2021年12月26日日曜日

パラーメーター発明のサポート要件、プロダクトバイプロセスクレーム該当性、及び、上限のみを限定した数値範囲の明確性について争われた事例

知財高裁令和3年11月29日判決

令和元年(行ケ)第10160号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許権侵害訴訟(東京地裁平成29年(ワ)第24598号、知財高裁令和2年(ネ)第10029号)と並行して、侵害訴訟被告が請求した特許無効審判の審決(特許有効の判断)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、特許を有効とした特許庁審決が適法であると判断し、原告(侵害訴訟被告)の請求を棄却した。

 争点は多岐にわたるが、下記では以下の争点についての知財高裁の判断を紹介する。

 7つのパラメーターで特定されたセルロース粉末の発明のサポート要件充足性、

 「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」という構成のプロダクトバイプロセス(PBP)該当性及び明確性

 「安息角が54°以下」という上限のみを特定した数値範囲の明確性

 

2.請求項1に記載の「本件訂正発明1」

「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末であって,平均重合度が150-450.75μm以下の粒子の平均L/D(長径短径比)が2.0-4.5,平均粒子径が20-250μm,見掛け比容積が4.0-7.0cm/g,見掛けタッピング比容積が2.4-4.5cm/g,安息角が54°以下のセルロース粉末であり,該平均重合度が,該セルロース粉末を塩酸2.5N,15分間煮沸して加水分解させた後,粘度法により測定されるレベルオフ重合度より5~300高いことを特徴とするセルロース粉末。」

 

3.サポート要件についての裁判所の判断のポイント

「本件訂正発明1の技術的意義について

ア前記1(2)認定の本件明細書の開示事項によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件訂正発明1に関し,医薬用途等において活性成分の錠剤化に圧縮成形用賦形剤として使用されるセルロース粉末は,輸送や使用に際して錠剤に磨損や破壊しない程度の硬度を付与するための成形性,服用後の速やかな薬効発現のための崩壊性,1錠中の医薬品含量の均一化のために医薬品と圧縮成形用賦形剤の混合粉体が打錠機の臼に均一量充填されるための流動性のいずれもが高いレベルで満足するものが望ましいが,成形性と崩壊性及び流動性とは相反する性質であるため,従来のセルロース粉末では,成形性,流動性,崩壊性の諸性質をバランスよく併せ持つものは知られていなかったという問題があったことから,本件訂正発明1は,成形性,流動性,崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末を提供することを課題とし,その課題を解決するための手段として,セルロース粉末の粉体物性である「平均重合度」,「粒子の平均L/D(長径短径比)」,「平均粒子径」,「見掛け比容積」,「見掛けタッピング比容積」,「安息角」及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分」を特定の数値範囲に制御する構成を採用することにより,全体として成形性,流動性,崩壊性の諸性質をバランスよく併せ持つという効果を奏するものとしたことに技術的意義があることの開示があるものと認められる。

「原告は,本件訂正発明1の課題は,「成形性,流動性,崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末」を提供すること,すなわち,「硬度170N以上」,「崩壊時間130秒以下」及び「安息角54°以下」の数値をすべて満たすセルロース粉末を提供することが本件訂正発明1の課題であるとした上で,当業者は,本件訂正発明1の「平均重合度」,「75 ㎛以下粒子L/D」,「平均粒子径」,「見掛け比容積」,「見掛けタッピング比容積」,「安息角」及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分(差分要件)」という7つのパラメータの数値範囲全体をカバーする具体例の開示なくして,上記課題を解決できると認識することはできないが,本件明細書の発明の詳細な説明には,かかる具体例の開示はないから,当業者は,本件訂正発明1の上記課題を解決できると認識することはできないから,本件訂正発明1は,サポート要件に適合しない旨主張する。

 しかしながら,前記⑴イで説示したとおり,「硬度170N以上」,「崩壊時間130秒以下」及び「安息角54°以下」の数値をすべて満たすセルロース粉末を提供することが本件訂正発明1の課題であると認めることはできないから,原告の上記主張は,その前提において理由がない。」

「加えて,本件明細書の表4には,実施例2ないし7及び比較例1ないし11のセルロース粉末の平均重合度の記載があることからすると,本件明細書に接した当業者は,上記セルロース粉末が差分要件を満たすかどうかを把握できるものと解される。

 また,本件明細書の表4には,「平均重合度」,「粒子の平均L/D(長径短径比)」,「平均粒子径」,「見掛け比容積」,「見掛けタッピング比容積」,「安息角」及び「平均重合度とレベルオフ重合度との差分」(差分要件)のいずれもが本件発明1の数値範囲内にある実施例2ないし7のセルロース粉末の円柱状成形体とそのいずれかが本件発明1の数値範囲外である比較例1ないし11とのセルロース粉末の円柱状成形体について,平均降伏圧[MPa],錠剤の水蒸気吸着速度Ka,硬度[N]及び崩壊時間[秒]が示されている。

 そして,実施例2ないし7のセルロース粉末は,いずれも,安息角が55°以下,錠剤硬度が170N以上,崩壊時間が130秒以下であり,ここで,安息角は,55°を超えると,流動性が著しく悪くなり(【0018】),錠剤硬度は成形性を示す実用的な物性値であり,170N以上が好ましく(【0019】),崩壊時間は崩壊性を示す実用的な物性値であり,130秒以下が好ましい(【0019】)のであるから,実施例2ないし7のセルロース粉末は,成形性,流動性及び崩壊性の諸機能をバランスよく併せ持つセルロース粉末であるということができる。

 したがって,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願時の技術常識から,実施例2ないし7のセルロース粉末は,本件発明1の課題を解決できると認識できるものと認められるから,①は採用することができない。」

 

4.明確性要件(プロダクトバイプロセス=PBPクレーム)についての裁判所の判断のポイント

(2) 原告は,「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」を発明特定事項とする本件訂正発明1及び2は,PBP発明であって,本件出願時に当該物をその構造又は特性によって直接特定することに不可能ないし非実際的事情が存するとはいえないから,不明確であり,明確性要件に適合しない旨主張する。

ア そこで検討するに,本件訂正発明1の「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」とは,その文言から,「セルロース粉末」が「天然セルロース質物質」を原材料としてその「加水分解」によって得られた物であることを理解できる。

 そして,前記2(1)記載の各文献によれば,結晶セルロースは,天然セルロース又は再生セルロースを加水分解(酸加水分解)して得られることは,本件出願時の技術常識であったことが認められる。

 一方で,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)には,「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」にいう「加水分解」の条件を特定する記載はなく,また,セルロース粉末の製造に至る加水分解以降の工程を規定した記載はない。

 以上によれば,本件訂正発明1の「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」とは,天然セルロース質物質を加水分解して得られたセルロース粉末という物の状態を示すことにより,その物の構造又は特性を特定したものと解される。

 したがって,本件訂正発明1は,PBP発明に該当するものと認めることはできない。本件訂正発明2も,これと同様である。

イ これに対し原告は,本件訂正発明1の「天然セルロース質物質の加水分解によって得られるセルロース粉末」にいう「天然セルロース質物質」には,少なくとも,セルロース結晶構造の型,不純物の有無・程度,セルロースの種類・含量比率といった各種要素による特徴があること,「加水分解処理」は,温和な条件や過酷な条件等加水分解条件によって処理後のセルロースの物性に大きな影響を与えうる化学的処理であることからすると,原料となる天然セルロース質物質の特徴に照らして,加水分解の結果,得られたセルロース粉末はどのような構造又は物性になっているか明らかであるとはいえず,当業者は,加水分解処理により得られたセルロース粉末と「構造,物性等が同一である物」とはどのような物をいうのか理解することができないなどと主張する。

 しかしながら,原告の上記主張は,その主張自体,本件訂正発明1及び2が,物の発明についてその物の製造方法の記載がある特許請求の範囲(PBPクレーム)に係るPBP発明であることの根拠となるものではない。

 他に本件訂正発明1及び2がPBP発明に該当することを認めるに足りる主張立証はない。

 

5.明確性要件(上限値のみを限定した数値範囲)についての裁判所の判断のポイント

(3) 原告は,本件訂正発明1の「安息角が54°以下」の発明特定事項は,安息角の下限値の記載がないから,不明確であり,明確性要件に適合しない旨主張する。

 しかしながら,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)の記載によれば,本件訂正発明1の「安息角が54°以下」とは,セルロース粉末の安息角が54°以下であることを規定したものであり,その内容は明確であるから,原告の上記主張は理由がない。

2021年12月5日日曜日

特許法70条2項に従う明細書を参酌した特許発明の技術的範囲の解釈を、侵害訴訟ではなく存続期間延長登録出願の場面で適用した事例

知財高裁令和3年11月30日判決
令和3年(行ケ)第10016号 審決取消請求事件 
 
1.概要
  特許法67条第4項は、安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であってその目的、手続等からみて当該処分を的確に行うには相当の期間を要するものとして政令で定める処分(本件処分)を受けることが必要であるために特許発明の実施をすることかできない期間があったときは、5年を限度として、延長登録の出願により当該特許権の存続期間を延長することができると定める。
 存続期間を延長しようとする出願人は、本件処分の対象となった医薬品等が含まれる請求項を特定し、請求項の発明特定事項と、医薬品の承認書等に記載された事項とを対比して、本件処分の対象となった医薬品等が、当該請求項の発明特定事項の全てを備えていることを説明する必要がある。 本事例では、医薬品に関する特許権の存続期間延長登録出願の拒絶審決において、審判官合議体は、当該特許権の請求項に記載された発明特定事項の1つである「緩衝剤」という用語の意義を、特許法70条2項に従い明細書の記載を参酌して狭く解釈し、本件処分の対象となった医薬品は、前記発明特定事項「緩衝剤」を充足しないから、延長登録は認められないと判断した。
 これを不服とする出願人は審決取消訴訟を提訴したが、知財高裁は審決は適法であると判断し原告の請求を棄却した。

 2.原告(特許権者、存続期間延長登録出願の出願人)の主張 
「被告の主張する発明の「技術的範囲」の解釈は,特許権侵害訴訟の充足論において妥当するものであり,特許権延長登録出願における特許請求の範囲の記載の解釈においてではない。また,本件発明1の「緩衝剤」の「量」は,特許請求の範囲の記載から一義的に明確に確定できるから,実施例等の発明の詳細な説明の記載から特許請求の範囲に記載されていないことを取り込んで,本件各発明を限定的に解釈することは許されない。」

 3.裁判所の判断のポイント 
「特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮して解釈するものとされる(特許法70条2項)ので,本件明細書(甲1)の記載をみると,前記1(1)のとおり,「緩衝剤という用語」について,「オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」(【0022】)として,これを定義付ける記載があり,上記の「剤」の一般的意義に照らしても,「緩衝剤」について,「緩衝作用を有する薬」を意味するものと理解することは,本件明細書の記載にも整合する。 なお,原告は,本件において,本件明細書の記載を考慮すべきではない旨主張しているが,特許法70条2項は一般的に特許発明の技術的範囲を定める場面に適用され,特許侵害訴訟における充足性を検討する場面にのみ適用されるものではないから,原告の上記主張は採用できない。」

2021年11月13日土曜日

マーカッシュ形式で規定された特徴を特定の組み合わせに限定する補正が新規事項追加に該当すると判断された事例

 知財高裁令和3年11月11日判決

令和3年(ネ)第10043号 特許権侵害差止等請求控訴事件

(原審・東京地方裁判所令和元年(ワ)第30991号)

 

1.概要

 本事例は、特許権侵害訴訟事件において、審査段階でされた手続補正が新規事項追加であり特許権が無効理由を有すると判断した東京地裁判決を支持した知財高裁判決である。

 多数の候補物質のなかから1以上を選択する選択肢で規定するいわゆる「マーカッシュクレーム」において、候補物質のうち2つを抽出して限定した補正が、新規事項追加に該当するかどうかが争点。東京地裁及び知財高裁は新規事項追加と判断した。

 

2.本件補正(審査段階での拒絶理由通知書応答時に提出した補正)

出願当初の請求項1及び2

【請求項1】

 HFO-1234yfと,

 HFO-1234ze,HFO-1243zf,HCFC-243db,HCFC-244db,HFC-245cb,HFC-245fa,HCFO-1233xf,HCFO-1233zd,HCFC-253fb,HCFC-234ab,HCFC-243fa,エチレン,HFC-23,CFC-13,HFC-143a,HFC-152a,HFC-236fa,HCO-1130,HCO-1130a,HFO-1336,HCFC-133a,HCFC-254fb,HCFC-1131,HFO-1141,HCFO-1242zf,HCFO-1223xd,HCFC-233ab,HCFC-226baおよびHFC-227caからなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物と

 を含む組成物。

【請求項2】

 約1重量パーセント未満の前記少なくとも1つの追加の化合物を含有する請求項1に記載の組成物。

 

手続補正書による補正後の請求項1

【請求項1】

 HFO-1234yfと、

 ゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満の、HFO-1243zfおよびHF

C-245cbと、

を含む、熱伝達組成物、冷媒、エアロゾル噴霧剤、または発泡剤に用いられる組成物。

 

3.裁判所の判断のポイント

 知財高裁は、東京地裁による原判決(令和元年(ワ)第30991号)を支持した。知財高裁による補正後の原判決では以下の判示がされている。

「前記(2)に説示したとおり,前記第2の1(4)アの出願当初の請求項1及び2の記載からすれば,本件特許に係る特許出願当初の請求項1及び2の記載は,HFO-1234yfに対する「追加の化合物」を多数列挙し,あるいは当該「追加の化合物」に「約1重量パーセント未満」という限定を付すにとどまり,上記のとおり多数列挙された化合物の中から,特定の化合物の組合せ(HFO-1234yfに,HFO-1243zfとHFC-245cbとを組み合わせること)を具体的に記載するものではなかったというべきである。

 しかして,上記(3)の当初明細書の各記載について見ても,特許出願の当初の請求項1と同一の内容が記載され(【0004】),新たな低地球温暖化係数(GWP)の化合物であるHFO-1234yf等を調製する際に,HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db,HCFO-1233xf,及びHCFC-244bb)に含まれる不純物や副生成物が特定の「追加の化合物」として少量存在することが記載されており(【0003】,【0016】,【0019】,【0022】),具体的には,HFO-1234yfを作製するプロセスにおいて,有用な組成物(原料)がHCFC-243db,HCFO-1233xfおよび/またはHCFC-244bbであることが記載され(【0005】),HCFC-243db,HCFO-1233xf及びHCFC-244bbに追加的に含まれ得る化合物が多数列挙されてはいる(【0006】ないし【0008】)ものの,そのような記載にとどまっているものである。

 そして他方,当初明細書においては,そもそもHFO-1234yfに対する「追加の化合物」として,多数列挙された化合物の中から特に,HFO-1243zfとHFC-245cbという特定の組合せを選択することは何ら記載されていない。この点,当初明細書においては,HFO-1234yf,HFO-1243zf,HFC-245cbは,それぞれ個別に記載されてはいるが,特定の3種類の化合物の組合せとして記載されているものではなく,当該特定の3種類の化合物の組合せが必然である根拠が記載されているものでもない。また,表6(実施例16)については,8種類の化合物及び「未知」の成分が記載されているが,そのうちの「245cb」と「1234yf」に着目する理由は,当初明細書には記載されていない。さらに,当初明細書には,特許出願当初の請求項1に列記されているように,表6に記載されていない化合物が多数記載されている。それにもかかわらず,その中から特にHFO-1243zfだけを選び出し,HFC-245cb及びHFO-1234yfと組み合わせて,3種類の化合物を組み合わせた構成とすることについては,当業者においてそのような構成を導き出すことが自明といえる記載が必要と考えられるところ,そのような記載は存するとは認められない(なお,本件特許につき,優先権主張がされた日から特許出願時までの間に,上記各説示と異なる趣旨の開示がされていたことを認めるに足りる証拠はない。)。

 これらに照らせば,当業者によって,当初明細書,特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項としては,低地球温暖化係数(GWP)の化合物であるHFO-1234yfを調製する際に,HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db,HCFO-1233xf,及びHCFC-244bb)に含まれる不純物や副反応物が追加の化合物として少量存在し得るという点にとどまるものというほかない。そして,当初明細書等の記載から導かれる技術的事項が,このような性質のものにすぎない場合において,多数の化合物が列記されている中から,HFO-1234yfに加え,HFO-1243zfとHFC-245cbと合わせてゼロ重量パーセントを超え1重量パーセント未満含むとの構成に補正(本件補正)することは,前記のとおり,そのような特定の組合せを導き出す技術的意義を理解するに足りる記載が当初明細書等に一切見当たらないことに鑑み,当初明細書等とは異質の新たな技術的事項を導入するものと評価せざるを得ない。したがって,本件補正は,当初明細書等の記載から導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入したものであるというほかない。

 以上によれば,本件補正は「願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてしたものということはできず,特許法17条の2第3項の補正要件に違反してされたものというほかなく,本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものと認められ(特許法123条1項1号),同法104条の3第1項により,特許権者たる原告は,被告に対しその権利を行使することができないこととなる。」

2021年10月17日日曜日

進歩性判断での主引用発明と副引用発明または周知技術とを組み合わせることが容易であるか否かの判断手法を示した裁判例

知財高裁令和3年10月6日判決

令和2年(行ケ)第10103号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、原告が有する特許権を無効と判断した無効審判審決の取り消しを求めた審決取消訴訟において、審決が取り消された知財高裁判決である。

 審決では、本件審決は,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用する動機付けがあり,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用して本件発明1を容易に想到することができたと判断した。

 知財高裁は、「甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用する動機付けがあるとは認められない」と判断し審決を取り消した。この判決では、引用発明と副引用発明または周知技術とを組み合わせることが容易であると言えるために満たされるべき条件について判示しており大変興味深い。

 

2.裁判所の判断のポイント

「⑵ 技術分野相互の関係と採用の動機付け

 甲1の1頁の上から2番目の写真は,筒全体が17色の各色で発光しているペンライトの写真であり,その写真の上下には,「カラフルプロ1本で,」,「全17色もの色を持ち歩くことができます。」という記載があり,5頁の上から5番目の写真の下には「カラプロのLEDはRGBの三原色に加えて White が搭載されています。計4LEDです。」と記載されており,甲1の7頁の一番上の写真の上には「分解及び改造行為を行ったペンライトは安全性が保証できないためライブ会場に持ち込まないでください。」という記載があることから,甲1発明は,ライブ(コンサート)会場に持ち込むフルカラーペンライトに係るもので,光源として,赤,緑,青(RGB)の三原色に加えて白色の4LEDが搭載されたものであり,筒全体が様々な色で発光する技術に関するものであることが認められる。他方,甲2に記載された技術事項は,前記⑴のとおりであり,物に光を照射してその物が見えるようにするための照明にかかわるものであり,複数のLEDが実装されたカード型LED照明光源を用いるLED照明装置と,このLED照明装置に好適に用いられるカード型LED照明光源とに係るもので,白色光又は可変色光を提供する技術に関するものである。

 ところで,進歩性の判断においては,請求項に係る発明と主引用発明との間の相違点に対応する副引用発明又は周知の技術事項があり,かつ,主引用発明に副引用発明又は周知の技術事項を適用する動機付けないし示唆の存在が必要であり,そのためには,まず主引用発明と副引用発明又は周知の技術事項との間に技術分野の関連性があることを要するところ,主引用発明と副引用発明又は周知の技術事項の技術分野が完全に一致しておらず,近接しているにとどまる場合には,技術分野の関連性が薄いから,主引用発明に副引用発明又は周知の技術事項を採用することは直ちに容易であるとはいえず,それが容易であるというためには,主引用発明に副引用発明又は周知の技術事項を採用することについて,相応の動機付けが必要であるというべきである。この点,甲1発明と甲2に記載された技術事項は,いずれもLEDを光源として光を放つ器具に関するものである点で共通するものの,甲1発明は筒全体が様々な色で発光するペンライトに係るものであるのに対して,甲2に記載された技術事項は,白色光又は可変色光を提供する照明装置に係るものである点で相違するから,近接した技術であるとはいえるとしても,技術分野が完全に一致しているとまではいえない。そのため,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用して新たな発明を想到することが容易であるというためには,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用することについて,相応の動機付けが必要である。

「前記⑵のとおり,甲1発明と甲2に記載された技術事項は,技術分野が完全に一致しているとまではいえず,近接しているにとどまるから,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用して本件発明1を想到することが容易であるというためには,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用するについて,相応の動機付けが必要であるというべきである。

 本件審決は,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用する動機付けがあり,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用して本件発明1を容易に想到することができたと判断する前提として,甲1発明に,「イエロー」とされる黄色の発色自体に問題が内在しているという課題があり(前記⑶ ア()),甲1発明に,演色性を向上させるという,甲2と共通の課題があると認定した(前記⑶ア()())。しかし,前記ア()のとおり,甲1発明に,「イエロー」とされる黄色の発色自体に問題が内在しているという課題があるとする本件審決の認定は誤りであるし,また,本件審決が甲1発明の課題に関して認定する「演色性」(本件審決が第6,2,2-1⑵(2-1)ア()〔本件審決48頁〕で,甲10に記載されているように周知の課題といえると認定する事項を含む。)は,甲2に記載された技術事項として認定された「演色性」,すなわち,照明された物体の色が自然光で見た場合に近いか否かという,一般的な意味での「演色性」とは異なる(前記ア()

 そうすると,本件審決は,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用する動機を基礎づける甲1発明の課題の認定を誤っているものであり,また,甲2に記載された技術事項の内容(前記⑴),甲1発明と甲2に記載された技術事項の技術分野相互の関係(前記⑵)を考慮すると,甲1発明には,甲2に記載された技術事項と共通する課題があるとは認められず,そのため,甲1発明に甲2に記載された技術事項を採用する動機付けがあるとは認められない。

 したがって,甲1発明に甲2に記載された技術事項及び周知の課題(甲10)を採用して,黄色発光ダイオードを設けることを容易に想到することができたとは認められず,これを容易に想到することができたとする本件審決の判断(前記⑶ウ())は誤りである。」

2021年9月5日日曜日

顕著な効果を裏付ける実験成績証明書が採用できないと判断された事例

 知財高裁令和3年8月31日判決

令和2年(行ケ)第10132号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判審決(進歩性肯定、特許有効の判断)の取り消しを原告が審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、本件発明は進歩性要件を満たさないと判断し、審決を取り消した。

 特許権者(被告)は無効審判において、本件発明の顕著な効果を裏付ける資料として、実験成績証明書を提出した。

 審決では、実験成績証明書に記載の効果を考慮して、本件発明の顕著な効果を認め進歩性を肯定した。

 一方、知財高裁は、「本件明細書の記載から,高リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果が,低リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果よりも高いということを理解することができず,また,これを推認することもできない以上,効果①は対外的に開示されていないものであるから,上記各実験成績証明書を採用して,効果①を認めることは相当でない。」と判示し、実験成績証明書を採用できないと判断した。

 

2.本件発明

 本件訂正後の本件特許の請求項1の発明(本件発明)に係る特許請求の範囲の記載

「1回当たり200単位のPTH(1-34)酢酸塩が週1回投与されることを特徴とする,PTH(1-34)酢酸塩を有効成分として含有する,骨粗鬆症治療剤ないし予防剤であって,下記(1)~(4)の全ての条件を満たす骨粗鬆症患者を対象とする,骨折抑制のための骨粗鬆症治療剤ないし予防剤;

(1)年齢が65歳以上である

(2)既存の骨折がある

(3)骨密度が若年成人平均値の80%未満である,および/または,骨萎縮度が萎縮度I度以上である

(4)クレアチニンクリアランスが30以上50未満ml/minである腎機能障害を有する。」

 

3.無効審判審決における進歩性肯定の判断(追加実験結果を参酌した)

「ア 甲7発明の認定

 ヒトPTH(1-34)酢酸塩の200単位を毎週皮下注射する,ヒトPTH(1-34)酢酸塩を有効成分として含有する骨粗鬆症治療剤であって,厚生省による委員会が提唱した診断基準で骨粗鬆症と定義された,年齢範囲が45歳から95歳の被験者のうち,複数の因子をスコア化することによって評価して骨粗鬆症を定義し,スコアの合計が4以上の場合の患者であって,2mg/dlより高い血清クレアチニン又は30mg/dlより高いBUNによって示される腎機能が低下している患者は除外された患者に投与される,骨粗鬆症治療剤。

イ 本件発明と甲7発明との一致点

 1回当たり200単位のPTH(1-34)酢酸塩が週1回投与されることを特徴とする,PTH(1-34)酢酸塩を有効成分として含有する,骨粗鬆症治療ないし予防剤であって,特定の骨粗鬆症患者に投与されることを特徴とする,骨粗鬆症治療剤ないし予防剤。

ウ 本件発明と甲7発明との相違点

(ア相違点1

 特定の骨粗鬆症患者が,

 本件発明では

「下記(1)~(4)の全ての条件を満たす骨粗鬆症患者

(1)年齢が65歳以上である

(2)既存の骨折がある

(3)骨密度が若年成人平均値の80%未満である,および/または,骨萎縮度が萎縮度I度以上である

(4)クレアチニンクリアランスが30以上50未満ml/minである腎機能障害を有する」であるのに対し,

 甲7発明では,

 「厚生省による委員会が提唱した診断基準で骨粗鬆症と定義された,年齢範囲が45歳から95歳の被験者のうち,複数の因子をスコア化することによって評価して骨粗鬆症を定義し,スコアの合計が4以上の場合の患者であって,2mg/dlより高い血清クレアチニン又は30mg/dlより高いBUNによって示される腎機能が低下している患者は除外された患者」

である点

(相違点2

 骨粗鬆症治療剤ないし予防剤が,本件発明では,「骨折抑制のための」ものであることが特定されているのに対し,甲7発明では,そのような特定がない点

エ 相違点1の容易想到性

 以下に示すいずれの文献にも,本件発明の「(1)年齢が65歳以上である」,「(2)既存の骨折がある」,「(3)骨密度が若年成人平均値の80%未満である,および/または,骨萎縮度が萎縮度I度以上である」,「(4)クレアチニンクリアランスが30以上50未満ml/minである腎機能障害を有する」との全ての条件(以下「本件4条件」といい,このうち,同(1)ないし(3)の条件を「本件3条件」といい,各条件を番号に従い「本件条件(1)」のようにいい,本件条件(4)の腎機能障害を「中等度腎機能障害」という。)を満たす骨粗鬆症患者に対して投与をすることは記載も示唆もされておらず,また,本件4条件の全てを満たす患者において,顕著な骨折抑制効果が奏されることを当業者が予測し得たとは認められない。

 よって,相違点1に係る,本件4条件の全てを満たす患者に甲7発明の骨粗鬆症治療剤を投与することを,本件基準日において当業者が容易に想到し得たと認めることはできないから,相違点2の容易想到性について検討するまでもなく,本件発明に進歩性が認められる。

()甲7発明では,「2mg/dlより高い血清クレアチニン又は30mg/dlより高いBUNによって示される腎機能が低下している患者」との中等度・高度上昇と評価される者がその投与対象から除外されているが,甲7文献には,甲7発明の骨粗鬆症治療剤を,本件4条件を全て満たす患者を選んで投与することや,同条件を全て満たす骨粗鬆症患者において,顕著な骨折抑制効果が期待されることの記載や示唆が認められない。

()甲第115号証「PTH(1-34)毎週皮下投与製剤」(Clinical Calcium,Vol.17,No.1 p.56-62,2007)にも,甲7発明の骨粗鬆症治療剤を,本件4条件の全てを満たす患者を選んで投与することや,同条件を全て満たす骨粗鬆症患者において,顕著な骨折抑制効果が期待されることをうかがわせる記載や示唆は認められない。

 (甲第10号証「骨粗鬆症と軽度または中等度の腎機能障害を併発する閉経後女性におけるテリパラチド」(Osteoporosis International,Vol.18,p.59-68,2007)(以下「甲10文献」という。訳は乙3。)は,PTH20μg又は40μgを「軽度又は中等度」の腎機能障害者群について連日投与した試験の結果を示すものであって,この甲10文献から,本件条件(4)を満たす中等度腎機能障害を有する患者群へのPTH200単位週1回投与において,本件3条件の全てを満たす患者が,本件条件(2)又は本件条件(3)を満たさない患者よりも顕著に優れた骨折抑制効果を奏したことを示す別紙5の実験成績証明書E(甲111。以下「甲111証明書」という。)の効果を予測することはできない。

(PTHの体内での分解・排泄が早く,軽度ないし中等度腎機能障害者に投与しても安全性の高い薬物であることを示す文献があるが(甲14,15の1,16,17の1,18,44,47),他方,これら文献には,甲7発明の骨粗鬆症治療剤を,本件4条件を全て満たすものを選んで投与することは記載されておらず,また,顕著な骨折抑制効果が期待されることを当業者は予測し得なかった。

 

4.進歩性に関する知財高裁の判断のポイント(追加実験結果の参酌を否定した)

「オ 効果について

 発明の効果が予測できない顕著なものであるかについては,当該発明の特許要件判断の基準日当時,当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することのできなかったものか否か,当該構成から当業者が予測することのできた範囲の効果を超える顕著なものであるか否かという観点から検討する必要がある(最高裁判所平成30年(行ヒ)第69号令和元年8月27日第三小法廷判決・集民262号51頁参照)。もっとも,当該発明の構成のみから予測できない顕著な効果が認められるか否かを判断することは困難であるから,当該発明の構成に近い構成を有するものとして選択された引用発明の奏する効果や技術水準において達成されていた同種の効果を参酌することは許されると解される。

 前示のとおり,本件発明の構成は容易想到であるが,これに対し,被告は,前記第3の3⑵イのとおり,本件発明は,本件3条件を全て満たす患者に対する顕著な骨折抑制効果(以下「効果①」という。),②本件条件(4)を満たす患者に対する副作用発現率と血清カルシウムに関する安全性が腎機能が正常である患者に対する安全性と同等であるという効果(以下「効果②」という。)及び③BMD増加率が低くてもより低い骨折相対リスクが得られるとの効果(以下「効果③」という。)を奏し,これらの効果は,当業者が予測をすることができなかった顕著な効果を奏するものである旨主張する。

 以下,これらの効果について検討する。

(効果について 

a 前記イ()のとおり,骨粗鬆症は,骨強度の低下を特徴とし,骨折の危険性が増大した骨疾患であり,骨粗鬆症の治療の目的は骨折を予防することであり,「骨強度」は骨密度と骨質の2つの要因からなり,骨密度は骨強度のほぼ70%を説明するとの技術常識があったから,当業者は,骨密度の増加は,骨折の予防に寄与すると理解するところ,甲7文献には,「ここに挙げた薬剤を投与することによって骨密度(BMD)が増加するため,骨折予防は飛躍的に進歩した」(296頁右欄10行ないし297頁左欄25行目)と骨密度の増加が骨折予防に寄与することが記載され,その上で,48週で骨密度を8.1%増大させたことが開示されている(300頁左欄11行ないし右欄6行目)。そうすると,甲7発明の骨粗鬆症治療剤が骨折を抑制する効果を奏していることは,当業者において容易に理解できる。

b 効果の骨折抑制効果とは,単なる骨折発生率の低減ではなく,プラセボの骨折発生率と対比した場合の骨折発生率の低下割合を指すものであるが,本件明細書の記載からでは,本件3条件を全て満たす患者と定義付けられる高リスク患者に対する骨折抑制効果が,本件3条件の全部又は一部を欠く者と定義付けられる低リスク患者に対する骨折抑制効果よりも高いということを理解することはできない。

 すなわち,効果を確認するためには,高リスク患者に対する骨折抑制効果と低リスク患者に対する骨折抑制効果とを対比する必要があるが,前記1のとおり,本件明細書には,実施例1において,高リスク患者では,100単位週1回投与群における新規椎体骨折及び椎体以外の部位の骨折発生率は,いずれも実質的なプラセボである5単位週1回投与群における発生率に対して有意差が認められるが,低リスク患者では,100単位週1回投与群における新規椎体骨折及び椎体以外の部位の骨折の発生率は,いずれも,5単位週1回投与群における発生率に対して有意差が認められなかったと記載されているにとどまる(【0086】ないし【0096】,【表6】ないし【表11】)。

 ここで,低リスク患者の新規椎体骨折についていえば,100単位週1回投与群11人と5単位週1回投与群10人(令和3年2月15日付け被告第1準備書面32頁における再解析の数値による。)について,それぞれ,ただ1人の骨折例数があったというものであり,また,椎体以外の部位の骨折は,上記5単位週1回投与群について,ただ1人の骨折例数があったというものであって,有意差がなかったことが,症例数が不足していることによることを否定できない。このように,低リスク患者において,100単位週1回投与群の新規椎体骨折及び椎体以外の部位の骨折の発生率が5単位週1回投与群のそれらの発生率に対して有意差がなかったとの結論が,上記のような少ない症例数を基に導かれたことからすると,高リスク患者における骨折発生の抑制の程度を低リスク患者における骨折発生の抑制の程度と比較して,前者が後者よりも優れていると結論付けることはできない。

 したがって,実施例1をみても,高リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果が,低リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果よりも高いということを理解することはできず,さらに,本件明細書のその他の部分をみても,高リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果が,低リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果よりも高いということを理解することはできず,ましてや,200単位週1回投与群に関し,高リスク患者における骨折発生抑制が,低リスク患者における骨折発生抑制よりも優れていると結論付けることはできない。以上によれば,効果は,本件明細書の記載に基づかないものというべきである。 

c 被告は,効果を明らかにするものとして,乙25証明書及び甲111証明書を提出する。

 しかしながら,本件明細書の記載から,高リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果が,低リスク患者に対するPTHの骨折抑制効果よりも高いということを理解することができず,また,これを推認することもできない以上,効果は対外的に開示されていないものであるから,上記各実験成績証明書を採用して,効果を認めることは相当でない。

 仮に,上記各実験成績証明書を参酌するにしても,本件3条件の全てを満たす患者(高リスク患者)のグループと,本件3条件の全部又は一部を満たさない患者(低リスク患者)のグループのうちごく一部のグループとを比較しているものにすぎないから,本件3条件の効果が明らかになっているとはいえない。また,実験成績証明書(乙25)には,本件条件(1)を満たし,本件条件(2)又は本件条件(3)のいずれかを満たさない患者とされる「非3条件充足患者」につき,「非3条件充足患者においてもPTH投与群ではコントロール群よりも骨折の発生が抑制されたが,3条件充足患者においては,PTH投与群ではコントロール群よりも骨折の発生が『有意に』抑制された。」旨が,甲111証明には,本件条件(1)及び本件条件(4)を満たし,本件条件(2)又は本件条件(3)のいずれかを満たさない患者とされる「非4条件充足患者」につき,「非4条件充足患者においてもPTH投与群では,コントロール群よりも骨折の発生は抑制されたが,4条件充足患者においてはPTH投与群ではコントロール群よりも骨折の発生が『有意に』抑制された。」旨が記載されているだけである。

 すなわち,本件3条件を満たさない患者については,PTH投与群においてコントロール群よりも骨折発生が抑制されたものの有意差がなかったことが理解できるのみであり,それら有意差がなかったとの結論も症例数が少ないことによるものと推認されることからすると,本件3条件の全てを満たす患者の骨折発生の抑制の程度が本件3条件を満たさない患者に対する骨折発生の抑制の程度より優れていると結論付けることはできない。そうすると,上記各実験成績証明書をみても,本件3条件を全て満たす患者に対するPTHの骨折抑制効果が,本件3条件を満たさない患者に対するPTHの骨折抑制効果よりも高いということを理解することはできない。

d 以上によれば,いずれにしても効果を認めることはできないから,その他の点について判断するまでもなく,効果を予測することのできない顕著な効果という余地はない。

2021年7月18日日曜日

特許権侵害訴訟における請求項の文言解釈に、発明の解決課題に関する明細書の記載を参酌すべきと判断された事

知財高裁令和3年6月28日判決 令和2年(ネ)第10044号 特許権侵害損害賠償請求控訴事件 
 1.概要
  本事例は、一審原告が有する特許権を、一審被告が実施する被告給油装置が侵害すると判断した特許権侵害訴訟の一審東京地裁判決に対する控訴審の知財高裁判決である。知財高裁は、侵害は成立しないと判断し一審被告敗訴部分を取り消した。
  争点は、被告給油装置の構成要件1aにおける「電子マネー媒体」が、本件発明1の構成要件1Aにおける「記憶媒体」に該当するか否かである。東京地裁は該当すると判断し、知財高裁は該当しないと判断した。
  知財高裁は、「発明とは課題解決の手段としての技術的思想なのであるから,発明の構成として特許請求の範囲に記載された文言の意義を解釈するに当たっては,発明の解決すべき課題及び発明の奏する作用効果に関する明細書の記載を参酌し,当該構成によって当該作用効果を奏し当該課題を解決し得るとされているものは何かという観点から検討すべきである。」と指摘した。

 2.本件発明 
一審原告の有する特許権に係る本件発明1を分説すると以下の通りである。 
(本件発明1)
 1A 記憶媒体に記憶された金額データを読み書きする記憶媒体読み書き手段と, 
 1B 前記流体の供給量を計測する流量計測手段と, 
 1C1 前記流体の供給開始前に前記記憶媒体読み書き手段により読み取った記憶媒体の金額データが示す金額以下の金額を入金データとして取 り込むと共に,
 1C2 前記金額データから当該入金データの金額を差し引いた金額を新たな金額データとして前記記憶媒体に書き込ませる入金データ処理手段 と,
 1D 該入金データ処理手段により取り込まれた入金データの金額データに相当する流量を供給可能とする供給許可手段と, 
 1E 前記流量計測手段により計測された流量値から請求すべき料金を演 算する演算手段と,
 1F1 前記流量計測手段により計測された流量値に相当する金額を前記 演算手段により演算させ,
 1F2 当該演算された料金を前記入金データの金額より差し引き,
 1F3 残った差額データの金額を前記記憶媒体の金額データに加算し,
 1F4 当該加算後の金額データを前記記憶媒体に書き込む料金精算手段 と,
 1G を備えたことを特徴とする流体供給装置。 

 3.被告給油装置 
一審被告の実施する給油装置(被告給油装置)の構成を、本件発明1の構成要件に即して分説すると以下の通りである。
 1a 電子マネー媒体に記憶された金額データを読み書きするリーダーと, 
 1b ガソリンや軽油といった油の供給量を計測する給油量計測手段と,
 1c1 油の供給開始前に前記リーダーによって読み取った電子マネー媒体の金額データが示す金額以下の金額であって,顧客が指定した金額を 入金データとして取り込むとともに, 
 1c2 前記金額データから当該入金データの金額を差し引いた金額を新たな金額データとして前記電子マネー媒体に書き込ませる入金データ処 理手段と,
 1d 該入金データ処理手段により取り込まれた入金データの金額データ に相当する油量の油を供給可能とする供給許可手段と 
 1e 上記油量に達しない段階で給油を終了した場合に,返金のための金額を演算する演算手段と,
 1f 上記の場合に,上記演算に基づいて算定された返金額を前記電子マ ネー媒体に書き込ませる料金精算手段と,
 1g を備えたことを特徴とする給油装置 

 4.裁判所の判断のポイント抜粋
 「イ 非接触式ICカードの「記憶媒体」該当性 
 本件明細書において,本件発明の「記憶媒体」の具体的態様としては,磁気プリペイドカード(【0033】)のほか,「金額データを記憶するためのICメモリが内蔵された電子マネーカード」(【0070】)や「カード以外の形態のもの,例えば,ディスク状のものやテープ状のものや板状のもの」(【0071】)も開示されている。このように,本件発明の「記憶媒体」は必ずしも磁気プリペイドカードには限定されない。
  しかしながら,本件発明の技術的意義が上記1のとおりであることに照らして,「媒体預かり」と「後引落し」との組合せによる決済を想定できる記憶媒体でなければ,本件3課題が生じることはなく,したがって,本件発明の構成によって課題を解決するという効果が発揮されたことにならないから,上記の組合せによる決済を想定できない記憶媒体は,本件発明の「記憶媒体」には当たらない。
  かかる見地にたって検討するに,被告給油装置で用いられる電子マネー媒体は非接触式ICカードであるから,その性質上,これを用いた決済等に当たっては,顧客がこれを必要に応じて瞬間的にR/Wにかざすことがあるだけで,基本的には常に顧客によって保持されることが予定されているといえる。そのため,電子マネー媒体に対応したセルフ式GSの給油装置を開発するに当たって,物としての電子マネー媒体を給油装置が「預かる」構成は想定し難く,電子マネー媒体に対応する給油装置を開発しようとする当業者が本件従来技術を採用することは,それが「媒体預かり」を必須の構成とする以上,不可能である。 
 そうすると,被告給油装置において用いられている電子マネー媒体は,本件発明が解決の対象としている本件3課題を有するものではなく,したがって,本件発明による解決手段の対象ともならないのであるから,本件発明にいう「記憶媒体」には当たらないというべきである。むしろ,電子マネー媒体を用いる被告給油装置は,現金決済を行う給油装置において,顧客が所持金の中から一定額の現金を窓口の係員に手渡すか又は給油装置の現金受入口に投入し,その金額の範囲内で給油を行い,残額(釣銭)があればそれを受け取る,という決済手順(これは乙4公報の【0002】に従来技術として紹介されており,周知技術であったといえる。)をベースにした上,これに電子マネー媒体の特質に応じた変更を加えた決済手順としたものにすぎず,本件発明の技術的思想とは無関係に成立した技術であるというべきである。
 一審被告の非侵害論主張⑤は,このことを,被告給油装置の電子マネー媒体は本件発明の「記憶媒体」に含まれないという 形で論じるものと解され,理由がある。

 ウ 一審原告の主張について
 (ア)一審原告は,本件発明の「記憶媒体」は,構成要件1C及び1Fの動作に適した「記憶媒体」であれば足りる旨主張する。
  しかしながら,発明とは課題解決の手段としての技術的思想なのであるから,発明の構成として特許請求の範囲に記載された文言の意義を解釈するに当たっては,発明の解決すべき課題及び発明の奏する作用効果に関する明細書の記載を参酌し,当該構成によって当該作用効果を奏し当該課題を解決し得るとされているものは何かという観点から検討すべきである。しかるに,一審原告の上記主張は,かかる観点からの検討をせず,形式的な文言をとらえるにすぎないものであって,失当である。 
 したがって,一審原告の上記主張は採用することができない。」

2021年7月11日日曜日

本件発明の課題が引用文献に記載されていないことを考慮して進歩性が肯定された事例


知財高裁令和3年3月30日判決

令和2年(行ケ)第10043号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、進歩性欠如により特許を取り消した特許異議決定の取り消しを特許権者が求めた特許取消決定取消請求事件において、決定を取り消した知財高裁判決である。

 本件発明1は下記の通りである。本件発明1では「120℃で1.5時間加熱後の残存モノマー及び水分を含む揮発分の揮発による加熱減量が1.5%以下」であるのに対して,主引用発明である引用発明c-1では当該「加熱減量」につき特定されていない点が、「相違点c1」と認定された。

 異議決定では、相違点c1に係る特徴は、容易に相当しうると判断された。一方、知財高裁は、本件発明1の課題は、引用文献には現れていないため、課題解決手段として相違点c1に係る特徴を採用することは容易でないこと、本件発明1の課題が「一般的な共通課題」であると特許庁は主張するが根拠がないことなどを判示した。

 

2.請求項1(本件発明1) 

 メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,プロピルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,イソブチルメタクリレート,及びt-ブチルメタクリレートよりなる群から選択される少なくとも一種を含むアクリル系モノマー(アクリル酸及びメタクリル酸を除く)を含む原料モノマーの重合体であるアクリル系樹脂(粘着剤を除く)を含み,120℃で1.5時間加熱後の残存モノマー及び水分を含む揮発分の揮発による加熱減量が1.5%以下であり,体積平均粒径の2倍以上の粒径を有する大径粒子の含有量が1.0体積%以下であり,体積平均粒径が3~50 μmであり,分級されたものであって,バインダー樹脂及び粘度を調整するための溶媒(水を除く)と共に樹脂組成物を構成し,上記樹脂組成物から形成される塗膜表面に凹凸を形成することを特徴とする架橋アクリル系樹脂粒子。

 

3.裁判所の判断のポイント(抜粋)

(1) 「加熱減量」について 

ア 前記1のとおり,本件発明1は,「120℃で1.5時間加熱後の残存モノマー及び水分を含む揮発分の揮発による加熱減量が1.5%以下であり,」というものである。

 本件発明は,粒子中の揮発分は,塗工用樹脂,溶剤との馴染みを悪化させ,凝集の発生や,塗膜乾燥時の揮発を生じ,表面ムラなどを生じさせ,その結果,塗膜表面の傷付き性の低下が生じるため,上記のとおり,加熱減量を減ずるという構成を採用することで,課題解決を図ったものであることが認められる(前記1(2)イ,エ)。

イ この点について,被告は,本件発明の加熱減量の上限値である1.5%は臨界的意義を有しないと主張する。

 しかし,本件明細書の【表1】によると,本件発明1の加熱減量の上限値1.5%を超える比較例1(加熱減量1.8%),比較例2(加熱減量2.2%),比較例4(加熱減量1.56%)は,いずれも塗膜の表面性の評価が「C」となっているから,加熱減量の上限値1.5%は,本件発明の臨界的意義を有していると認められる。この点に関する被告の主張は採用することはできない。

(2) 残存モノマーの低減に関し,本件優先日以前の文献には,以下の記載があることが認められる。

ア 甲1-1について 

 甲1―1に記載された発明は,粒子の大きさが1~100μmの範囲内にある重合体粒子は,スペーサー,滑り性付与剤,トナー,塗料のつや出し剤,機能性担体等として使用するに適しているので,この方面で広く要望されているが,粒子の大きさが通常1μm以下の微細なものとなってしまい,1μm以上の大きさの粒子を作ることが困難であったり,粒子の大きさがよく揃うまでには至らないため(段落【0002】~【0008】),粒径が4~100μmの大きさの範囲内であってかつ所望の狭い領域内に局限された粒子を得るためのものであり(段落【0008】),そのために,界面活性剤の使用量を少なくし,一次懸濁液に加える圧力を加減して単位体粒子の合着程度を加減し,これによって粒子の大きさを所望の狭い領域内に分布させることを特徴とする大きさの揃った微細な重合体粒子を製造し(段落【0009】),重合後は,濾過,遠心分離等によって重合粒子体を水性媒体から分離し,水洗又は溶剤で洗浄後,乾燥して粉体として使用する(段落【0019】)ものである。

イ 甲1-3について 

 甲1―3に記載された発明は,合成樹脂粒子は,モノマーを水系分散媒体中にて懸濁重合することによって製造されているが,得られる合成樹脂粒子には,通常,1重量%以上の未反応の残存モノマーが含有されている(段落【0003】)ところ,この残存モノマーが原因となって合成樹脂粒子が着色して物性が低下したり,合成樹脂粒子を化粧品用途や食品包装材料に用いた場合には,化粧品や食品に臭気が写ることがあるといった問題があった(段落【0004】)ため,合成樹脂粒子の製造過程において,2度にわたる乾燥過程を経て,合成樹脂粒子の凝集を防止しながら,残存モノマーを水分と共に効率よく除去することができるようにしたもの(段落【0009】~【0012】)である。

ウ 甲2-4について 

 甲2-4に記載された発明は,アクリル系重合体において,製造された(メタ)アクリル系架橋微粒子は不純物を含んでおり,食品用途以外のフィルムのアンチブロッキング剤等,各種添加剤として好適に用いることができるものの,食品梱包資材のアンチブロッキング剤として使用することはできず,また,残存する(メタ)アクリル系単量体の量が多く,かつ,耐熱性に劣るため,食品梱包資材の安置ブロッキング剤として使用することができないなどの課題があるため(段落【0004】),(メタ)アクリル系単量体を含む単量体組成物を重合開始剤を用いて重合させた後,得られた重合物を80~95℃の範囲内の温度で,1.5時間以上熟成させることを特徴としており,未反応の(メタ)アクリル系単量体の量を従来よりも少なく,かつ,耐熱性を備えている(メタ)アクリル系架橋微粒子を製造するものである(段落【0006】~【0010】)。

(3) 引用発明c-1は,粒子径分布が好適範囲に管理されていても,平均粒子径から大きく逸脱する粗大粒子が存在する場合には,表示品位の低下や,光学フィルムに欠点が生じる(段落[0005])ため,好適な粒子径を逸脱する粗大な粒子の含有量が低レベルに低減された微粒子,及び,このような微粒子の製造方法,並びにこの微粒子を含む樹脂組成物を提供するものであり(段落[0006]),湿式分級と乾式分級とを組み合わせた方法により処理することで,粒径の好適範囲から逸脱する粗大粒子や微小粒子を一層効率よく低減するものである(段落〔0009〕)。

 本件発明は,前記(1)アのとおり,架橋アクリル酸系樹脂粒子の揮発分が塗膜表面にムラなどを生じさせる結果,塗膜表面の傷付き性能の低下が生じてしまうことを解決することを課題としているところ,甲2-3には,このような本件発明の課題は現れていない。

 また,前記(2)によると,合成樹脂粒子の製造については,水分量を低減させ,残存モノマーを低減させることにより,その品質を向上させることが知られていたことは認められるが,前記(2)の各証拠から,本件発明のように,粒子中の揮発分が表面ムラの発生や,塗膜表面の傷付き性低下などを生じさせていたこと(本件明細書の段落【0005】)という課題や,この課題を解決するために,加熱減量を減ずるという構成を採用することが,本件優先日当時,当業者に知られていたと認めることはできないし,まして,本件発明の「加熱減量の上限値1.5%」が当業者に知られていたと認めることはできない。

 そして,他に,上記の点について動機付けとなる証拠が存するとは認められないから,甲2-3によって,相違点c-1を容易に想到することができたと認めることはできず,本件発明1は,当業者が容易に発明をすることができたものではない。

 被告は,合成樹脂粒子の技術分野において,粒子の残存モノマー,水分などの揮発分が存在することに起因して,何らかの問題が発生する場合に,当該揮発分の量を一定量以下に低減化させることは,一般的な共通課題であるから,本件発明1は,引用発明c-1から容易想到であると主張するが,被告の上記主張を採用することができる証拠がないことは,既に説示したところから明らかである。

(4) 以上によると,本件発明1が,当業者が容易に発明をすることができたものであるとする本件決定の判断に誤りがある。

 そして,本件発明1は,当業者が容易に発明をすることができたものでないから,本件発明4,8も,当業者が容易に発明をすることができたものではないし,さらに,本件発明9及び本件発明10も,当業者が容易に発明をすることができたものではない。」

2021年7月4日日曜日

請求項に記載の用語が明細書を参酌し限定的に解釈され、進歩性が肯定された事例

  知財高裁令和3年5月31日判決

令和2年(行ケ)第10092号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は拒絶査定不服審判(拒絶審決)を不服とする特許出願人である原告が、審決の取消を求めた審決等取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は審決を取消す判断を示した。

 本願発明は「支持体の上に油溶性成分を含むオイルゲルが形成された,皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシート」備えるマイクロニードルパッチに関する。引用文献1では、オイルゲル以外の構成を有するマイクロニードルパッチが記載されており、引用文献2ではオイルゲル(油性ゲル状粘着製剤)が記載されている。

 審決は、引用文献1と2との組み合わせにより本願発明は進歩性が無いと判断した。

 知財高裁は、本願発明の「オイルゲル」の技術的意義は,「特許請求の範囲の記載だけからは一義的に明確ではない」ため、明細書の発明の詳細な説明のうち,従来技術に関する記載及び解決課題に関する記載を参酌し,オイルゲルの意味を狭く解釈した。そしてその解釈を前提とすると、引用文献1と2との組み合わせから当業者が容易に相当できたものではないと結論づけた。

 

2.本願発明

 上記補正後の請求項2の記載(以下「本願発明」という。)は,以下のとおりである。 

「支持体の上に油溶性成分を含むオイルゲルが形成された,皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシートと,

 前記オイルゲルシートの周辺部を除いた領域の上に貼り合わされたシート状基体と,

 前記シート状基体の上に形成された複数の微小針とを備えた, 

 マイクロニードルパッチ。」

 

3.審決の理由の要旨

 本願発明と引用発明(引用文献1に記載の発明)とは,

「支持体の上に粘着性を有する材料が形成された,皮膚に対して粘着性を有する粘着シートと,

  前記粘着シートの周辺部を除いた領域の上に貼り合わされたシート状基体と,

  前記シート状基体の上に形成された複数の微小針と

  を備えた,

  マイクロニードルパッチ。」

の点において一致し,以下の点において相違する。

[相違点]

 粘着性を有する材料が形成された粘着シートに関し,本願発明は,油溶性成分を含むオイルゲルが形成されたオイルゲルシートであるのに対し,引用発明は,粘着剤層21bが積層された押さえ手段21であって,粘着剤層21bが油溶性成分を含むオイルゲルであるか不明な点。

[相違点の判断]

 引用文献2には,美容用の皮膚外用剤粘着シートの粘着剤として,皮膚に対する適度な接着性を持ちながら剥がし取る時に皮膚の角質細胞に損傷を与えないために,油溶性成分であるセラミドを含む油性ゲル状粘着製剤を用いることが記載されている。

 そして,引用発明も引用技術2も,美容のためのシート状デバイスという技術分野に属するものであるという点で軌を一にし,皮膚の角質の損傷を抑制するという課題が共通するから,引用発明の粘着剤層21bの代わりとして引用文献2記載のセラミドを含む油性ゲル状粘着製剤,すなわち油溶性成分を含むオイルゲルを採用し,上記相違点に係る構成とすることは,当業者が容易になし得たことである。

 また,本願発明の奏する効果は,引用発明及び引用技術2の奏する効果から予測される範囲内のものにすぎず,格別顕著なものということはできない。

 したがって,本願発明は,引用発明及び引用技術2に基いて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

 

4.裁判所の判断抜粋

「1 本願発明の「皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシート」について

 本件においては,審決が認定した相違点のうち「粘着性を有する材料が形成された粘着シート」の意義が争点となっているので,この点を中心に検討する。

(1) 本件明細書には,次の内容の記載がある。 

ア 本発明は,微小針を皮膚に刺すことにより,微小針に含まれた目的物質などの投与が可能となるマイクロニードルパッチであって,シート状基体の上に複数の微小針が形成されたマイクロニードルシートを皮膚に固定するために,マイクロニードルシートの背面に粘着シートを設け,粘着シートの周辺部にはマイクロニードルシートが形成されていないようにして,粘着シートの周辺部の粘着層によって,マイクロニードルシートを皮膚に固定することができるマイクロニードルパッチに関する(【0001】【0002】)。

イ 特開2016-189844号公報(甲12)に開示されている従来のマイクロニードルパッチでは,)皮膚に貼り付けられる粘着層の部分からは美容効果を得ることができないという問題があり,また,)乳液等を塗布した皮膚に貼ると,乳液等に含まれる油脂によって粘着層の粘着力が弱まるため,簡単に剥がれてしまうという問題があった。

 そこで,本発明は,)皮膚に貼り付けられた部分からも美容効果を得ることができ,)乳液等を塗布した皮膚に貼っても剥がれにくいマイクロニードルパッチを提供することを課題としたものであり,その解決手段として,油溶性成分を含むオイルゲルシートと,オイルゲルシートの周辺部を除いた領域に形成されたシート状基体と,シート状基体の上に形成された複数の微小針とを備えることを主要な特徴としている(【0004】【0006】【0007】【0017】)。本発明は,このような構成を採ったことによって,)皮膚に貼り付けられた部分からも油溶性成分が皮膚内に浸透して美容効果を得ることができ,また,ⅱ)乳液等を塗布した皮膚に貼っても剥がれにくいマイクロニードルパッチを提供することができる(【0012】【0017】)。

ウ 「オイルゲルは,油溶性成分を含むゲルであり,皮膚に対する粘着性がよい。」【0017】

(2) 本件明細書に従来技術として示された甲12の【0032】には,粘着剤の例として,アクリル系粘着剤,ゴム系粘着剤,シリコンゴム系粘着剤,ビニルエーテル系粘着剤,ウレタン系粘着剤などが挙げられている。しかしながら,上記⑴イの記載によれば,これらの粘着剤は,従来のマイクロニードルパッチが有していた上記(ⅰ)及び(ⅱ)の問題,特に,上記(ⅱ)の,乳液等に含まれる油脂によって粘着力が弱まるという問題を有すると認められる。

(3) 上記⑴ア,イ及び同⑵の記載によれば,本願発明の技術的思想(課題解決原理)は,マイクロニードルパッチの粘着層としてアクリル系粘着剤等を用いた場合には,ⅰ)粘着層の部分からは美容効果を得ることができず,また, ⅱ)乳液等が塗られた皮膚に貼ると簡単に剥がれてしまうという二つの技術的課題が生じていたため,粘着層として,)皮膚内に浸透して美容効果を与えることができる油溶性成分を含有し,)乳液等に含まれる油脂となじみやすい油分を主成分として含むオイルゲルシートを用いることによって,上記の二つの技術的課題の解決を図ったものと認められる。

  また,上記⑴ウの記載によれば,本願発明にいう「オイルゲル」は,甲12に記載された「粘着剤」を含有しなくとも,それ自体で皮膚に対する粘着性が良いものとされている

  これらの記載を総合的に参酌すると,本願発明において,「オイルゲルシート」は「アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するシート」を意味すると解釈するべきである。

引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」について

(1) 引用文献2には,次の内容の記載がある。

ア 本発明は,化粧料や皮膚外用薬など皮膚外用剤用途のための粘着剤組成物および粘着シートに関する(1頁4行以下)。

イ 皮膚接着性と剥離除去性の適度なバランスを有する皮膚外用剤粘着シート製剤の開発について,架橋アクリル系粘着剤層に油性の液体成分を多量に含有させたものを用いる油性ゲル状粘着層製剤が提案されてきた。しかしながら,これら製剤は,皮膚接着性と剥離除去性のバランスは改善できても,薬効成分等薬剤の溶解性が格別に優れているとはいい難かった(2頁21行以下)。

ウ 本発明の油性ゲル状粘着製剤においては,特定の組成のアクリル系共重合ポリマー,非イオン性界面活性剤及びアクリル系ポリマーの各所定量を外部架橋剤によって架橋させている。このことにより,薬効成分等薬剤の溶解性が格別に優れ,かつ,皮膚接着性と剥離除去性とのいずれもが好適な皮膚外用剤用粘着剤組成物及び粘着シートを得ることができる(4頁18行以下)。

(2) 上記⑴の記載によれば,引用技術2の「油性ゲル状」「粘着シート製剤」は,上記⑴イの従来技術である「架橋アクリル系粘着剤」の組成を調整することによって,粘着性を維持しつつ薬剤の溶解性を高めたシートであって,皮膚への粘着性は,従来技術と同様に,専らアクリル系粘着剤に依存していることが認められる。

3. 相違点についての審決の判断の当否

 上記1⑶のとおり,本願発明の技術的意義に照らすと,本願発明の「オイルゲル」は,アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するものである。これに対し,引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」は,上記2⑵のとおり,アクリル系粘着剤の粘着性によって,皮膚に対して粘着するものである。

 このように,引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」は,本願発明の「オイルゲル」とは技術的意義を異にするから,引用発明に引用技術2を適用しても,相違点に係る本願発明の構成には至らない。

  1したがって,容易想到性に関する審決の判断には誤りがある。

被告の主張について

 被告は,「オイルゲル」は有機溶剤を溶媒とするゲルの総称であるとの技術常識が存在し,本願発明の「オイルゲル」の意義や組成について本件明細書には記載がないから上記技術常識に沿って解釈すべきであり,上記技術常識によれば引用技術2の「油性ゲル」は「オイルゲル」に含まれる旨主張する。

  たしかに,乙1(特許庁「周知・慣用技術集(香料)第I部香料一般」1999 年1月29日発行)等によれば,「ゲル」を流体(溶媒)の違いという観点から「ヒドロゲル」「オイルゲル」「キセロゲル」の3種類に分類することが一般的に承認されている事実は認められ,また,乙6(権英淑ほか「実効感を発現するためのスキンケア製剤設計」FRAGRANCE JOURNAL Vol.34 No.1 pp.52-55(2006))等には,この分類を前提として,アクリル系材料を基剤とした「オイルゲル」の粘着剤に言及する記載も見られる。しかしながら,他方,甲7(柴田雅史「化粧品におけるオイルの固化技術」J.Jpn. Soc. Colour Mater., 85 [8] 339-342 (2012))では,冒頭に「有機溶剤(オイル)を少量の固化剤を用いて固形もしくは半固形状にしたものは一般に油性ゲルと呼ばれ,……メイクアップ化粧品を中心に幅広い製品の基剤として用いられている」と記載されており,化粧品の分野において,「オイルゲル」の用語をこのような意味で用いることも一般的であったと認められるから,「オイルゲル」という用語が,当然に被告主張のような意味に用いられると断定することはできない。

  そうすると,本願発明の「オイルゲル」の技術的意義は,特許請求の範囲の記載だけからは一義的に明確ではない。そこで,明細書の発明の詳細な説明のうち,従来技術に関する記載及び解決課題に関する記載を参酌し,上記1のとおり,「オイルゲルシート」を「アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するシート」と解釈すべきである。

 したがって,被告の上記主張は採用することができない。」

2021年6月6日日曜日

特許権侵害訴訟において、分割出願における原出願明細書に対する新規事項の追加の有無が争点となった事例

 知財高裁令和3年3月8日判決

令和2年(ネ)第10035号 特許権侵害差止等請求控訴事件(原審 東京地方裁判所平成29年(ワ)第32839号)

 

1.概要

 本事例は、特許権侵害訴訟の東京地裁原審(被告製品が、原告特許権の技術的範囲に属すると判断)の取り消しを、原審被告である控訴人が求めた控訴事件の知財高裁判決である。知財高裁は、本件控訴を棄却した。

 原審原告である被控訴人が有する特許権は、分割出願によるものである。以下の3点が、分割要件違反かどうかが争点となった。

(1)親出願(原出願)の明細書(当初明細書)での「ハンドル10は細い棒状に形成されている」が,分割出願の本件明細書では「美容器において,ハンドル本体は棒状であって」と変更されており「細い」が削除されている

(2)親出願の明細書では「上記ハンドルは,上記第1端部から上記第2端部にかけて直線状に形成されていることが好ましい。」と記載されており、ハンドルが直線状である具体例のみが記載されているのに対して、特許権者は、分割出願に係る特許権の「ハンドル」は、被告製品の「湾曲したハンドル」を包含すると主張している。

(3)親出願の明細書では「ハンドル10は,その一部(中央部)を凹状にくり抜いて形成された凹部15」と記載されていたものが,本件明細書では「ハンドル本体には凹部が形成され」と記載され,凹部を形成する位置として「中央部」という特定のない記載となった。

 知財高裁は、いずれの点も分割要件違反ではないと判断した。特に(1)に関して、「本件特許の技術的思想(課題解決原理)は・・・原出願時と変わりがなく,新たな技術的思想(課題解決原理)が追加されたことはない」と判示した。

 

2.「分割要件」に関する裁判所の判断のポイント

(当初明細書の記載

 当初明細書(乙163)(=原出願明細書)には,以下の記載がある。

「【0023】

 上記ハンドルは,上記第1端部から上記第2端部にかけて直線状に形成されていることが好ましい。」

「【0049】

 また,本例では,ハンドル10は細い棒状に形成されていることから,例えばハンドル10を中心線L0に沿って上下又は左右に分割して,ハンドル10の内部に各部材を収納する構成とした場合には,ハンドル10の成形精度や強度が低下したり,各部材がハンドル10の内部を密閉する作業に手間がかかって美容器1の組み立て作業性が低下したりするおそれがある。しかし,本例では,図4に示すように,ハンドル10は,その一部(中央部)を凹状にくり抜いて形成された凹部15内に各部材を配設するとともに,ハンドルカバー14によって当該凹部15を覆うことにより各部材を収納する構成を採用している。これにより,ハンドル10の中心線L0に沿って上下又は左右に分割した場合に比べて,ハンドル10の成形精度や強度を高く維持することができるとともに,ハンドルカバー14によって凹部15の内部を容易に密閉できることから美容器1の組み立て作業性が向上する。」

(新たな技術的事項の追加の有無

a ハンドルの形状

(a) 当初明細書(乙163)には,前記()のとおり,【0049】に「ハンドル10は細い棒状に形成されている」と記載されているが,本件明細書には,【0007】に「美容器において,ハンドル本体は棒状であって」と記載され,「細い」という語が削除された。

 しかし,「棒」という語は,「手に持てるほどの細長い木・竹・金属などの称。」(広辞苑第7版)を意味し,そもそも「細い」という意味が含まれている。他方,当初明細書(乙163)の全体を見ても,原出願のハンドルが特別に細いものとは認められず,手で握る程度の細さのものと理解できるから,当初明細書の上記の「細い」という語に格別な技術的意味があるとは認められないから,当初明細書の「細い棒状」と本件明細書の「棒状」とは,実質的に同じものとして理解すべきものと認められる。そして,当初明細書の【0049】には,「例えばハンドル10を中心線L0に沿って上下又は左右に分割して,ハンドル10の内部に各部材を収納する構成とした場合には,ハンドル10の成形精度や強度が低下したり,各部材がハンドル10の内部を密閉する作業に手間がかかって美容器1の組み立て作業性が低下したりするおそれがある。」という技術的課題を解決するという技術的思想(課題解決原理)が記載されているところ,本件特許の技術的思想(課題解決原理)は前記2⑴()のとおりであり,原出願時と変わりがなく,新たな技術的思想(課題解決原理)が追加されたことはない。したがって,本件発明の構成について,「細い」という特定のない「棒状のハンドル」とすることによっては,新たな技術的事項が導入されたとはいえない。

(b) そして,当初明細書(乙163)には,実施例としてハンドルが直線状の美容器が示されているが,ハンドルの形状を直線状に限るとする記載はなく,【0049】にも,ハンドルの形状については細い棒状であること以外に何ら言及されておらず,かえって「上記ハンドルは,上記第1端部から上記第2端部にかけて直線状に形成されていることが好ましい。これにより,目元や口元などの顔に使用する際に,肌面に対してローラが当接する角度の調整がしやすいため,操作性が向上する。また,ハンドルの握りやすさを維持しつつ,美容器全体をコンパクトに形成することができため(判決注:「できるため」の誤記と解される。),旅行などで持ち運ぶのに適している。」(【0023】)と記載されており,ハンドルが直線状であることが好ましいと記載されていることからすると,ハンドルは直線状のものに限定されておらず,湾曲したものを排除するものではなかったと認められる。そのため,本件発明において,ハンドルは直線状のものに限られず,湾曲した形状であるものも含むとしても,そのことによって新たな技術的事項が導入されたことにはならない。

b 凹部

 さらに,凹部がハンドルの中央部に形成されることに関して,当初明細書(乙163)には,【0049】に「ハンドル10は,その一部(中央部)を凹状にくり抜いて形成された凹部15」と記載されていたものが,本件明細書では,【0007】に「ハンドル本体には凹部が形成され」と記載され,凹部を形成する位置として「中央部」という特定のない記載となった。しかし,上記のとおり,【0049】では,「中央部」は括弧書きとして記載されているから,凹部を設ける位置の一例を単に示したものと認められ,【0049】において凹部に関して記載された内容は,凹部の位置を問わず妥当するものと認められる。したがって,本件発明において凹部を設ける位置が「中央部」に特定されていないことによって新たな技術的事項が導入されたとは認められない。

(控訴人の主張の検討

控訴人は,本件発明が,被告各製品のような「円弧状に湾曲したハンドル本体」からなるものまで含むとすれば,当初明細書等に記載がなかった「円弧状に湾曲したハンドル本体」が分割出願により本件発明に新たに導入されたことになると主張するが(前記第2の5⑶ウ()(b)),前記()(b)のとおり,本件発明において,ハンドルは直線状のものに限られず,直線状のもののほか,湾曲した形状であるものも含むとしても,そのことによって新たな技術的事項が導入されたことにはならないから,控訴人の上記主張は採用することができない。

 また,控訴人は,本件発明の凹部がハンドルの中央部に限られないとすれば,当初明細書等に記載がなかった凹部(ハンドルの中央部以外の部分に設けられた凹部)が分割出願により本件発明に新たに導入されたことになると主張するが(前記第2の5⑶ウ()(c)),前記()bのとおり,本件発明において凹部を設ける位置が「中央部」に特定されていないことによって新たな技術的事項が導入されたとは認められないから,控訴人の上記主張は採用することができない。

(分割要件の充足性

 そうすると,本件明細書に記載された事項は,原出願の出願当初の明細書等に記載された事項の範囲内であるものと認められ,本件特許の出願は分割出願の要件を充足するものであると認められる。」

2021年4月18日日曜日

進歩性の判断において、技術分野の共通性のみを根拠に複数の引用発明を組み合わる動機付けとすることは適切ではない判示した事例

知財高裁令和3年3月11日判決
令和2年(行ケ)第10075号 特許取消決定取消請求事件 

1.概要
  本事例は、特許発明を、進歩性欠如を理由に取り消した異議の決定に対し、特許権者である原告が取消を求めた審決等取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は原告の主張する取消理由の一部を認め、異議の決定の取消を取り消した。
  異議の決定では、特定の熱収縮ポリエステル系フイルムを含む環状フィルムで包装した包装体に関する本件発明2の進歩性が否定されている。甲1に熱収縮フイルムを含む環状フィルムで包装した包装体が記載されており、甲1にはまた、熱収縮フィルムとしてポリエステル系フィルムが記載されている。一方、甲3に、本件発明2と同じ定の熱収縮ポリエステル系フイルムは記載されている。異議の決定では、「甲1の段落【0010】には,熱収縮性フィルムにポリエステルが挙げられているから,甲1発明において,熱収縮性フィルムとして,具体的に,甲3に記載された熱収縮性フィルムを用いることは,当業者が容易に想到し得たことである。」と判断した。
  一方、知財高裁は、「被告は,甲1発明と甲3記載事項は,熱収縮という作用,機能が共通する旨主張するが,熱収縮は,通常,弁当包装体が持つ基本的な作用,機能の一つにすぎないことを考慮すると,被告の上記主張は,実質的に技術分野の共通性のみを根拠として動機付けがあるとしているに等しく,動機付けの根拠としては不十分である。」と判断し、甲1発明と甲3発明との課題及び課題解決手段の違いを考慮する、2つの引用発明を組み合わせる動機は存在しないと判示した。 
 
2.本件発明2(本件請求項2に係る発明)
上面開口部を有する容器本体と上記上面開口部を閉塞する蓋体とを備えた蓋付容器を,非熱収縮性フィルムと熱収縮性ポリエステル系フィルムとからなる環状フィルムで包装した包装体であって, 
 上記非熱収縮性フィルムは,ポリエステル系フィルムにヒートシール層を積層したものであり,厚さが8μm以上30μm以下であり,150℃の熱風中で30分間熱収縮させたときの長手方向の収縮率が5%以下,幅方向の収縮率が4%以下であり, 
 上記非熱収縮性フィルムは,上記蓋付容器の上面に対応する位置に設けられており,
  上記熱収縮性ポリエステル系フィルムは,ポリエステルの全構成ユニットを100モル%として,エチレンテレフタレートユニットを50モル%以上含み,エチレングリコール以外の多価アルコール由来のユニットとテレフタル酸以外の多価カルボン酸由来のユニットとの合計が10モル%以上であり,非晶質成分となりうるモノマーとして,ネオペンチルグリコール及び/又は1,4-シクロヘキサンジメタノールが含まれたポリエステル系樹脂からなり,90℃の温水中で10秒間熱収縮させたときの長手方向の熱収縮率が10%以上60%以下であり,幅方向の収縮率が30%未満であり, 
 上記熱収縮性ポリエステル系フィルムは,上記蓋付容器の下面に対応する位置に設けられており,  上記熱収縮性ポリエステル系フィルムの両端部と上記非熱収縮性フィルムの両端部とが蓋付容器の両側面で接続されて上記環状フィルムとなっている 
 ことを特徴とする包装体。」 

 3.異議の決定の要旨 
「(1) 本件発明2について
 ア 甲1(特開2001-10663号公報)には,以下の発明(以下,「甲1発明」という。)が記載されている。 
「シート成形された浅い箱状のプラスチック容器に蓋を被せた弁当に,チューブ(20)を被せた弁当包装体であって, 
 チューブ(20)は,非熱収縮性フィルム(21)と熱収縮性フィルム(22)とを,互いの端縁部(211,212)(221,222)同士を接着代として上下に重ね,熱接着することにより筒形状に成形され,
  熱収縮性フィルムは熱収縮率は50%(at.90℃熱水×10秒)であり,
  チューブ(20)を,熱収縮性フィルム(22)が弁当容器の下面側に位置する向きに被せた, 弁当包装体。」 
イ 本件発明2と甲1発明を対比すると,一致点及び相違点は次のとおりとなる。
 <一致点> 「上面開口部を有する容器本体と上記上面開口部を閉塞する蓋体とを備えた蓋付容器を,非熱収縮性フィルムと熱収縮性フィルムとからなる環状フィルムで包装した包装体であって, 
 上記非熱収縮性フィルムは,上記蓋付容器の上面に対応する位置に設けられており,
  上記熱収縮性フィルムは,上記蓋付容器の下面に対応する位置に設けられており,
  上記熱収縮性フィルムの両端部と上記非熱収縮性フィルムの両端部とが接続されて上記環状フィルムとなっている 包装体。」 
<相違点1> 
 (略)
 <相違点2>
  熱収縮性フィルムについて,本件発明2は,「熱収縮性ポリエステル系フィルム」であって,「ポリエステルの全構成ユニットを100モル%として,エチレンテレフタレートユニットを50モル%以上含み,エチレングリコール以外の多価アルコール由来のユニットとテレフタル酸以外の多価カルボン酸由来のユニットとの合計が10モル%以上であり,非晶質成分となりうるモノマーとして,ネオペンチルグリコール及び/又は1,4-シクロヘキサンジメタノールが含まれたポリエステル系樹脂からなり,90℃の温水中で10秒間熱収縮させたときの長手方向の熱収縮率が10%以上60%以下であり,幅方向の収縮率が30%未満であ」るのに対して,甲1発明は,熱収縮率は50%(at.90℃熱水×10秒)ではあるものの,そのように具体的に特定されていない点。
 <相違点3> 
 (略
 相違点2に関する異議決定の判断 
 甲1には,「熱収縮性フィルムの熱収縮率は通常約30~70%である。なお,二軸延伸フィルムであっても,主な収縮が一方向(面内の直角2方向における一方の熱収縮率が約30~70%,他方が約15%以下)であれば,上記一軸延伸フィルムと同じように使用することができる。」(段落【0010】)と記載されており,「熱収縮率は50%(at.90℃熱水×10秒)であ」る甲1発明の「熱収縮性フィルム」は,本件発明2と同様に,「90℃の温水中で10秒間熱収縮させたときの長手方向の収縮率が10%以上60%以下であり,幅方向の収縮率が30%未満であ」るといえる。 
 また,甲3(特開2009-143605号公報)の段落【0039】には,「熱収縮性ポリエステル系フィルムに用いるポリエステルは,全ポリステル樹脂中におけるエチレングリコール以外のグリコール成分,もしくはテレフタル酸以外のジカルボン酸成分の含有量が15モル%以上であることが好ましく,17モル%以上であるとより好ましく,20モル%以上であると特に好ましい。ここで,共重合成分としてグリコール成分,もしくはジカルボン酸成分となりうる主成分は,たとえば,ネオペンチルグリコール,1,4-シクロヘキサンジオールやイソフタル酸を挙げることができ,必要に応じてそれらを混合することも可能である。なお,共重合成分(エチレングリコール以外のグリコール成分,もしくはテレフタル酸以外のジカルボン酸成分)の含有量が,40モル%を超えると,フィルムの耐溶剤性が低下して,印刷工程でインキの溶媒(酢酸エチル等)によってフィルムの白化が起きたり,フィルムの耐破れ性が低下したりするため好ましくない。また,共重合成分の含有量は,37モル%以下であるとより好ましく,35モル%以下であると特に好ましい。」と記載されており,実施例(甲3の段落【0105】~【0112】)の記載も参酌すると,当該熱収縮性ポリエステル系フィルムは熱収縮フィルムとして用いられるものであるから,甲3には,「包装袋において,熱収縮性フィルムとして,熱収縮性ポリエステル系フィルムであって,ポリエステルの全構成ユニットを100モル%として,エチレンテレフタレートユニットを60モル%以上含み,エチレングリコール以外の多価アルコール由来のユニットとテレフタル酸以外の多価カルボン酸由来のユニットとの合計が15モル%以上であり,非晶質成分となりうるモノマーとして,ネオペンチルグリコール及び/又は1,4-シクロヘキサンジメタノールが含まれたポリエステル系樹脂を用いること」が記載されている(以下,「甲3記載事項」という。)といえる。
  そして,甲1の段落【0010】には,熱収縮性フィルムにポリエステルが挙げられているから,甲1発明において,熱収縮性フィルムとして,具体的に,甲3に記載された熱収縮性フィルムを用いることは,当業者が容易に想到し得たことである。

 4.裁判所の判断からの抜粋
 「4.取消理由3(相違点2の容易想到性の判断の誤り)について 
(略)
 (3)ア 甲1発明及び甲3記載事項は,共に,弁当包装体という技術分野に属するものであると認められる(甲1の段落【0001】,甲3の段落【0017】)。 
 しかし,甲1発明は,熱収縮性チューブを使用した弁当包装体について,煩雑な加熱収縮の制御を実行することなく,包装時の容器の変形やチューブの歪みを防ぎ,また,店頭で,電子レンジによる再加熱をした際にも弁当容器の変形が生じることを防ぐことを課題とするものである(甲1の段落【0003】,【0004】)のに対し,甲3に記載された発明は,ラベルを構成する熱収縮性フィルムについて,主収縮方向である長手方向への収縮性が良好で,主収縮方向と直交する幅方向における機械的強度が高いのみならず,フィルムロールから直接ボトルの周囲に胴巻きした後に熱収縮させた際の収縮仕上がり性が良好で,後加工時の作業性の良好なものとするとともに,引き裂き具合をよくすることを課題とするもの(甲3の段落【0007】,【0008】)である。
  そして,上記課題を解決するために,甲1発明は,非熱収縮性フィルム(21)と熱収縮性フィルム(22)とでチューブ(20)を形成し,熱収縮性フィルム(22)の周方向幅はチューブ全周長の1/2以下である筒状体であり,熱収縮性フィルム(22)の熱収縮により,弁当容器の外周長さにほぼ等しいチューブ周長に収縮して弁当容器に締着されてなるものとしたのに対し,甲3に記載された発明の熱収縮性フィルムは,甲3の特許請求の範囲記載のとおり,各数値を特定したものである。
 これらのことからすると,甲1発明と甲3に記載された発明は,課題においてもその解決手段においても共通性は乏しいから,甲3記載事項を甲1発明に適用することが動機付けられているとは認められない。
これに対し,被告は,甲1発明と甲3記載事項は,熱収縮という作用,機能が共通する旨主張するが,熱収縮は,通常,弁当包装体が持つ基本的な作用,機能の一つにすぎないことを考慮すると,被告の上記主張は,実質的に技術分野の共通性のみを根拠として動機付けがあるとしているに等しく,動機付けの根拠としては不十分である。
  また,被告は,甲1発明と甲3記載事項とでは,ポリエステルフィルムを用いている点が共通する旨主張するが,包装体用の熱収縮性フィルムを,ポリエステルとすることは,本件特許の出願前の周知技術(甲1の段落【0010】,甲3の【請求項7】,段落【0003】,甲6〔特開2008-280371号公報〕の段落【0001】)であると認められ,ポリエステルは極めて多くの種類があること(乙5)からすると,材料としてポリエステルという共通性があるというだけでは,甲1発明において,熱収縮性フィルムとして,甲3記載事項で示される熱収縮性フィルムを適用することに動機付けがあるということはできない。 
ウ 以上によると,甲1発明において,熱収縮性フィルムとして,甲3記載事項で示される熱収縮性フィルムを適用する動機付けがあると認めることはできない。 
 したがって,甲1発明及び甲3記載事項に基づいて,相違点2に係る本件発明2の構成とすることは,当業者が容易に想到し得たことであるとはいえない。(4) 以上によると,本件発明2は,当業者が容易に発明をすることができたものではないから,取消事由3は理由がある。」

2021年3月28日日曜日

パリ優先権の「部分優先」の遡及効に関する重要判決

令和2115日判決言渡

令和元年(行ケ)10132号審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は無効審判の審決(特許維持)の取り消しを求めた審決取消訴訟で審決は適法であると判断し原告(無効審判請求人)の請求を棄却した知財高裁判決である。

 特許発明が、パリ優先権の基礎出願から記載されている構成Aと、優先権主張を伴う後の出願で初めて記載された構成Cとを含む構成ACという発明(構成Aと構成Cとは独立した発明の構成部分となり得るもの)であり、基礎出願よりも後かつ後の出願よりも前に発明Bが公知となった場合の、優先権の遡及効の範囲が争われた。

 原告は、構成ACからなる特許発明の全体は優先日の利益は受けられず、発明Bが先行技術となり新規性進歩性は否定されると主張した。

 しかし知財高裁は、構成ACからなる特許発明のうち構成Aについては優先日の利益が受けられ、遡及効の無い構成Cが、発明Bに対し新規性、進歩性を有するかどうかを判断すべきであると判示した。すなわち1発明の中で優先権が認められる範囲は構成要件ごとに判断すべきであるとする「部分優先」の立場を示した。

 

2.本件発明

「【請求項1

 一連のリンクからなるアイテムを作成するための装置であって,

 前記リンクはブルニアンリンクであり,前記アイテムはブルニアンリンクアイテムであり,

 ベースと,

 ベース上にサポートされた複数のピンと,を備え,

 前記複数のピンの各々は,リンクを望ましい向きに保持するための上部部分と,当該複数のピンの各々の,ピンの列の方向の前面側の開口部とを有し,複数のピンは,複数の列に配置され,相互に離間され,且つ,前記 ベースから上方に伸びている

装置。

【請求項6

 一連のリンクからなるアイテムを作成するためのキットであって,

 前記リンクはブルニアンリンクであり,前記アイテムはブルニアンリンクアイテムであり,

 リンクを望ましい向きに保持するための上部部分と,複数のピンの各々の,ピンの列の方向の前面側の開口部を含み,ベースによりお互いに対してサポートされた複数のピンを備え,

 前記複数のピンは,複数の列に配置され,相互に離間され,且つ,前記べースから上方に伸びている,

キット。」

 

3.裁判所の判断のポイント

取消事由1(無効理由1:優先権主張の効果不奏功)について

(1) 原告は,本件発明は,本件米国仮出願に記載された発明とは異なる発明であるから,パリ優先権の主張は認められないと主張するので,以下,判断する。

(2) この点に関する原告の主張を正確に記載すると,本件発明は,①ピンが複数の溝を有する構成を含むこと,②ピンバーとベースが一体成型になっている構成を含むこと,③ピンバーをベースの溝ではなく,ベース上の凸部に嵌め込む方式の構成を含むこと,④ピンに,溝ではなく,ピンを貫く間隙を有する構成を含むこと,の4点において,本件米国仮出願にはない構成を含むからパリ優先権が否定され,その結果,甲1動画との関係で新規性,進歩 性を欠き,無効であるというものである。

 しかしながら,本件発明が,その請求項の文言に照らし,原告が新たな構成であると主張する①ないし④の点を含まない構成,すなわち,本件米国仮出願の明細書に記載された実施例どおりの構成を含むことは明らかであるところ(この点は,原告も否定していないものと考えられる。),この構成は,1まとまりの完成した発明を構成しているのであって,①ないし④の構成が補充されて初めて発明として完成したものになるわけではない。このような場合,パリ条約4Fによれば,パリ優先権を主張して行った特許出願が優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことを理由として,当該優先権を否認し,又は当該特許出願について拒絶の処分をすることはできず,ただ,基礎となる出願に含まれていなかった構成部分についてパリ優先権が否定されるのにとどまるのであるから,当該特許出願に係る特許を無効とするためには,単に,その特許が,パリ優先権の基礎となる出願に含まれていなかった構成部分を含むことが認められるだけでは足りず,当該構成部分が,引用発明に照らし新規性又は進歩性を欠くことが認められる必要があるというべきである。このように解することがパリ条約4Fの文言に沿うばかりではなく,このように解しないと,例えば,特許権者がAという構成の発明について外国出願をし,その後,その構成を含む発明Bが公知となった後に,わが国において,パリ優先権を主張し,構成Aと,前記外国 出願には含まれないが,発明Bに対して新規性,進歩性が認められる構成Cを合わせた構成A+Cという発明について特許出願をした場合,当該発明は,構成Aの部分は,発明Bよりも外国出願が先行しており,優先権も主張されており,かつ,構成Cは,発明Bに対し新規性,進歩性が認められるにも関わらず,前記外国出願に含まれない構成Cを含んでいることのみを理由として構成Aについての優先権までが否定され,特許出願が拒絶されるという結論にならざるを得ないが,そのような結論は,パリ条約4Fが到底容認するものではないと考えられるからである。なお,①ないし④も,それぞれ独立した発明の構成部分となり得るものであるから,引用発明に対する新規性,進歩性は,それぞれの構成について,別個に問題とする必要がある。

 この観点から検討すると,甲1によれば,甲1動画に係るツールは,前記③の構成を有していることが認められる。そして,本件発明の請求項は,「ベース上にサポートされた複数のピン」と定めているのみであって,前記③の構成を含むことは明らかであるから,この点において,本件発明は,甲1動画との関係で新規性を欠くものといわなければならない。したがって,パ リ優先権が認められるかどうかを判断するため,さらに,構成③が,本件米 国仮出願に含まれない構成であるかどうかを判断する必要がある。これに対し,甲1動画に係るツールは,前記①,②,④の構成を含むものとは認められないから,新規性が問題となる余地はなく,また,これらの構成が,甲1動画に係る発明に対して進歩性を欠くことを認めるに足りる主張立証はない。そうであるとすると,これらの構成が,本件米国仮出願に含まれない構成であるかどうかを判断するまでもなく,原告の主張は失当というべきである。

(3) そこでさらに,構成③が,本件米国仮出願に含まれない構成であるかどうかについて判断するに,たしかに,米国仮出願書類には,ベースに設けた 溝にピンバーを嵌め込む態様しか記載されていないが,これは実施例の記載にすぎないし,米国仮出願書類全体を検討しても,ベースにピンバーを固定する態様を,この実施例に係る構成に限定する旨が記載されていると理解することはできない。そして,ベースに凹部を設け,その凹部にピンバーを嵌め込む態様の構成(米国仮出願書類の実施例の記載)と,ベースに凸部を設け,この凸部にピンバーを嵌め込む態様の構成(③の構成)とは,まさに裏腹の関係にあるものであって,一方を想起すれば他方も当然に想起するのが技術常識であるといえるから,たとえ明示的な記載がないとしても,ベースに凹部を設ける構成が記載されている以上,ベースに凸部を設ける構成も,その記載の想定の内に含まれているというべきである。

 そうすると,③に係る構成が,本件米国仮出願に含まれない構成であるとはいえないから,この点に関する原告の主張も失当ということになる。

(4) 以上によれば,本件発明は,甲1動画との関係で新規性,進歩性欠如の 無効事由を有するものとは認められないとした本件審決の判断は,結論において誤りはない。よって,取消事由1は理由がない。」

2021年2月28日日曜日

数値限定発明の進歩性欠如を指摘する異議決定が取り消された事例

知財高裁令和328日判決
令和2(行ケ)10001号 特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、数値限定を特徴として含む特許発明に対する特許異議申立において、進歩性欠如を指摘する異議決定がなされ、特許権者が異議決定の取り消しを求めて提訴した審決等取消訴訟判決である。知財高裁は進歩性欠如の判断は適切ではないと判断し、異議決定を取り消した。
 一見すると平易な構成であっても、本件発明と引用発明との技術分野、解決課題が相違する場合は、数値限定に係る本件発明の構成に至る動機付けがあったとは言えない場合があり、進歩性は肯定される場合がある。
 
2.本件発明1
(メタ)アクリル酸エステル共重合体であって,
 (A-a)(メタ)アクリル酸エステル,
 (A-b)カルボキシル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,
 (A-c)グリシジル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,及び
 (A-d)水酸基含有(メタ)アクリル酸エステル
を構成モノマーとして含み,
 (メタ)アクリル酸エステル共重合体(A)を構成するモノマーの全量を100質量%としたとき,上記(A-b)の配合量b(質量%)と上記(A-c)の配合量c(質量%)とが,下記式:
10≦b+40c≦26 (但し,4≦b≦140.05≦c≦0.45)
を満たし,
 化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用であることを特徴とする,(メタ)アクリル酸エステル共重合体。
(以下,上記(A-a)ないし(A-d)の各構成モノマーを,順に「a成分」ないし「d成分」ということがある。)
 
3.引用例1発明について
(引用例1発明
 2-エチルヘキシルアクリレート399重量部,n-ブチルアクリレート105重量部,エチルアクリレート140重量部,アクリル酸47.5重量部,グリシジルメタクリレート3.5重量部を重合した(メタ)アクリル酸エステル共重合体
(本件発明と引用例1発明との一致点及び相違点
 (一致点)
(メタ)アクリル酸エステル共重合体であって,
(A-a)(メタ)アクリル酸エステル,
(A-b)カルボキシル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,
(A-c)グリシジル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物
を構成モノマーとして含み,
(メタ)アクリル酸エステル共重合体(A)を構成するモノマーの全量を100質量%としたとき,上記(A-b)の配合量b(質量%)が,4≦b≦14を満たす(メタ)アクリル酸エステル共重合体。」である点
 (相違点1)
 本件発明は,共重合体が「(A-d)水酸基含有(メタ)アクリル酸エステル」を構成モノマーとして含むのに対し,引用例1発明の共重合体は当該モノマーを含まない点
 (相違点2)
 本件発明は,「(メタ)アクリル酸エステル共重合体(A)を構成するモノマーの全量を100質量%としたとき,上記(A-b)の配合量b(質量%)と上記(A-c)の配合量c(質量%)とが,下記式:10b+40c≦26(但し0.05≦c≦0.45)」であるのに対し,
 引用例1発明の共重合体は当該c0.5(3.5/(399+105 +140+47.5+3.5)×100)b+40c26.8である点
 (相違点3)(一応の相違点)
 本件発明の共重合体は「化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用である」のに対し,引用例1発明の共重合体は当該用途に用いることが記載されていない点
 
4.異議決定の概要(進歩性欠如により本件特許発明1取消)
ア 相違点124及び6について
 7文献ないし甲9文献の記載からすれば,各引用例において本件発明と同種のモノマーを選択し,その配合量等を適宜設定して本件発明と同程度の範囲に定めることは,当業者であれば容易になし得ることである。
イ 相違点35及び7について
 本件発明における「化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用である」との用途限定は,化合物の有用性を示しているにすぎず,各引用例との化学構造上の相違をもたらすものとは認められないから,相違点357は,実質的な相違点ではない。
 ウ 本件発明の効果について
 本件明細書の記載から読み取れる本件発明の共重合体の効果は,「粘着性を有する」程度のものであり(特定の組成物になったときに初めて奏する効果は,共重合体の効果ではない。),引用例1発明ないし引用例3発明に比して格別の効果が認められるものではない。
 
5.裁判所の判断のポイント
(3) 相違点2の容易想到性
ア 検討
(相違点2は,(メタ)アクリル酸エステル共重合体を構成するモノマーの全量を100質量%としたときのb成分の配合量b及びc成分の配合量cの値が,本件発明は「10≦b+40c≦26(但し0.05≦c≦0.45)」であるのに対し,引用例1発明の共重合体においてはc0.5b+40c26.8であるというものである。
 そこで,引用例1発明における上記b及びcの値を変更し,本件発明における数値範囲内に調整することを,当業者が容易に想到し得たか否か否かについて検討する。
(まず,上記(2)()のとおり,本件発明と引用例1発明とでは技術分野や発明が解決しようとする課題が必ずしも一致するものではないというべきである。
(また,上記(1)()fのとおり,引用例1発明の実施例には,引用例1発明における第3成分を,N-メチロールアクリルアミドからアクリルアミドに量比を変えることなく置き換えた場合に,ピール(g/2cm)が「1025FA」から「675AF」になり(なお,「ピール」とは,剥離に要する力をいう(7)),凝集力が「ずれ0.6mm」か ら「ずれ16mm」になった例が示されている(-8の実施例67)
 このことからすれば,架橋性官能基であるエポキシ基,水酸基,アミド基及びN-メチロールアミド基は,その種類に応じて異なる粘着力や凝集力を示すものと考えられるから,各モノマーは,粘着力や凝集力の点で等価であるとはいえないというべきである・・・(略)。
 そうすると,当業者において,各モノマーを同量の別のモノマーに置き換えたり,水酸基を有するモノマー(d成分)を導入した分だけグリシジルメタクリレート(c成分)の配合量を減少させて第3成分全体の配合量を維持したりすることが,自然なことであるとか,容易なことであるなどということはできない。
(さらに,上記(1)()によれば,引用例1発明においては,第3成分(グリシジルメタクリレートはこれに当たる。)を第1成分及び第2成分の合計量100重量部に対して0.5~15重量部とするとされているから,第1成分ないし第3成分の合計量を100質量%としたときの第3成分の配合量は,0.5~13.0質量%となる(0.5/(100+0.5)×100~15/(100+15)×100)
 そうすると,引用例1発明において,グリシジルメタクリレートの配合量を本件発明における数値範囲内である0.45質量%以下とするためには,第3成分の配合量の下限値とされている値である0.5質量%を下回る量まで減少させる必要があるところ,甲7文献の記載をみても,このような調整を行うべき技術的理由を見いだすことはできない。
(以上のとおり,本件発明と引用例1発明とでは技術分野や発明が解決しようとする課題が必ずしも一致するものではないこと,各モノマーは粘着力や凝集力の点で等価ではなく,当業者が各モノマーを置き換えたり配合量を維持したりすることは自然又は容易なことではないこと,当業者がグリシジルメタクリレートの配合量を第3成分の配合量の下限値未満に減少させる技術的理由は見いだされないことからすれば,甲7文献に接した当業者において,相違点2に係る本件発明の構成に至る動機付けがあったということはできない。
 したがって,引用例1発明におけるb成分の配合量b及びc成分の配合量cの値を変更し,本件発明における数値範囲内に調整することを,本件出願時における当業者が容易に想到し得たということはできない。
イ 被告の主張について
(被告は,乙6文献ないし乙8文献に記載された各発明の内容を根拠として,粘着剤の技術分野においては,b成分及びc成分を含む(メタ)アクリル酸エステル共重合体について,本件発明における数値範囲を満足しながらc成分の配合量c0.45以下,例えば0.251~0.4質量%とすることは,当業者が普通に行っていることである旨主張する。
 しかしながら,証拠(6ないし8)によれば,乙6文献に記載された発明は,プラスチックフィルム,紙,布等の基材上に設けられる柔軟 性層の表面粘着化処理法に関する発明であること,乙7文献に記載された発明は,耐熱性の再剥離可能なマスキングテープ,シート,ラベル等用の粘着剤の発明であること,乙8文献に記載された発明は,エマルジョン系感圧性接着剤の発明であることが認められるところ,これらの発明と引用例1発明とでは,技術分野や粘着剤又は接着剤に求められる性質及び性能が必ずしも一致するものではないから,これらの発明で採用された数値が,当然に引用例1発明に適用されるものではないというべきである。
 また,証拠(6ないし8)によれば,乙6文献ないし乙8文献に記載された各発明においては,本件発明における「10≦b+40c≦26(但し,4≦b≦140.05≦c≦0.45)」の数値範囲を満たす(メタ)アクリル酸エステル共重合体が1つの合成例として記載されているものの,この数値範囲を満たさない合成例も存在するのであるから,bcの数値を上記の数値範囲に合致するように定めることが,当然に行われる事柄であるということもできない。
 そうすると,6文献ないし乙8文献において,本件発明における数値範囲を満たす(メタ)アクリル酸エステル共重合体の合成例が存在するからといって,引用例1発明に関しても,同様の配合量の調整が当業者において普通に行われるものであるとか,容易に想到することができるなどと直ちにいうことはできない。そして,上記アで検討したところに照らすと,引用例1発明について,本件発明における数値範囲を満足しながらc成分の配合量c0.45以下とすることが自然又は容易なことであるとはいえない。
したがって,被告の上記主張は,理由がない。」