2025年3月9日日曜日

特許権侵害訴訟において数値限定発明の構成要件充足性と均等侵害が争われた事例(知財高裁控訴審)

知財高裁令和7年3月4日判決
令和6年(ネ)第10026号 特許権侵害行為差止等請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所令和4年(ワ)第9521号
 
1.概要
 本判決は、特許権侵害訴訟の控訴審の知財高裁判決である。
 控訴人(原審原告)が有する本件特許の請求項1に係る発明(本件発明1)は熱可塑性樹脂組成物に関するものであり、「ヒドロキシフェニルトリアジン骨格を有する、分子量が700以上の紫外線吸収剤」を構成要件として含む(構成1B)。
 一方、被控訴人(原審被告)による被告製品は、分子式C4257で表される化合物を紫外線吸収剤(判決文中では「UVA」と略称される)として含む。被告製品中のUVAの分子量は699.91848である。このため、構成1Bの「700以上」の充足性、及び、均等侵害の成立について争点となった。
 大阪地裁での原審では、文言侵害について、「当業者において、UVAの分子量を、算出された分子量を丸めて整数値とすることが技術常識であると認めることもできない」ことなどを理由に、被告製品は構成1Bを充足しないと判断した。また、均等侵害については、「数値をもって技術的範囲を限定し(数値限定発明)、その数値に設定することに意義がある発明は、その数値の範囲内の技術に限定することで、その発明に対して特許が付与されたと考えられるから、特段の事情のない限り、その数値による技術的範囲の限定は特許発明の本質的部分に当たると解すべきである」と判示し、均等の第1要件を満たさないとして均等侵害の成立を否定した。地裁判決については当ブログの2024年3月17日記事参照(https://benrishie.blogspot.com/2024/03/blog-post.html)。
 知財高裁は、文言侵害について、「本件で問題となっている(紫外線吸収剤の分子量)「700以上」という数値範囲は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら定めたものであり、特許発明の技術的範囲(独占の範囲)に属するものと属さないものを、一線をもって区分する線引きにほかならない。そうである以上、上記数値範囲の下限である「700」は、切り下げられた小数点以下の端数も、切り上げられた小数点以下の端数も持たない、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当である。」として、被告製品は構成1Bを充足しないとの結論を維持した。また、均等侵害については、地裁判決と異なり、「上記分子量の相違は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと解される」として、均等の第1要件は満たすと判断した一方で、「下限値「700」をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当」であるとして、均等の第5要件を満たさないため、均等侵害の不成立の結論を維持した。
 
2.裁判所の判断のポイント
「第 8 争点1-1(構成要件1B、6Bの充足性)について
 8-1 控訴人は、構成要件1B、6Bの「分子量が700以上」の「700」は小数第1位の数字を四捨五入した数値と理解されるから、上記構成は「699.5以上」と解釈すべき旨主張しており、その当否が問題となる。
・・・(略)・・・
 8-3(2) 以上を踏まえて検討するに、上記の技術常識が存在するからといって、特許請求の範囲に数値限定が発明特定事項として記載されている場合における当該数値の意義(クレーム解釈)に、当該技術常識がそのまま妥当するものではない。
 すなわち、特許請求の範囲は、特許発明の技術的範囲を画するものであり(特許法70条1項)、第三者の予測可能性を保障する「権利の公示書」としての役割が求められるものである。したがって、その解釈は、特許法固有の観点を抜きに行うことはできない。
 このような観点から考えるに、本件で問題となっている(紫外線吸収剤の分子量)「700以上」という数値範囲は、権利者(出願人)が、権利範囲を画定するために自ら定めたものであり、特許発明の技術的範囲(独占の範囲)に属するものと属さないものを、一線をもって区分する線引きにほかならない。そうである以上、上記数値範囲の下限である「700」は、切り下げられた小数点以下の端数も、切り上げられた小数点以下の端数も持たない、本来的な意味での整数値と解釈するのが相当である。
 数値範囲にこれと異なる趣旨、役割を持たせたいのであれば、特許請求の範囲又は明細書に、分子量の計算方法や小数点以下の数値の処理等を説明しておくべきである。本件明細書等にそのような記載がないことは前述のとおりであり、以上によれば、「分子量が700以上」という構成要件は、分子量が700をたとえ0.00001でも下回れば、これを充足しない(その技術的範囲に属さない)ものと解すべきことになる。
 なお、技術文献等で分子量が整数値で示されている場合の一般的な意味についての技術常識は上記第 8-3(1))のとおりであるとしても、それは技術的範囲の解釈(クレーム解釈)という法律問題とは次元の異なる問題である。また、上記第 8-3(1))のとおり、桁数の異なる数値を比較することは一般に適切でないと考えられているとしても、特許請求の範囲における数値限定の意義は単純に2つの数値を比較する場面とは異なるから、この点も、上記の認定判断を左右しない。
 8-4 小括
 以上のとおり、控訴人の主張するクレーム解釈(「分子量が700以上」の「700」は小数第1位を四捨五入した数値と理解されるから、上記構成は「699.5以上」と解釈すべき旨の主張)は採用できない。被控訴人UVAは、その分子量が700には満たない699.91848であるから、被控訴人製品は構成要件1Bを、被控訴人方法は構成要件6Bを充足しない。
 
 9 争点1-2(均等侵害の成否)について
 9-1 均等論の第1要件(非本質的部分)について
 被控訴人UVAの分子量は699.91848であり、本件各発明の構成要件1B、6Bの「分子量が700以上」という数値範囲に含まれない。しかし、上記数値範囲は、臨界的意義を有するものではなく、本来、本件各発明の作用効果との関係で技術的意義を有する分子量は、ピンポイントの700ではなく、かなり広い幅にまたがる数字と考えられるところ、いわば「切りのよい数字」として「700以上」という数値限定を採用したものと理解される(上記第 7-3)。そして、紫外線吸収剤としての性質が分子量699.91848の場合と700の場合とで実質的に異なるとは考え難いものと認められる(前記第 8-3(1))。
 そうすると、上記分子量の相違は、本件各発明の本質的部分に関するものとはいえないと解される。本件で、均等論の第1要件は充足する。
 9-2 均等論の第5要件(意識的除外等の特段の事情)について
 9-2(1) 均等論の第5要件とは、「対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情がないこと」であり(最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁)、被疑侵害者側が主張立証責任を負う。
 9-2(2) そこで検討するに、まず、特許請求の範囲の記載は、特許発明の技術的範囲を画する機能を有するものであり(特許法70条1項)、第三者に対しては「権利の公示書」としての役割を果たすことが求められるものである。構成要件1B、6Bの「分子量700以上」との記載は、一般的な技術文献の記載ではなく、上記のような役割を担う特許請求の範囲の記載であることが本件の大前提となる。
 そして、証拠(甲8、9)によれば、化合物の分子量は、その分子を構成する原子の原子量の和に等しく、原子量の選定については歴史的変遷があるものの、小数第4位又は第5位の数字で示される原子量表記載の数値によることになるから、そのような小数点以下の数値を有する数値として算出されるということは、本件特許の出願日当時の技術常識であったと認められる。それにもかかわらず、控訴人は、本件特許の特許請求の範囲の請求項1、6の「分子量が700以上の紫外線吸収剤」との構成の数値範囲について、「700以上」という整数値をあえて使用している。
 本件において、分子量700という数値に臨界的意義も認められないから、当該数値は控訴人がいわば任意に選択して定めたものといえる。また、控訴人としては、その数値範囲を「699.5以上」とすることや、分子量の小数点以下の数値の取扱いについて定めることも容易にできたと解されるにもかかわらず、あえてそのような手当もしていない。これは、小数点以下の数値は、技術的に意味のある数字でないという理解に加え、法的にも特段の含意がない(特別な意味を持たせない)ことを前提とするものと解するべきである。
 そうすると、控訴人が特許請求の範囲において分子量を「700以上」とする数値範囲を定めたということは、「700以上」か「700未満」かという線引きをもって特許発明の技術的範囲を画し、下限値「700」をわずかでも下回る分子量のものについては、技術的範囲から除外することを客観的、外形的に承認したと認めるのが相当である。
 9-2(3) 控訴人は、平成29年最高裁判決は、意識的除外と評価できる場合を、特許請求の範囲の構成に代替し得る技術を明細書に記載し、客観的、外形的に表示した場合に限定しており、出願人の主観的認識だけを問題としていない旨主張する。しかし、同最判は、いわゆる出願時同効材に関する判断を示したものであって、本件に適切でない上、上記第 9-2(2)の判断は、特許請求の範囲の記載の公示機能を重視する同最判の趣旨に何ら反するものとはいえない。
 9-2(4) 以上のとおり、紫外線吸収剤の分子量が699.91848(本来的には700未満であり、小数第1位を四捨五入することによって初めて「700以上」に含まれることになる数値)の被控訴人UVAを使用する被控訴人製品及び被控訴人方法は、本件特許の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるというべきである。したがって、本件においては、均等論の第5要件を充足せず、控訴人主張の均等侵害は成立しない。」

2025年3月2日日曜日

用途発明の引用発明適格性について判断された事例

 知財高裁令和7年2月13日判決
令和5年(行ケ)第10093号(第1事件)、第10094号(第2事件)審決取消請求事件
 
1.概要
 本判決は、被告が有する特許権に対する無効審判の審決(進歩性肯定、請求棄却)に対する無効審判請求人(原告)が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 本件発明は、医薬の用途発明である。
 引用文献(甲イ3)に記載の発明(甲3発明)に対する進歩性が争われた。
 審決では、引用文献には本件発明の医薬用途が記載されているから、本件発明と甲3発明とは医薬用途において一致すると認定した。
 知財高裁は、引用発明が医薬用途発明と認められるためには、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないとして、本件発明の医薬用途は引用文献には記載されておらず、その点で審決の認定には誤りがあると判断した。

引用発明が用途発明と認められるためには、単に、引用発明に係る物質(薬剤)が、対象とする用途に使用できる可能性があるとか、有効性を期待できるとか、予備的な試験で参考程度のデータながら有望な結果が得られているといったレベルでは足りず、当該物質(薬剤)が対象用途に有用なものであることを信頼するに足るデータによる裏付けをもって開示されているなど、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないというべきである。このように解さないと、上記のようなプロセスを経て完成された実施可能性のある医薬用途発明が、実施可能性を認め難い引用発明によって、簡単に新規性、進歩性を否定されることになりかねず、その結果は不当と考えざるを得ない。」
 
2.本件発明
 本件特許の特許請求の範囲(請求項1)は以下のとおりである。
【請求項1】
(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチンを含有する薬剤であって、
 前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、
 ことを特徴とする薬剤。
 なお、本件発明の有効成分である「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン」は「KW-6002」と呼ばれている。
 (E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン(KW-6002)は、「アデノシンA2A受容体アンタゴニスト」の1種である。
 
3.無効審判審決が認定した、引用文献(甲イ3)に記載の発明(甲3発明)、及び、本件発明と甲3発明との一致点、相違点
【甲3発明】
 アデノシン受容体アンタゴニストであるテオフィリン(1週間の負荷相では、毎日増量、100mg1日2回、6週間の一定状態相では、600mg/日、1週間のウォッシュアウト相では、毎日減量、100mg1日2回)を含有する薬剤であって、
 L-ドーパで治療され(764±170mg/日)、L-ドーパ誘導性運動副作用であるウェアリング-オフを有する進行期パーキンソン病(APD)の患者に投与され、
 オン時間の持続を~30%増加させ、その結果、オフ時間の持続を減少させる作用を有する、薬剤。
【一致点】
 アデノシンA2A受容体アンタゴニストを含有する薬剤であって、前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、薬剤。
【相違点】
 本件訂正発明では、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが、「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン」であるのに対し、甲3発明では、「テオフィリン」である点。
 
 上記の通り、審決では、本件発明の用途の特徴が、甲3にも記載されていると認定した。
 ただし、審決では、上記の相違点に係る本件発明の特徴は、当業者が容易に想到できないと判断し、本件発明は、甲3発明に基づき当業者が容易に発明でない(進歩性あり、請求棄却)と結論づけた。
 
4.裁判所の判断のポイント
(3) 本件発明と甲3発明の一致点及び相違点
ア 甲3発明の「テオフィリン」と本件発明の「KW-6002」とは、「アデノシンA2A受容体アンタゴニスト」である限りにおいて一致する。
 また、甲3発明の「L-ドーパで治療され(764±170mg/日)、L-ドーパ誘導性運動副作用であるウェアリング-オフを有する進行期パーキンソン病(APD)患者」は、本件発明の「パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者」に相当する。
 以上の点については本件審決が認定するとおりであり、当事者間にも争いはない。
イ 他方、本件発明は、KW-6002を含有する薬剤という、「物」の発明ではあるものの、特定の患者に投与され、当該患者における特定の症状(疾病)に適用される、医薬についての発明(医薬発明)であって、化合物などの化学物質自体の発明や、使用目的(用法)についての特定がない組成物の発明とは異なる。
 このような用途発明としての本件発明と引用発明との一致点及び相違点の認定に当たっては、引用発明が用途発明として認められるか否かを吟味し、用途発明としての一致点を抽出できないときは、これを相違点として明らかにすべきである。
 そして、特に医薬の分野においては、機械等の技術分野と異なり、構成(化学式等をもって特定された化学物質)から作用・効果を予測することは困難なことが多く、対象疾患に対する有効性を明らかにするための動物実験や臨床試験を行ったり、あるいは、化学物質が有している特定の作用機序が対象疾患に対する有効性と密接に関連することを理解できる実験を行うなど、時間も費用も掛かるプロセスを経て、実施可能性を検証して、初めて用途発明として完成するのが通常である。このこととの平仄から考えても、引用発明が用途発明と認められるためには、単に、引用発明に係る物質(薬剤)が、対象とする用途に使用できる可能性があるとか、有効性を期待できるとか、予備的な試験で参考程度のデータながら有望な結果が得られているといったレベルでは足りず、当該物質(薬剤)が対象用途に有用なものであることを信頼するに足るデータによる裏付けをもって開示されているなど、当業者において、対象用途における実施可能性を理解、認識できるものでなければならないというべきである。このように解さないと、上記のようなプロセスを経て完成された実施可能性のある医薬用途発明が、実施可能性を認め難い引用発明によって、簡単に新規性、進歩性を否定されることになりかねず、その結果は不当と考えざるを得ない。
・・・(略)・・・
ウ このような観点から、甲3発明の薬剤につき、「進行期パーキンソン病患者においてオフ時間の持続を減少させるため」という用途における実施可能性を当業者が理解、認識できるものとして甲イ3に記載されているかどうか、以下に検討する。
(まず、甲イ3は、その試験が、本件明細書の実施例1で採用する「ランダム化・プラセボ対照・ダブルブラインド試験」と比べると精度が低い「オープン試験」で行われているというだけでなく、試験を完了した患者数も9名と少ない上、臨床/科学ノートの形式による全1頁での報告にすぎず、そのため、論文(フルペーパー)の形式であれば当然記載されるはずの試験の方法についての詳細な記載がなく、試験に参加した患者等におけるバイアス(投与されている薬が効くという思い込みなど)の防止が図られているか否かさえ把握することができず、また、どのようにオン・オフ時間を測定したのか等についての基本的な情報もなく、その正確さを検証することができない。上記のような内容及び形式の甲イ3(全1頁で試験の概要のみを示した臨床/科学ノート)は、それ単独で信用できる臨床試験結果と評価することは困難であり、本来、これを受けて、甲イ3の著者や他の研究者らによって、論文(フルペーパー)の形式で、テオフィリンのオフ時間減少効果の有無について進行期パーキンソン病患者で試験した報告に進むことが想定されるのに、そのような報告に至っていない。このような点にも照らすと、甲イ3の試験結果は、上記医薬用途を示すものとしては、不十分といわざるをえない。
 甲イ3の著者自身も、進行期パーキンソン病患者におけるウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動について、「テオフィリンが治療上有効である」とか、「テオフィリンを用いれば治療薬を提供できる」とまで述べているわけではない。
(さらに、KW-6002などの、テオフィリンよりも強力で選択的なアデノシンA2A受容体アンタゴニストを各種パーキンソン病モデル動物に投与することで、パーキンソン病症状に対するアデノシンA2A受容体の阻害作用の影響を確認することが行われてはいたものの、それらのモデル動物はウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動を生じていたものではなく、テオフィリンが有する複数の作用のうちの一つでもあるアデノシンA2A受容体の阻害作用が、L-ドーパ療法を受ける進行期パーキンソン病患者においてL-ドーパの作用時間を延長させる(オフ時間を減少させる)効果をもたらすという、ウェアリング・オフ現象/オン・オフ変動についての作用機序が存在することについて、本件優先日当時には具体的に明らかになっていなかった。
(そうすると、甲3発明の薬剤が、「進行期パーキンソン病患者におけるオフ時間の持続を減少させるため」に使用できる(実施可能である)と当業者が理解、認識するものであるとは認められないというべきである。
エ 以上を前提にすると、被告が主張するとおり、甲3発明の薬剤が「L-ドーパで治療される」当該患者の「オン時間の持続を~30%増加させ、その結果、オフ時間の持続を減少させる作用を有する」ものであることを理由に、本件発明の「前記L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために前記患者に投与され、前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される」ものに相当するとして、甲3発明の医薬用途を肯定し、これを本件発明との一致点とした本件審決の認定には誤りがあるといわざるを得ない。
オ そこで、改めて本件発明と甲3発明の一致点及び相違点を検討すると、正しくは以下のようなものとして認定すべきである。
【一致点】
 アデノシンA2A受容体アンタゴニストを含有する薬剤であって、
 前記薬剤は、パーキンソン病のヒト患者であって、L-ドーパ療法において、ウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動を示すに至った段階の患者を対象とし、
 前記薬剤は、前記L-ドーパ療法においてL-ドーパと併用して前記対象に投与される、薬剤。
【相違点1】
 本件発明は、「L-ドーパ療法におけるウェアリング・オフ現象および/またはオン・オフ変動のオフ時間を減少させるために患者に投与され」る用途発明としての「薬剤」であるのに対し、甲3発明は、そのような用途発明とは認められない点。
【相違点2】
本件発明は、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが「(E)-8-(3,4-ジメトキシスチリル)-1,3-ジエチル-7-メチルキサンチン(KW-6002)」であるのに対し、甲3発明は、アデノシンA2A受容体アンタゴニストが「テオフィリン」である点。」

2025年2月9日日曜日

発明者は自然人に限られ人工知能を発明者とした特許出願の却下を適法とした知財高裁判決

 知財高裁令和7年1月30日判決言渡
令和6年(行コ)第10006号 出願却下処分取消請求控訴事件
(原審・東京地方裁判所令和5年(行ウ)第5001号


1.概要

 本件は、人工知能(AI)が発明者とはなり得ない旨判示された東京地裁判決の取り消しを求めた控訴審の知財高裁判決である。発明

 知財高裁は「同法(特許法)に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られる

と解するのが相当である」と判示し、原審に違法性は無いとして原告の請求を棄却した。


⒉.経緯

 本件原告は国際出願の日本国内移行出願における国内書面の【発明者】の【氏名】欄に、「ダバス、本発明を自律的に発明した人工知能」と記載するとともに、「本出願に係る発明は、人工知能(AI)によって自律的になされたものであり、発明者として、『ダバス、本発明を自律的に発明した人工知能』と明記しております。」と記載した上申書を提出した。

 特許庁は、出願人である原告に対し、国内書面の発明者の氏名欄には発明者として自然人でない者が記載されているものと認められるから、発明者の氏名欄に自然人の氏名を記載する補正を行わなければならないとして、手続補正指令書(方式)を発送し、本件国内書面の発明者の氏名欄に自然人の氏名を記載する補正をすべきことを命じた。

 原告は、自然人への補正を行わなかったため、特許庁長官は出願却下処分をした。

 以下の2点が争点となった。

 ⑴ 特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか

 ⑵ 国際特許出願に係る国内手続において、国内書面の「発明者の氏名」は必要的記載事項であるか


3.裁判所の判断のポイント

「当裁判所も、本件処分は適法であり、原告の請求は理由がないと判断する。

その理由は、以下のとおりである。

1 争点⑴(特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか)について

⑴ 特許法上の「発明」と特許を受ける権利について

ア 特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とし(同法1条)、特許権は、同法所定の出願、審査の手続を経て、設定の登録により発生する(同法66条1項)と規定している。すなわち、特許権は、特許法により創設され、付与される権利であり、特許を受ける権利もまた、同法により創設され、付与される権利である。特許法は、特許権及び特許を受ける権利の実体的発生要件や効果を定める実体法であると同時に、特許権を付与するための手続を定めた手続法としての性格を有する。

イ 特許法29条1項柱書は、「産業上利用することができる発明をした者は、…その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、同項の「発明をした者」は、特許を受ける権利の主体となり得る者すなわち権利能力のある者であると解される。

また、同法35条1項にいう「従業者等」が自然人を指すことは、文言上、同項の「使用者等」に法人、国又は地方公共団体が含まれているのに対し、「従業者等」には法人等が含まれていないことから明らかである。そして、同条3項は、「従業者等がした職務発明」について、一定の場合に特許を受ける権利が原始的に使用者等に帰属する場合があることを定めているが、同項の規定も発明をするのは自然人(従業員等)であることを前提にしている。特許法上、「特許を受ける権利」の発生及びその原始帰属者について定めた規定は、上記の同法29条1項柱書及びその例外を定める同法35条3項以外には、存在しないから、特許法上、「特許を受ける権利」は、自然人が発明者である場合にのみ発生する権利である。そして、本件で問題となっている国際出願に係る国内書面のほか、特許出願の願書(特許法36条1項2号)、出願公開に係

る特許公報(同法64条2項3号)、国際出願の国内公表に係る特許公報(同法184条の9第2項4号)、設定登録に係る特許公報(同法66条3項3号)については、いずれも「発明者の氏名」を記載又は掲載するものとされ、それぞれ、特許出願人、出願人又は特許権者について「氏名又は名称」を記載又は掲載するものとされていることと対比しても、発明者については自然人の呼称である「氏名」を記載又は掲載することを規定するものであって、職務発明の場合も含め、発明者が自然人であることが前提とされている。

ウ そうすると、特許法は、特許を受ける権利について、自然人が発明をしたとき、原則として、当該自然人に原始的に特許を受ける権利が帰属するものとして発生することとし、例外的に、職務発明について、一定の要件の下に使用者等に原始的に帰属することを認めているが、これら以外の者に特許を受ける権利が発生することを定めた規定はない。また、同法に定

める「特許を受ける権利」以外の権利に基づき特許を付与するための手続を定めた規定や、自然人以外の者が発明者になることを前提として特許を7付与するための手続を定めた規定もない。したがって、同法に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られると解するのが相当である。

エ(ア) これに対し、原告は、特許法29条1項柱書は「AI発明については特許を受ける権利が発生しない」などと規定しているわけではなく、法人が発明者とならないとの解釈についても同法35条3項と併せて初めて導き出されるものであり、同項に相当する規定がないAI発明について、同法29条1項柱書のみから、特許を受ける権利が発生しないと解することはできない旨主張する。

 しかし、特許を受ける権利は、特許権と同じく特許法により創設され、付与される権利であるから、権利能力のない存在が発明した発明について特許を受ける権利が発生する旨の規定や、その場合の権利の帰属者を定める規定がないのに、これを否定する規定がないことだけを理由に、特許法上、権利能力のない存在が行った「発明」について特許を受ける権利が発生するとは認められない。

 そもそも、特許法が予定している「特許を受ける権利」の解釈は、特許法29条1項柱書の文言、同法の他の規定の文言との整合性を検討した上でされるべきものであり、検討した結果、同項柱書にいう「発明をした者」が自然人をいうものと解されることは、前記ウのとおりである。

 したがって、原告の前記主張は理由がない。

(イ) 原告は、前記各最高裁判決を引用し、発明が自然人によって創作されたか否かという主体の面は重視されていない等と主張する。しかし、これらの最高裁判決は、いずれも発明の要件としての技術的完成度や自然法則の利用等が問題となった事案であって、「発明」の主体が争点となった事案ではない。確かに、特許法2条1項の規定する「発明」の定義(自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの)中には、発明者が誰であるかという点は明示的に含まれてはいないけれども、特許法上、特許を受けるための手続については、これまで検討したとおり、権利能力のない存在を発明者とする発明について特許を付与するための手続は定められていない。したがって、仮に、原告が主張するように特許法上の「発明」の概念自体は自然人を発明者とする場合に限られないと解したとしても、権利能力のない存在を発明者とする「発明」について、同法に基づく手続により特許権を付与する余地がないことに変わりはない。

(ウ) 原告は、AIであるダバスがした発明について、善意の占有者(民法189条1項、205条)又は所有者(同法206条、89条1項)の果実取得権に基づき、本件出願に係る発明についての特許を受ける権利を有していると主張する。

 しかし、発明という情報を客体として保護する場合の財産権の具体的内容は、特許法その他の個別の法律により決まるべき性質のものである。AIは有体物ではないから、所有権の対象にはならず、仮に、AIの使用者が民法205条の規定にいう財産権を行使している者に該当すると考えた場合でも、「AI発明について特許を受ける権利」は、「物の用法に従い収取する産出物」又は「物の使用の対価として受けるべき金銭その他の物」(民法88条1項及び2項)のいずれにも該当しない。前記のとおり、AI発明について特許を受ける権利が発生する根拠規定自体存在しないのであるから、現行法上、これを財産権の行使に係る果実に該当するものと解することはできない。そもそも、AIに係る当該産権の内容として、いかなるものを考えるべきかどうかということ自体、今後の検討課題と言わざるを得ない。特許法が認めていない特許を受け

る権利が、これらの民法の規定に基づいて発生すると解することはできず、本件において、民法89条を適用し、又は準用することもできないというべきであるから、原告の主張は失当である。

(エ) ・・・特許法の制定当初から直近の法改正に至るまで、近年の人工知能技術の急激な発達、特にAIが自律的に「発明」をなし得ることを前提とした立法がなされていないことは、原告が主張するとおりである。

 しかし、特許権は天与の自然権ではなく、「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である。

・・・すなわち、AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権(原則として、特許権は特許出願の日から20年の存続期間を有し、特許権者は業として特許発明を実施する権利を独占し(特許法68条本文)、侵害者に対する差止請求権(同法100条)及び損害賠償請求権を有する等)と同内容の権利とすべきかを含め、AI発明が社会に及ぼすさまざまな影響についての広汎かつ慎重な議論を踏まえた、立法化のための議論が必要な問題であって、現行法の解釈論によって対応することは困難である。原告が主張する発明者を自然人に限定した場合の弊害等も、これらの立法政策についての議論の中で検討されるべき問題である。

 そうすると、本件処分時点(及び現時点)で特許法がAI発明の存在を前提としていないことは、特許権付与によりAI発明を保護するという立法的判断がなされていないことを意味し、この場合において、単純にAI発明を現行制度の特許権の対象とするような法解釈をすることが、直ちに「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにつながるということはできない。 ・・・

⑵ 小括

 したがって、現行特許法は、自然人が発明者である発明について特許を受ける権利を認め、特許を付与するための手続を定めているにすぎないから、AI発明については、同法に基づき特許を付与することはできない。・・・・


2 争点⑵(国際特許出願に係る国内手続において、国内書面の「発明者の氏名」は必要的記載事項であるか)について

⑴ 特許法は、国際特許出願の国内手続において、発明者の氏名を記載した国内書面を提出しなければならないと規定し(同法184条の5第1項柱書、2号)、特許庁長官は、国内書面の提出に係る手続が経済産業省令で定める方式に違反しているときは、相当の期間を指定して手続の補正を命ずることができ(同条2項柱書、3号)、これを受けた特許法施行規則38条の5第1号は、国内書面の方式として、発明者の氏名を含む特許法184条の5第1項各号に掲げる事項が記載されていることを規定し、特許庁長官は、指定した期間内に手続の補正がなされないときは、当該国際特許出願を却下することができると規定しているのであるから(同条3項)、国内書面において「発明者の氏名」が必要的記載事項として規定されていることは明らかである。

⑵ 原告は、AI発明の出願において、発明者の氏名は必要的記載事項ではないと主張する。

 しかし、原告の主張は、権利能力のない存在が行ったAI発明について、特許法上、特許を付与することができると解することを前提とするものであって、この前提において誤っているから、採用することができない。

・・・」

2024年11月23日土曜日

「本発明の1態様・その他の態様」が奏する効果の記載と、発明の課題の認定との関係について判示された事例

 知財高裁令和6年10月31日判決
令和5年(行ケ)第10090号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する原告が請求した無効審判における、訂正後の請求項18〜34に係る発明について無効審判請求は成り立たず権利は有効であるとする審決の取り消しを原告が求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。新規性、進歩性、実施可能要件、サポート要件の違反が争われたが、知財高裁は審決に違法性は無いとして原告の請求を棄却した。
 本件訂正発明18が解決しようとする課題は、「少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供する」ことである。
 そして、実施例として記載の実験データでは、本件訂正発明18に包含される医薬製剤である製剤F1について、インビボウサギ試験を行い、5日間にわたってフルベストラントの沈殿及び放出プロフィルを測定したところ、均一な放出プロフィルを示したことが示されている。
 一方、明細書には、「本発明の1態様として…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤を提供する。」という記載、「本発明の他の態様は、…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤である。」という記載がある。
 原告は明細書の記載から、本件発明の課題は、「少なくとも2週間」の徐放性を意味するため、5日間の実施例の記載によっては課題が解決できるとは認められずサポート要件違反であると主張した。
 これに対し裁判所は、明細書の上記記載について、「これらは発明の一つの態様として記載されたものと認められ、本件各訂正発明の課題が、『少なくとも2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する』、あるいは『徐放性が2週間以上継続する』ことを示す記載であるとは認められない。」と判示し、本件発明の課題を規定するものではないと判断した。
 
2.本件訂正発明18(訂正後の請求項18)
「筋肉内注射によりヒトに投与するための医薬製剤であって、少なくとも45mg/mlのフルベストラント、製剤の容積当たり15~25重量%の医薬的に許容できるアルコール類、製剤の容積当たり10~25重量%の、ヒマシ油中の安息香酸ベンジル、および少なくとも45mg/mlのフルベストラントの製剤を調製するのに十分な量のヒマシ油を含み、医薬的に許容できるアルコール類がエタノールおよびベンジルアルコールの混合物であり、エタノールおよびベンジルアルコールが製剤の容積当たりほぼ等しい重量%で存在する、筋肉内注射に適する医薬製剤。」
 
3.明細書中の本件発明の効果の記載についての裁判所の認定
「本件発明の効果
 フルベストラントは他のいずれの油よりヒマシ油中において有意に溶解度が高い。しかし、本発明者らは、最良の油性溶剤であるヒマシ油を用いた場合ですら、フルベストラントを油性溶剤のみに溶解して低容積の注射で患者に投与するのに十分な高濃度を達成しかつ療法的に有意の放出速度を達成するのは不可能であることを見出した。 (段落【0019】、【0020】)
・・・(略)・・・
 本発明者らは予想外に、本発明の製剤が筋肉内注射後、長期間にわたって十分なフルベストラントを放出することを見出した。この知見は次の理由からみて確かに予想外である。・・・(略)・・・
 本発明者らは、追加の可溶化添加剤(solubilising excipients)、すなわちアルコール類及び医薬的に許容できる非水性エステル系溶剤が製剤の注射後、製剤ビヒクル及び注射部位から直ちに排除されるにもかかわらず、本発明の製剤によればなお治療上有意なフルベストラント濃度を長期間にわたって達成できることを見出した。(段落【0043】)」
 
4.裁判所の判断のポイント(実施可能要件、サポート要件について)
「5 取消事由4(訂正発明18~24、26~34の実施可能要件違反の有無に関する判断の誤り)及び取消事由5(本件各訂正発明のサポート要件違反の有無に関する判断の誤り)
(1)実施可能要件違反について
 ・・・(略)・・・・
 本件明細書等では、エタノール[96%](10%)、ベンジルアルコール(10%)及び安息香酸ベンジル(15%)について、65mg/mlという十分なフルベストラント溶解度を有することが確認されており(段落【0047】、【0048】、表3)、フルベストラント(5%)、エタノール[96%](10%)、ベンジルアルコール(10%)及び安息香酸ベンジル(15%)を含み、ヒマシ油で容積調整した製剤を「製剤F1」と呼び、この製剤F1について、インビボウサギ試験を行い、5日間にわたってフルベストラントの沈殿及び放出プロフィルを測定したところ、均一な放出プロフィルを示し、フルベストラントの沈殿の証拠がなかったことが確認されている。そのため、本件明細書等の発明の詳細な説明によれば、本件明細書等の「製剤F1」、すなわち「エタノール10重量%、ベンジルアルコール10重量%、安息香酸ベンジル15重量%、十分な量のヒマシ油」である組成の溶剤とすることにより、少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含み、筋肉内注射によりヒトに投与し、乳がんの治療に用いるための徐放性の医薬製剤を、当業者が過度な試行錯誤を要することなく製造し使用できることを理解することができると認められる。
 ・・・(略)・・・・
(2)サポート要件違反について
 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 本件特許に係る特許請求の範囲の記載及び本件各訂正発明の概要(前記1(1))によれば、本件各訂正発明の課題は、少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供することであると認められる。
 前記⑴によれば、本件明細書等において、製剤F1について、ウサギに筋肉内注射した際に、注射部位に沈殿が生じず、徐放性を有することが確認されており、製剤F1については、「少なくとも45mg/mlのフルベストラントを含有し、筋肉内注射によりヒトに投与するための徐放性医薬製剤を提供する」という課題を解決できることが具体的に確認されている。
 そして、前記(1)のとおり、本件各訂正発明は、溶剤の種類が製剤F1と同一であり、各溶剤の含有量が製剤F1と同一又は近似している。
 したがって、本件明細書等の発明の詳細な説明の記載及び本件特許の出願時における技術常識に照らし、本件各訂正発明は、当業者が上記の課題を十分に解決できると認識できる範囲のものであり、かつ、発明の詳細な説明に記載されたものと認められる。したがって、本件各訂正発明について、サポート要件違反は認められない。
(3)原告の主張(前記第3の4〔原告の主張〕)に対する判断
 原告は、本件各訂正発明の課題(前記(2))にいう「徐放性」が「徐放性が2週間以上継続する」ことを意味するとすれば、本件明細書等では4日目までしか血漿中フルベストラント濃度が確認されておらず、本件各訂正発明は、そのような課題を解決できる物として製造できることが本件明細書等に記載されていないから、実施可能要件違反であり、かつ、そのような課題を解決できることが本件明細書等に記載されておらず、そのような課題を解決できると当業者が理解することもできないから、サポート要件違反であると主張する。
 しかし、本件各訂正発明の特許請求の範囲の記載には、徐放性が2週間以上継続するものであるとの内容は含まれていないから、本件明細書等において2週間の徐放性が継続することが確認されていないことをもって、本件各訂正発明が実施可能要件に違反するとは認められない。
 また、本件明細書等には、「2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する」と記載された段落があるが(段落【0023】、【0024】)、段落【0023】には、「本発明の1態様として…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤を提供する。」と記載され、段落【0024】には、「本発明の他の態様は、…少なくとも2週間は治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する医薬製剤である。」と記載されており、これらの段落全体の記載からすれば、これらは発明の一つの態様として記載されたものと認められ、本件各訂正発明の課題が、「少なくとも2週間治療上有意の血漿フルベストラント濃度を達成する」、あるいは「徐放性が2週間以上継続する」ことを示す記載であるとは認められない。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。」

2024年10月27日日曜日

均等要件の発明の本質的部分は明細書に記載のない従来技術も考慮して客観的に認定すべきと判示した事例

 東京地裁令和6年10月18日判決
令和4年(ワ)第70058号特許権侵害差止等請求事件
 
1.概要
 本件は、特許権(発明の名称「グラップルバケット装置」)を有する原告が、被告に対し、被告が製造、販売等をする被告製品がいずれも本件特許に係る発明の技術敵範囲に属し特許権を侵害すると主張して被告製品の差止め等を求めた特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 文言侵害及び均等侵害が争われたが、裁判所はどちらも成り立たないと判断した。
 均等侵害成立の5要件の1つは、特許発明の構成要件中に被告製品と異なる部分がある場合でもその相違点が「特許発明の本質的部分でない」ことである。ここで「特許発明の本質的部分」の認定のためには、「従来技術に見られない特有の技術的思想」を認定する必要があり、何を従来技術とするか、本発明が解決する従来技術の課題が何であるかが問題となる。
 裁判所は、明細書に記載されていない従来技術も参酌して「従来技術に見られない特有の技術的思想」を認定すべきであると判断した。
「明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが、出願時の従来技術に照らして客観的に見て不十分な場合には、明細書に記載されていない従来技術も参酌して、当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。そのような場合には、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載のみから認定される場合に比べ、より特許請求の範囲の記載に近接したものとなり、均等が認められる範囲がより狭いものとなると解される。」
 
2.本件発明
 本件発明は次の通りの構成要件に分説することができる。
A 上下方向に回動する建設機械のアームの先端部に、上下方向に回動可能に、かつアームの延長方向の軸心にたいして回動可能にして設けたバケットと、このバケットの両側壁に隣接して位置し、両側壁の開口面との間で木材等の被グラップル材をグラップルできるグラップル部材を、バケットの開口基端部に、バケットの開口部を閉じる方向に回動可能に枢支してなるグラップル装置と、を設けたグラップルバケット装置において、
B バケットの一方の側壁部に、上記バケットの両側壁の開口面とグラップル部材との間でグラップルした被グラップル材を切断する切断装置を設け、
C この切断装置は、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、
D1 切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、
D2 この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせた
E ことを特徴とするグラップルバケット装置。
 
3.裁判所の判断のポイント
「争点1-2(均等侵害の成否)について
(1)判断基準
ア 特許請求の範囲に記載された構成中に相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)と異なる部分が存する場合であっても、①同部分が特許発明の本質的部分ではなく、②同部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、③上記のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、④対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから同出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、⑤対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、同対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である(最高裁平成6年(オ)第1083号同10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁参照)。
イ また、前記ア①の要件(第1要件)における特許発明における本質的部分とは、当該特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分であると解すべきであり、特許請求の範囲及び明細書の記載に基づいて、特許発明の課題及び解決手段とその効果を把握した上で、特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が何であるかを確定することによって認定されるべきである。すなわち、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載、特に明細書記載の従来技術との比較から認定されるべきであり、そして、従来技術と比較して特許発明の貢献の程度が大きいと評価される場合には、特許請求の範囲の記載の一部について、これを上位概念化したものとして認定されるが、従来技術と比較して特許発明の貢献の程度がそれ程大きくないと評価される場合には、特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されると解される。
 ただし、明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが、出願時の従来技術に照らして客観的に見て不十分な場合には、明細書に記載されていない従来技術も参酌して、当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。そのような場合には、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載のみから認定される場合に比べ、より特許請求の範囲の記載に近接したものとなり、均等が認められる範囲がより狭いものとなると解される。
(2)第1要件について
ア 前記(1)の判断基準に基づいて、本件発明の本質的部分について検討する。
(ア)本件明細書には、特開平11-36355号公報にて知られる従来のグラップルバケット装置では、グラップルした木材が長尺である場合、これをグラップルした状態での搬送中に、この木材が林道脇の木立に接触して搬送不能になってしまうことがあるため、所定以上の長さを有する木材をチェーンソー等の切断装置を用いて作業員が所定の長さに切断しなければならず、作業員の負担になっていたほか、立木の伐採作業を行うことができなかったとの課題があったとの記載がある(【0002】ないし【0018】)。そして、本件明細書において、本件発明は、上下方向に回動する建設機械のアームの先端部に、上下方向に回動可能に、かつアームの延長方向の軸心に対して回動可能にして設けたバケットと、このバケットの両側壁に隣接して位置し、両側壁の開口面との間で木材等の被グラップル材をグラップルできるグラップル部材を、バケットの開口基端部に、バケットの開口部を閉じる方向に回動可能に枢支してなるグラップル装置と、を設けたグラップルバケット装置において、バケットの一方の側壁部に、上記バケットの両側壁の開口面とグラップル部材との間でグラップルした被グラップル材を切断する切断装置を設け、この切断装置は、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせたとの構成を採用することにより(【0020】)、グラップル装置でグラップルした木材等の被グラップル材をグラップルした状態で切断することができるようにし、作業員の負担を軽減すると共に、グラップル装置でグラップルした被グラップル材を搬送する前に、これが長尺の場合にはグラップルした状態であらかじめ切断することにより、被グラップル材が他の物に接触する等のトラブルが生じることなく搬送できるようにして(【0019】)、従来技術が有していた課題を解決するもの(【0024】ないし【0026】)とされている。
(イ)その一方で、本件出願の日の前である平成20年6月12日に公開された甲27文献の記載によれば、同文献には、「走行機構の上に水平方向へ回動し得る旋回体が搭載され、該旋回体から延びる起伏可能なブーム機構を備え、該ブーム機構の先端に作業装置が装着されたショベル型掘削機の構造を有し、前記作業装置は、前記ブーム機構先端部の軸線回りに回転可能に支持された可動体と、該可動体を前記軸線回りに回転させるための軸転駆動部と、前記可動体を前記ブーム機構に対し前記起伏面に沿って回動させるための縦振り駆動部と、前記可動体を前記起伏面に垂直で且つ前記ブーム機構先端部の軸線を含む面に沿って回動させるための横振り駆動部と、前記可動体に支持された開閉駆動可能な把持部と、該把持部の開閉動に沿う面に対向して配置され、該面に沿う方向に揺動駆動される切断装置とを備えていることを特徴とする枝切り走行装置」(請求項1及び【0008】)及び「前記可動体が、パワーショベル又はバックホーのバケットを備え、前記把持部は該バケットの開口縁における一方の側部に設けられ、前記切断装置は前記バケットの開口縁における他方の側部に設けられていることを特徴とする」枝切り走行装置(請求項3及び【0010】)が開示されていることが認められ、さらに、切断装置の具体例として、チェーンソー及びナイフ状カッター(【0026】ないし【0031】、【図5】及び【図6】。両図面については別紙甲27文献図面目録参照)が開示されていることも認められる。
(ウ)前記(イ)によれば、本件特許の出願時において、グラップルバケット装置において、グラップルした木材が長尺である場合、所定以上の長さを有する木材をチェーンソー等の切断装置を用いて作業員が所定の長さに切断しなければならないとの課題については、甲27文献において開示された従来技術によって解決することが可能であったから、本件明細書において従来技術が解決できなかった課題として記載されているところは、出願時の従来技術に照らして客観的に不十分であると認められる。
 そうすると、本件発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分を認定するに当たり、甲27文献に記載されている技術的事項も参酌することが許されるというべきである。
(エ)前記(ウ)において検討したところによれば、本件特許の出願前に、甲27文献において、一方の側部に把持部、他方の側部に切断装置が装着されているバケットを備えた枝切り走行装置が開示されていたと認められるから、本件発明と従来技術との相違は、当該切断装置の構成に係る部分にすぎず、グラップルした被グラップル材を切断できるようにしたグラップルバケット装置であること自体ではないと認められる。そうすると、従来技術と比較して本件発明の貢献の程度が大きいと評価することはできないから、本件発明の本質的部分については、これを上位概念化したものとして認定することはできず、特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されるというべきである。
 したがって、前記(ア)及び(イ)に照らし、本件発明における従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分は、グラップル装置に設けられた切断装置について、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせたとの構成、すなわち構成要件C及びDに係る構成を採用することによって、回動中心から遠い部分でも、刃先が対象物に当たる傾き角度θの値を大きく保つことで、引き切り作用を保ちスムーズな切断効果を発揮できるようにしたことと認めるのが相当である。
イ 前記2のとおり、被告製品は構成要件D2を充足するとは認められないところ、前記アのとおり、本件発明の構成要件C及びDに係る構成を採用することによって、回動中心から遠い部分でも、刃先が対象物に当たる傾き角度θの値を大きく保つことで、引き切り作用を保ちスムーズな切断効果を発揮できるようにしたことが本件発明の本質的部分であるから、被告製品が本件発明の本質的部分を備えているとは認められず、本件発明と被告製品とが異なる部分が本件発明の本質的部分ではないとはいえない。
 したがって、被告製品は第1要件を充足しない。」

2024年10月20日日曜日

不服審判請求時減縮補正クレームの補正却下に手続違背は無いとされた事例

 知財高裁令和6年10月9日判決言渡
令和5年(行ケ)第10139号 審決取消請求事件

1.概要
本事例は、特許出願人である原告の特許出願に対する拒絶審決(新規性進歩性欠如)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決(審決は適法、請求棄却)である。
拒絶査定では、引用文献(特許公開公報)(甲1)に記載の「引用発明2」に基づき新規性進歩性欠如の拒絶理由が示された。
特許出願人(原告)は、拒絶査定不服審判請求時に請求項発明を減縮する補正を行なった。
審決では、補正後の発明は、同じ甲1に記載の「引用発明1」により進歩性を欠くとして独立特許要件違反により補正を却下し、拒絶査定時の請求項は拒絶査定のとおり「引用文献2」に基づき新規性進歩性欠如と判断した。
原告は、補正却下処分の手続違背を争ったが、知財高裁は、処分は適法と判示した。

「引用発明1及び引用発明2は、同じ引用文献(甲1)に基づくものであって、その内容には共通の部分がある上、甲1は、拒絶査定に先立つ令和4年11月9日付け拒絶理由通知書(甲3)にも引用されていたから、原告には、甲1の記載内容を検討する機会が十分に与えられていたというべきであるから、引用発明1に基づく拒絶理由通知をすることなく、独立特許要件を欠く補正を却下したとしても、原告に対する不意打ちに当たるとはいえず、出願人の防御の機会を保障すべき違法があったということはできない。」

2.裁判所の判断のポイント

「原告は、本件審決に記載された引用発明1と引用発明2は、異なる発明であり、審査では、引用発明2の存在に基づく拒絶理由通知がされ、審決に至るまで引用発明1の存在に基づく拒絶理由通知はされず、引用発明1の存在に基づく拒絶理由に対しての防御機会は与えられなかったから、特許法159条2項、50条本文違反の手続違背があると主張する。確かに、特許庁における手続の経緯等によれば、本願発明についてされた令和4年11月9日付け拒絶理由通知(甲3)では、引用文献1に記載された引用発明2に基づく拒絶理由が通知され、同年12月26日付けで意見書及び手続補正書(甲4、5)を提出した後、令和5年3月16日付けで拒絶査定(甲6)がされ、他方、本件審判請求手続では、同年10月16日付けで、引用文献1に記載された引用発明1に基づき本件補正を却下するとともに、引用発明2に基づき本願発明を拒絶すべきものとして、本件審判請求不成立との本件審決をしたことが認められる。
 しかしながら、法文上、本件補正のように、拒絶査定不服審判請求と同時に特許請求の範囲を減縮することを目的とした補正がされた場合において、当該補正が特許法17条の2第6項において準用する同法126条7項の規定に違反すること(独立特許要件違反)を理由に同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により補正を却下するときは、拒絶の理由を通知することは要求されていない(同法159条2項において読み替えて準用する同法50条ただし書。なお、同条本文によれば、拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には、拒絶の理由を通知する必要があるが、本件において本願発明の拒絶の理由となったのは、拒絶査定の理由と同じ引用発明2であるから、改めて拒絶の理由を通知すべき場合には該当しない。)。同法159条2項において読み替えて準用する同法50条ただし書は、同法17条の2第1項1号、3号又は4号に掲げるいずれの場合であるかによって、拒絶の理由の通知義務の有無を区別しておらず、いずれの場合においても審査の遅延を防ぐ必要があることに変わりはない。拒絶査定不服審判の請求と同時にされた補正について独立特許要件違反があることを理由に却下しようとする場合にのみ、拒絶の理由を通知すべき義務があると解すべき条文上の根拠は見当たらない。したがって、独立特許要件違反を理由に本件補正を却下するに当たり、拒絶査定の際に提示しなかった引用発明1を根拠にし、その拒絶の理由の通知をしなかったとしても、原則として、特許法に違反するということはできないというべきである。仮に当事者の手続保障の観点から例外を認める場合でも、本件の具体的経過に照らすと、引用発明1及び引用発明2は、同じ引用文献(甲1)に基づくものであって、その内容には共通の部分がある上、甲1は、拒絶査定に先立つ令和4年11月9日付け拒絶理由通知書(甲3)にも引用されていたから、原告には、甲1の記載内容を検討する機会が十分に与えられていたというべきであるから、引用発明1に基づく拒絶理由通知をすることなく、独立特許要件を欠く補正を却下したとしても、原告に対する不意打ちに当たるとはいえず、出願人の防御の機会を保障すべき違法があったということはできない。」

2024年9月23日月曜日

特許権侵害訴訟において、糸の「径」についての構成要件の充足が立証できないと判断された事例

大阪地裁令和6822日判決
令和4()9112(甲事件)・令和4()11173(乙事件)
 
1.概要
 本事例は、原告が有する微細粉粒体のもれ防止用シール材に関する特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 下記2に示すように、本件訂正発明1の構成要件1C(カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、)は、経糸、緯糸、パイル糸の「径」についての特徴である。一方で、明細書の発明の詳細な説明には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」の定義は記載されておらず、それを認識する方法が記載されていない。
 被告が実施する被告製品が、構成要件1Cを充足するか否かが争点となった。
 原告は、被告製品が、構成要件1Cを充足することの証拠として、糸の「断面積」を測定した測定結果を提出した。
 裁判所は、「被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはでき」ないとして、原告の請求を棄却した。
 
2.本件訂正発明の構成要件
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明1)は以下のとおり。下線は強調のため加えた。
 
1A: 微細粉粒体を担持する回転体の外周面にパイルを摺接させながら軸線方向へのもれを防ぐ、画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材であって、
1B: 多数の微細長繊維を束ねて構成されるパイル糸が基布の表面に切断された状態で立設されるカットパイル織物を主体とし、
1C: カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、
1D: パイル糸は、基布の製織方向の少なくとも一方に平行な方向に沿うように配列され、該基布の表面に対して、該配列の方向から予め定める角度θだけ開く方向に傾斜する斜毛状態で、パイル糸を構成する多数の微細長繊維が分離してパイルが形成され、かつパイル間のピッチが狭められるように毛羽立たされており、
1E: 使用状態では、回転体の回転方向に対し、該配列の方向が該予め定める角度θよりも大きな角度φをなすように、該配列の方向を該回転方向に 対して傾斜させることを特徴とする
1F: 画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材。
 
3.裁判所の判断のポイント
争点1(被告製品が、構成要件1Cの構成(地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており)を備えるか)について
(1) 本件明細書の記載
 本件明細書の発明の詳細な説明のうち、【課題を解決するための手段】(0008】から【0023】まで)には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法及び経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない。
・・・(略)・・・
 【0050()には、「たとえば、径が数D(デニール)程度の複数種類の単繊維」との記載が、【0052】には、「たとえば、300D(デニール)程度の複合繊維糸30をパイル糸4として・・」との記載がそれぞれある。
(2) 技術常識
ア 上記本件明細書の記載からは、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法は見当たらず、また、経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない以上、そこから上記の「径」を認識する方法を推測することもできない・・・(略)・・・から、これらは当業者の理解する技術常識によって決すべきこととなる。
イ この点、繊維の形態的な太さは、一般的にその断面が不規則な形状を示しているので、正確な計測は困難であり、したがって、一定の長さ当たりの重量で繊維の太さが示されているとされ、また断面の形状にあっては、天然繊維の形状は、それぞれ特有の形をしており、化学繊維は、その形状も人為的に自由につくることができ、断面は主として紡績方法によって決まり、円形・だ円形その他複雑なものもある、とされている(4。三訂版「繊維」(昭和61年刊行))
 また、繊維における細さ(繊度)にはいろいろの表し方があり、メートル法の番手(1グラムの糸が何メートルの長さを持つかを示すもの。番手が大きいほど糸は細い。)や、デニール、テックス(いずれも一定長の糸の重量)が用いられ、デニールと繊維ごとの比重を用いて断面積を算出する方法もある(5。「繊維の科学」(昭和53年刊行))。撚りの強さによっても見た目の太さが変わる(6。令和2年当時のウェブサイト。)。本件明細書においても、パイル糸の繊度に関し、デニールが用いられている部分がある。
ウ ところで、「径」の字義は、「1さしわたし。直径。2みち。小道。近道。」というものである(7(広辞林第六版)。また、広辞苑第七版においては、「まっすぐ結ぶ道。さしわたし。」とされており、「差渡し(さしわたし)」の字義は、「1さしわたすこと。一方から他方へかけ渡すこと。また、その長さ。2直径。わたり。けい。」とされている。これらを踏まえると、「径」とは「直径」を意味するものと解される。「直径」の字義は、「円または球の中心を通って円周または球面上に両端をもつ線分。また、その長さ。さしわたし。」というものであるから(広辞苑第七版)、「直径」が認識されるためには、平面においては円又はそれに近い形状のものが想定されていると解される。
 他方、前記のとおり、糸は繊維の集合体であって、繊維の断面は一般的に不規則な形状を示すものであるから、少なくとも、「径」の大小の比較に、「断面積」(空隙を除外するかどうかを問わない)を用いることはできないものと解される。この点、原告は、糸の太さを断面積で表すことが当業者にとって一般的な手法となっていたとしてその旨の証拠(25から27まで)を提出するが、それらは口輪筋線維、等方性黒鉛材料の気孔、血管について画像解析により断面積を測定した例にすぎず、技術分野が全く異なるもので、原告主張の事実は認めるに足りない。
(3) 構成要件1Cの充足の検討
ア 原告は、各糸の径は糸の断面積を測定することにより比較判断することが可能であり、かつこれを製品状態で測定すべきものとした上で、かかる測定方法を採用した測定結果を証拠(1912)として提出する。
 この測定は、被告製品のシール材に対し、接着剤を滴下して浸み込ませ、乾燥後、養生テープで固定し、パイル糸の配列方向に対し垂直となるように、シール材に金尺を当てて、カット治具である剃刀刃を沿わせて一回のスライスにより切断し、断面画像を撮像した上、該画像を解析して、緯糸とパイル糸の断面積を求めるというものである。
イ しかし、本件訂正発明1の構成要件1Cは、糸の「径」の大小をその要素としており、糸の太さの比較に断面積を用いることは文言の一義的な意味に反し、また前述の当業者の技術常識にも合致しないものである。
 また、具体的な測定手段をみても、上記測定は、被告製品を加工、破壊した上で測定するものであって、原告が自らいう「製品状態での測定」とも前提を異にするものである(そもそも、製品状態では糸に様々な方向から様々な力が作用し、一定の「断面積」を得ることは困難であると考えられ、「製品状態での測定」という前提自体、本件明細書や当業者の技術常識から導き得るのかについて疑問なしとしない。)。加えて、上記切断方法は、繊維の方向に垂直に正確に切断されることが保証されるものともいえず、切断角度、切断箇所の違いによる断面積の変化が何ら考慮されていないと見受けられ、測の条件統制にも疑義がある。画像解析についても、糸(及びこれを構成する繊維)の外郭のとらえ方や、空隙の有無等によって「断面積」が異なり得ることが見て取れる。
 これらのことからすると、甲19号証の12に示された測定手段は、画像の作成過程、画像解析の双方において、測定の正確性、合理性が担保されたものとはいえないというべきである。
 また、画像解析の結果報告される糸の断面(空隙を含む外郭)は、不定形で円又はそれに近い形状を備えておらず、かかる画像から、「径」(といえるもの)を認識することも困難である。
ウ そうすると、甲19号証の12によって、被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 小括
 以上によると、被告製品が構成要件1Cの構成を備えるとの原告の主張は、理由がない。」

2024年8月31日土曜日

サポート要件実施可能要件が少数の薬理試験結果により満たされるか争われた事例

 知財高裁令和687日判決言渡
令和5(行ケ)10019 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許権者である被告の有する特許権に対し原告が請求した無効審判の審決(無効理由なし、請求棄却の審決)についての審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 無効審判での訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明)は下記のとおり:
「【請求項1
患者において中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)を処置する方法に使用するための治療上有効量の抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片を含む医薬組成物であって、ここで前記患者が局所コルチコステロイドまたは局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないかまたは前記局所処置が勧められない患者である前記医薬組成物。」
 上記の本件訂正発明の医薬組成物の有効成分は「抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片」であるのに対し、明細書にアトピー性皮膚炎についての薬理効果が示されている抗体は「mAb1」と称される1つのみであった。
 本件訂正発明の進歩性要件、サポート要件、実施可能要件の充足性が争われたが、裁判所はいずれの要件も満たされていると結論した。
 実施例の数と、サポート要件の充足性との関係について、裁判所は次のように判示した。
「しかし、サポート要件の適合性につき、・・・(中略)・・・どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、・・・(中略)・・・演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。

 このように、サポート要件を満たすために必要な実験の数は、発明の構成により課題が解決できることが、メカニズム等から「演繹的に導かれる」場合と、実験結果から「帰納的に導かれる」場合とで異なり、本件のように前者の場合はより少ない実験で足りるという判断が示された。
 
2.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由2(サポート要件違反)について
(1)原告は、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるところ、本件訂正発明はmAb1とは結合親和性や薬物動態が異なる抗体等を含むものであり、これが臨床で治療に使用可能であるとは当業者は認識しない、その結果、本件特許の権利範囲は本件明細書の開示と比して著しく過大となっているとして、サポート要件の適合性に関する本件審決の誤りを主張する。
 この点、特許法3661号は、特許請求の範囲に記載された発明は発明の詳細な説明に実質的に裏付けられていなければならないというサポート要件を定めるところ、その適合性の判断は、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解されるので、以下、この見地から検討する。
(2)本件明細書に示されている本件訂正発明の課題及び当該課題の解決手段は、次のとおりである。
ア まず、前記第22(2)のとおり、本件明細書には、アトピー性皮膚炎(AD)は、強い掻痒感(例えば、激しい痒み)ならびに鱗状及び乾燥した湿疹病変を特徴とする慢性/再発性炎症性皮膚疾患であり、アトピー性皮膚炎の病態生理は、免疫グロブリンE(IgE)による感作、免疫系、及び環境因子の間の複雑な相互作用により影響されること、主な皮膚の欠陥は、遺伝子突然変異と局部炎症との両方の結果である上皮バリアの機能障害を伴う、IgEによる感作を引き起こす免疫障害によるものであるところ、従来のアトピー性皮膚炎のための典型的な処置としては、局所ローション及び保湿剤、局所コルチコステロイド軟膏、クリームまたは注射が含まれるが、これらは、一時的な、不完全な、症状の緩和を提供するに過ぎず、さらに、中等度から重度のアトピー性皮膚炎を有する多くの患者は、局所コルチコステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して耐性になるという問題があったこと、そこで、アトピー性皮膚炎の処置及び/又は防止のための新規標的療法が当業界で必要とされていたことが記載されており、以上の記載及び特許請求の範囲の記載からみると、本件訂正発明の課題は、「中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)患者であって、局所コルチステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないか又は前記局所処置が勧められない患者を処置する方法に使用するための治療上有効な医薬組成物を提供すること」であると認められる。
イ そして、当該課題を解決する手段は「治療上有効量のインターロイキン-4受容体(IL-4R)アンタゴニストを含む医薬組成物」の患者への投与(前記第22(2))である。なお、ここでいう「インターロイキン-4受容体」(IL-4R)アンタゴニスト」とは、IL-4Rに結合するか、又はそれと相互作用し、IL-4Rin vitroまたはin vivoで細胞上で発現される場合にIL-4Rの正常な生物学的シグナリング機能を阻害する任意の薬剤であると記載されており、その非限定例として、ヒトIL-4Rに特異的に結合する抗体または抗体の抗原結合断片が挙げられている。
(3)以上の課題解決を裏付ける根拠として、本件明細書には、以下の開示があることが認められる。
  本件明細書の実施例において取得された抗体は、いずれも甲3に記載のように作成されたものであるところ(0153)、甲3は、公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4hIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることが開示されていることが認められる。
  そうすると、本件訂正発明における抗体は、いずれも抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であり、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであることが認められる。
  そして、本件明細書の実施例1には、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が、甲3に記載のように作成されることが開示されている。
  また、実施例8及び実施例10には、本件患者に対し、mAb1を投与した試験において、アトピー性皮膚炎の病変の割合や重症度、掻痒感を評価する指標であるIGAEASIBSASCORADNRS掻痒感の有意な改善をもたらしたことが確認されている(0324】、【03】、【0389)
・・・(中略)・・・・
(5) 以上の本件明細書の記載及び技術常識を総合すると、本件明細書には、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから、これに接した当業者は、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解するものといえる。そうすると、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体(本件抗体等)であれば、mAb1に限らず、本件患者に対して治療効果を有するであろうことを合理的に認識でき、前記(2)に記載した本件訂正発明の課題を解決できるとの認識が得られるものと認められる。
(6)ところで、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであることは、原告の指摘するとおりである。しかし、サポート要件の適合性につき、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」等を判断するに当たって、どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。上記作用機序は、本件抗体の一つであるmAb1IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであり、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善し、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーも低下したのであるから、mAb1以外の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体である本件抗体等(mAb1以外の32)も同様の作用効果を有すると当業者が理解できることは明らかである。
 本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるとの原告の指摘は、上記認定判断を左右するものではない。
(7)また、原告は、サポート要件違反の根拠として、本件抗体等には、結合親和性、血中半減期、保存安定性等が全く異なるものが含まれている点を挙げる。しかし、アトピー性皮膚炎に対する治療に必要な効果が得られる本件抗体等のスクリーニングが必要となることはあっても(この点は実施可能要件の問題として後述する。)、結合親和性、血中半減期、保存安定性等の違いが、上記作用機序を否定するようなものであると認めるに足りる証拠はない。したがって、本件抗体等の中には結合親和性等の点で違いが存在するとしても、上記(6)で説示したところに照らして、サポート要件違反を導くものとはいえない。
・・・(中略)・・・
3 取消事由3(実施可能要件違反)について
(1)原告は、① 本件特許の特許請求の範囲に記載されている抗体等には、結合親和性が弱いため治療に使用できないものがあり、臨床で治療に使用可能なものを選別しなければならず、また、② 治療上の有効量についても、都度臨床試験で確認する必要があり、いずれについても過度の試行錯誤を要するから、本件訂正発明1~710~16について実施可能要件違反であると主張する。
 この点、特許法3641号に規定する実施可能要件については、明細書の発明の詳細な説明が、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、特許請求の範囲に記載された発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているかを検討すべきである。
(2)以上の枠組みに基づき、まず原告の主張①についてみると、本件抗体等は、前記のとおり抗IL-4Rアンタゴニスト抗体及びその抗原結合断片を意味し、本件明細書の実施例1においては、甲3に記載のように、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が取得されたことが記載されている。そして、甲3は、本件特許の出願時において公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4hIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることを開示したものである。また、実施例の記載によれば、本件患者にmAb1を投与すると、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわちアンタゴニストとしての作用によりアトピー性皮膚炎治療効果を発揮することを理解することができる。
 そうすると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体、すなわち本件訂正発明1における抗体を、公知の方法及びスクリーニングすることにより、過度の試行錯誤を要することなく製造することができ、それを、本件患者に対して投与した場合に治療効果を有することを合理的に理解できるものと認められる。したがって、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件訂正発明1を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているといえる。
(3)次に、原告の主張②(治療上の有効量を都度確認する必要があるとの点)を検討するに、本件明細書には、mAb1の具体的用量300mg(実施例10)が開示されており(0353)、段落【0019】等にも用量の目安の記載があるから、mAb1以外の抗体についても、アンタゴニスト活性の程度に応じて治療上有効量を設定することが当業者にとって過度の試行錯誤を要するとまで認めることはできない。
・・・(中略)・・・
(5)以上により、本件訂正発明1~710~16について実施可能要件違反をいう原告の主張は、採用することができない。」
 

2024年8月4日日曜日

パラメーター発明の進歩性が争われた事例

知財高裁令和6624日判決
令和5(行ケ)10053特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、原告が有する本件特許にされた特許異議申立の、本件特許を取り消す決定(本件決定)に対し、その取り消しを求めた特許取消決定取消請求事件の知財高裁判決である。
 本件発明は「露光用ペリクル膜」についてのパラメーター発明特許であり、本件発明1に定義された「RB0.40以上」を特徴として含む(詳細は下記2参照)。
 異議申立では、引用文献1に記載のCNT(カーボンナノチューブ)ペリクル膜に対する進歩性等が争われた。引用文献1では「RB0.40以上」を満たすか否かについて記載はないことが「相違点1A」とされた。
 本件決定では、RB0.40以上という特徴は、露光用ペリクル膜のバンドルが面内配向をしていることを特定しているものであるところ、引用発明1の「CNT」のバンドルも「複雑なネットワークを平面内に位置し」、面内配向をしているから、「相違点1Aは実質的なものではない」とされ、本件発明1は引用発明1から進歩性なし、とされた。
 これに対して、知財高裁は、「引用発明1CNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、RB 0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない」として、本件決定を取り消した。
 
2.本件発明1(請求項1)(下線は強調のため付加したもの)
1A 支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
1B 前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、
1C 前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、
1D 下記条件式(1)を満たし、
1G 前記カーボンナノチューブシートは、面内配向した前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し、
1H 前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
1I 露光用ペリクル膜。
(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比 RB0.40以上である。
 
3.本件明細書に記載された事項
 判決によれば、本件明細書(20)には、本件発明について次のような開示があることが認められる。
ア 本発明は、半導体デバイス等をリソグラフィ技術により製造する際に使用するフォトマスク又はレチクル及び、塵埃が付着することを防ぐフォトマスク用防塵カバーであるペリクル等、特に、極端紫外光(Extreme Ultraviolet:EUV)リソグラフィ用の極薄膜であるペリクル膜、ペリクル枠体、ペリクル、及びその製造方法、並びにこれらを用いた露光原版、半導体装置の製造方法に関する(0001)
エ 従来、ペリクル膜の膜強度を得るために密度を高めると高い透過率が得られないこと、カーボンナノチューブは製造過程で含まれる金属などの不純物が多く透過率が悪くなることが指摘されていた(0008)
オ そこで、本件発明は、請求項記載の構成を採用した(0013~0 015】、【0017~0019】、【0021】、【0023】、【0024】、【0026~0034)
カ 本件発明によれば、EUV透過性が高く耐熱性に優れたペリクル膜、ペリクル枠体、ペリクルを提供することができる。また、これらを用いた露光原版をもって、EUV光等によって微細化されたパターンを形成でき、異物による解像不良が低減されたパターン露光を行うことできる露光原版及び半導体装置の製造方法を提供することができる(0040)
キ RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す。RBの値は、0.40以上であることが好ましく、0.6以上がより好ましい(0104)
 
4.特許取消決定における判断
「本件発明1について
ア 本件発明1と引用発明1の一致点及び相違点について
[一致点]
「支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、
前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
露光用ペリクル膜。」
[相違点1A]
 カーボンナノチューブシートについて、本件発明1は「前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、」「前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成される バンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、下記条件式(1)を満たし、前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し」「(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比 RB0.40以上である」のに対し、引用発明1は、そのような構成か明らかでない点。
イ 相違点1Aが実質的なものであるかについて
 相違点1Aは実質的なものではない。
 RB 0.40以上事項は、露光用ペリクル膜のバンドルが面内配向をしていることを特定しているものであるところ、引用発明1の「CNT」のバンドルも「複雑なネットワークを平面内に位置し」、面内配向をしている。
 
5.裁判所の判断のポイント
3) RB 0.4以上事項の有無は実質的相違点か
ア 本件決定が認定した本件発明1と引用発明1の相違点1A(別紙3「本 件決定の理由」1(2)アの[相違点1A])の中には「引用発明1ではRB 0.4以上事項の構成が明らかでない」点が含まれているところ、本件決定は、このRB 0.4以上事項の有無に係る相違点は実質的な相違点ではないと判断した。
イ しかし、引用文献1には、RBの数値を特定する記載は一切なく、その示唆もない。また、CNT膜の面内配向性をRBによって特定すること自体も、引用文献1その他の出願時の文献に記載されていたと認めることはできず、技術常識であったということもできない。
ウ 本件決定の上記アの判断は、RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す旨の本件明細書等の記載(0104)から、本件発明1RB 0.4以上事項が、CNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は 面内配向しているものを想定しているから、RB 0.4以上事項を満たすことになるとの理解に基づくものと解される。
 しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、RB0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1CNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、RB 0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない。
エ 被告は、通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、膜厚、バンドル径及び自立性のいずれの観点においても、本件明細書等における比較例1よりは実施例1に相当程度似通っているといえる上、比較例1RBの値(0.353)RB 0.4以上事項の下限である0.4に相当程度近いこと等を考慮すれば、比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB 0.4以上事項を満たしている旨主張する。
 しかし、被告の主張する「通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された」との薄膜自立無秩序SWCNTシートの製造方法や、当該薄膜自立無秩序SWCNTシートの「膜厚、バンドル径及び自立性」について具体的に特定する主張立証はされておらず、したがって、「比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシート」の内容も明らかではないというよりほかない。
 かえって、原告ら提出に係る甲40によれば、原告らが引用文献2記載の方法で作製したCNT自立膜(サンプル12)ではそれぞれRB-0.38-0.26であったのに対し、本件発明の完成当時に製造されたCNT自立膜では1.04だったのであり、薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB 0.4以上事項を満たしているともいえない。
・・・・
(4) 以上のとおりであって、本件決定には、RB 0.4以上事項を含む相違点1Aが実質的なものであることを看過し、引用発明1に基づき本件発明13~5が新規性を欠くとした誤りがあり、取消事由1は理由がある。」

2024年7月28日日曜日

化合物発明の進歩性充足に、顕著な作用効果の立証が必須ではないと示された事例

 知財高裁令和6530日判決令和5(行ケ)10025 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は被告の特許権の無効審判審決(結論:無効理由なし)に対する原告が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決(結論:請求棄却)である。
 本件特許の請求項1ないし5の発明(本件発明1ないし5)は、「下記一般式(1)で表される多環芳香族化合物、または下記一般式(1)で表される構造を複数有する多環芳香族化合物の多量体」という一般式で規定された化合物が記載されている。この化合物は、有機EL素子材料として用いられる。
 本件発明1ないし5の、先行特許文献である甲1号証に記載された発明(甲1発明)等に対する進歩性が争われた。
 無効審判請求人である原告は「進歩性の評価は、発明の構成の容易想到性と作用効果の顕著性の2段階によって行われるのが原則であるが、本件発明1のような化合物発明の場合、作用効果の顕著性の評価が重要であるところ、本件各発明は、外部量子効率が確認されていない化合物を無数に包含しており、・・・作用効果の劣る数値の化合物が存在することは明らかであり、被告は、顕著な作用効果があることの立証責任を果たしていない」こと等を主張した。
 裁判所は、甲1発明に基づいて本件発明1ないし5の化合物に到達する動機付けが存在しないことから、本件発明1ないし5の進歩性を肯定し、更に、「本件では、そもそも甲1発明1及び2に甲2、甲3及び甲44を適用しても本件発明に至る動機付けがなく、本件各発明に構成の容易想到性がないと認められるのであるから、さらに被告が顕著な作用効果を立証しなければならないものではない。」と判示した。
 
2.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「本件発明1ないし5について
 甲1発明1の化合物60ないし69260ないし269は、分子内に特定の環状構造を複数有する化合物について、これらが熱的に安定で電荷輸送材料として優れた特性を有している(1の段落[0008])として記載された、一般式[2-1]で表される化合物の具体例のうちの一部(1の段落[0052])である。甲1には、一般式[2-1]で表される化合物の具体例のみで160の化合物が、全体では1160もの具例化合物が示されているところ、1には、これら具体的に記載された化合物を、別の化学構造の化合物とすることを動機付ける記載はない。
 仮に、甲1全体の記載を参酌して、これらを異なる化合物とすることを試みたとしても、甲1の一般式[2-1][2-2]、さらには一般式[1] (特許請求の範囲等)に記載されたものは、いずれも前記4(2)で検討したとおりの連結系多量体を記載したものであるから、これは本件各発明における多量体の定義によれば、本件各発明に属するものではなく、本件各発明の共有系多量体ないし縮合系多量体に係る多量体に到達するに至る動機付けは存在しない。
 そうすると、本件発明1ないし5は、甲1発明1から容易に想到し得たものでない。」
(4) 原告の主張に対する判断
・・・
エ 原告は、そもそも進歩性の評価は、発明の構成の容易想到性と作用効果の顕著性の2段階によって行われるのが原則であるが、本件発明1のような化合物発明の場合、作用効果の顕著性の評価が重要であるところ、本件各発明は、外部量子効率が確認されていない化合物を無数に包含しており、実施例の範囲に限っても比較例より外部量子効率の劣る実施例が存在しており、原告の実験(47)及び被告の実験(26)においても比較例より外部量子効率の劣る本件化合物の素子例が存在し、HOMO-LUMOギャップや、ΔESTETの数値自体をとってみても、環構造の相違、置換基の種類及び大きさの相違によって大きく変動するもので、作用効果の劣る数値の化合物が存在することは明らかであり、被告は、顕著な作用効果があることの立証責任を果たしていない旨を主張する。
 しかし、上記(3)のとおり、本件では、そもそも甲1発明1及び2に甲2、甲3及び甲44を適用しても本件発明に至る動機付けがなく、本件各発明に構成の容易想到性がないと認められるのであるから、さらに被告が顕著な作用効果を立証しなければならないものではない。原告の主張は、新規な化学構造は容易想到であるから化合物発明の進歩性判断では顕著な作用効果の存在によって進歩性を認めるべきであるとするところ、これは化合物の発明についての原告独自の見解である。
 そして、本件各発明の範囲内の化合物には外部量子効率等の作用効果に劣るものが含まれており顕著な効果の存在が立証されていないとする点について、本件発明1ないし5は、縮合2環構造(D構造)を含む構造上の特徴を有することで、有機EL素子材料として有用な化合物であることが理解でき、実施例において有機EL素子材料としての効果が確認されていることは既に述べたとおりである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。」