2021年2月7日日曜日

サポート要件の判断手法(続き)

知財高裁令和272日判決言渡

平成30(行ケ)10158号審決取消請求事件(A事件)

平成30(行ケ)10113号 審決取消請求事件(B事件)

 

1. 概要

 本事例は特許無効審判審決(サポート要件欠如のため請求項17等を無効とする判断を含む)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、請求項17等はサポート要件を充足すると判断し審決を取り消した。

 「サポート要件を充足するには,明細書に接した当業者が,特許請求された発明が明細書に記載されていると合理的に認識できれば足り,また,課題の解決についても,当業者において,技術常識も踏まえて課題が解決できるであろうとの合理的な期待が得られる程度の記載があれば足りる」「厳密な科学的な証明に達する程度の記載までは不要であると解される。」との判断基準を示した最初の事例。

 また、特許権者が提出した専門家による鑑定書にも言及されている。

 

2. 本件特許発明

 本件特許の請求項17には次の発明が記載されている。

【請求項17】凍結乾燥粉末の形態のD-マンニトールN-(2-ピラジン)カルボニル-L-フェニルアラニン-L-ロイシンボロネート(BME)。

 

D-マンニトールN-(2-ピラジン)カルボニル-L-フェニルアラニン-L-ロイシンボロネート」は,ボルテゾミブ(Bz)とD-マンニトールとのエステル化合物であり,以下「ボルテゾミブマンニトールエステル」又は「BME」と称する。

 

 請求項21には、ボルテゾミブ(Bz)から凍結乾燥粉末の形態のBMEを製造する方法として次の方法が記載されている。

(a)(i)水,(ii)ボルテゾミブ,及び(iii)D-マンニトールを含む混合物を調製すること;及び

(b)混合物を凍結乾燥すること;

を含む,凍結乾燥粉末の形態のBMEの調製方法。

 

3. 請求項17のサポート要件に関する審決の判断

ア本件化合物発明について

()本件明細書の記載によれば,本件化合物発明の課題は,製剤化したときに安定な医薬となり得て,また,水性媒体への溶解でボロン酸化合物を容易に遊離する(再構成性に優れた)組成物となり得る「凍結乾燥粉末形態のBME」を提供することである。

()薬剤の安定性の向上や良好な再構成性を期待して凍結乾燥を行う際,凍結乾燥の前後で薬剤自体の化学構造は変化しない(させない)というのが技術常識である。したがって,当業者は,薬剤であるボルテゾミブをマンニトールと共に凍結乾燥して得られた凍結乾燥品中には,化学構造が変化していないボルテゾミブが含まれ,凍結乾燥の結果としてボルテゾミブの安定性の向上や良好な再構成性がもたらされると期待する。

()特許権者は,本件明細書の「発明の詳細な説明」の記載によれば,ボルテゾミブをマンニトールと共に凍結乾燥して得られた凍結乾燥品にはBMEが含まれていること【0086】,この凍結乾燥品は18か月にわたり安定であったこと【0096】,この凍結乾燥品は容易に水に溶解し,その水溶液にはボルテゾミブが含まれていること【0088】,この水溶液はボルテゾミブに特有のプロテアソーム阻害活性を示すこと【0090】を理解するから,安定性及び再構成性を備えた製剤としての凍結乾燥粉末の提供という発明の課題(上記())が本件化合物発明によって解決されていることが,本件明細書の「発明の詳細な説明」に記載されているといえる旨主張する。

 しかしながら,上記()の技術常識及び当業者の期待を踏まえると,【0086】の記載は,凍結乾燥品にBMEが含まれていることを示すだけで,それ以外に,エステル化しない状態のボルテゾミブが相当量含まれる可能性を排除しない。そして,凍結乾燥品が示した安定性【0096】及び溶解性【0088】はボルテゾミブを凍結乾燥したことの効果にすぎないとの理解,水溶液中に検出されたボルテゾミブ【0088】は凍結乾燥の過程でエステル化しなかったボルテゾミブに由来したものであるとの理解,又は,水溶液が示したプロテアソーム阻害活性【0090】は凍結乾燥の過程でエステル化しなかったボルテゾミブによるものだという理解,も十分に成り立ちうる。なぜなら,本件明細書の記載においては,凍結乾燥品中のBMEを単離して定量しているわけではなく【0086】,単離したBMEを対象としてその安定性及び再構成性を検証しているわけでもない【008800900096】からである。

 そうすると,本件化合物発明(凍結乾燥粉末の形態のBME)は,発明の課題を解決できると当業者が発明の詳細な説明の記載から認識できる範囲のものではない。したがって,特許権者の上記主張は採用できない。

 よって,本件化合物発明は,サポート要件を充足しない。

 

4. 裁判所の判断のポイント

1特許権者取消事由について

(1)サポート要件充足性の判断手法について

 特許請求の範囲の記載が明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。

 そして,サポート要件を充足するには,明細書に接した当業者が,特許請求された発明が明細書に記載されていると合理的に認識できれば足り,また,課題の解決についても,当業者において,技術常識も踏まえて課題が解決できるであろうとの合理的な期待が得られる程度の記載があれば足りるのであって,厳密な科学的な証明に達する程度の記載までは不要であると解される。なぜなら,サポート要件は,発明の公開の代償として特許権を与えるという特許制度の本質に由来するものであるから,明細書に接した当業者が当該発明の追試や分析をすることによって更なる技術の発展に資することができれば,サポート要件を課したことの目的は一応達せられるからであり,また,明細書が,先願主義の下での時間的制約もある中で作成されるものであることも考慮すれば,その記載内容が,科学論文において要求されるほどの厳密さをもって論証されることまで要求するのは相当ではないからである。

(2)本件化合物発明の課題について本件明細書の記載によれば,本件化合物発明が解決しようとする課題は,製剤化したときに安定な医薬となり得て,また,水性媒体への溶解でボロン酸化合物を容易に遊離する組成物となり得る本件化合物(凍結乾燥粉末の形態のBME)を提供することである。そして,この課題が解決されたといえるためには,凍結乾燥粉末の状態のBMEが相当量生成したこと,並びに当該BMEが保存安定性,溶解容易性及び加水分解容易性を有することが必要であると解されるから,これらの点が,上記(1)で説示したような意味において本件明細書に記載又は示唆されているといえるかについて検討することとする。なお,ここでいう「相当量」とは,医薬として上記課題の解決手段になり得る程度の量,という意味である。

(3)凍結乾燥粉末の状態のBMEが相当量生成したことについて

ア本件明細書の【0084】には,実施例1として,ボルテゾミブとD-マンニトールとの凍結乾燥製剤の調製方法が開示されている。そして,本件出願日当時の技術常識に照らすと,当該調製方法のように,tert-ブタノールの比率が高く(相対的に水の比率が低く),過剰のマンニトールを含む混合溶液中で,周辺温度より高い温度で攪拌するという条件の下では,ボルテゾミブとマンニトールとのエステル化反応が進行し,相当量のBMEが生成すると理解し得る。

 また,本件明細書の【0086】には,【0084】記載の方法によって調製された実施例1FD製剤は,FAB質量分析により,BMEの形成を示すm/z=531の強いシグナルを示したこと,このシグナルはボルテゾミブとグリセロール(分析時のマトリックス)付加物のシグナルであるm/z=441とは異なっており,しかも,m/z=531のシグナルの強度は,m/z=441のシグナルと区別されるほど大きいことが開示されている。これらの事項からすれば,実施例1FD製剤は,相当量のBMEを含むといえる。

 したがって,本件明細書には,凍結乾燥粉末の状態のBMEが相当量生成したことが記載されていると認められる。

イ請求人高田の主張について請求人高田は,FAB質量分析においては,ピークの大小をもって試料に含まれる物質の存在量の大小を評価できないのであるから,実施例1の記載から凍結乾燥製剤に相当量のBMEが含まれていることを認識できない旨主張する。

 しかしながら,上記(1)に説示したとおり,サポート要件を充足するために厳密な科学的な証明までは不要と解されるところ,上記アの凍結乾燥製剤の調製方法に関する知見(相当量のBMEが生成されていると考えられるとする甲95(丙教授の鑑定意見書)及び甲96(丁教授の意見書)の記載を含む。)や,FAB質量分析により,m/z=531の強いシグナルが確認されていることに照らせば,当業者は,本件化合物発明の対象物質(凍結乾燥粉末の状態のBME)が相当量生成したと合理的に認識し得るというべきである。

 したがって,請求人高田の上記主張は,上記アの判断を左右しない。

(4)保存安定性について

ア本件明細書の【0094~0096】には,固体や液体のボルテゾミブは,2~8°Cの低温で保存しても,3~6ヶ月超,6ヶ月超は安定ではなかったのに対して,実施例1FD製剤(上記(3)のとおり相当量のBMEを含む。)は,5°C,周辺温度,37°C50°Cで,いずれの温度でも,約18ヶ月間にわたって,薬物の喪失は無く,分解産物も産生しなかったとの試験結果が開示されている。この記載によれば,本件明細書には,本件化合物が,ボルテゾミブに比較して優れた保存安定性を有していることを当業者が認識し得る程度に記載されているといえる。

イ請求人高田の主張について

 請求人高田は,本件明細書の【0094~0096】に記載された保存安定性の向上は,マンニトールを賦形剤として用いた凍結乾燥という周知技術の適用により奏されたものと認識することが自然である旨主張する。

 この点,確かに,実施例1FD製剤において,調製に供したボルテゾミブの全量がBMEとなっているとは限らず,マンニトールを賦形剤として凍結乾燥されたボルテゾミブも含まれていると考えられるから,この凍結乾燥されたボルテゾミブの存在が,保存安定性の向上に寄与していることも考えられるところである。しかしながら,相当量のBMEを含む製剤が保存安定性を示している以上,BMEも保存安定性の向上に寄与していると考えるのが当業者の認識であるといえるし,これに反して,凍結乾燥されたボルテゾミブのみが保存安定性の向上に寄与していると認めるべき事情も見当たらない。

 そうすると,サポート要件の充足のために必要とされる当業者の認識が上記(1)のようなもので足りる以上,請求人高田の上記主張は,上記アの判断を左右しない。

 

(7)まとめ

 上記(3)~(6)に検討したところによれば,本件化合物発明の特許請求の範囲の記載は,サポート要件を満たすものというべきであり,これを否定した審決の判断は誤りである。