
(ア) PCSK9(プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型)は,セリンプロテアーゼであり,LDLR(低密度リポタンパク質受容体)と結合して,相互作用し,LDLRとともに肝臓の細胞内に取り込まれ,肝臓中のLDLRのレベルを低下させ,さらには,細胞表面(細胞外)でLDLへの結合に利用可能なLDLRの量を減少させることにより,対象中のLDLの量を増加させる(【0002】,【0003】,【0071】)。
 「中和抗体」という用語は,リガンドに結合し,リガンドの生物学的効果を妨げ,又は低下させる抗体を表し,抗PCSK9抗体においては,PCSK9とLDLRの結合を妨げることによる中和と,PCSK9とLDLRの結合は妨げず,LDLRのPCSK9媒介性分解を妨げることによる中和がある(【0138】)。
 「競合する」という用語は,検査されている抗体が抗原への参照抗体の特異的結合を妨げ,又は阻害する程度を測定する各種アッセイによって決定された,抗体間の競合を意味するものであり,競合アッセイによって同定される抗体には,参照抗体と同じ又は重複するエピトープに結合する抗体や,参照抗体がエピトープに結合するのを立体的に妨害するのに十分なほど近接した隣接エピトープに結合する抗体が含まれる(【0140】,【0269】)。
 「エピトープ」という用語は,抗体によって結合される抗原の領域であり,抗原がタンパク質の場合,抗体に直接接触する特定のアミノ酸を含む(【0142】)。
(イ) 配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域とを含む抗体(「31H4」)(参照抗体)と「競合」する,単離されたモノクローナル抗体は,PCSK9がLDLRに結合するのを妨げる位置及び/又は様式で,PCSK9に結合し,PCSK9とLDLR間の相互作用(結合)を遮断し,又は低下させ,「競合的に中和する」中和抗原結合タンパク質(中和ABP)である(【0138】,【0140】,【0155】,【0262】,【0269】,表2)。
 このPCSK9に対する中和ABPは,PCSK9とLDLRとの結合を中和し,LDLRの量を増加させることにより,対象中のLDLの量を低下させ,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得る(【0155】,【0270】,【0271】,【0276】)。
(ウ) 参照抗体及びこれと競合する,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体を得るために,表3記載の免疫化プログラムの手順及びスケジュールに従って,ヒト免疫グロブリン遺伝子を含有する二つのグループのマウスにヒトPCSK9抗原を11回注射して免疫化マウスを作製し,PCSK9に対して特異的な抗体を産生するマウス(10匹)を選択した(実施例1,【0312】,【0313】,【0320】,表3)。
 これらの選択された免疫化マウスを使用して,PCSK9に対する抗原結合タンパク質を産生するハイブリドーマを作製し(実施例2,【0322】~【0324】),ニュートラビジン被覆したプレートに結合させたV5タグを持たないビオチン化合されたPCSK9を捕捉試料とするELISAによる「一次スクリーニング」によって,合計3104の抗原特異的ハイブリドーマが得られた(実施例3,【0325】~【0328】)。
 安定なハイブリドーマが確立されたことを確認するため,「一次スクリーニング」によって得られた上記ハイブリドーマのうち,合計3000の陽性を再スクリーニングし,更に合計2441の陽性を第二のスクリーニング(「確認用スクリーニング」)で反復し,次いで,「マウス交叉反応スクリーニング」によって579の抗体がマウスPCSK9と交叉反応することを確認し(【0329】,【0330】),さらに,LDLRへのPCSK9結合を遮断する抗体をスクリーニングするために,「大規模受容体リガンド遮断スクリーニング」を行い,PCSK9とLDLRウェル間での相互作用を強く遮断する384の抗体が同定され,100の抗体は,PCSK9とLDLRの結合相互作用を90%超阻害した(【0332】)。
 このように同定された384の中和物質(遮断物質)のサブセットに対して,「遮断物質のサブセットに対する受容体リガンド結合アッセイ」を行い,90%を超えて,PCSK9変異体酵素とLDLR間の相互作用を遮断する85の抗体が同定された(【0333】,【0334】)。
 これらのアッセイ(スクリーニング)の結果に基づいて同定されたPCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株中に含まれていた参照抗体(31H4)(【0336】,表2)は,PCSK9とLDLRとの結合を強く遮断する中和抗体である(実施例11,【0138】,【0378】)。
(エ) 表2(PCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株)記載の32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非中和抗体,3B6,9C9及び31A4は弱い中和抗体,その他(参照抗体を含む。)は,強い中和抗体である(【0138】,【0336】)。
 そして,上記32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するもの(ビン1)が19個,31H4抗体(参照抗体)と競合するもの(ビン3)が7個であり,これらは互いに排他的であり,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が1個,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合しないもの(ビン4)が1個である(実施例10,【0373】,【0494】,表8.3)。
 また,実施例10中の組に加えて,別の組(合計39抗体)に実施したエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するが,31H4抗体(参照抗体)と競合しないもの(ビン1)が19個,21B12抗体と31H4抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が3個,31H4抗体と競合するが21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個である。そして,ビン3に含まれる抗体のうち7個は,表2に掲げられた抗体であり,【0138】の記載によれば,中和抗体であることが確認されている(実施例37,【0489】~【0495】,表37.1)。
イ 前記アの認定事実によれば,本件訂正発明1及び5は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものであることが認められる。
 そして,本件明細書記載の表37.1には,本件明細書の記載に従って作製された免疫化マウスを使用してハイブリドーマを作製し,スクリーニングによってPCSK9に結合する抗体を産生する2441の安定なハイブリドーマが確立され(【0329】),そのうちの一部(合計39抗体)について,エピトープビニングをした結果,31H4抗体(参照抗体)と競合するが,21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個含まれ,そのうち7個は,中和抗体であることを確認されたこと(【0138】,表2)が示されていることに照らすと,甲1に接した当業者は,上記2441の安定なハイブリドーマから得られる残りの抗体についても,同様のエピトープビニングアッセイを行えば,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 さらに,当業者は,本件明細書記載の免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製及び選択,選択された免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製,本件明細書記載のPCSK9とLDLRとの結合相互作用を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイ(前記ア(ウ)及び(エ))を最初から繰り返し行うことによって,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する様々な中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 以上によれば,本件訂正発明1(請求項1)は,サポート要件に適合するものと認められる。
 また,前記ア(イ)のとおり,本件明細書には,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載があることに照らすと,当業者は,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体を医薬組成物として使用できることを認識できるものと認められる。
 したがって,本件訂正発明5(請求項5)は,サポート要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)は,抗体の構造を特定することなく,機能ないし特性(「結合中和」及び「参照抗体との競合」)のみによって定義された発明であるため,文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものであるが,本件明細書に記載された具体的抗体はわずか2グループないし2種類の抗体しかなく,また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとが結合中和するとはいえず,参照抗体と「競合する」抗体であることは,「結合中和」の指標にはならないから,本件明細書に記載されていないありとあらゆる構造の抗体についてまでも,本件明細書の記載から,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体の提供という本件訂正発明1の課題を解決できると認識し得るものではないとして,本件訂正発明1及び5はサポート要件に適合しない旨主張する。
 しかしながら,動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない。
 そして,本件訂正発明1(請求項1)は,「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」,かつ,「PCSK9との結合に関して」,参照抗体(31H4抗体)と「競合する」ことを発明特定事項とするものであり,前記(1)イのとおり,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとの結合を中和するものといえないとしても,本件訂正発明1は「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」る抗体であることを発明特定事項とするものであるから,そのことは,上記認定を左右するものではない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1のように,物(抗体)の具体的な構造が特許請求の範囲において特定されておらず,その物が機能的にのみ定義され,スクリーニング方法によって特定された物の発明である場合には,機能的な定義やスクリーニング方法の特定は,サポート要件を基礎付けることにはならないし,このような請求項の記載形式を認めることは,特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態が生じる旨主張する。
 しかしながら,前記アのとおり,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,本件訂正発明1の請求項の記載形式によって,原告が述べるような特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態を招くということもできない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
(3) 小括
 以上によれば,本件訂正発明1及び5がサポート要件に適合するとした本件審決の判断に誤りはないから,原告主張の取消事由2は理由がない。
4 取消事由3(実施可能要件の判断の誤り)について
(1) 実施可能要件の適合性について
 前記3(1)アの認定事実によれば,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体及び本件訂正発明5の医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本件訂正発明1及び5の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであることが認められる。
 したがって,本件訂正発明1及び5は,実施可能要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1は,抗体の構造を特定することなく,機能的にのみ定義されており,極めて多種類の抗体を含むものであるが,本件明細書の発明の詳細な説明において本件訂正発明1に含まれ得る抗体として記載された具体的な抗体(2グループないし2種類の抗体)とはアミノ酸配列が全く異なる多種多様な構造の抗体も文言上含まれ得るし,当然ながら,今後発見される,いまだ全く知られていない抗体も全て含むものであり,本件訂正発明1の特許請求の範囲に含まれる全体の抗体を得るためには,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要することは明らかであるから,本件訂正発明1は,実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する。
 しかしながら,前記3(2)アの認定事実に照らすと,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載に従って,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 また,前記3(1)イの認定事実に照らすと,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認められるから,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる抗体を得るために,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要するものとはいえない。
 したがって,原告の上記主張は,理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1は,抗体の有すべき機能(解決すべき課題)を発明特定事項としているが,実施可能要件は実質的な要件であるから,その物が有すべき機能を発明特定事項に記載したとしても,そのことによって当業者が当該発明に属する物の全てを使用できるとはいえず,実施可能要件を充足することにはならないし,この場合,実施可能要件違反にならないとすれば,機能的に定義された,いかなる広範囲のクレームであっても,実施可能要件を充足することが可能となり,実施可能要件の判断が形式的なものに貶められるから,本件訂正発明1は実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する
 しかしながら,前記ア認定のとおり,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。」

2018年1月28日日曜日

新規化合物の有用性を裏付ける実験データの必要性、補正新規事項追加について争われた事例

知財高裁平成30年1月22日判決
平成29年(行ケ)第10007号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する原告による無効審判請求が成り立たない(権利有効)とする無効審判審決を不服とする審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は無効審決を取り消す理由はないと結論付けた。
 対象となる被告の特許の請求項1等には、除草剤として有用な新規化合物(2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩)が用途発明ではなく新規化合物自体として記載されていた。明細書の発明の詳細な説明には、除草剤としての有用性を確認した実験結果は記載されていない。無効審判の手続きにおいて被告(特許権者)は、マーカッシュクレーム形式で記載されていた官能基の選択肢の範囲を狭く限定する訂正を行っている。
 争われた審決取り消し理由:
(取消理由1)マーカッシュクレームにおいて一部の選択肢を削除して限定することが新規事項追加に該当するか?
(取消理由2)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、除草剤として「使用できる」ように記載され実施可能要件を満たすと言えるか?
(取消理由3)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、サポート要件を充足するか?

2.本件発明
2.1.訂正前の請求項1
「式Ⅰa
(略)

[但し,R1が,ニトロ,ハロゲン,シアノ,チオシアナト,C1~C6アルキル,C1~C6ハロアルキル,C1~C6アルコキシC1~C6アルキル,C2~C6アルケニル,C2~C6アルキニル,-OR3又は-S(O)nR3を表し,
R2が,水素,又はハロゲン以外のR1で述べた基の1個を表し,
R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断された,エチレン,プロピレン,プロぺニレンまたはプロピニレン鎖,或いは-CH2O-を表し,
Hetが,

 窒素,酸素及び硫黄から選択される1~3個のヘテロ原子を有する,3~6員の部分飽和若しくは完全飽和ヘテロシクリル基,又は
 下記の3個の群:窒素,酸素と少なくとも1個の窒素との組み合わせ,又は硫黄と少なくとも1個の窒素との組み合わせから選択されるヘテロ原子を3個まで有する,3~6員のヘテロ芳香族基,を表し,且つ上述のヘテロシクリル基又はヘテロ芳香族基は,部分的に又は完全にハロゲン化されていても,及び/又はR5で置換されていても良く,
R5が・・・]
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

2.2.訂正後の請求項1(下線部が訂正箇所)
「式Ⅰa

(略)
[但し,R1が,ハロゲンを表し,
R2が,-S(O)nR3を表し,

R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-を表し,
Hetが,
オキシラニル,2-オキセタニル,3-オキセタニル,2-テトラヒドロフラニル,3-テトラヒドロフラニル,2-テトラヒドロチエニル,2-ピロリジニル,2-テトラヒドロピラニル,2-ピロリル,5-イソオキサゾリル,2-オキサゾリル,5-オキサゾリル,2-チアゾリル,2-ピリジニル,1-メチル-5-ピラゾリル,1-ピラゾリル,3,5-ジメチル-1-ピラゾリル,または4-クロロ-1-ピラゾリルを表す]
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

3.取消理由1(本件訂正の可否)について
3.1.本訂正の可否についての原告の主張
(1) マ-カッシュ・クレ-ムの補正に関する審査基準によれば,補正により選択肢を削除して特定の選択肢の組合せを請求項に残すことによって,新たな技術的事項を導入することとなる場合があるから,補正後の選択肢が当初明細書等の記載の範囲にあるからといって当該補正が許容されるわけではない。訂正についても同様である。
(2) 請求項1に係る本件訂正は認められない。請求項1に係る本件訂正は,Hetにつき「18個の選択肢」に限定するものであるが,本件明細書の【0061】,表A及び表37によっては,Hetに関する「18個の選択肢」は把握できないし,X1が「酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-」を表す場合に,Hetが「18個の選択肢」であると把握することはできない。審決の予告を受けて,特定のX1とHetの組合せを選択したという本件訂正に至る経緯(甲90,91)を考慮しても,本件審決の「Hetが(【0061】記載の)12個である場合に式Ⅰaの,Het以外の置換基や部分構造が特定のものに限られるというものでもない」とした認定は誤りである。特許請求の範囲の減縮だからといって,新規事項の追加でないとはいえない。
(3) 本件訂正は,本件明細書の方法Cにより生産できないものを含んでいた本件発明の広範なX1とHetの組合せの中から,上記方法Cにより適宜生産できると被告が主張し得る範囲のX1とHetの特定の組合せを任意に残したものである。そして,本件訂正後のX1とHetの組合せであれば方法Cにより生産できることが本件明細書に開示ないし示唆されているとはいえないから,この点からも,本件訂正後のX1とHetの特定の組合せを任意に選択することは,新規な技術的事項を追加するものである。」

3,2.本件訂正の可否についての裁判所の判断
「(1) 本件訂正は,審決の予告(甲90)において実施可能要件に係る記載不備が指摘されたことに対して,明細書に明示的に記載されていた置換基X1及びHetの選択肢(【0061】,表A及び表37)を,CAS REGISTRY物質レコード(甲69)に示されていることから入手できることが確認された原料物質より合成される化学物質に限定したものである。すなわち,本件訂正発明は,本件発明のR1を1種類(ハロゲン),R2を1種類(-S(O)nR3),X1を2種類(酸素により中断されたエチレン鎖又は-CH2O-),Hetをヘテロシクリル基及びヘテロ芳香族基(ヘテロアリール)のうちの本件明細書に挙げられている多数の物質の中から18種類又は15種類の化合物に限定したものである。そして,本件訂正後の化学物質群は,いずれも本件訂正前の請求項に記載された各選択肢に内包されていることが明らかである。したがって,本件訂正は,特許請求の範囲を減縮するものである。
 また,訂正後の化学物質群は,訂正前の基本骨格(シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造。本件共通構造)を共通して有するものである。加えて,訂正後の化学物質群について,訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難い。そうすると,選択肢を削除することによって,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではない。
 このように,本件訂正は,特許請求の範囲の減縮を目的とし,また,本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を導入するものでないから,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項の範囲内である。
 したがって,本件訂正は,特許法134条の2第9項が準用する126条5項の規定に違反しない。」

4.取消理由2(実施可能要件に係る判断の誤り)について
4.1.実施可能要件についての原告の主張
「(2) 化合物を使用できることについて
ア 本件明細書には,化学物質の施与率が非常に広範な数値範囲で示されているだけであり(【0129】),「使用実施例」などとして,除草作用の検証方法の概要が示されているにすぎず(【0136】~【0140】),本件明細書には,実際に試験を行った結果は,何ら記載されていない。そうであるにもかかわらず,本件審決が,常法に従い除草のために施用できることは明らかであり,施用すれば,常法に従い除草特性を確認することができることは明らかであるとして,実施可能要件を満たすとした判断は誤りである。
イ 化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところである。化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを要する。
 仮に,当業者が「常法に従い除草特性を確認」したとしても,本件明細書にはいかなる実験結果も記載されていないのであるから,当該化学物質を使用するためには,当業者に通常期待し得る程度を超える試行錯誤が要求されるというべきである。
ウ ①甲99の「化学物質番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかった。また,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していない。上記①及び②からすれば,「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(以下「本件共通構造」という。)上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示すものではない。」

4.4.実施可能要件についての裁判所の判断
「(3) 本件訂正発明に係る化学物質の使用について
ア 本件訂正明細書には,以下の記載がある。
 本件訂正発明の化学物質は,従来技術の2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオンに比べて,稲等の栽培植物には影響を与えずに望ましくない栽培植物に対して除草作用を示すという除草作用及び安全性において満足できる効果を有する(【0003】~【0008】)。
 作物の中の広葉の雑草及びイネ科の雑草(Unkraeuter und Schadgraeser)に対して,栽培植物に損傷を与えることなく作用する(【0109】)。
 本件訂正発明に係る化学物質又はこれを含む除草剤組成物を種々の作物に,水性分散液の噴霧や粒状態の散布等,様々な態様によって施与することができる(【0112】~【0129】)。
 本件訂正発明に係る化学物質の除草剤としての使用実施例(事前法,事後法による温室実験の方法)(【0136】~【0140】)
イ 本件訂正明細書において本件訂正発明に係る化学物質について使用することができるように記載されているか否かについて判断する。
 前記アの本件訂正明細書の記載から,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有することが従来から知られていたものと理解される。

また,引用例1ないし同4(甲1~4)には,本件訂正発明と「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(本件共通構造。上図)において共通する化合物,つまり2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物が除草剤の有効成分の物質として有用であることが記載されている。



 そうすると,当業者は,本件訂正発明に係る,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を【0136】~【0140】に記載の使用実施例に従って施用すれば,従来技術から除草剤の有効成分とされる2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物と同様に課題を解決できることを理解することができるから,実際に除草試験を行った結果の記載の有無にかかわらず,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる。
ウ 原告の主張について
(ア) 原告は,実施可能要件を満たすためには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要であって,通常,一つ以上の代表的な実施例が必要である,また,用途発明であれば,通常,用途を裏付ける実施例が必要であると主張する。
 しかし,前記イのとおり,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有し,除草剤の有効成分として有用であることが従来から知られていたことからすれば,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であれば,同様の効果を奏するものと推認できるから,本件訂正発明については,改めて試験を行うまでもなく,有用性が認められるというべきである。また,本件訂正発明は,除草剤の有効成分の化学物質に係る発明であるから,いわゆる用途発明には当たらないし,用途発明に準じて実施例が必要であるということもできない。
(イ) 原告は,①甲99の「化合物番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかったこと,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していないこと,以上によれば,本件共通構造上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示さないと主張する。
 しかし,原告の挙げる上記各物質は,いずれも本件訂正発明の技術的範囲に含まれないものであるから,上記各物質が除草効果を示さないことをもって,本件訂正発明が実施可能要件に欠けるということはできない。
 また,甲99によれば,本件共通構造を有する93種類の物質で実験を行ったところ,「化合物番号55」を除く大半のものについて除草効果が示されているし,甲101は,4種類の雑草について実験したものにすぎない。したがって,上記各物質についての実験結果を考慮しても,本件共通構造を有する物質であれば,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる旨の前記イの判断は左右されない。
(ウ) したがって,原告の上記各主張はいずれも理由がない。
(4) 小括
 以上のとおり,本件訂正明細書における発明の詳細な説明の記載は,その記載に基づいて当業者が過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る化学物質を製造し,使用することができることが記載されているといえる。
 したがって,本件訂正明細書は実施可能要件を満たしている。

5.取消理由3(サポート要件に係る判断の誤り)について
5.1.サポート要件についての裁判所の判断
「(1) 特許請求の範囲の記載が,明細書のサポ-ト要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
(2) 発明の課題は,原則として,発明の詳細な説明の記載から把握すべきであるところ,一般に,化学物質に関する発明の課題は,新規かつ有用な化学物質を提供することにあるものと考えられる。
 本件訂正明細書には,前記1(1)のとおりの記載がある。また,本件訂正明細書【0003】~【0006】の記載から,本件訂正発明の課題は,従来から優れた除草活性と作物に対する安全性を示すことが知られている2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であって,新規かつ有用な化合物を提供することにあると認められる。
(3) 前記(2)のとおり,本件訂正発明の課題は,優れた除草活性と作物に対する安全性を有する新規な2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を提供することにあるものと認められる。前記3(3)イで検討したとおり,当業者は,本件訂正発明の化学物質の化学構造と従来技術の除草化学物質との共通性から,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができる。例えば,引用例1ないし4は,いずれも「シクロヘキサンジオン誘導体および除草剤」であり,いずれも「優れた除草活性と作物に対する安全性を有する」とされ,優れた除草活性を示すことが開示されている。
 また,サポ-ト要件を満足するために,発明の詳細な説明において発明の効果に関する実験デ-タの記載が必ず要求されるものではない。特に本件訂正発明は,新規な化学物質に関する発明であるから,医薬や農薬といった物の用途発明のように具体的な実験デ-タ,例えば,具体的な除草活性の開示まで求めることは相当でない。
(4) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正明細書には,本件訂正発明に係る化学物質が除草活性を有することを裏付ける具体的な記載(試験デ-タ)は何もない,また,被告による実験成績証明書(甲51,52,63)において,本件訂正発明に係る化学物質の優れた効果が示されているものの,これらの除草作用の試験をしたのは本件出願日から10年以上後であると主張する。
 しかし,前記(3)のとおり,本件訂正明細書の記載及び出願時の技術常識に基づいて,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができるのであるから,被告が出願後に行った実験成績証明書の参照の有無にかかわらず,発明の詳細な説明に具体的な実験デ-タがないことをもってサポ-ト要件違反とする,原告の主張を採用することはできない。
イ 原告は,本件共通構造をもった化合物であれば必ず除草活性を示すという技術常識はなく(甲99),また,本件訂正発明がサポ-ト要件を満足するとの根拠(化学構造上の共通性)として本件審決が示した従来技術(引用例1ないし4)は限られた先行技術であって,当業者の技術常識とはいえない旨主張する。
 しかし,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物(本件共通構造を有する化合物群)が除草活性を示すことが従来から知られていることについては,本件明細書【0003】~【0006】に記載されているとおりである。そうすると,発明の詳細な説明において,請求項に係る発明が発明の課題を解決できることを当業者が認識できるように記載されているものと認めるのが相当である。

 また,甲99に示された化合物番号55など,仮に,本件訂正発明に係る一般式と共通構造を有する化学物質に,特定のある植物に対して除草活性を示さないものが含まれるとしても,前記3(3)ウ(イ)のとおり,共通構造を有する化学物質が除草-活性を示すことを推認できる以上,本件訂正発明に係る化学物質のうち実際に除草活性を示さない態様を確認し,これを除くように請求項を記載しなければ,サポ-ト要件を満たさないと解することは相当でない。」

2017年11月26日日曜日

ガラス組成物を物性と組成の両面から規定した発明のサポート要件、実施可能要件欠如が争われた事例

知財高裁平成29年10月25日判決言渡
平成28年(行ケ)第10189号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は特許出願人である原告が出願した特許出願に対する拒絶審決を不服とした原告による、審決取消訴訟の高裁判決である。
 審判合議体による審決では、サポート要件違反及び実施可能要件違反と判断されたが、知財高裁では、審決の判断に誤りがあると判断し、審決を取り消した。
 本願では、請求項1において、光学ガラスを、「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」という「物性要件」と、化学組成を限定した「組成要件」との、両面から規定している。「物性要件」を満たす範囲のガラスが全て、課題を解決できる(物性要件を満たす)というわけではないため、「物性要件」に加えて「物性要件」による縛りを加えている。
 審決では、「組成要件」のみに着目し、「,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。」としてサポート要件違反と結論づけた。
 裁判所は、「光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できる」と判断した。
 化学組成物をクレームする場合、「組成要件」のみで規定するのが原則であるが、組成から物性を推測することが難しいガラス、金属、プラスチック等の技術分野では、「物性要件」も補助的に加えて、「組成要件」と「物性要件」との両面で化学組成物を特定することが多い。

2.本願発明
「【請求項1】
屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し,
質量%の比率で
SiO2を10%以上40%以下,
Nb2O5を40%超65%以下,
ZrO2を0.1%以上15%以下,
TiO2を1%以上15%以下
含有し,
B2O3の含有量が0~20%,
GeO2の含有量が0~5%,
Al2O3の含有量が0~5%,
WO3の含有量が0~15%,
ZnOの含有量が0~15%,
SrOの含有量が0~15%,
Li2Oの含有量が0~15%,
Na2Oの含有量が0~20%,
Sb2O3の含有量が0~1%
であり,
TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,
SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。」

3.物性要件と組成要件
 本願発明は,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」との発明特定事項(以下「本願物性要件」という。)と,「質量%の比率でSiO2を10%以上40%以下,Nb2O5を40%超65%以下,ZrO2を0.1%以上15%以下,TiO2を1%以上15%以下含有し,B2O3の含有量が0~20%,GeO2の含有量が0~5%,Al2O3の含有量が0~5%,WO3の含有量が0~15%,ZnOの含有量が0~15%,SrOの含有量が0~15%,Li2Oの含有量が0~15%,Na2Oの含有量が0~20%,Sb2O3の含有量が0~1%であり,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超である」との発明特定事項(以下「本願組成要件」という。)からなり,「光学ガラスに見られる諸欠点を総合的に解消し,前記の光学定数を有し,部分分散比が小さい光学ガラス」,すなわち本願物性要件を満たす光学ガラスを提供することを課題とする。

4.審決の判断(拒絶審決)
(1)サポート要件違反
 本願組成要件に関するガラスの組成のうち,実施例で示されているものは一部の数値範囲の組成にとどまり,当該数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが実施例の記載により裏付けられているとはいえず,その他の発明の詳細な説明の記載にも,当業者が本願物性要件を満たすことを認識し得る説明がされているとはいえない。また,本願出願時の当業者の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。
 したがって,本願発明は,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも,その記載がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らして当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえないから,本願は,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。
(2)実施可能要件違反
 上記⑴のとおり,本願の明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえる。
 したがって,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえないから,本願は,実施可能要件(特許法36条4項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。

5.裁判所の判断(審決取消)
「2 取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)について
 事案に鑑み,取消事由2の成否,すなわち,本願につき,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合しないとした本件審決の判断の適否について,まず検討する。
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 これを本願発明についてみると,まず,本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして,このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(2) そこで,以上の観点から,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時の技術常識に基づき,サポート要件についての本件審決の判断の適否について検討する。
ア 本願明細書の段落【0014】,【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,光学ガラスの組成について,本願組成要件に規定される各成分を,その規定に係る数値範囲で含有することがそれぞれ記載され,また,段落【0073】及び【0074】には,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」を本願組成要件に規定される数値(上限値又は下限値)とすることが記載されている。
 また,本願明細書の【表1】~【表9】には,実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)として,本願組成要件を満たす具体的な組成物も記載されている。
 したがって,本願明細書の発明の詳細な説明に,本願組成要件で特定される光学ガラスが記載されていることは明らかである。
イ 前記(1)のとおり,本願発明の解決課題は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」ことであり,本願物性要件は,これを光学定数により定量的に表現するものであるところ,本願明細書の発明の詳細な説明には,その解決手段として,本願組成要件を満たすものとすべき理由が説明されている。すなわち,本願明細書の段落【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,本願組成要件に規定される各成分について,その成分がガラス形成においていかなる効果を有し,それが少なすぎたり,多すぎたりした場合にいかなる弊害が生じるかが記載され,それらを踏まえて,当該成分の好ましい含有比率の範囲として,本願組成要件が規定する数値範囲がそれぞれ記載されている。また,本願明細書の段落【0073】には,「TiO2成分の含有量とZrO2成分,Nb2O5成分の合計含有量の比を所定の値に調節することにより,部分分散比(θg,F)が小さいガラスが得られることを見出した」ことが記載され,段落【0074】には,「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの各成分の合計含有量を調節することにより,高屈折率高分散特性を有し,部分分散比が小さく,リヒートプレス成形時の失透を抑制したガラスが得られることを見出した」ことが記載され,これらの好ましい値として,本願組成要件が規定する数値(上限値又は下限値)がそれぞれ記載されている。
 しかるところ,以上のような発明の詳細な説明の記載を総合してみれば,本願発明における本願組成要件と本願物性要件との関係に関して,次のような理解が可能といえる。すなわち,まず,Nb2O5成分は,屈折率を高め,分散を大きくしつつ部分分散比を小さくし,化学的耐久性及び耐失透性を改善するのに有効な必須の成分であること(段落【0033】)から,本願組成要件において,その含有量が40%超65%以下とされ,組成物中で最も含有量の多い成分とされていることが理解できる。また,ZrO2成分は,屈折率を高め,部分分散比を小さくする効果があり(段落【0031】),他方,TiO2成分は,屈折率を高め,分散を大きくする効果がある反面,その量が多すぎると部分分散比が大きくなること(段落【0029】)から,「部分分散比が小さい光学ガラス」を得るためには,ZrO2及びNb2O5の含有量に対してTiO2の含有量が多くなりすぎることを避ける必要があり,そのために,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値を一定以下とするものであること(段落【0073】)が理解でき,これが,本願組成要件において,各成分の含有量とともに規定される「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.2以下であり」との特定に反映され,本願発明の課題の解決(高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供すること)にとって重要な構成となっていることが理解できる。
ウ 他方,本願明細書の発明の詳細な説明における実施例の記載をみると,本願組成要件を満たす実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)に係る組成物が,本願物性要件の全てを満たすことが示されているが,これらの組成物の組成は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のもの(具体的には,別紙審決書4頁23行目から5頁8行目までに記載のとおりである。)でしかなく,上限から下限までの数値範囲を網羅するというものではない。
 すなわち,本願組成要件に規定された各数値範囲は,実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており,そのため,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる。
 そこで検討するに,まず,光学ガラスの製造に関しては,ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため,個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして,所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり,そのため,ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり,当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには,既知の光学ガラスの配合組成を基本にして,その成分の一部を,当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い,ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ,このことは,本願出願時において,光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5,6,17,18,21,22。以上のような技術常識の存在については,当事者間に争いがない。)。
 そして,上記のような技術常識からすれば,光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして,前記イのとおり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには,「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから,これらの条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。なお,これを具体的な成分に即して説明するに,例えば,本願発明の最多含有成分であるNb2O5についてみると,当業者であれば,実施例中最多の含有量(53.61%)を有する実施例50において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,必須成分であるTiO2(6.48%),ZrO2(1.85%)又は任意成分であるNa2O(9.26%)から適宜置換することによって,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を増やす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられ,同様に,実施例中Nb2O5の含有量が最少(43.71%)である実施例24において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,もう1つの主成分であるSiO2(24.76%),必須成分であるZrO2(10.48%)又は任意成分であるLi2O(4.76%)への置換により,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を減らす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられる(以上のことは,本願組成要件に係るNb2O5以外の成分についても,同様にいえることであり,この点については,原告の前記第3の2⑵記載の主張が参考となる。)。
 してみると,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば,当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
・・・
⑶ 小括
 以上のとおり,本願につき,サポート要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記(2)で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由2は理由がある。
3 取消事由3(実施可能要件についての判断の誤り)について
 本件審決は,本願明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえるから,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえず,本願は実施可能要件に適合しない旨判断する。
 しかしながら,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,前記2(2)で述べたとおりの本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識からすれば,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解するものであり,特に,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るのに重要な「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」との条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることを理解するものといえる。そして,そのようにして本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
 これに対し,本件審決の判断は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲のうち,当業者が過度な試行錯誤を要することなく本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができる範囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,上記で述べたところからすれば,このような判断は誤りというべきである。本件審決は,上記のとおり,本願の実施可能要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願の実施可能要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤りといわざるを得ず,また,その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。

 以上のとおり,本願につき,実施可能要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由3は理由がある。」