2023年5月7日日曜日

製造方法を開示せず新規物質のみを記載する引用文献の引用発明適格性

 知財高裁令和5年3月22日判決
令和4年(行ケ)第10091号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対し原告が請求した無効審判の請求棄却(特許有効)の審決に対する、原告が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 原告は、特許権に係る本件発明は引用文献に記載されており新規性を有さないとの無効理由を有すると主張したが、知財高裁は請求を棄却した。
 公知物質である5-アミノレブリン酸(=5–ALA)の、新規な塩である「5-アミノレブリン酸リン酸塩」自体が特許請求の範囲に記載されている。
 一方、引用文献には、「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステル」が特に有利である旨が記載された上で、この「塩またはエステル」の有利な例として22種類の化合物が挙げられ、その中に「5-ALAホスフェート」が記載されている。5-ALAホスフェートが5-アミノレブリン酸リン酸塩と同義であることに争いはない。
 ただし、引用文献には、化合物である5-ALAホスフェートの製造方法に関する記載がなく、いわゆる「一行記載」の引用発明適格性が争点となった。
 知財高裁は「5-ALAホスフェートを引用発明として認定するためには、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたといえることが必要である。」「引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたとはいえない」として、「引用文献から5-ALAホスフェートを引用発明として認定することはできない。」と結論づけた。
 
2.本件発明
 被告が有する特許権の本件発明に係る特許請求の範囲の記載は次の通り:
「下記一般式(1)
HOCOCH2CH2COCH2NH2・HOP(O)(OR1)n(OH)2-n  (1)
(式中、R1は、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2
の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩。」
 
 
 
3.引用発明についての裁判所の認定
「引用文献の段落【0012】には、引用文献の組成物が5-アミノレブリン酸の誘導体を作用物質として含有する旨、この作用物質として「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステル」が特に有利である旨が記載された上で、この「塩またはエステル」の有利な例として22種類の化合物が挙げられ、その中に「5-ALAホスフェート」が記載されている。
イ 以上の記載内容によれば、引用文献には、化合物である5-ALAホスフェートが記載されているものといえる。
 なお、5-ALAホスフェートが5-アミノレブリン酸リン酸塩と同義であることは技術常識であり、この点について当事者間に争いはない。
 
 
4.裁判所の判断のポイント
5-ALAホスフェートを引用発明として認定することの可否
ア 判断基準
(特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ、上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。
 特に、当該物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
 
(以上を前提として検討するに、5-ALAホスフェートは新規の化合物であるところ、上記(2)のとおり、引用文献には、化合物である5-ALAホスフェートが記載されているといえるものの、その製造方法に関する記載は見当たらない(甲2)。
 したがって、5-ALAホスフェートを引用発明として認定するためには、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたといえることが必要である。
 
イ 甲17文献ないし甲19文献の記載
・・・(略)・・・
 
ウ 検討
(原告は、甲17文献ないし甲19文献の記載からすれば、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸単体の製造方法は周知であった上、5-アミノレブリン酸をリン酸溶液に溶解すれば、弱塩基と強酸の組合せとなり、5-アミノレブリン酸リン酸塩を得ることができることは技術常識であったことからすれば、本件優先日当時の当業者は、極めて容易に5-ALAホスフェートの製造方法を理解し得たものといえる旨主張する(前記第3〔原告の主張〕2)。
   そこで検討するに、上記イ()及び()のとおり、確かに、甲17文献及び甲19文献には、乙1文献(上山宏輝ほか「光合成細菌変異株による5-アミノレブリン酸の工業的生産」(生物工学会誌第78巻第2号48ないし55頁、2000年発行))を引用しつつ、「ALA生産が確立されている」、「ALAの産生に成功した」、「発酵の下流では、イオン交換樹脂を使用するALA精製プロセスも確立されて」いるなどと記載されている。しかしながら、乙1文献には、「発酵液からのALAの精製」の項において、ALAが塩基性水溶液中では非常に不安定であり、種々の検討の結果、5-アミノレブリン酸塩酸塩結晶を得るプロセスを確立することに成功した旨が記載されているにすぎない(54頁左欄12行目ないし20行目)。そうすると、甲17文献及び甲19文献においては、細菌を培養して発酵液中にALA(5-アミノレブリン酸)を産生させる技術は開示されているものの、5-アミノレブリン酸単体を得る技術は開示されていないというべきである。
 また、上記イ()のとおりの甲18文献の記載によれば、同文献においては、発酵液中に培地成分と混合した状態で存在するALAの濃度が開示されているにすぎない。そうすると、甲18文献においても、5-アミノレブリン酸単体を得る技術は開示されていないというべきである。
 以上のとおり、甲17文献ないし甲19文献において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が開示されているとはいえない。これに加え、前記(1)のとおり、引用文献においても「5-ALAは・・・化学的にきわめて不安定な物質である」、「5-ALAHClの酸性水溶液のみが充分に安定であると示される」と記載されているとおり(段落【0007】)、これらの事項が本件優先日当時の技術常識であったと認められることも考慮すると、本件優先日当時において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が周知であったとは認められない。
 
(上記に関し、原告は、5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する上で、5-アミノレブリン酸が物質として取り出されている必要はなく、発酵液中に培地成分等と混合した状態であってもよい旨主張する(前記第3〔原告の主張〕3)。
   しかしながら、本件優先日当時、種々の成分を含む混合液に酸又は塩基を添加するという方法が、化合物である塩の製造方法として技術常識であったとは認められないことからすれば、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、化合物である5-アミノレブリン酸リン酸塩を製造する方法として、培地成分等と混合した状態で5-アミノレブリン酸が存在する発酵液にリン酸を添加する方法(又はこの発酵液をリン酸溶液に添加する方法)を、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮することなく見いだすことができたものとはいえない。また、上記イ()aのとおり、甲18文献において、培地に酵母抽出物やトリプトン等が含まれることが記載されていることからも明らかなように、培地成分等と混合した状態にある発酵液には種々のイオンが夾雑物として含まれているのであるから、このような発酵液にリン酸を添加したとしても、等しい物質量の酸及び塩基の中和反応によって5-アミノレブリン酸リン酸塩という化合物が製造されたと評価することはできないというべきである。
(したがって、原告の上記各主張はいずれも採用することができない。そして、このほか、本件優先日当時の当業者が、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を容易に見出すことができたというべき事情は存しない。
 
エ 小括
 以上によれば、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたとはいえない。
 したがって、引用文献から5-ALAホスフェートを引用発明として認定することはできない。