2016年6月26日日曜日

請求項の文言の解釈が審決と裁判所で異なった事例


知財高裁平成28年6月9日判決 平成27年(行ケ)第10126号 審決取消請求事件



1.概要

 本件は、無効審判において特許が有効と判断された審決に対する審決取消訴訟において、特許無効と判断され審決が取り消された事例である。

 被告は特許権者で無効審判の被請求人である。原告は無効審判の請求人である。

 本件発明の請求項1は以下の通り

「(請求項1)

 固体電解質シートの両表面の互いに対向する位置に一対の電極を設けてなるガスセンサ素子において,

 上記固体電解質シートは,電気絶縁性を有するアルミナ材料からなるアルミナシートに設けた充填用貫通穴内に,酸素イオン導電性を有するジルコニア材料からなるジルコニア充填部を配設してなり,

 上記一対の電極は,上記ジルコニア充填部の両表面に設けてあり,

 上記アルミナシートの両表面には,該アルミナシートよりも薄く,電気絶縁性を有するアルミナ材料からなる一対の表面アルミナ層が積層してあり,

 該一対の表面アルミナ層には,上記ジルコニア充填部の配設箇所に対応して開口用貫通穴が設けてあり,

 該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあって,該開口用貫通穴から上記電極が露出し,且つ,該開口用貫通穴の周縁部は,上記ジルコニア充填部の両表面における外縁部に重なっていることを特徴とするガスセンサ素子。」



 本件特許の請求項1の「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあって」をどう解釈するかが争われた。

 本件特許の図面(図4)には、開口用貫通穴の内周面と、電極の側面との間に隙間が形成され、電極の外周の側面が露出した図のみが開示されている。

 一方、引用文献には、開口用貫通穴の内周面と、電極の側面との間に隙間がなく密着した例が開示されている。本件特許の請求項1の「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあって」の要旨認定において、開口用貫通穴の内周面と、電極の側面との間に隙間がなく密着した場合まで含めるのかどうか(広く解釈すれば進歩性なし、狭く解釈すれば進歩性あり)が争われた。

 審決では、本件明細書において図示された実施形態(開口用貫通穴の内周面と、電極の側面との間に隙間がなく密着した例が開示されている)を重視し、発明の要旨を限定的に認定し、引用発明との相違点として認めた。

 一方、裁判所は、本件明細書において図示された実施形態を一例に過ぎないと位置づけ、文言と効果をもとに発明の要旨を広く認定した。その結果、引用発明との相違点ではないと結論づけた。



2.審決の判断

 「引用発明2の1に甲3技術を適用したものの、接着剤表面アルミナ層が、上記相違点に係る本件発明1の特定事項のうち、「該開口用貫通穴は、上記電極よりも大きな形状に形成してあ」る構成を満たすか否かについて検討する。

 本件の特許明細書の段落【0025】の「(実施例2)本例は、図4に示すごとく、アルミナシート3の両表面に、アルミナシート3よりも薄く、電気絶縁性を有するアルミナ材料からなる一対の表面アルミナ層35を積層して、固体電解質シート2を形成した例である。・・・開口用貫通穴351は、ジルコニア充填部4(充填用貫通穴31)よりも小さく、ジルコニア充填部4における電極5よりも大きな形状に形成してある。そして、ジルコニア充填部4の両表面における外縁部に開口用貫通穴351の周縁部が重なった状態において、一対の電極5を、開口用貫通穴351を介して、ジルコニア充填部4の表面に露出させておく。」という記載及び図面の図4に電極5と表面アルミナ層との間に隙間が存在することが示されていること、並びに、ガスセンサ素子において、電極はできる限り広い面積で測定ガスに接することが好ましいことが技術常識であることを勘案すると、本件発明1の「該開口用貫通穴は、上記電極よりも大きな形状に形成してあって、」は、電極の側面が露出する程度に開口用貫通穴は電極よりも大きな形状に形成してあることを特定するものと理解するのが相当である。

 してみると、第1電極404及び第2電極406の側面に接する接着剤表面アルミナ層は、「該開口用貫通穴は、上記電極よりも大きな形状に形成してあ」る構成を満たしているとはいえない。



3.裁判所の判断のポイント

「本件アルミナ接着剤層が,相違点に係る本件発明1の構成のうち,「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成を満たすか否かについて検討する。

 a 本件審決は,本件発明1の表面アルミナ層に設けられた開口用貫通穴は「上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成について,電極の側面が露出する程度に開口用貫通穴が電極よりも大きな形状に形成してあることを意味すると解釈した上で,本件アルミナ接着剤層は,第1電極404及び第2電極406の側面に接して形成されているから,「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成を満たさない旨判断した。

   しかしながら,以下に述べるとおり,本件審決の上記判断は誤りである。

   本件特許の特許請求の範囲の請求項1においては,表面アルミナ層に設けられた開口用貫通穴と電極との大きさの関係について, 「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあって」とされるのみであり,「電極よりも大きな形状」の意義について,電極の側面が露出する程度のものでなければならないことを示す記載はない。

    この点について,被告は,「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状」とは,開口用貫通穴の内面が電極の外面より大きいことを意味し,そうである以上,その間に隙間が必然的に生じ,電極の側面が露出することは明らかである旨主張する。しかし,表面アルミナ層の開口用貫通穴の側面とその内側に配置される電極の側面が隙間なく接する構成(電極の側面が露出しない構成)においても,開口用貫通穴の内側に電極が配置されるものである以上,開口用貫通穴の内周は,電極の外周よりも大きな形状となっているはずである。なぜなら,開口用貫通穴の内周と電極の外周が全くの同一形状であるとすれば,開口用貫通穴の内側に電極を配置することは物理的にできないはずだからである。 したがって,開口用貫通穴の大きさについて,「電極よりも大きな形状」との文言から直ちに「電極の側面が露出する程度」のものであるとの解釈が導き出されるものではなく,本件発明1に係る特許請求の範囲の記載から,本件審決の上記解釈が根拠付けられるものとはいえない。

⒝ 次に,本件明細書の発明の詳細な説明の記載をみると,実施例2に関して,「本例は,図4に示すごとく,アルミナシート3の両表面に,アルミナシート3よりも薄く,電気絶縁性を有するアルミナ材料からなる一対の表面アルミナ層35を積層して,固体電解質シート2を形成した例である。…開口用貫通穴351は,ジルコニア充填部4(充填用貫通穴31)よりも小さく,ジルコニア充填部4における電極5よりも大きな形状に形成してある。」との記載があり,図4のガスセンサ素子の断面図では,表面アルミナ層の開口用貫通穴351の内周と電極の外周との間に隙間が形成されている態様が示されていることが認められる。

  しかしながら,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件発明1について,表面アルミナ層の開口用貫通穴が電極の側面が露出する程度に電極よりも大きな形状であることを要する旨の記載はなく,ガスセンサ素子の早期活性化と共に,強度向上を図ることができること及びジルコニア充填部が充填用貫通穴内から抜け出してしまうことを防止することとの関係からみても,電極の側面が露出する態様のものに限定されるべき理由はない。

  他方,図4に示されたガスセンサ素子は,実施例の一態様を示すものにすぎないから,当該図面に表面アルミナ層の開口用貫通穴351の内周と電極の外周との間に隙間が形成されている態様が示されているからといって,直ちに本件発明1の構成が当該態様のものに限定されると解すべきものとはいえない。

⒞ さらに,本件審決は,「ガスセンサ素子において,電極はできる限り広い面積で測定ガスに接することが好ましいことが技術常識であること」を前記解釈の根拠とする。

  しかしながら,上記のような技術常識があるからといって,本件発明1のガスセンサ素子における電極が,常にその上面のみならず側面まで露出するものであることを要するとの解釈が直ちに導き出されることにはならない。

 ⒟ 以上によれば,本件発明1の表面アルミナ層に設けられた開口用貫通穴は「上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成について,電極の側面が露出する程度に開口用貫通穴が電極よりも大きな形状に形成してあることを意味するとした本件審決の解釈は,根拠を欠くものであって誤りであり,これを前提とする本件審決の前記判断も誤りというべきである。

b 上記aで検討したところによれば,本件発明1における「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成には,電極の側面が露出する程度に開口用貫通穴が電極よりも大きな形状に形成してある 表面アルミナ層の開口用貫通穴の側面とその内側に配置される電極の側面が隙間なく接しているものも含まれると解すべきである。

   してみると,本件アルミナ接着剤層が第1電極404及び第2電極406の側面に接して形成される態様は,相違点に係る本件発明1の構成のうち,「該開口用貫通穴は,上記電極よりも大きな形状に形成してあ」るとの構成を満たすものといえる。」


2016年5月28日土曜日

特許権侵害訴訟において被告製品が構成要件を充足の有無が特定できないとされた事例


東京地裁平成28年4月27日判決言渡
平成25年(ワ)第30799号 特許権侵害差止請求事件           

1.概要
 本事例は、原告が有する特許権に基づく被告に対する侵害差止請求訴訟の第一審において、本件特許発明における「球形の相」という構成を侵害被疑物品(被告製品)が充足しているか否かが特定できる十分な立証がされていないことを理由に原告の請求を棄却した事例である。
 本件特許発明は所定の組成の金属からなるスパッタリングターゲットに関するものであり、所定の寸法の「球形の相」が金属素地中に分散していることを特徴としている。
 原告は、被告製品1のスパッタリングターゲットの組織片を研磨した表面の顕微鏡観察写真等を証拠として、写真において円形の相として現れる「球形の相」が含まれることと、それが所定の寸法を有することの立証を試みた。
 しかし裁判所は、表面の写真で円形の相であるからといってそれが球形の相であるとは特定できないと判断し、侵害の立証がされておらず原告の請求に理由がないと結論づけた。
 侵害被疑物品において侵害発見が容易な特徴により発明を特定することの重要性を理解するうえで参考になる事例である。

2.本件特許発明の構成
 原告が有する特許権に係る本件特許発明の構成要件は次の通り分説することができる。
 A Crが20mol%以下,Ptが5mol%以上30mol%以下,残余がCoである組成の金属からなるスパッタリングターゲットであって, 
 B このターゲットの組織が,金属素地(A)と, 
 B-(1) 前記(A)の中に,Coを90wt%以上含有する長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相(B)を 
 B-(2) 前記ターゲットの全体積又は前記ターゲットのエロージョン面の面積の20%以上有し, 
 B-(3) 前記球形の相(B)は,研磨面を顕微鏡で観察したときに前記金属素地(A)で囲まれている 
 C ことを特徴とする強磁性材スパッタリングターゲット。 

3.裁判所の判断のポイント
「2 争点(2)(被告製品1は本件特許発明の技術的範囲に属するか)について
(1) 構成要件B-(1)及び同B-(2)の充足性について
ア 構成要件B-(1)及び同B-(2)の文理解釈について
・・・・
被告製品1が構成要件B-(1)及び同B-(2)を充足するというためには,被告製品1のターゲット中に存在する①「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」(以下,単に「球形の相」ということがある。)を特定できること,②上記①の球形の相が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されること,及び③上記①の球形の相の量が「ターゲットの全体積又はエロージョン面の面積の20%以上」であることが立証されることが必要である。

イ 被告製品1において「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定できるかについて
・・・・
(イ) 本件明細書の上記(ア)の記載によれば,「球形」とは,「真球,擬似真球,扁球(回転楕円体),擬似扁球を含む立体形状」であって,「外周部に多少の凹凸があっても」よく,「その中心から外周までの長さの最小値に対する最大値の比が2以下」であればよいとされていることは,理解し得るものの,実施例及び比較例について具体的に記載されているのは,ターゲット研磨面の観察結果(二次元的な確認)にとどまる。本件明細書を精査しても,本件特許発明にいう「金属素地(A)」の中に存在するとされる「相(B)」の立体形状が,実際に「球形」であることを確認する方法が明らかにされているとは認め難く,実施例及び比較例について「相(B)」の立体形状の観察結果(三次元的な確認)を得た旨の記載も見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができるか否かは,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(ウ) 原告は,原告の従業員が被告製品1を分析した結果であるとする平成25年3月8日付け実験結果報告書(甲5。以下「甲5報告書」という。)に記載された実験(以下「甲5実験」という。)により,同報告書の図6と同じ位置のレーザー顕微鏡写真(図8)を得て,画像処理し(図9),a,b,d,e,f,h,l,mの各相の面積,長径,短径を測定し(表3),長径と短径の差が0~50%であることを確認した旨主張する。
 しかし,構成要件B-(1)が規定するのは,「球形の相」,すなわち「立体形状」が「球形」である「相」における「長径及び短径」並びに「直径」の数値範囲であるところ,証拠(乙32)によれば,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相であっても,当該相の立体形状がいかなるものであるは不明であり,当然に「球形」であるといえるものではないことが認められる。
 また,上記の点を措き,ターゲットの断面(一水平面)において「円形」に観察される相の立体形状が「球形」であると仮定しても,上記証拠によれば,同断面が球の中心を通るのか否か,通らない場合にはどの程度中心から外れているのかは,不明であるというほかはなく,同断面において「円形」に観察される相について行った測定結果に基づいて,当該相が「球形」である場合の「直径」を近似的に求めることはできないものと認められる。
 この点,本件明細書において,前記(ア)のとおり「球形そのものを確認することの比が2以下であることを目安としてよい。」(【0026】)とされていることに鑑み,ある相の断面が上記要件を充たすことをもって,構成要件B-(1)にいう「長径と短径の差が0~50%」の「球形の相」であると推認することが許されないではないとしても,そのことをもって,直ちにその相の「直径が30~150μmの範囲にある」ことまで推認されるということはできない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1における「長径と短径の差が0~50%であって直径が30~150μmの範囲にある球形の相」が特定されたということはできない。
・・・
(オ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することは,困難というべきである。

ウ 被告製品1において「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか
(ア) 上記イのとおり,被告製品1において,「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある球形の相」を特定することができない以上,そのような「球形の相」が「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されることはあり得ないところであるが,事案に鑑み,仮に,原告の主張に係る「球形の相」が「長径と短径の差が0~50%であって,直径が30~150μmの範囲にある」ものとして,「Coを90wt%以上含有する」と認められるか否かについて,検討する。
・・・・
(ウ) 本件明細書の上記記載によれば,本件特許発明は,漏洩磁束が向上するターゲットを実現するため,「球形の相(B)」のCoの濃度を高め,周囲の組織より最大透磁率を高くし,ターゲット内部の磁束に密な部分と疎な部分を生じさせたターゲット組織構造を調整したものであると解される。
 そうだとすれば,構成要件B-(1)にいう「Coを90wt%以上含有する」「球形の相(B)」とは,「球形の相(B)」の中に「Co含有量が90wt%以上」の部分が少しでもあれば足りるというものではなく,「球形の相(B)」全体として「Co含有量が90wt%以上」であることが必要であるというべきである。
 なお,本件明細書には,Co含有量の測定方法に関し,「なお,相(B)のCo含有量は,EPMAを用いて測定することができる。また,他の測定方法の利用を妨げるものではなく,相(B)のCo量を測定できる分析方法であれば,同様に適用できる。」(【0024】)との記載があり,実施例1,2について,ターゲットの研磨面の光学顕微写真及びEPMAの元素分布画像が示されている(前記イ(ア)で引用した【0044】,【0045】,【0053】,【0054】参照)。
 しかし,本件明細書を精査しても,球形の相(B)におけるCo含有量の測定方法について,より具体的な説明がされた箇所は,見当たらない。
 したがって,被告製品1において,「球形の相」が,全体として,「Coを90wt%以上含有する」ことが立証されたといえるか否かについては,当業者の技術常識を踏まえて判断するほかはない。
(エ) 原告は,甲5報告書の表2をもって,被告製品1における「Coを90wt%以上含有する球形の相」の分析結果である旨主張する。
 甲5実験は,被告製品1からサンプリング箇所を切り出し試験片とし,その表面をペーパーで研磨した後,バフ研磨し,試験片の球形相をEPMAを用いて,下記に引用する甲5報告書の図6のaないしmのアルファベット部分に電子線を照射してCo含有量を測定したものであり,その結果,下記のa,b,d,e,f,h,l,mの「球形の相」については,Coの含有量が90wt%以上あったとするものである。
 しかし,甲5実験におけるaないしmの「球形の相」のCo含有量については,電子線が照射された箇所(測定箇所)が,それぞれの「球形の相」のどの部分に当たるかが明確でないし,それぞれ1つの測定値しか示されていないのであるから,各測定値をもって,各「球形の相」の全体のCoの濃度とみることは,相当とは言い難い。
 この点,原告は,仮に,ある「球形の相」について,Co濃度が90wt%以上として測定された箇所が立体形状として中心付近とはいえない場合,中心付近のCo濃度は,測定箇所より高濃度であると合理的に推認されるから,いずれかの測定箇所で「Coを90wt%以上含有する」と評価できれば,それで足りる旨主張する。しかし,逆に,その測定箇所が立体形状として中心付近であった場合には,周囲部分のCo濃度は,測定値よりも低くなることが当然予想されるのであって,甲5実験においては,「球形の相」の中のCoの濃度分布(三次元分布)が具体的にどのようなものなのかが明らかとされていない以上,それぞれの「球形の相」について,一つの測定箇所の測定値が90wt%以上であったとしても,直ちに「球形の相」全体として「Coを90wt%以上含有する」ことが合理的に推認されることにはならない。
 したがって,甲5実験によっては,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(オ) 原告は,甲53分析に基づく主張もする。
 しかし,同分析によっても,上記(エ)と同様の理由により,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたということはできない。
(カ) 以上のほか,原告が縷々主張するところを踏まえても,被告製品1において,「Coを90wt%以上含有する」「球形の相」が存在することが立証されたとみることは,困難というべきである。
・・・・
カ まとめ

以上によれば,被告製品1が構成要件B-(1),同B-(2)を充足することの立証はないというべきであるから,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。」

2016年5月22日日曜日

引用文献の構成が、その目的を考慮して、変更することが容易でないと判断された事例


知財高裁平成28年5月11日判決言渡

平成27年(行ケ)第10122号 審決取消請求事件



1.概要

 本事案は、進歩性欠如を理由とする拒絶審決を不服とした特許出願人による審決取消訴訟において、拒絶審決に違法性があり取り下げられた事例である。

 本願発明と引用発明1との相違点が、引用例2に記載されているか否かが争われた。裁判所は、引用例2の構成を変更して相違点に係る発明とすることが容易であったと主張する特許庁の主張を退けた際の理由づけとして、引用例2が目的とする機能を損なうことになる変更はできないと判示した.
2.本願発明と、引用発明との一致点相違点

 本願発明(下線は強調のために追加)

【請求項1】光学的放射線を少なくとも1つの生物組織に加えるための装置であって,/化学反応に基づいて前記放射線を発生させるように構成された放射線装置,および,水フィルターを備え,/前記放射線装置は,封止された筐体および前記筐体の内部に設けられた可燃性材料を備え,/前記封止された筐体の外側表面の一部は,前記生物組織に接するように構成され,/前記水フィルターは,前記可燃性材料と前記封止された筐体の外側表面の一部との間に設けられ,/前記水フィルターは,前記光学的放射線の一部を濾光し,且つ,前記生物組織を冷却するために構成され,/前記光学的放射線は,前記少なくとも1つの生物組織の少なくとも一部に生物学的影響をもたらす装置。



 引用発明1

 引用例1に記載の引用発明1においては,本願発明の水フィルター以外の構成の装置が記載されており、水フィルターの代わりにプリズムが記載されている。引用発明1のプリズムは、光学的放射線の一部を濾光するものではあるが、生物組織を冷却するものであるかまでは不明である点で相違する。



 引用発明2

 引用例2に記載の引用発明2においては、患者の皮膚の処置のため,ランプからの光を導波管を通じて患者の皮膚へ向けるための装置において,光スペクトルのフィルター処理を行なうためにフィルター6を設け,フィルター6を液体水フィルターとすることが記載されている。引用例2では、この液体水フィルターをランプの冷却に使用することは記載されているが、この液体水フィルターを皮膚(生体組織)を冷却するために使用することは記載されていない。



3.特許庁の意見

「原告は,引用例2に別途設けられている皮膚を冷却するための機構においては,大きな導波管が用いられ,皮膚を冷却するためにかなり大きい負の熱量が供給されるように構成されており,薄いフィルター6中に存在するわずかな氷では,上記導波管を挟んで反対側にある皮膚を冷却するには不十分である旨主張する。

 しかし,液体水フィルター等の冷却手段による冷却能力は,光の強さ,光の照射時間,導波管の長さ,導波管の熱容量,液体水フィルターの温度,治療開始時の導波管の温度等に依存するものであるから,当業者であれば,液体水フィルターによって患者の皮膚を冷却する効果を実現するために必要な設計変更を行うことは可能なはずである。」



4.裁判所の判断のポイント

「被告は,液体水フィルター等の冷却手段による冷却能力は,光の強さ,光の照射時間,導波管の長さ,導波管の熱容量,液体水フィルターの温度,治療開始時の導波管の温度等に依存するものであるから,引用発明2のフィルター6を液体水フィルターとした場合,当業者であれば,液体水フィルターによって患者の皮膚を冷却する効果を実現するために必要な設計変更を行うことは可能である旨主張する。

 この点に関し,引用例2において,液体水フィルターについては,「厚さ1~3mmの液体水フィルターが使用され得」ると記載されており(【0077】),前記⑴ウ(ウ)のとおり,そのように薄く広げられた水が導波管の冷却を介して皮膚を冷却する効果をもたらすとは必ずしもいい難い。しかし,水に入射した光の透過率は水の層が厚くなるほど低下することに鑑みると,上記厚さは,皮膚の美容及び医療の皮膚科学処置という装置Dの目的(【0019】)を達成するのに必要な光の量を確保する観点から定められたものとみることができるから,皮膚を冷却するために液体水フィルターをより厚いものにすると,光の透過率が低下し,上記目的を達成する装置Dの機能を損なう結果になる。よって,当業者において,原告主張に係る設計変更を行うことが可能であると直ちにいうことはできない。」

2016年5月8日日曜日

公用発明を引用例とする場合の技術的意義の推認、阻害要因の認定


知財高裁平成27年4月28日判決

平成25年(行ケ)第10263号 審決取消請求事件



1.概要

 本件は、発明の名称「蓋体及びこの蓋体を備える容器」とする特許第4473333号に対する無効審判審決(特許維持)についての審決取消訴訟の高裁判決である。原告は無効審判請求人、被告は特許権者である。

 主引用例である引用例1として、市販の蓋付き容器(判決中「クレハ容器」と呼ばれる)が引用された。

 争われた無効理由は、引用例1の市販容器と、公知文献である甲6~8に開示された構成との組み合わせにより本件発明が容易想到可能か否かである。

 知財高裁は、引用例1の市販容器における本件発明との相違点に係る特徴の技術的意義を推認した。そして推認された技術的意義に鑑みて、引用例1での前記特徴を本件発明の特徴に置換することには阻害要因があり、容易想到可能とは言えないと結論付けた。

 特許公報が引用例であれば、引用例中の記載を根拠として公知発明の特徴での技術的意義を把握することができる。一方、引用例が公知公用発明の場合、特徴的構成の技術的意義は推認する以外にない。引用例が公知公用発明であるケースが少ないなか、参考になる貴重な事例と考える。



2.本件発明1

A.食材を収容するとともに該食材を加熱可能な容器の胴体部の開口部を閉塞する蓋体であって,

B.前記蓋体の外周輪郭形状を定めるとともに,前記容器の前記開口部を形成する前記容器の縁部と嵌合する周縁領域と,

C.該周縁領域により囲まれる領域内部において,隆起する一の領域を備え,

D.前記一の領域は,前記容器内の流体を排出可能な穴部と,該穴部を閉塞可能な突起部を備えるフラップ部を備え,

E.該フラップ部は,前記一の領域に一体的に接続する基端部を備えるとともに,該基端部を軸に回動し,

F. 前記フラップ部の先端部は,前記周縁領域の外縁に到達しておらず,

G.前記フラップ部の前記基端部が,前記フラップ部の前記先端部よりも前記蓋体の中心位置から近い位置に配され,

H.前記一の領域が,前記フラップ部の少なくとも一部を収容する凹領域を備え,

I.前記凹領域は前記一の領域上面の周縁部に接続していることを特徴

とする

J.蓋体。



3.本件発明1とクレハ容器(引用例1)との対比

   (ア) 一致点

A.食材を収容するとともに該食材を加熱可能な容器の胴体部の開口部を閉塞する蓋体であって,

B.前記蓋体の外周輪郭形状を定めるとともに,前記容器の前記開口部を形成する前記容器の縁部と嵌合する周縁領域と,

C.該周縁領域により囲まれる領域内部において,隆起する一の領域を備え,

D.前記領域内部は,前記容器内の流体を排出可能な穴部を備え,該穴部を閉塞可能な突起部を備えるフラップ部と係合可能であり,

E. 該フラップ部は,基端部を備えるとともに,該基端部を軸に回動し,

F. 前記フラップ部の先端部は,前記周縁領域の外縁に到達していない,

J.蓋体。

   (イ) 相違点1

  一の領域,凹領域について,本件発明1では「一の領域が,フラップ部の少なくとも一部を収容する凹領域を備え,凹領域は一の領域上面の周縁部に接続している」が,クレハ容器では「凹領域は一の領域上面の周縁部に中間領域を介して接続し」,凹領域に「凹部」を備えるものである点。

(ウ) 相違点2

  穴部について,本件発明1では「一の領域」が「穴部」を備えるのに対し,クレハ容器では「凹領域」が「穴部」を備える点。

(エ) 相違点3

  フラップ部について,本件発明1では,「一の領域」に備えられ,その「基端部」が「一の領域に一体的に接続」され,「基端部」が「フラップ部の前記先端部よりも前記蓋体の中心位置から近い位置に配され」,「先端部」が「周縁領域の外縁に到達していない」ものであるのに対し,クレハ容器では,その「基端部」が「フタの周縁領域から外方に突出する摘み部に一体的に接続」され,「基端部」が「フラップ部の前記先端部よりも前記蓋体の中心位置から遠い位置に配され」,「先端部」が「凹部の外縁に到達していない」ものである点。



4.判決のポイント

「取消事由1-(1) (本件発明1とクレハ容器との相違点3についての判断の誤り)について

(1) 本件発明1に係る取消事由1-(1)について検討する。

   ア(ア) 原告は,クレハ容器が有する技術的問題点に照らせば,当業者は,フラップが蓋体に一体的に形成されているというクレハ容器の特長は維持したまま,①フラップの位置を蓋体の周縁部から中央付近に変更する必要があるという課題と,②フラップの向きを外開きに変更する必要があるという課題を同時に認識するところ,甲6~8には上記課題を解決する手段が開示されているから,クレハ容器に甲6~8を組み合わせる強い動機付けが存在し,かつ,甲6~8を組み合わせることには阻害要因がないから,相違点3に係る構成は容易想到である旨主張する。

    (イ) そこで検討するに,クレハ容器は,食材を収容するとともに,フタをつけたまま電子レンジ等で食材を加熱するための容器であって,穴部は,加熱の際に容器内で食材から発生する蒸気を放出するための穴であり,穴部を閉塞する突起部及び突起部を備える開閉部材は,容器内の食材を保存するときには,穴部を閉塞し,容器内部環境の衛生状態を維持するとともに,食材を加熱するときには,穴部を開けて容器内の水蒸気や膨張した空気を容器外へ排出するためのものであり,また,クレハ容器は,フラップが蓋体と一体的に形成されているため,フラップが別体で形成されていた従来のものと比べて,フラップ部が本体から分離して紛失するという事態を防止することができるものである(前記2,甲3,検甲1,弁論の全趣旨) 。

      そして,クレハ容器は, 「該開閉部材は,前記フタの周縁領域から外方に突出する摘み部に一体的に接続する,細くかつ薄く形成された部分を備えるとともに,該細くかつ薄く形成された部分を軸に回動し」(前記第2の3(2)アの構成e)との構成を採用しており,従来のフラップ付きの容器において,フラップ部が蓋体周縁部の内側に板状のものとして形成されているのが一般的であったことと対比して,フラップ部が外方に突出しており,かつ,フラップ部の断面形状が Ω 形状に形成されている点に,従来のフラップ付きの容器とは異なる特徴的な構成を見ることができる(本件明細書の段落【0004】,【0005】,甲3,205,検甲1) 。

      このように,クレハ容器が「前記フタの周縁領域から外方に突出する摘み部に一体的に接続する,細くかつ薄く形成された部分」(ヒンジ部分)が容器の外側に突出している構成を採用しているため,ヒンジ部分が他の物体と衝突して破損するおそれがある,フラップ部分を開けたときに外方向に大きく広がるため余計なスペースをとる,フラップ部分を洗浄しにくいなどの使用上の不都合等の問題点が生じ得るものということができる(弁論の全趣旨)。

    (ウ) しかるに,かかる使用上の不都合等の問題点が生じ得るにもかかわらず,クレハ容器が,「該開閉部材は,前記フタの周縁領域から外方に突出する摘み部に一体的に接続する,細くかつ薄く形成された部分を備えるとともに,該細くかつ薄く形成された部分を軸に回動し」(前記第2の3(2)アの構成e)との構成を採用したのは,従来のフラップ付きの容器でフラップ部が蓋体周縁部の内側に形成されているものを製造するに当たっては,蓋とフラップとを2段階成形プロセスで製造することが必要であったが(本件明細書の段落【0007】~【0010】 ),可動型の金型を用いるなど複雑な金型ではなく,金型の構造を単純なものとして製造可能とするために,フラップを外方に突出させてフラップ部を水平に広げた状態で製造できるよう,あえてかかる構成を採用したものであると推認するのが相当である。そして,固定型と可動型による一体成形技術(甲208~210)自体が,本件優先日当時,公知技術として広く使用されていたとしても,クレハ容器においては,固定型と移動型の双方の金型を必要とすることなく,金型の構造を単純なものとして一体成形可能としたところに,その技術的意義を有するものと認めることができる。

      そうすると, 「該開閉部材は,前記フタの周縁領域から外方に突出する摘み部に一体的に接続する,細くかつ薄く形成された部分を備えるとともに,該細くかつ薄く形成された部分を軸に回動し」との構成をあえて採用することによって,上記技術的意義を有するクレハ容器について,フラップの位置を蓋体の周縁部から中央付近に変更することや,フラップの向きを外開きに変更する動機付けがないというべきであって,ひいては,原告主張に係る甲6~8を適用する動機付けが存在するということもできない。

      したがって,原告の上記主張は採用することができない。」

2015年8月22日土曜日

特許請求の範囲での「略(ほぼ)」の明確性が争われた事例

知財高裁平成27年7月28日判決
平成26年(行ケ)第10243号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、特許無効審判不成立(特許は有効)の審決に対する審決取消訴訟において、審決は適法とされた事例である。
 争点の1つが、「略水平」、「略一周」という特徴を含む特許請求の範囲の記載が明確性要件(特許法36条6項2号)違反に該当するか否かである。
 審決、裁判所ともに不明確とはいえず明確性要件は満足すると判断した。

2.本件発明1
 【A】大便器のリム直下でボウル内面に沿って略水平にボウル部の後方側部より前方に洗浄水を供給する1つのノズルと,
【B】洗浄水をボウル全周に導くボウル内面に沿った棚と,この棚の上方に設けられたリム部と,を備えた大便器装置において,
【C】前記リム部は前記棚から上方に向けて内側に張り出すオーバーハング形状となっており,
 【D1】前記棚は,前記ボウル部の側部では略水平で
【D2】且つ前記ボウル部の前方部ではボウル部中央に向かって下方に傾斜し,
【E】前記ノズルから噴出した洗浄水が前記棚に沿って略一周を旋回するように構成されている
【F】ことを特徴とする大便器装置。

3.裁判所の判断のポイント
3.1. 「略水平」について 
 原告は,本件発明1~3の「略水平」との用語が不明確であり,かつ,本件発明1~3が本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではない旨を主張する。
 しかしながら,「略水平」とは,当該技術分野の平均的な技術水準において,棚を 水平を保ったということであり,なるべく水平な状態にしたとか,ほぼ水平であるといった程度の意味ととらえらるから,それ自体として直ちに不明確なものとはいえない。また,本件明細書には,棚をほぼ水平にした実施例(これが厳密な意味で傾斜が0度あるか否かは定かではないが,水平又はほぼ水平(「略水平」)であることは,図面から明らかである。)が記載されているから(【0014】【0017】【0019】【0020】【図2】【図9】),本件発明1~3が,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではないともいえない。
 また,原告は,「略水平」が何度までの傾斜を許容するものであるか不明確である旨を主張する。 しかしながら,本件発明1は,上記1(1)に認定のとおりであり,側部の棚を「略水平」にしたのは,曲率が比較的小さく遠心力が大きくない側部においては,棚を傾斜させるまでもなく,水平又はほぼ水平のままに,洗浄水の一部を自然とボウル部に適宜落下させれば足りるとしたものと理解できるから,「略水平」は,積極的に棚を傾斜させようとするものではないと認められる。そうであれば,当業者は,その技術水準に従い,棚は,なるべく又はほぼ水平であればよいと理解するのであり,それ以上に棚の傾斜の限界を認識しなければならない必要はない。
 原告の上記主張は,採用することができない。

3.2.「略一周」について
 原告は,本件発明1の「略一周」との用語が不明確であり,かつ,本件発明1は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではない旨を主張する。 
 しかしながら,「略一周」とは,洗浄水が棚に沿って便器内おおむね一周させるといった程度の意味ととらえられるから,それ自体として直ちに不明確なものとはいえない。また,本件明細書には,ノズル21より吐水された洗浄水が,棚14に沿って反時計回りに大便器内を流れながら,ボウル部11に流下する様子が記載されているから(【0015】【0018】【0020】【図1】【図8】),本件発明1が,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されたものではないともいえない。
 原告の上記主張は,採用することができない。

医薬用途が引用文献から認識できるか否かが争われた事例

知財高裁平成27年8月20日判決
平成26年(行ケ)第10182号審決取消請求事件

1.概要
 進歩性欠如を理由とする拒絶審決に対する審決取消訴訟において審決が取り消された事例である。
 本願補正発明は
 「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリドを含んで成る,うつ症状の改善のための医薬組成物。」
 である。
 引用例2は特許文献であり、その特許請求の範囲には「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリドを含有するトリグリセリドを含んで成る,脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患の予防又は改善作用を有する医薬組成物」に記載されており、発明の詳細な説明では「脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患」について,「加齢に伴う」脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患として,「記憶・学習能力の低下,認知能力の低下,感情障害(たとえば,うつ病),知的障害(たとえば,痴呆,具体的にアルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆)」が記載されている。すなわち、形式的には「うつ病の改善」も「脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患の改善」も引用例2に記載されている。 
 引用例2の実施例3では加齢に伴う脳機能の低下に起因する症状の一つである「記憶・学習能力の低下」にアラキドン酸含有トリグリセリドが有効であることを示す動物試験結果が示されている。
 審決では、本願補正発明と、引用例2に記載の発明(引用発明2)との一致点を「脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリドを含んで成る,脳機能の低下に起因する症状の改善のための医薬組成物」と認定し、相違点を、「脳機能の低下に起因する症状の改善のための」について,本願補正発明では,「うつ症状の改善のための」と特定しているのに対し,引用発明2ではそのような表現では特定されていない点であると認定した。そのうえで技術常識などから引用例2に記載された事項からうつ病の改善効果は推認できるため本願補正発明は進歩性なしと判断した。
 知財高裁は、引用例2に記載されているのは「脳機能の低下に起因する記憶・学習能力の低下の予防又は改善作用」であると認定し、「うつ病の改善」に関する本願補正発明は容易には想到できないと判断した。
 本事例は文献中のいわゆる一行記載(具体的な裏づけを伴わない効能の記載)の引用発明適格性を考えるうえでも参考になる。

2.裁判所の判断
2.1.引用例2に記載された事項についての認定
 引用例2の実施例3では,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」に相当するTGA40S(全脂肪酸に占めるアラキドン酸の割合が40.84質量%)を3ヶ月間老齢ラットに与えたところ,モリス型水迷路試験における記憶・学習能が,若齢ラットのレベルに向かって有意に改善し(【0050】,【0052】~【0055】,図3,図5),モリス型水迷路試験に供した老齢ラットから摘出した海馬組織のアラキドン酸含有量が多いほど,記憶・学習能が高くなっていたことが確認されている(【0058】,図6)。
 これは,加齢に伴う脳機能の低下に起因する症状の一つである「記憶・学習能力の低下」が,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」により改善されたことを意味するものと認められる。

2.2.「記憶学習能力の低下」と「うつ病」との関連性についての認定
 記憶・学習能力の低下を改善する薬が,うつ病をも改善するとの効果を有するとの技術常識が,本願出願日当時に存在していたと認めることはできない。
 記憶・学習能力に関する評価法であるモリス型水迷路試験から,抑うつ様症状が評価できるとの技術常識があったと認めることもできない。
 引用例2に接した当業者は,引用例2の実施例3の老齢ラットのモリス型水迷路試験の結果に基づいて,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」を用いることにより,「記憶・学習能力の低下」が改善されることは認識できるものの,さらに「うつ病」が改善されることまでは認識することができないというべきであって,まして,「うつ病」を含む様々な症状や疾患が含まれる「脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患」全体が改善されることまでは認識できないというべきである。
 引用例2に記載された発明は,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリドを含有するトリグリセリドを含んで成る,脳機能の低下に起因する記憶・学習能力の低下の予防又は改善作用を有する医薬組成物。」(以下「引用発明2’」という。)と認定すべきである。

2.3.本願補正発明と引用発明2’との対比
 本願補正発明と引用発明2’との一致点及び相違点は,次のとおりである。
ア 一致点
 構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリドを含んで成る医薬組成物。
イ 相違点
 本願補正発明は,「うつ症状の改善のため」のものであるのに対し,引用発明2’は,「記憶・学習能力の予防又は改善作用を有する」ものである点(以下「相違点α’」という。)。

2.4.相違点α’に係る容易想到性について
 確かに,引用例2の【請求項1】~【請求項16】,【0012】,【0017】には,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」を用いて,「脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患」の予防又は改善を行うことが記載され,当該症状あるいは疾患として,「記憶・学習能力の低下,認知能力の低下,感情障害(たとえば,うつ病),知的障害(たとえば,痴呆,具体的にアルツハイマー型痴呆,脳血管性痴呆)」等が記載さ
れている。
 しかし,前記(2)ウのとおり,引用例2に接した当業者は,引用例2の実施例3の老齢ラットのモリス型水迷路試験の結果に基づいて,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」を用いることにより,「記憶・学習能力の低下」が改善されることは認識できるものの,さらに「うつ病」が改善されることまでは認識できないというべきである。
 そして,前記(2)イ(オ)のとおり,うつ病と,記憶障害が中核症状である認知症とは,その病態が異なり,本願出願日当時,記憶・学習能力の低下を改善する薬が,うつ病をも改善するとの効果を有するとの技術常識が存在していたとは認められないことからすれば,引用例2に接した当業者が,引用例2に記載された「脳機能の低下に起因する症状あるいは疾患」に含まれる多数の症状・疾患の中から,特に「うつ病」を選択して,「構成脂肪酸の一部又は全部がアラキドン酸であるトリグリセリド」を用いて,うつ病の症状である「うつ症状」が改善されるかを確認しようとする動機付けがあるということはできない。
 そうすると,引用例2に基づいて,相違点α’に係る本願補正発明の構成に至ることが容易であるということはできず,本件審決のこの点に関する判断には誤りがあるというべきである。

2015年1月17日土曜日

食品特許における感覚的表現の明確性が争われた事例(その2)

知財高裁平成26年12月9日判決
平成26年(行ケ)第10117号 審決取消請求事件(甲事件)
平成26年(行ケ)第10123号 審決取消請求事件(乙事件)

1.概要
 
   本件は特許無効審判審決(下記請求項1は有効との審決)を不服とする審決取消訴訟(甲事件)の知財高裁判決である。
【請求項1】 食塩を2~8重量%含有する食品に,シュクラロースを,その甘味の閾値以下の量添加することを特徴とする,食塩含有食品の塩味をやわらげ刺激を丸く感じさせる風味向上法。
 
 
 被告は、上記請求項1の発明に係る特許権の特許権者である。
 原告は上記下線部「刺激を丸く感じさせる」との感覚的な特徴が不明確であるため、明確性要件を満たさないということなどを理由として無効審判を請求した。
 特許庁審決と知財高裁判決は共に、上記表現は明確であり原告主張の無効理由はないと判断した。食品分野での感覚的な表現の明確性については、知財高裁平成26年11月10日判決平成25年(行ケ)第10271号 審決取消請求事件(本ブログ2015年1月4日記事)では明確性が否定されており、本件とともに参考になる。

 
2.裁判所の判断のポイント
「2.取消事由2(明確性要件に係る判断の誤り)について
 原告は,訂正明細書には,「- 塩味がやわらげられ,刺激を丸く感じる」との評価はあるが,審決にいう「十分丸く」なったかどうかの評価はなく,また,「刺激を丸く感じる」との評価はパネラーの感想にすぎず,客観的な判断基準は特定されていないから,どのような場合に訂正発明の技術的範囲に属するのか不明りょうであると主張する(前記第3の2【原告の主張】)。
 しかし,実験例1及び2において,シュクラロースの塩なれ効果は,パネル10名による官能により四段階の判断基準に分けて評価され,「±やや塩味がやわらげられていると感じる。」という段階ではなく,「- 塩味がやわらげられ,刺激を丸く感じる。」という段階となって初めて「塩なれ効果」があるとされていることに照らせば,「刺激を丸く感じる」との評価についての判断基準は特定されており,不明りょうであるとはいえない。
 したがって,原告の上記主張は採用することができない。」

2015年1月4日日曜日

食品特許における感覚的表現の明確性が争われた事例

知財高裁平成26年11月10日判決
平成25年(行ケ)第10271号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する無効審判審決(特許有効)の取消を求めた、取消訴訟の判決である。
 本件発明1は「シュクラロースからなることを特徴とするアルコール飲料の風味向上剤。」というものである。本件明細書によれば,本件発明の目的は,「アルコール飲料のアルコールに起因する苦味やバーニング感を抑え,アルコールの軽やか風味を生かしたアルコール飲料の風味向上剤及び風味向上法を提供すること」(【0004】)であるから,「バーニング感」及び「アルコールの軽やか風味」という用語の意味の明瞭性が,実施可能要件に関して問題となる。
 審決では、「バーニング感」、「アルコールの軽やか風味」はともに明確であると判断され、「風味向上剤」に係る本件発明の実施可能要件は満足されると判断された。
 これに対して知財高裁は、「バーニング感」については技術常識などから明確であるが、「アルコールの軽やか風味」については明確とは言えないとして、審決を取り消した。

2.原告(審判請求人)が主張する無効理由1-1(実施可能要件違反)
 本件特許に係る特許公報(甲42。以下「本件特許公報」という。)に掲載されている明細書(以下「本件明細書」という。)中,アルコールに起因する「バーニング感」や「焼け感」という用語及び「アルコールの軽やか風味を生かした」という用語は,いずれも一般的なものではなく,本件明細書の記載を参酌しても,本件発明がどのような風味を改善しようとするものであるか,不明確である。

3.審決の判断
「(1)アルコールを飲食した際に口腔内やのどに焼けるような感覚を覚えることは,誰もが経験するところであること,(2)本件明細書記載の実験例1(以下「実験例1」という。)において,アルコール濃度5%の水溶液につき,「焼け」感,すなわち,「バーニング感」の有無が評価されていることから,この感覚は,味覚パネルであれば,上記の濃度のアルコール水溶液においても評価可能なものといえることなどに鑑みれば,「バーニング感」や「焼け感」という用語は,一般的な用語ではないとしても,アルコールを飲用する者であれば誰もが分かる感覚といえ,特段不明瞭な点はない。
「アルコールの軽やか風味を生かしたアルコール飲料の風味を向上する」(本件明細書0024)の趣旨は,「苦味」や「バーニング感」が抑制される結果,アルコールが本来有している「アルコールの軽やか風味が生か」され,「風味が向上する」ものと理解され,「アルコールの軽やか風味」という用語の意味するところは明瞭といえる。」

4.裁判所の判断のポイント
「(1) 取消事由1-1 「バーニング感」又は「焼け感」について
ア(ア) 本件明細書には,「バーニング感と称される口腔内が焼け付くような感覚」という記載がある(【0003】)。また,実験例1における嗜好性の評価項目の説明中にも,「焼け:バーニング感があるとしたパネルの数。」という記載が存在する(【0013】)。
 (イ) 上記記載によれば,本件明細書において,「バーニング」は,「焼け」と同義の用語として使われていることが明らかであり,この点に鑑みると,英語の「burning」の読みを片仮名表記したものと認められる。
 ウ (1)小学館英和辞典の「burn」の項に,「The whisky burned in his throat.ウイスキーがのどに火のように熱かった.」という用例が掲げられていること,(2)本件特許出願前の公刊物において,アルコールの味につき,「灼く(やく)ような味」(甲32,乙1),「灼熱感」,「灼けるような感覚」(乙2)と表現されていることによれば,本件特許出願当時において,アルコールの味覚を火による燃焼を連想させる言葉で表現することは,少なくともアルコールに接する者の間ではさほど珍しいことではなく,「バーニング感」及び「焼け感」は,そのような言葉の一例であったものと推認できる。
 そして,実験例1の結果によれば,20名の味覚パネルが,5%という比較的低濃度のアルコール水溶液について「焼け」,すなわち,「バーニング感」の有無を「苦み」の有無と明確に区別して評価していたことが認められ,このことから,「バーニング感」又は「焼け感」は,アルコール度数の高いものに限らず,多くのアルコール飲料において,特段の困難を伴うことなく知覚し得るものといえる。
 以上に鑑みれば,本件審決が,「バーニング感」や「焼け感」という用語は,アルコールを飲用する者であれば誰もが分かる感覚といえ,特段不明瞭な点はないと判断した点に誤りはないと思料する。
・・・・
(2) 取消事由1-2「アルコールの軽やか風味」について
 ア 位置付け
 本件明細書には,「アルコール飲料にはアルコールの軽やかな風味とともにアルコールに起因する苦味,バーニング感と称される口腔内が焼け付くような感覚が存在する。」という記載(【0003】)があり,同記載の趣旨は,その文言自体から,アルコール飲料には,「アルコールの軽やかな風味」(本件明細書においては,「軽やか風味」とも表記されている。以下においては「軽やか風味」に統一する。)並びにアルコールに起因する「苦味」及び「バーニング感」が併存しているというものと認められる。
 そして,本件発明は,「アルコール飲料にシュクラロースを添加することにより,アルコールの軽やか風味を生かしたまま,アルコールに起因する苦味やバーニング感を抑えて風味を向上させることができる」というものであるところ(本件明細書【0007】),アルコール飲料にシュクラロースという異物を添加すれば,これによって,アルコールに起因する「苦味」及び「バーニング感」のみならず,これらと併存する「アルコールの軽やか風味」も影響を受ける可能性がある。
 この点に鑑みると,当業者は,本件発明の実施に当たり,アルコール飲料にシュクラロースを添加することによって,アルコールに起因する「苦味」及び「バーニング感」を抑える一方,「アルコールの軽やか風味」については「生かしたまま」,すなわち,減殺することなく,アルコール飲料全体の風味を向上させられるか,という点を確認する必要がある。そして,この確認のためには,「アルコールの軽やか風味」の意味を明らかにすることが不可欠というべきである。
 イ 「アルコールの軽やか風味」の意味
 (ア) 本件明細書中,「アルコールの軽やか風味」の意味を端的に説明する記載は,見られない。
 (イ) a 本件明細書中,シュクラロースを添加したアルコール水溶液又はアルコール飲料に関し,以下の記載がある
 (a) 事前にシュクラロースをアルコールに溶解したものを用いて飲料に調製したとき,味覚の柔らかな,苦味のない,アルコールの焼け感のない飲料が得られた(【0009】)。
 (b) 実験例1においては,前記のとおり,シュクラロース0.0025%を含有したアルコール5%水溶液につき,蔗糖1%を含有するアルコール5%水溶液を対象として,味覚パネル20名による官能評価を実施したところ,「苦み」があるとしたパネル数はゼロ,「焼け」,すなわち,「バーニング感」があるとしたパネル数もゼロであった。「(アルコール飲料としての)甘味についての評価」は,前記2つの水溶液の間に,「差なし」というものであった(【0011】から【0013】)。
 (c) 実験例2において,アルコール/シュクラロース水溶液(アルコール5%,10%,20%,40%)を調製し,甘味度については,砂糖水溶液(アルコール無添加)を,苦味抑制効果については,同濃度のアルコール水溶液(砂糖,シュクラロース無添加)を,それぞれ比較対象として,味覚パネル10名による官能評価を行った。結果として,シュクラロースの甘みを感じない添加量についても,アルコールの苦味抑制効果が認められた(【0014】から【0019】)。
 (d) 実施例1において,シュクラロースを加えたレモンライムは,「清涼で好ましいもの」となった(【0020】,【0021】)。
 (e) 実施例2において,シュクラロースを加えた果汁入りアルコール飲料は,「果汁感があり,清涼な甘味を持つ良好な飲料であった」(【0021】)。
 (f) 実施例3において,シュクラロースを加えた梅フィズは,「苦みがなく,焼け感がない良好な飲料であった」(【0022】,【0023】)。
 b 上記のとおり,本件明細書には,シュクラロースを添加したアルコール水溶液又はアルコール飲料が示した好ましい味として,「味覚の柔らかな,苦味のない,アルコールの焼け感のない(飲料)」,「清涼で好ましい(もの)」,「果汁感があり,清涼な甘味を持つ良好な(飲料)」などが記載されている。
 しかしながら,本件明細書の記載のすべてを参酌しても,これらの「好ましい味」が「軽やか風味」に該当するものと直ちにいうことはできず,両者の関係は不明といわざるを得ない。
・・・・
エ 小括
 以上によれば,「アルコールの軽やか風味」という用語の意味は,不明瞭といわざるを得ない。そして,前述のとおり,当業者は,本件発明の実施に当たり,「軽やか風味」については「生かしたまま」,すなわち,減殺することなく,アルコール飲料全体の風味を向上させられるか,という点を確認する必要があるところ,「軽やか風味」の意味が不明瞭である以上,上記確認は不可能であるから,本件特許の発明の詳細な説明は,「アルコールの軽やか風味」という用語に関し,実施可能性を欠くというべきである。
 したがって,「アルコールの軽やか風味」の意味するところは明瞭といえる旨の本件審決の判断は,誤りである。」

2014年11月16日日曜日

再現実験による引例記載事項の証明が適切であるか争われた事例

知財高裁平成26年9月25日判決
平成25年(行ケ)第10324号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、結晶系の特徴によって特定された物質発明の新規性、進歩性が争われ、進歩性なしとの無効審判審決が知財高裁により取り消された事例である。
 本事例では、主引用例である甲1公報に、前記結晶系の特徴が明示的には記載されていなかった。被告(無効審判請求人)は甲1公報の再現実験結果を証拠として提出し、甲1には前記結晶系の特徴が記載されているとの証明を試みた。
 審決では再現実験結果を踏まえて前記結晶系の特徴は甲1に記載されていると判断した。
 知財高裁は、引例である刊行物に記載された発明とは、刊行物に明示的に記載されている事項だけでなく、再現実験により確認される属性も含まれる(広義の刊行物記載発明)ことをは認めつつも、被告提出の再現実験結果は甲1刊行物の再現実験結果とはいえないとして、前記結晶系の特徴は甲1には記載されていないと判断した。

2.本件発明1
「金属元素として少なくとも稀土類元素(Ln:但し,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有するもの),Al,M(MはCaおよび/またはSr),及びTiを含有し,
組成式をaLn2Ox・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa,b,c,dが,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足し,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値が40000以上であることを特徴とする誘電体磁器。」

3.審決が認定した甲1発明との一致点、相違点
3.1.一致点
「金属元素として希土類元素(Ln),Al,M(MはCaおよび/またはSr)およびTiを含み,これらの成分をモル比でaLn2Ox・bAl2O3・cMO・dTiO2(但し,3≦x≦4)と表したときa, b, c, dの値が,
0.056≦a≦0.214
0.056≦b≦0.214
0.286≦c≦0.500
0.230<d<0.470
a+b+c+d=1
を満足する誘電体磁器。」

3.2.相違点
(ア) 相違点1
本件発明1は,稀土類元素(Ln)が,Laを稀土類元素のうちモル比で90%以上含有し,1GHzでのQ値に換算した時のQ値(以下,単に「Q値」という。)が40000以上であるのに対して,甲1発明は,希土類元素についての限定がなく,Q値が40000以上と限定されない点
(イ) 相違点2
本件発明は,結晶系が六方晶および/または斜方晶の結晶を80体積%以上有する酸化物からなり,前記Alの酸化物の少なくとも一部がβ-Al2O3および/またはθ-Al2O3,の結晶相として存在するとともに,前記β-Al2O3および/またはθ-Al2O3の結晶相を1/100000~3体積%含有するものであるのに対して,甲1発明は,結晶系が不明である点

4.甲1発明の再現実験
 被告(無効審判請求人)は相違点2が甲1に記載されていることを証明するために、再現実験結果を提出した(甲4、甲35)。
 そして、審決は,相違点2に関して,甲1発明には,β-Al2O3および/またはθ-Al2O3(以下「β-アルミナ等」という。)の結晶層が生成すると認定した。すなわち,審決は,愛知工業大学教授Aによる「依頼実験報告書」(甲4。以下「甲4報告書」という。)や被告による「実験成績証明書」(甲35。以下「甲35報告書」という。)の実験は,甲1公報に記載の方法に準拠した再現実験であると判断し,その報告から,甲1発明には,「相違点2に係る本件発明1の『結晶系』の要件を満たす場合も,満たさない場合も含まれることが窺える。」と判断した、

5.裁判所の判断のポイント
「ウ 審決は,(1)相違点1について,甲1発明の表2の試料No.35においては,稀土類元素において,Laをモル比で100%含有するものが示唆されており,そのQ値が39000であることから,Laを90%以上含有し,Q値を40000以上とすることに困難はない,(2)相違点2について,甲1発明の実施例No.35を再現実験した甲4報告書が,斜方晶型固溶体相である均一なマトリックス相と,0.07体積%のβ-Al2O3構造の第二相を有し,50200のQ値を有することを示している,(3)そして,甲35報告書は,上記の試料No.35よりAl2O3のモル比を甲1発明の範囲内で段階的に増やし,甲4報告書と同じ方法で作製した試料についての実験成績証明書であるところ,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合もあることを示していることから,甲1発明には,本件発明1の結晶系の構成要件を充たす場合も,充たさない場合も含まれているとして,本件発明の選択発明としての進歩性の検討に移り,本件発明1の効果が際立って優れたものではないことから,選択発明としての進歩性を否定している。
審決は,甲1発明の試料No.35から相違点1は容易想到であるとし,その上で,相違点2は同試料の再現実験の結果,その結晶構造が甲4報告書に示されていることから,相違点2も甲1公報に明示的に示されている場合と同視できるか,あるいは甲1公報から容易に想到し得る構成であることを前提として,選択発明としての進歩性の検討に移っているものと解される。
 しかしながら,選択発明としての進歩性を判断する前にまず検討すべきことは,甲4報告書や甲35報告書の実験の結果により,甲1発明に加えて,甲4報告書や甲35報告書に記載された結晶構造等の属性も,甲1公報に「記載された発明」(特許法29条1項3号)となると解してよいのか,また,このような理解を前提として,相違点に係る構成も容易に想到し得る構成となると解してよいのかの点である。
エ 特許法29条1項3号は,「特許出願前に日本国内又は外国において頒布された刊行物に記載された発明・・・」については,特許を受けることができない旨規定している。同号の「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に明示的に記載されている発明であるものの,このほかに,当業者の技術常識を参酌することにより,刊行物の記載事項から当業者が理解し得る事項も,刊行物に記載されているに等しい事項として,「刊行物に記載された発明」の認定の基礎とすることができる。
 もっとも,本件発明や甲1発明のような複数の成分を含む組成物発明の分野においては,甲1発明のように,本件発明を特定する構成の相当部分が甲1公報に記載され,その発明を特定する一部の構成(結晶構造等の属性)が明示的には記載されておらず,また,当業者の技術常識を参酌しても,その特定の構成(結晶構造等の属性)まで明らかではない場合においても,当業者が甲1公報記載の実施例を再現実験して当該物質を作製すれば,その特定の構成(結晶構造等の属性)を確認し得るときには,当該物質のその特定の構成については,当業者は,いつでもこの刊行物記載の実施例と,その再現実験により容易にこれを知り得るのであるから,このような場合は,刊行物の記載と,当該実施例の再現実験により確認される当該属性も含めて,同号の「刊行物に記載された発明」と評価し得るものと解される(以下,これを「広義の刊行物記載発明」という。)。
 これに対し,刊行物記載の実施例の再現実験ではない場合,例えば,刊行物記載の実施例を参考として,その組成配合割合を変えるなど,一部異なる条件で実験をしたときに,初めて本件発明の特定の構成を確認し得るような場合は,本件発明に導かれて当該実験をしたと解さざるを得ず,このような場合については,この刊行物記載の実施例と,上記実験により,その発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいうことはできず,同号の「刊行物に記載された発明」に該当するものと解することはできない。
オ 甲1公報には,上記実施例(甲1公報の試料No.35)である誘電体磁器については,その結晶構造についての明示的な記載はない。また,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であり,この点で本件発明の構成要件を充たすものではないから,その再現実験等によりその結晶構造を知り得たとしても,そもそも本件発明の全ての構成を示すものではない。すなわち,原告は,甲4報告書の実験において,試料No.35の再現実験を試みているが,甲1公報の試料No.35は,そもそもQ値が39000であるから,その再現実験をして,結晶構造を確認したとしても,本件発明の新規性を否定することはできない。また,甲35報告書により,甲1公報記載の試料No.35と比べ,甲1発明の範囲内でAl2O3のモル比が一部異なる試料を作製し,これにより作製した試料によって,その結晶構造やQ値を確認したとしても,それは甲1公報に記載された実施例そのものを再現実験したものではないから,前記エの理由により,この結晶構造等を広義の刊行物記載発明と認めることはできず,甲1公報記載の実施例と,甲35報告書によっても,本件発明の構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえない。

 以上によれば,本件発明は,甲1公報記載の上記実施例と,甲4報告書や甲35報告書から,その構成のすべてを知り得る場合に当たるとはいえず,本件発明は特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」(広義の刊行物記載発明)には当たらないと解される。」

2014年10月26日日曜日

用途発明が「新しい用途を提供する」と判断され新規性が肯定された事例


知財高裁平成26年9月24日判決
平成25年(行ケ)第10255号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、拒絶審決(新規性欠如等)に対する審決取消訴訟において、審決が取り消された事例である。
 本願発明は、銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用して、芝草の密度,均一性及び緑度を改良する用途発明に関する。本願発明では銅フタロシアニンの施用により芝草の成長を促進させ、その結果、光合成色素を増加させる緑色を濃くする。
 一方、刊行物1には、銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用して、芝草を緑色に「着色」する技術が開示されている。
 審決(拒絶審決)では,「本願発明も刊1発明は,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段において区別できず,刊1発明においても芝生の均一性及び密度の改良という作用効果が得られていると解されるから,本願発明と刊1発明は実質的に同一である」旨判断した。
 これに対して裁判所は、「銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段が同一であっても,この用途が,銅フタロシアニンの未知の属性を見出し,新たな用途を提供したといえるものであれば,本願発明が新規性を有する」と判断し、審決を取り消した。
 本判決は、知的財産高等裁判所平成18年11月29日判決平成18年(行ケ)第10227号審決取消請求事件「シワ形成抑制剤事件」(本ブログ2012年2月24日記事)と基本的に同じ判断基準で用途発明の新規を判断した事例といえる。
 
2.本願発明(請求項1)
「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するためのフタロシアニンの使用方法であって,銅フタロシアニンを含有する組成物の有効量を芝草に施用することを含み,ただし,(i)該組成物は,亜リン酸もしくはその塩,または亜リン酸のモノアルキルエステルもしくはその塩の有効量を含まず,(ii)該組成物は,有効量の金属エチレンビスジチオカーバメート接触性殺菌剤を含まない,方法。」
 
3.刊行物1に記載の発明
「芝生を全体的に均一な緑色に着色するために顔料(銅フタロシアニン等)6.5重量部、分散剤2重量部、バインダー(共重合エマルジョン)70重量部、及び水21.5重量部のみを含む芝生用着色剤を芝生に散布する方法。」

4.裁判所の判断のポイント
「新しい用途を提供する点について
 さらに,本件審決は,本願発明も刊1発明は,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段において区別できず,刊1発明においても芝生の均一性及び密度の改良という作用効果が得られていると解されるから,本願発明と刊1発明は実質的に同一である旨判断した。
 しかしながら,本願発明は「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するためのフタロシアニンの使用方法」であるから,「芝草の密度,均一性及び緑度を改良するための」は,本願発明の用途を限定するための発明特定事項と解すべきであって,銅フタロシアニンを含む組成物の有効量を芝生に施用するという手段が同一であっても,この用途が,銅フタロシアニンの未知の属性を見出し,新たな用途を提供したといえるものであれば,本願発明が新規性を有するものと解される。
 そこで,刊1発明における銅フタロシアニンの用途について検討すると,前記アで判示したとおり,刊1発明は,銅フタロシアニンを着色剤として用いて芝草を緑色にするという内容にとどまるものであって,刊行物1には,芝草に対して生理的に働きかけて,品質を良くするという意味での成長調整剤(成長調節剤)としての本願発明の用途を示唆する記載は一切ない。加えて,着色剤と成長調整剤とでは,生じる現象及び機序が全く異なるものであって,証拠(甲48,50,52~55,57)によれば,①植物成長調整剤は「農作物等の生理機能の増進又は抑制に用いられる成長促進剤,発芽抑制剤その他の薬剤」(農薬取締法1条の2第1項)に該当する「農薬」であるのに対して,着色剤はこれに該当しないこと(甲50),②文献上も両者は異なるものとして分類されていること(甲48),③商品としても,両者は区別されて販売されていること(甲52~54,57),④成長調整剤は芝草の生育期に使用されるのに対して,着色剤は芝休眠時に使用されるなど使用時期も異なること(甲53~55)などからすると,本願発明における芝草の「密度」,「均一性」及び「緑度」の内容は必ずしも一義的に明らかではないものの,本願発明は,刊1発明と同一であるということはできないものと認められる。」