1.概要
平成23年改正特許法では特許法30条の新規性喪失の例外規定が大きく改正され、「特許を受ける権利を有する者の行為に起因して」新規性を喪失するに至った発明は所定の条件を満たす限り例外的に新規性を喪失していないものとみなされることとなった。
この改正は一般的には出願人にとり有利な方向の改正であると考えられる。
しかしながら、法改正に伴い特許庁が新たに作成し公表した「平成23年改正法対応 発明の新規性喪失の例外規定の適用を受けるための出願人の手引き」及び「平成23年改正法対応 発明の新規性喪失の例外規定についてのQ&A集」では、法改正の本筋とは直接関係がない重要な論点についてさりげなく方向転換がされているので注意を要する。
具体的には、事前に発行される予稿集での公表と、後日の学会での発表との2回にわたり発明が公開された場合、従来は、両発明が「密接不可分」の関係にあるため原則として予稿集のみついて新規性喪失例外規定の適用を受ければよく、後日の学会発表への規定の適用は「原則省略可能」であると説明されていたのに対して、現在は「原則省略不可」と説明されている。
新規性喪失例外規定の適用を受ける出願の多くが、予稿集が先に公表され、学会発表が後日されるパターンであり、従来は、学会発表の適用は省略されることが多かったように思われる。もちろん、予稿集に開示された発明と学会発表された発明とが同一であるといえる場合には改正法のもとにおいても予稿集のみの例外規定適用で十分なようであるが、予稿集は発明の要点のみを開示し学会発表では詳細に発明を公表することが一般的であるので、発明が同一であるか否かの判断は難しい。学会発表についても規定の適用を受けることが無難であることは間違いない。
2.新制度のもとでの基本原則
2.1.平成23年9月に公表された「平成23年改正法対応 発明の新規性喪失の例外規定の適用を受けるための出願人の手引き」
4.公開された発明が複数存在する場合
権利者が発明を複数の異なる雑誌に掲載した場合など、権利者の行為に起因して公開された発明が複数存在する場合において第 2 項の規定の適用を受けようとするときは、それぞれの公開された発明について第 2 項の規定の適用を受けるための手続([2.]の(a)~(c)、以下「手続」といいます。)をする必要があります。
ただし、上記複数存在する発明のうち、手続を行った発明の公開以降に公開された発明であって、以下の 1.又は 2.の条件を満たすものについては、「証明する書面」の提出を省略することができます。
【条件】
1.手続を行った発明と同一であるか又は同一とみなすことができ、かつ、手続を行った発明の公開行為と密接に関連する公開行為によって公開された発明
2.手続を行った発明と同一であるか又は同一とみなすことができ、かつ、権利者又は権利者が公開を依頼した者のいずれでもない者によって公開された発明
例えば、権利者の行為に起因して公開された発明同士が、以下のような関係にあるときには、先に公開された発明について手続を行っていれば、その発明の公開以降に公開された発明については、「証明する書面」の提出を省略することができます。
・・・・(略)・・・・
・ 学会発表によって公開された発明と、その後の、学会発表内容の概略を記載した講演要旨集の発行によって公開された発明1・・・・(略)・・・・
(第13ページ脚注)
1学会発表内容の概略を記載した講演要旨集の発行によって公開された発明と、その後の、学会発表によって公開された発明という関係の場合には、講演要旨集の発行によって公開された発明について手続を行っていても、原則として、その後の学会発表によって公開された発明について「証明する書面」の提出を省略することはできません。
2.2.平成23年9月に公表された「平成23年改正法対応 発明の新規性喪失の例外規定についてのQ&A集」
Q4-b:学術団体によって研究集会(学会)が開催されるに当たり、発明が掲載された予稿集が学会発表に先立って発行され、その後、その学会において発表しました。予稿集への掲載と学会発表のそれぞれについて発明の新規性喪失の例外規定の適用を受けるための手続が必要ですか?
A:予稿集に掲載された内容よりも詳細な内容で学会発表を行った場合には、学会発表によって公開された発明は、予稿集に掲載された発明と同一とみなすことができない場合が多いと考えられます。学会発表によって公開された発明が予稿集に掲載された発明と同一とみなせない可能性があるときには、予稿集に掲載された発明と学会発表によって公開された発明のそれぞれについて第 2 項の規定の適用を受けるための手続を行うことをお勧めします(「平成 23 年改正法対応手引き」の[4.]参照)。
3.旧制度のもとでの基本原則
平成18年3月に公表され、平成22年3月に改訂された「発明の新規性喪失の例外規定についてのQ&A集」
Q2-a:(平成 18 年 10 月公表時Q&AのQ5)
発明を複数回公開した場合は発明の新規性喪失の例外規定を受けることができますか?
A2-a:
受けることができます。
複数回の公開がなされた場合であっても、発明の新規性喪失の例外規定の適用対象である公開については、それぞれ特許法第 30 条第 4 項に規定された証明がなされれば、適用を受けることができます。一方、発明の新規性喪失の例外規定の適用対象でない公開については受けることはできません。
また、一の公開と密接不可分の関係にある他の公開については、両者とも発明の新規性喪失の例外規定の適用対象の公開である限りにおいて、最先の一の公開について「証明する書面」を提出すれば、他の公開については、「証明する書面」の提出を省略することができます。ここでいう「密接不可分」であるとは、例えば次に掲げる関係を指します。
・・・・(略)・・・・
・予稿集と学会発表
・学会発表とその後それに基づいて発行される講演要旨集・・・・(略)・・・・
Q3.2.2-l:
予稿集で発明の一部を公開後、学会発表では内容を追加して発明を公開したのですが、最先の公開である予稿集での公開についてだけ手続を行えば十分ですか?
A3.2.2-l:
十分でない可能性がありますので、それぞれ手続きを行うことをお勧めします。 QQ2-a2-aにあるように、一の公開と密接不可分の関係にある他の公開については、両者とも発明の新規性喪失の例外規定の適用対象の公開である限りにおいて、最先の一の公開について「証明する書面」を提出すれば、他の公開については、「証明する書面」の提出を省略することができます。しかし、予稿集では公開されていない新たな発明が学会発表において追加公開されているのであれば、それらの公開は「一の公開と密接不可分の関係にある他の公開」とみなされない可能性があります。
Q3.2.4-a:(平成18年10月公表時Q&AのQ6)
特許庁長官の指定を受けた学術団体によって研究集会(学会)が開催されるに当たり、発明が記載された予稿集が学会発表に先立って発行され、その後に、学会において文書をもって発表した場合には、どのような証明書が必要ですか?
A3.2.4-a:
予稿集に発表したことについて証明する書面を提出すれば十分です。
予稿集と学会発表は密接不可分の関係にあるといえますので、最先である予稿集での公開が証明されれば、学会での発表については証明が不要となります。・・・・(略)・・・・
平成18年10月に公表された時点での「発明の新規性喪失の例外規定についてのQ&A集」には、上記の「Q3.2.2-l」に該当する質問およびそれに対する回答は記載されていなかった。予稿集に記載されていない追加の発明が学会発表時に公開された場合には予稿集のみについて新規性喪失を受けているだけでは不十分な可能性があるということが平成22年3月の改訂時に追加されていた。
2012年4月15日日曜日
2012年4月8日日曜日
審判請求時補正における請求項の増加が許容されるか否かの判断基準
知財高裁平成24年3月28日判決
平成23年(行ケ)第10226号 審決取消請求事件
1.概要
本事例では、審判請求時にする補正において、特許法17条の2第5項第2号の「特許請求の範囲の減縮(第三十六条第五項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とする補正を行う場合に、請求項数が増す補正(増項補正)が許容されるのはどういう場合があるかが具体的に例示されている。
訂正の際の増項補正が「特許請求の範囲の減縮」に該当し許容される場合があると判断した裁判例として、知財高裁平成22年3月10日判決平成20年(行ケ)第10467号審決取消請求事件(本ブログ2010年5月8日記事参照)がある。
2.裁判所の判断のポイント
「さらに,法17条の2第4項2号は,同条1項4号に基づく場合において特許請求の範囲についてする補正について,「特許請求の範囲の縮減(第36条5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって,その補正前の当該請求項に記載された発明その補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とするものと規定しているところ,これは,審判請求に伴ってする補正について,出願人の便宜と迅速,的確かつ公平な審査の実現等との調整という観点から,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内に限って認めることとしたものである。そして,同号かっこ書が,補正前の「当該請求項」に記載された発明と補正後の「当該請求項」に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る旨を規定していることも併せ考えると,同号は,補正前の請求項と補正後の請求項とが,請求項の数の増減はともかく,対応したものとなっていることを前提としているものと解され,構成要件を択一的に記載している補正前の請求項についてその択一的な構成要件をそれぞれ限定して複数の請求項とする場合あるいはその反対の場合などのように,請求項の数に増減はあっても,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内で補正が行われたといえるような事情のない限り,補正によって新たな発明に関する請求項を追加することを許容するものではないというべきである。
しかしながら,本件補正は,請求項の数を22から56に増加させるものであるところ,例えば,第一の吸収性物品の形体が「臍の緒のくぼみを有している」(本件補正後の請求項2),「第一の吸収性物品の毛布のような感触を提供する特徴を有している」(同3),「第一の吸収性物品を第一の装着者により良く適合させる」(同4),「第一の装着者の自由な動きを可能にする」(同5),「狭い股領域を有している」(同6),「可撓性ファスナーを有している」(同7),「高拡張側部を有している」(同8)又は「第一の吸収性物品の湿り度を示す」(同9)など,いずれも本件補正前の各請求項には全く存在しない構成を付加することで,新たな発明に関する請求項を多数追加しているから,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内で補正を行っているといえるような事情が見当たらない。
したがって,本件補正のうち,以上のとおり請求項2以下に請求項を多数追加している点は,特許請求の範囲の減縮を目的とするものとはいえず,本件補正は,法17条の2第4項2号に違反するものというべきである。」
平成23年(行ケ)第10226号 審決取消請求事件
1.概要
本事例では、審判請求時にする補正において、特許法17条の2第5項第2号の「特許請求の範囲の減縮(第三十六条第五項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とする補正を行う場合に、請求項数が増す補正(増項補正)が許容されるのはどういう場合があるかが具体的に例示されている。
訂正の際の増項補正が「特許請求の範囲の減縮」に該当し許容される場合があると判断した裁判例として、知財高裁平成22年3月10日判決平成20年(行ケ)第10467号審決取消請求事件(本ブログ2010年5月8日記事参照)がある。
2.裁判所の判断のポイント
「さらに,法17条の2第4項2号は,同条1項4号に基づく場合において特許請求の範囲についてする補正について,「特許請求の範囲の縮減(第36条5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって,その補正前の当該請求項に記載された発明その補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とするものと規定しているところ,これは,審判請求に伴ってする補正について,出願人の便宜と迅速,的確かつ公平な審査の実現等との調整という観点から,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内に限って認めることとしたものである。そして,同号かっこ書が,補正前の「当該請求項」に記載された発明と補正後の「当該請求項」に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る旨を規定していることも併せ考えると,同号は,補正前の請求項と補正後の請求項とが,請求項の数の増減はともかく,対応したものとなっていることを前提としているものと解され,構成要件を択一的に記載している補正前の請求項についてその択一的な構成要件をそれぞれ限定して複数の請求項とする場合あるいはその反対の場合などのように,請求項の数に増減はあっても,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内で補正が行われたといえるような事情のない限り,補正によって新たな発明に関する請求項を追加することを許容するものではないというべきである。
しかしながら,本件補正は,請求項の数を22から56に増加させるものであるところ,例えば,第一の吸収性物品の形体が「臍の緒のくぼみを有している」(本件補正後の請求項2),「第一の吸収性物品の毛布のような感触を提供する特徴を有している」(同3),「第一の吸収性物品を第一の装着者により良く適合させる」(同4),「第一の装着者の自由な動きを可能にする」(同5),「狭い股領域を有している」(同6),「可撓性ファスナーを有している」(同7),「高拡張側部を有している」(同8)又は「第一の吸収性物品の湿り度を示す」(同9)など,いずれも本件補正前の各請求項には全く存在しない構成を付加することで,新たな発明に関する請求項を多数追加しているから,既にされた審査結果を有効に活用できる範囲内で補正を行っているといえるような事情が見当たらない。
したがって,本件補正のうち,以上のとおり請求項2以下に請求項を多数追加している点は,特許請求の範囲の減縮を目的とするものとはいえず,本件補正は,法17条の2第4項2号に違反するものというべきである。」
2012年3月16日金曜日
フリバンセリン事件の審決(2回目)
拒絶査定不服審判審決
不服2006-27319
2011年12月5日起案、2011年12月19日送達
1.知財高裁平成22年1月28日判決(平成21年(行ケ)第10033号審決取消請求事件)(フリバンセリン事件)の概要
本願請求項1に記載の発明はスイスタイプクレームで記載された以下の医薬用途発明:
「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」
本願明細書の発明の詳細な説明には、「性欲障害治療」に有効であることの in vitroまたはin vivoデータ(医薬発明審査基準が求めている「数値データ」)は記載されていない。
審決(1回目)は本願に係る発明の詳細な説明において,「フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がない」ことを根拠として,本願は,特許法36条6項1号の要件(サポート要件)を満たさないと判断した。
裁判所は、医薬として実際に有効であるか否かの問題は、サポート要件の充足性の問題ではなく、特許法36条4条1号の要件(実施可能要件)の充足性の問題であるから、サポート要件を満たさないと判断した審決を取り消した。
詳細は当ブログ2010年2月13日記事にて紹介している。
今回の審決では、注目されていた実施可能要件充足性についての特許庁の判断が示された。
2.審決(2回目)の概要
特許庁審判体は2011年12月19日に審決(2回目)を送達した。上記の判決~審決(2回目)の間には2年近い時間があったが、この間、審判請求人に意見書提出の機会等は与えられていないようである。
審決(2回目)では、請求項1に係る医薬用途発明は実施可能性を満足せず、後発的に提出された薬理効果を証明するための試験結果は参酌することができない旨の判断を示した。
3.審決のポイント
「・・・「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが、性欲強化特性を示すことが分かった。」と記載されているが、試験方法や試験データ等の具体的な説明は何も記載されていない。また、フリバンセリンが性欲強化特性を示すことを裏付けるに足る理論的な説明も記載されていない。
そして、「場合により薬理学的に酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンの、性欲障害治療用薬剤を製造するための使用に関する。」と記載されているが、フリバンセリンが機能低下性性欲障害等の性欲障害治療用薬剤として使用されるといった一般的な説明が記載されているに過ぎず、また、フリバンセリンが性欲障害治療用薬剤として有用であることを裏付けるに足る理論的な説明も記載されていない。
また、上記(b)の記載は、性欲障害治療に関する記載ではなく、その上位概念である性的不全治療に関するものであり、その記載は、フリバンセリンが男性及び女性の性的不全治療薬剤に使用され得るが、特に女性用が好ましいこと、種々の原因による性的不全の治療に効果があるという一般的な説明、及び、酸付加塩の好ましい例の列挙である。
また、上記(c)~(f)は、製剤や投与量に関する説明と製剤例であり、薬理効果に関する記載は何もない。
してみると、本願明細書の発明の詳細な説明の(a)~(f)の記載は、フリバンセリンの性欲障害治療用薬剤としての有用性について一般的な記載及び製剤及び投与量、製剤例に関する記載であり、フリバンセリンが性欲強化特性を有すること、ひいては、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることを裏付ける記載は全くない。
特に、薬理試験系が不明であるということは、そもそも請求人がいかなる作用を確認した結果、フリバンセリンが、性欲強化活性を有すると結論づけたのか自体が不明であるということであり、また、性欲強化活性の内容が分からなければ、性欲障害の治療に利用できるかどうかも分からないのであるから、フリバンセリンが性欲障害の治療に有効であると理解できるように、発明の詳細な説明が記載されているとは到底いえない。 さらに、薬理試験結果についても何ら具体的に開示されておらず、本願発明の詳細な説明の記載から、フリバンセリンが、性欲障害治療用という医薬用途に有効であることは確認できない。
したがって、本願明細書の発明の詳細な説明における、上記摘記事項(a)~(f)の記載は、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることの裏付けとなるものと認めることはできないものである。
以上、本願明細書の発明の詳細な説明は、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることが、当業者が理解できるように記載されているとは認められないから、本願明細書の発明の詳細な説明の記載は、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たさない。」
「なお、請求人は、原審の平成18年8月7日付けの意見書及び平成19年2月21日付けの審判請求書に対する手続補正書(方式)において、(1)性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において本発明の化合物のフリバンセリンが性欲強化特性を示すことが出願当初の本件明細書第1頁第17~18行に具体的に記載されていること、(2)その有効な投与量が出願当初の明細書第2頁第18~20行に記載されていること、(3)これらの記載の根拠となった薬理データとして、当業者に知られる評価法であるASEX指標(Arizona Sexual Experience Scale)に基づく実際の臨床研究の結果を示したことから、有効成分としてのフリバンセリンが性欲障害の治療に使用し得ることは裏付けられており、本願の明細書の記載に不備はない旨主張する。
しかし、(1)において指摘されている本願明細書の該当箇所は、上記(4-3)の項における摘記(a)の「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において、場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが、性欲強化特性を示すことが分かった。」であると認められるが、この記載は、「フリバンセリンが性欲強化特性を示した」という結論部分を除くと、「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において」という漠然とした記載があるのみであり、どのような試験を行い、どのようなデータに基づいて上記の結論を導いたのかを示す具体的な記載があるとはいえないものであることは上述のとおりである。また、(2)についても、製剤及び投与量、製剤例に関する一般的記載の一部であり、フリバンセリンの性欲強化特性を裏付けるものではない。 そして、(3)については、明細書の記載外の事項であり、その内容を補足することによって、特許法第36条第4項第1号に規定する要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきであるから、上記薬理試験の結果は参酌することができないものである。そして、もし仮に、明細書に単に、ある医薬用途において有効であったと記載されていさえすれば、後から提出された薬理実験データ等を参酌でき、医薬用途の有効性が補完できるとするならば、医薬用途の有効性が不明確な段階で出願を行い、後から実験により有効性を確認することも可能になるため、いわば、完成されていない医薬用途発明の出願を助長する結果となりかねず、また、実験により有効性を確認してから(したがって、そのために出願時期が遅れることになる)出願を行った者との公平性の観点からみても、後から提出された薬理試験結果を参酌することは妥当ではない。」
不服2006-27319
2011年12月5日起案、2011年12月19日送達
1.知財高裁平成22年1月28日判決(平成21年(行ケ)第10033号審決取消請求事件)(フリバンセリン事件)の概要
本願請求項1に記載の発明はスイスタイプクレームで記載された以下の医薬用途発明:
「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩形態にあってもよいフリバンセリンの,性欲障害治療用薬剤を製造するための使用。」
本願明細書の発明の詳細な説明には、「性欲障害治療」に有効であることの in vitroまたはin vivoデータ(医薬発明審査基準が求めている「数値データ」)は記載されていない。
審決(1回目)は本願に係る発明の詳細な説明において,「フリバンセリン類の性欲障害治療用薬剤としての有用性を裏付ける薬理データ又はそれと同視すべき程度の記載がない」ことを根拠として,本願は,特許法36条6項1号の要件(サポート要件)を満たさないと判断した。
裁判所は、医薬として実際に有効であるか否かの問題は、サポート要件の充足性の問題ではなく、特許法36条4条1号の要件(実施可能要件)の充足性の問題であるから、サポート要件を満たさないと判断した審決を取り消した。
詳細は当ブログ2010年2月13日記事にて紹介している。
今回の審決では、注目されていた実施可能要件充足性についての特許庁の判断が示された。
2.審決(2回目)の概要
特許庁審判体は2011年12月19日に審決(2回目)を送達した。上記の判決~審決(2回目)の間には2年近い時間があったが、この間、審判請求人に意見書提出の機会等は与えられていないようである。
審決(2回目)では、請求項1に係る医薬用途発明は実施可能性を満足せず、後発的に提出された薬理効果を証明するための試験結果は参酌することができない旨の判断を示した。
3.審決のポイント
「・・・「場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが、性欲強化特性を示すことが分かった。」と記載されているが、試験方法や試験データ等の具体的な説明は何も記載されていない。また、フリバンセリンが性欲強化特性を示すことを裏付けるに足る理論的な説明も記載されていない。
そして、「場合により薬理学的に酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンの、性欲障害治療用薬剤を製造するための使用に関する。」と記載されているが、フリバンセリンが機能低下性性欲障害等の性欲障害治療用薬剤として使用されるといった一般的な説明が記載されているに過ぎず、また、フリバンセリンが性欲障害治療用薬剤として有用であることを裏付けるに足る理論的な説明も記載されていない。
また、上記(b)の記載は、性欲障害治療に関する記載ではなく、その上位概念である性的不全治療に関するものであり、その記載は、フリバンセリンが男性及び女性の性的不全治療薬剤に使用され得るが、特に女性用が好ましいこと、種々の原因による性的不全の治療に効果があるという一般的な説明、及び、酸付加塩の好ましい例の列挙である。
また、上記(c)~(f)は、製剤や投与量に関する説明と製剤例であり、薬理効果に関する記載は何もない。
してみると、本願明細書の発明の詳細な説明の(a)~(f)の記載は、フリバンセリンの性欲障害治療用薬剤としての有用性について一般的な記載及び製剤及び投与量、製剤例に関する記載であり、フリバンセリンが性欲強化特性を有すること、ひいては、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることを裏付ける記載は全くない。
特に、薬理試験系が不明であるということは、そもそも請求人がいかなる作用を確認した結果、フリバンセリンが、性欲強化活性を有すると結論づけたのか自体が不明であるということであり、また、性欲強化活性の内容が分からなければ、性欲障害の治療に利用できるかどうかも分からないのであるから、フリバンセリンが性欲障害の治療に有効であると理解できるように、発明の詳細な説明が記載されているとは到底いえない。 さらに、薬理試験結果についても何ら具体的に開示されておらず、本願発明の詳細な説明の記載から、フリバンセリンが、性欲障害治療用という医薬用途に有効であることは確認できない。
したがって、本願明細書の発明の詳細な説明における、上記摘記事項(a)~(f)の記載は、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることの裏付けとなるものと認めることはできないものである。
以上、本願明細書の発明の詳細な説明は、フリバンセリンが性欲障害治療用という医薬用途に有効であることが、当業者が理解できるように記載されているとは認められないから、本願明細書の発明の詳細な説明の記載は、特許法第36条第4項第1号に規定する要件を満たさない。」
「なお、請求人は、原審の平成18年8月7日付けの意見書及び平成19年2月21日付けの審判請求書に対する手続補正書(方式)において、(1)性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において本発明の化合物のフリバンセリンが性欲強化特性を示すことが出願当初の本件明細書第1頁第17~18行に具体的に記載されていること、(2)その有効な投与量が出願当初の明細書第2頁第18~20行に記載されていること、(3)これらの記載の根拠となった薬理データとして、当業者に知られる評価法であるASEX指標(Arizona Sexual Experience Scale)に基づく実際の臨床研究の結果を示したことから、有効成分としてのフリバンセリンが性欲障害の治療に使用し得ることは裏付けられており、本願の明細書の記載に不備はない旨主張する。
しかし、(1)において指摘されている本願明細書の該当箇所は、上記(4-3)の項における摘記(a)の「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において、場合により薬理学的に許容可能な酸付加塩の形態にあってもよいフリバンセリンが、性欲強化特性を示すことが分かった。」であると認められるが、この記載は、「フリバンセリンが性欲強化特性を示した」という結論部分を除くと、「性的不全に悩む男性及び女性の患者の研究において」という漠然とした記載があるのみであり、どのような試験を行い、どのようなデータに基づいて上記の結論を導いたのかを示す具体的な記載があるとはいえないものであることは上述のとおりである。また、(2)についても、製剤及び投与量、製剤例に関する一般的記載の一部であり、フリバンセリンの性欲強化特性を裏付けるものではない。 そして、(3)については、明細書の記載外の事項であり、その内容を補足することによって、特許法第36条第4項第1号に規定する要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきであるから、上記薬理試験の結果は参酌することができないものである。そして、もし仮に、明細書に単に、ある医薬用途において有効であったと記載されていさえすれば、後から提出された薬理実験データ等を参酌でき、医薬用途の有効性が補完できるとするならば、医薬用途の有効性が不明確な段階で出願を行い、後から実験により有効性を確認することも可能になるため、いわば、完成されていない医薬用途発明の出願を助長する結果となりかねず、また、実験により有効性を確認してから(したがって、そのために出願時期が遅れることになる)出願を行った者との公平性の観点からみても、後から提出された薬理試験結果を参酌することは妥当ではない。」
2012年3月10日土曜日
周知技術を裏付ける新たな文献は審決取消訴訟でも提出可能
知財高裁平成24年2月29日判決
平成23年(行ケ)第10183号 審決取消請求事件
1.概要
本件発明と主引用発明である引用発明1との相違点1:本件発明では、高透明プラスティック支持体の両面に光拡散層を備えているのに対して、引用発明1では片面である点。
審決では、上記相違点1の特徴は「周知」であるから、引用発明1+周知技術の組み合わせにより本件発明は進歩性なし、と判断した。審決では周知技術であることの「一例」として甲3文献を引用した。原告(出願人)審決取消訴訟を提起した。
審決取消訴訟において被告(特許庁)は、相違点1の特徴が周知技術であることを示す文献として新たに乙1~乙5文献を追加した。
裁判所は、訴訟段階において周知技術を裏付ける新たな文献を追加提出することは適法であると判断した。
2.裁判所の判断のポイント
「引用発明1に周知技術を適用し,相違点を解消して本願発明1に想到した場合に奏される作用効果が,当業者の予測を超えた格別のものであるということはできない。なお,訴訟において,周知技術を裏付ける新たな文献として乙第1ないし第5号証の公報を提出し,裁判所がこれに基づいて周知技術を認定することは,審決取消訴訟の審理の範囲内である。」
平成23年(行ケ)第10183号 審決取消請求事件
1.概要
本件発明と主引用発明である引用発明1との相違点1:本件発明では、高透明プラスティック支持体の両面に光拡散層を備えているのに対して、引用発明1では片面である点。
審決では、上記相違点1の特徴は「周知」であるから、引用発明1+周知技術の組み合わせにより本件発明は進歩性なし、と判断した。審決では周知技術であることの「一例」として甲3文献を引用した。原告(出願人)審決取消訴訟を提起した。
審決取消訴訟において被告(特許庁)は、相違点1の特徴が周知技術であることを示す文献として新たに乙1~乙5文献を追加した。
裁判所は、訴訟段階において周知技術を裏付ける新たな文献を追加提出することは適法であると判断した。
2.裁判所の判断のポイント
「引用発明1に周知技術を適用し,相違点を解消して本願発明1に想到した場合に奏される作用効果が,当業者の予測を超えた格別のものであるということはできない。なお,訴訟において,周知技術を裏付ける新たな文献として乙第1ないし第5号証の公報を提出し,裁判所がこれに基づいて周知技術を認定することは,審決取消訴訟の審理の範囲内である。」
2012年3月4日日曜日
優先権の効果に関する審決の判断が覆された事例
知財高裁平成24年2月29日判決
平成23年(行ケ)第10127号 審決取消請求事件
1. 概要
以下のような状況を仮定する:
基礎出願の開示事項:上位概念A
優先権主張した後の出願:
請求項1発明=上位概念A
請求項1に従属する請求項2発明=下位概念a
この場合、請求項1発明は優先権の利益を享受することができ、請求項2発明は優先権の利益を享受することができない。
請求項1発明は、その下位概念に請求項2発明を包含していることは事実であるが、そのような場合でも、請求項1発明は下位概念aを主要部に包含するため優先権の利益を受けられない、という判断は通常はなされない。ただし請求項記載の発明の要旨の認定が問題となる「人工乳首事件」平成14年(行ケ)539のようなケースは除く。
今回の事例では、無効審判審決において、上位概念発明(本件発明1)は、その要旨に、優先権の効果が認められない下位概念発明(本件発明3)を包含していることを理由として、上位概念発明(本件発明1)に優先権の利益は認められないと判断された。審決のこの判断は「人工乳首事件」の考え方に近いと思われるが、この事例では、上位概念発明の発明の要旨の認定が問題となっているわけではない。
裁判所は審決の判断は妥当ではなく、上位概念発明(本件発明1)は優先権の利益を享受することができると判断した。
2.出願の経緯
平成13年11月13日 特願2001-346977号(第1基礎出願)
平成13年12月18日 特願2001-383987号(第2基礎出願)
平成14年 4月 3日 特願2002-100851号(第3基礎出願)
平成14年10月10日 特願2002-296828号(上記3つの出願を基礎として、国内優先権主張出願)
3.本件発明の内容
【請求項1(本件発明1)】
「ハウジング(3)内に軸心回りに回転可能に挿入されると共に軸心方向の一端から他端へクランプ移動されるクランプロッド(5)であって,片持ちアーム(6)を固定する部分と,上記ハウジング(3)の一端側の第1端壁(3a)に緊密に嵌合支持されるようにロッド本体(5a)に設けた第1摺動部分(11)と,上記ハウジング(3)の筒孔(4)に挿入したピストン(15)を介して駆動される入力部(14)と,上記ハウジング(3)の他端側の第2端壁(3b)に緊密に嵌合支持されるように上記ロッド本体(5a)から他端方向へ一体に突出されると共に周方向へほぼ等間隔に並べた複数のガイド溝(26)を外周部に形成した第2摺動部分(12)とを,上記の軸心方向へ順に設けたクランプロッド(5)と,
その第2摺動部分(12)に設けた複数のガイド溝(26)にそれぞれ嵌合するように上記ハウジング(3)に支持した複数の係合具(29)とを備え,
上記の複数のガイド溝(26)は,それぞれ,上記の軸心方向の他端から一端へ連ねて設けた旋回溝(27)と直進溝(28)とを備え,上記の複数の旋回溝(27)を相互に平行状に配置すると共に上記の複数の直進溝(28)を相互に平行状に配置し,
上記ピストン(15)の両端方向の外方に配置された上記の第1摺動部分(11)と第2摺動部分(12)との2箇所で上記クランプロッド(5)を上記ハウジング(3)に緊密に嵌合支持させて同上クランプロッド(5)が傾くのを防止するように構成した,ことを特徴とする旋回式クランプ。」
【請求項3(本件発明3)】
「請求項1または2の旋回式クランプにおいて,
前記の旋回溝(27)を螺旋状に形成し,その旋回溝(27)の傾斜角度(A)を10度から30度の範囲内に設定した,ことを特徴とする旋回式クランプ。」
4.審決の概要
4.1.本件発明3(請求項3)の優先権の有効性に関する審決での判断
旋回溝(27)を螺旋状に形成し,その旋回溝(27)の傾斜角度(A)を10度から30度の範囲内に設定した、という数値を含む発明特定事項は、3つの基礎出願のいずれにも記載されていない。
「優先権主張の効果は請求項毎であるところ、後の出願である特願2002-296828号に基づく本件特許の請求項3に記載された発明の要旨となる技術的事項が、優先権主張の基礎となる出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることになり、その超えた部分については優先権主張の効果が認められないのであるから、本件発明3に記載された構成部分の判断基準日、すなわち第29条の規定の適用についての基準日は、実際の出願日である平成14年10月10日である。」
4.2.本件発明1(請求項1)の優先権の有効性に関する審決での判断
「本件発明1は、後の出願の特許請求の範囲(本件の場合、本件発明1ないし4)に記載された発明の要旨となる技術事項(本件の場合、本件発明3、明細書段落【0005】の請求項3に係る部分、同段落【0020】、【0033】、【0036】に記載の技術事項)が、先の出願(本件の場合、優先1ないし優先3)の出願当初明細書及び図面に記載された技術事項の範囲を超えることになることは明らかであるから、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない。すなわち、本件発明1及び2は、旋回溝の構成を有するものであり、本件特許の現実の出願日である平成14年10月10日付けの願書に添付された明細書によって、その角度を特定したことにより、前述のように新規事項を含むことになるから、特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された発明の要旨となる技術事項が、先の出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることになることは明らかである。
よって、本件特許においても本件発明1は、先の出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることとなり、優先権主張の効果は認められない。
したがって、本件発明1の、第29条の規定の適用についての基準日は、実際の出願日である平成14年10月10日である。」
5.裁判所の判断のポイント
5.1.本件発明3(請求項3)の優先権の有効性について
本件発明3については優先権の利益を享受できないと判断し、審決の判断を支持した。
「本件発明3についての特許法29条の規定の適用については,優先権主張の利益を享受できず,現実の出願日である平成14年10月10日を基準として発明の新規性を判断すべきである。」
5.2.本件発明1(請求項1)の優先権の有効性について
本件発明1については優先権の利益を享受できると判断した。
「本件発明1では,クランプロッドのガイド溝につき,「周方向へほぼ等間隔に並べた複数の」との限定,「第2摺動部分(12)に設けた複数の」との限定や「上記の複数のガイド溝(26)は,それぞれ,上記の軸心方向の他端から一端へ連ねて設けた旋回溝(27)と直進溝(28)とを備え,上記の複数の旋回溝(27)を相互に平行状に配置すると共に上記の複数の直進溝(28)を相互に平行状に配置し,」との限定が付されているにすぎない。・・・
そうすると,本件発明1、2では,ガイド溝の傾斜角度に関する特定はされていないから,上記傾斜角度に関する本件発明3の発明特定事項である「傾斜角度を10度から30度の範囲にした」との事項が第1ないし第3基礎出願に係る明細書(図面を含む。)で開示されていないからといって,本件発明1,2が上記事項を発明特定事項として含む形で特定されて出願され,特許登録されたことになるものではない。この理は,例えば請求項3(本件発明3)が特許請求の範囲の記載から削除された場合を想定すれば,より明らかである。したがって,本件発明1,2(請求項1,2)の特許請求の範囲の記載に照らせば,旧特許法41条1項にいう先の出願「の願書に最初に添付した明細書又は図面・・・に記載された発明に基づ」いて特許出願されたものといい得るから,本件発明1,2については原告が優先権主張の効果を享受できなくなるいわれはなく,特許法29条の規定の適用につき,最先の優先日(平成13年11月13日,第1基礎出願の出願日)を基準として差し支えない。」
平成23年(行ケ)第10127号 審決取消請求事件
1. 概要
以下のような状況を仮定する:
基礎出願の開示事項:上位概念A
優先権主張した後の出願:
請求項1発明=上位概念A
請求項1に従属する請求項2発明=下位概念a
この場合、請求項1発明は優先権の利益を享受することができ、請求項2発明は優先権の利益を享受することができない。
請求項1発明は、その下位概念に請求項2発明を包含していることは事実であるが、そのような場合でも、請求項1発明は下位概念aを主要部に包含するため優先権の利益を受けられない、という判断は通常はなされない。ただし請求項記載の発明の要旨の認定が問題となる「人工乳首事件」平成14年(行ケ)539のようなケースは除く。
今回の事例では、無効審判審決において、上位概念発明(本件発明1)は、その要旨に、優先権の効果が認められない下位概念発明(本件発明3)を包含していることを理由として、上位概念発明(本件発明1)に優先権の利益は認められないと判断された。審決のこの判断は「人工乳首事件」の考え方に近いと思われるが、この事例では、上位概念発明の発明の要旨の認定が問題となっているわけではない。
裁判所は審決の判断は妥当ではなく、上位概念発明(本件発明1)は優先権の利益を享受することができると判断した。
2.出願の経緯
平成13年11月13日 特願2001-346977号(第1基礎出願)
平成13年12月18日 特願2001-383987号(第2基礎出願)
平成14年 4月 3日 特願2002-100851号(第3基礎出願)
平成14年10月10日 特願2002-296828号(上記3つの出願を基礎として、国内優先権主張出願)
3.本件発明の内容
【請求項1(本件発明1)】
「ハウジング(3)内に軸心回りに回転可能に挿入されると共に軸心方向の一端から他端へクランプ移動されるクランプロッド(5)であって,片持ちアーム(6)を固定する部分と,上記ハウジング(3)の一端側の第1端壁(3a)に緊密に嵌合支持されるようにロッド本体(5a)に設けた第1摺動部分(11)と,上記ハウジング(3)の筒孔(4)に挿入したピストン(15)を介して駆動される入力部(14)と,上記ハウジング(3)の他端側の第2端壁(3b)に緊密に嵌合支持されるように上記ロッド本体(5a)から他端方向へ一体に突出されると共に周方向へほぼ等間隔に並べた複数のガイド溝(26)を外周部に形成した第2摺動部分(12)とを,上記の軸心方向へ順に設けたクランプロッド(5)と,
その第2摺動部分(12)に設けた複数のガイド溝(26)にそれぞれ嵌合するように上記ハウジング(3)に支持した複数の係合具(29)とを備え,
上記の複数のガイド溝(26)は,それぞれ,上記の軸心方向の他端から一端へ連ねて設けた旋回溝(27)と直進溝(28)とを備え,上記の複数の旋回溝(27)を相互に平行状に配置すると共に上記の複数の直進溝(28)を相互に平行状に配置し,
上記ピストン(15)の両端方向の外方に配置された上記の第1摺動部分(11)と第2摺動部分(12)との2箇所で上記クランプロッド(5)を上記ハウジング(3)に緊密に嵌合支持させて同上クランプロッド(5)が傾くのを防止するように構成した,ことを特徴とする旋回式クランプ。」
【請求項3(本件発明3)】
「請求項1または2の旋回式クランプにおいて,
前記の旋回溝(27)を螺旋状に形成し,その旋回溝(27)の傾斜角度(A)を10度から30度の範囲内に設定した,ことを特徴とする旋回式クランプ。」
4.審決の概要
4.1.本件発明3(請求項3)の優先権の有効性に関する審決での判断
旋回溝(27)を螺旋状に形成し,その旋回溝(27)の傾斜角度(A)を10度から30度の範囲内に設定した、という数値を含む発明特定事項は、3つの基礎出願のいずれにも記載されていない。
「優先権主張の効果は請求項毎であるところ、後の出願である特願2002-296828号に基づく本件特許の請求項3に記載された発明の要旨となる技術的事項が、優先権主張の基礎となる出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることになり、その超えた部分については優先権主張の効果が認められないのであるから、本件発明3に記載された構成部分の判断基準日、すなわち第29条の規定の適用についての基準日は、実際の出願日である平成14年10月10日である。」
4.2.本件発明1(請求項1)の優先権の有効性に関する審決での判断
「本件発明1は、後の出願の特許請求の範囲(本件の場合、本件発明1ないし4)に記載された発明の要旨となる技術事項(本件の場合、本件発明3、明細書段落【0005】の請求項3に係る部分、同段落【0020】、【0033】、【0036】に記載の技術事項)が、先の出願(本件の場合、優先1ないし優先3)の出願当初明細書及び図面に記載された技術事項の範囲を超えることになることは明らかであるから、その越えた部分については優先権主張の効果は認められない。すなわち、本件発明1及び2は、旋回溝の構成を有するものであり、本件特許の現実の出願日である平成14年10月10日付けの願書に添付された明細書によって、その角度を特定したことにより、前述のように新規事項を含むことになるから、特許請求の範囲の請求項1及び2に記載された発明の要旨となる技術事項が、先の出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることになることは明らかである。
よって、本件特許においても本件発明1は、先の出願の当初明細書及び図面に記載された技術的事項の範囲を超えることとなり、優先権主張の効果は認められない。
したがって、本件発明1の、第29条の規定の適用についての基準日は、実際の出願日である平成14年10月10日である。」
5.裁判所の判断のポイント
5.1.本件発明3(請求項3)の優先権の有効性について
本件発明3については優先権の利益を享受できないと判断し、審決の判断を支持した。
「本件発明3についての特許法29条の規定の適用については,優先権主張の利益を享受できず,現実の出願日である平成14年10月10日を基準として発明の新規性を判断すべきである。」
5.2.本件発明1(請求項1)の優先権の有効性について
本件発明1については優先権の利益を享受できると判断した。
「本件発明1では,クランプロッドのガイド溝につき,「周方向へほぼ等間隔に並べた複数の」との限定,「第2摺動部分(12)に設けた複数の」との限定や「上記の複数のガイド溝(26)は,それぞれ,上記の軸心方向の他端から一端へ連ねて設けた旋回溝(27)と直進溝(28)とを備え,上記の複数の旋回溝(27)を相互に平行状に配置すると共に上記の複数の直進溝(28)を相互に平行状に配置し,」との限定が付されているにすぎない。・・・
そうすると,本件発明1、2では,ガイド溝の傾斜角度に関する特定はされていないから,上記傾斜角度に関する本件発明3の発明特定事項である「傾斜角度を10度から30度の範囲にした」との事項が第1ないし第3基礎出願に係る明細書(図面を含む。)で開示されていないからといって,本件発明1,2が上記事項を発明特定事項として含む形で特定されて出願され,特許登録されたことになるものではない。この理は,例えば請求項3(本件発明3)が特許請求の範囲の記載から削除された場合を想定すれば,より明らかである。したがって,本件発明1,2(請求項1,2)の特許請求の範囲の記載に照らせば,旧特許法41条1項にいう先の出願「の願書に最初に添付した明細書又は図面・・・に記載された発明に基づ」いて特許出願されたものといい得るから,本件発明1,2については原告が優先権主張の効果を享受できなくなるいわれはなく,特許法29条の規定の適用につき,最先の優先日(平成13年11月13日,第1基礎出願の出願日)を基準として差し支えない。」
2012年2月24日金曜日
用途発明について総説
1.はじめに
本稿では、従来から公知の化粧品成分が、新たな効果を奏することが見出された場合に、当該新たな効果に的を絞った用途発明は新規性を有するか、という点について、近年の判例に基づき解説する。
下記2.1では用途発明の新規性について検討した。
平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
「シワ形成抑制剤事件」
下記2.4、2.5では用途発明の権利範囲について以下の2つの判決に基づき解説する。
平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
東京地方裁判所平成4年10月23日判決
「アレルギー性喘息の予防剤事件」
平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決
「シロスタゾール事件」
2.公知化合物の新用途の新規性
有効成分Aを含む化粧品組成物を皮膚に適用することにより皮膚美白化が達成されることが公知の状況において、同じ組成物を同じように皮膚に適用した場合にシワ形成抑制作用が生じることが新たに判明した場合、当該新たな知見(シワ形成抑制作用)をカバーする用途発明(成分Aを含むシワ形成抑制剤)は特許を受けることが可能であろうか?皮膚美白化を意図した従来の化粧品組成物を従来どおりに使用すればシワ形成抑制作用が生じるはずであるから、シワ形成抑制作用についての用途発明は新規性が否定されてしまうのであろうか?
医薬品の分野では、公知医薬成分の新規用途は「第二医薬用途」と呼ばれ、新規性を肯定する実務が定着している。例えばある疾患(疾患A)の治療に有効であることが従来から知られていた化合物(化合物A)が、別の疾患(疾患B)の治療に有効であることが確認された場合には、「化合物Aを有効成分とする疾患Bの治療薬」という発明は、一定の条件を満たす限り新規性を有することに争いはない(特許庁 特許実用新案審査基準(以下「審査基準」という) 第Ⅶ部 第3章「医薬発明」2.2.2)。
しかしながら化粧品の分野では、公知有効成分の新規用途について医薬品特許と同様に新規性が肯定されるのか否か、必ずしも明らかではなかった。審査基準 第Ⅱ部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2)②では新規性を欠く化粧品用途発明の事例として例6が挙げられている:
例6:「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」
「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が、角質層を軟化させ肌への水分吸収を促進するとの整肌についての属性に基づくものであり、一方、「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」が、体内物質Xの生成を促進するとの肌の改善についての未知の属性に基づくものであって、両者が表現上の用途限定の点で相違するとしても、両者がともに皮膚に外用するスキンケア化粧料として用いられるものであり、また、保湿効果を有する化粧料は、保湿によって肌のシワ等を改善して肌状態を整えるものであって、肌のシワ防止のためにも使用されることが、当該分野における常識である場合には、両者の用途を区別することができるとはいえない。したがって、両者に用途限定以外の点で差異がなければ、後者は前者により新規性が否定される。」
この事例では「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が公知の場合に、後発の用途発明である「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」の新規性は否定される。一見すると化粧品の第二用途は原則新規性なしとの基準を示しているようにも感じられるが実はそうではない。この例では新旧の両用途の間に表裏一体ともいえる相関関係があり、保湿効果を有する化粧料はシワ防止にも使用されることが技術常識である場合を前提としているから、新規用途について新規性が否定されることはある意味当然な事例といえる。実務者が関心を持つ問題点は、新旧の両用途の相関関係が明確でない状況において、従来認識されていなかった新規用途の新規性が肯定されるのか否かという点であるが、審査基準はこの点について何ら判断基準を提供していない。
本稿で主に紹介する事例(知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決、平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件、以下「シワ形成抑制剤事件」と呼ぶことがある)はこの論点について重要な回答を示した。具体的には、後発の新用途発明が「新たな用途」を提供する限り新規性は肯定されると裁判所は判断した。
用途発明に関する現在の審査基準(第II部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2))は、用途発明に関する審査基準を明確にすべきとの要請1, 2) を受けて改訂され、平成18年6月21日に公表されものである。この審査基準では上記の通り化粧品用途発明について第二用途の新規性を認めるのか否かの立場を明らかにしていない。シワ形成抑制剤事件判決は、この審査基準が公表された直後に言い渡されたこともあり、関係者に大いに注目された3, 4)。香粧品分野の用途発明を理解するための格好の教材であり、以下詳述したい。
2.1.事例紹介
(1)事件番号等
平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
発明の名称:シワ形成抑制剤
(2)本願発明
「アスナロ又はその抽出物を有効成分とするシワ形成抑制剤。」
(3)争点の概要
原告の特許出願明細書の発明の詳細な説明にはアスナロ抽出物をマウスの皮膚に適用した場合にシワの形成を抑制することができることが確認されている。
一方、先行技術を開示する引用文献(審決では「引用例A」と呼ばれる)には、「有効成分として、ヒノキ科植物(Cupressaceae)の成分であって、中間極性を有する有機溶媒、一価若しくは多価の低級アルコール、又はこれらの混合物に可溶性を示すものを含有することを特徴とする美白化粧料組成物」(請求項1)が開示されている。引用文献ではヒノキ科植物の具体例としてアスナロが明示されている。引用文献の試験例1ではアスナロの枝葉のメタノール抽出エキスにより色素細胞(B-16マウスメラノーマ細胞)が白色化することが確認されている。
審決及び裁判所が認定した、本願発明と引用文献記載の発明(引用発明)との一致点及び相違点は以下の通りである(なお、原告はこの認定についても争ったが、裁判所はこの点について原告の主張を認めていないためこの争点について本稿では割愛する)
一致点=「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」である点
相違点=本願発明では当該組成物が「シワ形成抑制剤」であるのに対し、引用発明は「美白化粧料組成物」である点。
本願発明の「シワ形成抑制剤」が引用発明の「美白化粧料組成物」と同一といえるかどうか、すなわち本願発明が引用文献に記載された発明(特許法29条第1項第3号)であるかどうかが争われた。
本願発明の「シワ形成抑制剤」と引用発明の「美白化粧料組成物」は、アスナロ抽出物の配合量や組成物の形態自体には相違がない。
(4)審決の概要
特許庁審判体は上記相違点について以下の通り判断し、本願発明は引用発明と同一であると結論付けた。
「引用例Aの組成物中に含まれる有効成分の含有量は、通常0.001~1.0%程度であり、そのとりうる形態も乳液、化粧水、パック料等の一般皮膚化粧料であるから、両者は有効成分の含有量、とりうる形態、使用態様においても異なるところはない。
そうであれば、引用例Aの組成物を皮膚に適用した場合、同じ有効成分を同程度含有する以上、美白と同時にシワ形成抑制作用も奏しているはずのものであって、上記の相違点は、組成物中の有効成分であるアスナロ抽出物の作用を美白作用と認識して美白化粧料組成物としたか、シワ形成抑制作用と認識してシワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない。 換言すれば、本願発明は、引用例Aのアスナロの抽出物を含有する美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎないものであり、それにより格別新たな用途が生み出されたものではない。」
「したがって、本願発明は引用文献Aに記載された発明と同一であるから特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができない」
(下線は筆者が付加)
(5)裁判所の判断
知財高裁は、本願発明は引用発明と異なると判断し、審決を取り消した。
「・・・本願発明は,アスナロ又はその抽出物が優れたシワ形成抑制作用を有することを見い出したことによってなされた発明であって,「シワ形成抑制」という用途を限定した発明(用途発明)であると認められる。
そして,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,その技術分野の出願時の技術常識を考慮し,新たな用途を提供したといえるのでなければ,発明の新規性は否定されるので,以下,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,新たな用途を提供したといえるかどうかという観点から判断する。」
(続いて裁判所は、シワ形成と皮膚黒化との機序の相違、それぞれの予防・治療法の相違等を証明するために原告が提出した証拠の記述を多数引用、検討した)
「以上の事実によると,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」では,
(ア)「シワ」が,皮膚の張り,弾力性が喪失して皮膚に線状や襞状の溝が形成される現象であるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」が,皮膚にメラミン色素が沈着して褐色~黒色に変化する現象であって,現象として異なること,
(イ)「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,いずれも紫外線暴露が原因の一つとなって起こるが,その機序は,「シワ」が,正常な弾性繊維とそれによる網状構造が変性し,異常な弾性組織が蓄積することによって起こるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,メラニン色素の沈着によって起こるものであって,機序が異なること,
(ウ)予防・治療法としては,紫外線の皮膚への吸収を防ぐもののように共通しているものがあるが,それ以外に多くの異なる予防・治療法があること,
が認められる。」
「「’96化粧品マーケティング要覧 No.1」株式会社富士経済(1996年9月27日発刊。甲9)は,美容液を,ホワイトニング(美白効果を主に訴求する化粧料),アンチエイジング(シワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料)などに分類して,それぞれのマーケット動向を分析している。この事実からすると,本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されていたことが推認される。」
「「シワ」は,上記(略)のとおり,現象もそれが生ずる機序も,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」とは異なり,また,上記(略)のとおり,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料は,製品としても異なるものと認識されていたところ,引用発明は,上記(略)のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防する美白化粧料組成物であるから,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識する余地はなかったものと認められる。 なお,上記・・・のとおり,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」の予防・治療法として,紫外線の皮膚への吸収を防ぐものなどのように,共通しているものがあるが,引用発明は,上記・・・のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防するものであるから,この点において,予防・治療法として,本願発明と共通するということはできない。」
「被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」も奏しているはずのものであり,「シワ形成抑制作用」のような作用は,視覚や触覚のような五感で容易に知得できる作用であるから,「美白化粧料組成物」を皮膚に適用・使用した場合に,その使用者が容易にその効果を実感できるものであることを理由として,本願発明につき格別新たな用途が生み出されたとすることはできないと主張する。
しかし,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」を奏しているとしても,本願の出願までにその旨を記載した文献が認められないことからすると,「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない。」
「さらに,被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」と本願発明の「シワ形成抑制剤」は,いずれも,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであって,「同じ効果を期待する使用者に対して用いられるものではない。」とする原告の主張は,失当であると主張する。しかし,「シワ」と「美白」が異なることは,前記(略)のとおりであって,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであるとの共通点があるからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。」
「これまで述べたところを総合すると,当業者が,本願出願当時,引用発明の「美白化粧料組成物」につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められず,本願発明の「シワ形成抑制」という用途は,引用発明の「美白化粧料組成物」とは異なる新たな用途を提供したということができる。」
(上記抜粋箇所において下線及び強調のための点は筆者が付加)
2.2.考察
本件事例では本願発明と引用発明の対象は共に「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」であり、有効成分の配合量も含め化粧品組成物自体に差異がなく、適用箇所が皮膚であるという点でも差異がない。従って、引用発明の組成物を皮膚に適用すれば、引用発明が意図する美白作用とともに、本願発明が意図するシワ形成作用も同時に奏されることとなる。要するに、引用文献に記載された通りのことを実行すれば、「シワ形成抑制剤」にもなってしまうという関係である。
特許庁審判体はこの「内在的な公知」を重要視しているようであり、「美白化粧料組成物としたか、・・・シワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない」、「美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎない」として本願発明の新規性を否定した。正林真之氏は本判決についての詳細な論説3)において、「このような判断の背景には『後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる』ということは許されるべきでない、という価値観があるように思われる」と述べられている5)。平成6年以前の一般審査基準では公知の物と構造の点で相違がない場合においても適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能であれば新規性は否定されないとする判断基準が記載されていた6)。この基準は、逆に言えば、適用範囲が同じであれば、狙っている用途が異なっていても新規な用途発明とは評価しないという判断基準である。この考え方が本事例の審判体の判断においても影響しているようである7)。
これに対して裁判所は、引用文献の美白化粧料組成物を皮膚に適用することにより「内在的な公知」が生じたとしても、引用文献にその旨が記載されていない以上は「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない、と判断した。裁判所は従来認識されていなかった「新たな用途の提供」には特許権を付与すべきという立場である。
では「新たな用途の提供」とは具体的に何か?この点について裁判所は何ら説明をしていない。同様の表現は審査基準でも用いられているが定義規定は存在しない。この「新たな用途の提供」概念は我が国において用途発明の新規性を判断するうえで重要な概念であるにも関わらず、その意味は実は全く曖昧である。南条雅裕氏が提唱される通り、「新たな用途の提供」の意義及び内実の明確化が求められる8)。
以下はあくまで筆者の私見であるが、おそらく本事例において裁判所は、公知物の「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護しようとする立場をとったように思われる。上記判決抜粋箇所にあるように、原告が提出した証拠によれば「本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されて」いる。すなわち両者は異なる利用価値を有する別々の使い道として認識されている。裁判所の立場を推測するに、同じ使い道(用途)を異なる表現で言い換えただけでは利用価値は同一であり新規性は認められないが、美白剤とシワ形成抑制剤とは異なる利用価値を持っていることから、たとえアスナロ抽出物を含む美白剤が公知であっても、アスナロ抽出物を含むシワ形成抑制剤は保護すべきと判断したのではなかろうか。
公知物について「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」を保護しようとする取り扱いは、実はこの判決だけではなく、特許庁の審査・審判実務においてもしばしば見受けられると筆者は感じている。裁判例でないため具体的な言及は差し控えるが典型的なパターンを2つここで紹介したい。
(パターン1)医薬品の場合
例えば「化合物Aが糖尿病を治療する」ことが、治療の機構は未解明であったものの公知であったと仮定する。この状況において、化合物Aが「酵素Bを阻害」することにより糖尿病を治療することが新たに明らかになり、しかも、化合物Aが酵素Bを阻害することや、酵素B阻害と糖尿病との関係についても従来知られていなかったとする。このような場合、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」と表現されたクレーム発明の新規性は否定されるが、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明は新規性が肯定される場合が見受けられる。この場合、「酵素B阻害剤」が「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」とは異質な利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であることが評価されて新規性が肯定されているように思われる。「酵素B阻害剤」が糖尿病治療以外の用途を有していることを説明できれば、新規性が肯定される可能性はより一層高まるはずである。
(パターン2)食品の場合
従来から食塩と併用され食品中に配合されていた公知の化合物Aが、「食塩の塩味の増強」に有効であることが新たに認められた場合に、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」(または「化合物Aを食塩含有食品中に添加して食塩の塩味を増強する方法」)と表現されたクレーム発明の新規性が肯定されることもある。この場合は、従来公知の「化合物Aと食塩を含有する食品」において塩味は増強されていたとしても、塩味の増強剤としての用途は、従来の食品としての用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であると評価され、新規性が肯定されているものと思われる。
シワ形成抑制剤事件での裁判所の判断及びこれらの審査・審判実務での判断を「適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能な場合に限って後発新用途発明は新規性あり」とする考え方で説明するには無理があると思われる。シワ形成抑制剤事件の事例であれば、シワ形成抑制を求める対象者と、皮膚美白を求める対象者とは異なるので適用範囲が異なり新規性あり、という説明もできないではないが、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」が従来の用途(通常の食品成分としての用途)と適用範囲が異なるとは到底いえないであろう。結局は、「公知物の利用価値ある新しい使い道を提供すれば、適用範囲において公知物の従来の用途と差異がなくとも用途発明として保護される」という程度の漠然とした基準でなければシワ形成抑制剤事件の結論及び審査審判での考え方を説明することはできないと思われる。
2.3.先行技術の実施者との関係
上記のシワ形成抑制剤事件判決のように後発新用途発明に特許権を付与した場合の先行用途発明の実施行為との関係を整理したい。一見すると「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題 5) の発生が懸念されるところであるが、用途発明についての特許権の実態が「用途を表示する権利」(本連載で第2回以降を執筆する予定の奥野彰彦はこの権利を「ラベル化権」と呼ぶことを提唱している9)。本稿でも以下「ラベル化権」と呼ぶ)であると理解すればこのような問題は生じ得ないことが理解できる。
ラベル化権説は、例えば上記糖尿病治療の例において「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明について特許権が付与された場合、「酵素Bを阻害する」、「酵素Bを阻害して糖尿病を治療する」等の、「酵素B阻害」に関する表示(ラベル)が付された添付文書、パッケージ、技術説明資料、宣伝広告媒体等を伴って販売等される化合物A又は化合物A含有製剤が当該特許権の技術的範囲に含まれる、という考え方である。一方、「酵素B阻害」の機構が表示されていない「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」は、公知技術であるから技術的範囲には包含されない(ただし、医薬品の技術説明資料等において「酵素B阻害」の作用機序に触れている場合には、技術的範囲に包含されると考えられる。後述するシロスタゾール事件判決参照)。特許権者が独占できる行為は「酵素B阻害」の機構を表示する行為に限られるのであるから、従来から公知の「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」としての実施は何ら制限されない。化合物Aによって糖尿病を治療すれば必然的に酵素Bは阻害されるとしても、従来から公知の行為にまで特許権の技術的範囲に包含されるとすれば明らかに不合理である。(なお、前提は異なるが、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」自体が公知技術でない場合には、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」の技術的範囲に当該治療薬が包含される可能性もある。)
後発新用途発明の特許出願人にとっては、先行用途発明の実施に伴い不可避的に生じる従来認識されていなかった新しい効果に関連した新用途発明についても特許を受けることができることと引替えに、新用途発明に関する表示を伴わない先行用途発明の実施までは特許権の技術的範囲として独占することができないというトレードオフの関係が成立する。従って、後発新用途発明に特許権を付与したとしても、特許権をラベル化権と解釈する限り、第三者による先行用途発明の実施行為を不当に妨げるという問題は生じない。
2.4.ラベル化権説を支持する裁判例 「アレルギー性喘息の予防剤事件」
ラベル化権説は下記「アレルギー性喘息の予防剤」事件により明確に支持される。この事例は、侵害訴訟において第二医薬用途発明の技術的範囲が争われた(筆者が認識している限り)唯一の裁判例である。以下、簡単に要点のみ概説する。
(1)事件番号等
平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
東京地方裁判所平成4年10月23日判決
発明の名称:アレルギー性喘息の予防剤
(2)原告が有する特許権の特許請求の範囲
「ケトチフェン又はその製薬上許容しうる酸付加塩を有効成分とするアレルギー性喘息の予防剤。」
(3)特許権に基づいて原告が製造等の差し止めを求めた被告の実施品
第一物件目録:フマル酸ケトチフェン(化合物そのもの)
第二物件目録:第一物件目録記載のフマル酸ケトチフェンを有効成分とし、「効能又は効果」として気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含み、「用法」として「一日二回、朝食後および就寝前に経口投与する」等と定期的継続的に用いるものとする医薬品
(4)判決のポイント
第二物件目録に該当する、被告らが実施する製剤品の「添付文書」中には効能又は効果の欄には、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症と記載されている。すなわち、用途発明の対象となる用途の表示と、権利範囲外である他の用途の表示とが一体に記載されている。
原告は「別紙第一物件目録記載の物件を製剤し、該製品を販売してはならない」と請求した。すなわち、所定の用途に限定されないフマル酸ケトチフェン自体およびその製剤までをも本件特許発明の技術的範囲に属するとして差し止めを求めた。
しかしながら裁判所は本件特許発明の技術的範囲に属するのは別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されると判断して、原告の請求を一部棄却した。「効能又は効果」の欄に気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含む第二物件目録の医薬品のみが特許権者が独占できる範囲であると認定された。(判決関連箇所抜粋)
「被告らの製剤品がアレルギー性喘息の予防剤に該当するものであることは前記認定のとおりであるが、本訴において、原告が製剤の差止めの対象物としているのはフマル酸ケトチフェンであり、販売の差止めの対象としているのはフマル酸ケトチフェンの製剤品であって、「ザジトマカプセル」、「ケトチロンカプセル」及び「サルジメンカプセル」に限っているわけではない。そして、フマル酸ケトチフェンがヒスタミン解放抑制作用の他に抗ヒスタミン作用を有することは従来から知られているのであるから、このフマル酸ケトチフェンについて、その抗ヒスタミン作用を利用する等した、アレルギー性喘息の予防剤以外の用途も考えられないわけではなく、現に、《証拠略》よれば、ケトチフェンなどの抗ヒスタミン剤について、その効能に対する見直しが考えられるべきであるとの趣旨の記載のある文献も存するところである。そして、このようなアレルギー性喘息の予防剤以外の用途については本件発明の技術的範囲が及ばないことはいうまでもない。そして、前記のような認定事実をも併せて考えると、原告が差止めを求めた対象物のうち、本件発明の技術的範囲に属するのは、別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されるというべきである。」
被告の実施品は気管支喘息だけでなく、「アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症」も効果効能の対象であることから、この実施品に対する差し止めは不当であるようにも思われる。この点について裁判所は、本件特許発明の用途と、他の用途とが区別できるにもかかわらず一体不可分になっている以上、他の用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことを被告は甘受せざるを得ないと判断した。逆に言えば、被告が実施品の「効能又は効果」の欄から「気管支喘息」の表示を削除しさえすれば差し止めの対象外になると考えられる。(判決関連箇所抜粋)
「本件化合物については、これを製剤販売する業者としては、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを用途としての適用範囲において実質的に区別することが可能なのであって、右区別をすることによって当該製剤が本件発明の技術的範囲に属していないことを明らかにすることができるのであり、他方、右用途の区別が明確になされていない場合には、本件化合物はアレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とがいわば不可分一体になっているものというほかはなく、したがって、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを区別する方途がないのであるから、当該製剤販売業者としては、本件化合物のアレルギー性喘息の予防剤としての用途のみならず、他用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことも甘受せざるを得ないものといわなければならない。
本件においては、仮に被告らの製剤品にアレルギー性喘息の予防剤以外の用途があるとしても、被告らは、被告らの製剤品について、アレルギー性喘息の予防剤としての用途を除外する等しておらず、右予防剤としての用途と他用途とを明確に区別して製剤販売していないのであるから、被告らが、その製剤品についてアレルギー性喘息の予防剤以外の用途をも差し止められる結果となったとしてもやむを得ないものといわざるをえない。」
2.5.用途発明の実施行為の範囲を判断した裁判例 「シロスタゾール事件」
上述の通り用途発明の実質は「ラベル化権」であると解釈できるが、容器やラベルに効果を表示することだけが用途発明の実施行為ではない。技術説明資料や販売促進用資料においてクレームされた用途での有用性を謳うことも用途発明の実施行為(すなわち「ラベル」する行為)であると筆者は理解する。このことは以下の裁判例により支持される。
(1)事件番号等
平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決
(2)概要
本事例は、被控訴人企業の従業員であった控訴人が、被控訴人に対し、被控訴人が特許権を有する用途発明についての職務発明の対価を請求した事例である10)。
「該有効成分が6-[4-(1-シクロヘキシルテトラゾール-5-イル)ブトキシ]-3,4-ジヒドロカルボスチリルであるPTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤。」等の用途発明が被控訴人により実施されたか否かという判断にあたり、知財高裁は、クレームされた用途を明示的に表示して販売するだけが用途発明の実施行為ではなく、技術説明を伴う販売活動も用途発明の実施行為に含まれ得るとの判断を示した。
(判決関連箇所抜粋)
「このように,被控訴人は,本件製剤について,『PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤』と明示的に表示して販売していたものでないにしても,遅くとも平成12年ころからは,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行っていたものであり,平成12年10月ころには,循環器科医師等の間でシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されるようになったことからすれば,少なくとも平成12年10月以降の本件製剤の販売の中には,本件製剤が上記ガイドラインにいうPTCA後の再狭窄予防の薬剤として,すなわち本件用途発明の「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療」の用途に使用されるものとして販売されたものが一定量含まれているものと認めるのが相当であり,そうすると,本件においては,その一定量の販売の限度で,本件用途発明に係る「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤」なる発明の実施があったというべきである。」(下線は筆者が付加)
「確かに,医薬品の用途発明は,その用途に係る効能・効果につき薬事法上の承認を得て実施されるのが一般的であるとはいえるが,医薬品の用途発明においては,当該用途に使用されるものとして当該医薬品を販売すれば,発明の実施に当たるということができるのであり,このことは必ずしも薬事法上の承認の有無とは直接の関係がないというべきであって,仮にその販売が薬事法上の問題を生じ得るとしても,実際に当該用途に使用されるものとして販売している以上,当該用途発明を実施しているというべきである。医薬品の用途発明の実施は,例えば医薬品の容器やラベル等にその用途を直接かつ明示的に表示して製造,販売する場合などが典型的であるといえるが,必ずしも当該用途を直接かつ明示的に表示して販売していなくても,具体的な状況の下で,その用途に使用されるものとして販売されていることが認定できれば,用途発明の実施があったといえることに変わりはない。前記のとおり,本件においては,本件製剤の有効成分であるシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されており,被控訴人は,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行い,本件製剤のうちの一定量は本件用途発明に係る用途に使用されるものとして販売されていたと認められるのであるから,被控訴人による本件用途発明の実施があったというべきであり,被控訴人の上記主張は採用することができない。」(下線は筆者が付加)
3.まとめ
上記の内容を簡単にまとめると:
(1)シワ形成抑制剤事件は、ある物質について先行技術文献記載の用途発明を実施した際に不可避的(内在的)に生じる作用に基づく用途についても、従来認識されていた用途ではない場合には新規性が肯定される余地があることを示した。(2.1)
(2)「新たな用途の提供」という新規性判断基準は不明確であるが、「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、公知物の従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護される可能性があると考えてよさそうである。(2.2)
(3)用途発明の特許権の実質を「用途を表示する権利」(ラベル化権)であると理解すれば、「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題は発生し得ないことが理解できる。(上記2.3)
(4)「ラベル化権」はアレルギー性喘息予防剤事件により支持される。(上記2.4)
(5)シロスタゾール事件は、用途発明の実施行為の範囲には、クレームされた用途を容器やラベルに明示的に表示して販売する行為だけではなく、当該用途を謳う技術説明や宣伝活動も包含されることを支持する。(上記2.5)
本稿で提供した情報が、香粧品開発に携わる方々の特許制度への理解の一助となれば幸いである。
4.参考文献
1)財団法人知的財産研究所 平成15年度 主要国における用途発明の審査・運用に関する調査研究報告書(平成16年3月)
2)財団法人知的財産研究所 平成16年度 用途発明の審査・運用の在り方に関する調査研究報告書(平成17年3月)
3)正林真之 「先行する用途が存在する場合の後願用途発明の特許性について」 知財管理 Vol.57 No.9 (2007) 1505-1519頁
4)南条雅裕 「試練に立つ用途発明を巡る新規性論」 パテント Vol. 62 No.1 (2009) 43-57頁
5)前掲3), 5.1参照
6)財団法人知的財産権研究所編「用途発明-医療関連行為を中心として-」浅野敏彦「Ⅵ.用途発明における審査・運用における課題」 株式会社雄松堂出版、初版、285頁
7)前掲3),4.2参照
8)前掲4),7.参照
9)「抗体医薬品の研究開発ノウハウ集 2008」 奥野彰彦 第8章「抗体医薬品における特許実務と知財戦略」,第3節「抗体医薬品の強い特許明細書・クレームの書き方」 株式会社技術情報協会発行,第1版, 356-360頁
10)中央知的財産研究所 「クレーム解釈をめぐる諸問題」 研究報告第23号(平成20年12月31日) 紺野昭男 「用途発明の実施に関連した三つの論点への考察」 208-224頁
本稿では、従来から公知の化粧品成分が、新たな効果を奏することが見出された場合に、当該新たな効果に的を絞った用途発明は新規性を有するか、という点について、近年の判例に基づき解説する。
下記2.1では用途発明の新規性について検討した。
平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
「シワ形成抑制剤事件」
下記2.4、2.5では用途発明の権利範囲について以下の2つの判決に基づき解説する。
平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
東京地方裁判所平成4年10月23日判決
「アレルギー性喘息の予防剤事件」
平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決
「シロスタゾール事件」
2.公知化合物の新用途の新規性
有効成分Aを含む化粧品組成物を皮膚に適用することにより皮膚美白化が達成されることが公知の状況において、同じ組成物を同じように皮膚に適用した場合にシワ形成抑制作用が生じることが新たに判明した場合、当該新たな知見(シワ形成抑制作用)をカバーする用途発明(成分Aを含むシワ形成抑制剤)は特許を受けることが可能であろうか?皮膚美白化を意図した従来の化粧品組成物を従来どおりに使用すればシワ形成抑制作用が生じるはずであるから、シワ形成抑制作用についての用途発明は新規性が否定されてしまうのであろうか?
医薬品の分野では、公知医薬成分の新規用途は「第二医薬用途」と呼ばれ、新規性を肯定する実務が定着している。例えばある疾患(疾患A)の治療に有効であることが従来から知られていた化合物(化合物A)が、別の疾患(疾患B)の治療に有効であることが確認された場合には、「化合物Aを有効成分とする疾患Bの治療薬」という発明は、一定の条件を満たす限り新規性を有することに争いはない(特許庁 特許実用新案審査基準(以下「審査基準」という) 第Ⅶ部 第3章「医薬発明」2.2.2)。
しかしながら化粧品の分野では、公知有効成分の新規用途について医薬品特許と同様に新規性が肯定されるのか否か、必ずしも明らかではなかった。審査基準 第Ⅱ部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2)②では新規性を欠く化粧品用途発明の事例として例6が挙げられている:
例6:「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」
「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が、角質層を軟化させ肌への水分吸収を促進するとの整肌についての属性に基づくものであり、一方、「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」が、体内物質Xの生成を促進するとの肌の改善についての未知の属性に基づくものであって、両者が表現上の用途限定の点で相違するとしても、両者がともに皮膚に外用するスキンケア化粧料として用いられるものであり、また、保湿効果を有する化粧料は、保湿によって肌のシワ等を改善して肌状態を整えるものであって、肌のシワ防止のためにも使用されることが、当該分野における常識である場合には、両者の用途を区別することができるとはいえない。したがって、両者に用途限定以外の点で差異がなければ、後者は前者により新規性が否定される。」
この事例では「成分Aを有効成分とする肌の保湿用化粧料」が公知の場合に、後発の用途発明である「成分Aを有効成分とする肌のシワ防止用化粧料」の新規性は否定される。一見すると化粧品の第二用途は原則新規性なしとの基準を示しているようにも感じられるが実はそうではない。この例では新旧の両用途の間に表裏一体ともいえる相関関係があり、保湿効果を有する化粧料はシワ防止にも使用されることが技術常識である場合を前提としているから、新規用途について新規性が否定されることはある意味当然な事例といえる。実務者が関心を持つ問題点は、新旧の両用途の相関関係が明確でない状況において、従来認識されていなかった新規用途の新規性が肯定されるのか否かという点であるが、審査基準はこの点について何ら判断基準を提供していない。
本稿で主に紹介する事例(知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決、平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件、以下「シワ形成抑制剤事件」と呼ぶことがある)はこの論点について重要な回答を示した。具体的には、後発の新用途発明が「新たな用途」を提供する限り新規性は肯定されると裁判所は判断した。
用途発明に関する現在の審査基準(第II部 第2章「新規性・進歩性」1.5.2.(2))は、用途発明に関する審査基準を明確にすべきとの要請1, 2) を受けて改訂され、平成18年6月21日に公表されものである。この審査基準では上記の通り化粧品用途発明について第二用途の新規性を認めるのか否かの立場を明らかにしていない。シワ形成抑制剤事件判決は、この審査基準が公表された直後に言い渡されたこともあり、関係者に大いに注目された3, 4)。香粧品分野の用途発明を理解するための格好の教材であり、以下詳述したい。
2.1.事例紹介
(1)事件番号等
平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件
知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決
発明の名称:シワ形成抑制剤
(2)本願発明
「アスナロ又はその抽出物を有効成分とするシワ形成抑制剤。」
(3)争点の概要
原告の特許出願明細書の発明の詳細な説明にはアスナロ抽出物をマウスの皮膚に適用した場合にシワの形成を抑制することができることが確認されている。
一方、先行技術を開示する引用文献(審決では「引用例A」と呼ばれる)には、「有効成分として、ヒノキ科植物(Cupressaceae)の成分であって、中間極性を有する有機溶媒、一価若しくは多価の低級アルコール、又はこれらの混合物に可溶性を示すものを含有することを特徴とする美白化粧料組成物」(請求項1)が開示されている。引用文献ではヒノキ科植物の具体例としてアスナロが明示されている。引用文献の試験例1ではアスナロの枝葉のメタノール抽出エキスにより色素細胞(B-16マウスメラノーマ細胞)が白色化することが確認されている。
審決及び裁判所が認定した、本願発明と引用文献記載の発明(引用発明)との一致点及び相違点は以下の通りである(なお、原告はこの認定についても争ったが、裁判所はこの点について原告の主張を認めていないためこの争点について本稿では割愛する)
一致点=「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」である点
相違点=本願発明では当該組成物が「シワ形成抑制剤」であるのに対し、引用発明は「美白化粧料組成物」である点。
本願発明の「シワ形成抑制剤」が引用発明の「美白化粧料組成物」と同一といえるかどうか、すなわち本願発明が引用文献に記載された発明(特許法29条第1項第3号)であるかどうかが争われた。
本願発明の「シワ形成抑制剤」と引用発明の「美白化粧料組成物」は、アスナロ抽出物の配合量や組成物の形態自体には相違がない。
(4)審決の概要
特許庁審判体は上記相違点について以下の通り判断し、本願発明は引用発明と同一であると結論付けた。
「引用例Aの組成物中に含まれる有効成分の含有量は、通常0.001~1.0%程度であり、そのとりうる形態も乳液、化粧水、パック料等の一般皮膚化粧料であるから、両者は有効成分の含有量、とりうる形態、使用態様においても異なるところはない。
そうであれば、引用例Aの組成物を皮膚に適用した場合、同じ有効成分を同程度含有する以上、美白と同時にシワ形成抑制作用も奏しているはずのものであって、上記の相違点は、組成物中の有効成分であるアスナロ抽出物の作用を美白作用と認識して美白化粧料組成物としたか、シワ形成抑制作用と認識してシワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない。 換言すれば、本願発明は、引用例Aのアスナロの抽出物を含有する美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎないものであり、それにより格別新たな用途が生み出されたものではない。」
「したがって、本願発明は引用文献Aに記載された発明と同一であるから特許法第29条第1項第3号に該当し、特許を受けることができない」
(下線は筆者が付加)
(5)裁判所の判断
知財高裁は、本願発明は引用発明と異なると判断し、審決を取り消した。
「・・・本願発明は,アスナロ又はその抽出物が優れたシワ形成抑制作用を有することを見い出したことによってなされた発明であって,「シワ形成抑制」という用途を限定した発明(用途発明)であると認められる。
そして,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,その技術分野の出願時の技術常識を考慮し,新たな用途を提供したといえるのでなければ,発明の新規性は否定されるので,以下,本願発明の「シワ形成抑制」という用途が,新たな用途を提供したといえるかどうかという観点から判断する。」
(続いて裁判所は、シワ形成と皮膚黒化との機序の相違、それぞれの予防・治療法の相違等を証明するために原告が提出した証拠の記述を多数引用、検討した)
「以上の事実によると,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」では,
(ア)「シワ」が,皮膚の張り,弾力性が喪失して皮膚に線状や襞状の溝が形成される現象であるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」が,皮膚にメラミン色素が沈着して褐色~黒色に変化する現象であって,現象として異なること,
(イ)「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,いずれも紫外線暴露が原因の一つとなって起こるが,その機序は,「シワ」が,正常な弾性繊維とそれによる網状構造が変性し,異常な弾性組織が蓄積することによって起こるのに対し,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」は,メラニン色素の沈着によって起こるものであって,機序が異なること,
(ウ)予防・治療法としては,紫外線の皮膚への吸収を防ぐもののように共通しているものがあるが,それ以外に多くの異なる予防・治療法があること,
が認められる。」
「「’96化粧品マーケティング要覧 No.1」株式会社富士経済(1996年9月27日発刊。甲9)は,美容液を,ホワイトニング(美白効果を主に訴求する化粧料),アンチエイジング(シワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料)などに分類して,それぞれのマーケット動向を分析している。この事実からすると,本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されていたことが推認される。」
「「シワ」は,上記(略)のとおり,現象もそれが生ずる機序も,「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」とは異なり,また,上記(略)のとおり,美白効果を主に訴求する化粧料,とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料は,製品としても異なるものと認識されていたところ,引用発明は,上記(略)のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防する美白化粧料組成物であるから,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識する余地はなかったものと認められる。 なお,上記・・・のとおり,「シワ」と「皮膚の黒化,又はシミ,ソバカス等の色素沈着」の予防・治療法として,紫外線の皮膚への吸収を防ぐものなどのように,共通しているものがあるが,引用発明は,上記・・・のとおり,色素細胞を白色化して,紫外線による皮膚の黒化若しくは色素沈着を消失させ又は予防するものであるから,この点において,予防・治療法として,本願発明と共通するということはできない。」
「被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」も奏しているはずのものであり,「シワ形成抑制作用」のような作用は,視覚や触覚のような五感で容易に知得できる作用であるから,「美白化粧料組成物」を皮膚に適用・使用した場合に,その使用者が容易にその効果を実感できるものであることを理由として,本願発明につき格別新たな用途が生み出されたとすることはできないと主張する。
しかし,引用発明の「美白化粧料組成物」を皮膚に適用すれば,「美白作用」と同時に「シワ形成抑制作用」を奏しているとしても,本願の出願までにその旨を記載した文献が認められないことからすると,「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない。」
「さらに,被告は,引用発明の「美白化粧料組成物」と本願発明の「シワ形成抑制剤」は,いずれも,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであって,「同じ効果を期待する使用者に対して用いられるものではない。」とする原告の主張は,失当であると主張する。しかし,「シワ」と「美白」が異なることは,前記(略)のとおりであって,美容効果のうち,特に紫外線による皮膚のトラブルに対する予防効果を期待して皮膚に適用されるものであるとの共通点があるからといって,当業者が,本願出願当時,引用発明につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められない。」
「これまで述べたところを総合すると,当業者が,本願出願当時,引用発明の「美白化粧料組成物」につき,「シワ」についても効果があると認識することができたとは認められず,本願発明の「シワ形成抑制」という用途は,引用発明の「美白化粧料組成物」とは異なる新たな用途を提供したということができる。」
(上記抜粋箇所において下線及び強調のための点は筆者が付加)
2.2.考察
本件事例では本願発明と引用発明の対象は共に「アスナロの抽出物を有効成分とする皮膚外用組成物」であり、有効成分の配合量も含め化粧品組成物自体に差異がなく、適用箇所が皮膚であるという点でも差異がない。従って、引用発明の組成物を皮膚に適用すれば、引用発明が意図する美白作用とともに、本願発明が意図するシワ形成作用も同時に奏されることとなる。要するに、引用文献に記載された通りのことを実行すれば、「シワ形成抑制剤」にもなってしまうという関係である。
特許庁審判体はこの「内在的な公知」を重要視しているようであり、「美白化粧料組成物としたか、・・・シワ形成抑制剤としたかの表現上の相違にすぎない」、「美白化粧料組成物について、シワ形成抑制の効果を新たに発見したにすぎない」として本願発明の新規性を否定した。正林真之氏は本判決についての詳細な論説3)において、「このような判断の背景には『後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる』ということは許されるべきでない、という価値観があるように思われる」と述べられている5)。平成6年以前の一般審査基準では公知の物と構造の点で相違がない場合においても適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能であれば新規性は否定されないとする判断基準が記載されていた6)。この基準は、逆に言えば、適用範囲が同じであれば、狙っている用途が異なっていても新規な用途発明とは評価しないという判断基準である。この考え方が本事例の審判体の判断においても影響しているようである7)。
これに対して裁判所は、引用文献の美白化粧料組成物を皮膚に適用することにより「内在的な公知」が生じたとしても、引用文献にその旨が記載されていない以上は「シワ形成抑制作用」を奏していることが知られていたと認めることはできない、と判断した。裁判所は従来認識されていなかった「新たな用途の提供」には特許権を付与すべきという立場である。
では「新たな用途の提供」とは具体的に何か?この点について裁判所は何ら説明をしていない。同様の表現は審査基準でも用いられているが定義規定は存在しない。この「新たな用途の提供」概念は我が国において用途発明の新規性を判断するうえで重要な概念であるにも関わらず、その意味は実は全く曖昧である。南条雅裕氏が提唱される通り、「新たな用途の提供」の意義及び内実の明確化が求められる8)。
以下はあくまで筆者の私見であるが、おそらく本事例において裁判所は、公知物の「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護しようとする立場をとったように思われる。上記判決抜粋箇所にあるように、原告が提出した証拠によれば「本願出願当時,美白効果を主に訴求する化粧料とシワ,タルミなど老化防止を主に訴求する化粧料とは,異なる種類の製品であると認識されて」いる。すなわち両者は異なる利用価値を有する別々の使い道として認識されている。裁判所の立場を推測するに、同じ使い道(用途)を異なる表現で言い換えただけでは利用価値は同一であり新規性は認められないが、美白剤とシワ形成抑制剤とは異なる利用価値を持っていることから、たとえアスナロ抽出物を含む美白剤が公知であっても、アスナロ抽出物を含むシワ形成抑制剤は保護すべきと判断したのではなかろうか。
公知物について「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道」を保護しようとする取り扱いは、実はこの判決だけではなく、特許庁の審査・審判実務においてもしばしば見受けられると筆者は感じている。裁判例でないため具体的な言及は差し控えるが典型的なパターンを2つここで紹介したい。
(パターン1)医薬品の場合
例えば「化合物Aが糖尿病を治療する」ことが、治療の機構は未解明であったものの公知であったと仮定する。この状況において、化合物Aが「酵素Bを阻害」することにより糖尿病を治療することが新たに明らかになり、しかも、化合物Aが酵素Bを阻害することや、酵素B阻害と糖尿病との関係についても従来知られていなかったとする。このような場合、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」と表現されたクレーム発明の新規性は否定されるが、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明は新規性が肯定される場合が見受けられる。この場合、「酵素B阻害剤」が「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」とは異質な利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であることが評価されて新規性が肯定されているように思われる。「酵素B阻害剤」が糖尿病治療以外の用途を有していることを説明できれば、新規性が肯定される可能性はより一層高まるはずである。
(パターン2)食品の場合
従来から食塩と併用され食品中に配合されていた公知の化合物Aが、「食塩の塩味の増強」に有効であることが新たに認められた場合に、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」(または「化合物Aを食塩含有食品中に添加して食塩の塩味を増強する方法」)と表現されたクレーム発明の新規性が肯定されることもある。この場合は、従来公知の「化合物Aと食塩を含有する食品」において塩味は増強されていたとしても、塩味の増強剤としての用途は、従来の食品としての用途とは異なる利用価値を持つ、従来認識されていない新しい使い道であると評価され、新規性が肯定されているものと思われる。
シワ形成抑制剤事件での裁判所の判断及びこれらの審査・審判実務での判断を「適用範囲(適用手段、適用場所、適用時期など)が公知の物の用途と区別可能な場合に限って後発新用途発明は新規性あり」とする考え方で説明するには無理があると思われる。シワ形成抑制剤事件の事例であれば、シワ形成抑制を求める対象者と、皮膚美白を求める対象者とは異なるので適用範囲が異なり新規性あり、という説明もできないではないが、「化合物Aを含有する食塩の塩味の増強剤」が従来の用途(通常の食品成分としての用途)と適用範囲が異なるとは到底いえないであろう。結局は、「公知物の利用価値ある新しい使い道を提供すれば、適用範囲において公知物の従来の用途と差異がなくとも用途発明として保護される」という程度の漠然とした基準でなければシワ形成抑制剤事件の結論及び審査審判での考え方を説明することはできないと思われる。
2.3.先行技術の実施者との関係
上記のシワ形成抑制剤事件判決のように後発新用途発明に特許権を付与した場合の先行用途発明の実施行為との関係を整理したい。一見すると「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題 5) の発生が懸念されるところであるが、用途発明についての特許権の実態が「用途を表示する権利」(本連載で第2回以降を執筆する予定の奥野彰彦はこの権利を「ラベル化権」と呼ぶことを提唱している9)。本稿でも以下「ラベル化権」と呼ぶ)であると理解すればこのような問題は生じ得ないことが理解できる。
ラベル化権説は、例えば上記糖尿病治療の例において「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」と表現されたクレーム発明について特許権が付与された場合、「酵素Bを阻害する」、「酵素Bを阻害して糖尿病を治療する」等の、「酵素B阻害」に関する表示(ラベル)が付された添付文書、パッケージ、技術説明資料、宣伝広告媒体等を伴って販売等される化合物A又は化合物A含有製剤が当該特許権の技術的範囲に含まれる、という考え方である。一方、「酵素B阻害」の機構が表示されていない「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」は、公知技術であるから技術的範囲には包含されない(ただし、医薬品の技術説明資料等において「酵素B阻害」の作用機序に触れている場合には、技術的範囲に包含されると考えられる。後述するシロスタゾール事件判決参照)。特許権者が独占できる行為は「酵素B阻害」の機構を表示する行為に限られるのであるから、従来から公知の「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」としての実施は何ら制限されない。化合物Aによって糖尿病を治療すれば必然的に酵素Bは阻害されるとしても、従来から公知の行為にまで特許権の技術的範囲に包含されるとすれば明らかに不合理である。(なお、前提は異なるが、「化合物Aを含有する糖尿病治療薬」自体が公知技術でない場合には、「化合物Aを含有する酵素B阻害剤」の技術的範囲に当該治療薬が包含される可能性もある。)
後発新用途発明の特許出願人にとっては、先行用途発明の実施に伴い不可避的に生じる従来認識されていなかった新しい効果に関連した新用途発明についても特許を受けることができることと引替えに、新用途発明に関する表示を伴わない先行用途発明の実施までは特許権の技術的範囲として独占することができないというトレードオフの関係が成立する。従って、後発新用途発明に特許権を付与したとしても、特許権をラベル化権と解釈する限り、第三者による先行用途発明の実施行為を不当に妨げるという問題は生じない。
2.4.ラベル化権説を支持する裁判例 「アレルギー性喘息の予防剤事件」
ラベル化権説は下記「アレルギー性喘息の予防剤」事件により明確に支持される。この事例は、侵害訴訟において第二医薬用途発明の技術的範囲が争われた(筆者が認識している限り)唯一の裁判例である。以下、簡単に要点のみ概説する。
(1)事件番号等
平成2年(ワ)第12094号特許権侵害差止等請求事件
東京地方裁判所平成4年10月23日判決
発明の名称:アレルギー性喘息の予防剤
(2)原告が有する特許権の特許請求の範囲
「ケトチフェン又はその製薬上許容しうる酸付加塩を有効成分とするアレルギー性喘息の予防剤。」
(3)特許権に基づいて原告が製造等の差し止めを求めた被告の実施品
第一物件目録:フマル酸ケトチフェン(化合物そのもの)
第二物件目録:第一物件目録記載のフマル酸ケトチフェンを有効成分とし、「効能又は効果」として気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含み、「用法」として「一日二回、朝食後および就寝前に経口投与する」等と定期的継続的に用いるものとする医薬品
(4)判決のポイント
第二物件目録に該当する、被告らが実施する製剤品の「添付文書」中には効能又は効果の欄には、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症と記載されている。すなわち、用途発明の対象となる用途の表示と、権利範囲外である他の用途の表示とが一体に記載されている。
原告は「別紙第一物件目録記載の物件を製剤し、該製品を販売してはならない」と請求した。すなわち、所定の用途に限定されないフマル酸ケトチフェン自体およびその製剤までをも本件特許発明の技術的範囲に属するとして差し止めを求めた。
しかしながら裁判所は本件特許発明の技術的範囲に属するのは別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されると判断して、原告の請求を一部棄却した。「効能又は効果」の欄に気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含む第二物件目録の医薬品のみが特許権者が独占できる範囲であると認定された。(判決関連箇所抜粋)
「被告らの製剤品がアレルギー性喘息の予防剤に該当するものであることは前記認定のとおりであるが、本訴において、原告が製剤の差止めの対象物としているのはフマル酸ケトチフェンであり、販売の差止めの対象としているのはフマル酸ケトチフェンの製剤品であって、「ザジトマカプセル」、「ケトチロンカプセル」及び「サルジメンカプセル」に限っているわけではない。そして、フマル酸ケトチフェンがヒスタミン解放抑制作用の他に抗ヒスタミン作用を有することは従来から知られているのであるから、このフマル酸ケトチフェンについて、その抗ヒスタミン作用を利用する等した、アレルギー性喘息の予防剤以外の用途も考えられないわけではなく、現に、《証拠略》よれば、ケトチフェンなどの抗ヒスタミン剤について、その効能に対する見直しが考えられるべきであるとの趣旨の記載のある文献も存するところである。そして、このようなアレルギー性喘息の予防剤以外の用途については本件発明の技術的範囲が及ばないことはいうまでもない。そして、前記のような認定事実をも併せて考えると、原告が差止めを求めた対象物のうち、本件発明の技術的範囲に属するのは、別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されるというべきである。」
被告の実施品は気管支喘息だけでなく、「アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症」も効果効能の対象であることから、この実施品に対する差し止めは不当であるようにも思われる。この点について裁判所は、本件特許発明の用途と、他の用途とが区別できるにもかかわらず一体不可分になっている以上、他の用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことを被告は甘受せざるを得ないと判断した。逆に言えば、被告が実施品の「効能又は効果」の欄から「気管支喘息」の表示を削除しさえすれば差し止めの対象外になると考えられる。(判決関連箇所抜粋)
「本件化合物については、これを製剤販売する業者としては、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを用途としての適用範囲において実質的に区別することが可能なのであって、右区別をすることによって当該製剤が本件発明の技術的範囲に属していないことを明らかにすることができるのであり、他方、右用途の区別が明確になされていない場合には、本件化合物はアレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とがいわば不可分一体になっているものというほかはなく、したがって、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを区別する方途がないのであるから、当該製剤販売業者としては、本件化合物のアレルギー性喘息の予防剤としての用途のみならず、他用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことも甘受せざるを得ないものといわなければならない。
本件においては、仮に被告らの製剤品にアレルギー性喘息の予防剤以外の用途があるとしても、被告らは、被告らの製剤品について、アレルギー性喘息の予防剤としての用途を除外する等しておらず、右予防剤としての用途と他用途とを明確に区別して製剤販売していないのであるから、被告らが、その製剤品についてアレルギー性喘息の予防剤以外の用途をも差し止められる結果となったとしてもやむを得ないものといわざるをえない。」
2.5.用途発明の実施行為の範囲を判断した裁判例 「シロスタゾール事件」
上述の通り用途発明の実質は「ラベル化権」であると解釈できるが、容器やラベルに効果を表示することだけが用途発明の実施行為ではない。技術説明資料や販売促進用資料においてクレームされた用途での有用性を謳うことも用途発明の実施行為(すなわち「ラベル」する行為)であると筆者は理解する。このことは以下の裁判例により支持される。
(1)事件番号等
平成17年(ネ)第10125号 補償金請求控訴事件
知的財産高等裁判所平成18年11月21日判決
(2)概要
本事例は、被控訴人企業の従業員であった控訴人が、被控訴人に対し、被控訴人が特許権を有する用途発明についての職務発明の対価を請求した事例である10)。
「該有効成分が6-[4-(1-シクロヘキシルテトラゾール-5-イル)ブトキシ]-3,4-ジヒドロカルボスチリルであるPTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤。」等の用途発明が被控訴人により実施されたか否かという判断にあたり、知財高裁は、クレームされた用途を明示的に表示して販売するだけが用途発明の実施行為ではなく、技術説明を伴う販売活動も用途発明の実施行為に含まれ得るとの判断を示した。
(判決関連箇所抜粋)
「このように,被控訴人は,本件製剤について,『PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤』と明示的に表示して販売していたものでないにしても,遅くとも平成12年ころからは,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行っていたものであり,平成12年10月ころには,循環器科医師等の間でシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されるようになったことからすれば,少なくとも平成12年10月以降の本件製剤の販売の中には,本件製剤が上記ガイドラインにいうPTCA後の再狭窄予防の薬剤として,すなわち本件用途発明の「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療」の用途に使用されるものとして販売されたものが一定量含まれているものと認めるのが相当であり,そうすると,本件においては,その一定量の販売の限度で,本件用途発明に係る「PTCA後やステントの血管内留置による冠状動脈再閉塞の予防および治療剤」なる発明の実施があったというべきである。」(下線は筆者が付加)
「確かに,医薬品の用途発明は,その用途に係る効能・効果につき薬事法上の承認を得て実施されるのが一般的であるとはいえるが,医薬品の用途発明においては,当該用途に使用されるものとして当該医薬品を販売すれば,発明の実施に当たるということができるのであり,このことは必ずしも薬事法上の承認の有無とは直接の関係がないというべきであって,仮にその販売が薬事法上の問題を生じ得るとしても,実際に当該用途に使用されるものとして販売している以上,当該用途発明を実施しているというべきである。医薬品の用途発明の実施は,例えば医薬品の容器やラベル等にその用途を直接かつ明示的に表示して製造,販売する場合などが典型的であるといえるが,必ずしも当該用途を直接かつ明示的に表示して販売していなくても,具体的な状況の下で,その用途に使用されるものとして販売されていることが認定できれば,用途発明の実施があったといえることに変わりはない。前記のとおり,本件においては,本件製剤の有効成分であるシロスタゾールがPTCA後の再狭窄予防の薬剤として広く認知されており,被控訴人は,本件製剤に再狭窄予防効果等があることをその特性として積極的に位置付けた販売活動を行い,本件製剤のうちの一定量は本件用途発明に係る用途に使用されるものとして販売されていたと認められるのであるから,被控訴人による本件用途発明の実施があったというべきであり,被控訴人の上記主張は採用することができない。」(下線は筆者が付加)
3.まとめ
上記の内容を簡単にまとめると:
(1)シワ形成抑制剤事件は、ある物質について先行技術文献記載の用途発明を実施した際に不可避的(内在的)に生じる作用に基づく用途についても、従来認識されていた用途ではない場合には新規性が肯定される余地があることを示した。(2.1)
(2)「新たな用途の提供」という新規性判断基準は不明確であるが、「従来の用途とは異なる利用価値を持つ、公知物の従来認識されていない新しい使い道」は新規用途発明として保護される可能性があると考えてよさそうである。(2.2)
(3)用途発明の特許権の実質を「用途を表示する権利」(ラベル化権)であると理解すれば、「後願権利者の特許の成立によって、先行用途発明の実施者のそれまでと何ら変わらない実施行為がある日突然制限されることになる」という問題は発生し得ないことが理解できる。(上記2.3)
(4)「ラベル化権」はアレルギー性喘息予防剤事件により支持される。(上記2.4)
(5)シロスタゾール事件は、用途発明の実施行為の範囲には、クレームされた用途を容器やラベルに明示的に表示して販売する行為だけではなく、当該用途を謳う技術説明や宣伝活動も包含されることを支持する。(上記2.5)
本稿で提供した情報が、香粧品開発に携わる方々の特許制度への理解の一助となれば幸いである。
4.参考文献
1)財団法人知的財産研究所 平成15年度 主要国における用途発明の審査・運用に関する調査研究報告書(平成16年3月)
2)財団法人知的財産研究所 平成16年度 用途発明の審査・運用の在り方に関する調査研究報告書(平成17年3月)
3)正林真之 「先行する用途が存在する場合の後願用途発明の特許性について」 知財管理 Vol.57 No.9 (2007) 1505-1519頁
4)南条雅裕 「試練に立つ用途発明を巡る新規性論」 パテント Vol. 62 No.1 (2009) 43-57頁
5)前掲3), 5.1参照
6)財団法人知的財産権研究所編「用途発明-医療関連行為を中心として-」浅野敏彦「Ⅵ.用途発明における審査・運用における課題」 株式会社雄松堂出版、初版、285頁
7)前掲3),4.2参照
8)前掲4),7.参照
9)「抗体医薬品の研究開発ノウハウ集 2008」 奥野彰彦 第8章「抗体医薬品における特許実務と知財戦略」,第3節「抗体医薬品の強い特許明細書・クレームの書き方」 株式会社技術情報協会発行,第1版, 356-360頁
10)中央知的財産研究所 「クレーム解釈をめぐる諸問題」 研究報告第23号(平成20年12月31日) 紺野昭男 「用途発明の実施に関連した三つの論点への考察」 208-224頁
2012年2月12日日曜日
周知技術に基づく想到容易性の判断も慎重を期すべきであると判断された事例
知財高裁平成24年1月31日判決
平成23年(行ケ)第10121号 審決取消請求事件
1.概要
進歩性判断において特許権者出願人サイドに有利な裁判例が近年多い。本事例では、副引用発明が「周知技術」であるからといって特許庁側の立証負担が軽減されるわけではないことが明示されており興味深い。
2.本件発明
「【請求項1】
(a) 上面と,前記上面に設けられた複数の半導体チップ搭載領域と,前記上面とは反対側の下面とを有するマトリクス基板を準備する工程,
(b) 複数の半導体チップを前記複数の半導体チップ搭載領域に,それぞれ搭載する工程,
(c) 前記複数の半導体チップのそれぞれと前記マトリクス基板に形成された前記複数の第1パッドとを,複数のワイヤで接続する工程,
(d) 前記複数の半導体チップおよび前記複数のワイヤを樹脂で封止する工程,
(e) 前記複数の半導体チップのうちの互いに隣り合う領域における前記マトリクス基板および前記樹脂を切断し,複数の樹脂封止型半導体装置を取得する工程,
を含み,
取得された前記複数の樹脂封止型半導体装置のそれぞれは,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,複数の第2パッドと,複数の配線と,アドレス情報パターンとを有し,
分割された前記マトリクス基板の前記上面は,前記樹脂で覆われており,
前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成され,
前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,
前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されていることを特徴とする樹脂封止型半導体装置の製造方法。」
3.引用発明との相違点
相違点1:本願発明では,分割されたマトリクス基板の下面に,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているのに対し,引用発明では,本願発明の「第2パッド」に相当する「接続領域104」は有しているものの,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているかどうかについては,不明な点。
相違点2:本願発明では,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,アドレス情報パターンとを有し,前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されているのに対し,引用発明では,このような構成は備えていない点。
4.審決の判断
本件発明と引用発明とは上記二点で相違するものの、周知例1~3を考慮すれば、引用発明から本件発明は容易に想到可能と判断した。
5.裁判所の判断のポイント
「相違点2に係る構成の容易想到性についての判断
(1) ・・・要するに,引用発明は,同発明に基づく方法を採用することによって,基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージを,効率的に製作することを目的とする発明である。引用発明は,本願発明の解決課題(個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できるようにし,もって,製造プロセスに起因する製品の不良解析や不良発生箇所の特定を迅速に行えるようにする解決課題)及び課題解決手段(マトリクス基盤の上面に複数の半導体チップを搭載する工程に先立ち,マトリクス基盤の下面のパッド及び配線を除く領域に,アドレス情報パターンを形成するとの構成を採用すること)については,何ら示唆及び開示がない。
また,周知例1ないし3にも,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段については,何らの記載も示唆もされていない。すなわち,周知例1ないし3には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程や,これを樹脂封止する工程に先立ち,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成(相違点2に係る構成)や,かかる構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができ,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減できることという本願発明の解決課題及びその解決手段について,記載及び示唆はない。そうすると,引用発明に周知例1ないし3に記載された技術事項を適用して,相違点2に係る構成に容易に想到できたとすることはできない。
(2) この点,被告は,「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」ことは,周知の技術であり,当業者が決定する設計的事項である旨を主張する。
しかし,被告の主張は,失当である。
当該発明が,発明の進歩性を有しないこと(すなわち,容易に発明をすることができたこと)を立証するに当たっては,公平かつ客観的な立証を担保する観点から,次のような論証が求められる。すなわち,当該発明と,これに最も近似する公知発明(主引用発明)とを対比した上,当該発明の引用発明との相違点に係る技術的構成を確定させ,次いで,主たる引用発明から出発して,これに他の公知技術(副引用発明)を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に至ることが容易であるとの立証を尽くしたといえるか否かによって,判断をすることが実務上行われている。
この場合に,主引用発明及び副引用発明の技術内容は,引用文献の記載を基礎として,客観的かつ具体的に認定・確定されるべきであって,引用文献に記載された技術内容を抽象化したり,一般化したり,上位概念化したりすることは,恣意的な判断を容れるおそれが生じるため,許されないものといえる。そのような評価は,当該発明の容易想到性の有無を判断する最終過程において,総合的な価値判断をする際に,はじめて許容される余地があるというべきである。
ところで,当業者の技術常識ないし周知技術についても,主張,立証をすることなく当然の前提とされるものではなく,裁判手続(審査,審判手続も含む。)において,証明されることにより,初めて判断の基礎とされる。他方,当業者の技術常識ないし周知技術は,必ずしも,常に特定の引用文献に記載されているわけではないため,立証に困難を伴う場合は,少なくない。しかし,当業者の技術常識ないし周知技術の主張,立証に当たっては,そのような困難な実情が存在するからといって,①当業者の技術常識ないし周知技術の認定,確定に当たって,特定の引用文献の具体的な記載から離れて,抽象化,一般化ないし上位概念化をすることが,当然に許容されるわけではなく,また,②特定の公知文献に記載されている公知技術について,主張,立証を尽くすことなく,当業者の技術常識ないし周知技術であるかのように扱うことが,当然に許容されるわけではなく,さらに,③主引用発明に副引用発明を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に到達することが容易であるか否という上記の判断構造を省略して,容易であるとの結論を導くことが,当然に許容されるわけではないことはいうまでもない。
上記観点に照らすならば,被告の主張は,次の理由から採用することはできない。
すなわち,前記のとおり,引用発明は,その解決課題を「基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージの製作の効率化」とする発明にすぎず,引用発明には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程を前提として,これを樹脂封止する工程に先立って,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができるため,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減することができることという本願発明の解決課題及びその解決手段についての開示ないし示唆は,存在しない。したがって,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知技術又は当業者の技術常識であるか否かにかかわらず,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であるとはいえない。
のみならず,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知例1ないし3の具体的な記載内容を超えて,技術内容を抽象化ないし上位概念化することなく,当然に周知技術又は当業者の技術常識であると認定することもできない。さらに,周知例1ないし3には,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段に係る事項についての記載も示唆もない。
そうである以上,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であると解することはできない。」
平成23年(行ケ)第10121号 審決取消請求事件
1.概要
進歩性判断において特許権者出願人サイドに有利な裁判例が近年多い。本事例では、副引用発明が「周知技術」であるからといって特許庁側の立証負担が軽減されるわけではないことが明示されており興味深い。
2.本件発明
「【請求項1】
(a) 上面と,前記上面に設けられた複数の半導体チップ搭載領域と,前記上面とは反対側の下面とを有するマトリクス基板を準備する工程,
(b) 複数の半導体チップを前記複数の半導体チップ搭載領域に,それぞれ搭載する工程,
(c) 前記複数の半導体チップのそれぞれと前記マトリクス基板に形成された前記複数の第1パッドとを,複数のワイヤで接続する工程,
(d) 前記複数の半導体チップおよび前記複数のワイヤを樹脂で封止する工程,
(e) 前記複数の半導体チップのうちの互いに隣り合う領域における前記マトリクス基板および前記樹脂を切断し,複数の樹脂封止型半導体装置を取得する工程,
を含み,
取得された前記複数の樹脂封止型半導体装置のそれぞれは,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,複数の第2パッドと,複数の配線と,アドレス情報パターンとを有し,
分割された前記マトリクス基板の前記上面は,前記樹脂で覆われており,
前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成され,
前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,
前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されていることを特徴とする樹脂封止型半導体装置の製造方法。」
3.引用発明との相違点
相違点1:本願発明では,分割されたマトリクス基板の下面に,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているのに対し,引用発明では,本願発明の「第2パッド」に相当する「接続領域104」は有しているものの,複数の配線を有し,前記複数の配線は,前記複数の第2パッドのそれぞれと一体に形成されているかどうかについては,不明な点。
相違点2:本願発明では,分割された前記マトリクス基板の前記下面に,アドレス情報パターンとを有し,前記アドレス情報パターンは,前記複数の第2パッドおよび前記複数の配線を除く領域に形成されており,前記アドレス情報パターンは,前記(b)工程に先立ち,形成されているのに対し,引用発明では,このような構成は備えていない点。
4.審決の判断
本件発明と引用発明とは上記二点で相違するものの、周知例1~3を考慮すれば、引用発明から本件発明は容易に想到可能と判断した。
5.裁判所の判断のポイント
「相違点2に係る構成の容易想到性についての判断
(1) ・・・要するに,引用発明は,同発明に基づく方法を採用することによって,基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージを,効率的に製作することを目的とする発明である。引用発明は,本願発明の解決課題(個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できるようにし,もって,製造プロセスに起因する製品の不良解析や不良発生箇所の特定を迅速に行えるようにする解決課題)及び課題解決手段(マトリクス基盤の上面に複数の半導体チップを搭載する工程に先立ち,マトリクス基盤の下面のパッド及び配線を除く領域に,アドレス情報パターンを形成するとの構成を採用すること)については,何ら示唆及び開示がない。
また,周知例1ないし3にも,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段については,何らの記載も示唆もされていない。すなわち,周知例1ないし3には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程や,これを樹脂封止する工程に先立ち,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成(相違点2に係る構成)や,かかる構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができ,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減できることという本願発明の解決課題及びその解決手段について,記載及び示唆はない。そうすると,引用発明に周知例1ないし3に記載された技術事項を適用して,相違点2に係る構成に容易に想到できたとすることはできない。
(2) この点,被告は,「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」ことは,周知の技術であり,当業者が決定する設計的事項である旨を主張する。
しかし,被告の主張は,失当である。
当該発明が,発明の進歩性を有しないこと(すなわち,容易に発明をすることができたこと)を立証するに当たっては,公平かつ客観的な立証を担保する観点から,次のような論証が求められる。すなわち,当該発明と,これに最も近似する公知発明(主引用発明)とを対比した上,当該発明の引用発明との相違点に係る技術的構成を確定させ,次いで,主たる引用発明から出発して,これに他の公知技術(副引用発明)を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に至ることが容易であるとの立証を尽くしたといえるか否かによって,判断をすることが実務上行われている。
この場合に,主引用発明及び副引用発明の技術内容は,引用文献の記載を基礎として,客観的かつ具体的に認定・確定されるべきであって,引用文献に記載された技術内容を抽象化したり,一般化したり,上位概念化したりすることは,恣意的な判断を容れるおそれが生じるため,許されないものといえる。そのような評価は,当該発明の容易想到性の有無を判断する最終過程において,総合的な価値判断をする際に,はじめて許容される余地があるというべきである。
ところで,当業者の技術常識ないし周知技術についても,主張,立証をすることなく当然の前提とされるものではなく,裁判手続(審査,審判手続も含む。)において,証明されることにより,初めて判断の基礎とされる。他方,当業者の技術常識ないし周知技術は,必ずしも,常に特定の引用文献に記載されているわけではないため,立証に困難を伴う場合は,少なくない。しかし,当業者の技術常識ないし周知技術の主張,立証に当たっては,そのような困難な実情が存在するからといって,①当業者の技術常識ないし周知技術の認定,確定に当たって,特定の引用文献の具体的な記載から離れて,抽象化,一般化ないし上位概念化をすることが,当然に許容されるわけではなく,また,②特定の公知文献に記載されている公知技術について,主張,立証を尽くすことなく,当業者の技術常識ないし周知技術であるかのように扱うことが,当然に許容されるわけではなく,さらに,③主引用発明に副引用発明を組み合わせることによって,当該発明の相違点に係る技術的構成に到達することが容易であるか否という上記の判断構造を省略して,容易であるとの結論を導くことが,当然に許容されるわけではないことはいうまでもない。
上記観点に照らすならば,被告の主張は,次の理由から採用することはできない。
すなわち,前記のとおり,引用発明は,その解決課題を「基板と,集積回路を形成し,該基板の1つの領域に取り付けられるチップと,該チップを該基板の1つの面に位置する外部電気接続領域に接続する電気接続手段と,封止容器と,をそれぞれに含む複数の半導体パッケージの製作の効率化」とする発明にすぎず,引用発明には,配線基板上にマトリクス状に搭載した複数の半導体チップを一括して樹脂封止した後,この配線基板を分割することによって複数の樹脂封止型半導体装置を製造する,樹脂封止型半導体装置の製造方法において,配線基板の上面に複数の半導体チップを搭載する工程を前提として,これを樹脂封止する工程に先立って,上記配線基板の下面のパッド及び配線を除く領域にアドレス情報パターンを形成するとの構成を採用することにより,上記アドレス情報パターンをカメラ,顕微鏡,目視等で認識することができ,個々の樹脂封止型半導体装置が元の配線基板のどの位置にあったかを配線基板の分割後においても容易に識別できること,依頼メーカの標準仕様(既存)の金型を使用する場合にも適用することができるため,樹脂封止型半導体装置の製造コストを低減することができることという本願発明の解決課題及びその解決手段についての開示ないし示唆は,存在しない。したがって,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知技術又は当業者の技術常識であるか否かにかかわらず,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であるとはいえない。
のみならず,被告の主張に係る「製造工程において素材あるいは製品を分割して,個々の製品を製造する場合に,分割前の素材に,素材の機能に影響を与えない箇所に記号等を表示しておき,製品となった後に,その記号等を利用して分割前の場所に起因する不良解析を行う」との技術が,周知例1ないし3の具体的な記載内容を超えて,技術内容を抽象化ないし上位概念化することなく,当然に周知技術又は当業者の技術常識であると認定することもできない。さらに,周知例1ないし3には,本願発明の相違点2に係る構成を採用することによる解決課題及び解決手段に係る事項についての記載も示唆もない。
そうである以上,引用発明を起点として,周知技術を適用することによって本願発明に至ることが容易であると解することはできない。」
2012年2月5日日曜日
プロダクト・バイ・プロセス・クレーム解釈についての知財高裁大合議判決
平成24年1月27日 判決言渡
知財高裁特別部 平成22年(ネ)第10043号 特許権侵害差止請求控訴事件(原審・東京地裁平成19年(ワ)第35324号)
1.概要
本件は、特許権侵害訴訟事件において、控訴人(原審原告)が有するプロダクト・バイ・プロセス形式で規定された特許発明の技術的範囲が、被控訴人(原審被告)が製造等する製品を含むか否かが争われた事例である。本事例では更に、特許無効性の判断における「発明の要旨の認定」についても判断された。
本判決の要点として以下の3点が挙げられる。
(1)技術的範囲の解釈(侵害論):
真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているクレーム)であれば、「物同一説」であり、製造方法は限定せず、物が同一であれば技術的範囲に属する。
不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないクレーム)であれば、「方法限定説」であり、製造方法を限定して解釈する。
本事例では、上記の事情が存在するとは言えないため「方法限定説」に従って技術的範囲が解釈され、所定の工程a)を経て製造されていない侵害被疑物件は特許発明の技術的範囲に属さないと判断された。
(2)立証責任
真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであること、すなわち、「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在する」ことの立証責任は、特許権者が負う。立証が尽くされない限り、「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」として技術的範囲を解釈する。
この立場に従えば、特許権者が上記の事情を証明しない限り不真正プロダクトバイプロセスクレームであると判断され、「方法限定説」に沿って特許発明の技術的範囲が解釈されることとになる。
(3)発明の要旨の認定(無効審判における新規性、進歩性の判断):
技術的範囲の解釈とまったく同じ手法で判断する。すなわち、技術的範囲の解釈は「方法限定説」、新規性、進歩性の判断は「物同一説」という二重基準ではないことが明らかにされた。
このことと、審査基準第II部第2章1.5.2(3)における、原則として「物同一説」に従って新規性進歩性を判断する考えかたとは相容れない場合があるように思われる。
本事例では、「方法限定説」に従い、所定の方法により製造された物の発明として要旨を認定された。ただし、要旨認定された請求項記載の発明は、乙30等の先行技術文献に基づいて容易に発明することができたものであり、無効にされるべきものと判断された。
2.本件発明1
「次の段階:
a)プラバスタチンの濃縮有機溶液を形成し,
b)そのアンモニウム塩としてプラバスタチンを沈殿し,
c)再結晶化によって当該アンモニウム塩を精製し,
d)当該アンモニウム塩をプラバスタチンナトリウムに置き換え,そして
e)プラバスタチンナトリウム単離すること,
を含んで成る方法によって製造される,プラバスタチンラクトンの混入量が0.5重量%未満であり,エピプラバの混入量が0.2重量%未満であるプラバスタチンナトリウム。」
3.裁判所の判断のポイント
3.1.プロダクトバイプロセスクレームの技術的範囲の解釈
「ア 特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の確定について,法70条は,その第1項で「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」とし,その第2項で「前項の場合においては,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする」などと定めている。
したがって,特許権侵害を理由とする差止請求又は損害賠償請求が提起された場合にその基礎となる特許発明の技術的範囲を確定するに当たっては,「特許請求の範囲」記載の文言を基準とすべきである。特許請求の範囲に記載される文言は,特許発明の技術的範囲を具体的に画しているものと解すべきであり,仮に,これを否定し,特許請求の範囲として記載されている特定の「文言」が発明の技術的範囲を限定する意味を有しないなどと解釈することになると,特許公報に記載された「特許請求の範囲」の記載に従って行動した第三者の信頼を損ねかねないこととなり,法的安定性を害する結果となる。
そうすると,本件のように「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている場合,当該発明の技術的範囲は,当該製造方法により製造された物に限定されるものとして解釈・確定されるべきであって,特許請求の範囲に記載された当該製造方法を超えて,他の製造方法を含むものとして解釈・確定されることは許されないのが原則である。
もっとも,本件のような「物の発明」の場合,特許請求の範囲は,物の構造又は特性により記載され特定されることが望ましいが,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときには,発明を奨励し産業の発達に寄与することを目的とした法1条等の趣旨に照らして,その物の製造方法によって物を特定することも許され,法36条6項2号にも反しないと解される。
そして,そのような事情が存在する場合には,その技術的範囲は,特許請求の範囲に特定の製造方法が記載されていたとしても,製造方法は物を特定する目的で記載されたものとして,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと解釈され,確定されることとなる。
イ ところで,物の発明において,特許請求の範囲に製造方法が記載されている場合,このような形式のクレームは,広く「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」と称されることもある。前記アで述べた観点に照らすならば,上記プロダクト・バイ・プロセス・クレームには,「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)と,「物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)の2種類があることになるから,これを区別して検討を加えることとする。 そして,前記アによれば,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,同方法により製造される物と同一の物」と解釈されるのに対し,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法により製造される物」に限定されると解釈されることになる。
3.2.「真正」であることの立証責任
「また,特許権侵害訴訟における立証責任の分配という観点からいうと,物の発明に係る特許請求の範囲に,製造方法が記載されている場合,その記載は文言どおりに解釈するのが原則であるから,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームに該当すると主張する者において「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難である」ことについての立証を負担すべきであり,もしその立証を尽くすことができないときは,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであるものとして,発明の技術的範囲を特許請求の範囲の文言に記載されたとおりに解釈・確定するのが相当である。」
3.3.無効性判断における発明の要旨認定の際のクレーム解釈
「法104条の3は,「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において,当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは,特許権者又は専用実施権者は,相手方に対しその権利を行使することができない。」と規定するが,法104条の3に係る抗弁の成否を判断する前提となる発明の要旨は,上記特許無効審判請求手続において特許庁(審判体)が把握すべき請求項の具体的内容と同様に認定されるべきである。
すなわち,本件のように,「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている前記プロダクト・バイ・プロセス・クレームの場合の発明の要旨の認定については,前述した特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の認定方法の場合と同様の理由により,① 発明の対象となる物の構成を,製造方法によることなく,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときは,その発明の要旨は,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと認定されるべきであるが(真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム),② 上記①のような事情が存在するといえないときは,その発明の要旨は,記載された製造方法により製造された物に限定して認定されるべきである(不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)。
この場合において,上記①のような事情が存在することを認めるに足りないときは,これを上記②の不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームとして扱うべきものと解するのが相当である。
上記の観点から本件を検討するに,本件特許には,上記①にいう不可能又は困難であるとの事情の存在が認められないことは前述のとおりであるから,特許無効審判請求における発明の要旨の認定に際しても,特許請求の範囲に記載されたとおりの製造方法により製造された物として,その手続を進めるべきものと解され,法104条の3に係る抗弁においても同様に解すべきである。」
知財高裁特別部 平成22年(ネ)第10043号 特許権侵害差止請求控訴事件(原審・東京地裁平成19年(ワ)第35324号)
1.概要
本件は、特許権侵害訴訟事件において、控訴人(原審原告)が有するプロダクト・バイ・プロセス形式で規定された特許発明の技術的範囲が、被控訴人(原審被告)が製造等する製品を含むか否かが争われた事例である。本事例では更に、特許無効性の判断における「発明の要旨の認定」についても判断された。
本判決の要点として以下の3点が挙げられる。
(1)技術的範囲の解釈(侵害論):
真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているクレーム)であれば、「物同一説」であり、製造方法は限定せず、物が同一であれば技術的範囲に属する。
不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム(物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないクレーム)であれば、「方法限定説」であり、製造方法を限定して解釈する。
本事例では、上記の事情が存在するとは言えないため「方法限定説」に従って技術的範囲が解釈され、所定の工程a)を経て製造されていない侵害被疑物件は特許発明の技術的範囲に属さないと判断された。
(2)立証責任
真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであること、すなわち、「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在する」ことの立証責任は、特許権者が負う。立証が尽くされない限り、「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」として技術的範囲を解釈する。
この立場に従えば、特許権者が上記の事情を証明しない限り不真正プロダクトバイプロセスクレームであると判断され、「方法限定説」に沿って特許発明の技術的範囲が解釈されることとになる。
(3)発明の要旨の認定(無効審判における新規性、進歩性の判断):
技術的範囲の解釈とまったく同じ手法で判断する。すなわち、技術的範囲の解釈は「方法限定説」、新規性、進歩性の判断は「物同一説」という二重基準ではないことが明らかにされた。
このことと、審査基準第II部第2章1.5.2(3)における、原則として「物同一説」に従って新規性進歩性を判断する考えかたとは相容れない場合があるように思われる。
本事例では、「方法限定説」に従い、所定の方法により製造された物の発明として要旨を認定された。ただし、要旨認定された請求項記載の発明は、乙30等の先行技術文献に基づいて容易に発明することができたものであり、無効にされるべきものと判断された。
2.本件発明1
「次の段階:
a)プラバスタチンの濃縮有機溶液を形成し,
b)そのアンモニウム塩としてプラバスタチンを沈殿し,
c)再結晶化によって当該アンモニウム塩を精製し,
d)当該アンモニウム塩をプラバスタチンナトリウムに置き換え,そして
e)プラバスタチンナトリウム単離すること,
を含んで成る方法によって製造される,プラバスタチンラクトンの混入量が0.5重量%未満であり,エピプラバの混入量が0.2重量%未満であるプラバスタチンナトリウム。」
3.裁判所の判断のポイント
3.1.プロダクトバイプロセスクレームの技術的範囲の解釈
「ア 特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の確定について,法70条は,その第1項で「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない」とし,その第2項で「前項の場合においては,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする」などと定めている。
したがって,特許権侵害を理由とする差止請求又は損害賠償請求が提起された場合にその基礎となる特許発明の技術的範囲を確定するに当たっては,「特許請求の範囲」記載の文言を基準とすべきである。特許請求の範囲に記載される文言は,特許発明の技術的範囲を具体的に画しているものと解すべきであり,仮に,これを否定し,特許請求の範囲として記載されている特定の「文言」が発明の技術的範囲を限定する意味を有しないなどと解釈することになると,特許公報に記載された「特許請求の範囲」の記載に従って行動した第三者の信頼を損ねかねないこととなり,法的安定性を害する結果となる。
そうすると,本件のように「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている場合,当該発明の技術的範囲は,当該製造方法により製造された物に限定されるものとして解釈・確定されるべきであって,特許請求の範囲に記載された当該製造方法を超えて,他の製造方法を含むものとして解釈・確定されることは許されないのが原則である。
もっとも,本件のような「物の発明」の場合,特許請求の範囲は,物の構造又は特性により記載され特定されることが望ましいが,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときには,発明を奨励し産業の発達に寄与することを目的とした法1条等の趣旨に照らして,その物の製造方法によって物を特定することも許され,法36条6項2号にも反しないと解される。
そして,そのような事情が存在する場合には,その技術的範囲は,特許請求の範囲に特定の製造方法が記載されていたとしても,製造方法は物を特定する目的で記載されたものとして,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと解釈され,確定されることとなる。
イ ところで,物の発明において,特許請求の範囲に製造方法が記載されている場合,このような形式のクレームは,広く「プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」と称されることもある。前記アで述べた観点に照らすならば,上記プロダクト・バイ・プロセス・クレームには,「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するため,製造方法によりこれを行っているとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)と,「物の製造方法が付加して記載されている場合において,当該発明の対象となる物を,その構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するとはいえないとき」(本件では,このようなクレームを,便宜上「不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム」ということとする。)の2種類があることになるから,これを区別して検討を加えることとする。 そして,前記アによれば,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,同方法により製造される物と同一の物」と解釈されるのに対し,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームにおいては,当該発明の技術的範囲は,「特許請求の範囲に記載された製造方法により製造される物」に限定されると解釈されることになる。
3.2.「真正」であることの立証責任
「また,特許権侵害訴訟における立証責任の分配という観点からいうと,物の発明に係る特許請求の範囲に,製造方法が記載されている場合,その記載は文言どおりに解釈するのが原則であるから,真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームに該当すると主張する者において「物の特定を直接的にその構造又は特性によることが出願時において不可能又は困難である」ことについての立証を負担すべきであり,もしその立証を尽くすことができないときは,不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームであるものとして,発明の技術的範囲を特許請求の範囲の文言に記載されたとおりに解釈・確定するのが相当である。」
3.3.無効性判断における発明の要旨認定の際のクレーム解釈
「法104条の3は,「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において,当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは,特許権者又は専用実施権者は,相手方に対しその権利を行使することができない。」と規定するが,法104条の3に係る抗弁の成否を判断する前提となる発明の要旨は,上記特許無効審判請求手続において特許庁(審判体)が把握すべき請求項の具体的内容と同様に認定されるべきである。
すなわち,本件のように,「物の発明」に係る特許請求の範囲にその物の「製造方法」が記載されている前記プロダクト・バイ・プロセス・クレームの場合の発明の要旨の認定については,前述した特許権侵害訴訟における特許発明の技術的範囲の認定方法の場合と同様の理由により,① 発明の対象となる物の構成を,製造方法によることなく,物の構造又は特性により直接的に特定することが出願時において不可能又は困難であるとの事情が存在するときは,その発明の要旨は,特許請求の範囲に記載された製造方法に限定されることなく,「物」一般に及ぶと認定されるべきであるが(真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム),② 上記①のような事情が存在するといえないときは,その発明の要旨は,記載された製造方法により製造された物に限定して認定されるべきである(不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレーム)。
この場合において,上記①のような事情が存在することを認めるに足りないときは,これを上記②の不真正プロダクト・バイ・プロセス・クレームとして扱うべきものと解するのが相当である。
上記の観点から本件を検討するに,本件特許には,上記①にいう不可能又は困難であるとの事情の存在が認められないことは前述のとおりであるから,特許無効審判請求における発明の要旨の認定に際しても,特許請求の範囲に記載されたとおりの製造方法により製造された物として,その手続を進めるべきものと解され,法104条の3に係る抗弁においても同様に解すべきである。」
2012年1月22日日曜日
審判段階での最後の拒絶理由応答時の補正が限定的減縮に該当しないと判断された事例
知財高裁平成24年1月17日 判決
平成23年(行ケ)第10133号 審決取消請求事件
1.概要
本件は平成21年(行ケ)第10303号事件(審決取り消し判決)後の、特許庁での再度の拒絶審決に対する、審決取消請求事件である。
第4次補正では、補正前(第3次補正後)の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能はそのまま動作可能とした」を、「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」に変換した。
上記第4次補正が「新規事項の追加」と判断され審判体により「最後の拒絶理由通知」がなされた。クレーム記載の4つの機能のうち、選択し得ることが記載されているのは「時計機能」と「電話帳機能」のみであり、「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」と「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」については選択し得ることが明示されていない、というのが新規事項追加と判断する主な理由である。
そこで、審判請求人(訴訟原告)は第5次補正(=本件補正)を行った。本件補正では「選択可能とした」を「前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能とした」と補正した。
審決では、この補正が「限定的減縮」等の目的要件違反に該当し、却下されるべきであること、却下された結果復活する第4次補正クレームは新規事項追加に該当すると判断した。
知財高裁は特許庁の判断を支持し、原告の請求を棄却した。
補正新規事項追加を指摘する最後の拒絶理由通知応答時において、拒絶理由を解消するための補正は一般的に「発明特定事項の拡張」に該当し解消困難であることが多い(知的財産高等裁判所平成20年3月19日判決平成19年(行ケ)第10159号事件参照)。
2.補正の内容
第3次補正(甲4補正)後の請求項1:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能と前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能はそのまま動作可能としたことを特徴とする携帯電話端末。」
第4次補正(甲6補正)の内容:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能によって通信接続情報の交信を行って通信が可能な状態となり,通信可能状態で,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,
前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能としたことを特徴とする携帯電話端
末。」
第5次補正(本件補正、甲9補正)の内容:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能によって通信接続情報の交信を行って通信が可能な状態となり,通信可能状態で,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,
前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能としたことを特徴とする携帯電話端末。」
3.裁判所の判断のポイント
(1) 本件補正の法17条の2第4項該当性の有無
・・・・本件補正による補正前の甲6補正に係る請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」との記載からすれば,本件補正による補正前の請求項1に係る発明(以下「甲6補正発明」という。)は,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能としたことを発明特定事項とするものと解される。
他方,本件補正による補正後の請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能とした」との記載からすれば,本件補正による補正後の請求項1に係る発明(本願補正発明)は,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,上記「複数の機能」のうち「時計機能」及び「電話帳機能」をそれぞれ選択可能としたことを発明特定事項とするものと解される。
そこで,甲6補正発明と本願補正発明とを対比すると,甲6補正発明では,通信機能の停止を維持しながら「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれを選択可能としているのに対し,本願補正発明では,通信機能の停止を維持しながら,上記「複数の機能」のうち「時計機能」及び「電話帳機能」のみをそれぞれ選択可能としたものであるから,本件補正により,通信機能の停止を維持しながら選択可能な機能の一部が削除されていると認められる。そして,その結果,本願補正発明では,「時計機能」及び「電話帳機能」以外の機能について,どの機能を通信機能の停止を維持しながら選択可能とするかは任意の事項とされることに補正されたといえる。
そうすると,本件補正により,直列的に記載された発明特定事項の一部が削除され,特許請求の範囲の請求項1の記載が拡張されていることは明らかであるから,本件補正は特許請求の範囲を減縮するものとはいえず,「特許請求の範囲の限定的減縮」を目的とするものに該当するとは認められない。
また,本件補正は,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的とするものにも該当しないことは明らかである。
以上によれば,本件補正について,「平成14年法律第24号改正附則第2条第1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法第17条の2第4項の規定に違反するので,同法第159条第1項において読み替えて準用する同法第53条第1項の規定により却下すべきものである。」とした審決の判断に誤りはない。
(2) 原告の主張に対する判断
ア 原告は,本件補正は選択可能な機能の範囲についてより狭い範囲の選択である特定の機能である「前記時計機能及び前記電話帳機能」を選択可能としたものであり,このように「選択可能」な範囲を狭めることは,技術的には補正後においてはその機能が限定されるものであるので,特許請求の範囲の減縮に当たること,また,時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む機能がそのまま動作可能な状態となっており,それらの中において選択対象を特定しているものであり,動作可能な選択対象の組合せは15通りあり,「時計機能&電話帳機能&マイクによる音声を電気信号に変換する機能&スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」の組合せのみを選択対象としているのではないことは明らかであること,さらに,本願の当初明細書の段落【0030】,【0033】及び【図1】の記載によれば,「動作可能な状態」とは,通信機能以外の上記各機能を含む複数の機能の全てが常に動作している状態ではなく,ユーザによる指示あるいは制御部による処理に基づいて選択的に動作し得る状態となっているものであると明細書及び添付図面から理解されるものであるし,本願の当初明細書の段落【0011】に記載された課題から判断して,「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能を選択可能と」することとは,「通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能」の各機能を選択対象としており,その中からユーザが様々な組合せを選択可能とする意味であると理解されるものである,と主張する。
しかし,原告が指摘する上記明細書の記載箇所及び図面を検討しても,本願において,通信機能の停止を維持しながらそのまま動作可能とし選択可能とする機能を,通信機能以外の「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」,「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能から,ユーザが様々な組合せで選択可能であることが記載されているとはいえず,また,本願の当初明細書等の記載から自明であるとも認められない。
また,甲6補正に係る請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」との記載に,「複数の機能」について択一的に解される文言はない。
さらに,本願は「携帯電話端末での通信が禁止されている場所でも通信以外の機能を使用可能として利便性を向上させ」ることを課題とするところ,携帯電話端末での通信が禁止されている場所でも使用可能な機能の数が多いほど利便性が向上することは明らかである。
そうすると,甲6補正発明の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能を選択可能と」することは,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,「通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」ことと解するのが自然であり合理的である。
以上によれば,本件補正による請求項1の補正は,直列的に記載された発明特定事項の一部が削除されたもので,原告が主張するような択一的記載の要素の削除ではないから,原告の上記各主張はいずれも採用することができない。」
平成23年(行ケ)第10133号 審決取消請求事件
1.概要
本件は平成21年(行ケ)第10303号事件(審決取り消し判決)後の、特許庁での再度の拒絶審決に対する、審決取消請求事件である。
第4次補正では、補正前(第3次補正後)の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能はそのまま動作可能とした」を、「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」に変換した。
上記第4次補正が「新規事項の追加」と判断され審判体により「最後の拒絶理由通知」がなされた。クレーム記載の4つの機能のうち、選択し得ることが記載されているのは「時計機能」と「電話帳機能」のみであり、「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」と「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」については選択し得ることが明示されていない、というのが新規事項追加と判断する主な理由である。
そこで、審判請求人(訴訟原告)は第5次補正(=本件補正)を行った。本件補正では「選択可能とした」を「前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能とした」と補正した。
審決では、この補正が「限定的減縮」等の目的要件違反に該当し、却下されるべきであること、却下された結果復活する第4次補正クレームは新規事項追加に該当すると判断した。
知財高裁は特許庁の判断を支持し、原告の請求を棄却した。
補正新規事項追加を指摘する最後の拒絶理由通知応答時において、拒絶理由を解消するための補正は一般的に「発明特定事項の拡張」に該当し解消困難であることが多い(知的財産高等裁判所平成20年3月19日判決平成19年(行ケ)第10159号事件参照)。
2.補正の内容
第3次補正(甲4補正)後の請求項1:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能と前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能はそのまま動作可能としたことを特徴とする携帯電話端末。」
第4次補正(甲6補正)の内容:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能によって通信接続情報の交信を行って通信が可能な状態となり,通信可能状態で,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,
前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能としたことを特徴とする携帯電話端
末。」
第5次補正(本件補正、甲9補正)の内容:
「通信機能と,当該通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とを有し,通信機能と通信機能以外の複数の機能に係る表示を行う一つの表示手段と,電源キー,数字キー等を備える入力手段とを有する携帯電話端末であって,
前記入力手段の電源キーを押下すると,前記表示手段を含む各構成部分に電力が供給され,携帯電話端末の動作が開始されて,前記通信機能によって通信接続情報の交信を行って通信が可能な状態となり,通信可能状態で,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能とが使用可能状態となり,
前記入力手段の電源キーとは異なるキー操作により通信機能を停止させる指示が入力されると,当該通信機能を停止させて通信接続情報の交信を行わないようになり,前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能としたことを特徴とする携帯電話端末。」
3.裁判所の判断のポイント
(1) 本件補正の法17条の2第4項該当性の有無
・・・・本件補正による補正前の甲6補正に係る請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」との記載からすれば,本件補正による補正前の請求項1に係る発明(以下「甲6補正発明」という。)は,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能としたことを発明特定事項とするものと解される。
他方,本件補正による補正後の請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,前記時計機能及び前記電話帳機能を選択可能とした」との記載からすれば,本件補正による補正後の請求項1に係る発明(本願補正発明)は,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,上記「複数の機能」のうち「時計機能」及び「電話帳機能」をそれぞれ選択可能としたことを発明特定事項とするものと解される。
そこで,甲6補正発明と本願補正発明とを対比すると,甲6補正発明では,通信機能の停止を維持しながら「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれを選択可能としているのに対し,本願補正発明では,通信機能の停止を維持しながら,上記「複数の機能」のうち「時計機能」及び「電話帳機能」のみをそれぞれ選択可能としたものであるから,本件補正により,通信機能の停止を維持しながら選択可能な機能の一部が削除されていると認められる。そして,その結果,本願補正発明では,「時計機能」及び「電話帳機能」以外の機能について,どの機能を通信機能の停止を維持しながら選択可能とするかは任意の事項とされることに補正されたといえる。
そうすると,本件補正により,直列的に記載された発明特定事項の一部が削除され,特許請求の範囲の請求項1の記載が拡張されていることは明らかであるから,本件補正は特許請求の範囲を減縮するものとはいえず,「特許請求の範囲の限定的減縮」を目的とするものに該当するとは認められない。
また,本件補正は,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的とするものにも該当しないことは明らかである。
以上によれば,本件補正について,「平成14年法律第24号改正附則第2条第1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法第17条の2第4項の規定に違反するので,同法第159条第1項において読み替えて準用する同法第53条第1項の規定により却下すべきものである。」とした審決の判断に誤りはない。
(2) 原告の主張に対する判断
ア 原告は,本件補正は選択可能な機能の範囲についてより狭い範囲の選択である特定の機能である「前記時計機能及び前記電話帳機能」を選択可能としたものであり,このように「選択可能」な範囲を狭めることは,技術的には補正後においてはその機能が限定されるものであるので,特許請求の範囲の減縮に当たること,また,時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む機能がそのまま動作可能な状態となっており,それらの中において選択対象を特定しているものであり,動作可能な選択対象の組合せは15通りあり,「時計機能&電話帳機能&マイクによる音声を電気信号に変換する機能&スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」の組合せのみを選択対象としているのではないことは明らかであること,さらに,本願の当初明細書の段落【0030】,【0033】及び【図1】の記載によれば,「動作可能な状態」とは,通信機能以外の上記各機能を含む複数の機能の全てが常に動作している状態ではなく,ユーザによる指示あるいは制御部による処理に基づいて選択的に動作し得る状態となっているものであると明細書及び添付図面から理解されるものであるし,本願の当初明細書の段落【0011】に記載された課題から判断して,「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能を選択可能と」することとは,「通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能」の各機能を選択対象としており,その中からユーザが様々な組合せを選択可能とする意味であると理解されるものである,と主張する。
しかし,原告が指摘する上記明細書の記載箇所及び図面を検討しても,本願において,通信機能の停止を維持しながらそのまま動作可能とし選択可能とする機能を,通信機能以外の「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」,「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能から,ユーザが様々な組合せで選択可能であることが記載されているとはいえず,また,本願の当初明細書等の記載から自明であるとも認められない。
また,甲6補正に係る請求項1の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能は,前記通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」との記載に,「複数の機能」について択一的に解される文言はない。
さらに,本願は「携帯電話端末での通信が禁止されている場所でも通信以外の機能を使用可能として利便性を向上させ」ることを課題とするところ,携帯電話端末での通信が禁止されている場所でも使用可能な機能の数が多いほど利便性が向上することは明らかである。
そうすると,甲6補正発明の「前記通信機能以外の時計機能,電話帳機能,マイクによる音声を電気信号に変換する機能,スピーカによる電気信号を音声に変換する機能を含む複数の機能を選択可能と」することは,「時計機能」,「電話帳機能」,「マイクによる音声を電気信号に変換する機能」及び「スピーカによる電気信号を音声に変換する機能」を含む複数の機能それぞれについて,「通信機能の停止を維持しながら,そのまま動作可能とし,選択可能とした」ことと解するのが自然であり合理的である。
以上によれば,本件補正による請求項1の補正は,直列的に記載された発明特定事項の一部が削除されたもので,原告が主張するような択一的記載の要素の削除ではないから,原告の上記各主張はいずれも採用することができない。」
2012年1月15日日曜日
審判請求時の補正が限定的減縮に該当するか争われた事例
知財高裁平成20年12月10日判決
平成19年(行ケ)第10350号審決取消請求事件
1.概要
最後の拒絶理由通知や拒絶査定不服審判請求時における補正が、特許法17条の2第5項第2号(改正前第4項第2号)でいう「特許請求の範囲の減縮(第三十六条第五項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とした補正に該当するか否かの判断が容易でない場面にしばしば直面する。
補正前の構成要件を単純に下位概念に限定する形式の補正だけが許されるのか、請求項を全体的にみたときに補正前の構成要件が下位概念に限定されている形式の補正も許されるのかは審査基準の事例を見ても必ずしもあきらかではない。
本事例では、審判請求時にされた補正が限定的減縮に該当しないとして補正を却下した審決(「補正前の構成要件を単純に下位概念に限定する形式の補正だけが許される」ことを前提とした特許庁の判断)が違法であり取り消されるべきとされた。
2.本件補正前の請求項
【請求項1】ルアロックコネクタの雄型ルア先端を受け入れるルア受け具であって,
内壁を有すると共に,基端から末端側に向けてボアが形成され,該基端が前記ルアロックコネクタ内に挿入可能な寸法であるハウジングと,
前記基端近傍で且つ前記ボアの内部に少なくとも一部が挿置されるように該ハウジングに取り付けられると共に,上側部分と,該上側部分から下方に伸長する伸長部分と,前記上側部分の上面近傍から延伸して該上側部分を貫通し且つ前記伸長部分の少なくとも一部に延入するスリットとを有する隔膜とを備え,
前記ハウジングは前記隔膜の上面近傍に密封力を加えて該上面近傍の前記スリットを密封し,前記伸長部分は前記スリットと交差する方向の長さであるその幅が前記上側部分の幅より狭く,前記隔膜及び前記スリットは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる寸法に形成され,該雄型ルア先端が前記隔膜内に挿入されると,該隔膜の少なくとも一部が該隔膜の長手軸から側方に変位して変位した隔膜部分が形成され,
更に,前記隔膜の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,該キャビティは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の内部に挿入された時に変位した前記変位した隔膜部分を受け入れることを特徴とするルア受け具。
3.本件補正後(拒絶査定不服審判請求時の補正)
【請求項1】雄型ルアカニューレと,該雄型ルアカニューレを取り囲むように形成された雌型ねじ端部とを有するルアロックコネクタに結合するルア受け具であって,
ハウジングと,該ハウジングに取り付けられる隔膜とを備え,
前記ハウジングは内壁を有すると共に,その基端から末端側に向けてボアが形成され,該ハウジング基端の寸法は前記ルアロックコネクタ内に挿入可能な大きさに設定され,
前記隔膜は,少なくとも部分的に前記ハウジング基端近傍の前記ボア内に挿置されると共に,上側部分と,該上側部分から下方に延在する伸長部分と,前記上側部分の上面近傍から該上側部分を貫通し且つ該伸長部分の少なくとも一部にまで延伸するスリットとを有し,
前記ハウジングは前記隔膜の上面近傍に密封力を加えて前記スリットを前記上面の部分で密封し,
前記隔膜の伸長部分は前記スリットと交差する方向の長さであるその幅が前記上側部分の幅より狭く,
前記隔膜と前記スリットの寸法及び形状は,前記ハウジングの基端を前記ルアロックコネクタの前記雌型ねじ端部の内部に係入すると前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込むように,夫々設定され,
前記雄型ルアカニューレを前記隔膜に挿入すると,該隔膜の少なくとも一部がその長手軸から側方に変位し,
前記隔膜の伸長部分の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,前記雄型ルアカニューレを前記隔膜の内部に挿入し且つ前記雌型ねじ端部が前記ハウジングに嵌合した時に,前記変位した隔膜の一部は,前記雌型ねじ端部の内部で前記少なくとも一つのキャビティ内に受け入れられることを特徴とするルア受け具。
4.審決の理由
本件補正は特許請求の範囲を一部拡張し又は不明確にするものであるから却下されるべきである。
特許庁は上記の補正が「限定的減縮」に該当しないと判断した。
5.裁判における被告(特許庁)の主張
本件補正は,隔膜の内部に挿入される部分について,補正前の「雄型ルア先端」を「雄「原告及び参加人は,特許法旧17条の2第4項2号「特許請求の範囲の減縮」にいう「減縮」とは,補正後の特許請求の範囲が全体として補正前の特許請求の範囲に対してより狭い範囲であれば足りるものと解すべきであると主張する。しかし,同号は,「特許請求の範囲の減縮(第36条第5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって,その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」と規定されており,特に,発明を特定するために必要な事項を「限定する」とは,補正前の請求項に記載された発明を特定するための事項の一つ以上を,それぞれ,概念的により下位の発明を特定するめの事項とすることであるから,補正後の一つ以上の発明を特定するための事項が補正前の発明を特定するための事項に対して,概念的に下位になっていることを要するものである。」
6.裁判所の判断のポイント
エ以上によれば,本願明細書においては,雄型ルアないし雄型ルアカニューレを本願発明に係るルア受け具に挿入する場合,その前進に伴い隔膜が変形され,またそれを隔膜から引き抜く際,管腔内に負圧が生じる可能性を有するといった機能ないし性質を有することが明らかにされているところ,この場合の雄型ルアないし雄型ルアカニューレを特定する用語としては,「ルアカニューレ(カニューレ)32」と「ルア先端32(832,932)」とが混在して用いられていることが認められる。
そうすると,本願明細書においては,上記機能ないし性質を有するものとして指称する場合,「雄型ルアカニューレ32」と「雄型ルア先端32」とは同一のものを意味すると認められる。このことは,上記のようにスリットを介して隔膜内部に雄型ルアカニューレが入り込むような動作がなされる際,スリットに最初に接触するのが必然的に雄型ルアカニューレの先端部分となることからも明らかである。
そして,本件補正における,「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」との表現は,雄型ルアカニューレ32における上記機能が実現する場面を表現したものであることは明らかであるから,ここでの「雄型ルアカニューレ」というのは,ルア受け具に挿入されるルアコネクタの構成全体を指称するものではなく,「雄型ルア先端32」に相当する雄型ルアカニューレの先端部分である「ルアカニューレ32」を意味するものと理解することができるし,「雄型ルアカニューレの少なくとも一部」というのも,「ルアカニューレ32」に相当する部分がスリットを介して隔膜内に挿入される場合に,これが隔膜と接触している範囲を指すものであることは容易に理解できるところである。
そうすると,本件補正において,「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」と変更することは,実質的に同じ構成を言い換えたにすぎないものであるから,これにより何ら特許請求の範囲を一部拡張するものではないし,不明瞭とするものでもない。
したがって,この点に関する審決の前記判断は誤りといわざるを得ない。
オこの点,被告は,仮に「雄型ルア先端」と「雄型ルアカニューレ」が同じものであったとしても,本件補正前には「雄型ルア先端」なる用語で表される部分全体が隔膜内部に挿入されていたものが,本件補正により「雄型ルア先端」なる用語で表される部分の一部で足りることになるから,本件補正による変更は特許請求の範囲を拡張するものである旨主張する。
しかし,本件補正前の本願発明においては,「ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介し該隔膜の内部に挿入できる」として,挿入されるのはルア先端とするだけで,「ルア先端の部分全体」が隔膜の内部に挿入されるとは記載されていない。そして,上記(1)のとおり,補正発明の意義は,雄型ルアとルア受け具が係合されることにより,ルアロックコネクタの先端が隔膜内に貫入することを利用して医療流体を移送するというものであり,ここで雄型ルアの先端部分が隔膜内に貫入される態様は,医療流体を移送できる程度であることは必要とされるものの,それを超えてその全部が貫入されることは必須の要素でないことは明らかである。
そうすると,本件補正前の本願発明においても,挿入される部分はルア先端の一部又は全部と解さざるを得ないのであって,これを本件補正により「ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」として,挿入される部分がルア先端の一部の場合だけでなく全部が挿入される場合があることを明示することは,実質的にみて何らの変更を加えるものではないから,特許請求の範囲を拡張するものではない。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。
カなお被告は,特許法旧17条の2第4項2号「特許請求の範囲の減縮」にいう「減縮」とは,発明を特定するために必要な事項を「限定する」ことであり,これに該当するといえるためには,補正後の一つ以上の発明を特定するための事項が補正前の発明を特定するための事項に対して,概念的に下位になっていることを要するものであると主張するところ,同主張は,補正が「特許請求の範囲の減縮」(特許法旧17条の2第4項2号)に該当するためには,これに該当する個々の補正事項のすべてにおいて下位概念に変更されることを要するとの趣旨を含むものと解される。
しかし,特許請求の範囲の減縮は当該請求項の解釈において減縮の有無を判断すべきものであって,当該請求項の範囲内における各補正事項のみを個別にみて決すべきものではないのであるから,被告の上記主張が減縮の場合を後者の場合に限定する趣旨であれば,その主張は前提において誤りであるといわざるを得ない。
また,特許請求の範囲の一部を減縮する場合に,当該部分とそれ以外の部分との整合性を担保するため,当該減縮部分以外の事項について字句の変更を行う必要性が生じる場合のあることは明らかであって,このような趣旨に基づく変更は,これにより特許請求の範囲を拡大ないし不明瞭にする等,補正の他の要件に抵触するものでない限り排除されるべきものではなく,この場合に当該補正部分の文言自体には減縮が存しなかったとしても,これが特許法旧17条の2第4項2号と矛盾するものではない。
そこでこれを本件についてみると,本件補正は,「ルアロックコネクタの雄型ルア先端を受け入れるルア受け具であって,」を「雄型ルアカニューレと,該雄型ルアカニューレを取り囲むように形成された雌型ねじ端部とを有するルアロックコネクタに結合するルア受け具であって,」と補正することにより,ルア受け具の構成を限定するものであり,また,「前記隔膜の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,該キャビティは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の内部に挿入された時に変位した前記変位した隔膜部分を受け入れることを特徴とするルア受け具。」を「前記隔膜の伸長部分の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,前記雄型ルアカニューレを前記隔膜の内部に挿入し且つ前記雌型ねじ端部が前記ハウジングに嵌合した時に,前記変位した隔膜の一部は,前記雌型ねじ端部の内部で前記少なくとも一つのキャビティ内に受け入れられることを特徴とするルア受け具。」と補正することにより,隔膜の構成を限定する部分を含むものである。
そして,これまで述べてきた「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」とした補正は,上記のようなルア受け具及び隔膜の各構成を減縮する補正を踏まえ,これにより「雄型ルア先端」と「雄型ルアカニューレ」との用語が混在するに至ることから,これを後者の用語をもって統一したものと理解することができ,また,「雄型ルア先端」を「雄型ルアカニューレの少なくとも一部」とする補正が実質的に何らの変更を加えるものでないことは,上記エ,オのとおりである。
したがって,本件補正のうち「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」とした部分は,何ら特許法旧17条の2第4項2号に矛盾するものではないから,被告の上記主張は採用することができない。
平成19年(行ケ)第10350号審決取消請求事件
1.概要
最後の拒絶理由通知や拒絶査定不服審判請求時における補正が、特許法17条の2第5項第2号(改正前第4項第2号)でいう「特許請求の範囲の減縮(第三十六条第五項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて、その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とした補正に該当するか否かの判断が容易でない場面にしばしば直面する。
補正前の構成要件を単純に下位概念に限定する形式の補正だけが許されるのか、請求項を全体的にみたときに補正前の構成要件が下位概念に限定されている形式の補正も許されるのかは審査基準の事例を見ても必ずしもあきらかではない。
本事例では、審判請求時にされた補正が限定的減縮に該当しないとして補正を却下した審決(「補正前の構成要件を単純に下位概念に限定する形式の補正だけが許される」ことを前提とした特許庁の判断)が違法であり取り消されるべきとされた。
2.本件補正前の請求項
【請求項1】ルアロックコネクタの雄型ルア先端を受け入れるルア受け具であって,
内壁を有すると共に,基端から末端側に向けてボアが形成され,該基端が前記ルアロックコネクタ内に挿入可能な寸法であるハウジングと,
前記基端近傍で且つ前記ボアの内部に少なくとも一部が挿置されるように該ハウジングに取り付けられると共に,上側部分と,該上側部分から下方に伸長する伸長部分と,前記上側部分の上面近傍から延伸して該上側部分を貫通し且つ前記伸長部分の少なくとも一部に延入するスリットとを有する隔膜とを備え,
前記ハウジングは前記隔膜の上面近傍に密封力を加えて該上面近傍の前記スリットを密封し,前記伸長部分は前記スリットと交差する方向の長さであるその幅が前記上側部分の幅より狭く,前記隔膜及び前記スリットは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる寸法に形成され,該雄型ルア先端が前記隔膜内に挿入されると,該隔膜の少なくとも一部が該隔膜の長手軸から側方に変位して変位した隔膜部分が形成され,
更に,前記隔膜の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,該キャビティは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の内部に挿入された時に変位した前記変位した隔膜部分を受け入れることを特徴とするルア受け具。
3.本件補正後(拒絶査定不服審判請求時の補正)
【請求項1】雄型ルアカニューレと,該雄型ルアカニューレを取り囲むように形成された雌型ねじ端部とを有するルアロックコネクタに結合するルア受け具であって,
ハウジングと,該ハウジングに取り付けられる隔膜とを備え,
前記ハウジングは内壁を有すると共に,その基端から末端側に向けてボアが形成され,該ハウジング基端の寸法は前記ルアロックコネクタ内に挿入可能な大きさに設定され,
前記隔膜は,少なくとも部分的に前記ハウジング基端近傍の前記ボア内に挿置されると共に,上側部分と,該上側部分から下方に延在する伸長部分と,前記上側部分の上面近傍から該上側部分を貫通し且つ該伸長部分の少なくとも一部にまで延伸するスリットとを有し,
前記ハウジングは前記隔膜の上面近傍に密封力を加えて前記スリットを前記上面の部分で密封し,
前記隔膜の伸長部分は前記スリットと交差する方向の長さであるその幅が前記上側部分の幅より狭く,
前記隔膜と前記スリットの寸法及び形状は,前記ハウジングの基端を前記ルアロックコネクタの前記雌型ねじ端部の内部に係入すると前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込むように,夫々設定され,
前記雄型ルアカニューレを前記隔膜に挿入すると,該隔膜の少なくとも一部がその長手軸から側方に変位し,
前記隔膜の伸長部分の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,前記雄型ルアカニューレを前記隔膜の内部に挿入し且つ前記雌型ねじ端部が前記ハウジングに嵌合した時に,前記変位した隔膜の一部は,前記雌型ねじ端部の内部で前記少なくとも一つのキャビティ内に受け入れられることを特徴とするルア受け具。
4.審決の理由
本件補正は特許請求の範囲を一部拡張し又は不明確にするものであるから却下されるべきである。
特許庁は上記の補正が「限定的減縮」に該当しないと判断した。
5.裁判における被告(特許庁)の主張
本件補正は,隔膜の内部に挿入される部分について,補正前の「雄型ルア先端」を「雄「原告及び参加人は,特許法旧17条の2第4項2号「特許請求の範囲の減縮」にいう「減縮」とは,補正後の特許請求の範囲が全体として補正前の特許請求の範囲に対してより狭い範囲であれば足りるものと解すべきであると主張する。しかし,同号は,「特許請求の範囲の減縮(第36条第5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであって,その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」と規定されており,特に,発明を特定するために必要な事項を「限定する」とは,補正前の請求項に記載された発明を特定するための事項の一つ以上を,それぞれ,概念的により下位の発明を特定するめの事項とすることであるから,補正後の一つ以上の発明を特定するための事項が補正前の発明を特定するための事項に対して,概念的に下位になっていることを要するものである。」
6.裁判所の判断のポイント
エ以上によれば,本願明細書においては,雄型ルアないし雄型ルアカニューレを本願発明に係るルア受け具に挿入する場合,その前進に伴い隔膜が変形され,またそれを隔膜から引き抜く際,管腔内に負圧が生じる可能性を有するといった機能ないし性質を有することが明らかにされているところ,この場合の雄型ルアないし雄型ルアカニューレを特定する用語としては,「ルアカニューレ(カニューレ)32」と「ルア先端32(832,932)」とが混在して用いられていることが認められる。
そうすると,本願明細書においては,上記機能ないし性質を有するものとして指称する場合,「雄型ルアカニューレ32」と「雄型ルア先端32」とは同一のものを意味すると認められる。このことは,上記のようにスリットを介して隔膜内部に雄型ルアカニューレが入り込むような動作がなされる際,スリットに最初に接触するのが必然的に雄型ルアカニューレの先端部分となることからも明らかである。
そして,本件補正における,「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」との表現は,雄型ルアカニューレ32における上記機能が実現する場面を表現したものであることは明らかであるから,ここでの「雄型ルアカニューレ」というのは,ルア受け具に挿入されるルアコネクタの構成全体を指称するものではなく,「雄型ルア先端32」に相当する雄型ルアカニューレの先端部分である「ルアカニューレ32」を意味するものと理解することができるし,「雄型ルアカニューレの少なくとも一部」というのも,「ルアカニューレ32」に相当する部分がスリットを介して隔膜内に挿入される場合に,これが隔膜と接触している範囲を指すものであることは容易に理解できるところである。
そうすると,本件補正において,「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」と変更することは,実質的に同じ構成を言い換えたにすぎないものであるから,これにより何ら特許請求の範囲を一部拡張するものではないし,不明瞭とするものでもない。
したがって,この点に関する審決の前記判断は誤りといわざるを得ない。
オこの点,被告は,仮に「雄型ルア先端」と「雄型ルアカニューレ」が同じものであったとしても,本件補正前には「雄型ルア先端」なる用語で表される部分全体が隔膜内部に挿入されていたものが,本件補正により「雄型ルア先端」なる用語で表される部分の一部で足りることになるから,本件補正による変更は特許請求の範囲を拡張するものである旨主張する。
しかし,本件補正前の本願発明においては,「ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介し該隔膜の内部に挿入できる」として,挿入されるのはルア先端とするだけで,「ルア先端の部分全体」が隔膜の内部に挿入されるとは記載されていない。そして,上記(1)のとおり,補正発明の意義は,雄型ルアとルア受け具が係合されることにより,ルアロックコネクタの先端が隔膜内に貫入することを利用して医療流体を移送するというものであり,ここで雄型ルアの先端部分が隔膜内に貫入される態様は,医療流体を移送できる程度であることは必要とされるものの,それを超えてその全部が貫入されることは必須の要素でないことは明らかである。
そうすると,本件補正前の本願発明においても,挿入される部分はルア先端の一部又は全部と解さざるを得ないのであって,これを本件補正により「ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」として,挿入される部分がルア先端の一部の場合だけでなく全部が挿入される場合があることを明示することは,実質的にみて何らの変更を加えるものではないから,特許請求の範囲を拡張するものではない。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。
カなお被告は,特許法旧17条の2第4項2号「特許請求の範囲の減縮」にいう「減縮」とは,発明を特定するために必要な事項を「限定する」ことであり,これに該当するといえるためには,補正後の一つ以上の発明を特定するための事項が補正前の発明を特定するための事項に対して,概念的に下位になっていることを要するものであると主張するところ,同主張は,補正が「特許請求の範囲の減縮」(特許法旧17条の2第4項2号)に該当するためには,これに該当する個々の補正事項のすべてにおいて下位概念に変更されることを要するとの趣旨を含むものと解される。
しかし,特許請求の範囲の減縮は当該請求項の解釈において減縮の有無を判断すべきものであって,当該請求項の範囲内における各補正事項のみを個別にみて決すべきものではないのであるから,被告の上記主張が減縮の場合を後者の場合に限定する趣旨であれば,その主張は前提において誤りであるといわざるを得ない。
また,特許請求の範囲の一部を減縮する場合に,当該部分とそれ以外の部分との整合性を担保するため,当該減縮部分以外の事項について字句の変更を行う必要性が生じる場合のあることは明らかであって,このような趣旨に基づく変更は,これにより特許請求の範囲を拡大ないし不明瞭にする等,補正の他の要件に抵触するものでない限り排除されるべきものではなく,この場合に当該補正部分の文言自体には減縮が存しなかったとしても,これが特許法旧17条の2第4項2号と矛盾するものではない。
そこでこれを本件についてみると,本件補正は,「ルアロックコネクタの雄型ルア先端を受け入れるルア受け具であって,」を「雄型ルアカニューレと,該雄型ルアカニューレを取り囲むように形成された雌型ねじ端部とを有するルアロックコネクタに結合するルア受け具であって,」と補正することにより,ルア受け具の構成を限定するものであり,また,「前記隔膜の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,該キャビティは,前記雄型ルア先端が前記隔膜の内部に挿入された時に変位した前記変位した隔膜部分を受け入れることを特徴とするルア受け具。」を「前記隔膜の伸長部分の側方に少なくとも一つのキャビティが画成され,前記雄型ルアカニューレを前記隔膜の内部に挿入し且つ前記雌型ねじ端部が前記ハウジングに嵌合した時に,前記変位した隔膜の一部は,前記雌型ねじ端部の内部で前記少なくとも一つのキャビティ内に受け入れられることを特徴とするルア受け具。」と補正することにより,隔膜の構成を限定する部分を含むものである。
そして,これまで述べてきた「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」とした補正は,上記のようなルア受け具及び隔膜の各構成を減縮する補正を踏まえ,これにより「雄型ルア先端」と「雄型ルアカニューレ」との用語が混在するに至ることから,これを後者の用語をもって統一したものと理解することができ,また,「雄型ルア先端」を「雄型ルアカニューレの少なくとも一部」とする補正が実質的に何らの変更を加えるものでないことは,上記エ,オのとおりである。
したがって,本件補正のうち「前記雄型ルア先端が前記隔膜の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して該隔膜の内部に挿入できる」とあるのを「前記雄型ルアカニューレの少なくとも一部が前記上側部分の上面及び前記スリットの少なくとも一部を介して前記隔膜の内部に入り込む」とした部分は,何ら特許法旧17条の2第4項2号に矛盾するものではないから,被告の上記主張は採用することができない。
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