2020年7月12日日曜日

下位概念発明の進歩性の判断に関し異議決定が取り消された事例


知財高裁令和2年6月3日判決
令和元年(行ケ)第10096号 特許取消決定取消請求事件

1.概要
 本件は、原告が有する特許発明の進歩性を否定した異議決定の取消を求めた審決取消訴訟において、異議決定の一部を取り消した知財高裁判決である。
 本件発明2は、後述する通り、(a)所定の構造のポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である、用途が特定された樹脂組成物である。
 甲1文献では、本件発明2で特定するアルコキシシラン化合物は記載されていないが、γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のアルコキシシラン化合物を添加することができることが記載されている。一方、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されている。
 異議決定では「本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。」として、本件発明2の進歩性を否定した。
 一方、知財高裁は、甲1には、本件発明2で規定する特定のアルコキシシラン化合物は記載されておらず、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない、として異議決定を取り消した。

2.本件発明2について
【請求項2】(本件発明2)
(a)一般式(1)(化学式は省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である樹脂組成物であって,
 前記樹脂組成物をシリコン基板又はガラス基板に塗布,加熱し,1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。

3.異議決定の判断(本件発明2の進歩性否定)
 ア 本件発明2と甲1発明1の一致点及び相違点
(ア)一致点
(a)一般式(1)(化学式省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(c)有機溶剤と,を含有する樹脂組成物であって,前記樹脂組成物を基板に塗布,加熱し,ポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。
(イ)相違点3
 本件発明2では「(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,フェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,・・・を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して「0.2~2質量%である」のに対して,甲1発明1では「(b)アルコキシシラン化合物」を含有すること及びその含有量につき特定されていない点
(ウ)相違点2a
 「ポリイミド樹脂膜を形成する工程」において,本件発明2では「シリコン基板又はガラス基板」を使用するとともに「1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜」を形成するのに対して,甲1発明1では「キャリア基板」を使用するとともに「固体の樹脂膜」の膜厚につき特定されていない点
イ 検討
(ア)相違点2aについて
 相違点2aに係る事項は,相違点2に係る事項と同一であるから,前記(2)()で説示した理由と同一の理由により,相違点2aは,実質的な相違点であるとはいえないか,甲1発明1において当業者が適宜なし得ることである。
(イ)相違点3について
 甲1には,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のために,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のカップリング剤を添加することができることが記載され,また,その使用量がポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,0.1質量%以上,3質量%以下が好適であることが記載されている(段落【0019】)ところ,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物においても,ガラス基板又はシリコン基板などの被塗布体の表面に塗布成膜し,ポリイミド樹脂膜として他表面に回路形成を行った後,被塗布体から剥離することによりフレキシブルデバイス基板とするものであって,甲1発明1において,シランカップリング剤の適量の添加使用により被塗布体に対する接着性を改善するとしても,被塗布体からの剥離性につき許容される範囲内で行うことを前提とするものであるから,甲1発明1において,ガラス基板又はシリコンウエハなどの被塗布体に対する接着性向上を意図して,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤などのアルコキシシラン化合物をポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,「0.1質量%以上,3質量%以下」なる範囲のうちの0.2~2質量%の範囲で添加使用することは,当業者が適宜なし得ることである。
 また,本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。
 したがって,相違点3は,当業者が適宜なし得ることである。
(ウ)本件発明2の効果について
 本件発明2において,特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められず,その余については,前記(2)()で示した本件発明1に係る効果と同様であるから,本件発明2の効果についても,甲1発明1のものに比して,当業者が予期し得ない程度の格別顕著なものということはできない。
ウ 以上から,本件発明2は,甲1発明1に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

4.知財高裁の判断のポイント(進歩性肯定、異議決定取り消し)
取消事由2-2(本件発明2について:相違点の判断の誤り)について
(1) 本件発明2と甲1発明1には,相違点3及び相違点2aが存在するところ,相違点2aは,相違点2と同様の相違点であるため,前記3(2)のとおり,容易想到であると認められる。
(2) 相違点3について
甲1には,甲1発明1において,ポリイミド樹脂膜の支持体への密着性を向上させることができるカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は記載されていない。また,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物がキャリア基板に形成したポリイミド樹脂膜上に回路を形成後,キャリア基板から剥離するフレキシブルデバイス基板形成用のポリアミド樹脂組成物から形成した樹脂膜のキャリア基板への密着性を向上させるのに適するものであることが本件優先日の当業者の技術常識であったことを認めることができる証拠はない。
 そうすると,甲1に接した当業者が,本件発明2に記載されたアルコキシシラン化合物を選択する動機付けがあるとは認められないから,相違点3が容易想到であると認めることはできない。
() これに対し,被告は,甲22の記載によると,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は,いずれも,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に,シランカップリング剤(接着促進剤)として汎用のものであるとともに,甲2~6の記載から,他の基材に対する接着性改善のためにポリイミド樹脂(前駆体)に対して添加されるシラン化合物として当業者に公知なものであるから,甲1発明1の樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のためのシランカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物を使用することは,当業者が適宜なし得ることであると主張する。
() 甲22について
a 甲22には,以下の記載がある。
(省略)
b 甲22によると,本件優先日時点において,プラスチックに添加するシランカップリング剤として,甲1の段落【0019】に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランと,本件発明2における3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランが知られていたと認められる。そして,甲22には,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシランの特性として,「とくに塩ビ樹脂に有効で,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂,ポリプロピレン,ポリカーボネート,ナイロン樹脂,EPM,EPDMその他の硫黄加硫ゴム,ポリウレタン,多硫化ゴムにも利用できる。」と記載され(同じく甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリメトキシシランの特性は,甲22には記載されていない。),本件発明2に記載された3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランであるγ-グリシドキシプロピルトリメトキシシランについては,「ポリエステル,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,ポリエチレン,ポリカーボネート,ABS,塩ビ樹脂,ポリウレタンに有用。」,「シリカ入りの硫黄加硫SBR,EPDMに添加すると物性が大幅に増大する。」,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランであるγ-ウレイドプロピルトリエトキシシランについては,「エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂などの複合材に卓効がある。」とそれぞれ記載されている。
 しかし,甲22に記載されたシランカップリング剤のうち,ポリイミドへの添加について言及されているのは,(21)のN-フェニル-γ-アミノプロピルトリメトキシシランのみであり,甲22には,甲1や本件発明2に記載された上記のアルコキシシラン化合物が,ポリイミドに添加されるシランカップリング剤であるとの記載はない。
 そうすると,甲22を根拠に,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物をポリイミドに添加することが容易想到であると認めることはできない。

() 甲2~6について
・・・・
 甲2において,シランカップリング剤は,金属アルコキシドやその他の物質のポリイミド系重合体の前駆体であるポリアミック酸系重合体への分散性,混合性を向上させ,熱膨張率などの特性にもとづく寸法安定性を改善することを目的とするものであり,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲3において,アルコキシシラン化合物は,透明性を損なわずに,寸法安定性に優れ,かつ無機化合物基板との密着性が高いシリカ粒子が分散してなる新規なポリイミド組成物及びその製造方法を提供するために,ポリイミド溶液に添加し,ポリイミド溶液において水の存在下で反応させるものであり,本件発明2において,アルコキシシランが,ポリイミド前駆体であるポリアミド酸の組成物に配合されるのとは,配合対象が異なっている上,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲4は,ポリイミド銅張積層板のポリイミド層と銅箔との間の接着性を高めるために,ポリイミド前駆体コーティング溶液中に,アルコキシシランを組み込むというもので,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲5は,良好な熱伝導性と接着性を有し,さらに,良好な耐熱性を有する樹脂組成物を提供することを目的とするものであるが,(C)成分の例として,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを含む組成物が,ポリイミド樹脂と無機フィラーの相溶性を高め,ボイド(空隙)を抑制し,少ない無機フィラー含量でも高い熱伝導性が得られると記載されており,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲6は,電子部品の絶縁膜又は表面保護膜用樹脂組成物,パターン硬化膜の製造方法及び電子部品に関するものであり,最終加熱時においてメルトを起こすことなく,最終加熱以降の加熱においても架橋成分等の昇華及びガス成分の発生が少ない層間絶縁膜又は表面保護膜を製造するために,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを添加することができる(段落【0057】)というものであり,シリコン基板に対する接着性増強剤として3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシランなどのアルコキシシラン化合物を含むことができる(段落【0069】)との記載があるが,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離すること」が可能なポリイミド樹脂膜を形成することが可能な樹脂組成物を提供するという本件発明2とは添加目的が異なっている。
以上によると,甲2~6によって,甲2~6にされたアルコキシシ
ラン化合物を本件発明2のために用いるという動機付けがあるとは認められないか
ら,相違点3が容易想到であると認めることはできない
 なお,甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング材として,本件発明2における4種のある子機シシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない。
(3) 以上によると,本件発明2は,当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできないから,効果の点について判断するまでもなく,取消事由2-2は理由がある。」


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2020年6月28日日曜日

実施例と合致しない特許発明の実施可能要件サポート要件

知財高裁令和2年5月28日判決
令和元年(行ケ)第10075号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は被告が有する特許権に対する無効審判審決(特許有効の判断)を不服とする原告による審決取消訴訟の高裁判決であり、下記の本件発明6については審決の判断(実施可能要件違、サポート要件を満たす)が維持された事例である。

 本件特許の請求項6に係る発明(本件発明6)は以下の通り
「【請求項6】第1のスキン層と,コア層,及び第2のスキン層とを含むポリオレフィンフィルムを押出成形する第1の押出ステップと,/前記押出成形されてなるフィルムを冷却させる第1の冷却ステップと,/前記第1の冷却ステップを経たフィルムを縦延伸する縦延伸ステップと,/前記縦延伸されたフィルムの第1のスキン層上に熱封着樹脂層が形成されるように押出成形する第2の押出ステップと,/前記熱封着樹脂層が形成されたフィルムを冷却させる第2の冷却ステップ,及び/前記第2の冷却ステップを経たフィルムを横延伸する横延伸ステップと,/を含み,/前記第2の冷却ステップは,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて樹脂層に空気チャンネルを形成させることであり,/前記冷却ロールに形成された凹凸構造は,5μm~30μmの深さを有することを特徴とする,ポリオレフィン系延伸フィルムの製造方法。」

 この方法で製造されるポリオレフィン系延伸フィルムは、(凹凸を有する)熱封着樹脂層、第1のスキン層、コア層、及び、第2のスキン層がこの順で積層された構造を有する。そして、熱封着樹脂層に凹凸が形成されている。
 特許明細書には、この構成の効果として、空気チャネルの形成によって巻き取り時のしわ寄りが効果的に防止されることや、優れた層間接着強度を有することが記載されている。
 しかし、上記の製造方法を実施し、効果を確認した実験結果は記載されていない。明細書の実施例1、実施例2では、表面に凹凸構造を有する冷却ロールを用いて、熱封着樹脂層の裏側にあたる第2のスキン層に凹凸を形成することは記載されているが、熱封着樹脂層に凹凸を形成する例ではない。

 そこで原告は、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たさないと主張した。
 これに対して知財高裁は、以下のように判示し、本件発明6は実施可能要件、サポート要件を満たすと判断した。

2.原告の主張に対する裁判所の判断のポイント
「4 取消事由4(本件発明6に係る実施可能要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を前提に,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40とは反対側の面に当てる態様を開示しており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40表面に当てる態様については,空気チャンネルの形成によって巻取時のしわ寄りが効果的に防止されるとの効果が奏されるとの実験的な確認がなく,実施可能要件に適合しない旨主張する。
 本件明細書には,図4に示す装置を前提に,「先ず,共押出により第1のスキン層10/コア層30/第2のスキン層20が積層されてなるフィルムを作製した後,第1の冷却を行ない,次いで,縦延伸比4倍で縦延伸を行なった。そして,縦延伸後,連続押出によるインライン(In-Line)工程により前記第1のスキン層10上に樹脂層40としてのEVA層を押出積層した後,冷却ロールに通させて第2の冷却を行ない,次いで,横延伸比8倍で横延伸して,図3に示すような4層構造の延伸フィルムを作製した。…冷却する際に,…実施例2の場合は,サンディング処理が施されたマットタイプロールに通させて冷却を行なった。」(【0066】,【0067】)との記載があり,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールが第2のスキン層に当てられ,第2のスキン層に空気チャンネルが形成される実施例2が記載されている。
 しかしながら,実施例2を参照した場合でも,請求項6や【0051】の記載を参照して,第2の押出ステップにより成形されたフィルムを実施例2と上下逆にすれば,第2の冷却ステップで凹凸構造を有する冷却ロールを樹脂層40に当てることは容易にできるから,過度の試行錯誤を要することなく,本件発明6の空気チャンネルを形成することはできるというべきである。
 そして,実施可能要件は,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その発明を実施することができる程度に発明の構成等の記載があることを要するとするものであって,作用効果を奏することの実験的な確認を要するものではない。」

「5 取消事由5(本件発明6に係るサポート要件の判断の誤り)について
・・・
 原告は,実施例及び比較例の記載(【0066】~【0075】)は,図4の装置を用いており,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層には当たらず,樹脂層とは反対側の面に当たるようになっているから,これらの記載によっても,本件発明6によって,「優れた層間接着強度でラミネートされた多層ポリオレフィン延伸フィルムを提供」されているのか否かを理解することができず,サポート要件に違反する旨主張する。
 本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1のポリオレフィン系延伸フィルムとは,本件発明6の空気チャンネルが実施例1では形成されない点で異なり,実施例2のポリオレフィン系延伸フィルムとは,空気チャンネルの形成場所が本件発明6では樹脂層であるのに対し,実施例では第2のスキン層である点で異なる。
 しかし,本件明細書の「空気チャンネルによってフィルムの巻取品質が向上する。…横延伸されたフィルムは,巻取ロール600に巻き取られることとなり,このとき,巻取工程でしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。樹脂層40の形成の際,従来のようにコーティング工程等によらずに,縦延伸後の連続的な追加の押出工程(第2の押出ステップ)により樹脂層40を積層するため,巻取時にしわが寄り,該しわが取れ難くなることがある。」(【0049】),「空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止する。すなわち,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する。」(【0050】),「本発明の実施例に係るフィルムの場合,巻取後の外観性においても良好であることが分かり,特に実施例2の試片は,外観性等の巻取品質が非常に優れていることが判明した。」(【0075】)との記載によれば,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供することで,巻取時のしわ寄りを効果的に防止することを理解することができる。
 そして,表面に凹凸構造を有する冷却ロールが樹脂層40側に当てられた場合であっても,巻き取られたフィルムに空気チャンネルが形成されることは,スキン層に空気チャンネルが形成された実施例2の場合と同様であるから,巻取時にフィルムとフィルムとの間に存在していた空気が空気チャンネルから外部に抜けることにより,しわが寄ることを効果的に防止する空気流れ通路を提供し,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏するものと解される。
 また,本件発明6の製造方法の各ステップを経て製造されたポリオレフィン系延伸フィルムは,実施例1,2のポリオレフィン系延伸フィルムと各層の材料は同じであり,各層の層間の状態に違いがあることはうかがわれない上,空気チャンネルは,空気流れ通路を提供することにより,巻取時のしわ寄りを効果的に防止するものであるから,空気チャンネルが設けられているのが,フィルムの表面であるか樹脂層の側であるかによって,層間接着強度が大きく変わると解すべき根拠はない。
 そうすると,当業者は,実施例,比較例をみれば,本件発明6のポリオレフィン系延伸フィルムについても,実施例1,2と同様に,第1のスキン層と樹脂層との優れた層間接着強度,樹脂層と被着体(紙)との優れた層間接着強度を有することや,巻取時のしわ寄りを防止する効果を奏することが理解できるというべきである。したがって,図4の装置を用いた実施例及び比較例の記載の記載が本件発明6と整合しないとしても,それのみをもってサポート要件違反となるものではない。
 よって,原告の主張は採用できない。」

2020年2月23日日曜日

サポート要件違反の無効審決が覆された事例


知財高裁令和2年2月19日判決
平成31年(行ケ)第10025号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、無効審判審決(サポート要件違反により無効)の取消を求めた審決取消訴訟において、知財高裁が無効審決を取り消した事例である。
 本件発明1(請求項1)等の課題は「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」することである。この課題を解決するための特徴として、本件発明1は「1.0mmより大きく3.0mm以下の内径の細管(但し,0.8m以下の長さのものを除く)からなる降圧移送手段としての管状路」を含む。一方、発明の詳細な説明には、この特徴に係る細菅が内径2mm長さ0.8mの比較例2は上記課題が解決できないのに対して、内径2又は3mm長さ1.4~4mの実施例1~13では上記課題が解決できることが記載されている。
 細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合に,過飽和の状態を安定に維持するとの発明の課題を解決できるといえるか否かが争点となり、審決と訴訟とで判断が異なった。

2.本件発明1
「水に水素を溶解させて水素水を生成する気体溶解装置であって,
 水槽と,
 固体高分子膜(PEM)を挟んだ電気分解により水素を発生させる水素発生手段と,
前記水素発生手段からの水素を水素バブルとして前記水槽からの水に与えて加圧送水する加圧型気体溶解手段と,
 前記加圧型気体溶解手段から水素水を導いて貯留する溶存槽と,
 前記溶存槽に貯留された水素水を前記水槽中に導く,1.0mmより大きく3.0mm以下の内径の細管(但し,0.8m以下の長さのものを除く)からなる降圧移送手段としての管状路と,を含み,
 前記水槽中の水を前記加圧型気体溶解手段,前記溶存槽,前記管状路,前記水槽へと送水して循環させ前記水素バブルをナノバブルとするとともに,前記加圧型気体溶解手段から前記溶存槽へと送水される水の一部を前記水素発生手段に導き電気分解に供することを特徴とする気体溶解装置。」

3.審決(サポート要件違反)のポイント
「ア 本件出願の願書に添付した明細書(以下,図面を含めて「本件明細書」という。甲25)の記載(【0015】,【0016】,【0047】,【0048】)によると,本件特許発明1ないし4の課題は「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」することであり,当該課題を「降圧移送手段を設け,かつ液体にかかる圧力を調整す」ることにより,解決できることを理解できる。
イ 本件明細書の記載(【0053】ないし【0068】)から,実施例(実施例1,3ないし12)と比較例(比較例1,2)の降圧移送手段5はどちらも内径は2mm又は3mmであるものの,長さに着目すると,長さ1.4m以上の細管は実施例となるが,長さ0.8m以下の細管は過飽和の状態が維持できたとする実施例とされていないものと認められるから,「降圧移送手段」のうちでも,長さによっては発明の課題を解決することができないこととなる。
ウ 本件訂正により「但し,0.8m以下の長さのものを除く」とされた事項は,技術的には0.8mより長い細管を意味するものであるところ,本件明細書には,長さ1.4mの細管であれば過飽和の状態の水素水を得ることができる実施例10が記載されているが,長さが0.8mより長い細管であれば過飽和の状態の水素水を安定に維持することができるとの明示的な記載はない。また,比較例2では,長さ0.8mの細管で水素濃度が1.8ppmの水素水となるところ,比較例2と長さ以外の圧力等の条件を同等とすれば,例えば0.81mのような比較例2よりも僅かに長さを長くしたところで,濃度が1.8ppmから急激に上昇して過飽和の状態の目安としている,2.0ppmより大きい水素濃度となると当業者が認識する根拠はみいだせない。むしろ,長さを僅かに変化させたところで,水素濃度は1.8ppmの近傍の値であると当業者であれば十分に理解し得るところである。
 したがって,0.8mより長い細管には,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができない例が含まれることは当業者であれば十分に認識しうる事項である。
 一方で,比較例2に対して,例えば,圧力を高くするなど他の条件を変更すれば,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することが可能かもしれないが,例えば,長さが0.81mの場合に,当業者が水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができる条件はどのようなものであるのか,技術常識を加味しても特定することは困難であり,示唆もないから,長さが0.81mの場合に,水素水を過飽和の状態とし,かつ,これを安定に維持することができると認めることができない。
エ そうすると,過飽和の状態が安定に維持できると認めることができない数値範囲が含まれている本件特許発明1ないし4は,発明の詳細な説明に記載された,発明の課題を解決するための手段が反映されていないため,発明の詳細な説明に記載した範囲を超えて特許を請求するものであり,本件特許発明1ないし4に係る本件特許は,特許法36条6項1号の規定(サポート要件)に違反する。」

4.裁判所の判断(サポート要件充足)のポイント
「前記ア及びイを総合すると,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識から,本件特許発明1の気体溶解装置は,水に水素を溶解させて水素水を生成し,取出口から吐出させる装置であって,気体を発生させる気体発生手段と,この気体を加圧して液体に溶解させる加圧型気体溶解手段と,気体を溶解している液体を導いて溶存及び貯留する溶存槽と,この液体が細管からなる管状路を流れることで降圧する降圧移送手段とを備え,降圧移送手段により取出口からの水素水の吐出動作による管状路内の圧力変動を防止し,管状路内に層流を形成させることに特徴がある装置であり,一方,必ずしも厳密な数値的な制御を行うことに特徴があるものではないと理解し,例えば,細管の内径(X)が1.0mmより大きく3.0mm以下で,かつ,細管の長さ(L)の値が0.8mより大きく1.4mより小さい数値範囲のときであっても,「細管の内径X及び水素水の流量の各値が同じである場合に水素濃度の値を高めるには,加圧型気体溶解手段の圧力Yの値を大きくすればよく,この場合に加圧型気体溶解手段の圧力Y及び細管の長さLの値をいずれも大きくして,水素濃度の値を高めるには,加圧型気体溶解手段の圧力Yの値の増加割合が細管の長さLの値の増加割合よりも大きくなるように各値を選択すればよいこと」(前記イ)を勘案し,細管からなる管状路内の水素水に層流を形成させるようX,Y及びLの値を選択することにより,「気体を過飽和の状態に液体へ溶解させ,かかる過飽和の状態を安定に維持」するという本件特許発明1の課題を解決できると認識できるものと認められる。
エ これに対し被告は,①当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識から,細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合に,過飽和の状態を安定に維持するとの発明の課題を解決できると認識することはできないから,本件特許発明1は,サポート要件に適合しない,②過飽和の状態が維持される条件として,降圧移送手段の管状路(細管5a)の内径や長さのみならず,細管5aの材料,加圧型気体溶解手段3により加えられる圧力,水素発生量,水の流量等の条件は,過飽和の状態を安定に維持するという本件特許発明1の課題の解決に不可欠であるにもかかわらず,本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1にはそれらの条件が記載されていないため,当業者は,細管の内径X及び長さがそれぞれ本件特許発明1に規定された範囲内であれば,本件特許発明1の上記課題を解決できると認識することはできないから,この点からも,本件特許発明1は,サポート要件に適合しない旨主張する。
 しかしながら,前記ウ認定のとおり,本件特許発明1において細管の長さの値が0.8mより大きく1.4mより小さい場合においても,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び技術常識に基づいて,当業者が,本件特許発明1の課題を解決できると認識できるものと認められるから,被告の上記主張は,いずれも理由がない。」

2020年2月8日土曜日

明細書中の「課題」の記載が原因でサポート要件不充足と判断された事例

知財高裁令和元年11月11日判決
平成31年(行ケ)第10003号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は特許無効審判(サポート要件欠如による特許無効の審決)を不服とする原告(特許権者)が審決の取り消しを求めた訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は、サポート要件違反の無効審決に違法性はないと判断し、原告の請求を棄却した。
 争点は、請求項6等に係る本件発明が、明細書に記載の「発明が解決しようとする課題」を解決できると当業者が認識できるものであるか否かである。
 明細書に記載の解決課題と、実施例で確認されている効果との不整合、矛盾が原因でサポート要件違反と判断されている。

2.本件発明
 請求項6に係る発明(本件発明6)は以下の通りである。
「唾液又は少量の水により,口腔内で崩壊させて経口投与することを特徴とする口腔内崩壊錠であって,崩壊剤及び医薬組成物中の含有率が70~90質量%で炭酸ランタン又はその薬学的に許容される塩を含有し,前記崩壊剤が,クロスポビドンであり,前記クロスポビドンの医薬組成物中の含有率が5.6~12質量%であり,但し,崩壊剤がGRANFILLER-D(登録商標)から成る錠剤は除く,医薬組成物。」

3.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由1(サポート要件違反についての判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。
(2)本件発明の課題
 前記1(2)にみたところに照らすと,本件発明の課題のひとつは,高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供することであると認められる。
 本件の取消事由1において問題とされているのはかかる課題についてであるので,以下,この課題に係るサポート要件違反の有無を検討する(以下,この課題を「本件課題」という。)。」
「(4)サポート要件適合性について
 原告が本件発明の実施例であると主張する実施例4においては,錠剤硬度117N,摩損度0.4パーセント(7/12)(ただし,括弧内は明らかなひび・割れ・欠けの個数/試験数),崩壊時間39秒(日局(補助盤なし)),7秒(日局(補助盤あり)),40秒(口腔内(静的))であったことが記載されている。
 他方,本件明細書の実施例の摩損度の評価は,錠剤の摩損度試験法(日局参考情報)に従って行われるとされているところ(【0062】),日本薬局方参考情報(乙1)によれば,錠剤の摩損度試験法においては,明らかにひび,割れ,欠けが見られる錠剤があるときはその試料は不適合であるとされている。
 そうすると,「明らかなひび・割れ・欠け」の個数が12錠中7錠であり,摩損度が0.4%とする実施例4の摩損度の評価の記載を,日本薬局方参考情報における錠剤の摩損度試験法で「明らかなひび・割れ・欠け」が見られる錠剤があるときはその試料は不適合であるとされていることとの関係で一義的に整合するように理解することができない。そして,本件明細書には「明らかなひび・割れ・欠け」の個数が12錠中7錠である実施例4の場合に,どのような方法で摩損度を測定した結果0.4%という数値を得たのかに関する説明はなく,この点についての当業者の技術常識を示す的確な証拠もない。
 以上によれば,当業者は,本件明細書の実施例4の記載から,当該実施例において低い摩損度を含む本件課題が実現されていることを理解することができないし,本件明細書のその余の部分にも,本件発明が,「高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供する」という本件課題を解決できることを示唆する記載はなく,この点に関する技術常識を示す的確な証拠もない。
 したがって,本件発明について,本件明細書に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであり,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるということができないから,本件発明がサポート要件に適合するものということはできない。
(5)原告の主張について
・・・・
原告は,本件特許出願時において,打錠圧を上げることによって「明らかなひび・割れ・欠け」の解消が可能であることや,予圧をすることによって「明らかなひび・割れ・欠け」の解消が可能であることが技術常識であったとして,このような技術常識に照らせば,本件発明は本件発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであることを主張する。
 しかしながら,本件課題は,「高い原薬含有率で,速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立した炭酸ランタンの口腔内崩壊錠を提供する」というものであるところ,甲41~44,54,69~74(枝番を含む。)には,本件発明の口腔内崩壊錠について,打錠圧を上げ,あるいは,予圧をすることによって,「速やかな崩壊性,高い硬度及び低い摩損度を両立」することができることを示すものではない。本件発明の構成について,打錠圧を上げ,あるいは,予圧をすることによって本件課題を解決することができるとの技術常識があるとは認められない。
 そして,かかる技術常識が存在しない以上,それを裏付ける実験データ(甲45,53)を考慮することはできない。
 なお,本件明細書には,「適切な硬度が得られる打錠圧で所定の質量の錠剤を製造する。」(【0059】)と記載されているものの,「ひび・割れ・欠け」の解消との関係で,打錠圧の調整をすべきことについては記載がなく,当業者に対し,課題解決への示唆があるとも認められない。
オ 以上のとおりであるから,原告の主張はいずれも採用できない。」

2019年9月8日日曜日

「指標としての使用」という文言の明確性が争われた事例


知的財産高裁平成31年4月12日判決

平成30年(行ケ)第10117号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、原告(特許出願人)の特許出願に対する拒絶査定不服審判での拒絶審決の取り消しを求めた原告による審決取り消し訴訟の知財高裁判決である。審決では、本願請求項1に係る発明は明確でなく、特許法36条6項2号の明確性要件違反と判断されたが、知財高裁は、明確性要件違反には該当しないと判断された。

 本願請求項1では

「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,

 前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され」

という文言があり、審決では、年齢等を「指標として」使用する行為にどのような行為が含まれるか不明であることなどを理由に、明確性要件違反と判断した。

 これに対し知財高裁は、脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,年齢,性別等の対象の要素をメルクマールにして,その脂質含有配合物の構成を決定すれば,要素を「指標として」使用したといえる、ことなどを理由に、明確性要件違反は無いと判断した。

 

2.判決抜粋(明確性要件の判断の誤り)

(1) 特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

 そこで,本願発明に係る特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かについて,検討する。なお,以下,本願発明の発明特定事項について,次のとおり分説し,それぞれ「特定事項A」ないし「特定事項I」ということがある。

 

対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,

前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され,

ここで前記配合物が,1又は複数の,相互に補完する一日用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含み,

ここでω-6脂肪酸対ω-3脂肪酸の比,およびそれらの量が,前記一つ以上の要素に基づいており;

ここでω-6対ω-3の比が,4:1以上,ここでω-6の前記用量が40グラム以下であり;

または前記対象の食餌および/または配合物における抗酸化物質,植物化学物質,およびシーフードの量に基づいて1:1~50:1;

またはここでω-6の増加が緩やかおよび/またはω-3の中止が緩やかであり,かつω-6の用量が,40グラム以下であり;

またはここで前記脂肪酸の含有量は,下記表6:(表は略)と適合する,

前記使用。

 

(2) 「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用」との記載(特定事項A)の明確性

 

特定事項A及びB

 本願発明は,「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,」と特定され(特定事項A),続いて,「前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され,」と特定されている(特定事項B)。

 そうすると,特定事項A及びBは,本願発明が,少なくとも,下記の方法である旨特定するものと解釈するのが合理的である。


 脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」,すなわち,年齢,性別,食餌,体重,身体活動レベル,脂質忍容性レベル,医学的状態,家族の病歴及び生活圏の周囲の温度範囲のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法

 

特定事項C

 本願発明は,「ここで前記配合物が,1又は複数の,相互に補完する一日用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含み,」と特定されている(特定事項C)。そして,「ここで前記配合物」とは,特定事項A及びBで特定された方法によって選択される対象物である「脂質含有配合物」をいうものである。

 そうすると,特定事項Cは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有配合物がω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含むなどと,本願発明の方法によって選択される対象物の構成を特定するものということができる。

 

特定事項DないしHによって特定される目的物

 特定事項DないしHは,ω-6脂肪酸とω-3脂肪酸の用量の比率を特定したり(特定事項D,E,F),ω-6脂肪酸及び/又はω-3脂肪酸の用量を特定したり(特定事項D,E,G),脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の重量%を特定したり(特定事項H),ω-6脂肪酸及び/又はω-3脂肪酸の摂取量の経時的変化(特定事項G)を特定したりするものである。

 そうすると,特定事項DないしHは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成,すなわち,対象物である脂質含有配合物がω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含むという構成について,ω-6脂肪酸,ω-3脂肪酸又は脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸等の比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に着目することにより,更に特定するものということができる。

 

特定事項DないしHの関係

() 特定事項DないしHは,それぞれ「;」で区切られているから,それぞれの発明特定事項ごとに,個別の技術的意義を有すると解すべきものである。

() そして,特定事項Dは「ここで」で始まり,特定事項Eは「ここで」で始まり,特定事項FないしHは「または」で接続されているから,特定事項DないしHは,特定事項Dと特定事項EないしHに更に区別され,特定事項EないしHは選択関係にあるものである。

() さらに,特定事項Dと特定事項EないしHとの関係について検討する。

 これらの特定事項は,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,ω-6脂肪酸,ω-3脂肪酸又は脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸等の比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に着目することにより,更に特定するものである。

 そして,特定事項Dは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,脂質含有配合物が投与される対象の「要素」,すなわち,年齢,性別,食餌,体重,身体活動レベル,脂質忍容性レベル,医学的状態,家族の病歴及び生活圏の周囲の温度範囲のうち,一つ又は複数に基づいて特定しようとするものである。

 一方,特定事項EないしHは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,客観的な比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に基づいて特定しようとするものである。

 このように,特定事項Dと特定事項EないしHは,いずれも特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,更に特定するものであるところ,その特定の仕方が異なり,特定事項Dと特定事項EないしHによる特定の間で矛盾が生じるものではないから,重畳して適用されるものというべきである。

 

特定事項I

 特定事項A及びBは,本願発明が,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法である旨特定するものであるところ,特定事項Cは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有組成物の構成を特定し,特定事項D及び特定事項EないしHは,重畳的に,これに更に特定を加えるものである。

 そうすると,特定事項Iは,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち一つ又は複数を「指標」として使用する方法について,これが,特定事項CないしHによって特定された構成を有する脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するための方法である旨更に特定するものということができる。

 

特定事項Aの明確性

 以上によれば,特定事項Aは,「脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法」と解釈するのが合理的であって,特定事項Aを,このように解釈することは,その余の特定事項の解釈とも整合するものということができる。

 

被告の主張について

() 被告は,本願発明は「年齢」や「性別」のような属性を,ありふれた油脂を選択するための指標として使用する方法をいうところ,「指標として」という記載は抽象的であり,いかなる行為までが「指標」として使用する行為に含まれ得るのか明確ではないから,本願発明の外延は明確ではない,要素を何らかの形で脂質含有配合物を選択するための指標として用いたか否かについては,明確に判別することはできない旨主張する。

 しかし,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,年齢,性別等の対象の要素をメルクマールにして,その脂質含有配合物の構成を決定すれば,要素を「指標として」使用したといえる。また,これにより決定される脂質含有配合物の構成がありふれたものであったとしても,ありふれていることを理由に発明の外延が不明確であると評価されるものではない。そうすると,「指標として」という記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。

 また,対象方法が本願発明の特許発明の技術的範囲に属するか否かは,本願発明の技術的範囲を画定し,対象方法を認定した上で,これらを比較検討して判断するものである。そして,脂質含有配合物を選択するための指標として本願発明の要素をメルクマールとして用いたか否かは,対象方法の認定に係る問題であって,本願発明の技術的範囲の画定の問題,すなわち,明確性要件とは無関係である。

 したがって,被告の上記主張は採用できない。

 

() 被告は,特定事項EないしIは,特定事項Dにおける「ω-6脂肪酸対ω-3脂肪酸の比」及び「それらの量」が「一つ以上の要素」に,どのように基づいているのかを特定しようとする記載と解すべきである旨主張する。

 しかし,特定事項Dと特定事項EないしHは,いずれも特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,更に,それぞれ異なる観点から特定するものである。特定事項E及びGには「一つ以上の要素」に関する記載が全くないのであるから,これらと選択関係にある特定事項EないしHとの関係から,特定事項Dの技術的意義を解すべきとはいえない。

 したがって,被告の上記主張は採用できない。

() 被告は,本願明細書は「要素」の使用方法を明らかにするものではなく,それが技術常識でもない旨主張する。

 被告の上記主張は,本願発明は,対象に投与する脂質含有配合物を選択するために,どのように「要素」を使用するかについて特定した方法であるという解釈を前提とするものである。

 しかし,特定事項F及びHに係る特許請求の範囲の記載においては,「要素」である食餌及び生活圏周囲の温度範囲を,どのように使用するかについて特定されているものの,これらの特定事項と選択関係にある特定事項E及びGには,「要素」の使用方法に関する記載はない。特定事項F及びHは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有組成物の構成を特定するものにすぎないと解すべきである。そして,その余の本願発明に係る特許請求の範囲の記載には,「要素」の使用方法に関する記載はない。

 したがって,被告の上記主張は,特許請求の範囲の記載を離れた本願発明の解釈を前提とするものであるから,採用できない。なお,本願発明の課題を解決するためには,脂質含有配合物の選択に当たり,特定の「要素」をどのように使用するかについてまで特定しなければならないにもかかわらず,特許請求の範囲に記載された発明が,脂質含有配合物の選択に当たり,特定の「要素」を使用する方法について特定するにとどまるというのであれば,それは,サポート要件の問題であって,明確性要件の問題ではない。明確性要件は,出願人が当該出願によって得ようとする特許の技術的範囲が明確か否かについて判断するものであって,それが,発明の課題を解決するための構成又は方法として十分か否かについて判断するものではない。

 

小括

 以上によれば,特定事項Aは,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法である旨特定するものである。特定事項Aに係る特許請求の範囲の記載が第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。」

 

 

2019年4月21日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟で限定的でなく広く解釈された事例

東京地裁平成31年1月17日判決

平成29年(ワ)第16468号 特許権侵害差止請求事件



1.概要

 本事例はモノクローナル抗体とそれを含む医薬組成物を対象とする特許権の特許権者(原告)による被告製品の差止を求めた特許権侵害訴訟の東京地裁判決である。

 本事例の「本件発明1」では、プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対するモノクローナル抗体が、「(1A)PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,(1B’)PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する」という結合特性により特定されている。本件発明1の抗体は、実施例で記載の、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和するPCSK9に対するモノクローナル抗体「21B12」を拡張したものであり、参照抗体21B12がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,参照抗体21B12とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体に該当する。「本件発明2」の抗体も同様に、別の参照抗体31H4と同等の結合特性を有する抗体に該当する。

 争点は、被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否か、特許発明のサポート要件充足性、特許発明の実施可能要件充足性等である。

 被告は、抗原との結合特性が機能的に特定された抗体発明の技術的範囲は限定的に解釈すべきであり、実施例に記載の抗体、及び、それにアミノ酸配列が近い抗体に限られ、被告製品は技術的範囲に属しないと主張した。しかし、東京地裁はこの主張を認めず、被告製品の抗体は、結合特性に関する構成を満たす以上は技術的範囲に含まれると結論付けた。東京地裁はまた、サポート要件違反及び実施可能要件違反もないと判断した。

 本事例では、「本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。」ことが、技術的範囲を限定解釈が適用されない根拠とされている。

 なお、東京地裁は、2018年(平成30)年3月28日判決平成28年(ワ)第11475号において、機能的に特定された抗体の権利範囲を限定的に解釈した(本ブログ2019年2月17日記事参照)。この2018年判決では、「特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」と判示している。

 本事例(2019年判決)では、本件参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体が、明細書等の記載から当業者が実施し得るという前提のもと、技術的範囲を広く解釈しており、2018年判決とも矛盾しないようにも思える。しかし、本事例(2019年判決)において、本件特許明細書には、被告製品の抗体と同じアミノ酸配列からなる抗体が実施例で記載されているわけではなく、被告製品の抗体と同じアミノ酸配からなる抗体を製造するための手順も記載されていない。本事例では「被告製品が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えは「いいえ」であるから、特許明細書に実施できるように記載されていない被告製品は技術的範囲に含まれないと結論するのが2018年判決とも矛盾せず適切ではなかったかと思われる。本事例は「特許発明が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えが「はい」であることのみを以って被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると結論づけていることに問題があるのではないか。
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2.本件発明

ア 本件特許1

 訂正後の本件特許1の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明1-1」という。)は,次のとおり分説することができる。

1A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

1B’PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

1C 単離されたモノクローナル抗体。

 訂正後の本件特許1の請求項9記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明1-2」といい,本件訂正発明1-1と併せて「本件訂正発明1」という。)は,上記構成要件1A,1B’,1Cのほか,次のとおり分説することができる。

1D を含む,医薬組成物。



イ 本件特許2

 訂正後の本件特許2の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明2-1」という。5 )は,次のとおり分説することができる。

2A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

2B’PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

2C 単離されたモノクローナル抗体。

 本件特許2の請求項5記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明2-2」といい,本件訂正発明2-1と併せて「本件訂正発明2という。)は,上記構成要件2A,2B’,2Cのほか,次のとおり分説することができる。

2D を含む,医薬組成物。



 本件訂正発明1の構成要件1B’は,本件明細書1で21B12抗体と呼ばれる抗体(以下「21B12参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである。

 本件訂正発明2の構成要件2B’は,本件明細書2で31H4抗体と呼ばれる抗体(以下「31H4参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである



3.裁判所の判断

「前記の本件各明細書の記載によれば,21B12参照抗体及び31H4参照抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であるところ,本件各発明は,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,21B12参照抗体(本件発明1)又は31H4参照抗体(本件発明2)と競合する単離されたモノクローナル抗体又はそれを含む医薬組成物が,PCSK9とLDLRの結合を中和してLDLRの量を増加させることによって,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療又は予防することを目的とするものであると認められる。



2 争点(1)(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について

(1)

 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

(2)

 本件各明細書には,21B12参照抗体や31H4参照抗体及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。

・・・

上記のスクリーニング等によって,PCSK9に対する抗体の最も高い力価を有するハイブリドーマが同定され,表2に記載される32の抗体が得られた。32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非PCSK9-LDLR結合中和抗体,3B6,9C9及び31A4は15 弱いPCSK9-LDLR結合中和抗体,その他(21B12参照抗体及び31H4参照抗体を含む。)は,強いPCSK9-LDLR結合中和抗体である(段落【0138】【0336】)。この32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が1個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が7個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が1個

である(段落【0373】【0374】【0494】)。そして,上記ビン1の抗体19個とビン3の抗体7個は,いずれもPCSK9-LDLR結合中和抗体である。

また,上記カとは別の組(合計39抗体)に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が3個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が10個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が2個である。そして,ビン1に属する抗体のうち16個,ビン2に属する抗体のうち2個及びビン3に属する抗体のうち7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体を除く少なくとも22個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが確認されている(段落【0138】【0489】~【0495】)。

(3)

 前記(2)のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。

 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

(4)

 また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR5 結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。

 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9-LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。

 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるから(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

(5)

 証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。・・・



争点-ア(サポート要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。

 また,本件各明細書の高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載(段落【0155】【0270】【0271】【0276】)から,当業者は,本件発明1-1,本件発明2-1の各抗体を医薬組成物として使用できることを認識することができる。

 したがって,本件発明1及び2は,いずれもサポート要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれもサポート要件に違反するとはいえない。



争点-イ(実施可能要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各発明の抗体及び医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,本件発明1及び2は,いずれも実施可能要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれも実施可能要件に違反するとはいえない。」

2019年2月17日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟において限定的に解釈された事例


東京地裁平成30年3月28日判決
平成28年(ワ)第11475号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本事例は特許権侵害訴訟の東京地裁による第一審判決である。
 原告が有する特許権に係る本件発明1は以下の通り分説できる
1A 第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,
1B 凝血促進活性を増大させる,
1C 抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:American Diagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。
 原告が有する特許権に係る本件発明4は以下の通り分説できる
4D 請求項1に記載の抗体または抗体誘導体であって,
4E ここで,該抗体または抗体誘導体は,モノクローナル抗体,抗体フラグメント,キメラ抗体,ヒト化抗体,単鎖抗体,二重特異性抗体,ダイアボディー,およびそれらのダイマー,オリゴマー,またはマルチマーからなる群から選択される,
4F 抗体または抗体誘導体。

 このように、本件各発明は、抗体又は抗体誘導体を「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体」、「凝血促進活性を増大させる」という機能のみにより特定した発明である。
 東京地裁は、
「特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
と判断し、本件各発明の技術的範囲を限定的に解釈し、被告製品はこの範囲に含まれないと結論付けた。
 なお、この訴訟では本件各発明の実施可能要件欠如、サポート要件欠如による無効理由の存在が被告により主張されているが、この争点について裁判所は判断を下していない。しかし、判決中で「当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。」と認定されていることから、本件各発明は実施可能要件、サポート要件は充足していると裁判所は判断しているように思われる。

 機能により特定された抗体に関する特許発明の技術的範囲を巡っては平成31年1月17日にも東京高裁で判断が示されたが、機能的クレームであるから限定的に解釈すべきであるという判断はなされなかった(平成29年(ワ)第16468号)。このれらの事例の比較検討は今後進める予定。

2.裁判所が認定した本件各発明の意義
「(2)本件各発明の意義
 以上の本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件各発明の意義は,大要,以下のとおりのものと認められる。
 すなわち,従来の血友病Aの患者の処置は,欠如又は不足した第VIII因子の不足を補うために第VIII因子濃縮物の投与による補充療法であった(段落【0003】)。しかし,補充療法には,第VIII因子インヒビターを生じさせる患者に対する処置が非常に困難かつ危険性を含んでおり(段落【0003】),そのような患者に対する処置としては,高用量の第VIII因子を投与するなどのいくつかの治療方法が存在するが,高価である(段落【0004】,【0005】),多大な時間を必要とする(段落【0004】),重篤な副反応を伴い得る(段落【0004】),患者への負担が大きい(段落【0005】)等の問題点があった。本件各発明の目的は,第VIII因子を抑制する患者についての特定の利点を有する,血液凝固障害の処置のための調製物を提供することであり(段落【0010】),これを,第IX因子又は第IXa因子に結合して第IXa因子の凝血促進活性を増大させる抗体又は抗体誘導体によって達成するというものである(段落【0011】)。
 そして,抗体又は抗体誘導体は,具体的には,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製し(実施例1ないし3),これを色素形成アッセイ等の方法で凝血促進活性の程度を評価し(実施例4ないし9,14),そのモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から様々な抗体誘導体(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)を作製するものである。」

3.裁判所が認定した被告製品の構成
「2 被告製品の構成等について
(1)被告製品の構成
 被告製品は,別紙被告製品説明書及び「被告製品のアミノ酸配列」記載のアミノ酸配列を有する非対称型バイスペシフィック抗体であり,抗体の中でもIgGに分類される。被告製品は,2つの抗原結合部位を有し,その一方が第IXa因子を認識し,他方が第X因子を認識する。(甲23,乙28,38,弁論の全趣旨)
(2)被告製品の開発経緯
 被告製品の開発過程において,被告がバイスペシフィック抗体を作製するに当たり用いられたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,ヒト第IXa因子に特異的に結合し,かつ,第IXa因子の酵素活性に対してできるだけ阻害活性の弱い抗体が選別された。そこで作製されたバイスペシフィック抗体のうち,最も第VIII因子補因子活性が高かった抗体は,XB12/SB04であるが,これは第VIII因子補因子活性を有さないモノスペシフィック抗第IXa因子抗体から作製されたものである。よって,被告製品の開発において選別されたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,第IXa因子の凝血促進活性を増大させるか否かとは無関係に選別されたと認められる。また,モノスペシフィック抗第IXa因子抗体の第VIII因子補因子活性とそれから作製されたバイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性との相関関係があるとは認められず,バイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性は,抗第IXa因子抗体由来の構造だけなく,抗第X因子抗体由来の構造にも影響を受ける。(乙55,57,75)
 そして,被告製品は,第IXa因子と第Ⅹ因子との空間的な配向を好適な状況に制御し,酵素の活性部位と基質とを正確に接触しやすくすることで,第IXa因子が触媒する第VIII因子補因子活性を促進するという機序により,凝血促進活性を増大させるものである(乙33,甲165)。そして,その増大の程度は,本件明細書の実施例と同様の手法で作製された抗体(198A1,198B3,224F3)と比較して,優れた効果をもたらすものである(乙6,36によれば,約1000倍の効果とされてい
る。)。」

4.争点1(被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するか)についての裁判所の判断
「(1)本件特許請求の範囲の請求項1(本件発明1に係る特許請求の範囲)の記載は,「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,凝血促進活性を増大させる,抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:AmericanDiagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。」であり,請求項4(本件発明4に係る特許請求の範囲)は請求項1を引用している。ここで,「凝血促進活性を増大させる」との記載の意義については,本件明細書においてこれを定義した記載はない上,「血液凝固障害の処置のための調製物を提供する」(段落【0010】)という本件各発明の目的そのものであり,かつ,本件各発明における抗体又は抗体誘導体の機能又は作用を表現しているのみであって,本件各発明の目的又は効果を達成するために必要な具体的構成を明らかにしているものではない。
 特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。
 したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
 ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。
(2)そこで,本件明細書において開示された具体的構成に示されている技術思想について検討する。
ア ある抗体が,第IX因子又は第IXa因子に結合し,第IXa因子の凝血促進活性を増加するか又は第VIII因子様活性を有することを示すための試験方法としては,凝血試験や色素形成試験等があり,これらによって評価が可能である(段落【0013】,【0014】,【0037】,【0065】)。そして,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングし,色素形成アッセイによって第VIII因子様活性を有するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が複数作製されており(実施例4,9),そのなかで第VIII因子インヒビターを有する血漿の凝血をもたらす抗体(193/AD3)も確認されている(実施例7)。よって,当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。
 また,凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も複数作製されているから(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)),凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も作製できたと認められる。
 もっとも,「凝血促進活性を増大させる」程度については,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度(例えば,段落【0081】・図11において,198/AP1はネガティブコントロールとの比が1.7程度であるが,凝血促進活性を示さないとされている。段落【0067】・図7A(196/AF2 35μM Pefabloc Xa(登録商標)),段落【0068】・図7B(198/AM1 35μM Pefabloc Xa(登録商標))も同様。)や2程度(段落【0105】・図20において,A1/5はネガティブコントロールとの比が2程度であるが,有意な凝血促進活性はないと評価されている。)の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超える程度のものでなければならないものと解するのが相当である。そうすると,凝血促進活性の増大がわずかであるものは,「凝血促進活性を増大させる」とは評価できず,その程度は,実質的なものでなければならないのであって,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えており,実質的に凝血促進活性を増大させる程度の増大であることを要するものと解すべきである。
イ バイスペシフィック抗体については,本件明細書において,実施例として作製された例は記載されておらず,第IX因子又は第IXa因子に結合するアーム以外のアームが結合する対象の抗原がいかなるものかも開示されてない。しかし,バイスペシフィック抗体自体は,抗体誘導体の一態様として明記されている(段落【0019】,【0026】)。そして,凝血促進活性を増大させるモノスペシフィック抗体からの誘導体も複数作製されており(実施例10ないし13,15ないし18),本件出願日当時の技術常識によれば,第IX因子又は第IXa因子に対するバイスペシフィック抗体を作製可能であり,第IX因子又は第IXa因子に対するモノスペシフィック抗体から誘導されたバイスペシフィック抗体が,モノスペシフィック抗体が有する凝血促進活性を増大させる作用を維持できると予測できたと認められる。そうすると,バイスペシフィック抗体についても,モノスペシフィック抗体の活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体の一態様として「抗体誘導体」に含まれると解される。
ウ したがって,本件各発明の技術的範囲に含まれるというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であるものの,バイスペシフィック抗体は「抗体誘導体」の一態様としてこれに含まれ得ると解すべきである。
エ 被告は,色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるモノスペシフィック抗体及びその誘導体に限られる旨主張する。
 そこで検討するに,本件明細書には,2時間のインキュベーション後の第VIII因子アッセイにおいて,ネガティブコントロールとの比が3を超える場合には,「凝血促進活性を増大させる」と評価できる旨の記載がある(段落【0013】,【0014】)。
 他方,本件明細書においては,凝血促進活性の検査方法について,色素形成アッセイ以外にも凝血試験などの全ての方法が使用でき(段落【0037】,【0065】),同じ色素形成アッセイであってもインキュベーション時間が2時間ではない例も記載されている(実施例11・図18ないし20)。そうすると,本件明細書に記載された凝血促進活性の評価方法は,複数存在するということができるところ,一般に,評価方法が異なればその基準が同一であるとは限らないから,本件明細書において「凝血促進活性の増大」が色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるものであると一義的に決定されているとは,直ちには解することができない。
オ 原告らは,「凝血促進活性を増大させる」とは,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分である旨主張する。
 しかし,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度や2程度の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分であるとはいえないことは,既に説示したとおりであって,原告らの上記主張は採用することができない。
(3)他方,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものでない場合には,別異に解すべきである。すなわち,本件各発明の技術的範囲に属するというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であると解されるところ,これには,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではない第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)は含まれないし,かかるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から誘導される抗体誘導体(バイスペシフィック抗体もこれに含まれる。)も含まれないというべきである。このような抗体誘導体(バイスペシフィック抗体)は,たとえ,それ自体が第IXa因子の凝血促進活性を増大させる効果を有するものであったとしても,本件各発明の課題解決手段とは異なる手段によって凝血促進活性を増大させる効果がもたらされているのであって,本件明細書の記載に基づいて当業者が実施できるものとはいえないというべきである。
(4)前記(2)において説示したとおり,「凝血促進活性を実質的に増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えるものでなければならないものと解されるところ,前記2において認定したとおり,左右のアームがいずれも被告製品の第IXa因子に結合するアームで構成されたモノスペシフィック抗体(Qhomo)の色素形成アッセイキットによって測定されたネガティブコントロールとの比は,1.36から1.48であったこと(乙38)からすると,Qhomoは第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるモノスペシフィック抗体とはいえない。
 そして,被告製品は,Qhomoの片方のアームを第Ⅹ因子に対するものに改変したバイスペシフィック抗体(抗体誘導体)であるから,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体からの誘導体ということができる。
 そうすると,被告製品は,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体から,その第IXa因子結合部位を取り出し,特定の第Ⅹ因子結合部位と組み合わせてバイスペシフィック抗体に変換させることにより,凝血促進活性を増大させる作用をもたらしたものということができるから,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」に該当するとは認められない。
(5)したがって,被告製品は,本件各発明の技術的範囲に属すると認めることはできないというべきである。」