2024年10月27日日曜日

均等要件の発明の本質的部分は明細書に記載のない従来技術も考慮して客観的に認定すべきと判示した事例

 東京地裁令和6年10月18日判決
令和4年(ワ)第70058号特許権侵害差止等請求事件
 
1.概要
 本件は、特許権(発明の名称「グラップルバケット装置」)を有する原告が、被告に対し、被告が製造、販売等をする被告製品がいずれも本件特許に係る発明の技術敵範囲に属し特許権を侵害すると主張して被告製品の差止め等を求めた特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 文言侵害及び均等侵害が争われたが、裁判所はどちらも成り立たないと判断した。
 均等侵害成立の5要件の1つは、特許発明の構成要件中に被告製品と異なる部分がある場合でもその相違点が「特許発明の本質的部分でない」ことである。ここで「特許発明の本質的部分」の認定のためには、「従来技術に見られない特有の技術的思想」を認定する必要があり、何を従来技術とするか、本発明が解決する従来技術の課題が何であるかが問題となる。
 裁判所は、明細書に記載されていない従来技術も参酌して「従来技術に見られない特有の技術的思想」を認定すべきであると判断した。
「明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが、出願時の従来技術に照らして客観的に見て不十分な場合には、明細書に記載されていない従来技術も参酌して、当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。そのような場合には、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載のみから認定される場合に比べ、より特許請求の範囲の記載に近接したものとなり、均等が認められる範囲がより狭いものとなると解される。」
 
2.本件発明
 本件発明は次の通りの構成要件に分説することができる。
A 上下方向に回動する建設機械のアームの先端部に、上下方向に回動可能に、かつアームの延長方向の軸心にたいして回動可能にして設けたバケットと、このバケットの両側壁に隣接して位置し、両側壁の開口面との間で木材等の被グラップル材をグラップルできるグラップル部材を、バケットの開口基端部に、バケットの開口部を閉じる方向に回動可能に枢支してなるグラップル装置と、を設けたグラップルバケット装置において、
B バケットの一方の側壁部に、上記バケットの両側壁の開口面とグラップル部材との間でグラップルした被グラップル材を切断する切断装置を設け、
C この切断装置は、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、
D1 切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、
D2 この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせた
E ことを特徴とするグラップルバケット装置。
 
3.裁判所の判断のポイント
「争点1-2(均等侵害の成否)について
(1)判断基準
ア 特許請求の範囲に記載された構成中に相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)と異なる部分が存する場合であっても、①同部分が特許発明の本質的部分ではなく、②同部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、③上記のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、④対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから同出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、⑤対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、同対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である(最高裁平成6年(オ)第1083号同10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁参照)。
イ また、前記ア①の要件(第1要件)における特許発明における本質的部分とは、当該特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分であると解すべきであり、特許請求の範囲及び明細書の記載に基づいて、特許発明の課題及び解決手段とその効果を把握した上で、特許発明の特許請求の範囲の記載のうち、従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が何であるかを確定することによって認定されるべきである。すなわち、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載、特に明細書記載の従来技術との比較から認定されるべきであり、そして、従来技術と比較して特許発明の貢献の程度が大きいと評価される場合には、特許請求の範囲の記載の一部について、これを上位概念化したものとして認定されるが、従来技術と比較して特許発明の貢献の程度がそれ程大きくないと評価される場合には、特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されると解される。
 ただし、明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが、出願時の従来技術に照らして客観的に見て不十分な場合には、明細書に記載されていない従来技術も参酌して、当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。そのような場合には、特許発明の本質的部分は、特許請求の範囲及び明細書の記載のみから認定される場合に比べ、より特許請求の範囲の記載に近接したものとなり、均等が認められる範囲がより狭いものとなると解される。
(2)第1要件について
ア 前記(1)の判断基準に基づいて、本件発明の本質的部分について検討する。
(ア)本件明細書には、特開平11-36355号公報にて知られる従来のグラップルバケット装置では、グラップルした木材が長尺である場合、これをグラップルした状態での搬送中に、この木材が林道脇の木立に接触して搬送不能になってしまうことがあるため、所定以上の長さを有する木材をチェーンソー等の切断装置を用いて作業員が所定の長さに切断しなければならず、作業員の負担になっていたほか、立木の伐採作業を行うことができなかったとの課題があったとの記載がある(【0002】ないし【0018】)。そして、本件明細書において、本件発明は、上下方向に回動する建設機械のアームの先端部に、上下方向に回動可能に、かつアームの延長方向の軸心に対して回動可能にして設けたバケットと、このバケットの両側壁に隣接して位置し、両側壁の開口面との間で木材等の被グラップル材をグラップルできるグラップル部材を、バケットの開口基端部に、バケットの開口部を閉じる方向に回動可能に枢支してなるグラップル装置と、を設けたグラップルバケット装置において、バケットの一方の側壁部に、上記バケットの両側壁の開口面とグラップル部材との間でグラップルした被グラップル材を切断する切断装置を設け、この切断装置は、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせたとの構成を採用することにより(【0020】)、グラップル装置でグラップルした木材等の被グラップル材をグラップルした状態で切断することができるようにし、作業員の負担を軽減すると共に、グラップル装置でグラップルした被グラップル材を搬送する前に、これが長尺の場合にはグラップルした状態であらかじめ切断することにより、被グラップル材が他の物に接触する等のトラブルが生じることなく搬送できるようにして(【0019】)、従来技術が有していた課題を解決するもの(【0024】ないし【0026】)とされている。
(イ)その一方で、本件出願の日の前である平成20年6月12日に公開された甲27文献の記載によれば、同文献には、「走行機構の上に水平方向へ回動し得る旋回体が搭載され、該旋回体から延びる起伏可能なブーム機構を備え、該ブーム機構の先端に作業装置が装着されたショベル型掘削機の構造を有し、前記作業装置は、前記ブーム機構先端部の軸線回りに回転可能に支持された可動体と、該可動体を前記軸線回りに回転させるための軸転駆動部と、前記可動体を前記ブーム機構に対し前記起伏面に沿って回動させるための縦振り駆動部と、前記可動体を前記起伏面に垂直で且つ前記ブーム機構先端部の軸線を含む面に沿って回動させるための横振り駆動部と、前記可動体に支持された開閉駆動可能な把持部と、該把持部の開閉動に沿う面に対向して配置され、該面に沿う方向に揺動駆動される切断装置とを備えていることを特徴とする枝切り走行装置」(請求項1及び【0008】)及び「前記可動体が、パワーショベル又はバックホーのバケットを備え、前記把持部は該バケットの開口縁における一方の側部に設けられ、前記切断装置は前記バケットの開口縁における他方の側部に設けられていることを特徴とする」枝切り走行装置(請求項3及び【0010】)が開示されていることが認められ、さらに、切断装置の具体例として、チェーンソー及びナイフ状カッター(【0026】ないし【0031】、【図5】及び【図6】。両図面については別紙甲27文献図面目録参照)が開示されていることも認められる。
(ウ)前記(イ)によれば、本件特許の出願時において、グラップルバケット装置において、グラップルした木材が長尺である場合、所定以上の長さを有する木材をチェーンソー等の切断装置を用いて作業員が所定の長さに切断しなければならないとの課題については、甲27文献において開示された従来技術によって解決することが可能であったから、本件明細書において従来技術が解決できなかった課題として記載されているところは、出願時の従来技術に照らして客観的に不十分であると認められる。
 そうすると、本件発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分を認定するに当たり、甲27文献に記載されている技術的事項も参酌することが許されるというべきである。
(エ)前記(ウ)において検討したところによれば、本件特許の出願前に、甲27文献において、一方の側部に把持部、他方の側部に切断装置が装着されているバケットを備えた枝切り走行装置が開示されていたと認められるから、本件発明と従来技術との相違は、当該切断装置の構成に係る部分にすぎず、グラップルした被グラップル材を切断できるようにしたグラップルバケット装置であること自体ではないと認められる。そうすると、従来技術と比較して本件発明の貢献の程度が大きいと評価することはできないから、本件発明の本質的部分については、これを上位概念化したものとして認定することはできず、特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されるというべきである。
 したがって、前記(ア)及び(イ)に照らし、本件発明における従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分は、グラップル装置に設けられた切断装置について、バケットの側壁の外側あるいは内側の一方側に位置してバケットの開口縁から離れた位置からバケットの側壁に沿う位置にわたって側壁に沿う方向に回動し、かつバケットの開口縁側に対向する側の側縁に切刃を有してバケットの開口基端部に枢支された切断刃と、上記切断刃の回動基部に連結して上記切断刃を回動させる油圧シリンダとからなり、切断刃の切刃を、切断刃の回動中心と油圧シリンダの連結点を結ぶ線に対して切断刃の切断方向側にずれた位置に設けるとともに、この切刃の切断方向への回動方向に対して後方へ円弧状に反らせたとの構成、すなわち構成要件C及びDに係る構成を採用することによって、回動中心から遠い部分でも、刃先が対象物に当たる傾き角度θの値を大きく保つことで、引き切り作用を保ちスムーズな切断効果を発揮できるようにしたことと認めるのが相当である。
イ 前記2のとおり、被告製品は構成要件D2を充足するとは認められないところ、前記アのとおり、本件発明の構成要件C及びDに係る構成を採用することによって、回動中心から遠い部分でも、刃先が対象物に当たる傾き角度θの値を大きく保つことで、引き切り作用を保ちスムーズな切断効果を発揮できるようにしたことが本件発明の本質的部分であるから、被告製品が本件発明の本質的部分を備えているとは認められず、本件発明と被告製品とが異なる部分が本件発明の本質的部分ではないとはいえない。
 したがって、被告製品は第1要件を充足しない。」

2024年10月20日日曜日

不服審判請求時減縮補正クレームの補正却下に手続違背は無いとされた事例

 知財高裁令和6年10月9日判決言渡
令和5年(行ケ)第10139号 審決取消請求事件

1.概要
本事例は、特許出願人である原告の特許出願に対する拒絶審決(新規性進歩性欠如)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決(審決は適法、請求棄却)である。
拒絶査定では、引用文献(特許公開公報)(甲1)に記載の「引用発明2」に基づき新規性進歩性欠如の拒絶理由が示された。
特許出願人(原告)は、拒絶査定不服審判請求時に請求項発明を減縮する補正を行なった。
審決では、補正後の発明は、同じ甲1に記載の「引用発明1」により進歩性を欠くとして独立特許要件違反により補正を却下し、拒絶査定時の請求項は拒絶査定のとおり「引用文献2」に基づき新規性進歩性欠如と判断した。
原告は、補正却下処分の手続違背を争ったが、知財高裁は、処分は適法と判示した。

「引用発明1及び引用発明2は、同じ引用文献(甲1)に基づくものであって、その内容には共通の部分がある上、甲1は、拒絶査定に先立つ令和4年11月9日付け拒絶理由通知書(甲3)にも引用されていたから、原告には、甲1の記載内容を検討する機会が十分に与えられていたというべきであるから、引用発明1に基づく拒絶理由通知をすることなく、独立特許要件を欠く補正を却下したとしても、原告に対する不意打ちに当たるとはいえず、出願人の防御の機会を保障すべき違法があったということはできない。」

2.裁判所の判断のポイント

「原告は、本件審決に記載された引用発明1と引用発明2は、異なる発明であり、審査では、引用発明2の存在に基づく拒絶理由通知がされ、審決に至るまで引用発明1の存在に基づく拒絶理由通知はされず、引用発明1の存在に基づく拒絶理由に対しての防御機会は与えられなかったから、特許法159条2項、50条本文違反の手続違背があると主張する。確かに、特許庁における手続の経緯等によれば、本願発明についてされた令和4年11月9日付け拒絶理由通知(甲3)では、引用文献1に記載された引用発明2に基づく拒絶理由が通知され、同年12月26日付けで意見書及び手続補正書(甲4、5)を提出した後、令和5年3月16日付けで拒絶査定(甲6)がされ、他方、本件審判請求手続では、同年10月16日付けで、引用文献1に記載された引用発明1に基づき本件補正を却下するとともに、引用発明2に基づき本願発明を拒絶すべきものとして、本件審判請求不成立との本件審決をしたことが認められる。
 しかしながら、法文上、本件補正のように、拒絶査定不服審判請求と同時に特許請求の範囲を減縮することを目的とした補正がされた場合において、当該補正が特許法17条の2第6項において準用する同法126条7項の規定に違反すること(独立特許要件違反)を理由に同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項の規定により補正を却下するときは、拒絶の理由を通知することは要求されていない(同法159条2項において読み替えて準用する同法50条ただし書。なお、同条本文によれば、拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には、拒絶の理由を通知する必要があるが、本件において本願発明の拒絶の理由となったのは、拒絶査定の理由と同じ引用発明2であるから、改めて拒絶の理由を通知すべき場合には該当しない。)。同法159条2項において読み替えて準用する同法50条ただし書は、同法17条の2第1項1号、3号又は4号に掲げるいずれの場合であるかによって、拒絶の理由の通知義務の有無を区別しておらず、いずれの場合においても審査の遅延を防ぐ必要があることに変わりはない。拒絶査定不服審判の請求と同時にされた補正について独立特許要件違反があることを理由に却下しようとする場合にのみ、拒絶の理由を通知すべき義務があると解すべき条文上の根拠は見当たらない。したがって、独立特許要件違反を理由に本件補正を却下するに当たり、拒絶査定の際に提示しなかった引用発明1を根拠にし、その拒絶の理由の通知をしなかったとしても、原則として、特許法に違反するということはできないというべきである。仮に当事者の手続保障の観点から例外を認める場合でも、本件の具体的経過に照らすと、引用発明1及び引用発明2は、同じ引用文献(甲1)に基づくものであって、その内容には共通の部分がある上、甲1は、拒絶査定に先立つ令和4年11月9日付け拒絶理由通知書(甲3)にも引用されていたから、原告には、甲1の記載内容を検討する機会が十分に与えられていたというべきであるから、引用発明1に基づく拒絶理由通知をすることなく、独立特許要件を欠く補正を却下したとしても、原告に対する不意打ちに当たるとはいえず、出願人の防御の機会を保障すべき違法があったということはできない。」

2024年9月23日月曜日

特許権侵害訴訟において、糸の「径」についての構成要件の充足が立証できないと判断された事例

大阪地裁令和6822日判決
令和4()9112(甲事件)・令和4()11173(乙事件)
 
1.概要
 本事例は、原告が有する微細粉粒体のもれ防止用シール材に関する特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 下記2に示すように、本件訂正発明1の構成要件1C(カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、)は、経糸、緯糸、パイル糸の「径」についての特徴である。一方で、明細書の発明の詳細な説明には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」の定義は記載されておらず、それを認識する方法が記載されていない。
 被告が実施する被告製品が、構成要件1Cを充足するか否かが争点となった。
 原告は、被告製品が、構成要件1Cを充足することの証拠として、糸の「断面積」を測定した測定結果を提出した。
 裁判所は、「被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはでき」ないとして、原告の請求を棄却した。
 
2.本件訂正発明の構成要件
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明1)は以下のとおり。下線は強調のため加えた。
 
1A: 微細粉粒体を担持する回転体の外周面にパイルを摺接させながら軸線方向へのもれを防ぐ、画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材であって、
1B: 多数の微細長繊維を束ねて構成されるパイル糸が基布の表面に切断された状態で立設されるカットパイル織物を主体とし、
1C: カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、
1D: パイル糸は、基布の製織方向の少なくとも一方に平行な方向に沿うように配列され、該基布の表面に対して、該配列の方向から予め定める角度θだけ開く方向に傾斜する斜毛状態で、パイル糸を構成する多数の微細長繊維が分離してパイルが形成され、かつパイル間のピッチが狭められるように毛羽立たされており、
1E: 使用状態では、回転体の回転方向に対し、該配列の方向が該予め定める角度θよりも大きな角度φをなすように、該配列の方向を該回転方向に 対して傾斜させることを特徴とする
1F: 画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材。
 
3.裁判所の判断のポイント
争点1(被告製品が、構成要件1Cの構成(地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており)を備えるか)について
(1) 本件明細書の記載
 本件明細書の発明の詳細な説明のうち、【課題を解決するための手段】(0008】から【0023】まで)には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法及び経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない。
・・・(略)・・・
 【0050()には、「たとえば、径が数D(デニール)程度の複数種類の単繊維」との記載が、【0052】には、「たとえば、300D(デニール)程度の複合繊維糸30をパイル糸4として・・」との記載がそれぞれある。
(2) 技術常識
ア 上記本件明細書の記載からは、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法は見当たらず、また、経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない以上、そこから上記の「径」を認識する方法を推測することもできない・・・(略)・・・から、これらは当業者の理解する技術常識によって決すべきこととなる。
イ この点、繊維の形態的な太さは、一般的にその断面が不規則な形状を示しているので、正確な計測は困難であり、したがって、一定の長さ当たりの重量で繊維の太さが示されているとされ、また断面の形状にあっては、天然繊維の形状は、それぞれ特有の形をしており、化学繊維は、その形状も人為的に自由につくることができ、断面は主として紡績方法によって決まり、円形・だ円形その他複雑なものもある、とされている(4。三訂版「繊維」(昭和61年刊行))
 また、繊維における細さ(繊度)にはいろいろの表し方があり、メートル法の番手(1グラムの糸が何メートルの長さを持つかを示すもの。番手が大きいほど糸は細い。)や、デニール、テックス(いずれも一定長の糸の重量)が用いられ、デニールと繊維ごとの比重を用いて断面積を算出する方法もある(5。「繊維の科学」(昭和53年刊行))。撚りの強さによっても見た目の太さが変わる(6。令和2年当時のウェブサイト。)。本件明細書においても、パイル糸の繊度に関し、デニールが用いられている部分がある。
ウ ところで、「径」の字義は、「1さしわたし。直径。2みち。小道。近道。」というものである(7(広辞林第六版)。また、広辞苑第七版においては、「まっすぐ結ぶ道。さしわたし。」とされており、「差渡し(さしわたし)」の字義は、「1さしわたすこと。一方から他方へかけ渡すこと。また、その長さ。2直径。わたり。けい。」とされている。これらを踏まえると、「径」とは「直径」を意味するものと解される。「直径」の字義は、「円または球の中心を通って円周または球面上に両端をもつ線分。また、その長さ。さしわたし。」というものであるから(広辞苑第七版)、「直径」が認識されるためには、平面においては円又はそれに近い形状のものが想定されていると解される。
 他方、前記のとおり、糸は繊維の集合体であって、繊維の断面は一般的に不規則な形状を示すものであるから、少なくとも、「径」の大小の比較に、「断面積」(空隙を除外するかどうかを問わない)を用いることはできないものと解される。この点、原告は、糸の太さを断面積で表すことが当業者にとって一般的な手法となっていたとしてその旨の証拠(25から27まで)を提出するが、それらは口輪筋線維、等方性黒鉛材料の気孔、血管について画像解析により断面積を測定した例にすぎず、技術分野が全く異なるもので、原告主張の事実は認めるに足りない。
(3) 構成要件1Cの充足の検討
ア 原告は、各糸の径は糸の断面積を測定することにより比較判断することが可能であり、かつこれを製品状態で測定すべきものとした上で、かかる測定方法を採用した測定結果を証拠(1912)として提出する。
 この測定は、被告製品のシール材に対し、接着剤を滴下して浸み込ませ、乾燥後、養生テープで固定し、パイル糸の配列方向に対し垂直となるように、シール材に金尺を当てて、カット治具である剃刀刃を沿わせて一回のスライスにより切断し、断面画像を撮像した上、該画像を解析して、緯糸とパイル糸の断面積を求めるというものである。
イ しかし、本件訂正発明1の構成要件1Cは、糸の「径」の大小をその要素としており、糸の太さの比較に断面積を用いることは文言の一義的な意味に反し、また前述の当業者の技術常識にも合致しないものである。
 また、具体的な測定手段をみても、上記測定は、被告製品を加工、破壊した上で測定するものであって、原告が自らいう「製品状態での測定」とも前提を異にするものである(そもそも、製品状態では糸に様々な方向から様々な力が作用し、一定の「断面積」を得ることは困難であると考えられ、「製品状態での測定」という前提自体、本件明細書や当業者の技術常識から導き得るのかについて疑問なしとしない。)。加えて、上記切断方法は、繊維の方向に垂直に正確に切断されることが保証されるものともいえず、切断角度、切断箇所の違いによる断面積の変化が何ら考慮されていないと見受けられ、測の条件統制にも疑義がある。画像解析についても、糸(及びこれを構成する繊維)の外郭のとらえ方や、空隙の有無等によって「断面積」が異なり得ることが見て取れる。
 これらのことからすると、甲19号証の12に示された測定手段は、画像の作成過程、画像解析の双方において、測定の正確性、合理性が担保されたものとはいえないというべきである。
 また、画像解析の結果報告される糸の断面(空隙を含む外郭)は、不定形で円又はそれに近い形状を備えておらず、かかる画像から、「径」(といえるもの)を認識することも困難である。
ウ そうすると、甲19号証の12によって、被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 小括
 以上によると、被告製品が構成要件1Cの構成を備えるとの原告の主張は、理由がない。」

2024年8月31日土曜日

サポート要件実施可能要件が少数の薬理試験結果により満たされるか争われた事例

 知財高裁令和687日判決言渡
令和5(行ケ)10019 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許権者である被告の有する特許権に対し原告が請求した無効審判の審決(無効理由なし、請求棄却の審決)についての審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 無効審判での訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明)は下記のとおり:
「【請求項1
患者において中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)を処置する方法に使用するための治療上有効量の抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片を含む医薬組成物であって、ここで前記患者が局所コルチコステロイドまたは局所カルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないかまたは前記局所処置が勧められない患者である前記医薬組成物。」
 上記の本件訂正発明の医薬組成物の有効成分は「抗ヒトインターロイキン-4受容体(IL-4R)抗体またはその抗原結合断片」であるのに対し、明細書にアトピー性皮膚炎についての薬理効果が示されている抗体は「mAb1」と称される1つのみであった。
 本件訂正発明の進歩性要件、サポート要件、実施可能要件の充足性が争われたが、裁判所はいずれの要件も満たされていると結論した。
 実施例の数と、サポート要件の充足性との関係について、裁判所は次のように判示した。
「しかし、サポート要件の適合性につき、・・・(中略)・・・どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、・・・(中略)・・・演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。

 このように、サポート要件を満たすために必要な実験の数は、発明の構成により課題が解決できることが、メカニズム等から「演繹的に導かれる」場合と、実験結果から「帰納的に導かれる」場合とで異なり、本件のように前者の場合はより少ない実験で足りるという判断が示された。
 
2.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由2(サポート要件違反)について
(1)原告は、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるところ、本件訂正発明はmAb1とは結合親和性や薬物動態が異なる抗体等を含むものであり、これが臨床で治療に使用可能であるとは当業者は認識しない、その結果、本件特許の権利範囲は本件明細書の開示と比して著しく過大となっているとして、サポート要件の適合性に関する本件審決の誤りを主張する。
 この点、特許法3661号は、特許請求の範囲に記載された発明は発明の詳細な説明に実質的に裏付けられていなければならないというサポート要件を定めるところ、その適合性の判断は、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解されるので、以下、この見地から検討する。
(2)本件明細書に示されている本件訂正発明の課題及び当該課題の解決手段は、次のとおりである。
ア まず、前記第22(2)のとおり、本件明細書には、アトピー性皮膚炎(AD)は、強い掻痒感(例えば、激しい痒み)ならびに鱗状及び乾燥した湿疹病変を特徴とする慢性/再発性炎症性皮膚疾患であり、アトピー性皮膚炎の病態生理は、免疫グロブリンE(IgE)による感作、免疫系、及び環境因子の間の複雑な相互作用により影響されること、主な皮膚の欠陥は、遺伝子突然変異と局部炎症との両方の結果である上皮バリアの機能障害を伴う、IgEによる感作を引き起こす免疫障害によるものであるところ、従来のアトピー性皮膚炎のための典型的な処置としては、局所ローション及び保湿剤、局所コルチコステロイド軟膏、クリームまたは注射が含まれるが、これらは、一時的な、不完全な、症状の緩和を提供するに過ぎず、さらに、中等度から重度のアトピー性皮膚炎を有する多くの患者は、局所コルチコステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して耐性になるという問題があったこと、そこで、アトピー性皮膚炎の処置及び/又は防止のための新規標的療法が当業界で必要とされていたことが記載されており、以上の記載及び特許請求の範囲の記載からみると、本件訂正発明の課題は、「中等度から重度のアトピー性皮膚炎(AD)患者であって、局所コルチステロイドまたはカルシニューリン阻害剤による処置に対して十分に応答しないか又は前記局所処置が勧められない患者を処置する方法に使用するための治療上有効な医薬組成物を提供すること」であると認められる。
イ そして、当該課題を解決する手段は「治療上有効量のインターロイキン-4受容体(IL-4R)アンタゴニストを含む医薬組成物」の患者への投与(前記第22(2))である。なお、ここでいう「インターロイキン-4受容体」(IL-4R)アンタゴニスト」とは、IL-4Rに結合するか、又はそれと相互作用し、IL-4Rin vitroまたはin vivoで細胞上で発現される場合にIL-4Rの正常な生物学的シグナリング機能を阻害する任意の薬剤であると記載されており、その非限定例として、ヒトIL-4Rに特異的に結合する抗体または抗体の抗原結合断片が挙げられている。
(3)以上の課題解決を裏付ける根拠として、本件明細書には、以下の開示があることが認められる。
  本件明細書の実施例において取得された抗体は、いずれも甲3に記載のように作成されたものであるところ(0153)、甲3は、公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4hIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることが開示されていることが認められる。
  そうすると、本件訂正発明における抗体は、いずれも抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であり、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであることが認められる。
  そして、本件明細書の実施例1には、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が、甲3に記載のように作成されることが開示されている。
  また、実施例8及び実施例10には、本件患者に対し、mAb1を投与した試験において、アトピー性皮膚炎の病変の割合や重症度、掻痒感を評価する指標であるIGAEASIBSASCORADNRS掻痒感の有意な改善をもたらしたことが確認されている(0324】、【03】、【0389)
・・・(中略)・・・・
(5) 以上の本件明細書の記載及び技術常識を総合すると、本件明細書には、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから、これに接した当業者は、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解するものといえる。そうすると、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体(本件抗体等)であれば、mAb1に限らず、本件患者に対して治療効果を有するであろうことを合理的に認識でき、前記(2)に記載した本件訂正発明の課題を解決できるとの認識が得られるものと認められる。
(6)ところで、本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであることは、原告の指摘するとおりである。しかし、サポート要件の適合性につき、「特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か」等を判断するに当たって、どの範囲の実施例等の裏付けをもって十分とするかについては、当該課題解決の認識がいかなるロジックによって導かれるかという点を踏まえて検討されるべきであり、特許の権利範囲に比して実施例が少なすぎるといった単純な議論が妥当するものではない。
  これを本件についてみるに、本件においては、① mAb1は、抗IL-4Rアンタゴニスト抗体であって、IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであること、② mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善したこと、③ mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーであり、IL-4によって産生・分泌が誘導されることが知られているTARC及びIgEのレベルが低下したことが開示されていることから演繹的に導かれる推論として、本件患者にmAb1を投与した際のアトピー性皮膚炎の治療効果は、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわち、アンタゴニストとしての作用により発揮されるものと理解されるものであって、課題を解決できると認識できる範囲が幅広い実施例から帰納的に導かれる場合とは異なる。上記作用機序は、本件抗体の一つであるmAb1IL-4Rに結合し、IL-4のシグナルを遮断する作用を有するものであり、mAb1が投与された本件患者では、アトピー性皮膚炎における臨床症状が改善し、アトピー性皮膚炎のバイオマーカーも低下したのであるから、mAb1以外の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体である本件抗体等(mAb1以外の32)も同様の作用効果を有すると当業者が理解できることは明らかである。
 本件明細書に開示された薬理試験結果はmAb1に関するもののみであるとの原告の指摘は、上記認定判断を左右するものではない。
(7)また、原告は、サポート要件違反の根拠として、本件抗体等には、結合親和性、血中半減期、保存安定性等が全く異なるものが含まれている点を挙げる。しかし、アトピー性皮膚炎に対する治療に必要な効果が得られる本件抗体等のスクリーニングが必要となることはあっても(この点は実施可能要件の問題として後述する。)、結合親和性、血中半減期、保存安定性等の違いが、上記作用機序を否定するようなものであると認めるに足りる証拠はない。したがって、本件抗体等の中には結合親和性等の点で違いが存在するとしても、上記(6)で説示したところに照らして、サポート要件違反を導くものとはいえない。
・・・(中略)・・・
3 取消事由3(実施可能要件違反)について
(1)原告は、① 本件特許の特許請求の範囲に記載されている抗体等には、結合親和性が弱いため治療に使用できないものがあり、臨床で治療に使用可能なものを選別しなければならず、また、② 治療上の有効量についても、都度臨床試験で確認する必要があり、いずれについても過度の試行錯誤を要するから、本件訂正発明1~710~16について実施可能要件違反であると主張する。
 この点、特許法3641号に規定する実施可能要件については、明細書の発明の詳細な説明が、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、特許請求の範囲に記載された発明を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているかを検討すべきである。
(2)以上の枠組みに基づき、まず原告の主張①についてみると、本件抗体等は、前記のとおり抗IL-4Rアンタゴニスト抗体及びその抗原結合断片を意味し、本件明細書の実施例1においては、甲3に記載のように、「mAb1」を含む33種の抗IL-4Rアンタゴニスト抗体が取得されたことが記載されている。そして、甲3は、本件特許の出願時において公知の方法により取得した抗IL-4R抗体を、結合親和性及びhIL-4hIL-4Rへの結合を遮断する効力についてスクリーニングすることにより、hIL-4の活性及びhIL-13の活性をブロックする抗体、すなわち抗IL-4Rアンタゴニスト抗体を得ることを開示したものである。また、実施例の記載によれば、本件患者にmAb1を投与すると、mAb1IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用、すなわちアンタゴニストとしての作用によりアトピー性皮膚炎治療効果を発揮することを理解することができる。
 そうすると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識に基づいて、IL-4Rに結合しIL-4を遮断する作用を有する抗IL-4Rアンタゴニスト抗体、すなわち本件訂正発明1における抗体を、公知の方法及びスクリーニングすることにより、過度の試行錯誤を要することなく製造することができ、それを、本件患者に対して投与した場合に治療効果を有することを合理的に理解できるものと認められる。したがって、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者において、その記載及び出願時の技術常識に基づいて、過度の試行錯誤を要することなく、本件訂正発明1を実施できる程度に明確かつ十分に記載されているといえる。
(3)次に、原告の主張②(治療上の有効量を都度確認する必要があるとの点)を検討するに、本件明細書には、mAb1の具体的用量300mg(実施例10)が開示されており(0353)、段落【0019】等にも用量の目安の記載があるから、mAb1以外の抗体についても、アンタゴニスト活性の程度に応じて治療上有効量を設定することが当業者にとって過度の試行錯誤を要するとまで認めることはできない。
・・・(中略)・・・
(5)以上により、本件訂正発明1~710~16について実施可能要件違反をいう原告の主張は、採用することができない。」
 

2024年8月4日日曜日

パラメーター発明の進歩性が争われた事例

知財高裁令和6624日判決
令和5(行ケ)10053特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、原告が有する本件特許にされた特許異議申立の、本件特許を取り消す決定(本件決定)に対し、その取り消しを求めた特許取消決定取消請求事件の知財高裁判決である。
 本件発明は「露光用ペリクル膜」についてのパラメーター発明特許であり、本件発明1に定義された「RB0.40以上」を特徴として含む(詳細は下記2参照)。
 異議申立では、引用文献1に記載のCNT(カーボンナノチューブ)ペリクル膜に対する進歩性等が争われた。引用文献1では「RB0.40以上」を満たすか否かについて記載はないことが「相違点1A」とされた。
 本件決定では、RB0.40以上という特徴は、露光用ペリクル膜のバンドルが面内配向をしていることを特定しているものであるところ、引用発明1の「CNT」のバンドルも「複雑なネットワークを平面内に位置し」、面内配向をしているから、「相違点1Aは実質的なものではない」とされ、本件発明1は引用発明1から進歩性なし、とされた。
 これに対して、知財高裁は、「引用発明1CNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、RB 0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない」として、本件決定を取り消した。
 
2.本件発明1(請求項1)(下線は強調のため付加したもの)
1A 支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
1B 前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、
1C 前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、
1D 下記条件式(1)を満たし、
1G 前記カーボンナノチューブシートは、面内配向した前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し、
1H 前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
1I 露光用ペリクル膜。
(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比 RB0.40以上である。
 
3.本件明細書に記載された事項
 判決によれば、本件明細書(20)には、本件発明について次のような開示があることが認められる。
ア 本発明は、半導体デバイス等をリソグラフィ技術により製造する際に使用するフォトマスク又はレチクル及び、塵埃が付着することを防ぐフォトマスク用防塵カバーであるペリクル等、特に、極端紫外光(Extreme Ultraviolet:EUV)リソグラフィ用の極薄膜であるペリクル膜、ペリクル枠体、ペリクル、及びその製造方法、並びにこれらを用いた露光原版、半導体装置の製造方法に関する(0001)
エ 従来、ペリクル膜の膜強度を得るために密度を高めると高い透過率が得られないこと、カーボンナノチューブは製造過程で含まれる金属などの不純物が多く透過率が悪くなることが指摘されていた(0008)
オ そこで、本件発明は、請求項記載の構成を採用した(0013~0 015】、【0017~0019】、【0021】、【0023】、【0024】、【0026~0034)
カ 本件発明によれば、EUV透過性が高く耐熱性に優れたペリクル膜、ペリクル枠体、ペリクルを提供することができる。また、これらを用いた露光原版をもって、EUV光等によって微細化されたパターンを形成でき、異物による解像不良が低減されたパターン露光を行うことできる露光原版及び半導体装置の製造方法を提供することができる(0040)
キ RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す。RBの値は、0.40以上であることが好ましく、0.6以上がより好ましい(0104)
 
4.特許取消決定における判断
「本件発明1について
ア 本件発明1と引用発明1の一致点及び相違点について
[一致点]
「支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、
前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
露光用ペリクル膜。」
[相違点1A]
 カーボンナノチューブシートについて、本件発明1は「前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、」「前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成される バンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、下記条件式(1)を満たし、前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し」「(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比 RB0.40以上である」のに対し、引用発明1は、そのような構成か明らかでない点。
イ 相違点1Aが実質的なものであるかについて
 相違点1Aは実質的なものではない。
 RB 0.40以上事項は、露光用ペリクル膜のバンドルが面内配向をしていることを特定しているものであるところ、引用発明1の「CNT」のバンドルも「複雑なネットワークを平面内に位置し」、面内配向をしている。
 
5.裁判所の判断のポイント
3) RB 0.4以上事項の有無は実質的相違点か
ア 本件決定が認定した本件発明1と引用発明1の相違点1A(別紙3「本 件決定の理由」1(2)アの[相違点1A])の中には「引用発明1ではRB 0.4以上事項の構成が明らかでない」点が含まれているところ、本件決定は、このRB 0.4以上事項の有無に係る相違点は実質的な相違点ではないと判断した。
イ しかし、引用文献1には、RBの数値を特定する記載は一切なく、その示唆もない。また、CNT膜の面内配向性をRBによって特定すること自体も、引用文献1その他の出願時の文献に記載されていたと認めることはできず、技術常識であったということもできない。
ウ 本件決定の上記アの判断は、RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す旨の本件明細書等の記載(0104)から、本件発明1RB 0.4以上事項が、CNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は 面内配向しているものを想定しているから、RB 0.4以上事項を満たすことになるとの理解に基づくものと解される。
 しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、RB0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1CNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、RB 0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない。
エ 被告は、通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、膜厚、バンドル径及び自立性のいずれの観点においても、本件明細書等における比較例1よりは実施例1に相当程度似通っているといえる上、比較例1RBの値(0.353)RB 0.4以上事項の下限である0.4に相当程度近いこと等を考慮すれば、比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB 0.4以上事項を満たしている旨主張する。
 しかし、被告の主張する「通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された」との薄膜自立無秩序SWCNTシートの製造方法や、当該薄膜自立無秩序SWCNTシートの「膜厚、バンドル径及び自立性」について具体的に特定する主張立証はされておらず、したがって、「比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシート」の内容も明らかではないというよりほかない。
 かえって、原告ら提出に係る甲40によれば、原告らが引用文献2記載の方法で作製したCNT自立膜(サンプル12)ではそれぞれRB-0.38-0.26であったのに対し、本件発明の完成当時に製造されたCNT自立膜では1.04だったのであり、薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB 0.4以上事項を満たしているともいえない。
・・・・
(4) 以上のとおりであって、本件決定には、RB 0.4以上事項を含む相違点1Aが実質的なものであることを看過し、引用発明1に基づき本件発明13~5が新規性を欠くとした誤りがあり、取消事由1は理由がある。」

2024年7月28日日曜日

化合物発明の進歩性充足に、顕著な作用効果の立証が必須ではないと示された事例

 知財高裁令和6530日判決令和5(行ケ)10025 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は被告の特許権の無効審判審決(結論:無効理由なし)に対する原告が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決(結論:請求棄却)である。
 本件特許の請求項1ないし5の発明(本件発明1ないし5)は、「下記一般式(1)で表される多環芳香族化合物、または下記一般式(1)で表される構造を複数有する多環芳香族化合物の多量体」という一般式で規定された化合物が記載されている。この化合物は、有機EL素子材料として用いられる。
 本件発明1ないし5の、先行特許文献である甲1号証に記載された発明(甲1発明)等に対する進歩性が争われた。
 無効審判請求人である原告は「進歩性の評価は、発明の構成の容易想到性と作用効果の顕著性の2段階によって行われるのが原則であるが、本件発明1のような化合物発明の場合、作用効果の顕著性の評価が重要であるところ、本件各発明は、外部量子効率が確認されていない化合物を無数に包含しており、・・・作用効果の劣る数値の化合物が存在することは明らかであり、被告は、顕著な作用効果があることの立証責任を果たしていない」こと等を主張した。
 裁判所は、甲1発明に基づいて本件発明1ないし5の化合物に到達する動機付けが存在しないことから、本件発明1ないし5の進歩性を肯定し、更に、「本件では、そもそも甲1発明1及び2に甲2、甲3及び甲44を適用しても本件発明に至る動機付けがなく、本件各発明に構成の容易想到性がないと認められるのであるから、さらに被告が顕著な作用効果を立証しなければならないものではない。」と判示した。
 
2.進歩性についての裁判所の判断のポイント
「本件発明1ないし5について
 甲1発明1の化合物60ないし69260ないし269は、分子内に特定の環状構造を複数有する化合物について、これらが熱的に安定で電荷輸送材料として優れた特性を有している(1の段落[0008])として記載された、一般式[2-1]で表される化合物の具体例のうちの一部(1の段落[0052])である。甲1には、一般式[2-1]で表される化合物の具体例のみで160の化合物が、全体では1160もの具例化合物が示されているところ、1には、これら具体的に記載された化合物を、別の化学構造の化合物とすることを動機付ける記載はない。
 仮に、甲1全体の記載を参酌して、これらを異なる化合物とすることを試みたとしても、甲1の一般式[2-1][2-2]、さらには一般式[1] (特許請求の範囲等)に記載されたものは、いずれも前記4(2)で検討したとおりの連結系多量体を記載したものであるから、これは本件各発明における多量体の定義によれば、本件各発明に属するものではなく、本件各発明の共有系多量体ないし縮合系多量体に係る多量体に到達するに至る動機付けは存在しない。
 そうすると、本件発明1ないし5は、甲1発明1から容易に想到し得たものでない。」
(4) 原告の主張に対する判断
・・・
エ 原告は、そもそも進歩性の評価は、発明の構成の容易想到性と作用効果の顕著性の2段階によって行われるのが原則であるが、本件発明1のような化合物発明の場合、作用効果の顕著性の評価が重要であるところ、本件各発明は、外部量子効率が確認されていない化合物を無数に包含しており、実施例の範囲に限っても比較例より外部量子効率の劣る実施例が存在しており、原告の実験(47)及び被告の実験(26)においても比較例より外部量子効率の劣る本件化合物の素子例が存在し、HOMO-LUMOギャップや、ΔESTETの数値自体をとってみても、環構造の相違、置換基の種類及び大きさの相違によって大きく変動するもので、作用効果の劣る数値の化合物が存在することは明らかであり、被告は、顕著な作用効果があることの立証責任を果たしていない旨を主張する。
 しかし、上記(3)のとおり、本件では、そもそも甲1発明1及び2に甲2、甲3及び甲44を適用しても本件発明に至る動機付けがなく、本件各発明に構成の容易想到性がないと認められるのであるから、さらに被告が顕著な作用効果を立証しなければならないものではない。原告の主張は、新規な化学構造は容易想到であるから化合物発明の進歩性判断では顕著な作用効果の存在によって進歩性を認めるべきであるとするところ、これは化合物の発明についての原告独自の見解である。
 そして、本件各発明の範囲内の化合物には外部量子効率等の作用効果に劣るものが含まれており顕著な効果の存在が立証されていないとする点について、本件発明1ないし5は、縮合2環構造(D構造)を含む構造上の特徴を有することで、有機EL素子材料として有用な化合物であることが理解でき、実施例において有機EL素子材料としての効果が確認されていることは既に述べたとおりである。
 したがって、原告の上記主張は採用することができない。」

2024年6月30日日曜日

パラメーター発明の特許権に対し先使用権の抗弁が成立する範囲について争われた事例

知財高裁令和6425日判決
令和3()10086特許権侵害差止等請求控訴事件
(原審・大阪地方裁判所平成29()1390)
 
1.概要
 本事例は、特許権侵害行為差止請求事件の控訴審の知財高裁判決である。
 本件特許権1〜7の特許権者である控訴人(一審原告)は、被控訴人(一審被告)が製造する複数の製品が本件特許権1等の技術的範囲に属するとして差し止めを請求した。被控訴人は、本件特許権の優先日よりも前から403W製品を実施しており、侵害被疑物品の実施は403W製品に基づく先使用権による通常実施権の及ぶ範囲であると抗弁した。知財高裁は、先使用権の成立を認め、控訴を棄却した。
 本件各発明1(本件特許1の請求項131416及び17の総称)は、光拡散部を有する長尺状の筐体と、前記筐体の長尺方向に沿って前記筐体内に配置された複数の発光素子とを備えたランプであって、前記複数の発光素子の各々の光が前記ランプの最外郭を透過したときに得られる輝度分布の半値幅をy(mm)とし、隣り合う前記発光素子の発光中心間隔をx(mm)とすると、y/x1.09の関係を満たすランプに関する、いわゆるパラメーター発明である。
 被控訴人が本件特許の優先日よりも前に実施していた403W製品ではy/x値は1.27~1.40であった。先使用権が成立するのは1.27~1.40に限られるのか否かが争点となった。知財高裁は、「先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図ることにあり、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式以外に変更することを一切認めないのは、先使用権者にとって酷であって相当ではなく、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが同条の文理にも沿う」、「被控訴人403W発明に具現された発明と同一性を失わない範囲は、1.1~1.7又は1.7を超える範囲と認定できるから、1.1~1.7又は1.7を超える範囲は、先使用権者である被控訴人が自己のものとして支配していた範囲と認められる。」として、先使用権の成立する範囲を広く認定した。
 
2.裁判所の判断のポイント
2.1.本件各発明1(本件特許1の請求項131416及び17)について
(2) ・・・本件各発明1は、次のようなものと認められる。
ア 技術分野
 本件各発明1は、発光ダイオード(LED)を用いた直管形のLEDランプ及びこれを備えた照明装置に関する(0001)
イ 発明が解決しようとする課題
 LEDランプでは、LEDモジュールが筐体内に収納され、当該LEDモジュールは、一定間隔で並べられた複数のLED(LED素子やベアチップ)を有するところ、従来、LEDの並び方向に沿って発光輝度の高い領域(LEDが実装された部分)と発光輝度の低い領域(LEDが実装されていない部分)とが繰り返して現れ、筐体を透過するLEDの光に輝度差が生じるので、ユーザに光の粒々感を与えるという問題があり、特に、直管形LEDランプでは、ユーザは一層粒々感を感じる傾向にある(0006】、【0007)
 この課題に対して、ランプの光拡散性を高めれば粒々感を解消することは自明であるが、その副作用として光束が低下してしまい、ランプ照度が低下してしまう。そのため、光束低下を最小限に抑えた上で粒々感を抑制することが重要となるが、従来、(1)粒々感の定義があいまいで数値化されておらず、ランプ設計にフィードバックすることが非常に困難であったこと、(2)粒々感に影響を与えるランプの構造として、光源素子の間隔や筐体(チューブ)の素材、あるいは光源素子から筐体までの距離等が多種多様であること、すなわち、粒々感に影響を及ぼし得るパラメータが非常に多い中で、光束低下を必要最小限に抑えて粒々感を抑制することが極めて困難であった(0023】、【0024)
ウ 課題を解決する手段(本件各発明1)
 本件各発明1は、光拡散部を有する長尺状の筐体と、前記筐体の長尺方向に沿って前記筐体内に配置された複数の発光素子とを備えたランプであって、前記複数の発光素子の各々の光が前記ランプの最外郭を透過したときに得られる輝度分布の半値幅をy(mm)とし、隣り合う前記発光素子の発光中心間隔をx(mm)とすると、yxが所定の関係を満たすものであり(0009)光束低下を最小限に抑えて効果的に粒々感を抑制することのできる画一的な領域を見いだすとともに、その領域を数値化することに成功したもの、すなわち、ランプ最外郭から発せられる光源一つの輝度分布をパラメータとして採用することで、輝度均斉度との関係で粒々感を定量化することができるという知見、具体的には、輝度均斉度を85%以上とすることにより、粒々感がほとんど感じられなくなること、実験結果(7A)から、LED1個の輝度分布における半値幅y(mm)(6A)と、隣り合うLEDの発光中心間隔x(mm)(6B)と、一列に並べられたLEDの輝度均斉度とには、相関関係があり、拡散部材の材料がガラス及びポリカーボネートのいずれであっても、y=αx(85%の輝度均斉度はy=1.09x90%の輝度均 斉度はy=1.21x95%の輝度均斉度はy=1.49x)として直線近似で きる(7B)こと、各直線における相関係数R2から輝度分布の半値幅yLEDの発光中心間隔xと輝度均斉度とには高い相関関係があること、という知見を得てできたもので(0025】【0082】【0083】【0086~0088】【0090)光拡散部を有する長尺状の筐体と、前記筐体の長尺方向に沿って前記筐体内に配置された複数の発光素子とを備えたランプであって、前記複数の発光素子の各々の光が前記ランプの最外郭を透過したときに得られる輝度分布の半値幅をy(mm)とし、隣り合う前記発光素子の発光中心間隔をx(mm)とすると、y≧1.09xの関係を満たすランプ(0009)である。
エ 本件各発明1の効果
 本件各発明1によると、ユーザが感じられないまでに粒々感を抑制することのできるランプ及び照明装置を実現することができる(0021)
(3) 本件各発明1に係るパラメータの技術的範囲
・・・・
イ 本件各発明1に係るパラメータの要旨
 本件各発明1は、「ランプ」又は「照明装置」に係る発明であって、「物」の発明である。そして、「物」の発明である本件各発明1において、近似式y=αxからなる本件に係るパラメータにおいて、αがとり得る値の範囲を特定するものである。
・・・
ウ 直線近似式の意義と輝度均斉度の精度
・・・・
 このように、本件パラメータは、その特定されるy/x値を満たす場合であっても、輝度均斉度の目標値に近い値を達成できる(目標値を下回ることもあれば、上回ることもある)ということを意味するにすぎない。より具体的には、本件明細書1(0087)から、
1.09≦y/x≦1.21の数値範囲において85%から90%程度の輝度均斉度が、
1.21≦y/x≦1.49の数値範囲において90%から95%程度の輝度均斉度が、
1.49≦y/xの数値範囲において95%程度の輝度均斉度がおおよそ得られることが期待できるものである。そもそも各輝度均斉度の目標値についても、この目標値の前後において、「粒々感」に係る光学的な効果が大きく変化するような臨界的な意義を持つものでもなく、本件パラメータによって、目標とする輝度均斉度がおおよそ得られることが期待できれば十分であると理解できる。」
 
2.2.先使用権について
(3) 先使用権の範囲
ア 特許出願に係る発明の内容を知らないで自らその発明をし、又は特許出願に係る発明の内容を知らないでその発明をした者から知得して、特許出願の際現に日本国内においてその発明の実施である事業をしている者又はその事業の準備をしている者は、その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において、その特許出願に係る特許権について通常実施権を有する(特許法79)
 上記のとおり、先使用権者は、「その実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内において」特許権につき通常実施権を有するものとされるが、ここにいう「実施又は準備をしている発明及び事業の目的の範囲内」とは、特許発明の特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に日本国内において実施又は準備していた実施形式だけでなく、これに具現されている技術的思想、すなわち発明の範囲をいうものであり、したがって、先使用権の効力は、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式だけでなく、これに具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶものと解するのが相当である(最高裁昭和61()454号同年103日第二小法廷判決・民集4061068頁参照)
 そして、先使用権制度の趣旨が、主として特許権者と先使用権者との公平を図る ことにあり、特許出願の際(優先権主張日)に先使用権者が現に実施又は準備をしていた実施形式以外に変更することを一切認めないのは、先使用権者にとって酷であって相当ではなく、先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが同条の文理にも沿うと考えられること(前記最高裁判決参照)からすると、実施形式において具現された発明を認定するに当たっては、当該発明の具体的な技術内容だけでなく、当該発明に至った具体的な経過等を踏まえつつ、当該技術分野における本件特許発明の特許出願当時(優先権主張日当時)の技術水準や技術常識を踏まえて、判断するのが相当である。
イ 被控訴人403W製品に具現されている発明
(証拠(388)によると、被控訴人403W製品は、試料No.1No.2について、LED99個のうち左から18~35番目、及び、38~50番目までのLED31個についてy/x値を計測したところ、試料No.1については、最小値1.272、最大値1.363、平均値1.2711.370であり、試料No.2については、最小値1.326、最大値1.381、平均値1.3041.387であったことが認められる。また、被控訴人403W製品全24本について、左から25番目と50番目のLED2個についてy/x値を計測したところ、左から25番目のLEDについては、最小値1.303、最大値1.388、平均値1.2811.397であり、左から50番目のLEDについては、最小値1.297、最大値1.381、平均値1.2721.403であったことが認められる。
 ここで、工業製品にあっては、同一生産工程で生産されても、その品質はさまざまな原因によってばらつきが存在するものであり、照明器具においても同様のことがいえると解されるところ、上記のとおり、被控訴人403W製品においても、それぞれ数値範囲にばらつきが生じているものと理解できる。また、品質管理の手法としては、製品の検査結果を要求される品質標準と比較して、この差(製造誤差)を標準偏差の3(3σ)の範囲に収めることが一般的に採用される手法の一つであると理解できる(388、弁論の全趣旨)。これらを踏まえると、被控訴人403W製品のy/x値は、実測値で1.27~1.38程度、一般的な製造誤差を考慮した場合であるは、403W製品に要求される品質標準は不明であるものの、一般的な管理手法に照らせば、実測された平均値がそれに該当するといえ、被控訴人403W製品のy/x値は、おおむね1.27~1.40程度であったと認めることができる。
(また、先使用権に係る実施品である403W製品は、本件優先日1前において公然実施されていた402W製品とシリーズ品を構成する(35)から、被控訴人402W製品と極めて関連性が高い公然実施品である。
 そして、403W製品は、402W製品と共通のカバー部材を採用しつつ(315)402W製品と比べると、LEDの個数を減らしつつも「粒々感の解消」を図った超エコノミータイプとの位置づけであった(297)。すなわち、403W製品は、402W製品との比較でいえば、y(半値幅)を固定して、x(LEDチップの配列ピッチ)を工夫しつつ、本件各発明1と同様の課題である粒々感を抑えている(所定の輝度均斉度を得ている)ものと理解できる(35)
 ここで、証拠(317)によると、・・・402W製品のy/x値は1.7程度であり、その余の402W製品のy/x値は更に大きいこと(77では1.89)が認められる。
・・・
 以上のことを踏まえると、403W製品に具現化された発明であるy/x値が1.4を超える部分から1.7又は1.7を超える範囲は、被控訴人においてx値を適宜調整することで実現していた範囲であって自己のものとして支配していた範囲であるといえる。
(さらに、本件各発明1の課題であるLED照明の粒々感を抑えることは、LED照明の当業者において本件優先権主張日前から知られた課題であり、当業者はこのような課題につき、本件パラメータを用いずに、試行錯誤を通じて、粒々感のない照明器具を製造していたものといえる。そのような技術状況からすると、「物」の発明の特定事項として数式が用いられている場合には、出願(優先権主張日)前において実施していた製品又は実施の準備をしている製品が、後に出願され権利化された発明の特定する数式によって画定される技術的範囲内に包含されることがあり得るところであり、被控訴人が本件パラメータを認識していなかったことをもって、先使用権の成立を否定すべきではない。
 そこで、本件優先日1当時の技術水準や技術常識等についてみると、前記認定のとおり、輝度均斉度が85%程度を上回ることで粒々感に対処できることが周知技術(402、甲31)であったこと、y/x値が1.208~1.278程度の・・・製品2が、本件優先日1前に公然実施されていたこと、403W製品は、402W製品と比較して、LEDの個数を減らす設計によるものであって、本件各発明1と同様の課題である粒々感を抑えることができる範囲内でx値を402W製品より大きくし、y/x値を輝度均斉度が85%程度となる1.1程度まで小さくすることは、402W製品を起点とした403W製品の設計に至る間の延長線上にあるといえる。以上のことからすると、y/x値が1.27~1.1を満たす製品を設計することは、403W製品によって具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式というべきである。
(まとめ
 以上のとおり、被控訴人403W製品に具現されたy/x値との同一の範囲は、1.27~1.40と認定でき、また、被控訴人403W発明に具現された発明と同一性を失わない範囲は、1.1~1.7又は1.7を超える範囲と認定できるから、1.1~1.7又は1.7を超える範囲は、先使用権者である被控訴人が自己のものとして支配していた範囲と認められる。

2024年6月23日日曜日

先行技術と一部が重複する数値範囲の新規性進歩性が争点となった事例

知財高裁令和6514日判決言渡

令和5(行ケ)10098 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件は、原告が請求した被告が有する特許権に対する無効審判の審決(新規性、進歩性、サポート要件を肯定)の取消を求めて原告が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決である。

 本件発明1は、衣料用洗浄剤組成物に関する発明であり、「(C)成分:下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤0.02~1.5質量%」を含むことを特徴とする。

 先行技術文献である甲第1号証に記載の衣料用洗浄剤組成物に関する発明(甲1発明)では、当該(C)成分に相当する「MGDA(Trilon(R) M)」を「0.1~5wt%」の量で含むものであった(相違点1)。

 要するに、本件発明1「0.02  ~  1.5質量%

      甲1発明     「0.1    ~    5wt%

であり、甲1発明の数値範囲に含まれる下限値を含む「0.1-1.5wt%」の部分が本件発明1と重複する。

 原告(無効審判請求人)は、本件発明1は1発明に対して「新規性なし」、「進歩性なし」と主張した。

 無効審判審決では、本件発明1は甲1発明に対して「新規性あり」且つ「進歩性あり」と判断し、無効理由は存在しないと判断した。

 知財高裁は、「新規性あり」だが「進歩性なし」と判断し、進歩性に関して審決を取り消した。

 

2.本件発明1(訂正後の請求項1に記載の発明)

(A)成分:アニオン界面活性剤(但し、炭素数10~20の脂肪酸塩を除く)と、

(B)成分:44’-ジクロロ-2-ヒドロキシジフェニルエーテルを含むフェノール型抗菌剤と、

(C)成分:下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤0.02~1.5質量%と、

(G)成分としてノニオン界面活性剤を含み、

(G)成分の含有量が、衣料用洗浄剤組成物の総質量に対し、20~40質量であり、

(G)成分が、下記一般式(I)又は(II)で表される少なくとも1種であり、

R2-C(=O)O-[(EO)s/(PO)t]-(EO)u-R3 ・・・(I)

R4-O-[(EO)v/(PO)w]-(EO)x-H ・・・(II) 

((I)中、R2は炭素数7~22の炭化水素基であり、R3は炭素数1~6のアルキル基であり、sEOの平均繰り返し数を表し、6~20の数であり、tPOの平均繰り返し数を表し、0~6の数であり、uEOの平均繰り返し数を表し、0~20の数であり、EOはオキシエチレン基を表し、POはオキシプロピレン基を表す。

(II)中、R4は炭素数12及び14の天然アルコール由来の炭化水素であり、vxは、それぞれ独立にEOの平均繰り返し数を表す数で、v+x3 ~20であり、POはオキシプロピレン基を表し、wPOの平均繰り返し数を表し、w0~6である。)

(A)成分/(C)成分で表される質量比(A/C)10~100である衣料用洗浄剤組成物(但し、クエン酸二水素銀を含有する組成物を除く)

式(c1)・・・(省略)・・・」

 

3.本件発明1と甲1発明の一致点及び相違点

〔一致点〕

(A)成分:アニオン界面活性剤(但し、炭素数10~20の脂肪酸塩を除く)と、

(B)成分:44’-ジクロロ-2-ヒドロキシジフェニルエーテルを含むフェノール型抗菌剤と、

(C)成分:下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤と、

ノニオン界面活性剤を含む、

衣料用洗浄剤組成物(但し、クエン酸二水素銀を含有する組成物を除く)

式(c1)・・・(省略)・・・。」

 

〔相違点1

 本件発明1では、「(C)成分:下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤」の含有量が「0.02~1.5質量%」であるのに対し、

 甲1発明では、当該成分に相当する「MGDA(Trilon(R) M)」の含有量が「0.1~5wt%」である点。

 

4.相違点1についての無効審判審決の判断(新規性肯定、進歩性肯定)

「相違点1について

 本件発明1における「(C)成分:下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤」の含有量(0.02~1.5質量%)と、甲1発明における「MGDA(Trilon(R) M)」の含有量(0.1~5wt%)は、少なくとも0.1~1.5質量%の範囲で一部重複するが、後者の数値範囲は、前者の数値範囲に完全に包含されるものではなく、前者の含有量を必ず充足するとはいえないため、当該含有量は、実質的な相違点である。

 そして、「(C)成分下記式(c1)で表される化合物を含むアミノカルボン酸型キレート剤」の含有量が「0.02~1.5質量%」であることは、甲1に記載がなく、甲2ないし6にも記載されていない。

 したがって、本件発明1の「(C)成分」に相当する「MGDA(Trilon(R) M)」の含有量が「0.1~5wt%」である甲1発明において、その含有量を「0.02~1.5質量%」に変更することは、当業者が容易になし得ることではない。」

 

5.裁判所の判断のポイント

相違点1が実質的な相違点か(新規性あるか)?=実質的な相違点でありこの点で新規性あり、審決に誤りはない


「甲1発明におけるMGDA(Trilon M)の含有量「0.1~5 wt%」は、本件発明1における(C)成分の含有量「0.02~1.5質量%」と一部重複するものの、1発明における含有量の割合の範囲は、本件発明1における含有量の割合の範囲に該当しないものを含んでいる。

 したがって、本件発明1と甲1発明との相違点1は実質的な相違点であるというべきであり、これが形式的な相違点であるとは認められない。

 

相違点1に係る特徴が容易に想到しうるか(進歩性あるか)?=容易に想到し得るのでこの点で進歩性なし、審決は誤り

 

「甲1発明の(C)成分に相当するMG DA(Trilon M)の含有量についても、特定された範囲内で含有量を規定することは、当業者の設計事項であるから、その含有量を、甲1発明 における含有量「0.1~5wt%」の範囲内で検討し、「0.1~1.5質量%」にすること(相違点1に係る構成を導くこと)は、当業者が容易に想到することができたものといえる。」

 

 

2024年5月19日日曜日

本発明の2つの特徴を一体に検討した結果進歩性が肯定された事例

 知財高裁令和6422日判決
令和5(行ケ)10091特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許異議申立の特許取消の決定(進歩性違反の決定)の取消を求めて、特許権者である原告が請求した取消決定取消請求訴訟の知財高裁判決である。
 本件特許の請求項1に記載の発明は、ボイルまたはレトルト処理される食品製品の包装等に用いられるバリア性積層体に関するものである。
 本件特許の請求項1に記載の発明(本件発明1)の、主引用発明として引用された甲3号証記載のバリア積層体(甲3発明)との相違点として、以下の[相違点1−2]及び[相違点1−3]が認定された。
  [相違点1-2]
   本件発明1は、「前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下である」のに対して、甲3発明は「該有機無機ハイブリッドバリア層は、X線光電子分光分析法によるアトミックパーセントの分析において、炭素と酸素と珪素が、それぞれ15~50%、30~65%、5~30%の割合で存在することが確認される」点。
  [相違点1-3]
   本件発明1は、用途が「ボイルまたはレトルト用」であるのに対して、甲3発明は「食品等の包装材料として使用可能」なものである点。
 
 取消決定では、[相違点1-2]は、副引用例である、甲4号証に記載のフィルムのバリアコート層が有する珪素原子と炭素原子の比(Si/C)を、甲3発明に適用することで容易に想到でき、[相違点1−3]は、食品等の包装材料に用いることは甲3発明に記載されているから、耐熱性や耐水性が要求される食品包装の用途として一般的な「ボイルまたはレトルト用」とすることに格別の困難性はない、として、2つの相違点についてそれぞれ個別に容易に想到可能であると判断し、進歩性欠如と判断された。
 これに対して知財高裁は、2つの相違点にかかる構成の容易想到性は「一体として検討されるべきもの」であり、一体として検討した結果、甲3及び甲4から容易に相当できたものではないと結論づけ、取消決定を取り消した。
 進歩性の判断手法として参考になる事例である。また、バリア性積層体についての、「ボイル又はレトルト用」という規定が、用途を特定する構成要件として考慮されている点も注目に値する。
 
2.本件特許の請求項1に記載の発明
  多層基材と、蒸着膜と、前記蒸着膜上に設けられたバリアコート層とを備えるバリア性積層体であって、
  前記多層基材は、少なくともポリプロピレン樹脂層と表面コート層とを備え、
  前記ポリプロピレン樹脂層は、延伸処理が施されており、
  前記表面コート層が、極性基を有する樹脂材料を含み、
  前記蒸着膜は、前記多層基材の表面コート層上に設けられており、
  前記蒸着膜が、無機酸化物からなり、
  前記バリアコート層が、金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であるか、または、金属アルコキシドと、水溶性高分子と、シランカップリング剤との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であり、
   前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下であることを特徴とする、ボイルまたはレトルト用バリア性積層体。」
 
3.本件発明1と甲3発明の一致点及び相違点
  [一致点1]
「多層基材と、蒸着膜と、前記蒸着膜上に設けられたバリアコート層とを備えるバリア性積層体であって、
    前記多層基材は、少なくとも樹脂層と表面コート層とを備え、
   前記表面コート層が、極性基を有する樹脂材料を含み、
    前記蒸着膜は、前記多層基材の表面コート層上に設けられており、
    前記蒸着膜が、無機酸化物からなり、
   前記バリアコート層が、金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であるか、または、金属アルコキシドと、水溶性高分子と、シランカップリング剤との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜である、バリア性積層体。」
  [相違点1-1]
   「樹脂層」に関して、本件発明1のものは「延伸処理が施されて」いる「ポリプロピレン樹脂層」であるのに対して、甲3発明のものは「高分子フィルム基材」である点。
  [相違点1-2]
   本件発明1は、「前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下である」のに対して、甲3発明は「該有機無機ハイブリッドバリア層は、X線光電子分光分析法によるアトミックパーセントの分析において、炭素と酸素と珪素が、それぞれ15~50%、30~65%、5~30%の割合で存在することが確認される」点。
  [相違点1-3]
   本件発明1は、用途が「ボイルまたはレトルト用」であるのに対して、甲3発明は「食品等の包装材料として使用可能」なものである点。
 
4.裁判所の判断のポイント
「相違点の容易想到性についての判断の誤りについて
  ア 原告は、本件決定が相違点1-1から同1-3までを関連付けずに判断している点が誤りであると主張するところ、当裁判所は、相違点1-1はともかく、少なくとも相違点1-2と相違点1-3は一体として検討する必要があると判断する。その理由は、以下のとおりである。
  本件発明の内容は前記第2の2のとおりであって、ポリプロピレンフィルムと蒸着膜との間に、密着性に優れた極性基を有する樹脂材料を含む表面コート層を備えることにより、層間の剥離を防止し、また、シランカップリング剤とともに用いられる場合も含め金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物からなるバリアコート層を蒸着膜上に設けることで、蒸着膜のクラック発生をも防止し、さらには、ボイル又はレトルト処理が行われる場合であってもガスバリア性の低下の抑制が図られるように、バリアコート層表面の珪素原子と炭素原子との割合を特定の範囲にしたものであって、高いガスバリア性を有するボイル又はレトルト用バリア性積層体を提供するという技術的意義を有するといえる。
 そして、本件明細書によれば、珪素原子と炭素原子の比(Si/C)の上限は、バリア性積層体を屈曲させてもガスバリア性の低下を抑制できるという観点から定められ、下限は、バリア性積層体を加熱してもガスバリア性の低下を抑制できるという観点から定められているのであるから(【0076】、表5~表7)、ボイル又はレトルト用であるか否かに係る相違点1-3と、珪素原子と炭素原子の比の数値範囲に係る相違点1-2は、一体として検討されるべきものである。
  イ 以上を前提に、相違点1-2と相違点1-3に係る容易想到性につき一括して判断するに、まず、本件決定が副引用例とする甲4には、別紙6の記載があり、ここから本件決定の認定に係る甲4記載事項(別紙4の1(2))を認定できることについては争いがない。
  甲4は、電気製品等の機器の消費エネルギーを削減するための真空断熱材用外包材等に関するもので、外包材により形成された袋体内に芯材を配置し、上記芯材が配置された袋体の内部を減圧して真空状態とし、上記袋体の端部を熱溶着して密封し、上記袋体内部を真空状態とすることにより、気体の対流が遮断されるため、真空断熱材は高い断熱性能を発揮することができるというものである(【0001】~【0003】)。
 甲4記載事項は、第1フィルム(金属酸化物リン酸層付きフィルム。第1樹脂基材と金属酸化物リン酸層から成る。)、オーバーコート層付きフィルム(樹脂基板、無機層、オーバーコート層から成る。)、熱溶着可能なフィルムから構成される真空断熱材用外包材のうち、オーバーコート層付きフィルムの中のオーバーコート層及び無機層をもとに抽出されたものである。
  ウ 本件決定は、甲3発明に、甲4記載事項のオーバーコート層における炭素原子に対する珪素原子の比率を適用するものである。
 しかし、甲4記載事項は、前提とする積層構造が、甲3発明と異なる上、以下のとおり、甲4は、甲3発明とは技術分野が共通するものとはいい難く、さらに、相違点1-3に係る構成(ボイル又はレトルト用)を開示又は示唆するものでもない。すなわち、甲4は、高温高湿な環境においても長期間断熱性能を維持することができる真空断熱材用外包材等の提供を目的とするものであるが(【0008】)、高温多湿な「環境」を想定するにとどまり、物を入れて積極的に加熱殺菌処理をする行為であるレトルトやボイル(一例として、優先日前の公知文献である特開2007-137438号公報〔乙4〕では、レトルト処理について110℃~130℃ 位、圧力、1~3Kgf/cm 2 ・G位で約20~60分間程度の加熱加圧殺菌処理、ボイルについて90位で30分間位の加熱殺菌処理〔【0002】〕等が挙げられている。)を想定しているとはおよそ考えられず、実際、甲4には、レトルトやボイルを前提とする記載はない。
 その上、甲3の【0044】には、「炭素の割合が50%より多い場合、バリア性が温度、湿度の影響を受け易く、15%より少ない場合、バリア性が悪くなり、膜質が脆くなる。」として、炭素が少なすぎると膜質が脆くなることが示唆されているのに対し、甲4の【0111】には、「オーバーコート層を構成する原子における、炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)は、0.1以上、2以下の範囲内であり、中でも0.5以上、1.9以下の範囲内、特には0.8以上、1.6以下の範囲内であることが好ましい。」という炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)を示す記載に引き続いて、「比率が上記範囲に満たないと、オーバーコート層の脆性が大きくなり、得られるオーバーコート層の耐水性および耐候性等が低下する場合がある。一方、比率が上記範囲を超えると、得られるオーバーコート層のガスバリア性が低下する場合がある。」として、金属原子に対して炭素原子の数が過剰に多くなるとオーバーコート層の脆性が大きくなって、ガスバリア性の低下につながる旨の記載があるところ、これは、上記甲3の【0044】の記載と正反対の内容である。
 そうすると、当業者において、甲3発明の食品包装材料についてボイル又はレトルト用途とすることを想起したとしても、甲4におけるオーバーコート層を構成する原子における金属原子の比率は加熱によってもガスバリア性が維持されるかどうかとは関わりのないものであること、甲4には、炭素原子と金属原子の比率と、膜質の脆性について、甲3と正反対の記載があることに鑑みても、甲3発明とは技術分野も積層構造も異なる真空断熱材用外包材に関する甲4の積層体の中から、オーバーコート層付きフィルムの中のオーバーコート層及び無機層に関する記載に着目した上、オーバーコート層における炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)を参酌して、甲3発明に適用する動機付けを導くには無理があるというほかなく、本件決定の判断には誤りがある。
 

2024年4月15日月曜日

国内優先権主張の遡及効が争われた事例

 知財高裁令和6326日判決
令和5(行ケ)10057 審決取消請求事件
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/886/092886_hanrei.pdf
 
1.概要
 本事例は被告が有する特許権に対する原告による無効審判の審決(権利有効の判断)の取消を求めた審決取消訴訟の知財高裁判決である。
 特許権は2回の国内優先権主張を伴う。最初の基礎出願を優先権出願1とし、2回目の基礎出願を優先権出願2とする。優先権出願1と2との間に公知となった発明があるため、優先権出願1への遡及効が争点となった。
 本件発明は、害虫忌避組成物を噴射する噴射製品に関するものであり、害虫忌避成分として2つの物質(「EBAAP」及び「イカリジン」)のうち少なくとも1つを含むことが特定されている。優先権出願1にはEBAAPを用いた実験結果のみが記載されており、イカリジンを用いた実験結果は記載されていなかった。イカリジンを用いた実施例は、優先権出願2において追加された。
 知財高裁は、「優先権出願1の明細書等には、本件訂正発明1について、害虫忌避成分をイカリジンとする部分を含めて、その技術内容が、当該の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていると認められる」として、優先権出願1への遡及効を認める判断を示した。
 
2.訂正後の請求項1に係る発明(本件訂正発明1)
【請求項1
 害虫忌避成分を含む害虫忌避組成物が充填され、前記害虫忌避組成物を噴射する噴口が形成された噴射製品(ただし、噴射剤を含む場合を除く)であり、
 前記害虫忌避組成物は、20°Cでの蒸気圧が2.5kPa以下であり、かつ、噴射後の揮発を抑制するための揮発抑制成分(ただし揮発抑制成分がグリセリンである場合を除く)を、害虫忌避組成物中、10質量%以上含み、
 前記害虫忌避成分は、3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル、1-メチルプロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペ リジンカルボキシレートからなる群から選択される少なくとも1の成分であり、
 前記噴口から15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r15と、前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r30との粒子径比(r30/r15)が、0.6以上となるよう調整され、
 前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r30が、50μm以上となるよう調整された、噴射製品。
 
略語について
EBAAP」=3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル
「イカリジン」=1-メチルプロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペリジンカルボキシレート
50%平均粒子径r15」=「前記噴口から 15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r15
50%平均粒子径r30」=「前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r30
「粒子径比(r30/r15)」=「前記噴口から15cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r15と、前記噴口から30cm離れた位置における噴射された前記害虫忌避組成物の50%平均粒子径r30との粒子径比(r30/r15)
 
3.裁判所の判断のポイント
「原告は、本件訂正発明1の要旨となる技術的事項のうち害虫忌避成分を「イカリジン」とする部分に、優先権出願1を基礎とする優先権主張の効果は認められないと主張するため、以下検討する。
(1) 特許法411項の規定による優先権(国内優先権)の主張を伴う後の出願に係る発明のうち、その国内優先権の主張の基礎とされた先の出願の願書に最初に添付した明細書、特許請求の範囲若しくは実用新案登録請求の範囲又は図面(以下、これらを合わせて「当初明細書等」という。)に記載された発明については、新規性(291)、進歩性(292)等の実体審査に係る規定の適用に当たり、当該後の出願が当該先の出願の時にされたものとみなされる(特許法412)
 そして、国内優先権主張の効果が認められるかどうかについては、後の出願の特 許請求の範囲の文言が、先の出願の当初明細書等に記載されたものといえる場合であっても、後の出願の明細書の発明の詳細な説明に、先の出願の当初明細書等に記載されていなかった技術的事項を記載することにより、後の出願の特許請求の範囲 に記載された発明の要旨となる技術的事項が、先の出願の当初明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えることになる場合は、その超えた部分については優先権主張の効果は認められないと解するのが相当である。
・・・(略)・・・
(4) 本件訂正発明1(害虫忌避成分が「イカリジン」である場合を含む)の要旨となる技術的事項が、優先権出願1の明細書等に記載された技術的事項の範囲を超えるものであるか
ア 上記(2)イで認定したとおり、優先権出願1の明細書等には、ディートに代わる害虫忌避成分として、3-(N-n-ブチル-N-アセチル)アミノプロピオン酸エチルエステル(EBAAP)p-メンタン-38-ジオール、1-メチルプ ロピル 2-(2-ヒドロキシエチル)-1-ピペリジンカルボキシレート(イカリジン)に共通して、「使用者の鼻や喉等の粘膜を刺激しやすい害虫忌避成分が配合されているにもかかわらず、粘膜への刺激が低減された噴射製品および噴射方法を提供する」という課題を有し、前記(2)()に認定した1~3の特徴を有すること、すなわち、所定量の揮発抑制成分を添加するなどして、50%平均粒子径r30と粒子径比(r30/r15)がそれぞれ所定の値以上(粒子径比(r30/r15)0.6以上、50%平均粒子径r3050μm以上)となるよう調整することにより、上記課題を解決することが記載されている。
 また、前記1(2)~ウ及びオのとおり、本件訂正発明1に関する背景技術、課題、解決手段に加えて、発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義については、本件明細書の【0001】、【0002】、【0004~0007】、【0009】、【0012~0015】、【0023】及び【0024】等に記載されているが、ほぼ同一の記載が、前記(2)()~()及び()のとおり、優先権出願1の明細書の【0001】、【0002】、【0004~0008】、【00120015】、【0017】、【0018】、【0026】及び【0027】において記載されていたものといえる。
イ また、本件訂正発明1の発明特定事項は、いずれも優先権出願1の特許請求の範囲の請求項1又は2に記載されており、害虫忌避成分としてEBAAPと同様にイカリジンも明記されていたものといえる。
ウ 前記(2)()及び(3)()のとおり、優先権出願1の明細書等において、実施例として記載されているのは、害虫忌避成分としてEBAAPを含む噴射製品のみであり、害虫忌避成分としてイカリジンを含む噴射製品に係る実施例は、優先権出願2の明細書等(実施例5及び7)により追加されたものであるが、当該実施例は、本件訂正発明1の実施に係る具体例であるとともに、優先権出願1の特許請求の範囲の請求項1又は2に発明特定事項が記載されていた発明の実施に係る具体例を確認的に記載したものと理解できるから、優先権出願1の明細書等に記載された技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入するものとはいえない。
エ したがって、本件訂正発明1の要旨となる技術的事項は、イカリジンを含む部分も含めて優先権出願1の明細書等において記載された技術的事項の範囲を超えるものではないから、本件訂正発明1は、害虫忌避成分をイカリジンとする部分についても、優先権出願1に基づく国内優先権主張の効果が認められる。
 
・・・(略)・・・
 
 そして、前記のとおり、優先権出願1の明細書等には、本件訂正発明1に関する背景技術、課題、解決手段に加えて、発明の効果に関するメカニズムや各構成要件の技術的意義が記載されており、これらはEBAAPp-メンタン-38-ジオール及びイカリジンに共通して適用されることも把握できるものといえる。すなわち、優先権出願1の明細書等には、本件訂正発明1について、害虫忌避成分をイカリジンとする部分を含めて、その技術内容が、当該の技術分野における通常の知識を有する者(当業者)が反復実施して目的とする技術効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていると認められる。
 これに対し、原告は、EBAAPとイカリジンとは物質として害虫忌避作用があるということのほかには類似性がないこと等により、イカリジンを害虫忌避成分とする場合にEBAAPと同様の結果となるかどうかは判断できず、優先権出願2の出願時にイカリジンに関する実施例を追加することで、初めて実験による技術上の裏付けがされ完成したものであることを主張する。
 この点、本件訂正発明1では、害虫忌避組成物の50%平均粒子径r30が、成分の揮発によって小さくなることを抑制するために、蒸気圧が小さい揮発抑制成分(2 0°Cでの蒸気圧が2.5kPa以下)を配合しているところ(本件明細書の【00 14)、一般に、物質の揮発しやすさ(揮発性、揮発度ともいう。)は、その成分の蒸気圧によって決定されるものであり(64)、蒸気圧が小さいものは揮発しにくく、蒸気圧が大きいものは揮発しやすいものであるといえる。そこで、20°CにおけるEBAAPやイカリジンの蒸気圧についてみると、EBAAP0.0001 5kPa(=0.15Pa、甲27)、イカリジンが0.000034kPa(=3. 4×10-4hPa、甲28)であるのに対し、揮発抑制成分の蒸気圧は、13-ブチレングリコールが0.008kPa(=0.08hPa、甲39)、プロピレン グリコールが0.0107kPa(=0.08mmHg、甲40)、水が2.3366kPa(312)であり、溶剤の蒸気圧は、無水エタノールが5.8kP a(65)であって、EBAAPとイカリジンの蒸気圧は、揮発抑制成分の蒸気圧や溶剤の蒸気圧に比べて極めて小さいものといえる。これらのことからすると、EBAAPとイカリジンはほとんど揮発しないという点では変わりがないから、両者の蒸気圧の違いは、粒子径比(r30/r15)50%平均粒子径r30に対して与える影響を無視できるものといえる。そうすると、当業者は、EBAAPとイカリジンの蒸気圧を考慮すると、害虫忌避成分としてEBAAPとイカリジンのいずれを使用しても、害虫忌避成分の揮発による粒子径や粒子径比(r30/r15)への影響は変わらないものと理解できる。
 したがって、本件訂正発明1のうち害虫忌避成分をイカリジンとする部分は、少 なくとも優先権出願2におけるイカリジンに関する実施例を追加することで、初めて実験による技術上の裏付けがなされ完成したものであるとする原告の主張は採用できない。