2011年12月4日日曜日

請求項中の消極的構成要件の新規性が争われた事例

知財高裁平成23年10月24日判決
平成22年(行ケ)第10245号 審決取消請求事件

1.概要
無効審判審決=特許無効(新規性欠如)
知財高裁=審決取り消し
争点=「5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オンを含まない」という構成要件が引用文献に開示されているといえるか否か。

2.1.本件発明1
「少なくとも2つの活性な殺菌剤を含み,活性な殺菌剤のひとつが2-メチルイソチアゾリン-3-オン(=「MIT」と表記)である,病原性微生物によって感染されるものに付与される生物致死性組成物において,より活性な殺菌剤として1,2-べンゾイソチアゾリン-3-オン(=「BIT」)を含み,5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オン(=「CMIT」)を含まないことを特徴とする生物致死性組成物。」

2.2.「CMITを含まない」という特徴について
 CMITは,バクテリア等に対して,高い抗微生物活性を有するという利点があるが,他方,アレルギー反応等人体に悪影響を引き起こし,産業排水中のAOX値(有機塩素等の濃度)を高めるため,産業排水規制の観点から,その使用が望まれない等の欠点があったため,そのような課題に対する解決方法として,MITとBITを同時に使用して,各成分を個々に使用した場合に必要な濃度に比べ,低い濃度で使用しても抗微生物効果を発揮させることができるようにし,かつ「CMITを含まない」との限定をすることにより,課題解決に至った。

2.3.MITの製造方法について
 MITは、MITとCMITとの混合物から、MITを分離することにより得られる。
 発明の詳細な説明によれば、CMITを実質的に含まない実質的に純粋なMITを製造する従来公知の方法により製造されたMITを配合することができるとされている。

3.1.甲1(引用文献)発明
「MITとBITを含む生物致死性組成物。」
3.2.一致点:
「MITとBITを含む生物致死性組成物。」
3.3.相違点:
本件発明1では、「CMITを含まない」ことを特徴とする。
甲1発明では、CMITを含まないとは明示されていない。
3.4.審決の要点:
 甲1には、MITとBITとを含む組成物に、CMITを積極的に配合するという記述がない。
 仮に甲1で使用されているMIT中に微量のCMITが含まれていることがあるとしても、本件発明においてもMIT中に混入する微量のCMITは許容される。
 したがって、甲1発明と本件発明1とは実質的に区別できない。

4.裁判所の判断のポイント
「当裁判所は,本件発明1の特許請求の範囲(請求項1)には,「CMIT(5-クロロ-2-メチルイソチアゾリン-3-オン)を含まない」との技術的構成により限定される旨の記載がされているのに対し,甲1には,CMITが含有されたことによる問題点(解決課題)及び解決手段等の言及は一切なく,したがって「CMITを含まない」との技術的構成によって限定するという技術思想に関する記載又は示唆は何らされていないにもかかわらず,審決が,本件発明1は甲1発明1であるとして,特許法29条1項3号に該当する(新規性を欠く)とした判断には,少なくとも,新規性を欠くとした判断の論理及び結論に誤りがあると解する。その理由は,以下のとおりである。
 特許法29条1項は,特許出願前に,公知の発明,公然実施された発明,刊行物に記載された発明を除いて,特許を受けることができる旨を規定する。出願に係る発明(当該発明)は,出願前に,公知,公然実施,刊行物に記載された発明であることが認められない限り(立証されない限り),特許されるべきであるとするのが同項の趣旨である。
 当該発明と出願前に公知の発明等(以下「公知発明」という場合がある。)を対比して,公知発明が,当該発明の特許請求の範囲に記載された構成要件のすべてを充足する発明である場合には,当該発明は特許を受けることができないのはいうまでもない(当該発明は新規性を有しない。)。これに対して,公知発明が,当該発明の特許請求の範囲に記載された構成要件の一部しか充足しない発明である場合には,当該発明は特許を受けることができる(当該発明は新規性を有する。)。ただし,後者の場合には,公知発明が,「一部の構成要件」のみを充足し,「その他の構成要件」について何らの言及もされていないときは,広範な技術的範囲を包含することになるため,論理的には,当該発明を排除していないことになる。したがって,例えば,公知発明の内容を説明する刊行物の記載について,推測ないし類推することによって,「その他の構成要件についても限定された範囲の発明が記載されているとした上で,当該発明の構成要件のすべてを充足する」との結論を導く余地がないわけではない。しかし,刊行物の記載ないし説明部分に,当該発明の構成要件のすべてが示されていない場合に,そのような推測,類推をすることによってはじめて,構成要件が充足されると認識又は理解できるような発明は,特許法29条1項所定の文献に記載された発明ということはできない。仮に,そのような場合について,同法29条1項に該当するとするならば,発明を適切に保護することが著しく困難となり,特許法が設けられた趣旨に反する結果を招くことになるからである。上記の場合は,進歩性その他の特許要件の充足性の有無により特許されるべきか否かが検討されるべきである。」
「・・・・甲1において,CMITが含まれることによる欠点を回避するという技術思想は示されていない。
 甲1に接した当業者は,「CMITを含まない」との構成要件によって限定された範囲の発明が記載されていると認識することはなく,甲1には,「CMITを含む発明」との包括的な概念を有する発明が記載されていると認識するものと解される。
イ もっとも,甲1には,MIT及びBITからなる実施例(試料No.107を用いる例)が示されている。そこで,この点について検討する。
 甲1には,甲1に係る発明において用いるMIT等について,「これらの例示化合物は,米国特許第2,767,172号,米国特許第2,767,173号,米国特許第2,767,174号,米国特許第2,870,015号,英国特許第348,130号,フランス国特許第1,555,416号等に合成方法及び他の分野への適応例が記載されている。」と記載されているが,その他製造方法等を限定するような記載はない。また,米国特許第5,466,818号(甲40)に記載の方法によれば,「MITにCMITが0.4/98=1/245未満含まれている」こと,及び「実質的に純粋なMIT」を得ることは不可能でないことが示され,さらに,甲1が引用するフランス国特許第1,555,416号(甲20)において,引用された甲24には,MITの製造方法が記載されており,同方法によれば,CMITを生成しない方法が存在することも認められる。
 しかし,甲1に上記の記載があったとしても,上記アで認定したとおり,甲1に接した当業者は,「CMITを含まない」との構成によって限定された範囲の発明が記載されていると認識することはないというべきである。
 すなわち,①甲1発明には,上記のとおり,CMITが含まれたことによって生じる問題点に関する指摘は,全くされていないこと,②のみならず,甲1発明では,CMITが一般式(2)で示される化合物の具体例(2-2)として記載されていること,③本件優先日において,当業者が利用可能なMITとしては,CMITとの混合物しか市販されていなかったこと(甲7,甲34ないし39,乙6),④甲1の表2に示される実施例として用いられたMITにCMITが含まれるか否かを,原告において追試により確認した結果によれば,実施例は,純粋なMITからなるものではなく,むしろMITにCMITが含まれたものであると推測されること(甲25,28,42,43),⑤甲1の出願人と同一の出願人の特許出願に係る明細書において,「MITの合成法では,CMITの生成が避けられず,仕方なくこれまで両者の混合物を使用してきた」,「MITを単一に得ることは難しく,製造コストの点からわざわざ分離してまで使用することはしなかったからである。」(甲46,平成16年3月出願)などの記述があり,本件発明の出願日(優先日)当時においても,一般に,上記明細書に記述されていたとおりの認識がされていたと推認されること等の諸事実を総合すれば,当業者であれば,甲1発明において使用されるMITは,当然にCMITを含有するものであり,製造コストをかけて,CMITを除去するような化合物を使用することはないと認識していたものと解するのが合理的である。
 そうすると,甲1には,MIT及びBITからなる実施例が示されていたとしてもなお,同実施例の記載から直ちに,「CMITを含まない」との構成要件を充足する発明が記載,開示されていると認定することはできない。
ウ なお,審決は・・・本件発明において,「CMITを含まない」とは「CMITが僅かな量を含んだものを許容する」趣旨であると解釈した上,本件発明におけるCMITの含有量と甲1発明におけるCMITの含有量の差異が明らかにされなければ,相違点ウは,実質的に相違しないと判断している。
 しかし,「両者の含有量の差違が明らかにされなければ」差違があるものとすることはできないとの点につき,本件発明1が甲1発明であること(すなわち,本件発明1が新規性を有しないこと)を根拠付ける事実は,審判請求人(被告)において,その事実が存在することの主張,立証を負担すべきであるから,審決の判断は,その点において失当である。」

2011年11月13日日曜日

周知技術を用いて進歩性を否定する場合でも組み合わせが容易であることの説明が必要であると判断された事例

知財高裁平成23年9月28日判決
平成22年(行ケ)第10351号 審決取消請求事件

1.概要
 主引用文献記載の引用発明とクレーム発明との相違点が「周知技術」である場合、単に周知技術であるという理由だけで、該周知技術を引用発明に適用してクレーム発明を完成させることが容易であると判断される場合が多い。
 本事例において裁判所は、このような場合であっても周知技術を引用発明に組み合わせることが容易であったと判断する理由を明確に説明することを特許庁に求め、その理由を説明していない拒絶審決が違法であるとして取り消した。

2.発明の内容
【請求項1】
A)飲食物廃棄物の処分のための容器であって,
B)飲食物廃棄物を受け入れるための開口を規定し,
かつ
C-1)内表面および外表面を有する液体不透過性壁と,
C-2)前記液体不透過性壁の前記内表面に隣接して配置された吸収材と,
C-3)前記吸収材に隣接して配置された液体透過性ライナーと
を備え,
D)前記容器は前記吸収材上に被着された効果的な量の臭気中和組成物を持つ,
飲食物廃棄物の処分のための容器。

3.審決の理由
 審決は、本願発明は,刊行物1に記載された発明(引用発明)及び周知の事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないと判断した。
 審決が認定した引用発明の内容並びに本願発明と引用発明との一致点及び相違点,容易想到性判断の概要は,以下のとおりである。
ア 引用発明の内容
「生ゴミを収納するためのゴミ入れ袋であって,生ゴミを受け入れるための開口を有し,かつ内面と外面を有するプラスチック袋と,前記プラスチック袋の前記内面に被覆された吸水性ポリマー層とを備え,前記ゴミ入れ袋は前記吸水性ポリマー層に練り込まれた抗菌性ゼオライトを有する,生ゴミを収納するためのゴミ入れ袋。」
イ 一致点
「飲食物廃棄物の処分のための容器であって,飲食物廃棄物を受け入れるための開口を規定し,かつ内表面および外表面を有する液体不透過性壁と,前記液体不透過性壁の前記内表面に隣接して配置された吸収材と,前記容器は前記吸収材に保持された効果的な量の臭気中和組成物を持つ,飲食物廃棄物の処分のための容器。」
の点。
ウ 相違点
相違点1
 本願発明は,吸収材に隣接して配置された液体透過性ライナーを備えているのに対し,引用発明は,液体透過性ライナーを備えていない点。
相違点2
(省略)

相違点1に係る容易想到性の判断
 「液体不透過性壁の内表面に隣接して吸収材が配置されたシート状部材において,その吸収材に隣接して液透過性のライナーを配置することは,従来周知の事項である(例えば,周知例1(甲7)、周知例2(甲8),周知例3(甲9)、周知例4(甲10),周知例5(甲11)を参照のこと。)
 してみると,引用例における吸収剤である吸水性ポリマー層に隣接して,液透過性のライナーを配置することは,当業者が容易になし得たことである。」

4.裁判所の判断のポイント
「相違点1についての容易想到性判断の誤り(取消事由1)について
 審決は,周知例1ないし5を例示して,本願発明の引用発明との相違点1に係る構成(「液体不透過性壁の内表面に隣接して吸収材が配置されたシート状部材において,その吸収材に隣接して液透過性のライナーを配置すること」)は,従来周知の事項であり,容易であるとの結論を示しているが,そのような結論に至った合理的な理由を示していない。」

「当事者間に争いない事実及び(1)で認定した事実に基づいて,相違点1に係る構成の容易想到性の有無について,判断する。
ア 審決において,特許法29条2項が定める要件の充足性の有無,すなわち,当業者が,先行技術に基づいて,出願に係る発明を容易に想到することができたか否かを判断するに当たっては,客観的であり,かつ判断が適切であったかを事後に検証することが可能な手法でされることが求められる。そのため,通常は,先行技術たる特定の発明(主たる引用発明)から出発して,先行技術たる別の発明等(従たる引用発明ないし文献に記載された周知の技術等)を適用することによって,出願に係る発明の主たる引用発明に対する特徴点(主たる引用発明と相違する構成)に到達することが容易であったか否かを基準としてされる例が多い。
 他方,審決が判断の基礎とした出願に係る発明の「特徴点」は,審決が選択,採用した特定の発明(主たる引用発明)と対比して,どのような技術的な相違があるかを検討した結果として導かれるものであって,絶対的なものではない。発明の「特徴点」は,そのような相対的な性質を有するものであるが,発明は,課題を解決するためにされるものであるから,当該発明の「特徴点」を把握するに当たっては,当該発明が目的とした解決課題及び解決方法という観点から,当該発明と主たる引用発明との相違に着目して,的確に把握することは,必要不可欠といえる。
 その上で,容易想到であるか否かを判断するに当たり,「『主たる引用発明』に『従たる引用発明』や『文献に記載された周知の技術』等を適用することによって,前記相違点に係る構成に到達することが容易であった」との立証命題が成立するか否かを検証することが必要となるが,その前提として,従たる引用発明等の内容についても,適切に把握することが不可欠となる。
 もっとも,「従たる引用発明等」は,出願前に公知でありさえすれば足りるのであって,周知であることまでが求められるものではない。しかし,実務上,特定の技術が周知であるとすることにより,「主たる引用発明に,特定の技術を適用して,前記相違点に係る構成に到達することが容易である」との立証命題についての検証を省く事例も散見される。特定の技術が「周知である」ということは,上記の立証命題の成否に関する判断過程において,特定の文献に記載,開示された技術内容を上位概念化したり,抽象化したりすることを許容することを意味するものではなく,また,特定の文献に開示された周知技術の示す具体的な解決課題及び解決方法を捨象して結論を導くことを,当然に許容することを意味するものでもない。
 本件についてこれをみると,審決は,「主たる引用発明」に「従たる引用発明等」を適用することによって,容易想到性を判断したものではなく,「特定の引用発明」のみを基礎として,これに特定の技術事項が周知であることによって,本願発明と引用発明との相違点に係る構成は,容易に想到することができるとの結論を導いたものである。
 そこで,本件において,このような審決の理由づけをしたことの適否について,上記の観点をも踏まえた上で検討する。

イ 本願明細書に関する上記記載によれば,本願発明は,飲食物の食べ残しや廃棄物の処分に用いられる容器に関するもので,内表面および外表面を有する液体不透過性壁から構成され,容器の中には,吸収材が入れられ,吸収材には,効果的な量の臭気中和組成物がその上に被着されているものである。そして,「液体透過性ライナー」を吸収剤に隣接して配置するとの構成が採用されている。また,好適な液体透過性ライナーとしては,多孔質発泡体,網状化発泡体,開孔プラスチックフィルム,または天然繊維(たとえば,木材あるいは綿繊維),合成繊維(たとえば,ポリエステルあるいはポリプロピレン繊維)もしくは天然繊維と合成繊維の組み合わせの織製もしくは不織ウェブのような広範囲の材料から製造され得るとの記載がある。上記構成を採用した目的は,飲食物の廃棄物および食べ残しを中に入れる過程で容器の中に手を入れる消費者は,液状の廃棄物でほとんど,あるいは完全に飽和された吸収材との偶発的で,望ましくない接触を回避できる旨が記載されている。
 これに対して,審決の認定した引用発明の内容は,「生ゴミを収納するためのゴミ入れ袋であって,生ゴミを受け入れるための開口を有し,かつ内面と外面を有するプラスチック袋と,前記プラスチック袋の前記内面に被覆された吸水性ポリマー層とを備え,前記ゴミ入れ袋は前記吸水性ポリマー層に練り込まれた抗菌性ゼオライトを有する,生ゴミを収納するためのゴミ入れ袋。」である。
 引用発明においては,「吸水性ポリマー層」が吸水材として用いられ,プラスチック袋の内面に「被覆」されたものであること,及び刊行物1の第1図を参照すれば,「吸水性ポリマー層」は,プラスチック袋と一体化されていることから,その被覆された形状は,安定的に維持されていると理解するのが合理的である。そして,吸収性ポリマー層には,抗菌性ゼオライトを「練り込んだ」と記載されていることに照らすならば,被覆された層は,溶剤に溶かしたり熱溶融したりするなどして,流動性を持たせた吸水ポリマーにゼオライトを練り込んだものが被覆されることによって,プラスチック袋の基材と一体化されて,積層されていると理解される。被覆された層の一体化された形状は,「吸水性ポリマー層」が吸水した場合であってもなお,その形状が保持されるものと理解するのが合理的である。
 そうであるすると,引用発明において,「消費者が,液状の廃棄物でほとんど,あるいは完全に飽和された吸収材との偶発的で,望ましくない接触をすること」を回避する目的のために,さらに「液体透過性ライナー」を「吸収剤」に隣接して配置するとの構成を採用する動機はない。
 したがって,本願発明の相違点1に係る構成は,引用発明から,容易に想到することができるとした審決の判断には,誤りがある。
ウ この点について,審決は,「液体不透過性壁の内表面に隣接して吸収材が配置されたシート状部材において,その吸収材に隣接して液透過性のライナーを配置すること(周知事項1)」は,周知例1~5により周知事項であると認定した上で,「してみると,引用例における吸収剤である吸水性ポリマー層に隣接して,液透過性のライナーを配置することは,当業者が容易になし得たことである。」と記載するが,その理由は示されておらず,審決のこの記載には,以下のとおり理由不備ないし判断の誤りがある。
 確かに,周知例1ないし5には,液透過性のライナーが,吸収材に隣接して配置された技術が記載されている。
 しかし,そのような技術事項が記載されているからといって,本件において,「引用発明を起点として,上記の技術事項を適用することにより,本願発明の相違点1に係る構成に到達することが容易である」との立証命題について,引用発明の内容,本願発明の特徴,相違点の技術的意義,すなわち「液透過性のライナーが,吸収材に隣接して配置された技術」の有する機能,目的ないし解決課題,解決方法等を捨象して,「その吸収材に隣接して液透過性のライナーを配置する」技術一般について,一様に周知であるとして,当然に上記命題が成り立つとの結論を導くことは,妥当を欠く。
 なお,周知例には,吸収材の材料として,吸取紙または不織布(周知例1),高吸水性高分子材料(周知例2,3,4),吸収性ポリマーを含む紙や発泡合成樹脂(周知例5)が使用されていることに照らすならば,これを吸収材として有するシート状材料において,「液体透過性のライナー」は,これら粉状,粒状の材料を基材である液体不透過性シートの上に移動したり,脱落したりすることを防ぐ目的で用いられる技術としては,周知であると解することもできないではない。
 しかし,仮に,そのように理解したとしても,引用発明に,上記の意味に理解した周知技術を適用して,本願発明の相違点1に係る構成に至ることの動機付けはなく,容易であるとの結論を導くことはできない。すなわち,引用発明は,「吸水性ポリマー層」が吸水材として用いられ,プラスチック袋の内面に「被覆」されたものであること,「吸水性ポリマー層」はプラスチック袋と一体化されていること等から,その被覆された形状及び態様は,安定的に維持されている(少なくとも安定的に維持されることを目的として形成されている)と解されること,引用発明の吸収材は,基材シート上に配置された吸収材の形状等をさらに維持しなければならない課題はないと解されることに照らすならば,吸収材の形状等を維持する等の目的のために,刊行物1に記載も示唆もない「液透過性のライナー」を,あえて配置する動機付けは存在しない。
 結局,周知事項1を適用することが容易であるとした審決の理由は,理由不備ないし判断の誤りがある。
エ そうすると,本願発明における相違点1に係る構成について,引用発明を起点として,周知事項1を適用することにより当業者が容易になし得たということはできず,相違点1に関する審決の容易想到性に関する判断は誤りである。

2011年10月10日月曜日

審判段階での補正却下手続が違法と判断された重要判決

知財高裁平成23年10月4日判決

平成22年(行ケ)第10298号 審決取消請求事件

1.概要

 最後の拒絶理由通知応答時や拒絶査定審判請求時にする補正において、請求項発明を限定的に減縮する場合、補正後の請求項発明は独立して特許を受けることができる発明であることが必要である(特許法17条の2第6項で準用する特許法126条6項)。この「独立特許要件」を満足しない補正は却下される(特許法53条)。補正の却下の理由は通知されず、出願人には反論の機会がない。例えば、補正後の発明が、審査段階で全く引用されていない引用文献により新規性がないと審判段階(又は前置審査段階)で判断された場合には、出願人にとって反論の機会がないまま補正が却下される。補正却下後に残る補正前の請求項は既に通知されている理由により拒絶される。

 要するに制度上は、前置補正において限定的補正がされた場合には、審判官は新しく発見された拒絶理由を通知する義務はなく、補正を却下して拒絶査定を維持することが可能である。補正却下の理由が客観的に見て妥当性を欠く理由であっても反論の機会はない。

 本事例では、拒絶査定不服審判において前置審査において新たに発見された引用文献に基づき補正が却下された。原告(出願人)は、この補正却下を含む審判手続きは、特許法159条2項で準用する50条の規定(「審査官は、拒絶をすべき旨の査定をしようとするときは、特許出願人に対し、拒絶の理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。」という規定)に違反すると主張した。

 従来の裁判例ではこの種の主張は認められていないようである。例えば知財高裁平成19年10月31日判決 平成19年(行ケ)10056号(当ブログ2009年5月8日紹介)において裁判所は「補正の却下について意見書を提出する機会は与えなくていいとされているのであるから,本件補正の却下に当たり,補正の却下の理由を事前に通知する必要がないことは明らかであり,原告の主張は採用できない。・・・原告は,発明に該当しないという拒絶理由は,本件補正により生じた拒絶理由ではなく,本件補正の前から既に存在していたが見落とされていた拒絶理由であるから,本件補正について,特許法17条の2第5項が適用されるべきではない旨主張する。しかし,補正の却下を定めた上記規定において,原告主張を裏付けるといえる規定はなく,原告の見解は独自のものである。」と判断している。

 本事例では「特許出願審査手続の適正を貫くための基本的な理念が欠けたものとして適正手続違反があるとせざるを得ない」という理由で審決に違法な瑕疵があると判断した。

2.裁判所の判断のポイント

「1 取消事由1(審判手続の法令違背)について

(1) 原告は,審決が,拒絶査定における引用文献と異なる引用文献を用いて補正発明の進歩性を否定したものであり,原告には,拒絶査定の理由と異なる拒絶の理由について意見書を提出する機会が与えられなかったから,審判手続には特許法159条2項で準用する同法50条の規定に違反する瑕疵があり,当該瑕疵は審決の結論に影響を及ぼす違法なものであると主張する。

(2) まず,審決に至るまでに審査官及び審判官が示した文献に焦点を当てて本件の経過をみるに,審査での拒絶査定(甲11)で示されたのは,刊行物1(特開昭59-171588号公報)及び特開昭53-25072号公報(甲3)の公知文献のほか,特表平9-500709号公報及び実願平4-27639号(実開平5-87352号)のマイクロフィルムであったのに対し,原告が審判請求とともにした本件補正後に審判で示された審尋書(甲15)で,刊行物1のほか,新たに刊行物2(実願昭61-179182号(実開昭63-85495号)のマイクロフィルム)と実願昭63-111582号(実開平2-32822号)のマイクロフィルムを提示して拒絶すべきものとする前置報告書の内容が原告に示され,改めて拒絶理由が通知されない限り特許法17条の2所定の補正はできないが,審尋に回答するよう求め,原告はこれに対して,本件補正は独立特許要件を充足すること,また,補正案を示して更に請求項1を補正する機会を与えてほしいことなどを内容とする回答書(甲16)を提出したが,そのまま審決に至ったというにある。

(3) 本件出願に関して争点となっている法条については,平成5年法律第26号により改正された特許法17条の2及び50条が適用されるところ,本件補正は,平成6年法17条の2第1項3号に該当する拒絶査定不服審判請求日から30日以内に行う補正であるから,同条の2第3項ないし5項に規定される要件を満たす必要があり,特許請求の範囲の減縮を目的とする補正について同条の2第5項により準用される同法126条4項は,「発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものでなければならない」と規定するから,本件補正は,いわゆる「独立特許要件」を充足する必要がある。

 一方,同法53条は,同法17条の2第1項2号に係る補正が,同条3項から第5項までの規定に違反している場合には,決定をもってその補正を却下すべきものとし,同条は,同法159条1項で読み替えて拒絶査定不服審判に準用される。また,同法50条ただし書は,拒絶査定をする場合であっても,補正の却下をするときは,拒絶理由を通知する必要はないものとし,同条ただし書は,同法159条2項で読み替えて拒絶査定不服審判に準用される。したがって,拒絶査定不服審判請求に際して行われた補正については,いわゆる新規事項の追加に該当する場合や補正の目的に反する場合だけでなく,新規性,進歩性等の独立特許要件を欠く場合であっても,これを却下すべきこととされ,その場合,拒絶理由を通知することは必要とされていない。

 ところで,平成6年法50条本文は,拒絶査定をしようとする場合は,出願人に対し拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して意見書を提出する機会を与えなければならないと規定し,同法17条の2第1項1号に基づき,出願人には指定された期間内に補正をする機会が与えられ,これらの規定は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合にも準用される。審査段階と異なり,審判手続では拒絶理由通知がない限り補正の機会がなく(もとより審決取消訴訟においては補正をする余地はない。),拒絶査定を受けたときとは異なり拒絶査定不服審判請求を不成立とする審決(拒絶審決)を受けたときにはもはや再補正の機会はないので,この点において出願人である審判請求人にとって過酷である。特許法の前記規定によれば,補正が独立特許要件を欠く場合にも,拒絶理由通知をしなくとも審決に際し補正を却下することができるのであるが,出願人である審判請求人にとって上記過酷な結果が生じることにかんがみれば,特許出願審査手続の適正を貫くための基本的な理念を欠くものとして,審判手続を含む特許出願審査手続における適正手続違反があったものとすべき場合もあり得るというべきである。

(4) 本件においてされた補正却下に関する事情として, 本件補正の内容となる構成が補正前の構成に比して大きく限定され,すなわち,補正前発明が,駆動力入力端と2つの駆動力出力端とを含み双方向駆動を生じさせるための洗濯機において,駆動力伝達のための機構が,「駆動力入力を2つの駆動力出力に変換可能な歯車箱」と一般的に記載されていたのを,本件補正は,図面等に示された実施例の内容に即して,歯車箱内の歯車を二対の歯車部(15,28)を中心に具体的構成を特定するものであって,補正発明の構成に係るものであるが,この新たな限定につき現に新たな公知文献を加えてその容易想到性を判断する必要のあるものであったこと,② 審尋で提示された公知文献はそれまでの拒絶理由通知では提示されていなかったものであること,③ 審尋の結果,原告は具体的に再補正案を示して改めて拒絶理由を通知してほしい旨の意見書を提出したこと,④ 後記2で判断するとおり,新たに提示された刊行物2の記載事項を適用することは是認できないこと,などの事実関係がある。本件のこのような事情にかんがみると,拒絶査定不服審判を請求するとともにした特許請求の範囲の減縮を内容とする本件補正につき,拒絶理由を通知することなく,審決で,従前引用された文献や周知技術とは異なる刊行物2を審尋書で示しただけのままで進歩性欠如の理由として本件補正を却下したのについては,特許出願審査手続の適正を貫くための基本的な理念が欠けたものとして適正手続違反があるとせざるを得ないものである。本件においては,審判においても,減縮的に補正された歯車の具体的構成に対し,その構成を示す新たな公知技術に基づいて進歩性を否定するについては,この新たな公知技術を根拠に含めて提示する拒絶理由を通知して更なる補正及び意見書の提出の機会を与えるべきであったというべく,この手続を経ることなく行われた審決には瑕疵があり,当該手続上の瑕疵は審決の結論に影響を及ぼすべき違法なものであるから,原告主張の取消事由1には理由がある。

(5) 被告は,平成5年法改正が,出願当初から多項制を活用して補正をあまり行わない出願と過度の補正を行う出願との不公平を是正し,審査・審判の迅速性を確保するために行われたものであり,最後の拒絶理由通知を受けた後になされた補正や拒絶査定不服審判を請求する際の補正が不適法である場合,直ちに当該補正を却下するという制度設計がなされたものであると主張する。

 確かに,平成5年法改正は,被告主張のように,補正の目的を制限すること等により審査・審判の迅速性を確保することをその趣旨としたものということができる。

 しかし,平成5年法改正がこのような趣旨であり,補正が繰り返されるのは好ましくないとしても,それまでに示されなかった拒絶理由の枠組みに対する適切な手続保障が失われてはならず,過度の補正が行われた出願については別途の考慮を要するとして,本件の前記事実関係の下に,新たな公知技術が拒絶理由で示されないまま審決で補正発明につき独立特許要件欠如として容易想到の結論に至ることが許されないことに変わりはない。

 被告は,審尋において,前置報告書の内容を示して意見があれば回答をするよう求め,具体的に刊行物2を示してその内容に基づいて補正発明が進歩性を欠く旨を述べ,これに対し原告は,平成22年4月9日付け回答書を提出して,刊行物2及びその他の引用文献について詳細に反論し,補正発明が進歩性を有する旨を主張しているのであるから,この点について意見を述べる機会が与えられなかったとはいえないと主張する。

 しかし,上記の手続は,審尋において刊行物2を示しただけであり,拒絶理由を通知して意見書の提出を求めたものではないから,補正案を示して補正の機会を与えるよう要望し,新たに示された刊行物2に対応した補正を予定していた原告の手続保障に欠けるものであって,前示のような適正な審判の実現と発明の保護を図るという観点を欠くものである。」

2011年10月2日日曜日

発明を実施するとき発生する問題点を解決するためのノウハウの開示の必要性について

知財高裁平成23年9月15日判決

平成22年(行ケ)第10348号 審決取消請求事件

1.概要

 請求項発明を実用的に実施するために必要なノウハウが明細書中に明確に記載されていない場合に、実施可能要件違反に該当するのかが争われた無効審判の審決取消訴訟である。

 審決と裁判所はともに実施可能要件は満足されると判断した。

2.請求項に記載の発明

【請求項1】飛灰に水と,ピペラジン-N-カルボジチオ酸もしくはピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸のいずれか一方もしくはこれらの混合物又はこれらの塩を添加し,混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法

3.裁判所の判断のポイント

(1) 実施可能要件について

 ・・・方法の発明における発明の実施とは,その方法の使用をすることをいい(特許法2条3項2号),物の発明における発明の実施とは,その物を生産,使用等をすることをいうから(同項1号),方法の発明については,明細書にその方法を使用できるような記載が,物の発明については,その物を製造する方法についての具体的な記載が,それぞれ必要があるが,そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願当時の技術常識に基づき当業者がその方法を使用し,又はその物を製造することができるのであれば,上記の実施可能要件を満たすということができる。

 これを本件発明についてみると,本件発明1ないし5は,方法の発明であり,本件発明6ないし10は,物の発明であるが,本件発明は,いずれもその特許請求の範囲(前記第2の2)に記載のとおり,本件各化合物(ピペラジン-N-カルボジチオ酸(本件化合物1)若しくはピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸(本件化合物2)のいずれか一方若しくはこれらの混合物又はこれらの塩)が飛灰中の重金属を固定化できるということをその技術思想としている。

 したがって,本件発明が実施可能であるというためには,①本件明細書の発明の詳細な説明に本件発明を構成する本件各化合物を製造する方法についての具体的な記載があるか,あるいはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を製造することができる必要があるほか,②本件明細書の発明の詳細な説明に本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できること及びその方法を使用できるような記載があるか,あるいはそのような記載がなくても,本件明細書の記載及び本件出願日当時の技術常識に基づき当業者が本件各化合物を飛灰中の重金属の固定化剤として使用できる必要があるというべきである。

(2) 本件明細書の記載について

 以上の観点から本件明細書の発明の詳細な説明を見ると,そこには,本件発明についておおむね次の記載がある。

ア 本件発明は,都市ゴミや産業廃棄物等の焼却プラントから排出される飛灰を処理するに際し,飛灰中に含有される鉛,水銀,クロム,カドミウム,亜鉛及び銅等の有害な重金属をより簡便に固定化し不溶出化することを可能にする方法に関するものである(【0001】)。

イ 前記飛灰は,電気集塵機(EP)やバグフィルター(BF)で捕集されたのち埋め立てられ又は海洋投棄されているが,有害な重金属の溶出には環境汚染の可能性があるため,例えば引用発明4の薬剤添加法などの処理を施してから廃棄することが義務付けられている(【0002】)。しかし,飛灰処理に関しては,特に高アルカリ性飛灰の重金属溶出量が多くなることなどが知られているため,従来の薬剤では,その使用量を大幅に増加するか,塩化第二鉄等のpH調整剤等を併用せざるを得ず,処理薬剤費が増大し,また処理方法が複雑化する等の問題があった。さらに,引用発明4等で使用されるジチオカルバミン酸は,原料とするアミンによっては,pH調整剤との混練又は熱により分解するために,混練処理手順及び方法に十二分に配慮する必要があった(【0003】)。

ウ 本件発明の目的は,飛灰中に含まれる重金属を安定性の高いキレート剤を用いることにより簡便に固定化できる方法を提供することであり(【0004】),本件発明の発明者らは,ピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各化合物)が,重金属に対するキレート能力が高く,高アルカリ性飛灰においても少量の添加量で重金属を固定化でき,かつ,熱的に安定であることを見いだした(【0005】)。

 すなわち,本件発明は,飛灰に水とピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各化合物)を添加し,混練することを特徴とする飛灰中の重金属の固定化方法である(【0006】)。

エ 次に,実施例によりさらに詳細に本件発明を説明する。ただし,本件発明は,下記実施例によってなんら制限を受けるものではない(【0015】)。

() 合成例1(ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸ナトリウム)の合成

 ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン172重量部,NaOH167重量部,水1512重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら45℃で二硫化炭素292部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間熟成を行った。

 反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄色透明の液体を得た(化合物No.1。【0016】)。

() 合成例2(ピペラジン-N,N′-ビスカルボジチオ酸カリウム)の合成

 ガラス製容器中に窒素雰囲気下,ピペラジン112重量部,KOH48.5%水溶液316重量部,水395重量部を入れ,この混合溶液中に攪拌しながら40℃で二硫化炭素316部を4時間かけて滴下した。滴下終了後,同温度にて約2時間熟成を行った。反応液に窒素を吹き込み未反応の二硫化炭素を留去したところ,黄色透明の液体を得た(化合物No.2。【0018】)。

() 安定性試験

 化合物No.1及びNo.2並びにエチレンジアミン-N,N′-ビスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.3)及びジエチレントリアミン-N,N′,N′′-トリスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.4)の水溶液を65℃に加温し,あるいはpH調整剤として塩化第二鉄(38%水溶液)を20重量%添加して硫化水素ガスの発生について調べたところ,化合物No.1及びNo.2ではいずれも硫化水素が発生しなかったが,化合物No.3及びNo.4ではいずれも硫化水素が発生した(【0021】【0022】)。

() 重金属固定化能試験

鉛等を含むBF灰100重量部に水30重量部を加え,化合物No.1を0.5部(実施例1。【0023】)若しくは0.74部(実施例2。【0026】)又は化合物No.2を0.4部(実施例3。【0027】)若しくは0.8部(実施例4。【0028】)を添加・混練し,環境庁告示第13号試験に従い溶出試験を行ったところ,鉛の溶出結果は,それぞれ0.07ppm(実施例1),0.05ppm 以下(実施例2),0.06ppm(実施例3)及び0.01ppm 以下(実施例4)であった(【0024】)。

 他方,化合物No.1を使用しない以外は実施例1と同様にした場合(比較例1。【0029】),化合物No.1の代わりにエチレンジアミン-N,N′-ビスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.3)を0.8部(比較例2)及び1.2部(比較例3)となるように添加する以外は実施例1と同様にした場合(【0030】)並びに化合物No.1の代わりにジエチレントリアミン-N,N′,N′′-トリスカルボジチオ酸ナトリウム(化合物No.4)を0.76部(比較例4)及び1.15部(比較例5)となるように添加する以外は実施例1と同様にした場合(【0031】)の鉛の溶出結果は,それぞれ29.0ppm(比較例1),25.5ppm(比較例2),24.9ppm(比較例3),5.91ppm(比較例4)及び1.35ppm(比較例5)であった(【0024】)。

オ 本件発明の方法によれば,ピペラジンカルボジチオ酸又はその塩(本件各化合物)は,重金属固定化能が高く,かつ,熱的にも安定であることから,重金属溶出量の多い高アルカリ性飛灰においても,少量の添加で効果を発揮し経済的であるとともに,他の助剤の使用に際して安全かつ簡便な処理方法にて実施できるので工業的にも非常に有用である(【0032】)。

(3) 本件発明の実施可能性について

ア 前記(1)①についてみると,以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には本件各化合物の製造方法についての一般的な記載はなく,実施例中に,合成例1(化合物No.1)及び2(化合物No.2)として,本件化合物2の塩の製造例が記載されているにとどまる。

 他方,引用例3(昭和55年3月刊行)には,ピペラジンジチオカルバメート及びピペラジンビスジチオカルバメートのナトリウム塩が公知の方法で合成された旨の記載があり,また,甲19(昭和54年刊行)にもピペラジンジチオカルバミン酸ナトリウムを合成した旨の記載があることからすると,本件各化合物は,本件出願日当時において公知の化合物であり,その製造方法も,周知の事項であったものと認められる(原告も,この点を争っていない。)。

 したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載の有無にかかわらず,当業者は,本件出願日当時において,本件各化合物を製造することができたものと認められる。

イ 次に,前記(1)②についてみると,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件各化合物が,重金属に対するキレート能力が高く,高アルカリ性飛灰においても少量の添加量で重金属を固定化できる知見の裏付けとして,前記(2)()に認定のとおり,BF灰(バグフィルターで捕集された灰)に,水と本件化合物2の塩を0.4ないし0.8重量%加え,混練したものから重金属の溶出が抑制されていることが記載されている(重金属固定化能試験)。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できること及びその方法を使用できるような記載があるということができる。

ウ 以上によれば,当業者は,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願日当時の技術常識から本件各化合物を入手して,飛灰中の重金属の固定化に使用できるということができるので,本件明細書の発明の詳細な説明は,当業者がその実施をすることができる程度に十分に記載されているものということができる。

 よって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,法36条4項に違反せず,これと結論を同じくする本件審決に誤りはない。

(4) 原告の主張について

ア 以上に対して,原告は,副生成物の生成を抑制しないと硫化水素が発生して本件発明が実施できないから,一般的な合成方法とは異なる異常に低い攪拌速度を採用して副生成物の生成を抑制する旨を記載していない本件明細書によっては,本件発明が実施不可能である旨を主張する。

 しかしながら,本件発明の特許請求の範囲の記載は,本件各化合物が飛灰中の重金属の固定化剤として使用できる旨を方法又は物の発明として特定しており,本件発明は,本件各化合物の製造に当たって硫化水素を発生させる副生成物の生成を抑制することをその技術的範囲とするものではない。したがって,本件明細書の発明の詳細な説明に副生成物の生成が抑制された本件各化合物の製造方法が記載されていないからといって,特許請求の範囲に記載された本件発明が実施できなくなるというものではなく,法36条4項に違反するということはできない。

 なお,本件明細書の発明の詳細な説明によれば,前記(2)()に認定のとおり,本件発明は,飛灰中の重金属を固定化する際にpH調整剤と混練し又は加熱を行うという条件下でも分解せずに安定である,すなわち有害な硫化水素を発生させないことも,その技術的課題としているといえる(安定性試験)。しかし,上記技術的課題を解決するという作用効果は,他の先行発明との関係で本件発明の容易想到性を検討するに当たり考慮され得る要素であるにとどまるというべきである。

 よって,原告の上記主張は,それ自体失当であり,採用できない。

イ また,原告は,前記アの主張を前提として,被告による甲12実験が本件明細書とは実験スケールを変更しているばかりか,本件明細書に記載がない異常に低い攪拌速度を採用しており,また,二硫化炭素の滴下には名人芸的なコントロールを要するところ,本件明細書にはこの点について記載がないから,本件明細書によっては本件発明が実施不可能である旨を主張する。

 原告の上記主張は,前記のとおり,その前提において失当ではあるが,事案に鑑み念のために検討すると,確かに,本件明細書には,合成例1及び2について,いずれも攪拌及び二硫化炭素の滴下の時間が4時間と記載されているが(前記(2)()及び()),攪拌速度及び二硫化炭素の滴下方法については記載がない。

 しかしながら,例えば合成例2と同様の方法でジチオカルバミン酸誘導体を製造する方法について記載した他の複数の文献(引用例4,甲18,乙4)は,いずれも攪拌速度及び二硫化炭素の滴下の詳細について記載がないから,当業者であれば,

 これらの条件の詳細が記載されていなくとも本件各化合物を製造することができるものと認められる。

・・・

 よって,原告の上記主張も採用できない。」

2011年9月25日日曜日

請求項中の用語の解釈が争われた特許権侵害訴訟の中間判決

知財高裁平成23年9月7日 判決言渡

平成23年(ネ)第10002号 特許権侵害差止等請求控訴事件

1.概要

 控訴人(第一審原告)が有する特許第4111832号(発明の名称「餅」)は、切り込み部が設けられた切餅に関わる発明である。

 被控訴人(第一審被告)が実施する切餅製品(被告製品)が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かが争われた。

 東京地裁での第一審では被告製品は本件特許の「構成要件B」を満足せず侵害不成立と判断された。

 一方、知財高裁は被告製品は本件特許の「構成要件B」を満足し、侵害成立と判断された。

2.本件発明

 特許第4111832号(発明の名称:「餅」)に係る本件発明の特許請求の範囲(請求項1)を構成要件に分説すると以下の通り:

「焼き網に載置して焼き上げて食する輪郭形状が方形の小片餅体である切餅の」(構成要件A),

「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け,」(構成要件B),

「この切り込み部又は溝部は,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に一周連続させて角環状とした若しくは前記立直側面である側周表面の対向二側面に形成した切り込み部又は溝部として, 」( 構成要件C),

「焼き上げるに際して前記切り込み部又は溝部の上側が下側に対して持ち上がり,最中やサンドウイッチのように上下の焼板状部の間に膨化した中身がサンドされている状態に膨化変形することで膨化による外部への噴き出しを抑制するように構成した」(構成要件D),

「ことを特徴とする餅。」(構成要件E)

 本件発明は、小片餅体(切り餅)の側周表面に切り込みまたは溝部を設けることにより、オーブントースターなどで焼き上げたときに、餅が膨化すると、膨化によってこの切り込みの上側が下側に対して持ち上がり、餅の外観が損なわれない、という効果を奏する。

3.主な争点

 被控訴人(第一審被告)が実施する侵害被疑物品は、切り餅の側周表面に切り込み部が設けられているだけでなく、切り餅の平坦上面及び載置底面にも切り込み部が設けられている。

 これに対して本件発明の構成要件Bでは「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」切り込み部を設けると記載されている。

 構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という記述が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部が設けられることを排除する意図であるのか否かが争点。

4.第一審(東京地裁)

 第一審において東京地裁は構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という記述により、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部が設けられることは技術的範囲から除外されると判断し、被告製品は構成要件Bを備えておらず特許権の侵害は成立しないと結論付けた。

 第一審の判断のポイント

「本件発明の特許請求の範囲(請求項1)の記載及び前記()の本件明細書の記載事項を総合すれば,本件発明は,「切り込みの設定によって焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化でき」るようにすることなどを目的とし,切餅の切り込み部等(切り込み部又は溝部)の設定部位を,従来考えられていた餅の平坦上面(平坦頂面)ではなく,「上側表面部の立直側面である側周表面に周方向に形成」する構成を採用したことにより,焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,「切り込み部位が焼き上がり時に平坦頂面に形成する場合に比べて見えにくい部位にあるというだけでなく,オーブン天火による火力が弱い位置にあるため,焼き上がった後の切り込み部位が人肌での傷跡のような忌避すべき焼き形状とならない場合が多い」などの作用効果を奏することに技術的意義があるというべきであるから本件発明の構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,・・・切り込み部又は溝部を設け」との文言は,切り込み部等を設ける切餅の部位が,「上側表面部の立直側面である側周表面」であることを特定するのみならず,「載置底面又は平坦上面」ではないことをも並列的に述べるもの,すなわち,切餅の「載置底面又は平坦上面」には切り込み部等を設けず,「上側表面部の立直側面である側周表面」に切り込み部等を設けることを意味するものと解するのが相当である。」

5.第二審(知財高裁)

 第二審の知財高裁は、東京地裁とは正反対に、載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることは除外されず、被告製品は構成要件Bを備えると判断した。

第二審の判断のポイント

「当裁判所は,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,「側周表面」であることを明確にするための記載であり,載置底面又は平坦上面に切り込み部又は溝部(以下「切り込み部等」ということがある。)を設けることを除外するための記載ではないと判断する。

 この点,被告は,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分は,「この小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」との記載部分とは,切り離して意味を理解すべきであって,「載置底面又は平坦上面」には,「一若しくは複数の切れ込み部又は溝部」を設けない,という意味に理解すべきであると主張する。

 しかし,①「特許請求の範囲の記載」全体の構文も含めた,通常の文言の解釈,②本件明細書の発明の詳細な説明の記載,及び③出願経過等を総合するならば,被告の上記主張は,採用することができない。」

「(ア) 特許請求の範囲の記載

 本件発明の特許請求の範囲(請求項1)には,「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け,」(構成要件B)と記載されている。

 上記特許請求の範囲の記載によれば,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分の直後に,「この小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」との記載部分が,読点が付されることなく続いているのであって,そのような構文に照らすならば,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分は,その直後の「この小片餅体の上側表面部の立直側面である」との記載部分とともに,「側周表面」を修飾しているものと理解するのが自然である。」

() 発明の詳細な説明の記載

a 本件明細書(甲2)には,以下の記載がある。

・・・・

b 上記発明の詳細な説明欄の記載によれば,本件発明の作用効果として,①加熱時の突発的な膨化による噴き出しの抑制,②切り込み部位の忌避すべき焼き上がり防止(美感の維持),③均一な焼き上がり,④食べ易く,美味しい焼き上がり,が挙げられている。そして,本件発明は,切餅の立直側面である側周表面に切り込み部等を形成し,焼き上がり時に,上側が持ち上がることにより,上記①ないし④の作用効果が生ずるものと理解することができる。これに対して,発明の詳細な説明欄において,側周表面に切り込み部等を設け,更に,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を形成すると,上記作用効果が生じないなどとの説明がされた部分はない。本件明細書の記載及び図面を考慮しても,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,通常は,最も広い面を載置底面として焼き上げるのが一般的であるが,そのような態様で載置しない場合もあり得ることから,載置状態との関係を示すため,「側周表面」を,より明確にする趣旨で付加された記載と理解することができ,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を設けることを排除する趣旨を読み取ることはできない。

c これに対し,被告は,本件発明は,切餅について,切り込みの設定によって,焼き途中での膨化による噴き出しを制御できるという効果(効果①)と,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化できるという効果(効果②)を共に奏するものであるが(本件明細書段落【0032】),切餅の平坦上面又は載置底面に切り込みが存在する場合には,焼き上がった後その切り込み部位が人肌での傷跡のような焼き上がりとなるため,忌避すべき状態になることから(本件明細書段落【0007】),本件発明における効果②を奏することはないと主張する。

 しかし,被告の主張は,採用の限りでない。

 すなわち,本件発明は,上記のとおり,切餅の側周表面の周方向の切り込みによって,膨化による噴き出しを抑制する効果があるということを利用した発明であり,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化できるという効果は,これに伴う当然の結果であるといえる。載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けたために,美観を損なう場合が生じ得るからといって,そのことから直ちに,構成要件Bにおいて,載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることが,排除されると解することは相当でない。

 また,当初明細書(甲6の2)の段落【0021】には,作用効果に寄与する切り込みの形成方法が記載され,同明細書の段落【0043】,【0045】には,周方向の切り込み等は,側周表面に設けるよりは作用効果が十分ではないが,平坦頂面における場合でも同様の作用効果が生じる旨記載され,図6(別紙図5)が示されていたことに照らすと,周方向の切り込み等による上側の持ち上がりが生ずる限りは,本件発明の作用効果が生ずるものと理解することができ,載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けないとの限定がされているとはいえない。さらに,本件明細書段落【0007】の記載は,米菓で採られた噴き出し抑制手段の適用における問題点を記載したものであり,本件発明において,周方向の切り込み等による,上側の持ち上がりによる噴き出し抑制手段を採用するに当たり,載置底面又は平坦上面に切り込み等を設けるか否かについて,本件明細書に何らかの言及がされていると解する余地はない。したがって,被告の上記主張は,採用することができない。

d また,被告は,切り込み部位が小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に設けられるという構成であることを表現するのであれば,「小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に切り込み部又は溝部を設ける」と記載すれば足り,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載を付加する必要はない,と主張する。

 しかし,被告のこの点の主張も採用できない。すなわち,前記のとおり,角形等の小片餅体である切餅において,最も広い面を載置底面として焼き上げるのが一般的であるといえるが,これにより一義的に全ての面が特定できるとは解されない(別紙「原告提出の参考図面」参照)。したがって,小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面を特定するため,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載を付加することに,意味があるといえる。したがって,被告の上記主張は,採用することができない。」

() 出願過程について

 被告は,原告は本件特許の出願過程において,切餅の載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられることを述べた経緯がある旨主張する。

 しかし,被告の上記主張は,以下の出願過程の具体的経緯に照らして,採用することができない。

「a 出願過程における具体的経緯

・・・

b 判断

 上記本件特許の出願の経緯に照らすならば,原告は,平成17年5月27日付けで拒絶理由通知を受けたことから,同年8月1日付けで手続補正書(甲8の2)を提出して,切餅の上下面である載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明へと補正することを試みたが,同補正は,審査官から認められず,同年9月21日付けで拒絶理由通知(甲9)を受けたため,結局,同年5月の補正を撤回し,また,従前の意見内容も改めて,平成17年11月25日付けの手続補正書(甲10の2)を提出した経緯が認められる。

 以上のとおりであり,本件特許に係る出願過程において,原告は,拒絶理由を解消しようとして,一度は,手続補正書を提出し,同補正に係る発明の内容に即して,切餅の上下面である載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明である旨の意見を述べたが,審査官から,新規事項の追加に当たるとの判断が示されたため,再度補正書を提出して,前記の意見も撤回するに至った。したがって,本件発明の構成要件Bの文言を解釈するに当たって,出願過程において,撤回した手続補正書に記載された発明に係る「特許請求の範囲」の記載の意義に関して,原告が述べた意見内容に拘束される筋合いはない。むしろ,本件特許の出願過程全体をみれば,原告は,撤回した補正に関連した意見陳述を除いて,切餅の上下面である載置底面及び平坦上面には切り込みがあってもなくてもよい旨を主張していたのであって,そのような経緯に照らすならば,被告の上記主張は,採用することができない。

(エ)以上のとおり,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,「側周表面」を特定するための記載であり,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を設けることを除外する意味を有すると理解することは相当でない。」

2011年9月4日日曜日

進歩性欠如の拒絶審決が取り消された事例

平成22年(行ケ)第10408号 審決取消請求事件

知財高裁平成23年8月25日判決

1.概要:

 本件は、特許庁審判体による拒絶審決(進歩性欠如)が知財高裁により取り消された事例である。

 特許庁審判体は、本願発明の「凸部材」と、引用発明の「溝」とが除去しようとする異物を引っ掛けて除去するという点で共通すること、引用発明2の「カッター」とが異物を捕捉するための構造,機能,捕捉後の異物の動きが共通すること、を理由として本願発明の進歩性を否定した。

 裁判所はこの審決を取り消した。審決は、明らかに「後知恵」的な拒絶審決であり取り消すとの判断は妥当なものと思われる。

2.本願発明の内容:

「水路中に設置されるものであって,流入側より吸い込まれる水を吐出させる羽根車を有するポンプにおいて,/前記羽根車に対向して前記ポンプのケーシング内部に設けられたライナーと,/このライナーの内周に設けられ水とともに吸い込まれ絡み付いた異物を捕捉して前記ポンプ内を通過させる異物捕捉体とからなり,/前記異物捕捉体は,前記羽根車の羽根の先端部に絡み付いた異物を引っ掛けるために,前記羽根車の外周縁部に対向して前記ライナーの内周の一部から前記羽根車方向に干渉しない長さに張り出して設けられた1以上の凸部材である/ことを特徴とするポンプ」

 審決の理由は,本願発明は,引用例1に記載された発明及び引用例2に記載された発明に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。

3.引用発明1と本願発明との一致点及び相違点:

ア 引用発明1:汚水中に設置されるものであって,流入側より吸い込まれる汚水を吐出させる羽根車を有する汚水ポンプにおいて,前記羽根車に対向して前記汚水ポンプのケーシング内部に設けられたケーシングライナーと,このケーシングライナーの内周に設けられ汚水とともに吸い込まれ前記羽根車の羽根先端とケーシングライナーとの間にかみ込んだ塊状固体を前記羽根先端によって押し込んで前記羽根車の吸込口から吐出口へ移動させる溝とからなる汚水ポンプ

イ 一致点:水路中に設置されるものであって,流入側より吸い込まれる水を吐出させる羽根車を有するポンプにおいて,前記羽根車に対向して前記ポンプのケーシング内部に設けられたライナーと,このライナーの内周に設けられ水とともに吸い込まれ絡み付いた異物を捕捉して前記ポンプ内を通過させる異物捕捉体とからなるポンプ

ウ 相違点:本願発明においては,「前記異物捕捉体は,前記羽根車の羽根の先端部に絡み付いた異物を引っ掛けるために,前記羽根車の外周縁部に対向して前記ライナーの内周の一部から前記羽根車方向に干渉しない長さに張り出して設けられた1以上の凸部材である」のに対して,引用発明においては,異物捕捉体は溝である点

4.審決のポイント

「引用例1には、「汚水中に含有した繊維類、土砂などの塊状の固体が羽根1a先端とケーシングライナー4との間に噛込んだ場合には第2図、第3図に示すごとく、塊状の羽根1a先端によつて溝6内に押し込まれ、」(上記ウ.参照)と記載されていることからも明らかなように、引用発明においては、羽根1a先端に絡み付いた塊状固体は、羽根1a先端によって溝6内に押し込まれるが、その際、塊状固体は溝6の側壁に引っ掛かることによって溝6内に押し込まれると考えられるので、この溝6は塊状固体を引っ掛ける機能を有していると認められる。

 ところで、引用例2には、「唯一夾雑物が引っ掛かるおそれのあるケーシング4と捩り羽根3の外縁との隙間部分には、カッター8が設けてあるので、隙間に入らんとする夾雑物は、捩り羽根3の回転によってカッター8に押し付けられて切断吸引され、流路が閉塞されることがない。」(上記ク.参照)と記載されている。この記載によれば、ケーシング5と捩り羽根3の外縁との隙間部分に夾雑物が引っ掛かるおそれがあるのであるから、ケーシング5の内面から捩り羽根3方向に張り出して設けられたカッター8には、それ以上に引っ掛かる可能性が高いことは明らかである。捩り羽根3に絡み付いた夾雑物は捩り羽根3と共に回転しながら静止している「カッター8に対して押し付けられて切断」されるのであるから、夾雑物がカッター8に押し付けられる瞬間においては、夾雑物はカッター8に引っ掛かった状態になることは明らかであり、引っ掛かるからこそ、切断されるものと考えられる。そうすると、カッター8は、捩り羽根3の外縁に絡み付いた夾雑物を引っ掛けるために設けられたものということができる。

 また、カッター8は、引用例2の上記コ.の図示内容や汚水ポンプの構造からみて、捩り羽根3の外縁に対向してケーシングの内周面の一部から捩り羽根3方向に干渉しない長さに張り出して設けられており、本願発明の「凸部材」に相当することも明らかである。

 そして、引用発明と引用例2に記載された発明とは、どちらも汚水ポンプに関する点で共通の技術分野に属するものであり、しかも、引用発明のケーシングライナー4に設けられた溝と引用例2記載のカッター8とは、どちらも羽根に絡み付いた異物を引っ掛けて除去する点で機能が共通する。

 そうすると、引用発明及び引用例2に接した当業者であれば、引用発明に引用例2に記載された発明を適用し、ケーシングライナー4に設けられた溝6に代えて引用例2記載のカッター8を採用し、相違点に係る本願発明のように構成することは、格別の創意を要することなく容易に想到できたことである。」

5.裁判所の判断のポイント

「イ そうすると,本願発明,引用発明1,引用発明2は,いずれもポンプの羽根に絡み付く異物を除去してポンプ内を通過させることをその技術内容とするものであるが,本願発明は,その手段として,ケーシングライナーの内周に凸部材を設けることにより,異物を引っ掛けて捕捉して羽根から取り除き,さらに異物を羽根と羽根の間を通過させてポンプ外に排出させる構成を有することをその技術的特徴とするものであるということができる。

 これに対し,引用発明1は,溝に異物を押し込んで捕捉し,溝内を通過させる構成を有するものであり,本願発明1とは,異物捕捉体の具体的構成及び捕捉後の異物の排出方法が異なるものである。

 さらに,引用発明2は,ケーシングライナーの内周にカッターを設けるものであり,当該カッターは突起形状を有するものの,あくまで異物を切断する目的で設けられた部材であって,異物を引っ掛けて捕捉することを目的として設けられた構成ではない。

ウ したがって,本願発明は,異物捕捉体として,引用発明1のように,異物を押し込んで排出する溝や,引用発明2のように,異物を切断して排出するカッターを設けることなく,凸部材を設けるだけで,異物を引っ掛けて捕捉し,羽根と羽根の間を通過させて排出する構成を有する点に,その技術的な特徴を有する発明であるというべきであって,引用発明1及び2とは,異なる技術思想を有するものということができる。

 また,引用発明1の「溝」に換えて,引用発明2のカッターから刃を除いた「凸部材」の構成を採用することは,動機付け欠くものというほかない。

 よって,相違点に係る構成は,当業者が容易に想到し得たものということはできない。

エ この点について,被告は,引用発明1において,塊状固体は異物捕捉体としての溝に引っ掛かって捕捉されるものである,本願発明の凸部材と引用発明2のカッターとは,異物を捕捉するための構造,機能,捕捉後の異物の動きが共通するから,引用発明2のカッターは,本願発明の凸部材に相当するなどと主張する。

 しかしながら,先に指摘したとおり,本願発明は,引用発明1のような「溝」を設けて異物を排出するのではなく,「凸部材」を設けることによって異物を捕捉し,羽根と羽根との間を通過させて異物を排出することをその技術内容とするものであるから,引用発明1の溝が異物を引っ掛けて捕捉するか否かは,上記結論を左右するものではない。

 また,引用発明2のカッターは,異物を引っ掛けて捕捉するためのものではなく,切断するために設けられた構成であるから,異物を切断する前段階において異物が刃に引っ掛った状態となるとしても,本願発明の凸部材とは明らかにその機能が異なるものである。

 したがって,被告の主張はいずれも採用できない。」

2011年8月28日日曜日

侵害訴訟において請求項の用語意義を発明の効果を考慮して解釈した事例

知財高裁平成23年8月9日判決

平成22年(ネ)第10086号 特許権侵害差止等請求控訴事件

1.概要

 侵害訴訟における技術的範囲の解釈は請求項の記載だけでなく発明の詳細な説明に記載された発明の効果等も参酌して行われる。

 本事例では裁判所は「前記ポリテトラフルオロエチレン微粒子の隙間間に光触媒粒子が保持されている」(構成要件C)という用語の意義を発明の詳細な説明も考慮して解釈し、被告物件が当該構成要件を満足しないと結論付けた。

2.特許請求の範囲の記載

 原告特許権に係る発明は以下のとおり分節できる:

A ガラス繊維織物のガラス繊維の周囲に

B ポリテトラフルオロエチレン微粒子が連通した隙間のある多孔質状

に付着されているとともに,

C 前記ポリテトラフルオロエチレン微粒子の隙間間に光触媒粒子が保

持されている

D ことを特徴とする空気浄化用シート。

3.裁判所の判断のポイント

「本件発明は,周辺の空気の浄化を目的とした空気浄化用シートに係る発明であり,PTFEは融点以上でも極めて高い溶融粘度を示し,細微な空孔を残しやすいという特質を利用して,PTFE微粒子同士を,光や周辺の空気がPTFE微粒子間の隙間を通って光触媒粒子に至るような連通した隙間を形成するように多孔質状に付着させ,この連通した隙間間に光触媒粒子を保持させることにより,光や周辺の空気がこの隙間間を通って光触媒に至り,効率的に周辺の空気の浄化が行われるという構成を採用したことに特徴を有する発明であると解することができる。

 以上によれば「前記ポリテトラフルオロエチレン微粒子の隙間間に光触媒粒子が保持されている」(構成要件C)は,PTFE微粒子同士が多孔質状に付着することによって形成され,光や空気を通すよう連通する隙間の間に,光触媒粒子が保持されていることを意味すると解すべきである。

「原告は,①SEMを用いて撮影した被告製品の写真(甲20の1の写真6(原判決別添8,9))の4がPTFE微粒子,5が隙間,9がTiO2粒子である,②高倍率SEM写真(甲82の図1(別紙3))におけるA がTiO2粒子,B がPTFE微粒子,C がFEPである,③SEM-EDX分析の結果を示す写真(甲81の図2(別紙2))の赤いドットはTiO2粒子に由来する酸素原子(O)であり,黒く見える部分(孔)の周囲から内部にかけて赤いドットが存在することを前提に,被告製品の最外層におけるPTFE微粒子が形成する隙間にTiO2粒子が保持されていることが確認できると主張する。また,原告は,SEM写真(甲20の1の写真6,8及び9)から,被告製品の最外層は連通した隙間のある多孔質状の層であると主張する。

 しかし,原告の上記主張は,以下のとおり失当である。

 すなわち,SEM写真(甲20の1の写真6(原判決別添8,9))において,4がPTFE微粒子であり,9がTiO2粒子であることを確認することはできず,また,高倍率SEM写真(甲82の図1(別紙3))において,A がTiO2粒子,B がPTFE微粒子であることを確認することはできない。したがって,これらの写真から,PTFE微粒子同士が連通した隙間を形成していることを確認すること21はできない。

 また,SEM-EDX分析の結果を示す写真(甲81の図2(別紙2))からも,PTFE微粒子同士が連通した隙間を形成していることを確認することはできず,仮に,同写真の赤いドットが全てTiO2粒子に由来するものであるとしても,これが上記の隙間間に保持されていることを確認することはできない。

 以上のとおり,上記各写真から,仮に被告製品には隙間が存在するとしても,PTFE微粒子同士が多孔質状に付着することによって形成された隙間であること,それが周辺の空気を通すような連通した隙間であること,PTFE微粒子が形成している連通した隙間に光触媒粒子が保持されていることを確認することはできない。

 したがって,被告製品は,構成要件Cを充足しない。」

「原告は,構成要件Cにおける「PTFE微粒子の隙間」は「PTFE微粒子とFEP等の混合物が形成する隙間」を含み,その場合,PTFE微粒子の量は問題とならないという前提で,被告製品の最外層は,PTFEとFEP等との混合物ではあるが,PTFEの本来の特徴である成形品中の微細な空孔(ボイド)が確認できると主張する。

 しかし,以下のとおり,PTFEとFEPの溶融粘度の相違等に照らすならば,原告の主張を前提として,被告製品が構成要件Cを充足すると判断することはできない。

 本件発明が構成要件Cを採用したのは,光触媒粒子を保持する連通した隙間を形成するために,PTFEには,素材として,融点以上でも極めて高い溶融粘度を示し,成形品中に微細な空孔(ボイド)を残しやすいという特質がある点に着目したからに他ならないと解される。

 すなわち,PTFEと異なり,FEPは融点が270℃と低く,また溶融粘度が(4×104~105)(380℃)ポアズと低く,融点を超えると芯を残さずに溶解する。前記「発明の詳細な説明」中に記載されているように,本件発明に係る空気浄化用シートの形成過程において,PTFE微粒子同士を結合させて付着させるために,PTFEの融点より高い350~450℃程度に焼成した際,FEPが混在している場合には,FEPが融解し,PTFE微粒子間の隙間に流入すると考えられる。そうすると,仮に,構成要件Cにおける「PTFE微粒子」が「PTFE微粒子とFEP等の混合物」である場合を排除しないと解釈したとしても,FEPが融解した後に,光や空気が通るように,PTFE微粒子同士の結合による連通した隙間が一定程度は残存することを要するのであって,そのためには,相当量のPTFEが存在することは必須であると解すべきである。

・・・・

 このSEM観察の結果を斟酌すると,TiO2の含有割合や焼成の方法等によって,粒子の結合状態等は変わりうるとは考えられるものの,相当量のPTFEが存在するといえるためには,少なくともFEPと同量かそれ以上のPTFEが存在することを要すると解するのが合理的である。

() 各種化学分析等の結果について

 上記の点を前提にすると,次のとおり,化学分析等によって,被告製品の最外層に相当量のPTFEが存在すると認めることはできない。

a DSC測定

 これらの測定結果に照らすと,サンプル中にPFTEは極少量しか存在しないと解される。上記の方法で採取したサンプルが,被告製品の最外層とその下のFEP層しか含んでおらず,PTFEは被告製品の最外層に含まれていると仮定し,さらに,FEP層のFEPによりPTFEの存在分率が希釈されるという点を考慮したとしても,上記陳述書(甲85)記載のDSC測定の結果から,被告製品の最外層に相当量のPTFEが含まれていると認めることはできない。

・・・・

 以上のとおり,被告製品は構成要件Cを充足しない。」

2011年8月7日日曜日

最近読んだ雑誌記事13

梅田幸秀,「特許拒絶査定不服審判運用上の問題点 -審判請求時の補正の補正却下について-」、パテント,Vol.64,No.10(別冊No.6)、第50-68頁、2011

拒絶査定不服審判請求時に行う補正と補正却下の関係について論じられている。

拒絶査定を受けた段階において、独立請求項と、当該独立請求項の構成要件の一部を限定する従属請求項が存在する場合に、独立請求項を削除し、従属請求項を独立請求項とする補正は、「請求項の削除」であると同時に、「特許請求の範囲の限定的限縮」であり、どちらとも解釈できる。ところが、「請求項の削除」であれば独立特許要件が不問であり、仮に新しい拒絶理由が存在したとしても補正却下はされず拒絶理由が通知される(応答時に補正が可能)のに対して、「特許請求の範囲の限定的限縮」であれば仮に新しい特許性否定事由が発見された場合には補正却下の対象であり、補正却下理由を解消するための補正の機会は保障されていないのであるから、「請求項の削除」か、「特許請求の範囲の限定的限縮」かは審判請求人にとっては重要な問題である。
本論文ではこの問題について裁判例からは必ずしも明らでないことや、審判請求時の補正が補正却下された場合に生じる問題点等について論じられている。

2011年7月31日日曜日

「その方法の使用にのみ用いる物」の実施による間接侵害が認定された事例

知財高裁平成23年6月23日判決

平成22年(ネ)第10089号 特許権侵害差止等請求控訴事件

1.概要

 被告方法1は、方法に関する本件発明1の構成要件を充足する。

 被告装置1は、被告方法1の使用に用いる装置である。

 被告装置1を、「ノズル部材」を1mmよりも深く下降させるように使用したとき、本件発明1の方法の構成要件である「外皮材を椀状に形成する」を満足する。

 被控訴人(一審被告)は、被告装置1の納品にあたり、「ノズル部材が1㎜以下に下降できない状態で納品した」と主張した。

 この場合に被告装置1が本件発明1の方法の使用に「のみ」用いる物といえるかどうかが争われた。

 知財高裁は被告装置1が本件発明1の方法の使用に「のみ」用いる物であると判断した。

2.裁判所の判断のポイント

(6) 間接侵害の成否

ア 以上のとおり,被告方法1は,本件発明1の構成要件を全て充足する。

イ 特許法101条4号について

 特許法101条4号は,その物自体を利用して特許発明に係る方法を実施する物についてこれを生産,譲渡等する行為を特許権侵害とみなすものであるところ,同号が,特許権を侵害するものとみなす行為の範囲を,「その方法の使用にのみ用いる物」を生産,譲渡等する行為のみに限定したのは,そのような性質を有する物であれば,それが生産,譲渡等される場合には侵害行為を誘発する蓋然性が極めて高いことから,特許権の効力の不当な拡張とならない範囲でその効力の実効性を確保するという趣旨に基づくものである。このような観点から考えれば,その方法の使用に「のみ」用いる物とは,当該物に経済的,商業的又は実用的な他の用途がないことが必要であると解するのが相当である。

 被告装置1は,前記のとおり本件発明1に係る方法を使用する物であるところ,ノズル部材が1㎜以下に下降できない状態で納品したという被控訴人の前記主張は,被告装置1においても,本件発明1を実施しない場合があるとの趣旨に善解することができる。

 しかしながら,同号の上記趣旨からすれば,特許発明に係る方法の使用に用いる物に,当該特許発明を実施しない使用方法自体が存する場合であっても,当該特許発明を実施しない機能のみを使用し続けながら,当該特許発明を実施する機能は全く使用しないという使用形態が,その物の経済的,商業的又は実用的な使用形態として認められない限り,その物を製造,販売等することによって侵害行為が誘発される蓋然性が極めて高いことに変わりはないというべきであるから,なお「その方法の使用にのみ用いる物」に当たると解するのが相当である。被告装置1において,ストッパーの位置を変更したり,ストッパーを取り外すことやノズル部材を交換することが不可能ではなく,かつノズル部材をより深く下降させた方が実用的であることは,前記のとおりである。そうすると,仮に被控訴人がノズル部材が1㎜以下に下降できない状態で納品していたとしても,例えば,ノズル部材が窪みを形成することがないよう下降しないようにストッパーを設け,そのストッパーの位置を変更したり,ストッパーを取り外すことやノズル部材を交換することが物理的にも不可能になっているなど,本件発明1を実施しない機能のみを使用し続けながら,本件発明1を実施する機能は全く使用しないという使用形態を,被告装置1の経済的,商業的又は実用的な使用形態として認めることはできない。したがって,被告装置1は,「その方法の使用にのみ用いる物」に当たるといわざるを得ない。

(7) 小括

 以上のとおり,被告装置1の製造,販売及び販売の申出をする行為は,本件特許権1を侵害するものとみなされる。 」

2011年7月24日日曜日

選択発明の新規性が争われた事例

平成22年(行ケ)第10324号 審決取消請求事件
知財高裁平成23年7月7日判決

1.概要
 本件では選択発明の新規性が争われた。本件発明では、所定の二種の単量体を組み合わせて共重合体を形成することが特定されているのに対して、引用発明1ではこの特定の組み合わせを取り得る選択肢として開示しているものの、具体的な例としては開示していない。

 審決(無効審判事件)では「新規性あり」と判断された。選択肢に含まれる組合せの数が多数であることも考慮された。

 これに対して裁判所は、特定の組み合せによる効果が明細書に開示されていないことなどを考慮して「新規性なし」と判断した。被告(特許権者)が審判段階で追加提出した、特定の組み合せによる効果を示す試験報告書は、効果が明細書に開示されていないことなどを理由に参酌することができないと判断した。

2.本件発明(請求項1記載の発明):
「表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなることを特徴とする液晶用スペーサー」

3.引用発明1:
「粒子表面を配向基板に対して付着性を有する付着層によって被覆した構成であって,該粒子表面と付着層とは共有結合によって結合されている液晶用スペーサーであって,前記粒子は重合体粒子であり,前記付着層として用いられる材料は,「メチルアクリレート,エチルアクリレート,n-ブチルアクリレート,iso-ブチルアクリレート,2-エチルヘキシルアクリレート,シクロヘキシルアクリレート,テトラヒドロフルフリルアクリレート,メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,iso-ブチルメタクリレート,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレート,メチルビニルエーテル,エチルビニルエーテル,n-プロピルビニルエーテル,n-ブチルビニルエーテル,iso-ブチルビニルエーテル,スチレン,α-メチルスチレン,アクリロニトリル,メタクリロニトリル,酢酸ビニル,塩化ビニル,塩化ビニリデン,弗化ビニル,弗化ビニリデン,エチレン,プロピレン,イソプレン,クロロプレン,ブタジエン」に例示される重合可能な単量体の単独重合体または上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するものであり,粒子表面に上記付着層を構成する重合体との共有結合は,グラフト重合法によって結合せしめたものである,液晶用スペーサー」

4.一致点・相違点
(イ) 一致点:表面に重合性ビニル単量体の2種以上からなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサー
(ウ) 相違点:グラフト共重合体鎖が,本件発明では,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなる」のに対して,引用発明1では,2種以上からなる重合性ビニル単量体の組合せを特定しないものである点(以下「相違点1」という。)

5.審決の要点(新規性あると判断):
 審決では、本件発明は、引用発明1とは実質的に異なると判断された。
「引用例1には、例示された単量体の二種以上の共重合体として、特定の二種の組合せが記載されているわけではなく、当該段落の記載は、列挙されている単量体同士の組合せ(特に、「二種以上」とされていることを考慮すると、組合せはきわめて多数のものとなる。)のうち、「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するいくつかの特定の単量体と、「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する他の単量体との組合せが、あり得る選択肢として含まれることを示すにとどまるものである。また、甲第1号証のその他の記載をみても・・・特定の二種(以上)の単量体の組合せを具体的に示す記載はない
・・・
 そして、上記のように、引用発明1において、付着層として用い得る単量体の二種以上の組合せがきわめて多数のものになることに照らせば多数の組合せの中に「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」との組合せが含まれるとしても、このことをもって、甲第1号証に、「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するいくつかの特定の単量体と、「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する他の単量体との組合せによる共重合体を付着層として用いることを示す記載があるとすることはできない。
 したがって、引用発明1が、相違点に係る本件発明の構成を実質的に備えるとはいえないから、相違点は実質的な相違である。」

6.裁判所の判断のポイント(新規性なしと判断):

「(1) 本件発明について
・・・
 以上の本件明細書の記載によると,本件発明は,液晶用スペーサーにおいて,表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子を用いることにより,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列し,液晶スペーサー周りの配向異常を防止することをその技術内容とするものである。
 もっとも,本件明細書【0014】に記載される作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,このような「特定の共重合体鎖」に限定したことに基づく作用効果についての記載はない。
 また,本件明細書【0015】ないし【0027】の実施例の記載から,単量体を共重合した3種の共重合体鎖をグラフト重合体鎖として有するスペーサー(実施例10~12)が,オクタデシルメトキシシランで処理されたスペーサー(比較例1・2)よりも優れていることは理解できるものの,当該比較例は,カップリング剤によって処理されたものであって,単独重合体鎖や他の共重合体鎖を導入したものではないから,液晶スペーサーのグラフト重合体鎖として「特定の共重合体鎖」を限定した作用効果,すなわち,「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖である場合よりも優れていることは,何ら記載されているものではない。
 この点について,被告は,拒絶査定不服審判において,手続補正書(甲5)に,グラフト鎖が単独重合体鎖の場合と共重合体鎖の場合とを比較した試験報告書を添付し,グラフト共重合体鎖にメチルメタクリエート(MMA)を共重合することによって,単独グラフト共重合体鎖よりも光抜け改善効果が安定すると指摘しているが,このような効果は,本件明細書には全く記載されていないから,本件発明の作用効果に関して当該試験報告書を参酌することはできない。
・・・

(2) 引用発明1について
・・・
 以上の引用例1の記載によると,引用発明1は,粒子と付着層とをグラフト重合法等などによって共有結合させることにより, 配向基板に付着性が良好でかつ付着層が剥離しない液晶用スペーサーを提供することをその技術内容とするものである。
(3) 相違点1について
ア 前記(1)及び(2)の本件発明1及び引用発明1の技術内容からすると,引用例1の【0010】に列挙された「メチルアクリレート,エチルアクリレート,n-ブチルアクリレート,iso-ブチルアクリレート,2-エチルヘキシルアクリレート,シクロヘキシルアクリレート,テトラヒドロフルフリルアクリレート,メチルメタクリレート,エチルメタクリレート,n-ブチルメタクリレート,iso-ブチルメタクリレート,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレート,メチルビニルエーテル,エチルビニルエーテル,n-プロピルビニルエーテル,n-ブチルビニルエーテル,iso-ブチルビニルエーテル,スチレン,α-メチルスチレン,アクリロニトリル,メタクリロニトリル,酢酸ビニル,塩化ビニル,塩化ビニリデン,弗化ビニル,弗化ビニリデン,エチレン,プロピレン,イソプレン,クロロプレン,ブタジエン等の重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」であれば,いずれもその分子構造が直鎖状であって,通常は熱可塑性を有する重合体であるといえるから,上記列挙に係る各単量体を重合して得られる重合体のほとんど全てが付着層として使用できるものということができる。
 そして,上記単量体のうち,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレートは,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するものであるから,引用例1の【0010】には,文言上,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」を共重合材料に含む共重合体を付着層とすることが記載されているということができる。

イ 本件明細書が開示する,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列することにより,液晶スペーサー周りの配向異常を防止するという本件発明の作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,本件明細書において,本件発明が,引用発明1に開示されている構成のうちから,「特定の共重合体鎖」に限定しているとしても,それに基づいて生じる格別の作用効果に係る記載はないから,本件発明の「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖と比較して格別の作用効果を奏するものということはできない。しかも,本件明細書【0014】には,「長鎖アルキル基の層の厚みが0.01μm以上であれば,グラフト共重合体鎖の溶融効果又は配向基板上の官能基残基との反応により重合体粒子と配向基板との固着性も有する。」として,長鎖アルキル基の層が一定の厚みを有すると付着性が向上する旨を明らかにしているものである。
 そうすると,本件発明は,引用発明1における付着層を構成する重合体鎖について,その一部に相当する「特定の共重合体鎖」を単に限定しているにすぎず,このような限定によって,引用発明1とは異なる作用効果あるいは格別に優れた作用効果を示すものと認めることもできないから,引用発明1の解決課題である付着性や技術常識の観点から,相違点1が実質的な相違点ということはできない。
ウ 以上のとおり,本件発明は,引用発明1において例示的に列挙された「重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」の中から,「表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子」について一部限定したものというほかない。
 また,本件発明は,引用発明1から本件発明が限定した部分について,引用発明1の他の部分とその作用効果において差異があるということはできないから,引用発明1と異なる発明として区別できるものでもない。
 したがって,本件発明と引用発明1との間には,相違点は存しないといわざるを得ない。
エ この点について,被告は,引用例1には,本件発明における「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との特定の単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖に関する技術思想が開示されていない,引用発明1の付着層においては,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当する単量体と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する単量体とを,わざわざ組み合わせてグラフト共重合体鎖とする必然性はなく,これらを組み合わせてグラフト共重合体鎖とすることにより,配向異常や光抜け等が発生するという従来技術の課題を解決するという本件発明の課題やその解決手段も開示されていない等と主張する。
 しかしながら,引用例1には,【0010】に列挙された単量体の重合体鎖であれば,単独重合体鎖,共重合体鎖のいずれにおいても付着層として使用できることが開示されているのみならず,この重合体鎖には本件発明の「特定の共重合体鎖」も包含されるのであるから,引用例1には,付着層を構成する重合体鎖として,本件発明の「特定の共重合体鎖」に係る技術思想が開示されているものということができる。被告の主張は採用できない。」

2011年7月10日日曜日

最近読んだ雑誌記事12

「コンパニオン診断を保護する特許出願の日米欧における審査実務の研究」,バイオテクノロジー委員会第2小委員会, 知財管理, Vol.61, No.5, p625-642, 2011

個別の患者毎の薬剤に対する応答性をバイオマーカー等を指標として評価し、患者毎に薬剤の投与量を決定するのに活用すること等が「コンパニオン診断」と呼ばれるようです。コンパニオン診断に関しての日米欧三極の審査実務について具体的な事例に基づき検討されています。

2011年6月26日日曜日

医薬用途発明の進歩性を主張するための、明細書に記載の動物試験結果の妥当性について争われた事例

知財高裁平成23年6月9日判決

平成22年(行ケ)第10322号 審決取消請求事件

1.概要

 医薬用途発明の進歩性は、実施例に記載された試験結果を根拠にした「予想外の効果」に基づき肯定される場合が多い。

 この場合に、明細書には必ずしもヒトでの臨床結果が記載されている必要はない。

 本事例ではこの点について争われ、動物試験のみが記載された明細書の記載だけで進歩性を裏付けるに十分であることが確認された。

2.本件請求項1の発明

「Rhoキナーゼ阻害剤とβ遮断薬との組み合わせからなる緑内障治療剤であって,/該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドであり,/該β遮断薬がチモロールである,/緑内障治療剤」

3.無効審判での審決(請求棄却、特許維持)のポイント

 引用発明2等に対する進歩性が争われた

「引用発明2:Rhoキナーゼ阻害剤からなる緑内障治療剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤

オ 本件発明1と引用発明2との一致点:Rhoキナーゼ阻害剤を含む緑内障治療剤であって,該Rhoキナーゼ阻害剤が(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドである緑内障治療剤である点

カ 本件発明1と引用発明2との相違点:本件発明1が,β遮断薬であるチモロールとRhoキナーゼ阻害剤である((R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドとの組合せからなるのに対し,引用発明2はRhoキナーゼ阻害剤である((R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドからなる単剤である点

 審判体は、併用することによる効果は試験を通じてはじめて確認されたことを理由とし本件発明の進歩性を肯定し、無効審判請求を棄却した。

「・・・ピロカルピンとRhoキナーゼ阻害剤とは,共に全体としては経シュレム管流出路からの房水流出を促進して眼圧の低下をもたらす作用を有するものではあるものの,毛様体筋やぶどう膜-強膜流出路に係るその作用機序は全く異なるものであって,薬理作用(作用機序)の点において両者は完全に一致するものではないのであり,しかも,上記のとおり,緑内障治療に係る眼圧降下薬の併用療法による効果は,実際には理論どおりではないため,それぞれの症例について,様々な薬剤併用の実際の適用による試行錯誤を経た上で判定する以外に方法はなく,複数種の眼圧下降薬のその併用パターンは多岐にわたる複雑なものであるという技術的事項も考慮すれば,本件優先権主張の日前において,β遮断薬であるチモロールを用いる緑内障の併用療法に関し,副交感神経刺激薬であるピロカルピンと引用発明2に係るRhoキナーゼ阻害剤とが,互いに置換可能である等価な薬物として当業者が認識できたとは,到底認められないと言わざるをえない。」

4.原告の主張

「被告は,本件発明1の顕著な効果を主張するが,本件明細書の薬理試験では,被検体であるウサギの個体差や初期眼圧値が考慮された形跡はないし,サンプルサイズについては何ら配慮することなく,1群当たりたかだか4匹で試験さていることからも,その実験手法については看過し難い過誤がある。

 本件明細書の開示は効能の証明と称するにはサンプルサイズが余りに小さく,動物実験であることを差し引いても効果の証明とはなり得ない。本件明細書においては,エラーバーによる併用剤の偏差のデータが単剤の偏差のデータとが区別のつかない記載となっており,エラーバーの重なりから,誤差範囲において単剤と併用剤の評価がなされていることが明らかであって,適切な評価になっているかに疑問がある。」

5.裁判所の判断のポイント

「原告は,本件明細書では健常なウサギに対する眼圧降下作用を調べ眼圧降下薬の併用療法による効果を確認しており,緑内障患者に適用して効果を確認していないにもかかわらず,緑内障治療に係る眼圧降下薬の併用療法による効果は理論どおりではなく,症例に実際に適用して判定する以外に方法はないことを本件発明の進歩性を肯定する理由の一つとしている本件審決は誤りであると主張する。

 しかし,(R)-(+)-N-(1H-ピロロ[2,3-b]ピリジン-4-イル)-4-(1-アミノエチル)ベンズアミドと併用する薬剤は,眼圧降下の作用機序に基づきある程度その数が絞られたとはいえ,依然,数多くあり,これらの薬剤について,その効果を実際に確認しなければ併用における効果は不明であるところ,この数多くの薬剤の中から,示唆もなくチモロールを選択することには困難がある。緑内障治療に係る眼圧降下薬の併用療法による効果は症例に実際に適用して判定する以外に方法はないとの指摘に対して,進歩性を判断するに際し考慮すべきは,併用による効果は実際に確認しなければ分からないということで十分であり,症例,すなわち,緑内障の患者やモデル動物に投薬しその効果を判定しなければならないというものではない。そして,本件明細書では,健常なウサギにより,併用療法と単独療法を対比して眼圧降下薬の効果を確認しているから,原告が主張する誤りはない。

 原告は,本件明細書記載の実験は,1群4匹のウサギと少数の動物による実験で効果を確認したものであり,また,エラーバーに重なる部分があるので,その評価方法についても疑問がある旨も主張する。しかし,上記のとおり,特許発明の進歩性の判断では,先行技術である単独療法と比較して併用療法の効果を確認することができればよいのであって,多数の実験動物や緑内障患者により併用療法の効果の確実性を確認しなければ,先行技術と比較して顕著な効果が認められないというものではなく,実験動物の数を問題とする原告の上記主張には理由がない。また,エラーバーの重なりについても,本件明細書の図1の2時間及び4時間経過後のデータでは,併用投与群と単独投与群の間で原告が指摘するような重なりはなく,このデータにより,本件発明の緑内障治療剤が増強された眼圧下降作用を有するということができるから,原告の主張を採用することはできない。」

2011年6月18日土曜日

一体不可分の補正却下が妥当であるか争われた事例

知財高裁平成23年6月14日判決

平成22年(行ケ)第10158号 審決取消請求事件

1.概要

 審判請求時の補正が現行特許法17条の2第5項に規定する「請求項の削除」、「特許請求の範囲の減縮」、「誤記の訂正」、「明りようでない記載の釈明」のいずれを目的とするものでもない場合、補正は却下される。

 複数の補正事項を含む場合でも補正却下が請求項単位でされるわけではなく、補正全体が一体不可分のものとして却下される。

 本事例ではこの取り扱いの妥当性が争われ、一部の補正が特許法17条の2第5項の規定に該当しない場合には補正全体を一体的に却下する審決に違法性はないと判断された。

2.手続き概要

拒絶査定

→審判請求

→本件補正(前置補正)

→審査前置解除

→審尋(前置審査報告書の内容が通知された。報告書には、本件補正後の請求項発明が進歩性を欠くことが指摘されているのみ。特許法17条の2第4項の規定に違反することは一切触れられていない。)

→回答書(進歩性について反論)

→審決(「本件補正後の請求項7の記載は,「()バルサルタンまたはその薬学的に許容される塩と,(ii) アムロジピンまたはその薬学的に許容される塩を,医薬的に許容される担体とともに含む,医薬的組合せ組成物。」であるところ,これは本件補正前の請求項1~14のいずれかを減縮するものではなく,誤記の訂正,明りょうでない記載の釈明を目的とするものではないから,本件補正は補正要件を充足せず,却下すべきである。」)

3.原告主張の審決取消理由

取消理由1(本件補正についての判断の違法)

「改善多項制の下においては,複数の請求項に係る特許出願については,各請求項に記載された発明ごとに特許要件を審査すべきであり,そのような特許審査を前提とすれば,出願過程において複数の請求項に係る補正が申し立てられた場合には,請求項ごとに補正の許否を判断すべきである。」

取消事由2(本件出願に係る発明についての特許要件判断の遺脱)

「本件出願においては,本来,本件補正後の10個の請求項につき,請求項ごとに補正の許否を判断した上で,個別の請求項の補正の許否に従って,請求項ごとに本件補正後又は本件補正前の記載に基づき個別に特許要件を満たすかどうかを判断すべきであった。しかるに,審決は,本件補正前の請求項12について特許要件を満たすかどうかを判断しただけであり,他の9個の請求項については,本件補正前あるいは本件補正後の記載のいずれに対しても全く判断をしていない。したがって,審決には判断遺脱の違法がある。」

取消理由3(本件補正についての手続上の違法)

「本件における審尋(甲12)においては,特許法17条の2第4項の規定違反については一切触れられておらず,進歩性欠如の理由について記載されているのみであった。このため,原告(出願人,審判請求人)は,審尋に対する回答書(甲13)においても,補正後の請求項に係る発明の進歩性にのみ言及したのである。しかるに審決は,本件補正についていきなり補正却下の決定を下し,本件補正前の特許請求の範囲に記載された発明について特許要件を判断した上で,新規性欠如の理由で拒絶査定を維持するとの判断をした。審判長が本件補正に不適法な点があることを原告に通知することは容易であったにもかかわらず,原告に対して本件補正につき何らの通知もせず,また,再度の手続補正の機会を与えないまま本件補正を不意打ち的に却下したことには手続上の違法がある。」

4.裁判所の判断のポイント

「1 取消事由1(本件補正についての判断の違法)について

 平成14年法律第24号改正前の特許法17条1項,4項,17条の2第1項,53条1項,17条の2第4項,159条1項(以下において「改正前」というときはこの平成14年の改正前を指す。)は,手続をした者が補正をすることができることや補正が可能な時期等を定めるとともに,一定の要件がある場合は,補正を却下しなければならないとしているが,この規定に加え,補正は,特許請求の範囲のほか,明細書,図面についてもされるものであり,補正事項が請求項ごとに明確に区分されるものではない場合があって,このような場合も含めてどのような内容の補正とするかは出願人の意向次第であるから,補正内容によっては,請求項ごとに補正要件の有無を判断することができないことがあることにも鑑みれば,一つの手続補正書によりされた補正は,補正事項ごと,又は請求項ごとの補正としてその可否が審理され判断されるものではなく,特許請求の範囲の減縮が複数の請求項にわたっていても,補正は一体として扱われ,一部に補正要件違反がある場合は,その補正は全体として却下されるべきことを予定していると解するのが相当である。

 本件補正のうち,請求項7に係る部分は,改正前17条の2第4項に掲げる事項のいずれをも目的とするものではないことは審決の判断するところであり,原告はこの判断の誤りを主張しない。審決において補正を却下すべきものとした理由は,本件補正後の請求項7についての補正が,改正前特許法17条の2第4項1~4号のいずれにも該当しないとの点にあるが,その理由の実質をみると,補正後の請求項7で規定する事項が,補正前の各請求項に記載した事項の範囲内におけるものではないから,減縮にも当たらないとの判断をしたものと理解することができる。このような理解を前提としてみれば,請求項7についての補正を含む本件補正を却下すべきものとした審決の判断はこれを支持することができる。

 原告は,改善多項制の下においては,複数の請求項に係る特許出願については,各請求項に記載された発明ごとに特許要件を審査すべきであることを前提に,出願過程において複数の請求項に係る補正があった場合には,請求項ごとに補正の許否を判断すべきであると主張する。

 この主張は,補正を一体として却下すべきものとの上記判断に必ずしも結び付くものではないが,平成14年改正の前後を通じての特許法49条,51条の文言などからすれば,特許法は,一つの特許出願に対し,一つの行政処分としての特許査定又は特許審決がされ,これに基づいて一つのまとまった特許が付与されるという基本構造を前提としているものと理解される。このような構造の理解に基づけば,複数の請求項に係る特許出願であっても,特許出願の分割をしない限り,当該特許出願の全体を一体不可分のものとして特許査定又は拒絶査定をすることが予定され,一部の請求項に係る特許出願について特許査定をし,他の請求項に係る特許出願について拒絶査定をするというような可分的な取扱いをしないとの特許庁における一貫した実務の扱いも支持することができる。改善多項制は,一出願の下において複数の発明が出願された場合には,一体として特許登録がされるものの特許権は請求項ごとに成立することにしたものであるが,このことは,各請求項に記載された発明ごとに特許要件を審査することに必ずしも結び付くものではない。したがって,原告の上記主張は,当裁判所の採用するところではない。

 以上のとおりであって,取消事由1は理由がない。

2 取消事由2(本件出願に係る発明についての特許要件判断の遺脱)について

 原告は,本件補正後の請求項については,請求項ごとに補正の許否を判断すべきであり,仮に,補正については全体を不可分一体のものとして補正の許否を判断するという取扱いが許されるとしても,その場合は補正前の請求項の全てについて個別に特許要件を満たすかどうかを判断しなければならないのに,本件補正前の請求項12についてのみ特許要件の判断をした審決には判断遺脱の違法があると主張する。

 まず,本件補正を一体のものとして扱った審決に誤りはないことは既に判断したとおりである。

 また,複数の請求項に係る特許出願であっても,特許出願の分割をしない限り,当該特許出願の全体を一体不可分のものとして特許査定又は拒絶査定をする特許庁の実務を支持できることも前記のとおりである。したがって,本件補正前の請求項12についてのみ特許要件の判断をした上で,これに新規性がないことを理由に請求不成立とした審決に,原告主張の判断遺脱はない。

 よって,原告の主張する取消事由2は採用することができない。

3 取消事由3(本件補正に関する手続上の違法)について

 原告は,審尋において,審判長が本件補正に不適法な点があることを原告に通知することは容易であったにもかかわらず,原告に対して本件補正につき何らの通知をせず,また,再度の手続補正の機会を与えないまま本件補正を却下したことには手続上の違法があると主張する。

 しかし,補正却下について規定する改正前特許法159条1項が準用する同法53条1項は,補正却下に先立って出願人に違法な補正事項を通知し反論又は補正の機会を与えなければならないとする別段の規定は存在しない。したがって,この規定に係る補正の却下に際して,却下すべき旨の理由を事前に通知し補正の機会を与えることが必要とされるものではないと解されるから,本件補正による補正後の請求項7が改正前特許法17条の2第3~5項のいずれかの規定に違反する補正事項を含むと判断された場合,原告主張の事前の手続なしに補正却下がされたとしても,違法となるものではなく,原告の主張する取消事由3は採用することができない。」

2011年6月12日日曜日

最近読んだ雑誌記事11

「抽象的・機能的に表現されたクレームの解釈」について,青柳昤子著,パテント, Vol.64, No.7, p65-81, 2011

機能的クレームの権利解釈にかかわる日本の裁判例が古いものから新しいものまで網羅的に紹介され、分析されている。

補正新規事項拒絶は、審判請求時の補正では解消できないと判断された事例

知財高裁平成23年5月23日判決
平成22年(行ケ)第10325号 審決取消請求事件

1.概要
 本ブログ2010年年2月20日付記事において、知的財産高等裁判所平成20年3月19日判決(平成19年(行ケ)第10159事件)にて、最初の拒絶理由応答時に追加した補正事項が「新規事項の追加」に該当するとの指摘を解消するために当該補正事項を削除する補正は、特許法第17条の2第5項に規定する請求項の削除(1号)、特許請求の範囲の減縮(2号)、誤記の訂正(3号)、明りょうでない記載の釈明(4号)のいずれにも該当しないため、「最後の拒絶理由通知書の応答時」又は「拒絶査定不服審判請求時」には却下されるとの判断が示されていることを紹介した。

 同様の判断が示された最新の事例として表題の知財高裁平成23年5月23日判決を紹介する。

 この事例では、最初の拒絶理由応答時の補正(第一次補正)において追加され、最後の拒絶理由通知において新規事項と判断された「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」という構成要件を、審判請求時に削除する補正が適法でないと判断された。

 なお審査段階の最後の拒絶理由通知では、①「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で混練」が新規事項であること、③「僅かに」が不明りょうであることが指摘されている。
 これに対して、最後の拒絶理由応答時の補正(第二次補正)では、「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」が削除されている。
 拒絶査定と同時に、第二次補正が却下されている。ただし、補正却下の理由は、上記削除が補正の制限により認められない、という理由ではない。第二次補正で同時に補正した別の事項が新規事項に該当すると判断され、補正却下がされた。上記削除が補正の制限の下で可能であるかどうかは拒絶査定では何も指摘されていない。


2.補正の経緯
2.1.出願時請求項1
【請求項1】生分解性天然樹脂(A)と生分解性合成樹脂(B)とを均質に混合してなるペレット状生分解性樹脂組成物において,樹脂(A)と樹脂(B)の合計を100質量部とした場合,両者の質量比がA:B=60~90:40~10であることを特徴とするペレット状生分解性樹脂組成物。

2.2.審査段階、最初の拒絶理由通知
 新規性及び進歩性欠如を理由として請求項1発明が拒絶された。

2.3.最初の拒絶理由通知応答補正後の請求項1(第一次補正)
【請求項1】90~120℃で加熱溶解した生分解性天然樹脂(A)と130~180℃で加熱溶解した生分解性合成樹脂(B)とを前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で混練し,均質に混合したものをホットカットしてなるペレット状生分解性樹脂組成物であって,生分解性天然樹脂(A)と生分解性合成樹脂(B)の合計を100質量部とした場合,両者の質量比がA:B=60~90:40~10であることを特徴とするペレット状生分解性樹脂組成物。

2.4.審査段階、最後の拒絶理由通知
 以下の拒絶の理由が通知された:
 ①補正後の請求項1には,(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で混練する旨記載されているが,当初明細書等にはこの点について明示的に記載されていないから,請求項1ないし4に記載した事項は,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内にない,
 ②・・・(省略)
 ③請求項1における「僅かに」なる記載は多義的に解され不明りょうである(法36条6項2号〔特許を受けようとする発明が明確であること〕違反)

2.5.最後の拒絶理由通知応答補正後の請求項1(第二次補正)
【請求項1】90~120℃である熱分解しない温度で融解した生分解性天然樹脂(A)と130~180℃で解した生分解性合成樹脂(B)とを混練し,均質に混合したものをホットカットしてなるペレット状生分解性樹脂組成物であって,生分解性天然樹脂(A)と生分解性合成樹脂(B)の合計を100質量部とした場合,両者の質量比がA:B=60~90:40~10であることを特徴とするペレット状生分解性樹脂組成物。

2.6.拒絶査定(第二次補正の却下)
 特許庁は,上記第2次補正のうち請求項1に関する部分である「90~120℃である熱分解しない温度で融解した生分解性天然樹脂(A)」なる記載は,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしたものではない等を理由に上記第二次補正を却下する決定をした。
 更に、原審補正後の本願について,最初の拒絶理由通知書に記載した理由を根拠に拒絶査定をした。

2.7.審判請求時の補正(第三次補正)
【請求項1】90~120℃で加熱融解した生分解性天然樹脂(A)と130~180℃で融解した生分解性合成樹脂(B)とを混練し,均質に混合したものをホットカットしてなるペレット状生分解性樹脂組成物であって,生分解性天然樹脂(A)と生分解性合成樹脂(B)の合計を100質量とした場合,両者の質量比がA:B=60~90:40~10であることを特徴とするペレット状生分解性樹脂組成物。

 要するに、第一次補正後の請求項1から、上記2.4において①新規事項に該当すること、③不明りょうな「僅かに」という記述を含むことが指摘された「(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で混練する」という構成要件を削除する補正を行った(判決中では「補正事項1」とよばれる)。

2.8.拒絶審決
 審判請求時に行った補正(第三次補正)は法17条の2第4項各号に掲げる「請求項の削除」・「特許請求の範囲の減縮」・「誤記の訂正」・「明りょうでない記載の釈明」のいずれの事項をも目的とするものではないから不適法であり,また,原審補正(第1次補正)も当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものではなく不適法であるから,本願は原査定の理由により拒絶すべきである,というものである。

3.裁判所の判断のポイント
 裁判所は、審決は適法であると判断した。具体的な理由は以下の抜粋箇所参照:

「(1) 補正事項1は法17条の2第4項各号に該当するか
ア 法17条の2第4項4号につき
(ア) 法17条の2第4項4号は,「明りょうでない記載の釈明(拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものに限る。)」と規定している。ここで「明りょうでない記載」とは,それ自体意味の明らかでない記載など,記載上不備が生じている記載であって,特に特許請求の範囲について「明りょうでない記載」とは,請求項の記載そのものが文理上意味が不明りょうである場合,請求項自体の記載内容が他の記載との関係において不合理を生じている場合,又は請求項自体の記載は明りょうであるが請求項に記載した発明が技術的に正確に特定されず不明りょうである場合等をいい,その「釈明」とは,記載の不明りょうさを正してその記載本来の意味内容を明らかにすることをいうものと解される。
 ところで,補正事項1は,前記のとおり,本願に係る発明のうち,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」という記載を削除するものである。
 したがって,補正事項1が「明りょうでない記載の釈明」に該当するためには,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」との記載が上記明りょうでない記載と認められ,それを削除することによってその記載の本来の意味内容が明らかになるものであることを要する。
 しかし,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」の記載のうち,「僅かに」の部分を除く「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも低い混練温度で」との記載は,生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度と混練温度との高低の関係をいうものであることが明白であるから,その記載自体の意味は明りょうであって,当該記載を除くことが,特許請求の範囲について明りょうでない記載をその記載本来の意味内容を明らかにするものであるとはいえず,むしろ,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」全体を削除すると,生分解性天然樹脂(A)と生分解性合成樹脂(B)との「混練」に関し,補正前発明と本件補正後の発明とではその実質に相違が生ずる可能性があると認められる。
 したがって,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」との記載全体を削除することを内容とする補正事項1は,そもそも「明りょうでない記載の釈明」を目的としたものと認めることはできない。
(イ) 法17条の2第4項4号括弧書き該当性
 法17条の2第4項4号に該当するためには,補正事項が「拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものに限る」(同項4号括弧書き)ところ,同括弧書きの意義は,拒絶理由通知で指摘していなかった事項について「明りょうでない記載の釈明」を名目に補正がされることによって,既に審査・審理した部分が補正されて,新たな拒絶理由が生じることを防止するために,「明りょうでない記載の釈明」は最後の拒絶理由通知で指摘された拒絶の理由に示す事項についてするものに限定されるという趣旨と解される。・・・・最後の拒絶理由通知において明りょうでないと指摘された記載は,文中の「僅かに」という記載のみであることは明らかであるから,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」という記載全体を削除する本件補正は,審査官が「拒絶の理由に示す事項」の範囲を超え,むしろ[理由1]で指摘された新規事項の追加についての拒絶理由を回避するためになされたものと認めるのが相当である。
 したがって,補正事項1は,法17条の2第4項4号括弧書きの「拒絶の理由を示す事項についてするもの」に該当しないというべきである。
イ 法17条の2第4項1ないし3号につき
 前記のとおり,補正事項1は,本願に係る発明の構成の一部を削除するものであるから,法17条の2第4項1号の「第36条5項に規定する請求項の削除」を目的とするものに該当しないことはもちろん,「前記生分解性天然樹脂(A)の熱分解温度よりも僅かに低い混練温度で」という発明特定事項を削除するものであって,それにより特許請求の範囲が拡張されることが明らかであるから,同項2号の「特許請求の範囲の減縮(第36条第5項の規定により請求項に記載した発明を特定するために必要な事項を限定するものであつて,その補正前の当該請求項に記載された発明とその補正後の当該請求項に記載される発明の産業上の利用分野及び解決しようとする課題が同一であるものに限る。)」を目的とするものであるともいえず,さらに,同項3号の「誤記の訂正」を目的とするものにも該当しない。
ウ 以上のとおり,補正事項1について法第17条の2第4項各号に掲げるいずれの事項をも目的とするものではないとして,本件補正を却下した審決に誤りはない。
・・・
 原告は,補正事項1が認められなければ原審補正についての拒絶理由は法17条の2第3項の規定に適合しないとして解消できないことになり,発明の保護が図れない旨主張する。
 しかし,・・・法17条の2第4項4号括弧書きの「拒絶理由通知に係る拒絶の理由に示す事項についてするものに限る」とは,同号の「明りょうでない記載の釈明」を目的とする補正については,審査官が拒絶理由中で明りょうでない旨を指摘した事項について,その記載を明りょうにする補正を行う場合に限られるのであって,新規事項の追加状態を解消する目的の補正に同号を適用する余地はないのであるから,補正事項1が認められなければ発明の保護が図れない旨の原告の上記主張は採用することができない。
 その他,原告は,本件では,再度最後でない拒絶理由通知がなされる余地があったものを審査官が裁量により拒絶査定をしてしまったものであるが,当然のように補正を却下することは極めて不公平であって,このように審査官や審判官の恣意的判断に委ねられるという運用基準は法の下の平等(憲法14条)に反するとか,分割出願は特許出願において補正が却下された場合にするものであるとの考え方は分割出願の趣旨に反するものであるとか,出願人の経済的負担も大きい等と縷々主張するが,いずれも法17条の2第3,4項を正解しない独自の見解であって,採用することができない。」

2011年5月28日土曜日

遺伝子発明の進歩性の評価において、コードされるタンパク質の特徴は考慮されないと判断した事例

知財高裁、審決取消請求事件(拒絶審決維持)

平成22年(行ケ)第10073号

1.概要

 クレーム発明は、ヒトパピローマウイルス18型のL2タンパク質をコードするDNA分子である。このDNA分子はヒト子宮頸がん腫由来細胞系列SW756から得られたものである。

 引用例1には、臨床サンプルWV-341から得られた、ヒトパピローマウイルス18型のL2タンパク質をコードするDNA分子が開示されている。本発明のDNA分子との配列相同性は97%である。

 拒絶審決では、引用例1に記載された発明に基づき容易に発明することができるから進歩性なしと判断した。

 原告(出願人)はクレームされたDNAがコードするタンパク質の構造的な特徴を考慮すれば、進歩性は肯定されるべきであると主張した。しかし裁判所は「該DNA分子がコードするタンパク質と引用発明がコードするタンパク質が立体構造上の相違を示すか否かは,本来本願発明7-2の進歩性の判断に影響を与える事項ではない」と判断し審決を維持した。

2.本願請求項7

「下記の配列番号1で表されるヌクレオチド配列からなる単離精製されたヒトパピローマウイルス18型のL1DNA分子または,下記の配列番号3で表されるヌクレオチド配列からなる単離精製されたヒトパピローマウイルス18型のL2DNA分子。」

3.審決の内容

本願発明のうち,「下記の配列番号3で表されるヌクレオチド配列からなる単離精製されたヒトパピローマウイルス18型のL2DNA分子」との発明(以下「本願発明7-2」という。)は前記引用例1から認められる下記引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができたから,特許法29条2項により特許を受けることができない。

(引用発明)

「図1・・・の4244番目のヌクレオチドから5632番目のヌクレオチドで示される1389bpのヌクレオチド配列を含むヒトパピローマウイルス18型のL2DNA分子。」

(一致点)

特定のヌクレオチド配列を含むヒトパピローマウイルス18型のDNA分子である点

(相違点(1)

該特定の配列が,本願発明7-2においては,配列番号3で表されるヌクレオチド配列であるのに対して,引用発明においては,配列番号3で表されるヌクレオチド配列とは1389bpのうち39bpが相違している(すなわち97%が同一である)点

(相違点(2)

該DNA分子が,本願発明7-2においては単離精製されたL2DNA分子であるのに対して,引用発明においてはショットガンクローニング法によって配列決定された全長ゲノムDNA分子の一部であり,実際にL2DNA分子を単離精製していない点

4.相違点(1)についての審決の判断

「この相違は,配列の解析に用いられたHPV18型が,本願発明では,明細書第26頁第第8-9行に記載されているように,ヒト子宮頸がん腫由来細胞系列SW756から得られたものであるのに対し,引用発明では・・・SW756とは異なる臨床サンプルWV-341から得られたものであるという相違に基づくものである。

 一般的に,同じ型に属するウイルスにも複数のサブタイプが存在することは広く知られており,種々のサブタイプについて解析がなされている。よって,HPV18型についても,引用例1において配列が解析された臨床単離株由来のHPV18型とは異なる,周知の臨床単離株であるヒト子宮頸がん腫由来細胞系列SW756・・・由来のHPV18型ゲノムのヌクレオチド配列を解析することは,当業者が容易に想到し得ることである。」

5.原告の主張

「審決は,①相違する塩基対の数が39bpではなく40bpである点で認定すべき事実を誤認しているのみならず,②その塩基対の相違に伴い14個のアミノ酸が相違し,その中で,4個の相違がプロリンに関するものであるという事実を看過し,③プロリンは,アミノ酸の中で環状構造をとる唯一のアミノ酸であり,該環状構造をとるプロリンがアミノ酸配列中に入ることにより,ねじれやターンに影響を及ぼし,その結果,立体構造が大きく変化することが本願優先日当時の技術常識であること(以下,「技術常識1」という。)を看過し,④上記②に記載の事実及び上記③に記載の技術常識1に基づいて,本願発明7-2と引用発明のそれぞれのヌクレオチド配列によってコードされるL2タンパク質が著しい立体構造上の相違を示すという,本来認定すべきであった相違点を看過し,その結果,進歩性判断に影響を及ぼし,誤った結論を導き出すに至ったものである。」

6.裁判所の判断のポイント

「原告の主張④の点については・・・プロリンに関する4個の相違に起因して,本願発明7-2と引用発明のそれぞれのヌクレオチド配列によってコードされるL2タンパク質が立体構造上の相違を示す可能性はあるが,実際に両者の立体構造の相違が示されているわけではなく,両者が著しい立体構造上の相違を示すという事実が見出されているとは認められない。したがって,この点に関する原告の主張は採用することができない。

 仮に,プロリンがアミノ酸配列中に入ることによりねじれやターンに影響を及ぼしその結果立体構造が大きく変化するという原告の主張が正しいとしても,上記主張は本願発明7-2と引用発明がコードするタンパク質に関する主張にすぎないところ,本願発明7-2はあくまでもDNA分子そのものに関する発明であって,DNA分子がコードするタンパク質は発明を特定するための事項には含まれない。このことは,たとえ本願発明の目的が,原告が主張するように,HPV18L1タンパク質とVLPを形成するという観点から,構造上機能的なHPV18L2の配列を得ることであったとしても,本願発明7-2はL2DNA分子という物の発明であるから,そのことは発明を特定するための事項には含まれないというべきである。

 したがって,該DNA分子がコードするタンパク質と引用発明がコードするタンパク質が立体構造上の相違を示すか否かは,本来本願発明7-2の進歩性の判断に影響を与える事項ではないというべきである。」

「原告は,審決が本願優先日当時の技術常識2(注:()一般に,HPVに属するL2タンパク質が,同一のHPVに属するL1タンパク質と一緒にVLPを形成することができ,ウイルスのカプシド構造を構成すること,及び()そのVLPの表面において,L2タンパク質が少なくとも1個の免疫原性エピトープを提供すること)を看過し,本願発明7-2と引用発明のそれぞれのヌクレオチド配列によってコードされるL2タンパク質が著しい立体構造の相違を示すことや,①L2タンパク質がL1タンパク質と一緒に立体構造上うまく会合してVLPを形成できるかどうかという点,及び,②仮にそのVLPが形成できたとしても,その表面においてL2タンパク質が少なくとも1個の免疫原性エピトープを提供できるかどうかという点について全く考慮しないで容易想到性を判断したと主張する。

 しかし,技術常識2は,HPVに属するL2タンパク質の構成やそのもたらす作用に関する技術的事項であるところ,本願発明7-2はあくまでもDNA分子そのものに関する物の発明であるから,その進歩性の有無はそのようなDNA分子に到ることが容易か否かで判断されるべきものである。すなわち,ここでは,本願発明7-2であるDNA分子をクローニングすることが引用発明との関係において容易想到か否かが問題となるにすぎないところ,そのDNA分子がコードするタンパク質の特徴に関する技術常識2の存在が,そのタンパク質をコードする本願発明7-2であるDNA分子のクローニングを困難にするとの証拠はないから,技術常識2は,本願発明7-2の進歩性の判断に何ら影響を及ぼすものではないというべきである。

 また,原告の主張は,本願発明においては,L2タンパク質がL1タンパク質と一緒に立体構造上うまく会合してVLPを形成でき,その表面においてL2タンパク質が少なくとも1個の免疫原性エピトープを提供できることを前提とするものであるが,本願明細書の記載を精査しても,実施例13においてL1タンパク質及びL2タンパク質がそれぞれ発現していることは確認できるものの,さらに進んで,本願発明7-2のL2DNA分子によってコードされるL2タンパク質がL1タンパク質と一緒にVLPを形成し得ること,及びその表面においてL2タンパク質が少なくとも1個の免疫原性エピトープを提供できることを確認できる記載は見当たらない。この点に関し,原告は,本願発明が,HPV18型のヒト子宮頸癌腫由来細胞系列SW756由来のHPV18型ゲノムのヌクレオチド配列を解析し,その結果,米国及び欧州で最初に承認された極めて医学的貢献度の高い子宮頸癌ワクチンに含まれるVLPを形成する,HPV18型のL1タンパク質とともにVLPを形成し得るL2タンパク質を見出したものであることは甲17によって実証されている旨主張するが,甲17は本願優先日以後の平成22年(2010年)6月に作成された研究者の宣誓供述書にすぎず,しかも本願明細書に記載されていない技術的事項が多く含まれているから,甲17の記載をもって本願発明の内容を論じる原告の上記主張は失当である。」

2011年5月8日日曜日

用途発明の新規性否定のための引用発明の適格性が争われた事例

知財高裁平成23年3月23日判決

平成22年(行ケ)第10313号 審決取消請求事件

1.概要

 ある物質が所定の用途に特に適することが見出された場合には、当該物質が公知物質である場合でも用途発明の新規性が肯定される場合がある。

 本事例では、「所定の用途に特に適する」という認識が先行技術文献にて開示されていなくとも、同一物質を同一用途に記載することが記載されている場合には用途発明の新規性は否定されると判断した。原告は、用途発明の新規性否定のための引用発明は用途発明として完成されている必要があるとする根拠として東京高裁平成13年4月25日判決平成10年(行ケ)第410号事件判決を引用するものの裁判所は原告主張を認めていない。

 本事例は、いわゆる「比較例」が新規性否定の引用発明となることを示す点でも参考になる。

2.本件発明1

【請求項1】胴搗き製粉,ロール製粉,石臼製粉,気流粉砕製粉又は高速回転打撃製粉により得られたものであり,粒度が,米粉(酵素処理したものを除く)を100メッシュの篩にかけ,100メッシュの篩を通過した区分を140メッシュの篩と200メッシュの篩に順次かけ,各篩上に残った米粉の重量を測定し,前記米粉100重量%中140メッシュの篩上に残る区分と200メッシュの篩上に残る区分とを合計して20~40重量%含み,200メッシュを通過した区分が53.12重量%以上である,小麦粉を使用しないパン用の米粉。(以下「本件発明1」という。)

 本件発明1の構成を充足する米粉は、小麦粉パンと同様の外観、内相、食味を備え、日持ちに優れたパンを製造することができる。

3.審決の理由

本件発明1は,甲1(新潟県食品研究所,研究報告第27号,21ないし28頁,平成4年8月発行)に記載された発明(以下「甲1発明」という。)・・・・であるから・・・特許法29条1項3号の規定に該当し,特許を受けることができない。

4.甲1の開示事項

 甲1には、本件発明1と同じ粒度分布の米粉が「胴搗方式製粉による米粉」として記載されている。甲1では、「胴搗方式製粉による米粉」を用いてパンを製造したことが記載されている。

 ただし甲1は、「酵素処理(ペクチナーゼ処理)を行った米粉」が、製パン用の米粉として好適であることを開示することを主眼とする文献である。酵素処理を行っていない「胴搗方式製粉による米粉」(本件発明1と同一粒度の米粉)は、「酵素処理(ペクチナーゼ処理)を行った米粉」と比較して製パン原料としては好ましくないと言及されている。「胴搗方式製粉による米粉」はいわゆる「比較例」としての開示されている。

5.原告の主張

「出願前に公知である物質については,新たな用途の使用に適することが見いだされない限り,新規性は認められない。そして,用途発明の新規性を判断する上で,これと対比する発明(引用発明)も,用途発明でなければならず,かつ発明として完成していることが必要である。引用発明が用途発明として完成しているというためには,当業者が反復実施して従来技術以上の優れた効果を挙げることができる程度にまで具体的・客観的なものとして構成されていることが必要である。逆に,引用発明によって得られる効果が従来技術に比べて劣悪な場合には,新たな用途の使用に適することは未だ見いだされていないといわざるを得ず,引用発明としての適格性を欠くというべきである。」

6.裁判所の判断

 裁判所は、本件発明1は甲1発明と同一であるとして新規性を否定した審決に誤りはないと判断した。原告の上記主張については以下のように指摘した。

「原告は,新規性を判断する引用発明は,完成した発明でなければならないところ,引用発明は,用途発明として完成しているとはいえないから,新規性を判断する上で対比されるべき引用発明としての適格性を欠くと主張する。

 しかし,原告の上記主張は,以下の理由により,採用することができない。

 すなわち,特許制度は,発明を公開した代償として,一定の期間の独占権を付与することによって,産業の発展を促すものであるから,既知の技術を公開したことに対して,独占権を付与する必要性はないばかりでなく,仮に,そのような技術に独占権を付与することがあるとするならば,第三者から,既知の技術を実施し,活用する手段を奪い,産業の発達を阻害することになる。特許制度の上記趣旨に照らすならば,出願に係る発明が,既に公知となっている技術(引用発明)と同一の構成からなる場合は,当該出願に係る発明は,新規性を欠くものとして,特許が拒絶されるというべきである。原告が主張する引用発明の完成とは,引用発明が従前の技術以上の作用効果を有することを意味するものと解されるが,新規性の有無を判断するに当たって,引用発明として示された既知の技術それ自体が,従前の技術以上の作用効果を有することは要件とすべきではない。

 また,出願に係る発明は,特定の用途を明示しているのに対して,引用発明は,出願に係る発明と同一の構成からなるにもかかわらず,当該用途に係る記載・開示がないような場合においては,出願に係る発明の新規性が肯定される余地はある。

 しかし,そのような場合であっても,出願に係る発明と対比するために認定された引用発明自体に,従前の技術以上の作用効果があることは,要件とされるものではない。

 以上の観点から,以下,本件発明1と甲1発明とを対比する。

(1) 本件発明1は,上記のとおり,米粉の粒度を特定し,粗い粉を一定量含有させたことに特徴がある発明であり,「パン用」という用途の特定はあるものの,用途そのものに格別の特徴を有する発明とまではいえない。

 他方,甲1には,前記認定のとおり,米粉により作製したパンは小麦粉により作製したパンに比べて品質が劣ること,従来の方式で製粉された米粉を分級する方式で,パン用として使用することは困難であると思われること,ペクチナーゼ処理をした米の米粉は製パンに適した特性を有するのに対し,篩分によって得た米粉は製パンの適性が低いことなどが記載されている。

 また,甲1には,ペクチナーゼ処理をせず篩分により得た微細な米粉はパン用に適さないこと,甲1の特定の条件の下では,小麦粉や,ペクチナーゼ処理をした米の粉により作製されたパンと比較して,篩分によって得た米粉により作製されたパンの方が,外観や食味において劣っていたこと等の記載がある。しかし,甲1は,ペクチナーゼ処理をした米を製粉して得られる米粉がパンの作製に適するとの結論を導くために記述された論文であって,篩分によって得た米粉はパン用に適さないとの上記の記述は,ペクチナーゼ処理により製パン性が向上すること等の結果を示す文脈において,ペクチナーゼ処理をした場合との比較を示した記述といえる。

 むしろ,甲1の表2によれば,作製されたパンの外観及び食味について,小麦澱粉が「+++」,ロール製粉の米粉が「― ―」であるのに対し,胴つきの米粉は「+」とされている。また,甲1の研究において使用された米粉は特定されているから,表2の「胴つき製粉」の米粉,「ロール製粉」の米粉は,図3の「胴搗方式製粉による米粉」,「ロール方式製粉による米粉」と同様のものであり,それぞれ図3に示されたのと同様の粒度分布を有するものと推認される。そうすると,図3と表2によれば,本件発明1の数値範囲に含まれる粒度の米粉(「胴つき製粉」の米粉)によって,本件発明1とは異なる粒度の米粉(「ロール製粉」の米粉)よりも外観,食味において優れたパンが製造されたことが示されていると認定できる。

 以上によれば,甲1には,本件発明1に定められた数値範囲内の粒度の米粉を用いてパンを製造する用途が明示的に記載されており,本件発明1に定められた数値範囲内の粒度のパン用の米粉の発明が記載されているといえる。したがって,甲1発明は,本件発明1の新規性を判断する上で,引用発明としての適格性を欠くと解する余地はない。

(2) また,原告は,甲33,34によれば,甲1発行前にすでに良質の米粉100%の米粉パンが開発されていたから,甲1の酵素処理を行っていない「胴搗方式製粉による米粉」は,当業者が反復実施して従来技術以上の優れた効果を挙げることができる程度まで具体的・客観的なものとして構成されているとはいえず,パン用の米粉の発明として未完成であると主張する。

 しかし,甲33,34は,その評価の基準が必ずしも甲1と同一ではなく,甲33,34に,米粉によって良質なパンができたことが記載されていたとしても,そのことを理由として,甲1発明が,本件発明1の新規性の有無を判断する前提としての適格性を欠くということはできない。

 したがって,甲1には,本件発明1に定められた数値範囲内の粒度のパン用の米粉に係る発明(甲1発明)が用途とともに記載されているから,本件発明1は,甲1発明と同一であり,新規性を欠くというべきである。」

2011年4月30日土曜日

物の発明の実施可能性を担保するための開示の程度が争われた事例

知財高裁平成23年4月14日判決

平成22年(行ケ)第10247号 審決取消請求事件

1.概要

 本願発明は所定の特性により規定された物の発明である。

 出願時明細書には、本願所定の特性を有する物の製造方法が記載されている。しかしながら記載された条件の全範囲に亘って本願発明に係る物が製造できるわけではなく、製造のためには当業者による条件調節が行われることが前提である。

 特許庁審判体は、所定の特性を有する物を製造するためには当業者にとり試行錯誤が必要であること、製造可能性が保証されていないことを理由として、本願は実施可能要件を満たしていないと判断した。

 知財高裁はこの審決を取り消した。技術常識を加味すれば本願明細書の記載から本願発明1の物を製造することができると判断した。

2.本願発明1

「【請求項1】基板上に炭素膜の層を有する電界放出デバイスであって,該炭素膜は電界の影響下で電子を放出し,該炭素膜は,1578cm-1~1620cm-1の範囲のUVラマンバンドを有し,該UVラマンバンドは25cm-1~165cm-1の半値全幅値(FWHM)を有する,電界放出デバイス」

3.裁判所の判断のポイント

本願発明に係る炭素膜の製造方法について

ア 本願発明に係る炭素膜の構造

 本願明細書において,従来技術とされている電界放出デバイスに適用される炭素膜は,「CVDあるいは欠陥補強CVDダイアモンド膜又は主にsp3結合を有するダイアモンド状炭素(DLC)膜」である(【0024】)。「ダイアモンド膜」とは,「ダイアモンド結晶構造を有する膜」であり,「ダイアモンド状炭素(DLC)膜」とは,「sp2とsp3結合が混合したアモルフォス膜」であり,UVラマンスペクトルは,1580~1620cm-1において励起線を示すが,可視ラマンは1580cm-1線(Gバンド)及び1350cm-1線(Dバンド)のいずれをも示さない(【0025】)。

 これに対し,本願発明の炭素膜は,従来技術のダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜に比べて,優れた放出特性を示すもので(【0013】),「ダイアモンド状」炭素膜ではなく,また単なる「ダイアモンド」膜でもなく,「アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3結合炭素及び秩序立ったsp3結合炭素の,独特な組合せからなる」ものである(【0021】)。そして,このような炭素膜は,ダイアモンド/黒鉛状炭素比に関し,可視ラマンスペクトル分光法に比べて極めて感度の高いUVラマンスペクトル分光法によってもダイアモンド成分に特有の1332cm-1のラマン励起線は出現しないか,出現しても小規模であり(【図1】),1578cm-1~1620cm-1の範囲のUVラマンバンドを有し,該UVラマンバンドは25cm-1~165cm-1の半値全幅値(FWHM)を有するものである。

 このように,従来技術の炭素膜と本願発明の炭素膜とは,構造及び特性において十分に区別されているということができる。

イ 本願発明に係る炭素膜の製造方法

 前記1のとおり,本願明細書には,本願発明の製造工程として,以下の記載がある(【0010】)。

(ア)炭素層は,熱いフィラメントによって補助された化学蒸着(「CVD」)プロセスを用いて堆積し得る。

(イ)基板は,CVD反応器中のホルダー上に載置される。

(ウ)水素ガスが,反応器におよそ10分間未満,流入される。

(エ)次に,メタンのパーセンテージが50%未満である,水素及びメタンの混合物が,反応器の中に1時間未満,流入される。

(オ)上記工程(エ)におけるよりもメタンのパーセンテージが低い,別の水素及びメタンの混合物が,反応器に2時間未満,流入される。

(カ)そして,CVD反応器内において,水素のフローが15分未満行われる。 また,本願明細書には,上記製造工程における製造条件としては,以下のことも記載されている(【0011】【0012】)。

(キ)少量の酸素,窒素,あるはホウ素ドーパントが,ガス流に含まれてもよい。

(ク)フィラメントの温度は,1600℃~2400℃の範囲に設定される。

(ケ)基板の温度は,600℃~1000℃の間に設定されている。

(コ)堆積圧力は,5~300torr の間である。

ウ 本件意見書の記載

  原告は,法36条4項違反等を指摘する拒絶理由通知書に対応して,平成21年7月6日,本件意見書を提出した(甲5)。

 本件意見書には,本願発明に係る3つの炭素膜を製造した際に用いられたパラメータを記載したランシート及びそれをまとめた【表1】が添付されている。それによれば,サンプル「LJ012397-02-A(図1及び図4)」,サンプル「LJ012797-03-A(図2及び図5)」及びサンプル「FF031497-01-A(図3及び図6)」の3つの炭素膜のサンプルを製造した際,クリーン,シーディング,グロース,エッチングの各ステップにおけるフィラメント温度,基板温度,堆積圧力,ガス混合物が記載され,説明されている。

 また,本件意見書には,水素の流速が非常に低くダイアモンド微結晶が非常に小さい場合には,炭素膜がグラファイト膜に近づき,ダイアモンド微結晶が大きくなると,炭素膜の性質がダイアモンド膜に近づくことが,文献を上げて説明されている。

エ 当業者の技術常識

 従来のDLC膜は,ダイアモンド構造が多い場合も少ない場合も存在することは,本願明細書にもあるとおり,公知である。このことや,本件意見書中の上記記載によれば,当業者であれば,sp3結合を少なくして1580cm-1近傍のピークの半値幅を小さくする実施条件を,予測することができるものと解される。

小括

 以上総合すれば,本願明細書には,本願発明1に係る炭素膜の製造方法が記載されているところ,記載された条件の中で,当業者が技術常識等を加味して,具体的な製造条件を決定すべきものであり,これにより本願発明1に係る炭素膜を製造することは,可能であるというべきである。

 本件審決の判断について

ア 本件審決は,①本願発明1で用いられる炭素膜の製造工程は,上記イの(ア)(イ)(エ)が必須の製造工程であるが,同(ウ)(オ)(カ)は選択的なものであること,②本願発明の製造工程は,従来の「ダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜」の製造方法として甲1刊行物及び甲2刊行物に記載されている製造工程と実質的に同じものであり,その製造条件は,従来の「ダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜」の製造方法として上記刊行物に記載されている製造条件を含むから,発明の詳細な説明に記載されている炭素膜の製造工程は,当該製造工程により従来のダイアモンド状の炭素あるいはCVDダイアモンド膜が製造できても,それを超える本願発明1に係る炭素膜の製造を保証するものではないこと,③炭素膜の製造方法における温度,圧力等の製造パラメータが多数あり,かつ,その数値範囲もCVDダイアモンド膜が製造できる数値を含んでいることから,当業者は,種々の製造パラメータにおける適正な範囲やそれらの組合せ,その他の製造パラメータについて更に特定して,所望の特性を有する炭素膜を製造する方法を見つけ出さなくてはならず,当業者が過度の試行錯誤を強いられること,④したがって,本願発明1の電子放出デバイスが有する「炭素膜」を実施するための製造方法に関して,発明の詳細な説明には,従来のダイアモンド膜を含む一般の「炭素膜」を製造する方法が記載されているにすぎず,請求項1に記載したUVラマンバンドに関する特性を有する特定の炭素膜を実施するための製造方法が,明確かつ十分に記載されているものとはいえないし,本願発明1の「炭素膜」を得るための具体的な製造方法が,当業者の技術常識であったともいえないと判断した。

イ しかしながら,本件審決の上記①ないし③の判断は,以下のとおり,誤りである。

 上記①について

 本願明細書(【0010】)には,本願発明の製造工程が工程順に記載されているのであるから,当業者は,明細書の記載としては,代表的な製造プロセスの全工程が一体として記載されていると理解するのが通常であると解される。そして,製造工程のうち,上記イの(ウ)(オ)(カ)の工程について,時間の上限のみが言及されているからといって,その工程が省略可能であり,その余の同(ア)(イ)(エ)の工程のみが必須の製造工程であると解することは相当とはいえない。また,本願明細書の記載(【0021】~【0024】【0027】)からは,本願発明の炭素膜は秩序だったsp3結合炭素の領域が非常に小さく,均一に分散しているという特徴的組織構造を有しており,本願明細書の記載(【0010】~【0012】)及び本件意見書(甲5)の上記記載等によると,水素流速を非常に小さくして形成するとダイアモンド微結晶が形成できることが示されており,本願明細書の【0010】ないし【0012】で示された範囲の中でも,ガス濃度を小さくする等の結晶を大きくさせない条件によって,ダイアモンド微結晶が形成できることが示唆されているということができる。

 よって,本願明細書【0010】の製造工程中,上記イの(ア)(イ)(エ)のみが必須の製造工程であるとした本件審決の上記①の判断は,誤りである。

 上記②について

 甲1刊行物は,耐摩耗性,耐熱性及び耐欠損性に優れた工具用ダイアモンドを製造するための方法に関するものである(【0001】)。甲1刊行物には,【請求項1】に記載されるように,多結晶ダイアモンドを気相合成する方法の原料ガスの水素に対する炭素源の濃度を経時的にかつ周期的に変化させる方法が記載されており,実施例として,【0033】及び【0034】のプロセスを繰り返すことが記載されている(【0032】~【0035】)。しかしながら,甲1刊行物は,あくまでもダイアモンド膜の文献であり,形成される炭素膜に関して,X線解析によってより硬く摩耗しにくく劈開しにくい多結晶ダイアモンドを製造するために(【0015】),多結晶ダイアモンドがどのような結晶面を有しているかを分析しているだけであって,アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状の部分が混合されている点や,sp2結合状態とsp3結合状態の分布を問題にしている点に関して何ら認識していないものである。たとえ,【0033】【0034】のプロセスのうち一部を取り出せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する条件があるとしても,本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲1刊行物によって,UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体,誤りである。

 また,甲2刊行物は,多結晶薄膜ダイアモンドを形成する薄膜ダイアモンドの製造方法に関するものである。甲2刊行物には,ダイアモンドの硬度,熱伝導率,透光性,耐熱性を利用した半導体分野での応用を前提として発明がされていること(【0001】~【0003】),ダイアモンド結晶合成時の核発生密度を高めることで緻密な薄膜ダイアモンドを実現し,薄膜ダイアモンドと基板との界面での応力緩和を課題としていること(【0008】)が記載されており,水素-メタン混合ガスを用いた合成条件が開示されている(【0048】)。しかしながら,甲2刊行物は,フッ酸を含む電解液中での陽極化成処理で基板表面に多孔質層を形成して格子歪みを導入した後,薄膜ダイアモンドを気相合成して,できるだけ多くの核発生を生じさせ,最終的に連続膜を形成することを目的としたものであり(【請求項1】【0051】),アモルフォス部分や非常に無秩序な黒鉛状炭素の部分が混

合されている点や,sp2結合状態とsp3結合状態の分布を問題にしている点に関して何ら認識していない。たとえ,【0048】のプロセスのうち一部を取り出せば,本願明細書【0010】ないし【0012】に重複する条件があるとしても,本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲2刊行物によって,UVラマンバンドを特定して,電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載要件判断における,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体,誤りである。

 なお,被告は,炭素膜についての実施可能要件を論ずるに当たっては,請求項1で特定された炭素膜の材質,構造あるいは製造方法の異同が本質といえるものであって,その用途の相違は格別問題とならないと主張する。しかし,対象としている用途が異なることに起因して着目している炭素膜の構造や特性が異なっており,本願発明では,アモルフォス構造等の中に秩序立ったsp3結合炭素(ダイアモンド構造)を非常に少量,均一性をもって分散させることに着目するのに対し,甲1刊行物及び甲2刊行物は,均一な多結晶ダイアモンド層を形成することに着目していることからみて,膜構造について着目している点がそもそも異なり,かつ,実際の膜構造も異なっているのであるから,甲1刊行物及び甲2刊行物を実施可能要件判断のための技術水準の認定に用いることは,相当でない。

 よって,甲1刊行物及び甲2刊行物に基づき技術水準の認定をした本件審決の上記②の判断は,誤りである。

 上記③について

 なお,本件審決の上記③の判断は,全てのパラメータの開示が必要であることを述べたものではなく,炭素膜の形成に影響を及ぼす他のパラメータの存在を指摘して,開示条件の記載が少ないことを指摘したものにすぎないと解される。そして,被告が主張するような無数の試行錯誤があるわけではなく,当業者にとって過度な試行錯誤とまではいえない。

 被告の主張について

ア 被告は,当業者が,一般的なダイアモンド状炭素(DLC)膜の製造方法の域を出ていない本願明細書の発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明1に係る「電界放出デバイス用炭素膜」を製造できることが保証されることにはならないと主張する。

 しかし,本願明細書に記載された複数の条件の全範囲で,本願発明が製造できる必要はなく,技術分野や課題を参酌して,当業者が当然行う条件調整を前提として,【0010】ないし【0012】に記載された範囲から具体的製造条件を設定すればよい。

イ 被告は,本件意見書に添付したランシートに記載された3つのサンプルについて,4つの製造条件(パラメータ)がカバーする範囲は,本願明細書の発明の詳細な説明(【0010】~【0012】)に記載された製造条件(パラメータ)の範囲の一部分でしかないと主張する。

 しかし,本来,物の発明において,適用可能な条件範囲全体にわたって,実施例が必要とされるわけではない。物の発明においては,物を製造する方法の発明において,特許請求の範囲に製造条件の範囲が示され,公知物質の製造方法として,方法の発明の効果を主張しているケースとは,実施例の網羅性に関して,要求される水準は異なるものと解される。

 なお,本件意見書のランシートに記載された3つのサンプルは,本願明細書(【0010】~【0012】)で示された範囲のうち,偏った部分の具体例,すなわち,メタン濃度が低く,流入時間が短い部分の具体例,基板温度も低い部分の具体例,堆積圧力も低い部分の具体例であるといわざるを得ない。しかしながら,本願発明が,「薄く(300ナノメートル未満),アモルフォス,非常に無秩序な黒鉛状炭素,並びにいくらかの不規則なsp3結合炭素及び秩序立ったsp3結合炭素の,独特な組合せからなっている炭素膜」(【0021】)という目標構造を持っている以上,膜厚の大きな,結晶性の高い膜を得るためには,原料ガスを十分に供給して,基板温度を上げて結晶性を高めることが一般的膜形成の技術常識というべきであるから,これは予測可能な結果であるということができる。

 そして,クリーニングやエッチングを行う前提で,結晶核を形成する段階(シーディング工程)ではメタン濃度をある程度高くし,発生した結晶核を成長させる段階(グロース工程)では,メタン濃度を下げるという方法で,本件意見書(甲5)のランシートのサンプル(LJ012397-02-Aの試料)が製造できたのであり,最終目標とする炭素膜の構造である無秩序なマトリックス内に秩序立ったsp3結合炭素が均一に少量存在するというものの製造方法ということができる。

 以上のとおり,本願明細書【0010】ないし【0012】の条件範囲は,製造可能なパラメータ範囲を列挙したと捉えるべきで,当業者は具体的な製造条件決定に際しては,技術常識を加味して決定すべきものである。」