2023年9月14日木曜日

訂正が「誤記の訂正」に該当しないと判断された事例

 知財高裁令和5年8月10日判決

令和4年(行ケ)第10115号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許異議申立の特許取消決定に対する取消訴訟の知財高裁判決である。

 異議申立において特許権者である原告が請求した訂正の適法性(誤記または誤訳の訂正に該当するか)が争点となり、知財高裁は誤記の訂正には該当せず、訂正は適法でないと判断した。

 特許法120条の5第2項の但し書きでは、訂正は、一 特許請求の範囲の減縮、二 誤記又は誤訳の訂正、三 明瞭でない記載の釈明、四 他の請求項の記載を引用する請求項の記載を当該他の請求項の記載を引用しないものとすること、のいずれかを目的とするものに限られるという要件が課されている。裁判所は、誤記の訂正といえるのは「当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならない」から、誤記の訂正には該当しないと結論付けた。

 なお、争われた訂正事項1は、審査段階に補正において、過誤により追加された事項の一部を削除する訂正であった。審査段階での補正により技術的に適当でない特徴が追加された場合に、特許後にそれを訂正により削除しようとすると、特許法120条の5第2項の但し書きに該当しない訂正となる、いわゆる「逃れられない罠」に陥ることがあり注意が必要である。

 

2.訂正の内容

「訂正事項1」は、本件訂正前の請求項1中の発明特定事項である、

「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」を、

「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」

に訂正することを含む。

 すなわち、訂正事項1は、非アミドワックス成分(B)が、ポリオレフィンワックスである場合を削除することと、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」という特徴を削除することを含む。

 

 マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油(判決文中では、これらを総称して「マイクロクリスタリンワックス等」)は、重合体ではないため分子量は1,000未満であり、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000」となることはないことに争いはない。

 原告は、マイクロクリスタリンワックス及び水素添加ひまし油について、重量平均分子量の規定を削除することは「誤記の訂正」に該当するため、上記訂正は適法であると主張した。

 

3.裁判所の判断のポイント

ア 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するか否かについての判断基準

 特許法120条の5第2項ただし書2号にいう「誤記」に該当するといえるためには、同項本文に基づく訂正の前の記載が誤りで当該訂正の後の記載が正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかで、当業者であれば、そのことに気付いて当該訂正の前の記載を当該訂正の後の趣旨に理解するのが当然であるという場合でなければならないと解するのが相当である。

イ 本件訂正前の記載について

(ア) 本件訂正前の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正前の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) ポリオレフィンワックスについて

 ポリオレフィンワックスの中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすものと満たさないものが存在することが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に上記の条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解すると認められる。

(ウ) マイクロクリスタリンワックス等について

 マイクロクリスタリンワックス等の分子量ないし重量平均分子量(ポリスチレン換算によるもの)がいずれも1000未満であることが周知の技術的事項であることは、当事者間に争いがない。そうすると、当業者は、当該周知の技術的事項に基づき、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解すると認められるから、そのように理解する当業者は、本件訂正前の記載に接したときは、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得ると認めるのが相当である。

(エ) 本件訂正前の記載が誤りであることが当業者にとって明らかといえるか否かについて

 本件訂正前の構成は、非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質について、「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」と規定するのであるから、その文言に照らし、当該物質は、マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの全部又は一部であると解される。そして、前記(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれ、他方で、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、そのように理解し得る当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質がマイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油及びポリオレフィンワックスのうちの一部のみ(ポリオレフィンワックスのみ)であると理解し得ると認められるところ、当該理解は、本件訂正前の構成についての上記解釈(非アミドワックス成分(B)に含まれ得る物質に係るもの)と整合している。このように、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)に含まれる物質(ポリオレフィンワックス)が現に存在すると理解するとともに、当該物質の種類が本件訂正前の構成中に掲げられた「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックス」の全てではないとしても、そのことは本件訂正前の構成の「マイクロクリスタリンワックス、水素添加ひまし油、及びポリオレフィンワックスから選ばれるもので」に係る解釈と整合すると理解するものと認められるから、結局、本件記載を含む本件訂正前の記載については、当該当業者にとって、これが誤りであることが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。

ウ 本件訂正後の記載について

(ア) 本件訂正後の記載

 前記第2の3のとおり、本件訂正後の記載は、「マイクロクリスタリンワックス、及び水素添加ひまし油から選ばれるもので軟化点を低くても70℃とする非アミドワックス成分(B)と、」というものである。

(イ) 本件訂正による訂正後の記載としての他の選択肢の存在

 前記イ(イ)及び(ウ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とする」との条件を満たすポリオレフィンワックスが含まれるものと理解し、他方で、「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし」との条件を満たすマイクロクリスタリンワックス等が存在しないものと理解することにより、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中にマイクロクリスタリンワックス等がおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、当該当業者にとっては、本件訂正前の記載のうちポリオレフィンワックスに係る部分を全部削除した上、マイクロクリスタリンワックス等に係る部分について重量平均分子量に係る条件(本件記載)のみを削除するとの選択肢(本件訂正後の記載を採用するとの選択肢)のみならず、本件訂正前の記載のうちマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持するとの選択肢(本件訂正による訂正後の記載を「重量平均分子量をポリスチレン換算で1,000~100,000とし軟化点を低くても70℃とするポリオレフィンワックスからなる非アミドワックス成分(B)と、などとする選択肢)も存在し得るものと理解すると認めるのが相当である。

 そして、上記のとおり、当該当業者は、本件訂正前の構成にいう非アミドワックス成分(B)の中に重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすポリオレフィンワックスは含まれるが、マイクロクリスタリンワックス等はおよそ含まれないものと理解し得るのであるから、当該当業者において、非アミドワックス成分(B)に含まれていた物質を維持し、およそ含まれていなかった物質を除外する趣旨の記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないものと認めるのが相当である。

(ウ) 本件訂正後の記載が正しいことが当業者にとって明らかであるといえるか否かについて

 前記(イ)のとおり、本件訂正前の記載に接した当業者は、本件訂正前の記載からマイクロクリスタリンワックス等に係る部分を全部削除した上、ポリオレフィンワックス(重量平均分子量及び軟化点に係る条件を満たすもの)に係る部分のみを維持する趣旨の記載が正しいとも理解することができるものであって、当該当業者においてこのような記載が正しいと理解する蓋然性は、決して小さくないのであるから、仮に、当該当業者において、本件訂正前の記載に誤りがあると理解するとしても、本件訂正後の記載については、当該当業者にとって、これが本件訂正による訂正後の記載として正しいことが願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の記載、当業者の技術常識等から明らかであると認めることはできないというべきである。」

「なお、原告は、本件記載は手続補正において原告の過誤により追加されたものであるから、本件記載を削除する本件訂正は特許法120条の5第2項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると主張するが、仮に、原告が主張するような事情が存在するとしても、少なくとも本件においては、そのような事情が存在することをもって、本件記載を削除する本件訂正が同項ただし書2号に掲げる「誤記…の訂正」を目的とするものであると認めるには不十分である。」