張永康,「中国特許法における遺伝資源保護制度の解説」,知財管理,2010年9月号,Vol.60,No.9,2010/
(新たに導入された遺伝資源保護制度について紹介されている)
弁理士会平成21年度バイオライフサイエンス委員会第2部会,「バイオ関連・医薬発明の特許性についての国際的な比較に基づく問題点の調査・研究」,パテント,2010年7月号、Vol.63,No.9,2010
本記事の項目3.3(5)-(6)では、日本において、実質的に診断方法に該当する方法の発明であっても医師等が「判断する工程」を含まないように請求項が表現されている場合には「診断方法」には該当しないと判断された事例が紹介されている。現在の特許実用新案審査基準第II部 特許要件 第1章 産業上利用することができる発明の2.1.1.2(3)(a)における「例5: 被検者に由来するX遺伝子の塩基配列のn番目における塩基の種類を決定し、当該塩基の種類がAである場合にはかかり易く、Gである場合にはかかりにくいという基準と比較することにより、被検者の高血圧症へのかかり易さを試験する方法。」が人間を診断する方法には該当しない例として挙げられていること、この例に近い登録事例として特許第3905126号があることが紹介されている。
項目3.5では「美容師又は一般人が」実施することを明示した場合でも実質的に治療方法に該当するとして日本において拒絶された事例が紹介されている。
知財高裁平成22年8月31日判決
平成21年(行ケ)第10434号審決取消請求事件
本事例は特許法36条6項2号(明確性)要件欠如の拒絶審決が取り消された事例である。
特許請求の範囲の記載だけでなく。明細書の記載、図面、当業者の出願当時における技術的常識を考慮して第三者に不利益を及ぼすほどに不明確でなければ明確性要件は満たされるというのが本判決の立場である。
1.本件発明
「【請求項1】バックシートとトップシートとを有する吸収性物品であって,第1腰部区域,第2腰部区域,それらの間に挟まれた股部区域,長手方向軸線,及び前記トップシートと前記バックシートとの間に配置され,中に排泄物を受けるための主要空間まで通路を提供する開口部を具備し,前記開口部が前記長手方向軸線に沿って少なくとも前記股部区域に配置され,前記トップシートが伸縮性であり,当該物品が,当該物品の弛緩した状態での長手方向寸法の60%の長さである短縮物品長Lと,伸張時短縮物品長Lsとを有する短縮物品部分を有し,当該物品が次の弾性特性:
0.25Lsで0.6N未満の第1負荷力,0.55Lsで3.5N未満の第1負荷力,及び0.8Lsで7.0N未満の第1負荷力,並びに0.55Lsで0.4N超の第2負荷軽減力,及び0.80Lsで1.4N超の第2負荷軽減力,
を有する吸収性物品。」
2.審決の理由
「本願補正発明1の課題は,トップシートの糞便が通過できる開口が設けられた吸収性物品において,当該吸収性物品の適用中に開口の位置合わせを適切に行うことである。しかし,「伸長時短縮物品長Ls」と,「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係により物品の弾性力を特定することが,吸収性物品の機能,特性,課題解決と,どのように関連するのかは,明確ではない。
また,「0.25Lsで0.6N未満の第1負荷力,0.55Lsで3.5N未満の第1負荷力,及び0.8Lsで7.0N未満の第1負荷力,並びに0.55Lsで0.4N超の第2負荷軽減力,及び0.80Lsで1.4N超の第2負荷軽減力」との特定による作用効果も明確ではない。よって,本願補正発明1において,「伸長時短縮物品長Ls」を用いて,「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係で物品の弾性特性を特定することの技術的意味は明確ではない。そうすると,本願補正発明1・・・に係る特許請求の範囲の記載は,不明確であり,特許法・・・36条6項2号に違反する。」
3.裁判所の判断のポイント
「法36条6項2号の趣旨について
法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。同号がこのように規定した趣旨は,仮に,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るので,そのような不都合な結果を防止することにある。
そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術的常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきことはいうまでもない。
上記のとおり,法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関して,「特許を受けようとする発明が明確であること。」を要件としているが,同号の趣旨は,それに尽きるのであって,その他,発明に係る機能,特性,解決課題又は作用効果等の記載等を要件としているわけではない。
この点,発明の詳細な説明の記載については,法36条4項において,「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」と規定されていたものであり,同4項の趣旨を受けて定められた経済産業省令(平成14年8月1日経済産業省令第94号による改正前の特許法施行規則24条の2)においては,「特許法第三十六条第四項の経済産業省令で定めるところによる記載は,発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。」と規定されていたことに照らせば,発明の解決課題やその解決手段,その他当業者において発明の技術上の意義を理解するために必要な事項は,法36条4項への適合性判断において考慮されるものとするのが特許法の趣旨であるものと解される。また,発明の作用効果についても,発明の詳細な説明の記載要件に係る特許法36条4項について,平成6年法律第116号による改正により,発明の詳細な説明の記載の自由度を担保し,国際的調和を図る観点から,「その実施をすることができる程度に明確かつ十分に,記載しなければならない。」とのみ定められ,発明の作用効果の記載が必ずしも必要な記載とはされなくなったが,同改正前の特許法36条4項においては,「発明の目的,構成及び効果」を記載することが必要とされていた。
このような特許法の趣旨等を総合すると,法36条6項2号を解釈するに当たって,特許請求の範囲の記載に,発明に係る機能,特性,解決課題ないし作用効果との関係での技術的意味が示されていることを求めることは許されないというべきである。
仮に,法36条6項2号を解釈するに当たり,特許請求の範囲の記載に,発明に係る機能,特性,解決課題ないし作用効果との関係で技術的意味が示されていることを要件とするように解釈するとするならば,法36条4項への適合性の要件を法36条6項2号への適合性の要件として,重複的に要求することになり,同一の事項が複数の特許要件の不適合理由とされることになり,公平を欠いた不当な結果を招来することになる。上記観点から,本願各補正発明の法36条6項2号適合性について検討する。」
「・・・「伸張時短縮物品長Ls」又は「収縮時短縮物品長Lc」と関連させつつ,吸収性物品の弾性特性を「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」により特定する本願各補正発明に係る特許請求の範囲の記載は,当業者において,本願補正明細書(図面を含む。)を参照して理解することにより,その技術的範囲は明確であり,第三者に対して不測の不利益を及ぼすほどに不明確な内容は含んでいない。
上記のとおりであるから,「伸張時短縮物品長Ls」と「第1負荷力」及び「第2負荷軽減力」との関係(本願補正発明1),「収縮時短縮物品長Lc」と「伸長時短縮物品長Ls」との関係(本願補正発明2)によって,弾性力を特定したことが,吸収性物品の機能,特性,発明の解決課題とどのように関連するのか,作用効果が不明であることを理由として,本願各補正発明に係る特許請求の範囲の記載が,法36条6項2号に反するとした審決には,同項同号の解釈,適用を誤った違法があるというべきである。」
知財高裁平成22年8月19日判決
平成21年(行ケ)第10180号審決取消請求事件
1.概要
本件では優先日前に公開された学会発表要旨集の記載「新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための・・・」を引用文献として、進歩性が否定された審決が取り消された事例である。
いわゆる「一行記載」の引用文献としての適格性が争われた事例である。物の発明が刊行物に記載されているといえるためには、その構造が開示されているだけでは足らず、「当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要する」というのが本件での裁判所の立場である。
2.本件発明
本件発明6及び7は,本件明細書(甲1の1)の記載からみて,その特許請求の範囲の請求項6,7に記載された次のとおりのものである。
「【請求項6】4-アミノ-1-ヒドロキシブチリデン-1,1-ビスホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む,骨吸収を伴う疾病の治療及び予防のための固体状医薬組成物。
「【請求項7】錠剤である請求項6記載の固体状医薬組成物。」
3.審決の理由
審決は,次のとおり,本件発明6及び7は,いずれも甲7発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定に違反してされたものであると判断した。
審決が認定した引用発明等の内容,一致点及び相違点並びに容易想到性の判断内容は,次のとおりである・・・。
(1) 甲7発明の内容
「甲7文献は,ベルギーのアントワープの第3回医薬分析の国際シンポジウム(3RD INTERNATIONAL SYMPOSIUM ON DRUG ANALYSIS)において頒布された要旨集の106頁であり・・・。」
「そして,甲7文献には,『医薬製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートの高速液体クロマトグラフィーによる測定』と題する論文の要旨として,以下のことが記載されている。
ア) 新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の測定のための高速,高感度そして,特別に性能の良い高速液体クロマトグラフィー(HPLC)分析を報告する。
・・・
カ) 実験データは,再現性があって,精度が高く,直線性のある分析が可能であることを明らかにするために,また注射液やカプセル剤中のMK0217の分析に適用できることを明らかにするために提出される。」
「甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの要旨集であり,新規な骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)を含む医薬製剤について試験・研究を行おうとする者に対して,本化合物に,9-フルオレニルメチル・クロロフォルメート(FMOC)により誘導体化することにより紫外線吸収特性を付与し,紫外線検出器の利用を可能とすることにより,高速,高感度で使いやすい測定技術を提供しようというものであり,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)が,当該分野の試験・研究を行う者にとって,新しい骨吸収剤として知られたものであることを当然の前提とした論文である。
そして,甲7文献には,本論文は,単に希望や仮説を述べているのではなく,実際に測定実験を実施したら,再現性があり,直線性のある分析が可能であり,また,注射液やカプセル製剤中の4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の分析に適用できることが分かったことをデータをもって報告するものであることが記載されており,さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート(MK0217)の具体的な誘導体化の条件,紫外線吸収特性を付与された誘導体の分析のための高速液体クロマトグラフィー(HPLC)の具体的な操作条件(逆相HPLCとすること,カラムの種類,移動層の組成,操作温度)及び紫外線検出に用いる紫外線の具体的な波長が記載されている。
そして,甲7文献は,医薬分析に関する国際シンポジウムの予稿集であり,特段の事情がない限り,発表者が研究者として合理的に,かつ誠意を持って作成したものと考えるのが妥当であり,本シンポジウムのいかなる参加者も知らないような医薬成分について,その測定方法だけを発表しようとするなどとは考え難い。」
「さらに,甲7文献には,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)の製造方法は記載されていないが,以下のとおり,本件優先日前において,甲7文献を見た当業者は,製造方法が記載されていなくても,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート((MK0217)を容易に製造できると理解するものであるから,製造方法が記載されていないことをもって,甲7文献に4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレート( MK0217)の発明が記載されていないとすることはできない。」
「本願優先日前に頒布された甲5文献は,薬理活性を有するビスホスホン酸(バイホスホネート)およびその製造方法に関する文献であり,甲5文献の一般式(I)で示されるバイホスホン酸のアルカリ金属塩が,骨吸収阻害作用を有することが記載されており(‥‥),実施例3として,一般式(I)で示される化合物である,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸」(以下,単に「フリー体」ともいう。)の製造方法が記載されている(‥‥)。‥‥,当業者は,実施例3の記載は,最初の中和点において,ジホスホン酸の片方がNaOHで中和されたこと,即ち4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることを示すものと理解するものと言える。さらに,実施例5(‥‥)において,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸(分子量263)263gの懸濁液に水酸化ナトリウム(分子量40)40gを含有する水溶液を加えて,即ち,共に1モルずつ反応させて,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩が製造できている。
更に,甲5文献では,ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得ている(実施例5参照)。そして,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知である(甲12~14)。
してみれば,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されているのであるから,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られると,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,3水和物(トリハイドレート)を得ることができると考えるのが自然である。
なお,実際,乾燥条件としては通常の条件である甲6あるいは甲10で採用されているような乾燥条件で乾燥することによりトリハイドレートが得られている。」
「したがって,甲7文献には,次の発明が記載されているものと認められる。『骨吸収阻害剤である4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩トリハイドレートを有効成分として含む医薬製剤。』」
4.裁判所の判断のポイント
「2 取消事由1ないし5について
(1) 本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないこと,以上の点については当事者間に争いがなく,かつ審決も認めるところである。
そこで,このような場合,甲7文献が,特許法29条2項適用の前提となる29条1項3号記載の「刊行物」に該当するかどうかがまず問題となる。
ところで,特許法29条1項は,同項3号の「特許出願前に‥‥頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ,上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには,同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが,発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に,当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。
特に,当該物が,新規の化学物質である場合には,新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから,刊行物にその技術的思想が開示されているというためには,一般に,当該物質の構成が開示されていることに止まらず,その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして,刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には,当該刊行物に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
(2) 本件については,上記のとおり,本件発明6及び7における本件3水和物が新規の化学物質であること,甲7文献には,本件3水和物と同等の有機化合物の化学式が記載されているものの,その製造方法について記載も示唆もされていないところ,前記1(2) の記載内容を検討しても,甲7文献には製造方法を理解し得る程度の記載があるとはいえないから,上記(1) の判断基準に従い,甲7文献が特許法29条1項3号の「刊行物」に該当するというためには,甲7文献に接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,特許出願時の技術常識に基づいて本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるということになる。
この点,審決は,前記第2の4(1) 記載のとおり,まず,甲5文献の開示内容から,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩が生成していることが窺える等の事情があること,甲12ないし甲14の各文献の開示内容から,水和物の製法としては,水溶液から晶出することが一般的であり,結晶水は,加熱あるいは乾燥により離脱し,加熱あるいは乾燥の条件を強くすることにより,順次離脱することは周知であるといえること,及び4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の3水和物が存在することは甲7文献に記載されていることを根拠に,当業者は,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩を水溶液から晶出させることにより,3水和物が得られること,そして,もし水溶液からの晶出により得られた4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-ジホスホン酸モノナトリウム塩の水和数が3を超えていれば,適宜条件を選択し,加熱,乾燥することにより水和数を減ずることにより,容易に,本件3水和物を得ることができると考えるのが自然であると判断しているところ,その論理は必ずしも明確ではないが,前記第2の4(4)記載のとおり,さらに,審決は,原告の主張に対する判断において,「有機化合物によって水和物が存在し得る場合があることは明らかであり,‥‥,甲7文献において既に3水和物が目的物として明示され,その存在を疑うべき特段の事情が無いことを考慮すれば,技術常識を勘案し3水和物の製造条件を検討することに格別の困難性は無いというべきであ」ると判断していることから,これを善解すれば,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,甲5及び甲12ないし甲14の各文献に記載されている特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができるものと判断したと解される。
(3) そうすると,本件においては,本件出願当時,甲7文献の記載を前提として,これに接した当業者が,思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく,本件3水和物の製造方法その他の入手方法を見いだすことができるような技術常識が存在したか否かが問題となるが,次のとおり,本件においては,本件出願当時,そのような技術常識が存在したと認めることはできないというべきである。
ア 甲5文献に記載された技術常識について
前記1(3) の記載によれば,甲5文献の実施例3の電位差滴定の最初の中和点において,4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液が生成していることが窺える。また,甲5文献の実施例5には,5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法が記載されている。しかしながら,これらの化合物について言及する本件優先日前に刊行された文献は,証拠上,甲5文献のみであること,甲5文献は,一般的な化学辞典であるなど,その記載内容が当業者の技術常識であることをうかがわせるものではないことを考慮すれば,「4-アミノ-1-ヒドロキシブタン-1,1-バイホスホン酸モノナトリウム塩の水溶液とその製造方法」や「5-アミノ-1-ヒドロキシペンタン-1,1-バイホスホン酸の一ナトリウム塩の結晶状の固体とその製造方法」が,公知の技術事項であるとはいえても,本件優先日当時の技術常識に属する事項であるとすることはできないというべきである。
したがって,上述のような甲5文献に記載された事項や甲5文献の実施例5の記載を根拠とする「ビスホスホン酸のナトリウム塩は,水溶液中でビスホスホン酸を水酸化ナトリウムで中和し,水溶液から晶出する結晶状の固体として得」られるという技術事項を,本件優先日当時の技術常識であるとするものと解される,甲5文献に関する審決の判断は誤りであるというほかない。」
知財高裁平成22年8月4日判決
平成21年(行ケ)第10376号審決取消請求事件
特許庁は本願発明が引用発明及び周知技術に基づいて容易に発明することができると判断した。
知財高裁はこの判断を覆し、審決を取り消した。
知財高裁は、本願発明と引用発明との一致点相違点、想到容易性を、具体的な構成と解決課題に基づいて理解し判断しよう努めている。「事後分析的かつ非論理的思考に基づく判断」を排除する姿勢が定着しつつあるように思われる。
1.1.本願発明
本件審決が判断の対象とした請求項1に記載された発明(以下「本願発明」という。)は,以下のとおりである。
「被検者の撮影部位に,X線照射野をX線可動絞りの照射野ランプで照準し確認して,X線照射スイッチの第一スイッチの操作によって撮影準備手段を動作させ,準備完了後に,第二スイッチの操作で高電圧をX線管に印加して撮影を行うX線撮影装置において,前記照射野ランプの照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,前記照射野ランプの点灯状態を変化させるようにしたことを特徴とするX線撮影装置」
1.2.拒絶の理由
本件審決の理由は,要するに,本願発明は,下記アの引用例に記載された発明(引用発明)並びに下記イ及びウの周知例1及び2に記載された周知技術(周知技術1、周知技術2)に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,本願発明は,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
なお,本件審決が認定した引用発明並びに本願発明と引用発明との一致点及び相違点は,次のとおりである。
ア 引用発明:ハンドスイッチの1段目のスイッチを押してX線発生器のX線管のローターを回転させるとともにフィラメントの加熱を行わせ,ローターの回転数が定格回転数に達し,フィラメントが所定温度に上昇すると,撮影準備完了表示灯は点灯し,撮影準備完了表示灯への点灯指令は第1のレーザー光照射部にも並列的に入力し,第1のレーザー光照射部よりレーザー光がX線装置から離れている操作者からもよく見える場所,例えば天井の平面に照射され,2段目のスイッチを押すことによりX線高電圧発生装置へX線発生器からX線を照射させるための信号を出力し,X線照射する移動形X線装置
イ 一致点:X線照射スイッチの第一スイッチの操作によって撮影準備手段を動作させ,準備完了後に,第二スイッチの操作で高電圧をX線管に印加して撮影を行うX線撮影装置において,光源の照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,光源の点灯状態を変化させるようにしたことを特徴とするX線撮影装置
ウ 相違点:「光源の照射を制御する手段を設け,前記第一スイッチを操作し撮影準備完了状態になると同時に,光源の点灯状態を変化させる」「光源」について,本願発明では「被検者の撮影部位に,X線照射野を照準し確認」する「X線可動絞りの照射野ランプ」であるのに対して,引用発明では「第1のレーザー光照射部より」「X線装置から離れている操作者からもよく見える場所,例えば天井の平面に照射され」る「レーザー光」である点
2.裁判所の判断のポイント
「・・・本願発明は,以下の技術的意義を有しているものと認めることができる。
ア 本願発明の技術分野
本願発明は,X線可動絞りによるX線の照射野について,照射野ランプで被検者の検査部位に照準する機能を備えたX線撮影装置に関するものである。
イ 本願発明が解決しようとする課題
従来,X線撮影装置において,術者は,撮影準備完了状態になったことを装置本体の操作パネルに設けられた撮影準備完了表示灯で確認していたが,通常,撮影するときの術者は,被検者の状態を見ており,撮影準備完了状態になったことを確認するためには装置本体の操作パネル上にいったん視線を移して被検者から視線を外さなければならず,被検者の状態をよく見ながら撮影に集中することができないという問題があった。
ウ 課題を解決するための手段
本願発明は,撮影準備完了状態になると同時に照射野ランプの点灯状態を変化させるようにすること,すなわち,X線照射野を確認することを一義的な目的として設けられていた照射野ランプに,撮影準備完了状態を視覚的に知らせる機能を併せて持たせることで,術者がX線可動絞りから離れた場所で被検者の体表面に照準されたX線照射野の点灯状態の変化を確認するだけで,撮影準備完了状態を知ることを可能とすることによって,撮影準備完了状態を知るために操作パネルの撮影準備完了表示灯の点灯・消灯に視線を移すなどして被検者から視線を外さなければならないといった従来のX線撮影装置が有していた問題点を解決するものである。」
「引用例が開示する技術
以上の記載からすると,引用例は,移動形X線撮影装置において,操作者は,X線撮影時,X線被曝を防ぐため,できるだけX線装置から離れた位置で撮影しようとするところ,装置本体に設置された操作パネル上のX線照射準備が完了したことを示す表示灯が点灯しても,操作者からは見にくいという課題を解決するため,X線撮影準備完了時に,装置の設置してある部屋の天井等,操作者からもよく見える場所にレーザー光を照射することにより,装置から離れていても,操作者がX線撮影準備完了を容易に視認することを可能にするという技術が開示されている。
なお,引用例には,被検者の撮影部位にX線照射野を照準し,確認するための,「照射野ランプ」についての記載は存しない。」
「引用発明に上記3の周知技術を適用することの可否
(1) 引用発明に照射野ランプを設けることについて
引用例は,移動形X線撮影装置に関する発明であり,周知例1及び2並びに乙1文献は,いずれもX線撮影装置に関する発明であるから,技術分野は共通である。
また,X線撮影装置において,照射野ランプは,被検者の照射部位を確認するとともに,装置の操作者や看護師などの被爆を防ぐため,X線の照射範囲を確認するための構成であり,引用発明の移動形X線撮影装置に照射野ランプを設けることそれ自体は,格別の阻害事由を有するものではない。
(2) 照射野ランプに「撮影準備完了状態」を視覚的に認識させる機能を付加することについて
ア 周知技術における照射野ランプに付加された機能について
先に指摘したとおり,本願発明の出願前において,照射野ランプが点滅することなどにより,X線撮影装置の作動状態を視覚上明らかにする技術は周知であった。
しかしながら,本願発明及び引用発明は,X線撮影装置の作動状態ではなく,「撮影準備完了状態」を視覚的に認識することをその課題とするものであるところ,周知例1及び乙1文献により開示された周知技術は,いずれも照射野ランプの点灯状態の変化により,X線撮影装置の作動状態を視覚上明らかにするにとどまるものであって,照射野ランプによって「撮影準備完了状態」を視覚的に認識させることに関する技術は何ら開示されていない。周知例2についても,同様である。
イ 組合せの動機付けの有無について
引用発明は,操作者は,X線撮影時において,X線被曝を防ぐため,できるだけX線装置から離れた位置で撮影しようとすることを前提として,被検者に不安を与えることなく,操作者に撮影準備完了状態を視覚的に容易に認識させるために,操作者が頭を少し上向きにするだけで容易に視野に入る,操作者からよく見える場所である,天井などの装置の「上方」にレーザー光を当てるものである。
そのような引用発明において,X線装置の上方で,かつ,装置から離れている操作者からもよく見える場所として例示されている天井(平面)のほかに,撮影準備完了状態を視認させるレーザー光を当てる場所として,天井とは異なって,装置の上方ではなく,また,平面でもない「被検者の撮影部位」を選択することは,人体にレーザー光線を当てることによって,少なくとも「被検者に不安を与えること」が当然予想されることも併せ考慮すると,当業者にとって想到すること自体が困難であるということができる。
しかも,当業者にとって「被検者の撮影部位」を選択することが容易想到であり,さらに,レーザー光照射部をX線装置の適宜の位置に設けることについても当業者にとって容易想到であるとしても,照射野ランプとレーザー光照射部とがX線撮影装置に併設されるというにとどまり,それ以上に,X線照射野を照準し確認するための照射野ランプに撮影準備完了状態を知らせる機能を併せ持たせることによって,撮影準備完了状態を知らせるレーザー光を照射するためのレーザー光照射部を不要とすることについては,引用例は,そもそも照射野ランプの構成自体を有さない以上,何らの示唆を有するものではない。
さらに,既に指摘したとおり,照射野ランプについても,これに撮影準備完了状態を知らせる機能を併せ持たせる構成は,本願発明の出願前においては,周知ではなかったのであるから,引用発明において,撮影準備完了状態を知らせるレーザー光に代えて,照射野ランプに撮影準備完了状態を知らせる光の光源としての機能を付加する動機付けを見いだすこともできない。
ウ 被告の主張について
(ア) 被告は,「被検者の撮影部位」も,操作者からよく見える場所であるから,当業者が,X線装置から離れている操作者からよく見える照射場所として,「被検者の撮影部位」を選択し,さらに,「被検者の撮影部位」を照射するランプとして多くのX線撮影装置で採用されている周知慣用の照射野ランプを用いることは,当業者が当然に考えることにすぎないなどと主張する。
しかしながら,本願発明の出願時において,照射野ランプにX線撮影装置が作動状態にあること,すなわち,X線が照射されている状態であることを視認させるための機能を付加することは周知技術であったが,撮影準備完了状態を視認させるための機能を付加させることは周知技術ではなかったのであるから,被告の主張は,「作動状態」と「撮影準備完了状態」との相違を看過するものであって,採用することができない。
(イ) 被告は,操作者は,「被検者の撮影部位」が見やすい立ち位置に移動するであろうし,照射野ランプから被検体に照射される光の視認性が悪いのであれば,当業者は,光の色や強度等を適宜設計変更して視認性を向上させるものと予想されることなどを根拠に,置換が容易であると主張する。
しかしながら,照射野ランプに撮影準備完了状態を視認させるための機能を付加させる点についての動機付けが存在しない以上,置換後の工夫や実際の撮影時における操作者の動作の予測は,本願発明の進歩性を否定する根拠となり得るものではないから,この点に関する被告の主張も採用し得ない。
(ウ) 被告は,引用発明と照射野ランプに関する周知技術とは,「X線撮影装置」という同一の技術分野に属し,また,引用発明の移動形X線装置のように,被検者の撮影部位とX線撮影装置の照射口とが接していないX線撮影装置にあっては,あらかじめX線照射野を確認・調整できるようにする点は自明の課題であるとも主張する。
しかしながら,照射野ランプの構成を有さない引用発明に,X線照射野を確認・調整する必要から,照射野ランプを組み合わせることが容易想到であるとしても,撮影準備完了状態を視認させるためのレーザー光に代えて,その機能がない照射野ランプを用いる構成を想到することは容易でなく,被告の主張は採用することができない。」
知財高裁平成22年7月15日判決言渡
平成22年(行ケ)第10019号審決取消請求事件
1.概要
訂正審判において追加された事項が新規事項に該当すると判断された審決が取り消された。
訂正事項が「第三者に対する不測の不利益」を生じないことをひとつの理由としてし新規事項に該当しないと判断された。この点は、知財高裁平成22年1月28日判決、平成21年(行ケ)第10175号審決取消請求事件(2010年1月31日記事参照)における補正新規事項の判断と類似する。
2.訂正事項
後記のとおり,審決が判断した訂正事項は,訂正事項a(特許請求の範囲に係る部分)と訂正事項b(明細書に係る部分)である。
このうち,本件訂正後の本件特許の明細書の特許請求の範囲の請求項1の記載は,次のとおりである(下線部が本件訂正部分である。・・・)。
「【請求項1】継鉄部と,外周側が開放され内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部とに分割されるとともに,前記歯部にコイルが巻装され,かつ,前記継鉄部と歯部とが,プレス抜きの後積層されて,一体的に構成されるステータコアと,前記ステータコアをインサート成形した前記絶縁性樹脂からなるフレームと,前記フレームに嵌合固定するブラケットとを有するモールドモータにおいて,
前記コイルの巻装形状を,コイルエンドの軸方向端面の外周側を平坦面にするとともに,コイルエンドの軸方向端面の内周側にテーパを形成した台形状とし,かつ,前記フレームのコイルエンドの軸方向端部の平坦面と接する部分の厚みを薄くし,前記コイルエンドと前記ブラケットとを,肉厚のきわめて薄い樹脂製のフレームからなる細隙を介して対向させたことを特徴とするモールドモータ。」
3.審決の理由
「審決は,訂正事項aは,本件特許の明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項である「歯部」について,「内周側が連結された」とあったのを「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された」と限定するものであって,特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当・・・すると判断した。」
「・・・訂正事項aにより訂正された「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」については,本件特許明細書に記載されているとはいえず,また,本件特許明細書の記載から自明な事項であるとはいえないから,訂正事項aが,本件特許明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものとはいえない。したがって,訂正事項aは,本件特許明細書に記載した事項の範囲内においてされたものであるとは認められない。」
4.裁判所の判断のポイント
「1 はじめに
本件特許は,平成4年7月13日に出願されたものであるから,その訂正審判請求の可否は,平成6年改正前の特許法(以下「旧特許法」という。)126条1項に基づいて判断されるところ,同項には,「特許権者は,第百二十三条第一項の審判が特許庁に係属している場合を除き,願書に添付した明細書又は図面の訂正をすることについて審判を請求することができる。ただし,その訂正は,願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならず,かつ,次に掲げる事項を目的とするものに限る。
一特許請求の範囲の減縮
二誤記の訂正
三明りょうでない記載の釈明」
と規定されている。
審決は,本件訂正審判請求について,「訂正事項aは,特許明細書の特許請求の範囲の請求項1に記載した発明を特定するために必要な事項である『歯部』について『内周側が連結された』とあったのを『内周側が絶縁性樹脂を介して連結された』と限定するものであって,特許請求の範囲の減縮を目的とするものに該当」(審決書4頁15行~18行)すると認定し,本件訂正が,いわゆる訂正の目的要件に適合することを認めている(この点は,当事者間に争いはない。)。その上で,審決は,内周側が絶縁性樹脂を介して連結されたとする本件訂正が,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」のものであるか否かを判断している。
そうすると,本件訂正前の請求項1記載の発明における「内周側が連結された歯部」は,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」と「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」との両方を含んでいたことについて,本件訴訟において,当事者間に争いはないことになる。
2 「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲」の意義について
旧特許法126条1項は,訂正が許されるためには,いわゆる訂正の目的要件(本件では特許請求の範囲の減縮)を充足するだけでは足りず,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であることを要するものと定めている。法が,いわゆる目的要件以外に,そのような要件を定めた理由は,訂正により特許権者の利益を確保することは,発明を保護する上で重要ではあるが,他方,新たな技術的事項が付加されることによって,第三者に対する不測の不利益が生じることを避けるべきであるという要請を考慮したものであって,特許権者と第三者との衡平を確保するためのものといえる。
このように,訂正が許されるためには,いわゆる目的要件を充足することの外に,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であることを要するとした趣旨が,第三者に対する不測の損害の発生を防止し,特許権者と第三者との衡平を確保する点にあることに照らすならば,「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」であるか否かは,訂正に係る事項が,願書に添付された明細書又は図面の特定の箇所に直接的又は明示的な記載があるか否かを基準に判断するのではなく,当業者において,明細書又は図面のすべてを総合することによって導かれる技術的事項(すなわち,当業者において,明細書又は図面のすべてを総合することによって,認識できる技術的事項)との関係で,新たな技術的事項を導入するものであるか否かを基準に判断するのが相当である(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10563号平成20年5月30日判決参照)。
3 本件訂正について
そこで,審決が,「内周側が連結された歯部」を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とする本件訂正について,一方では,特許請求の範囲の減縮に当たることを認めた(すなわち,訂正前には,「内周側が連結された歯部」を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」と「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」の両者を含むことを認めた)上で,他方では,本件訂正が「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」に該当しないと判断した点の当否について検討する。
そして,前記のとおり,その検討に当たっては,当該明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で,何らかの新たな技術的事項を導入するものであったかどうかをみていくこととする。
・・・・
ア 本件訂正前の本件特許明細書の上記記載中の本件発明の作用・効果等の記載に照らすならば,①本件発明を特徴づけている技術的構成は,特許請求の範囲の記載(請求項1)中の「継鉄部と,外周側が開放され内周側が連結された歯部とに分割されるとともに,前記歯部にコイルが巻装され,かつ,前記継鉄部と歯部とが,プレス抜きの後積層されて,一体的に構成されるステータコアと,前記ステータコアをインサート成形した絶縁性樹脂からなるフレームと,前記フレームに嵌合固定するブラケットとを有するモールドモータにおいて」までの部分にあるのではなく,むしろ,これに続いて記載されている「前記コイルの巻装形状を,コイルエンドの軸方向端面の外周側を平坦面にするとともに,コイルエンドの軸方向端面の内周側にテーパを形成した台形状とし,かつ,前記フレームのコイルエンドの軸方向端部の平坦面と接する部分の厚みを薄くし,前記コイルエンドと前記ブラケットとを,肉厚のきわめて薄い樹脂製のフレームからなる細隙を介して対向させたことを特徴とするモールドモータ。」との部分にあると解されるところ,本件特許明細書の「内周側が連結された歯部」との構成は,前段部分に記載されていること,②そして,「歯部」は,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」のみに限定された範囲のものであったとしても,「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」を含む範囲のものであったとしても,本件発明の上記作用効果,すなわち,歯部間におけるコイルのスペースファクタを高くし,コイルの冷却を良好にすることにより,モータ特性を向上させ,モータの全長を短くするとの作用効果との関係においては,何らかの影響を及ぼすものとはいえないことが,それぞれ認められる。
イ 被告は,本件特許明細書の【図2】及び【図4】には,「歯部の内周側が絶縁性樹脂を介して連結されること」が明確に示されているとはいえない点を,本件訂正が「願書に添付された明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の訂正であることを否定する根拠としている。しかし,訂正が,上記要件を充足するか否かは,明細書の実施例に図示されているか否かという形式的な観点から判断すべきではなく,当該明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で,第三者に不測の損害を生じる可能性があると推測できるような,新たな技術的事項を導入したか否かを実質的に判断すべきであるから,被告の主張は採用の限りでない。
この点,被告は,本件において,「絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とする訂正を認めると,本件特許明細書の記載から予測できない範囲に特許権の効力が及ぶことになり,第三者に不測の損害を与えかねないと主張する。
しかし,被告は,第三者に不測の損害を与えかねないような新たな技術的事項の内容を,何ら明らかにしていないので,被告の主張は採用できない。また,審決では,本件訂正が「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものに該当すると判断しており,「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」も本件訂正前の請求項1記載の発明に含まれることを認めているのであって,本件においては,本件訂正がされたからといって,第三者に不測の損害を与える可能性のある新たな技術的事項が付加されたことを,想定することは困難である。
ウ したがって,「内周側が連結された歯部」(本件において,同構成が「内周側が絶縁性樹脂を介さないで連結された歯部」及び「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」を含むことについては,争いがない。)を「内周側が絶縁性樹脂を介して連結された歯部」とした本件訂正は,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではないというべきである。」
知財高裁平成22年7月15日判決
平成21年(行ケ)第10238号審決取消請求事件
1.概要
本事例では、進歩性を主張するために、従来技術と本発明との相違点に係る特徴による本発明の有利な効果を示す実験データ(参考資料1)を出願人(原告)が提出した。
審決では、相違点による効果が出願時明細書に何ら具体的に記載されていないので,後発的に提出された参考資料1のデータを参酌して本願発明の進歩性を判断することはできないと指摘された。
知財高裁はこの審決を取り消した。
1.1.本願発明:
「日焼け止め剤としての使用に好適な組成物であって:
a)安全で且つ有効な量の,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種;
b)安全で且つ有効な量の安定剤であって,次式,
・・・
を有し,式中,R1及びR1’は独立にパラ位又はメタ位にあり,独立に水素原子,又は直鎖もしくは分枝鎖のC1~C8のアルキル基,R2は直鎖又は分枝鎖のC2~C12のアルキル基;及びR3は水素原子又はCN基である前記安定剤;
c)0.1~4重量%の,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種;及び
d)皮膚への適用に好適なキャリア;
を含み,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種に対する前記安定剤のモル比が0.8未満で,前記組成物がベンジリデンカンファー誘導体を実質的に含まない前記組成物。」
1.2.審決の内容
(1) 審決は,本願発明と引用例Aに記載された発明(以下「引用発明」という。)との一
致点及び相違点を以下のとおり認定した。
ア 一致点
「『日焼け止め剤としての使用に好適な組成物であって:
a)安全で且つ有効な量の,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種;
b)安全で且つ有効な量のα-シアノ-β,β-ジフェニルアクリレート安定剤;及び
d)皮膚への適用に好適なキャリア;
を含み,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤の量が1%以上の場合には,前記UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種に対する前記安定剤のモル比が0.8未満で,前記組成物がベンジリデンカンファー誘導体を実質的に含まない前記組成物』である点」
イ 相違点
「本願発明は『0.1~4重量%の2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種を含む』のに対し,引用発明は『任意に通常のUV-Bフィルターを含む』とされている点」
審決は,特許法29条2項の発明の容易性について次のとおり判断した。
ア 本願の優先権主張の日の前において,「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」が代表的な「UV-Bフィルター」(UV-B吸収剤)の1つであって,既にそれを含む商品が販売され,他の公知のUV吸収剤と併用されることは,周知である。そうすると,引用例Aの「任意に少なくとも1種の通常のUV-Bフィルターを・・・含み」なる記載及び「UV-B線の濾波に使われる材料に関してはその選択に全く制限がない」なる記載に従って,「代表的なUV-Bフィルター」成分の中から「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選定することは容易である。
イ そして,その際の配合量として,引用例Aには「UV-Bフィルターが約1~約12%の量で存在する」と記載されているので,かかる範囲と重複する「約0.1~4重量%」と特定することも当業者が適宜なし得る。
ウ 本願明細書には実施例として化粧品の製造例が記載されているにすぎず,本願発明の効果については一般的な記載にとどまり,客観性のある具体的な数値データをもって記載されているものではない。また,特に「UV-Bフィルター」を「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」に特定することによる効果については,何ら具体的に記載されていない。よって,本願明細書の記載からは,格別予想外の効果が奏されたものとすることはできない。
なお,平成19年3月19日付けの審判請求理由補充書において【参考資料1】として記載された本願発明(請求項1の組成物)のSPF又はPPDに関する効果については,本願明細書には「UV-Bフィルター」を「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」に特定することによる効果が何ら具体的に記載されていないので,参酌することができない。仮にこれを参酌したとしても,SPF又はPPD値自体がUV線に対する効果の指標であるから,UV-Bフィルターとして代表的な成分の中から「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選定する際に当然その値を確認しつつ選定をするものと理解されるので,そのようなSPF又はPPDに関する効果をもって,当業者が予期し得ない格別予想外のものであるとすることはできない。
2.裁判所の判断のポイント
「審判請求理由補充書の実験結果を参酌することができないとした判断の誤りについて
(1) 審決は,本願発明が,特許法29条2項の要件を充足しないことを理由とするものである。
ところで,特許法29条2項の要件充足性を判断するに当たり,当初明細書に,「発明の効果」について,何らの記載がないにもかかわらず,出願人において,出願後に実験結果等を提出して,主張又は立証することは,先願主義を採用し,発明の開示の代償として特許権(独占権)を付与するという特許制度の趣旨に反することになるので,特段の事情のない限りは,許されないというべきである。
また,出願に係る発明の効果は,現行特許法上,明細書の記載要件とはされていないものの,出願に係る発明が従来技術と比較して,進歩性を有するか否かを判断する上で,重要な考慮要素とされるのが通例である。出願に係る発明が進歩性を有するか否かは,解決課題及び解決手段が提示されているかという観点から,出願に係る発明が,公知技術を基礎として,容易に到達することができない技術内容を含んだ発明であるか否かによって判断されるところ,上記の解決課題及び解決手段が提示されているか否かは,「発明の効果」がどのようなものであるかと不即不離の関係があるといえる。そのような点を考慮すると,本願当初明細書において明らかにしていなかった「発明の効果」について,進歩性の判断において,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは,出願人と第三者との公平を害する結果を招来するので,特段の事情のない限り許されないというべきである。
他方,進歩性の判断において,「発明の効果」を出願の後に補充した実験結果等を考慮することが許されないのは,上記の特許制度の趣旨,出願人と第三者との公平等の要請に基づくものであるから,当初明細書に,「発明の効果」に関し,何らの記載がない場合はさておき,当業者において「発明の効果」を認識できる程度の記載がある場合やこれを推論できる記載がある場合には,記載の範囲を超えない限り,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは許されるというべきであり,許されるか否かは,前記公平の観点に立って判断すべきである。
(2) 上記観点から,本件について検討する。
本願当初明細書(甲3,段落【0011】)には,本願発明の作用効果について,「本発明の組成物は,UVAを吸収するジベンゾイルメタン日焼け止め剤活性種,すでに定義された安定剤,UVB日焼け止め剤活性種,及びキャリアを含み,実質的にはベンジリデンカンファー誘導体を含まない組成物であるが,現在,驚くべきことに,本組成物が優れた安定性(特に光安定性),有効性,及び紫外線防止効果(UVA及びUVBのいずれの防止作用を含めて)を,安全で,経済的で,美容的にも魅力のある(特に皮膚における透明性が高く,過度の皮膚刺激性がない)方法で提供することが見出されている。」との記載がある。
また,本願当初明細書(甲3,段落【0025】)には,UVB日焼け止め剤活性種(UV-Bフィルター)について,「好ましいUVB日焼け止め剤活性種は,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸,TEAサリチレート,オクチルジメチルPABA,酸化亜鉛,二酸化チタン,及びそれらの混合物から成る群から選択される。好ましい有機性日焼け止め剤活性種は2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸である」との記載がある。
さらに,「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」は,並列的に記載された様々な「UV-Bフィルター」の中の1つとして公知のものである(甲2の1~9)。
以上の記載に照らせば,本願当初明細書に接した当業者は,「UV-Bフィルター」として「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を選択した本願発明の効果について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性を,より一層向上させる効果を有する発明であると認識するのが自然であるといえる。
他方,本件【参考資料1】実験の結果によれば,本願発明の作用効果は,①本願発明(実施例1)のSPF値は「50+」に,PPD値は「8+」に各相当し,従来品(比較例1~4)と比較すると,SPF値については約3ないし10倍と格段に高く,PPD値についても約1.1ないし2倍と高いこと(広域スペクトルの紫外線防止効果に優れていること),②本願発明は従来品に対して,紫外線照射後においても格段に高いSPF値及びPPD値を維持していること(光安定性に優れていること)を示しており,上記各点において,顕著な効果を有している。
確かに,本願当初明細書には,本件【参考資料1】実験の結果で示されたSPF値及びPPD値において,従来品と比較して,SPF値については約3ないし10倍と格段に高く,PPD値についても約1.1ないし2倍と高いこと等の格別の効果が明記されているわけではない。しかし,本件においては,本願当初明細書に接した当業者において,本願発明について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性をより一層向上させる効果を有する発明であると認識することができる場合であるといえるから,進歩性の判断の
前提として,出願の後に補充した実験結果等を参酌することは許され,また,参酌したとしても,出願人と第三者との公平を害する場合であるということはできない。
(3) 被告の主張に対する判断
ア 被告は,前記段落【0011】でいう「本組成物」とは,同段落が出願当初より補正されていないことからみて,本願当初明細書の請求項1に記載された「組成物」,すなわち「有機性日焼け止め剤活性種,無機性物理的日焼け止め剤,及びそれらの混合物から成る群から選択される安全で且つ有効な量のUVB日焼け止め剤」を使用した組成物を意味するものと理解されるのであって,補正後にUVB日焼け止め剤として特定された「2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸」を使用する組成物に限定された記載ではない,と主張する。
しかし,被告の主張は採用の限りでない。すなわち,平成17年5月9日付け手続補正書(甲4)により補正された段落【0012】には,「本発明は日焼け止め剤としての使用に好適な組成物に関するものであり,その際その組成物は,a)・・・b)・・・c)0.1~4重量%の,2-フェニル-ベンズイミダゾール-5-スルホン酸であるUVB日焼け止め剤活性種;及びd)・・・を含み,」と記載されているから,段落【0011】でいう「本組成物」も特許請求の範囲の請求項1に記載されたものに定義されるものと理解され,その補正の効果は出願当初に遡るのであるから,被告の前記主張は採用の限りでない。
イ また,被告は,段落【0011】の記載は,本願発明の効果についての一般的な記載に止まるものであって,本願当初明細書によっては,どの程度のSPF値やPPD値を有するかについて推測し得ないと主張する。
しかし,被告の主張は採用の限りでない。すなわち,被告の主張を前提とすると,本願当初明細書に,効果が定性的に記載されている場合や,数値が明示的に記載されていない場合,発明の効果が記載されていると推測できないこととなり,後に提出した実験結果を参酌することができないこととなる。このような結果は,出願人が出願当時には将来にどのような引用発明と比較検討されるのかを知り得ないこと,審判体等がどのような理由を述べるか知り得ないこと等に照らすならば,出願人に過度な負担を強いることになり,実験結果に基づく客観的な検証の機会を失わせ,前記公平の理念にもとることとなり,採用の限りでない。
・・・
(4) 以上のとおり,本件においては,本願当初明細書に接した当業者において,本願発明について,広域スペクトルの紫外線防止効果と光安定性をより一層向上させる効果を有する発明であると認識することができる場合であるといえるから,進歩性の判断の前提として,出願の後に補充した実験結果等を参酌したとしても,出願人と第三者との公平を害する場合であるということはできない。
本件【参考資料1】実験の結果を参酌すべきでないとした審決の判断は,誤りである。」