令和2年(行ケ)第10001号 特許取消決定取消請求事件
1.概要
本事例は、数値限定を特徴として含む特許発明に対する特許異議申立において、進歩性欠如を指摘する異議決定がなされ、特許権者が異議決定の取り消しを求めて提訴した審決等取消訴訟判決である。知財高裁は進歩性欠如の判断は適切ではないと判断し、異議決定を取り消した。
一見すると平易な構成であっても、本件発明と引用発明との技術分野、解決課題が相違する場合は、数値限定に係る本件発明の構成に至る動機付けがあったとは言えない場合があり、進歩性は肯定される場合がある。
2.本件発明1
「(メタ)アクリル酸エステル共重合体であって,
(A-a)(メタ)アクリル酸エステル,
(A-b)カルボキシル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,
(A-c)グリシジル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,及び
(A-d)水酸基含有(メタ)アクリル酸エステル
を構成モノマーとして含み,
(メタ)アクリル酸エステル共重合体(A)を構成するモノマーの全量を100質量%としたとき,上記(A-b)の配合量b(質量%)と上記(A-c)の配合量c(質量%)とが,下記式:
化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用であることを特徴とする,(メタ)アクリル酸エステル共重合体。
(以下,上記(A-a)ないし(A-d)の各構成モノマーを,順に「a成分」ないし「d成分」ということがある。)」
3.引用例1発明について
(ア) 引用例1発明
2-エチルヘキシルアクリレート399重量部,n-ブチルアクリレート105重量部,エチルアクリレート140重量部,アクリル酸47.5重量部,グリシジルメタクリレート3.5重量部を重合した(メタ)アクリル酸エステル共重合体
(イ) 本件発明と引用例1発明との一致点及び相違点
(一致点)
(A-a)(メタ)アクリル酸エステル,
(A-b)カルボキシル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物,
(A-c)グリシジル基および炭素-炭素二重結合を有する重合性化合物
を構成モノマーとして含み,
(メタ)アクリル酸エステル共重合体(A)を構成するモノマーの全量を100質量%としたとき,上記(A-b)の配合量b(質量%)が,4≦b≦14を満たす(メタ)アクリル酸エステル共重合体。」である点
(相違点1)
(相違点2)
本件発明の共重合体は「化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用である」のに対し,引用例1発明の共重合体は当該用途に用いることが記載されていない点
4.異議決定の概要(進歩性欠如により本件特許発明1取消)
ア 相違点1,2,4及び6について
甲7文献ないし甲9文献の記載からすれば,各引用例において本件発明と同種のモノマーを選択し,その配合量等を適宜設定して本件発明と同程度の範囲に定めることは,当業者であれば容易になし得ることである。
本件発明における「化粧シートの粘着剤層に用いる粘着剤組成物用である」との用途限定は,化合物の有用性を示しているにすぎず,各引用例との化学構造上の相違をもたらすものとは認められないから,相違点3,5,7は,実質的な相違点ではない。
ウ 本件発明の効果について
本件明細書の記載から読み取れる本件発明の共重合体の効果は,「粘着性を有する」程度のものであり(特定の組成物になったときに初めて奏する効果は,共重合体の効果ではない。),引用例1発明ないし引用例3発明に比して格別の効果が認められるものではない。
5.裁判所の判断のポイント
「(3) 相違点2の容易想到性
ア 検討
(ア) 相違点2は,(メタ)アクリル酸エステル共重合体を構成するモノマーの全量を100質量%としたときのb成分の配合量b及びc成分の配合量cの値が,本件発明は「10≦b+40c≦26(但し0.05≦c≦0.45)」であるのに対し,引用例1発明の共重合体においてはcが0.5,b+40cが26.8であるというものである。
そこで,引用例1発明における上記b及びcの値を変更し,本件発明における数値範囲内に調整することを,当業者が容易に想到し得たか否か否かについて検討する。
(イ) まず,上記(2)ア(イ)のとおり,本件発明と引用例1発明とでは技術分野や発明が解決しようとする課題が必ずしも一致するものではないというべきである。
(ウ) また,上記(1)ア(イ)fのとおり,引用例1発明の実施例には,引用例1発明における第3成分を,N-メチロールアクリルアミドからアクリルアミドに量比を変えることなく置き換えた場合に,ピール(g/2cm)が「1025FA」から「675AF」になり(なお,「ピール」とは,剥離に要する力をいう(甲7)。),凝集力が「ずれ0.6mm」か ら「ずれ16mm」になった例が示されている(表-8の実施例6,7)。
このことからすれば,架橋性官能基であるエポキシ基,水酸基,アミド基及びN-メチロールアミド基は,その種類に応じて異なる粘着力や凝集力を示すものと考えられるから,各モノマーは,粘着力や凝集力の点で等価であるとはいえないというべきである・・・(略)。
そうすると,当業者において,各モノマーを同量の別のモノマーに置き換えたり,水酸基を有するモノマー(d成分)を導入した分だけグリシジルメタクリレート(c成分)の配合量を減少させて第3成分全体の配合量を維持したりすることが,自然なことであるとか,容易なことであるなどということはできない。
そうすると,引用例1発明において,グリシジルメタクリレートの配合量を本件発明における数値範囲内である0.45質量%以下とするためには,第3成分の配合量の下限値とされている値である0.5質量%を下回る量まで減少させる必要があるところ,甲7文献の記載をみても,このような調整を行うべき技術的理由を見いだすことはできない。
(オ) 以上のとおり,本件発明と引用例1発明とでは技術分野や発明が解決しようとする課題が必ずしも一致するものではないこと,各モノマーは粘着力や凝集力の点で等価ではなく,当業者が各モノマーを置き換えたり配合量を維持したりすることは自然又は容易なことではないこと,当業者がグリシジルメタクリレートの配合量を第3成分の配合量の下限値未満に減少させる技術的理由は見いだされないことからすれば,甲7文献に接した当業者において,相違点2に係る本件発明の構成に至る動機付けがあったということはできない。
したがって,引用例1発明におけるb成分の配合量b及びc成分の配合量cの値を変更し,本件発明における数値範囲内に調整することを,本件出願時における当業者が容易に想到し得たということはできない。
イ 被告の主張について
(ア) 被告は,乙6文献ないし乙8文献に記載された各発明の内容を根拠として,粘着剤の技術分野においては,b成分及びc成分を含む(メタ)アクリル酸エステル共重合体について,本件発明における数値範囲を満足しながらc成分の配合量cを0.45以下,例えば0.251~0.4質量%とすることは,当業者が普通に行っていることである旨主張する。
しかしながら,証拠(乙6ないし8)によれば,乙6文献に記載された発明は,プラスチックフィルム,紙,布等の基材上に設けられる柔軟 性層の表面粘着化処理法に関する発明であること,乙7文献に記載された発明は,耐熱性の再剥離可能なマスキングテープ,シート,ラベル等用の粘着剤の発明であること,乙8文献に記載された発明は,エマルジョン系感圧性接着剤の発明であることが認められるところ,これらの発明と引用例1発明とでは,技術分野や粘着剤又は接着剤に求められる性質及び性能が必ずしも一致するものではないから,これらの発明で採用された数値が,当然に引用例1発明に適用されるものではないというべきである。
そうすると,乙6文献ないし乙8文献において,本件発明における数値範囲を満たす(メタ)アクリル酸エステル共重合体の合成例が存在するからといって,引用例1発明に関しても,同様の配合量の調整が当業者において普通に行われるものであるとか,容易に想到することができるなどと直ちにいうことはできない。そして,上記アで検討したところに照らすと,引用例1発明について,本件発明における数値範囲を満足しながらc成分の配合量cを0.45以下とすることが自然又は容易なことであるとはいえない。
したがって,被告の上記主張は,理由がない。」