2022年4月24日日曜日

パラメーターで規定された物の発明の新規性が公然実施に基づき否定された事例

 東京地裁令和3年10月29日判決
平成31年()第7038号 特許権侵害行為差止等請求事件(第1事件),同第9618号 損害賠償請求事件(第2事件)
 
1.概要
 本事例は、原告が有するパラメーターで規定された物の発明に係る特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決において、被告が実施する被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するものの、本件各発明は,その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから,本件各特許は,法104条の3,29条1項2号により,いずれも無効というべきものであると判断され、原告の請求が棄却された事例である。
 原告は、黒鉛系炭素素材である被告製品を、本件発明の登録後に入手し分析して、本件発明で規定するパラメーターを満たしていることを確認した。裁判所は被告製品が本件発明の技術的範囲に属すると判断した。
 被告は、被告製品及びパラメーターを充足する他の製品は、本件発明に係る特許権の出願日よりも前から同一の製品仕様、製造方法により実施されていたものであるから、本件発明の新規性は公然実施により否定されると主張し、裁判所もこれを支持する判断を示した。公然実施に基づく新規性に関する複数の興味深い論点について判断が示されている。
 
2.本件発明
 原告は,平成26年9月9日,本件特許2に係る特許出願(特願2014-550587号)をし,平成27年1月8日,この一部を分割して本件特許1に係る特許出願(特願2015-2556号)をして,同年2月20日,本件特許権1の設定の登録(請求項の数1)を受け,同年2月6日,本件特許権2の設定の登録(請求項の数6)を受けた。
 
 本件特許1の特許請求の範囲の請求項1(本件発明1)は以下のように分説できる。
    1A  菱面晶系黒鉛層(3R)と六方晶系黒鉛層(2H)とを有し,
    1B  前記菱面晶系黒鉛層(3R)と前記六方晶系黒鉛層(2H)とのX線回折法による次の(式1)により定義される割合Rate(3R)が31%以上であることを特徴とする
    (Rate(3R)=P3/(P3+P4)×100(式1)
    ここで,P3は菱面晶系黒鉛層(3R)のX線回折法による(101)面のピーク強度,P4は六方晶系黒鉛層(2H)のX線回折法による(101)面のピーク強度である。)
    1C  グラフェン前駆体として用いられる黒鉛系炭素素材。
 
3.裁判所の判断のポイント
3.1.争点1(被告各製品が本件各発明の技術的範囲に属するか)について
「・・・被告製品A1ないし3並びにB2及び6は,構成要件1Aないし1Cを充足するから,本件発明1の技術的範囲に属すると認められ・・・」
 
3.2.争点2-6(公然実施に基づく新規性欠如)について
(被告製品Aの規格,製造工程等
a 被告伊藤は,被告製品A1については平成18年7月16日に,被告製品A2及び4ないし6については平成17年1月6日に,被告製品A3については平成21年6月1日に,分級,梱包方法,最終検査における項目(固定炭素分,灰分,揮発分,水分及び粒度),規格値及び試験方法,工程の流れ等を定めた製品別製造標準をそれぞれ作成した。上記の各製品別製造標準のうち,被告製品A2ないし6に係るものは,本件特許出願当時から現在に至るまで,改訂されたことはなく,被告製品A1に係るものは,平成29年7月6日,粒度の規格値について(省略)とする改訂がされたが,本件特許出願当時から現在に至るまで,そのほかの点について改訂がされたことはなかった。
 被告伊藤は,平成17年6月3日,被告製品A7ないし11のそれぞれについて,検査の項目(灰分,揮発分及び粒度)及び規格値等を定めた黒鉛原料受入検査詳細を作成した。上記黒鉛原料受入検査詳細は,本件特許出願当時から現在に至るまで,改訂されたことはなかった。
c 被告伊藤は,前記aの製品別製造標準及び前記bの黒鉛原料受入検査詳細作成以降現在に至るまで,顧客からの特段の要望がない限り,これらに定められた基準に従った被告製品Aを製造販売してきた・・・。
(被告製品A9及び10のサンプルのRate(3R)
 被告伊藤は,平成31年4月15日から令和元年5月20日までの間に,同被告において保管していた被告製品A9及び10の各サンプルをSmartLabを用いて分析し,これにより得られた回折プロファイルをPDXLの自動解析機能により解析して,菱面晶系黒鉛層の(101)面及び六方晶系黒鉛層の(101)面の各ピーク強度を計算し,これを基にRate(3R)を算出したところ,サンプル結果①(別紙3Rate(被告伊藤)の番号4の列)を得た(乙A9,104)。」
 
(2) 公然実施該当性
 ア 判断基準について
  法29条1項2号にいう「公然実施」とは,発明の内容を不特定多数の者が知り得る状況でその発明が実施されることをいい,本件各発明のような物の発明の場合には,商品が不特定多数の者に販売され,かつ,当業者がその商品を外部から観察しただけで発明の内容を知り得る場合はもちろん,外部からそれを知ることができなくても,当業者がその商品を通常の方法で分解,分析することによって知ることができる場合も公然実施となると解するのが相当である。
・・・
(サンプルのRate(3R)
     a 前記(1)()のとおり,被告伊藤が保管していた被告製品A9及び10の各サンプルのRate(3R)は,サンプル結果①のとおりであるところ,証拠(乙A8,40,41)及び弁論の全趣旨によれば,上記各サンプルは,「EC500」及び「Lot 120202」と記載された袋並びに「EC300」及び「Lot 130930」と記載された袋から取り出されたものであること,被告伊藤においては,黒鉛製品のロット番号を,製造開始日を6桁の数字で表示していたことが認められることからすると,上記各サンプルは,平成24年2月2日に製造された被告製品A9のサンプル及び平成25年9月30日に製造された被告製品A10のサンプルであると認めるのが相当である。
 
「・・・被告製品A10に係るサンプル結果については,複数回算出したRate(3R)にばらつきがほとんどなく,回折プロファイルにおける回折線の角度43ないし44°付近のピークは必ずしも明瞭ではないものの,このような場合に,PDXLの自動解析機能を使用して得られた解が常に誤っていることを認めるに足りる証拠はないことからすると,被告製品A10のサンプルのRate(3R)について,サンプル結果①を一応採用することができるというべきである。
・・・・
(被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたか
・・・前記(1)()のとおり,被告伊藤は,本件特許出願前から,被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており,被告製品A2ないし11については,本件特許出願前から現在に至るまで,その製造工程及び出荷の基準となる規格値に変更はなく,被告製品A1についても,粒度の規格値が(省略)と改訂されたが,従前の規格値を限定した内容になっており,そのほかの変更はない。
 また,前記2(1)()のとおり,原告が甲A5結果を得た被告製品Aは,平成30年6ないし8月頃に被告伊藤が販売していたものであり,平成26年9月9日の本件特許出願(前記前提事実(2))からそれほど長い年月が経過しているものとはいえない。
 以上によれば,被告伊藤は,本件特許出願前から現在に至るまで,被告製品Aの各名称を付した黒鉛製品を製造販売しており,この間,菱面晶系黒鉛層の増減に影響を与えると考えられるこれらの製品の製造工程及び規格値にほぼ変更はないことから,この間に製造販売された被告製品Aは,同じ製造工程を経て,同じ規格を満たすものであると認められる。そして,他にこれらの製品に対してRate(3R)の増減に影響を及ぼす事情が存したとは認められず,前記2のとおり,現時点において,被告製品A1ないし3は本件発明1の,被告製品A4ないし11は本件各発明の各技術的範囲に属する。これらの事情に照らせば,被告伊藤は,本件特許出願前から,被告製品A1ないし3については本件発明1の,被告製品A4ないし11については本件各発明の各技術的範囲に属する被告製品Aを製造販売していたと認めるのが相当である。
 なお,被告製品A10に係るサンプル結果①は,乙A9結果と近接している。前記2(2)イ(ア)のとおり,乙A9結果は,被告製品A10のRate(3R)を示すものとしては採用することはできないが,乙A9結果,サンプル結果①のいずれも,適宜の解析条件を手動で入力することなく,PDXLの自動解析機能により得たものであることからすると,これらのRate(3R)が近接していることは,被告伊藤が本件特許出願前から本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A10を製造販売していたという上記認定と矛盾しないといえる。」
以上によれば,本件特許出願前から,被告伊藤は,本件発明1の技術的範囲に属する被告製品A1ないし3及び本件各発明の技術的範囲に属する被告製品A4ないし11を,・・・・それぞれ製造販売していたものである。
 そして,前記2(1)イのとおり,本件特許出願当時,当業者は,物質の結晶構造を解明するためにX線回折法による測定をし,これにより得られた回折プロファイルを解析することによって,ピークの面積(積分強度)を算出することは可能であったから,上記製品を購入した当業者は,これを分析及び解析することにより,本件各発明の内容を知ることができたと認めるのが相当である。
 したがって,本件各発明は,その特許出願前に日本国内において公然実施をされたものであるから,本件各特許は,法104条の3,29条1項2号により,いずれも無効というべきである。
 
(3) 原告の主張について
   ア 原告は,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛の取引の相手方は秘密保持義務を負っていたから,本件特許出願前に本件各発明が公然と実施されたとはいえないと主張する。
 しかし,証人Zは,日本黒鉛工業が黒鉛製品を販売するに当たり,購入者に対して当該製品の分析をしてはならないとか,分析した結果を第三者に口外してならないなどの条件を付したことはないと証言するところ,この証言内容に反する具体的な事情は見当たらない。また,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛が,その全ての取引先との間で,黒鉛製品を分析してはならないことや分析結果を第三者に口外してはならないことを合意していたことをうかがわせる事情はない。
 取引基本契約書(甲A82)には「甲および乙は,本契約および個別契約の履行により知り得た相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)を,本契約の有効期間中および本契約終了後3年間,秘密に保持し,相手方の書面による承諾を得ることなく第三者に開示または漏洩せず,また本契約および個別契約の履行の目的以外に使用しないものとする。」(38条)との記載が,機密保持契約書(甲A95)には「受領者は,開示者の書面による承諾を事前に得ることなく,機密情報を第三者に開示または漏洩してはならない。」(3条1項)との記載が,日本黒鉛商事が当事者となった取引基本契約書(乙A123)には「甲および乙は,相互に取引関係を通じて知り得た相手方の業務上の機密を,相手方の書面による承諾を得ないで第三者に開示もしくは漏洩してはならない。」(9条)との記載が,それぞれ存することが認められる。しかし,「相手方の技術情報および営業上の秘密情報(目的物の評価・検討中に知り得た秘密情報を含む)」,「機密情報」及び「相手方の業務上の機密」に,購入した製品のRate(3R)が含まれるかは明らかではないし,黒鉛製品をX線回折法による測定により得られた回折プロファイル,さらにはこれを解析して得た積分強度が,秘密として管理されてきたことや有用な情報であることをうかがわせる事情は見当たらない。
 したがって,本件特許出願当時,製造販売されていた被告製品A,被告製品B1及び2,日本黒鉛各製品並びに中越黒鉛各製品を分析することについて契約上の妨げがあったとはいえないから,原告の上記主張は採用することができない。
・・・・
ウ 原告は,本件特許出願前に販売された製品と近時に販売された製品の品名・品番が同一であるからといって,製品として同一であるとはいえないと主張する。
 しかし,品名・品番を基準として,製品の品質が管理されることが多いことは,当裁判所に顕著な事実である。そして,このような事情に加えて,前記(2)イないしオのとおり,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛において,本件特許出願の前後を通じて,製品の製造工程に大きな変更はなく,製品の規格にも変更がなかったこと,本件特許出願前の製品のサンプルにRate(3R)が31%以上又は40%以上のものが含まれていることなどを考慮すると,前記(2)カのとおり,被告ら,日本黒鉛ら及び中越黒鉛は,本件特許出願前から,本件発明1又は本件各発明の各技術的範囲に属する製品を製造販売していたものと認めるのが相当である。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。
・・・・
オ 原告は,検査成績書(乙A8)や製品別製造標準(乙A38,48)等には,存在証明・非改ざん証明が一切行われていない文書であり,事後的に作成することができるものであり,また,これらの文書に記載された作成日又は改訂日以降に変更が加えられていないことは明らかではないと主張する。
 しかし,存在証明・非改ざん証明が行われていない文書であるからといって,直ちにこれらを信用することができないということはできない。また,上記各文書が事後的に作成されたり,その内容に変更が加えられていたりすることをうかがわせる具体的な事情は見当たらない。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。」