2025年11月9日日曜日

引用発明適格性について判断された事例

知財高裁令和7年10月8日判決
令和7年(行ケ)第10009号 審決取消請求事件

1.概要

 本事例は無効審判審決(請求棄却)に対する審決取消訴訟の知財高裁判決である。「リン酸塩」の技術的意義と引用文献適格性について、興味深い判断がされた。

 被告が有する本件特許に係る特許請求の範囲の請求項は以下の通りである。

「下記一般式(1)
HOCOCH2CH2COCH2NH2HOP(O)(OR1)n(OH)2-n (1)
(式中、R1は、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩。」


 本事例は、同一の請求人による2回目の無効審判に関する審決取消訴訟である。

 1回目の無効審判では、「5-ALAホスフェート(5-アミノレブリン酸リン酸塩)」と記載されているが製造方法等が記載されていない「一行記載」の引用文献に対する新規性などが争われた。知財高裁は令和5年3月22日令和4年(行ケ)第10091号(本ブログ:特許情報: 製造方法を開示せず新規物質のみを記載す引用文献の引用発明適格性)において、引用文献からは、「5-ALAホスフェート(5-アミノレブリン酸リン酸塩)」を認識することはできず、新規性を肯定した審決は適法であると判断した。この判決と1回目の無効審判審決は確定済み。

 

 2回目の無効審判では、新たな証拠である甲1(Journal of Photochemistry and Photobiology B: Biology,2002, 67(3), p.187-193)による新規性欠如による無効が請求された。

 甲1には、5-アミノレブリン酸塩酸塩を、0~50mMの濃度で、PBS(リン酸緩衝液)に溶解したことが記載されている。溶解液中には、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンとが溶解している。

 以下の二点が争点となった。

 

争点1:「リン酸塩」の技術的意義

 本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が、固体(結晶)の状態のものや、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンが化学結合力によって結合したものに限定されるか?甲1のように、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンとが溶媒中で分散しているものも「5-アミノレブリン酸リン酸塩」に該当するか?

 

争点2:引用発明適格性

 甲1に、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が記載されているといえるか?

 

 無効審判審決では次のように判断され、無効審判の請求が棄却された。

争点1:「リン酸塩」の技術的意義についての審決の判断

「甲1発明の溶液に、「5-アミノレブリン酸」、「H+」及び「H2PO4-」(又は「HPO42-」)のイオンが水和状態で単に含まれていたとしても、当該イオンは相互に化学結合力によって結合していないから塩であるとはいえず、当然に本件発明1の塩にも該当しない。」

 

争点2:引用発明適格性についての審決の判断

「「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という一行記載が存在していても、当該塩の製造方法が技術常識でない状況では、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を引用発明として認定できないのであるから(例えば、先の無効審判に対する審決の知財高裁令和4年(行ケ)第10091号)、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」という一行記載すらない甲1から「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を認定し、結果として記載されているに等しいと判断し、引用発明として認定することはできない。」

 

 知財高裁は、争点1については妥当でないと判断したが、引用発明適格性についての判断には誤りはないと判断し、原告の請求を棄却した。争点2については、甲1において内在的に「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が生じることは前提としつつも、「当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されている」とはいえないと判断して新規性を肯定している。

 

争点1:「リン酸塩」の技術的意義についての知財高裁の判断

「(本件特許の請求項3には「水溶液の形態である請求項1又は2記載の5-アミノレブリン酸リン酸塩」と記載されていることなどを考慮して、)当業者は、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」には、固体(結晶)の状態のものだけでなく、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる形態にある5-アミノレブリン酸リン酸塩」も含まれると理解するというべきである。」

 

争点2:引用発明適格性についての知財高裁の判断

「甲1発明の溶液について、本件優先日当時、これが「5アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンを含む水溶液」であって、5-アミノレブリン酸とリン酸がいずれもイオンの状態で水溶液中に含まれていることは、当業者が認識できたとしても、そのことをもって、甲1の記載に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、甲1において、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる5-アミノレブリン酸リン酸塩」という、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」なる化合物に係る発明の技術的思想が開示されているということはできない。

 したがって、本件発明が甲1に記載されているとは認められず、甲1から5-アミノレブリン酸リン酸塩を引用発明として認定することはできない。」

 

2.裁判所の判断のポイント

争点1:「リン酸塩」の技術的意義に関する部分

「⑴ア 本件審決は、前記第2の4⑶ア及びウのとおり、本件明細書等の記載とともに、甲5ないし9、13、15といった辞典等の文献の記載事項から導かれる技術常識を参酌して、本件発明における「塩」の技術的意味を「酸の陰性成分と塩基の陽性成分の電荷が中和され、化学結合力によって結合した化合物」と解釈し、この解釈を前提として、甲1発明の溶液は、化学結合力によって結合した「5-アミノレブリン酸リン酸塩」を含む水溶液といえないから、相違点1は実質的相違点であると判断しており、被告は、本件審決の上記判断は正当である旨主張する。

イ しかし、本件明細書等には、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が、固体(結晶)の状態のものや、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンが化学結合力によって結合したものに限定される趣旨の記載は存在しない。

 そして、本件特許の特許請求の範囲の請求項1に記載される本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」が、請求項3に記載の「水溶液の形態」である場合、5-アミノレブリン酸リン酸塩は水に溶解する結果、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンに電離した状態で存在することになることは当業者の技術常識である(当事者双方の主張も、このことを前提としていると解される。)ところ、本件特許の請求項1及び当該請求項1の従属項である請求項3の記載から見て、当業者は、本件発明の「5-アミノレブリン酸リン酸塩」には、固体(結晶)の状態のものだけでなく、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる形態にある5-アミノレブリン酸リン酸塩」も含まれると理解するというべきである。」

 

争点2:引用発明適格性に関する部分

「⑵ア 特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ、上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。

 特に、当該物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。

イ 前記2⑵のとおり、甲1には、5M水酸化カリウムでpH7.2に構成される前の溶液として、5-アミノレブリン酸塩酸塩を、リン酸緩衝生理食塩水(PBS)に0~50mMの範囲の濃度で溶解して溶液を形成することが記載されている。

 そして、本件審決が説示するとおり(本件審決「理由」第6、3⑵ウ)、リン酸緩衝生理食塩水に5-アミノレブリン酸塩酸塩を溶解させた溶液において、5-アミノレブリン酸塩酸塩は5-アミノレブリン酸、H+、Clに電離・水和して水溶液中に存在し、かつ、リン酸緩衝生理食塩水はリン酸イオン(H2PO4-又はHPO42-)を含んでいるから、甲1発明の溶液は、5-アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンを含むものであり、このことは甲1の記載に接した当業者であれば認識することができるといえる。

ウ しかし、甲1には、「水溶液の形態である5-アミノレブリン酸リン酸塩」すなわち「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる形態にある5-アミノレブリン酸リン酸塩」を含め、5-アミノレブリン酸リン酸塩という化合物を製造し、この化合物を得ることについての記載はなく、そもそも「5-アミノレブリン酸リン酸塩」の文言も存在しない。

 また、5-アミノレブリン酸はアミノ酸の一種であるところ(甲4〔訳文5頁23行〕に、5-アミノレブリン酸がアミノ酸の一種であることを示す記載がある。)、アミノ酸の塩酸塩を、リン酸緩衝生理食塩水のようなリン酸イオンを含む水溶液と混合することによって、アミノ酸のリン酸塩を製造することができるということが、本件優先日当時の技術常識であったとも認められず、その他、5-アミノレブリン酸リン酸塩の製造方法が技術常識であったと認めるに足りる証拠はない。

エ そうすると、甲1発明の溶液について、本件優先日当時、これが「5アミノレブリン酸イオンとリン酸イオンを含む水溶液」であって、5-アミノレブリン酸とリン酸がいずれもイオンの状態で水溶液中に含まれていることは、当業者が認識できたとしても、そのことをもって、甲1の記載に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、甲1において、「水溶液中に5-アミノレブリン酸とリン酸をイオンの状態で含んでなる5-アミノレブリン酸リン酸塩」という、「5-アミノレブリン酸リン酸塩」なる化合物に係る発明の技術的思想が開示されているということはできない。

 したがって、本件発明が甲1に記載されているとは認められず、甲1から5-アミノレブリン酸リン酸塩を引用発明として認定することはできない。」