2022年9月11日日曜日

公然実施発明による新規性が争われた事例

 知財高裁令和4年8月23日判決
令和3年(行ケ)第10137号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、「圃場を耕うんする作業機」に係る特許に対する特許無効審判において特許有効の判断を示した審決に対し無効審判請求人がその取り消しを求めた審決取消訴訟の、請求を棄却(特許は有効、審決は適法)した知財高裁判決である。
 本件発明が、本願出願前に展示会において展示された耕うん機(検甲1)により公然実施された発明であるか否かが争われた。
 本件発明の構成要件G(エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少し)が、展示会で展示された検甲1により公知となったと原告は主張したが、審決及び知財高裁判決は共に、構成要件Gは展示会で展示された検甲1により公知となったとは言えないと判断した。
 裁判所は、公然実施された発明は、「外部からは認識できなくても、当業者がその製品を通常の方法で分解、分析する等によって発明の内容を知り得る場合を含むというべきである。そして、発明の内容を知り得るといえるためには、当業者が発明の技術的思想の内容を認識することが可能であるばかりでなく、その認識できた技術的思想を再現できることを要するというべきである。」と判示した。
 
2.本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1の記載:
A 走行機体の後部に装着され、耕うんロータを回転させながら前記走行機体の前進走行に伴って進行して圃場を耕うんする作業機において、
B 前記作業機は前記走行機体と接続されるフレームと、  
C 前記フレームの後方に設けられ、前記フレームに固定された第1の支点を中心にして下降及び跳ね上げ回動可能であり、その重心が前記第1の支点よりも後方にあるエプロンと、
D 前記フレームに固定された第2の支点と前記エプロンに固定された第3の支点との間に設けられ、前記第2の支点と前記第3の支点との距離を変化させる力を作用させることによって前記エプロンを跳ね上げる方向に力を作用させる、ガススプリングを含むアシスト機構とを具備し、
J 前記ガススプリングは、シリンダーと、前記シリンダーの内部に挿入されたピストンと、前記ピストンから延長されるピストンロッドとを有し、
E 前記アシスト機構は、さらに、前記ガススプリングがその中に位置し、前記第2の支点及び第3の支点を通る同一軸上で移動可能な第1の筒状部材と第2の筒状部材とを有し、
F 前記第1の筒状部材の前記フレーム側の一端には前記第2の支点が、前記第1の筒状部材の前記エプロン側の他端には前記ピストンロッドの先端が接続され、前記第2の筒状部材の前記フレーム側の一端には前記シリンダーの先端が接続され、
G 前記第2の筒状部材の外周に突設された第1の突部が前記第3の支点を回動中心とし、前記エプロンに台座を介して設けられた第2の突部に接触して前記第3の支点と前記第2の支点との距離を縮める方向に変化することにより、前記エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少し、
H 前記ガススプリングは、前記エプロンが下降した地点において収縮するように構成される
I ことを特徴とする作業機。
 
3.原告が主張する無効理由1
 本件発明は、本件特許の出願前に公然知られた又は公然実施された検甲1(原告製「ニプログランドロータリーSKS2000(製造番号1007)」に係る発明(以下「検甲1発明」という。)と同一であるから、特許法(以下、「法」という。)29条1項1、2号に該当し、特許を受けることができないものである。
 検甲1は、平成27年(2015年)7月11日、12日、18日、19日に展示会「元氣農業応援フェア 2015 in つくば」(以下「本件展示会」という。)で展示された。
 甲103のとおり、検甲1を、本件展示会と同じスタンド姿勢(前傾約30°)に設定した状態で、本件審判の第1回口頭審理及び証拠調べ
(平成30年10月30日実施)における検証の時と同様の方法により、エプロンを跳ね上げるのに要する力(アシスト操作力)を実際に測定したところ、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロン角度の増加に伴って、一般的な作業者が感じることができる程度に徐々に減少する結果を示すグラフ(甲103の7頁のグラフ)が得られた。そのため、検甲1は、エプロンを跳ね上げるのに要する力がエプロン角度の増加に伴って徐々に減少する構成を有していた。
 
4.裁判所の判断のポイント
「(1)原告は、本件発明は本件特許の出願前に公然知られた又は公然実施された検甲1に係る発明と同一であるから、法29条1項1、2号に該当し、特許を受けることができないものであると主張する。
  法29条1項1号の「公然知られた」とは、秘密保持契約等のない状態で不特定多数の者が知り、又は知り得る状態にあることをいい、同項2号の「公然実施」とは、発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい、物の発明の場合には、対象製品が不特定多数の者に販売され、かつ、当業者がその製品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん、外部からは認識できなくても、当業者がその製品を通常の方法で分解、分析する等によって発明の内容を知り得る場合を含むというべきである。そして、発明の内容を知り得るといえるためには、当業者が発明の技術的思想の内容を認識することが可能であるばかりでなく、その認識できた技術的思想を再現できることを要するというべきである。
 本件では、検甲1発明が、本件発明の構成要件Gの「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」という構成を備えていたこと、あるいは本件発明の内容が検甲1発明によって公然知られていたとも公然実施されていたとも認めることはできない。その理由は、次のとおりである。
(2)原告主張の理由について 
ア 構成要件Gの理論的説明に対する認識(理由1)について
(ア)本件審決の判断
a 本件審決は、力学に関する技術常識を勘案し、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等により認められる本件発明に係る作業機の構造に照らすと、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度について、次の関係が成り立つと判断した(本件審決第6の2⑵ イ(ウ)〔本件審決97頁〕)。 
Fs>(Rw・W・sin(θ+α0)-Ra・Fg・sinθa)/(R・sin(θ+β0))
(Fs:エプロンを跳ね上げるのに要する力 
Rw:第1の支点からエプロンの重心までの距離 
Ra:第1の支点から第3の支点までの距離 
R:第1の支点からエプロンを持ち上げる位置までの距離 
W:エプロンの重心に鉛直方向に働く重力 
Fg:第3の支点に働くアシスト力 
θ:エプロンが、第1の支点を通る直線に対してなす角度(エプロンが最も下降したときにθ=0°とする。)
α0:θ=0°のときの、第1の支点とエプロンの重心とを結ぶ直線の鉛直方向に対する角度
β0:θ=0°のときの、第1の支点とエプロンを持ち上げる位置とを結ぶ直線の鉛直方向に対する角度
θa:第1の支点と第3の支点とを結ぶ直線と、第2の支点と第3の支点とを結ぶ直線がなす角度)
b 本件審決は、検甲1の作業機が、エプロンを跳ね上げるのに要する力は徐々に減少する構成を有していたといえるかについて、次のとおり判断した(本件審決第6の3⑵〔本件審決115頁〕)。
「前記『2(2)イ(ウ)』で検討したとおり、『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとは、『エプロンを跳ね上げるのに要する力』(Fs)について、前記『2(2)イ(ウ)』に示した関係(判決注:前記aに示した式の関係)を満たすFsが、エプロンが、本件発明における第1の支点を通る直線に対してなす角度θ(エプロンが最も下降したときをθ=0°とする。)が増加する所定角度範囲内において徐々に減少するような構成である。
 前記『2(2)イ(ウ)』に示した関係中の各パラメータのうち、θ 以外の項目を適宜設定し、Fsが、θが増加する所定角度範囲内において徐々に減少するような構成を実現することにより、構成要件Gにおける『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとの構成は実現される。
 したがって、エプロンを跳ね上げるのに要する力が徐々に減少する構成を有するか否かには、上記関係式中のFg(第3の支点に、第2の支点の方向に働くアシスト力)が影響し、Fgは、『第2の支点と第3の支点との距離を変化させる力を作用させることによってエプロンを跳ね上げる方向に力を作用させる、ガススプリングを含むアシスト機構』(構成要件D)によるものであるから、アシスト機構で採用される『ガススプリング』の特性(ストローク長とガス反力の関係等)に依存する。
   そうすると、構成要件Gにおける『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとの構成を有しているか否かは、外観のみから認識できる性質のものではなく、上記展示会において展示された検甲1作業機の外観のみから、検甲1作業機が、エプロンを跳ね上げるのに要する力が徐々に減少する構成を有しているとすることはできない。
(イ)原告の主張に対する判断
 原告は、本件展示会において、本件発明に係る作業機と同じ構造(ガススプリングの向きが逆である点を除く。)を有する検甲1を見た当業者は、力学的な技術常識から構成要件Gの理論的説明を認識できると主張し、構成要件Gは検甲1を見れば認識できるから検甲1は構成要件Gを備えると主張する(前記第3の1〔原告の主張〕(2)ア)。
 しかし、本件審決は、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度に係る前記(ア)aの関係を、力学に関する技術常識を勘案し、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等により認められる本件発明に係る作業機の構造から認定したものであり、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等の記載内容を検討した上でそれを導いたものであると認められる。本件審決は、検甲1の作業機を見ることによって本件明細書の記載から導くことができる本件発明の技術的思想を認識できると判断したものではないし、当業者が本件明細書の記載から理解できる技術的思想と、検甲1の作業機の実物を見て理解できることが同じであると解すべき理由はないから、検甲1を見た当業者が、力学的な技術常識から構成要件Gの理論的説明を認識できるとする原告の主張は、採用することができない。さらに、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度に係る前記(ア)aの関係に照らすと、本件審決が述べるように、構成要件Gにおける「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少」するとの構成を有しているか否かは、アシスト機構で採用される「ガススプリング」の特性(ストローク長とガス反力の関係等)に依存するものであり、外観のみから認識できる性質のものではないと認められる。したがって、この点からしても、構成要件Gは検甲1を見れば認識できるから検甲1は構成要件Gを備えるという原告の主張は採用することができない。
イ エプロンを跳ね上げるのに要する力の減少に対する認識(理由2)について 
 原告は、本件展示会で検甲1を見た当業者であれば、力学的な技術常識に基づいて、構成要件Gを当然に理解認識することができ、その具体例をシミュレーションすることができるから、検甲1発明は構成要件Gを備えると主張するが(前記第3の1〔原告の主張〕⑵イ)、前記アで述べたと同様の理由により、原告の上記主張は採用することができない。
ウ 補助的資料による認定その1(理由3)について 
(ア)甲103について
 原告は、検甲1を、本件展示会と同じスタンド姿勢(前傾約30°)に設定した状態で、本件審判の第1回口頭審理及び証拠調べ(平成30年10月30日実施)における検証の時と同様の方法により、エプロンを跳ね上げるのに要する力(アシスト操作力)を実際に測定したところ、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロン角度の増加に伴って、一般的な作業者が感じることができる程度に徐々に減少する結果を示すグラフ(甲103の7頁のグラフ)が得られたとして、検甲1は、エプロンを跳ね上げるのに要する力がエプロン角度の増加に伴って徐々に減少する構成を有したものであると主張する(前記第3の1〔原告の主張〕(2)ウ(ア))
 しかし、甲103は、本件訴訟が提起された後の令和3年(2021年)11月5日に測定された結果を示すものであり、約6年半前の平成27年(2015年)7月に開催された本件展示会における検甲1の状態を示すものとは認められないから、甲103によって、本件展示会における検甲1の構成が認められるとはいえない。また、甲103の測定値によれば、エプロン角度が60度となるあたりでアシスト操作力は約17kgf になると認められ(甲103の6頁の調査結果のアシスト有1及び2のエプロン角度60.0のときの測定データ)、これは、エプロン角度が小さいときに比べればアシスト操作力は軽減されているが、それでも、17kgf の力で持ち上げなければならないことを意味する。他方、甲106の2(動画2)は、本件訴訟が提起された後の令和3年11月30日に撮影された映像であるところ、これには、エプロン角度が60度のときに手を離すとエプロンが下がらなくなり、軽く押し下げると下に回動することが示されており、これは、エプロン角度が60度のときにアシスト操作力が0となることを示しているものと認められる。そうすると、甲103の測定結果は、甲106の2に撮影された作業機の挙動とは整合しないものと認められ、その測定結果に信用性があるとは認められない。」