知財高裁令和5年10月5日判決
令和4年(ネ)第10094号特許権侵害差止等請求控訴事件
(原審・東京地方裁判所令和3年(ワ)第29388号)
1.概要
本事例は、原告が有する特許権に基づく特許権侵害訴訟の第二審知財高裁判決である。第一審では東京高裁が、分割出願による本件特許が、原出願の明細書等に記載されたものではないため分割要件を満たさず、実際の出願日において新規性を有さないから、無効理由を有し、本件特許権を行使することができない、と判断した。
知財高裁は、本件発明に係る特許請求の範囲の記載には、分割出願が適法であるか否かにかかわらず、サポート要件違反があることが認められるから、本件特許は特許法36条6項1号違反により無効にされるべきものであり、本件特許権を行使することはできない、と判示した。
本件特許に係る特許請求の範囲請求項1記載の発明(本件発明)は、次のとおりである。
「HFO-1234yfと、HFC-143a、およびHFC-254eb、を含む組成物であって、HFC-143aを0.2重量パーセント以下で、HFC-254ebを1.9重量パーセント以下で含有する組成物。」
冷媒であるHFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有し、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であることは公知である。
本件明細書には、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されている。
しかしながら、本件明細書には、特定の追加の化合物が少量で存在することによる作用効果や、本件発明が解決しようとする課題が理解できるように記載されていない。
知財高裁は、
「HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。」
「本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。」
と指摘しサポート要件を満たしていないと結論づけた。
2.裁判所の判断のポイント
「1本件発明について
(1)本件明細書には、別紙「特許公報」のとおりの記載がある(甲2)。
(2)本件発明の概要前記(1)の記載によると、本件発明は、熱伝達組成物等として有用な組成物の分野に関するものであり、新たな環境規制によって、冷蔵、空調及びヒートポンプ装置に用いる新たな組成物が必要とされてきたことを背景として、低地球温暖化係数の化合物が特に着目されているところ、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出したというものである・・・。
2争点2-2(サポート要件違反を無効理由とする無効の抗弁の成否)について
(1)特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決することができると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決することができると認識することができる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
(2)本件についてみると、本件明細書(以下、原出願当初明細書も同じ。)には、「発明が解決しようとする課題」として、「出願人は、1234yf等の新たな低地球温暖化係数の化合物を調製する際に、特定の追加の化合物が少量で存在することを見出した。」(【0003】)との記載がある。また、「本発明によれば、HFO-1234yfと、HFO-1234ze、HFO-1243zf、HCFC-243db、HCFC-244db、HFC-245cb、HFC-245fa、HCFO-1233xf、HCFO-1233zd、HCFC-253fb、HCFC-234ab、HCFC-243fa、エチレン、HFC-23、CFC-13、HFC-143a、HFC-152a、HFO-1243zf、HFC-236fa、HCO-1130、HCO-1130a、HFO-1336、HCFC-133a、HCFC-254fb、HCFC-1131、HFC-1141、HCFO-1242zf、HCFO-1223xd、HCFC-233ab、HCFC-226baおよびHFC-227caからなる群から選択される少なくとも1つの追加の化合物とを含む組成物が提供される。組成物は、少なくとも1つの追加の化合物の約1重量パーセント未満を含有する。」(【0004】)、「HFO-1234yfには、いくつかある用途の中で特に、冷蔵、熱伝達流体、エアロゾル噴霧剤、発泡膨張剤としての用途が示唆されてきた。また、HFO-1234yfは、V.C.Papadimitriouらにより、PhysicalChemistryChemicalPhysics、2007、9巻、1-13頁に記録されているとおり、低地球温暖化係数(GWP)を有することも分かっており有利である。このように、HFO-1234yfは、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補である。」(【0010】)といった記載に、【0013】、【0016】、【0019】、【0022】、【0030】、【図1】の記載を総合すると、本件明細書には、HFO-1234yfが低地球温暖化係数(GWP)を有することが知られており、高GWP飽和HFC冷媒に替わる良い候補であること、HFO-1234yfを調製する際に特定の追加の化合物が少量存在すること、本件発明の組成物に含まれる追加の化合物の一つとして約1重量パーセント未満のHFC-143aがあること、HFO-1234yfを調製する過程において生じる副生成物や、HFO-1234yf又はその原料(HCFC-243db、HCFO-1233xf、HCFC-244bb)に含まれる不純物が、追加の化合物に該当することが記載されているということができる。しかるところ、HFO-1234yfは、原出願日前において、既に低地球温暖化係数(GWP)を有する化合物として有用であることが知られていたことは、【0010】の記載自体からも明らかである。したがって、HFO-1234yfを調製する際に追加の化合物が少量存在することにより、どのような技術的意義があるのか、いかなる作用効果があり、これによりどのような課題が解決されることになるのかといった点が記載されていなければ、本件発明が解決しようとした課題が記載されていることにはならない。しかし、本件明細書には、これらの点について何ら記載がなく、その余の記載をみても、本件明細書には、本件発明が解決しようとした課題をうかがわせる部分はない。本件明細書には、「技術分野」として、「本開示内容は、熱伝達組成物、エアロゾル噴霧剤、発泡剤、ブロー剤、溶媒、クリーニング剤、キャリア流体、置換乾燥剤、バフ研磨剤、重合媒体、ポリオレフィンおよびポリウレタンの膨張剤、ガス状誘電体、消火剤および液体またはガス状形態にある消火剤として有用な組成物の分野に関する。特に、本開示内容は、2,3,3,3,-テトラフルオロプロペン(HFO-1234yfまたは1234yf)または2,3-ジクロロ-1,1,1-トリフルオロプロパン(HCFC-243dbまたは243db)、2-クロロ-1,1,1-トリフルオロプロペン(HCFO-1233xfまたは1233xf)または2-クロロ-1,1,1,2-テトラフルオロプロパン(HCFC-244bb)を含む組成物等の熱伝達組成物として有用な組成物に関する。」(【0001】)との記載があるが、同記載は、本件発明が属する技術分野の説明にすぎないから、この記載から本件発明が解決しようとする課題を理解することはできない。そうすると、本件明細書に形式的に記載された「発明が解決しようとする課題」は、本件発明の課題の記載としては不十分であり、本件明細書には本件発明の課題が記載されていないというほかない。そうである以上、当業者が、本件明細書の記載により本件発明の課題を解決することができると認識することができるということもできない。
(3)・・・(略)・・・
(4)以上のとおり、分割出願が有効であり、出願日が原出願日(平成21年5月207日)となると考えたとしても、本件発明に係る特許請求の範囲の記載が、サポート要件に適合するということができないから、本件発明に係る特許は、無効審判請求により無効とされるべきものである(特許法123条1項4号、36条6項1号)。」