2019年1月20日日曜日

モノクローナル抗体を結合特性のみにより特定した発明のサポート要件が争われた事例


知財高裁平成30年12月27日判決
平成29年(行ケ)第10226号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対し原告が請求した無効審判の特許維持審決に対する審決取消訴訟において請求が棄却され特許権が維持された事例である。
 本件特許発明1では、モノクローナル抗体を、抗原との結合に関与する可変領域のアミノ酸配列等の構造により特定しておらず、抗原との結合特性のみによって特定している。原告はサポート要件及び実施可能要件欠如による主張したが、審決及び知財高裁判決では主張を認めず特許権を維持した。
 知財高裁はモノクローナル抗体の作製プロセスにおいてアミノ酸配列等の構造は必須の情報ではないことに着目して、「動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない」と判示した。

2.本件特許発明
【請求項1】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体。
【請求項5】請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む,医薬組成物。

3.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由2(サポート要件の判断の誤り)について
(1) サポート要件の適合性について
ア 前記1(1)及び(4)()の認定事実を総合すると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件訂正発明1及び5に関し,次のとおりの開示があることが認められる。
() PCSK9(プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型)は,セリンプロテアーゼであり,LDLR(低密度リポタンパク質受容体)と結合して,相互作用し,LDLRとともに肝臓の細胞内に取り込まれ,肝臓中のLDLRのレベルを低下させ,さらには,細胞表面(細胞外)でLDLへの結合に利用可能なLDLRの量を減少させることにより,対象中のLDLの量を増加させる(【0002】,【0003】,【0071】)。
 「中和抗体」という用語は,リガンドに結合し,リガンドの生物学的効果を妨げ,又は低下させる抗体を表し,抗PCSK9抗体においては,PCSK9とLDLRの結合を妨げることによる中和と,PCSK9とLDLRの結合は妨げず,LDLRのPCSK9媒介性分解を妨げることによる中和がある(【0138】)。
 「競合する」という用語は,検査されている抗体が抗原への参照抗体の特異的結合を妨げ,又は阻害する程度を測定する各種アッセイによって決定された,抗体間の競合を意味するものであり,競合アッセイによって同定される抗体には,参照抗体と同じ又は重複するエピトープに結合する抗体や,参照抗体がエピトープに結合するのを立体的に妨害するのに十分なほど近接した隣接エピトープに結合する抗体が含まれる(【0140】,【0269】)。
 「エピトープ」という用語は,抗体によって結合される抗原の領域であり,抗原がタンパク質の場合,抗体に直接接触する特定のアミノ酸を含む(【0142】)。
() 配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域とを含む抗体(「31H4」)(参照抗体)と「競合」する,単離されたモノクローナル抗体は,PCSK9がLDLRに結合するのを妨げる位置及び/又は様式で,PCSK9に結合し,PCSK9とLDLR間の相互作用(結合)を遮断し,又は低下させ,「競合的に中和する」中和抗原結合タンパク質(中和ABP)である(【0138】,【0140】,【0155】,【0262】,【0269】,表2)。
 このPCSK9に対する中和ABPは,PCSK9とLDLRとの結合を中和し,LDLRの量を増加させることにより,対象中のLDLの量を低下させ,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得る(【0155】,【0270】,【0271】,【0276】)。
() 参照抗体及びこれと競合する,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体を得るために,表3記載の免疫化プログラムの手順及びスケジュールに従って,ヒト免疫グロブリン遺伝子を含有する二つのグループのマウスにヒトPCSK9抗原を11回注射して免疫化マウスを作製し,PCSK9に対して特異的な抗体を産生するマウス(10匹)を選択した(実施例1,【0312】,【0313】,【0320】,表3)。
 これらの選択された免疫化マウスを使用して,PCSK9に対する抗原結合タンパク質を産生するハイブリドーマを作製し(実施例2,【0322】~【0324】),ニュートラビジン被覆したプレートに結合させたV5タグを持たないビオチン化合されたPCSK9を捕捉試料とするELISAによる「一次スクリーニング」によって,合計3104の抗原特異的ハイブリドーマが得られた(実施例3,【0325】~【0328】)。
 安定なハイブリドーマが確立されたことを確認するため,「一次スクリーニング」によって得られた上記ハイブリドーマのうち,合計3000の陽性を再スクリーニングし,更に合計2441の陽性を第二のスクリーニング(「確認用スクリーニング」)で反復し,次いで,「マウス交叉反応スクリーニング」によって579の抗体がマウスPCSK9と交叉反応することを確認し(【0329】,【0330】),さらに,LDLRへのPCSK9結合を遮断する抗体をスクリーニングするために,「大規模受容体リガンド遮断スクリーニング」を行い,PCSK9とLDLRウェル間での相互作用を強く遮断する384の抗体が同定され,100の抗体は,PCSK9とLDLRの結合相互作用を90%超阻害した(【0332】)。
 このように同定された384の中和物質(遮断物質)のサブセットに対して,「遮断物質のサブセットに対する受容体リガンド結合アッセイ」を行い,90%を超えて,PCSK9変異体酵素とLDLR間の相互作用を遮断する85の抗体が同定された(【0333】,【0334】)。
 これらのアッセイ(スクリーニング)の結果に基づいて同定されたPCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株中に含まれていた参照抗体(31H4)(【0336】,表2)は,PCSK9とLDLRとの結合を強く遮断する中和抗体である(実施例11,【0138】,【0378】)。
() 表2(PCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株)記載の32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非中和抗体,3B6,9C9及び31A4は弱い中和抗体,その他(参照抗体を含む。)は,強い中和抗体である(【0138】,【0336】)。
 そして,上記32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するもの(ビン1)が19個,31H4抗体(参照抗体)と競合するもの(ビン3)が7個であり,これらは互いに排他的であり,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が1個,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合しないもの(ビン4)が1個である(実施例10,【0373】,【0494】,表8.3)。
 また,実施例10中の組に加えて,別の組(合計39抗体)に実施したエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するが,31H4抗体(参照抗体)と競合しないもの(ビン1)が19個,21B12抗体と31H4抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が3個,31H4抗体と競合するが21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個である。そして,ビン3に含まれる抗体のうち7個は,表2に掲げられた抗体であり,【0138】の記載によれば,中和抗体であることが確認されている(実施例37,【0489】~【0495】,表37.1)。
イ 前記アの認定事実によれば,本件訂正発明1及び5は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものであることが認められる。
 そして,本件明細書記載の表37.1には,本件明細書の記載に従って作製された免疫化マウスを使用してハイブリドーマを作製し,スクリーニングによってPCSK9に結合する抗体を産生する2441の安定なハイブリドーマが確立され(【0329】),そのうちの一部(合計39抗体)について,エピトープビニングをした結果,31H4抗体(参照抗体)と競合するが,21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個含まれ,そのうち7個は,中和抗体であることを確認されたこと(【0138】,表2)が示されていることに照らすと,甲1に接した当業者は,上記2441の安定なハイブリドーマから得られる残りの抗体についても,同様のエピトープビニングアッセイを行えば,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 さらに,当業者は,本件明細書記載の免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製及び選択,選択された免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製,本件明細書記載のPCSK9とLDLRとの結合相互作用を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイ(前記ア()及び())を最初から繰り返し行うことによって,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する様々な中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 以上によれば,本件訂正発明1(請求項1)は,サポート要件に適合するものと認められる。
 また,前記ア()のとおり,本件明細書には,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載があることに照らすと,当業者は,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体を医薬組成物として使用できることを認識できるものと認められる。
 したがって,本件訂正発明5(請求項5)は,サポート要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)は,抗体の構造を特定することなく,機能ないし特性(「結合中和」及び「参照抗体との競合」)のみによって定義された発明であるため,文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものであるが,本件明細書に記載された具体的抗体はわずか2グループないし2種類の抗体しかなく,また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとが結合中和するとはいえず,参照抗体と「競合する」抗体であることは,「結合中和」の指標にはならないから,本件明細書に記載されていないありとあらゆる構造の抗体についてまでも,本件明細書の記載から,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体の提供という本件訂正発明1の課題を解決できると認識し得るものではないとして,本件訂正発明1及び5はサポート要件に適合しない旨主張する。
 しかしながら,動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない。
 そして,本件訂正発明1(請求項1)は,「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」,かつ,「PCSK9との結合に関して」,参照抗体(31H4抗体)と「競合する」ことを発明特定事項とするものであり,前記(1)イのとおり,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとの結合を中和するものといえないとしても,本件訂正発明1は「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」る抗体であることを発明特定事項とするものであるから,そのことは,上記認定を左右するものではない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1のように,物(抗体)の具体的な構造が特許請求の範囲において特定されておらず,その物が機能的にのみ定義され,スクリーニング方法によって特定された物の発明である場合には,機能的な定義やスクリーニング方法の特定は,サポート要件を基礎付けることにはならないし,このような請求項の記載形式を認めることは,特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態が生じる旨主張する。
 しかしながら,前記アのとおり,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,本件訂正発明1の請求項の記載形式によって,原告が述べるような特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態を招くということもできない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
(3) 小括
 以上によれば,本件訂正発明1及び5がサポート要件に適合するとした本件審決の判断に誤りはないから,原告主張の取消事由2は理由がない。
4 取消事由3(実施可能要件の判断の誤り)について
(1) 実施可能要件の適合性について
 前記3(1)アの認定事実によれば,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体及び本件訂正発明5の医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本件訂正発明1及び5の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであることが認められる。
 したがって,本件訂正発明1及び5は,実施可能要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1は,抗体の構造を特定することなく,機能的にのみ定義されており,極めて多種類の抗体を含むものであるが,本件明細書の発明の詳細な説明において本件訂正発明1に含まれ得る抗体として記載された具体的な抗体(2グループないし2種類の抗体)とはアミノ酸配列が全く異なる多種多様な構造の抗体も文言上含まれ得るし,当然ながら,今後発見される,いまだ全く知られていない抗体も全て含むものであり,本件訂正発明1の特許請求の範囲に含まれる全体の抗体を得るためには,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要することは明らかであるから,本件訂正発明1は,実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する。
 しかしながら,前記3(2)アの認定事実に照らすと,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載に従って,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 また,前記3(1)イの認定事実に照らすと,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認められるから,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる抗体を得るために,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要するものとはいえない。
 したがって,原告の上記主張は,理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1は,抗体の有すべき機能(解決すべき課題)を発明特定事項としているが,実施可能要件は実質的な要件であるから,その物が有すべき機能を発明特定事項に記載したとしても,そのことによって当業者が当該発明に属する物の全てを使用できるとはいえず,実施可能要件を充足することにはならないし,この場合,実施可能要件違反にならないとすれば,機能的に定義された,いかなる広範囲のクレームであっても,実施可能要件を充足することが可能となり,実施可能要件の判断が形式的なものに貶められるから,本件訂正発明1は実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する
 しかしながら,前記ア認定のとおり,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。」