2022年11月13日日曜日

特許請求の範囲に記載されていない発明の「当然の前提」を考慮してサポート要件は満たされると判断した事例

知財高裁令和41031日判決
令和3(行ケ)10085号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、無効審判の無効審決(進歩性欠如、サポート要件違反の無効理由)が、審決取消訴訟において取り消された事例である。
 本件発明1は、少なくとも「多数の反射素子と保持体層からなる反射素子層」、および、「反射素子層の上層に設置された表面保護層」からなる再帰反射シートにおいて、「保持体層と表面保護層の間に印刷層が保持体層と表面保護層に接して設置」されていることなどを特徴とする発明である。
 図面等によると、反射素子層と表面保護層との間の一部に印刷層が挟み込まれており、印刷層が配置されていない位置では、反射素子層と表面保護層とは密着した構造となっている。しかし請求項の文言上は、反射素子層と表面保護層とが密着していることは明示の規定がない。反射素子層と表面保護層とが密着していない場合は、反射素子層と表面保護層との間に水が入り込み劣化する(耐候性が劣る)可能性がある。
 審決では「本件発明には、本件明細書の耐候性試験において「異常無し」と評価することができない態様が含まれる」として、本件発明はサポート要件を満たさないと判断した。
 一方、知財高裁は、背景技術の記載等を考慮した上で、「本件発明の「特許請求の範囲」につき、保持体層と表面保護層とが接しているか否かを特定する記載がないから、保持体層と表面保護層が密着性が保たれている幅で接着している構成を欠くものと解するのは不当であり、むしろ、密着性があることは当然の前提とされているものと解すべきである」と判断し、サポート要件は満たされると結論づけた。
 
2.本件発明1
「少なくとも多数の反射素子と保持体層からなる反射素子層、および、反射素子層の上層に設置された表面保護層からなる再帰反射シートにおいて、反射素子層にポリカーボネート樹脂を用い、表面保護層に(メタ)アクリル樹脂を用い、保持体層と表面保護層の間に印刷層が保持体層と表面保護層に接して設置されており、該印刷層の印刷領域が独立した領域をなして繰り返しのパターンで設置されており、連続層を形成せず、該独立印刷領域の面積が0.15mm~30mmであり、該印刷層は、白色の無機顔料として酸化チタンを含有することを特徴とする印刷された再帰反射シート。」
 
3.審決の判断(サポート要件違反について)
「本件発明の課題は、「耐候性及び耐水性に優れ、かつ、色相の改善された再帰反射シート」を得ることにある(【0004】、【0008】、【0012】、【0014】、【0015】)。
 ところが、本件発明の「特許請求の範囲」には、「保持体層」、「表面保護層」及び「印刷層」の積層構造について、「保持体層と表面保護層との間に印刷層が保持体層と表面保護層に接して設置されており」とのみ記載され、「保持体層」と「表面保護層」とが接しているか否かを特定する記載はないから、本件発明は、「保持体層」と「表面保護層」が密着性が保たれている幅で接着している構成を欠くものであり、本件発明には、本件明細書の耐候性試験(【0054】)において「異常無し」と評価することができない態様が含まれている。
 したがって、本件発明は、発明の詳細な説明に記載されたものであるということはできないから、本件特許の特許請求の範囲の記載は、特許法36条6項1号に規定する要件を満たさない。」
 
4.裁判所の判断のポイント
「取消事由3(サポート要件違反の判断の誤り)について
  特許法36条6項1号は、特許請求の範囲の記載に際し、発明の詳細な説明に記載した発明の範囲を超えて記載してはならない旨を規定したものであり、その趣旨は、発明の詳細な説明に記載していない発明について特許請求の範囲に記載することになれば、公開されていない発明について独占的、排他的な権利を請求することになって妥当でないため、これを防止することにあるものと解される。
  そうすると、特許請求の範囲の記載が同号所定の要件(サポート要件)に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解するのが相当である。
  本件明細書の発明の詳細な説明には、・・・(略)・・・との記載がある。
  これらの記載を総合すると、本件発明は、三角錐型キューブコーナー再帰反射シートや蒸着型三角錐型キューブコーナー再帰反射シート等で色相を改善するために印刷層を設けた場合における耐候性や耐水性に劣るという従来技術における欠点を非常に簡単で安価な方法で解決し、色相の改善された再帰反射シートを提供するものであると認められる。
  そこで、本件発明が、特許請求の範囲に記載された発明が発明の詳細な説明に記載された発明であり、上記詳細な説明の記載又は本件出願時の技術常識に照らして、当業者が前記のような本件発明の課題を解決するものと認識できる範囲のものであるといえるかについて、検討する。
 
ア 本件明細書の発明の詳細な説明には、「発明を実施するための最良の形態」として、・・(略)・・との記載がある。
  上記で摘示した本件明細書の発明の詳細な説明からすると、本件発明は、発明の詳細な説明に記載された発明であるといえる。
イ そして、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明の実施例として、実施例1( 厚さ70μmのアクリル樹脂フィルム(三菱レーヨン株式会社製「サンデュレンLHB」)に印刷インキを用いて、直径2mmの円形状の印刷パターンでピッチが4mmの図4に示すような千鳥状にグラビア印刷を行った図1(後掲)で示される三角錐型キューブコーナー型再帰反射シート(印刷厚みは約2μm)。【0057】ないし【0067】)、実施例2(実施例1の条件の下で作成された蒸着型三角錐型キューブコーナー再帰反射シート。【0068】、【0069】)、実施例3( 実施例1で作成した印刷インキを用いて、直径1mmの円形状の印刷パターンでピッチが3mmの図4(後掲)に示されたような千鳥状にグラビア印刷をポリカーボネート面に行い、実施例1と同じ条件で圧縮成形し、密封封入構造と粘着剤層を設置した蒸着型三角錐型キューブコーナー再帰反射シート(印刷厚みは約2μm)。【0070】ないし【0074】)と、比較例1(印刷の図柄を図6(後掲)の模様とした以外は実施例1に同じ。)、比較例2(印刷の図柄を図6の模様とした以外は実施例2に同じ。)とを対比した実験結果が開示されている(表1(後掲))。
・・・(図表略)・・・
 実施例1ないし3は、図1で示される積層構造も踏まえると、「反射素子と保持体層からなる反射素子層」と、「反射素子層の上層に設置された表面保護層から」なり、保持体層と表面保護層の間に印刷層が設置されており」、また、図4は(図6と異なり)千鳥状に印刷領域が配置されているから、「印刷領域が独立した領域をなして繰り返しのパターンで設置されて」、「連続層は形成」しないものであり、独立印刷領域の面積が実施例1、2は1m㎡、実施例3は0.25m㎡であり、印刷層は、酸化チタン等の顔料で印刷(【0061】)された、厚さ2μmの再帰反射シートであるところ、これらは再帰反射性及び耐候性試験後の外観に異常はなかったのに対し、比較例(独立した印刷領域を設けない図6の模様)では印刷部のフクレが生じたことが開示されている。
 前記アで摘示した本件明細書の各段落の記載と上記比較実験の結果を踏まえると、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件発明の発明特定事項を備える再帰反射シートは、前記 で認定した本件発明の課題を解決することができるものと認識できる範囲のものであるといえる。 
ウ 本件審決は、本件発明の「特許請求の範囲」には、「保持体層」、「表面保護層」及び「印刷層」の積層構造について、「保持体層と表面保護層との間に印刷層が保持体層と表面保護層に接して設置されており」とのみ記載され、「保持体層」と「表面保護層」とが接しているか否かを特定する記載はないことを理由として、本件発明は、「保持体層」と「表面保護層」が密着性が保たれている幅で接着している構成を欠くものが含まれている旨判断する。
 しかし、本件発明は、道路標識、工事標識等の標識類、自動車やオートバイ等の車両のナンバープレート等に使用される再帰反射シートに関するものであり(【0002】)、屋外での使用が当然想定されているといえ、また、再帰反射シートにおいて一定の耐候性が要求されること自体は技術常識であるといえる。そして、本件明細書では、従来技術の再帰反射シートは、色相を改善するために再帰反射シートの一部に連続した印刷層を設ける試みもされているが、印刷層は、表面保護層と密着性がやや劣り、耐候性試験においてフクレが生じたり、吸水しやすいという欠点があった(【0008】、【0009】、【0012】)と記載されている。このような事情に照らせば、本件発明の「特許請求の範囲」につき、保持体層と表面保護層とが接しているか否かを特定する記載がないから、保持体層と表面保護層が密着性が保たれている幅で接着している構成を欠くものと解するのは不当であり、むしろ、密着性があることは当然の前提とされているものと解すべきである(「表面保護層」及び「保持体層」との用語自体及びその性質に照らしても、この両者を敢えて密着性が保たれない幅で接着することは想定し難い。)。
 また、被告は、前記第3の13 のとおり、本件審決は、「保持体層」と「表面保護層」とが接着していることが特定されていない点だけでなく、本件発明1の「独立印刷領域」がない部分の「保持体層」と「表面保護層」とが密着性が保たれるような幅で接着しているとはいえない点を問題にしており、上記構成を欠いた「再帰反射シート」が本件明細書の【0054】に記載された耐候性試験において「異常無し」との評価を得るに至らない態様が含まれる以上は、サポート要件違反が認められる旨主張する。
 しかし、本件発明においては、前述のとおり、「表面保護層」と「保持体層」とが密着性があることは当然の前提とされているものであるから、被告の主張は、その前提を誤るものというべきであり、採用し得ない。
 したがって、本件発明がサポート要件を満たさない旨の本件審決の判断は、判断の前提を誤解するものであり、誤りである。」

2022年10月23日日曜日

引用された特許文献の「発明の概要」の記載事項と「実施例」の記載事項とを組み合わせることの適法性が争われた事例

 
知財高裁令和4615日判決
令和3(行ケ)10096号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許出願に対する進歩性欠如を理由する拒絶審決の取り消しを特許出願人である原告が求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 本件補正発明における
「前記白色光は、ピーク波長が518nm~550nmの間にあり、半値幅は90nm未満である前記緑色光成分と、ピーク波長が620nm以上である領域にあり、半値幅が42nm以上49nm以下である前記赤色光成分とを含む」
という構成が、引用文献である米国特許公開公報に記載されているか否かが争点の1つ。
 引用文献である米国特許公開公報では、「発明の概要」に相当する欄に「発光ピークのFWHM(半値全幅)は、約45nmまたはそれ以下」という構成が記載されており、「実施例」のデータとして、「白色光は、赤色光成分のピーク波長が630nm、緑色光成分のピーク波長が540nmであり、白色光の色座標(x,y)において、赤色頂点は(0.671,0.307)であり、緑色頂点は(0.239,0.691)である」という構成が記載されている。実施例では、発光ピークのFWHM(半値全幅)のデータの記載はない。
 審決では、引用文献のこれらの記載から、本件補正発明における上記の構成が引用文献に記載されていると認定した。
 原告は、「引用文献の各所に記載された別々の構成要素を都合よく組み合わせたものにすぎないから、このような引用発明の認定方法は、恣意的であり、引用文献の内容から引用発明を正しく認定するものではない。」と主張した。
 知財高裁は、「引用文献の前後の文脈に照らすと、これらの開示は、引用文献が開示する発明一般に当てはまるものと解される」「引用文献中の実施例よりも前の部分(発明の概要)に置かれた上記各段落の記載に基づくものであるとしても、一まとまりの技術的思想に基づく単一の発明中に両者の構成を併存させることは十分に可能であるから、前者の構成を含むものとして引用発明を認定した本件審決に誤りはない。」とし、審決に違法性はないと判断し、原告の請求を棄却した。
 
2.本件補正後の請求項1に係る発明(本件補正発明)
「青色光を放出する発光素子と、
 前記青色光を緑色光及び赤色光に変換する量子ドット材料、樹脂および散乱剤を
含み、前記発光素子が放出する前記青色光を白色光に変換して放出する光変換層と、
 を含み、
 前記散乱剤は、前記光変換層の全体重量に対して10重量%以下で含まれており、
 下記(1)および(2)の少なくとも一方を満たす光源: 
(1)前記白色光は、ピーク波長が518nm~550nmの間にあり、半値幅は90nm未満である前記緑色光成分と、ピーク波長が620nm以上である領域にあり、半値幅が42nm以上49nm以下である前記赤色光成分とを含む;
(2)前記白色光の色座標において、赤色頂点は0.65<Cx<0.69かつ0.29<Cy<0.33の領域に位置し、緑色頂点は0.17<Cx<0.31かつ0.61<Cy<0.70の領域に位置する。」
 
3.引用文献(米国特許公開公報)の開示事項
「[0013]本発明は、青色LED光源と、当該LED光源からの入射光を白色光に変換する光変換層とを備える白色発光ダイオードを提供する。緑色発光半導体ナノ結晶のピーク波長は、約520nmまたはそれ以上であり、赤色半導体ナノ結晶のピーク波長は、約610nmまたはそれ以上であり、当該緑色発光半導体ナノ結晶および当該赤色発光半導体ナノ結晶それぞれの発光ピークのFWHM(半値全幅)は、約45nmまたはそれ以下であり、」
 一方、引用文献の実施例には、「白色光は、赤色光成分のピーク波長が630nm、緑色光成分のピーク波長が540nmであり、白色光の色座標(x,y)において、赤色頂点は(0.671,0.307)であり、緑色頂点は(0.239,0.691)である」という構成が記載されていると認定された。
 ただし、実施例では、上記の白色光の赤色光成分及び緑色光成分の発光ピークのFWHM(半値全幅)のデータは記載されていない。
 
4.裁判所の判断のポイント
(2)本件審決が認定した引用発明中の「緑色発光半導体ナノ結晶と赤色発光半導体ナノ結晶の発光ピークのFWHM(半値全幅)は約45nm以下であり」との構成について
 引用文献の段落[0012]、[0013]及び[0015]には、緑色発光半導体ナノ結晶及び赤色発光半導体ナノ結晶のそれぞれの発光ピークのFWHM(半値全幅)が約45nm以下であること又は45nm以下であってもよいことが開示されているところ、引用文献の前後の文脈に照らすと、これらの開示は、引用文献が開示する発明一般に当てはまるものと解される。また、引用文献を精査しても、引用発明において「緑色発光半導体ナノ結晶と赤色発光半導体ナノ結晶の発光ピークのFWHM(半値全幅)は約45nm以下であり」との構成を採用すると、本件審決が認定した「白色光は、赤色光成分のピーク波長が630nm、緑色光成分のピーク波長が540nmであり、白色光の色座標(x,y)において、赤色頂点は(0.671,0.307)であり、緑色頂点は(0.239,0.691)である」との構成が採用できなくなるとの記載又は示唆はみられない。
 そうすると、本件審決が認定した引用発明中の後者の構成(「白色光は、赤色光成分のピーク波長が630nm、緑色光成分のピーク波長が540nmであり、白色光の色座標(x,y)において、赤色頂点は(0.671,0.307)であり、緑色頂点は(0.239,0.691)である」)が、引用文献中の実施例に記載された本件第3LEDに基づくものであり(当事者間に争いがない。)、他方、前者の構成(「緑色発光半導体ナノ結晶と赤色発光半導体ナノ結晶の発光ピークのFWHM(半値全幅)は約45nm以下であり」)が、引用文献中の実施例よりも前の部分(発明の概要)に置かれた上記各段落の記載に基づくものであるとしても、一まとまりの技術的思想に基づく単一の発明中に両者の構成を併存させることは十分に可能であるから、前者の構成を含むものとして引用発明を認定した本件審決に誤りはない。」

2022年9月11日日曜日

公然実施発明による新規性が争われた事例

 知財高裁令和4年8月23日判決
令和3年(行ケ)第10137号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、「圃場を耕うんする作業機」に係る特許に対する特許無効審判において特許有効の判断を示した審決に対し無効審判請求人がその取り消しを求めた審決取消訴訟の、請求を棄却(特許は有効、審決は適法)した知財高裁判決である。
 本件発明が、本願出願前に展示会において展示された耕うん機(検甲1)により公然実施された発明であるか否かが争われた。
 本件発明の構成要件G(エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少し)が、展示会で展示された検甲1により公知となったと原告は主張したが、審決及び知財高裁判決は共に、構成要件Gは展示会で展示された検甲1により公知となったとは言えないと判断した。
 裁判所は、公然実施された発明は、「外部からは認識できなくても、当業者がその製品を通常の方法で分解、分析する等によって発明の内容を知り得る場合を含むというべきである。そして、発明の内容を知り得るといえるためには、当業者が発明の技術的思想の内容を認識することが可能であるばかりでなく、その認識できた技術的思想を再現できることを要するというべきである。」と判示した。
 
2.本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1の記載:
A 走行機体の後部に装着され、耕うんロータを回転させながら前記走行機体の前進走行に伴って進行して圃場を耕うんする作業機において、
B 前記作業機は前記走行機体と接続されるフレームと、  
C 前記フレームの後方に設けられ、前記フレームに固定された第1の支点を中心にして下降及び跳ね上げ回動可能であり、その重心が前記第1の支点よりも後方にあるエプロンと、
D 前記フレームに固定された第2の支点と前記エプロンに固定された第3の支点との間に設けられ、前記第2の支点と前記第3の支点との距離を変化させる力を作用させることによって前記エプロンを跳ね上げる方向に力を作用させる、ガススプリングを含むアシスト機構とを具備し、
J 前記ガススプリングは、シリンダーと、前記シリンダーの内部に挿入されたピストンと、前記ピストンから延長されるピストンロッドとを有し、
E 前記アシスト機構は、さらに、前記ガススプリングがその中に位置し、前記第2の支点及び第3の支点を通る同一軸上で移動可能な第1の筒状部材と第2の筒状部材とを有し、
F 前記第1の筒状部材の前記フレーム側の一端には前記第2の支点が、前記第1の筒状部材の前記エプロン側の他端には前記ピストンロッドの先端が接続され、前記第2の筒状部材の前記フレーム側の一端には前記シリンダーの先端が接続され、
G 前記第2の筒状部材の外周に突設された第1の突部が前記第3の支点を回動中心とし、前記エプロンに台座を介して設けられた第2の突部に接触して前記第3の支点と前記第2の支点との距離を縮める方向に変化することにより、前記エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少し、
H 前記ガススプリングは、前記エプロンが下降した地点において収縮するように構成される
I ことを特徴とする作業機。
 
3.原告が主張する無効理由1
 本件発明は、本件特許の出願前に公然知られた又は公然実施された検甲1(原告製「ニプログランドロータリーSKS2000(製造番号1007)」に係る発明(以下「検甲1発明」という。)と同一であるから、特許法(以下、「法」という。)29条1項1、2号に該当し、特許を受けることができないものである。
 検甲1は、平成27年(2015年)7月11日、12日、18日、19日に展示会「元氣農業応援フェア 2015 in つくば」(以下「本件展示会」という。)で展示された。
 甲103のとおり、検甲1を、本件展示会と同じスタンド姿勢(前傾約30°)に設定した状態で、本件審判の第1回口頭審理及び証拠調べ
(平成30年10月30日実施)における検証の時と同様の方法により、エプロンを跳ね上げるのに要する力(アシスト操作力)を実際に測定したところ、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロン角度の増加に伴って、一般的な作業者が感じることができる程度に徐々に減少する結果を示すグラフ(甲103の7頁のグラフ)が得られた。そのため、検甲1は、エプロンを跳ね上げるのに要する力がエプロン角度の増加に伴って徐々に減少する構成を有していた。
 
4.裁判所の判断のポイント
「(1)原告は、本件発明は本件特許の出願前に公然知られた又は公然実施された検甲1に係る発明と同一であるから、法29条1項1、2号に該当し、特許を受けることができないものであると主張する。
  法29条1項1号の「公然知られた」とは、秘密保持契約等のない状態で不特定多数の者が知り、又は知り得る状態にあることをいい、同項2号の「公然実施」とは、発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい、物の発明の場合には、対象製品が不特定多数の者に販売され、かつ、当業者がその製品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん、外部からは認識できなくても、当業者がその製品を通常の方法で分解、分析する等によって発明の内容を知り得る場合を含むというべきである。そして、発明の内容を知り得るといえるためには、当業者が発明の技術的思想の内容を認識することが可能であるばかりでなく、その認識できた技術的思想を再現できることを要するというべきである。
 本件では、検甲1発明が、本件発明の構成要件Gの「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少する」という構成を備えていたこと、あるいは本件発明の内容が検甲1発明によって公然知られていたとも公然実施されていたとも認めることはできない。その理由は、次のとおりである。
(2)原告主張の理由について 
ア 構成要件Gの理論的説明に対する認識(理由1)について
(ア)本件審決の判断
a 本件審決は、力学に関する技術常識を勘案し、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等により認められる本件発明に係る作業機の構造に照らすと、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度について、次の関係が成り立つと判断した(本件審決第6の2⑵ イ(ウ)〔本件審決97頁〕)。 
Fs>(Rw・W・sin(θ+α0)-Ra・Fg・sinθa)/(R・sin(θ+β0))
(Fs:エプロンを跳ね上げるのに要する力 
Rw:第1の支点からエプロンの重心までの距離 
Ra:第1の支点から第3の支点までの距離 
R:第1の支点からエプロンを持ち上げる位置までの距離 
W:エプロンの重心に鉛直方向に働く重力 
Fg:第3の支点に働くアシスト力 
θ:エプロンが、第1の支点を通る直線に対してなす角度(エプロンが最も下降したときにθ=0°とする。)
α0:θ=0°のときの、第1の支点とエプロンの重心とを結ぶ直線の鉛直方向に対する角度
β0:θ=0°のときの、第1の支点とエプロンを持ち上げる位置とを結ぶ直線の鉛直方向に対する角度
θa:第1の支点と第3の支点とを結ぶ直線と、第2の支点と第3の支点とを結ぶ直線がなす角度)
b 本件審決は、検甲1の作業機が、エプロンを跳ね上げるのに要する力は徐々に減少する構成を有していたといえるかについて、次のとおり判断した(本件審決第6の3⑵〔本件審決115頁〕)。
「前記『2(2)イ(ウ)』で検討したとおり、『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとは、『エプロンを跳ね上げるのに要する力』(Fs)について、前記『2(2)イ(ウ)』に示した関係(判決注:前記aに示した式の関係)を満たすFsが、エプロンが、本件発明における第1の支点を通る直線に対してなす角度θ(エプロンが最も下降したときをθ=0°とする。)が増加する所定角度範囲内において徐々に減少するような構成である。
 前記『2(2)イ(ウ)』に示した関係中の各パラメータのうち、θ 以外の項目を適宜設定し、Fsが、θが増加する所定角度範囲内において徐々に減少するような構成を実現することにより、構成要件Gにおける『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとの構成は実現される。
 したがって、エプロンを跳ね上げるのに要する力が徐々に減少する構成を有するか否かには、上記関係式中のFg(第3の支点に、第2の支点の方向に働くアシスト力)が影響し、Fgは、『第2の支点と第3の支点との距離を変化させる力を作用させることによってエプロンを跳ね上げる方向に力を作用させる、ガススプリングを含むアシスト機構』(構成要件D)によるものであるから、アシスト機構で採用される『ガススプリング』の特性(ストローク長とガス反力の関係等)に依存する。
   そうすると、構成要件Gにおける『エプロンを跳ね上げるのに要する力』が『エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少』するとの構成を有しているか否かは、外観のみから認識できる性質のものではなく、上記展示会において展示された検甲1作業機の外観のみから、検甲1作業機が、エプロンを跳ね上げるのに要する力が徐々に減少する構成を有しているとすることはできない。
(イ)原告の主張に対する判断
 原告は、本件展示会において、本件発明に係る作業機と同じ構造(ガススプリングの向きが逆である点を除く。)を有する検甲1を見た当業者は、力学的な技術常識から構成要件Gの理論的説明を認識できると主張し、構成要件Gは検甲1を見れば認識できるから検甲1は構成要件Gを備えると主張する(前記第3の1〔原告の主張〕(2)ア)。
 しかし、本件審決は、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度に係る前記(ア)aの関係を、力学に関する技術常識を勘案し、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等により認められる本件発明に係る作業機の構造から認定したものであり、本件訂正後の請求項1及び本件明細書等の記載内容を検討した上でそれを導いたものであると認められる。本件審決は、検甲1の作業機を見ることによって本件明細書の記載から導くことができる本件発明の技術的思想を認識できると判断したものではないし、当業者が本件明細書の記載から理解できる技術的思想と、検甲1の作業機の実物を見て理解できることが同じであると解すべき理由はないから、検甲1を見た当業者が、力学的な技術常識から構成要件Gの理論的説明を認識できるとする原告の主張は、採用することができない。さらに、エプロンを跳ね上げるのに要する力(Fs)とエプロンの角度に係る前記(ア)aの関係に照らすと、本件審決が述べるように、構成要件Gにおける「エプロンを跳ね上げるのに要する力は、エプロン角度が増加する所定角度範囲内において徐々に減少」するとの構成を有しているか否かは、アシスト機構で採用される「ガススプリング」の特性(ストローク長とガス反力の関係等)に依存するものであり、外観のみから認識できる性質のものではないと認められる。したがって、この点からしても、構成要件Gは検甲1を見れば認識できるから検甲1は構成要件Gを備えるという原告の主張は採用することができない。
イ エプロンを跳ね上げるのに要する力の減少に対する認識(理由2)について 
 原告は、本件展示会で検甲1を見た当業者であれば、力学的な技術常識に基づいて、構成要件Gを当然に理解認識することができ、その具体例をシミュレーションすることができるから、検甲1発明は構成要件Gを備えると主張するが(前記第3の1〔原告の主張〕⑵イ)、前記アで述べたと同様の理由により、原告の上記主張は採用することができない。
ウ 補助的資料による認定その1(理由3)について 
(ア)甲103について
 原告は、検甲1を、本件展示会と同じスタンド姿勢(前傾約30°)に設定した状態で、本件審判の第1回口頭審理及び証拠調べ(平成30年10月30日実施)における検証の時と同様の方法により、エプロンを跳ね上げるのに要する力(アシスト操作力)を実際に測定したところ、エプロンを跳ね上げるのに要する力が、エプロン角度の増加に伴って、一般的な作業者が感じることができる程度に徐々に減少する結果を示すグラフ(甲103の7頁のグラフ)が得られたとして、検甲1は、エプロンを跳ね上げるのに要する力がエプロン角度の増加に伴って徐々に減少する構成を有したものであると主張する(前記第3の1〔原告の主張〕(2)ウ(ア))
 しかし、甲103は、本件訴訟が提起された後の令和3年(2021年)11月5日に測定された結果を示すものであり、約6年半前の平成27年(2015年)7月に開催された本件展示会における検甲1の状態を示すものとは認められないから、甲103によって、本件展示会における検甲1の構成が認められるとはいえない。また、甲103の測定値によれば、エプロン角度が60度となるあたりでアシスト操作力は約17kgf になると認められ(甲103の6頁の調査結果のアシスト有1及び2のエプロン角度60.0のときの測定データ)、これは、エプロン角度が小さいときに比べればアシスト操作力は軽減されているが、それでも、17kgf の力で持ち上げなければならないことを意味する。他方、甲106の2(動画2)は、本件訴訟が提起された後の令和3年11月30日に撮影された映像であるところ、これには、エプロン角度が60度のときに手を離すとエプロンが下がらなくなり、軽く押し下げると下に回動することが示されており、これは、エプロン角度が60度のときにアシスト操作力が0となることを示しているものと認められる。そうすると、甲103の測定結果は、甲106の2に撮影された作業機の挙動とは整合しないものと認められ、その測定結果に信用性があるとは認められない。」

2022年8月6日土曜日

請求項に否定的特徴を追加する訂正(除くクレーム)が新規事項追加には該当せず「特許請求の範囲の減縮」に該当し適法だと判断された事例

 知財高裁令和4年6月22日判決
令和3年(行ケ)第10111号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は無効審判の審決(特許維持)を不服とした原告が提訴した審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 特許権者である被告は、無効審判において、進歩性欠如の無効理由に対する防御として本件訂正を請求した。本件訂正は、本件発明1の「前記加工対象物はシリコンウェハである」という特徴を、「前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハである」に限定する訂正事項1を含む。いわゆる「除くクレーム」である。
 特許庁審決及び知財高裁は、本件訂正1は、新規事項追加には該当せず「特許請求の範囲の減縮」に該当し適法であると判断した。
 「除くクレーム」の訂正補正は化学分野の特許でなされる場合が大部分であるが、本事例は、機械分野の特許であるという点で珍しいのではないか。
 
2.本件訂正発明
 本件訂正後の本件特許の請求項1に係る発明(本件訂正発明1)は、以下の通りである(下線部を追加した)。
「ウェハ状の加工対象物の内部に、切断の起点となる改質領域を形成するレーザ加工装置であって、
 前記加工対象物が載置される載置台と、 
 パルス幅が1μs以下のパルスレーザ光を出射するレーザ光源と、 
 前記載置台に載置された前記加工対象物の内部に、前記レーザ光源から出射されたパルスレーザ光を集光し、1パルスのパルスレーザ光の照射により、そのパルスレーザ光の集光点の位置で改質スポットを形成させる集光用レンズと、
 隣り合う前記改質スポット間の距離が略一定となるように前記加工対象物の切断予定ラインに沿って形成された複数の前記改質スポットによって前記改質領域を形成するために、パルスレーザ光の集光点を前記加工対象物の内部に位置させた状態で、パルスレーザ光の繰り返し周波数及びパルスレーザ光の集光点の移動速度を略一定にして、前記切断予定ラインに沿ってパルスレーザ光の集光点を直線的に移動させる機能を有する制御部と、
を備え、 
 前記加工対象物は、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハであることを特徴とするレーザ加工装置。」
 
3.裁判所の判断のポイント
「⑴ 訂正の目的について
ア 訂正前の請求項1の記載は、「加工対象物」である「シリコンウェハ」について、その文言上、「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハ」を概念的には含むものであったのに対し、訂正事項1により、そのようなシリコンウェハを除く形で限定されるものであるから、訂正事項1は、特許請求の範囲の減縮を目的とするものといえる。
 別の観点からいえば、訂正前の請求項1の記載は、その文言上、「レーザ加工装置」の構成として、切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、そのような溝が存在しないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らない「レーザ加工装置」(溝必須装置)を概念的には含むものであったのに対し、訂正事項1により、そのような装置を除く形で請求項1に係る発明のレーザ加工装置を特定したのであるから、訂正事項1は、特許請求の範囲の減縮を目的とするものともいえる。
イ 原告は、前記第3の1⑴ア のとおり、訂正事項1における「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハ」については、加工対象物がシリコン単結晶構造の場合において、「シリコン単結晶構造部分」や溝の位置、どのような溝が形成されていないのかが特定されておらず不明確であるから、訂正後の特許請求の範囲が不明確であると主張するが、そのような具体的な事項まで特定されなければ、訂正事項1が減縮か否かを判断できないほどに不明確であるとは考えられない。
 また、原告は、前記第3の1⑴ア のとおり、訂正事項1によって、請求項1の装置について、溝が形成されていないシリコンウェハを切断することが用途になるとしても、レーザ加工装置の構成がそのような特定の構成に限られるものではないから、発明の構成を限定するものではないとか、いわゆるサブコンビネーション発明の理論によれば訂正の前後で発明の要旨の認定は変わらない旨主張する。しかし、アに説示したとおり、訂正事項1により概念上請求項1に係る発明が限定されることは明らかであり、特許法134条の2第1項の「特許請求の範囲の減縮」への該当性を判断するに当たっては、これで足りると解するのが相当である。また、本件発明をサブコンビネーション発明と解するかはさて措くとして、本件における上記該当性を判断するに当たって、サブコンビネーション発明のクレーム解釈や特許要件の考え方を直接参考にする必要性があるとは認め難いし、いずれにしても本件においては、訂正事項1に係る事項は、加工対象物のみを特定する事項にとどまらず、レーザ加工装置自体についてもその構造、機能を特定する意味を有するものと解するべきであるから(本件訂正前は、溝必須装置のように溝が形成されているシリコンウェハを切断する構造を有すれば、これをもって特許要件を満たし得たのに対し、本件訂正後はこのような構造を有するのでは足りず、溝が形成されていないシリコンウェハを切断する構造を有することが必要とされることになる。)、原告の主張するところは、本件訂正が、特許請求の範囲の減縮であることを否定するに足りるものではない。
 
⑵ 新規事項の追加の有無について
ア 前記⑴アのとおり、訂正事項1は、本件訂正前の請求項1に係る発明から、概念的に包含されていた「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハ」ないし溝必須装置(=シリコン単結晶構造部分に切断予定ラインに沿った溝が形成されているシリコンウェハを切断し得る性能を有するが、シリコン単結晶構造部分に切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハを切断し得る性能を有するとは限らないレーザ加工装置)を除くにすぎないから、特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正事項1により、請求項1に係る発明の「レーザ加工装置」に新たな技術的事項が追加されることはない。
 本件明細書の記載に照らしてみても、「加工対象物がシリコン単結晶構造の場合、溶融処理領域は例えば非晶質シリコン構造である。」(【0025】)として、シリコン単結晶構造のシリコンウェハを加工対象物とする場合が記載されているし、本件明細書等の図1及び図3は、加工対象物1上の切断予定ラインが図示された平面図であるが、図1のII-II線に沿った断面図である図2、図3のIV-IV線に沿った断面図である図4のいずれにおいても、溝は形成されていないことが看取される。そして、本件明細書の【0031】の「なお、シリコンウェハは、溶融処理領域を起点として断面方向に向かって割れを発生させ、その割れがシリコンウェハの表面と裏面に到達することにより、結果的に切断される。シリコンウェハの表面と裏面に到達するこの割れは自然に成長する場合もあるし、加工対象物に力が印加されることにより成長する場合もある。」との記載に鑑みれば、本件明細書のレーザ加工装置は、切断予定部分の溝の有無に依存せずに、改質領域を起点として切断できるものである。
 したがって、本件明細書等には、シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハないしこれを切断することができるレーザ加工装置が記載されているといえるから、この点からしても、訂正事項1は、本件明細書等に記載した事項との関係において新たな技術的事項を導入するものではない。
イ 原告は、前記第3の1⑴イ のとおり、本件明細書等には、溝の形成等に関する具体的な記載や示唆はなく、「シリコン単結晶構造部分に前記切断予定ラインに沿った溝が形成されていないシリコンウェハ」の存在が当業者にとって自明であるともいえないから、訂正事項1は新規事項を導入するものである旨主張する。
 しかし、図1ないし4によれば、「切断予定ライン」は記載されている一方で、「溝」は記載されていないところ、訂正前の本件発明において「溝」が存在することが前提となっているのであれば、「切断予定ライン」を記載しながら「溝」をあえて記載しないことは不自然というほかない。
 また、【0002】の「例えば半導体ウェハやガラス基板のような加工対象物の切断する箇所に、加工対象物が吸収する波長のレーザ光を照射し、レーザ光の吸収により切断する箇所において加工対象物の表面から裏面に向けて加熱溶融を進行させて加工対象物を切断する。しかし、この方法では加工対象物の表面のうち切断する箇所となる領域周辺も溶融される。よって、加工対象物が半導体ウェハの場合、半導体ウェハの表面に形成された半導体素子のうち、上記領域付近に位置する半導体素子が溶融する恐れがある。」との記載は、「半導体ウェハ」本体の表面に「半導体素子」を形成することを前提とするものであることが明らかであるから、切断の対象となる「半導体ウェハ」が「シリコンウェハ」の場合にも、「単結晶シリコンからなるウェハ」本体の表面に半導体素子を構成する構造を有するものであって、「シリコン単結晶構造部分」がこの「単結晶シリコンからなるウェハ本体」を指すことは、当業者に自明の事項というべきであり、これは図1ないし4についても同様である。
 したがって、原告の主張は、前記アの認定を左右するに足りるものではない。
⑶ 訂正が実質上特許請求の範囲を変更し、又は拡張するかについて
 前記のとおり、訂正事項1は、本件訂正前の請求項1に係る発明に、概念的に包含されていた、「切断予定ラインに沿った溝が存在するシリコンウェハ」ないし溝必須装置を除くにすぎないから、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものではない。
⑷ 小括
 以上のとおりであって、本件訂正は訂正要件を満たすものであり、本件審決の判断に誤りはないから、取消事由1は理由がない。」

2022年7月24日日曜日

被告医薬品の医薬品添付文書の「効能・効果」から用途発明特許の非充足を判断した事例

知財高裁令和4年7月13日判決
令和4年(ネ)第10016号特許権侵害差止請求控訴事件
(原審・東京地裁令和2年(ワ)第19918号〔第1事件〕,令和2年(ワ)第22291号〔第2事件〕)
 
1.概要
 本件は、名称を「イソブチルGABAまたはその誘導体を含有する鎮痛剤」とする発明に係る特許権に基づく侵害訴訟において、東京地裁が非侵害の判断を示し、特許権者である控訴人がその取り消しを求めた控訴審の知財高裁判決である。
 知財高裁は、被告医薬品は本件特許に係る本件訂正発明3、4の用途を特定する構成要件を満たしていないと判断し、控訴を棄却した。
 
2.本件訂正発明
本件訂正発明3
3A (S)3(アミノメチル)5−メチルヘキサン酸または3−アミノメチル−5−メチルヘキサン酸を含有する,
3B 炎症を原因とする痛み,又は手術を原因とする痛みの処置における
3C 鎮痛剤。
 
本件訂正発明4
4A I(省略)の化合物またはその医薬的に許容される塩,ジアステレオマー,もしくはエナンチオマーを含有する,
4B 炎症性疼痛による痛覚過敏の痛み,又は術後疼痛による痛覚過敏若しくは接触異痛の痛みの処置における
4C 鎮痛剤。
 
3.裁判所の判断のポイント
「ア 構成要件3B、4Bについて
 本件発明4は、「痛みが炎症性疼痛、神経障害による痛み、癌による痛み、術後疼痛、幻想肢痛、火傷痛、痛風の痛み、骨関節炎の痛み、三叉神経痛の痛み、急性ヘルペスおよびヘルペス後の痛み、カウザルギーの痛み、特発性の痛み、または線維筋痛症である・・・鎮痛剤。」とするのに対して、本件訂正発明4は、「・・・炎症性疼痛による痛覚過敏の痛み、又は術後疼痛による痛覚過敏若しくは接触異痛の痛みの処置における鎮痛剤」として、「炎症性疼痛」又は「術後疼痛」を原因とするものに限定しているから、構成要件4Bの「炎症性疼痛による痛覚過敏の痛み、又は術後疼痛による痛覚過敏若しくは接触異痛の痛み」とは、少なくとも、神経障害と線維筋痛症とは異なる原因から生じる「痛覚過敏の痛み」又は「接触異痛の痛み」(ただし、術後疼痛に係るものに限る。)を対象とするものと解される。
 そうすると、神経障害又は線維筋痛症から生じる「痛覚過敏の痛み」や「接触異痛の痛み」は、本件訂正発明4の技術的範囲には含まれないものというべきである。
 次に、本件訂正発明3は、「・・・炎症を原因とする痛み、又は手術を原因とする痛みの処置における鎮痛剤。」とするところ、この「炎症を原因とする痛み、又は手術を原因とする痛み」が、「炎症性疼痛」又は「術後疼痛」を指すものかは、特許請求の範囲の記載からは必ずしも明らかではない。
 そこで、本件明細書の記載をみるところ、前記⑴イのとおり、本件明細書には、本件化合物に係る試験結果として、炎症性疼痛及び術後疼痛に関するものが開示されているのみであるから、「炎症を原因とする痛み」又は「手術を原因とする痛み」は、それぞれ、「炎症性疼痛」及び「術後疼痛」を単に言い換えたものにすぎないと理解するのが自然である。そうすると、前記で説示するとおり、神経障害又は線維筋痛症から生じる「痛み」は、本件訂正発明3の技術的範囲に含まれないものというべきである。
・・・(略)・・・・
イ 被告医薬品の充足性について
 引用に係る原判決第2の1イbによれば、被告医薬品は「効能・効果を神経障害性疼痛及び線維筋痛症に伴う疼痛」とするものであるから、前記アで説示したところからすると、被告医薬品は、本件訂正発明3及び4の技術的範囲に属さないものと認められる。
ウ 控訴人の主張について
 控訴人は、主位的には、本件訂正発明3及び4の技術的範囲は、侵害受容性疼痛に分類されるべきものではなく、炎症(手術)を原因として神経細胞の感作によって生じた痛覚過敏又は接触異痛の痛みと認定されるべきところ、被告医薬品は、炎症(手術)による炎症から神経損傷等を生じて、これにより神経細胞の感作を生じて発症した神経障害性疼痛や線維筋痛症に伴う疼痛を用途として含むから、本件訂正発明3及び4の技術的範囲に含まれる旨主張し、予備的には、本件訂正発明3及び4の痛みが侵害受容性疼痛に該当する痛みに限定されるとしても、炎症や手術を原因として生じた侵害受容性疼痛と炎症や手術を原因とした神経障害性疼痛及び線維筋痛症に伴う疼痛とを区別できないから、被告医薬品は本件訂正発明3及び4の技術的範囲に含まれる旨主張する。しかしながら、被告医薬品の添付文書(甲13)に記載された効能又は効果は、「神経障害性疼痛、線維筋痛症に伴う疼痛」であり、これら疼痛を侵害受容性疼痛に分類されるものに限定するか否かにかかわらず、その用途は、前記アにおいて説示したとおり、本件訂正発明3及び4の用途である「炎症性疼痛」又は「術後疼痛」とは異なるものである。また、仮に、患者の主観において、どの痛みがどの原因によって発症しているかを区別することができず、「炎症性疼痛」又は「術後疼痛」の痛みと神経障害性疼痛又は線維筋痛症に伴う疼痛が混在して発症し得るとしても、それぞれは別の原因から生じた痛みであって治療の対象も異にするのであるし、前示のとおり、被告医薬品の添付文書の「効能・効果」欄には「神経障害性疼痛、線維筋痛症に伴う疼痛」のみが記載され、「用法・用量」欄もこれを前提としており、炎症や手術を原因とする痛みに対して用いられることは記載されておらず(甲13)、被控訴人らにおいて、炎症や手術を原因とする痛みや「混合性疼痛」の治療に用いられることを意図して被告医薬品を製造販売しているものと認めるに足りる証拠もない。そして、被告医薬品が混合性疼痛の患者に対して処方される場合があったとしても、その場合に対象となっている痛みは、あくまでも神経障害性疼痛又は線維筋痛症に伴う疼痛に対するものであって、併存している「炎症性疼痛」又は「術後疼痛」に対するものとはいえない。したがって、被告医薬品が本件訂正発明3及び4の構成要件3B及び4Bを充足することにはならない。」

2022年6月26日日曜日

引用発明を改変することの阻害要因、引用発明において別の手段により課題が解決されていること等を考慮して進歩性が肯定された事例

知財高裁令和4531日判決

令和3(行ケ)10082号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、請求項に係る発明の進歩性を否定する拒絶審決に対する審決取消訴訟において、拒絶審決の違法性を認め審決を取り消した知財高裁判決である。

 審決取消訴訟では、本願請求項1に係る発明の、引用発明に対する相違点3等が、引用発明を改変することで容易に想到可能であると認定した。

 知財高裁は、引用発明と本願発明とは共通の課題を有するが、引用発明では当該課題は別の手段により解決されていること、引用発明において相違点3の構成を適用した場合には引用発明の効果が損なわれること等の理由から「阻害要因」を認め、審決を取り消した。

 

2.特許請求の範囲の記載

 本件補正後の請求項1に係る特許請求の範囲の記載は、次のとおりである(甲12)。 

「導体と前記導体を覆うように形成された絶縁層とを含むシールドされていないコア材が複数本撚り合されて形成されたコア電線であって、電動パーキングブレーキ用の2本の第1のコア材と、アンチロックブレーキシステム用の2本の第2のコア材と、によって形成されたコア電線と、前記コア電線のみを巻くテープ部材と、

 前記テープ部材上に形成された被覆層と、を備え、 

 2本の前記第1のコア材の各々の導体の断面積は、1.5~3.0mmの範囲に含まれ、

 2本の前記第2のコア材の各々の導体の断面積は、0.18~0.40mmの範囲に含まれ、

 2本の前記第2のコア材は互いに撚り合されてサブユニットが形成され、前記サブユニットと撚られていない2本の前記第1のコア材とが撚り合されて前記コア電線が形成され、

 2本の前記第1のコア材と前記サブユニットとがそれぞれ接しているとともに、2本の前記第1のコア材及び前記サブユニットは前記テープ部材と接している、

 電気絶縁ケーブル。」

 

3.本件審決が認定した本願発明と引用発明との一致点及び相違点

ア 一致点

「導体と前記導体を覆うように形成された絶縁層とを含むシールドされていないコア材が複数本撚り合されて形成されたコア電線であって、少なくとも、2本の第1のコア材と、2本の第2のコア材と、によって形成されたコア電線と、被覆層と、

を備え、

 2本の前記第1のコア材の各々の導体の断面積は、1.5~3.0mmの範囲に含まれ、 

 2本の前記第2のコア材は互いに撚り合されてサブユニットが形成され、前記サブユニットと撚られていない2本の前記第1のコア材とが撚り合されて前記コア電線が形成されている、

電気絶縁ケーブル。」

 

イ 相違点

相違点1

「第1のコア材について、本願発明では『電動パーキングブレーキ用』であるのに対し、引用発明ではそのような特定がなされていない点。」

相違点2

「第2のコア材について、本願発明では『アンチロックブレーキシステム用』であるのに対し、引用発明ではそのような特定がなされていない点。」

相違点3

「本願発明は『前記コア電線のみを巻くテープ部材』を有するのに対し、引用発明ではそのような特定がなされていない点。」

相違点4

「被覆層について、本願発明では『前記テープ部材上に形成された』ものであるのに対し、引用発明にはそのような特定がなされていない点。」

相違点5

「2本の前記第2のコア材について、本願発明では『各々の導体の断面積は、0.18~0.40mmの範囲に含まれ』ているのに対し、引用発明では、『第2のコア材』に相当する『信号用線心』の導電体径の直径が0.9mm前後であり、断面積は0.6mm程度である点。」

相違点6

「本願発明では『2本の前記第1のコア材と前記サブユニットとがそれぞれ接しているとともに、2本の前記第1のコア材及び前記サブユニットは前記テープ部材と接している』のに対し、引用発明は、『両線心10、20は、信号用線心20の2束の撚線が互いに接すると共に、2本の電源用線心10がそれぞれ信号用線心20による2束の撚線に接するように配置された状態で一体に撚り合わされ』ているものの、そのような特定はなされていない点。」

 

4.裁判所の判断のポイント

「相違点3、4及び6について

ア 相違点3に係る容易想到性

(ア)前記4のとおり、本件原出願日の時点における工業用の電気絶縁ケーブルの技術分野においては、撚り合わせたコア電線を押さえたり、耐熱性を持たせたりすることなどを目的として、コア電線にテープ部材を巻くことは周知技術であり、その結果としてコア電線とシースとの間にテープ部材が配置されることも周知技術であったと認められる。

 そして、上記2で検討したとおり、引用発明は、工業用の電気絶縁ケーブルに関する発明であり、上記周知技術と技術分野を共通にすることからすれば、甲1公報に接した当業者は、複数の線心をシースで覆う構造である引用発明に対して上記の周知技術を適用し、撚り合わせた複数の線心をテープ部材で巻き、その結果、コア電線とシースとの間にテープ部材が配置される構成とすることを動機付けられるものといえる。

(イ)しかしながら、前記1(3)で検討したとおり、本願発明は、被覆層を除去してコア電線を露出させる作業の作業性に関し、コア材の外周面に粉体が塗布された従来のケーブルには、コア材を取り出す作業の際に粉体が周囲に飛散し、作業性が低下してしまうという課題があったことから、コア電線と被覆層との間に、コア電線に巻かれた状態で配置されたテープ部材を備える構成とすることにより、テープ部材を除去することによって容易にコア電線と被覆層とを分離することができるようにして、上記課題を解決しようとする点に技術的意義を有するものである。

 他方で、前記2(3)イで検討したとおり、引用発明は、線心の取り出しを容易に行うことができるようにすることを課題の一つとする発明であり、この点で本願発明と課題を共通にするものといえるが、電源用線心及び信号用線心の外周をシースで覆うのみの形で被覆する構成とすることによって上記課題を解決しようとするものであり、本願発明とは課題を解決する手段を異にするものといえる。

 このように、引用発明においては、本願発明と共通する課題が本願発明とは異なる別の手段によって既に解決されているのであるから、当該課題解決手段に加えて、両線心をテープ部材で巻き、その結果、両線心とシースとの間にテープ部材が配置される構成とする必要はないというべきである。そして、引用発明に上記のような構成を加えると、線心を取り出そうとする際に、シースを除去する作業のみでは足りず、更にテープ部材を除去する作業が必要となることから、かえって作業性が損なわれ、引用発明が奏する効果を損なう結果となってしまうものといえる。加えて、甲1公報をみても、引用発明の効果を犠牲にしてまで両線心をテープ部材で巻くことに何らかの技術的意義があることを示唆するような記載は存しない。

(ウ)以上によれば、引用発明に上記周知技術を適用することには阻害要因があるというべきであるから、相違点3に係る「前記コア電線のみを巻くテープ部材」という構成の意義について検討するまでもなく、本件原出願日当時の当業者が、引用発明及び上記周知技術に基づいて、相違点3に係る本願発明の構成を容易に想到し得たものとはいえない。

 

エ 相違点3、4及び6に係る被告の主張に対する判断

(ア)被告は、相違点3に関し、(1)甲1公報には引用発明が簡素な構成を課題解決手段としたものであることについては何も記載されていない、(2)甲1公報に記載された電源用線心及び信号用線心の取り出しが容易に行えるという効果は従来例と比較しての記載にすぎない上、線心がシース内に埋め込まれている従来例及び線心をシースで覆う引用発明のいずれが簡素な構成であるかは不明である、(3)甲1公報に記載された実施例について、両線心の外周がシースで覆われているのみであるとしても、甲1公報には両線心の上に何らかの部材を介在させることを排除する記載はないことを理由に、引用発明にテープ部材を介在させることについて、原告が主張するような阻害要因があるとはいえない旨主張する(前記第3の〔被告の主張〕3(2)エ)。

 しかしながら、前記2(3)イで検討したとおり、引用発明は、線心の取り出しを容易に行うことができるようにすることを課題の一つとする発明であり、電源用線心及び信号用線心の外周をシースで覆うのみの形で被覆する構成とすることによってこの課題を解決しようとするものであるといえることからすれば、上記(1)の主張は理由がないというべきである。

 また、上記周知技術の適用が引用発明の効果に及ぼす影響については、引用発明の構成を前提に検討すべきものであって、従来例と対比して検討すべきものではないから、上記(2)の主張は理由がないというべきである。

 さらに、甲1公報には、線心上に何らかの部材を介在させることを排除する明示的な記載はないものの、上記アで検討したとおり、引用発明における課題解決手段及びその効果を考慮すれば、引用発明に上記周知技術を適用すると、線心の取り出しを容易に行うことができるようにするという引用発明の効果を損なう結果となってしまうというべきであるから、上記(3)の主張も理由がないというべきである。

 したがって、被告の上記主張は採用することができない。」

2022年5月29日日曜日

インターネット上の投稿記事の証拠能力に関する判断の例

 知財高裁令和4511日判決
令和3(行ケ)10080号審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、被告の特許権に対する無効審判での特許有効の審決に対する審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 SNS上の投稿記事(甲63、65、66の1)に掲載の写真が周知技術の証拠として原告により提出された。被告は投稿日時が正確でないことなどから証拠価値はないと主張したが、知財高裁は「前記(2)イの各投稿がされた日付につき、これが不正確であることをうかがわせる証拠はなく、これらの投稿は、いずれも本件出願日前にされたものであると認められる。その他、甲6365及び661の信用性を減殺するような事情は認められない。」と判断した。
 
2.本件発明
「入射光をそのまま光源方向へ再帰反射する黒色の再帰反射材と、
 前記再帰反射材の表面に印刷により形成された図柄からなる透光性の印刷層と、
を備えることを特徴とする図柄表示媒体。」
 
 原告は、「黒色の再帰反射フィルムに文字、図柄等からなる印刷層を形成することは、本件出願日当時の周知技術であった」ことの証拠として、以下の三つを提出した。
 甲63(インターネット上の電子掲示板への投稿記事(2011215))
 甲65(フェイスブックへの投稿記事(201275日、同月6日及 び201557))
 甲661(ユーチューブへの投稿記事(201517))
 
3.裁判所の判断のポイント
「ア 被告は、甲6365及び661は撮影に関する条件の詳細が不明であり、再帰反射を意味する「retroreflective」の語が使用されておらず、投稿日時が正確でないから、これらの証拠に証拠価値はないと主張する。
 しかしながら、前記(2)イのとおり、これらの証拠からは、文字、図柄等が印刷された黒色反射材等を撮影した写真等が掲載されていることが明確に見て取れるのであり、これは、撮影に関する条件の詳細が不明であることにより左右されるものではない。また、確かに、これらの証拠においては、「retroreflective」ではなく「reflective」の語が用いられているが、前記(2)イの記載等の内容に加え、再帰反射材に係るカタログであることが明らかな甲4において「reflective」の語が用いられていることも併せ考慮すると、甲6365及び661にいう「reflective」は、再帰反射を意味するものと解するのが相当である。さらに、前記(2)イの各投稿がされた日付につき、これが不正確であることをうかがわせる証拠はなく、これらの投稿は、いずれも本件出願日前にされたものであると認められる。その他、甲6365及び661の信用性を減殺するような事情は認められない。

2022年5月22日日曜日

請求項補正の目的の「限定的減縮」の該当性が争われた事例

 知財高裁令和4428日判決言渡
令和3(行ケ)10097号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許出願人である原告が、拒絶査定不服審判の請求時に提出した手続補正書が「限定的減縮」の目的要件を満たさないと判断した拒絶審決の取り消しを求めたが、知財高裁が請求を棄却した事例である。
 補正前の請求項10は、補正前の請求項1〜7に従属する請求項8又は9に記載のシステムの構成要件を内的に限定する4つの特徴を記載する請求項であった。
 原告が拒絶査定不服審判請求時に提出した手続補正書では、新たに請求項8を追加し、補正前の請求項10を補正後の請求項11とした。補正後の請求項8は、補正後の請求項1〜7のいずれか1項に記載のシステムの構成要件を内的に限定する、補正前の請求項10に記載の4つの特徴のうち3つを記載する請求項である。すなわち補正後の請求項8は、補正前の請求項1と請求項10の間の中間概念に相当する。
 知財高裁は、「補正が『特許請求の範囲の減縮』を目的とするものに該当するというためには、補正後の請求項が補正前の請求項の発明特定事項を限定した関係にあることが必要であり、その判断に当たっては、補正後の請求項が補正前のどの請求項と対応関係にあるかを特定し、その上で、補正後の請求項が補正前の当該請求項の発明特定事項を限定するものかどうかを判断すべきものと解される。また、補正により新しい請求項を追加する増項補正であっても、補正後の新しい請求項がそれと対応関係にある補正前の特定の請求項の発明特定事項を限定するものであれば、『特許請求の範囲の減縮』を目的とするものに該当するものと解される。」として、本件のような「増項補正」であっても「特許請求の範囲の減縮」に該当する場合があることを判示した。
 このため仮に補正後の請求項8が補正前の請求項1に対応する場合は、請求項8を追加する補正も「特許請求の範囲の減縮」を目的とする補正と判断される余地があることになる。
 しかしながら知財高裁は、本件の場合は、「本件補正後の請求項8は、本件補正後の請求項1のほか、請求項2ないし7の発明特定事項を引用するものであり、本件補正後の請求項1の従属項であるのみならず、請求項2ないし7の従属項でもあること、本件補正後の請求項1は、本件補正後の請求項2ないし7の発明特定事項を含むものではないことからすると、本件補正後の請求項8は、本件補正において、本件補正前の請求項1と一対一で対応する請求項に該当しないのはもとより、これに準ずるような対応関係に立つものと認めることはできない。」として、補正後の請求項8は、補正前の請求項1と対応するものではなく、補正前の請求項10と対応するものであると判断した。そのうえで、知財高裁は、補正後の請求項8は、補正前の請求項10を拡張するものであるから、「特許請求の範囲の減縮」には該当せず、拒絶審決は適法であると結論づけた。
 もし仮に、補正後の請求項8が、請求項1のみに従属する請求項であった場合に、補正前の請求項1に対応するものと判断され、補正後の請求項8を追加する補正が、「特許請求の範囲の減縮」を目的とするという結論になったのかが興味深いところである。
 
2.補正の前後の請求項
2.1.補正前の請求項1、10
【請求項1】
 スポーツ器具による物体の打撃を伴うプレーヤまたはユーザにより実行されるスポーツ動作のパフォーマンスに関する情報を少なくとも1個のセンサから自動的に収集するためのシステムであって、
 該システムは、少なくとも1個のタグと、身体装着型装置とを備え、 
 前記少なくとも1個のタグは、少なくとも1個のRFIDタグまたはNFCタグからなり、かつ、前記スポーツ器具に取り付けられるよう構成されており、
 前記身体装着型装置は、ストラップと、前記少なくとも1個のセンサと、タグ読取装置とを備え、
 前記少なくとも1個のセンサは、少なくとも1個のスイングセンサと、少なくとも1個の物体接触センサとを備え、該少なくとも1個の物体接触センサは、前記スポーツ器具による前記物体との接触を検知するように構成されており、
 該システムは、前記少なくとも1個のスイングセンサからの読み取り値に基づいて、あるいは、該読み取り値に応答して、前記少なくとも1個の物体接触センサを作動させるよう構成されており、および、
 前記タグ読取装置は、RFIDタグ読取装置またはNFCタグ読取装置からなり、かつ、前記ストラップの少なくとも一部またはすべてに沿ってまたはその周囲に延在するアンテナを備える、システム。
 
【請求項10】 
 前記ストラップは、前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能であり、 
 該システムが、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備え、該システムが、特定された前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 該システムが、複数のアンテナ整合回路またはシステム、および/または、調整可能な整合回路またはシステムを備え、該システムが、特定された前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記整合回路またはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 前記ストラップセンサが、前記ストラップの第1の部分に備えられた1個以上の第1接点と、前記ストラップの第2の部分に備えられた1個以上の第2接点とを備えるか、あるいは、第1接点および第2接点と通信可能であり、第1接点のうちの1個以上が、第2接点のうちの1個以上と選択的に接触可能であり、前記ストラップが閉じられるか固定されたときに、第1接点の1個以上および第2接点の1個以上の間の接触により測定回路を完成させるように構成されている導体によって、第1接点と第2接点とが結合されて、該システムが、前記ストラップセンサによって測定された前記測定回路の少なくとも1つの電気特性に基づいて、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さを特定するように構成されている、請求項8または9に記載のシステム。
 
 
2.2.補正後の請求項8、11
【請求項8】
 前記ストラップは、前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能であり、
 該システムが、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 該システムが、複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されている、請求項1~7のいずれかに記載のシステム。
 
【請求項11】(補正前の10に相当)
 前記ストラップは、前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能であり、
 該システムが、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 該システムが、複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 前記ストラップセンサが、前記ストラップの第1の部分に備えられた1個以上の第1接点と、前記ストラップの第2の部分に備えられた1個以上の第2接点とを備えるか、あるいは、第1接点および第2接点と通信可能であり、第1接点のうちの1個以上が、第2接点のうちの1個以上と選択的に接触可能であり、前記ストラップが閉じられるか固定されたときに、第1接点の1個以上および第2接点の1個以上の間の接触により測定回路を完成させるように構成されている導体によって、第1接点と第2接点とが結合されて、該システムが、前記ストラップセンサによって測定された前記測定回路の少なくとも1つの電気特性に基づいて、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さを特定するように構成されている、請求項または10に記載のシステム。
 
3.裁判所の判断のポイント
「1 補正事項1の判断の誤りについて 
⑴ 本件補正後の請求項8と対応する補正前の請求項について
ア特許法17条の2第5項は、拒絶査定不服審判を請求する場合において、その審判の請求と同時に特許請求の範囲についてする補正(同条1項ただし書4号)は、同条5項1号から4号までのいずれかの事項を目的とするものに限ると規定し、同項2号は、「特許請求の範囲の減縮」(同法36条5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)と規定している。同法17条の2第5項の趣旨は、拒絶査定を受け、拒絶査定不服審判の請求と同時にする特許請求の範囲の補正について、既に行った先行技術文献調査の結果等を有効利用できる範囲内に制限することにより、迅速な審査を行うことができるようにしたことにあるものと解される。このような同項の趣旨及び同項2号の文言に照らすと、補正が「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当するというためには、補正後の請求項が補正前の請求項の発明特定事項を限定した関係にあることが必要であり、その判断に当たっては、補正後の請求項が補正前のどの請求項と対応関係にあるかを特定し、その上で、補正後の請求項が補正前の当該請求項の発明特定事項を限定するものかどうかを判断すべきものと解される。
 また、補正により新しい請求項を追加する増項補正であっても、補正後の新しい請求項がそれと対応関係にある補正前の特定の請求項の発明特定事項を限定するものであれば、「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当するものと解される。
 以上を前提に、補正事項1が「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当するかどうかについて判断する。 
イ前記第2の2(1)のとおり、本件補正前の特許請求の範囲は、請求項1ないし21からなり、請求項1ないし16に係る発明はシステムの発明、請求項17及び18に係る発明は携帯装置の発明、請求項19及び20に係る発明はタグの発明、請求項21に係る発明は方法の発明である。
 一方、前記第2の2(2)のとおり、本件補正後の特許請求の範囲は、請求項1ないし22からなり、請求項1ないし21に係る発明はシステムの発明、請求項22に係る発明は方法の発明である。
 本件補正前の請求項1ないし16と本件補正後の請求項1ないし17を対比すると、本件補正後の請求項1は、本件補正前の請求項1の文言の一部を補正したものであること、本件補正後の請求項2ないし7は、それぞれ本件補正前の請求項2ないし7と同一の記載であること、本件補正後の請求項9は、本件補正前の請求項8と同一の記載であること、本件補正後の請求項10ないし15は、それぞれ本件補正前の請求項9ないし14の文言の一部を補正したものであること、本件補正後の請求項16及び17は、それぞれ本件補正前の請求項15及び16と同一の記載であることが認められるから、本件補正前の請求項1ないし16は、それぞれ本件補正後の請求項1ないし7、9ないし17と対応関係にあることが認められる。
 そうすると、本件補正後の請求項8は、本件補正により、新たに追加された請求項であることが認められる。 
ウ 次に、本件補正後の請求項8の記載は、 
「前記ストラップは、前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能であり、
 該システムが、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 該システムが、複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムを備え、該システムが、特定された前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されている、
請求項1~7のいずれかに記載のシステム。」であるのに対し、 
 本件補正前の請求項10の記載は、 
「前記ストラップは、前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能であり、 
 該システムが、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備え、該システムが、特定された前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 該システムが、複数のアンテナ整合回路またはシステム、および/または、調整可能な整合回路またはシステムを備え、該システムが、特定された前記ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、前記整合回路またはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されており、
 前記ストラップセンサが、前記ストラップの第1の部分に備えられた1個以上の第1接点と、前記ストラップの第2の部分に備えられた1個以上の第2接点とを備えるか、あるいは、第1接点および第2接点と通信可能であり、第1接点のうちの1個以上が、第2接点のうちの1個以上と選択的に接触可能であり、前記ストラップが閉じられるか固定されたときに、第1接点の1個以上および第2接点の1個以上の間の接触により測定回路を完成させるように構成されている導体によって、第1接点と第2接点とが結合されて、該システムが、前記ストラップセンサによって測定された前記測定回路の少なくとも1つの電気特性に基づいて、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さを特定するように構成されている、
請求項8または9に記載のシステム。」 
であること、本件補正前の請求項10が引用する請求項8は、本件補正前の「請求項1~7」を、本件補正前の請求項9は「請求項4に従属する請求項8」を引用しているから、本件補正前の請求項10は、本件補正前の請求項1ないし7の従属項であることからすると、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項10の発明特定事項から、「前記ストラップセンサが、前記ストラップの第1の部分に備えられた1個以上の第1接点と、前記ストラップの第2の部分に備えられた1個以上の第2接点とを備えるか、あるいは、第1接点および第2接点と通信可能であり、第1接点のうちの1個以上が、第2接点のうちの1個以上と選択的に接触可能であり、前記ストラップが閉じられるか固定されたときに、第1接点の1個以上および第2接点の1個以上の間の接触により測定回路を完成させるように構成されている導体によって、第1接点と第2接点とが結合されて、該システムが、前記ストラップセンサによって測定された前記測定回路の少なくとも1つの電気特性に基づいて、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さを特定するように構成されている」との構成を削除した請求項であり、本件補正前の請求項10と対応関係にあることが認められる。
 そして、前記⑴イのとおり、本件補正後の請求項11は、本件補正前の請求項10と対応関係にあるから、本件補正前の請求項10は、本件補正後の請求項8及び11の両請求項と対応関係にあることが認められる。
 以上によれば、補正事項1は、新たに本件補正後の請求項8を追加する増項補正に当たり、また、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項10と対応関係にあることが認められる。
エ これに対し原告は、本件補正後の請求項8は、本件補正後の請求項1ないし7に従属し、本件補正前の請求項1に内的付加に相当する追加的要件(a) ストラップは、該ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さを変更するように調整可能である点、(b) システムが、ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータを特定するように構成されたストラップセンサを備える点、(c) システムが、ストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されている点、(d) システムが、複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムを備える点、(e) システムが、特定されたストラップの調整位置、周囲長さ、形状、または長さ、あるいは、これらを示すデータに基づいて、複数のアンテナ整合回路もしくはシステム、および/または、調整可能な整合回路もしくはシステムのうちの1個以上を選択および/または変更することによって、前記アンテナの少なくとも1個の動作パラメータまたは前記アンテナのための補償を調整するように構成されている点)を規定したものであり、本件補正前の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであるから、本件補正前の請求項1と一対一で対応する請求項ではないとしても、これに準ずるような対応関係に立つ旨主張する。
 しかしながら、本件補正後の請求項8は、本件補正後の請求項1のほか、請求項2ないし7の発明特定事項を引用するものであり、本件補正後の請求項1の従属項であるのみならず、請求項2ないし7の従属項でもあること、本件補正後の請求項1は、本件補正後の請求項2ないし7の発明特定事項を含むものではないことからすると、本件補正後の請求項8は、本件補正において、本件補正前の請求項1と一対一で対応する請求項に該当しないのはもとより、これに準ずるような対応関係に立つものと認めることはできない。
 したがって、原告の上記主張は、採用することができない。 
(2) 補正事項1の「特許請求の範囲の減縮」の目的該当性について 
ア 前記(1)ウ認定のとおり、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項10と対応関係にあることが認められる。
 しかるところ、前記(1)ウ認定のとおり、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項10の発明特定事項から、「前記ストラップセンサが、前記ストラップの第1の部分に備えられた1個以上の第1接点と、前記ストラップの第2の部分に備えられた1個以上の第2接点とを備えるか、あるいは、第1接点および第2接点と通信可能であり、第1接点のうちの1個以上が、第2接点のうちの1個以上と選択的に接触可能であり、前記ストラップが閉じられるか固定されたときに、第1接点の1個以上および第2接点の1個以上の間の接触により測定回路を完成させるように構成されている導体によって、第1接点と第2接点とが結合されて、該システムが、前記ストラップセンサによって測定された前記測定回路の少なくとも1つの電気特性に基づいて、前記ストラップの前記調整位置、周囲長さ、形状、または長さを特定するように構成されている」との構成を削除した請求項であるところ、この削除によって、本件補正前の請求項10の発明特定事項を限定したものと認めることはできず、かえって、本件補正前の請求項10に係る発明を上位概念化したものといえるから、補正事項1は、「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものと認められない。
イ これに対し原告は、本件補正後の請求項8は、本件補正後の請求項1ないし7に従属し、本件補正前の請求項1に内的付加に相当する追加的要件を規定したものであるから、本件補正前の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものである、本件拒絶理由通知では、本件補正前の請求項1について新規性及び進歩性などの実体的要件に関する拒絶理由の指摘はなく、本件補正前の請求項1に特許性が認められていることからすると、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項1に対する従前の審査内容に沿って特許性を具備するものといえるから、本件補正前の請求項1についての審査を十分に有効活用して、補正された発明の審査を行うことが可能であり、新たな先行技術調査等を要求することで審査遅延などの事態を生じさせないことも明らかである、③厳密には、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項1と一対一で対応する請求項ではないとしても、これに準ずるような対応関係に立つものであり、補正事項1は、既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内で補正を認めることとした特許法17条の2第5項の制度趣旨に反するものではなく、同項2号が許容する増項補正に相当するから、本件補正前の請求項1との関係で「特許請求の範囲の減縮」(同号)を目的とするものに該当する旨主張する。しかしながら、前記(1)エで説示したとおり、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項1と一対一で対応する請求項に該当しないのはもとより、これに準ずるような対応関係に立つものと認めることはできないから、この点において、原告の上記主張は、その前提を欠くものである。
 また、前記アで説示したとおり、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項10の発明特定事項の構成の一部を削除した請求項であるが、本件においては、本件補正前の請求項10の発明特定事項から上記構成を削除した請求項について、サポート要件等の記載要件の審査が行われた形跡はうかがわれず、かかる審査が新たに必要となるものと考えられるから、本件補正後の請求項8は、本件補正前の請求項1に対する従前の審査内容に沿って特許性を具備するものと直ちにいえるものではなく、この点においても、原告の上記主張は、その前提を欠くものである。
 したがって、補正事項1は「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものと認められないから、原告の上記主張は、採用することができない。」

2022年4月24日日曜日

パラメーターで規定された物の発明の新規性が公然実施に基づき否定された事例

 東京地裁令和3年10月29日判決
平成31年()第7038号 特許権侵害行為差止等請求事件(第1事件),同第9618号 損害賠償請求事件(第2事件)
 
1.概要
 本事例は、原告が有するパラメーターで規定された物の発明に係る特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決において、被告が実施する被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するものの、本件各発明は,その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから,本件各特許は,法104条の3,29条1項2号により,いずれも無効というべきものであると判断され、原告の請求が棄却された事例である。
 原告は、黒鉛系炭素素材である被告製品を、本件発明の登録後に入手し分析して、本件発明で規定するパラメーターを満たしていることを確認した。裁判所は被告製品が本件発明の技術的範囲に属すると判断した。
 被告は、被告製品及びパラメーターを充足する他の製品は、本件発明に係る特許権の出願日よりも前から同一の製品仕様、製造方法により実施されていたものであるから、本件発明の新規性は公然実施により否定されると主張し、裁判所もこれを支持する判断を示した。公然実施に基づく新規性に関する複数の興味深い論点について判断が示されている。
 
2.本件発明
 原告は,平成26年9月9日,本件特許2に係る特許出願(特願2014-550587号)をし,平成27年1月8日,この一部を分割して本件特許1に係る特許出願(特願2015-2556号)をして,同年2月20日,本件特許権1の設定の登録(請求項の数1)を受け,同年2月6日,本件特許権2の設定の登録(請求項の数6)を受けた。
 
 本件特許1の特許請求の範囲の請求項1(本件発明1)は以下のように分説できる。
    1A  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し,
    1B  前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が31%以上であることを特徴とする
    (Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100(式1)
    ここで,P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度,P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度である。)
    1C  グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
 
3.裁判所の判断のポイント
3.1.争点1(被告各製品が本件各発明の技術的範囲に属するか)について
「・・・被告製品A1ないし3並びにB2及び6は,構成要件1Aないし1Cを充足するから,本件発明1の技術的範囲に属すると認められ・・・」
 
3.2.争点2-6(公然実施に基づく新規性欠如)について
(被告製品Aの規格,製造工程等
a 被告伊藤は,被告製品A1については平成18年7月16日に,被告製品A2及び4ないし6については平成17年1月6日に,被告製品A3については平成21年6月1日に,分級,梱包方法,最終検査における項目(固定炭素分,灰分,揮発分,水分及び粒度),規格値及び試験方法,工程の流れ等を定めた製品別製造標準をそれぞれ作成した。上記の各製品別製造標準のうち,被告製品A2ないし6に係るものは,本件特許出願当時から現在に至るまで,改訂されたことはなく,被告製品A1に係るものは,平成29年7月6日,粒度の規格値について(省略)とする改訂がされたが,本件特許出願当時から現在に至るまで,そのほかの点について改訂がされたことはなかった。
 被告伊藤は,平成17年6月3日,被告製品A7ないし11のそれぞれについて,検査の項目(灰分,揮発分及び粒度)及び規格値等を定めた黒鉛原料受入検査詳細を作成した。上記黒鉛原料受入検査詳細は,本件特許出願当時から現在に至るまで,改訂されたことはなかった。
c 被告伊藤は,前記aの製品別製造標準及び前記bの黒鉛原料受入検査詳細作成以降現在に至るまで,顧客からの特段の要望がない限り,これらに定められた基準に従った被告製品Aを製造販売してきた・・・。
(被告製品A9及び10のサンプルのRate(3R)
 被告伊藤は,平成31年4月15日から令和元年5月20日までの間に,同被告において保管していた被告製品A9及び10の各サンプルをSmartLabを用いて分析し,これにより得られた回折プロファイルをPDXLの自動解析機能により解析して,菱面晶系黒鉛層の(101)面及び六方晶系黒鉛層の(101)面の各ピーク強度を計算し,これを基にRate(3R)を算出したところ,サンプル結果①(別紙3Rate(被告伊藤)の番号4の列)を得た(乙A9,104)。」
 
(2) 公然実施該当性
 ア 判断基準について
  法29条1項2号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい,本件各発明のような物の発明の場合には,商品が不特定多数の者に販売され,かつ,当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん,外部からそれを知ることができなくても,当業者がその商品を通常の方法で分解,分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。
・・・
(サンプルのRate(3R)
     a 前記(1)()のとおり,被告伊藤が保管していた被告製品A9及び10の各サンプルのRate(3R)は,サンプル結果①のとおりであるところ,証拠(乙A8,40,41)及び弁論の全趣旨によれば,上記各サンプルは,「EC500」及び「Lot 120202」と記載された袋並びに「EC300」及び「Lot 130930」と記載された袋から取り出されたものであること,被告伊藤においては,黒鉛製品のロット番号を,製造開始日を6桁の数字で表示していたことが認められることからすると,上記各サンプルは,平成24年2月2日に製造された被告製品A9のサンプル及び平成25年9月30日に製造された被告製品A10のサンプルであると認めるのが相当である。
 
「・・・被告製品A10に係るサンプル結果については,複数回算出したRate(3R)にばらつきがほとんどなく,回折プロファイルにおける回折線の角度43ないし44°付近のピークは必ずしも明瞭ではないものの,このような場合に,PDXLの自動解析機能を使用して得られた解が常に誤っていることを認めるに足りる証拠はないことからすると,被告製品A10のサンプルのRate(3R)について,サンプル結果①を一応採用することができるというべきである。
・・・・
(被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたか
・・・前記(1)()のとおり,被告伊藤は,本件特許出願前から,被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており,被告製品A2ないし11については,本件特許出願前から現在に至るまで,その製造工程及び出荷の基準となる規格値に変更はなく,被告製品A1についても,粒度の規格値が(省略)と改訂されたが,従前の規格値を限定した内容になっており,そのほかの変更はない。
 また,前記2(1)()のとおり,原告が甲A5結果を得た被告製品Aは,平成30年6ないし8月頃に被告伊藤が販売していたものであり,平成26年9月9日の本件特許出願(前記前提事実(2))からそれほど長い年月が経過しているものとはいえない。
 以上によれば,被告伊藤は,本件特許出願前から現在に至るまで,被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており,この間,菱面晶系黒鉛層の増減に影響を与えると考えられるこれらの製品の製造工程及び規格値にほぼ変更はないことから,この間に製造販売された被告製品Aは,同じ製造工程を経て,同じ規格を満たすものであると認められる。そして,他にこれらの製品に対してRate(3R)の増減に影響を及ぼす事情が存したとは認められず,前記2のとおり,現時点において,被告製品A1ないし3は本件発明1の,被告製品A4ないし11は本件各発明の各技術的範囲に属する。これらの事情に照らせば,被告伊藤は,本件特許出願前から,被告製品A1ないし3については本件発明1の,被告製品A4ないし11については本件各発明の各技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたと認めるのが相当である。
 なお,被告製品A10に係るサンプル結果①は,乙A9結果と近接している。前記2(2)イ(ア)のとおり,乙A9結果は,被告製品A10のRate(3R)を示すものとしては採用することはできないが,乙A9結果,サンプル結果①のいずれも,適宜の解析条件を手動で入力することなく,PDXLの自動解析機能により得たものであることからすると,これらのRate(3R)が近接していることは,被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A10を製造販売していたという上記認定と矛盾しないといえる。」
以上によれば,本件特許出願前から,被告伊藤は,本件発明1の技術的範囲に属する被告製品A1ないし3及び本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A4ないし11を,・・・・それぞれ製造販売していたものである。
 そして,前記2(1)イのとおり,本件特許出願当時,当業者は,物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし,これにより得られた回折プロファイルを解析することによって,ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから,上記製品を購入した当業者は,これを分析及び解析することにより,本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。
 したがって,本件各発明は,その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから,本件各特許は,法104条の3,29条1項2号により,いずれも無効というべきである。
 
(3) 原告の主張について
   ア 原告は,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛の取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから,本件特許出願前に本件各発明が公然と実施されたとはいえないと主張する。
 しかし,証人Zは,日本黒鉛工業が黒鉛製品を販売するに当たり,購入者に対して当該製品の分析をしてはならないとか,分析した結果を第三者に口外してならないなどの条件を付したことはないと証言するところ,この証言内容に反する具体的な事情は見当たらない。また,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が,その全ての取引先との間で,黒鉛製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はない。
 取引基本契約書(甲A82)には「甲および乙は,本契約および個別契約の履行により知り得た相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)を,本契約の有効期間中および本契約終了後3年間,秘密に保持し,相手方の書面による承諾を得ることなく第三者に開示または漏洩せず,また本契約および個別契約の履行の目的以外に使用しないものとする。」(38条)との記載が,機密保持契約書(甲A95)には「受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を第三者に開示または漏洩してはならない。」(3条1項)との記載が,日本黒鉛商事が当事者となった取引基本契約書(乙A123)には「甲および乙は,相互に取引関係を通じて知り得た相手方の業務上の機密を,相手方の書面による承諾を得ないで第三者に開示もしくは漏洩してはならない。」(9条)との記載が,それぞれ存することが認められる。しかし,「相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)」,「機密情報」及び「相手方の業務上の機密」に,購入した製品のRate(3R)が含まれるかは明らかではないし,黒鉛製品をX線回折法による測定により得られた回折プロファイル,さらにはこれを解析して得た積分強度が,秘密として管理されてきたことや有用な情報であることをうかがわせる事情は見当たらない。
 したがって,本件特許出願当時,製造販売されていた被告製品A,被告製品B1及び2,日本黒鉛各製品並びに中越黒鉛各製品を分析することについて契約上の妨げがあったとはいえないから,原告の上記主張は採用することができない。
・・・・
ウ 原告は,本件特許出願前に販売された製品と近時に販売された製品の品名・品番が同一であるからといって,製品として同一であるとはいえないと主張する。
 しかし,品名・品番を基準として,製品の品質が管理されることが多いことは,当裁判所に顕著な事実である。そして,このような事情に加えて,前記(2)イないしオのとおり,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛において,本件特許出願の前後を通じて,製品の製造工程に大きな変更はなく,製品の規格にも変更がなかったこと,本件特許出願前の製品のサンプルにRate(3R)が31%以上又は40%以上のものが含まれていることなどを考慮すると,前記(2)カのとおり,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛は,本件特許出願前から,本件発明1又は本件各発明の各技術的範囲に属する製品を製造販売していたものと認めるのが相当である。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。
・・・・
オ 原告は,検査成績書(乙A8)や製品別製造標準(乙A38,48)等には,存在証明・非改ざん証明が一切行われていない文書であり,事後的に作成することができるものであり,また,これらの文書に記載された作成日又は改訂日以降に変更が加えられていないことは明らかではないと主張する。
 しかし,存在証明・非改ざん証明が行われていない文書であるからといって,直ちにこれらを信用することができないということはできない。また,上記各文書が事後的に作成されたり,その内容に変更が加えられていたりすることをうかがわせる具体的な事情は見当たらない。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。」

2022年4月10日日曜日

特許権侵害訴訟において「楕円形」という構成要件の充足性が争われた事例
 
知財高裁令和4年3月30日判決
令和3年(ネ)第10049号,同年(ネ)第10069号 特許権侵害差止等請求控訴事件(原審・東京地裁平成31年()第2675号)
 
1. 概要
 本事例は、競技用吹き矢の矢に関する特許権の侵害訴訟の知財高裁判決である。
 特許された本件発明の矢は「長手方向断面が楕円形」である先端部を有することを構成要件とする。明細書には、楕円形の定義は記載されておらず、図面では「小判型」の形状が「楕円形」の一例として描写されている。
 一方、被告製品の矢の先端部は「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状」、すなわち、卵型形状であって細い方の頂部が直線的に切り取られた形状である。
 被告製品での「卵型形状」が、本件発明の「楕円形」という構成要件を充足するのかが争われた。東京地裁は、文言侵害成立を認めたのに対して、知財高裁は文言侵害も均等侵害も否定し地裁判決を取り消した。
 
2. 本件発明
 本件発明を分説すると,以下のとおりである。
A 吹矢に使用する矢であって,
B 長手方向断面が楕円形である先端部と該先端部から後方に延びる円柱部とからなるピンであって,該円柱部の横断面の直径が前記楕円形の先端部の横断面の直径よりも小さいピンと,
C 円錐形に巻かれたフィルムであって,先端部に前記ピンの円柱部すべてが
差し込まれ固着されたフィルムと,からなり,
D 前記フィルムの先端部に連続して前記ピンの楕円形の部分が錘として接
続された
E 矢。
 
3. 被告製品
被告製品は,以下の構成を有すると認められる。
a 吹矢に使用する矢であり,
b 長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状である先端部と,該先端部から後方に延びる円柱部とからなるピンであって,該円柱部の横断面の直径が前記先端部の横断面の直径よりも小さいピンと,
c 円錐形に巻かれたフィルムであって,そのフィルムの先端部に前記ピンの円柱部すべてが差し込まれ固着されたフィルムと,からなり,
d 前記フィルムの先端部に連続して前記ピンの先端部が錘として接続された,
e 矢
 
4. 文言侵害についての東京地裁の判断
「「楕円」とは,一般的に「円錐曲線(二次曲線)の一。幾何学的には一平面上で二定点(F,F)からの距離の和(FP+FP)が一定であるような点Pの軌跡。」を意味する(乙2)。また,「楕円形」について,「楕円状をなす形,あるいは,それに近い形。」(デジタル大辞泉),「楕円のような形。また,そのような形のさま。小判がた。長円形。側円形。」(精選版日本国語大辞典)と説明されたりする(甲9)。
 また,長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状のこたつの天板について,「楕円形こたつ」,「楕円形 たまご型 卵型天板」と記載されたり,長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状の水色の画像について,「楕円形ブルー水滴」と記載されたりしたものがある(甲10の1,4)。
 これらによれば,「楕円形」は,一般的には,幾何学的意味での楕円の形のほか,水滴などともいわれるそれに近い形も含むものであり,また,長手方向の端が同じ曲率ではない形状も楕円形と呼ばれることがあるといえる。
 本件明細書には,「楕円形」の意義につき特段の定義はない。
 本件発明の実施例として,「楕円形ヘッド14」とそれと連続して後方に伸びる「円柱部10」を有する「楕円ピン12」が示され,その形状は【図3】のとおりである。この「楕円ピン12」は鉄製で一体成型されたことが記載されている(段落【0066】)。【図3】のとおり,「楕円ピン12」は,直線の上辺,下辺を有していて,幾何学的な楕円ではなく,楕円に近い形といえるものである。
・・・・
 さらに,被告製品では,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描いている。しかし,楕円形については,幾何学的意味での楕円の形のほか,それに近い形も含むものであり,水滴と似た形状など,長手方向の端が同じ曲率ではない形状も楕円形と呼ばれることもある(前記ア)。そして,本件明細書によっても,本件発明の「楕円形」は幾何学的意味での楕円に近い形を含む。また,本件明細書によれば,本件発明の先端部は「楕円形」とすることで,「かえし」がなくなるほか,上下方向の重心が均等であり,従来技術の釘形状の先端部と比べて錘として重くなり,矢全体の長手方向の重心を前寄りに寄せるという技術的意義を有するところ,構成bを有する被告製品の先端部も同じ効果を奏するものであり,被告製品の先端部は,本件発明においては,楕円に近い形であるとして「楕円形」(構成要件B,D)の先端部であるということが相当と解される。
 
5. 知財高裁の判断のポイント
(文言侵害について)
(1) 「楕円形」の一般的な意味について
ア 「楕円形」とは,「楕円状をなした形」をいい,「楕円」とは,「円錐曲線(二次曲線)の一つ。幾何学的には,一平面上で二定点(F,F)からの距離の和(FP+FP)が一定であるような点Pの軌跡。」を意味する(「広辞苑 第六版」(平成20年1月11日発行,株式会社岩波書店)1705頁,乙2参照)。この点,被控訴人が提出するウェブサイト「コトバンク」における検索結果に係る証拠(甲2。令和元年5月30日印刷)では,「楕円形」について,「楕円状をなす形,あるいは,それに近い形。」(デジタル大辞典の解説),「楕円のような形。また,そのような形のさま。小判がた。長円形。側円形。」(精選版日本国語大辞典の解説)とされている。
 上記を踏まえると,一般に,「楕円形」とは,「楕円状をなした形」をいい,幾何学上の楕円の形状がそれに含まれることはもとより,同形状とは異なるがそれに近い形についても用いられる語であると解される。
 もっとも,幾何学上の楕円の形状とは異なるがそれに近い形として,どのような形が「楕円形」に含まれるか,「楕円形」の意味の外延は,上記の辞書的な意味からは明確とはいえない。
イ 上記に関し,「卵形(たまごがた)」は,「鶏卵に似た楕円形。」を意味する語である(上記「広辞苑 第六版」1756頁,甲78参照)。なお,被控訴人が提出するウェブサイト「コトバンク」における検索結果に係る証拠(甲77。令和3年7月29日印刷)では,「卵形(たまごがた)」について,「鶏卵のような楕円形。また,そのような形のもの。たまごなり。」(精選版日本国語大辞典の解説),「鶏卵に似た楕円形。たまごなり。らんけい。」(デジタル大辞典の解説)とされている。
 また,「卵形(らんけい)」は,「たまごのような形。たまごがた。」を意味する語である(上記「広辞苑 第六版」2933頁)。なお,上記証拠(甲77)では,「卵形(らんけい)」について,「卵のような形。楕円の一方が少し細くなっている形。たまごがた。」(精選版日本国語大辞典の解説),「卵のような形。たまごがた。」(デジタル大辞典の解説)とされている。
 そうすると,「楕円形」の語は,「卵形」を含むものとして用いられることもあるものの,他方で,前記アの「楕円形」の意味において,「卵形」と同義である旨の説明はもちろん例示としても「卵形」という説明がみられないことや,上記のとおり,「卵形」の意味においても,限定なしで「楕円形」と同義であることは何ら示されず,「鶏卵に似た」,「鶏卵のような」といった限定を付して「楕円形」という語が用いられたり,「楕円の一方が少し細くなっている形」との説明がされていることも踏まえると,「楕円形」は本来的な意味として「卵形」を含むものではないとみられるところである。
ウ 以上によると,「楕円形」の語は,幾何学上の楕円の形状及びそれに近い形をいうものであるが,当該楕円の両端(当該楕円とその長軸が交わる2点をいう。)付近の曲線を比較した場合に,その一方の曲率が他方の曲率より小さい形状(「卵形」など。当事者の主張における「長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状」。以下「曲率に差のある形状」という。)を含むものとして「楕円形」の語が用いられているか否かは,明細書(図面を含む。)における当該「楕円形」の語が用いられている文脈等を踏まえて判断する必要があるというべきである。
エ これに対し,被控訴人は,「楕円形」の語が卵形等を含むものであると主張して,インターネットでの画像検索の結果(甲10の1~6)やウェブサイト等における語の使用例(甲79~84)を指摘するが,それらは一般に「楕円形」の語がどのような形を説明する際に用いられているかといった事情を示すものにすぎず,「楕円形」の語が上記各証拠で示される各種の形をその意味として当然に含むことを示すものとは解されない。
(2) 本件明細書における「楕円形」の語について
ア 本件明細書に,「楕円形」の意味について説明する記載等は見当たらない。 ただし,請求項1の発明においては先端部が「球形」とされ,本件明細書でも「球形」と「楕円形」が使い分けられていることを踏まえると,少なくとも,本件発明の「楕円形」は,円形(球形の断面)を含むものではなく,円形を含み得るような広い意味の語ではないことは理解されるといえる。
(訂正の上引用した原判決の「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の1(2)を踏まえると,本件発明が解決しようとする課題は,従来技術について,矢の先端部に「かえし」が存在することにより生じていた,矢を的から外すときに丸釘のピンだけ的に残ってフィルムだけ引き抜かれてしまうという課題と,ダブル突入の場合に後ろの矢を引き抜くときにフィルムが丸釘のピンから抜け,後ろの矢のピンが前の矢のフィルム内に残ってしまうという課題(以下,併せて「ピン抜けの課題」という。)のほか,矢の先端部の頭部と円柱部の位置のずれやフィルムの重なりにより生じていた,③上下方向の重心に偏りがあるという課題(以下「重心の課題」という。)であると解される。
(本件発明の「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状は,ピン抜けの課題の原因が先端部の「かえし」の存在にあったとされていることを踏まえると,ピン抜けの課題の解決手段の一つとして採用されたものと理解されるところ,「かえし」の存在をなくすという観点からは,先端部の形状は,幾何学上の楕円の形状で足り,曲率に差のある形状である必要はない。したがって,ピン抜けの課題の解決手段の一つであるという事情は,本件発明における「楕円形」の語が,曲率に差のある形状を含むというべき積極的な事情には当たらない。むしろ,曲率に差のある形状とした場合,具体的な形状次第では,的やダブル突入の場合の前の矢のフィルムに曲率の差のある形状の先端部が残ってしまうという可能性が別途生じ,ピン抜けの課題の解決に支障が生じ得るともいえるところである。この点,本件明細書には,先端部の形状について,「楕円形」としてどのような範囲内のものであればピン抜けの課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は,何ら記載されていない。
 他方,本件明細書上,重心の課題の解決と「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状との関係は明確ではないが,重心の課題の原因の一つとして,矢の先端部の頭部と円柱部との位置のずれが挙げられていることのほか,本件発明の効果等に関し,請求項1の発明に係る実施例についてのものではあるものの,「ピンを従来の丸釘から先端球形に変更することによって矢の長手方向の重心位置を矢の先端方向に寄せることができた」ことが記載され,その変形例が本件発明に係るもので,上記実施例と同様に従来の矢の丸釘と比較した丸ピンの重量等について具体的な記載がされていることも考慮すると,「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状は,円柱部との位置のずれを解消しやすく,また,上下方向の重心に偏りがなく,かつ,従来の丸釘よりも先端部が後ろに長い形状であるために先端部が相対的に重くなるといった観点から,重心の課題の解決手段の一つとして採用されたものと理解することもあり得る。しかし,そのような観点からも,先端部の形状は,幾何学上の楕円の形状で足り,曲率に差のある形状である必要はない。むしろ,曲率に差のある形状とした場合,具体的な形状次第では,円柱部との位置の調整が困難になったり,上下方向の重心に偏りがなく,かつ,先端部が相対的に重くなるといった特徴が十分に発揮できなくなり,重心の課題の解決に支障を生じ得るともいえるところである。この点,本件明細書には,先端部の形状について,「楕円形」としてどのような範囲内のものであれば重心の課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は,何ら記載されていない。
ウ 本件発明の実施例は,本件明細書の【0065】~【0069】及び【図3】のとおりであり,先端部の長手方向の断面は,請求項1の発明の実施例(同【図2】)の先端部の形状である「球形」の長手方向の断面である円を左右(矢の進行方向からすると前後)に二つに分割してその間に長方形を挟み込んだような形(換言すると,「円」を左右に引き伸ばしたような形)であって,「小判型」や「俵型の断面」などというべきものであり,幾何学上の楕円の形状とは異なるものの,長手方向の両端の曲率を同じくするものである。上記の形については,本件明細書に実験結果が記載されており,また,前記イ()で指摘したような,ピン抜けの課題の解決や重心の課題の解決に支障を生じ得るといった事情も認め難いものといえる。
(3) 構成要件B及びDの「楕円形」の意味及び文言侵害の成否について
ア 前記(1)及び(2)の点を踏まえると,構成要件B及びDの「楕円形」は,幾何学上の楕円の形状や,本件発明の実施例の形のような,楕円に近い形状であって長手方向の両端の曲率を同じくする形状は含むものと解される一方で,曲率に差のある形状は含まないものと解するのが相当である。なお,これと異なる技術常識を認めるべき証拠もない。
イ 被告製品のピンの先端部は,「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状である先端部」(構成要件b)であり,曲率に差のある形状の一端を更に一定の範囲で切断した形状というべきものであるから,構成要件B及びDの「楕円形」には含まれない。
 したがって,被告製品が,文言上,本件発明の技術的範囲に属するとは認められない。」
 
(均等論についての判断)
() 前記3で認定判断した構成要件B及びDの「楕円形」の意味及び弁論の全趣旨によると,本件発明の先端部の形状と被告製品の先端部の形状について,本件発明では「楕円形」であるのに対し,被告製品では,曲率に差のある形状を基礎として,「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描」く形状となっていること(なお,別紙乙第1号証のとおり,後部の略円錐形となるような円弧について,一定の曲率が選択されているものである。乙3の1・2,乙15参照)と,根元段差部分があることとにおいて,異なっているということができる。
 上記のうち①について,前記3(2)イで指摘したところからすると,本件発明は,少なくともピン抜けの課題の解決方法として,「長手方向断面が楕円形である先端部」という構成を採用したものと解される。そして,同イ()で指摘したとおり,「長手方向断面が楕円形」という形状を曲率に差のある形状に変更した場合,ピン抜けの課題の解決や重心の課題の解決に支障を生じ得るともいえるところ,「楕円形」としてどのような範囲内のものであればピン抜けの課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は本件明細書に記載されていない。
 そうすると,本件発明における前記3(3)で認定判断した意味での「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状の特定は,本件発明の本質的部分に含まれるものというべきであり,それを被告製品の先端部の形状に置き換えることは,本件発明の本質的部分を変更するものというべきである。
ウ したがって,本件発明の構成中に,被告製品と異なる部分が存在するところ,異なる部分は本件発明の本質部分であるから,第1要件を満たさない。」

2022年4月2日土曜日

優先権主張の遡及効が争われた事例

知財高裁令和4年2月9日判決言渡

令和2年(ネ)第10059号 特許権侵害差止請求控訴事件

(原審・東京地裁平成30年()第18555号)

 

1.概要

 本事例は特許権侵害訴訟での知財高裁判決において、侵害不成立の東京地裁判決が棄却され、差し止めが認容された事例である。

 特許権者である控訴人(一審原告)が有する特許権に係る発明(本件訂正発明)は、「物を生産する方法」の発明である。本件特許は(国内)優先権主張を伴う特許出願を原出願とする分割出願であった。

 特許法104条は,物を生産する方法の発明について特許がされている場合において,その物が「特許出願前に日本国内において公然知られた物」でないときは,その物と同一の物は,その方法により生産したものと推定する旨規定する。本事例では、「特許出願前に日本国内において公然知られた物」の判断基準日を巡って、本件特許が優先権の利益を享受できるかどうかが争われ、優先権の遡及効を東京地裁は否定したのに対し知財高裁は肯定した。東京地裁は優先権基礎出願の文言の明示的記載のみを考慮して優先権の範囲を狭く判断したが、知財高裁は優先権基礎出願の文言に加えて技術常識等も考慮して優先権を広く判断した。

 

2.本件訂正発明

「A’ ダイゼイン配糖体,ダイゼイン及びジヒドロダイゼインよりなる群から選択される少なくとも1種のダイゼイン類にアルギニンを添加すること,及び,

B’-1 前記ダイゼイン類と前記アルギニンを含む発酵原料を

B’-2 オルニチン産生能力及びエクオール産生能力を有する微生物で発酵処理することを含む,

C’ オルニチン及びエクオールを含有する粉末状の発酵物の製造方法であって,

D’ 前記発酵処理により,前記発酵物の乾燥重量1g当たり,8mg以上のオルニチン及び1mg以上のエクオールを生成し,及び

E’ 前記発酵物が食品素材として用いられるものである,前記製造方法。」

 

3.優先権に関する争点

 本件原出願明細書(本件特許は分割出願である)の段落0093には「ダイゼイン類を含む発酵原料」について以下の記載がある。

「また,ダイゼイン類を含む発酵原料としては,ダイゼイン類を含む限り,特に制限されるものではないが,安全性の観点から,食品素材としても利用可能なものが好適である。ダイゼイン類を含む発酵原料としては,具体的には,大豆,大豆胚軸,大豆胚軸の抽出物,豆腐,油揚げ,豆乳,納豆,醤油,味噌,テンペ,レッドクローブ又はその抽出物,アルファルファ又はその抽出物等が挙げられる。これらの中でも,大豆胚軸は,ダイゼイン類を豊富に含んでいるので,ダイゼイン類を含む発酵原料として好ましい 。」

 すなわち、本件訂正発明における構成B’-1におけるダイゼイン類を含む発酵原料は、大豆胚軸を包含するがそれには限定されない概念である。

 

 一方、本件特許の優先権基礎出願(分割原出願の優先権基礎出願)では発酵原料として明示的に記載されているのは「大豆胚軸」だけであり、「大豆胚軸」以外のものを発酵原料とすることは明示的には記載されていない。

 そこで、本件訂正発明が優先権の利益を享受することができるのか否かが争われた。

 

4.東京地裁の判断

「本件発明の方法に係る発酵原料は,「ダイゼイン配糖体,ダイゼイン及びジヒドロダイゼインよりなる群から選択される少なくとも1種のダイゼイン類」であって,本件明細書においても,様々なダイゼイン類が開示されているのに対し,優先権基礎出願の明細書(乙B1の1~3)を精査しても,これらに開示されている発酵原料は「大豆胚軸」のみであって,「大豆胚軸」以外のダイゼイン類は開示されていない。そうすると,本件発明のうち,発酵原料が大豆胚軸である発明については,上記「本件特許の特許出願」日は,優先日である2007年(平成19年)6月13日となる一方,発酵原料が大豆胚軸以外のダイゼイン類である発明については,上記「本件特許の特許出願」日は,親出願日である2008年(平成20年)6月13日となると解するのが相当である。」

 

5.知財高裁の判断

「前記(ア)(イ)のとおり,基礎出願に明示的に発酵原料として記載されているのは「大豆胚軸」だけであり,「大豆胚軸」以外のものを発酵原料とできることを明示する記載が追加されたのは,本件原出願以降である。

 しかし,基礎出願では,「ダイゼイン類」を資化してエクオールを産生する能力を有する微生物を使用するとされている上,基礎出願の実施例で使用されているラクトコッカス20-92株がそのような微生物の一例として記載されている(基礎出願Aの段落【0013】,【0014】,基礎出願Bの段落【0015】,【0016】,基礎出願Cの段落【0014】,【0015】)。また,基礎出願では,「・・・大豆胚軸の発酵において,発酵原料となる大豆胚軸には,必要に応じて,発酵効率の促進や発酵物の風味向上等を目的として,・・・栄養成分を添加してもよい。」と記載されており(基礎出願Aの段落【0018】,基礎出願Bの段落【0020】,基礎出願Cの段落【0019】),基礎出願において,「水」と「アルギニン」以外の栄養成分を添加することは排除されていない。さらに,基礎出願では,「また,使用する発酵原料(大豆胚軸含有物)には,更に,前記ダイゼイン類を含むイソフラボンを添加しておいてもよい。」と記載されており(基礎出願Aの段落【0020】,基礎出願Bの段落【0022】,基礎出願Cの段落【0021】),「ダイゼイン類」を含むイソフラボンを発酵原料とすることが想定されているということができる。

 そして,前記(ア)a,bのとおり,基礎出願A,Bに記載された実施例においては,「大豆胚軸」にアルギニンを添加してラクトコッカス20-92株で発酵処理することにより,「大豆胚軸」に含まれるダイジンが代謝されてエクオールが生成するとともに,同株によりアルギニンがオルニチンに変換されて,粉末状の発酵物が得られることが,具体的な実験結果と共に記載されている(基礎出願Aの段落【0103】~【0106】,基礎出願Bの段落【0074】~【0077】)。また,基礎出願には,「通常,大豆胚軸発酵物の乾燥重量当たり(大豆胚軸発酵物の乾燥重量を1gとした場合),エクオールが1~20mg,好ましくは2~12mg,更に好ましくは5~8mg含まれている。」「エクオール含有大豆胚軸発酵物に含まれるオルニチンの含有量として具体的には,エクオール含有大豆胚軸発酵物の乾燥重量1g当たりオルニチンが5~20mg,好ましくは8~15mg,更に好ましくは9~12mg 程度が例示される。」との記載があり(基礎出願Aの段落【0024】,【0032】,基礎出願Bの段落【0026】,【0034】,基礎出願Cの段落【0025】,【0033】),発酵物の乾燥重量1g当たり,1~20mgのエクオールが通常含まれている旨及び8~15mgのオルニチンが含まれることが好ましい旨の記載があり,これらの下限値が本件訂正発明において特定されているということができる。そして,基礎出願A及びBの発明により得られる発酵物が食品素材であることはそれぞれの請求項の記載から明らかである。

 ところで,証拠(乙B4(JOURNAL OF BIOSCIENCE AND BIOENGINEERING, Vol.102, No.3, 247-250. 2006),16(国際公開第2005/000042号))によると,本件優先日当時,ダイゼインからエクオールが産生されること,ラクトコッカス20-92株がダイゼイン配糖体(例えばダイジン),ダイゼイン,ジヒドロダイゼインを含むダイゼイン類を資化してエクオールを産生すること,ダイジンの場合は,資化されてダイゼインを遊離し,遊離したダイゼインが更に資化されてジヒドロダイゼインとなり,最終的にエクオールが産生されることは,技術常識となっていたと認められる。そうすると,当業者は,基礎出願において,実質的に代謝されるのが「大豆胚軸」中のダイジンなどの「ダイゼイン類」であることを認識していたと認められる。

 以上によると,基礎出願A,Bの上記記載に接した当業者は,上記本件優先日当時の技術常識とを考え併せ,「大豆胚軸」以外の「ダイゼイン類を含む原料」を発酵原料とした場合でも,ラクトコッカス20-92株のようなエクオール及びオルニチンの産生能力を有する微生物によって,発酵原料中の「ダイゼイン類」がアルギニンと共に代謝されるようにすることにより,発酵物の乾燥重量1g当たり,8mg以上のオルニチン及び1mg以上のエクオールを含有する,食品素材として用いられる粉末状の発酵物を生成することが可能であると認識することができたというべきであるから,本件訂正発明を基礎出願A,Bから読み取ることができるものと認められる。

 したがって,本件訂正発明は,少なくとも基礎出願A,Bに記載されていたか,記載されていたに等しい発明であると認められ,本件訂正発明は,基礎出願A,Bに基づく優先権主張の効果を享受できるというべきである。

2022年1月15日土曜日

特許性判断での発明の要旨認定について争われた事例

知財高裁令和3年12月15日判決

令和2年(行ケ)第10089号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本判決は、被告が有する特許権に対する無効審判での、本件発明の要旨を限定的に狭く解釈し引用発明に対する新規性進歩性を肯定した審決の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。

 審決では、本件発明1における「シートシェル」及び「側面衝突保護部」という用語の意義について、特許請求の範囲内の記載及び図面も考慮して限定的に解釈し、引用発明に対する新規性を肯定した。

 一方、知財高裁は、「発明の要旨認定は,特許請求の範囲の記載に基づいて行うべきであり,発明が属する技術分野における優先日前の技術常識を考慮した通常の意味内容により特許請求の範囲の記載を解釈するのが相当である」と判示し、審決の限定的解釈が違法であると判断した。

 知財高裁はまた、請求項中の機能的に限定された特徴についても、「発明の要旨認定は,特許請求の範囲の記載に基づいて行われるべきであり,それは,特許請求の範囲の記載の中に作用又は機能を用いて物を特定しようとする記載がある場合であっても同様である。」と判断した。

 

2.請求項1に記載の発明(本件発明1)

 車両のシートに取り付けるための,子供又は乳児用のチャイルドセーフティシートであって,(1A)

 子供又は乳児を支持する支持部と,(1B)

 前記支持部のための構造要素としてのシートシェルと,(1C)

 前記シートシェルの外側で前記シートシェルに取り付けられるcと,(1D)

を有し,

 前記支持部は前記シートシェルの内側にあり,(1E)

 前記側面衝突保護部は,前記シートシェルの前記外側から突出する方向に

 前記チャイルドセーフティシートの所定の幅の中に位置する休止位置から,前記チャイルドセーフティシートの前記所定の幅の外に位置する機能位置に,及び前記機能位置から前記休止位置に移動可能であり,(1F)

 前記側面衝突保護部は,前記チャイルドセーフティシートが前記車両の前記シートに取付けられた状態において,前記車両の側部から前記チャイルドセーフティシートに伝わる横からの力が前記シートシェルに導かれるように,配置される,(1G)

チャイルドセーフティシート。(1H)

 

3.裁判所の判断(抜粋)

「ア 本件発明の認定

(シートシェルの意義について

a 要旨認定の手法

 発明の要旨認定は,特許請求の範囲の記載に基づいて行うべきであり,発明が属する技術分野における優先日前の技術常識を考慮した通常の意味内容により特許請求の範囲の記載を解釈するのが相当である。

 もっとも,特許請求の範囲の記載の意味内容が,明細書又は図面において,通常の意味内容とは異なるものとして定義又は説明されていれば,通常の意味内容とは異なるものとして解される余地はあるものの,そのような定義又は説明がない場合には,上記のとおり解釈するのが相当である。

・・・・(略)・・・・

d 本件発明1の「シートシェル」及び「支持部」の意味

 本件発明1の「シートシェル」は,構成要件1C(前記b(a))において,「支持部のための構造要素」であることが規定され,また,構成要件1D(前記b⒝)において,「外側で側面衝突保護部が取り付けられる」こと,すなわち,側面を備えることが規定されているから,シートシェルに係る技術常識の(a),⒝(前記c(a),⒝)を踏まえると,本件発明1の「シートシェル」は,「座部,背もたれと側面を備え,子供を載置する側を包み込むような形状である剛性のある素材から成るチャイルドセーフティシートの基本構造体」と解される。

 また,本件発明1の「支持部」は,構成要件1B(前記b(a))において,「子供又は乳児を支持する」ものであることが規定され,構成要件1E(前記b⒞)において,「前記支持部が前記シートシェルの内側にある」という位置関係が規定されていることから,シートシェルに係る技術常識の⒞(前記c⒞)を踏まえると,本件発明1の「支持部」は,子供を支える柔軟性のある素材からなり,シートシェルの子供が座る側(内側)に載置又は子供が座る側からシートシェルの外側にわたって被せるように配置されるものであると解される。

 なお,本件発明では,支持部材が,シートシェルの内側のみにあるとか,シートシェルの側面や背面を覆っていないという特定はないし,支持部材がシートシェルと別の骨格構造体を備えるとの特定はなく,また,本件明細書の段落【0031】にもそのような記載はない。

 本件明細書において,「シートシェル」という用語は,段落【0007】~【0012】,【0014】,【0016】,【0019】,【0020】,【0022】,【0031】,【0035】,【0040】,【0042】,【0044】及び【0047】に記載されており,また,「支持部」という用語は,段落【0031】にのみ記載されている。しかし,「シートシェル」又は「支持部」という用語を通常とは異なる意味内容とする定義又は説明に相当する記載は,本件明細書等には見出すことができないから,請求項1(本件発明1)の「シートシェル」及び「支持部」という用語は,上記のとおり,本件発明が属する技術分野における優先日前の技術常識を考慮した通常の意味内容により解すべきである。

・・・・(略)・・・・

f 本件審決の解釈の適否

(a) 本件審決の説示

 本件審決は,シートシェルについて次のように説示する。

(i) 「ア.本件発明1の『シートシェル』で特定される事項」において「本件発明1の『シートシェル』は,・・・『支持部』とは別個の部材であると解するのが相当である。そうすると,『シートシェル』の定義は,『シート』の『シェル』であって,『子供又は乳児を支持する支持部』とは別個の部材であって,『前記支持部は前記シートシェルの内側にあ』るから,支持部が内側にある『支持部のための構造要素』である『シェル』ということができる。」とする(本件審決第5,2⑴(1-2)ア〔本件審決49頁9~17行目〕)。

(ii) 前記(i)の「『シートシェル』の定義からみて,甲1発明1の

『側方支持部6を備えた背もたれ5,座部4,ヘッドレスト10』は子供を支持する部材であるから本件発明1の『支持部』に相当するものであり」とする(本件審決第5,2⑴(1

-2)イ〔本件審決49頁19~21行目〕)。

(iii) 「シートシェルが,従来技術とは異なり,子供を支持する支持部材とは別な部材であることは,以下の明細書の記載からも明白である。」(本件審決第5,2⑴(1-2)オ()〔本件審決53頁20~21行目〕)として,本件明細書の段落【0008】及び【0019】を挙げる。

⒝ 本件審決の解釈

 前記(a)の本件審決の説示を総合すると,本件審決は,本件発明の「支持部」が,シートシェルに係る技術常識の(a)ないし⒞(前記c(a)ないし⒞)により理解される「シートシェル」及び「子供を支える柔軟性のある素材」に相当し,本件発明の「シートシェル」は,「支持部」を内側に配置する,従来技術(技術常識)における「シートシェル」及び「子供を支える柔軟性のある素材」とは別異の,それらに更に追加される構造要素と解釈しているものと認められる。

⒞ 本件審決の解釈の適否

 本件審決は,本件発明の「シートシェルが,従来技術とは異なり,子供を支持する支持部材とは別な部材である」と解する根拠として,本件明細書の段落【0008】や【0019】を引用するが(前記(a) (iii)),これらの段落は,「側面衝突保護部」の配置とその作用又は効果についての説明にとどまるものであって,「シートシェル」が従来技術とは別異なものであるとの記載はないし,支持部については何らの記載もないことからすると,上記段落が本件審決の上記解釈を裏付けるものとはいえない。そして,本件発明の特許請求の範囲の記載や本件明細書の発明の詳細な説明の記載において,前記⒝の本件審決の解釈を採用すべき根拠を見出すことはできない。したがって,前記⒝の本件審決の解釈を採用することはできない。

⒟ 被告の主張の検討

 被告は,本件発明の「シートシェル」の解釈について,「背部側から支持部を構造的に保持するシェル(外殻)的構造要素である」,「支持部とは別個のシェル形状の一構成要素であり,子供を前部側で支持する支持部の背部側を外側から構造的に保持する,支持部のためのシェル(外殻)的構造要素であって,車両の側部から伝わる横からの力がシートシェルに導かれるように側面衝突保護部を配置したシェルである」,「シートシェルは,シートシェルの内側にある支持部の背部側を外側から構造的に保持し,かつ側面衝突保護部を取り付けるのに必要とされる程度に剛性(段落【0022】)を備えるシェル形状部材である」,「シートシェルはその背部側が露出しており,シェルの名のとおり曲面形状である」などと主張する(前記第3,1⑴ア〔被告の主張〕)。確かに,本件図面の図2,5及び6に,シートの背部に曲面形状の構造が示されているようにも見え,実施例において,それがシートシェルに該当するとされている。しかし,本件明細書には,本件発明のシートシェルを,被告が主張するような外殻的構造の意味に限定して解釈すべき根拠となるような記載はなく,シートシェルという用語の解釈に当たって,本件発明が属する技術分野における優先日前の技術常識を考慮した通常の意味内容とは異なるように解釈すべきことを裏付ける根拠もないから,被告の上記主張は採用することができない。」

・・・・(略)・・・・

「被告は,請求項1(本件発明1)の「側面衝突保護部は,・・・横からの力が前記シートシェルに導かれるように,配置される」(構成要件1G)という文言は,機能的限定であるから,本件明細書に記載された具体的構成に基づいて限定的に解釈し,「側面衝突保護部が,チャイルドセーフティシートの座部領域より上方であって,チャイルドセーフティシートの背部に配置される」ことによって,「横からの力が,支持部(子供)には導かれず,シートシェルにのみ導かれる」ことを意味するものと解釈すべきであると主張する(前記第3,1⑴イ〔被告の主張〕)。

 しかし,発明の要旨認定は,特許請求の範囲の記載に基づいて行われるべきであり,それは,特許請求の範囲の記載の中に作用又は機能を用いて物を特定しようとする記載がある場合であっても同様である。

 本件発明1の「前記側面衝突保護部は,前記チャイルドセーフティシートが前記車両の前記シートに取付けられた状態において,前記車両の側部から前記チャイルドセーフティシートに伝わる横からの力が前記シートシェルに導かれるように,配置される」(構成要件1G)という構成には,「車両の側部からチャイルドセーフティシートに伝わる横からの力がシートシェルに導かれる」ということしか記載されておらず,「横からの力が,支持部(子供)には導かれず,シートシェルにのみ導かれる」とは記載されていないから,被告主張のような限定的な解釈をとることはできない。請求項6(本件発明6)には,側面衝突保護部の側部要素がチャイルドセーフティシートの座部領域より上に配置されるチャイルドセーフティシートが記載され,請求項7(本件発明7)には,側部要素がチャイルドセーフティシートの背部に配置されるチャイルドセーフティシートが記載されており,また,本件明細書の段落【0008】及び【0019】には,衝突による横からの力が子供の体に直接伝わらず,子供の体を迂回してシートシェルに導かれるように取り付けられる側面衝突保護部材に関する記載があるが,請求項1(本件発明1)の文言を,従属請求項である請求項6及び7の記載並びに本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0008】及び【0019】の記載によって限定して解釈する理由はないから,被告の上記主張は採用することができない。