2024年3月17日日曜日

特許権侵害訴訟において数値限定発明の構成要件充足性と均等侵害が争われた事例

大阪地裁令和6226日判決
令和4()9521号 特許権侵害差止等請求事件
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/802/092802_hanrei.pdf
 
1.概要
 本事例は、原告が有する本件特許権に基づく被告に対する侵害訴訟において、被告製品は本件特許発明の構成を充足せず侵害は成立しないと判断された大阪地裁判決である。
 原告が有する本件特許の請求項1に係る発明(本件発明1)は熱可塑性樹脂組成物に関するものであり、「ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤」を構成要件として含む(構成1B)。
 一方、本件特許権に基づく侵害訴訟において侵害が争われた被告製品は、分子式C42H57N3O6で表される化合物を紫外線吸収剤(判決文中では「UVA」と略称される)として含む。被告製品中の分子式C42H57N3O6で表される化合物の分子量は699.91848となり、構成1Bの「700以上」の充足性、及び、均等侵害の成立について争点となった。
 裁判所は、「当業者において、UVAの分子量を、算出された分子量を丸めて整数値とすることが技術常識であると認めることもできない」ことなどを理由に、被告製品は構成1Bを充足しないと判断した。
 また、均等侵害については、「数値をもって技術的範囲を限定し(数値限定発明)、その数値に設定することに意義がある発明は、その数値の範囲内の技術に限定することで、その発明に対して特許が付与されたと考えられるから、特段の事情のない限り、その数値による技術的範囲の限定は特許発明の本質的部分に当たると解すべきである」と判示し、均等の第1要件を満たさないとして均等侵害の成立を否定した。
 
2.裁判所の判断のポイント
争点1(被告製品及び被告方法が「分子量が700以上の紫外線吸収剤」を使用したものとして、構成要件1B、同6Bを各充足するか)について
(1) 本件明細書等の記載
 本件明細書には、別紙「特許明細書(抜粋)」の記載がある。
 特許請求の範囲及び本件明細書には、UVAの分子量がいずれも整数値で記載されているが、分子量の計算方法や整数値(小数点以下1位を四捨五入)とする根拠について明らかにされていない。したがって、UVAの分子量等については、当業者の技術常識をもって解釈することとなる。
(2) 当業者の被告UVAの分子量の認識について
 証拠(89)によると、分子量等の意義は次のとおりと認められ、これによる分子式C42H57N3O6で表される化合物の分子量はエのとおりとなる。
ア 分子量
 分子量は、一定の基準によって定めた化学物質(単体又は化合物)の分子の相対的質量をいい、その基準は原子量の場合に準ずる。ある化学物質の分子量は、その分子を構成する原子の原子量の和に等しい。例えば、酸素(単体)ではO2=31.9988となる。
イ 原子量
 原子量は、一定の基準によって定めた元素の原子の質量をいい、原子の質量は核種によって異なるが、大部分の元素について同位体の存在比は一定なので、各元素ごとに平均としての原子量を考えることができる。その基準の選定については歴史的変遷があり、1962年以降は質量数12の炭素の同位体12Cの原子量を12とする新基準に統一された。
 現在では、質量分析器によって各元素の同位体の質量と存在比とを測定して原子量を求める。
 1919IUPACが組織され、その下部組織としての国際原子量委員会で討議した国際原子量が同委員会より発表されるようになった。日本ではその値が隔年の日本化学会会誌化学と工業に発表される。
 IUPAC原子量表(1995)をもとに、作成された日本版のものの原 子量は次のとおりである。なお、多くの元素の原子量は一定ではなく、物質 の起源や処理の仕方に依存し、原子量とその不確かさ(括弧内の数字で表され、有効数字の最後の桁に対応する)は、地球上に天然に存在する元素について適用されると注記されている。
   炭素 12.0107(8)
   窒素 14.00674(7)
   水素  1.00794(7)
   酸素 15.9994(3)
ウ 原子量表(2003)「化学と工業」Vol.57(2004)日本化学会によるものでは、原子量は次のとおりとされている(8)。数値の意義等は前記イと同様である。
   炭素 12.0107(8)
   窒素 14.0067(2)
   水素  1.00794(7)
   酸素 15.9994(3)
エ 以上によると、当業者において、ある物質の分子量は、その構成する原子の原子量表記載の数値の和として認識されるから、不確からしさを考慮しない場合、本件優先日当時に近い原子量の数値につき前記(2)ウを採用した、分子式C42H57N3O6で表される化合物の分子量は、699.91848となる(不確からしさを考慮すると、小数点以下4位又は5位をJIS等に 示される方法により丸めることになると考えられる。)
(3) 分子量に関する原告の主張について
 前記(1)のとおり、本件各発明に用いられるUVAの分子量の計算において、その基礎となる原子量の数値や、算出された分子量を特定の桁(原告の主張でいう、原子量につき小数点以下2桁、あるいは算出された分子量を整数値)に丸めることは前提とされていないから、前記(2)の分子量の計算と異なる分子量の数値を採用すべき根拠は見出せない。原子量を小数点以下2桁に丸めて分 子量を計算し、更に分子量を整数に丸めるという計算方法は、誤差の原因となり技術常識にもそぐわないし、本件明細書の比較例におけるUVAの分子量の記載が原告主張の計算方法による結果と合致しないとの被告の指摘も考慮されるべきである。
 また、原告は、被告UVAと同じ分子式で表されるUVAについて、カタロ グや他の特許公報等において、その分子量が700と表記されることがあること(571ないし5)を指摘するものの、「699.9」とか、「699. 92」とかと表記される例もある(31ないし7)ことからすると、当業者において、UVAの分子量を、算出された分子量を丸めて整数値とすることが技術常識であると認めることもできない(原告自身、有効数字は整数値をとるか、小数点以下あるいは整数値でも10の位、100の位とするかは、分野や使用目的によってまちまちであることは自認している。)
(4) まとめ
 以上によると、被告UVAは、分子量が699.91848であって、構成要件1B及び同6Bの「分子量が700以上」であるUVAではないから、被告製品及び被告方法は、構成要件1B・同6Bを充足しない。
 争点1に関する原告の主張は、理由がない。
 
争点2(被告製品及び被告方法が本件各発明と均等なものとして侵害となるか)について
(1) 特許請求の範囲に記載された構成中に相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)と異なる部分が存する場合であっても、同部分が特許発明の本質的部分ではなく(1要件)、同部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用 効果を奏するものであって(2要件)、上記のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり(3要 件)、対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから同出願時に容易に推考できたものではなく(4要件)、かつ、対 象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除 外されたものに当たるなどの特段の事情もないとき(5要件)は、同対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技 術的範囲に属するものと解される(最高裁平成6()1083号同10 224日第三小法廷判決・民集521113頁参照)
(2) 1要件について
ア 本件各発明は、耐熱性透明材料として好適な熱可塑性樹脂組成物と、当該組成物からなる樹脂成形品ならびに樹脂成形品の具体的な一例である偏光子保護フィルム、樹脂成形品の製造方法に関する発明である(0001)。アクリル樹脂の透明度の低下を防止するためにUVAを添加する方法が公知であったが、成形時の発泡やUVAのブリードアウト、UVAの蒸散による紫外線吸収能の低下との問題につき、従来技術として、アクリル樹脂に組み合わせるUVAとして、トリアジン系化合物、ベンゾトリアゾール系化合物およびベンゾフェノン系化合物が用いられていた(0003】、【00 05】、【0006)。しかし、これらの従来技術として例示されたアクリル 樹脂(0006】記載の特許文献)には、いずれも分子量が700以上のUVAは開示されていなかった。
イ 本件各発明は、従来技術の化合物には、主鎖に環構造を有するアクリル樹脂との相溶性に課題があり、高温成形時の発泡やブリードアウトの発生の抑制が不十分であったことから、これらの課題を克服するため(0007】、 【0008)、樹脂組成物を構成要件1B記載の構成とし、その製造方法を構成要件6B記載の構成とし(0009】、【0010)、これにより110°C以上という高いTgに基づく優れた耐熱性や高温成形時における発泡及びブリードアウトの抑制、UVAの蒸散による問題発生の減少との効果を奏することとなった(0015)
ウ したがって、本件各発明の本質的部分は、ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上のUVAが、主鎖に環構造を有する熱可 塑性アクリル樹脂と相溶性を有することを見出したことにより、110°C以上という高い優れた耐熱性や高温成形時における発泡及びブリードアウトの抑制、UVAの蒸散による問題発生の減少という効果を有する樹脂組成物を提供することを可能にした点にあると認められる。
エ 数値をもって技術的範囲を限定し(数値限定発明)、その数値に設定することに意義がある発明は、その数値の範囲内の技術に限定することで、その発明に対して特許が付与されたと考えられるから、特段の事情のない限り、その数値による技術的範囲の限定は特許発明の本質的部分に当たると解すべきである。
 上記検討によれば、分子量を「700以上」とすることには技術的意義があるといえるうえ、本件において、上記特段の事情は何らうかがえない。
オ そうすると、被告UVAの分子量が「700以上」ではないとの相違点は、本件各発明の本質的部分に係る差異であるというべきであるから、被告製品及び被告方法について、均等の第1要件が成立すると認めることはできず、均等侵害は成立しない。
カ 原告は、本件各発明におけるUVAの分子量である「700」に厳格な技術的意義はなく、本件各発明の本質的部分は、分子量が十分に大きいという 上位概念であると主張する。
 しかし、このような上位概念化は、前述の数値限定発明の技術的意義に関する考え方と相容れず権利範囲を不当に拡大するものである。また、本件証拠上、本件各発明におけるUVAの分子量が十分に大きいということが当業者にとって自明であるとも認められないし、分子量が十分に大きいことと、被告UVAの分子量との比較における本件各発明の数値の臨界的意義との関係は何ら明らかにされていない。
 したがって、原告の主張は採用の限りでない。」