2022年4月10日日曜日

特許権侵害訴訟において「楕円形」という構成要件の充足性が争われた事例
 
知財高裁令和4年3月30日判決
令和3年(ネ)第10049号,同年(ネ)第10069号 特許権侵害差止等請求控訴事件(原審・東京地裁平成31年()第2675号)
 
1. 概要
 本事例は、競技用吹き矢の矢に関する特許権の侵害訴訟の知財高裁判決である。
 特許された本件発明の矢は「長手方向断面が楕円形」である先端部を有することを構成要件とする。明細書には、楕円形の定義は記載されておらず、図面では「小判型」の形状が「楕円形」の一例として描写されている。
 一方、被告製品の矢の先端部は「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状」、すなわち、卵型形状であって細い方の頂部が直線的に切り取られた形状である。
 被告製品での「卵型形状」が、本件発明の「楕円形」という構成要件を充足するのかが争われた。東京地裁は、文言侵害成立を認めたのに対して、知財高裁は文言侵害も均等侵害も否定し地裁判決を取り消した。
 
2. 本件発明
 本件発明を分説すると,以下のとおりである。
A 吹矢に使用する矢であって,
B 長手方向断面が楕円形である先端部と該先端部から後方に延びる円柱部とからなるピンであって,該円柱部の横断面の直径が前記楕円形の先端部の横断面の直径よりも小さいピンと,
C 円錐形に巻かれたフィルムであって,先端部に前記ピンの円柱部すべてが
差し込まれ固着されたフィルムと,からなり,
D 前記フィルムの先端部に連続して前記ピンの楕円形の部分が錘として接
続された
E 矢。
 
3. 被告製品
被告製品は,以下の構成を有すると認められる。
a 吹矢に使用する矢であり,
b 長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状である先端部と,該先端部から後方に延びる円柱部とからなるピンであって,該円柱部の横断面の直径が前記先端部の横断面の直径よりも小さいピンと,
c 円錐形に巻かれたフィルムであって,そのフィルムの先端部に前記ピンの円柱部すべてが差し込まれ固着されたフィルムと,からなり,
d 前記フィルムの先端部に連続して前記ピンの先端部が錘として接続された,
e 矢
 
4. 文言侵害についての東京地裁の判断
「「楕円」とは,一般的に「円錐曲線(二次曲線)の一。幾何学的には一平面上で二定点(F,F)からの距離の和(FP+FP)が一定であるような点Pの軌跡。」を意味する(乙2)。また,「楕円形」について,「楕円状をなす形,あるいは,それに近い形。」(デジタル大辞泉),「楕円のような形。また,そのような形のさま。小判がた。長円形。側円形。」(精選版日本国語大辞典)と説明されたりする(甲9)。
 また,長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状のこたつの天板について,「楕円形こたつ」,「楕円形 たまご型 卵型天板」と記載されたり,長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状の水色の画像について,「楕円形ブルー水滴」と記載されたりしたものがある(甲10の1,4)。
 これらによれば,「楕円形」は,一般的には,幾何学的意味での楕円の形のほか,水滴などともいわれるそれに近い形も含むものであり,また,長手方向の端が同じ曲率ではない形状も楕円形と呼ばれることがあるといえる。
 本件明細書には,「楕円形」の意義につき特段の定義はない。
 本件発明の実施例として,「楕円形ヘッド14」とそれと連続して後方に伸びる「円柱部10」を有する「楕円ピン12」が示され,その形状は【図3】のとおりである。この「楕円ピン12」は鉄製で一体成型されたことが記載されている(段落【0066】)。【図3】のとおり,「楕円ピン12」は,直線の上辺,下辺を有していて,幾何学的な楕円ではなく,楕円に近い形といえるものである。
・・・・
 さらに,被告製品では,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描いている。しかし,楕円形については,幾何学的意味での楕円の形のほか,それに近い形も含むものであり,水滴と似た形状など,長手方向の端が同じ曲率ではない形状も楕円形と呼ばれることもある(前記ア)。そして,本件明細書によっても,本件発明の「楕円形」は幾何学的意味での楕円に近い形を含む。また,本件明細書によれば,本件発明の先端部は「楕円形」とすることで,「かえし」がなくなるほか,上下方向の重心が均等であり,従来技術の釘形状の先端部と比べて錘として重くなり,矢全体の長手方向の重心を前寄りに寄せるという技術的意義を有するところ,構成bを有する被告製品の先端部も同じ効果を奏するものであり,被告製品の先端部は,本件発明においては,楕円に近い形であるとして「楕円形」(構成要件B,D)の先端部であるということが相当と解される。
 
5. 知財高裁の判断のポイント
(文言侵害について)
(1) 「楕円形」の一般的な意味について
ア 「楕円形」とは,「楕円状をなした形」をいい,「楕円」とは,「円錐曲線(二次曲線)の一つ。幾何学的には,一平面上で二定点(F,F)からの距離の和(FP+FP)が一定であるような点Pの軌跡。」を意味する(「広辞苑 第六版」(平成20年1月11日発行,株式会社岩波書店)1705頁,乙2参照)。この点,被控訴人が提出するウェブサイト「コトバンク」における検索結果に係る証拠(甲2。令和元年5月30日印刷)では,「楕円形」について,「楕円状をなす形,あるいは,それに近い形。」(デジタル大辞典の解説),「楕円のような形。また,そのような形のさま。小判がた。長円形。側円形。」(精選版日本国語大辞典の解説)とされている。
 上記を踏まえると,一般に,「楕円形」とは,「楕円状をなした形」をいい,幾何学上の楕円の形状がそれに含まれることはもとより,同形状とは異なるがそれに近い形についても用いられる語であると解される。
 もっとも,幾何学上の楕円の形状とは異なるがそれに近い形として,どのような形が「楕円形」に含まれるか,「楕円形」の意味の外延は,上記の辞書的な意味からは明確とはいえない。
イ 上記に関し,「卵形(たまごがた)」は,「鶏卵に似た楕円形。」を意味する語である(上記「広辞苑 第六版」1756頁,甲78参照)。なお,被控訴人が提出するウェブサイト「コトバンク」における検索結果に係る証拠(甲77。令和3年7月29日印刷)では,「卵形(たまごがた)」について,「鶏卵のような楕円形。また,そのような形のもの。たまごなり。」(精選版日本国語大辞典の解説),「鶏卵に似た楕円形。たまごなり。らんけい。」(デジタル大辞典の解説)とされている。
 また,「卵形(らんけい)」は,「たまごのような形。たまごがた。」を意味する語である(上記「広辞苑 第六版」2933頁)。なお,上記証拠(甲77)では,「卵形(らんけい)」について,「卵のような形。楕円の一方が少し細くなっている形。たまごがた。」(精選版日本国語大辞典の解説),「卵のような形。たまごがた。」(デジタル大辞典の解説)とされている。
 そうすると,「楕円形」の語は,「卵形」を含むものとして用いられることもあるものの,他方で,前記アの「楕円形」の意味において,「卵形」と同義である旨の説明はもちろん例示としても「卵形」という説明がみられないことや,上記のとおり,「卵形」の意味においても,限定なしで「楕円形」と同義であることは何ら示されず,「鶏卵に似た」,「鶏卵のような」といった限定を付して「楕円形」という語が用いられたり,「楕円の一方が少し細くなっている形」との説明がされていることも踏まえると,「楕円形」は本来的な意味として「卵形」を含むものではないとみられるところである。
ウ 以上によると,「楕円形」の語は,幾何学上の楕円の形状及びそれに近い形をいうものであるが,当該楕円の両端(当該楕円とその長軸が交わる2点をいう。)付近の曲線を比較した場合に,その一方の曲率が他方の曲率より小さい形状(「卵形」など。当事者の主張における「長手方向の端の一方が他方よりも緩い曲率の形状」。以下「曲率に差のある形状」という。)を含むものとして「楕円形」の語が用いられているか否かは,明細書(図面を含む。)における当該「楕円形」の語が用いられている文脈等を踏まえて判断する必要があるというべきである。
エ これに対し,被控訴人は,「楕円形」の語が卵形等を含むものであると主張して,インターネットでの画像検索の結果(甲10の1~6)やウェブサイト等における語の使用例(甲79~84)を指摘するが,それらは一般に「楕円形」の語がどのような形を説明する際に用いられているかといった事情を示すものにすぎず,「楕円形」の語が上記各証拠で示される各種の形をその意味として当然に含むことを示すものとは解されない。
(2) 本件明細書における「楕円形」の語について
ア 本件明細書に,「楕円形」の意味について説明する記載等は見当たらない。 ただし,請求項1の発明においては先端部が「球形」とされ,本件明細書でも「球形」と「楕円形」が使い分けられていることを踏まえると,少なくとも,本件発明の「楕円形」は,円形(球形の断面)を含むものではなく,円形を含み得るような広い意味の語ではないことは理解されるといえる。
(訂正の上引用した原判決の「事実及び理由」中の「第3 当裁判所の判断」の1(2)を踏まえると,本件発明が解決しようとする課題は,従来技術について,矢の先端部に「かえし」が存在することにより生じていた,矢を的から外すときに丸釘のピンだけ的に残ってフィルムだけ引き抜かれてしまうという課題と,ダブル突入の場合に後ろの矢を引き抜くときにフィルムが丸釘のピンから抜け,後ろの矢のピンが前の矢のフィルム内に残ってしまうという課題(以下,併せて「ピン抜けの課題」という。)のほか,矢の先端部の頭部と円柱部の位置のずれやフィルムの重なりにより生じていた,③上下方向の重心に偏りがあるという課題(以下「重心の課題」という。)であると解される。
(本件発明の「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状は,ピン抜けの課題の原因が先端部の「かえし」の存在にあったとされていることを踏まえると,ピン抜けの課題の解決手段の一つとして採用されたものと理解されるところ,「かえし」の存在をなくすという観点からは,先端部の形状は,幾何学上の楕円の形状で足り,曲率に差のある形状である必要はない。したがって,ピン抜けの課題の解決手段の一つであるという事情は,本件発明における「楕円形」の語が,曲率に差のある形状を含むというべき積極的な事情には当たらない。むしろ,曲率に差のある形状とした場合,具体的な形状次第では,的やダブル突入の場合の前の矢のフィルムに曲率の差のある形状の先端部が残ってしまうという可能性が別途生じ,ピン抜けの課題の解決に支障が生じ得るともいえるところである。この点,本件明細書には,先端部の形状について,「楕円形」としてどのような範囲内のものであればピン抜けの課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は,何ら記載されていない。
 他方,本件明細書上,重心の課題の解決と「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状との関係は明確ではないが,重心の課題の原因の一つとして,矢の先端部の頭部と円柱部との位置のずれが挙げられていることのほか,本件発明の効果等に関し,請求項1の発明に係る実施例についてのものではあるものの,「ピンを従来の丸釘から先端球形に変更することによって矢の長手方向の重心位置を矢の先端方向に寄せることができた」ことが記載され,その変形例が本件発明に係るもので,上記実施例と同様に従来の矢の丸釘と比較した丸ピンの重量等について具体的な記載がされていることも考慮すると,「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状は,円柱部との位置のずれを解消しやすく,また,上下方向の重心に偏りがなく,かつ,従来の丸釘よりも先端部が後ろに長い形状であるために先端部が相対的に重くなるといった観点から,重心の課題の解決手段の一つとして採用されたものと理解することもあり得る。しかし,そのような観点からも,先端部の形状は,幾何学上の楕円の形状で足り,曲率に差のある形状である必要はない。むしろ,曲率に差のある形状とした場合,具体的な形状次第では,円柱部との位置の調整が困難になったり,上下方向の重心に偏りがなく,かつ,先端部が相対的に重くなるといった特徴が十分に発揮できなくなり,重心の課題の解決に支障を生じ得るともいえるところである。この点,本件明細書には,先端部の形状について,「楕円形」としてどのような範囲内のものであれば重心の課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は,何ら記載されていない。
ウ 本件発明の実施例は,本件明細書の【0065】~【0069】及び【図3】のとおりであり,先端部の長手方向の断面は,請求項1の発明の実施例(同【図2】)の先端部の形状である「球形」の長手方向の断面である円を左右(矢の進行方向からすると前後)に二つに分割してその間に長方形を挟み込んだような形(換言すると,「円」を左右に引き伸ばしたような形)であって,「小判型」や「俵型の断面」などというべきものであり,幾何学上の楕円の形状とは異なるものの,長手方向の両端の曲率を同じくするものである。上記の形については,本件明細書に実験結果が記載されており,また,前記イ()で指摘したような,ピン抜けの課題の解決や重心の課題の解決に支障を生じ得るといった事情も認め難いものといえる。
(3) 構成要件B及びDの「楕円形」の意味及び文言侵害の成否について
ア 前記(1)及び(2)の点を踏まえると,構成要件B及びDの「楕円形」は,幾何学上の楕円の形状や,本件発明の実施例の形のような,楕円に近い形状であって長手方向の両端の曲率を同じくする形状は含むものと解される一方で,曲率に差のある形状は含まないものと解するのが相当である。なお,これと異なる技術常識を認めるべき証拠もない。
イ 被告製品のピンの先端部は,「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描き,後部の円柱部との接合面が上下に角を有し,前記後部の角と角とを直線で結んだ形状である先端部」(構成要件b)であり,曲率に差のある形状の一端を更に一定の範囲で切断した形状というべきものであるから,構成要件B及びDの「楕円形」には含まれない。
 したがって,被告製品が,文言上,本件発明の技術的範囲に属するとは認められない。」
 
(均等論についての判断)
() 前記3で認定判断した構成要件B及びDの「楕円形」の意味及び弁論の全趣旨によると,本件発明の先端部の形状と被告製品の先端部の形状について,本件発明では「楕円形」であるのに対し,被告製品では,曲率に差のある形状を基礎として,「長手方向断面が,前部が曲率の緩い曲線形状,後部が略円錐形となるように円弧を描」く形状となっていること(なお,別紙乙第1号証のとおり,後部の略円錐形となるような円弧について,一定の曲率が選択されているものである。乙3の1・2,乙15参照)と,根元段差部分があることとにおいて,異なっているということができる。
 上記のうち①について,前記3(2)イで指摘したところからすると,本件発明は,少なくともピン抜けの課題の解決方法として,「長手方向断面が楕円形である先端部」という構成を採用したものと解される。そして,同イ()で指摘したとおり,「長手方向断面が楕円形」という形状を曲率に差のある形状に変更した場合,ピン抜けの課題の解決や重心の課題の解決に支障を生じ得るともいえるところ,「楕円形」としてどのような範囲内のものであればピン抜けの課題が適切に解決されるかの判断の資料となり得るデータ等は本件明細書に記載されていない。
 そうすると,本件発明における前記3(3)で認定判断した意味での「長手方向断面が楕円形」という先端部の形状の特定は,本件発明の本質的部分に含まれるものというべきであり,それを被告製品の先端部の形状に置き換えることは,本件発明の本質的部分を変更するものというべきである。
ウ したがって,本件発明の構成中に,被告製品と異なる部分が存在するところ,異なる部分は本件発明の本質部分であるから,第1要件を満たさない。」