2009年11月15日日曜日

特許法第29条の2における「先願明細書に記載された発明」

知財高裁平成21年11月11日判決

平成20年(行ケ)第10483号審決取消請求事件

主文1:特許庁が不服2007-11283号事件について平成20年10月15日にした審決を取り消す。

1.概要

 原告の特許出願の特許請求の範囲に記載されている発明(本願発明)は、所定の一般式(I)で表されるヘキサアミン化合物である。本化合物は、ベンゼン環を少なくとも17個有する大きな分子の化合物である。本化合物は、有機電界発光素子や電子写真感光体などに用いられる電荷輸送材料として有用である。本化合物は、4個の-N(Ph)(Ph-CH3)基(すなわち、フェニル基とメチルフェニル基とで置換されたアミノ基)を有する。

 特許法第29条の2の引例である先願明細書には、同様の用途に用いられることを意図した化合物が記載されている。先願明細書の【化5】で示された一般式は本願発明の上記化合物を抽象的には包含する(一般式中の「アミノ基」という記載が、抽象的には、-N(Ph)(Ph-CH3)基を包含する)。しかしながら、先願明細書には、本願発明の化合物は具体的には記載されていない。

 先願明細書には最も近い具体的な化合物として、化合物No.II-10が記載されている(No.II-10の記載の有無も争点の一つであったが、裁判所は記載されていると認定した)。化合物No.II-10では、4個の-N(Ph)(Ph-CH3)基ではなく、4個の-N(Ph)2基を有する点で、本願発明の化合物と相違する。すなわち一方のフェニル基上にメチル基が存在していないという点のみが本発明の化合物と異なる。

 審決では、

「化合物に関する発明について,特許法第29条の2にいう「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」というためには,先願明細書等に例示されている化合物のみが「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」であると限定的に解釈するのは適当ではなく,少なくとも,先願明細書等に例示されている化合物の置換基の一部が,当該発明の機能に及ぼす影響が少ないようにごく僅かだけ改変された化合物についても,記載されているに等しいとして,特許法第29条の2にいう「願書に最初に添付した明細書・・・に記載された発明」であると認めるのが相当である。」

という理由により、先願明細書に記載の化合物No.II-10における4個の-N(Ph)2基が-N(Ph)(Ph-CH3)基に置換された化合物も先願明細書に記載された発明(審決及び判決では「先願発明」と呼ばれる)であると認定し、本願発明は特許法第29条の2の規定により特許を受けられないと結論付けた。

 上記の点に関して裁判所は、先願明細書に記載された化合物であるというためには、具体的な置換基として例示されている必要があり、審決における「先願発明」の認定は誤りがあると判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「(2) いわゆる化学物質の発明は,新規で,有用,すなわち産業上利用できる化学物質を提供することにその本質が存するから,その成立性が肯定されるためには,化学物質そのものが確認され,製造できるだけでは足りず,その有用性が明細書に開示されていることを必要とする。

 そして,化学物質の発明の成立のために必要な有用性があるというためには,用途発明で必要とされるような用途についての厳密な有用性が証明されることまでは必要としないが,一般に化学物質の発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識しているところである。したがって,化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要とする。

 なお,被告は,有機EL素子用化合物のような,単に化合物の物理化学的性質を利用する技術分野の化合物については,医薬,農薬,バイオ関連技術のような特殊な技術分野の場合と異なり,当業者が容易に作ることができる上,その有用性も推認できる可能性が高い旨主張する。しかし,このような「化学物質の用途,分野によって,その製造可能性や有用性が推認できる程度が異なる」旨の主張を前提としてもなお,本件で化学物質発明が問題となっている事実に変わりはなく,当業者がその製造可能性及び(有機EL素子用化合物としての)有用性を認識できる程度の開示が必要であることに変わりはない。」

「(4) ・・・「先願発明」の化合物については,先願明細書等の【化5】,【化16】で示された一般式に,抽象的には包含されるとしても,先願明細書等において,その構造につき具体的に記載されてはいない。

 そして,上記【化5】【化16】に関しては,複数の化合物の組み合わせを表現したものにすぎず,ある化合物が明細書等において開示されているというためには,たとえ表の中であっても,具体的な構造(「先願発明」の化合物に関しては,メチル基を置換基として有する具体的構造)が特定して開示される必要があるというべきである。

 なお,被告は,「同族列に所属する一連の化合物は,化学的性質が極めてよく似ていて,すべての化合物に共通の官能基に基づく同一の反応を示すから,化合物No.II-10 と『先願発明』の化合物も実質的に同視できる」旨主張するとともに,特許公報(乙4,5)の記載により,上記主張を補強している。

 しかし,前記1(3) ウのとおり,化学大辞典(乙3)において,同族列として脂肪族飽和炭化水素のメタン,エタンや,芳香族炭化水素のベンゼン,トルエン,飽和脂肪酸のギ酸,酢酸などを例示しているが,これらの分子量の小さな化合物相互の関係と,本件での化合物No.II-10 と「先願発明」化合物のような分子量の大きな化合物相互の関係について,同一に扱ってよいかは不明というべきである。

 また,前記1(3) エ,オからすれば,乙4,5で開示された,それぞれ同族列の関係にある各化合物の化学的性質(有機EL素子としての性質を含む。)が類似していることが認められるが,これが直ちに,化合物No.II-10 と「先願発明」化合物の関係にも適用できるか明らかではない上,特許法29条2項の進歩性を判断する場合であれば格別,同法29条の2第1項により先願発明との同一性を判断するに当たっては,化合物双方が同族列の関係にあることをもって,一方の化合物の記載により他方の化合物が「記載されているに等しい」と解するのは相当ではない(前述のとおり,一般に化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところであるからである。)。

 このほか,被告は,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN-フェニル基であること」は技術常識であって,同事実と先願明細書等の記載からすれば,「フェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨主張している。

 確かに,前記1(3) ア,イのとおり,「正孔注入輸送を司る本質的部位が分子中のN-フェニル基である」旨の被告の主張に整合する文献(乙1,2)が存在するほか,先願明細書等には「分子中にN-フェニル基等の正孔注入輸送単位を多く含み,R 1 ~R4にフェニル基を導入してビフェニル基にすることでπ共役系が広がり,キャリア移動に有利になり,正孔注入輸送能にも非常に優れる」旨の記載がある(【0058】)。

 しかし,前述のとおり,特許法29条の2第1項による先願発明との同一性の判断は,同法29条2項の進歩性の判断とは異なるから,上記のような「公知技術」を安易に参酌して先願明細書等の記載を補充するのは相当ではなく,メチル基の有無を捨象して化合物No.II-10 と「先願発明」化合物を同視し,「先願発明」化合物が先願明細書等に実質的に記載されていたとみることは相当ではない。」

2009年11月8日日曜日

「無機接着剤」という用語が請求項中に記載されている場合の明確性要件、実施可能要件が争われた事例

平成21年10月13日判決 平成21年(行ケ)第10130号審決取消請求事件

1.技術分野における常識的な用語を請求項の構成要件として記載する場合に、明確性要件(特許法第36条第6項第2号)を満たすためにどのような表現が必要か、実施可能要件(特許法第36条第4項第1号)を満たすためにどの程度の定義が必要かは特許明細書作成時に判断に迷うことの多い問題である。

 本事例では「無機接着剤」という用語が請求項中に記載されている場合の明確性要件、実施可能要件が争われた。当該用語について明細書中に定義も例示もされていなかったにも関わらず、明確性要件、実施可能要件は満たされると判断された。

2.裁判所の判断のポイント

本件発明は以下の通り:

「【請求項1】還元酸化チタン(Ti2O3,Ti3O5,Ti4O7,Ti5O9,Ti6O11など,TinO2n-1,で表すことができる低次酸化チタン)を基材とし,これに,無機接着剤を配合し,場合によっては,クロマイト(Cr2O3),アルミナ(Al2O3)及びシリカ(SiO2)を添加することを特徴とする,工業炉用酸化チタン系熱放射性塗料。」

明確性要件についての裁判所の判断の抜粋

「上記(1)の本件明細書の記載によると,本件発明は工業加熱炉の炉内の放射伝熱を高める塗料及びコーティング材に関する発明であり,塗料及びコーティング材の記載として酸化チタン又は還元酸化チタンを使用することによって,従来の塗料及びコーティング材に欠けていた物性を備えるとともに,放射熱エネルギーを著しく増大させるという効果をもたらし,副次的にガス排気口における排ガス温度が著しく低下するという効果をもたらすというものである。また,同記載によると,本件発明において,無機接着剤は,本件発明に係る工業炉用酸化チタン系熱放射性塗料を製造する際に配合されるものとして,本件発明を特定する事項の一つとなっているが,炉壁表面の塗膜・コーティング膜の成膜作業を溶射法により行う場合には,その配合を必要としないものであり,本件発明の課題を解決するための手段として必須のものではなく,その種類によって本件発明の作用効果に大きな影響を与えるものとして規定されているものでもないと認められる。」

「また,上記(2)の文献の記載によると,無機質の接着材料としての無機系接着剤としては,金属,ガラス,セメント,ケイ酸塩,リン酸塩などがあり,有機高分子系接着剤に比べて,耐熱性が高いものであり,このような無機質の接着材料のうち,金属やガラスは気密性に優れているが,接着時にそれぞれの融点や軟化点以上に加熱することが必要であり,また接着部分の耐熱性は接着時の温度を上まわることはないという欠点を有しているため,窯業などではそれ以外の「無機接着剤」が使用されるというのであって,その使用に当たっては,求められる特性や使用条件を考慮して,市販の無機接着剤から選定し,調整するものであることが認められる。そして,上記(2)の文献の発行時期及びその内容からすると,これらの事項はいずれも本件特許出願に係る優先権主張日当時の当業者の技術常識に属する事項であると認めることができる。」

「そうすると,工業加熱炉の炉壁表面の塗膜・コーティング膜を形成するための塗料についての発明である本件発明において配合される無機接着剤が,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して選定され,成膜作業に適するように調整されるべきものであることは,当業者が技術常識に照らして認識することができるというべきである。」

「上記(3)のとおり,窯業等の耐熱性を要する場面での利用を前提とする無機接着剤についての当業者の技術常識を踏まえ,本件発明における無機接着剤の位置付けに照らすと,上記の技術常識に基づいて当業者が認識し得る程度を超えて「無機接着剤」を特定する必要はないということができるから,本件発明に係る特許請求の範囲の記載における「無機接着剤」との文言の意味するところは,その限度において明確であって,明確性の要件を満たしているというべきである。」

実施可能要件についての裁判所の判断の抜粋

「・・・当業者は,本件発明の実施に当たって,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して配合する無機接着剤を選定し,成膜作業に適するように調整するにすぎないと認められ,本件全証拠に照らしても,塗料の基材として酸化チタン又は還元酸化チタンを使用することに伴って,配合される無機接着剤についての従来の選定方法や調製方法が大きく変更されるべきものとまで認めることはできない。

 もっとも,塗料の基材として酸化チタン又は還元酸化チタンを用いる場合とそれ以外の場合において,他の条件が全く同様である場合に,配合される無機接着剤の選定や調整に違いがあり得るとしても,上記2(3)のとおり,工業加熱炉の炉壁表面の塗膜・コーティング膜を形成するための塗料に配合される無機接着剤については,高温に曝される工業炉の内壁材に求められる物性を考慮して選定され,成膜作業に適するように調整されることが当業者の技術常識であると認められる以上,上記のような違いは,当業者による選定及び調整によって対応される範囲内の事柄であるというべきであり,それによって本件発明の実施をすることができないというものではない。」

2009年11月3日火曜日

審決書に「審決の理由」の記載が要求される趣旨

平成21年7月29日判決

平成20年(行ケ)第10338号審決取消請求事件

1.概要

 本判決では、進歩性の判断において判断者の恣意を排除し論理的な判断を求めている。この点で平成20年(行ケ)第10096号事件(本ブログ2009年4月19日投稿記事参照)と同趣旨の判決である。本判決では、審決書の「審決の理由」において、先行技術に基づいて請求項記載の発明を完成させることが容易であると結論付けられる理由を十分に明示することを求めている。

2.裁判所の判断抜粋

「審決に理由記載が要求される趣旨について

 特許法157条2項には,審決は,審決の結論のみならず結論に至った理由を文書に記載する旨が規定されている。特許法が,審決書に理由の記載を要求した趣旨は,①審決における判断の合理性等を担保して恣意を抑制すること,②審決の理由を当事者に知らせることによって,取消訴訟(不服申立)の要否等を検討するため,当事者に対する便宜を図ること,③理由を文書に記載することによる事実上の結果として,公正かつ充実した審判手続が確保されること等によるものである。

 特に,審決において,特許法29条2項所定の要件を充足すると判断する場合には,その性質上,客観的な証拠(技術資料)に基づかない認定や論理性を欠いた判断をする危険性が常に伴うものである。したがって,審決書における「審決の理由」には,事実認定が証拠によって適切にされ,認定事実を基礎とした結論を導く過程が論理的にされている旨客観的に説示されていることが必要であり,後に争われる審決取消訴訟においても,その点に関して,吟味,判断するのに十分な内容であることが不可欠といえる。

 上記の観点から,本件審決を検討する。

(1) 本願発明と引用発明1の各特徴

ア 本願発明の特徴

 本願発明は,特許請求の範囲(請求項1)の記載等を基礎とするならば,少なくとも,

① 案内面(4-5)は平面を備え,平面は前記案内体(4)の軸心線と固定側型形成体(2-2)又は可動側型形成体(3-2)が,案内体(4)から張り出す部分の重心を含む張出し面に概ね直交しているダイセットであること,

② 可動側型形成体(3-2)は,一端部が1本の案内体(4)に支持され他端部は支持されない片持ち梁であること,

③ 案内面(4-5)は案内体(4)の側面に形成され,案内面(4-5)の平面は互いに直交する4平面で形成されていること,

という3つの特徴的な構成からなっている。

 そして,補正明細書(甲1の1~3)によれば,従来技術では,可動側ダイプレートは,1本又は2本のガイドポスト(以下「案内体」ともいう。)に片持ちに支持されて昇降運動し,ガイドポストとガイドポストを通すために可動側ダイプレートに形成される穴は円柱状に形成されるが,可動側ダイプレートは,その重力又は動作時の偏荷重を受けるため,ガイドポストの軸心線に対して傾斜する方向の外力を受け,円柱状摩擦摺動面の摩耗が進み,この摩耗を軽減しようとして介設された球体と摩耗面部に局所的な応力が生じて,摩耗が促進され,ガイドポストの曲げ変形を起こすという課題が存在していたのに対して,本願発明は,同課題を解決するため,①ガイドポストの側面に形成される案内面は,互いに直交する4平面で形成され,案内面はガイドローラリテーナを介して案内用孔を摺動すること,②案内面は,案内体から張り出す型形成体の重心と案内体の軸心線を含む面である張出し面と直交し,偏荷重がかかっても局所的応力が組型に発生しないようにさせたというものである。

イ 引用例発明1の特徴

 引用例発明1は,四角柱状のガイドポストと四角柱状の貫通孔を有するガイドブッシュの間に,軸方向への並進運動を円滑にするよう配列されたローラ・ベアリングを配し,これによって,運転中に故障が生じにくく,高い寸法精度が保たれ,純粋な並進運動を行うダイセットを提供しようとするものである(別紙引用例1【図1】参照)。

 従来技術においては,ガイドポスト及びガイドブッシュの貫通孔が円柱状に形成され,その間にボールベアリングが使用されていたことにより,①ボールベアリングに大きな圧力がかかること,②衝撃力に弱いこと,③ガタが生じやすく寸法精度が劣化しやすいこと,④円柱状のガイドポストと円柱状の貫通孔を有するガイドブッシュとが円筒状のボールリテーナーを介して単に嵌め合っているため,ガイドポストとガイドブッシュとは,相互に並進運動をするだけでなく,共通軸の回りに回転運動も行うこと等の課題を解決するための発明である。

 その摺動部分は,プレス金型用ダイセットに組み込まれることが想定されているものの,ダイセットの全体構成については,何らの開示はされていない。

(2) 審決に記載された理由の概要

 審決が法29条2項に該当すると判断した理由は,前記第2の3の(1)のとおりである。すなわち,

① 本願発明と引用例発明1とは,前記(1)のアの③において一致する。

② 他方,本願発明と引用例発明1とは,前記(1)のアの①,②において相違する,

③ 相違点の中の,前記(1)のアの②の「案内体が1本であること」に関しては,周知例1ないし4に開示されている,

④ 相違点の中の,前記(1)のアの②の「片持ち梁であること」及び前記(1)のアの①の「直交」については,引用例発明2に開示されている,

⑤ 引用例発明1と引用例発明2とは,発明の対象が共通しているから,組み合わせることが容易である,

 したがって,本願発明は,特許法29条2項に該当するというものである。

(3) 判断

 本願発明は,前記(1)のアの①,②,③の各構成のすべてを備えた,一つのまとまった技術的思想からなる発明である。これに対し,引用例発明1は,その中の一つの構成である③のみを共通にする発明にすぎず,①及び②(「直交」,「案内体の本数」,「片持ち梁」)の3点については,構成を有しない。

 審決は,本願発明中の各相違点に係る構成は,周知例や引用例発明2に示されている技術であると説示している。しかし,審決では,本願発明と一つの技術的構成においてのみ一致し,複数の技術的構成において,実質的相違が存在し,その課題解決も異なる引用例発明1を基礎として,本願発明に到達することが容易であるとする判断を客観的に裏付けるだけの説示は,審決書に記載されているとはいえない。

 とりわけ,審決は,相違点1(前記(1)のアの②の「案内体が1本であること」)に関する判断においては,「身長計」,「自動車リフトの支柱」,「燭台」等を挙げているのに対して,相違点2(前記(1)のアの②の「片持ち梁であること」,及び前記(1)のアの①の「直交」)に関する判断においては,引用例発明2を挙げているが,引用例発明2は,「2本の円柱体のガイドポスト」を必須の構成要件とするものであって,相違点1に関して容易であるとする判断の基礎として用いた周知例と相反するものであるため,周知例と引用例の相互の矛盾を説示することが求められるが,審決では,その点の矛盾に対する合理的な説明は,されていない。

 以上のとおり,本件における審決書に記載された具体的な理由は,特許法157条2項が審決書に理由記載を求めた趣旨,すなわち,審決における判断の合理性等を担保して恣意を抑制すること,客観的な証拠(技術資料)に基づかない認定や論理性を欠いた判断をする危険性を排除するとの趣旨に照らして,十分な説示がされているとはいえない。

 したがって,審決の取消事由に関する原告の主張(とりわけ,取消事由2に係る主張)は,理由がある。」

2009年10月11日日曜日

補正が新規事項追加に該当するか否かが争われた事例

知財高裁平成21年9月30日判決

平成20年(行ケ)第10420号審決取消請求事件

 出願人が拒絶査定不服審判請求時に行った本件補正が新規事項の追加に該当するとして、特許庁は補正を却下した。裁判所は、本件補正は新規事項の追加に該当しないと判断し審決を取り消した。

 出願時の請求項1:

「【請求項1】リチウムマンガン複合酸化物用のマンガン化合物の製造方法であって,マンガン化合物に機械的な力と熱エネルギーを同時に加えてマンガン化合物の粒子内部に存在する欠陥を除去し,微細粒子の凝集及び凝集した粒子の形状を調節する段階を含むマンガン化合物の製造方法。」

 本件補正後の請求項1:

「【請求項1】リチウムマンガン複合酸化物用のマンガン化合物の製造方法であって,電解二酸化マンガン(MnO2;EMD),化学二酸化マンガン(MnO2;CMD),Mn2O3及びMn3O4からなる群から選択されるマンガン化合物のみに機械的な力と熱エネルギーを同時に加えてマンガン化合物の粒子内部に存在する欠陥を除去し,微細粒子の凝集及び凝集した粒子の形状を調節する段階を含み,前記機械的な力が前記マンガン化合物の微細粒子を凝集して,粒径を増大させ,且つ,粒径分布を狭くし,前記凝集した粒子を球形とし,前記機械的な力が粉砕を含まない,製造方法。」

 要するに本件補正は、機械的な力と熱エネルギーを同時に加える処理(「MH処理」と呼ばれる)の対象を、リチウム化合物などの他の成分が共存したマンガン化合物をも包含する「マンガン化合物」から、他の成分が共存したマンガン化合物を排除する「マンガン化合物のみ」に限定する補正である。

 被告(特許庁)は、上記補正が新規事項の追加に該当する理由として種々の理由を挙げているが、その中で興味深いのは以下の理由である:

「本願当初明細書の実施例1では,MH処理される対象にはマンガン化合物以外にも水素イオン及びその他の揮発可能なイオンや結晶水が含まれ,これらの物質が揮発する以上,MH処理を受けていることは明らかであり,また本願発明の請求項は「原料マンガン化合物」と特定せず,単に「マンガン化合物」としている。したがって,実施例1の記載を参酌しても,本件補正事項は本願当初明細書等に記載がなく,本件補正は,その事項の範囲内においてしたものとはいえない。」

 上記被告の主張に対する裁判所の判断は以下の通り、きわめて常識的なものであった。

「イ 被告は,本願当初明細書等の実施例1では,MH処理の対象にマンガン化合物以外にも水素イオン及びその他の揮発可能なイオンや結晶水を含み,これらがMH処理を受けるから,マンガン化合物のみに機械的な力と熱エネルギーを同時に加えることは新規事項の追加に当たると主張する。

 しかし,被告の上記主張は失当である。すなわち,前記認定の本願当初明細書等の記載によれば,本願発明において,MH処理を実施する目的は,原料の2次粒子内部に存在する吸着水,結晶水,水素イオン及びその他の揮発可能なイオンを揮発させることにあり,当業者であれば,このような不純物の除去を当然の前提としていると解するのが相当である。そうすると,当業者は,本件補正における「マンガン化合物のみ」を,このような不純物をも含んだMH処理前の「マンガン化合物のみ」との意味であると理解するといえる。

 ウ したがって,被告の上記主張は理由がない。その他,被告は,取消事由1に関して縷々反論するが,いずれも理由がない。」

2009年10月4日日曜日

特許請求の範囲の用語の解釈にまつわる判決(その4)

最高裁第三小法廷平成3年3月19日判決 昭和62年(行ツ)第109号「クリップ」事件

1.概要

 本判決は、「クリップ判決」又は「クリップ事件」とも称される。前回投稿時にも触れた「リパーゼ判決」と同様に、特許成立前の審査審判における新規性進歩性の判断のための発明の要旨認定(本ブログ平成21年7月27日付け投稿における「場面(2)」)の場面での用語の解釈における明細書・図面の参酌を考える上で重要な判決である。

 本判決の原審では、請求項中の「固定部材」という構成を含む本件発明の要旨を認定するに当たり、発明の詳細な説明と図面において固定部材として固化した接着剤(接着層)を使用した実施例が記載されていること等を理由として、「固定部材」は接着剤をも包含すると解釈して本件発明の要旨を認定した。

 そこで上告人は訂正審判を請求し、固定部材=接着剤の形態を示す図面(図12及び13)と、関連する発明の詳細な説明を削除した。後に訂正を容認する審決は確定した。ただし、特許請求の範囲の文言は訂正の前後を通じて変更されていない。

 本判決では、訂正を容認する審決が確定した以上は、「固定部材」に接着剤(接着層)が含まれると解釈して本件発明の要旨を認定する余地はないと判断された。

2.「リパーゼ事件」との対比

 「リパーゼ事件」では、特許請求の範囲に記載の発明の要旨認定(注:技術的範囲の認定ではない)は「特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。」と判断されている。

 「クリップ事件」と「リパーゼ事件」とは一見すると相反する結論であるため、両者の関係をめぐっては様々な解釈があるようである。私は、両判決は決して矛盾するものではないと考えている。「クリップ事件」はリパーゼ事件にいう「特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない」「特段の事情」のある、発明の詳細な説明を参酌すべき事例に該当すると判断されていると思われるからである。

 本件における「固定部材」という構成は、いわゆる「ミーンズ プラス ファンクション」の構成であると思われる。前回の投稿では、「発明の要旨」の認定の場面では発明は広く解釈され、「特許発明の技術的範囲」の判断の場面では発明は狭く解釈されるという、出願人(特許権者)に常に不利な二重基準の問題を指摘したが、本件のように「ミーンズ プラス ファンクション」に該当する構成の場合は、「特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができない」「特段の事情」にあたることが多いと考えられ、「発明の要旨」の認定の場面においても発明の詳細な説明を参酌されるため、結果的に「二重基準」の問題はなくなるように思われる。

3.判決のポイント

「 一 原審は、本件特許出願の願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載が「目的物0と係合させられるように各々適合させられた複数の一緒に固定された取付け具から成るクリップであって、該取付け具の各々が目的物貫通部分2と、拡大部分4と、該両部分を結合している該貫通部分2から伸長した細長い区分材6と、該貫通部分2を相互に平行的に間隔を置いて結合している切断されうる部材8、10とから成るクリップにおいて、該拡大部分間に介在してそれらを結合している容易に切断されうる固定部材22を備え、該固定部材は該切断されうる部材より隣接する該拡大部分がねじり力により相互に手作業で分離されうる程充分に弱いことを特徴とするクリップ」であること等を基礎として、右特許請求の範囲の記載どおりに本件発明の要旨を認定した上で、(一) 本件明細書の発明の詳細な説明の項の記載を参酌すると、固定部材は各取付部材の拡大部分間に介在してそれらを結合するものであるが、取付機具(ガン)を用いて目的物に取付具を取り付ける際の人の手による一連の連続的動作によって生じるねじり力等の力によって容易に切断し得る程度に弱いものを指すものと認められ、したがって、本件発明の特許請求の範囲にいう固定部材の構成は叙上認定の趣旨に解すべきであり、そのほかには、その素材、形状、寸法等についてこれを具体的に限定する記載はないから、右要件を具備するものであれば、すべて固定部材に包含される、(二) 本件明細書の発明の詳細な説明の項及び図面には、固定部材として固化した接着剤(接着層)を使用した実施例に関する記載がある、(三) 接着層の果たす作用効果は他の固定部材と差異がないとして、本件発明の特許請求の範囲の「固定部材」との記載には固化した接着剤(接着層)を含むものであると認定判断した。

 二 ところで、上告代理人提出の特許庁昭和五八年審判第六九〇二号事件審決謄本及び本件記録によれば、本件特許については、上告人の訂正審判請求に基づき、原審口頭弁論終結後の昭和六二年三月三一日、本件明細書及び図面から接着層に関する第12図及び第13図を削除し、併せて発明の詳細な説明の右図面に関連する説明部分を削除する旨の訂正を、特許法一二六条一項三号の明瞭でない記載の釈明として認める旨の審決がされ、右審決謄本が同年五月二〇日上告人に送達され、右審決が確定したことが認められる。右審決には、明瞭でない記載の釈明に相当するものとして上告人の申立てを認める旨の記載があるが、上告人は明瞭でない記載の釈明又は特許請求の範囲の減縮としての訂正審判を申し立てたものであり、また、右審決も、同条一項一号の特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正審判請求を認めるための要件である同条三項に規定する訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものであったか否かについても検討を加えた上で、上告人の本件訂正審判請求が右要件を具備している旨の判断をもしている。

 原審は、本件明細書の接着剤(接着層)に関する発明の詳細な説明の項の記載や図面などを参酌して、固定部材には接着剤(接着層)が含まれるものと認定判断したものであり、原審の右認定判断は、特許請求の範囲の記載文言の技術的意義が一義的に明確とはいえない場合の発明の要旨の認定の手法によったものとして首肯し得るものであるが、訂正を認容する審決の確定により、特許請求の範囲の記載文言自体が訂正されたものではないけれども、接着剤(接着層)に関する記載がすべて明細書及び図面から削除されたことによって、出願時に遡って、本件明細書の特許請求の範囲の固定部材に接着剤(接着層)が含まれると解釈して本件発明の要旨を認定する余地はなくなったものと解するのが相当である。」

2009年9月27日日曜日

特許請求の範囲の用語の解釈にまつわる判決(その3)

知財高裁平成18年9月28日判決平成18年(ネ)第10007号事件「図形表示装置及び方法」

1.概要
 本判決は、特許成立後の侵害訴訟において、侵害被疑物件が特許発明の技術的範囲に属するか否かを判断する際には、
特許請求の範囲の用語が一義的に明確であるか否かに関係なく、特許請求の範囲の用語の意義は明細書の記載を参酌して解釈されることを明らかにした。なお、本判決の事例は、本ブログ平成21年7月27日付け投稿における「場面(3)」に該当する。
 本判決では、控訴人(特許権者)は、特許発明における「読出順序データ」という構成が、従来技術を考慮すれば、侵害被疑物件における「キャラクタコード」を包含すると主張した。これに対して裁判所は、明細書の記載等から、「読出順序データ」が「キャラクタコード」を意味するとは解釈できず、侵害被疑物件は特許発明の構成を有していない旨判断した。

2.裁判所の判断抜粋
「2.本件特許発明の技術的範囲の解釈について
(1)特許法70条1項は,「特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない。」,同条2項は,「前項の場合においては,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈するものとする。」と規定しているところ,元来,特許発明の技術的範囲は,同条1項に従い,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定められなければならないが,その記載の意味内容をより具体的に正確に判断する資料として明細書の記載及び図面にされている発明の構成及び作用効果を考慮することは,なんら差し支えないものと解されていたのであり(最高裁昭和50年5月27日第三小法廷判決・判時781号69頁参照),平成6年法律第116号により追加された特許法70条2項は,その当然のことを明確にしたものと解すべきである。
 ところで,特許明細書の用語,文章については,〔1〕明細書の技術用語は,学術用語を用いること,〔2〕用語は,その有する普通の意味で使用し,かつ,明細書全体を通じて統一して使用すること,〔3〕特定の意味で使用しようとする場合には,その意味を定義して使用すること,〔4〕特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とは矛盾してはならず,字句は統一して使用することが必要であるところ(特許法施行規則様式29〔備考〕7,8,14イ),明細書の用語が常に学術用語であるとは限らず,その有する普通の意味で使用されているとも限らないから,特許発明の技術的範囲の解釈に当たり,特許請求の範囲の用語,文章を理解し,正しく技術的意義を把握するためには,明細書の発明の詳細な説明の記載等を検討せざるを得ないものである。
 
また,特許権侵害訴訟において,相手方物件が当該特許発明の技術的範囲に属するか否かを考察するに当たって,当該特許発明が有効なものとして成立している以上,その特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明の記載との関係で特許法36条のいわゆるサポート要件あるいは実施可能要件を満たしているものとされているのであるから,発明の詳細な説明の記載等を考慮して,特許請求の範囲の解釈をせざるを得ないものである。
 そうすると,当該特許発明の特許請求の範囲の文言が一義的に明確なものであるか否かにかかわらず,願書に添付した明細書の発明の詳細な説明の記載及び図面を考慮して,特許請求の範囲に記載された用語の意義を解釈すべきものと解するのが相当である。
(2)控訴人は,従来技術から明確になる事柄については,発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとし,本件特許発明において,その特許請求の範囲は,従来技術を考慮すれば,当業者にとって,一義的に明確なものであるから,何ら限定解釈を加える理由はないのであって、本件特許発明の技術的範囲を限定的に解釈した上で,被控訴人製品が本件特許発明の構成要件を充足しないとした原判決の認定判断は誤りであると主張する。
 しかし,上記のとおり,特許権侵害訴訟においては,特許請求の範囲の文言が一義的に明確であるか否かを問わず,発明の詳細な説明の記載等を考慮して特許請求の範囲の解釈をすべきものであるから,従来技術から明確になる事柄について,それ以上発明の詳細な説明の記載等から限定して解釈すべきではないとする控訴人の主張は,そもそも,誤りである。 
 我が国の特許制度は,産業政策上の見地から,自己の発明を公開して社会における産業の発達に寄与した者に対し,その公開の代償として,当該発明を一定期間独占的,排他的に実施する権利(特許権)を付与してこれを保護することにしつつ,同時に,そのことにより当該発明を公開した発明者と第三者との間の利害の調和を図ることにしているものと解される(最高裁平成11年4月16日第二小法廷判決・民集53巻4号627頁参照)。本件原出願(昭和59年10月2日出願)に適用される昭和60年法律第41号による改正前の特許法36条4項が「第2項第3号の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」(いわゆる実施可能要件),同条5項が「第2項第4号の特許請求の範囲には,発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない。ただし,その発明の実施態様を併せて記載することを妨げない。」(いわゆるサポート要件)と定めているのも,発明の詳細な説明の記載要件という場面における,特許制度の上記趣旨の具体化であるということができる。
したがって,特許請求の範囲の記載に基づく特許発明の技術的範囲の解釈に当たって,何よりも考慮されるべきであるのは,公開された明細書の発明の詳細な説明の記載等であって,これに開示されていない従来技術は発明の詳細な説明の記載等に勝るものではない。
 仮に,控訴人主張のとおり,特許発明の技術的範囲の解釈において,従来技術から明確になる事柄については,それ以上発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとすることが許されるならば,発明の詳細な説明の記載等とは無関係に,特許請求の範囲の解釈の名の下に,随意に新たな技術を当該発明として取り込むことにもなりかねず,このような結果が,上記発明の公開の趣旨に反することは明らかである。
(3)以上のとおり,特許発明の技術的範囲の解釈に当たって,一義的に明確なものであれば,発明の詳細な説明の記載等により限定して解釈すべきではないとする控訴人の主張は,独自の議論であって,採用し得ないものというべきである。」

3.ダブルスタンダードの問題
 本判決と必ず対比しなければならない事件として、最高裁平成3年3月8日判決、昭和62年(行ツ)3事件(「リパーゼ判決」と通称されることがある)がある。
 リパーゼ判決の事例は、特許成立前の審査審判における新規性進歩性の判断のための発明の要旨認定(本ブログ平成21年7月27日付け投稿における「場面(2)」)の場面での用語の解釈である。特許請求の範囲の「リパーゼ」という用語の範囲を、明細書に記載の「Raリパーゼ」に限定して解釈し発明の要旨を認定するのか、「リパーゼ」という用語の範囲を文字通り広く解釈して発明の要旨を認定するのかという争点に対し、裁判所は後者を支持した。
「
特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法三六条五項の規定)からみて明らかである。」

 要するに、特許成立前の段階において、請求項に記載の発明が従来技術に対して新規性進歩性を有するかを判断する場面では「リパーゼ判決」により用語は原則として広く文言どおりに解釈される。一方、特許権成立後の段階において、特許発明の技術的範囲の解釈の場面では本判決に明示されているように、用語は明細書に記載された範囲を考慮して限定的に解釈される。
特許出願人及び特許権者は、常に自身に不利になるよう請求項中の用語が解釈されると覚悟しておくべきである。

 なお、米国においては機能的表現クレーム(ミーンズプラスファンクションクレーム)を明細書図面に記載された具体的な態様に限定して解釈するとする米国特許法第112条第6パラグラフの規定が、審査段階と侵害訴訟の場面の両方で等しく適用され、日本のような「ダブルスタンダード」の問題はないようである(小野康英「日本及び米国における機能表現クレームの実務上の取り扱い」パテントVol.61、No.9(2008)参照)。

2009年9月20日日曜日

拒絶査定とは異なる用語の解釈に基づいて進歩性を判断していることを理由に審決が取り消された事例

知財高裁平成21年9月16日判決
平成20年(行ケ)第10433号審決取消

1.事件経緯
本願発明
「(請求項1) 排ガス流路にNOx浄化触媒を配置した内燃機関の排ガス浄化方法において,前記NOx浄化触媒が,アルカリ金属及びアルカリ土類金属から選ばれる少なくとも一種の元素と,希土類金属から選ばれる少なくとも一種の元素と,白金族金属(いわゆる貴金属)から選ばれる少なくとも一種の元素と,チタン(Ti)とを含む組成物で,排ガスがリーンのときに排ガス中のNOxを表面に吸着し,排ガスがストイキもしくはリッチのとき吸着したNOxをN2に還元するものであって,内燃機関がリーン運転しているとき,前記NOx浄化触媒で排ガス中のNOxを吸着し,吸着後に,排ガスを0.5秒間乃至4.5秒の間ストイキもしくはリッチの状態とし,前記排ガスのストイキもしくはリッチは,そのリッチ状態の深さを空燃比A/F値で,13.0乃至14.7の間とし,前記NOx浄化触媒で吸着したNOxを還元剤と接触反応させてN2に還元して排ガスを浄化する内燃機関の排ガス浄化方法。」

 本発明では、NOx浄化触媒はNOxを表面に「吸着」する作用を有する。NOxの「吸収」とは異なるというのが原告(特許出願人)の解釈であり、明細書中においても、「吸収」と「吸着」とを明確に使い分けている。

 裁判所の解釈によれば、拒絶査定では、主引用例(引用例1、本件訴訟の甲1と同じ)にはNOxの「吸収」について記載されているものの、「吸着」については記載されていないという原告の解釈、すなわち、「吸収」と「吸着」とは異なる現象であるという解釈、を受容したうえで、
「NOx浄化触媒として,NOxを触媒表面への吸着するものは,例示するまでもなく本願出願前において周知である。所謂リッチスパイクの頻度及びそのリッチ状態の深さは,当業者が,燃費,浄化性能等を考慮し,実験等を繰り返すことにより最適値を得ることができるものである。」
と判断した。
 ただし、「NOx浄化触媒として,NOxを触媒表面への吸着するもの」は周知であると述べられているに止まり、何ら証拠は提示されていない拒絶査定では通知されていない。

 一方、拒絶審決では主引用例と本願発明との相違点を補完する周知例を新たに追加して、
「排ガスがリーンのときに,NOx浄化触媒としてNOxを触媒表面へ吸着するものは周知(例えば,周知例1及び周知例2参照。以下「周知技術1」という。)であることから,相違点1に係る本願発明の発明特定事項は周知である。」
と説示した。
 ただし、周知例1、2にはNOxが「吸着」されるという表現は記載されていない。
 裁判所の判断によれば、被告(特許庁)は、「表面に吸着する」とは「触媒表面に吸着するとともに,さらに触媒内部まで拡散(吸収)する」場合に含まれていること,すなわち,「吸着」と「吸収」とは同時に起こる現象であるとの前提に立って拒絶審決を下している。

 以上の点で、拒絶査定と拒絶審決とは異なる基準に基づいて判断を下しており、原告らに反論の機会を与えなかった点で違法性があると判断された。

2.裁判所の判断のポイント
「以上の経緯を考えると,・・・審査官は,「NOxを表面に吸着し」に関して,「吸着」と「吸収」の意義及び関係についての原告ら(出願人)の解釈を受容した上で検討を加え,その結果,「表面への吸着」という相違点については,引用発明又は前記(1) エ(ア)記載の引用文献2に記載された発明を含む周知技術に基づいて,本願発明は容易想到であると判断したものと理解するのが自然である。
 一方,・・・審決においては,触媒の表面上でO2-,O2-とNOが反応し,かつ硝酸イオンNO3-の形で吸収剤内に拡散するという一連の現象を捉えて,「表面に吸着する」現象と認定していることが窺われ,これは,本件において被告が主張するように,「表面に吸着する」とは「触媒表面に吸着するとともに,さらに触媒内部まで拡散(吸収)する」場合に含まれていること,すなわち,「吸着」と「吸収」とは同時に起こる現象であるとの前提に立つ判断であると推断される。
 
このように,拒絶査定と審決とでは,「表面に吸着」する点に関し,同一性のある解釈をしていたとは認められず,むしろ,拒絶査定及び審決における各説示の文言等に照らし,前者はこれを「表面への吸着」と解釈し,後者は表面のみならず「吸収」を含む現象と解釈していることが認められる。したがって,審決は,拒絶査定の理由と異なる理由に基づいて判断したといわざるを得ない。
 そして,前記第3で主張するとおりの原告らの解釈及び前提に立てば,この「表面に吸着」する点はまさしく本願発明の重要な部分であるところ,原告らの意見書や審判請求書における主張からすれば,「表面に吸着」する点に関し,原告らは,審判合議体とは異なる解釈をし,本願発明や引用発明を異なる前提で捉えていることが認められるのであるから,これに対して,審決が,拒絶査定の理由と異なる理由に基づいて,「表面に吸着し」との点について判断をしている以上,原告らに対し,意見を述べる機会を与えることが必要であったというべきである。
 なお,審決が原告らに対し上記のような意見を述べる機会を付与しなかったとしても,その双方の場合について実質上審理が行われ,原告らが必要な意見を述べているなどの特段の事情があれば,審決のとった措置は実質上違法性がないということもできないではないが(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10538号,同20年2月21日判決の第5の1(4) 参照*),本件においては,そのような特段の事情を認めることはできない。

「被告主張のように周知技術1及び2が著名な発明として周知であるとしても,周知技術であるというだけで,拒絶理由に摘示されていなくとも,同法29条1,2項の引用発明として用いることができるといえないことは,同法29条1,2項及び50条の解釈上明らかである。
確かに,拒絶理由に摘示されていない周知技術であっても,例外的に同法29条2項の容易想到性の認定判断の中で許容されることがあるが,それは,拒絶理由を構成する引用発明の認定上の微修整や,容易性の判断の過程で補助的に用いる場合,ないし関係する技術分野で周知性が高く技術の理解の上で当然又は暗黙の前提となる知識として用いる場合に限られるのであって,周知技術でありさえすれば,拒絶理由に摘示されていなくても当然に引用できるわけではない。被告の主張する周知技術は,著名であり,多くの関係者に知れ渡っていることが想像されるが,本件の容易想到性の認定判断の手続で重要な役割を果たすものであることにかんがみれば,単なる引用発明の認定上の微修整,容易想到性の判断の過程で補助的に用いる場合ないし当然又は暗黙の前提となる知識として用いる場合にあたるということはできないから,本件において,容易想到性を肯定する判断要素になり得るということはできない。」


*参考:知財高裁平成20年2月21日判決、平成18年(行ケ)第10538号事件から抜粋

「・・・
本件拒絶査定においては,引用文献2(引用刊行物)について何ら言及することなく,備考欄でも引用文献3(周知例1)を中心として拒絶すべき理由を説明していることなどをみると,審査段階では,引用文献2(引用刊行物)を引用文献として掲げながらも,審査官は,引用文献2(引用刊行物)を実質的には拒絶理由としておらず,このため,引用文献2(引用刊行物)を主引用例とする審決については,出願人である原告に意見・反論等の機会が実質上十分に与えられなかったなど,具体的な不利益を生じている疑念が生じるので,吟味することとする。
 本願発明の構成についてみると,本件明細書によれば,本願発明の祭用地下たびは,底部に衝撃吸収シート,これと接地底との間に空気封入弾性片を介在させ,かつ,アッパー爪先部にクッション材を装填すること等という簡素なものであり,その材質は,衝撃吸収シートは「ゴムや合成樹脂或いはそれらの発泡材料等」が,空気封入弾性片は「合成樹脂シート」が,クッション材は「ゴム,合成樹脂又は不織布等」が用いられるというのであるから,材質等に格別のものが使用されているというわけでもなく,また,発明の効果も,「本発明は以上詳述した如き構成からなるものであるから,祭用地下たびとして要求される軽快性,軽量性及び外観を維持しつつ,底部の衝撃吸収性及び踵の弾力性を十分発揮させ,かつ,爪先部の保護も同時に可能としたもの」(本件明細書の段落【0017】)であるところ,拒絶理由通知に掲記された引用文献1~4も,程度の差こそあれ,いずれも類似した構成の履物であって,各構成について比較対比するについて,格別の困難があるとは考えられない。
 しかも,原告は,上記認定判示したように,本件意見書(前記(1)イ)において,引用文献2(引用刊行物)に関して意見・反論をしており,また,審判請求書(前記(1)エ)においても同様であるほか,本願発明と引用文献2(引用刊行物)との比較検討もしており,本件における原告の取消事由2,3に関する主張と比較検討しても,
実質的に必要なところは論じ尽くしているとみることができ,原告に具体的な不利益が生じていたとは認められない。
・・・
以上によれば,審決の上記違法は本件の具体的な事情の下において審決を取り消すべき違法はないということができるから,原告主張の取消事由1は理由がない。」

2009年9月13日日曜日

(1) 「1または数個の欠失、挿入又は置換を有するアミノ酸配列」が許容されない場合。(2) 手続き上の瑕疵と違法性。

平成21年9月2日判決言渡
平成20年(行ケ)第10275号審決取消請求事件

1.概要
 拒絶審決に対する取消訴訟。
 本件請求項1の発明:
「【請求項1】少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列からなるポリペプチド中の部位に免疫学的に結合する,抗C型肝炎ウイルス(HCV)抗体であって,
ここで,該部位は,HCVに対する抗体によって結合され得,そして該少なくとも8個のアミノ酸の連続する配列は,以下のアミノ酸配列:
【化1】~【化3】(判決注:GlyからLeuまでの2436アミノ酸からなる配列,具体的配列はここでは省略)
中に1または数個の欠失,挿入,または置換を有するアミノ酸配列から得られる,抗体。」

 拒絶審決では実施可能要件違反が指摘されている。
 原告は審決取消理由2として、当業者は「(所定のアミノ酸配列中に)1または数個の欠失、挿入、または置換を有するアミノ酸配列」を抗原とする抗体に関する本発明は、過度の実験、試行錯誤を要することなく容易に実施することができることを主張した。
 原告はまた、審決取消理由3として、拒絶査定の理由とは異なる審決の理由は第二回の審尋において審判合議体により初めて告知され、原告は回答書において補正案を提示したものの、その後に拒絶理由通知は発せられず補正の機会も与えられないまま、審決がされたことは手続的瑕疵があり、違法である旨主張した。

 裁判所は、取消理由3については、「1または数個の欠失、挿入又は置換を有するアミノ酸配列」が許容される場合があることは認めつつも、本件の場合は理由がないと判断した。取消理由3については、特許庁側の瑕疵は認めつつも、結論に影響はなく違法性は認められないため、理由がないと判断した。

 ちなみに、新しい理由による独立特許要件違反を理由とした前置補正却下+補正前の請求項に対して拒絶査定と同じ理由で拒絶審決の手続きでは、補正却下理由を出願人に通知する必要はない。(知財高裁平成19年10月31日判決 平成19年(行ケ)10056号、本ブログ2009年5月8日記事)

2.判決抜粋
取消理由2について
「ア 原告は,旧特許法36条3項所定の実施可能要件の判断に当たり,本願発明が実施可能か否かは,本来任意に選択された一個の部分(本件では抗体)が生産及び使用をすることができるように本願明細書に記載されていることで足りると解すべきであるにもかかわらず,審決が「網羅的」に得ることが必要であるとした点には,誤りがあると主張する。旧特許法36条3項は,「・・・発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と規定する。特許権は,公開することの代償として,物の発明であれば,特許請求の範囲に記載された「その物」について,実施する権利を専有することができる制度であることに照らすならば,公開の裏付けとなる明細書の記載の程度は,「その物」の全体について実施できる程度に記載されていなければならないのは当然であって,「その物」の一部についてのみ実施できる程度に記載されれば足りると解すべきではない。したがって,原告の上記主張はその前提において失当である。

イ 原告は,バイオテクノロジー関連の分野では,実施可能要件は,すべての実施形態を網羅的に得ることを要求していないのが現状であり,それを要求することは,出願人に酷な結果をもたらし,ひいては発明を奨励するという特許法の趣旨に反し,著しく不合理であると主張する。
 
確かに,バイオテクノロジー関連の分野では,発明の詳細な説明において,「欠失,挿入または置換」されたすべての実施態様が具体的に記載されていなくても,特許請求の範囲において,特定のアミノ酸配列を示し,さらに同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する形式での記載が許容される場合がある。
 新規かつ有用な活性のある遺伝子に関連した技術分野において,当該分野のすぐれた発明等を奨励する観点,及び,仮にそのような記載が許容されなかった場合に第三者の模倣を阻止できず,独占権としての実効性を確保できない不都合を回避する観点から,特許請求の範囲に,特定のアミノ酸配列等を示した上で,同配列中の「1又は数個が欠失,挿入または置換」等がされた場合をも包含する記載が許容される場合があってしかるべきであるといえよう。しかし,そのような形式で特許請求の範囲の記載が許される場合であっても,そのことが,当然に発明の詳細な説明の記載について,一部の実施のみの開示によって,実施可能要件を充足するものと解すべきことを意味するものではない。
すなわち,特許請求の範囲に,新規かつ有用な活性のあるポリペプチドを構成するアミノ酸の配列が包括的に記載(配列の一部の改変を許容する形式で記載)されている場合において,元のポリペプチドと同様の活性を有する改変されたポリペプチドを容易に得ることができるといえる事情が認められるときは,いわゆる実施可能要件を充足するものと解して差し支えないというべきであるが,これに対し,上記のような形式で記載された特許請求の範囲に属する技術の全体を実施することに,当業者に期待し得る程度を越える試行錯誤や創意工夫を強いる事情のある場合には,いわゆる実施可能要件を充足しないというべきである。
 本件では,特許請求の範囲の記載は,本願発明に係る抗体を得るためのペプチドのアミノ酸配列数が,わずかに「少なくとも8個」であり,かつ,同配列中の「1個または数個のアミノ酸が欠失,挿入または置換」を含めたものとされているが,発明の詳細な説明には,そのようなわずかな配列数で特定されたペプチドを基礎として,これと同様の活性を有するペプチドを得るための改変を含む態様が,当業者にとって,容易に実施できる程度に開示されているとはいえない。したがって,原告の上記主張は採用することができない。」

取消理由3について
「ア 特許法50条,159条2項によれば,審判官は,拒絶審決をするときは,特許出願人に対し拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して意見書を提出する機会を与えることを要する。ところで,審判官が,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「本件の特定HCV変異体に対する抗体」と「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれ,
それぞれについて実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであり,とりわけ,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提として,実施可能要件を欠くとの判断を示したのは,第2回審尋がはじめてであるから,その事項については,新たな拒絶理由に該当するというべきである。そうすると,審判官は,上記理由については原告に対して補正の機会を与えるために改めて拒絶理由通知を行なうべきであり,それを怠った本件の審判手続には,手続上の瑕疵がある。

イ 
上記の瑕疵が,審決の結論に影響を及ぼすか否かを検討する。以下のとおり,「C型肝炎ウイルス(HCV)に対する抗体」に,「その他の天然に存在し得るHCV変異体に対する特異的抗体」が含まれるとの解釈を前提にしない場合であっても,実施可能要件を欠くことは明白であるから,上記手続の瑕疵は,審決の結論に影響するものではない。
 すなわち,弁論の全趣旨によれば,上記の場合であっても,①本願発明では,8アミノ酸からなるペプチドにおける8個のうち1個のアミノ酸のみを置換する場合,ペップスキャンの対象となるペプチドの数は38万8640通りとなり,該ペプチドの調製とアッセイは12か月以上を要すること,②本願発明では「少なくとも8個のアミノ酸」とあり,エピトープが8個以上のアミノ酸で構成されている場合が想定できること,③元配列に対する抗体と反応するエピトープが必ずしも存在するとはいえないこと,④どのようなアミノ酸配列からなる部位にどのような抗原性があるかを合理的に推論することができないこと(元来抗原性を持っていない部位が変異によって新たな抗原性を獲得することは十分にあり得る。)等の事情を考慮すると,エピトープを探索するために,膨大な回数のペップスキャンを行なうことが必要となり,当該作業は当事者に期待し得る程度を越える過度の試行錯誤を伴うというべきであって,実施可能ということはできない。なお,原告は,第2回審尋に対して補正案を提出しているが,その内容も上記①,③,④と同様の理由から実施可能要件を欠く。したがって,原告の主張は理由がない。」

2009年9月5日土曜日

無効審判手続きにおける「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否も請求項ごとに個別に判断される

知財高裁平成21年9月3日判決
平成21年(行ケ)第10004号審決取消請求事件

1.関連最高裁判決 
 平成19年(行ヒ)第318号平成20年7月10日第一小法廷判決では、
「・・・特許異議申立事件の係属中に複数の請求項に係る訂正請求がされた場合,特許異議の申立てがされている請求項についての
特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正については,訂正の対象となっている請求項ごとに個別にその許否を判断すべきであり,一部の請求項に係る訂正事項が訂正の要件に適合しないことのみを理由として,他の請求項に係る訂正事項を含む訂正の全部を認めないとすることは許されないというべきである。」
と判断され、特許異議申立手続において、複数の請求項について「特許請求の範囲の減縮」を目的とする訂正がされた場合、訂正の許否は請求項毎に判断されるべきであるとされた。

 では、「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否は、訂正請求全体を一体不可分のものとして判断されるのか?

2.本判決の概要
 本判決では、「明りょうでない記載の釈明」を目的とした訂正請求の許否も訂正の対象となっている請求項毎に判断されるべきであると判断された。

 無効審判手続きでは、原告(特許権者、無効審判被請求人)は請求項1ないし3,5,9ないし13,18,19,21ないし25について訂正請求を行ったところ,本件審決は,請求項19及び23に係る2つの訂正請求のみを判断し,訂正要件を欠くとして本件訂正すべてを認めないとした。

3.判決のポイント
「(1) 無効審判における複数の請求項に係る訂正の請求
 昭和62年法律第27号による特許法の改正によりいわゆる改善多項制が,そして,平成5年法律第26号による特許法の改正により無効審判における訂正請求の制度がそれぞれ導入され,特許無効審判の請求については,2以上の請求項に係るものについては請求項ごとにその請求をすることができ(特許法123条1項柱書き後段),請求項ごとに可分的な取扱いが認められているところ,特許無効審判の申立てがされている請求項についての特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正請求は,この請求項ごとに請求をすることができる特許無効審判請求に対する防御手段としての実質を有するものであるから,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解するのが相当であり,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠くことになることに照らすと,特許無効審判請求がされている請求項についての特許無効の範囲の減縮を目的とする訂正請求は,請求項ごとに個別に行うことが許容され,その許否も請求項ごとに個別に判断されることになる(前掲最高裁平成20年7月10日判決参照)。
 そして,特許無効審判の請求がされている請求項についての訂正請求は,請求書に請求人が記載する訂正の目的が,
特許請求の範囲の減縮ではなく,明りょうでない記載の釈明であったとしても,その実質が,特許無効審判請求に対する防御手段としてのものであるならば,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解するのが相当であり,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠くことになることからして,請求項ごとに個別に訂正請求をすることが許容され,その許否も請求項ごとに個別に判断されるべきものである。

「(5) 被告は,特許無効審判における訂正の請求において,請求項ごとの個別の訂正が認められるのは,特許請求の範囲の減縮を目的とする訂正請求であり,独立特許要件が要求されていない明りょうでない記載の釈明を目的とする訂正請求については,請求項ごとの個別の適用が認められるものではないと主張するが,たとい特許無効審判における訂正請求の請求書に記載されている訂正の目的が明りょうでない記載の釈明であったとしても,それが請求項ごとに請求することができる特許無効審判請求に対する防御手段としての実質を有するものであるならば,このような訂正請求をする特許権者は,請求項ごとに個別に訂正を求めるものと理解され,また,このような請求項ごとの個別の訂正が認められないと,特許無効審判事件における攻撃防御の均衡を著しく欠く結果となってしまうものであって,被告の主張は採用できないというべきである。」

2009年8月29日土曜日

補正により「除くクレーム」にすることが新規事項追加に該当しないと判断された事例

知財高裁平成21年3月31日判決
平成20年(行ケ)第10358号

1.ソルダーレジスト事件(平成20年5月30日知財高裁大合議判決)では、「訂正」により「ただし・・・を除く」などの消極的表現を追加して特許発明を限定することは、明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し、新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であると判断された。
 本日紹介する事例では、「補正」により除くクレームとすることが新規事項の追加に該当するか否かも「訂正」と同様の基準で判断されることが示された。

2.補正の内容
本件特許の請求項1
「フェノール樹脂又はイオン交換樹脂を炭素源として製造され,直径が0.01~1mmであり,ラングミュアの吸着式により求められる比表面積が1000m2/g以上であり,そして細孔直径7.5~15000nmの細孔容積が0.25mL/g未満である球状活性炭からなるが,
但し,式(1):
R=(I15-I35)/(I24-I35) (1)
〔式中,I15は,X線回折法による回折角(2θ)が15°における回折強度であり,I35は,X線回折法による回折角(2θ)が35°における回折強度であり,I24は,X線回折法による回折角(2θ)が24°における回折強度である〕
で求められる回折強度比(R値)が1.4以上である球状活性炭を除く,
ことを特徴とする,経口投与用吸着剤。」

 下線部は、同日に同日出願された特許発明と同一であるので、特許法第39条第2項の規定により特許を受けることができないとする拒絶理由を解消するために追加された。

3.裁判所の判断のポイント
「「除くクレーム」と法17条の2第3項との関係
ア 法17条の2は,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の補正に関する法文であり,その第3項は,「第1項の規定により明細書,特許請求の範囲又は図面について補正をするときは,…願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面…に記載した事項の範囲内においてしなければならない」と定めているところ,本件補正は前記のような「除くクレーム」の形でなされているものの,法17条の2にいう補正であることに変わりはないから,その適否を判断する基準となるのは,上記法17条の2である。
 ところで,特許権は発明について最初に出願した者に付与される(先願主義,法39条)のであるから,出願人が一旦なした不完全な内容の特許出願に対しその後その内容の補正を認める事実上の必要が生じたとしても,補正することができる物的範囲は上記先願主義との関係で自ら限界があり,発明の開示が不十分にしかされていない出願と出願当初から発明の開示が十分にされている出願との間の取扱いの公平性を確保するため,これを法は,上記のとおり,「願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならない」と規定したものである。
 そして,「明細書等に記載した事項の範囲内」か否かは,上記のような法の趣旨からすると,「明細書等に記載した事項」とは,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)を基準として,明細書・特許請求の範囲・図面のすべての記載を総合して理解することができる技術的事項のことであり,補正が,上記のようにして導かれる技術的事項との関係で新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は「明細書等に記載した事項の範囲内」であると解されることになる。
 したがって,本件のように特許請求の範囲の減縮を目的として特許請求の範囲に限定を付加する補正を行う場合,付加される補正事項が当該明細書等に明示されているときのみならず,明示されていないときでも新たな技術的事項を導入するものではないときは,「明細書等に記載した事項の範囲内」の減縮であるということになる。
 また,上記にいう「除くクレーム」を内容とする補正は,特許請求の範囲を減縮するという観点からみると差異はないから,先願たる第三者出願に係る発明に本願に係る発明の一部が重なる場合(法29条1項3号,29条の2違反)のみならず,本件のように同一人によりA出願とB出願とがなされ,その内容の一部に重複部分があるため法39条により両出願のいずれかの請求項を減縮する必要がある場合にも,そのまま妥当すると解
される。」

「すなわち,本件補正は,上記アのとおり,球状活性炭につき,X線回折法による回折角(2θ)が15°,24°,35°における回折強度の比(R値)が1.4以上であるものを除くとするものである。
 一方,前記記載のとおり,本件当初明細書に記載された発明は,経口投与用吸着剤に用いられる球状活性炭について,熱硬化性樹脂,実質的にはフェノール樹脂又はイオン交換樹脂を炭素源として用い,これにより,ピッチ類を用いる従来の球状活性炭に比べて,有益物質に対する吸着が少なく尿毒症性物質の吸着性に優れるという選択吸着性が向上するという効果を奏するとするものである。
 そして,上記(3)ウのとおり,別件特許は,球状活性炭からなる経口投与剤につき,その細孔構造に注目して,直径,比表面積のほか,最も優れた選択吸着性を示すX線回折強度を示す回折角の観点からこれをR値として規定し,このR値が1.4以上であることを特徴としたものである。別件特許は,球状活性炭に関し,本件特許とは異なりフェノール樹脂又はイオン交換樹脂を出発原料として特定せず,また本件特許では従来技術に属するものとされるピッチ類を用いても調整が可能であるとして,このR値の観点から球状活性炭を特定したものである。
 そうすると,球状活性炭のうちフェノール樹脂又はイオン交換樹脂を炭素源として用いた場合において,そのR値が1.4以上であるときには,本件特許に係る発明と別件特許に係る発明は同一であるということができる。そして,本件補正は,このR値が1.4以上である球状活性炭を特許請求の範囲の記載から除くことを目的とするものであるところ,上記本件当初明細書の記載内容によれば,本件補正は,当業者(その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者)によって,明細書,特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではないと認めるのが相当である。そうすると,本件補正は,特許法17条の2第3項に違反するものではないから,補正要件違反の無効理由は認められない。」

「ウ 原告の主張に対する補足的判断
(ア) 原告は,本件補正は,特許請求の範囲に回折強度比(R値)が1.4未満であるという限定を加える外的付加に他ならないところ,この点については本件当初明細書には開示も示唆もされていない新たな技術的事項であり,新規事項の追加に該当すると主張する。
 しかし,上記イで検討したとおり,回折強度比(R値)が1.4以上の部分を除くとする本件補正は,別件特許と同一となる部分を除くものであって,特許請求の範囲の記載に技術的観点から限定を加えるものではなく,新たな技術的事項を導入するものではないから,新規事項の追加に当たるものではない。原告の上記主張は採用することができない。」