2022年8月6日土曜日

請求項に否定的特徴を追加する訂正(除くクレーム)が新規事項追加には該当せず「特許請求の範囲の減縮」に該当し適法だと判断された事例

 知財高裁令和4年6月22日判決
令和3年(行ケ)第10111号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は無効審判の審決(特許維持)を不服とした原告が提訴した審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 特許権者である被告は、無効審判において、進歩性欠如の無効理由に対する防御として本件訂正を請求した。本件訂正は、本件発明1の「前記加工対象物はシリコンウェハである」という特徴を、「前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハである」に限定する訂正事項1を含む。いわゆる「除くクレーム」である。
 特許庁審決及び知財高裁は、本件訂正1は、新規事項追加には該当せず「特許請求の範囲の減縮」に該当し適法であると判断した。
 「除くクレーム」の訂正補正は化学分野の特許でなされる場合が大部分であるが、本事例は、機械分野の特許であるという点で珍しいのではないか。
 
2.本件訂正発明
 本件訂正後の本件特許の請求項1に係る発明(本件訂正発明1)は、以下の通りである(下線部を追加した)。
「ウェハ状の加工対象物の内部に、切断の起点となる改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
 前記加工対象物が載置される載置台と、 
 パルス幅が1μs以下のパルスレーザ光を出射するレーザ光源と、 
 前記載置台に載置された前記加工対象物の内部に、前記レーザ光源から出射されたパルスレーザ光を集光し、1パルスのパルスレーザ光の照射により、そのパルスレーザ光の集光点の位置で改質スポットを形成させる集光用レンズと、
 隣り合う前記改質スポット間の距離が略一定となるように前記加工対象物の切断予定ラインに沿って形成された複数の前記改質スポットによって前記改質領域を形成するために、パルスレーザ光の集光点を前記加工対象物の内部に位置させた状態で、パルスレーザ光の繰り返し周波数及びパルスレーザ光の集光点の移動速度を略一定にして、前記切断予定ラインに沿ってパルスレーザ光の集光点を直線的に移動させる機能を有する制御部と、
を備え、 
 前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置。」
 
3.裁判所の判断のポイント
「⑴ 訂正の目的について
ア 訂正前の請求項1の記載は、「加工対象物」である「シリコンウェハ」について、その文言上、「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハ」を概念的には含むものであったのに対し、訂正事項1により、そのようなシリコンウェハを除く形で限定されるものであるから、訂正事項1は、特許請求の範囲の減縮を目的とするものといえる。
 別の観点からいえば、訂正前の請求項1の記載は、その文言上、「レーザ加工装置」の構成として、切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、そのような溝が存在しないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らない「レーザ加工装置」(溝必須装置)を概念的には含むものであったのに対し、訂正事項1により、そのような装置を除く形で請求項1に係る発明のレーザ加工装置を特定したのであるから、訂正事項1は、特許請求の範囲の減縮を目的とするものともいえる。
イ 原告は、前記第3の1⑴ア のとおり、訂正事項1における「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハ」については、加工対象物がシリコン単結晶構造の場合において、「シリコン単結晶構造部分」や溝の位置、どのような溝が形成されていないのかが特定されておらず不明確であるから、訂正後の特許請求の範囲が不明確であると主張するが、そのような具体的な事項まで特定されなければ、訂正事項1が減縮か否かを判断できないほどに不明確であるとは考えられない。
 また、原告は、前記第3の1⑴ア のとおり、訂正事項1によって、請求項1の装置について、溝が形成されていないシリコンウェハを切断することが用途になるとしても、レーザ加工装置の構成がそのような特定の構成に限られるものではないから、発明の構成を限定するものではないとか、いわゆるサブコンビネーション発明の理論によれば訂正の前後で発明の要旨の認定は変わらない旨主張する。しかし、アに説示したとおり、訂正事項1により概念上請求項1に係る発明が限定されることは明らかであり、特許法134条の2第1項の「特許請求の範囲の減縮」への該当性を判断するに当たっては、これで足りると解するのが相当である。また、本件発明をサブコンビネーション発明と解するかはさて措くとして、本件における上記該当性を判断するに当たって、サブコンビネーション発明のクレーム解釈や特許要件の考え方を直接参考にする必要性があるとは認め難いし、いずれにしても本件においては、訂正事項1に係る事項は、加工対象物のみを特定する事項にとどまらず、レーザ加工装置自体についてもその構造、機能を特定する意味を有するものと解するべきであるから(本件訂正前は、溝必須装置のように溝が形成されているシリコンウェハを切断する構造を有すれば、これをもって特許要件を満たし得たのに対し、本件訂正後はこのような構造を有するのでは足りず、溝が形成されていないシリコンウェハを切断する構造を有することが必要とされることになる。)、原告の主張するところは、本件訂正が、特許請求の範囲の減縮であることを否定するに足りるものではない。
 
⑵ 新規事項の追加の有無について
ア 前記⑴アのとおり、訂正事項1は、本件訂正前の請求項1に係る発明から、概念的に包含されていた「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハ」ないし溝必須装置(=シリコン単結晶構造部分に切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、シリコン単結晶構造部分に切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らないレーザ加工装置)を除くにすぎないから、特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正事項1により、請求項1に係る発明の「レーザ加工装置」に新たな技術的事項が追加されることはない。
 本件明細書の記載に照らしてみても、「加工対象物がシリコン単結晶構造の場合、溶融処理領域は例えば非晶質シリコン構造である。」(【0025】)として、シリコン単結晶構造のシリコンウェハを加工対象物とする場合が記載されているし、本件明細書等の図1及び図3は、加工対象物1上の切断予定ラインが図示された平面図であるが、図1のII-II線に沿った断面図である図2、図3のIV-IV線に沿った断面図である図4のいずれにおいても、溝は形成されていないことが看取される。そして、本件明細書の【0031】の「なお、シリコンウェハは、溶融処理領域を起点として断面方向に向かって割れを発生させ、その割れがシリコンウェハの表面と裏面に到達することにより、結果的に切断される。シリコンウェハの表面と裏面に到達するこの割れは自然に成長する場合もあるし、加工対象物に力が印加されることにより成長する場合もある。」との記載に鑑みれば、本件明細書のレーザ加工装置は、切断予定部分の溝の有無に依存せずに、改質領域を起点として切断できるものである。
 したがって、本件明細書等には、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハないしこれを切断することができるレーザ加工装置が記載されているといえるから、この点からしても、訂正事項1は、本件明細書等に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導入するものではない。
イ 原告は、前記第3の1⑴イ のとおり、本件明細書等には、溝の形成等に関する具体的な記載や示唆はなく、「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハ」の存在が当業者にとって自明であるともいえないから、訂正事項1は新規事項を導入するものである旨主張する。
 しかし、図1ないし4によれば、「切断予定ライン」は記載されている一方で、「溝」は記載されていないところ、訂正前の本件発明において「溝」が存在することが前提となっているのであれば、「切断予定ライン」を記載しながら「溝」をあえて記載しないことは不自然というほかない。
 また、【0002】の「例えば半導体ウェハやガラス基板のような加工対象物の切断する箇所に、加工対象物が吸収する波長のレーザ光を照射し、レーザ光の吸収により切断する箇所において加工対象物の表面から裏面に向けて加熱溶融を進行させて加工対象物を切断する。しかし、この方法では加工対象物の表面のうち切断する箇所となる領域周辺も溶融される。よって、加工対象物が半導体ウェハの場合、半導体ウェハの表面に形成された半導体素子のうち、上記領域付近に位置する半導体素子が溶融する恐れがある。」との記載は、「半導体ウェハ」本体の表面に「半導体素子」を形成することを前提とするものであることが明らかであるから、切断の対象となる「半導体ウェハ」が「シリコンウェハ」の場合にも、「単結晶シリコンからなるウェハ」本体の表面に半導体素子を構成する構造を有するものであって、「シリコン単結晶構造部分」がこの「単結晶シリコンからなるウェハ本体」を指すことは、当業者に自明の事項というべきであり、これは図1ないし4についても同様である。
 したがって、原告の主張は、前記アの認定を左右するに足りるものではない。
⑶ 訂正が実質上特許請求の範囲を変更し、又は拡張するかについて
 前記のとおり、訂正事項1は、本件訂正前の請求項1に係る発明に、概念的に包含されていた、「切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハ」ないし溝必須装置を除くにすぎないから、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
⑷ 小括
 以上のとおりであって、本件訂正は訂正要件を満たすものであり、本件審決の判断に誤りはないから、取消事由1は理由がない。」