2025年5月24日土曜日

先行技術と同一成分で用途が類似した医薬発明の進歩性が肯定された事例

 知財高裁令和7年4月23日判決
令和6年(行ケ)第10022号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、進歩性が争われた特許無効審判審決(進歩性あり)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決(進歩性ありの判断)である。
 
 本件訂正発明の成分と用途
 有効成分:(2R、3R)-2-(2、4-ジフルオロフェニル)-3-(4-メチレンピペリジン-1-イル)-1-(1H-1、2、4-トリアゾール-1-イル)ブタン-2-オール)(以下「KP-103」いう)又はその塩
 用途:爪白癬の、爪への外用による治療
 
 主引用発明(甲1-1発明)の成分と用途
 有効成分:KP-103
 用途:足白癬の、皮膚への塗布による治療
 
 爪白癬と足白癬は同じ真菌が原因で生じることが公知であった。
 従来、爪に生じる爪白癬は、白癬による皮膚疾患の中でも難治性の疾患として知られていた。爪甲の性質上、抗真菌剤がその内部まで浸透、透過しにくいという障害があり、爪白癬の外用での治療は非常に困難とされていたことが周知であった。
 本発明の実施例では、KP-103の爪への単純塗布により爪白癬に対し優れた治療効果が確認された。
 
 本件訂正発明の甲1ー1発明に対する進歩性が争われた。
 知財高裁は、
「本件出願日当時、甲1-1発明の外用真菌性治療剤の治療対象を「爪白癬」とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが当業者において容易に想到できたというには、当時の技術水準等に照らし、当該治療剤を爪甲に単純塗布したときに、その有効成分であるKP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することが合理的に期待できることを要するというべきである。」
「(従来技術の)知見は、KP-103が皮膚への高い浸透性(吸着性)を持ち、浸透(吸着)時に高い活性を保持するであろうことを示唆するにすぎず、これを超えて、当業者において、外用真菌性治療剤として爪甲に単純塗布したときに、KP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することまで示唆するものとはいえない。」
として、本件訂正発明は、甲1―1発明から当業者が容易に想到できたものではない(進歩性あり)と判断し、請求を棄却した。


2.本件訂正発明
 以下の説明では有効成分である上記化合物を、「KP-103」という。
本件訂正後の請求項1に係る発明(本件訂正発明)
KP-103またはその塩を有効成分として含有する外用爪真菌症治療剤であって、爪真菌症が爪白癬である、前記治療剤。」
 
3.背景及び主引用発明
 真菌症の一種である白癬は皮膚糸状菌(皮膚糸状菌のうちトリコフィトン属のものが白癬菌)が皮膚(角質層)、爪及び毛髪等のケラチン質に寄生することによって引き起こされる表在性の皮膚疾患であり、特に、爪に生じる爪白癬は、白癬による皮膚疾患の中でも難治性の疾患として知られる。短期間で爪白癬を治癒させ、かつ経口剤と比較し全身性の副作用が少ない外用剤の開発が切望されていた。
 本件の発明の詳細な説明には「実施例4」として、KP-103が、従来の外用抗真菌剤では効果が得られなかった、皮膚糸状菌トリコフィトン・メンタグロフィテスによる爪真菌症に対して、爪への単純塗布で優れた治療効果を発揮したことを確認した実験結果が示されている。
 
 主引用発明の記載
 甲1の1には、次の発明(甲1-1発明)が記載されている。
「新規外用抗真菌剤トリアゾールである、KP-103を有効成分として含有し、皮膚への塗布により投与して皮膚糸状菌症に対する治療効果を有する溶液であって、皮膚糸状菌症が足白癬である、溶液。」
 
4.裁判所の判断のポイント
「ウ 本件訂正発明と甲1-1発明を対比すると、両発明は、「KP-103又はその塩を有効成分として含有する外用真菌症治療剤であって、真菌症が白癬である、前記治療剤。」である点において一致し、本件審決が認定したとおり、次の相違点1が認められる。
 「治療対象が、本件訂正発明では「爪真菌症」である「爪白癬」と特定されているのに対し、甲1-1発明では「皮膚糸状菌症」である「足白癬」と特定されている点。」
(2) 相違点1についての検討
ア 主引用例中の記載
 主引用例である甲1の1には、KP-103について、足白癬の原因菌であるトリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスに対する抗真菌作用を有すること、また、KP-103の皮膚糸状菌症に対する優れた効果は、高い活性と、角質層での長い保持時間に起因すると考えられることが記載されている。
イ 本件出願日当時の技術水準等
・・・・(略)・・・・
 ウ 相違点に係る容易想到性の検討
(主引用例である甲1の1には、KP-103について、トリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスに対する抗真菌作用を有し、その活性は強く、また、角質層での保持時間が長いと考えられることが記載されている。そして、外用剤の開発が待たれる爪白癬の原因菌の大半はトリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスであることは周知であった(技術常識①、②)。
 他方で、本件出願日当時、外用剤による爪白癬の治療を効果的に行うには、抗真菌剤を爪甲の角質内に浸透させ、感染部位に送達させる必要があるところ、爪甲の性質上、抗真菌剤がその内部まで浸透、透過しにくいという障害があり、爪白癬の外用での治療は非常に困難とされていたこともまた周知であった(技術常識②)
 したがって、本件出願日当時、甲1-1発明の外用真菌性治療剤の治療対象を「爪白癬」とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが当業者において容易に想到できたというには、当時の技術水準等に照らし、当該治療剤を爪甲に単純塗布したときに、その有効成分であるKP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することが合理的に期待できることを要するというべきである。
(そこで、本件出願日当時の技術水準について検討する。
 a 本件出願日当時、外用抗真菌剤を感染部位に送達させるための試みとして、ネイルラッカー剤の開発や、爪甲を化学的又は外科的に除いて抗真菌剤を塗布し、密封包帯法(ODT)と併用する治療等が行われていたことが知られていた(技術的知見④)。
・・・(中略)・・・
 このように、技術的知見④に係る試みは、いずれも、抗真菌剤を爪甲に単純塗布した場合に、その有効成分が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することを示唆するものとはいえない。
 b 本件出願日当時、抗真菌剤であるチオコナゾールを外用爪白癬治療剤として評価する甲6試験が実施されたことが知られており(技術的知見⑤)、甲6には、皮膚糸状菌感染症患者18名のうち8名に著明な改善、4名に臨床的及び真菌学的寛解の効果が得られた旨が記載されている(前記2(2))。
 しかし、前記2(2)エのとおり、甲6試験は、オープン試験であって、対照群との比較も行われていないほか、対象患者も18名にとどまり、かつ、寛解に至ったのは爪白癬のうちでも比較的治癒しやすい手指の爪の感染4例のみ(うち3例は足の爪にも感染がみられたが、完治しなかった。)というものである。そうすると、当業者は、甲6の記載のみをもっては、抗真菌剤であるチオコナゾールが有効成分として爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することを合理的に期待するには至らず、ましてやその知見をKP-103に適用できると考えるには至らないというべきである。
 c 本件出願日当時、KP-103について、ヒト毛髪(ケラチン)を添加しても抗トリコフィトン・メンタグロフィテス活性が減少せず、ケラチンに対する低い吸着、高い遊離といった性質を有すること(技術的知見⑥)、抗真菌薬の角質への吸着性と角質吸着時の活性の低下について、ヒト毛髪を用いて評価する研究があったこと(技術的知見⑦)が、それぞれ知られていた。
 しかし、本件出願日当時、表在性白癬とは白癬菌が表皮角層にとどまるものであること、感染部位である表皮角層が露出している足白癬等とは異なり、爪白癬の感染部位は主として爪甲下層及び爪床であり、抗真菌剤が容易に浸透、透過しにくい爪甲の存在が、爪白癬の外用抗真菌剤による治療を困難にしていたことは周知であった(技術常識②、前記2(1)及び(2))。また、爪白癬の局所薬物治療効果を高めるためには、抗真菌剤の選択において、その水溶解度、分子量、解離定数、製剤のpH及び白癬菌に対する最小阻止濃度を考慮する必要があるとの知見があった(甲35)。しかるところ、技術的知見⑦に係る研究(甲25、26)は、いずれも爪ではなく、皮膚への抗真菌剤の浸透性(吸着性)及び浸透(吸着)時の活性についての研究結果であるから、技術常識B(爪と毛髪が、いずれも硬ケラチンを含み、アミノ酸組成も互いに類似すること)及び技術的知見⑥(KP-103はヒト毛髪を添加しても活性が減少せず、ケラチンに対する低い吸着、高い遊離といった性質を有すること)を併せても、これらの知見は、KP-103が皮膚への高い浸透性(吸着性)を持ち、浸透(吸着)時に高い活性を保持するであろうことを示唆するにすぎず、これを超えて、当業者において、外用真菌性治療剤として爪甲に単純塗布したときに、KP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することまで示唆するものとはいえない。
(以上に検討したところによると、甲1の1の記載と本件出願日当時の技術常識その他の技術的知見を考慮したとしても、本件出願日当時、当業者において、甲1-1発明の外用真菌症治療剤の治療対象を爪白癬とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが容易に想到できたということはできない。
 エ 原告の主張について
(原告は、進歩性判断における「動機付け」とは、主引用発明に副引用発明を「適用しようと試みる」ことであり、その適用を試みることもない、あるいは試みようとすると阻害要因がある場合に「動機付け」がないことになるとして、医薬品の研究開発において新たな治療薬を探すために試行錯誤するのは常道であり、ニーズが存在する限り、主引用発明に副引用発明の適用を試みることまで否定する(開発を完全に諦める)ことは考えられないから、従来の外用真菌症治療剤について爪白癬への適用を試みることが行われていたこと、爪白癬を様々な工夫を加えた外用抗真菌剤によって治療する試みもされていたこと、短期間で爪白癬を治癒させかつ経口剤と比較し全身性の副作用の少ない外用剤の開発が切望されていたこと等、本件審決も認定した事情からすると、当然に甲1-1発明のKP-103を外用の爪白癬治療剤に適用しようと試みること、すなわち動機付けが当然に認められると主張する。
 しかし、原告の主張が、医薬に係る発明の進歩性を肯定するためには、当業者が医薬品の開発を完全に諦めていることが必要とする趣旨であるとすると、このような見解は採り得ない。ある発明が主引用発明に基づいて容易に発明をすることができたかは、引用例の記載内容や出願日当時の技術水準等に基づく総合判断であって、原告が主張するような製品開発のニーズや試みがされていたという辞書的な意味での動機付けがあるとしたときに、阻害要因がなければ直ちに進歩性が否定されるかのような主張は、論理に飛躍があって採用することができない。

音声概要はこちら

2025年4月29日火曜日

美容手術に用いる組成物に関する特許権に基づく侵害訴訟の知財高裁大合議判決

知財高裁令和7年3月19日判決

令和5年(ネ)第10040号 損害賠償請求控訴事件

(原審・東京地方裁判所令和4年(ワ)第5905号


1.概要
 本件は特許権者である控訴人が請求した特許権侵害訴訟の知財高裁の大合議判決である。
 本件発明は、下記の通り、自己由来の血漿、塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)及び脂肪乳剤の3つの成分を含む「豊胸用組成物」に関する発明である。
 被控訴人(第一審被告)は、豊胸手術等の美容医療サービスを提供していた医師である。

 主な争点
 争点12:被控訴人が豊胸手術を行う際に3成分を含む本件特許の組成物を生産したか?
 争点1-3:(3成分を同時に混合していないとしても)3成分を別々に被施術者に投与して体内で混ざり合うことも特許発明の組成物の「生産」に該当するか?
 争点2-1:本件発明に係る特許は、実質的には「豊胸手術のための方法の発明」であり産業上の利用可能性の要件に違反するか?
 争点3-2:本件特許権の効力が、調剤行為の免責規定(特許法69条3項)により、被控訴人の行為に及ばないといえるか?

 東京地裁判決は被告は手術に際し3成分を「同時に含む薬剤」を調合して製造していたとは認められず、被告(被請求人)による特許権侵害はないと判断した。

 知財高裁は上記各争点について以下のように判断して、被請求人による特許権侵害を認め地裁判決を取り消した。
 争点12:被控訴人は3成分を含む本件特許の組成物を生産した。
 争点1-3:判断せず(興味深い論点であったため、判断されなかったことは少し残念)
 争点2-1:本件発明に係る特許は「物の発明」であり産業上の利用可能性の要件には違反しない。
 争点3-2:「病気」の治療に用いる医薬の発明ではないため調剤行為の免責規定は適用されない。

2. 本件発明
本件特許権の特許請求の範囲の請求項1、請求項4の記載は、以下のとおりである(以下、請求項4に記載された発明を「本件発明」という)
ア 請求項1
 自己由来の血漿、塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF)及び脂肪乳剤を含有してなることを特徴とする皮下組織増加促進用組成物。
イ 請求項4
 豊胸のために使用する請求項1~3のいずれかに記載の皮下組織増加促進用組成物からなることを特徴とする豊胸用組成物。

3.争点
3.1.争点1 構成要件充足性に関する争点
 争点1-2
 被控訴人が、本件手術に用いる薬剤として、被施術者に投与する前に、血漿、トラフェルミン(=塩基性線維芽細胞増殖因子(b-FGF))及びイントラリポス(=脂肪乳剤)という三成分を混合した一の薬剤 (組成物)を製造したか?

 争点1-3
 被控訴人は、本件手術の態様として、血漿及びトラフェルミン(=塩基性線維芽細胞増殖因子)を含む「A剤」と、イントラリポス(=脂肪乳剤)を含む「B剤」とを別々に被施術者に投与していたと主張する。仮に本件手術がこのような態様であったと認められるとしても、被施術者の体内で「A剤」と「B剤」とが混ざり合うから、③被控訴人が「A剤」と「B剤」とを別々に被施術者に投与することが、本件発明に係る組成物の「生産」に当たるか?

3.2.争点2 特許有効性に関する争点
 争点2-1
 本件発明に係る特許は、産業上の利用可能性の要件(法29条1項柱書き)に違反した無効理由があるか?
 本件発明は「豊胸用組成物」という「物の発明」として特許されている。しかし、被控訴人は、当該組成物について、その製造のために被施術者の体内(人体)から血液を採取する必要がある上、これをそのまま被施術者の皮下(人体)に投与することが前提となっているから、本件発明は、「物の発明」の形でありながら、実質的には「豊胸手術のための方法の発明」であり、現に、被控訴人が行う医療行為である本件手術が実質的に特許権行使の対象になっていると主張した。

3.3.争点3 特許権の効力が及ばない範囲に関する争点
 争点3-2
 本件特許権の効力が、調剤行為の免責規定(法69条3項)により、被控訴人の行為に及ばないといえるか?
 参考:特許法第69条第3項
 「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明又は二以上の医薬を混合して医薬を製造する方法の発明に係る特許権の効力は、医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する行為及び医師又は歯科医師の処方せんにより調剤する医薬には、及ばない。」

4.裁判所の判断のポイント
4.1.争点1-2(被請求人は3成分を含む組成物を生産したか?)についての判断
「被控訴人は、被施術者から採取した血液から血漿を製造し、これにフィブラストスプレー、イントラリポスを含む、薬剤ノートに記載された各成分を全て混合させた薬剤を製造したと合理的に推認できるところ、被控訴人による主張等を考慮しても、同推認を覆すには至らない。
 したがって、被控訴人は、モニターとして募集していた者を対象としていた期間及び一般募集をした者を対象としていた期間を通じて、上記三成分を含む組成物を製造したと認められるところ、同組成物は、豊胸手術である本件手術に用いるために製造されたものであるから、被控訴人は、本件発明の技術的範囲に属する組成物を生産したと認められる。」

4.2.争点1-3(被施術者の体内で3成分が混じり合うことで組成物を「生産」したと言えるか?)についての判断
 判断は示されなかった(争点1-2の判断で足りるため)

4.3.争点2-1(医療行為に該当し無効か?)についての判断
「(2) 法29条1項柱書きは、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」とするのみで、本件発明のような豊胸のために使用する組成物を含め、人体に投与する物につき、 特許の対象から除外する旨を明示的に規定してはいない。
 また、昭和50年法律第46号による改正前の法は、「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ。)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」を、特許を受けることができない発明としていたが(同改正前の法32条2号)、同改正においてこの規定は削除され、人体に投与することが予定されている医薬の発明であっても特許を受け得ることが明確にされたというべきである。

 したがって、人体に投与することが予定されていることをもっては、当該「物の発明」が実質的に医療行為を対象とした「方法の発明」であって、「産業上利用することができる発明」に当たらないと解釈することは困難である。

(3) 次に、本件発明の「自己由来の血漿」は、被施術者から採血をして得て、最終的には被施術者に投与することが予定されているが、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造する行為は、必ずしも医師によって行われるものとは限らず、採血、組成物の製造及び被施術者への投与が、常に一連一体とみるべき不可分な行為であるとはいえない。むしろ、再生医療や遺伝子治療等の先端医療技術が飛躍的に進歩しつつある近年の状況も踏まえると、人間から採取したものを原材料として医薬品等を製造するなどの技術の発展には、医師のみならず、製薬産業その他の産業における研究開発が寄与するところが大きく、人の生命・健康の維持、回復に利用され得るものでもあるから、技術の発展を促進するために特許による保護を認める必要性が認められる。

 そうすると、人間から採取したものを原材料として、最終的にそれがその人間の体内に戻されることが予定されている物の発明について、そのことをもって、これを実質的に「方法の発明」に当たるとか、一連の行為としてみると医療行為であるから「産業上利用することができる発明」に当たらないなどということはできない。

(4) 以上によると、本件発明が「産業上利用することができる発明」に当たらないとする被控訴人の主張を採用することはできず、本件発明に係る特許は、法29条1項柱書きの規定に違反してされたものということはできない。したがって、同無効理由の存在により本件特許権を行使することができないとする被控訴人の抗弁には理由がない。」


4.4.争点3-2(調剤行為の免責規定(法69条3項)に該当するか?)についての判断
「(1) 被控訴人は、本件特許権の効力は、法69条3項の規定により、被控訴人の行為に及ばないと主張する。

(2) 法69条3項は、「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬の発明」を対象とするところ、本件発明に係る組成物は、特許請求の範囲の記載からも明らかなとおり「豊胸のために使用する」ものであって、その豊胸の目的は、本件明細書等の段落【0003】に「女性にとって、容姿の美容の目的で、豊かな乳房を保つことの要望が大きく、そのための豊胸手術は、古くから種々行われてきた。」と記載されているように、主として審美にあるとされている。このような本件明細書等の記載のほか、現在の社会通念に照らしてみても、本件発明に係る組成物は、人の病気の診断、治療、処置又は予防のいずれかを目的とする物と認めることはできない。

(3) これに対し、被控訴人は、本件発明は美容医療に関するところ、美容医療は、身体的特徴の再建、修復又は形成による心身の健康や自尊心の改善に寄与する分野であり、治療並びに身体の構造又は機能に影響を及ぼすものであるとして、本件発明が法69条3項の「二以上の医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下この項において同じ。)を混合することにより製造されるべき医薬についての発明」に当たると主張する。

 しかし、一般に「病気」とは、「生物の全身または一部分に生理状態の異常を来し、正常の機能が営めず、また諸種の苦痛を訴える現象」(甲25:広辞苑(第7版))、「生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態」(甲26:大辞泉(第1版・増補・新装版))という意味を有する語であって、上記のとおり主として審美を目的とする豊胸手術を要する状態を、そのような一般的な意味における「病気」ということは困難であるし、豊胸用組成物を「人の病気の…治療、処置又は予防のため使用する物」ということも困難である。

 また、法69条3項は、昭和50年法律第46号による法改正により、特許を受けることができないとされていた「医薬(人の病気の診断、治療、処置又は予防のため使用する物をいう。以下同じ)又は二以上の医薬を混合して一の医薬を製造する方法の発明」に関する規定(同改正前の法32条2号)が削除されたことに伴い創設された規定であるところ、その趣旨は、そのような「医薬」の調剤は、医師が、多数の種類の医薬の中から人の病気の治療等のために最も適切な薬効を期待できる医薬を選択し、処方せんを介して薬剤師等に指示して行われるものであり、医療行為の円滑な実施という公益の実現という観点から、当該医師の選択が特許権により妨げられないよう図ることにあると解される。しかるところ、少なくとも本件発明に係る豊胸手術に用いる薬剤の選択については、このような公益を直ちに認めることはできず、上記のとおり一般的な「病気」の語義を離れて、特許権の行使から特にこれを保護すべき実質的理由は見当たらないというべきである。

(4) したがって、本件発明は、「二以上の医薬を混合することにより製造されるべき医薬の発明」には当たらないから、被控訴人の行為が「処方せんにより調剤する行為」に当たるかについて検討するまでもなく、法69条3項の規定により本件特許権の効力が及ばないとする被控訴人の抗弁には理由がない。」








2025年3月9日日曜日

特許権侵害訴訟において数値限定発明の構成要件充足性と均等侵害が争われた事例(知財高裁控訴審)

知財高裁令和7年3月4日判決
令和6年(ネ)第10026号 特許権侵害行為差止等請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所令和4年(ワ)第9521号
 
1.概要
 本判決は、特許権侵害訴訟の控訴審の知財高裁判決である。
 控訴人(原審原告)が有する本件特許の請求項1に係る発明(本件発明1)は熱可塑性樹脂組成物に関するものであり、「ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤」を構成要件として含む(構成1B)。
 一方、被控訴人(原審被告)による被告製品は、分子式C4257で表される化合物を紫外線吸収剤(判決文中では「UVA」と略称される)として含む。被告製品中のUVAの分子量は699.91848である。このため、構成1Bの「700以上」の充足性、及び、均等侵害の成立について争点となった。
 大阪地裁での原審では、文言侵害について、「当業者において、UVAの分子量を、算出された分子量を丸めて整数値とすることが技術常識であると認めることもできない」ことなどを理由に、被告製品は構成1Bを充足しないと判断した。また、均等侵害については、「数値をもって技術的範囲を限定し(数値限定発明)、その数値に設定することに意義がある発明は、その数値の範囲内の技術に限定することで、その発明に対して特許が付与されたと考えられるから、特段の事情のない限り、その数値による技術的範囲の限定は特許発明の本質的部分に当たると解すべきである」と判示し、均等の第1要件を満たさないとして均等侵害の成立を否定した。地裁判決については当ブログの2024年3月17日記事参照(https://benrishie.blogspot.com/2024/03/blog-post.html)。
 知財高裁は、文言侵害について、「本件で問題となっている(紫外線吸収剤の分子量)「700以上」という数値範囲は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら定めたものであり、特許発明の技術的範囲(独占の範囲)に属するものと属さないものを、一線をもって区分する線引きにほかならない。そうである以上、上記数値範囲の下限である「700」は、切り下げられた小数点以下の端数も、切り上げられた小数点以下の端数も持たない、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当である。」として、被告製品は構成1Bを充足しないとの結論を維持した。また、均等侵害については、地裁判決と異なり、「上記分子量の相違は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと解される」として、均等の第1要件は満たすと判断した一方で、「下限値「700」をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当」であるとして、均等の第5要件を満たさないため、均等侵害の不成立の結論を維持した。
 
2.裁判所の判断のポイント
「第 8 争点1-1(構成要件1B、6Bの充足性)について
 8-1 控訴人は、構成要件1B、6Bの「分子量が700以上」の「700」は小数第1位の数字を四捨五入した数値と理解されるから、上記構成は「699.5以上」と解釈すべき旨主張しており、その当否が問題となる。
・・・(略)・・・
 8-3(2) 以上を踏まえて検討するに、上記の技術常識が存在するからといって、特許請求の範囲に数値限定が発明特定事項として記載されている場合における当該数値の意義(クレーム解釈)に、当該技術常識がそのまま妥当するものではない。
 すなわち、特許請求の範囲は、特許発明の技術的範囲を画するものであり(特許法70条1項)、第三者の予測可能性を保障する「権利の公示書」としての役割が求められるものである。したがって、その解釈は、特許法固有の観点を抜きに行うことはできない。
 このような観点から考えるに、本件で問題となっている(紫外線吸収剤の分子量)「700以上」という数値範囲は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら定めたものであり、特許発明の技術的範囲(独占の範囲)に属するものと属さないものを、一線をもって区分する線引きにほかならない。そうである以上、上記数値範囲の下限である「700」は、切り下げられた小数点以下の端数も、切り上げられた小数点以下の端数も持たない、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当である。
 数値範囲にこれと異なる趣旨、役割を持たせたいのであれば、特許請求の範囲又は明細書に、分子量の計算方法や小数点以下の数値の処理等を説明しておくべきである。本件明細書等にそのような記載がないことは前述のとおりであり、以上によれば、「分子量が700以上」という構成要件は、分子量が700をたとえ0.00001でも下回れば、これを充足しない(その技術的範囲に属さない)ものと解すべきことになる。
 なお、技術文献等で分子量が整数値で示されている場合の一般的な意味についての技術常識は上記第 8-3(1))のとおりであるとしても、それは技術的範囲の解釈(クレーム解釈)という法律問題とは次元の異なる問題である。また、上記第 8-3(1))のとおり、桁数の異なる数値を比較することは一般に適切でないと考えられているとしても、特許請求の範囲における数値限定の意義は単純に2つの数値を比較する場面とは異なるから、この点も、上記の認定判断を左右しない。
 8-4 小括
 以上のとおり、控訴人の主張するクレーム解釈(「分子量が700以上」の「700」は小数第1位を四捨五入した数値と理解されるから、上記構成は「699.5以上」と解釈すべき旨の主張)は採用できない。被控訴人UVAは、その分子量が700には満たない699.91848であるから、被控訴人製品は構成要件1Bを、被控訴人方法は構成要件6Bを充足しない。
 
 9 争点1-2(均等侵害の成否)について
 9-1 均等論の第1要件(非本質的部分)について
 被控訴人UVAの分子量は699.91848であり、本件各発明の構成要件1B、6Bの「分子量が700以上」という数値範囲に含まれない。しかし、上記数値範囲は、臨界的意義を有するものではなく、本来、本件各発明の作用効果との関係で技術的意義を有する分子量は、ピンポイントの700ではなく、かなり広い幅にまたがる数字と考えられるところ、いわば「切りのよい数字」として「700以上」という数値限定を採用したものと理解される(上記第 7-3)。そして、紫外線吸収剤としての性質が分子量699.91848の場合と700の場合とで実質的に異なるとは考え難いものと認められる(前記第 8-3(1))。
 そうすると、上記分子量の相違は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと解される。本件で、均等論の第1要件は充足する。
 9-2 均等論の第5要件(意識的除外等の特段の事情)について
 9-2(1) 均等論の第5要件とは、「対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情がないこと」であり(最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁)、被疑侵害者側が主張立証責任を負う。
 9-2(2) そこで検討するに、まず、特許請求の範囲の記載は、特許発明の技術的範囲を画する機能を有するものであり(特許法70条1項)、第三者に対しては「権利の公示書」としての役割を果たすことが求められるものである。構成要件1B、6Bの「分子量700以上」との記載は、一般的な技術文献の記載ではなく、上記のような役割を担う特許請求の範囲の記載であることが本件の大前提となる。
 そして、証拠(甲8、9)によれば、化合物の分子量は、その分子を構成する原子の原子量の和に等しく、原子量の選定については歴史的変遷があるものの、小数第4位又は第5位の数字で示される原子量表記載の数値によることになるから、そのような小数点以下の数値を有する数値として算出されるということは、本件特許の出願日当時の技術常識であったと認められる。それにもかかわらず、控訴人は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1、6の「分子量が700以上の紫外線吸収剤」との構成の数値範囲について、「700以上」という整数値をあえて使用している。
 本件において、分子量700という数値に臨界的意義も認められないから、当該数値は控訴人がいわば任意に選択して定めたものといえる。また、控訴人としては、その数値範囲を「699.5以上」とすることや、分子量の小数点以下の数値の取扱いについて定めることも容易にできたと解されるにもかかわらず、あえてそのような手当もしていない。これは、小数点以下の数値は、技術的に意味のある数字でないという理解に加え、法的にも特段の含意がない(特別な意味を持たせない)ことを前提とするものと解するべきである。
 そうすると、控訴人が特許請求の範囲において分子量を「700以上」とする数値範囲を定めたということは、「700以上」か「700未満」かという線引きをもって特許発明の技術的範囲を画し、下限値「700」をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当である。
 9-2(3) 控訴人は、平成29年最高裁判決は、意識的除外と評価できる場合を、特許請求の範囲の構成に代替し得る技術を明細書に記載し、客観的、外形的に表示した場合に限定しており、出願人の主観的認識だけを問題としていない旨主張する。しかし、同最判は、いわゆる出願時同効材に関する判断を示したものであって、本件に適切でない上、上記第 9-2(2)の判断は、特許請求の範囲の記載の公示機能を重視する同最判の趣旨に何ら反するものとはいえない。
 9-2(4) 以上のとおり、紫外線吸収剤の分子量が699.91848(本来的には700未満であり、小数第1位を四捨五入することによって初めて「700以上」に含まれることになる数値)の被控訴人UVAを使用する被控訴人製品及び被控訴人方法は、本件特許の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるというべきである。したがって、本件においては、均等論の第5要件を充足せず、控訴人主張の均等侵害は成立しない。」

2025年3月2日日曜日

用途発明の引用発明適格性について判断された事例

 知財高裁令和7年2月13日判決
令和5年(行ケ)第10093号(第1事件)、第10094号(第2事件)審決取消請求事件
 
1.概要
 本判決は、被告が有する特許権に対する無効審判の審決(進歩性肯定、請求棄却)に対する無効審判請求人(原告)が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 本件発明は、医薬の用途発明である。
 引用文献(甲イ3)に記載の発明(甲3発明)に対する進歩性が争われた。
 審決では、引用文献には本件発明の医薬用途が記載されているから、本件発明と甲3発明とは医薬用途において一致すると認定した。
 知財高裁は、引用発明が医薬用途発明と認められるためには、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないとして、本件発明の医薬用途は引用文献には記載されておらず、その点で審決の認定には誤りがあると判断した。

引用発明が用途発明と認められるためには、単に、引用発明に係る物質(薬剤)が、対象とする用途に使用できる可能性があるとか、有効性を期待できるとか、予備的な試験で参考程度のデータながら有望な結果が得られているといったレベルでは足りず、当該物質(薬剤)が対象用途に有用なものであることを信頼するに足るデータによる裏付けをもって開示されているなど、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないというべきである。このように解さないと、上記のようなプロセスを経て完成された実施可能性のある医薬用途発明が、実施可能性を認め難い引用発明によって、簡単に新規性、進歩性を否定されることになりかねず、その結果は不当と考えざるを得ない。」
 
2.本件発明
 本件特許の特許請求の範囲(請求項1)は以下のとおりである。
【請求項1】
(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチンを含有する薬剤であって、
 前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、
 ことを特徴とする薬剤。
 なお、本件発明の有効成分である「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン」は「KW-6002」と呼ばれている。
 (E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン(KW-6002)は、「アデノシンA2A受容体アンタゴニスト」の1種である。
 
3.無効審判審決が認定した、引用文献(甲イ3)に記載の発明(甲3発明)、及び、本件発明と甲3発明との一致点、相違点
【甲3発明】
 アデノシン受容体アンタゴニストであるテオフィリン(1週間の負荷相では、毎日増量、100mg1日2回、6週間の一定状態相では、600mg/日、1週間のウォッシュアウト相では、毎日減量、100mg1日2回)を含有する薬剤であって、
 L-ドーパで治療され(764±170mg/日)、L-ドーパ誘導性運動副作用であるウェアリング-オフを有する進行期パーキンソン病(APD)の患者に投与され、
 オン時間の持続を~30%増加させ、その結果、オフ時間の持続を減少させる作用を有する、薬剤。
【一致点】
 アデノシンA2A受容体アンタゴニストを含有する薬剤であって、前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、薬剤。
【相違点】
 本件訂正発明では、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが、「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン」であるのに対し、甲3発明では、「テオフィリン」である点。
 
 上記の通り、審決では、本件発明の用途の特徴が、甲3にも記載されていると認定した。
 ただし、審決では、上記の相違点に係る本件発明の特徴は、当業者が容易に想到できないと判断し、本件発明は、甲3発明に基づき当業者が容易に発明でない(進歩性あり、請求棄却)と結論づけた。
 
4.裁判所の判断のポイント
(3) 本件発明と甲3発明の一致点及び相違点
ア 甲3発明の「テオフィリン」と本件発明の「KW-6002」とは、「アデノシンA2A受容体アンタゴニスト」である限りにおいて一致する。
 また、甲3発明の「L-ドーパで治療され(764±170mg/日)、L-ドーパ誘導性運動副作用であるウェアリング-オフを有する進行期パーキンソン病(APD)患者」は、本件発明の「パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者」に相当する。
 以上の点については本件審決が認定するとおりであり、当事者間にも争いはない。
イ 他方、本件発明は、KW-6002を含有する薬剤という、「物」の発明ではあるものの、特定の患者に投与され、当該患者における特定の症状(疾病)に適用される、医薬についての発明(医薬発明)であって、化合物などの化学物質自体の発明や、使用目的(用法)についての特定がない組成物の発明とは異なる。
 このような用途発明としての本件発明と引用発明との一致点及び相違点の認定に当たっては、引用発明が用途発明として認められるか否かを吟味し、用途発明としての一致点を抽出できないときは、これを相違点として明らかにすべきである。
 そして、特に医薬の分野においては、機械等の技術分野と異なり、構成(化学式等をもって特定された化学物質)から作用・効果を予測することは困難なことが多く、対象疾患に対する有効性を明らかにするための動物実験や臨床試験を行ったり、あるいは、化学物質が有している特定の作用機序が対象疾患に対する有効性と密接に関連することを理解できる実験を行うなど、時間も費用も掛かるプロセスを経て、実施可能性を検証して、初めて用途発明として完成するのが通常である。このこととの平仄から考えても、引用発明が用途発明と認められるためには、単に、引用発明に係る物質(薬剤)が、対象とする用途に使用できる可能性があるとか、有効性を期待できるとか、予備的な試験で参考程度のデータながら有望な結果が得られているといったレベルでは足りず、当該物質(薬剤)が対象用途に有用なものであることを信頼するに足るデータによる裏付けをもって開示されているなど、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないというべきである。このように解さないと、上記のようなプロセスを経て完成された実施可能性のある医薬用途発明が、実施可能性を認め難い引用発明によって、簡単に新規性、進歩性を否定されることになりかねず、その結果は不当と考えざるを得ない。
・・・(略)・・・
ウ このような観点から、甲3発明の薬剤につき、「進行期パーキンソン病患者においてオフ時間の持続を減少させるため」という用途における実施可能性を当業者が理解、認識できるものとして甲イ3に記載されているかどうか、以下に検討する。
(まず、甲イ3は、その試験が、本件明細書の実施例1で採用する「ランダム化・プラセボ対照・ダブルブラインド試験」と比べると精度が低い「オープン試験」で行われているというだけでなく、試験を完了した患者数も9名と少ない上、臨床/科学ノートの形式による全1頁での報告にすぎず、そのため、論文(フルペーパー)の形式であれば当然記載されるはずの試験の方法についての詳細な記載がなく、試験に参加した患者等におけるバイアス(投与されている薬が効くという思い込みなど)の防止が図られているか否かさえ把握することができず、また、どのようにオン・オフ時間を測定したのか等についての基本的な情報もなく、その正確さを検証することができない。上記のような内容及び形式の甲イ3(全1頁で試験の概要のみを示した臨床/科学ノート)は、それ単独で信用できる臨床試験結果と評価することは困難であり、本来、これを受けて、甲イ3の著者や他の研究者らによって、論文(フルペーパー)の形式で、テオフィリンのオフ時間減少効果の有無について進行期パーキンソン病患者で試験した報告に進むことが想定されるのに、そのような報告に至っていない。このような点にも照らすと、甲イ3の試験結果は、上記医薬用途を示すものとしては、不十分といわざるをえない。
 甲イ3の著者自身も、進行期パーキンソン病患者におけるウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動について、「テオフィリンが治療上有効である」とか、「テオフィリンを用いれば治療薬を提供できる」とまで述べているわけではない。
(さらに、KW-6002などの、テオフィリンよりも強力で選択的なアデノシンA2A受容体アンタゴニストを各種パーキンソン病モデル動物に投与することで、パーキンソン病症状に対するアデノシンA2A受容体の阻害作用の影響を確認することが行われてはいたものの、それらのモデル動物はウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動を生じていたものではなく、テオフィリンが有する複数の作用のうちの一つでもあるアデノシンA2A受容体の阻害作用が、L-ドーパ療法を受ける進行期パーキンソン病患者においてL-ドーパの作用時間を延長させる(オフ時間を減少させる)効果をもたらすという、ウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動についての作用機序が存在することについて、本件優先日当時には具体的に明らかになっていなかった。
(そうすると、甲3発明の薬剤が、「進行期パーキンソン病患者におけるオフ時間の持続を減少させるため」に使用できる(実施可能である)と当業者が理解、認識するものであるとは認められないというべきである。
エ 以上を前提にすると、被告が主張するとおり、甲3発明の薬剤が「L-ドーパで治療される」当該患者の「オン時間の持続を~30%増加させ、その結果、オフ時間の持続を減少させる作用を有する」ものであることを理由に、本件発明の「前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される」ものに相当するとして、甲3発明の医薬用途を肯定し、これを本件発明との一致点とした本件審決の認定には誤りがあるといわざるを得ない。
オ そこで、改めて本件発明と甲3発明の一致点及び相違点を検討すると、正しくは以下のようなものとして認定すべきである。
【一致点】
 アデノシンA2A受容体アンタゴニストを含有する薬剤であって、
 前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、薬剤。
【相違点1】
 本件発明は、「L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために患者に投与され」る用途発明としての「薬剤」であるのに対し、甲3発明は、そのような用途発明とは認められない点。
【相違点2】
本件発明は、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン(KW-6002)」であるのに対し、甲3発明は、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが「テオフィリン」である点。」

2025年2月9日日曜日

発明者は自然人に限られ人工知能を発明者とした特許出願の却下を適法とした知財高裁判決

 知財高裁令和7年1月30日判決言渡
令和6年(行コ)第10006号 出願却下処分取消請求控訴事件
(原審・東京地方裁判所令和5年(行ウ)第5001号


1.概要

 本件は、人工知能(AI)が発明者とはなり得ない旨判示された東京地裁判決の取り消しを求めた控訴審の知財高裁判決である。発明

 知財高裁は「同法(特許法)に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られる

と解するのが相当である」と判示し、原審に違法性は無いとして原告の請求を棄却した。


⒉.経緯

 本件原告は国際出願の日本国内移行出願における国内書面の【発明者】の【氏名】欄に、「ダバス、本発明を自律的に発明した人工知能」と記載するとともに、「本出願に係る発明は、人工知能(AI)によって自律的になされたものであり、発明者として、『ダバス、本発明を自律的に発明した人工知能』と明記しております。」と記載した上申書を提出した。

 特許庁は、出願人である原告に対し、国内書面の発明者の氏名欄には発明者として自然人でない者が記載されているものと認められるから、発明者の氏名欄に自然人の氏名を記載する補正を行わなければならないとして、手続補正指令書(方式)を発送し、本件国内書面の発明者の氏名欄に自然人の氏名を記載する補正をすべきことを命じた。

 原告は、自然人への補正を行わなかったため、特許庁長官は出願却下処分をした。

 以下の2点が争点となった。

 ⑴ 特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか

 ⑵ 国際特許出願に係る国内手続において、国内書面の「発明者の氏名」は必要的記載事項であるか


3.裁判所の判断のポイント

「当裁判所も、本件処分は適法であり、原告の請求は理由がないと判断する。

その理由は、以下のとおりである。

1 争点⑴(特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか)について

⑴ 特許法上の「発明」と特許を受ける権利について

ア 特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とし(同法1条)、特許権は、同法所定の出願、審査の手続を経て、設定の登録により発生する(同法66条1項)と規定している。すなわち、特許権は、特許法により創設され、付与される権利であり、特許を受ける権利もまた、同法により創設され、付与される権利である。特許法は、特許権及び特許を受ける権利の実体的発生要件や効果を定める実体法であると同時に、特許権を付与するための手続を定めた手続法としての性格を有する。

イ 特許法29条1項柱書は、「産業上利用することができる発明をした者は、…その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、同項の「発明をした者」は、特許を受ける権利の主体となり得る者すなわち権利能力のある者であると解される。

また、同法35条1項にいう「従業者等」が自然人を指すことは、文言上、同項の「使用者等」に法人、国又は地方公共団体が含まれているのに対し、「従業者等」には法人等が含まれていないことから明らかである。そして、同条3項は、「従業者等がした職務発明」について、一定の場合に特許を受ける権利が原始的に使用者等に帰属する場合があることを定めているが、同項の規定も発明をするのは自然人(従業員等)であることを前提にしている。特許法上、「特許を受ける権利」の発生及びその原始帰属者について定めた規定は、上記の同法29条1項柱書及びその例外を定める同法35条3項以外には、存在しないから、特許法上、「特許を受ける権利」は、自然人が発明者である場合にのみ発生する権利である。そして、本件で問題となっている国際出願に係る国内書面のほか、特許出願の願書(特許法36条1項2号)、出願公開に係

る特許公報(同法64条2項3号)、国際出願の国内公表に係る特許公報(同法184条の9第2項4号)、設定登録に係る特許公報(同法66条3項3号)については、いずれも「発明者の氏名」を記載又は掲載するものとされ、それぞれ、特許出願人、出願人又は特許権者について「氏名又は名称」を記載又は掲載するものとされていることと対比しても、発明者については自然人の呼称である「氏名」を記載又は掲載することを規定するものであって、職務発明の場合も含め、発明者が自然人であることが前提とされている。

ウ そうすると、特許法は、特許を受ける権利について、自然人が発明をしたとき、原則として、当該自然人に原始的に特許を受ける権利が帰属するものとして発生することとし、例外的に、職務発明について、一定の要件の下に使用者等に原始的に帰属することを認めているが、これら以外の者に特許を受ける権利が発生することを定めた規定はない。また、同法に定

める「特許を受ける権利」以外の権利に基づき特許を付与するための手続を定めた規定や、自然人以外の者が発明者になることを前提として特許を7付与するための手続を定めた規定もない。したがって、同法に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られると解するのが相当である。

エ(ア) これに対し、原告は、特許法29条1項柱書は「AI発明については特許を受ける権利が発生しない」などと規定しているわけではなく、法人が発明者とならないとの解釈についても同法35条3項と併せて初めて導き出されるものであり、同項に相当する規定がないAI発明について、同法29条1項柱書のみから、特許を受ける権利が発生しないと解することはできない旨主張する。

 しかし、特許を受ける権利は、特許権と同じく特許法により創設され、付与される権利であるから、権利能力のない存在が発明した発明について特許を受ける権利が発生する旨の規定や、その場合の権利の帰属者を定める規定がないのに、これを否定する規定がないことだけを理由に、特許法上、権利能力のない存在が行った「発明」について特許を受ける権利が発生するとは認められない。

 そもそも、特許法が予定している「特許を受ける権利」の解釈は、特許法29条1項柱書の文言、同法の他の規定の文言との整合性を検討した上でされるべきものであり、検討した結果、同項柱書にいう「発明をした者」が自然人をいうものと解されることは、前記ウのとおりである。

 したがって、原告の前記主張は理由がない。

(イ) 原告は、前記各最高裁判決を引用し、発明が自然人によって創作されたか否かという主体の面は重視されていない等と主張する。しかし、これらの最高裁判決は、いずれも発明の要件としての技術的完成度や自然法則の利用等が問題となった事案であって、「発明」の主体が争点となった事案ではない。確かに、特許法2条1項の規定する「発明」の定義(自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの)中には、発明者が誰であるかという点は明示的に含まれてはいないけれども、特許法上、特許を受けるための手続については、これまで検討したとおり、権利能力のない存在を発明者とする発明について特許を付与するための手続は定められていない。したがって、仮に、原告が主張するように特許法上の「発明」の概念自体は自然人を発明者とする場合に限られないと解したとしても、権利能力のない存在を発明者とする「発明」について、同法に基づく手続により特許権を付与する余地がないことに変わりはない。

(ウ) 原告は、AIであるダバスがした発明について、善意の占有者(民法189条1項、205条)又は所有者(同法206条、89条1項)の果実取得権に基づき、本件出願に係る発明についての特許を受ける権利を有していると主張する。

 しかし、発明という情報を客体として保護する場合の財産権の具体的内容は、特許法その他の個別の法律により決まるべき性質のものである。AIは有体物ではないから、所有権の対象にはならず、仮に、AIの使用者が民法205条の規定にいう財産権を行使している者に該当すると考えた場合でも、「AI発明について特許を受ける権利」は、「物の用法に従い収取する産出物」又は「物の使用の対価として受けるべき金銭その他の物」(民法88条1項及び2項)のいずれにも該当しない。前記のとおり、AI発明について特許を受ける権利が発生する根拠規定自体存在しないのであるから、現行法上、これを財産権の行使に係る果実に該当するものと解することはできない。そもそも、AIに係る当該産権の内容として、いかなるものを考えるべきかどうかということ自体、今後の検討課題と言わざるを得ない。特許法が認めていない特許を受け

る権利が、これらの民法の規定に基づいて発生すると解することはできず、本件において、民法89条を適用し、又は準用することもできないというべきであるから、原告の主張は失当である。

(エ) ・・・特許法の制定当初から直近の法改正に至るまで、近年の人工知能技術の急激な発達、特にAIが自律的に「発明」をなし得ることを前提とした立法がなされていないことは、原告が主張するとおりである。

 しかし、特許権は天与の自然権ではなく、「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である。

・・・すなわち、AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権(原則として、特許権は特許出願の日から20年の存続期間を有し、特許権者は業として特許発明を実施する権利を独占し(特許法68条本文)、侵害者に対する差止請求権(同法100条)及び損害賠償請求権を有する等)と同内容の権利とすべきかを含め、AI発明が社会に及ぼすさまざまな影響についての広汎かつ慎重な議論を踏まえた、立法化のための議論が必要な問題であって、現行法の解釈論によって対応することは困難である。原告が主張する発明者を自然人に限定した場合の弊害等も、これらの立法政策についての議論の中で検討されるべき問題である。

 そうすると、本件処分時点(及び現時点)で特許法がAI発明の存在を前提としていないことは、特許権付与によりAI発明を保護するという立法的判断がなされていないことを意味し、この場合において、単純にAI発明を現行制度の特許権の対象とするような法解釈をすることが、直ちに「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにつながるということはできない。 ・・・

⑵ 小括

 したがって、現行特許法は、自然人が発明者である発明について特許を受ける権利を認め、特許を付与するための手続を定めているにすぎないから、AI発明については、同法に基づき特許を付与することはできない。・・・・


2 争点⑵(国際特許出願に係る国内手続において、国内書面の「発明者の氏名」は必要的記載事項であるか)について

⑴ 特許法は、国際特許出願の国内手続において、発明者の氏名を記載した国内書面を提出しなければならないと規定し(同法184条の5第1項柱書、2号)、特許庁長官は、国内書面の提出に係る手続が経済産業省令で定める方式に違反しているときは、相当の期間を指定して手続の補正を命ずることができ(同条2項柱書、3号)、これを受けた特許法施行規則38条の5第1号は、国内書面の方式として、発明者の氏名を含む特許法184条の5第1項各号に掲げる事項が記載されていることを規定し、特許庁長官は、指定した期間内に手続の補正がなされないときは、当該国際特許出願を却下することができると規定しているのであるから(同条3項)、国内書面において「発明者の氏名」が必要的記載事項として規定されていることは明らかである。

⑵ 原告は、AI発明の出願において、発明者の氏名は必要的記載事項ではないと主張する。

 しかし、原告の主張は、権利能力のない存在が行ったAI発明について、特許法上、特許を付与することができると解することを前提とするものであって、この前提において誤っているから、採用することができない。

・・・」