知財高裁 令和2年12月15日判決言渡
令和元年(行ケ)第10136号 審決取消請求事件
1. 概要
本事例は、特許権無効審判(サポート要件違反、実施可能要件違反で特許無効)に対する審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は審決は適法であるとして原告(特許権者)の請求を棄却した。
対象となる特許発明は「少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有する」という要件(24ヶ月要件)を含む。一方、明細書には、室温で24ケ月を越える期間、保存安定的であるという文言(いわゆる一行記載)は記載されているが、具体的な実験データは記載されていない。
原告(特許権者)は、特許出願よりも前に作成された、24ヶ月以上の保存安定性を示す実験結果(甲36、33)を提出し、24ヶ月要件は裏付けられていることの証拠とした。
知財高裁は「本件明細書と技術常識によっては24ケ月要件を備えた製剤が記載されていると認識することができないにもかかわらず,本件出願後に実験データ(甲36,33)を提出して明細書の上記不備を補うことは許されないというべきである」と判示し、サポート要件違反の審決を支持した。
2. 本件発明1
a)0.01~0.2mg/mlのパロノセトロン又はその薬学的に許容される塩;及び
b)薬学的に許容される担体を含む,嘔吐を抑制又は減少させるための,少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有する溶液であって,
当該薬学的に許容される担体はマンニトールを含む,前記溶液。
2. 審決(サポート要件、実施可能要件違反)の概要
「1本件審決は,無効理由2(明確性要件非充足)は成り立たないが,無効理由1(サポート要件非充足)及び3(実施可能性要件非充足)は成り立つと判断して,本件訂正後の全請求項についての特許を無効とした。そして,無効理由1及び3についての本件審決の説示は,本件訂正後の各請求項に共通の発明特定事項である24ケ月要件について,無効理由1及び3が成り立つことをいうものである。
そこで,以下,24ケ月要件のサポート要件非充足及び実施可能性要件非充足についての本件審決の理由の概要を示す。
2 無効理由1(サポート要件非充足)について
(1) 本件特許の明細書(以下「本件明細書」という。)には,24ケ月要件に直接関係する記載として,次の記載がある(判決注:下線は本判決が付した。)。
「【0017】
発明の要約
発明者は,パロノセトロンを用いる嘔吐の治療及び抑制のための驚くべき効果的かつ多用途の製剤を支持する一連の発見をした。これらの製剤は,室温で24ケ月を越える期間,保存安定的であり,従って冷蔵することなく保存することができ,及び非-無菌な最終殺菌処理を用いて製造され得る。」
「【0037】
更に実施態様は,パロノセトロン製剤が簡便に保存又は製造される改良法に関する。特に,本発明者らは,本発明の製剤が室温で長期間製品を保存できる,ことを発見した。従って,更に別の実施態様では,本発明は,以下を含むパロノセトロン又はその薬学的に許容される塩の溶液をその中に含む1個又はそれ以上の容器を保存する方法を提供する:a)当該1個又はそれ以上の容器を含む部屋を提供すること;b)約10,15又は20°Cより高い部屋の温度を維持すること;及びc)当該部屋で1ケ月,3ケ月,6ケ月,1年,18ケ月,24ケ月又はそれ以上(しかし,好ましくは36ケ月を越えない),当該容器を保存すること,ここで,(i)パロノセトロン又はその薬学的塩は約0.01mg/mL~約5.0mg/mLの濃度で存在する,(ii)本溶液のpHは約4.0~約6.0であり,(iii)本溶液は約0.01~約5.0mg/mlのパロノセトロン又はその薬学的に許容される塩,約10~約100ミリモルのクエン酸緩衝液及び約0.005~約1.0mg/mlのEDTAを含み,(iv)本溶液はキレート剤を含み,又は(v)本溶液は約10~約100ミリモルのクエン酸緩衝液を含む。」
しかし,いずれの記載もパロノセトロン製剤を安定に保存できる期間を文言上記載したにとどまるものであって,パロノセトロン製剤を安定に保存できる期間を当業者が理解できるような裏付けなどと共に具体的に示す記載ではなく,これらの記載をもって,24ケ月要件を発明特定事項とする本件各発明が,実質的に明細書に記載されているということはできない。
・・・(略)・・・
(7) 以上によれば,24ケ月要件を発明特定事項とする本件各発明は,pH,マンニトール,キレート剤についての特定の有無に関わらず,実質的に明細書に記載したものではない。」
3. 原告(特許権者)の追加実験結果に基づく意見
「出願時の技術常識(特に,実験,分析)に照らして,上記bの手段により上記aの課題が解決されると当業者が認識できることは,甲36において同旨の実験結果が得られていることによっても裏付けられる。
甲36は,医薬品の承認申請のために原告が米国FDAに提出した書面であり,その提出日は,原出願より前の2002年(平成14年)9月26日である。同書面に記載された実験結果は,本件明細書の段落【0017】及び【0037】の記載と符合するものであるから,これらの段落において数値により表現された貯蔵安定性の程度は,原告(発明者・出願人)の予測や期待を表現したものではなく,出願に先立って実験により得られたものである。同旨の実験結果は,原告補助参加人が平成18年から平成26年にかけて行った実験においても得られている(甲33)。
なお,甲36,33の実験結果は,A)実験方法・条件が明細書記載のものと実質的に同じであること,B)得られた結果が明細書記載の内容と実質的に同じであること,C)実験の手法が原出願当時の技術常識の範囲内にあること,D)貯蔵安定性の測定の実験手法は極めて簡単であること,に照らすと,明細書に開示された内容の範囲内にあり,明細書の記載を裏付けるものであって,明細書の記載内容を記載外で補足するものではないから,サポート要件充足性を立証するために許容される証拠である。」
4. 裁判所の判断のポイント
「上記(1)イ(イ)・(ウ)のとおり,本件明細書においては,パロノセトロン又はその塩を含む溶液は,pH及び/又は賦形剤濃度の調整並びにマンニトール及びキレート剤の適切な濃度での添加によって,安定性が向上することが記載され,実施例1~3において,製剤が最も安定するpHの値,クエン酸緩衝液及びEDTAの好適な濃度範囲,マンニトールの最適レベルが示され,実施例4,5に代表的な医薬製剤が示されているが,実施例4,5においては,実際に安定性試験が行われていないため,そこに記載された医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえない。また,その他の箇所をみても,安定化に資する要素は挙げられてはいるものの,それらが24ケ月の貯蔵安定性を実現するものであることについての直接的な言及はないし,どのような要素があればどの程度の貯蔵安定性を実現することができるのかを推論する根拠となるような具体的な指摘もなく,結局,具体的な裏付けをもって,具体的な医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえない。
なお,上記(1)イ(イ)のとおり,本件明細書の一連の実施例は,薬剤の安定化のための合理的な条件を見出すための要因を探求するものであって,特に,実施例1~3は,個々の要因を探求するプレフォーミュレーション(予備処方設計,前処方化)に該当し,実施例4,5の代表的な医薬製剤は処方化研究(製剤設計)に該当するといえるとしても,上記のとおり,本件明細書には,pH,賦形剤,マンニトール及びキレート剤の濃度を調整することで,安定性向上に関し,どのような作用・機序があるのか,どの程度の安定性の向上,安定性への貢献が見込めるのかが記載されていないため,実施例4,5の医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえないし,その他の箇所をみても,合理的な説明をもって,具体的な医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することが記載されているとはいえない。
そうすると,本件明細書には,24ケ月要件を備えたパロノセトロン製剤が記載されているとはいえないし,本件出願時の技術常識に照らしても,当業者が,本件各発明につき,医薬安定性が向上し,24ケ月以上の保存を可能にするパロノセトロン製剤とその製剤を安定化する許容される濃度範囲を提供するという本件各発明の課題(上記(1)ア)を解決できると認識できる範囲のものであるとはいえない。
・・・(略)・・・
(4) 原告の主張について
ア 上記第4の1(1)及び(2)の主張について上記(3)のとおり,本件明細書には,pH,賦形剤,マンニトール及びキレート剤の濃度を調整することで,安定性向上に関し,どのような作用・機序があるのか,どの程度の安定性の向上,安定性への貢献が見込めるのかが記載されていないため,本件出願時の技術常識を踏まえても,実施例4,5の医薬製剤が24ケ月要件を備えたものであることが記載されているとはいえないし,その他の箇所をみても,具体的な医薬製剤が少なくとも24ケ月の貯蔵安定性を有することを,具体的な根拠に基づいて合理的に説明しているとはいえない。そして,24ケ月という期間に直接言及する【0017】【0037】の記載も,上記(1)イ(ア)のとおり,当該製剤ないし容器を24ケ月以上保存できることをいかなる方法で確認したか等についての具体的な言及を欠くから,これらの段落の記載をもって,24ケ月要件が本件明細書に実質的に記載されているということもできない。
したがって,原告の上記第4の1(1)及び(2)の主張は採用することができない。
イ 上記第4の1(3)の主張について
(ア) サポート要件適合性は,明細書に記載された事項と出願時の技術常識に基づいて認定されるべきであるから,上記(3)のとおり,本件明細書と技術常識によっては24ケ月要件を備えた製剤が記載されていると認識することができないにもかかわらず,本件出願後に実験データ(甲36,33)を提出して明細書の上記不備を補うことは許されないというべきである。
(イ) また,原告は,甲36,33は,本件明細書の段落【0017】【0037】を補うものにすぎないから,新たな実験結果ではないという趣旨の主張をするが,本件明細書には,【0017】【0037】に記載された24ケ月の貯蔵安定性につき,いかなる方法及び条件の下での試験によってその貯蔵安定性を確認したのかが一切記載されていないため,甲36,33の試験が本件明細書と同一の方法及び条件によるものか否かは不明であり,原告の主張は失当である。
この点につき,原告は,A)実験方法・条件が本件明細書記載のものと実質的に同じであること,B)得られた結果が本件明細書記載の内容と実質的に同じであること,C)実験の手法が原出願当時の技術常識の範囲内にあること,D)貯蔵安定性の測定の実験手法は極めて簡単であることを主張するが,上記のとおり,本件明細書には,24ケ月の貯蔵安定性につき,いかなる方法及び条件の下での試験によってその貯蔵安定性を確認したのかが一切記載されていない以上,甲36,33の実験方法・条件,得られた結果が明細書記載の内容と実質的に同じであるとはいえない。また,結果が同じであるからといって実験方法・条件が同一であるとは限らないし,貯蔵安定性を測定するための実験方法が一つに定まるというのであればともかく(そのような事情を認めるに足りる証拠はない。),そうではない以上,たとえ実験の手法が技術常識の範囲内のものであり,また,実験手法が簡単なものであったとしても,そのことによって,本件明細書に記載された実験の方法・条件と,甲36,33の実験の方法・条件が同一であることが保障されるものではない。
(ウ) したがって,原告の上記第4の1(3)の主張は採用することができない。」