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2023年9月14日木曜日

訂正が「誤記の訂正」に該当しないと判断された事例

 知財高裁令和5年8月10日判決

令和4年(行ケ)第10115号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許異議申立の特許取消決定に対する取消訴訟の知財高裁判決である。

 異議申立において特許権者である原告が請求した訂正の適法性(誤記または誤訳の訂正に該当するか)が争点となり、知財高裁は誤記の訂正には該当せず、訂正は適法でないと判断した。

 特許法120条の5第2項の但し書きでは、訂正は、一 特許請求の範囲の減縮、二 誤記又は誤訳の訂正、三 明瞭でない記載の釈明、四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること、のいずれかを目的とするものに限られるという要件が課されている。裁判所は、誤記の訂正といえるのは「当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならない」から、誤記の訂正には該当しないと結論付けた。

 なお、争われた訂正事項1は、審査段階に補正において、過誤により追加された事項の一部を削除する訂正であった。審査段階での補正により技術的に適当でない特徴が追加された場合に、特許後にそれを訂正により削除しようとすると、特許法120条の5第2項の但し書きに該当しない訂正となる、いわゆる「逃れられない罠」に陥ることがあり注意が必要である。

 

2.訂正の内容

「訂正事項1」は、本件訂正前の請求項1中の発明特定事項である、

「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」を、

「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」

に訂正することを含む。

 すなわち、訂正事項1は、非アミドワックス成分(B)が、ポリオレフィンワックスである場合を削除することと、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」という特徴を削除することを含む。

 

 マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油(判決文中では、これらを総称して「マイクロクリスタリンワックス等」)は、重合体ではないため分子量は1,000未満であり、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」となることはないことに争いはない。

 原告は、マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油について、重量平均分子量の規定を削除することは「誤記の訂正」に該当するため、上記訂正は適法であると主張した。

 

3.裁判所の判断のポイント

ア 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するか否かについての判断基準

 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するといえるためには、同項本文に基づく訂正の前の記載が誤りで当該訂正の後の記載が正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかで、当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならないと解するのが相当である。

イ 本件訂正前の記載について

(ア) 本件訂正前の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正前の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) ポリオレフィンワックスについて

 ポリオレフィンワックスの中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすものと満たさないものが存在することが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に上記の条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解すると認められる。

(ウ) マイクロクリスタリンワックス等について

 マイクロクリスタリンワックス等の分子量ないし重量平均分子量(ポリスチレン換算によるもの)がいずれも1000未満であることが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、当業者は、当該周知の技術的事項に基づき、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解すると認められるから、そのように理解する当業者は、本件訂正前の記載に接したときは、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得ると認めるのが相当である。

(エ) 本件訂正前の記載が誤りであることが当業者にとって明らかといえるか否かについて

 本件訂正前の構成は、非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質について、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」と規定するのであるから、その文言に照らし、当該物質は、マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの全部又は一部であると解される。そして、前記(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれ、他方で、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、そのように理解し得る当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質がマイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの一部のみ(ポリオレフィンワックスのみ)であると理解し得ると認められるところ、当該理解は、本件訂正前の構成についての上記解釈(非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質に係るもの)と整合している。このように、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質(ポリオレフィンワックス)が現に存在すると理解するとともに、当該物質の種類が本件訂正前の構成中に掲げられた「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックス」の全てではないとしても、そのことは本件訂正前の構成の「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」に係る解釈と整合すると理解するものと認められるから、結局、本件記載を含む本件訂正前の記載については、当該当業者にとって、これが誤りであることが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。

ウ 本件訂正後の記載について

(ア) 本件訂正後の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正後の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) 本件訂正による訂正後の記載としての他の選択肢の存在

 前記イ(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解し、他方で、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解することにより、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等がおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、当該当業者にとっては、本件訂正前の記載のうちポリオレフィンワックスに係る部分を全部削除した上、マイクロクリスタリンワックス等に係る部分について重量平均分子量に係る条件(本件記載)のみを削除するとの選択肢(本件訂正後の記載を採用するとの選択肢)のみならず、本件訂正前の記載のうちマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持するとの選択肢(本件訂正による訂正後の記載を「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とするポリオレフィンワックスからなる非アミドワックス成分(B)と、などとする選択肢)も存在し得るものと理解すると認めるのが相当である。

 そして、上記のとおり、当該当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすポリオレフィンワックスは含まれるが、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、当該当業者において、非アミドワックス成分(B)に含まれていた物質を維持し、およそ含まれていなかった物質を除外する趣旨の記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないものと認めるのが相当である。

(ウ) 本件訂正後の記載が正しいことが当業者にとって明らかであるといえるか否かについて

 前記(イ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の記載からマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持する趣旨の記載が正しいとも理解することができるものであって、当該当業者においてこのような記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、本件訂正後の記載については、当該当業者にとって、これが本件訂正による訂正後の記載として正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。」

「なお、原告は、本件記載は手続補正において原告の過誤により追加されたものであるから、本件記載を削除する本件訂正は特許法120条の5第2項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると主張するが、仮に、原告が主張するような事情が存在するとしても、少なくとも本件においては、そのような事情が存在することをもって、本件記載を削除する本件訂正が同項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると認めるには不十分である。」

2018年5月13日日曜日

特許成立後の誤訳の訂正は、特許請求の範囲を拡張・変更するものである場合には認められない


知財高裁平成28年8月29日平成27年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件
1.概要
 本事例は、外国語特許出願(原文=ドイツ語)から成立した特許権に対する特許権者による訂正審判請求が成り立たないとする審決に対する審決取消訴訟の高裁判決である。
 請求項1において、本来は「ホスホン酸」と翻訳すべき用語が、誤って翻訳され「燐酸」と記載されていた。
 特許権者は請求項1の「燐酸」を「ホスホン酸」に訂正する訂正審判を請求した。
 特許法126条1項2号には「誤記又は誤訳の訂正」を目的として、特許権者は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができると規定されている。特許法第126条5項は、「誤記又は誤訳の訂正」を目的とする訂正の際は、外国語特許出願及び外国語書面出願の原文(この場合はドイツ語)を参酌できることを規定する。
 さらに、特許法第126条6項は「第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない。」と規定する。すなわち、原文に基づく「誤訳の訂正」は、特許請求の範囲を実質上拡張・変更しないという条件を満たす限りにおいて認められる。
 本事例では、特許請求の範囲を実質上拡張・変更するか否かの判断の際に、ドイツ語の原文を参酌してよいのか、日本語の特許明細書のみを参酌するのかが争われた。審決及び知財高裁は、ドイツ語の原文は考慮せず、日本語の特許明細書のみを参酌すべきと判断し、本件訂正は特許請求の範囲を変更するものであるから、特許法第126条6項の規定により、適法なものとは言えないと結論付けた。
2.訂正前の請求項1
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水溶性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水溶性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,燐酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水溶性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
3.本件訂正後の請求項1(下線部は訂正箇所。)
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,ホスホン酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
4.審決の理由(訂正は認められない)
「本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)は,いずれも「燐酸」ないし「リン酸」の記載個所に対応する原文の記載個所には「Phosphonsäure」と記載されており,その日本語訳は「ホスホン酸」であるから,特許法126条1項2号(以下,条文番号を示す際は,特に断らない限り,特許法を示すものとする。)に規定する「誤訳の訂正」を目的とするものであるが,特許請求の範囲の請求項1における構成の一つである「燐酸」を異なる物質である「ホスホン酸」に訂正することは,上記請求項1の発明特定事項を変更するものであり,特許請求の範囲を実質的に変更するものであって,126条6項に規定する要件に違反するものである。」
5.裁判所の判断(審決維持)
「このように,請求項1の「燐酸」という記載は,本件発明の構成に欠くことができない事項の一つであるところ,その記載自体は極めて明瞭で,明細書の記載等を参酌しなければ理解し得ない性質のものではないし,燐酸塩がアニオン界面活性剤であることは技術常識であると認められるから(乙2ないし4),請求項1全体を見ても「燐酸」という記載にはその位置付けも含めて格別不自然な点は見当たらない。」
「・・・本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるといえるかを検討すると,前記(1)イのとおり,請求項1の「燐酸」という記載は,それ自体明瞭であり,技術的見地を踏まえても,「ホスホン酸」の誤訳であることを窺わせるような不自然な点は見当たらないし,前記(2)アのとおり,本件訂正前の明細書において,「燐酸」又は「リン酸」という記載は11か所にものぼる上,請求項1の第2の処理溶液の作用成分を形成するアニオン界面活性剤としてスルホン酸,カルボン酸と並んで「燐酸」を選択し,その最適な実施形態を確認するための4つの比較実験において,燐酸や燐酸基が使用されたことが一貫して記載されている。
 そうすると,化学式の記載が万国共通であり,その転記の誤りはあり得ても誤訳が生じる可能性はないことを考慮しても,本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるということはできない。
 以上によれば,本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)を訂正することは,本件公報に記載された特許請求の範囲の表示を信頼する当業者その他不特定多数の一般第三者の利益を害することになるものであって,実質上特許請求の範囲を変更するものであり,126条6項により許されない。」
「(4) 原告の主張について
ア 原告は,前記(2)イによれば,本件公報に接した当業者は,「燐酸(又はリン酸)」と「ホスホン酸」のいずれかが誤りであることを予測することができたとした上で,原文明細書等を参照すれば,ホスホン酸を示す記載はあるが,燐酸を示す記載はないから,当業者は,訂正前の「燐酸(又はリン酸)」が「ホスホン酸」の誤訳であることを認識することができた旨主張する。
 しかしながら,126条6項の要件適合性の判断に当たり,原文明細書等の記載を参酌することはできないから,原告の主張は採用できない。
 すなわち,同項は,第三者に不測の不利益が生じることを防止する観点から,訂正前の特許請求の範囲には含まれないこととされた発明が訂正後の特許請求の範囲に含まれるという事態が生じないことを担保するために,訂正後の特許請求の範囲が訂正前の特許請求の範囲を実質上拡張又は変更したものとなることを禁止したものである。そして,特許権が設定登録により発生すると,願書に添付した明細書及び特許請求の範囲に記載した事項並びに図面の内容が特許公報に掲載されて,第三者に公示され(66条1項,3項,29条の2),第三者が利害関係を有する特許権の禁止権の範囲である特許発明の技術的範囲は,この願書に添付した特許請求の範囲に基づいて定められ,その用語の意義はこの願書に添付した明細書及び図面を考慮して解釈するものとされている(70条1項,2項)。ところで,本件特許のような外国語特許出願においては,出願人は,翻訳文明細書等及び要約の日本語による翻訳文を提出しなければならないとされており(184条の4第1項),翻訳文明細書等及び国際出願日における図面(図面の中の説明を除く。)(以下「国際出願図面」という。)が36条2項の願書に添付した明細書,特許請求の範囲及び図面とみなされる(184条の6第2項)。このように,本件特許のような外国語特許出願においては,特許発明の技術的範囲は,翻訳文明細書等及び国際出願図面を参酌して定められ,原文明細書等は参酌されないから,126条6項の要件適合性の判断に当たっても,翻訳文明細書等及び国際出願図面を基礎に行うべきであり,原文明細書等を参酌することはできないというべきである。原告の主張するように,同項の要件適合性の判断に当たり原文明細書等を参酌することができると解した場合には,誤訳の訂正の許否は原文明細書等を参酌しないと決することができないことになるから,訂正審決の遡及効(128条)を受ける第三者としては,我が国の特許庁によって公開されるものではなく,外国語により記載された原文明細書等を,翻訳費用や誤訳の危険を自ら負担して参照することを余儀なくされることになるが,このような解釈が第三者に過度の負担を課すものであって不当であることは明らかである。
 これに対して,原告は,原文明細書等は126条1項2号の要件適合性の判断に使用される資料であり,同条1項と同条6項の条文の配置からすると,同条6項は訂正目的に応じて判断基準が異なることを当然の前提としており,原文明細書等を同項の要件適合性の判断に使用することができる旨主張する。しかしながら,同条1項2号の要件適合性と同条6項の要件適合性とは別個の訂正要件についての判断であるから,その要件適合性の判断に当たり参酌できる資料の範囲についてもそれぞれの訂正要件の目的に応じた解釈がされるべきものであり,同条1項2号の要件適合性の判断に当たり参酌できる資料であることは同条6項の要件適合性の判断に当たり参酌できることを基礎付けるものではない。そして,同条6項の要件適合性の判断に当たっては,同項の趣旨に照らし,原文明細書等を参酌することができないことは既に説示したとおりである。」


2017年6月25日日曜日

誤記の訂正の妥当性について争われた事例

平成29年5月30日判決言渡
平成28年(行ケ)第10154号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、特許権者よる成立特許の訂正を求める訂正審判請求において、下記の訂正事項が、特許法126条1項2号所定の「誤記・・・の訂正」を目的する訂正事項に該当しないと判断された審決に対する、審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 知財高裁は、訂正が、誤記の訂正を目的とするものであると判断し、審決を取り消した。
 主な争点は、訂正後の内容が、明細書の記載の範囲内で導くことができるものでなければならないとする特許庁の判断の適法性についてである。
 知財高裁は、明細書に記載されていない技術常識も考慮して、誤記訂正が認められるべきであると判断した。

2.本件訂正の訂正事項
明細書【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」と
いう記載を「EAC(アクリル酸エチル,804ml,7.28mol)」という記
載に訂正する(以下「本件訂正事項」という。)。

3.審決の理由の要点
 「(1) 目的要件について
 ア 明細書の誤記を目的とする訂正が認められるためには,特許がされた明細書の記載に誤記が存在し,それ自体で又は図面の他の記載との関係で,誤りであることが明らかであり,かつ正しい記載が願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下「当初明細書等」という。)から自明な事項として定まる必要がある。
 イ 本件訂正事項についてみると,【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載に,一見して誤りが存在することは理解できず,関係する他の明細書の[合成例4]の記載や図1との関係をみても,酢酸エチルという化合物名やEACという略称の表記は一致していて,明らかな誤記が存在するとはいえない。」

4.裁判における被告(特許庁長官)の主張
「取消事由1(目的要件の判断の誤り)に対し
 (1) 明細書の誤記を目的とする訂正が認められるための判断基準は,審決記載のとおり,特許がされた明細書の記載に誤記が存在し,それ自体で又は明細書又は図面の他の記載との関係で,誤りであることが明らかであること,かつ,正しい記載が願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面から自明な事項として定まることが必要であり,「誤記」というためには,訂正前の記載が誤りで訂正後の記載が正しいことが,当該明細書及び図面の記載や当業者の技術常識などから明らかで,当業者であればそのことに気付いて訂正後の趣旨に理解するのが当然でなければならない,というものである。
 このような判断基準を前提とすると,明細書における訂正前の記載が一見して誤りであると理解でき,訂正後の記載が正しい記載として一義的に定まるといえるのであれば,その訂正は,誤記の訂正を目的とするものといえる。
 これに対して,原告は,審決は,当業者であればその記載をどのような趣旨として理解するかを十分に考慮していないとか,正しい記載が当初明細書等の記載から自明な事項として定めるか否かを当初明細書等の表記のみに基づいて判断し,当業者であればその記載をどのような趣旨として理解するかを十分考慮せずに判断をしたとか,当業者が技術常識に基づいて当初明細書等の記載内容をどのような趣旨として理解するかを考慮しないで誤記に関する判断をしたなどと主張する。
 しかしながら,審決は,上記判断基準に従って,原告から提出された参考資料も検討した上で,当業者の立場から,「酢酸エチル」の箇所が一見して誤りであると理解でき,訂正後の「アクリル酸エチル」が正しい記載として一義的に定まるとはいえないと判断したものであり,当初明細書等の表記のみに基づいて判断したものではない。
 また,その判断に当たっては,誤りであることが明らかな箇所が定まれば,その誤りの記載の本来の記載を解釈するために,明細書における前後の記載やその記載に関係した技術常識を参酌することは許容される余地があるものの,原則として,明細書の記載に基づいて判断されるものであり,技術常識の名を借りて,周知技術であるからといって,明細書の記載を離れて,種々の周知技術を解釈に用いて明細書に記載のない事項を導いてよいわけではない。
 そのことは,明細書の内容を信じる第三者との公平性の観点からも整合するもので,記載自体に変動が生じた場合に不特定多数の一般第三者に影響を及ぼす弊害を防止することを考慮し,明細書の表示を信頼する第三者の利益を保護するために訂正の範囲を最小限のものとしている訂正審判制度の趣旨とも合致するものである。」

5.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由1(目的要件の判断の誤り)について
 (1) 特許法126条1項2号は,「誤記・・・の訂正」を目的とする場合には,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正をすることを認めているが,ここで「誤記」というためには,訂正前の記載が誤りで訂正後の記載が正しいことが,当該明細書,特許請求の範囲若しくは図面の記載又は当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)の技術常識などから明らかで,当業者であればそのことに気付いて訂正後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならないものと解される。
 (2)ア そこで,まず,本件明細書に接した当業者が,明細書の記載は原則として正しい記載であることを前提として,本件訂正前の本件明細書の記載に何らかの誤記があることに気付くかどうかを検討する。
・・・・・
(オ) 【化14】の出発物質である化合物(3)の化学構造,反応剤である「EAC(酢酸エチル)」,生成される化合物(4)の化学構造のうちいずれかの記載に誤記があることに気付いた当業者にとって,「(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載に示された化学物質名と,体積と,モル数とが整合しているかどうかを確認することは容易であるところ,以下の計算の結果,酢酸エチル804mlは,8.21molであることが確認でき,本件明細書に記載されているモル数と整合していないことが理解できる。
(カ) 本件明細書に接した当業者は,前記(ア)~(オ)において検討したとおり,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造については正しいものと理解し,「酢酸エチル」が誤記であると理解するものということができる。
 また,本件明細書に記載された1H-NMRデータや13C-NMRデータのシグナルの位置やシグナル数は,それのみによって化合物(3)及び化合物(4)の化学構造を特定し得るものではないものの,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造と矛盾する点があるとまでは認められないから,本件明細書に接した当業者が,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造が正しいものと理解することを支持するものといえ,少なくともそのような理解を妨げるものであるとはいえない。

 イ 被告は,スキームは,化学反応の概要を示したものにすぎないから,【化14】のスキームに全ての反応工程及び関与成分が記載されているとは限らないし,反応剤を書き漏らしたことも当然あり得るのであるから,化合物(3)及び化合物(4)の化学構造が正しいからといって,酢酸エチルが当然に誤記となるわけではないと主張する。
 しかしながら,本件発明は,マキサカルシトールの合成に関する新規の中間体及びその製造方法に係るものであるから,本件明細書には,ビタミンD2又は既知の化合物(1)から最終生成物であるマキサカルシトールが得られることが追試可能な程度に記載されるのが通常であるといえ,本件明細書の[合成例4]以外の合成例の記載内容等に照らしても,[合成例4]の記載に接した当業者において,反応剤や他の反応工程や関与成分が記載されていないものと理解するものとはいえない。被告の主張は,一般論として存在する抽象的な可能性をいうものであって,本件明細書に妥当するものということはできないから,採用することはできない。
 (4)ア 次に,前記(3)のとおり,【0034】の「酢酸エチル」の記載が誤記であることに気付いた当業者が,正しい記載が「アクリル酸エチル」であると分かるかどうかについて,検討する。
・・・・
そして,【0034】の反応機構から,正しい反応剤が①3位に脱離基を有するプロピオン酸エチル,又は②アクリル酸エチルに限定されることを理解した場合に,これらの反応剤の体積及びモル数が「804ml,7.28mol」という記載に整合するかどうかを検証してみると,以下の計算の結果,アクリル酸エチルの方が,本件明細書記載の上記数値に整合することが理解できる。
・・・
(ウ) 以上のとおり,「EAC」は,「アクリル酸エチル」の英語表記と整合し,略称と一致するものである上,モル数の記載とも整合するのであるから,当業者は,正しい反応剤が「アクリル酸エチル」であることを理解することができるというべきである。このことは,「アクリル酸エチル」が「EA」と略称されることがあるとしても(乙3,4),左右されるものではない。
 イ(ア) 被告は,明細書における特定の記載が明らかな誤記として,当業者がそのように当然理解するかどうかは,原則として,明細書の記載に基づいて判断されるもので,明細書に記載のない反応機構を検討して反応剤を推定して,初めて明細書の記載からプロピオン酸エチル又はアクリル酸エチルと理解できるというのであれば,二つの選択肢に限定することに関しても,正しい記載が一義的に理解できることにならないと主張する。
 しかしながら,明細書に接した当業者は,出願当時の技術常識を踏まえて明細書の記載を理解するのであるから,明細書に直接記載のない事項であっても,当業者は,技術常識を参酌して,当該明細書に記載された技術的事項及びそれらの記載から自明な事項の内容を理解することができるというべきである。そして,本件明細書に接した当業者が,本件出願日当時の技術常識を踏まえて,【化14】において化合物(3)と反応する反応剤は,①3位に脱離基を有するプロピオン酸エチル又は②アクリル酸エチルのいずれかであると理解することは,前記ア(イ)のとおりである。
 (イ) 被告は,反応剤自体を書き漏らした可能性もあるし,スキームは,出発物質とそのプロセスの目的物質を表しているにすぎず,反応が,求核置換反応又は求核付加反応の一段階反応とは限らず,素反応を考慮すれば,複数ステップである反応を生じる場合もあるし,何れかのステップで,他の成分が関与する場合もあるので,全てのステップ,全ての関与成分の記載があるとは限らないスキームの記載のみから反応剤を二つに限定することはできないと主張する。
 しかしながら,前記(3)イのとおり,[合成例4]の記載に接した当業者において,反応剤や他の反応工程や関与成分が記載されていないものと理解するものとはいえないのであって,被告の主張は,一般論として存在する抽象的な可能性をいうものにすぎないから,被告の主張は,理由がない。
 (ウ) 被告は,明細書の記載の試薬の純度が100%であると仮定する理由はないし,体積やモル数にも誤記が存在していたかもしれず,そのような仮定や体積やモル数に誤記がないという前提の下に選択肢を限定した上で,一番近い化合物であるはずであるという結論自体,正しい記載が一義的にアクリル酸エチルに決まることを説明しているとはいえないと主張する。
 しかしながら,酢酸エチル,アクリル酸エチル,3-クロロプロピオン酸エチル等が,いわゆる汎用化学品として,高純度のものが市販されている化合物であると認められること(甲8,11,14,15)からすると,本件明細書に接した当業者は,市販の高純度の試薬を用いたものと理解するのが合理的であるといえる。また,本件明細書における反応剤の体積やモル数については,それが誤りであると疑うべき事情は認められないから,それを一応正しいものとして反応剤の体積やモル数の計算を行うことは,通常の合成を行う上で必要な行為であり,それによって容易に整合性を確認できるものと認められる。したがって,被告の主張は,理由がない。
 (5) 以上によると,本件明細書に接した当業者であれば,本件訂正事項に係る【0034】の「EAC(酢酸エチル,804ml,7.28mol)」という記載が誤りであることに気付いて,これを「EAC(アクリル酸エチル,804ml,7.28mol)」の趣旨に理解するのが当然であるということができる。
 したがって,本件訂正は,特許法126条1項2号所定の「誤記・・・の訂正」を目的とするものということができる。