2011年1月22日土曜日

存続期間延長登録の処分の対象と特許請求の範囲の記載との関係について判断された事例

知財高裁平成22年12月22日判決

平成21年(行ケ)第10062号 審決取消請求事件

1.概要

 特許法67条2項:

「特許権の存続期間は、その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であつて当該処分の目的、手続等からみて当該処分を的確に行うには相当の期間を要するものとして政令で定めるものを受けることが必要であるために、その特許発明の実施をすることができない期間があつたときは、五年を限度として、延長登録の出願により延長することができる。」

 特許法67条の3第1項:

「審査官は、特許権の存続期間の延長登録の出願が次の各号の一に該当するときは、その出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。

一  その特許発明の実施に第六十七条第二項の政令で定める処分を受けることが必要であつたとは認められないとき。

二~五(略)」

 本件は,存続期間延長登録の出願に対する拒絶査定に係る不服の審判請求について,特許庁がした請求不成立の審決の取消訴訟である。争点は,本件出願が,特許法67条の3第1項1号の規定に該当するか否かである。

 審決において審判体は「医薬品についての処分が特許発明の実施に必要であったというためには,少なくともその処分によって特定される「物」,すなわち,「有効成分」が特許発明の構成要件として明確に特定されていることを要する。」判断し、有効成分が特定されていない上位概念が特許請求の範囲に記載された本件特許発明の存続期間延長登録出願を拒絶した。

 これに対して裁判所は「特許権の存続期間延長制度の対象となる特許発明は,「特許を受けている発明」全般であり,新しい有効成分に関する特許発明,あるいは,新たな効能・効果に関する特許発明という特定の特許発明に限定して存続期間の延長を認めるべき合理的根拠はない。」として審決を取り消した。

2.延長登録の理由となる処分

 薬事法14条7項に規定する医薬品の製造の承認事項の一部変更に係る同項の承認

処分の対象となった物

 一般名称:ランソプラゾール,販売名:タケプロンOD錠15

処分の対象となった物について特定された用途

 非びらん性胃食道逆流症

3.本件特許発明

【請求項1】投与前に水中に分散させることなく経口投与する錠剤であって,味覚マスクするように被覆層(ただし,当該被覆層はステアリン酸,ステアリン酸アルミニウム,ステアリン酸カルシウム,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸亜鉛及びタルクからなる群から選択される潤滑剤の有効量を含む潤滑コーティング表層膜を含まない)で被覆された微結晶または微粒子形態の有効物質と,賦形剤混合物とを含む材料を圧縮して得られ,前記賦形剤混合物がカルボキシメチルセルロース又は錠剤の全重量に対して13.3%以下の不溶網状PVPを含む少なくとも1つの崩壊剤,及び,澱粉,加工澱粉,あるいは微結晶セルロースから選択され,水と接触して高粘度を生じない少なくとも1つの膨張剤を含み,発泡剤及び遊離の有機酸を含まず,口中で唾液の存在下で咀嚼無しに60秒より短い時間で崩壊する急速崩壊性多粒子錠剤。

【請求項2】前記賦形剤混合物が,直接圧縮糖をさらに含むことを特徴とする請求項1記載の錠剤。

【請求項3】胃腸鎮静薬,制酸薬,鎮痛薬,抗炎症剤,冠状血管拡張薬,末梢および脳血管拡張薬,抗感染剤,抗生物質,抗ウイルス剤,駆虫剤,抗癌剤,抗不安剤,神経弛緩薬,中枢神経系刺激剤,抗鬱薬,抗ヒスタミン剤,下痢止め剤,緩下薬,栄養補給剤,免疫抑制薬,コレステロール低下剤,ホルモン,酵素,鎮痙剤,抗苦悶剤,心臓律動作用薬,動脈高血圧の治療薬,抗片頭痛剤,血液凝集作用薬,抗癲癇剤,筋弛緩剤,糖尿病の治療薬,甲状腺機能不全の治療薬,利尿剤,食欲抑制薬,抗ぜん息剤,去痰薬,鎮痰剤,粘液調整薬,うっ血除去薬,催眠薬,制吐剤,造血剤,尿酸排泄剤,植物抽出物,造影剤よりなる有効物質の群の少なくとも1つを,味覚マスクするように被覆層(ただし,当該被覆層はステアリン酸,ステアリン酸アルミニウム,ステアリン酸カルシウム,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸亜鉛及びタルクからなる群から選択される潤滑剤の有効量を含む潤滑コーティング表層膜を含まない)で被覆された微結晶の形状で含むことを特徴とする請求項1又は2記載の錠剤。

【請求項4】胃腸鎮静薬,制酸薬,鎮痛薬,抗炎症剤,冠状血管拡張薬,末梢および脳血管拡張薬,抗感染剤,抗生物質,抗ウイルス剤,駆虫剤,抗癌剤,抗不安剤,神経弛緩薬,中枢神経系刺激剤,抗鬱薬,抗ヒスタミン剤,下痢止め剤,緩下薬,栄養補給剤,免疫抑制薬,コレステロール低下剤,ホルモン,酵素,鎮痙剤,抗苦悶剤,心臓律動作用薬,動脈高血圧の治療薬,抗片頭痛剤,血液凝集作用薬,抗癲癇剤,筋弛緩剤,糖尿病の治療薬,甲状腺機能不全の治療薬,利尿剤,食欲抑制薬,抗ぜん息剤,去痰薬,鎮痰剤,粘液調整薬,うっ血除去薬,催眠薬,制吐剤,造血剤,尿酸排泄剤,植物抽出物,造影剤よりなる有効物質の群の少なくとも1つを,味覚マスクするように被覆層(ただし,当該被覆層はステアリン酸,ステアリン酸アルミニウム,ステアリン酸カルシウム,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸亜鉛及びタルクからなる群から選択される潤滑剤の有効量を含む潤滑コーティング表層膜を含まない)で被覆された微粒子の形状で含むことを特徴とする請求項1又は2記載の錠剤。

4.審決の理由

「医薬品についての処分が特許発明の実施に必要であったというためには,少なくともその処分によって特定される「物」,すなわち,「有効成分」が特許発明の構成要件として明確に特定されていることを要する。

 本件特許発明の請求項1及び2に係る発明は,錠剤の発明であるが,錠剤に含有される有効成分については「味覚マスクするように被覆層(ただし,当該被覆層はステアリン酸,ステアリン酸アルミニウム,ステアリン酸カルシウム,ステアリン酸マグネシウム,ステアリン酸亜鉛及びタルクからなる群から選択される潤滑剤の有効量を含む潤滑コーティング表層膜を含まない)で被覆された微結晶または微粒子形態の有効物質」と記載されているが,どのような物質を使用するのかは特定されていない。

 同請求項3及び4に係る発明では,胃腸鎮静薬,制酸薬,鎮痛薬,・・・よりなる有効物質の群の少なくとも1つが錠剤に含まれることが記載されているが,これも薬効は特定されてもどのような成分(物)を使用するかを特定するものではない。

 したがって,本件出願に係る医薬品に対する本件の処分は,本件特許発明の実施に必要な処分であったとは認められないから,本件出願は,特許法67条の3第1項1号の規定に該当する。」

5.裁判所の判断のポイント

 裁判所は以下のとおり判断し、審決を取り消した。

「1 本件処分の対象と本件特許発明の実施について

 本件処分となる薬事法上の承認の対象たる「タケプロンOD錠15」(販売名)が本件特許発明の構成を備えていないことに関しては,被告において主張立証するところではないので,この対象物の製造(生産,特許法2条3項1号)は,特許法67条2項所定の「特許発明の実施」に当たるものというべきである。

2 特許法67条2項及び67条の3第1項1号の解釈について

 特許権の存続期間の延長登録について,特許法67条2項は,「特許権の存続期間は,その特許発明の実施について安全性の確保等を目的とする法律の規定による許可その他の処分であって当該処分の目的,手続等からみて当該処分を的確に行うには相当の期間を要するものとして政令で定めるものを受けることが必要であるために,その特許発明の実施をすることができない期間があったときは,5年を限度として,延長登録の出願により延長することができる。」と規定している。また,同法67条の3第1項1号は,特許権の存続期間の延長登録の出願について拒絶をすべき場合の1つとして,「その特許発明の実施に第67条第2項の政令で定める処分を受けることが必要であったとは認められないとき。」と規定している。

 これらの規定の趣旨は,「特許発明の実施」について,特許法67条2項所定の「政令で定める処分」を受けることが必要な場合には,特許権が存続していても,特許権者は特許発明を実施することができずにその利益を享受することが困難であり,いわば特許期間が侵食される事態が生ずるため,特許発明を実施することができなかった期間について,5年を限度として,特許権の存続期間を延長することとしたものと解される。そして,この場合の「特許発明」とは,その条文上の記載から明らかなように,一般に「特許を受けている発明」(特許法2条2項)と解され,特定の特許発明に限って存続期間の延長が認められるわけではなく,また,「実施」とは,特許法2条3項各号に掲げる行為をいうものである。

 ところで,「政令で定める処分」を受けることによって禁止が解除される行為のうちに,「特許発明の実施」に当たる行為の部分がなければ,「その特許発明の実施」に「政令で定める処分」を受けることが必要であったとはいえないから,「特許発明の実施」に「政令で定める処分」を受けることが必要であったと認められるためには,「政令で定める処分」を受けることによって禁止が解除される行為のうちに「特許発明の実施」に当たる行為の部分が存することが必要である。そして,「政令で定める処分」が,例えば,薬事法14条所定の医薬品の製造の承認や医薬品の製造の承認事項の一部変更に係る承認である場合に,上記要件を充足するためには,薬事法14条所定の当該承認を受けることによって禁止が解除された医薬品の製造行為に,当該特許発明の実施に当たる部分がなければならないと解される。

3 特許法68条の2の解釈について

 特許権の存続期間が延長された場合の特許権の効力について,特許法68条の2は,「特許権の存続期間が延長された場合(第67条の2第5項の規定により延長されたものとみなされた場合を含む。)の当該特許権の効力は,その延長登録の理由となった第67条第2項の政令で定める処分の対象となった物(その処分においてその物の使用される特定の用途が定められている場合にあっては,当該用途に使用されるその物)についての当該特許発明の実施以外の行為には,及ばない。」と規定している。

 この規定の趣旨は,特許権の存続期間が延長された場合の当該特許権の効力は,その特許発明の全範囲に及ぶものではなく,「政令で定める処分の対象」となった「物」(その処分においてその物に使用される特定の用途が定められている場合にあっては,当該用途に使用されるその物)についてのみ及ぶというものである。これは,特許請求の範囲の記載によって特定される特許発明は,様々な上位概念で記載されることがあり,「政令で定める処分」を受けることによって禁止が解除された「物」又は「物及び用途」よりも広いことが少なくないため,「政令で定める処分」を受けることが必要なために特許権者がその特許発明を実施することができなかった「物」又は「物及び用途」を超えて,延長された特許権の効力が及ぶとすることは,特許発明の実施が妨げられる場合に存続期間の延長を認めるという特許権の存続期間の延長登録の制度趣旨に反することとなるからである。

4 延長登録出願と特許請求の範囲

 このように,「政令で定める処分の対象」となった「物」又は「物及び用途」に限定して特許権の存続期間の延長が認められるのであるから,特許権の存続期間満了後に当該特許発明を実施しようとする第三者に対して不測の不利益を与えないという観点から,存続期間の延長登録出願が適法であるためには,「政令で定める処分の対象」となった「物」又は「物及び用途」についてみれば,それらが客観的に明確に記載され,かつ,当該特許発明に含まれるものであることが,「特許請求の範囲」を基準とし,「発明の詳細な説明」の記載に照らして認識できるものでなければならず,また,それで足りるということができる。すなわち,存続期間の延長登録出願に際し,「政令で定める処分」を前提として,その対象となった「物」又は「物及び-用途」が,客観的に明確に記載され,かつ,当該特許発明に含まれるものであることが,上記の手法に基づいて認識できるような場合には,当該「政令で定める処分」を受けることによって禁止が解除された行為に,「特許発明の実施」に当たる行為の部分があると客観的に判断することができるからである。そして,特許請求の範囲の記載によって特定される特許発明が,様々な上位概念で記載され,「政令で定める処分」を受けることによって禁止が解除された「物」又は「物及び用途」よりも広い場合であっても,当該「物」又は「物及び用途」が,客観的に明確に記載され,かつ,当該特許発明に含まれるものであることが,「特許請求の範囲」,「発明の詳細な説明」の各記載に基づいて認識できるのであれば足りるのであり,上記の禁止が解除された「物」又は「物及び用途」が,特許発明のうちの特定の構成として明文上区分されている必要まではない。

 審決は,「医薬品についての処分が特許発明の実施に必要であったというためには,少なくともその処分によって特定される「物」すなわち「有効成分」が特許発明の構成要件として明確に特定されていることを要するというべきである。」と判断したものであるが,この判断は,当裁判所の上記判断に反するものである。

 また,審決は,「本件特許発明はランソプラゾールの使用を必須とする錠剤についての発明でないのはもちろん、それが「非びらん性胃食道逆流症」という特定の用途に向けられたものでもない。」(8頁5行~7行)と判断するが,これは,当裁判所の上記判断に反する立場を前提とするものであり,前記1の認定判断と当裁判所の上記判断を前提とする以上,審決の上記判断に基づき本件出願を拒絶すべきものであるとした審決の結論は誤りというべきである。

5 被告の主張について

(1) 被告は,本件において審査され評価されているのは,有効成分であるランソプラゾールを非びらん性胃食道逆流症へ適用するに当たっての有効性と安全性であって,これが本件の承認により禁止が解除される範囲に当たるにもかかわらず,本件明細書の特許請求の範囲において,多粒子錠剤が含有する有効物質の限定がないから,本件特許発明では,「非びらん性胃食道症へ適用されるランソプラゾール」という薬事法による規制によって生じる禁止範囲の存在を把握することはできず,本件の承認によって禁止が解除された範囲と本件特許発明とに重複部分が存在するということができないと主張する。

(2) その前提として被告が主張するのは,特許権の存続期間延長制度についての立法趣旨を踏まえれば,医薬品に関しては,「その特許発明の実施に第67条第2項の政令で定める処分を受けることが必要であった」という要件は,「有効成分(物)と効能・効果(用途)という観点から処分を受けることが必要であった」と解すべきであるから,特許発明が,新しい有効成分に関する特許発明,あるいは,新たな効能・効果に関する特許発明ではない場合には,「有効成分(物)と効能・効果(用途)」という観点からは,特許発明の実施に処分を受けることが必要であったとはいえないので,このような特許発明に係る特許権の延長登録出願は,「その特許発明の実施に67条2項の政令で定める処分を受けることが必要であったとは認められないとき」に該当し,拒絶すべき旨の査定をしなければならないというものである。

 しかし,特許権の存続期間延長制度の対象となる特許発明は,前記2のとおり,その条文上の記載から明らかなように,「特許を受けている発明」(特許法2条2項)全般であり,新しい有効成分に関する特許発明,あるいは,新たな効能・効果に関する特許発明という特定の特許発明に限定して存続期間の延長を認めるべき合理的根拠はない。」

2011年1月8日土曜日

用途発明の権利範囲について

平成2年(ワ)第12094号 特許権侵害差止等請求事件 東京地方裁判所 平成4年10月23日判決

 この事例は第二医薬用途発明の権利範囲が真っ向から争われた(私が知る限りでは)唯一の裁判例である。
 この事例は重要判決であるために論文等でしばしば引用される。医薬用途発明の権利範囲は特定の用途にのみ限定され他の用途には及ばない、というのがこの裁判例のポイントである。例えば「化合物Aを有効成分とする抗癌剤」が特許権である場合、化合物A自体や、化合物Aを含有する風邪薬は独占権の範囲外となる。
 しかしながらこの判決の「仮に被告らの製剤品にアレルギー性喘息の予防剤以外の用途があるとしても、被告らは、被告らの製剤品について、アレルギー性喘息の予防剤としての用途を除外する等しておらず、右予防剤としての用途と他用途とを明確に区別して製剤販売していないのであるから、被告らが、その製剤品についてアレルギー性喘息の予防剤以外の用途をも差し止められる結果となったとしてもやむを得ない」という、頻繁に引用される箇所だけをザッと読んで、上記例でいえば「抗癌剤用途を除く」という表示をしていない限り化合物A自体や、化合物Aの多用途のための製剤も用途発明の権利範囲になるのだという、全く違う意味に誤解されることがある。
 そこで本日は古いが重要なこの判決について解説を試みる。

原告が有する特許権の特許請求の範囲:
「ケトチフェン又はその製薬上許容しうる酸付加塩を有効成分とするアレルギー性喘息の予防剤」

主文:
「一 被告らは、別紙第二物件目録記載の医薬品を製造し、該製剤品を販売してはならない。」

特許権に基づいて原告が製造等の差し止めを求めた被告の実施品:
第一物件目録:フマル酸ケトチフェン(化合物そのもの)
第二物件目録:第一物件目録記載のフマル酸ケトチフェンを有効成分とし、「効能又は効果」として気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含み、「用法」として「一日二回、朝食後および就寝前に経口投与する」等と定期的継続的に用いるものとする医薬品

 第二物件目録に該当する、被告らが実施する製剤品の「添付文書」中には効能又は効果として、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症と記載されている。すなわち、用途発明の対象となる用途の表示と、権利範囲外である他の用途の表示とが一体に記載されている。

 原告は「別紙第一物件目録記載の物件を製剤し、該製品を販売してはならない」と請求した。すなわち、所定の用途に限定されないフマル酸ケトチフェンの製剤までをも本件特許発明の技術的範囲に属するとして差し止めを求めた。
 しかしながら裁判所は本件特許発明の技術的範囲に属するのは別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されると判断して、原告の請求を一部棄却した。すなわち、「効能又は効果」の欄に気管支喘息、喘息又はアレルギー性喘息を含む第二物件目録の医薬品のみが特許権者が独占できる範囲である。

(判決関連箇所抜粋)
「被告らの製剤品がアレルギー性喘息の予防剤に該当するものであることは前記認定のとおりであるが、本訴において、原告が製剤の差止めの対象物としているのはフマル酸ケトチフェンであり、販売の差止めの対象としているのはフマル酸ケトチフェンの製剤品であって、「ザジトマカプセル」、「ケトチロンカプセル」及び「サルジメンカプセル」に限っているわけではない。そして、フマル酸ケトチフェンがヒスタミン解放抑制作用の他に抗ヒスタミン作用を有することは従来から知られているのであるから、このフマル酸ケトチフェンについて、その抗ヒスタミン作用を利用する等した、アレルギー性喘息の予防剤以外の用途も考えられないわけではなく、現に、・・・(証拠)・・・によれば、ケトチフェンなどの抗ヒスタミン剤について、その効能に対する見直しが考えられるべきであるとの趣旨の記載のある文献も存するところである。そして、このようなアレルギー性喘息の予防剤以外の用途については本件発明の技術的範囲が及ばないことはいうまでもない。そして、前記のような認定事実をも併せて考えると、原告が差止めを求めた対象物のうち、本件発明の技術的範囲に属するのは、別紙第二物件目録記載の医薬品に限定されるというべきである。」

 被告の実施品は気管支喘息だけでなく、「アレルギー性鼻炎、湿疹・皮膚炎、蕁麻疹、皮膚ソウ痒症」も効果効能の対象であることから、この実施品に対する差し止めは不当であるようにも思われる。この点について裁判所は、本件特許発明の用途と、他の用途とが区別できるにもかかわらず一体不可分になっている以上、他の用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことを被告は甘受せざるを得ないと判断した。逆に言えば、被告が実施品の「効能又は効果」の欄から「気管支喘息」の表示を削除しさえすれば差し止めの対象外になるように思われる。

(判決関連箇所抜粋)
「本件化合物については、これを製剤販売する業者としては、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを用途としての適用範囲において実質的に区別することが可能なのであって、右区別をすることによって当該製剤が本件発明の技術的範囲に属していないことを明らかにすることができるのであり、他方、右用途の区別が明確になされていない場合には、本件化合物はアレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とがいわば不可分一体になっているものというほかはなく、したがって、アレルギー性喘息の予防剤としての用途と他用途とを区別する方途がないのであるから、当該製剤販売業者としては、本件化合物のアレルギー性喘息の予防剤としての用途のみならず、他用途にまで本件発明の技術的範囲が及ぶことも甘受せざるを得ないものといわなければならない。
 本件においては、仮に被告らの製剤品にアレルギー性喘息の予防剤以外の用途があるとしても、被告らは、被告らの製剤品について、アレルギー性喘息の予防剤としての用途を除外する等しておらず、右予防剤としての用途と他用途とを明確に区別して製剤販売していないのであるから、被告らが、その製剤品についてアレルギー性喘息の予防剤以外の用途をも差し止められる結果となったとしてもやむを得ないものといわざるをえない。」

2010年12月26日日曜日

「不意打ち」を理由とする手続違背により審決が取り消された事例

知財高裁平成22年11月30日判決

平成22年(行ケ)第10124号 審決取消請求事

1.概要

 拒絶査定不服審判審決において、本願発明引用発明との相違点1が認定され、相違点1は周知技術であり、該周知技術を考慮すれば引用発明に基づき本願発明に想到することは容易であると判断された。

 しかしながら相違点1が周知技術であるという認定は審決よりも前の段階では一切示されていなかった。

 裁判所は「本願発明が容易想到とされるに至る基礎となる技術の位置づけ,重要性,当事者(請求人)が実質的な防御の機会を得ていたかなど諸般の事情を総合的に勘案し」、審決を取り消した。

2.裁判所の判断のポイント

「本件では,審決において,本願発明と引用発明との相違点1に係る「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする」との技術的構成は,周知技術であり(甲2ないし4),本願発明は周知技術を適用することによって,容易想到であるとの認定,判断を初めて示している。

 ところで,審決が,拒絶理由通知又は拒絶査定において示された理由付けを付加又は変更する旨の判断を示すに当たっては,当事者(請求人)に対して意見を述べる機会を付与しなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情がある場合はさておき,そのような事情のない限り,意見書を提出する機会を与えなければならない(特許法159条2項,50条)。そして,意見書提出の機会を与えなくとも手続の公正及び当事者(請求人)の利益を害さない等の特段の事情が存するか否かは,容易想到性の有無に関する判断であれば,本願発明が容易想到とされるに至る基礎となる技術の位置づけ,重要性,当事者(請求人)が実質的な防御の機会を得ていたかなど諸般の事情を総合的に勘案して,判断すべきである。

 上記観点に照らして,検討する。

 本件においては,①本願発明の引用発明の相違点1に係る構成である「信号調整装置とホスト・システムの結合を遠隔にする技術」は,出願当初から「信号調整装置201から離れた位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項1】),「信号調整装置201から遠隔位置のホスト・システム200」(甲8,【請求項14】)などと特許請求の範囲に,明示的に記載され,平成19年2月7日付け補正書においても,「信号調整装置(201)に遠隔結合されたホスト・システム(200)」と明示的に記載されていたこと(甲10,【請求項45】),②本願明細書等の記載によれば,相違点1に係る構成は,本願発明の課題解決手段と結びついた特徴的な構成であるといえること,③審決は,引用発明との相違点1として同構成を認定した上,本願発明の同相違点に係る構成は,周知技術を適用することによって容易に-想到できると審決において初めて判断していること,④相違点1に係る構成が,周知技術であると認定した証拠(甲2ないし4)についても,審決において,初めて原告に示していること,⑤本件全証拠によるも,相違点1に係る構成が,専門技術分野や出願時期を問わず,周知であることが明らかであるとはいえないこと,⑥原告が平成19年2月7日付けで提出した意見書においては,専ら,本願発明と引用発明との間の相違点1を認定していない瑕疵がある旨の反論を述べただけであり,同相違点に係る構成が容易想到でないことについての意見は述べていなかったこと等の事実が存在する。

 上記経緯を総合すると,審決が,相違点1に係る上記構成は周知技術から容易想到であるとする認定及び判断の当否に関して,請求人である原告に対して意見書提出の機会を与えることが不可欠であり,その機会を奪うことは手続の公正及び原告の利益を害する手続上の瑕疵があるというべきである。

 同瑕疵は,審決の結論に影響を及ぼす違法なものといえる。

 この点,被告は,相違点1に係る構成は,容易想到性判断の推論過程において参酌されるありふれた技術であるから,審決が,甲2ないし4を初めて提示したとしても,原告に対する不意打ちとはいえないと主張する。しかし,相違点1に係る上記構成が推論過程において参酌されたありふれた技術にすぎないか否かは,結局,被告独自の見解にすぎないのであって,何ら論証されていないのであるから,そのような論拠に基づいて,原告に対して意見書提出の機会を要しないとする主張は,採用の限りでない。のみならず,審決において,相違点1に係る上記構成を採用することが容易であるとの判断内容は,主要な理由の1つとして記載されているのであり,そうである以上,推論過程について参酌された技術にすぎないことをもって意見書提出の機会を与える必要がないとする被告の主張は,根拠を欠く。

2010年12月18日土曜日

機能的表現の明確性要件が争われた事例

知財高裁平成22年11月29日判決言渡

平成22年(行ケ)第10060号 審決取消請求事件

1.概要

 機能的に表現された構造は常に不明確であると判断されるわけではない。

 本件では、機能的表現による構成が無効審判審決において明確であると判断され、知財高裁もそれを支持した。

2.請求項1

「a 遺体の体内物が肛門から漏出するのを抑制する遺体の処置装置であって,

b 筒状の案内部材と,

c 上記案内部材に収容される吸水剤と,

d 上記吸水剤を上記案内部材の一端開口部から押し出す押出部材とを備え,

e 上記案内部材の一端開口部側は,肛門から直腸へ挿入されるように形成されるとともに,肛門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていることを特徴とする遺体の処置装置

3.明確性に関する無効審決での判断

「本件発明の構成eは 「案内部材の一端開口部側が,肛門から直腸へ挿入されるように形成される」という部分(構成e1)と 「案内部材の一端開口部側が,肛 ,門への挿入前に上記吸水剤が上記案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されている」という部分(構成e2)とからなっているところ,本件発明の解釈と当業者の技術常識からすると,これらの構成部分はいずれも不明確であるとはいえない。」

4.原告主張の審決取消理由1(明確性要件)

「(1) 本件発明の構成e1は不明確である。審決には,何故,長さ,太さ,表面, 性状等についての技術常識を考慮すれば 「肛門から直腸へ挿入される」ことができるために必要な具体的形状構造が明らかであるといえるのか,合理的な説明はない。

(2) 審決は,構成eのうち,構成e1については案内部材自体の構成に基づいて判断しているが,構成e2については案内部材及び別部材の構成に基づいて判断している。このように,審決は,同じ構成要素について異なる判断基準を用いることの合理的説明がなく,矛盾している。また,構成eの「案内部材の一端開口部側は」の記載からすると,本件発明の構成e2についても,案内部材自体の構成に基づいて判断すべきであるのに,審決は別部材に基づいて判断しており,請求項1の記載に基づかない判断である。」

5.裁判所の判断のポイント

「1 取消事由1(明確性要件)について

(1) 原告は,本件発明の構成e1が不明確であり,審決にも合理的説明がない旨主張する。

 しかし,審決は 「遺体の肛門や肛門から直腸までの長さ等の構造・性状は,これらが後の経過時間,体格・年齢等に応じて変わること等を含め,当業者の技術常識である。」(8頁10行~12行)ことを認定し,そのような技術常識を考慮すれば,必要な具体的構造形状・材質等,例えば長さ,太さ,表面性状等は明らかであると判断しているのであって,合理的な理由の説明はされている。

 そして,本件発明の構成e1は,案内部材の一端開口部側が「肛門から直腸へ挿入されるように形成される」と特定されているところ,その字句どおり,案内部材の一端開口部側が肛門から直腸へ挿入されるように形成された構成であれば,どのような形状・材質からなるものであってもよいと解されるから,構成e1の記載が不明確であるということはできない。

 したがって,原告の上記主張は採用することができない。

(2) 原告は,本件発明の構成e2について,案内部材自体の構造から判断すべきであり,これを前提として判断すると不明確であるなどと主張する。

 しかし 「案内部材の一端開口部側」という文言については,これを「案内部材の」と「一端開口部側」に分けて,案内部材それ自体の一端を指すという解釈と,「案内部材の一端開口部」と「側」に分けて,案内部材の一端開口部の方向・面を指すという解釈が考えられるところ,本件明細書の「案内部材の一端開口部側に,該一端開口部を閉塞する閉塞部材を設けてもよい。」(段落【0010】)の記載を斟酌すると,本件発明においては,案内部材それ自体の形状,構造等に限定されるものではなく,別部材を用いる場合も含めた一端開口部周辺の形状,構造等を指すものと解するのが相当である。

 そして,構成e2については,その字句のとおり,案内部材の一端開口部側が,肛門への挿入前に吸水剤が案内部材の外部に出るのを抑制するように構成されていれば,どのような形状・構造からなるものであってもよいと解されるのであって,当業者の技術常識を考慮すれば,構成e2の記載が不明確であるということはできない。」

2010年11月13日土曜日

拒絶査定と拒絶審決とで主引用例が異なる場合でも違法性はないと判断された事例

平成22年11月8日判決

平成22年(行ケ)第10068号審決取消請求事件

1.概要

 拒絶査定での進歩性欠如の理由における主引用例と、拒絶審決での主引用例とが形式的にみて異なる場合()でも、2つの事情:

(1)原告(審判請求人)は、審判請求書において、拒絶査定にて言及されていたものの主引用例ではなかった本件引用例(拒絶審決での主引用例)が、前置補正後の本件発明と対比されるべき引用例であると十分に認識した上で反論している、

(2)拒絶査定と拒絶審決とは判断の枠組みが実質的に同じである。

を考慮し、審判段階において審判請求人に拒絶の理由を通知して意見書の提出及び補正の機会を与える必要があるとはいえないと知財高裁は判断した。

 特許法159条2項、50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。審判請求書は意見書ではなく、しかも審判請求時の前置補正の制限は最初の拒絶理由における補正の制限とは異なるにもかかわらず、裁判所は、審判請求時に前置補正し、審判請求書において実質的に反論を展開している以上、「原告にとって意見書の提出や補正の機会」が奪われたということはできないと判断している。

2.裁判所の判断のポイント

「取消事由5(手続違背)について

(1) 原告は,審決において新たに8つの文献が周知例として追加された,あるいは,審決と拒絶査定とで主たる公知文献が異なっていたにもかかわらず,原告に意見書を提出する機会が与えられなかったことは,手続違背に当たると主張する。

(2) 平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項,50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。その趣旨は,審判官が新たな事由により出願を拒絶すべき旨の判断をしようとするときは,出願人に対してその理由を通知をすることによって,意見書の提出及び補正の機会を与えることにあるから,拒絶査定不服審判手続において拒絶理由を通知しないことが手続上違法となるか否かは,手続の過程,拒絶の理由の内容等に照らして,拒絶理由の通知をしなかったことが出願人(審判請求人)の上記の機会を奪う結果となるか否かの観点から判断すべきである。

(3) これを本件についてみるに,なるほど,拒絶査定には,拒絶理由通知書にて引用されていなかった引用例(以下「本件引用例」という。)が挙げられている。

 すなわち,拒絶理由通知書では,当時の請求項1及び2の発明と特開平3-235116号公報記載の発明とを対比して容易想到性判断をし,拒絶査定でもこの判断枠組みは維持されつつ,本件引用例が引用文献の一つとして付加された。

 原告はこの拒絶査定に対し,請求項を一つに絞り,前記第2,2の下線部分を付加する補正をするとともに拒絶査定不服の審判請求をした。その請求書で原告は「本願発明が特許されるべき理由」として,「(1)本願発明の説明」,「(2)補正の根拠の明示」,「(3)引用発明の説明」,「(4)本願発明と引用発明の対比」の主張をし,本願発明の特徴である第1~第3の表示手段と関係する本件引用例の構成を上記「(3)引用発明の説明」の項で掲げた上,「(4)本願発明と引用発明の対比」の項において,本件引用例の構成を中心にして,上記補正により付加された「第3の表示手段」と対比主張し,この主張をもって審判請求が成り立つべき理由の中心に据え,さらに,「本願発明の特有の構成である,現況調査手段,電話発信手段及び通話中手段を同時に備える」構成との関係についても付加しているが,その根拠については抽象的な理由を述べるにとどまっている。

 審決は,この審判請求書に基づいてなされたものであり,上記付加された補正部分の構成の容易想到性の判断が審判で審理されるべき中心点であることを念頭に置いて本願発明の容易想到性を判断していたであろうことは,上記の経緯から推認されるところである。

 なるほど,拒絶査定が引用している拒絶理由通知での引用公知文献と,審決で引用した主たる公知文献(本件引用例)とは異なっているが,本件引用例(甲10)は拒絶査定でも挙げられており,審判請求書で原告が主張として中心に据えたのは,本件引用例と対比しての本願発明(特に上記補正で付加された構成について)の進歩性であった経緯にかんがみると,原告は審判請求時において,本願発明の容易想到性判断で対比されているのは本件引用例であったことを十分に認識していたものといえるのであるから,本件引用例を対比すべき主たる公知文献として本願発明の容易想到性判断をするに際して,改めて拒絶理由を通知しなかったとしても,原告にとって意見書の提出や補正の機会が奪われたということはできず,審判手続には,平成5年法律第26号による改正前の特許法159条2項が準用する同法50条に違反する手続違背があったとすることはできない。

 さらにいえば,審決は,本件引用例との対比において本願発明との間に相違点を8点認定している。このことは,審決が本件引用例を形式上主たる公知文献としたとはいえ,本願発明が多くの公知技術の組合せによって容易に推考し得たものであることを念頭に置いて判断したものということができるのであり,実質的な判断枠組みは拒絶査定から変化がなく,審判請求とともに補正がされたのに伴い,視点を変えて判断し直したと評価するのが相当である。」

2010年11月6日土曜日

審決における進歩性の判断手法に問題ありと指摘された事例

知財高裁平成22年10月28日判決

平成22年(行ケ)第10064号審決取消請求事件

1.概要

 審決において合議体は本願補正発明の進歩性の判断にあたり、本願補正発明と引用発明との相違点をことさらに細かく分け(6つの相違点)、相違点それぞれについて先行技術文献からの容易想到性を検討し、本願補正発明は進歩性を有しておらず独立特許要件を満たさないと結論付けた。

 審決取消訴訟において原告は相違点の認定については争っていない。

 裁判所は、審理の対象ではないとしながらも、審決における上記の相違点認定手法は著しく適切を欠くと付言した。裁判所は、相違点は、まとまりのある構成を単位として認定されるべきであると指摘した。

2.本願補正発明

 本願補正発明は以下のとおりである:

「シュー形式の長尺ニッププレスもしくはカレンダー用または他の抄紙アプリケーションおよび紙加工アプリケーション用樹脂含浸エンドレスベルトであって、前記樹脂含浸エンドレスベルトがベースサポート構造体、前記ベースサポート構造体に付着したステープルファイバーバット並びに前記ベースサポート構造体の内面および外面の少なくとも一方の上の第二高分子樹脂材料被膜からなり、

 前記ベースサポート構造体は内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとり、

 前記ステープルファイバーバットの繊維の少なくとも一部には第一高分子樹脂材料が含まれ、

 前記被膜は前記ベースサポート構造体に含浸してこれを液体に対して不浸透性となし、さらに前記ステープルファイバーバットを被包し、前記被膜は滑らかであって、かつ、前記ベルトの厚みを均一にし、前記第二高分子樹脂材料は前記ステープルファイバーバットに含まれる前記第一高分子樹脂材料に対して親和性を有し、その結果として、前記第二高分子樹脂材料の前記被膜は前記ベースサポート構造体に付着した前記ステープルファイバーバットと機械的に結合するだけでなく化学的に結合し、

 前記第一高分子樹脂材料及び前記第二高分子樹脂材料は、互いに異なるポリウレタン樹脂であることを特徴とする前記ベルト。」

3.審決における対比判断

 審決では、本願補正発明と引用発明とを以下のような手法で対比判断し、本願補正発明の進歩性を否定した。

「(ア)対比

 本願補正発明と引用発明とを対比する。

 引用発明の「機械方向」、「機械に直交する方向」は、本願発明の「縦方向」、「横方向」に相当する。そして、本願補正発明の「ベースサポート構造体」は、内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとるものであるところ、引用発明の「基礎布」も、内面、外面、機械方向及び機械に直交する方向を持つエンドレスループの形をとるものであるから、引用発明の「基礎布」は、本願補正発明の「ベースサポート構造体」に相当する。また、引用発明の「第一重合体樹脂」は、本願補正発明の「第二高分子樹脂材料」に相当する。

 そうすると、本願補正発明と引用発明とは、

「シュー形式の長尺ニッププレスもしくはカレンダー用または他の抄紙アプリケーションおよび紙加工アプリケーション用樹脂含浸エンドレスベルトであって、前記樹脂含浸エンドレスベルトがベースサポート構造体、前記ベースサポート構造体の内面および外面の少なくとも一方の上の第二高分子樹脂材料被膜からなり、前記ベースサポート構造体は内面、外面、縦方向および横方向を有するエンドレスループ形をとり、前記被膜は前記ベースサポート構造体に含浸してこれを液体に対して不浸透性となし、さらに前記被膜は滑らかであって、かつ、前記ベルトの厚みを均一にし、前記第二高分子樹脂材料は、ポリウレタン樹脂であることを特徴とする前記ベルト。」で一致するのに対し、以下の点で相違する。

i)本願補正発明は、ベースサポート構造体が、ステープルファイバーバットが付着した構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点i」という)

ii)本願補正発明は、ステープルファイバーバットの繊維の少なくとも一部には第一高分子樹脂材料が含まれている構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点ii)」という。)

iii)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料被膜がステープルファイバーバットを被包している構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iii)」という。)

iv)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料はステープルファイバーバットに含まれる第一高分子樹脂材料に対して親和性を有する構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iv)」という。)

v)本願補正発明は、第二高分子樹脂材料被膜はベースサポート構造体に付着したステープルファイバーバットと機械的に結合するだけでなく化学的に結合している構成をとっているのに対し、引用発明は、そのような構成をとっていない点(以下、「相違点iv)」という。)

vi)本願補正発明は、第一高分子樹脂材料及び第二高分子樹脂材料は、互いに異なるポリウレタン樹脂であるのに対し、引用発明は、そのような特定がされていない点(以下、「相違点vi)」という。)

(イ)相違点の検討

・相違点i)について

 刊行物2の上記摘示事項2-aには、「・・・織られた生地構造の糸に機械的に接着された樹脂コーティングを有するどんな被覆布でも、樹脂コーティングの剥離が起り得る。」と課題について言及されており、上記摘示事項2-bには、その課題解決のための一手段として、「本発明のカレンダーベルトは基礎生地、基礎生地に取付けられるステープルファイバー打綿、それにより与えられた基礎生地とステープルファイバー打綿より成るファイバー/生地複合構造体、及び実質的に一様な深さでファイバー/生地複合構造体の少なくとも一つの側に一つの層を形成するファイバー/生地複合構造体を充満するポリマー樹脂材料より成る、又この一つの層の側はカレンダーベルトのエンドレスループの形の外側となるような上側である。」ことが記載され、また、作用効果として、上記摘示事項2-dには、「更に、ステープルファイバー打綿は基礎生地にポリウレタン樹脂を結びつける作用をする」と記載されている。そうすると、刊行物2には、基礎生地と、基礎生地を充満するポリマー樹脂材料より成るエンドレスループの形をとるカレンダーベルトにおいて、樹脂コーティングの剥離を防止するために、ステープルファイバーバットが付着した基礎生地を用いる技術が記載されている。

 そして、刊行物2の上記摘示事項2-aに記載されるように、織られた生地構造の糸に機械的に接着された樹脂コーティングを有するどんな被覆布でも、樹脂コーティングの剥離が起り得るため、樹脂コーティングの剥離を防止しようとすることは当業者にとって自明の課題である。してみると、引用発明において、樹脂コーティングの剥離を防止するという当業者にとって自明の課題を解決するために、刊行物2に記載された技術に基づき、ベースサポート構造体として、ステープルファイバーバットが付着した構成をとることは当業者にとって容易なことである。

(以下、相違点ii)~vi)についても、相違点i)と同様に個別に容易想到性が議論されている。)

4.裁判所の判断のポイント

 裁判所は、審決における相違点の判断手法は妥当でないと指摘した。ただし原告はこの点を争っていないため、裁判の審理の対象とはされていない。

「なお,本願補正発明の進歩性の有無を判断するに当たり,審決は,本願補正発明と引用発明との相違点を認定したが,その認定の方法は,著しく適切を欠く。すなわち,審決は,発明の解決課題に係る技術的観点を考慮することなく,相違点を,ことさらに細かく分けて(本件では6個),認定した上で,それぞれの相違点が,他の先行技術を組み合わせることによって,容易であると判断した。このような判断手法を用いると,本来であれば,進歩性が肯定されるべき発明に対しても,正当に判断されることなく,進歩性が否定される結果を生じることがあり得る。相違点の認定は,発明の技術的課題の解決の観点から,まとまりのある構成を単位として認定されるべきであり,この点を逸脱した審決における相違点の認定手法は,適切を欠く。

 しかし,本件では,原告において,このような問題点を指摘することなく,また,平成22年4月15付けの第1準備書面において,審決のした本願補正発明の相違点1ないし5に係る認定及び容易想到性の判断に誤りがないことを自認している以上,審決の上記の不適切な点を,当裁判所の審理の対象とすることはしない。」

2010年10月31日日曜日

(1)数値範囲に臨界的意義は求められない、(2)発明の効果を奏するのに必要な条件をすべて特許請求の範囲にて特定する必要はない、と判断された事例

知財高裁平成21年(行ケ)第10330号審決取消請求事件

1.概要

 拒絶審決(進歩性欠如)が裁判所において覆された事例である。

 以下の2点の判断が興味深いので紹介したい。

(1)数値範囲が請求項に記載されている場合でも、数値範囲の限定が唯一の相違点ではない場合には、必ずしも数値範囲の臨界的意義、技術的意義が要求されるわけではない。

(2)特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りる。発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

【請求項1】

 薬理学的活性物質を経皮的に配達するための装置であって,

 複数の角質層-穿刺微細突出物を有する部材,および

 部材上の乾燥被膜を含んでおり,

 当該被膜は乾燥前に,一定量の薬理学的活性物質の水溶液を含んでいる装置であって,

 前記薬理学的活性物質が約1mg未満の量を投与される時に治療的に有効であるほど十分に強力であり,前記物質が約50mg/mlを超える水溶性を有し,かつ前記水溶液が約500センチポアズ未満の粘度を有し,

 薬理学的活性物質がACTH(1-24),カルシトニン,デスモプレッシン,LHRH,ゴセレリン,ロイプロリド,ブセレリン,トリプトレリン,他のLHRH類似体,PTH,バソプレッシン,デアミノ[Va14,DArg8]アルギニンバソプレッシン,インターフェロンアルファ,インターフェロンベータ,インターフェロンガンマ,FSH,EPO,GM-CSF,G-CSF,IL-10,グルカゴン,GRF,それらの類似体および医薬として許容できるそれらの塩から成る群から選択されていることを特徴とする装置。

2.裁判所の判断のポイント

上記(1)について

「・・・被告は,本願明細書には,本願補正発明で特定されている数値範囲の内外で,顕著な差異や特異な機能が生じるようなことや数値範囲を限定したことによる技術的意義の記載も示唆もない旨主張する。

 しかし,前記(イ)で検討したとおり,そもそも,本願補正発明は,引用例2(甲2)に記載も示唆もない,部材上の複数の角質層-穿刺微細突出物に,物質の水溶液が乾燥後治療に有効な量となり,有効な塗布厚みとなって付着するようにするとの観点に着目した点で,既に引用発明及び引用例2に開示された手段に基づき容易に想到し得たものとはいえず,本願明細書に本願補正発明の数値限定の技術的意義を明らかにする記載がなければ引用発明及び引用例2に開示された手段に対して進歩性が生じ得ないものではない。

上記(2)について

「このほか,被告は,本願補正発明は(水溶液の)粘度の上限のみ限定され,下限は限定されておらず,粘度が例えば水そのものの粘度とほぼ同じように低い水溶液も含まれるものであり,粘性は大きくなければならない旨の原告の主張と矛盾する旨主張する。

 しかし,特許請求の範囲において発明を特定する際,必ずしも,所望の効果を発揮するために必要な条件をすべて特定しなければならないわけではなく,発明を構成する特徴的な条件のみ特定すれば足りることが通常であって,発明の内容と技術常識に基づき当業者が適宜設定できる条件まで,逐一,発明特定事項とすることが求められるわけではない。

 そして,本願補正発明においては,薬理学的活性物質の水溶液の粘度が約500センチポアズ(cp)未満であれば所望の効果を発揮できるとされている。

 他方で,岩波理化学辞典第5版(株式会社岩波書店発行,甲13)によれば,1p(ポアズ)は10 -1Pa・s(パスカル・秒)であるところ,20℃での水の粘性率は約1.00×10 -3Pa・sとされており,これはすなわち約0.01p=1cpである。

 そうすると,本願補正発明においては,約1~500cpの範囲内で,所望する効果に応じて粘度を適宜設定すれば足りるものであって,「薬理学的活性物質の水溶液の粘度が低い値の場合には,薬理学的活性物質の水溶液はおよそ所望のようには微細突出物上に付着できないものであり,そのような値を含む本願補正発明の数値範囲の限定には格別の意義を見出せない」旨の被告の主張は理由がない。」

2010年10月23日土曜日

生物材料が「刊行物に記載されている」といえるかどうかが争われた事例

知財高裁平成22年9月30日判決

平成22年(行ケ)第10029号審決取消請求事件

1.概要

 本願発明は「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」である。

 本願発明の発明者が著者として含まれる学術文献(引用例1及び2)には「L612を分泌する・・・細胞系」という記載がある。

 ただし引用例には、本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はない。第三者の求めに応じて著者が分譲することを明示する記載もない。引用例記載の細胞系と、本願発明の細胞系とが実際には同じ細胞系をさしていることも争いはない。

 審決では、L612細胞系は「刊行物に記載された発明」であると判断し、本願発明の新規性を否定した。

 裁判所は、文献の著者が分譲する意思を有していなかったことに着目し、「刊行物に記載された発明」とはいえず、審決は妥当でないと判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「特許法29条1項3号(新規性)適用の有無

審決は,本願優先日前に頒布された引用例1及び2には「L612を分泌する・・・細胞系」なる記載があり,それ以上に本願発明にいうATCC受入番号CRL10724で寄託された細胞である旨の記載はないが,引用例1及び2にいう上記記載は本願発明を記載したことになるから特許法29条1項3号(新規性の欠如)に該当すると判断し,これに対し原告は,上記該当性を争うので,以下,検討する。

(1) 特許は,発明を社会に公開することの代償として,一定期間に限って特許権という独占権を付与するものであるから,特許を受けるには,当該発明が出願前又は優先日前に広い意味で公に知られていないこと(「新規性」があること)が必要であり,特許法29条1項は,これを表すため,「公然知られた発明」(1号)・「公然実施された発明」(2号)・「頒布された刊行物に記載された発明」等(3号)につき,それぞれ新規性がないことを定めているところ,本件は,上記のうち3号の「頒布された刊行物に記載された発明」に該当するかどうかという事案である。

 ところで,上記にいう「刊行物に記載された発明」とは,刊行物に記載されている事項又は記載されているに等しい事項から当業者(その発明が属する技術の分野における通常の知識を有する者)が把握できる発明をいう,と解するのを相当とするところ,本件においては,本願発明が「L612として同定され,アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection)にATCC受入番号CRL10724として寄託されているヒトのBリンパ芽腫細胞系」であるのに,本願優先日前に刊行された引用例1及び2には「L612を分泌する細胞系」と記載されているだけで,ATCC受入番号の記載がないことから,引用例1及び2における上記記載だけで「刊行物に記載されているに等しい事項」といえるかということを検討する必要がある。

(2) これにつき,審決は,引用例1及び2に記載されたL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には分譲され得る状態にあったと推定できると認定判断したのに対し,原告はA 博士の宣誓供述書の提出等により,上記の認定判断を争っている。

「・・・引用例1及び2には,ATCCの寄託番号などL612細胞系の内容を特定するに足る記載はなく,また,そもそも細胞系を言葉や化学式などで完全に表現することはできず,引用例1及び2にもそのような記載はないものと認められる。したがって,引用例1及び2に記載された事項のみによっては,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができない。

 しかし,L612細胞系が,本願優先日前に,引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあれば,L612細胞系の内容が裏付けられ,引用例1及び2にL612細胞系の発明が記載されているということができるものと認められ,この点につき当事者間に争いがない。そうすると,本訴における争点は,L612細胞系が,本願優先日前に引用例1及び2の著者から分譲され得る状態にあったか否かに集約されるものである。」

「上記の投稿規定やホームページの内容からみて,原告,被告いずれの翻訳によっても,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者は,投稿した論文に記載された生物学的材料について,第三者から分譲の要求があったときは,その要求に応ずるよう求められていたといえる。

 ただ,・・・これらの投稿規定が,上記学術雑誌に投稿した著者に,第三者に対して生物学的材料を提供することを強制しているものとまでは認められない。

 そうすると,引用例1及び2が掲載された学術雑誌に投稿した著者が上記の投稿規定やホームページの内容に従うか否かは,基本的に著者の意思に依存するものというべきである。そして,本件についてみると,引用例1及び2の著者が,上記投稿規定やホームページの内容に反し,L612細胞系について,本願優先日前に第三者から分譲の要求があっても同要求に応じない意思を有していたものであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得なかったことになり,逆に応ずる意思を有していたのであれば,本願優先日前に第三者が引用例1及び2の著者からL612細胞系を入手し得たことになる。」

「引用例1及び2の著者の一人であるA 博士の各宣誓供述書には,以下の記載がある。

(a) 甲15(A 博士の平成21年6月3日付け宣誓供述書)には,以下の記載がある。

「私,A は,以下のとおり供述する。

・・・

4.私は,1993年2月26日前は,仮に当該4人のいずれかからL612細胞系を第三者に頒布することについて許可を求められたとしても,その許可を求められたとしても,その許可を与える意図はなかったし,現実にそのような許可を求められた事実はなく,許可を与えた事実もなかった。」

「以上のとおり,本願優先日前,A 博士(及び共同研究者)は,L612細胞系につき,第三者から分譲を要求されても,同要求に応じる意思はなかったものと認められ,その結果,L612細胞系は,第三者にとって入手可能ではなかったことになり,「引用例1,2に記載されるL612細胞系は,第三者から分譲を請求された場合には,分譲され得る状態にあったものと推定することができる」とした審決の認定判断は誤りであって,同誤りが審決の結論に影響を及ぼすおそれがあることは明らかである。」

2010年10月10日日曜日

請求項中に機能的表現がある場合のサポート要件判断

知財高裁平成22年9月28日判決
平成22年(行ケ)第10036号

1.概要
 無効審判において、請求人(本件原告)は機能的に表現された構成を備える本件発明1が、旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件(サポート要件)に適合しないことなどを主張した。
 無効審判では、発明の詳細な説明では、上記機能的に表現された構成を達成するために必要な具体的態様が十分に示されていることから、この構成が直ちに明細書に具体的に裏付けのない態様を含むものであるとはいえない、として請求を棄却し、特許を維持した。
 裁判所はこの判断を支持した。その要点は以下の通りである。

2.本件発明1(請求項1)
「縫合糸挿入用穿刺針と,該縫合糸挿入用穿刺針より所定距離離間して,ほぼ平行に設けられた縫合糸把持用穿刺針と,該縫合糸把持用穿刺針の内部に摺動可能に挿入されたスタイレットと,前記縫合糸挿入用穿刺針および前記縫合糸把持用穿刺針の基端部が固定された固定部材とからなり,前記スタイレットは,先端に弾性材料により形成され,前記縫合糸把持用穿刺針の内部に収納可能な環状部材を有しており,さらに,該環状部材は,前記縫合糸把持用穿刺針の先端より突出させたとき,前記縫合糸挿入用穿刺針の中心軸またはその延長線が,該環状部材の内部を貫通するように該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることを特徴とする医療用器具。」

3.原告(無効審判請求人)の主張
「請求項1には,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸又はその延長線が環状部材の内部を貫通するように縫合糸挿入用穿刺針方向に延びるという作用,機能のみが記載され,それを実現するための具体的構成については,何らの記載もなく,本件特許明細書の発明の詳細な説明においてもその説明がされていないから,旧法36条5項1号(「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」)の要件に適合しないというべきである。」
「特に,環状部材について,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合,環状部材が,縫合糸把持用刺針から押し出されたとき,縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針が位置するようにすること(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通すること)は物理的に困難であるから,「中心軸」が環状部材の内部を貫通する構成が発明の詳細な説明に記載されているとはいえない。」

4.裁判所の判断のポイント
「旧法36条5項1号は,「特許請求の範囲」の記載について,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」を要件としている。同号は,特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有すると規定され,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した明細書の「特許請求の範囲の記載」に基づいて定めなければならないと規定されていること(特許法68条,旧法70条)を実効ならしめるために設けられた規定である。同号は,「特許請求の範囲」の記載が,「発明の詳細な説明」に記載・開示された技術的事項の範囲を超えるような場合に,そのような広範な技術的範囲にまで独占権を付与するならば,当該技術を公開した範囲で,公開の代償として独占権を付与するという特許制度の目的を逸脱することになるため,そのような特許請求の範囲の記載を許容しないものとした規定である。例えば,「発明の詳細な説明」における「実施例」として記載された実施態様等に照らして,限定的で狭い範囲の技術的事項のみが開示されているにもかかわらず,「特許請求の範囲」に,その技術的事項を超えた,広範な技術的範囲を含む記載がされているような場合には,同号に違反することになる。このように,旧法36条5項1号の規定は,「特許請求の範囲」の記載について,「発明の詳細な説明」の記載と対比して,広すぎる独占権の付与を排除する趣旨で設けられたものである。以上の趣旨に照らすならば,旧法36条5項1号所定の「特許請求の範囲の記載が,・・・特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものである」か否かを判断するに当たっては,その前提として「発明の詳細な説明」の記載がどのような技術的事項を開示しているかを把握することが必要となる。なお,
上記のとおり,「特許請求の範囲」に,発明の詳細な説明に記載,開示がされていない技術的事項を含む記載は許されないが,そのことは,「特許請求の範囲」に,およそ機能的な文言が用いられることが,一切許されないことを意味するものでない。
「・・・本件特許明細書の発明の詳細な説明には,挿入針の中心軸又は延長線が環状部材の内部を貫通するという構成を実現するための技術的手段が,具体的に記載されており,特許請求の範囲(請求項1)に記載された技術内容は,発明の詳細な説明に開示された技術的事項を超えるものではない。
 よって,本件特許発明1に係る特許請求の範囲の記載が旧法36条5項1号の要件に適合するとした審決の判断に誤りはない。

ウ これに対し,原告らは,中央部又は中央部より若干先端側部分が底部となる湾曲形状の湾曲をやや強くする構成を採った場合には,環状部材が縫合糸把持用穿刺針から押し出されたときに,環状部材縫合糸挿入用穿刺針の側面に衝突してしまい,環状部材の円環平面内部に縫合糸挿入用穿刺針を位置させる目的(縫合糸挿入用穿刺針の「中心軸」が環状部材の内部を貫通する目的)を達成できない場合がある旨主張する。
 しかし,原告らの主張は採用の限りでない。すなわち,本件特許明細書の前記各記載の技術的事項に照らせば,縫合糸挿入用穿刺針の中心軸が該環状部材の内部を貫通するように,該環状部材が該縫合糸挿入用穿刺針方向に延びることは十分にあり得ることであり,当業者にとっては,そのことが発明の詳細な説明において記載されていると理解されるから,原告らの主張は,採用の限りでない。」

2010年10月3日日曜日

特許請求の範囲の明確性が争われた事例

知財高裁 平成22年9月30日判決

平成21年(行ケ)第10353号審決取消請求事件

1.概要

 特許請求の範囲の文言が不明確であるとする審決が取り消された事例である。

 文言の明確性は求められれば際限がない。裁判所は「第三者に迷惑をかけるほど不明確か?」という観点から明確性要件を判断しているように思われる。類似の判決としては、知財高裁平成21年10月13日判決平成21年(行ケ)第10130号審決取消請求事件(本ブログ2009年11月8日記事)、知財高裁平成22年8月31日判決平成21年(行ケ)第10434号審決取消請求事件(本ブログ2010年9月11日記事)などがある。

2.本件発明

 本件発明1(請求項1)及び本件発明2(請求項2)は以下のとおりである。

「【請求項1】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさんだ後,前記チーズカードを結着するように熟成させて,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することにより得られる,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品。

【請求項2】

 成型され,表面にカビが生育するまで発酵させたチーズカードの間に香辛料を均一にはさみ,前記チーズカードを結着するように熟成させることにより,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化させ,その後,加熱することを特徴とする,結着部分からのチーズの漏れがない,香辛料を内包したカマンベールチーズ製品の製造方法。」

3.審決の判断

「「結着部分から引っ張」るということは,結着部分に力を加えることを意味していると解される。ここで,加える力を大きくしていけば,チーズはその力に耐えられなくなり,最終的に結着部分ははがれる。つまり,引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。よって,「結着部分から引っ張」る力の大きさが規定されていないために,当業者であっても,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができず,本件訂正発明1及び2は明確でない。

 一方,被請求人は,平成20年10月16日付答弁書(2)において,「白カビチーズ製品関連の技術分野の当業者であれば,一体化の程度が結着部分から引っ張って結着部分がはがれない状態にあるか,又は,はがれる状態にあるかを判断できることであるから,本件訂正発明の範囲が明瞭である。」と主張している(第19頁第2段落)。しかし,結着部分から引っ張る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であれば共通の認識を有していることが具体的に示されてはおらず,被請求人の主張は採用できない。

 また,被請求人は,平成21年8月28日付上申書において,「結着部分を引っ張った時に,結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価を行って」いることから,「結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも」「結着状態の評価はなし得る」と主張している(第33頁第32行-第34頁第2行)。また,「結着部分を引っ張る力の問題ではなく,結着部分の状態が問題になるのであり」(第34頁第4-5行),「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」とは「結着部分からのチーズの漏れがなく,切断時に結着部分がはがれず,切り分けたチーズを白カビで覆われた部分をつかむことで指を汚さないで済むことを意味している」(第34頁第9-11行)とも主張し,「「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない」とは,その評価方法からしても,結着部分の強度がそれ以外の外皮部分と同等あるいはそれ以上の強度を有することを意味していることは明白であるから,発明の範囲は明瞭である。」(第34頁第13-16行)としている。

 しかし,「結着部分がはがれない状態を良好とし,結着部分から簡単にはがれてしまう状態を不良とした結着状態の評価」は,実施例において採用されている評価方法にすぎず,特許請求の範囲にはなんら記載がないため,この評価方法に基づいて「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断できるという被請求人の主張は採用できない。仮に,この評価方法に基づいて判断するとした場合でも,「簡単に」はがれるかどうかには主観的な判断が含まれるため,「簡単に」はがれてしまうかどうかを客観的に判断するためには,引っ張る力の大きさを規定しておく必要があり,結着部分を引っ張る力が規定されていなくとも結着状態の評価はなし得るということはできない。・・・」

4.裁判所の判断のポイント

 裁判所は審決における上記判断は誤りであると判断した。

「審決は,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との記載について,「引っ張る力に上限がなければ,いかなるチーズでも,結着部分がはがれてしまう。そして,「結着部分から引っ張」る力の大きさがどの程度であるかについて,当業者であっても共通の認識を有しているとは認められない。」として,当業者であっても「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」しているかどうかを判断することができないから,本件発明1及び本件発明2は明確でなく,法36条6項2号の要件を満たさないと判断する。

 しかし,審決の上記判断は,以下のとおり,失当である。

 すなわち,請求項1及び請求項2における「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」記載部分は,チーズが,結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に至っていることを,ごく通常に理解されるものとして特定したというべきである。すなわち,本件発明1及び本件発明2のようなカマンベールチーズ製品及びその製造方法において,チーズの結着部分以外の部分であっても,仮に,一定以上の強い力を加えて引っ張れば,表皮は裂けるし,そのような強い力を加えなければ,表皮がはがれることはない。上記構成は,チーズの結着部分について,チーズの結着部分以外の部分における結着の強さと同じような状態にあることを示すために,「結着部分から引っ張っても結着部分がはがれない状態に一体化」との構成によって特定したと理解するのが合理的である。また,上記記載部分をそのように解したからといって,特許請求の範囲の記載に基づいて行動する第三者を害するおそれはないといえる。

 したがって,上記記載が不明確であって法36条6項2号の要件を満たさないとした審決の判断は,誤りである。」