2012年7月17日火曜日

請求項の用語の意義が、明細書を参酌して解釈された事例


知財高裁平成24年4月26日判決
平成23年(行ケ)第10336号 審決取消請求事件

1.概要
 拒絶審決において、本願発明にける「多重スイッチルータ」という特徴が、引用例2に開示された構成と同一であると認定され、この認定を前提として本願発明の進歩性が否定された。
 審決取消訴訟では、本願発明における「多重スイッチルータ」の意味を明細書の開示を参酌して解釈した。そして、この解釈を前提として、本願発明における「多重スイッチルータ」は引用例2に開示されておらず、審決は取り消されるべきであると判断した。

2.本願発明
「【請求項1】同じ構造のもの同士が複数隣接して結合し集合型コンピュータを構成するための結合型コンピュータであり,多面形状の複数のケーシング毎に,CPUやメモリIC及び入出力インターフェースなどのコンピュータ構成要素を内蔵し,該各多面形状のケーシングの各面ごとにそれぞれコードレス型の入出力用信号伝達素子を配設し,該各多面形状のケーシング毎に信号選択及びバイパス機能を有する多重スイッチルータを内蔵し,前記ケーシングの各面ごとに設けられた前記入出力用信号伝達素子を該ケーシング内の前記入出力インターフェースに接続し,前記ケーシングの各面に設けられた入出力用信号伝達素子と,これに隣接する他のケーシングの各面に設けられた入出力用信号伝達素子を通じて他のコンピュータの入出力用信号伝達素子との間で双方向のデータ伝送を行うことができるようにし,前記ケーシングの各面に設けられた複数の入出力用信号伝達素子を前記多重スイッチルータを介して該ケーシング内の前記入出力インターフェースに接続し,前記入出力用信号伝達素子による他のコンピュータからの信号の取り込み,吐き出しを信号選択及びバイパス機能を有する前記多重スイッチルータを通じて行うようにし,前記多重スイッチルータにより前記ケーシングの各面に配設されたコードレス型の複数の入出力用信号伝達素子間にバイパスを形成できるようにしたことを特徴とする結合型コンピュータ。」

3.審決のポイント
 本願発明と引用例1に開示された引用発明との相違点2は、本願発明は,「該各多面形状のケーシング毎に信号選択及びバイパス機能を有する多重スイッチルータを内蔵し」との特定を有するのに対し,引用発明は,そのような特定を有しない(そもそも,多重スイッチルータを有しない)点と認定された。
 審決では、上記相違点2に係る本願発明の「多重スイッチルータ」は、引用例2に開示された発明における「ルータ部」に対応すると認定した。

4.原告(出願人)が主張する取消理由1
「審決には,引用例2記載の発明のルータ部が本願発明の多重スイッチルータに相当するとの認定,判断をした誤りがある。
 すなわち,本願発明の多重スイッチルータにおける「多重」とは,本願明細書の段落【0015】によれば,周波数,時間,符号を使って,データ伝送路の選択を行う信号多重化機能のことをいう。本願発明においては,多重スイッチルータにより入出力ポート間に形成されるバイパスは必然的に双方向にデータ伝送路が形成されることになるから,片方向のみしかデータの伝送ができないものは,入出力ポート間にバイパスが形成されたとはいえない。これに対し,引用例2記載の発明のルータ部は,片方向のみしか伝送路が形成されず,このような状態は,入出力ポート間にバイパスが形成されたとはいえない。
 また,本願発明において,入出力用信号伝達素子は,多面形状のケーシングの各面に配設され,多重スイッチルータに接続しているから,多重スイッチルータは,少なくとも入出力ポート用に4入力4出力(六面体では6入力6出力)の構成を有しているのに対し,引用例2は,2入力2出力あるいは3入力3出力にすぎない。
 したがって,引用例2記載の発明のルータ部は,本願発明の多重スイッチルータに相当するとはいえない。」

5.裁判所の判断のポイント
「「多重スイッチルータ」に関する認定,判断の誤りについて
ア まず,本願発明に係る「多重スイッチルータ」の意義について検討する。本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)には,多重スイッチルータに関して,①「前記ケーシングの各面に設けられた複数の入出力用信号伝達素子を・・・該ケーシング内の前記入出力インターフェースに接続し,」,②「前記入出力用信号伝達素子による他のコンピュータからの信号の取り込み,吐き出しを信号選択及びバイパス機能を有する」,③「前記ケーシングの各面に配設されたコードレス型の複数の入出力用信号伝達素子間にバイパスを形成できるように(する)」ことが記載されているが,多重スイッチルータの意義は,必ずしも一義的に明確ではない部分がある。そこで,本願明細書の記載を併せて参照することとする。
 本願明細書の上記記載によれば,本願発明は,多数のコンピュータをクラスタ接続して集合型超コンピュータを構成するに当たり,コードにより各コンピュータ間を接続するとコンピュータの集合体積が大きくなること,膨大な量のコードを収納するスペースが必要となること,各コンピュータの結合作業が煩雑となることなどの問題があったことから,これらの問題を解決するべく,集合型コンピュータを構成する各コンピュータの入出力インターフェース等のコンピュータ構成要素を多面形状のケーシングに内蔵し,入出力インターフェースに結合されたコードレス型の信号伝達素子をケーシングの各面に配設し,さらに,他のコンピュータからの信号の取り込み及び吐き出しを「信号選択」及び「バイパス機能」を有する多重スイッチルータを通じて行うようにしたものであることが認められる。
 そして,本願明細書の段落【0007】,【0014】,【0015】,【0016】によれば,①上記「信号選択」機能とは,他のコンピュータからのデータのうち自コンピュータが取り込むべきデータを選択的に取り込むために信号を選択する機能と,形成されたバイパスを含む信号伝送経路を選択するために信号を選択する機能とを総称したものであり,②上記「バイパス機能」とは,入出力用端子間に,入出力インターフェースに取り込まれることなくデータを伝送するためのバイパスを形成するものと認められる。さらに,本願明細書の段落【0015】によれば,「周波数,時間,符号を使ってデータ伝送経路の選択を行う」ことの例示として,各ポートに設定された周波数帯域に応じて互いに分離できるようにされた複数の信号が伝送される例が示されており,これらの記載は,いずれも「多重スイッチルータ」が周波数等を用いた弁別により互いに分離できる状態で複数の信号を伝送することを前提としたものと解される。
 そうすると,本願発明における「多重スイッチルータ」は,①データの導通と遮断を行う開閉ゲートとして作動し,ポートごとの周波数帯域を所定の値に設定することによってポートを閉じてデータの取り込みや吐き出しを阻止し,②各コンピュータが周波数,時間,符号を使ってデータの伝送経路を選択する際,特別の信号伝送経路制御装置を用意することなく,ポート間にバイパスを形成し,③バイパスが形成された場合には,当該コンピュータの入出力インターフェースに取り込まずにポートからポートへとデータを伝送する機能を有するものであること,また「多重」とは,互いに分離できるように複数の信号を物理的に1つの伝送路により伝送することを意味するものといえる。
 以上によれば,本願発明に係る「多重スイッチルータ」とは,データの導通や遮断を行うスイッチとして作動し,かつ,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送されるルータを意味するものであって,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送されないルータはこれに含まれないものと解される。
イ 一方,引用例2には,以下の事項が記載されている。・・・・
・・・・・
 したがって,引用例2には,スイッチ機構を用いたルータの開示はあるものの,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送され得るような「多重スイッチルータ」についての開示はない。
 以上のとおり,本願発明の多重スイッチルータは,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送されているものであるのに対し,引用例2記載の発明のルータ部は,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送され得るようなものではないから,これらが互いに相当する構成であるとした審決の認定,判断には誤りがある。
ウ これに対し,被告は,①本願発明の多重スイッチルータにおける「多重」とは,ルータが当然に有する,データ伝送路の選択を行うための前提となる信号多重化機能を指すにすぎない,②本願発明に係る特許請求の範囲には,多重スイッチルータにつき,周波数,時間,符号を使う点についての記載はなく,本願明細書の記載を参酌しても,周波数,時間,符号を使うものに限定して解釈すべき理由はないなどと主張する。
 しかし,本願発明に係る「多重スイッチルータ」が,データの導通や遮断を行うスイッチとして作動し,かつ,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送されるルータを意味するものであって,互いに分離できる状態で複数の信号が伝送されないルータはこれに含まれないことについては,前記のとおりであり,被告のこの点の主張は,採用の限りでない。」

2012年7月10日火曜日

明細書に薬理データが開示されていない場合に医薬用途発明出願が実施可能要件を満足しないと判断された事例


知財高裁平成24年6月28日判決言渡
平成23年(行ケ)第10179号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、医薬用途発明の実施可能要件について争われ、審決、裁判ともに実施家脳要件欠如と判断された事例である。
 明細書には医薬用途を具体的に裏付ける実験データなどが記載されていない。出願人は明細書中の記載と技術常識を勘案すればクレーム記載の治療作用が十分に裏付けられていると主張した。また、出願人は、出願後に刊行された文献(参考文献3および4)を意見書に添付して提出していた。
 裁判所は「本願明細書の記載及び本願の優先権主張日当時の技術常識を総合して,当業者において,本願発明を実施できる程度に明確かつ十分な記載ないし開示があると評価できるか否かについて,検討」した。そして、実施可能要件を満たしていないという審決に誤りはないと判断した。出願後に刊行された文献の開示事項については少なくとも判決文においては言及されていない。

 知財高裁平成22年1月28日判決(平成21年(行ケ)第10033号審決取消請求事件)(フリバンセリン事件、本ブログ2010年2月13日記事)において裁判所は、「発明の詳細な説明に記載された技術的事項が確かであるか否か等に関する具体的な論証過程が開示されていない場合において,法36条4項1号所定の要件を充足しているか否かの判断をするに際しても,たとえ具体的な記載がなくとも,出願時において,当業者が,発明の解決課題,解決手段等技術的意義を理解し,発明を実施できるか否かにつき,一切の事情を総合考慮して,結論を導くべき筋合いである。」と判示した。今回の事例の「本願明細書の記載及び本願の優先権主張日当時の技術常識を総合して」という文言からみて、今回の事例における実施可能要件充足性の判断は、フリバンセリン事件において示された「一切の事項を総合考慮して、結論を導く」という手法に沿ってなされた考えられる。なお、フリバンセリン事件の二回目の審決(不服2006-27319、本ブログ2012年3月16日記事)では、請求項1に係る医薬用途発明は実施可能性を満足せず、後発的に提出された薬理効果を証明するための試験結果は参酌することができない旨の判断が示された。この二回目の審決は2012年4月17日に確定している。

2.本願発明
【請求項1】加齢性黄斑変性の治療のための医薬の調製におけるhVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤の使用。

3.審決の理由の要点
(1) hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用を裏付ける薬理データといえるものは,本願明細書の発明の詳細な説明には何ら記載されておらず,hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用に関し,その有用性を裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載もない。
(2) 審判請求人(原告)は,平成18年10月24日付けの意見書において,添付した参考文献3及び4の記載をもとに,A4.6.1抗hVEGF抗体のアフィニティー成熟形態であるラニビズマブが加齢性黄斑変性の治療に有用であることが明らかになっている旨を主張する。しかし,参考文献3及び4は,いずれも本願優先日から10年以上経過した2006年に発行されたものであるとともに,具体的に試験を行った時期が,いずれも本願出願よりも後であって,本願出願時にこれらの事実が明らかにされていたと解することができず,本願発明において,hVEGF拮抗剤についてその医薬用途の有用性を裏付ける薬理データと同視すべき程度の記載の有無の検討に際し参酌することができない。

4.裁判所の判断のポイント
「(1) 本願発明の特許請求の範囲の記載(請求項1)は,「加齢性黄斑変性の治療のための医薬の調製におけるhVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤の使用。」である。他方,本願明細書には,hVEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性に対し治療効果を有することを直接的に示す実施例等に基づく説明は一切存在しない(当事者間に争いがない)。
 そこで,旧特許法36条4項の要件充足性の有無,すなわち,本願明細書の記載及び本願の優先権主張日当時の技術常識を総合して,当業者において,本願発明を実施できる程度に明確かつ十分な記載ないし開示があると評価できるか否かについて,検討する。
ア 本願明細書には,年齢に関連する黄班変性(AMD) の滲出形態が,脈絡膜新血管新生及び網膜色素上皮細胞剥離に特徴づけられること,脈絡膜新血管新生は予後の劇的な悪化を伴うので,本願発明のVEGF拮抗剤は,AMDの重篤性の緩和において特に有用であると思われること(上記1(2)カ )が記載され,また,hVEGF拮抗剤の1種である抗hVEGFモノクローナル抗体が,血管内皮細胞の増殖活性を阻害し,腫瘍成長を阻害し,血管内皮細胞走行性を阻害することについての試験結果が示されている(同ク,ケ,サ)。
イ ところで,甲9は,本願の優先権主張日前の平成7年1月に公表された文献であって,血管新生のメカニズムや細胞増殖因子との関係等についての概要が説明されている(上記1(3)ア )。同文献には,病的状態に関連する血管新生は,「重症糖尿病網膜症,未熟児網膜症,尋常性乾鮮等の病的状態を作り出す血管新生」,「悪性腫瘍における血管新生のように,病的状態の進行に関与する血管新生」,及び「病的状態からの回復期に認められる血管新生」の3つのカテゴリーに分類して論じられること(同イ),血管新生は様々な物質によって調節されているが,血管新生を促進する重要な因子として,①VEGFばかりでなく,②FGF及び③HGF等のポリペプチドが存在すること,また,VEGFはその発現が細胞の虚血によって制御されており,動脈が閉塞し,あるいは癌細胞が急速に増殖して組織の酸素分圧が低下した場合にVEGFが分泌され,血管新生を引き起こすこと(同オ),さらに,血管新生のメカニズムは解明されつつあるが,どのような病態でどの増殖因子が血管新生にかかわっているのかについては不明な点が多いこと(同カ)が記載され,同記載内容は,本願の優先権主張日である平成7年3月30日当時には技術常識となっていたといえる。
 加齢性黄斑変性の原因である脈絡膜での血管新生は,甲9記載の病的状態を作り出す血管新生のカテゴリーに属するものであるが,上記のとおり,甲9には,血管新生を促進する因子としては,FGFのみではなくVEGFやHGFが知られていたこと,血管新生のメカニズムは解明されつつあるものの,どのような病態でどの増殖因子が血管新生に関与しているかは不明な点が多い点が記載されている。
 上記の記載に照らすならば,脈絡膜での血管新生がVEGFにより促進されるとの事項は,本願の優先権主張日当時に知られていたとはいえず,また,同事項が技術常識として確立していたともいえない。すなわち,甲9では,VEGFが血管新生を促進する因子であることは示されているものの,血管新生にVEGFのみが関与している点は明らかでなく,結局,どの増殖因子が原因であるかは不明であることから,甲9から,hVEGF拮抗剤でVEGFの作用を抑制しさえすれば,脈絡膜における血管新生が抑制できることを合理的に理解することはできない。
 以上に照らすならば,本願発明(「加齢性黄斑変性の治療のための医薬の調製におけるhVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤の使用。」)の内容が,本願明細書における実施例その他の説明により,「hVEGF(ヒト血管内皮増殖因子)拮抗剤」を使用することによって,加齢性黄斑変性に対する治療効果があることを,実施例等その他合理的な根拠に基づいた説明がされることが必要となる。
 しかし,前記のとおり,本願明細書には,hVEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性に対し治療効果を有することを示した実施例等に基づく説明等は一切存在しないから,本願明細書の記載が,本願発明を当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されたものということができない。
 したがって,旧特許法36条4項に規定する要件を満たしていないと判断した審決に誤りはない。
(2) これに対し,原告は,本願明細書には,hVEGF拮抗剤の加齢性黄斑変性に対する治療作用を裏付ける程度の記載がされていると主張する。しかし,原告の同主張は,以下のとおり採用できない。すなわち,
ア 原告は,本願明細書には,加齢性黄斑変性が脈絡膜新血管新生によって特徴づけられることが明確に記載され,「脈絡膜新血管新生は予後の劇的な悪化を伴うので,本発明のVEGF拮抗剤は,AMD の重篤性の緩和において特に有用であると思われる」などと記載されていることから,当業者であれば,hVEGF拮抗剤が脈絡膜の血管新生を阻害することによって加齢性黄斑変性の治療に使用できることが理解できる旨を主張する。
 しかし,原告の主張は,以下のとおり失当である。
 前記のとおり,脈絡膜における血管新生にVEGFが関与していることは,本願の優先権主張日当時における技術常識として確立した事項ではなく,また,本願明細書には,この点を明らかにする試験結果等は何ら示されていない(上記(1)イ )。
 この点,本願明細書には,脈絡膜の血管新生によって特徴付けられる加齢性黄斑変性の重篤性の緩和においてVEGF拮抗剤が特に有用であると思われるとの記載がある。しかし,同記載は,本件特許の出願時に知られていた血管新生を促進する3種の因子の1つであるVEGFの拮抗剤を,加齢性黄斑変性の治療に利用する可能性があるということを超えては,意味を有しない。前記のとおり,本願明細書の記載及び本願の優先権主張日当時の技術常識を総合しても,脈絡膜における血管新生にVEGFが関与していることが何らの説明もされていない以上,同記載部分をもって,VEGF拮抗剤が加齢性黄斑変性の治療に有効であり,当業者が実施できる程度に明確かつ十分な記載であると解することはできない。
 したがって,本願明細書の「脈絡膜新血管新生は予後の劇的な悪化を伴うので,本発明のVEGF拮抗剤は,AMD の重篤性の緩和において特に有用であると思われる」との記載部分により,当業者であれば,hVEGF拮抗剤が脈絡膜の血管新生を阻害することによって加齢性黄斑変性の治療に使用できると理解するとの原告の主張は,採用できない。」

2012年7月1日日曜日

審判請求時にした明細書に対する補正は補正目的要件(旧特許法第17条の2第4項)の対象ではないと判断された事例


知財高裁平成24年6月26日判決
平成23年(行ケ)第10299号 審決取消請求事件

1.概要
 現特許法17条の2第5項には、拒絶査定不服審判請求時等において特許請求の範囲について補正する場合は、所定の目的とする補正のみが許されるという要件(補正目的要件)が規定されている。同様の条文は旧特許法第17条の2第4項に対応する。
「5 前二項に規定するもののほか、第一項第一号、第三号及び第四号に掲げる場合(同項第一号に掲げる場合にあつては、拒絶理由通知と併せて第五十条の二の規定による通知を受けた場合に限る。)において特許請求の範囲についてする補正は、次に掲げる事項を目的とするものに限る。
一  第三十六条第五項に規定する請求項の削除
二  特許請求の範囲の減縮(第三十六条第五項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)
三  誤記の訂正
四  明りようでない記載の釈明(拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものに限る。)」

 そして、特許法第53条には拒絶査定不服審判等において行った補正が補正目的要件を満たさない場合は補正は却下されると規定されている。

 上記の補正目的要件は「特許請求の範囲についてする補正」のみに適用されることは文言上あきらかである。
 本事例では、原告が審判請求時に明細書に対してのみ補正を行った。審判段階では、この補正が補正目的要件を満足しないと判断された。その補正が結果的に特許請求の範囲の解釈に影響を与えるものであるから、「実質的に特許請求の範囲についてする補正」であり、補正目的要件が課されるべきである、というのが被告(特許庁長官)の主張であった。
 裁判所は補正目的要件は条文の文言通り「特許請求の範囲についてする補正」のみに適用されることを明らかにした。被告の上記主張は根拠がないと判断した。

2.特許請求の範囲に記載された請求項1
「航空機のエンジンのパフォーマンスの記録を提供するためのシステムであって:
 前記航空機エンジンの動作に関係する航空機エンジンデータを収集するために前記航空機エンジンに取り付けられ,さらに無線通信信号を介して前記エンジンデータを送信するための送信機を有するエンジン監視モジュールであって前記航空機エンジンを追跡するための前記航空機エンジンのシリアル番号に結びつけられたデータアドレスを割り当てられているエンジン監視モジュールと,
 前記送信されたエンジンデータを受信するための受信機,
とを有することを特徴とするシステム。」

3.本件補正の内容
 原告は拒絶査定に対する不服審判請求時に明細書の段落0011に下線部を追加する補正(本件補正)を行った。
 「【0011】
 本発明のいま一つの側面では,エンジンデータを収集するためにFADEC/ECUが航空機エンジンとともに動作する。当該エンジン監視モジュールはエンジンデータを集めるために電気的にFADEC/EDUに接続される。好ましくは当該エンジン監視モジュールにデータアドレスが割り当てられ,該データアドレスは当該航空機エンジンを追跡する(track)ためのエンジンシリアル番号と結び付けられている。このデータアドレスは好ましくはインターネットアドレスを含んでいる。当該エンジン監視モジュールはまた,トランシーバの一部として,エンジン監視のために使われるさまざまなアルゴリズムを含むデータを機上処理のためにアップロードするための受信機をも含むことができる。」

4.審決での判断
 本件補正は,特許請求の範囲の減縮に当たらず,請求項の削除,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的としたものでもないから,平成18年法律第55号改正附則3条1項の規定によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法(以下「旧特許法」という。)17条の2第4項の規定に違反するとして却下した。

5.裁判手続きにおける被告(特許庁長官)の主張
「本件補正は,本願発明の「追跡する」との用語の意味を明確化するためにした補正であり,実質的に特許請求の範囲についてする補正である。また,本件補正は,不明りょうな記載の釈明を目的とする補正であるとしても,拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものではない。さらに,本件補正は,請求項の削除,特許請求の範囲の減縮,誤記の訂正のいずれを目的とするものでもない。
 したがって,旧特許法17の2第4項の規定に違反するとして,本件補正を却下した審決の判断に誤りはない。」

6.裁判所の判断のポイント
「審決は,本件補正は,特許請求の範囲の減縮に当たらない上,請求項の削除,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的としたものではないから,旧特許法17条の2第4項1号ないし4号のいずれにも該当しないとして,これを却下した。
 しかし,審決の上記判断には誤りがある。すなわち,旧特許法17条の2第4項は,特許請求の範囲についてする補正に係る規定であるところ,本件補正は,前記第2の3記載のとおり,明細書の段落【0011】の「追跡する」の後に,英語で追跡を意味する語である「track」を付け加えるものであって,特許請求の範囲についてする補正に当たらない。これに対し,被告は,本件補正は,実質的に特許請求の範囲についてする補正であり,旧特許法17条の2第4項が適用される旨主張するが,明細書の記載に係る補正に同条同項の適用があると解することはできず,主張自体失当である。
 したがって,審決の本件補正却下の判断には誤りがある。」

2012年6月24日日曜日

引用発明に周知技術の構成を組み合わせることが容易ではないと判断された事例


知財高裁平成24年6月6日判決
平成23年(行ケ)第10284号 審決取消請求事件

1.概要
 本件では、本件発明が進歩性なしと判断した無効審判審決が審決取消訴訟において取り消された。
 本件発明1と主たる引用発明との相違点(攪拌方式)は、甲第2号証および甲第3号証に開示された「周知技術」である。
 審決では、引用発明の攪拌方式に替えて周知の攪拌方式を採用することにより本件発明1に至ることは当業者にとり容易であると判断した。
 裁判所は、相違点に係る本件発明1の攪拌方式が周知であることは認めた。しかしながら、引用発明1に、甲第2号証および甲第3号証の開示事項を組み合わせることが容易であるか否かを具体的に検討した結果、組み合わせることが容易ではない、と判断した。
 審決では、引用発明1に、甲第2号証および甲第3号証の開示事項を組み合わせることがなぜ容易であるのかの具体的な検証は行われておらず、単に「周知技術だから組み合わせは容易である」と判断している。このような安易な判断が違法とされた。
 同様の判断は知財高裁平成24年1月31日判決平成23年(行ケ)第10121号 審決取消請求事件(本ブログ2012年2月12日記事参照)等にも見られる。こちらの事例では、副引用発明が「周知技術」であるからといって特許庁側の立証負担が軽減されるわけではないと判示されており興味深い。

2.本件発明1、引用発明、一致点と相違点
請求項1の発明(本件発明1)
「有機質廃物を経時的に投入堆積発酵処理する長尺広幅の面域の長さ方向の1側に長尺壁を設け,その他側は長尺壁のない長尺開放側面として成る大容積のオープン式発酵槽を構成すると共に,該長尺壁の上端面にレールを敷設し,該レールを回転走行する車輪と該長尺開放側面側の床面上を該長尺開放側面に沿い回転走行する車輪とを配設されて具備すると共に該オープン式発酵槽の長尺広幅の面域の幅方向に延びる回転軸の全長に亘り且つその周面に多数本のパドルを配設して成り,且つ堆積物を往復動撹拌する正,逆回転自在のロータリー式撹拌機を具備した台車を該オープン式発酵槽の長さ方向に往復動走行自在に設けると共に該オープン式発酵槽に対し,該長尺開放側面を介してその長さ方向の所望の個所から被処理物の投入堆積と発酵済みの堆肥の取り出しを行うようにしたことを特徴とするオープン式発酵処理装置。」

主引用刊行物に記載された発明(引用発明)
「有機性廃棄物を,発酵槽内に供給堆積して切返し撹拌することで,一定期間貯蔵して発酵させて堆肥化する発酵槽であって,
 発酵槽は二つの側壁と一つの端壁により三方を囲まれており,該発酵槽を挟んで端壁側とその向かい側に平行に走行レールがあって端壁側の走行レールは端壁上に敷設されており,
 走行レール間には,回転パドルを垂下する撹拌機を横行可能に備えた走行梁が,走行レールに沿って回転走行する車輪が設けられて走行可能にわたされており,
 発酵槽のブロック毎に有機質廃棄物の供給と堆肥の取り出しを自由におこない,滞留日数を独立に設定するようにした発酵槽。」

引用発明と本件発明1の一致点
「有機質廃物を経時的に投入堆積発酵処理する長尺広幅の面域の長さ方向の1側に長尺壁を設け,その他側は長尺壁のない長尺開放側面として成る大容積のオープン式発酵槽を構成すると共に,該長尺壁の上端面にレールを敷設し,該レール上を回転走行する車輪と該長尺開放側面側の床面上を該長尺開放側面に沿い回転走行する車輪とを配設されて具備する撹拌機を具備し,該オープン式発酵槽に対し,該長尺開放側面を介してその長さ方向の所望の個所から被処理物の投入堆積と発酵済みの堆肥の取り出しを行うようにしたことを特徴とするオープン式発酵処理装置。」

引用発明と本件発明1の相違点
 本件発明1の撹拌機が「オープン式発酵槽の長尺広幅の面域の幅方向に延びる回転軸の全長に亘り且つその周面に多数本のパドルを配設して成り,且つ堆積物を往復動撹拌する正,逆回転自在のロータリー式撹拌機を具備した台車を該オープン式発酵槽の長さ方向に往復動走行自在に設ける」ものであるのに対し,引用発明における撹拌機は,そのような特徴を有さない点。

3.審決における、引用発明と本件発明1の相違点に係る構成の容易想到性に係る判断
「家畜糞等の有機質廃物の発酵処理装置であって,発酵槽の幅方向に伸びて正逆回転可能な回転軸の全長にわたって多数本のパドルを有する攪拌機を,台車により発酵槽の長手方向に往復走行可能なようにした撹拌装置は,本件発明1の出願前に周知のものである。
・・・
したがって,引用発明において採用する撹拌方式に替え,上記周知の撹拌方式を採用することで本件発明1における発明特定事項に想到することは,当業者であれば容易になしうるところである。」

4.裁判所の判断のポイント
「したがって,本件出願当時,発酵槽の長尺方向の側壁ないし縁部にレールや溝を設けたり,あるいはレール等を設けずに単に走行路を設定して,発酵槽の上方を跨ぐような構造を有する台車がこの走行路を車輪で往復走行できるようにし,かつこの台車に,回転軸に撹拌のためのパドル等が取り付けられており,正回転,逆回転による回転動作(撹拌動作)が自在な撹拌機を搭載する程度までのことは,当業者の周知技術にすぎなかったということができる。そして,甲第2,第3号証に記載されたかかる周知技術と引用発明はその技術分野が共通であり,甲第2,第3号証に記載された発酵槽(処理槽,堆積槽)が,引用発明の発酵槽と同様に,内部を隔壁で物理的に区切らない単一槽であることまでは是認できる。
 しかしながら,甲第2号証には・・・台車を所望の位置に動かして,所望の範囲(領域)で撹拌動作を指定した頻度(回数)で行うことで,領域ごとに被処理物の滞留日数及び撹拌頻度を管理することは記載されていない。また,甲第3号証にも・・・台車を所望の位置に動かして,所望の範囲(領域)で撹拌動作を指定した頻度(回数)で行うことで,領域ごとに被処理物の滞留日数及び撹拌頻度を管理することは記載されていない。
 他方,前記のとおり,引用発明が解決しようとする課題は,発酵槽内を複数の領域に概念的,論理的に区切り,領域ごとに被処理物の滞留日数及び撹拌頻度を管理する点にあり(甲1の2頁左下欄10~16行),引用発明の撹拌機も,下記第1図のとおり,発酵槽(1)内からいったん移動通路(15)上に移動させた後,移動通路上を発酵槽の長尺方向に沿って他の領域の前(開口部側)まで移動させ,再度発酵槽内に移動させることによって,上記の領域ごとの被処理物の撹拌頻度の管理を可能にするものである。
 したがって,引用発明においては,撹拌機の構成と移動通路とは機能的に結び付いているものである。
 そうすると,引用発明の発酵処理装置の構成から移動通路(15)を省略し,かつ奥行き方向に往復して撹拌する撹拌機の構成を長尺方向にのみ往復移動しながら撹拌動作する甲第2,第3号証から認められる周知技術に係る撹拌機の構成に改め,同時に概念的,論理的に複数に区切られた発酵槽内の領域を,発酵槽開口部の所望の個所から被処理物の投入・堆積・取出しを行うことができるようにするべく,領域ごとに被処理物の滞留日数及び撹拌頻度を管理することができるようにすることは,甲第2,第3号証に表れる構成が当業者に周知のものであるとしても,本件出願当時,当業者において容易ではあったと認めることはできない。したがって,これと異なる「引用発明において採用する撹拌方式に替え,上記周知の撹拌方式を採用することで本件発明1における発明特定事項に想到することは,当業者であれば容易になしうるところである。」との審決の判断は誤りである。」

2012年6月21日木曜日

クレーム中の数値範囲の下限のみが規定されている場合の実施可能性が争われた事例


知財高裁平成24年6月13日判決
平成23年(行ケ)第10364号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は拒絶査定不服審判において実施可能性要件、サポート要件違反と判断されたものの、知財高裁にて審決が取り消された事例である。
 本願発明1は「モータ・ハウジングのポリマー材料が,該モータ・ハウジングに沿って流れるポンプ流体への該固定子からの熱の放散を容易にするために,熱伝導性で電気絶縁性の充填剤を少なくとも40重量%の量で含有する」という特徴を含む。
 裁判において被告(特許庁長官)は、上記の規定では、上限が規定されていないことから「100重量%近くの場合も含まれるところ,このような場合には,充填剤が40重量%であるマトリックス材料とはその材料構成が著しく異なり,当業者は,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを容易に実施し得ない」と指摘した。
 これに対して裁判所は、本願発明の「モータ・ハウジング」は「流体によって冷却される,比出力が高い電動モータ」として使用可能な程度に強度等を備えていることは当然の前提であり、被告の前提(100重量%近くも含む)は不合理である、と判断し、実施可能要件違反にはあたらないと判断した。

2.本願発明1
【請求項1】ポリマー材料で作製されて固定子を含むモータ・ハウジングを備えた流体冷却式電動モータであって,モータ・ハウジングの長さが当該モータ・ハウジングの外径の少なくとも2倍であり,該電動モータ・ハウジングの外表面に沿ってポンプ流体を流すポンプ部分を駆動し,/モータ・ハウジングのポリマー材料が,該モータ・ハウジングに沿って流れるポンプ流体への該固定子からの熱の放散を容易にするために,熱伝導性で電気絶縁性の充填剤を少なくとも40重量%の量で含有することを特徴とする電動モータ

3.審決の要点
 審決では本願発明が実施可能要件(特許法36条4項)およびサポート要件(同条6項2号)に違反すると判断した。具体的な理由のひとつは以下の通り。
「本願明細書【0007】に「熱伝導性を著しく増大させるために,充填剤の量は,少なくとも40重量%であるべきである。」と記載されているが,少なくとも熱伝導性の程度が明らかにされていない充填剤をポリマーに40重量%混合すると,なぜ,熱伝導性が著しく増大するのかその根拠が不明である(臨界的な効果があるのか,又は,充填剤の量を大きくすると問題が起きるのか等を明瞭にされたい。)」

4.被告(特許庁長官)の主張
 上記点に関する裁判段階での被告の主張は以下の通り。
「本願明細書【0007】の記載部分についてみると,マトリックス材料に対する充填剤の充填料は,40重量%以上であることのみ特定されているから,100重量%近くの場合も含まれるところ,このような場合には,充填剤が40重量%であるマトリックス材料とはその材料構成が著しく異なり,当業者は,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを容易に実施し得ない。
 また,マトリックス材料であるポリマー材料は,「液体エポキシ樹脂」が,充填剤は,「Al2O3細粉」が,それぞれ例として挙げられているが(本願明細書【0020】),エポキシ樹脂には様々のものがあり,その物性も異なるばかりか,Al2O3細粉の熱伝導性も,一義的に決まらないから,これらのポリマー材料に40重量%の充填剤を混合しても,全てのものの熱伝導性が著しく増大するとは推認できず,また,本願明細書及び図面にも,このことを裏付ける記載や示唆はなく,しかも,「液体エポキシ樹脂」や「Al2O3細粉」について,当業者が実施できる程度に具体化されたものも,記載や示唆がない。
 特に,ポリマー材料よりも熱伝導性の高い充填剤を混合する場合,充填剤の混合比率の増大に比例してその熱伝導率が増大すると考えるのが技術的に自然であり,特定の混合比率において熱伝導率が急変するとは推認し難いところ,本願明細書には,40重量%で熱伝導率が著しく増大する理由について何らの記載も示唆もない。
 よって,本願明細書では,充填剤の量を40重量%とすることで熱伝導率が著しく増大する理由が不明であるから,当業者が容易に実施できる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない。」

5.裁判所の判断のポイント
「3 本願明細書【0007】の記載部分について
(1) 原告は,本件審決が引用する本件拒絶理由が根拠不明であると指摘する本願明細書【0007】(前記1(2)オ)の「熱伝導性を著しく増大させるために,充填剤の量は,少なくとも40重量%であるべきである。」との記載部分が明瞭であって,法36条4項の規定に違反しない旨を主張する。
(2) そこで検討すると,前記2(2)に認定のとおり,本願明細書の記載によれば,本願発明及び本願明細書における「ポリマー材料」は,市販品として入手可能なデュロマーと充填剤(少なくとも40重量%)とを混合し,射出成形やドレンチングなどによって形成したものであるところ,当業者は,本願明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき,当該製造方法により上記「ポリマー材料」を製造し,もって本願発明を実施することができたものと優に認められる。
 したがって,前記(1)に引用の本願明細書【0007】の記載部分が意味するところは,明瞭であって,本願明細書は,当該記載部分が存在することによって,法36条4項に違反するというものではない。
(3) 以上に対して,被告は,本願発明の構成では充填剤の充填量が100重量%近くの場合も含まれる結果,モータ・ハウジングをどのようにして形成するのかを当業者が容易に実施し得ない旨を主張する。
 しかしながら,本願明細書の記載(前記1(2)キ。【0012】~【0015】)及び図1によれば,本願発明の「モータ・ハウジング」は,ポンプ及び電動マイクロモータ等を備える構造的な部材であることが明らかであって「流体によって冷却される,比出力が高い電動モータ」として使用可能な程度に強度等を備えていることは,当然の前提であるというべきであって,モータ・ハウジングを構成する「ポリマー材料」について,充填剤が100重量%近くとなり,主たる成分であるデュロマーをほとんど含まない材料を使用することは,それ自体,想定することが不合理な前提である。
 したがって,被告の上記主張は,それ自体不合理なものとして採用できない。
 また,被告は,本願発明の「ポリマー材料」となるデュロマー(液体エポキシ樹脂)の物性や充填剤(Al2O3の細粉)の熱伝導性が一義的に決まらないから,本願発明の作用効果が推認できず,デュロマーが40重量%以上含有されることで熱伝導率が著しく増大する理由(臨界性)が不明であるばかりか,液体エポキシ樹脂やAl2O3の細粉も当業者が実施できる程度に具体化されていない旨を主張する。しかしながら,作用効果の有無や,デュロマーの重量比が有する技術的意義は,いずれも本願発明の容易相当性の判断において考慮され得る要素の一つであるにすぎず,実施可能性とは直接関係がないばかりか,上記の液体エポキシ樹脂及びAl2O3の細粉の材料は,いずれも市販品として容易に入手可能である(甲21,22)から,これらの材料の詳細が本願明細書に示されていないからといって,当業者が本願発明を実施できなくなるものではない。」

2012年6月12日火曜日

拒絶査定不服審判請求書を却下する前に審判長が審判請求人に対して意思確認をしなかったことの違法性が争われ、違法性はないと判断された事例

知財高裁平成24年6月6日判決
平成24年(行ケ)第10061号 審判請求書却下決定取消請求事件

1.概要
 拒絶査定不服審判を請求する際に「請求の理由」を具体的に記載する時間がない場合、審判請求書(および場合により請求項を補正する手続補正書)のみを期限内に提出することがある。この場合、審判長は請求人に対し相当の期間を指定して、請求書について補正すべきことを命じなければならず(特許法133条1項)、請求人が当該補正命令により指定した期間内(通常は30日)に請求書の補正をしないときは、決定をもってその補正書を却下することができる。
 審判請求書の補正命令の応答期間内に請求書の補正をしない場合には、請求人に特許庁から電話で問い合わせがあり、審判を継続する意思の確認と、請求書を却下してよいかの確認が行われることが通常である。ただし、この運用は法律上担保されたものではない。
 本件事例では、審判請求人が、補正命令応答期間内に、審判請求の理由を記載するのに必要な実験データ等の入手等に手間取っているため審判請求の理由が記載できないこと、数ヶ月の猶予を与えてほしいことを示した上申書を提出した。
 審判長は補正命令応答期間後に請求人の意思を確認することなく審判請求書を却下した。
 裁判において原告(審判請求人)は上記取り扱いが通常の運用と異なっており違法である旨主張した。
 裁判所は審判請求書の却下に違法性はないと判断した。却下するか否かは審判長の裁量権の範囲内であり、上申書において原告は具体的な事情を説明していないこと等の事情を考えると違法と評価される理由はない、というのが裁判所の判断であった。

2.裁判所の判断のポイント
「1.認定事実
・・・
(1) 原告は,平成17年6月16日,発明の名称を「てんかんおよび関連疾患を治療するためのスルファメートおよびスルファミド誘導体」とする特許を出願したが(特願2007-516789。甲1の1),平成23年2月21日付けで,次の理由により本件拒絶査定を受けた(甲1の2)。
(2) 原告は,平成23年7月4日,本件事務所を代理人として,本件拒絶査定に対して本件審判を請求したが,その際,本件請求書の請求の理由欄には,「詳細な理由は追って補充する。」とのみ記載した(甲1の3)。
(3) 特許庁は,本件請求書を受理してこれに不服2011-14228号との事件番号を付し,特許庁長官により指定された本件審判長は,平成23年7月19日,特許法133条1項に基づき,本件事務所に対して本件指令書を発送したが,そこには次の記載があった(甲1の4)。
「この審判請求手続について,方式上の不備がありますので,この指令の発送の日から30日以内に,下記事項を補正した手続補正書(方式)を提出しなければなりません。
 上記期間内に手続の補正をしないときは,特許法第133条第3項の規定により審判請求書を却下することになります。
記
1.審判請求書の【請求の理由】の欄。
(注)請求の理由が正確に記載されていません。」
(4) 本件事務所は,平成23年8月18日,特許庁長官に対して本件上申書を提出したが,そこには,「上申の内容」として次の記載があった(甲1の5)。
「本件請求人は,当該請求の理由を記載するのに必要な実験データ等の入手等に手間取っているので,上記指定期間内には十分な請求の理由を記載できないと連絡して参りました。したがって,上記書面の提出期間について数ヶ月のご猶予を与えて戴きたく,ここに上申いたします。」
(5) 特許庁内部では,「審判事務機械処理便覧」という文書により,特許出願に対する拒絶査定不服審判請求について補正命令(特許法133条1項)を発した後,請求人からこれに対する応答がなかった場合,このことを確認した事務担当者は,審判長名の却下決定の文案を作成するが,これについて審判長による決裁(決定)を受ける前に,却下処分前通知書の発送を確認することとされているほか,却下処分前通知に先立って請求人からの上申書等が存在した場合には,却下処分前通知の発送を留保することとされている(甲12)。また,特許庁においては,特許出願に対する拒絶査定不服審判請求について補正命令(特許法133条1項)を発する場合,手続補正のための相当の期間として30日を指定する運用が行われているが,請求人から当該指定期間内に補正についての期間の猶予を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過しても直ちに請求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が提出されなくても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行われている(甲2~6,8,9)。
(6) しかるところ,本件審判の担当審判書記官は,原告又は本件事務所に対して,手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送し,あるいは電話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかった。そして,本件審判長は,平成23年9月30日,特許法133条3項に基づき,本件請求書を却下する決定をし(本件決定),その謄本は,同年10月24日,本件事務所に送達された(甲1の6,甲11,乙1)。
 決定書に記載された本件決定の理由は,次のとおりである。
「本件審判請求書には理由が無いから,審判長は期間を指定してその補正を命じた。しかし,審判請求人は指定された期間内にこれを補正しないので特許法第133条3項の規定により,本件審判請求書を却下すべきものとする。よって,結論のとおり決定する。」

2 本件決定の違法性について
(1) 特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に関する裁量について特許出願について拒絶をすべき旨の査定を受けた者は,その査定に不服があるときは,拒絶査定不服審判を請求することで特許査定又は拒絶査定の取消しを求めることができ(特許法121条1項,159条3項,51条,160条1項),その際,請求の理由等を記載した請求書を特許庁長官に提出しなければならない(同法131条1項3号)ところ,審判長は,請求書がこの規定に違反しているときは,請求人に対し,相当の期間を指定して,請求書について補正をすべきことを命じなければならず(同法133条1項),請求人が当該補正命令により指定した期間内に請求書の補正をしないときは,決定をもってその請求書を却下することができるとされている(同条3項)。そして,特許法は,審判長が上記決定をすべき時期については何ら規定していないところ,上記補正命令に基づく補正が上記相当の期間内にされない以上,あえて当該決定を遷延させることについて積極的な意義は見出し難い一方で,当該補正が当該相当の期間経過後にされた場合,当該補正を却下して請求書を却下する決定をしなければならない理由も見当たらない。したがって,審判長は,請求書を却下する決定の要件が充足したとしても,直ちに当該決定をしなければならないものではないというべきである。
 以上によれば,審判長は,特許法131条1項に違反する請求書について,同法133条1項に基づく補正命令により指定した相当の期間内に補正がされなかった場合,いかなる時期に同条3項に基づく当該請求書を却下する決定をするかについての裁量権を有しており,当該決定は,具体的事情に照らしてその裁量権の逸脱又は濫用があった場合に限り,違法と評価されるというべきである。
(2) 本件決定の時期と裁量権の逸脱又は濫用の有無について
ア これを本件についてみると,原告は,前記1(1)に認定のとおり,平成23年2月21日付けで,本件出願に係る明細書に実験データ等が記載されていないことなどから,本件出願に係る発明が引用文献に記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたことを理由とする本件拒絶査定を受けており,この時点で,当該実験データ等の入手が本件出願に係る発明について特許査定を受ける上で重要であり,拒絶査定不服審判を請求した場合の争点となることを認識していたものと認められる。
 原告代理人である本件事務所は,前記1(2)に認定のとおり,本件拒絶査定から約4か月を経過した平成23年7月4日,本件審判を請求したが,本件請求書の請求の理由欄には,「詳細な理由は追って補充する。」と記載するにとどまっているから,本件請求書は,請求の理由の記載がないものとして特許法131条1項3号に違反するものというほかない。
 これに対して,本件審判長は,前記1(3)に認定のとおり,平成23年7月19日,本件指令書を発送し,その発送から30日以内に本件請求書の請求の理由を補正するよう命令したが,本件事務所は,前記1(4)に認定のとおり,本件指令書が指定した期間の末日であり,本件拒絶査定から約6か月を経過した同年8月18日に至って,「実験データ等の入手等に手間取っている」ことを理由として,手続補正書の提出期間について数か月の猶予を求める旨を記載した本件上申書を提出するにとどまり,それ以上に,いかなる実験データ等をどのように入手するのかや,いかなる事情が理由となって当該実験データ等の入手等に更に数か月の時間を要するのかについて,何ら具体的な説明をしていないし,上記以外に本件請求書の請求の理由の補正について更なる期間の猶予を求める理由も説明していない。
イ 他方,特許庁内部では,前記1(5)に認定のとおり,「審判事務機械処理便覧」という文書により,特許法133条3項に基づく請求書の却下決定に先立って,請求人からの上申書等の有無や却下処分前通知書の発送を確認することとされているほか,請求人から,同条1項に基づく指定期間内に手続補正についての期間の猶予を求める上申書が提出された場合,審判長は,当該指定期間を経過しても直ちに請求書を却下する決定をするとは限らず,あるいはそのような上申書が提出されなくても,特許庁からの郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認を経てから,請求書を却下する決定をする運用が行われている。
 しかしながら,上記「審判事務機械処理便覧」という文書は,あくまでも事務担当者の便益のために特許庁内部における事務処理の運用を書面化したものであるにすぎず,特許法の委任を受けて請求人との関係を規律するものではないし,特許庁内部におけるその余の上記運用も,いずれも特許法に根拠を有する手続ではなく,実務上の運用として行われているにすぎないから,このような運用に従わない取扱いがされたからといって,そのことは,原則として当不当の問題を生ずるにとどまり,直ちに請求書の却下決定に関する時期についての裁量権の逸脱又は濫用となるものではない。
 そして,前記1(6)に認定のとおり,本件審判の担当審判書記官が,原告又は本件事務所に対し,手続補正書が提出されていない旨の通知(却下処分前通知)を郵送し,あるいは電話で手続続行の意思の有無を確認するなどしなかったことは,それ自体,拙速の感を免れず,上記「審判事務機械処理便覧」という文書の記載及び特許庁内部におけるその余の上記運用との関係では相当性を欠くことが明らかであったというほかない。しかしながら,本件決定に先立ってこれらの運用を経ていないとしても,前記アに認定の事実に照らせば,特許庁のそのような対応とは別に,原告は,補正に必要な実験データを入手し得る時期,その入手等に要する具体的な時間及びその時点において更に期間の猶予を求める必要があるのであればその理由を,いずれも進んで説明すべきであったというべきであって,特許庁から確認などを求められることがなかったからといって,その確認などを求められるまで補正を命じられた期間を徒過し得るわけではなく,そのことは,本件決定がその時期についての裁量権を逸脱又は濫用したとするに足りるものではない。
ウ 以上によれば,原告は,本件拒絶査定により本件審判における争点を認識しており,当該争点についての立証について,本件審判の請求まで約4か月,本件指令書により指定された補正のための指定期間の満了まで約6か月にわたる準備期間を与えられていながら,その立証準備の状況等について何ら具体的に説明をせずに当該指定期間を徒過していたのであるから,原告が外国法人であって,本件事務所との間の意思疎通について内国人よりも時間と費用を要することや,本件決定に先立って,郵便はがきによる却下処分前通知又は電話による手続続行の意思の有無の確認といった特許庁内部で行われていた運用に従った取扱いがされていなかったこと,そして,そのことから,仮に,本件事務所において自ら補正の理由書を提出するまで本件請求書が却下されることはないと期待していたとすれば,本件審判長がその期待を与えたことを考慮しても,本件審判長は,本件請求書を却下した時点において,当該決定を遷延させ,もって原告のために更に補正のための猶予期間を与える必要はなかったものというほかなく,本件拒絶査定から約7か月後であって当該指定期間の満了から43日後にされた本件決定は,審判長が有する請求書の却下決定をする時期についての裁量権を逸脱又は濫用したものとはいえない。」

2012年6月4日月曜日

進歩性主張のための追加実験データが参酌された事例

知財高裁平成24年5月28日判決
平成22年(行ケ)第10203号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例では、拒絶査定不服審判審決における進歩性無しという判断が、知財高裁により覆された。
 本願発明は腫瘍の抑制効果を有するベクターを対象とする。明細書にはこの効果がある旨記載されているが、それを確認した実験結果が数値に基づいて具体的には開示されていない。
 原告(出願人)は引用発明に対する有利な効果を証明するために、実験成績証明書等を追加提出した。
 審決は明細書の開示は単なる願望の表明に過ぎず、追加データを参酌する余地なしと判断した。
 一方知財高裁は、明細書には「曲りなりにも実験結果が記載されている」、「架空の実験を記載したものと断定することはできない」、「必要な実験をしなかったとする被告の主張は憶測の域を出るものでな」い、等の理由から、明細書の効果が確かに達成されることを示す証拠として追加実験データを参酌し、審決が違法であると判断した。明細書に開示してある効果は、たとえ具体的な数字が記載されていなくとも原則真実と推定し、記載された効果を裏付ける実験結果は進歩性肯定の資料として参酌しましょう、という判断が下されたと理解できる。

2.本願発明1
「細胞傷害性の遺伝子産物をコードする異種配列に機能的に連結されたH19 調節配列を含むポリヌクレオチドを含有する,腫瘍細胞において配列を発現させるためのベクターであって,前記腫瘍細胞が膀胱癌細胞または膀胱癌である,前記ベクター。」

3.引用発明との一致点、相違点
 審決が認定した引用発明1との一致点および相違点は以下の通り:
一致点
 「細胞傷害性の遺伝子産物をコードする異種配列に機能的に連結された調節配列を含むポリヌクレオチドを含有する,腫瘍細胞において配列を発現させるためのベクター」である点。
相違点(i)
 該調節配列が,本願発明1は,’H19’の調節配列であるのに対し,引用発明1は,H19の調節配列ではない点
相違点(ii)
 該腫瘍細胞が,本願発明1は,膀胱癌細胞又は膀胱癌であるのに対し,引用発明1は,膀胱癌細胞又は膀胱癌と特定されていない点

 審決では、本願優先日前に、調節配列としてH19調節配列は公知であったことなどを理由として、引用発明1から本願発明に至ることは容易であると判断した。

4.実験データ
 出願時明細書段落0078には、本願発明の効果を裏付ける試験結果として以下の通り記載されている。
「対照及び実験群の間で,腫瘍のサイズ,数及び壊死を比較する。シュードモナス毒素の発現は,マウスの実験群からの膀胱腫瘍内のH19の発現と同時局在化することがわかる。さらに,マウスの実験群の膀胱腫瘍は,マウスの対照群内の膀胱腫瘍に比べてサイズ及び壊死が減少している。」

 この部分は「現在形」で書かれており、具体的な数値は含まれていない。
 原告(出願人)は、段落0078記載の効果を具体的に示した実験成績証明書や、優先日後に出願人も筆者となって公開された、実験データを載せた論文を追加提出し、本願発明が、優先日当時の技術常識からは予測できない有利な効果を有することの立証を試みた。

5.追加実験データを参酌すべきでないという被告(特許庁長官)の主張
「本願当初明細書の実施例である9節(段落【0077】,【0078】)では,膀胱腫瘍モデルマウスにおけるH19調節配列を使用した遺伝子療法の一般的な方法が記載されているにとどまり,マウスに実際に投与する際の具体的手法等について記載されていない。実験結果についても,「マウスの実験群内の膀胱腫瘍は,対照群内の膀胱腫瘍と比較し,腫瘍の大きさが減少し壊死する」という記載がなされているにとどまり,具体的な腫瘍の計測結果や壊死の状況は一切記載されておらず,実験結果を客観的に確認できない。そして,9節では,他の実施例には存在する「結果と考察」欄が記載されていない上に,他の実施例では過去形で実験結果が記載されているのとは対照的に,現在形で実験結果が記載されており,実際に実験が行われたか疑問である。原告が真に実験を行っていれば,容易にその結果を本願当初明細書に記載できたはずであって・・・本願明細書の作用効果の記載(段落【0078】)は,いわば願望を記載したものにすぎない。原告が参考文献として提出する文献がいずれも本件出願後のものであるのは,この証左である。かかる具体性を欠いた記載をもって発明の作用効果を開示したものとすることは,何らの実験による確認無しに,憶測のみで多数の可能性について特許出願し,出願後に確認を行い初めて効果があると判明した部分について,その後参考文献や実験成績証明書と称してデータを提出することにより特許権を取得することを許す結果となって,出願当初から十分な確認データを開示する第三者との間に著しい不均衡を生じ,先願主義の原則にも悖るし,発明の公開の代償として独占権を付与する特許制度の趣旨に反する。」

6.追加実験データの参酌に関する裁判所の判断のポイント
「本願明細書の段落【0078】には,化学的に膀胱腫瘍を発症させたマウスに対し,H19調節配列を使用した遺伝子療法を施した実施例につき,「対照及び実験群の間で,腫瘍のサイズ,数及び壊死を比較する。シュードモナス毒素の発現は,マウスの実験群からの膀胱腫瘍内のH19の発現と同時局在化することがわかる。さらに,マウスの実験群の膀胱腫瘍は,マウスの対照群内の膀胱腫瘍に比べてサイズ及び壊死が減少している。」との記載があり(なお,最後の1文は,「膀胱腫瘍のサイズが減少し,膀胱腫瘍が壊死している」の誤りであることが明らかである。),本願発明1のベクターによって,マウスを使用した膀胱腫瘍に対する実験で,対照群に対して膀胱腫瘍の大きさが有意に小さくなり,腫瘍細胞の壊死が見られた旨が明らかにされている。
 そして,上記に加えて,本願発明1の発明者らも執筆者として名を連ねている論文である「The Oncofetal H19 RNA in human cancer, from the bench to the patient」(Cancer Therapy3巻,2005年(平成17年)発行,審判での参考資料1,甲10)1ないし18頁には,H19遺伝子調節配列を用いたベクターの効果について,①膀胱癌(腫瘍)を発症させたマウスにジフテリア毒素を産生する遺伝子(DT-A)等を誘導するプロモーターを使用したベクターを投与したところ,対照のマウスに対して腫瘍の平均重量が40%少なかったこと,②ヒト膀胱癌(腫瘍)を発症させたヌードマウスにDT-Aを誘導するプロモーターを使用したベクター(DTA-H19)を投与したところ,投与しない対照のマウスが腫瘍の体積を2.5倍に拡大させたのに対し,腫瘍の増殖速度が顕著に小さく,広範囲の腫瘍細胞の壊死が見られたこと,③膀胱癌(腫瘍)を発症させたラットに上記ベクターDTA-H19を投与したところ,対照のラットに対して腫瘍の大きさの平均値が95%も小さかったこと,④難治性の表層性膀胱癌(腫瘍)を患っている2人の患者に経尿道的に上記ベクターDTA-H19を投与したところ,腫瘍の体積が75%縮小し,腫瘍細胞の壊死が見られ,その後14か月(1人については17か月)が経過しても移行上皮癌(TCC)が再発しなかったことが記載されている。また,原告が提出する参考資料である「1.1 Compassionate Use Human Clinical Studies」と題する書面(審判での参考資料2,甲11)及び本願発明1の発明者らも執筆者として名を連ねている論文「Plasmid-based gene therapy for human bladder cancer」(QIAGENNEWS 2005,審判での参考資料4,甲13)にも,上記④と概ね同様の効果に係る記載がある。
 本願明細書の段落【0078】には,具体的に数値等を盛り込んで作用効果が記載されているわけではないが,上記①,②は上記段落中の本願発明1の作用効果の記載の範囲内のものであることが明らかであり,甲第10号証の実験結果を本願明細書中の実験結果を補充するものとして参酌しても,先願主義との関係で第三者との間の公平を害することにはならないというべきである。
 そうすると,本願発明1には,引用例1,3ないし6からは当業者が予測し得ない格別有利な効果があるといい得るから,前記(1)の結論にもかんがみれば,本件優先日当時,当業者において容易に本願発明1を発明できたものであるとはいえず,本願発明1は進歩性を欠くものではない。」

「被告は,本願明細書の9節では,他の実施例には存在する「結果と考察」欄が記載されていない上に,他の実施例では過去形で実験結果が記載されているのとは対照的に,現在形で実験結果が記載されているし,原告が真に実験を行っていれば,乙第6号証のように容易にその結果を本願当初明細書に記載できたはずであって,作用効果の記載(段落【0078】)は,いわば願望を記載したものにすぎない旨を主張する。
 確かに,本願明細書(甲7)の他の実施例に係る8,10,11節中には「結果と考察」欄がある一方,9節には同欄がなく,9節では現在形で実験結果が記載されている。しかしながら,段落【0078】を含む9節には曲がりなりにも実験結果が記載されているのであって,記載中の項目立ての体裁や文章の時制が異なるからといって,架空の実験を記載したものと断定することはできない。また,本願発明1の発明者らも執筆者に名を連ねている論文「USE OF H19 REGULATORYSEQUENCES FOR TARGETED GENE THERAPY IN CANCER」(Int. J. Cancer98巻,2002年(平成14年)発行,乙6)645ないし650頁には,膀胱癌(腫瘍)を発症させたマウスにジフテリア毒素を産生する遺伝子(DT-A)等を誘導するプロモーターを使用したベクター(DTA-PBH19)を投与したところ,対照のマウスに対して腫瘍の平均重量が40%少なく,平均体積も40%小さかったことが記載されており,これは前記(2)の④の実験結果と同趣旨のものである(なお,甲第10号証は2002年に発表した実験結果を引用している。)。しかしながら,かかる論文が存在するからといって,本願発明1の発明者らが,本件優先日当時に本願発明1のベクターを用いた実験を行っておらず,乙第6号証記載の実験がされるまで必要な実験をしなかったとする被告の主張は,憶測の域を出るものではなく,これを採用することはできない。」

2012年5月28日月曜日

主引用文献に課題が示されていないことを理由に進歩性が肯定された事例/用途限定が物の発明を区別する構成要件と認定された事例

知財高裁平成24年5月23日判決
平成23年(行ケ)第10249号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例では進歩性、同日出願発明に対する同一性等について争われた。
 進歩性判断は審決、判決ともに肯定的であり、特許を維持する判断がされた。具体的には、土木用シートに関する主引用発明(引用発明1-1)に、漁網に関する副引用発明(引用例2)の開示事項が適用可能であるか否かが争われた。引用例2に開示された、生分解性の付与という課題は繊維分野の当業者にとって「自明な課題」であり、引用発明1-1においても同様の課題を認識することは当然である、と判断できる可能性もあったように思われるが、審決、判決ともに技術分野と課題を「狭く」解釈し、引用発明1-1に引用例2の開示事項を適用することは容易ではないと判断した点で参考になる。

 発明の同一性については「土木用」という本件発明の用途限定が、防虫用シート等の「農業用」に限定された引用例3の発明と区別する要素になりうるかが争われた。判決は、土木用と農業用とでは使用の態様が異なることは自明であるから、両発明は区別可能であると判断した。土木用と農業用とでは使用される態様が異なる、とうのがその理由であるが、裁判所はもう少し具体的に理由を説明すべきではないかと感じられた。

2.進歩性について
2.1.本件発明
「一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上であるモノフィラメント及び/又はマルチフィラメントの複数本からなる生分解性土木用の溶融紡糸による繊維集合体」

2.2.引用発明1-1(進歩性主引用発明)
「耐摩耗性糸条によつて織成された土木用シートであって,該耐摩耗性糸条は,長手方向に走行する複数本の単糸と該単糸を囲繞すると共に該単糸相互間を固着する合成樹脂とからなる土木用シートであって,上記単糸はポリエステル系フィラメントであり,上記合成樹脂はポリ塩化ビニルである,土木用シート」

 本件発明と引用発明1-1との一致点:ポリエステルを主成分とするマルチフィラメントの複数本からなる土木用の溶融紡糸による繊維集合体

 本件発明と引用発明1-1との相違点:上記の,ポリエステルを主成分とするマルチフィラメントの複数本からなる土木用の溶融紡糸による繊維集合体が,本件発明では,一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上であるマルチフィラメントからなる生分解性の繊維集合体であるのに対し,引用発明1-1では,ポリエステルを主成分とする生分解性でない織成されたシートである点

2.3.引用例2(進歩性副引用発明)
「請求項1:分解性高分子をその構成素材としたことを特徴とする漁網
・・・請求項3:分解性高分子がポリ乳酸であることを特徴とする請求項1記載の漁網」

 引用例2には、漁網において、不要時の処分に関する問題(環境汚染の問題)を解決するために、その素材を生分解性のポリ乳酸とすることが記載されている。

2.4.争点
 引用発明1-1におけるポリステルとして、ポリ乳酸を使用することが容易に想到可能であるか否かが争われた。特に、漁網に関する文献である引用例2に開示された、素材を自然に分解させるためにポリ乳酸を使用するという事項を、土木用シートに関する引用発明1-1に適用可能であるか否かが争われた。
 審決では容易には想到できず進歩性ありと判断された。
 裁判所も同様に審決の判断を支持した。

2.5.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「ウ 容易想到性について
 上記のとおり,引用例2には,従来,漁網を構成する素材としては安価な強度的に優れるポリアミド系,ポリエステル系,ポリエチレン系等の合成繊維糸が用いられているが,自然の環境下において極めて安定であり,長期にわたってその強度を維持するために,不要時の処分に困難を来し,環境汚染の原因となっていること,また,漁網をポリ乳酸等の分解性高分子により構成したため,水中に放置しておよそ数か月から1年以上経過後にはモノマー化し,最終的には微生物の餌となって消失してしまうことから,従来のような放置に伴う環境汚染の問題を生じないことが記載されている。
 しかし,引用例2に,漁網において,不要時の処分に関する課題を解決するために,その素材をポリ乳酸とすることが記載されているとしても,土木用シートについては何ら記載も示唆もないから,上記引用例2の記載は,土木用シートに関する引用発明1-1及び引用発明1-2において,不要時の処分に関する課題が存在することを示すものではない。しかも,引用発明1-1及び引用発明1-2において,素材を自然に分解させたいという課題はないから,そのような課題を解決するために素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもない。
 以上のとおりであるから,引用発明1-1において,単糸の素材をポリ乳酸とする動機付けがあるということはできず,また,引用発明1-2において,マルチフィラメントの素材をポリ乳酸とする動機付けがあるということはできないから,本件発明と上記発明との相違点が,当業者が容易に想到することができたものとはいえない。
エ 原告の主張について
(ア) 原告は,動機付けの存否は主引用例のみで判断するのではなく,副引用例等の他の証拠や技術常識及び周知技術に基づいても判断しなければならないところ,本件において環境破壊を防止するために生分解性のポリ乳酸を採用しようとの動機付けは,引用例2に記載されており,本件審決の判断は誤りであると主張する。
 しかし,引用例2の記載は,土木用シートに関する引用発明1-1及び引用発明1-2において,素材を自然に分解させたいという課題が存在することを示すものではなく,そうすると,上記発明において,そのような課題を解決するために,素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもない。

(イ) 原告は,引用例2の用途が漁網であって土木用途ではないとする本件審決の認定判断は,一致点に関するものであるから,相違点の検討で持ち出すべき事項ではなく,論理性においても誤りであると主張する。
 しかし,引用例1に記載された発明に,引用例2に記載された事項を適用することの容易想到性を判断する際に,両者の用途の関連性を検討すること自体に問題はなく,論理性においても誤りとはいえないから,原告の主張は採用できない。
(ウ) なお,原告が主張する引用例1に記載された発明において,素材を自然に分解させたいという課題が存在することを示すものではなく,そうすると,上記発明において,そのような課題を解決するために,素材をポリ乳酸とする動機付けが存在することを示すものでもないことは,上記と同様であり,上記発明に基づいて,本件発明を容易に想到することはできない。
」

3.同日出願発明との同一性について
3.1.引用例3(同一出願人による同日出願の請求項に記載の発明)
「一般式-O-CHR-CO-(但し,RはHまたは炭素数1~3のアルキル基を示す)を主たる繰り返し単位とする脂肪族ポリエステルを主成分とする下記a群の用途の中のいずれかである生分解性農業用モノフィラメント及び/又はマルチフィラメント繊維集合体
a群
防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布,農業用ネット,農業用ロープ」

3.2.対比
本件発明と引用例3の発明との一致点:モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントの複数本からなる生分解性の溶融紡糸による繊維集合体

相違点①:上記モノフィラメント及び/又はマルチフィラメントが,本件発明では,「一般式-O-CH(CH3)-CO-を主たる繰り返し単位とするポリ乳酸を主成分とする」ものであり,「切断強度0.1GPa以上,切断伸度5%以上であり,且つヤング率が0.5GPa以上」のものであるのに対し,引用例3の発明では,「一般式-O-CHR-CO-(但し,RはHまたは炭素数1~3のアルキル基を示す)を主たる繰り返し単位とする脂肪族ポリエステルを主成分とする」ものであり,切断強度,切断伸度及びヤング率が特定されていないものである点

ウ 相違点②:本件発明は,用途が「土木用」であるのに対して,引用例3の発明は「農業用」であり,「a群 防虫用シート,遮光用シート,防霜シート,防風シート,農作物保管用シート,保温用不織布,防草用不織布,農業用ネット,農業用ロープ」の用途の中のいずれかである点

3.3.争点
 相違点②が、実質的な相違点となるか否かが争われた。審決、判決ともに実質的な相違点であり両発明は同一でないと判断した。

3.4.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「ア 前記(2)ウの相違点②について,土木用と農業用では,繊維集合体の使用の態様が異なることは当業者において明らかであるから,相違点②は実質的な相違点である。
 したがって,相違点①について検討するまでもなく,本件発明は,引用発明3の発明と同一の発明であるとはいえない。
イ 原告の主張について
 原告は,土木用繊維集合体も農業用繊維集合体も,養生シートとして用いられるから,使われ方も同一であるのに,本件審決は,農業用養生シートは何の養生に用いられるのかに関して何らの認定判断もしていない結果,その判断を誤ったと主張する。
 しかし,具体的に何の養生に用いられるかを示すまでもなく,土木用と農業用では,養生シートの使用の態様が異なることは,当業者において明らかである。本件審決が,農業用について何の養生に用いられるか認定判断していないとしても,そのことは,上記発明の同一性の判断に影響を及ぼすものではない。」

複数の薬剤の併用医薬の新規性について争われた事例

知財高裁平成23年4月11日判決
平成23年(行ケ)第10148号 審決取消請求事件

1.概要
 本件発明1は複数の薬剤を組み合わせたことを特徴とする、用途が限定された医薬に冠する。
「(1)ピオグリタゾンまたはその薬理学的に許容しうる塩と,(2)アカルボース,ボグリボースおよびミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病または糖尿病性合併症の予防・治療用医薬」

 本件発明1等の新規性が争われた。
 引用文献である引用例3には、本件発明1の有効成分を併用した場合の相乗的効果までは確認されていないものの、図面等や技術常識から、少なくとも相加的効果を期待して両者を併用することが記載されていると裁判所は認定した(審決では併用することが記載されていないという前提で新規性を判断し、特許は有効と判断していた)。
 裁判所はさらに、本件明細書に開示されている実験結果等が本件発明1の薬剤の組み合わせの相乗的効果を立証するものではないことから、本件発明1は引用例3に対して格別顕著な効果を有することも認められず、本件の効果を考慮して新規性を肯定することもできないと判断した。相乗的効果を証明するために被告が提出した追加の実験成績証明書は、参酌すべき基礎が明細書に見出せないことを理由に参酌されなかった。

 本件において、仮に明細書中の実験データが相乗的効果を証明するに十分なものと裁判所が認めた場合には、相加的効果以上の効果を示唆しない引用例3だけでは本件発明1の新規性は否定されなかったと考えられる。「格別顕著な効果」は一般的には進歩性判断の際に考慮される事項であるが、本件発明1のように選択発明に類似した発明の場合は新規性の判断においても考慮される。この考えは、選択発明の新規性について争われた昭和62年9月8日判決東京高等裁判所昭和60年(行ケ)第51号(本ブログ2010年8月20日記事にて紹介)において明示的に表されている。

2.裁判所の判断のポイント
「(2) 引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の作用効果について
・・・・本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,いわゆる相乗的効果の発生を予測することはできないものの,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認めることができる。
 よって,当業者は,ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との作用機序が異なる以上,両者の併用という引用例3の図3に記載の構成を有する発明の作用効果として,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものといわなければならない。
イ 他方,本件各発明は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせた糖尿病又は糖尿病性合併症に対する予防・治療薬であるところ,本件明細書には,前記1(1)クに記載のとおり,塩酸ピオグリタゾンとボグリボースとの併用投与の実験についての記載がある。そして,その結果をみると,対照群(薬物投与なし)のラットから14日後に得られた血漿グルコース濃度は,345±29mg/dl であり,ヘモグロビンA1は,5.7±0.4%であるのに対し,塩酸ピオグリタゾン及びボグリボース併用投与群のラットでは,結晶グルコース濃度は,114±23mg/dl であり,ヘモグロビンA1は,4.5±0.4%であるから,併用投与群において投与後に血漿グルコース濃度及びヘモグロビンA1が相当程度減少したことが一応示されているということができる。
 もっとも,上記実験においては,併用投与群のラットは,いずれも各単独投与群が投与された塩酸ピオグリタゾン及びボグリボースの各用量をそのまま併用投与されているため,結果として最も大量の糖尿病治療薬を摂取していることになるばかりか,ラットからの血液採取が各薬剤の14日目の最後の投与から何分後にされたのかが不明であるから,上記実験結果の数値の評価は,相当慎重に行わなければならない。
 そうすると,以上の数値にもかかわらず,前記アに認定のとおり,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,作用機序の異なるピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与により,両者のいわゆる相加的効果が得られるであろうことを想定するものと認められるのであって,本件明細書に記載の塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与の実験結果は,両者の薬剤の併用投与に関して当業者が想定するであろういわゆる相加的効果の発現を裏付けているとはいえるものの,それ以上に,両者の薬剤の併用投与に関して当業者の予測を超える格別顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)を立証するには足りないものというほかない。
ウ 以上によれば,引用例3の図3に記載の発明及び本件各発明の血糖値の降下に関する各作用効果は,いずれもピオグリタゾン又はその薬理学に許容し得る塩とアカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを併用投与した場合に想定されるいわゆる相加的効果である点で共通するものと認められる。」

「(3) 本件発明1等の新規性について
 以上のとおり,引用例3の図3には,「ピオグリタゾン又はその薬理学的に許容し得る塩と,アカルボース,ボグリボース及びミグリトールから選ばれるα-グルコシダーゼ阻害剤とを組み合わせてなる糖尿病又は糖尿病性合併症の予防・治療薬」という構成の発明が記載されているものと認められ,当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該発明について,両者の薬剤の併用投与によるいわゆる相加的効果を有するものと認識する結果,ピオグリタゾン等の単独投与に比べて血糖低下作用が増強され,あるいは少量を使用することを特徴とするものであることも,当然に認識したものと認められるほか,下痢を含む消化器症状という副作用の軽減という作用効果を有することも認識できたものと認められる。
 したがって,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきであって,これらの発明は,いずれも特許出願前に頒布された刊行物に記載された発明(特許法29条1項3号)であるというほかない。」

「(4) 被告の主張について
ア 被告は,本件優先権主張日当時,糖尿病の薬物治療においては,異なる作用機序の薬剤を併用して用いれば例外なく,相加的又は相乗的な効果が必ずもたらされるとは認識されていなかったところ,引用例3には,その執筆者の陳述書(乙24)からも明らかなとおり,将来のあり方(期待や可能性)が記載されているにとどまり,乙17(甲22)の記載からも明らかなとおりインスリン感受性増強剤と他の血糖降下剤との併用が技術的思想として確立していたとはいえないから,特許性を論じる場合に必要とされる「併用効果」の記載がない一方で,本件明細書には,ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与が単独投与よりも優れているという当該「併用効果」の記載があるし,乙20ないし23はこれを裏付けるものである旨を主張する。
イ しかしながら,前記(1)ウに認定のとおり,作用機序が異なる薬剤を併用する場合,通常は,薬剤同士が拮抗するとは考えにくいから,併用する薬剤がそれぞれの機序によって作用し,それぞれの効果が個々に発揮されると考えられる。そのため,併用投与によりいわゆる相乗的効果が発生するか否かについての予測は困難であるといえるものの,前記(2)アに認定のとおり,引用例1ないし4及び乙17(甲22)の記載によれば,本件優先権主張日当時の当業者は,これらの作用機序が異なる糖尿病治療薬の併用投与により,少なくともいわゆる相加的効果が得られるであろうことまでは当然に想定するものと認められる。したがって,被告の前記主張は,その前提に誤りがある。
 また,引用例3の作成者は,引用例3について,作用機序が異なる薬剤の併用の可能性を概説したものにすぎない旨の陳述書(乙29)を提出しているが,作成者の意図はともかくとして,前記(1)エ及び(2)アに認定のとおり,引用例3の図3に接した当業者は,本件優先権主張日当時の技術常識に基づき,当該図3にいう前記「併用」との文言がNIDDM患者に対するピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤との併用投与という構成を示すものであって,これらの薬剤がそれぞれ有する別個の作用機序によりいわゆる相加的効果としての血糖値の降下という作用効果が発現することなどを認識したものと認められる。したがって,前記(3)に認定のとおり,引用例3の図3には,本件発明1等の構成がいずれも記載されており,本件優先権主張日当時の技術常識を参酌すると,その作用効果又は作用効果に関わる構成もいずれも記載されているに等しいというべきである。
 また,前記1(3)オに記載の乙17(甲22)の試験結果は,インスリン感受性増強剤であるトログリタゾンをSU剤又はビグアナイド剤と併用投与した場合,SU剤又はビグアナイド剤の単独投与よりも血糖調節に改善がみられることを明らかにしているというべきであって,併用投与によるいわゆる相乗的効果を立証するものではないものの,インスリン感受性増強剤とそれとは異なる作用機序を有する血糖降下剤との併用投与について否定的な評価をもたらすものではない。
 さらに,前記(2)イに認定のとおり,本件明細書は,塩酸ピオグリタゾンとα-グルコシダーゼ阻害剤であるボグリボースとの併用投与による作用効果についても,当業者が想定するであろういわゆる相加的効果を明らかにする余地があるにとどまり,当業者の予測を超える顕著な作用効果(いわゆる相乗的効果)や,あるいは原告の主張に係る「併用効果」なるものを立証するに足りるものではない。したがって,本件明細書には,本件各発明の作用効果の顕著性を判断するに当たり,被告が援用する乙20ないし23(被告所属の技術者が作成した実験成績証明書等)の記載を参酌すべき基礎がないというほかない。」

2012年5月19日土曜日

明細書中での効果の開示の程度と進歩性との関係が議論された事例

知財高裁平成24年5月7日判決
平成23年(行ケ)第10091号 審決取消請求事件

1.概要
 引用発明に対する進歩性に関して引用発明との相違点が本願発明では有利な効果をもたらすことを強調する場合に、実験結果等の裏づけが明細書中に開示されていることが必要となる場合がある。
 本事例では無効審判審決において進歩性が認められ特許は維持された。これに対して知財高裁は、明細書中に効果を具体的に確認した記述がないことを理由として進歩性を否定する結論を下した。

2.本件発明1
「混合物中に,活性成分として,〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸 半-カルシウム塩および,少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定性によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物。」
(注:〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸」を「CI-981」ということがある。「半-カルシウム塩」,「半カルシウム塩」,「半カルシウム」及び「ヘミカルシウム塩」は同義である。)

3.先行技術との関係
ア 甲1発明
「HMG-CoAレダクターゼ抑制であるプラバスタチン,及び,酸化マグネシウム及び水酸化マグネシウム等の塩基性化剤を含有する安定性良好な医薬組成物。」
イ 本件発明1と甲1発明との一致点
「活性成分として,HMG-CoAレダクターゼ抑制剤および少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定化によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物」という点
ウ 本件発明1と甲1発明との相違点
「使用するHMG-CoAレダクターゼ抑制剤が,本件発明1はCI-981半カルシウム塩であるのに対して,甲1発明はプラバスタチンである点。」
エ 甲2発明
「HMG-CoAレダクターゼを抑制し,高コレステロール血症の治療に用いられる薬剤として〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フエニルアミノ)カルボニル〕-1H-ピロール-1-ヘプタン酸ヘミカルシウム塩」
ただし、甲2には、開環型である、本件発明1で用いられるCI-981ヒドロキシカルボン酸塩だけが掲示されているわけではなく、閉環型であるCI-981ラクトン体も同様に使用可能であることが開示されている。
オ.争点
甲1発明の有効成分を、甲2発明に言及されているCI-981半カルシウム塩に置換すすることにより本願発明を完成させることが容易であるか否か。

4.審決の判断
「甲第2号証公報の明細書におけるその他の,開環型の化合物又はラクトン型の化合物の何れかに言及した記載・・・(略)・・・をつぶさに検討しても,全て並列的或いは同等なものとして記載しており,どちらのタイプがより好ましいとか有利であるとかといった示唆を読み取ることはできないものである。
 したがって,甲第2号証の記載からは,開環型の形態とすることについて何らかの示唆がなされているとすることはできないものである。」

5.裁判所の判断のポイント
「このように,本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が「もっとも好ましい化合物」として記載されている。そして,他にも,CI-981半カルシウム塩が有利な化合物であるかについての本件明細書の記載として,「特に重要な化合物」(第10欄39~43行)であり,「もっとも好ましい活性な化学成分」(第19欄44~46行)であるという抽象的な記載があるものの,開環型であるCI-981半カルシウム塩とラクトン型とを比較して,開環型の方が何らかの有利な効果を有するものであることを具体的に明らかにしているわけではなく,逆に「実際に,塩形態の使用は,酸またはラクトン形態の使用に等しい。」(第16欄3~4行)との記載もあるところである。」
「・・・審決が判断の前提としたように,CI-981半カルシウム塩がラクトン体に比べて有利な化合物であり,そのことは本件発明において見出された,と評価することはできないのであり,本件発明1は,単に「最も好ましい態様」としてCI-981半カルシウム塩を安定化するものと認めるべきである。
 したがって,甲1発明との相違点判断の前提として審決がした開環ヒドロキシカルボン酸の形態におけるCI-981半カルシウム塩についての認定は,本件発明1においても,また甲2に記載された技術的事項においても,硬直にすぎるということができる。この形態において本件発明1と甲2に記載された技術的事項は実質的に相違するものではなく,この技術的事項を,甲1発明との相違点に関する本件発明1の構成を適用することの可否について前提とした審決の認定は誤りであって,甲1発明との相違点の容易想到性判断の前提において,結論に影響する認定の誤りがあるというべきである。
5 被告の主張について
 被告は,本件発明1のCI-981半カルシウム塩は,塩の形態のヒドロキシ酸部分のほかピロール環,アミド結合等を有しており,その不安定性を構造のみから予測することは困難であり,この化合物が,熱,湿気,および光による不安定化,製剤中の他の成分の分子部分と接触することによる不安定化など種々の不安定化要因を抱えていることは,実験してみなければ知り得ないことであり,この課題は,CI-981半カルシウム塩を製剤化する上での問題点として,本件明細書により初めて明らかにされたものであり,出願時に公知の課題として存在していたものではなかったと主張する。しかし,本件明細書には,実施例4~7として,CI-981半カルシウム塩製剤を45℃又は60℃で2週間および4週間貯蔵した後の薬剤残留%について測定した実験について記載されているものの,この実験における薬剤の喪失が具体的にいかなる原因や化学変化によるものであるかの解析,すなわち,熱,湿気,光,製剤中の他の成分の分子部分との接触など種々の要因による不安定化のそれぞれの要因ごとに,本件発明の「安定化金属塩添加剤」なる成分がどのように働いて安定化するかについての具体的な検討は,されていない。したがって,被告の上記主張は本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。被告は,CI-981について臨床試験中という事実が存在しても,CI-981が医薬として製剤化する対象となりうるかどうかは全く不確定な状態にあるから,「治験薬物として使用されたこと」が直ちに「製剤化する場合の原薬として好ましい形態」として開発対象となるとはいえないとか,CI-981開環体あるいはCI-981半カルシウム塩が臨床試験中という事実を知り得たとしても,当業者はその形態をすぐさま製剤原薬として採用し,かつ,安定化された経口治療用医薬組成物を製造しようとすることを動機づけられるものではないと主張する。これらの主張が成立するためには,本件発明の医薬組成物に含まれるCI-981半カルシウム塩が,特にこれを選んで製剤化対象とする程度に,ラクトン体のような他の形態の化合物と比較して医薬として優れていることが本件明細書において具体的に確認されていることが前提として必要となる。しかし本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が他の形態と比較して優れているかについて具体的な記載はなく,ただ抽象的に「好ましい」などと記載されているにすぎない。したがって,被告のこの主張は,本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。」