2022年4月2日土曜日

優先権主張の遡及効が争われた事例

知財高裁令和4年2月9日判決言渡

令和2年(ネ)第10059号 特許権侵害差止請求控訴事件

(原審・東京地裁平成30年()第18555号)

 

1.概要

 本事例は特許権侵害訴訟での知財高裁判決において、侵害不成立の東京地裁判決が棄却され、差し止めが認容された事例である。

 特許権者である控訴人(一審原告)が有する特許権に係る発明(本件訂正発明)は、「物を生産する方法」の発明である。本件特許は(国内)優先権主張を伴う特許出願を原出願とする分割出願であった。

 特許法104条は,物を生産する方法の発明について特許がされている場合において,その物が「特許出願前に日本国内において公然知られた物」でないときは,その物と同一の物は,その方法により生産したものと推定する旨規定する。本事例では、「特許出願前に日本国内において公然知られた物」の判断基準日を巡って、本件特許が優先権の利益を享受できるかどうかが争われ、優先権の遡及効を東京地裁は否定したのに対し知財高裁は肯定した。東京地裁は優先権基礎出願の文言の明示的記載のみを考慮して優先権の範囲を狭く判断したが、知財高裁は優先権基礎出願の文言に加えて技術常識等も考慮して優先権を広く判断した。

 

2.本件訂正発明

「A’ ダイゼイン配糖体,ダイゼイン及びジヒドロダイゼインよりなる群から選択される少なくとも1種のダイゼイン類にアルギニンを添加すること,及び,

B’-1 前記ダイゼイン類と前記アルギニンを含む発酵原料を

B’-2 オルニチン産生能力及びエクオール産生能力を有する微生物で発酵処理することを含む,

C’ オルニチン及びエクオールを含有する粉末状の発酵物の製造方法であって,

D’ 前記発酵処理により,前記発酵物の乾燥重量1g当たり,8mg以上のオルニチン及び1mg以上のエクオールを生成し,及び

E’ 前記発酵物が食品素材として用いられるものである,前記製造方法。」

 

3.優先権に関する争点

 本件原出願明細書(本件特許は分割出願である)の段落0093には「ダイゼイン類を含む発酵原料」について以下の記載がある。

「また,ダイゼイン類を含む発酵原料としては,ダイゼイン類を含む限り,特に制限されるものではないが,安全性の観点から,食品素材としても利用可能なものが好適である。ダイゼイン類を含む発酵原料としては,具体的には,大豆,大豆胚軸,大豆胚軸の抽出物,豆腐,油揚げ,豆乳,納豆,醤油,味噌,テンペ,レッドクローブ又はその抽出物,アルファルファ又はその抽出物等が挙げられる。これらの中でも,大豆胚軸は,ダイゼイン類を豊富に含んでいるので,ダイゼイン類を含む発酵原料として好ましい 。」

 すなわち、本件訂正発明における構成B’-1におけるダイゼイン類を含む発酵原料は、大豆胚軸を包含するがそれには限定されない概念である。

 

 一方、本件特許の優先権基礎出願(分割原出願の優先権基礎出願)では発酵原料として明示的に記載されているのは「大豆胚軸」だけであり、「大豆胚軸」以外のものを発酵原料とすることは明示的には記載されていない。

 そこで、本件訂正発明が優先権の利益を享受することができるのか否かが争われた。

 

4.東京地裁の判断

「本件発明の方法に係る発酵原料は,「ダイゼイン配糖体,ダイゼイン及びジヒドロダイゼインよりなる群から選択される少なくとも1種のダイゼイン類」であって,本件明細書においても,様々なダイゼイン類が開示されているのに対し,優先権基礎出願の明細書(乙B1の1~3)を精査しても,これらに開示されている発酵原料は「大豆胚軸」のみであって,「大豆胚軸」以外のダイゼイン類は開示されていない。そうすると,本件発明のうち,発酵原料が大豆胚軸である発明については,上記「本件特許の特許出願」日は,優先日である2007年(平成19年)6月13日となる一方,発酵原料が大豆胚軸以外のダイゼイン類である発明については,上記「本件特許の特許出願」日は,親出願日である2008年(平成20年)6月13日となると解するのが相当である。」

 

5.知財高裁の判断

「前記(ア)(イ)のとおり,基礎出願に明示的に発酵原料として記載されているのは「大豆胚軸」だけであり,「大豆胚軸」以外のものを発酵原料とできることを明示する記載が追加されたのは,本件原出願以降である。

 しかし,基礎出願では,「ダイゼイン類」を資化してエクオールを産生する能力を有する微生物を使用するとされている上,基礎出願の実施例で使用されているラクトコッカス20-92株がそのような微生物の一例として記載されている(基礎出願Aの段落【0013】,【0014】,基礎出願Bの段落【0015】,【0016】,基礎出願Cの段落【0014】,【0015】)。また,基礎出願では,「・・・大豆胚軸の発酵において,発酵原料となる大豆胚軸には,必要に応じて,発酵効率の促進や発酵物の風味向上等を目的として,・・・栄養成分を添加してもよい。」と記載されており(基礎出願Aの段落【0018】,基礎出願Bの段落【0020】,基礎出願Cの段落【0019】),基礎出願において,「水」と「アルギニン」以外の栄養成分を添加することは排除されていない。さらに,基礎出願では,「また,使用する発酵原料(大豆胚軸含有物)には,更に,前記ダイゼイン類を含むイソフラボンを添加しておいてもよい。」と記載されており(基礎出願Aの段落【0020】,基礎出願Bの段落【0022】,基礎出願Cの段落【0021】),「ダイゼイン類」を含むイソフラボンを発酵原料とすることが想定されているということができる。

 そして,前記(ア)a,bのとおり,基礎出願A,Bに記載された実施例においては,「大豆胚軸」にアルギニンを添加してラクトコッカス20-92株で発酵処理することにより,「大豆胚軸」に含まれるダイジンが代謝されてエクオールが生成するとともに,同株によりアルギニンがオルニチンに変換されて,粉末状の発酵物が得られることが,具体的な実験結果と共に記載されている(基礎出願Aの段落【0103】~【0106】,基礎出願Bの段落【0074】~【0077】)。また,基礎出願には,「通常,大豆胚軸発酵物の乾燥重量当たり(大豆胚軸発酵物の乾燥重量を1gとした場合),エクオールが1~20mg,好ましくは2~12mg,更に好ましくは5~8mg含まれている。」「エクオール含有大豆胚軸発酵物に含まれるオルニチンの含有量として具体的には,エクオール含有大豆胚軸発酵物の乾燥重量1g当たりオルニチンが5~20mg,好ましくは8~15mg,更に好ましくは9~12mg 程度が例示される。」との記載があり(基礎出願Aの段落【0024】,【0032】,基礎出願Bの段落【0026】,【0034】,基礎出願Cの段落【0025】,【0033】),発酵物の乾燥重量1g当たり,1~20mgのエクオールが通常含まれている旨及び8~15mgのオルニチンが含まれることが好ましい旨の記載があり,これらの下限値が本件訂正発明において特定されているということができる。そして,基礎出願A及びBの発明により得られる発酵物が食品素材であることはそれぞれの請求項の記載から明らかである。

 ところで,証拠(乙B4(JOURNAL OF BIOSCIENCE AND BIOENGINEERING, Vol.102, No.3, 247-250. 2006),16(国際公開第2005/000042号))によると,本件優先日当時,ダイゼインからエクオールが産生されること,ラクトコッカス20-92株がダイゼイン配糖体(例えばダイジン),ダイゼイン,ジヒドロダイゼインを含むダイゼイン類を資化してエクオールを産生すること,ダイジンの場合は,資化されてダイゼインを遊離し,遊離したダイゼインが更に資化されてジヒドロダイゼインとなり,最終的にエクオールが産生されることは,技術常識となっていたと認められる。そうすると,当業者は,基礎出願において,実質的に代謝されるのが「大豆胚軸」中のダイジンなどの「ダイゼイン類」であることを認識していたと認められる。

 以上によると,基礎出願A,Bの上記記載に接した当業者は,上記本件優先日当時の技術常識とを考え併せ,「大豆胚軸」以外の「ダイゼイン類を含む原料」を発酵原料とした場合でも,ラクトコッカス20-92株のようなエクオール及びオルニチンの産生能力を有する微生物によって,発酵原料中の「ダイゼイン類」がアルギニンと共に代謝されるようにすることにより,発酵物の乾燥重量1g当たり,8mg以上のオルニチン及び1mg以上のエクオールを含有する,食品素材として用いられる粉末状の発酵物を生成することが可能であると認識することができたというべきであるから,本件訂正発明を基礎出願A,Bから読み取ることができるものと認められる。

 したがって,本件訂正発明は,少なくとも基礎出願A,Bに記載されていたか,記載されていたに等しい発明であると認められ,本件訂正発明は,基礎出願A,Bに基づく優先権主張の効果を享受できるというべきである。