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2025年4月29日火曜日

美容手術に用いる組成物に関する特許権に基づく侵害訴訟の知財高裁大合議判決

知財高裁令和7年3月19日判決

令和5年(ネ)第10040号 損害賠償請求控訴事件

(原審・東京地方裁判所令和4年(ワ)第5905号


1.概要
 本件は特許権者である控訴人が請求した特許権侵害訴訟の知財高裁の大合議判決である。
 本件発明は、下記の通り、自己由来の血漿、塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)及び脂肪乳剤の3つの成分を含む「豊胸用組成物」に関する発明である。
 被控訴人(第一審被告)は、豊胸手術等の美容医療サービスを提供していた医師である。

 主な争点
 争点12:被控訴人が豊胸手術を行う際に3成分を含む本件特許の組成物を生産したか?
 争点1-3:(3成分を同時に混合していないとしても)3成分を別々に被施術者に投与して体内で混ざり合うことも特許発明の組成物の「生産」に該当するか?
 争点2-1:本件発明に係る特許は、実質的には「豊胸手術のための方法の発明」であり産業上の利用可能性の要件に違反するか?
 争点3-2:本件特許権の効力が、調剤行為の免責規定(特許法69条3項)により、被控訴人の行為に及ばないといえるか?

 東京地裁判決は被告は手術に際し3成分を「同時に含む薬剤」を調合して製造していたとは認められず、被告(被請求人)による特許権侵害はないと判断した。

 知財高裁は上記各争点について以下のように判断して、被請求人による特許権侵害を認め地裁判決を取り消した。
 争点12:被控訴人は3成分を含む本件特許の組成物を生産した。
 争点1-3:判断せず(興味深い論点であったため、判断されなかったことは少し残念)
 争点2-1:本件発明に係る特許は「物の発明」であり産業上の利用可能性の要件には違反しない。
 争点3-2:「病気」の治療に用いる医薬の発明ではないため調剤行為の免責規定は適用されない。

2. 本件発明
本件特許権の特許請求の範囲の請求項1、請求項4の記載は、以下のとおりである(以下、請求項4に記載された発明を「本件発明」という)
ア 請求項1
 自己由来の血漿、塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)及び脂肪乳剤を含有してなることを特徴とする皮下組織増加促進用組成物。
イ 請求項4
 豊胸のために使用する請求項1~3のいずれかに記載の皮下組織増加促進用組成物からなることを特徴とする豊胸用組成物。

3.争点
3.1.争点1 構成要件充足性に関する争点
 争点1-2
 被控訴人が、本件手術に用いる薬剤として、被施術者に投与する前に、血漿、トラフェルミン(=塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF))及びイントラリポス(=脂肪乳剤)という三成分を混合した一の薬剤 (組成物)を製造したか?

 争点1-3
 被控訴人は、本件手術の態様として、血漿及びトラフェルミン(=塩基性線維芽細胞増殖因子)を含む「A剤」と、イントラリポス(=脂肪乳剤)を含む「B剤」とを別々に被施術者に投与していたと主張する。仮に本件手術がこのような態様であったと認められるとしても、被施術者の体内で「A剤」と「B剤」とが混ざり合うから、③被控訴人が「A剤」と「B剤」とを別々に被施術者に投与することが、本件発明に係る組成物の「生産」に当たるか?

3.2.争点2 特許有効性に関する争点
 争点2-1
 本件発明に係る特許は、産業上の利用可能性の要件(法29条1項柱書き)に違反した無効理由があるか?
 本件発明は「豊胸用組成物」という「物の発明」として特許されている。しかし、被控訴人は、当該組成物について、その製造のために被施術者の体内(人体)から血液を採取する必要がある上、これをそのまま被施術者の皮下(人体)に投与することが前提となっているから、本件発明は、「物の発明」の形でありながら、実質的には「豊胸手術のための方法の発明」であり、現に、被控訴人が行う医療行為である本件手術が実質的に特許権行使の対象になっていると主張した。

3.3.争点3 特許権の効力が及ばない範囲に関する争点
 争点3-2
 本件特許権の効力が、調剤行為の免責規定(法69条3項)により、被控訴人の行為に及ばないといえるか?
 参考:特許法第69条第3項
 「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明又は二以上の医薬を混合して医薬を製造する方法の発明に係る特許権の効力は、医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する行為及び医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する医薬には、及ばない。」

4.裁判所の判断のポイント
4.1.争点1-2(被請求人は3成分を含む組成物を生産したか?)についての判断
「被控訴人は、被施術者から採取した血液から血漿を製造し、これにフィブラストスプレー、イントラリポスを含む、薬剤ノートに記載された各成分を全て混合させた薬剤を製造したと合理的に推認できるところ、被控訴人による主張等を考慮しても、同推認を覆すには至らない。
 したがって、被控訴人は、モニターとして募集していた者を対象としていた期間及び一般募集をした者を対象としていた期間を通じて、上記三成分を含む組成物を製造したと認められるところ、同組成物は、豊胸手術である本件手術に用いるために製造されたものであるから、被控訴人は、本件発明の技術的範囲に属する組成物を生産したと認められる。」

4.2.争点1-3(被施術者の体内で3成分が混じり合うことで組成物を「生産」したと言えるか?)についての判断
 判断は示されなかった(争点1-2の判断で足りるため)

4.3.争点2-1(医療行為に該当し無効か?)についての判断
「(2) 法29条1項柱書きは、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」とするのみで、本件発明のような豊胸のために使用する組成物を含め、人体に投与する物につき、 特許の対象から除外する旨を明示的に規定してはいない。
 また、昭和50年法律第46号による改正前の法は、「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ。)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」を、特許を受けることができない発明としていたが(同改正前の法32条2号)、同改正においてこの規定は削除され、人体に投与することが予定されている医薬の発明であっても特許を受け得ることが明確にされたというべきである。

 したがって、人体に投与することが予定されていることをもっては、当該「物の発明」が実質的に医療行為を対象とした「方法の発明」であって、「産業上利用することができる発明」に当たらないと解釈することは困難である。

(3) 次に、本件発明の「自己由来の血漿」は、被施術者から採血をして得て、最終的には被施術者に投与することが予定されているが、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造する行為は、必ずしも医師によって行われるものとは限らず、採血、組成物の製造及び被施術者への投与が、常に一連一体とみるべき不可分な行為であるとはいえない。むしろ、再生医療や遺伝子治療等の先端医療技術が飛躍的に進歩しつつある近年の状況も踏まえると、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造するなどの技術の発展には、医師のみならず、製薬産業その他の産業における研究開発が寄与するところが大きく、人の生命・健康の維持、回復に利用され得るものでもあるから、技術の発展を促進するために特許による保護を認める必要性が認められる。

 そうすると、人間から採取したものを原材料として、最終的にそれがその人間の体内に戻されることが予定されている物の発明について、そのことをもって、これを実質的に「方法の発明」に当たるとか、一連の行為としてみると医療行為であるから「産業上利用することができる発明」に当たらないなどということはできない。

(4) 以上によると、本件発明が「産業上利用することができる発明」に当たらないとする被控訴人の主張を採用することはできず、本件発明に係る特許は、法29条1項柱書きの規定に違反してされたものということはできない。したがって、同無効理由の存在により本件特許権を行使することができないとする被控訴人の抗弁には理由がない。」


4.4.争点3-2(調剤行為の免責規定(法69条3項)に該当するか?)についての判断
「(1) 被控訴人は、本件特許権の効力は、法69条3項の規定により、被控訴人の行為に及ばないと主張する。

(2) 法69条3項は、「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明」を対象とするところ、本件発明に係る組成物は、特許請求の範囲の記載からも明らかなとおり「豊胸のために使用する」ものであって、その豊胸の目的は、本件明細書等の段落【0003】に「女性にとって、容姿の美容の目的で、豊かな乳房を保つことの要望が大きく、そのための豊胸手術は、古くから種々行われてきた。」と記載されているように、主として審美にあるとされている。このような本件明細書等の記載のほか、現在の社会通念に照らしてみても、本件発明に係る組成物は、人の病気の診断、治療、処置又は予防のいずれかを目的とする物と認めることはできない。

(3) これに対し、被控訴人は、本件発明は美容医療に関するところ、美容医療は、身体的特徴の再建、修復又は形成による心身の健康や自尊心の改善に寄与する分野であり、治療並びに身体の構造又は機能に影響を及ぼすものであるとして、本件発明が法69条3項の「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬についての発明」に当たると主張する。

 しかし、一般に「病気」とは、「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」(甲25:広辞苑(第7版))、「生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態」(甲26:大辞泉(第1版・増補・新装版))という意味を有する語であって、上記のとおり主として審美を目的とする豊胸手術を要する状態を、そのような一般的な意味における「病気」ということは困難であるし、豊胸用組成物を「人の病気の…治療、処置又は予防のため使用する物」ということも困難である。

 また、法69条3項は、昭和50年法律第46号による法改正により、特許を受けることができないとされていた「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」に関する規定(同改正前の法32条2号)が削除されたことに伴い創設された規定であるところ、その趣旨は、そのような「医薬」の調剤は、医師が、多数の種類の医薬の中から人の病気の治療等のために最も適切な薬効を期待できる医薬を選択し、処方せんを介して薬剤師等に指示して行われるものであり、医療行為の円滑な実施という公益の実現という観点から、当該医師の選択が特許権により妨げられないよう図ることにあると解される。しかるところ、少なくとも本件発明に係る豊胸手術に用いる薬剤の選択については、このような公益を直ちに認めることはできず、上記のとおり一般的な「病気」の語義を離れて、特許権の行使から特にこれを保護すべき実質的理由は見当たらないというべきである。

(4) したがって、本件発明は、「二以上の医薬を混合することにより製造されるべき医薬の発明」には当たらないから、被控訴人の行為が「処方せんにより調剤する行為」に当たるかについて検討するまでもなく、法69条3項の規定により本件特許権の効力が及ばないとする被控訴人の抗弁には理由がない。」








2021年7月18日日曜日

特許権侵害訴訟における請求項の文言解釈に、発明の解決課題に関する明細書の記載を参酌すべきと判断された事

知財高裁令和3年6月28日判決 令和2年(ネ)第10044号 特許権侵害損害賠償請求控訴事件 
 1.概要
  本事例は、一審原告が有する特許権を、一審被告が実施する被告給油装置が侵害すると判断した特許権侵害訴訟の一審東京地裁判決に対する控訴審の知財高裁判決である。知財高裁は、侵害は成立しないと判断し一審被告敗訴部分を取り消した。
  争点は、被告給油装置の構成要件1aにおける「電子マネー媒体」が、本件発明1の構成要件1Aにおける「記憶媒体」に該当するか否かである。東京地裁は該当すると判断し、知財高裁は該当しないと判断した。
  知財高裁は、「発明とは課題解決の手段としての技術的思想なのであるから,発明の構成として特許請求の範囲に記載された文言の意義を解釈するに当たっては,発明の解決すべき課題及び発明の奏する作用効果に関する明細書の記載を参酌し,当該構成によって当該作用効果を奏し当該課題を解決し得るとされているものは何かという観点から検討すべきである。」と指摘した。

 2.本件発明 
一審原告の有する特許権に係る本件発明1を分説すると以下の通りである。 
(本件発明1)
 1A 記憶媒体に記憶された金額データを読み書きする記憶媒体読み書き手段と, 
 1B 前記流体の供給量を計測する流量計測手段と, 
 1C1 前記流体の供給開始前に前記記憶媒体読み書き手段により読み取った記憶媒体の金額データが示す金額以下の金額を入金データとして取 り込むと共に,
 1C2 前記金額データから当該入金データの金額を差し引いた金額を新たな金額データとして前記記憶媒体に書き込ませる入金データ処理手段 と,
 1D 該入金データ処理手段により取り込まれた入金データの金額データに相当する流量を供給可能とする供給許可手段と, 
 1E 前記流量計測手段により計測された流量値から請求すべき料金を演 算する演算手段と,
 1F1 前記流量計測手段により計測された流量値に相当する金額を前記 演算手段により演算させ,
 1F2 当該演算された料金を前記入金データの金額より差し引き,
 1F3 残った差額データの金額を前記記憶媒体の金額データに加算し,
 1F4 当該加算後の金額データを前記記憶媒体に書き込む料金精算手段 と,
 1G を備えたことを特徴とする流体供給装置。 

 3.被告給油装置 
一審被告の実施する給油装置(被告給油装置)の構成を、本件発明1の構成要件に即して分説すると以下の通りである。
 1a 電子マネー媒体に記憶された金額データを読み書きするリーダーと, 
 1b ガソリンや軽油といった油の供給量を計測する給油量計測手段と,
 1c1 油の供給開始前に前記リーダーによって読み取った電子マネー媒体の金額データが示す金額以下の金額であって,顧客が指定した金額を 入金データとして取り込むとともに, 
 1c2 前記金額データから当該入金データの金額を差し引いた金額を新たな金額データとして前記電子マネー媒体に書き込ませる入金データ処 理手段と,
 1d 該入金データ処理手段により取り込まれた入金データの金額データ に相当する油量の油を供給可能とする供給許可手段と 
 1e 上記油量に達しない段階で給油を終了した場合に,返金のための金額を演算する演算手段と,
 1f 上記の場合に,上記演算に基づいて算定された返金額を前記電子マ ネー媒体に書き込ませる料金精算手段と,
 1g を備えたことを特徴とする給油装置 

 4.裁判所の判断のポイント抜粋
 「イ 非接触式ICカードの「記憶媒体」該当性 
 本件明細書において,本件発明の「記憶媒体」の具体的態様としては,磁気プリペイドカード(【0033】)のほか,「金額データを記憶するためのICメモリが内蔵された電子マネーカード」(【0070】)や「カード以外の形態のもの,例えば,ディスク状のものやテープ状のものや板状のもの」(【0071】)も開示されている。このように,本件発明の「記憶媒体」は必ずしも磁気プリペイドカードには限定されない。
  しかしながら,本件発明の技術的意義が上記1のとおりであることに照らして,「媒体預かり」と「後引落し」との組合せによる決済を想定できる記憶媒体でなければ,本件3課題が生じることはなく,したがって,本件発明の構成によって課題を解決するという効果が発揮されたことにならないから,上記の組合せによる決済を想定できない記憶媒体は,本件発明の「記憶媒体」には当たらない。
  かかる見地にたって検討するに,被告給油装置で用いられる電子マネー媒体は非接触式ICカードであるから,その性質上,これを用いた決済等に当たっては,顧客がこれを必要に応じて瞬間的にR/Wにかざすことがあるだけで,基本的には常に顧客によって保持されることが予定されているといえる。そのため,電子マネー媒体に対応したセルフ式GSの給油装置を開発するに当たって,物としての電子マネー媒体を給油装置が「預かる」構成は想定し難く,電子マネー媒体に対応する給油装置を開発しようとする当業者が本件従来技術を採用することは,それが「媒体預かり」を必須の構成とする以上,不可能である。 
 そうすると,被告給油装置において用いられている電子マネー媒体は,本件発明が解決の対象としている本件3課題を有するものではなく,したがって,本件発明による解決手段の対象ともならないのであるから,本件発明にいう「記憶媒体」には当たらないというべきである。むしろ,電子マネー媒体を用いる被告給油装置は,現金決済を行う給油装置において,顧客が所持金の中から一定額の現金を窓口の係員に手渡すか又は給油装置の現金受入口に投入し,その金額の範囲内で給油を行い,残額(釣銭)があればそれを受け取る,という決済手順(これは乙4公報の【0002】に従来技術として紹介されており,周知技術であったといえる。)をベースにした上,これに電子マネー媒体の特質に応じた変更を加えた決済手順としたものにすぎず,本件発明の技術的思想とは無関係に成立した技術であるというべきである。
 一審被告の非侵害論主張⑤は,このことを,被告給油装置の電子マネー媒体は本件発明の「記憶媒体」に含まれないという 形で論じるものと解され,理由がある。

 ウ 一審原告の主張について
 (ア)一審原告は,本件発明の「記憶媒体」は,構成要件1C及び1Fの動作に適した「記憶媒体」であれば足りる旨主張する。
  しかしながら,発明とは課題解決の手段としての技術的思想なのであるから,発明の構成として特許請求の範囲に記載された文言の意義を解釈するに当たっては,発明の解決すべき課題及び発明の奏する作用効果に関する明細書の記載を参酌し,当該構成によって当該作用効果を奏し当該課題を解決し得るとされているものは何かという観点から検討すべきである。しかるに,一審原告の上記主張は,かかる観点からの検討をせず,形式的な文言をとらえるにすぎないものであって,失当である。 
 したがって,一審原告の上記主張は採用することができない。」

2021年7月4日日曜日

請求項に記載の用語が明細書を参酌し限定的に解釈され、進歩性が肯定された事例

  知財高裁令和3年5月31日判決

令和2年(行ケ)第10092号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は拒絶査定不服審判(拒絶審決)を不服とする特許出願人である原告が、審決の取消を求めた審決等取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は審決を取消す判断を示した。

 本願発明は「支持体の上に油溶性成分を含むオイルゲルが形成された,皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシート」備えるマイクロニードルパッチに関する。引用文献1では、オイルゲル以外の構成を有するマイクロニードルパッチが記載されており、引用文献2ではオイルゲル(油性ゲル状粘着製剤)が記載されている。

 審決は、引用文献1と2との組み合わせにより本願発明は進歩性が無いと判断した。

 知財高裁は、本願発明の「オイルゲル」の技術的意義は,「特許請求の範囲の記載だけからは一義的に明確ではない」ため、明細書の発明の詳細な説明のうち,従来技術に関する記載及び解決課題に関する記載を参酌し,オイルゲルの意味を狭く解釈した。そしてその解釈を前提とすると、引用文献1と2との組み合わせから当業者が容易に相当できたものではないと結論づけた。

 

2.本願発明

 上記補正後の請求項2の記載(以下「本願発明」という。)は,以下のとおりである。 

「支持体の上に油溶性成分を含むオイルゲルが形成された,皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシートと,

 前記オイルゲルシートの周辺部を除いた領域の上に貼り合わされたシート状基体と,

 前記シート状基体の上に形成された複数の微小針とを備えた, 

 マイクロニードルパッチ。」

 

3.審決の理由の要旨

 本願発明と引用発明(引用文献1に記載の発明)とは,

「支持体の上に粘着性を有する材料が形成された,皮膚に対して粘着性を有する粘着シートと,

  前記粘着シートの周辺部を除いた領域の上に貼り合わされたシート状基体と,

  前記シート状基体の上に形成された複数の微小針と

  を備えた,

  マイクロニードルパッチ。」

の点において一致し,以下の点において相違する。

[相違点]

 粘着性を有する材料が形成された粘着シートに関し,本願発明は,油溶性成分を含むオイルゲルが形成されたオイルゲルシートであるのに対し,引用発明は,粘着剤層21bが積層された押さえ手段21であって,粘着剤層21bが油溶性成分を含むオイルゲルであるか不明な点。

[相違点の判断]

 引用文献2には,美容用の皮膚外用剤粘着シートの粘着剤として,皮膚に対する適度な接着性を持ちながら剥がし取る時に皮膚の角質細胞に損傷を与えないために,油溶性成分であるセラミドを含む油性ゲル状粘着製剤を用いることが記載されている。

 そして,引用発明も引用技術2も,美容のためのシート状デバイスという技術分野に属するものであるという点で軌を一にし,皮膚の角質の損傷を抑制するという課題が共通するから,引用発明の粘着剤層21bの代わりとして引用文献2記載のセラミドを含む油性ゲル状粘着製剤,すなわち油溶性成分を含むオイルゲルを採用し,上記相違点に係る構成とすることは,当業者が容易になし得たことである。

 また,本願発明の奏する効果は,引用発明及び引用技術2の奏する効果から予測される範囲内のものにすぎず,格別顕著なものということはできない。

 したがって,本願発明は,引用発明及び引用技術2に基いて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

 

4.裁判所の判断抜粋

「1 本願発明の「皮膚に対して粘着性を有するオイルゲルシート」について

 本件においては,審決が認定した相違点のうち「粘着性を有する材料が形成された粘着シート」の意義が争点となっているので,この点を中心に検討する。

(1) 本件明細書には,次の内容の記載がある。 

ア 本発明は,微小針を皮膚に刺すことにより,微小針に含まれた目的物質などの投与が可能となるマイクロニードルパッチであって,シート状基体の上に複数の微小針が形成されたマイクロニードルシートを皮膚に固定するために,マイクロニードルシートの背面に粘着シートを設け,粘着シートの周辺部にはマイクロニードルシートが形成されていないようにして,粘着シートの周辺部の粘着層によって,マイクロニードルシートを皮膚に固定することができるマイクロニードルパッチに関する(【0001】【0002】)。

イ 特開2016-189844号公報(甲12)に開示されている従来のマイクロニードルパッチでは,)皮膚に貼り付けられる粘着層の部分からは美容効果を得ることができないという問題があり,また,)乳液等を塗布した皮膚に貼ると,乳液等に含まれる油脂によって粘着層の粘着力が弱まるため,簡単に剥がれてしまうという問題があった。

 そこで,本発明は,)皮膚に貼り付けられた部分からも美容効果を得ることができ,)乳液等を塗布した皮膚に貼っても剥がれにくいマイクロニードルパッチを提供することを課題としたものであり,その解決手段として,油溶性成分を含むオイルゲルシートと,オイルゲルシートの周辺部を除いた領域に形成されたシート状基体と,シート状基体の上に形成された複数の微小針とを備えることを主要な特徴としている(【0004】【0006】【0007】【0017】)。本発明は,このような構成を採ったことによって,)皮膚に貼り付けられた部分からも油溶性成分が皮膚内に浸透して美容効果を得ることができ,また,ⅱ)乳液等を塗布した皮膚に貼っても剥がれにくいマイクロニードルパッチを提供することができる(【0012】【0017】)。

ウ 「オイルゲルは,油溶性成分を含むゲルであり,皮膚に対する粘着性がよい。」【0017】

(2) 本件明細書に従来技術として示された甲12の【0032】には,粘着剤の例として,アクリル系粘着剤,ゴム系粘着剤,シリコンゴム系粘着剤,ビニルエーテル系粘着剤,ウレタン系粘着剤などが挙げられている。しかしながら,上記⑴イの記載によれば,これらの粘着剤は,従来のマイクロニードルパッチが有していた上記(ⅰ)及び(ⅱ)の問題,特に,上記(ⅱ)の,乳液等に含まれる油脂によって粘着力が弱まるという問題を有すると認められる。

(3) 上記⑴ア,イ及び同⑵の記載によれば,本願発明の技術的思想(課題解決原理)は,マイクロニードルパッチの粘着層としてアクリル系粘着剤等を用いた場合には,ⅰ)粘着層の部分からは美容効果を得ることができず,また, ⅱ)乳液等が塗られた皮膚に貼ると簡単に剥がれてしまうという二つの技術的課題が生じていたため,粘着層として,)皮膚内に浸透して美容効果を与えることができる油溶性成分を含有し,)乳液等に含まれる油脂となじみやすい油分を主成分として含むオイルゲルシートを用いることによって,上記の二つの技術的課題の解決を図ったものと認められる。

  また,上記⑴ウの記載によれば,本願発明にいう「オイルゲル」は,甲12に記載された「粘着剤」を含有しなくとも,それ自体で皮膚に対する粘着性が良いものとされている

  これらの記載を総合的に参酌すると,本願発明において,「オイルゲルシート」は「アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するシート」を意味すると解釈するべきである。

引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」について

(1) 引用文献2には,次の内容の記載がある。

ア 本発明は,化粧料や皮膚外用薬など皮膚外用剤用途のための粘着剤組成物および粘着シートに関する(1頁4行以下)。

イ 皮膚接着性と剥離除去性の適度なバランスを有する皮膚外用剤粘着シート製剤の開発について,架橋アクリル系粘着剤層に油性の液体成分を多量に含有させたものを用いる油性ゲル状粘着層製剤が提案されてきた。しかしながら,これら製剤は,皮膚接着性と剥離除去性のバランスは改善できても,薬効成分等薬剤の溶解性が格別に優れているとはいい難かった(2頁21行以下)。

ウ 本発明の油性ゲル状粘着製剤においては,特定の組成のアクリル系共重合ポリマー,非イオン性界面活性剤及びアクリル系ポリマーの各所定量を外部架橋剤によって架橋させている。このことにより,薬効成分等薬剤の溶解性が格別に優れ,かつ,皮膚接着性と剥離除去性とのいずれもが好適な皮膚外用剤用粘着剤組成物及び粘着シートを得ることができる(4頁18行以下)。

(2) 上記⑴の記載によれば,引用技術2の「油性ゲル状」「粘着シート製剤」は,上記⑴イの従来技術である「架橋アクリル系粘着剤」の組成を調整することによって,粘着性を維持しつつ薬剤の溶解性を高めたシートであって,皮膚への粘着性は,従来技術と同様に,専らアクリル系粘着剤に依存していることが認められる。

3. 相違点についての審決の判断の当否

 上記1⑶のとおり,本願発明の技術的意義に照らすと,本願発明の「オイルゲル」は,アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するものである。これに対し,引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」は,上記2⑵のとおり,アクリル系粘着剤の粘着性によって,皮膚に対して粘着するものである。

 このように,引用技術2の「油性ゲル状粘着製剤」は,本願発明の「オイルゲル」とは技術的意義を異にするから,引用発明に引用技術2を適用しても,相違点に係る本願発明の構成には至らない。

  1したがって,容易想到性に関する審決の判断には誤りがある。

被告の主張について

 被告は,「オイルゲル」は有機溶剤を溶媒とするゲルの総称であるとの技術常識が存在し,本願発明の「オイルゲル」の意義や組成について本件明細書には記載がないから上記技術常識に沿って解釈すべきであり,上記技術常識によれば引用技術2の「油性ゲル」は「オイルゲル」に含まれる旨主張する。

  たしかに,乙1(特許庁「周知・慣用技術集(香料)第I部香料一般」1999 年1月29日発行)等によれば,「ゲル」を流体(溶媒)の違いという観点から「ヒドロゲル」「オイルゲル」「キセロゲル」の3種類に分類することが一般的に承認されている事実は認められ,また,乙6(権英淑ほか「実効感を発現するためのスキンケア製剤設計」FRAGRANCE JOURNAL Vol.34 No.1 pp.52-55(2006))等には,この分類を前提として,アクリル系材料を基剤とした「オイルゲル」の粘着剤に言及する記載も見られる。しかしながら,他方,甲7(柴田雅史「化粧品におけるオイルの固化技術」J.Jpn. Soc. Colour Mater., 85 [8] 339-342 (2012))では,冒頭に「有機溶剤(オイル)を少量の固化剤を用いて固形もしくは半固形状にしたものは一般に油性ゲルと呼ばれ,……メイクアップ化粧品を中心に幅広い製品の基剤として用いられている」と記載されており,化粧品の分野において,「オイルゲル」の用語をこのような意味で用いることも一般的であったと認められるから,「オイルゲル」という用語が,当然に被告主張のような意味に用いられると断定することはできない。

  そうすると,本願発明の「オイルゲル」の技術的意義は,特許請求の範囲の記載だけからは一義的に明確ではない。そこで,明細書の発明の詳細な説明のうち,従来技術に関する記載及び解決課題に関する記載を参酌し,上記1のとおり,「オイルゲルシート」を「アクリル系粘着剤等の粘着性ではなく,ゲル化したオイルの粘着性によって,皮膚に対して粘着するシート」と解釈すべきである。

 したがって,被告の上記主張は採用することができない。」

2019年4月21日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟で限定的でなく広く解釈された事例

東京地裁平成31年1月17日判決

平成29年(ワ)第16468号 特許権侵害差止請求事件



1.概要

 本事例はモノクローナル抗体とそれを含む医薬組成物を対象とする特許権の特許権者(原告)による被告製品の差止を求めた特許権侵害訴訟の東京地裁判決である。

 本事例の「本件発明1」では、プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対するモノクローナル抗体が、「(1A)PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,(1B’)PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する」という結合特性により特定されている。本件発明1の抗体は、実施例で記載の、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和するPCSK9に対するモノクローナル抗体「21B12」を拡張したものであり、参照抗体21B12がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,参照抗体21B12とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体に該当する。「本件発明2」の抗体も同様に、別の参照抗体31H4と同等の結合特性を有する抗体に該当する。

 争点は、被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否か、特許発明のサポート要件充足性、特許発明の実施可能要件充足性等である。

 被告は、抗原との結合特性が機能的に特定された抗体発明の技術的範囲は限定的に解釈すべきであり、実施例に記載の抗体、及び、それにアミノ酸配列が近い抗体に限られ、被告製品は技術的範囲に属しないと主張した。しかし、東京地裁はこの主張を認めず、被告製品の抗体は、結合特性に関する構成を満たす以上は技術的範囲に含まれると結論付けた。東京地裁はまた、サポート要件違反及び実施可能要件違反もないと判断した。

 本事例では、「本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。」ことが、技術的範囲を限定解釈が適用されない根拠とされている。

 なお、東京地裁は、2018年(平成30)年3月28日判決平成28年(ワ)第11475号において、機能的に特定された抗体の権利範囲を限定的に解釈した(本ブログ2019年2月17日記事参照)。この2018年判決では、「特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」と判示している。

 本事例(2019年判決)では、本件参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体が、明細書等の記載から当業者が実施し得るという前提のもと、技術的範囲を広く解釈しており、2018年判決とも矛盾しないようにも思える。しかし、本事例(2019年判決)において、本件特許明細書には、被告製品の抗体と同じアミノ酸配列からなる抗体が実施例で記載されているわけではなく、被告製品の抗体と同じアミノ酸配からなる抗体を製造するための手順も記載されていない。本事例では「被告製品が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えは「いいえ」であるから、特許明細書に実施できるように記載されていない被告製品は技術的範囲に含まれないと結論するのが2018年判決とも矛盾せず適切ではなかったかと思われる。本事例は「特許発明が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えが「はい」であることのみを以って被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると結論づけていることに問題があるのではないか。
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2.本件発明

ア 本件特許1

 訂正後の本件特許1の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明1-1」という。)は,次のとおり分説することができる。

1A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

1B’PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

1C 単離されたモノクローナル抗体。

 訂正後の本件特許1の請求項9記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明1-2」といい,本件訂正発明1-1と併せて「本件訂正発明1」という。)は,上記構成要件1A,1B’,1Cのほか,次のとおり分説することができる。

1D を含む,医薬組成物。



イ 本件特許2

 訂正後の本件特許2の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明2-1」という。5 )は,次のとおり分説することができる。

2A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

2B’PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

2C 単離されたモノクローナル抗体。

 本件特許2の請求項5記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明2-2」といい,本件訂正発明2-1と併せて「本件訂正発明2という。)は,上記構成要件2A,2B’,2Cのほか,次のとおり分説することができる。

2D を含む,医薬組成物。



 本件訂正発明1の構成要件1B’は,本件明細書1で21B12抗体と呼ばれる抗体(以下「21B12参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである。

 本件訂正発明2の構成要件2B’は,本件明細書2で31H4抗体と呼ばれる抗体(以下「31H4参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである



3.裁判所の判断

「前記の本件各明細書の記載によれば,21B12参照抗体及び31H4参照抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であるところ,本件各発明は,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,21B12参照抗体(本件発明1)又は31H4参照抗体(本件発明2)と競合する単離されたモノクローナル抗体又はそれを含む医薬組成物が,PCSK9とLDLRの結合を中和してLDLRの量を増加させることによって,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療又は予防することを目的とするものであると認められる。



2 争点(1)(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について

(1)

 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

(2)

 本件各明細書には,21B12参照抗体や31H4参照抗体及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。

・・・

上記のスクリーニング等によって,PCSK9に対する抗体の最も高い力価を有するハイブリドーマが同定され,表2に記載される32の抗体が得られた。32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非PCSK9-LDLR結合中和抗体,3B6,9C9及び31A4は15 弱いPCSK9-LDLR結合中和抗体,その他(21B12参照抗体及び31H4参照抗体を含む。)は,強いPCSK9-LDLR結合中和抗体である(段落【0138】【0336】)。この32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が1個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が7個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が1個

である(段落【0373】【0374】【0494】)。そして,上記ビン1の抗体19個とビン3の抗体7個は,いずれもPCSK9-LDLR結合中和抗体である。

また,上記カとは別の組(合計39抗体)に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が3個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が10個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が2個である。そして,ビン1に属する抗体のうち16個,ビン2に属する抗体のうち2個及びビン3に属する抗体のうち7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体を除く少なくとも22個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが確認されている(段落【0138】【0489】~【0495】)。

(3)

 前記(2)のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。

 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

(4)

 また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR5 結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。

 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9-LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。

 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるから(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

(5)

 証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。・・・



争点-ア(サポート要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。

 また,本件各明細書の高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載(段落【0155】【0270】【0271】【0276】)から,当業者は,本件発明1-1,本件発明2-1の各抗体を医薬組成物として使用できることを認識することができる。

 したがって,本件発明1及び2は,いずれもサポート要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれもサポート要件に違反するとはいえない。



争点-イ(実施可能要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各発明の抗体及び医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,本件発明1及び2は,いずれも実施可能要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれも実施可能要件に違反するとはいえない。」

2019年2月17日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟において限定的に解釈された事例


東京地裁平成30年3月28日判決
平成28年(ワ)第11475号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本事例は特許権侵害訴訟の東京地裁による第一審判決である。
 原告が有する特許権に係る本件発明1は以下の通り分説できる
1A 第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,
1B 凝血促進活性を増大させる,
1C 抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:American Diagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。
 原告が有する特許権に係る本件発明4は以下の通り分説できる
4D 請求項1に記載の抗体または抗体誘導体であって,
4E ここで,該抗体または抗体誘導体は,モノクローナル抗体,抗体フラグメント,キメラ抗体,ヒト化抗体,単鎖抗体,二重特異性抗体,ダイアボディー,およびそれらのダイマー,オリゴマー,またはマルチマーからなる群から選択される,
4F 抗体または抗体誘導体。

 このように、本件各発明は、抗体又は抗体誘導体を「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体」、「凝血促進活性を増大させる」という機能のみにより特定した発明である。
 東京地裁は、
「特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
と判断し、本件各発明の技術的範囲を限定的に解釈し、被告製品はこの範囲に含まれないと結論付けた。
 なお、この訴訟では本件各発明の実施可能要件欠如、サポート要件欠如による無効理由の存在が被告により主張されているが、この争点について裁判所は判断を下していない。しかし、判決中で「当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。」と認定されていることから、本件各発明は実施可能要件、サポート要件は充足していると裁判所は判断しているように思われる。

 機能により特定された抗体に関する特許発明の技術的範囲を巡っては平成31年1月17日にも東京高裁で判断が示されたが、機能的クレームであるから限定的に解釈すべきであるという判断はなされなかった(平成29年(ワ)第16468号)。このれらの事例の比較検討は今後進める予定。

2.裁判所が認定した本件各発明の意義
「(2)本件各発明の意義
 以上の本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件各発明の意義は,大要,以下のとおりのものと認められる。
 すなわち,従来の血友病Aの患者の処置は,欠如又は不足した第VIII因子の不足を補うために第VIII因子濃縮物の投与による補充療法であった(段落【0003】)。しかし,補充療法には,第VIII因子インヒビターを生じさせる患者に対する処置が非常に困難かつ危険性を含んでおり(段落【0003】),そのような患者に対する処置としては,高用量の第VIII因子を投与するなどのいくつかの治療方法が存在するが,高価である(段落【0004】,【0005】),多大な時間を必要とする(段落【0004】),重篤な副反応を伴い得る(段落【0004】),患者への負担が大きい(段落【0005】)等の問題点があった。本件各発明の目的は,第VIII因子を抑制する患者についての特定の利点を有する,血液凝固障害の処置のための調製物を提供することであり(段落【0010】),これを,第IX因子又は第IXa因子に結合して第IXa因子の凝血促進活性を増大させる抗体又は抗体誘導体によって達成するというものである(段落【0011】)。
 そして,抗体又は抗体誘導体は,具体的には,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製し(実施例1ないし3),これを色素形成アッセイ等の方法で凝血促進活性の程度を評価し(実施例4ないし9,14),そのモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から様々な抗体誘導体(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)を作製するものである。」

3.裁判所が認定した被告製品の構成
「2 被告製品の構成等について
(1)被告製品の構成
 被告製品は,別紙被告製品説明書及び「被告製品のアミノ酸配列」記載のアミノ酸配列を有する非対称型バイスペシフィック抗体であり,抗体の中でもIgGに分類される。被告製品は,2つの抗原結合部位を有し,その一方が第IXa因子を認識し,他方が第X因子を認識する。(甲23,乙28,38,弁論の全趣旨)
(2)被告製品の開発経緯
 被告製品の開発過程において,被告がバイスペシフィック抗体を作製するに当たり用いられたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,ヒト第IXa因子に特異的に結合し,かつ,第IXa因子の酵素活性に対してできるだけ阻害活性の弱い抗体が選別された。そこで作製されたバイスペシフィック抗体のうち,最も第VIII因子補因子活性が高かった抗体は,XB12/SB04であるが,これは第VIII因子補因子活性を有さないモノスペシフィック抗第IXa因子抗体から作製されたものである。よって,被告製品の開発において選別されたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,第IXa因子の凝血促進活性を増大させるか否かとは無関係に選別されたと認められる。また,モノスペシフィック抗第IXa因子抗体の第VIII因子補因子活性とそれから作製されたバイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性との相関関係があるとは認められず,バイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性は,抗第IXa因子抗体由来の構造だけなく,抗第X因子抗体由来の構造にも影響を受ける。(乙55,57,75)
 そして,被告製品は,第IXa因子と第Ⅹ因子との空間的な配向を好適な状況に制御し,酵素の活性部位と基質とを正確に接触しやすくすることで,第IXa因子が触媒する第VIII因子補因子活性を促進するという機序により,凝血促進活性を増大させるものである(乙33,甲165)。そして,その増大の程度は,本件明細書の実施例と同様の手法で作製された抗体(198A1,198B3,224F3)と比較して,優れた効果をもたらすものである(乙6,36によれば,約1000倍の効果とされてい
る。)。」

4.争点1(被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するか)についての裁判所の判断
「(1)本件特許請求の範囲の請求項1(本件発明1に係る特許請求の範囲)の記載は,「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,凝血促進活性を増大させる,抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:AmericanDiagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。」であり,請求項4(本件発明4に係る特許請求の範囲)は請求項1を引用している。ここで,「凝血促進活性を増大させる」との記載の意義については,本件明細書においてこれを定義した記載はない上,「血液凝固障害の処置のための調製物を提供する」(段落【0010】)という本件各発明の目的そのものであり,かつ,本件各発明における抗体又は抗体誘導体の機能又は作用を表現しているのみであって,本件各発明の目的又は効果を達成するために必要な具体的構成を明らかにしているものではない。
 特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。
 したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
 ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。
(2)そこで,本件明細書において開示された具体的構成に示されている技術思想について検討する。
ア ある抗体が,第IX因子又は第IXa因子に結合し,第IXa因子の凝血促進活性を増加するか又は第VIII因子様活性を有することを示すための試験方法としては,凝血試験や色素形成試験等があり,これらによって評価が可能である(段落【0013】,【0014】,【0037】,【0065】)。そして,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングし,色素形成アッセイによって第VIII因子様活性を有するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が複数作製されており(実施例4,9),そのなかで第VIII因子インヒビターを有する血漿の凝血をもたらす抗体(193/AD3)も確認されている(実施例7)。よって,当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。
 また,凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も複数作製されているから(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)),凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も作製できたと認められる。
 もっとも,「凝血促進活性を増大させる」程度については,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度(例えば,段落【0081】・図11において,198/AP1はネガティブコントロールとの比が1.7程度であるが,凝血促進活性を示さないとされている。段落【0067】・図7A(196/AF2 35μM Pefabloc Xa(登録商標)),段落【0068】・図7B(198/AM1 35μM Pefabloc Xa(登録商標))も同様。)や2程度(段落【0105】・図20において,A1/5はネガティブコントロールとの比が2程度であるが,有意な凝血促進活性はないと評価されている。)の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超える程度のものでなければならないものと解するのが相当である。そうすると,凝血促進活性の増大がわずかであるものは,「凝血促進活性を増大させる」とは評価できず,その程度は,実質的なものでなければならないのであって,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えており,実質的に凝血促進活性を増大させる程度の増大であることを要するものと解すべきである。
イ バイスペシフィック抗体については,本件明細書において,実施例として作製された例は記載されておらず,第IX因子又は第IXa因子に結合するアーム以外のアームが結合する対象の抗原がいかなるものかも開示されてない。しかし,バイスペシフィック抗体自体は,抗体誘導体の一態様として明記されている(段落【0019】,【0026】)。そして,凝血促進活性を増大させるモノスペシフィック抗体からの誘導体も複数作製されており(実施例10ないし13,15ないし18),本件出願日当時の技術常識によれば,第IX因子又は第IXa因子に対するバイスペシフィック抗体を作製可能であり,第IX因子又は第IXa因子に対するモノスペシフィック抗体から誘導されたバイスペシフィック抗体が,モノスペシフィック抗体が有する凝血促進活性を増大させる作用を維持できると予測できたと認められる。そうすると,バイスペシフィック抗体についても,モノスペシフィック抗体の活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体の一態様として「抗体誘導体」に含まれると解される。
ウ したがって,本件各発明の技術的範囲に含まれるというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であるものの,バイスペシフィック抗体は「抗体誘導体」の一態様としてこれに含まれ得ると解すべきである。
エ 被告は,色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるモノスペシフィック抗体及びその誘導体に限られる旨主張する。
 そこで検討するに,本件明細書には,2時間のインキュベーション後の第VIII因子アッセイにおいて,ネガティブコントロールとの比が3を超える場合には,「凝血促進活性を増大させる」と評価できる旨の記載がある(段落【0013】,【0014】)。
 他方,本件明細書においては,凝血促進活性の検査方法について,色素形成アッセイ以外にも凝血試験などの全ての方法が使用でき(段落【0037】,【0065】),同じ色素形成アッセイであってもインキュベーション時間が2時間ではない例も記載されている(実施例11・図18ないし20)。そうすると,本件明細書に記載された凝血促進活性の評価方法は,複数存在するということができるところ,一般に,評価方法が異なればその基準が同一であるとは限らないから,本件明細書において「凝血促進活性の増大」が色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるものであると一義的に決定されているとは,直ちには解することができない。
オ 原告らは,「凝血促進活性を増大させる」とは,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分である旨主張する。
 しかし,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度や2程度の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分であるとはいえないことは,既に説示したとおりであって,原告らの上記主張は採用することができない。
(3)他方,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものでない場合には,別異に解すべきである。すなわち,本件各発明の技術的範囲に属するというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であると解されるところ,これには,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではない第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)は含まれないし,かかるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から誘導される抗体誘導体(バイスペシフィック抗体もこれに含まれる。)も含まれないというべきである。このような抗体誘導体(バイスペシフィック抗体)は,たとえ,それ自体が第IXa因子の凝血促進活性を増大させる効果を有するものであったとしても,本件各発明の課題解決手段とは異なる手段によって凝血促進活性を増大させる効果がもたらされているのであって,本件明細書の記載に基づいて当業者が実施できるものとはいえないというべきである。
(4)前記(2)において説示したとおり,「凝血促進活性を実質的に増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えるものでなければならないものと解されるところ,前記2において認定したとおり,左右のアームがいずれも被告製品の第IXa因子に結合するアームで構成されたモノスペシフィック抗体(Qhomo)の色素形成アッセイキットによって測定されたネガティブコントロールとの比は,1.36から1.48であったこと(乙38)からすると,Qhomoは第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるモノスペシフィック抗体とはいえない。
 そして,被告製品は,Qhomoの片方のアームを第Ⅹ因子に対するものに改変したバイスペシフィック抗体(抗体誘導体)であるから,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体からの誘導体ということができる。
 そうすると,被告製品は,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体から,その第IXa因子結合部位を取り出し,特定の第Ⅹ因子結合部位と組み合わせてバイスペシフィック抗体に変換させることにより,凝血促進活性を増大させる作用をもたらしたものということができるから,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」に該当するとは認められない。
(5)したがって,被告製品は,本件各発明の技術的範囲に属すると認めることはできないというべきである。」

2016年11月27日日曜日

特許権侵害訴訟において、医薬組成物クレーム中の「緩衝剤」が別途添加された成分に限定され、組成物内で生じる同成分は含まないと判断された事例

東京地裁平成28年10月28日判決
平成27年(ワ)第28468号 特許権侵害差止請求事件

1.概要
 本事例は侵害訴訟の第一審判決である。
 原告が有する特許権は、下記の本件訂正発明のオキサリプラチンを有効成分として含み、かつ、有効安定化量の「緩衝剤」を含み安定オキサリプラチン溶液組成物に関する。ここで緩衝剤は、シュウ酸またはそのアルカリ金属塩である。
 一方、被告が実施する下記の被告製品は、オキサリプラチン溶液組成物であり、かつ、オキサリプラチンが分解して生じたシュウ酸(解離シュウ酸)を含む。
 原告は、被告製品の解離シュウ酸が、本件訂正発明における「緩衝剤」に該当すると主張した。
 裁判所は以下の理由から、被告製品の解離シュウ酸は、本件訂正発明における「緩衝剤」に該当しないと判断した。
 ・緩衝剤の「剤」とは,「各種の薬を調合したもの」を意味するから,緩衝剤とは,緩衝に用いる目的で,各種の薬を調合したものを意味すると考えることが自然である。オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「各種の薬を調合したもの」に当たるとはいえない。
 ・本件特許明細書では、実施例1ないし17については,シュウ酸が付加されていることが明記されている。さらに,本件明細書では,実施例1ないし17について,添加されたシュウ酸のモル濃度が記載されているが,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度は記載されていない。
 ・本件明細書には,「緩衝剤」である「シュウ酸」に,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含まれることを示唆する記載はない。

2.本件訂正発明の構成要件
本件訂正発明を構成要件に分説すると,次のとおりである(下線は説明のために筆者が追加したもの)
A オキサリプラチン,
有効安定化量の緩衝剤および
C 製薬上許容可能な担体を包含する
D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E 製薬上許容可能な担体が水であり,
緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G 1)緩衝剤の量が,以下の:
(a)5x10-5M~1x10-2M,
(b)5x10-5M~5x10-3M,
(c)5x10-5M~2x10-3M,
(d)1x10-4M~2x10-3M,または
(e)1x10-4M~5x10-4
の範囲のモル濃度である,
H pHが3~4.5の範囲の組成物,あるいは
I 2)緩衝剤の量が,5x10-5M~1x10-4Mの範囲のモル濃度である,組成
物。

3.被告製品
 被告は,別紙被告製品目録記載の各製品(以下,これらを併せて「被告製品」という。)を製造,輸入及び販売している。
 被告製品は,構成要件A,C,E及びHを充足する。
 また,被告製品中には,オキサリプラチンが分解して溶液中に生じるシュウ酸(以下「解離シュウ酸」という。)が含まれているが,シュウ酸が別途に添加されてはいない。
 被告製品中で検出されるシュウ酸のモル濃度の数値は,6.4x10-5M~7.0x10-5Mの範囲にあり,これは,構成要件G及びIに示されるモル濃度の範囲に含まれる。

4.争点
 本件訂正発明におけるシュウ酸またはそのアルカリ金属塩である「緩衝剤」が、別途添加したものに限られるか?
 被告製品では、別途添加されたシュウ酸は含まれていないが、有効成分であるオキサリプラチンが分解して生じるシュウ酸は含まれている。

5.裁判所の判断のポイント
「点(1)ア(構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の充足性)について
(1) 本件発明における「緩衝剤」は,添加されたシュウ酸またはそのアルカリ金属塩をいい,オキサリプラチンが分解して生じたシュウ酸(解離シュウ酸)は「緩衝剤」には当たらないと解することが相当である。理由は以下のとおりである。
(2)ア 特許発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載に基づいて定めるものとされているから(特許法70条1項),「緩衝剤」を解釈するに当たり,特許請求の範囲請求項1の記載をみると,緩衝剤について,「有効安定化量の緩衝剤」,「緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩」,「緩衝剤の量が・・・のモル濃度」である旨記載されている。
 上記記載を踏まえて検討するに,緩衝剤の「剤」とは,「各種の薬を調合したもの」を意味するから(広辞苑第三版。乙34),緩衝剤とは,緩衝に用いる目的で,各種の薬を調合したものを意味すると考えることが自然である。しかし,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「各種の薬を調合したもの」に当たるとはいえない。
 また,緩衝剤は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」であるとされているが,緩衝剤として「シュウ酸アルカリ金属塩」を選択した場合を考えると,この場合,オキサリプラチン水溶液中には,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸と「シュウ酸アルカリ金属塩」が同時に存在するところ,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸は「シュウ酸アルカリ金属塩」に該当しないことが明らかであるから,緩衝剤は,オキサリプラチン水溶液に添加される「シュウ酸アルカリ金属塩」を指すと解するほかない。そうすると,「シュウ酸アルカリ金属塩」と並列に記載されている「シュウ酸」についても,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸を除き,オキサリプラチン水溶液に添加されるシュウ酸を意味すると解することが自然である。
イ 次に,特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮して解釈するものとされているから(特許法70条2項),本件明細書の記載をみると,段落【0022】には「緩衝剤という用語は,本明細書中で用いる場合,オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」という記載があり,「緩衝剤」という用語の定義がされている。
 ここで,「緩衝剤」は,「酸性または塩基性剤」と定義されており,前記のとおり,「剤」は「各種の薬を調合したもの」であるから,添加したものに限られると考えるのが自然である。
 そして,オキサリプラチンは,次式の反応によりジアクオDACHプラチンとシュウ酸に分解する。
(化学式 略)
 上記反応は化学的平衡にあるが,証拠(乙35)によれば,平衡状態にあるオキサリプラチン水溶液にシュウ酸が添加されると,ルシャトリエの原理により,上記式の右から左への反応が進行し,新たな平衡状態が形成されることが認められる。新たな平衡状態においては,シュウ酸を添加する前の平衡状態と比べると,ジアクオDACHプラチンの量が少ないので,シュウ酸の添加により,オキサリプラチン水溶液が安定化され,不純物の生成が防止されたといえる。
 ところが,シュウ酸が添加されない場合には,オキサリプラチン水溶液の平衡状態には何ら変化が生じないから,オキサリプラチン溶液が,安定化されるとはいえない。
 したがって,上記明細書に記載された「緩衝剤」の定義は,緩衝剤に解離シュウ酸が含まれることを意味していないというべきである。
ウ また,本件明細書における実施例18()に関する記載をみると,「比較のために,例えば豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)に記載されているような水性オキサリプラチン組成物を,以下のように調製した」(段落【0050】前段),「比較例18の安定性 実施例18(b)の非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物を,40℃で1ヶ月間保存した。」(段落【0073】)といった記載がある。ここで,豪州国特許出願第29896/95号(1996年3月7日公開)は,乙1発明に対応する豪州国特許であり,同特許は水性オキサリプラチン組成物に係る発明であるから,上記各記載からは,実施例18(b)は,「実施例」という用語が用いられているものの,その実質は本件発明の実施例ではなく,本件発明と比較するために,「非緩衝化オキサリプラチン溶液組成物」,すなわち,緩衝剤が用いられていない従来既知の水性オキサリプラチン組成物を調製したものであると認めるのが相当である。そうすると,本件明細書において,緩衝剤を添加しない水性オキサリプラチン組成物は,本件発明の実施例ではなく,比較例として記載されているというべきである。
 また,本件明細書には,実施例1ないし17については,シュウ酸が付加されていることが明記されている。さらに,本件明細書では,実施例1ないし17について,添加されたシュウ酸のモル濃度が記載されているが,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度は記載されていない。
 他方で,本件明細書には,「緩衝剤」である「シュウ酸」に,オキサリプラチンが分解して生じた解離シュウ酸が含まれることを示唆する記載はない。

 以上からすると,本件明細書の記載では,解離シュウ酸については全く考慮されておらず,緩衝剤としての「シュウ酸」は添加されるものであることを前提としていると認められる。」

2016年5月28日土曜日

特許権侵害訴訟において被告製品が構成要件を充足の有無が特定できないとされた事例


東京地裁平成28年4月27日判決言渡
平成25年(ワ)第30799号 特許権侵害差止請求事件           

1.概要
 本事例は、原告が有する特許権に基づく被告に対する侵害差止請求訴訟の第一審において、本件特許発明における「球形の相」という構成を侵害被疑物品(被告製品)が充足しているか否かが特定できる十分な立証がされていないことを理由に原告の請求を棄却した事例である。
 本件特許発明は所定の組成の金属からなるスパッタリングターゲットに関するものであり、所定の寸法の「球形の相」が金属素地中に分散していることを特徴としている。
 原告は、被告製品1のスパッタリングターゲットの組織片を研磨した表面の顕微鏡観察写真等を証拠として、写真において円形の相として現れる「球形の相」が含まれることと、それが所定の寸法を有することの立証を試みた。
 しかし裁判所は、表面の写真で円形の相であるからといってそれが球形の相であるとは特定できないと判断し、侵害の立証がされておらず原告の請求に理由がないと結論づけた。
 侵害被疑物品において侵害発見が容易な特徴により発明を特定することの重要性を理解するうえで参考になる事例である。

2.本件特許発明の構成
 原告が有する特許権に係る本件特許発明の構成要件は次の通り分説することができる。
 A Crが20mol%以下,Ptが5mol%以上30mol%以下,残余がCoである組成の金属からなるスパッタリングターゲットであって, 
 B このターゲットの組織が,金属素地(A)と, 
 B-(1) 前記(A)の中に,Coを90wt%以上含有する長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相(B)を 
 B-(2) 前記ターゲットの全体積又は前記ターゲットのエロージョン面の面積の20%以上有し, 
 B-(3) 前記球形の相(B)は,研磨面を顕微鏡で観察したときに前記金属素地(A)で囲まれている 
 C ことを特徴とする強磁性材スパッタリングターゲット。 

3.裁判所の判断のポイント
「2 争点(2)(被告製品1は本件特許発明の技術的範囲に属するか)について
(1) 構成要件B-(1)及び同B-(2)の充足性について
ア 構成要件B-(1)及び同B-(2)の文理解釈について
・・・・
被告製品1が構成要件B-(1)及び同B-(2)を充足するというためには,被告製品1のターゲット中に存在する①「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」(以下,単に「球形の相」ということがある。)を特定できること,②上記①の球形の相が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されること,及び③上記①の球形の相の量が「ターゲットの全体積又はエロージョン面の面積の20%以上」であることが立証されることが必要である。

イ 被告製品1において「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定できるかについて
・・・・
(イ) 本件明細書の上記(ア)の記載によれば,「球形」とは,「真球,擬似真球,扁球(回転楕円体),擬似扁球を含む立体形状」であって,「外周部に多少の凹凸があっても」よく,「その中心から外周までの長さの最小値に対する最大値の比が2以下」であればよいとされていることは,理解し得るものの,実施例及び比較例について具体的に記載されているのは,ターゲット研磨面の観察結果(二次元的な確認)にとどまる。本件明細書を精査しても,本件特許発明にいう「金属素地(A)」の中に存在するとされる「相(B)」の立体形状が,実際に「球形」であることを確認する方法が明らかにされているとは認め難く,実施例及び比較例について「相(B)」の立体形状の観察結果(三次元的な確認)を得た旨の記載も見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができるか否かは,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(ウ) 原告は,原告の従業員が被告製品1を分析した結果であるとする平成25年3月8日付け実験結果報告書(甲5。以下「甲5報告書」という。)に記載された実験(以下「甲5実験」という。)により,同報告書の図6と同じ位置のレーザー顕微鏡写真(図8)を得て,画像処理し(図9),a,b,d,e,f,h,l,mの各相の面積,長径,短径を測定し(表3),長径と短径の差が0~50%であることを確認した旨主張する。
 しかし,構成要件B-(1)が規定するのは,「球形の相」,すなわち「立体形状」が「球形」である「相」における「長径及び短径」並びに「直径」の数値範囲であるところ,証拠(乙32)によれば,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相であっても,当該相の立体形状がいかなるものであるは不明であり,当然に「球形」であるといえるものではないことが認められる。
 また,上記の点を措き,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相の立体形状が「球形」であると仮定しても,上記証拠によれば,同断面が球の中心を通るのか否か,通らない場合にはどの程度中心から外れているのかは,不明であるというほかはなく,同断面において「円形」に観察される相について行った測定結果に基づいて,当該相が「球形」である場合の「直径」を近似的に求めることはできないものと認められる。
 この点,本件明細書において,前記(ア)のとおり「球形そのものを確認することの比が2以下であることを目安としてよい。」(【0026】)とされていることに鑑み,ある相の断面が上記要件を充たすことをもって,構成要件B-(1)にいう「長径と短径の差が0~50%」の「球形の相」であると推認することが許されないではないとしても,そのことをもって,直ちにその相の「直径が30~150μmの範囲にある」ことまで推認されるということはできない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1における「長径と短径の差が0~50%であって直径が30~150μmの範囲にある球形の相」が特定されたということはできない
・・・
(オ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することは,困難というべきである。

ウ 被告製品1において「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか
(ア) 上記イのとおり,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができない以上,そのような「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されることはあり得ないところであるが,事案に鑑み,仮に,原告の主張に係る「球形の相」が「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある」ものとして,「Coを90wt%以上含有する」と認められるか否かについて,検討する。
・・・・
(ウ) 本件明細書の上記記載によれば,本件特許発明は,漏洩磁束が向上するターゲットを実現するため,「球形の相(B)」のCoの濃度を高め,周囲の組織より最大透磁率を高くし,ターゲット内部の磁束に密な部分と疎な部分を生じさせたターゲット組織構造を調整したものであると解される。
 そうだとすれば,構成要件B-(1)にいう「Coを90wt%以上含有する」「球形の相(B)」とは,「球形の相(B)」の中に「Co含有量が90wt%以上」の部分が少しでもあれば足りるというものではなく,「球形の相(B)」全体として「Co含有量が90wt%以上」であることが必要であるというべきである。
 なお,本件明細書には,Co含有量の測定方法に関し,「なお,相(B)のCo含有量は,EPMAを用いて測定することができる。また,他の測定方法の利用を妨げるものではなく,相(B)のCo量を測定できる分析方法であれば,同様に適用できる。」(【0024】)との記載があり,実施例1,2について,ターゲットの研磨面の光学顕微写真及びEPMAの元素分布画像が示されている(前記イ(ア)で引用した【0044】,【0045】,【0053】,【0054】参照)。
 しかし,本件明細書を精査しても,球形の相(B)におけるCo含有量の測定方法について,より具体的な説明がされた箇所は,見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「球形の相」が,全体として,「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか否かについては,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(エ) 原告は,甲5報告書の表2をもって,被告製品1における「Coを90wt%以上含有する球形の相」の分析結果である旨主張する。
 甲5実験は,被告製品1からサンプリング箇所を切り出し試験片とし,その表面をペーパーで研磨した後,バフ研磨し,試験片の球形相をEPMAを用いて,下記に引用する甲5報告書の図6のaないしmのアルファベット部分に電子線を照射してCo含有量を測定したものであり,その結果,下記のa,b,d,e,f,h,l,mの「球形の相」については,Coの含有量が90wt%以上あったとするものである。
 しかし,甲5実験におけるaないしmの「球形の相」のCo含有量については,電子線が照射された箇所(測定箇所)が,それぞれの「球形の相」のどの部分に当たるかが明確でないし,それぞれ1つの測定値しか示されていないのであるから,各測定値をもって,各「球形の相」の全体のCoの濃度とみることは,相当とは言い難い。
 この点,原告は,仮に,ある「球形の相」について,Co濃度が90wt%以上として測定された箇所が立体形状として中心付近とはいえない場合,中心付近のCo濃度は,測定箇所より高濃度であると合理的に推認されるから,いずれかの測定箇所で「Coを90wt%以上含有する」と評価できれば,それで足りる旨主張する。しかし,逆に,その測定箇所が立体形状として中心付近であった場合には,周囲部分のCo濃度は,測定値よりも低くなることが当然予想されるのであって,甲5実験においては,「球形の相」の中のCoの濃度分布(三次元分布)が具体的にどのようなものなのかが明らかとされていない以上,それぞれの「球形の相」について,一つの測定箇所の測定値が90wt%以上であったとしても,直ちに「球形の相」全体として「Coを90wt%以上含有する」ことが合理的に推認されることにはならない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(オ) 原告は,甲53分析に基づく主張もする。
 しかし,同分析によっても,上記(エ)と同様の理由により,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(カ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたとみることは,困難というべきである。
・・・・
カ まとめ

以上によれば,被告製品1が構成要件B-(1),同B-(2)を充足することの立証はないというべきであるから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。」

2014年7月13日日曜日

特許権侵害訴訟において請求項中の「実質的に」の解釈が争われた事例

東京地裁平成26年5月22日判決
平成24年(ワ)第14227号 損害賠償請求事件
 
 1.概要
 本件は特許権侵害訴訟(損害賠償請求事件)の第一審において、原告(特許権者)の請求が認められた事例である。本件特許は半導体の製造法に関するものであり、「実質的に水素を含まない雰囲気中」(構成要件B)においてアニーリング(焼きなまし)を行うことを特徴のひとつとしており、この構成要件Bによって、「p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す」(構成要件D)という作用を奏する。
 被告方法では、アニーリングを「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中」で行う。アンモニアは水素原子を含んでいるため、被告方法の雰囲気は水素を含む雰囲気である。本件訴訟では、この被告方法の雰囲気が「実質的に水素を含まない」といえるか否かが争われた。被告は、「通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する」と主張した。
 裁判所は、構成要件Bは「文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気」であり、本発明の作用効果を奏するような雰囲気,すなわち、アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する、と解釈した。そして、被告方法における雰囲気はアンモニアとして水素原子を含むが、本発明の作用効果を妨げるほどの水素は含んでいないため構成要件Bを充足する、と判断した。
 なお特許明細書には「アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。」という記載があり、NH3(アンモニア)を使用した雰囲気は除外しているようにも見えるが、裁判所は、この記載は「好ましくない」範囲を記載しているだけであって、アンモニアを使用した雰囲気を除外しているわけではない、と判断した。

2.本件特許
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1に係る発明(本件発明)を分説すると以下のとおりである:
気相成長法により,p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,
実質的に水素を含まない雰囲気中,
400℃以上の温度でアニーリングを行い,
上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す
ことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

3.被告方法
 被告方法は,MOCVD(有機金属気相成長法)により,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中,400度以上の温度でアニーリングを行うことが認められる。また,アンモニアの流量比が2.5%未満の雰囲気において,400℃以上でアニーリングすると,水素パッシベーション(水素結合)を発生させることなく,窒化物半導体がp型化する。
 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体から水素を離脱させる。

4.争点
 被告方法における「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気」が、本件特許での構成要件B「実質的に水素を含まない雰囲気」を充足するか否かが争点のひとつ。

5.裁判所の判断のポイント
「被告方法が本件発明の構成要件B及びDを充足するか。

本件発明の構成要件Bについて
() ・・・()本件発明のp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法は,気相成長法により,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,実質的に水素を含まない雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出すことを特徴とするものであり,これにより,従来p型不純物をドープしても低抵抗なp型にならなかった窒化ガリウム系化合物を低抵抗なp型にすることができるので,数々の構造の素子を製造することができ,また,従来の電子線照射による方法では最上層の極表面しか低抵抗化することができなかったが,アニーリングによってp型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層全体をp型化することができるので,面内均一に,かつ,深さ方向均一にp型化することができ,しかも,どこの層にでもp型層を形成することができ,さらに,厚膜の層を形成することができるので,高輝度な青色発光素子を得ることができるという作用効果を奏する,以上の事実が認められる。
() 「実質」とは,「物事の内容または本質」を意味し,「実質的」とは,「実際に内容が備わっているさま。また,外見や形式よりも内容・実質に重点をおくこと。」を意味する(広辞苑第六版)から,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」との文言は,文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気をいうと解される。
 そして,証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,「【0009】アニーリング(Annealing:焼きなまし)はp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,反応容器内で行ってもよいし,ウエハーを反応容器から取り出してアニーリング専用の装置を用いて行ってもよい。アニーリング雰囲気は真空中,2,He,Ne,Ar等の不活性ガス,またはこれらの混合ガス雰囲気中で行い,最も好ましくは,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行う。なぜなら,窒素雰囲気として加圧することにより,アニーリング中に,窒化ガリウム系化合物半導体中のNが分解して出て行くのを防止する作用があるからである。」,「【0021】アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られる理由は以下のとおりであると推察される。【0022】即ち,窒化ガリウム系化合物半導体層の成長において,N源として,一般にNH3が用いられており,成長中にこのNH3が分解して原子状水素ができると考えられる。この原子状水素がアクセプター不純物としてドープされたMg,Zn等と結合することにより,Mg,Zn等のp型不純物がアクセプターとして働くのを妨げていると考えられる。このため,反応後のp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体は高抵抗を示す。【0023】ところが,成長後アニーリングを行うことにより,Mg-H,Zn-H等の形で結合している水素が熱的に解離されて,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層から出て行き,正常にp型不純物がアクセプターとして働くようになるため,低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られるのである。従って,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。また,キャップ層においても,水素原子を含む材料を使用することは以上の理由で好ましくない。」との記載があることが認められる。これらの記載に前記()認定の事実を併せ考えると,本件発明は,アニーリングという技術手段を採用して,これにより,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体から水素を出すという作用が生じ,p型窒化ガリウム系化合物半導体が製造されるという効果が得られるというものである。そして,この場合のアニーリング雰囲気は,真空中,N2,He,Ne,Ar等の不活性ガス又はこれらの不活性ガスの混合ガス雰囲気中で行うのが好ましく,さらに,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行うのが最も好ましいとされる。これに対し,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したりキャップ層に水素原子を含む材料を使用することは,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型のための反応が進行せず,上記作用効果を奏しないことがあるので好ましくないとされるが,逆に,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型化のための反応が進行して,上記作用効果を奏することもあると考えられることから,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したり,キャップ層に水素原子を含む材料を使用することが排除まではされていないということができる。
 そうであれば,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」とは,このような作用効果を奏するような雰囲気,言い換えれば,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するものと解するのが相当である。
() 被告は,次のように主張して,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」が通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するとする。
被告は,本件明細書の実施例におけるアニーリング雰囲気は窒素雰囲気又はアルゴンと窒素との混合ガス雰囲気であり,本件明細書中にアニーリング雰囲気中に水素を含むことを許容する記載はないと主張する。
 証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,6の実施例が掲げられていて,そのうちの実施例1及び3ないし6では,窒素雰囲気中でアニーリングを行い,実施例2では窒素とアルゴンの混合ガス雰囲気中でアニーリングを行っていること(段落【0024】ないし【0041】)が認められる。しかしながら,実施例は発明の好ましい態様を開示したものであって,特許発明の技術的範囲が実施例に限定されるわけではないし,本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0023】には,アニーリング雰囲気中に水素原子を含むガスを使用することが「好ましくない」と記載されているものの,水素を含む雰囲気中でのアニーリングが排除されていないことは,前示のとおりである。
 被告の上記主張は,採用することができない。
・・・
 () 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中でアニーリングを行い,これにより,p型窒化ガリウム系化合物半導体を製造するのであって,アニーリング雰囲気中の1.3%のアンモニアから生じる水素原子は,窒化ガリウム系化合物半導体をp型化することを妨げていない。
 そうであるから,被告方法は,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気中でアニーリングを行うものであって,本件発明の構成要件Bを充足する。」

2014年6月28日土曜日

特殊パラメータ特許の侵害訴訟での立証の困難性

東京地裁平成26年6月24日判決


平成24年(ワ)第15613号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本件は,発明の名称を「曲げ加工性が優れたCu-Ni-Si系銅合金条」とする特許権(以下「本件特許権」という。)を有する原告が,被告による被告各製品の製造販売等が本件特許権の侵害に当たると主張して,被告に対し,特許法100条1項に基づく被告各製品の生産,使用等の差止め等を求めた事案である。
 技術的意義が明確でないパラメータを構成要件とする物発明の特許権に基づく侵害訴訟では、特許権者は、被告製品の一部のみが構成要件を満たすことを証明するだけでは足りず、「全体」が構成要件を満たすことを立証する必要がある、と判断された。本件に固有の事情は考慮しなければいけないが、パラメータ特許の特殊性を理解するために役立つ判決である。

 原告が有する特許権に係る本件発明を分説すると以下の通りである:
「(構成要件A)Niを1.0~4.5質量%(以下%とする),
(構成要件B)Siを0.25~1.5%を含有し,
(構成要件C)更にZn,Sn,及びMgのうち1種類以上を含有し,Mgを含有する場合は0.05~0.3%とし,Zn及び/又はSnを含有する場合は総量で0.005~2.0%とし,
(構成要件D)残部がCuおよび不可避的不純物よりなる銅基合金の
(構成要件E)圧延面においてX線回折を用いて測定した3つの(hkl)面のX線回折強度が,
(I(111)+I(311))/I(220)≦2.0
を満足し,
(構成要件F)圧延面においてX線回折を用いて測定した(220)面のX線回折強度をI(220),および純銅粉末標準試料においてX線回折を用いて測定した(220)面のX線回折強度をI0(220)としたときの,I(220)/I0(220)が,
2.28≦I(220)/I0(220)≦3.0
を満足し,
(構成要件G)圧延方向に直角な断面における結晶粒の幅方向の平均長さをa,厚み方向の平均長さをbとしたときに,
0.5≦b/a≦0.9
2μm≦a≦20μm
であることを特徴とする
(構成要件H)高強度および高曲げ加工性を両立させたCu-Ni-Si系銅合金条。」

 一方、被告は、被告は,型番をM702S又はM702Uとする銅合金条(以下,それぞれを「M702S」,「M702U」という。)を製造販売している。

2.争点

 被告による、本件特許権の構成要件E及びFを満たす銅合金条の製造販売の有無が争点の一つである。
 原告は、被告製品の銅合金条の「一部」のみを分析し構成要件E及びFを満たす部分があると主張した。一方被告は、銅合金条の「全体」が構成要件E及びFを満たしていない限り、本件特許権の侵害にはあたらないと主張した。

3.裁判所の判断のポイント

「(1) X線回折強度の測定箇所について

ア 証拠(甲2,3,38,45,46,乙8,9)及び弁論の全趣旨によれば,本件発明は銅合金条という物に係る発明であり,電子部品の高密度実装性,高信頼性が要求される中,構成要件E及びFの数値限定を含む本件発明の構成要件を充足することにより,高強度及び優れた曲げ加工性を両立させた電子材料用の銅合金条を提供することを目的とするものであること,銅合金条は顧客がこれを適宜裁断してリードフレーム,電子機器の各種端子,コネクタ等に用いるものであること,銅合金条の長さや幅は様々であり,例えば,長さは247m,2440mmのもの,幅は436mm,620mmのものがあることが認められる。

 このことからすると,本件発明に係る銅合金条は,顧客がどの部位を裁断しても電子材料として高強度及び優れた曲げ加工性を両立させる性質を有している必要があるから,被告各製品が本件発明の技術的範囲に属するというためには,被告各製品の全ての部位において本件発明の構成要件を充足しなければならないと解すべきである。そうすると,板面方位指数及び(220)面集積度を求めるためのX線回折強度は,銅合金条の任意の1点(甲4,5参照)又は端末寄りの数点(甲8,39参照)だけでは足りず,銅合金条の全体にわたって測定すべきものということができる。

イ これに対し,原告は,現に測定した特定の部位又は両端部を除く部分において構成要件E及びFの数値限定の範囲にあれば足りる旨主張するが,以上に説示したことに照らし,これを採用することはできない。」

「原告は,被告製品1に当たると主張するM702Sにつき,自ら(甲4)又は第三者機関に委託して(甲34)行った測定結果の報告書を提出し,これらによれば構成要件E及びFの数値限定が充足されている旨主張する。しかし,これらはいずれも試料(なお,後者における試料がM702Sであるかは報告書の記載上明らかでない。)の内の任意の1点を計測したものにとどまり,これらによって銅合金条全体が構成要件E及びFの数値限定の範囲内にあると認めることができないことは前記(1)で判断したとおりである。」

「なお,銅合金条の全体にわたってX線回折強度を測定し,その全てにおいて構成要件E及びFの範囲内にあることの立証を要求することは,特許権者に対して酷な面がないではない。しかし,原告は,X線回折強度により計算される板面方位指数及び(220)面集積度が所定の範囲にあることにより顕著な効果を奏するとして,銅合金条に係る本件特許権を取得したものである。これに加え,被告のカタログ(甲6,7)に(220)面集積度等に関する記載はなく,被告において(220)面集積度等を制御して銅合金条の製造を行っている(したがって,顧客においてこの点を製品選択の考慮要素としている)とはうかがわれないこと,本件明細書にも(220)面集積度等を特許請求の範囲に記載された数値限定の範囲内に制御するための具体的な製造方法等は記載されていないこと,(220)面集積度等が本件明細書に記載された本件発明の効果に結びつくとする知見や,それを制御する方法に関する文献等が本件の証拠上に現れていないことに鑑みると,(220)面集積度等が所定の範囲内にあることの技術的意義は定かでないというほかない。本件におけるこのような事情からすれば,原告においては被告の製造販売する銅合金条の全体につきX線回折強度を測定し,これが構成要件E及びFを充足することを客観的な証拠をもって明確に立証しない限り本件特許権を行使することができないと解しても不合理ではないと考えられる。」