2019年4月21日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟で限定的でなく広く解釈された事例

東京地裁平成31年1月17日判決

平成29年(ワ)第16468号 特許権侵害差止請求事件



1.概要

 本事例はモノクローナル抗体とそれを含む医薬組成物を対象とする特許権の特許権者(原告)による被告製品の差止を求めた特許権侵害訴訟の東京地裁判決である。

 本事例の「本件発明1」では、プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対するモノクローナル抗体が、「(1A)PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,(1B’)PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する」という結合特性により特定されている。本件発明1の抗体は、実施例で記載の、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和するPCSK9に対するモノクローナル抗体「21B12」を拡張したものであり、参照抗体21B12がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,参照抗体21B12とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体に該当する。「本件発明2」の抗体も同様に、別の参照抗体31H4と同等の結合特性を有する抗体に該当する。

 争点は、被告製品が特許発明の技術的範囲に属するか否か、特許発明のサポート要件充足性、特許発明の実施可能要件充足性等である。

 被告は、抗原との結合特性が機能的に特定された抗体発明の技術的範囲は限定的に解釈すべきであり、実施例に記載の抗体、及び、それにアミノ酸配列が近い抗体に限られ、被告製品は技術的範囲に属しないと主張した。しかし、東京地裁はこの主張を認めず、被告製品の抗体は、結合特性に関する構成を満たす以上は技術的範囲に含まれると結論付けた。東京地裁はまた、サポート要件違反及び実施可能要件違反もないと判断した。

 本事例では、「本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。」ことが、技術的範囲を限定解釈が適用されない根拠とされている。

 なお、東京地裁は、2018年(平成30)年3月28日判決平成28年(ワ)第11475号において、機能的に特定された抗体の権利範囲を限定的に解釈した(本ブログ2019年2月17日記事参照)。この2018年判決では、「特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。」と判示している。

 本事例(2019年判決)では、本件参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体が、明細書等の記載から当業者が実施し得るという前提のもと、技術的範囲を広く解釈しており、2018年判決とも矛盾しないようにも思える。しかし、本事例(2019年判決)において、本件特許明細書には、被告製品の抗体と同じアミノ酸配列からなる抗体が実施例で記載されているわけではなく、被告製品の抗体と同じアミノ酸配からなる抗体を製造するための手順も記載されていない。本事例では「被告製品が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えは「いいえ」であるから、特許明細書に実施できるように記載されていない被告製品は技術的範囲に含まれないと結論するのが2018年判決とも矛盾せず適切ではなかったかと思われる。本事例は「特許発明が実施できるように記載されているか?」という問いに対する答えが「はい」であることのみを以って被告製品が特許発明の技術的範囲に属すると結論づけていることに問題があるのではないか。
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2.本件発明

ア 本件特許1

 訂正後の本件特許1の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明1-1」という。)は,次のとおり分説することができる。

1A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

1B’PCSK9との結合に関して,配列番号49のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号23のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

1C 単離されたモノクローナル抗体。

 訂正後の本件特許1の請求項9記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明1-2」といい,本件訂正発明1-1と併せて「本件訂正発明1」という。)は,上記構成要件1A,1B’,1Cのほか,次のとおり分説することができる。

1D を含む,医薬組成物。



イ 本件特許2

 訂正後の本件特許2の請求項1記載の発明(以下「本件訂正発明2-1」という。5 )は,次のとおり分説することができる。

2A PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,

2B’PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,

2C 単離されたモノクローナル抗体。

 本件特許2の請求項5記載の発明のうち請求項1に関する発明(以下「本件訂正発明2-2」といい,本件訂正発明2-1と併せて「本件訂正発明2という。)は,上記構成要件2A,2B’,2Cのほか,次のとおり分説することができる。

2D を含む,医薬組成物。



 本件訂正発明1の構成要件1B’は,本件明細書1で21B12抗体と呼ばれる抗体(以下「21B12参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである。

 本件訂正発明2の構成要件2B’は,本件明細書2で31H4抗体と呼ばれる抗体(以下「31H4参照抗体」という。)を重鎖可変領域のアミノ酸配列と軽鎖可変領域のアミノ酸配列で特定したものである



3.裁判所の判断

「前記の本件各明細書の記載によれば,21B12参照抗体及び31H4参照抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であるところ,本件各発明は,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,21B12参照抗体(本件発明1)又は31H4参照抗体(本件発明2)と競合する単離されたモノクローナル抗体又はそれを含む医薬組成物が,PCSK9とLDLRの結合を中和してLDLRの量を増加させることによって,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療又は予防することを目的とするものであると認められる。



2 争点(1)(被告製品及び被告モノクローナル抗体は本件各発明の技術的範囲に属するか)について

(1)

 被告は,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲は,本件各明細書にアミノ酸配列が記載された具体的な抗体(本件発明1及び本件訂正発明1について別紙表Aの各抗体,本件発明2及び本件訂正発明2について別紙表Bの各抗体)又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られると主張する。そして,本件各発明の技術的範囲に含まれる抗体又は医薬組成物は,上記抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体又はそれを含む医薬組成物に限定されるところ,被告モノクローナル抗体のアミノ酸配列は,上記各抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列とは全く異なるものであるから,被告モノクローナル抗体及び被告製品はいずれも本件各発明の技術的範囲に属しないと主張する。

(2)

 本件各明細書には,21B12参照抗体や31H4参照抗体及びこれらの参照抗体と競合するPCSK9-LDLR結合中和抗体並びにその取得方法等について,以下の記載がある。

・・・

上記のスクリーニング等によって,PCSK9に対する抗体の最も高い力価を有するハイブリドーマが同定され,表2に記載される32の抗体が得られた。32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非PCSK9-LDLR結合中和抗体,3B6,9C9及び31A4は15 弱いPCSK9-LDLR結合中和抗体,その他(21B12参照抗体及び31H4参照抗体を含む。)は,強いPCSK9-LDLR結合中和抗体である(段落【0138】【0336】)。この32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が1個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が7個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が1個

である(段落【0373】【0374】【0494】)。そして,上記ビン1の抗体19個とビン3の抗体7個は,いずれもPCSK9-LDLR結合中和抗体である。

また,上記カとは別の組(合計39抗体)に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12参照抗体と競合するが,31H4参照抗体と競合しない抗体(ビン1)が19個,21B12参照抗体と31H4参照抗体のいずれとも抗体する抗体(ビン2)が3個,31H4参照抗体と競合するが,21B12参照抗体と競合しない抗体(ビン3)が10個であり,本件参照抗体のいずれとも競合しない抗体(ビン4)が2個である。そして,ビン1に属する抗体のうち16個,ビン2に属する抗体のうち2個及びビン3に属する抗体のうち7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体を除く少なくとも22個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが確認されている(段落【0138】【0489】~【0495】)。

(3)

 前記(2)のとおり、本件各明細書には、本件参照抗体と競合する,PCSK9-LDLR結合中和抗体を同定,取得するための,免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製方法,ハイブリドーマの作製方法,スクリーニング方法及びエピトープビニングアッセイの方法等が記載されている。そして,当該方法によれば,本件各明細書で具体的に開示された以外の本件参照抗体と競合する抗体も得ることができるといえる。

 そうすると,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が,本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られるとはいえない。したがって,本件各明細書の記載から当業者が実施可能な範囲が本権各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定のアミノ酸の1もしくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限られることを前提として,本件各発明の技術的範囲が本件各明細書記載の具体的な抗体又は当該抗体に対して特定の位置のアミノ酸の1若しくは数個のアミノ酸が置換されたアミノ酸配列を有する抗体に限定されるとの被告の主張は採用することができない。

(4)

 また,被告は,①本件各明細書では,本件参照抗体と競合する抗体であれば,PCSK9とLDLRの結合を中和することができるという技術思想を読み取ることはできない,②本件各明細書の実施例に記載された3グループないし2グループの抗体のみによって,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体全てがPCSK9-LDLR5 結合中和抗体であるとはいえず,本件各明細書には,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件各明細書には,本件参照抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であること,本件参照抗体がPCSK9に結合するエピトープと同じエピトープに結合する抗体,又は,本件参照抗体とPCSK9との結合を立体的に妨害するような上記エピトープに隣接するエピトープに結合する抗体である,本件参照抗体と競合する抗体は,本件参照抗体と類似した機能的特性を有すると予想されることが記載されている。そして,前記のとおりのスクリーニング等によって得られた本件各明細書の表2記載の30の抗体(21B12参照抗体と31H4参照抗体を除く。)のうち,24の抗体はPCSK9-LDLR結合中和抗体であり,かつ,本件参照抗体と競合する抗体であること,表37.1.のビン1(21B12参照抗体と競合し,31H4参照抗体と競合しない抗体)に属する19の抗体のうち16個,ビン2(21B12参照抗体とも,31H4参照抗体とも競合する抗体)に属する抗体のうち2個及びビン3(31H4参照抗体と競合し,21B12参照抗体と競合しない抗体)に属する10の抗体のうちの7個は,表2に記載された抗体であり,これら16個と2個と7個の抗体のうち,27B2抗体並びに21B12参照抗体及び31H4参照抗体を除く少なくとも20個はPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが記載されている。そうすると,本件各明細書には,特定のスクリーニング等を経て得られた抗体のうち,本件参照抗体と競合する複数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることが示されているといえる。

 なお,この点に関係し,被告は,本件参照抗体と競合する膨大な数の抗体がPCSK9-LDLR結合中和抗体であることの根拠は全く示されていないと主張するが,本件各明細書に記載された抗体以外に,本件参照抗体と競合するがPCSK9-LDLR結合中和抗体ではない具体的な抗体が示されているものではなく,また,本件参照抗体と競合する抗体中,PCSK9-LDLR結合中和抗体でないものの割合が大きいことも明らかではない。

 さらに,被告は,本件参照抗体と競合する抗体は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であるとは限らないとも主張する。しかし,本件各発明は,PCSK9-LDLR結合中和抗体であることを構成要件とするものであるから(構成要件1A,2A),上記のような例外的な抗体は本件各発明の技術的範囲に含まれない。

(5)

 証拠(甲5,7の1,2,甲8~10)及び弁論の全趣旨によれば,本件各発明について,被告が主張する限定的な解釈を採らない限り,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の各構成要件を全て充足し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の各構成要件を全て充足すると認められるから,被告モノクローナル抗体は,本件発明1-1及び本件発明2-1の技術的範囲に属し,被告製品は,本件発明1-2及び本件発明2-2の技術的範囲に属すると認められる。・・・



争点-ア(サポート要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各明細書で開示された抗体以外にも,本件参照抗体と競合し,PCSK9とLDLRとの結合を中和する様々なPCSK9-LDLR結合中和抗体を得ることができると認識することができる。

 また,本件各明細書の高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載(段落【0155】【0270】【0271】【0276】)から,当業者は,本件発明1-1,本件発明2-1の各抗体を医薬組成物として使用できることを認識することができる。

 したがって,本件発明1及び2は,いずれもサポート要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれもサポート要件に違反するとはいえない。



争点-イ(実施可能要件違反)について

 前記2のとおり,本件各明細書の記載から,当業者は,本件各明細書の記載のスクリーニング方法等を用いることによって,本件各発明の抗体及び医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件各明細書は,当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるといえ,本件発明1及び2は,いずれも実施可能要件に違反するとはいえず,また,本件訂正発明1及び2がいずれも実施可能要件に違反するとはいえない。」

2019年2月17日日曜日

機能的クレームの技術的範囲が侵害訴訟において限定的に解釈された事例


東京地裁平成30年3月28日判決
平成28年(ワ)第11475号 特許権侵害差止等請求事件

1.概要
 本事例は特許権侵害訴訟の東京地裁による第一審判決である。
 原告が有する特許権に係る本件発明1は以下の通り分説できる
1A 第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,
1B 凝血促進活性を増大させる,
1C 抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:American Diagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。
 原告が有する特許権に係る本件発明4は以下の通り分説できる
4D 請求項1に記載の抗体または抗体誘導体であって,
4E ここで,該抗体または抗体誘導体は,モノクローナル抗体,抗体フラグメント,キメラ抗体,ヒト化抗体,単鎖抗体,二重特異性抗体,ダイアボディー,およびそれらのダイマー,オリゴマー,またはマルチマーからなる群から選択される,
4F 抗体または抗体誘導体。

 このように、本件各発明は、抗体又は抗体誘導体を「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体」、「凝血促進活性を増大させる」という機能のみにより特定した発明である。
 東京地裁は、
「特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
と判断し、本件各発明の技術的範囲を限定的に解釈し、被告製品はこの範囲に含まれないと結論付けた。
 なお、この訴訟では本件各発明の実施可能要件欠如、サポート要件欠如による無効理由の存在が被告により主張されているが、この争点について裁判所は判断を下していない。しかし、判決中で「当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。」と認定されていることから、本件各発明は実施可能要件、サポート要件は充足していると裁判所は判断しているように思われる。

 機能により特定された抗体に関する特許発明の技術的範囲を巡っては平成31年1月17日にも東京高裁で判断が示されたが、機能的クレームであるから限定的に解釈すべきであるという判断はなされなかった(平成29年(ワ)第16468号)。このれらの事例の比較検討は今後進める予定。

2.裁判所が認定した本件各発明の意義
「(2)本件各発明の意義
 以上の本件明細書の発明の詳細な説明の記載によれば,本件各発明の意義は,大要,以下のとおりのものと認められる。
 すなわち,従来の血友病Aの患者の処置は,欠如又は不足した第VIII因子の不足を補うために第VIII因子濃縮物の投与による補充療法であった(段落【0003】)。しかし,補充療法には,第VIII因子インヒビターを生じさせる患者に対する処置が非常に困難かつ危険性を含んでおり(段落【0003】),そのような患者に対する処置としては,高用量の第VIII因子を投与するなどのいくつかの治療方法が存在するが,高価である(段落【0004】,【0005】),多大な時間を必要とする(段落【0004】),重篤な副反応を伴い得る(段落【0004】),患者への負担が大きい(段落【0005】)等の問題点があった。本件各発明の目的は,第VIII因子を抑制する患者についての特定の利点を有する,血液凝固障害の処置のための調製物を提供することであり(段落【0010】),これを,第IX因子又は第IXa因子に結合して第IXa因子の凝血促進活性を増大させる抗体又は抗体誘導体によって達成するというものである(段落【0011】)。
 そして,抗体又は抗体誘導体は,具体的には,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製し(実施例1ないし3),これを色素形成アッセイ等の方法で凝血促進活性の程度を評価し(実施例4ないし9,14),そのモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から様々な抗体誘導体(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)を作製するものである。」

3.裁判所が認定した被告製品の構成
「2 被告製品の構成等について
(1)被告製品の構成
 被告製品は,別紙被告製品説明書及び「被告製品のアミノ酸配列」記載のアミノ酸配列を有する非対称型バイスペシフィック抗体であり,抗体の中でもIgGに分類される。被告製品は,2つの抗原結合部位を有し,その一方が第IXa因子を認識し,他方が第X因子を認識する。(甲23,乙28,38,弁論の全趣旨)
(2)被告製品の開発経緯
 被告製品の開発過程において,被告がバイスペシフィック抗体を作製するに当たり用いられたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,ヒト第IXa因子に特異的に結合し,かつ,第IXa因子の酵素活性に対してできるだけ阻害活性の弱い抗体が選別された。そこで作製されたバイスペシフィック抗体のうち,最も第VIII因子補因子活性が高かった抗体は,XB12/SB04であるが,これは第VIII因子補因子活性を有さないモノスペシフィック抗第IXa因子抗体から作製されたものである。よって,被告製品の開発において選別されたモノスペシフィック抗第IXa因子抗体は,第IXa因子の凝血促進活性を増大させるか否かとは無関係に選別されたと認められる。また,モノスペシフィック抗第IXa因子抗体の第VIII因子補因子活性とそれから作製されたバイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性との相関関係があるとは認められず,バイスペシフィック抗体の第VIII因子補因子活性は,抗第IXa因子抗体由来の構造だけなく,抗第X因子抗体由来の構造にも影響を受ける。(乙55,57,75)
 そして,被告製品は,第IXa因子と第Ⅹ因子との空間的な配向を好適な状況に制御し,酵素の活性部位と基質とを正確に接触しやすくすることで,第IXa因子が触媒する第VIII因子補因子活性を促進するという機序により,凝血促進活性を増大させるものである(乙33,甲165)。そして,その増大の程度は,本件明細書の実施例と同様の手法で作製された抗体(198A1,198B3,224F3)と比較して,優れた効果をもたらすものである(乙6,36によれば,約1000倍の効果とされてい
る。)。」

4.争点1(被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するか)についての裁判所の判断
「(1)本件特許請求の範囲の請求項1(本件発明1に係る特許請求の範囲)の記載は,「第IX因子または第IXa因子に対する抗体または抗体誘導体であって,凝血促進活性を増大させる,抗体または抗体誘導体(ただし,抗体クローンAHIX-5041:Haematologic Technologies社製,抗体クローンHIX-1:SIGMA-ALDRICH社製,抗体クローンESN-2:AmericanDiagnostica社製,および抗体クローンESN-3:American Diagnostica社製,ならびにそれらの抗体誘導体を除く)。」であり,請求項4(本件発明4に係る特許請求の範囲)は請求項1を引用している。ここで,「凝血促進活性を増大させる」との記載の意義については,本件明細書においてこれを定義した記載はない上,「血液凝固障害の処置のための調製物を提供する」(段落【0010】)という本件各発明の目的そのものであり,かつ,本件各発明における抗体又は抗体誘導体の機能又は作用を表現しているのみであって,本件各発明の目的又は効果を達成するために必要な具体的構成を明らかにしているものではない。
 特許権に基づく独占権は,新規で進歩性のある特許発明を公衆に対して開示することの代償として与えられるものであるから,このように特許請求の範囲の記載が機能的,抽象的な表現にとどまっている場合に,当該機能ないし作用効果を果たし得る構成全てを,その技術的範囲に含まれると解することは,明細書に開示されていない技術思想に属する構成までを特許発明の技術的範囲に含ましめて特許権に基づく独占権を与えることになりかねないが,そのような解釈は,発明の開示の代償として独占権を付与したという特許制度の趣旨に反することになり許されないというべきである。
 したがって,特許請求の範囲が上記のように抽象的,機能的な表現で記載されている場合においては,その記載のみによって発明の技術的範囲を明らかにすることはできず,上記記載に加えて明細書及び図面の記載を参酌し,そこに開示された具体的な構成に示されている技術思想に基づいて当該発明の技術的範囲を確定すべきである。
 ただし,このことは,特許発明の技術的範囲を具体的な実施例に限定するものではなく,明細書及び図面の記載から当業者が実施し得る構成であれば,その技術的範囲に含まれるものと解すべきである。
(2)そこで,本件明細書において開示された具体的構成に示されている技術思想について検討する。
ア ある抗体が,第IX因子又は第IXa因子に結合し,第IXa因子の凝血促進活性を増加するか又は第VIII因子様活性を有することを示すための試験方法としては,凝血試験や色素形成試験等があり,これらによって評価が可能である(段落【0013】,【0014】,【0037】,【0065】)。そして,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングし,色素形成アッセイによって第VIII因子様活性を有するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が複数作製されており(実施例4,9),そのなかで第VIII因子インヒビターを有する血漿の凝血をもたらす抗体(193/AD3)も確認されている(実施例7)。よって,当業者は,第IXa因子に対する抗体をスクリーニングすることにより,過度の試行錯誤を要することなく,一定の割合で凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)を作製できたと認められる。
 また,凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も複数作製されているから(例えば,CDR3領域由来ペプチド及びその誘導体(実施例11,12),キメラ抗体(実施例13),Fabフラグメント(実施例15),単鎖抗体(scFv。実施例10,16,18),ミニ抗体(実施例17)),凝血促進活性を増大させるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)からの誘導体も作製できたと認められる。
 もっとも,「凝血促進活性を増大させる」程度については,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度(例えば,段落【0081】・図11において,198/AP1はネガティブコントロールとの比が1.7程度であるが,凝血促進活性を示さないとされている。段落【0067】・図7A(196/AF2 35μM Pefabloc Xa(登録商標)),段落【0068】・図7B(198/AM1 35μM Pefabloc Xa(登録商標))も同様。)や2程度(段落【0105】・図20において,A1/5はネガティブコントロールとの比が2程度であるが,有意な凝血促進活性はないと評価されている。)の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超える程度のものでなければならないものと解するのが相当である。そうすると,凝血促進活性の増大がわずかであるものは,「凝血促進活性を増大させる」とは評価できず,その程度は,実質的なものでなければならないのであって,「凝血促進活性を増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えており,実質的に凝血促進活性を増大させる程度の増大であることを要するものと解すべきである。
イ バイスペシフィック抗体については,本件明細書において,実施例として作製された例は記載されておらず,第IX因子又は第IXa因子に結合するアーム以外のアームが結合する対象の抗原がいかなるものかも開示されてない。しかし,バイスペシフィック抗体自体は,抗体誘導体の一態様として明記されている(段落【0019】,【0026】)。そして,凝血促進活性を増大させるモノスペシフィック抗体からの誘導体も複数作製されており(実施例10ないし13,15ないし18),本件出願日当時の技術常識によれば,第IX因子又は第IXa因子に対するバイスペシフィック抗体を作製可能であり,第IX因子又は第IXa因子に対するモノスペシフィック抗体から誘導されたバイスペシフィック抗体が,モノスペシフィック抗体が有する凝血促進活性を増大させる作用を維持できると予測できたと認められる。そうすると,バイスペシフィック抗体についても,モノスペシフィック抗体の活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体の一態様として「抗体誘導体」に含まれると解される。
ウ したがって,本件各発明の技術的範囲に含まれるというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であるものの,バイスペシフィック抗体は「抗体誘導体」の一態様としてこれに含まれ得ると解すべきである。
エ 被告は,色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるモノスペシフィック抗体及びその誘導体に限られる旨主張する。
 そこで検討するに,本件明細書には,2時間のインキュベーション後の第VIII因子アッセイにおいて,ネガティブコントロールとの比が3を超える場合には,「凝血促進活性を増大させる」と評価できる旨の記載がある(段落【0013】,【0014】)。
 他方,本件明細書においては,凝血促進活性の検査方法について,色素形成アッセイ以外にも凝血試験などの全ての方法が使用でき(段落【0037】,【0065】),同じ色素形成アッセイであってもインキュベーション時間が2時間ではない例も記載されている(実施例11・図18ないし20)。そうすると,本件明細書に記載された凝血促進活性の評価方法は,複数存在するということができるところ,一般に,評価方法が異なればその基準が同一であるとは限らないから,本件明細書において「凝血促進活性の増大」が色素形成アッセイにおいてネガティブコントロールとの比が3を超えるものであると一義的に決定されているとは,直ちには解することができない。
オ 原告らは,「凝血促進活性を増大させる」とは,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分である旨主張する。
 しかし,本件明細書においては,色素形成アッセイにおけるネガティブコントロールとの比が,1.7程度や2程度の場合においても,「凝血促進活性を増大させる」とは評価されていないのであるから,ネガティブコントロールとの比が1を超えるものであれば十分であるとはいえないことは,既に説示したとおりであって,原告らの上記主張は採用することができない。
(3)他方,第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)が第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものでない場合には,別異に解すべきである。すなわち,本件各発明の技術的範囲に属するというためには,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」であることが必要であると解されるところ,これには,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではない第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)は含まれないし,かかるモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)から誘導される抗体誘導体(バイスペシフィック抗体もこれに含まれる。)も含まれないというべきである。このような抗体誘導体(バイスペシフィック抗体)は,たとえ,それ自体が第IXa因子の凝血促進活性を増大させる効果を有するものであったとしても,本件各発明の課題解決手段とは異なる手段によって凝血促進活性を増大させる効果がもたらされているのであって,本件明細書の記載に基づいて当業者が実施できるものとはいえないというべきである。
(4)前記(2)において説示したとおり,「凝血促進活性を実質的に増大させる」とは,少なくともネガティブコントロールとの比が2程度を超えるものでなければならないものと解されるところ,前記2において認定したとおり,左右のアームがいずれも被告製品の第IXa因子に結合するアームで構成されたモノスペシフィック抗体(Qhomo)の色素形成アッセイキットによって測定されたネガティブコントロールとの比は,1.36から1.48であったこと(乙38)からすると,Qhomoは第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるモノスペシフィック抗体とはいえない。
 そして,被告製品は,Qhomoの片方のアームを第Ⅹ因子に対するものに改変したバイスペシフィック抗体(抗体誘導体)であるから,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体からの誘導体ということができる。
 そうすると,被告製品は,第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させるものではないモノスペシフィック抗体から,その第IXa因子結合部位を取り出し,特定の第Ⅹ因子結合部位と組み合わせてバイスペシフィック抗体に変換させることにより,凝血促進活性を増大させる作用をもたらしたものということができるから,「第IXa因子の凝血促進活性を実質的に増大させる第IX因子又は第IXa因子に対するモノクローナル抗体(モノスペシフィック抗体)又はその活性を維持しつつ当該抗体を改変した抗体誘導体」に該当するとは認められない。
(5)したがって,被告製品は,本件各発明の技術的範囲に属すると認めることはできないというべきである。」

2019年1月20日日曜日

モノクローナル抗体を結合特性のみにより特定した発明のサポート要件が争われた事例


知財高裁平成30年12月27日判決
平成29年(行ケ)第10226号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対し原告が請求した無効審判の特許維持審決に対する審決取消訴訟において請求が棄却され特許権が維持された事例である。
 本件特許発明1では、モノクローナル抗体を、抗原との結合に関与する可変領域のアミノ酸配列等の構造により特定しておらず、抗原との結合特性のみによって特定している。原告はサポート要件及び実施可能要件欠如による主張したが、審決及び知財高裁判決では主張を認めず特許権を維持した。
 知財高裁はモノクローナル抗体の作製プロセスにおいてアミノ酸配列等の構造は必須の情報ではないことに着目して、「動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない」と判示した。

2.本件特許発明
【請求項1】PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ,PCSK9との結合に関して,配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域を含む重鎖と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域を含む軽鎖とを含む抗体と競合する,単離されたモノクローナル抗体。
【請求項5】請求項1に記載の単離されたモノクローナル抗体を含む,医薬組成物。

3.裁判所の判断のポイント
「3 取消事由2(サポート要件の判断の誤り)について
(1) サポート要件の適合性について
ア 前記1(1)及び(4)()の認定事実を総合すると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件訂正発明1及び5に関し,次のとおりの開示があることが認められる。
() PCSK9(プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型)は,セリンプロテアーゼであり,LDLR(低密度リポタンパク質受容体)と結合して,相互作用し,LDLRとともに肝臓の細胞内に取り込まれ,肝臓中のLDLRのレベルを低下させ,さらには,細胞表面(細胞外)でLDLへの結合に利用可能なLDLRの量を減少させることにより,対象中のLDLの量を増加させる(【0002】,【0003】,【0071】)。
 「中和抗体」という用語は,リガンドに結合し,リガンドの生物学的効果を妨げ,又は低下させる抗体を表し,抗PCSK9抗体においては,PCSK9とLDLRの結合を妨げることによる中和と,PCSK9とLDLRの結合は妨げず,LDLRのPCSK9媒介性分解を妨げることによる中和がある(【0138】)。
 「競合する」という用語は,検査されている抗体が抗原への参照抗体の特異的結合を妨げ,又は阻害する程度を測定する各種アッセイによって決定された,抗体間の競合を意味するものであり,競合アッセイによって同定される抗体には,参照抗体と同じ又は重複するエピトープに結合する抗体や,参照抗体がエピトープに結合するのを立体的に妨害するのに十分なほど近接した隣接エピトープに結合する抗体が含まれる(【0140】,【0269】)。
 「エピトープ」という用語は,抗体によって結合される抗原の領域であり,抗原がタンパク質の場合,抗体に直接接触する特定のアミノ酸を含む(【0142】)。
() 配列番号67のアミノ酸配列からなる重鎖可変領域と,配列番号12のアミノ酸配列からなる軽鎖可変領域とを含む抗体(「31H4」)(参照抗体)と「競合」する,単離されたモノクローナル抗体は,PCSK9がLDLRに結合するのを妨げる位置及び/又は様式で,PCSK9に結合し,PCSK9とLDLR間の相互作用(結合)を遮断し,又は低下させ,「競合的に中和する」中和抗原結合タンパク質(中和ABP)である(【0138】,【0140】,【0155】,【0262】,【0269】,表2)。
 このPCSK9に対する中和ABPは,PCSK9とLDLRとの結合を中和し,LDLRの量を増加させることにより,対象中のLDLの量を低下させ,対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し,また,この効果により,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得る(【0155】,【0270】,【0271】,【0276】)。
() 参照抗体及びこれと競合する,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体を得るために,表3記載の免疫化プログラムの手順及びスケジュールに従って,ヒト免疫グロブリン遺伝子を含有する二つのグループのマウスにヒトPCSK9抗原を11回注射して免疫化マウスを作製し,PCSK9に対して特異的な抗体を産生するマウス(10匹)を選択した(実施例1,【0312】,【0313】,【0320】,表3)。
 これらの選択された免疫化マウスを使用して,PCSK9に対する抗原結合タンパク質を産生するハイブリドーマを作製し(実施例2,【0322】~【0324】),ニュートラビジン被覆したプレートに結合させたV5タグを持たないビオチン化合されたPCSK9を捕捉試料とするELISAによる「一次スクリーニング」によって,合計3104の抗原特異的ハイブリドーマが得られた(実施例3,【0325】~【0328】)。
 安定なハイブリドーマが確立されたことを確認するため,「一次スクリーニング」によって得られた上記ハイブリドーマのうち,合計3000の陽性を再スクリーニングし,更に合計2441の陽性を第二のスクリーニング(「確認用スクリーニング」)で反復し,次いで,「マウス交叉反応スクリーニング」によって579の抗体がマウスPCSK9と交叉反応することを確認し(【0329】,【0330】),さらに,LDLRへのPCSK9結合を遮断する抗体をスクリーニングするために,「大規模受容体リガンド遮断スクリーニング」を行い,PCSK9とLDLRウェル間での相互作用を強く遮断する384の抗体が同定され,100の抗体は,PCSK9とLDLRの結合相互作用を90%超阻害した(【0332】)。
 このように同定された384の中和物質(遮断物質)のサブセットに対して,「遮断物質のサブセットに対する受容体リガンド結合アッセイ」を行い,90%を超えて,PCSK9変異体酵素とLDLR間の相互作用を遮断する85の抗体が同定された(【0333】,【0334】)。
 これらのアッセイ(スクリーニング)の結果に基づいて同定されたPCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株中に含まれていた参照抗体(31H4)(【0336】,表2)は,PCSK9とLDLRとの結合を強く遮断する中和抗体である(実施例11,【0138】,【0378】)。
() 表2(PCSK9との所望の相互作用を有する抗体を産生するいくつかのハイブリドーマ株)記載の32の抗体のうち,27B2,13H1,13B5及び3C4は非中和抗体,3B6,9C9及び31A4は弱い中和抗体,その他(参照抗体を含む。)は,強い中和抗体である(【0138】,【0336】)。
 そして,上記32の抗体に対するエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するもの(ビン1)が19個,31H4抗体(参照抗体)と競合するもの(ビン3)が7個であり,これらは互いに排他的であり,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が1個,参照抗体と21B12抗体のいずれとも競合しないもの(ビン4)が1個である(実施例10,【0373】,【0494】,表8.3)。
 また,実施例10中の組に加えて,別の組(合計39抗体)に実施したエピトープビニングの結果によれば,21B12抗体と競合するが,31H4抗体(参照抗体)と競合しないもの(ビン1)が19個,21B12抗体と31H4抗体のいずれとも競合するもの(ビン2)が3個,31H4抗体と競合するが21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個である。そして,ビン3に含まれる抗体のうち7個は,表2に掲げられた抗体であり,【0138】の記載によれば,中和抗体であることが確認されている(実施例37,【0489】~【0495】,表37.1)。
イ 前記アの認定事実によれば,本件訂正発明1及び5は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものであることが認められる。
 そして,本件明細書記載の表37.1には,本件明細書の記載に従って作製された免疫化マウスを使用してハイブリドーマを作製し,スクリーニングによってPCSK9に結合する抗体を産生する2441の安定なハイブリドーマが確立され(【0329】),そのうちの一部(合計39抗体)について,エピトープビニングをした結果,31H4抗体(参照抗体)と競合するが,21B12抗体と競合しないもの(ビン3)が10個含まれ,そのうち7個は,中和抗体であることを確認されたこと(【0138】,表2)が示されていることに照らすと,甲1に接した当業者は,上記2441の安定なハイブリドーマから得られる残りの抗体についても,同様のエピトープビニングアッセイを行えば,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 さらに,当業者は,本件明細書記載の免疫プログラムの手順及びスケジュールに従った免疫化マウスの作製及び選択,選択された免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製,本件明細書記載のPCSK9とLDLRとの結合相互作用を強く遮断する抗体を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングアッセイ(前記ア()及び())を最初から繰り返し行うことによって,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する様々な中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 以上によれば,本件訂正発明1(請求項1)は,サポート要件に適合するものと認められる。
 また,前記ア()のとおり,本件明細書には,高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療し,又は予防し,疾患のリスクを低減することができるので,治療的に有用であり得ることの記載があることに照らすと,当業者は,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体を医薬組成物として使用できることを認識できるものと認められる。
 したがって,本件訂正発明5(請求項5)は,サポート要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)は,抗体の構造を特定することなく,機能ないし特性(「結合中和」及び「参照抗体との競合」)のみによって定義された発明であるため,文言上ありとあらゆる構造の膨大な数ないし種類の抗体を含むものであるが,本件明細書に記載された具体的抗体はわずか2グループないし2種類の抗体しかなく,また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとが結合中和するとはいえず,参照抗体と「競合する」抗体であることは,「結合中和」の指標にはならないから,本件明細書に記載されていないありとあらゆる構造の抗体についてまでも,本件明細書の記載から,PCSK9とLDLRとの結合中和抗体の提供という本件訂正発明1の課題を解決できると認識し得るものではないとして,本件訂正発明1及び5はサポート要件に適合しない旨主張する。
 しかしながら,動物免疫法によるモノクローナル抗体の作製プロセスでは,動物の体内で特定の抗原に特異的に反応する抗体が産生され,その免疫化動物を使用して作製したハイブリドーマをスクリーニングし,特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において,アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であるから,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない。
 そして,本件訂正発明1(請求項1)は,「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」,かつ,「PCSK9との結合に関して」,参照抗体(31H4抗体)と「競合する」ことを発明特定事項とするものであり,前記(1)イのとおり,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,参照抗体と「競合する」抗体であれば,PCSK9とLDLRとの結合を中和するものといえないとしても,本件訂正発明1は「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ」る抗体であることを発明特定事項とするものであるから,そのことは,上記認定を左右するものではない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1のように,物(抗体)の具体的な構造が特許請求の範囲において特定されておらず,その物が機能的にのみ定義され,スクリーニング方法によって特定された物の発明である場合には,機能的な定義やスクリーニング方法の特定は,サポート要件を基礎付けることにはならないし,このような請求項の記載形式を認めることは,特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態が生じる旨主張する。
 しかしながら,前記アのとおり,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認識できるものと認められる。
 また,本件訂正発明1の請求項の記載形式によって,原告が述べるような特許法の目的である産業の発達を阻害し,特許制度の趣旨に反する事態を招くということもできない。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。
(3) 小括
 以上によれば,本件訂正発明1及び5がサポート要件に適合するとした本件審決の判断に誤りはないから,原告主張の取消事由2は理由がない。
4 取消事由3(実施可能要件の判断の誤り)について
(1) 実施可能要件の適合性について
 前記3(1)アの認定事実によれば,本件明細書の記載から,本件訂正発明1の抗体及び本件訂正発明5の医薬組成物を作製し,使用することができるものと認められるから,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者が本件訂正発明1及び5の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであることが認められる。
 したがって,本件訂正発明1及び5は,実施可能要件に適合するものと認められる。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,本件訂正発明1は,抗体の構造を特定することなく,機能的にのみ定義されており,極めて多種類の抗体を含むものであるが,本件明細書の発明の詳細な説明において本件訂正発明1に含まれ得る抗体として記載された具体的な抗体(2グループないし2種類の抗体)とはアミノ酸配列が全く異なる多種多様な構造の抗体も文言上含まれ得るし,当然ながら,今後発見される,いまだ全く知られていない抗体も全て含むものであり,本件訂正発明1の特許請求の範囲に含まれる全体の抗体を得るためには,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要することは明らかであるから,本件訂正発明1は,実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する。
 しかしながら,前記3(2)アの認定事実に照らすと,特定の結合特性を有する抗体を得るために,その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとはいえず,当業者は,抗体のアミノ酸配列を参照しなくとも,本件明細書の記載に従って,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 また,前記3(1)イの認定事実に照らすと,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得られるものと認められるから,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる抗体を得るために,当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要するものとはいえない。
 したがって,原告の上記主張は,理由がない。
イ 原告は,本件訂正発明1は,抗体の有すべき機能(解決すべき課題)を発明特定事項としているが,実施可能要件は実質的な要件であるから,その物が有すべき機能を発明特定事項に記載したとしても,そのことによって当業者が当該発明に属する物の全てを使用できるとはいえず,実施可能要件を充足することにはならないし,この場合,実施可能要件違反にならないとすれば,機能的に定義された,いかなる広範囲のクレームであっても,実施可能要件を充足することが可能となり,実施可能要件の判断が形式的なものに貶められるから,本件訂正発明1は実施可能要件を満たさず,また,本件訂正発明5も,これと同様である旨主張する
 しかしながら,前記ア認定のとおり,当業者は,本件明細書の記載に基づいて,本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも,本件訂正発明1の特許請求の範囲(請求項1)に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるものと認められる。
 したがって,原告の上記主張は理由がない。」

2019年1月5日土曜日

バイオ分野の文献の引用発明適格性が狭く解釈された事例


知財高裁平成30年11月6日判決
平成29年(行ケ)第10117号 特許取消決定取消請求事件

1.概要
 本事例は、特許異議申立での特許取消決定を不服とする特許権者が提訴した審決等取消訴訟の知財高裁判決において、特許権者の請求が認められ、特許取消決定が取り消された事例である。
 本件特許発明1はマイコプラズマ・ニューモニエ感染を検出するための免疫クロマトグラフィー試験デバイスに関する発明であり、マイコプラズマ・ニューモニエに特異的なP1タンパク質を抗原とし、該抗原に対する2つのモノクローナル抗体を用いて、[第一のモノクローナル抗体]-[抗原(P1タンパク質)]-[第二のモノクローナル抗体]からなるサンドイッチ複合体を形成して検出することに特徴がある。
 一方、引用例1では、P1タンパク質を抗原とし2つのモノクローナル抗体を用いてサンドイッチ複合体を形成して検出する、という同じ概念は記載されているが、2つのモノクローナル抗体の具体例は記載されていない。
 特許取消決定では、引用例1では、P1タンパク質を抗原とし2つのモノクローナル抗体を用いてサンドイッチ複合体を形成して検出するという発明を、引用例1に記載された引用発明1であると認定した。
 これに対し知財高裁は、「刊行物に物の発明が記載されているといえるためには,刊行物の記載及び本件特許の出願時の技術常識に基づいて,当業者がその物を作れることが必要である」ことを前提とし、引用例1では、ラテラルフローデバイスに用いる二つの抗体について,具体的なモノクローナル抗体の組合せを示す記載は見当たらず、また,本件出願時においてサンドイッチ複合体を形成できる具体的なモノクローナル抗体の組合せが周知であったことを示す証拠もないことから、引用発明1は引用例1には記載されていない、と判断した。
 バイオ分野において発明が「刊行物に記載された発明」であるというためには、単に概念が記載されているだけでは不十分であり、より具体的な開示が求められることを理解するうえで参考になる判決である。なお、今回の裁判例では争点ではないが、本事例のように先行技術文献の開示の範囲を狭く解釈するのであれば、本件特許発明の実施可能要件、サポート要件を満たす範囲についても同様に狭く解釈されるべきだと思われる。

2.本件特許発明1
(A) (A-1) イムノクロマトグラフィー試験デバイス及び検出キットにおける抗体として,
(A-2) マイコプラズマ・ニューモニエ由来のP1タンパク質抗原に対して特異的なモノクローナル抗体を含む,
(A-3) 検体からマイコプラズマ・ニューモニエ感染検出用のイムノクロマトグラフィー試験デバイスであって,
(B) 第一のモノクローナル抗体および第一のモノクローナル抗体とは異なる第二のモノクローナル抗体,ならびに
(C) 膜担体を備え,
(D) 該第一のモノクローナル抗体が,該膜担体に固定されて検出部位を構成し,
(E) 該第二のモノクローナル抗体が,(E-1)標識物質で標識されており,かつ
(E-2) 該検出部位とは離れた位置に,該膜担体中を移動可能に配置され,
(F) (F-1) 該検体であって,濃縮処理物を除く該検体中に(F-2)マイコプラズマ・ニューモニエ抗原が存在する場合に,該マイコプラズマ・ニューモニエ抗原と該標識物質で標識された該第二のモノクローナル抗体とを標識担持部材において結合させて,複合体を形成させる手段と,
(G) 該複合体を,該膜担体を介して展開させ,該検出部位において固定された該第一のモノクローナル抗体と結合させ,集積させることで発色させる手段と,を有する,
(H) マイコプラズマ・ニューモニエ感染検出用のイムノクロマトグラフィー試験デバイス。」

3.裁判所の判断
(1) 原告の主張は,要するに,本件特許発明は,P1タンパク質に対する特異的なモノクローナル抗体に着目することで,イムノクロマトグラフィー法によって,初めて臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエ抗原の特異的な検出を実現した発明であるところ,引用例1は,そもそも,P1タンパク質とは全く異なるタンパク質(CARDS)とそのポリクローナル抗体に着目した発明の特許公報である上に,引用例1においては,CARDSに特異的なポリクローナル抗体を用いた場合ですら,臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出には成功しておらず,かつ,そもそもP1タンパク質に特異的な抗体については,臨床検体はもちろん,精製rP1タンパク質を用いた検出実験すら行われていないにもかかわらず,本件取消決定は,P1タンパク質とCARDSタンパク質の差異や,臨床検体と非臨床検体との差異,さらにはモノクローナル抗体とポリクローナル抗体との差異をいずれも看過したまま,引用発明1を,P1タンパク質に特異的なモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル(臨床検体)からマイコプラズマ・ニューモニエを検出することができる発明であると認定した,というものである。
(2) よってまず,引用例1から本件取消決定が認定した引用発明1を認定することができるかどうかについて検討する。
 特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」は,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明(本件特許発明)を容易に発明することができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。また,本件特許発明は物の発明であるから,進歩性を検討するに当たって,刊行物に記載された物の発明との対比を行うことになるが,ここで,刊行物に物の発明が記載されているといえるためには,刊行物の記載及び本件特許の出願時(以下「本件出願時」という。)の技術常識に基づいて,当業者がその物を作れることが必要である。
 かかる観点から本件について検討すると,引用例1の記載及び本件出願時の技術常識を考慮しても,引用発明1のデバイスを当業者が作れるように記載されているとはいえない。理由は以下のとおりである。
ア 本件取消決定は,引用発明1をP1タンパク質に対するモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエの検出を行うラテラルフローデバイスに関する発明として認定しているところ,ラテラルフローデバイスは,イムノクロマトグラフィー法に基づく検出デバイスであり,イムノクロマトグラフィー法による抗原検出においては,抗体と抗原がサンドイッチ複合体を形成する必要があると認められ(甲8~10,弁論の全趣旨),また,モノクローナル抗体の場合には,抗原を挟み込む二つの抗体が同じものでは不都合であり,少なくとも,二つの異なる抗体を用いることが必要であると認められる(この点は特に当事者に争いがない。)。
 その一方で,異なる二つのモノクローナル抗体でありさえすれば,抗体と抗原がサンドイッチ複合体を形成するとの本件出願時の技術常識も見当たらず,また,サンドイッチ複合体を形成しさえすれば,必ず患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出できると直ちにいうこともできない。
 たとえば,引用例2の199頁図1には,捕獲抗体として特異性の異なる二つのポリクローナル抗体を用い,ペルオキシダーゼ標識モノクローナル抗体(検出抗体)を変えてマイコプラズマ・ニューモニエ抗原の捕獲アッセイを行った試験の結果を表す二つのグラフが示されている。捕獲抗体が抗Mp-IgG(右)の場合,試験されたペルオキシダーゼ標識抗体では,いずれも,標識抗体100ngで450nmにおける吸光度が2を超え,標識抗体1μgにおいて,450nmにおける吸光度が3を超えている。これに対し,捕獲抗体が抗P1-IgG(左)の場合には,標識抗体がP1.25又はM74では,1μgで450nmにおける吸光度が3を超えていても,標識抗体がM57では,1μgでも吸光度が1に満たない。
 このように,同じ捕獲抗体を用いた場合であっても,検出抗体によって検出感度が異なり,サンドイッチ複合体の形成に基づく検出は,抗体の組合せによって,検出感度が大きく異なる場合があると理解されるから,モノクローナル抗体を用いてサンドイッチ複合体の形成に基づく検出を行う場合には,適切な抗体を組み合わせて用いる必要があると認められる。
 本件取消決定が認定した引用発明1のラテラルフローデバイスも,サンドイッチ複合体の形成に基づく抗原の検出デバイスであるから,P1タンパク質に対するモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出するラテラルフローデバイスを作るためには,第1のモノクローナル抗体と第2のモノクローナル抗体として適切な組合せのモノクローナル抗体を用いる必要があると認められる。
 そこで,第1のモノクローナル抗体と第2のモノクローナル抗体の組合せに関して引用例1の記載を検討するに,引用例1には,ラテラルフローデバイスに用いる二つの抗体について,具体的なモノクローナル抗体の組合せを示す記載は見当たらない。また,本件出願時において,ラテラルフローデバイス等のサンドイッチ複合体を形成できる具体的なモノクローナル抗体の組合せが周知であったことを示す証拠もない(引用例2の199頁図1の左側のグラフに示されている実験において,P1.25とM74は,それぞれ,抗P1-IgG又は抗Mp-IgGを捕獲抗体とした場合に,抗原を検出可能としていることから,当該捕獲抗体と抗原とからなるサンドイッチ複合体を形成するものと考えられるが,引用例2に記載されていることをもって,直ちにこれらの抗体が周知であるということはできないし,そもそも,当該捕獲抗体はいずれもポリクローナル抗体であるから,異なる二つのモノクローナル抗体の組合せが明らかにされているとはいえない。ほかにサンドイッチ複合体を形成できる具体的なモノクローナル抗体の組合せを明らかにする証拠はない。)。
 次に,引用例1に記載された具体的なイムノクロマトグラフィー(ICT)デバイスについての唯一の実施例である実施例4は,抗rCARDS抗体を用いたもので,P1タンパク質に対する抗体を用いたものではない。
 また,引用例1におけるP1タンパク質に対する抗体に関する具体的な記載は,実施例3のみであるが,実施例3における抗原の検出は,サンドイッチ複合体の形成とは異なる,市販の二次抗体である抗ウサギ又は抗マウス抗体を用いた方法によるものである。したがって,これらの実施例の記載から,サンドイッチ複合体を形成可能なモノクローナル抗体を知ることはできない。
 さらに,引用例1には,P1タンパク質に対するモノクローナル抗体として,マウスのモノクローナル抗真正P1タンパク質抗体H136E7(【0012】)とrP1に対するモノクローナル抗体(【0096】)に関する記載があるが,P1タンパク質に対する具体的なモノクローナルは,H136E7が記載されているにとどまり,rP1に対するモノクローナル抗体については,その当該モノクローナル抗体を生産する細胞株も,モノクローナル抗体のアミノ酸配列等の情報も,H136E7とのサンドイッチ複合体の形成の有無に関する手掛かりとなる情報も記載されていない。
 このような引用例1の記載に基づいて,ラテラルフローデバイスを作るためには,モノクローナル抗体として一つはH136E7を用いるとしても,もう一つ,H136E7とサンドイッチ複合体を形成可能な別のモノクローナル抗体を用いる必要があるが,引用例1には,そのようなモノクローナル抗体の構造について手掛かりとなる記載がなく,何らかの方法でモノクローナル抗体を入手し,それらのモノクローナル抗体が,H136E7とサンドイッチ複合体を形成可能であるかを調べ,試行錯誤によって,H136E7と組み合わせて患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出するラテラルフローデバイスを構成できるモノクローナル抗体を見つけ出す必要がある。
 以上を踏まえれば,たとえ様々なモノクローナル抗体を得る技術自体は周知技術であるとしても,本件取消決定が認定した引用発明1のラテラルフローデバイスは,引用例1の記載及び本件出願時の技術常識から,直ちに作ることができるものとはいえない。
 したがって,引用例1に引用発明が記載されている(あるいは,記載されているに等しい)ということはできない。

2018年11月11日日曜日

分割出願の特許性判断と親出願での意見書の主張とは別個のものであると判断された事例


知財高裁平成30年10月11日判決
平成29年(行ケ)第10160号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は無効審判審決(特許有効の判断)を不服とする原告(無効審判請求人)が請求した審決取消訴訟の知財高裁判決において、審決が維持された事例である。
 対象となる被告の特許権の請求項1(訂正発明1)は「但し,マンニトールを含まない組成物である」という「除くクレーム」である。明細書の実施例ではマンニトールを含む例しか記載されていない。また、被告特許権に係る特許出願は分割出願であるが、分割原出願の審査過程で被告が提出した意見書ではマンニトールを含有しない組成物では変色抑制効果が認められないと述べていた。
 原告は分割要件違反、サポート要件違反を主張した。しかし知財高裁は、本件出願と本件原出願とは別個のものであるから,本件原出願の審査過程における被告の主張が本件特許のサポート要件適合性を左右するとはいえないことなどを理由に、原告の請求を棄却した。

2.本件訂正発明1
「(a)ベシル酸アムロジピン,(b)酸化鉄,(c)炭酸カルシウム及び結晶セルロースからなる群より選ばれる少なくとも一つの賦形剤,並びに(d)デンプンを含有し,デンプンの含有量が30重量%以下であり,かつ被覆層を有しない経口固形組成物(但し,マンニトールを含まない組成物である)。」

3.原告(無効審判請求人)の主張
分割要件違反(取消理由3)
本件訂正発明1は,積極的にマンニトールをその構成から除外しようとするものであるのに対し,本件当初明細書には,特に好ましい賦形剤の具体例としてマンニトールが挙げられ,かつ,実施例及び比較例の全例にマンニトールが等しく添加されている
 さらに,被告は,本件原出願の審査過程で提出した平成20年6月19日付け意見書において,自ら実施した実験結果の説明として,マンニトールを含有しない組成物では変色抑制効果が認められないと述べている。これは,酸化鉄の着色防止効果につき,マンニトールを配合することによって顕著な作用・効果が生ずる,すなわち,酸化鉄とマンニトールの組合せこそが課題解決に重要な必須の構成であるとの主張にほかならない。
 上記のような本件当初明細書の記載及び審査過程における被告の主張内容を踏まえると,本件原出願に係る発明に,当該発明を構成する組成物の成分からマンニトールを積極的に除外しようという技術思想が含まれていなかったことは明らかである。
 したがって,本件訂正発明は,本件当初明細書に含まれない新規事項に該当し,本件出願は分割要件に違反するものであるから,これに反する審決の判断は誤りである。」
サポート要件違反(取消理由4)
「上記3のとおり,本件原出願に係る発明には,当該発明を構成する組成物の成分からマンニトールを積極的に除去しようという技術思想が含まれていなかった。
 したがって,本件明細書の記載に接した当業者は,マンニトールが添加されていない場合においても,アムロジピンに酸化鉄を配合することで,光安定化したアムロジピン含有経口固形組成物が得られることを認識できるとは到底いえない。
 よって,本件特許は,サポート要件に適合しないものであるから,これに反する審決の判断は誤りである。」

4.裁判所の判断
「4 取消事由3(分割要件適合性についての判断の誤り)について
(1) 原告は,本件当初明細書の実施例及び比較例の全てにマンニトールが等しく添加されている上に,被告が,本件原出願の審査過程において,進歩性欠如の拒絶理由に対して行った効果の顕著性に関する主張に鑑みれば,本件原出願に係る発明には,当該発明を構成する組成物の成分からマンニトールを積極的に除外しようという技術思想が含まれていなかったことが明らかであると主張する。
(2) そこで検討するに,本件当初明細書の実施例及び比較例では,いずれもマンニトールを含む組成物のみが用いられていることは当事者間に争いがない。
 しかし,本件当初明細書において,マンニトールは任意成分である賦形剤として記載されており,ソルビトール,マルチトール,還元澱粉糖化物,キシリトール,還元パラチノース及びエリスリトールなどの代替し得る成分も併せて記載されていることからすると(甲26の段落【0021】及び【0022】),本件当初明細書の記載において,マンニトールを含有しない組成物が排除されているとはいえない。
 また,原告は,本件原出願の審査過程における,効果の顕著性に関する被告の主張を問題とするが,分割出願に係る発明が原出願の当初の明細書等に記載された事項の範囲内であるか否かは,当該明細書及び出願時の技術常識等に基づいて客観的に判断するのが相当であるから,原告の主張はその前提において失当である。」

「5 取消事由4(サポート要件適合性についての判断の誤り)について
(1) 原告は,本件明細書の記載に接した当業者が,マンニトールが添加されていない場合においても,アムロジピンに酸化鉄を配合することで,光安定化したアムロジピン含有経口固形組成物が得られることを認識できるとは到底いえないから,本件特許はサポート要件に適合しないと主張する。
(2) そこで検討するに,特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
(3) 本件についてみると,本件訂正発明の課題は,アムロジピン又はその塩の光による変色及び分解を簡便に防止し,光安定化した経口固形組成物を提供することである(本件明細書の段落【0007】)ところ,上記第2の2のとおり,本件訂正発明はマンニトールを含有しない組成物に限定されている。
 確かに,マンニトールは,本件明細書において,服用性の観点から口腔内崩壊型製剤に添加することが好ましいとされた水溶性賦形剤である,水溶性糖アルコール,糖類,甘味を有するアミノ酸類(【0022】)のうちの,水溶性糖アルコールの一つとして,ソルビトール,マルチトール,還元澱粉糖化物,キシリトール,還元パラチノース及びエリスリトールなどとともに挙げられたもので,その中でも,特に好ましいものとされている(【0023】)。その一方で,本件明細書には,課題を解決するための手段として,アムロジピン又はその塩に酸化鉄を配合することにより,被覆層を必要とすることなく非常に簡便に光安定化された経口医薬組成物が得られる旨が記載されているところ(【0012】),光安定化効果に対するマンニトールの作用については何ら記載がなく,かえって,マンニトールは実質的に本件訂正発明の効果に影響を与えない添加剤として位置付けられている(【0027】)。また,ベシル酸アムロジピンに酸化鉄を配合することによる薬物の光安定化効果に,マンニトールが何らかの影響を与えるとの技術常識を認めるに足りる的確な証拠もない。
 そうすると,本件明細書に接した当業者は,本件明細書の実施例の全てにおいて,マンニトールを含む組成物のみが示されているとしても(【0033】表1),それは服用性向上のために含有されているものにすぎず,ベシル酸アムロジピンに酸化鉄を配合した組成物であれば,マンニトールを含まない組成物であっても光安定化効果が発揮されると理解すると認めるのが相当である。また,炭酸カルシウム,結晶セルロース及びデンプンについても,本件明細書には任意成分である賦形剤として記載されているところ(【0024】,【0027】),当該各物質が,ベシル酸アムロジピンと酸化鉄とを含有する組成物における光安定化効果に対し,何らかの影響を与えるものであるとの技術常識が存在することを認めるに足りる証拠も見当たらない。
 したがって,ベシル酸アムロジピン及び酸化鉄とともに,炭酸カルシウム,結晶セルロース及びデンプンを含む本件訂正発明も,当業者が発明の課題を解決できると認識可能な範囲内のものであるといえるから,上記原告の主張は採用することができない。
(4) また,原告は,取消事由3と同様に,本件原出願の審査過程における被告の主張を問題とするが,本件出願と本件原出願とは別個のものであるから,本件原出願の審査過程における被告の主張が本件特許のサポート要件適合性を左右するとはいえない。
(5) 以上によれば,原告主張の取消事由4は理由がない。」

2018年10月28日日曜日

医薬用途の効果を証明するための後出しデータの考慮される範囲

知財高裁平成30年10月22日判決
平成29年(行ケ)第10106号 審決取消請求事件
1.概要
 本事例は無効審判審決(特許有効の結論)に対する審決取消訴訟において、審決を取り消した知財高裁判決である。
 甲1号証に対する進歩性が争われた。明細書には効果に関して「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。」という記載はあるが具体的な数値データは示されていない。本発明の効果の顕著性を証明するために特許権者が提出した出願後の刊行物(乙1号証等)を証拠として考慮すべきかどうかが争点の1つとなった。
 特許庁審決では、出願後の刊行物を本発明の効果を裏付ける証拠として考慮した。一方、知財高裁は、明細書に記載の定性的効果を示すという限度において参酌することができるにとどまるとし判断した。
2.本件特許発明1
「ErbB2タンパク質が発現した乳腫瘍であると診断されたヒトの患者を治療するための,治療的有効量のヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬であって,該治療が(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行うことを含む治療である,医薬。」
3.明細書に記載の効果
 本件訂正明細書の実施例には,・・・抗HER2抗体を,随意的にパクリタキセル(TAXOL(登録商標))と組み合わせて手術前に患者に適用した効果を示すものとして,「上記の治療方法に従って治療された患者は,全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。」と記載されている(【0119】)。
 しかし、記載されている効果は上記の「定性的」な効果にとどまり、効果の程度を示す「定量的」データは明細書には示されていない。
4.審決の判断(出願後に公開の文献乙1等を考慮)
 審決では以下の通り、出願後に公開された論文を、上記段落0119に記載の効果を裏付ける証拠として考慮した。
「無効理由1についての判断で先に述べたとおり,本件特許発明1は,相違点1,すなわち,ヒト化4D5抗ErbB2抗体を含有してなる医薬を,(a)該医薬によって患者を治療する,(b)外科的に腫瘍を除去する,及び(c)該医薬又は化学療法剤によって患者を治療するという工程を順次行う治療に適用する点で,甲1発明と相違する。
 そして,本件特許発明1は,この点を採用することにより,本件訂正明細書に記載の「全体的に改善された生存者,及び/又は腫瘍の進行時間(TTP)の延長を示すであろう。」(段落【0119】)なる効果を奏する,とされるものであり,これらの効果は,乙第1~5号証において実際に確認されているといえるから,乙第1~5号証にて示されたトラスツズマブの効果は,本件特許発明1の効果として参酌すべきものである。そして,乙第1号証においては,手術可能乳がんを有する患者におけるpCRの改善幅が41.7%(66.7%(トラスツズマブ+化学療法群,n=16)-25%(化学療法群,n=18))であったことや,40.4%(66.7%(トラスツズマブ+化学療法群,n=23)-26.3%(化学療法群,n=19))であったことが示され,乙第3号証には,局所進行又は炎症性乳がん患者におけるpCRの改善幅が,乳房組織において21%(43%(トラスツズマブ併用)-22%(非併用))であったことや,乳房組織及び腋窩リンパ節の全体において19%(38%(トラスツズマブ併用)-19%(非併用)=19%)であったこと,及び,3年無イベント生存率の改善が示されている(なお,著者及び記載内容からみて乙第3号証と関連する,乙第2号証にも「NOAH試験」なる研究における乙第3号証と類似の結果が記載されているものと認められる。)。」
5.裁判所の判断
「イ 被告は,本件訂正明細書の発明の効果の定性的な記載に基づき,具体的な実験データを参照することは妥当であるから,甲17,19〔審判乙1,3〕に基づき本件特許発明1には顕著な効果があるなどと主張する。
 しかし,前記アのとおり,本件訂正明細書の記載及びこれから推論できる本件特許発明1の効果は,本件特許発明1の医薬がこれを投与しない場合と比較して生存率の改善及び腫瘍の進行時間(TTP)の延長という定性的効果を有することにとどまる。そこで,本件優先日後の刊行物である甲17,19〔審判乙1,3〕の実験データを,本件訂正明細書の記載の範囲で,上記定性的効果を示すという限度において参酌するとしても,前記アのとおり,上記定性的効果は当業者が予測可能なものであるから,顕著な効果を示すものということはできない。他方,甲17,19〔審判乙1,3〕の実験データを,上記定性的効果を超えて参酌することは,本件訂正明細書の記載の範囲を超えるものであるから,これを本件特許発明1の効果として参酌することはできない。その余の本件優先日後の刊行物である甲18,20,21〔審判乙2,4,5〕についても,同様である。
 したがって,本件優先日後の刊行物である甲17~21〔審判乙1~5〕については,その具体的内容を検討するまでもなく,本件特許発明1に顕著な効果があることを示すものということはできない。」

2018年9月29日土曜日

独立特許要件違反による補正却下を違法と判断した知財高裁判決

知財高裁平成30年9月10日判決
平成29年(行ケ)第10213号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は審決取消訴訟において拒絶審決が取り消された高裁判決である。
 本事例では、請求項1に係る発明が,特願2010-194145号本件先願の願書に最初に添付された明細書,特許請求の範囲又は図面に記載された発明と同一であり,特許法29条の2により,特許を受けることができない、という理由で拒絶査定がされ、出願人(原告)は、拒絶査定不服審判の請求と同時に請求項1を限定的に減縮した。これに対し特許庁は前置審査において、新たに、引用文献1及び2を引用し、補正後の本願発明は進歩性を有していない(特許法29条2項違反)として独立特許要件違反+補正却下+補正前の本願発明は拒絶査定の理由(特許法29条の2違反)で拒絶されるべきものであると指摘した。出願人(原告)は前置審査の結果に対して上申書を提出した。審決では拒絶理由通知が通知されることなく、前置審査と同じ理由で、補正を却下し、拒絶査定とした。
 知財高裁は、「特許出願に対する審査・審判手続の具体的経過に照らし,出願人の防御の機会が実質的に保障されていないと認められるようなときには,同法159条2項により準用される同法50条本文に基づき拒絶理由通知をしなければならず,しないことが違法になる場合もあり得るというべきである」と判断し、審決を取り消した。

2.裁判所の判断のポイント
1 取消事由1(拒絶理由通知欠缺による手続違背)について
(1) 本願について,審決に至る経緯をみると,次のとおりである。
ア 前記第2の1のとおり,本願は,審査段階で本件拒絶理由通知(甲10)を受けたが,その拒絶理由は,①請求項1に係る発明が,特願2010-194145号(特開2012-050540号,本件先願)の願書に最初に添付された明細書,特許請求の範囲又は図面に記載された発明と同一であり,特許法29条の2により,特許を受けることができない旨,及び,②請求項1の「有利量」に係る記載について,有利量が具体的に特定されておらず,それぞれの有利量の内容が同じ構成も含まれるが,発明の詳細な説明では,そのような構成については記載も示唆もされていない点において,同法36条6項1号の要件を満たしていない旨の二つであった。
 そして,本件拒絶査定(甲11)は,本件拒絶理由通知記載の上記拒絶理由①を拒絶理由とするものであった。
イ 前記第2の1のとおり,原告は,本件拒絶査定に対し,本件拒絶査定不服審判請求をするとともに,本件補正を行ったことから,本件拒絶査定不服審判請求は,審査官による前置審査に付された。
 そして,審査官は,平成29年2月3日付け前置報告書(甲22)において,①本願補正発明は,新たに引用された文献である特開2008-284231号公報(刊行物1)に基づき,特許法29条1項3号及び同条2項により,独立特許要件を充足しない,②本願補正発明は,構成要件Hの「当該特定演出を実行することで有利量の付与を報知し」との記載中の「有利量」が,特定演出に係る有利量であるのか,特定演出の実行中に決定された有利量であるのかが判断できず,発明が不明確であるから,同法36条6項2号により,独立特許要件を充足しない,③したがって,本件補正は,同法17条の2第6項において準用する同法126条7項に違反するから,同法159条1項において読み替えて準用する同法53条1項により却下されるべきものであり,本願は,本件拒絶査定の理由に示したとおり拒絶されるべきものである旨を報告した。

ウ 原告は,平成29年3月30日付け上申書(甲23)を提出し,前記イの前置報告に対し,本願補正発明が新規性及び進歩性を有する旨反論した。
エ 審判合議体は,原告に対し,改めて拒絶理由通知をすることなく,前記第2の1のとおり,平成29年10月11日,本件補正を却下した上,本件拒絶査定不服審判請求は成り立たない旨の審決をした。
 審決は,前記第2の3(1)イのとおり,本願補正発明が刊行物1に基づき特許法29条1項3号及び同条2項により独立特許要件を充足しないことを,本件補正を却下する理由とした。
(2) 本件補正は,特許法17条の2第1項4号所定の審判請求時補正として同条5項2号所定の限定的減縮を目的とするもの(審判請求時補正〔限定的減縮〕)であるから,同条6項により準用される同法126条7項により,本件補正後における特許請求の範囲に記載されている事項により特定される発明(本願補正発明)が特許出願の際独立して特許を受けることができるものでなければならない(独立特許要件)。
 また,同法159条2項により準用される同法50条本文は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由(新拒絶理由)を発見した場合は,その新拒絶理由を通知して意見書を提出する機会を与えなければならないとしているが,同法159条2項により読み替えて準用される同法50条ただし書は,同法159条1項により読み替えて準用される同法53条1項による補正却下の決定をするときは,この限りでないとしており,同法159条1項により読み替えて準用される同法53条1項は,審判請求時補正が同法17条の2第6項に違反するときは,決定をもってその補正を却下しなければならないとしている。
 そして,前記(1)のとおり,審決が本件補正を却下する理由とした,①本願補正発明が刊行物1記載の発明と同一であること(同法29条1項3号),②本願補正発明が刊行物1記載の発明に基づいて容易に発明をすることができたこと(同条2項)は,本件拒絶査定の理由と異なる拒絶の理由(新拒絶理由)であるとともに,独立特許要件違反の理由ともなるものである。
 そこで,審判合議体は,同法159条2項により準用される同法50条本文により拒絶理由通知をすべき義務は,同法159条2項により読み替えて準用される同法50条ただし書により適用がないものとして,前記第2の3(1)のとおり,審決において,本件補正が同法17条の2第6項により準用する同法126条7項に違反することを理由として,同法159条1項により読み替えて準用する同法53条1項を適用して本件補正を却下したものである。
(3) しかし,特許法50条本文は,拒絶査定をしようとするときは,出願人に対し拒絶理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならないと規定し,拒絶理由を通知した場合には,同法17条の2第1項1号又は3号により出願人には上記指定期間内に補正をする機会が与えられる。これは,出願人に対し意見書の提出及び補正による拒絶理由の解消の機会を与えて,出願人の防御の機会を保障するとともに,その意見書を基にして審査官が再審査をする機会とする趣旨であると解される。そして,同法50条本文は,同法159条2項により拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由(新拒絶理由)を発見した場合に準用されており,上記の出願人の防御の機会の保障という趣旨は,拒絶査定不服審判において新拒絶理由が発見された場合にも及ぶものである。
 また,同法53条1項(同法159条1項により読み替えて準用される場合を含む。)により特許請求の範囲の記載についてした補正が却下された場合には,既に拒絶理由が通知された補正前の特許請求の範囲の記載(以下,「補正前クレーム」という。)により拒絶理由の有無が判断されることになるから,拒絶査定又は拒絶査定不服審判請求不成立審決に至ることが少なくないが,審査段階において同法17条の2第1項3号所定の補正(以下,「3号補正」という。)がされた場合には,従前の拒絶理由通知に示されていなかった新たな刊行物(以下,「新規引用文献」という。)に基づく独立特許要件違反を理由として,その3号補正が却下され,補正前クレームに基づいて拒絶査定がされたとしても,拒絶査定不服審判請求等において補正後の特許請求の範囲の記載(以下,「補正後クレーム」という。)に基づく独立特許要件違反の判断の当否や補正前クレームに基づく拒絶理由の判断の当否を争い得ることに加え,審判請求時補正により,新規引用文献に基づく拒絶理由を回避するための補正をする機会がある。これに対し,新規引用文献に基づく独立特許要件違反を理由として,審判請求時補正が却下され,補正前クレームに基づいて拒絶査定不服審判請求不成立審決がされてしまうと,審決取消訴訟において補正後クレームに基づく独立特許要件違反の判断の当否や補正前クレームに基づく拒絶理由の判断の当否を争うことはできるものの,審査段階における3号補正の場合とは異なり,新規引用文献に基づく拒絶理由を回避するための補正をする機会が残されていない点において,出願人にはより過酷であるということができる。
 さらに,同法53条1項(同法159条1項により読み替えて準用される場合を含む。)において,3号補正及び審判時請求補正が独立特許要件に違反しているときはその補正を却下しなければならない旨が定められ,同法50条ただし書(同法159条2項により読み替えて準用される場合を含む。)において,同法53条1項(同法159条1項により読み替えて準用される場合を含む。)により3号補正及び審判請求時補正を却下する決定をするときは拒絶理由通知を要しない旨が定められたのは,平成5年改正によるものであるが,同改正においては,3号補正及び審判請求時補正については,既に行われた審査結果を有効に活用することができる範囲とするとの観点から,その目的を特定のものに限定することが定められ(目的要件の創設),その一つとして限定的減縮が定められた(平成5年法による改正後の特許法17条の2第3項2号。この規定が平成6年法律第116号による特許法改正によって現行特許法17条の2第5項2号の規定となったが,実質的な変更を伴うものではない。)。このような改正経緯に照らすと,平成5年改正は,審判請求時補正〔限定的減縮〕においては,審査段階における先行技術調査の結果を利用することを想定していたことが明らかであり,審判請求時補正〔限定的減縮〕を却下する際に,独立特許要件の判断において,審査段階において提示されていなかった新規引用文献を主たる引用例とするなど,審査段階において全く想定されていなかった判断をすることは,平成5年改正の本来の趣旨に沿わないものということができ,そのような場合に,同法159条2項により読み替えて準用される同法50条ただし書をそのまま適用することについては,慎重な検討を要するものということができる。
 加えて,平成5年改正により,同法50条ただし書(同法159条2項により読み替えて準用される場合を含む。)において,同法53条1項(同法159条1項により読み替えて準用される場合を含む。)により3号補正及び審判請求時補正を却下する決定をするときは拒絶理由通知を要しない旨が定められたのは,再度拒絶理由が通知され,審理が繰り返し行われることを回避する点にあると解される。もとより,審理が繰り返し行われることを回避することにより,審査・審判全体の効率性を図ることは,重要ではあるが,新規引用文献に基づく独立特許要件違反を理由として審判請求時補正を却下せずに,この新規引用文献に基づく拒絶理由を通知したとしても,限定的減縮である審判請求時補正による補正後クレームについて,特許法17条の2第3項~6項による制限の範囲内で補正することができるにすぎないから,審理の対象が大きく変更されることは考え難く,そのような審理の繰返しを避けるべき強い理由があるということはできない。他方,前記のとおり,新規引用文献に基づく独立特許要件違反を理由として,審判請求時補正が却下されて,補正前クレームに基づいて拒絶査定不服審判請求不成立審決がされた場合には,新規引用文献に基づく独立特許要件違反を理由として,審査段階における3号補正が却下されて,補正前クレームに基づいて拒絶査定がされた場合とは異なり,新規引用文献に基づく拒絶理由を回避するための補正の機会が残されていない点において,出願人にはより過酷であり,この補正の機会の有無により,最終的に特許査定を得られるか否かが左右されるという重大な結果を招く可能性もある。
 なお,平成27年9月改訂の審査基準では,限定的減縮を目的とする3号補正について,補正後クレームに新規性(同法29条1項),進歩性(同条2項),拡大先願(同法29条の2)及び先願(同法39条)に係る拒絶理由が存在する場合で,補正前クレームに係る最後の拒絶理由通知において,上記拒絶理由に対応する拒絶理由を通知していなかったときは,その理由で補正を却下してはならず,補正後クレームに基づいて拒絶理由通知をするものとされている(甲25,乙7)。
 以上の諸点を考慮すると,特許法159条2項により読み替えて準用される同法50条ただし書に当たる場合であっても,特許出願に対する審査・審判手続の具体的経過に照らし,出願人の防御の機会が実質的に保障されていないと認められるようなときには,同法159条2項により準用される同法50条本文に基づき拒絶理由通知をしなければならず,しないことが違法になる場合もあり得るというべきである。
(4) 本件においては,前記(1)のとおり,本件拒絶査定の理由は,本件先願を理由とする拡大先願(特許法29条の2)であるのに対し,審決が本件補正を却下した理由は,刊行物1を理由とする新規性欠如(同法29条1項3号)及び進歩性欠如(同条2項)であって,適用法条も,引用文献も異なるものである。刊行物1は,本件補正を受けた前置報告書において初めて原告に示されたものであるが,刊行物1に基づく拒絶理由通知はされていないことから,原告には,刊行物1に基づく拒絶理由を回避するための補正をする機会はなかった。
 なお,刊行物1の出願人は原告自身ではあるものの,後記2のとおり,刊行物1記載の引用発明1及び引用発明2は,本願補正発明の「特定演出」又は「特別演出」の構成を欠くものと認められ,「特定演出」及び「特別演出」は本願発明の発明特定事項でもあることからすると,原告において,本件補正までに,刊行物1に基づく拒絶理由を回避するための補正をしておくべきであったものということもできず,その他,刊行物1に基づく拒絶理由通知がなくても原告の防御の機会が実質的に保障されていたと認められる特段の事情も見当たらない。
 以上の本願に対する審査・審判手続の具体的経過に照らすと,刊行物1に基づく拒絶理由通知がされていない審決時において,原告の防御の機会が実質的に保障されていないと認められるから,審判合議体は,同法159条2項により準用される同法50条本文に基づき,新拒絶理由に当たる刊行物1に基づく拒絶理由を通知すべきであったということができる。それにもかかわらず,上記拒絶理由通知をすることなく本件補正を却下した審決には,同法159条2項により準用される同法50条本文所定の手続を怠った違法があり,この違法は審決の結論に影響を及ぼすものと認められる。これに反する被告の主張を採用することはできない。
(5) 被告は,原告は,刊行物1に基づく新拒絶理由が記載されている前置報告書(甲22)に対して上申書(甲23)を提出しており,この新拒絶理由に対し意見を述べる機会があったと主張する。
 しかし,原告が上申書により刊行物1に基づく新拒絶理由に対し反論したことは,前記(1)ウのとおりであるが,原告に対し刊行物1に基づく拒絶理由通知はされていないことから,原告には,刊行物1に基づく拒絶理由を回避するための補正をする機会がなかったことに変わりはないのであって,原告の上記反論の存在を加味しても,前記(4)のとおり,刊行物1に基づく拒絶理由通知がされていない審決時において,原告の防御の機会が実質的に保障されていないと認められるとの判断が左右されるものではない。
(6) 以上によると,拒絶理由通知欠缺による手続違背をいう取消事由1は,理由がある。」