2025年7月27日日曜日

パリ条約優先権の利益を享受できるか否かが争点となった事例

 知財高裁令和7年6月26日判決

令和5年(行ケ)第10147号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、無効審判の審決(請求棄却)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。

 本件被告は、CRISPR/Cas9 システムを用いたDNA修飾方法に関する特許第6692856号の特許権者である。本件特許は3つのパリ条約優先権主張基礎出願があり、そのうち最早の米国特許出願が「第1優先基礎出願」である。第1優先基礎出願にかかる特許出願書類は「第1出願書類」と称される。

 無効審判では、請求人(取消訴訟原告)は、本件特許は、第1優先権基礎出願に基づく優先権主張の利益を享受することができず、このため本件特許は、甲1出願および甲2出願に記載された発明であり、特許法29条の2(拡大先願)により無効とされるべきであると主張した。

 無効審判および知財高裁判決では、ともに、本件特許は、第1優先権基礎出願に基づく優先権主張の利益を享受することができると判断され、請求が棄却された。

 知財高裁の主な判示事項:

「本件発明が、実質的に第1出願書類の全体に記載されていると認められるためには、当業者が第1出願書類の全体の記載及び本件優先日当時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤等を要さずに本件発明を実施することができたと認められる必要がある。」

本件優先日時点で本件発明者らが実験に成功していなかったというだけで、第1出願書類における本件発明の開示が不十分になるわけではない。第1出願書類の記載に基づき、過度の試行錯誤を要するまでもなく、本件発明を実施することができると認められるのであれば、開示としては十分である。そもそも、生命科学の実験において、実験条件を変えながら最適な条件を見つけることは通常の試行錯誤の過程であると考えられる。原告が指摘するメールの内容等は、いずれも通常の試行錯誤の過程における仮想的な可能性や懸念について意見交換等しているものにすぎず、それだけでは、当業者において、過度の試行錯誤を要するような障壁があったことを認めることは困難である。

「第1出願書類には、CRISPR/Cas9システムを真核細胞内の標的DNAに適用するという技術的思想が開示され、本件優先日当時の周知技術と組み合わせれば本件発明を実施することが可能な程度に具体的な記載がされていたと認められる以上、実施例の記載がなくても、なお、本件発明について本件優先日を出願日とする優先権の主張を認めることは妨げられないというべきである。」

 

2.本件特許の内容

 本件特許は請求項1~111を含む。このうち請求項1に係る発明は下記の通りである。

「【請求項1】

 標的DNAを修飾する方法であって、

 細胞内で該標的DNAを複合体と接触させることを含み、

 該複合体は、

(a)Cas9ポリペプチド並びに

(b)DNA標的化RNAであって、

(i)該標的DNA内の配列に対して相補的なヌクレオチド配列を含むDNA標的化セグメント;および

(ii)前記Cas9ポリペプチドと相互作用するタンパク質結合セグメントであって、該タンパク質結合セグメントは、ハイブリダイズして二本鎖RNA(dsRNA)を形成する、2つの相補的な一続きのヌクレオチドを含み、前記dsRNAは、tracrRNAおよびCRISPR  RNA(crRNA)の相補的ヌクレオチドを含む、該タンパク質結合セグメント

を含むDNA標的化RNA

を含む複合体であり、

 該細胞は、植物細胞、動物細胞または単細胞真核生物であり、

 該細胞は、インビボのヒト細胞ではなく、ヒト生殖細胞ではなく、およびヒト胚細胞で

はなく、

 該修飾は標的DNAの切断である、

 前記標的DNAを修飾する方法。」

 

3.裁判所の判断のポイント

「1 当裁判所は、本件審決に判断の誤りはなく、原告の請求は理由がないものと判断する。その理由は、次のとおりである。

2 争点1(本件発明の優先日)について

 本件特許は、パリ条約による優先権を主張しているところ、パリ条約4条A項は、いずれかの同盟国において正規に特許出願をした者に優先権を認めている。そして、同条H項は「優先権は、発明の構成部分で当該優先権の主張に係るものが最初の出願において請求の範囲内のものとして記載されていないことを理由としては、否認することができない。ただし、最初の出願に係る出願書類の全体により当該構成部分が明らかにされている場合に限る。」旨規定している。すなわち、本件発明について、第1優先基礎出願に基づくパリ条約による優先権の主張が認められるかどうかは、特許請求の範囲だけではなく、実質的にみて第1出願書類の明細書を含む出願書類全体に記載されていると認められる事項に基づき判断すべきものである。仮に本件発明が第1出願書類全体の記載に本件優先日当時の当業者の技術常識を組み合わせたとしても当業者において実施することができなかった発明であると認められる場合は、本件発明は、第1出願書類の全体に記載されていた事項であるとは認められず、パリ条約による優先権の主張の効果は認められないというべきである。したがって、本件発明が、実質的に第1出願書類の全体に記載されていると認められるためには、当業者が第1出願書類の全体の記載及び本件優先日当時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤等を要さずに本件発明を実施することができたと認められる必要がある。

そこで、以上を踏まえて、検討する。

2-1 本件発明について

⑴ 前記第2の3のとおり、本件発明に係る特許請求の範囲は、別紙「特許請求の範囲の記載」のとおりである。

⑵ 本件発明は、侵入する外来DNAを切断する原核生物の免疫システム(CRISPR/Cas9 システム)を利用し、DNA標的化RNA及び Cas9 ポリペプチドからなる複合体を真核生物細胞内の標的DNAに接触させることにより、標的DNAを切断する方法等の発明である。その概要は、別紙「本件発明の概要」記載のとおりである。本件明細書(甲33)には、「DNA標的化RNA」と「部位特異的修飾ポリペプチド」の複合体により標的DNAを切断することができること、使用する部位特異的修飾ポリペプチドが Cas9である場合、標的DNA内の部位特異的切断は、DNA標的化RNAと標的DNAの間の塩基対形成の相補性、および、標的DNA内のプロトスペーサー隣接モチーフ(PAM配列)の両方によって決定される位置で起きること、PAM配列は、Cas9 の種類によって異なること、部位特異的修飾ポリペプチドは、核に標的化するための核局在化シグナル(NLS)を含み得ること、部位特異的修飾ポリペプチドは、コドン最適化され得ること、実施例として、ヒト細胞の標的部位における二重鎖DNA切断が確認されたこと等が開示されている。

・・・(略)・・・

2-5 検討

(1)第1出願書類の開示内容

ア 前記2-2⑴のとおり、第1出願書類に開示された発明は、細胞及び生物全体の遺伝子操作のため特定のDNA配列を標的とするように設計・操作されたヌクレアーゼを用いる方法である従来技術に代えて、各新規な標的配列ごとに新規なタンパク質(ヌクレアーゼ)の設計を要することなく、標的DNAへのヌクレアーゼ活性の正確な標的化を可能にするという課題を解決する技術を提供するものである(前記2-2⑴ア、イ参照)。

 そして、課題解決手段として、「標的DNA」を、「DNA標的化RNA」及び「部位特異的修飾ポリペプチド」を含む複合体と接触させることにより、標的DNAを部位特異的に修飾するという技術が開示されている(CRISPR/Cas9 システム。前記2-2⑴ウ参照)。

 さらに、当該技術に関し、「標的DNA」が真核細胞の細胞内染色体であり得ること、「DNA標的化RNA」には2つのセグメントがあり、「DNA標的化セグメント」は、標的DNA内の配列に対し相補的なヌクレオチド配列を含み、ハイブリダイズして標的DNAと相互作用することで部位特異的修飾ポリペプチドを標的DNAに導くものであり、「タンパク質結合セグメント」は、ハイブリダイズして二本鎖RNAを形成する互いに相補的なヌクレオチドを含み、部位特異的修飾ポリペプチドと結合するものであること、「部位特異的修飾ポリペプチド」は、天然の各種細菌由来の Cas9 ポリペプチドアミノ酸配列であり、これが「DNA標的化RNA」の「タンパク質結合セグメント」と結合して複合体となり、「DNA標的化RNA」の「DNA標的化セグメント」の標的DNAとの前記ハイブリダイズにより、複合体が標的DNA内の特定の配列に導かれ、複合体の Cas9 ポリペプチドのヌクレアーゼ活性により、標的DNAを部位特異的に二重鎖切断することが開示されている(前記2-2⑴エ()()参照)。

 そして、実施例においては、実施例1では、3つの異なる標的DNA(A~C)に、DNA標的RNA(DNA標的化セグメントとタンパク質結合セグメントを含むもの)と部位特異的修飾ポリペプチド(S.pyogenes由来の Cas9 ポリペプチド)を緩衝液中で複合体としたものを添加したところ、標的DNAを部位特異的に切断することができたこと(図3)、実施例2では、共通の標的DNAに、由来の異なる Cas9 ポリペプチド及び共通のDNA標的化RNA(DNA標的化セグメントとタンパク質結合セグメントを含むもの)を添加したところ、いずれも標的DNAの切断が示されたこと(図5)が、それぞれ実験結果に基づいて記載されている(前記2-2⑴オ参照)。

 このように、第1出願書類には、標的DNAを部位特異的に修飾するCRISPR/Cas9 システム(DNA標的化RNAと部位特異的修飾ポリペプチドの複合体)の構成と各構成要素の構造や作用、標的DNAの切断(二本鎖切断)に至る機序・仕組みについて具体的に記載されている。また、実施例により、複合体を作成し標的DNAを切断することができることも具体的に示されている。

イ 他方、部位特異的DNAヌクレアーゼを操作するための主要な従来技術には「ZFN」「TALEN」があるところ、前記2-3⑴のとおり、これらの技術に関する研究では、本件優先日前に既にヒト細胞等の真核細胞のDNAを標的とする遺伝子操作が研究・実施されていた(乙87、89、91、94、96)。第1出願書類においても、遺伝子改変された細胞の使用態様として、疾患治療・遺伝子治療等の目的や、農業における遺伝子改変された生物の生産や生物学的研究等の目的のために使用されることが記載され、ヒトや哺乳類等に使用されることが述べられている(前記22⑴エ())。

 また、第1出願書類では、CRISPR/Cas9(DNA標的化RNAと部位特異的修飾ポリペプチド)を細胞内に導入する方法として、これらをコードするヌクレオチドを含む任意の発現ベクターを、公知の方法(感染、リポフェクション、エレクトロポレーション等)で細胞に導入することができること、これらをRNAとして、周知の技術(マイクロインジェクション、エレクトロポレーション等)で細胞に導入することができること、Cas9ポリペプチドは、必要に応じて生成物の溶解性を増大させるポリペプチドドメインを融合させたり、浸透性ドメインに融合させたりして、細胞による取り込みを促進してもよいことなど、発現ベクターやRNA、ポリペプチド等を細胞に導入する周知の技術的手段を使用することができることが、それぞれ具体的に記載されている(前記2-2⑴エ())。

 このように、第1出願書類においては、標的DNAを部位特異的に修飾するCRISPR/Cas9システム(DNA標的化RNAと部位特異的修飾ポリペプチドの複合体)について、これを細胞内に導入する方法等に関し従前からの周知の技術による方法を記載しているのみならず、CRISPR/Cas9システムの適用対象についても、従来技術の適用対象を踏まえ、真核細胞が言及され、想定されていたということができる。

ウ 以上のとおり、第1出願書類には、遺伝子操作に関する従来技術に代わり得る技術を提供するものとして、標的DNAを部位特異的に修飾するCRISPR/Cas9 システム(DNA標的化RNAと部位特異的修飾ポリペプチドの複合体)の技術が開示され、その構成や、複合体の作成・細胞内への導入の方法(真核細胞に対するものを含む。)、その標的DNAの切断の機序が具体的に記載されている。

 これらの記載によれば、第1出願書類には、CRISPR/Cas9システムを真核細胞内の標的DNAに適用するという技術的思想が開示され、本件優先日当時の周知技術と組み合わせれば実施することが可能な程度に本件発明の具体的な説明が記載されていたものと認めるのが相当である。

⑵ 原告の主張(PAM配列)について

原告は、第1出願書類全体において、PAM配列に関する記載はなく、本件優先日時点で、文献においても、PAM配列が真核細胞内の標的DNA配列を切断するのに必要であることは、何ら記載されていないから、周知技術とはならないなどと主張する。

イ しかしながら、PAM配列に関しては、被告らが挙げる文献(乙 151925)を含め、本件優先日時点で多くの文献によって言及されており、PAM配列が、細菌の免疫システムにおいて自己と非自己を区別するだけでなく、標的DNAの切断のプロセスに関係しており、標的DNAの切断のためには、標的DNAの配列の下流にPAM配列が存在することが必要であり、PAM配列が変異すると CRISPR/Cas システムによる標的DNAの切断に影響が出ることなどが開示されている(前記2-3⑵参照)。すなわち、細菌(原核生物)の CRISPR/Cas システムを利用したDNA切断にPAM配列が必要であることは、本件優先日当時、多くの文献に記載されており、当業者には周知であったということができる。

 さらに、文献によれば、Cas9 の種類によりPAM配列が異なることや、PAM配列の具体列が開示されている。タイプⅡCRISPR/Casシステムに属するS.thermophilus CRISPR1、CRISPR3のPAM配列は、NNAGAAW 及びNGGNGCRISPR-10のPAM配列は、NGGNGであり、Streptococcus pyogenesS. agalactiae 及び Listeria monocytogenes CRISPR-10 のPAM配列は、より短いモチーフである NGG であるとされる(前記2-3⑵ケ参照)。第1出願書類には、PAM配列について明示的に言及した部分はないものの、その実施例であるS.pyogenes Cas9 による切断緩衝液中の実験を説明するために掲載された図3C(実施例1)及び図5B(実施例2)の標的DNAの配列は、いずれも各図中の非標的鎖と記載された鎖(ターゲッターRNAのDNA標的化セグメントと相補鎖を形成している部分の非標的鎖)の3’側にNGGを含むものであり、前記文献上の知見に整合する構造が示されている。したがって、Cas9の種類によりPAM配列が異なることや、その具体的な配列も、本件優先日には明らかにされていた事項である。

 CRISPR/Cas9システムは、自然界に存在する部位特異的修飾ポリペプチド(Cas9)の属性を利用し、標的のDNAを切断する仕組みである。本件優先日当時、同仕組みを利用してDNAを切断する場合に原核細胞においてのみPAM配列が必要であり、真核細胞においては不要になると考えることが通常であったことを窺わせるような事情も見当たらない。そうすると、本件優先日当時、真核細胞において、CRISPR/Cas9システムを利用してDNAを切断する際も、標的DNA配列の下流にPAM配列が存在する必要があるということは、当業者にとって容易に予測し、確認することができた事項というべきである。

 なお、原告は、PAM配列の認識とCas9タンパク質による切断の関連性を導き出すことはできないなどと主張する。しかし、前記のとおり、本件優先日前の文献上PAM配列の存在が知られていたのみならず、PAM 配列の不存在又は変異が免疫効果(標的DNAの切断)を妨げるという関連性が知られていたのであるから、CRISPR/Cas9システムにおいて標的DNAの切断を成功させるためにPAM配列の存在が必要であることを当業者において推認することが困難であったとは認められない。

 また、原告は、本件における当業者は、CRISPR/Cas9システム自体を研究している者ではなく、同システムを遺伝子改変のための実験等に利用する分子生物学分野の一般的研究者、学生等を基準とすべきであることを前提として、本件優先日当時、PAM配列の知見が当業者の技術常識であったということはできないなどと主張する。

 しかしながら、CRISPR/Cas9システムを遺伝子改変のための実験等に利用しようとするのであれば、そのシステムの仕組みは重要な前提事項であるから、分子生物学分野の一般的研究者、学生等であっても、当該システムに関し既に公表され、一定期間を経過した文献を通じて得られる程度の知識は、通常の知識として有しているものと考えられる。このことは、本件優先日後、CRISPR/Casシステムを利用し、Cas9ヌクレアーゼによりヒト及びマウス細胞で遺伝子座の正確な切断をすることができたことを明らかにした論文(乙99の1及び2「CRISPR/Casを用いた多重ゲノム工学」201313Web公開)の著者らが、その注22及び23において、それぞれ本件優先日前にPAM配列の存在について触れていた論文(乙24の1及び2,「ストレプトコッカス・サーモフィルスにおけるCRISPRコード耐性に対するファージ反応」(Journal of Bacteriology;Vol.190(4),1390,2007127)及び乙20,「短いモチーフ配列は原核生物のCRISPR防御系システムの標的を決定する 」(Microbiology;Vol.155(3),733,20093))を引用していることからも窺うことができる。そして、PAM配列に関する前記の文献の数及びその内容の具体性に照らせば、原告の主張するような者を当業者と解したとしても、本件優先日前に明らかにされていたPAM配列に関する知見を当業者にとっての周知技術又は技術常識として考慮することは妨げられないというべきである。原告の主張は採用することができない。

以上によれば、本件優先日において、CRISPR/Cas9システムにおけるPAM配列の存在及びその役割は当業者の技術常識の範疇に属するものであったと認めるのが相当であり、原告の主張を採用することはできない。

⑶ 原告の主張(NLS、コドン最適化)について

ア 原告は、本件優先日時点で、NLS・コドン最適化は、周知技術ではなかったなどと主張する。

イ しかしながら、前記のとおり、本件優先日において、タンパク質を効率よく染色体が存在する核内へ輸送するために、核局在化シグナル(NLS)を付加する技術が利用されていたことが認められるから、NLSは周知慣用技術であったというべきである(前記2-3⑶)。

 また、前記のとおり、本件優先日において、外来遺伝子を宿主細胞内で効率よく発現させるために、宿主細胞に応じてコドンを最適化する技術が利用されていたことが認められるから、コドン最適化についても周知慣用技術であったというべきである(前記2-3⑶)。

 なお、そもそも、NLSを有さず、又はコドン最適化を実施しなくても、Cas9による標的DNAの切断(ゲノム編集)が可能であったことが認められるから、CRISPR/Cas9システムに必須の技術であったとはいい難い(前記2-3⑶)。

ウ よって、本件優先日の時点で、CRISPR/Cas9システムにおいて、NLS及びコドン最適化は、必須の技術ではなかったが、いずれも、多くの文献において実施が報告されており、CRISPR/Cas9システムにも応用可能な周知技術であったと認めるのが相当である。よって、原告の主張を採用することはできない。

⑷ 原告の主張(真核細胞への適用)について

ア 原告は、本件発明者らは、本件優先日において、真核細胞への適用について実験に成功しておらず、また、CRISPR/Cas9システムを真核細胞に適用する場合には、①RNAの分解(甲 4951)、構成及び複合体の形成と持続性(甲 48495253)、毒性(甲 404154)、複雑な真核生物環境でのクロマチン結合DNAの作用の失敗(甲 384849

5255565760)等の障壁があるから、過度の試行錯誤なく実施することができるものとはいえないなどと主張する。

イ しかしながら、本件優先日時点で本件発明者らが実験に成功していなかったというだけで、第1出願書類における本件発明の開示が不十分になるわけではない。第1出願書類の記載に基づき、過度の試行錯誤を要するまでもなく、本件発明を実施することができると認められるのであれば、開示としては十分である。そもそも、生命科学の実験において、実験条件を変えながら最適な条件を見つけることは通常の試行錯誤の過程であると考えられる。原告が指摘するメールの内容等は、いずれも通常の試行錯誤の過程における仮想的な可能性や懸念について意見交換等しているものにすぎず、それだけでは、当業者において、過度の試行錯誤を要するような障壁があったことを認めることは困難である。

 むしろ、本件発明者らが第1優先基礎出願に係るCRISPR/Cas9システムを刊行物(乙 122012 6 28 日)に発表した後、2012 10 月から2013 1月までの短期間に、多くの研究者により、CRISPR/Cas9システムを真核細胞に適用しゲノム編集ができたことが報告されたことが認められる(前記2-4参照)。このことは、当業者において、第1出願書類の記載に基づき、過度の試行錯誤を要するまでもなく、本件発明を実施することができたことを示すものである。

ウ そうすると、CRISPR/Cas9システムの真核細胞への適用について、仮に、原告の指摘するような問題点があったとしても、過度の試行錯誤を要するものとはいえず、原告の主張を採用することはできない。

⑸ 原告の主張(実施例の要否)について

 原告は、本件発明は、ライフサイエンス分野の先駆的技術に係るものであって効果の予測が難しく、真核細胞への適用には種々の障壁等も存在するから、実施例のない第1出願書類の明細書の記載から、過度の試行錯誤を要することなくCRISPR/Cas9システムの真核細胞への適用をすることができるとはいえないなどと主張する。

 しかしながら、前記のとおり、第1出願書類には、CRISPR/Cas9システムを真核細胞内の標的DNAに適用するという技術的思想が開示され、本件優先日当時の周知技術と組み合わせれば本件発明を実施することが可能な程度に具体的な記載がされていたと認められる以上、実施例の記載がなくても、なお、本件発明について本件優先日を出願日とする優先権の主張を認めることは妨げられないというべきである。

 原告の主張を採用することはできない。

⑹ 以上によれば、本件発明は、第1出願書類全体の記載及び出願時の技術常識に基づき、実質的にみれば開示されていたというべきであり、本件特許に係る分割出願の対象となった国際特許出願がパリ条約4条C⑴の優先期間内にされたものであることは当裁判所に顕著であるから、本件発明は、パリ条約4条A⑴により第1優先基礎出願に基づく優先権主張の利益を享受することができるものと認められる。」

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