2018年5月13日日曜日

特許成立後の誤訳の訂正は、特許請求の範囲を拡張・変更するものである場合には認められない


知財高裁平成28年8月29日平成27年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件
1.概要
 本事例は、外国語特許出願(原文=ドイツ語)から成立した特許権に対する特許権者による訂正審判請求が成り立たないとする審決に対する審決取消訴訟の高裁判決である。
 請求項1において、本来は「ホスホン酸」と翻訳すべき用語が、誤って翻訳され「燐酸」と記載されていた。
 特許権者は請求項1の「燐酸」を「ホスホン酸」に訂正する訂正審判を請求した。
 特許法126条1項2号には「誤記又は誤訳の訂正」を目的として、特許権者は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができると規定されている。特許法第126条5項は、「誤記又は誤訳の訂正」を目的とする訂正の際は、外国語特許出願及び外国語書面出願の原文(この場合はドイツ語)を参酌できることを規定する。
 さらに、特許法第126条6項は「第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない。」と規定する。すなわち、原文に基づく「誤訳の訂正」は、特許請求の範囲を実質上拡張・変更しないという条件を満たす限りにおいて認められる。
 本事例では、特許請求の範囲を実質上拡張・変更するか否かの判断の際に、ドイツ語の原文を参酌してよいのか、日本語の特許明細書のみを参酌するのかが争われた。審決及び知財高裁は、ドイツ語の原文は考慮せず、日本語の特許明細書のみを参酌すべきと判断し、本件訂正は特許請求の範囲を変更するものであるから、特許法第126条6項の規定により、適法なものとは言えないと結論付けた。
2.訂正前の請求項1
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水溶性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水溶性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,燐酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水溶性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
3.本件訂正後の請求項1(下線部は訂正箇所。)
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,ホスホン酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
4.審決の理由(訂正は認められない)
「本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)は,いずれも「燐酸」ないし「リン酸」の記載個所に対応する原文の記載個所には「Phosphonsäure」と記載されており,その日本語訳は「ホスホン酸」であるから,特許法126条1項2号(以下,条文番号を示す際は,特に断らない限り,特許法を示すものとする。)に規定する「誤訳の訂正」を目的とするものであるが,特許請求の範囲の請求項1における構成の一つである「燐酸」を異なる物質である「ホスホン酸」に訂正することは,上記請求項1の発明特定事項を変更するものであり,特許請求の範囲を実質的に変更するものであって,126条6項に規定する要件に違反するものである。」
5.裁判所の判断(審決維持)
「このように,請求項1の「燐酸」という記載は,本件発明の構成に欠くことができない事項の一つであるところ,その記載自体は極めて明瞭で,明細書の記載等を参酌しなければ理解し得ない性質のものではないし,燐酸塩がアニオン界面活性剤であることは技術常識であると認められるから(乙2ないし4),請求項1全体を見ても「燐酸」という記載にはその位置付けも含めて格別不自然な点は見当たらない。」
「・・・本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるといえるかを検討すると,前記(1)イのとおり,請求項1の「燐酸」という記載は,それ自体明瞭であり,技術的見地を踏まえても,「ホスホン酸」の誤訳であることを窺わせるような不自然な点は見当たらないし,前記(2)アのとおり,本件訂正前の明細書において,「燐酸」又は「リン酸」という記載は11か所にものぼる上,請求項1の第2の処理溶液の作用成分を形成するアニオン界面活性剤としてスルホン酸,カルボン酸と並んで「燐酸」を選択し,その最適な実施形態を確認するための4つの比較実験において,燐酸や燐酸基が使用されたことが一貫して記載されている。
 そうすると,化学式の記載が万国共通であり,その転記の誤りはあり得ても誤訳が生じる可能性はないことを考慮しても,本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるということはできない。
 以上によれば,本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)を訂正することは,本件公報に記載された特許請求の範囲の表示を信頼する当業者その他不特定多数の一般第三者の利益を害することになるものであって,実質上特許請求の範囲を変更するものであり,126条6項により許されない。
(4) 原告の主張について
ア 原告は,前記(2)イによれば,本件公報に接した当業者は,「燐酸(又はリン酸)」と「ホスホン酸」のいずれかが誤りであることを予測することができたとした上で,原文明細書等を参照すれば,ホスホン酸を示す記載はあるが,燐酸を示す記載はないから,当業者は,訂正前の「燐酸(又はリン酸)」が「ホスホン酸」の誤訳であることを認識することができた旨主張する。
 しかしながら,126条6項の要件適合性の判断に当たり,原文明細書等の記載を参酌することはできないから,原告の主張は採用できない。
 すなわち,同項は,第三者に不測の不利益が生じることを防止する観点から,訂正前の特許請求の範囲には含まれないこととされた発明が訂正後の特許請求の範囲に含まれるという事態が生じないことを担保するために,訂正後の特許請求の範囲が訂正前の特許請求の範囲を実質上拡張又は変更したものとなることを禁止したものである。そして,特許権が設定登録により発生すると,願書に添付した明細書及び特許請求の範囲に記載した事項並びに図面の内容が特許公報に掲載されて,第三者に公示され(66条1項,3項,29条の2),第三者が利害関係を有する特許権の禁止権の範囲である特許発明の技術的範囲は,この願書に添付した特許請求の範囲に基づいて定められ,その用語の意義はこの願書に添付した明細書及び図面を考慮して解釈するものとされている(70条1項,2項)。ところで,本件特許のような外国語特許出願においては,出願人は,翻訳文明細書等及び要約の日本語による翻訳文を提出しなければならないとされており(184条の4第1項),翻訳文明細書等及び国際出願日における図面(図面の中の説明を除く。)(以下「国際出願図面」という。)が36条2項の願書に添付した明細書,特許請求の範囲及び図面とみなされる(184条の6第2項)。このように,本件特許のような外国語特許出願においては,特許発明の技術的範囲は,翻訳文明細書等及び国際出願図面を参酌して定められ,原文明細書等は参酌されないから,126条6項の要件適合性の判断に当たっても,翻訳文明細書等及び国際出願図面を基礎に行うべきであり,原文明細書等を参酌することはできないというべきである。原告の主張するように,同項の要件適合性の判断に当たり原文明細書等を参酌することができると解した場合には,誤訳の訂正の許否は原文明細書等を参酌しないと決することができないことになるから,訂正審決の遡及効(128条)を受ける第三者としては,我が国の特許庁によって公開されるものではなく,外国語により記載された原文明細書等を,翻訳費用や誤訳の危険を自ら負担して参照することを余儀なくされることになるが,このような解釈が第三者に過度の負担を課すものであって不当であることは明らかである。
 これに対して,原告は,原文明細書等は126条1項2号の要件適合性の判断に使用される資料であり,同条1項と同条6項の条文の配置からすると,同条6項は訂正目的に応じて判断基準が異なることを当然の前提としており,原文明細書等を同項の要件適合性の判断に使用することができる旨主張する。しかしながら,同条1項2号の要件適合性と同条6項の要件適合性とは別個の訂正要件についての判断であるから,その要件適合性の判断に当たり参酌できる資料の範囲についてもそれぞれの訂正要件の目的に応じた解釈がされるべきものであり,同条1項2号の要件適合性の判断に当たり参酌できる資料であることは同条6項の要件適合性の判断に当たり参酌できることを基礎付けるものではない。そして,同条6項の要件適合性の判断に当たっては,同項の趣旨に照らし,原文明細書等を参酌することができないことは既に説示したとおりである。」


2018年4月22日日曜日

方法により規定された物の構成要件の範囲が、特定の方法によるものには限定されないと判断された特許権侵害訴訟判決


東京地裁平成30年3月29日判決
平成28年(ワ)第29320号 特許権侵害差止等請求事件
1.概要
 本事例は、原告が、原告の有する特許権に基づいて、被告による被告製品の実施の差止等を求めた侵害訴訟の第一審判決である。東京地裁は原告の請求を認めた。
 本件特許発明は、下記の通り、熱可塑性樹脂発泡シートの片面に熱可塑性樹脂フィルムが積層された発泡積層シートによる容器に関するものである。この容器の構成要件の1つに「突出部」があり、請求項1において、「前記突出部の端縁部の上面が収容凹部の開口縁近傍の突出部の上面に比して下位となるように,突出部の端縁部において前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮されて厚みが薄くなっており」と規定されている(構成要件C)。
 被告製品が、構成要件Cを充足するか否かが争われた。
 被告製品は、①「前記突出部の端縁部の上面が収容凹部の開口縁近傍の突出部の上面に比して下位となる」という構成と,②「突出部の端縁部において前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮されて厚みが薄くなっており」という構成を備えている。しかし、被告製品は、端縁部において上記シートを圧縮して厚みを薄くする工程(上記②)を行い,その結果として端縁部の上面が上記のとおり下位(上記①)となっているわけではない、
 構成要件Cを、端縁部において上記シートを圧縮して厚みを薄くする工程(上記②)を行い,その結果として端縁部の上面が上記のとおり下位となっている(上記①)ことまで限定するものと解釈すれば、被告製品は本件発明の技術的範囲に属さない。
 東京地裁は、「物の態様として「ように」の語が特段の意味を有すると解することはできず,前記ア①及び②の各構成が両立していれば足りると解するのが相当である」と判断し、構成要件Cを広く解釈して、被告製品は本件発明の技術的範囲に属すると結論付けた。

2.本件発明
 本件特許の請求項1に係る発明(本件発明1)は以下のように分説される。下線は説明のために追加した。
「A1 熱可塑性樹脂発泡シートの片面に熱可塑性樹脂フィルムが積層された発泡積層シートが用いられ,
A2 前記熱可塑性樹脂フィルムが内表面側となるように前記発泡積層シートが成形加工されて,
A3 被収容物が収容される収容凹部と,
B 該収容凹部の開口縁から外側に向けて張り出した突出部とが形成された容器本体部を有する容器であって,
前記突出部の端縁部の上面が収容凹部の開口縁近傍の突出部の上面に比して下位となるように,突出部の端縁部において前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮されて厚みが薄くなっており,
D しかも,該突出部の少なくとも端縁部の上面側には,凸形状の高さが0.1~1mmとなり
E 隣り合う凸形状の間隔が0.5~5mmとなるように凹凸形状が形成され,
F 且つ該端縁部の下面側が平坦に形成されていること
G を特徴とする容器。」

 本件特許第5305693号には以下の説明がある。
「前記容器本体部10は、前記突出部14の端縁部15において、前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮された状態となっており、前記波形の突起15aの高さ(図2、図3の“h1”)が0.1~1mmとなり、隣り合う突起15aの間隔が0.5~5mmとなるように形成されていることが怪我防止の観点から好ましい。
 そして、前記端縁部15の上面は、収容凹部の開口縁13近傍の突出部14の上面に比べて下位となるように端縁部15が圧縮された状態となっている。
 すなわち、前記突出部14は、開口縁13近傍から端縁部15にかけて厚みが減少されており、この厚みが減少している領域において丸みを帯びた形状が形成されている。」
 本件特許第5305693号の図1~3:


3.裁判所の判断のポイント
「(3) 争点(1)ウ(構成要件C「端縁部の上面が…下位となるように…圧縮されて厚みが薄くなって」の充足性)について
本件発明1及び2に係る特許請求の範囲の記載は,①「前記突出部の端縁部の上面が収容凹部の開口縁近傍の突出部の上面に比して下位となる」という構成と,②「突出部の端縁部において前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮されて厚みが薄くなっており」という構成であり,かつ,これらの構成が「ように」で結ばれている。「ように」を助動詞「ようだ」の連用形又は名詞「よう」に助詞「に」を組み合わせたものとし,「ように」の後の部分がその前の部分を目的とする行動等を示す意味を有するとするとし・・・,その行動等を②の「圧縮」と解すると,端縁部において上記シートを圧縮して厚みを薄くする工程(上記②)を行い,その結果として端縁部の上面が上記のとおり下位となること(上記①)を示していると解する余地があるが,本件発明1及び2は物の発明であって方法の発明ではないのであるから,直ちにこのような関係にあるとは限られない。この部分を物の態様を示すものとしてみると,上記①及び②の各構成が両立することは必要であるが,更に進んで上記②の圧縮に基づかずに上記①となる形状の容器が本件発明1及び2の技術的範囲に属しない趣旨を含むのか否かは明らかでない。
イ 本件明細書の発明の詳細な説明欄をみると,前記1(1)ア~オの記載に加え,「前記容器本体部10は,前記突出部14の端縁部15において,前記熱可塑性樹脂発泡シートが圧縮された状態となっており,前記波形の突起15aの高さ(図2,図3の“h1”)が0.1~1mmとなり,隣り合う突起15aの間隔が0.5~5mmとなるように形成されていることが怪我防止の観点から好ましい。/そして,前記端縁部15の上面は,収容凹部の開口縁13近傍の突出部14の上面に比べて下位となるように端縁部15が圧縮された状態となっている。/すなわち,前記突出部14は,開口縁13近傍から端縁部15にかけて厚みが減少されており,この厚みが減少している領域において丸みを帯びた形状が形成されている。」「このように,突出部14の上面側に前記熱可塑性樹脂フィルムが配され,下面側には熱可塑性樹脂発泡シートが配され,しかも,端縁部15の上面側15uに凹凸形状が形成され且つ下面側15dが平坦に形成されていることから前記蓋体20を外嵌させる際にこの平坦に形成された端縁部15の下面側15dに強固な係合状態を形成させることができる。/しかも,熱可塑性樹脂フィルムの端縁を上下にジグザグとなるように形成させることにより利用者の怪我などを防止できる。」(発明を実施するための最良の形態。段落【0019】,【0020】。「/」は改行を示す。)との記載がある。
 上記記載によれば,本件発明1及び2は前記1(3)のとおりの技術的意義を持つもので,端縁部の下面が平坦であることとその厚みが薄いことの双方が備わることで,それぞれの効果が生じ,蓋の強固な止着が実現するのであって,端縁部が圧縮されて薄くなっていることと上面の位置との関係に何らかの技術的意義があるものでないし,実施例においても何らの効果も示されていない。そうすると,物の態様として「ように」の語が特段の意味を有すると解することはできず,前記ア①及び②の各構成が両立していれば足りると解するのが相当である。
・・・
エ 証拠(甲5)及び弁論の全趣旨によれば,被告製品(包装用容器)は,端縁部の上面の高さが開口縁近傍の突出部の高さよりも低いことが認められる。
 また,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,①別紙被告製品目録記載・・・の各包装用容器を除く被告製品(包装用容器)について,端縁部の厚さが開口縁近傍の突出部の厚さよりも薄いこと(甲6~9),②被告製品1~7のそれぞれに属する包装用容器について,外寸が異なるほかに相違点がうかがわれないこと(甲5)が認められる。そうすると,被告製品(包装用容器)全部について,上記①のとおり推認するのが相当である。
 したがって,被告製品(包装用容器)は,構成要件Cの「下位となるように…圧縮されて厚みが薄くなって」を充足する。」

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2018年4月14日土曜日

引用文献の再現実験結果が、公知技術の証拠として考慮されなかった事例


 
知財高裁平成30年3月12日判決

平成29年(行ケ)第10041号/平成29年(行ケ)第10042号審決取消請求事件

 
1.概要

 本裁判例は、無効審判審決(請求項1等に係る発明が無効との審決)に対する審決取消訴訟において、知財高裁が審決を取り消した事例である。

 熱間プレス部材に関する本件発明1を特定する特性が、引用文献には記載されていないが、引用文献を再現した再現実験において同じ特性を有する熱間プレス部材が得られた。審決では、再現実験が証拠として考慮されて、前記特性は、引用文献に内在的に開示されていると判断された。一方、知財高裁は、再現実験が優先日後に行われたものであり、前記特性を優先日前に当業者が「認識」できたものではないことから、前記特性は公知技術ではないと判断した。

 引用発明が潜在的に備える構成が公知技術と言えるか否かの判断の際に参考になる事例として紹介する。

 
2.本件発明1(請求項1に記載の発明)

「質量%で,C:0.15~0.5%,Si:0.05~2.0%,Mn:0.5~3%,P:0.1%以下,S:0.05%以下,Al:0.1%以下,N:0.01%以下を含有し,残部がFeおよび不可避的不純物からなる成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであり,優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制されることを特徴とする熱間プレス部材。」

 
3.引用発明との一致点、相違点

 本件発明1と引用発明との一致点及び相違点

() 一致点

「C:0.2%(判決注:「質量%で,C:0.2%」の誤記と認める。),Si:0.3%,Mn:1.3%,P:0.01%,S:0.002%,Al:0.05%,N:0.004%,Fe及び不可避的不純物を含有する成分組成を有する部材を構成する鋼板の表層にZnO層を有し,塗膜密着性(判決注:「塗装密着性」の誤記と認める。)と塗装後耐食性を有する熱間プレス部材。」である点。

() 相違点

相違点(1)

 部材を構成する鋼板が,引用発明では「Ti:0.02%を含有」するのに対し,本件発明1では,Tiを含有しない点。

相違点(2)

 本件発明1では,「部材を構成する鋼板の表層に,Ni拡散領域が存在し,前記Ni拡散領域上に,順に,Zn-Ni合金の平衡状態図に存在するγ相に相当する金属間化合物層,およびZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVである」のに対し,引用発明では,それが明らかではない点。

相違点(3)

 本件発明1では,「優れた塗装密着性と塗装後耐食性を有するとともに,腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」のに対し,引用発明では,「塗装密着性と塗装後耐食性を有する」ものの,「腐食に伴う鋼中への水素侵入が抑制される」ことについては明らかではない点。

 
4.無効審判請求人が提出した再現実験(甲2)

 引用例1には,引用発明において,相違点⑵に係る鋼板の表面構造が生成することは明記されていない。

 しかし,前記⑴ウのとおり,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものである。そして,以下のとおり,甲2による引用発明の再現実験により,この表面構造が生成することが確認されている。

 甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,その再現実験として,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った結果の報告書である。また,同報告書には,鋼種Aに近い成分にCr,Bを加えて製造した鋼種Xについての実験結果も記載されている。甲2によれば,引用例1の再現実験に相当するもの及びそこから鋼板の鋼種,めっき中のNi含有量等の条件を変更した合計16の試料において,鋼板表面の皮膜状態の構造について,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有し,かつ25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認される。また,これらの結果から,下地鋼板の成分組成の若干の相違(鋼種Aと鋼種X程度の相違)が,熱間プレス後の鋼板表面の構造に影響していないことも分かる。

 

5.相違点(2)に関する審決の判断

 甲2号証の調査報告書によれば、表9、表10において、鋼種Aに近い成分にCr:0.21%、B:0.0016%を添加した鋼種X(B3-B10)の場合においても、本件請求項1、4及び5に記載される鋼板の表層についての表面構造を有していることが確認できる。

 したがって、甲1発明において、上記のとおり、Cr:0.1~0.48%、B:0.0005~0.0016%のうちから選ばれた少なくとも一種のCr、Bを添加した場合においても、本件請求項1、4及び5に記載される鋼板の表層についての表面構造を有しているといえる。

 そうすると、該相違点は実質的なものとはいえない。

 
6.相違点(2)に関する裁判所の判断

「引用例1には,引用発明が相違点(2)に係る構成,すなわち,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを示す記載はなく,このことを示唆する記載もない。」

「本件優先日以前に頒布された刊行物である前記()()及び()記載の文献には,Zn-Niめっき鋼板の熱間プレス部材の表面構造に関する記載はない。したがって,これらの記載から,熱間プレス部材である引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが技術常識であったと認めることはできない。また,本件特許の優先日時点の当業者において,技術常識に基づき,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを認識することができたものとも認められない。

よって,相違点(2)は実質的な相違点ではないとはいえないし,相違点(2)につき,引用発明及び技術常識に基づいて当業者が容易に想到できたものということもできない。」

「エ 原告の主張について

 原告は,Zn-Niめっき鋼板に熱間プレスを施した場合,Ni拡散領域,γ相,ZnO層が,下から上にこの順番で形成され,そのような表面構造を有するめっき部材が本件発明1の自然浸漬電位を有することは,当業者の技術常識に基づいて容易に予測されるものであり,甲2による引用発明の再現実験により,確かにこの表面構造が生成することが確認されている旨主張する。

 しかし,前記アにおいて認定したことに照らすと,当業者が,本件特許の優先日時点において,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることを引用発明が本来有する特性として把握していたと認めることはできない。

 また,甲2は,引用発明に係る亜鉛-12%ニッケル合金電気めっき鋼板につき,引用例1の【表1】及び【表5】に記載される鋼種Aの化学成分を狙い値として製造された鋼種(鋼種A)に対し,鋼板表面の皮膜状態の構造の調査を行った原告従業員作成の実験結果の報告書であるところ,甲2(表9,10)には,16個のうち6個の試料(A1~A4,B1,B11)について,その鋼板表面の皮膜状態の構造が,Ni拡散領域上に,順にγ相に相当する金属間化合物層及びZnO層を有しており,かつ,25℃±5℃の空気飽和した0.5MNaCl水溶液中で示す自然浸漬電位が標準水素電極基準で-600~-360mVであることが確認されたことが記載されている。

 しかし,甲2の記載は,あくまで,原告が本件各発明を認識した上で本件特許の優先日後に行った実験の結果を示すものであり,本件特許の優先日時点において,当業者が,引用発明の鋼板表面の皮膜状態の構造が上記のとおりであることを認識できたことを裏付けるものとはいえない。」

2018年3月11日日曜日

発明の効果を立証するための実験結果が客観的な評価結果でないとされ進歩性が否定された事例


知財高裁平成30年2月20日判決
平成29年(行ケ)第10063号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判において進歩性ありと判断した審決に対する審決取消訴訟において、進歩性が否定され審決が取り消された知財高裁判決である。
 被告(特許権者)が審判段階で提出した実験(被告実験)の結果は「恣意的な評価を排除するために必要な明確な判定基準に基づくものであるとはいい難」く、本件特許権に係る本件発明1の効果を「客観的に示すものということはできない」と判断された。
 本件と同様に、進歩性の判断において、効果を裏付ける実験結果が、恣意的な要因が排除されておらず客観性を有するものとは言えない、と判断され、進歩性が否定された最近の事例として、知財高裁平成29年6月8日判決平成28年(行ケ)第10147号 審決取消請求事件(トマト含有飲料事件)がある。

2.本件発明1
「無鉛系はんだ粉末,ロジン系樹脂,活性剤及び溶剤を含有するソルダペースト組成物において,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含有するソルダペースト組成物。」

3.甲1発明
「はんだ粉,天然及び合成樹脂,活性剤,溶剤,及び分子内に第3ブチル基のついたフェノール骨格を含む酸化防止剤を含有するクリームはんだであって,
上記天然及び合成樹脂は水素添加ロジンであり
上記活性剤はシクロヘキシルアミンアジピン酸塩であり,
上記溶剤はブチルカルビトール及びプロピレングリコールモノフェニルエーテルであり,
上記分子内に第3ブチル基のついたフェノール骨格を含む酸化防止剤は,n-オクタデシル-3-(3,5-ジ-tert-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネートである,
クリームはんだ。」

4.本件発明1との対比
(ア) 一致点
はんだ粉末,ロジン系樹脂,活性剤及び溶剤を含有するソルダペースト組成物において,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含有するソルダペースト組成物。
(イ)相違点1
「はんだ粉末」が,本件発明1では「無鉛系」であるのに対し,甲1発明でははんだ粉末の金属組成が特定されておらず,「無鉛系」であるか不明である点。

5.審決の判断(進歩性肯定)
(ア)甲1文献記載の「通常の共晶はんだ」は,同文献に係る特許出願当時に標準的に使用されていた錫-鉛共晶はんだを意味する。また,同文献記載の「ビスマス入り」及び「銀入り」のはんだ粉末を含有するクリームはんだが鉛フリーのはんだを意味しているということはできない。
 したがって,甲1文献の「通常の共晶はんだ」,「ビスマス入り」及び「銀入り」なる記載は,いずれも鉛フリーはんだを意味するとは認められず,相違点1は本件発明1と甲1発明の実質的な相違点である。
(イ)本件特許の出願時における技術潮流を踏まえると,その当時の当業者は,鉛入りはんだの鉛フリーはんだへの置き換えを常に念頭に置いていたと考えられ,そのような当業者にとって,甲1発明を鉛フリー化しようとすることはごく自然なことであり,その際に,鉛入りはんだのフラックスはそのままで,はんだ粉のみを無鉛系はんだ粉末に置き換えることは,容易に想到し得る。
(ウ)本件明細書の記載によれば,本件発明1は,高温のリフロー時においても無鉛系はんだ粉末及びフラックス膜の熱劣化を防止することができ,はんだ付け性の特性が低下しないという効果を奏するものであると認められ,このような効果は当業者であっても予測することのできないものであるから,本件発明1は,当業者が予測できない格別の効果を奏するものである。
(エ)以上より,甲1発明は,相違点1の点で本件発明1と相違しており,本件発明1は甲1発明であるとはいえない。
 また,甲1発明において,相違点1に係る本件発明1の特定事項とすることは,当業者が容易に想到し得ることであるが,本件発明1は当業者が予測することのできない格別の効果を奏するものである。したがって,本件発明1は,甲1発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものではない。

6.裁判所の判断のポイント(進歩性否定)
「また,本件発明1においては,酸化防止剤の分子量が少なくとも500であるとの限定を有するが,以下のとおり,このような限定を付すことによって格別の効果が得られたことを裏付けるに足りる証拠はないから,本件発明1の効果は,甲1文献及び本件特許出願当時の技術常識から当業者にとって予測し得ない格別顕著なものであるとは認められない。
 すなわち,本件明細書には,ヒンダードフェノール系酸化防止剤として,トリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む実施例1及び1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む実施例2と,酸化防止剤を含まない比較例についてのリフロー試験を行い,実施例1及び2は,プリヒート温度が150℃の場合にもはんだ付け性は良好であるが,同温度が200℃の場合には特に優れ,その他の性能も劣るものはないと記載されている(表1,【0017】)。具体的には,表1には,プリヒート温度が200℃,120秒の場合の評価は,実施例1が5,実施例2が4であったのに対し,比較例は1とされている。この結果から,ヒンダードフェノール系酸化防止剤として,トリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕又は1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含む本件発明1のソルダペーストは,酸化防止剤を含まないソルダペーストとの比較においては,はんだ付け性に優れるということはできる。
 しかし,本件明細書には,ヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤として,分子量が500未満であるものを含むソルダペーストと本件発明1のソルダペーストを比較した試験は記載されていない。そうである以上,本件明細書の記載から,本件発明1は,分子量が少なくとも500であるヒンダードフェノール系化合物からなる酸化防止剤を含むことにより,甲1発明に対して顕著な効果を奏するということはできない。
 加えて,本件明細書には,本件発明1でヒンダードフェノール系化合物の分子量を少なくとも500とすることについて,「ヒンダードフェノール系化合物としては,特に限定されないが,…分子量500以上のものが,熱安定性が優れるという理由で,特に好ましい。」(本件明細書【0010】)というように,熱安定性に優れるとの記載はあるものの,ヒンダードフェノール系化合物の分子量が500未満である場合と比較して,リフロー特性に優れるソルダペースト組成物が得られることについては何ら記載されていない。
 そうである以上,本件発明1における酸化防止剤の分子量に臨界的意義があるということはできない。
被告実験について
() 被告は,被告実験において,それぞれ分子量500未満の酸化防止剤である2,6-ジ-t-ブチル-p-クレゾールないし2,2’-メチレンビス-(4-メチル-6-t-ブチルフェノール)を含むフラックスB,Cと,それぞれ500より大きい分子量の酸化防止剤であるトリエチレングリコール-ビス〔3-(3-t-ブチル-5-メチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕ないし1,6-ヘキサンジオール-ビス-〔3-(3,5-ジ-t-ブチル-4-ヒドロキシフェニル)プロピオネート〕を含むフラックスD,Eを用いてソルダペーストを作製し,リフロー試験によって,はんだの溶融状態を評価した結果により,500より大きい分子量の酸化防止剤を含むフラックスD及びEの方が,分子量500未満の酸化防止剤を含むフラックスB及びCよりも未溶融率の低いソルダペーストを与えることが証明されている旨主張する。
() しかし,以下のとおり,被告実験からは,500より大きい分子量の酸化防止剤を含むフラックスの方が,分子量500未満の酸化防止剤を含むフラックスよりも,未溶融率の低いソルダペーストを与えるということはできない。
 証拠(甲110)によれば,被告実験は,次のようなものであったことが認められる。すなわち,フラックスA:110gとはんだ粉末1:890g(Sn/Ag/Cu=96.5/3/0.5,平均粒子径27μm)をプラネタリーミキサーに入れて攪拌混合後,粘度を230Pa・s(測定温度25℃)になるようにヘキシルジグリコールを添加することにより調整したソルダペースト1,フラックスA:110gとはんだ粉末2:890g(Sn/Ag/Cu=96.5/3/0.5,平均粒子径32μm)を用いてソルダペースト1と同様に作成したソルダペースト2,ソルダペースト1,2のフラックスAに換えて,フラックスB~Eを用いて作製したソルダペースト3~10それぞれについて,リフロー試験である実験例1~10を行った。また,実験例1~10においては,基板に設けられた直径φ0.30mm,φ0.35mm,φ0.40mmの銅箔パッド上にメタルマスクを用いてソルダペースト1~10をスクリーン印刷した試験基板を,各ソルダペーストに2枚ずつ用意し,予備加熱時間が120秒,予備加熱終了後はんだの溶融温度に達した後の加熱時間が30秒,ピーク温度が240℃でリフロー試験を行い,1枚の基板について3種類の直径ごとに100個設けられた個々の銅箔パッドにおけるはんだの溶融状態を光学顕微鏡で観察し,溶融又は未溶融の判定を行い,その結果から算出した溶融率によって評価した。
 溶融・未溶融の判定基準は,「溶融」は「はんだ表面にはんだ粉末が無く1つになる。」,「未溶融」は「はんだ粉末が一つにならない。」又は「はんだ表面にわずかだが粉末が残っている。」との基準が(表3),また,その基準では判定がつかない場合の基準として,「溶融」は「はんだ表面にはんだ粉末が存在せず,全体が1つのドーム状になる。」又は「はんだ表面にはんだ粉末が1~3個程度分散して存在する。」,「未溶融」は「はんだ表面に光沢がなく,粉末が一つにならない。」,「はんだ表面の光沢が少なく,側面に5~6個以上の粉末が残っている。」,「はんだ表面全体にやや光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が分散して残っている。」,「はんだ表面の一部に光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が凝集している。」又は「はんだ表面のほぼ全体に光沢が見られるが,表面に5~6個以上の粉末が残っている。」との基準が示されている(表4)。被告実験における溶融・未溶融の判定基準に関する記載は,この表3及び表4の記載のみである。
 しかし,この評価方法は,結果がまず溶融又は未溶融に2値化された上で未溶融率を算出するため,溶融又は未溶融の判定基準の取り方次第で,実際には残っているはんだ粉末の個数にほとんど差がないパッドでも,最初の判定次第で溶融と未溶融のいずれかに峻別されることとなり,結果として未溶融と判定されるパッドの個数につき判定者の主観による変動が生じ得る方法ということができる。その上,当該判定基準は,はんだ粉末が1~3個程度では「溶融」と判定され,はんだ粉末が5個以上残っていると「未溶融」と判定されることは理解できるものの,加熱後に残っているはんだ粉末が4個の場合はそのいずれと判定されるのか不明である。こうした点を考慮すると,被告実験により示された結果は,恣意的な評価を排除するために必要な明確な判定基準に基づくものであるとはいい難い。そうである以上,被告実験の結果は,フラックスD及びEを用いて作製されたソルダペーストは,フラックスB及びCを用いて作製されたソルダペーストと比較して,リフロー特性に優れるものであることを客観的に示すものということはできない。」

2018年1月28日日曜日

新規化合物の有用性を裏付ける実験データの必要性、補正新規事項追加について争われた事例

知財高裁平成30年1月22日判決
平成29年(行ケ)第10007号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、被告が有する特許権に対する原告による無効審判請求が成り立たない(権利有効)とする無効審判審決を不服とする審決取消訴訟の知財高裁判決である。知財高裁は無効審決を取り消す理由はないと結論付けた。
 対象となる被告の特許の請求項1等には、除草剤として有用な新規化合物(2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩)が用途発明ではなく新規化合物自体として記載されていた。明細書の発明の詳細な説明には、除草剤としての有用性を確認した実験結果は記載されていない。無効審判の手続きにおいて被告(特許権者)は、マーカッシュクレーム形式で記載されていた官能基の選択肢の範囲を狭く限定する訂正を行っている。
 争われた審決取り消し理由:
(取消理由1)マーカッシュクレームにおいて一部の選択肢を削除して限定することが新規事項追加に該当するか?
(取消理由2)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、除草剤として「使用できる」ように記載され実施可能要件を満たすと言えるか?
(取消理由3)請求項記載の新規化合物の除草剤としての効果を確認した実験結果が記載されていないにもかかわらず、サポート要件を充足するか?

2.本件発明
2.1.訂正前の請求項1
「式Ⅰa
(略)

[但し,R1が,ニトロ,ハロゲン,シアノ,チオシアナト,C1~C6アルキル,C1~C6ハロアルキル,C1~C6アルコキシC1~C6アルキル,C2~C6アルケニル,C2~C6アルキニル,-OR3又は-S(O)nR3を表し,
R2が,水素,又はハロゲン以外のR1で述べた基の1個を表し,
R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断された,エチレン,プロピレン,プロぺニレンまたはプロピニレン鎖,或いは-CH2O-を表し,
Hetが,

 窒素,酸素及び硫黄から選択される1~3個のヘテロ原子を有する,3~6員の部分飽和若しくは完全飽和ヘテロシクリル基,又は
 下記の3個の群:窒素,酸素と少なくとも1個の窒素との組み合わせ,又は硫黄と少なくとも1個の窒素との組み合わせから選択されるヘテロ原子を3個まで有する,3~6員のヘテロ芳香族基,を表し,且つ上述のヘテロシクリル基又はヘテロ芳香族基は,部分的に又は完全にハロゲン化されていても,及び/又はR5で置換されていても良く,
R5が・・・]
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

2.2.訂正後の請求項1(下線部が訂正箇所)
「式Ⅰa

(略)
[但し,R1が,ハロゲンを表し,
R2が,S(O)nR3を表し,

R3が・・・・
nが1又は2を表し,
Qが・・・,
X1が酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-を表し,
Hetが,
オキシラニル,2-オキセタニル,3-オキセタニル,2-テトラヒドロフラニル,3-テトラヒドロフラニル,2-テトラヒドロチエニル,2-ピロリジニル,2-テトラヒドロピラニル,2-ピロリル,5-イソオキサゾリル,2-オキサゾリル,5-オキサゾリル,2-チアゾリル,2-ピリジニル,1-メチル-5-ピラゾリル,1-ピラゾリル,3,5-ジメチル-1-ピラゾリル,または4-クロロ-1-ピラゾリルを表す
で表される2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン又はその農業上有用な塩。」

3.取消理由1(本件訂正の可否)について
3.1.本訂正の可否についての原告の主張
(1) マ-カッシュ・クレ-ムの補正に関する審査基準によれば,補正により選択肢を削除して特定の選択肢の組合せを請求項に残すことによって,新たな技術的事項を導入することとなる場合があるから,補正後の選択肢が当初明細書等の記載の範囲にあるからといって当該補正が許容されるわけではない。訂正についても同様である。
(2) 請求項1に係る本件訂正は認められない。請求項1に係る本件訂正は,Hetにつき「18個の選択肢」に限定するものであるが,本件明細書の【0061】,表A及び表37によっては,Hetに関する「18個の選択肢」は把握できないし,X1が「酸素により中断されたエチレン鎖または-CH2O-」を表す場合に,Hetが「18個の選択肢」であると把握することはできない。審決の予告を受けて,特定のX1とHetの組合せを選択したという本件訂正に至る経緯(甲90,91)を考慮しても,本件審決の「Hetが(【0061】記載の)12個である場合に式Ⅰaの,Het以外の置換基や部分構造が特定のものに限られるというものでもない」とした認定は誤りである。特許請求の範囲の減縮だからといって,新規事項の追加でないとはいえない。
(3) 本件訂正は,本件明細書の方法Cにより生産できないものを含んでいた本件発明の広範なX1とHetの組合せの中から,上記方法Cにより適宜生産できると被告が主張し得る範囲のX1とHetの特定の組合せを任意に残したものである。そして,本件訂正後のX1とHetの組合せであれば方法Cにより生産できることが本件明細書に開示ないし示唆されているとはいえないから,この点からも,本件訂正後のX1とHetの特定の組合せを任意に選択することは,新規な技術的事項を追加するものである。」

3,2.本件訂正の可否についての裁判所の判断
(1) 本件訂正は,審決の予告(甲90)において実施可能要件に係る記載不備が指摘されたことに対して,明細書に明示的に記載されていた置換基X1及びHetの選択肢(【0061】,表A及び表37)を,CAS REGISTRY物質レコード(甲69)に示されていることから入手できることが確認された原料物質より合成される化学物質に限定したものである。すなわち,本件訂正発明は,本件発明のR1を1種類(ハロゲン),R2を1種類(-S(O)nR3),X1を2種類(酸素により中断されたエチレン鎖又は-CH2O-),Hetをヘテロシクリル基及びヘテロ芳香族基(ヘテロアリール)のうちの本件明細書に挙げられている多数の物質の中から18種類又は15種類の化合物に限定したものである。そして,本件訂正後の化学物質群は,いずれも本件訂正前の請求項に記載された各選択肢に内包されていることが明らかである。したがって,本件訂正は,特許請求の範囲を減縮するものである。
 また,訂正後の化学物質群は,訂正前の基本骨格(シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造。本件共通構造)を共通して有するものである。加えて,訂正後の化学物質群について,訂正前の化学物質群に比して顕著な作用効果を奏するとも認め難い。そうすると,選択肢を削除することによって,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではない。
 このように,本件訂正は,特許請求の範囲の減縮を目的とし,また,本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を導入するものでないから,本件明細書の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項の範囲内である。
 したがって,本件訂正は,特許法134条の2第9項が準用する126条5項の規定に違反しない。」

4.取消理由2(実施可能要件に係る判断の誤り)について
4.1.実施可能要件についての原告の主張
(2) 化合物を使用できることについて
ア 本件明細書には,化学物質の施与率が非常に広範な数値範囲で示されているだけであり(【0129】),「使用実施例」などとして,除草作用の検証方法の概要が示されているにすぎず(【0136】~【0140】),本件明細書には,実際に試験を行った結果は,何ら記載されていない。そうであるにもかかわらず,本件審決が,常法に従い除草のために施用できることは明らかであり,施用すれば,常法に従い除草特性を確認することができることは明らかであるとして,実施可能要件を満たすとした判断は誤りである。
イ 化学物質発明の有用性をその化学構造だけから予測することは困難であり,試験してみなければ判明しないことは当業者の広く認識するところである。化学物質の発明の有用性を知るには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを要する。
 仮に,当業者が「常法に従い除草特性を確認」したとしても,本件明細書にはいかなる実験結果も記載されていないのであるから,当該化学物質を使用するためには,当業者に通常期待し得る程度を超える試行錯誤が要求されるというべきである。
ウ ①甲99の「化学物質番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかった。また,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していない。上記①及び②からすれば,「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(以下「本件共通構造」という。)上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示すものではない。」

4.4.実施可能要件についての裁判所の判断
(3) 本件訂正発明に係る化学物質の使用について
ア 本件訂正明細書には,以下の記載がある。
 本件訂正発明の化学物質は,従来技術の2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオンに比べて,稲等の栽培植物には影響を与えずに望ましくない栽培植物に対して除草作用を示すという除草作用及び安全性において満足できる効果を有する(【0003】~【0008】)。
 作物の中の広葉の雑草及びイネ科の雑草(Unkraeuter und Schadgraeser)に対して,栽培植物に損傷を与えることなく作用する(【0109】)。
 本件訂正発明に係る化学物質又はこれを含む除草剤組成物を種々の作物に,水性分散液の噴霧や粒状態の散布等,様々な態様によって施与することができる(【0112】~【0129】)。
 本件訂正発明に係る化学物質の除草剤としての使用実施例(事前法,事後法による温室実験の方法)(【0136】~【0140】)
イ 本件訂正明細書において本件訂正発明に係る化学物質について使用することができるように記載されているか否かについて判断する。
 前記アの本件訂正明細書の記載から,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有することが従来から知られていたものと理解される。

また,引用例1ないし同4(甲1~4)には,本件訂正発明と「シクロヘキサン-1,3-ジオンの2位がカルボニル基を介して中央のベンゼン環に結合した構造」(本件共通構造。上図)において共通する化合物,つまり2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物が除草剤の有効成分の物質として有用であることが記載されている。



 そうすると,当業者は,本件訂正発明に係る,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を【0136】~【0140】に記載の使用実施例に従って施用すれば,従来技術から除草剤の有効成分とされる2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物と同様に課題を解決できることを理解することができるから,実際に除草試験を行った結果の記載の有無にかかわらず,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる。
ウ 原告の主張について
() 原告は,実施可能要件を満たすためには,実際に試験を行い,その試験結果から,当業者にその有用性が認識できることを必要であって,通常,一つ以上の代表的な実施例が必要である,また,用途発明であれば,通常,用途を裏付ける実施例が必要であると主張する。
 しかし,前記イのとおり,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物は,除草作用を有し,除草剤の有効成分として有用であることが従来から知られていたことからすれば,本件共通構造を有する2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であれば,同様の効果を奏するものと推認できるから,本件訂正発明については,改めて試験を行うまでもなく,有用性が認められるというべきである。また,本件訂正発明は,除草剤の有効成分の化学物質に係る発明であるから,いわゆる用途発明には当たらないし,用途発明に準じて実施例が必要であるということもできない。
() 原告は,①甲99の「化合物番号55」は本件共通構造を有するにもかかわらず,本件訂正明細書に記載の施与量の上限の約1.5倍(4.48kg/ha)で試験されたどの雑草にも除草効果を示さなかったこと,②甲101の本件共通構造を有する6つの化学物質は,引用例1ないし4よりも多い80g/haの施与量で行った実験において,いずれの雑草(カラスムギ,ショクヨウガヤツリ,イヌビエ,イチビ)に対しても除草活性を示していないこと,以上によれば,本件共通構造上の置換基の種類・組合せが,除草活性の発現に大きく影響することは明らかであり,本件共通構造を有する化学物質が必ずしも除草活性を示さないと主張する。
 しかし,原告の挙げる上記各物質は,いずれも本件訂正発明の技術的範囲に含まれないものであるから,上記各物質が除草効果を示さないことをもって,本件訂正発明が実施可能要件に欠けるということはできない。
 また,甲99によれば,本件共通構造を有する93種類の物質で実験を行ったところ,「化合物番号55」を除く大半のものについて除草効果が示されているし,甲101は,4種類の雑草について実験したものにすぎない。したがって,上記各物質についての実験結果を考慮しても,本件共通構造を有する物質であれば,過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る新規化学物質を除草剤として使用することができる旨の前記イの判断は左右されない。
() したがって,原告の上記各主張はいずれも理由がない。
(4) 小括
 以上のとおり,本件訂正明細書における発明の詳細な説明の記載は,その記載に基づいて当業者が過度の試行錯誤を要することなく,本件訂正発明に係る化学物質を製造し,使用することができることが記載されているといえる。
 したがって,本件訂正明細書は実施可能要件を満たしている。

5.取消理由3(サポート要件に係る判断の誤り)について
5.1.サポート要件についての裁判所の判断
(1) 特許請求の範囲の記載が,明細書のサポ-ト要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである。
(2) 発明の課題は,原則として,発明の詳細な説明の記載から把握すべきであるところ,一般に,化学物質に関する発明の課題は,新規かつ有用な化学物質を提供することにあるものと考えられる。
 本件訂正明細書には,前記1(1)のとおりの記載がある。また,本件訂正明細書【0003】~【0006】の記載から,本件訂正発明の課題は,従来から優れた除草活性と作物に対する安全性を示すことが知られている2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物であって,新規かつ有用な化合物を提供することにあると認められる。
(3) 前記(2)のとおり,本件訂正発明の課題は,優れた除草活性と作物に対する安全性を有する新規な2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物を提供することにあるものと認められる。前記3(3)イで検討したとおり,当業者は,本件訂正発明の化学物質の化学構造と従来技術の除草化学物質との共通性から,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができる。例えば,引用例1ないし4は,いずれも「シクロヘキサンジオン誘導体および除草剤」であり,いずれも「優れた除草活性と作物に対する安全性を有する」とされ,優れた除草活性を示すことが開示されている。
 また,サポ-ト要件を満足するために,発明の詳細な説明において発明の効果に関する実験デ-タの記載が必ず要求されるものではない。特に本件訂正発明は,新規な化学物質に関する発明であるから,医薬や農薬といった物の用途発明のように具体的な実験デ-タ,例えば,具体的な除草活性の開示まで求めることは相当でない。
(4) 原告の主張について
原告は,本件訂正明細書には,本件訂正発明に係る化学物質が除草活性を有することを裏付ける具体的な記載(試験デ-タ)は何もない,また,被告による実験成績証明書(甲51,52,63)において,本件訂正発明に係る化学物質の優れた効果が示されているものの,これらの除草作用の試験をしたのは本件出願日から10年以上後であると主張する。
 しかし,前記(3)のとおり,本件訂正明細書の記載及び出願時の技術常識に基づいて,本件訂正発明に係る化学物質が,従来技術の除草剤の有効成分と同様に課題を解決できることを推認することができるのであるから,被告が出願後に行った実験成績証明書の参照の有無にかかわらず,発明の詳細な説明に具体的な実験デ-タがないことをもってサポ-ト要件違反とする,原告の主張を採用することはできない。
イ 原告は,本件共通構造をもった化合物であれば必ず除草活性を示すという技術常識はなく(甲99),また,本件訂正発明がサポ-ト要件を満足するとの根拠(化学構造上の共通性)として本件審決が示した従来技術(引用例1ないし4)は限られた先行技術であって,当業者の技術常識とはいえない旨主張する。
 しかし,2-ベンゾイルシクロヘキサン-1,3-ジオン化合物(本件共通構造を有する化合物群)が除草活性を示すことが従来から知られていることについては,本件明細書【0003】~【0006】に記載されているとおりである。そうすると,発明の詳細な説明において,請求項に係る発明が発明の課題を解決できることを当業者が認識できるように記載されているものと認めるのが相当である。

 また,甲99に示された化合物番号55など,仮に,本件訂正発明に係る一般式と共通構造を有する化学物質に,特定のある植物に対して除草活性を示さないものが含まれるとしても,前記3(3)()のとおり,共通構造を有する化学物質が除草-活性を示すことを推認できる以上,本件訂正発明に係る化学物質のうち実際に除草活性を示さない態様を確認し,これを除くように請求項を記載しなければ,サポ-ト要件を満たさないと解することは相当でない。

2017年11月26日日曜日

ガラス組成物を物性と組成の両面から規定した発明のサポート要件、実施可能要件欠如が争われた事例

知財高裁平成29年10月25日判決言渡
平成28年(行ケ)第10189号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は特許出願人である原告が出願した特許出願に対する拒絶審決を不服とした原告による、審決取消訴訟の高裁判決である。
 審判合議体による審決では、サポート要件違反及び実施可能要件違反と判断されたが、知財高裁では、審決の判断に誤りがあると判断し、審決を取り消した。
 本願では、請求項1において、光学ガラスを、「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」という「物性要件」と、化学組成を限定した「組成要件」との、両面から規定している。「物性要件」を満たす範囲のガラスが全て、課題を解決できる(物性要件を満たす)というわけではないため、「物性要件」に加えて「物性要件」による縛りを加えている。
 審決では、「組成要件」のみに着目し、「,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。」としてサポート要件違反と結論づけた。
 裁判所は、「光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できる」と判断した。
 化学組成物をクレームする場合、「組成要件」のみで規定するのが原則であるが、組成から物性を推測することが難しいガラス、金属、プラスチック等の技術分野では、「物性要件」も補助的に加えて、「組成要件」と「物性要件」との両面で化学組成物を特定することが多い。

2.本願発明
「【請求項1】
屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し,
質量%の比率で
SiO2を10%以上40%以下,
Nb2O5を40%超65%以下,
ZrO2を0.1%以上15%以下,
TiO2を1%以上15%以下
含有し,
B2O3の含有量が0~20%,
GeO2の含有量が0~5%,
Al2O3の含有量が0~5%,
WO3の含有量が0~15%,
ZnOの含有量が0~15%,
SrOの含有量が0~15%,
Li2Oの含有量が0~15%,
Na2Oの含有量が0~20%,
Sb2O3の含有量が0~1%
であり,
TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,
SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。」

3.物性要件と組成要件
 本願発明は,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し」との発明特定事項(以下「本願物性要件」という。)と,「質量%の比率でSiO2を10%以上40%以下,Nb2O5を40%超65%以下,ZrO2を0.1%以上15%以下,TiO2を1%以上15%以下含有し,B2O3の含有量が0~20%,GeO2の含有量が0~5%,Al2O3の含有量が0~5%,WO3の含有量が0~15%,ZnOの含有量が0~15%,SrOの含有量が0~15%,Li2Oの含有量が0~15%,Na2Oの含有量が0~20%,Sb2O3の含有量が0~1%であり,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超である」との発明特定事項(以下「本願組成要件」という。)からなり,「光学ガラスに見られる諸欠点を総合的に解消し,前記の光学定数を有し,部分分散比が小さい光学ガラス」,すなわち本願物性要件を満たす光学ガラスを提供することを課題とする。

4.審決の判断(拒絶審決)
(1)サポート要件違反
 本願組成要件に関するガラスの組成のうち,実施例で示されているものは一部の数値範囲の組成にとどまり,当該数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが実施例の記載により裏付けられているとはいえず,その他の発明の詳細な説明の記載にも,当業者が本願物性要件を満たすことを認識し得る説明がされているとはいえない。また,本願出願時の当業者の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。
 したがって,本願発明は,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも,その記載がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らして当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるともいえないから,本願は,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。
(2)実施可能要件違反
 上記⑴のとおり,本願の明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえる。
 したがって,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえないから,本願は,実施可能要件(特許法36条4項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。

5.裁判所の判断(審決取消)
「2 取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)について
 事案に鑑み,取消事由2の成否,すなわち,本願につき,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合しないとした本件審決の判断の適否について,まず検討する。
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 これを本願発明についてみると,まず,本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そして,このような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(2) そこで,以上の観点から,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時の技術常識に基づき,サポート要件についての本件審決の判断の適否について検討する。
ア 本願明細書の段落【0014】,【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,光学ガラスの組成について,本願組成要件に規定される各成分を,その規定に係る数値範囲で含有することがそれぞれ記載され,また,段落【0073】及び【0074】には,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」を本願組成要件に規定される数値(上限値又は下限値)とすることが記載されている。
 また,本願明細書の【表1】~【表9】には,実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)として,本願組成要件を満たす具体的な組成物も記載されている。
 したがって,本願明細書の発明の詳細な説明に,本願組成要件で特定される光学ガラスが記載されていることは明らかである。
イ 前記(1)のとおり,本願発明の解決課題は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」ことであり,本願物性要件は,これを光学定数により定量的に表現するものであるところ,本願明細書の発明の詳細な説明には,その解決手段として,本願組成要件を満たすものとすべき理由が説明されている。すなわち,本願明細書の段落【0021】,【0023】,【0025】,【0027】,【0029】,【0031】,【0033】,【0035】,【0038】,【0048】,【0058】及び【0060】には,本願組成要件に規定される各成分について,その成分がガラス形成においていかなる効果を有し,それが少なすぎたり,多すぎたりした場合にいかなる弊害が生じるかが記載され,それらを踏まえて,当該成分の好ましい含有比率の範囲として,本願組成要件が規定する数値範囲がそれぞれ記載されている。また,本願明細書の段落【0073】には,「TiO2成分の含有量とZrO2成分,Nb2O5成分の合計含有量の比を所定の値に調節することにより,部分分散比(θg,F)が小さいガラスが得られることを見出した」ことが記載され,段落【0074】には,「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの各成分の合計含有量を調節することにより,高屈折率高分散特性を有し,部分分散比が小さく,リヒートプレス成形時の失透を抑制したガラスが得られることを見出した」ことが記載され,これらの好ましい値として,本願組成要件が規定する数値(上限値又は下限値)がそれぞれ記載されている。
 しかるところ,以上のような発明の詳細な説明の記載を総合してみれば,本願発明における本願組成要件と本願物性要件との関係に関して,次のような理解が可能といえる。すなわち,まず,Nb2O5成分は,屈折率を高め,分散を大きくしつつ部分分散比を小さくし,化学的耐久性及び耐失透性を改善するのに有効な必須の成分であること(段落【0033】)から,本願組成要件において,その含有量が40%超65%以下とされ,組成物中で最も含有量の多い成分とされていることが理解できる。また,ZrO2成分は,屈折率を高め,部分分散比を小さくする効果があり(段落【0031】),他方,TiO2成分は,屈折率を高め,分散を大きくする効果がある反面,その量が多すぎると部分分散比が大きくなること(段落【0029】)から,「部分分散比が小さい光学ガラス」を得るためには,ZrO2及びNb2O5の含有量に対してTiO2の含有量が多くなりすぎることを避ける必要があり,そのために,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値を一定以下とするものであること(段落【0073】)が理解でき,これが,本願組成要件において,各成分の含有量とともに規定される「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.2以下であり」との特定に反映され,本願発明の課題の解決(高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供すること)にとって重要な構成となっていることが理解できる。
ウ 他方,本願明細書の発明の詳細な説明における実施例の記載をみると,本願組成要件を満たす実施例(No.8,9,21,24~38,41,44,45,48~57,60~66)に係る組成物が,本願物性要件の全てを満たすことが示されているが,これらの組成物の組成は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のもの(具体的には,別紙審決書4頁23行目から5頁8行目までに記載のとおりである。)でしかなく,上限から下限までの数値範囲を網羅するというものではない。
 すなわち,本願組成要件に規定された各数値範囲は,実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており,そのため,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる。
 そこで検討するに,まず,光学ガラスの製造に関しては,ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため,個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして,所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり,そのため,ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり,当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには,既知の光学ガラスの配合組成を基本にして,その成分の一部を,当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い,ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ,このことは,本願出願時において,光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5,6,17,18,21,22。以上のような技術常識の存在については,当事者間に争いがない。)。
 そして,上記のような技術常識からすれば,光学ガラスの製造に当たって,基本となる既知の光学ガラスの成分の一部を,物性の変化を調整しながら,他の成分に置き換えるなどの作業を試行錯誤的に行うことは,当業者が通常行うことということができるから,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして,前記イのとおり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには,「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから,これらの条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。なお,これを具体的な成分に即して説明するに,例えば,本願発明の最多含有成分であるNb2O5についてみると,当業者であれば,実施例中最多の含有量(53.61%)を有する実施例50において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,必須成分であるTiO2(6.48%),ZrO2(1.85%)又は任意成分であるNa2O(9.26%)から適宜置換することによって,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を増やす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられ,同様に,実施例中Nb2O5の含有量が最少(43.71%)である実施例24において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,もう1つの主成分であるSiO2(24.76%),必須成分であるZrO2(10.48%)又は任意成分であるLi2O(4.76%)への置換により,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を減らす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられる(以上のことは,本願組成要件に係るNb2O5以外の成分についても,同様にいえることであり,この点については,原告の前記第3の2⑵記載の主張が参考となる。)。
 してみると,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識に鑑みれば,当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
・・・
⑶ 小括
 以上のとおり,本願につき,サポート要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記(2)で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由2は理由がある。
3 取消事由3(実施可能要件についての判断の誤り)について
 本件審決は,本願明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえるから,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえず,本願は実施可能要件に適合しない旨判断する。
 しかしながら,本願明細書の実施例に係る組成物の組成が,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲の一部のものにすぎないとしても,前記2(2)で述べたとおりの本願明細書の発明の詳細な説明の記載及び本願出願時における光学ガラス分野の技術常識からすれば,光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解するものであり,特に,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るのに重要な「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」との条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることを理解するものといえる。そして,そのようにして本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
 これに対し,本件審決の判断は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲のうち,当業者が過度な試行錯誤を要することなく本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができる範囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,上記で述べたところからすれば,このような判断は誤りというべきである。本件審決は,上記のとおり,本願の実施可能要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができると考えられる各成分の数値範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願の実施可能要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤りといわざるを得ず,また,その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。

 以上のとおり,本願につき,実施可能要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由3は理由がある。」

2017年11月12日日曜日

装置クレームの明確性が争われた事例

知財高裁平成29年9月21日判決
平成28年(行ケ)第10236号 審決取消請求事件

1.概要
 被告が有する特許5306571号に対し、原告は、明確性要件違反等を理由として無効審判を請求した。特許庁は平成28年10月3日に、請求は成り立たない(特許有効)の審決をした。被告は、審決の取り消しを求めて知財高裁に出訴した。知財高裁は、本件特許は請求項の記載が明確でないと判断し、審決を取り消した。
 本件発明は下記の通り、「無洗米の製造装置」であるにもかかわらず、その請求項には、装置の構造が具体的に記載されておらず、主に、達成しようとする目的が記載されたものであった。請求項は一見して不明確に思われるが、特許庁は権利を付与し、無効審判においても、一旦は明確性要件違反無しと判断されており、興味深い。

2.本件発明1(請求項1)
「 外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と,澱粉を含まず食味上もよくない黄茶色の物質の層により表層部が構成され,該表層部の内側は,前記糊粉細胞層(4)に接して,一段深層に位置する薄黄色の一層の亜糊粉細胞層(5)と,該亜糊粉細胞層(5)の更に深層の,純白色の澱粉細胞層(6)により構成された玄米粒において,前記玄米粒を構成する糊粉細胞層(4)と亜糊粉細胞層(5)と澱粉細胞層(6)の中で,搗精により糊粉細胞層(4)までを除去し,該糊粉細胞層(4)と澱粉細胞層(6)の間に位置する亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,前記搗精により亜糊粉細胞層(5)を表面に露出させた白米を,該亜糊粉細胞層(5)が表面に現れた時の白度37前後に仕上げ,更に糊粉細胞層(4)の細胞壁(4’)が破られ,その中の糊粉顆粒が米肌に粘り付けられた状態で白米の表面に付着する『肌ヌカ』を,無洗米機により分離除去する無洗米処理を行うことを特徴とする旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置であって,
 全精白行程の終末寄りから少なくとも3分の2以上の行程に摩擦式精米機を用い,前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,且つ精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とすること,及び,無洗米機を備えたことを特徴とする旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置。」

3.審決の判断(明確性要件違反なし。特許有効)
「本件特許請求の範囲請求項1及び2の記載は,請求人が主張した記載によっては明確性要件を満たしていないとはいえない。
ア 請求項1及び2の「食味上もよくない黄茶色の物質の層」という記載は,「外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と」「構成された」「表層部」についての玄米一般に係る記載といえるから,当該記載により本件発明が不明確になるものではない。
イ 同「亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,」という記載は,記載内容自体が明確でないとはいえず,本件発明が不明確になるものではない。なお,仮に実現の可能性が低いとしても,発明が不明確であることにはならない。
ウ 同「前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,」という記載は,1粒の米粒に係る記載ではなく,複数の米粒の半数以上のものについての記載と解されるのであって,その記載内容自体が明確でないとまではいえない。
エ 請求項1の「前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,」という記載は,特に「ほぼ滑面状」という範囲を曖昧にし得る表現があるものの,例えば,本件明細書の「従来の摩擦式精米機では,能率を向上させるために,精白除糠網筒の内面にイボ状,または線状等の突起を設け,糠層を一度に分厚く剥離していたのをなくし,糠層を表面から少しずつ剥離させるために,同網筒の内面を滑面にする」(【0029】)との記載,「若干微細な凹凸があるものの,従来のものにくらべ,はるかに凸部が低くなっている」(【0031】)との記載,「精白除糠網の内面がほぼ滑面状となっているから,・・・それらの作用により精白時に,米粒を薄く表面より少しずつ薄皮を剥がす如く剥離させるから,従来の如く,一度に分厚く糠層が削ぎ落とされるために生じる,ムラ剥離されることはない」(【0033】)という記載,及び,本件出願時の技術常識を考慮すると,「従来のものにくらべ,はるかに凸部が低くなってい」て「精白時に,米粒を薄く表面より少しずつ薄皮を剥がす如く剥離させる」ことができる精白除糠網筒の内面であることが理解でき,本件発明1が不明確になるものではない。
オ 同「精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とする」という記載は,回転数の下限だけを示すような数値範囲限定であって範囲を曖昧にし得る表現があるものの,例えば,本件明細書の「更にこれも常識に逆行して非効率的ではあるが,同精米機の回転数を早めるのである」(【0029】)との記載及び本件出願時の技術常識を考慮すると,本件発明1においては回転数の上限値が問題となるのではなく,毎分900回転という下限値未満とならないようにすることに技術的意義を有することが理解でき,本件発明1が不明確になるものではない。
カ 請求項1及び2の「無洗米機を備えた」という記載は,記載内容自体が明確でないとはいえず,本件発明が不明確になるものではない。」

4.裁判所の判断(明確性要件違反、審決取消)
(1) 特許法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。この趣旨は,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載のみならず,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
(2)ア 請求項1及び2の「外から順に,表皮(1),果皮(2),種皮(3),糊粉細胞層(4)と,澱粉を含まず食味上もよくない黄茶色の物質の層により表層部が構成され,該表層部の内側は,前記糊粉細胞層(4)に接して,一段深層に位置する薄黄色の一層の亜糊粉細胞層(5)と,該亜糊粉細胞層(5)の更に深層の,純白色の澱粉細胞層(6)により構成された玄米粒において,」の部分(以下「記載事項A」という。)について
 記載事項Aは,本件発明の無洗米の製造装置における処理対象である玄米粒の構成について,その表層部から深層部に至る各部分の名称を順に列挙するものであり,上記無洗米の製造装置の構造又は特性に直接関連するものではない。
イ 請求項1及び2の「前記玄米粒を構成する糊粉細胞層(4)と亜糊粉細胞層(5)と澱粉細胞層(6)の中で,搗精により糊粉細胞層(4)までを除去し,該糊粉細胞層(4)と澱粉細胞層(6)の間に位置する亜糊粉細胞層(5)を外面に残して,該一層の,マルトオリゴ糖に生化学変化させる酵素や食物繊維や蛋白質を含有する亜糊粉細胞層(5)を米粒の表面に露出させ,前記精白米には,全米粒の内,『舌触りの良くない胚芽(7)の表層部や突出部を削り取り,残された基底部である胚盤(9)』,または『胚芽(7)の表面部を削りとられた胚芽(8)』が残った米粒の合計数が,全体の50%以上を占めるように搗精され,前記搗精により亜糊粉細胞層(5)を表面に露出させた白米を,該亜糊粉細胞層(5)が表面に現れた時の白度37前後に仕上げ,」の部分(以下「記載事項B」という。)について
 記載事項Bは,本件発明の無洗米の製造装置を用いた精米方法又は上記無洗米の製造装置により得られる精白米の性状を表したものであり,上記無洗米の製造装置の構造又は特性を直接特定する記載ではない。
ウ 請求項1及び2の「更に糊粉細胞層(4)の細胞壁(4’)が破られ,その中の糊粉顆粒が米肌に粘り付けられた状態で白米の表面に付着する『肌ヌカ』を,無洗米機により分離除去する無洗米処理を行うことを特徴とする」の部分(以下「記載事項C」という。)について
 記載事項C は,白米の表面に付着する「肌ヌカ」を無洗米機により分離除去する無洗米化処理を行うことを記載したものであり,本件発明の無洗米の製造装置が無洗米機をその構成の一部としていることを表しているが,それ以上に,上記無洗米の製造装置の構造又は特定を直接特定する記載ではない。
エ 請求項1及び2の「旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置であって,」の部分(以下「記載事項D」という。)について
 記載事項Dの「無洗米の製造装置であって」という部分は,本件発明が無洗米の製造のための装置の発明であることを示す記載であり,発明のカテゴリーを示して,その技術的範囲を定めるものと解される。
 記載事項Dの「旨み成分と栄養成分を保持した」という部分は,本件発明の無洗米の製造装置で製造される無洗米の特性を示したものであり,前記無洗米の製造装置の構造又は特性を直接特定する記載ではない。
オ 請求項1の「全精白行程の終末寄りから少なくとも3分の2以上の行程に摩擦式精米機を用い,」の部分(以下「記載事項E」という。)について
 記載事項Eは,それのみでは,これが精米工程,すなわち,方法を表すものなのか,請求項1の無洗米の製造装置に少なくとも摩擦式精米機が含まれているという構造を示すものなのか,必ずしも判然としない。
 しかしながら,本件明細書には,実施例として,第1精米機,第2精米機,第3精米機を構成に含み,これらはいずれも噴風摩擦式精米機であるが,第1精米機のみは研削式にする場合もあるという無洗米の製造装置が記載されており(【0030】),玄米は,第1精米機において中途精白米に仕上げられ,第2精米機において,更に精白度を高めた中途精白米に仕上げられ,第3精米機において,最適の白度に仕上げられる(【0032】)のであって,本件発明の精米装置では,「全行程,もしくは終末寄りの工程が噴風摩擦式精米機によって構成され,それが少なくとも全精米工程の少なくとも3分の2以上を占めている。」(【0037】)旨が記載されている。
 これらの記載を斟酌すると,記載事項Eは,本件発明1に係る無洗米の製造装置の構成につき,摩擦式精米機が全精白工程の少なくとも3分の2以上の工程を占めるように構成されたとの特定をしていると解することができるから,上記無洗米の製造装置の構造を示すものということができる。
カ 請求項1の「前記摩擦式精米機の精白除糠網筒の内面をほぼ滑面状となし,」の部分(以下「記載事項F」という。)について
 記載事項Fには,「精白除糠網筒の内面」を「ほぼ滑面状とな」すという動詞を用いた記載が含まれているが,「ほぼ滑面状」とされるのは「精白除糠網筒の内面」であり,本件明細書には,本件発明1の無洗米の製造装置が完成した状態において,「精白除糠網筒の内面」が「滑面」(【0029】),「ほとんど,滑面状」(【0033】),又は「ほぼ滑面状」(【0037】)である旨が記載されており,従来の摩擦式精米機の「精白除糠網筒の内面」には「突起」が設けられていたが,本件発明1の無洗米の製造装置では,これを「滑面」にする旨(【0029】)の記載がある一方,精白除糠網筒の製造方法の記載はないから,記載事項F は,「精白除糠網筒の内面」が「ほぼ滑面状」である「精白除糠網筒」をその構成に含むことを,精白除糠網筒の内面の状態を示すことにより,特定したものと解される。したがって,上記無洗米の製造装置の構造を示すものということができる。
キ 請求項1の「且つ精白ロールの回転数を毎分900回以上の高速回転とすること,」の部分(以下「記載事項G」という。)について
 記載事項Gは,本件発明1に係る無洗米の製造装置を構成する精米機が,「精白ロール」を有するという,前記装置の構成を特定する記載と,その運転条件である回転数に関する記載を含むものであり,後者は,本件明細書の「それらの噴風摩擦式精米機の回転数も毎分900回転以上の高速回転で運転される」(【0031】),「本装置は毎分900回の高速回転をさせている」(【0033】)との記載に照らすと,本件発明1に係る無洗米の製造装置の構成につき,上記回転数以上で運転するものと特定していると解することができるから,上記無洗米の製造装置の構造又は特性を特定するものということができる。
ク 請求項1及び2の「及び,無洗米機を備えたことを特徴とする」の部分(以下「記載事項H」という。)について
 記載事項Hは,本件発明に係る無洗米の製造装置の構成には,無洗米機が含まれることを特定している。
 本件明細書には,実施例の説明として,無洗米機は,公知の無洗米機(【0031】,【0036】)と記載されているのみであって,当該無洗米機の構造又は特性についての記載は見当たらないが,「公知の無洗米機」であるという意味では特定されているということができる。
ケ 請求項1及び2の「旨み成分と栄養成分を保持した無洗米の製造装置。」の部分(以下「記載事項I」という。)について
 記載事項Iは,記載事項Dと同内容であり,前記エのとおりである。
(3) 以上の記載事項A~Iについての検討を総合すると,本件発明1の無洗米の製造装置は,少なくとも,摩擦式精米機(記載事項F)と無洗米機(記載事項C)をその構成の一部とするものであり,その摩擦式精米機は,全精白構成の終末寄りから少なくとも3分の2以上の工程に用いられているものである(記載事項E)上,精白除糠網筒(記載事項F)と精白ロール(記載事項G)をその構成の一部とするものであり,その精白除糠網筒の内面は,ほぼ滑面状であって(記載事項F),精白ロールの回転数は毎分900回以上の高速回転とするものである(記載事項G)と認められる。
 したがって,上記の無洗米の製造装置の構造又は特性は,記載事項A~Iから理解することができる
 しかしながら,請求項1の無洗米の製造装置の特定は,上記の装置の構造又は特性にとどまるものではなく,精米機により,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上について胚盤又は表面部を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精し(記載事項B),白米の表面に付着する肌ヌカを無洗米機により分離除去する無洗米処理を行う(記載事項C)ものであり,旨味成分と栄養成分を保持した無洗米を製造するもの(記載事項D,I)である。
 このうち,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上について胚盤又は表面部を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精する(記載事項B)ことについては,本件明細書の発明の詳細な説明において,本件発明に係る無洗米の製造装置のミニチュア機で,白度37前後の各白度に搗精した精米を,洗米するか,公知の無洗米機によって通常の無洗化処理を行い,炊飯器によって炊飯し,その黄色度を黄色度計で計り,黄色度11~18の内の好みの供試米の白度に合わせて搗精を終わらせる時を調整して,本格搗精をすることにより行うこと(【0035】),このようにして仕上がった精白米は,亜糊粉細胞層が米粒表面をほとんど覆っていて,かつ,全米粒のうち,表面が除去された胚芽と胚盤が残った米粒の合計数が,少なくとも50%以上を占めていること(【0036】)が記載されており,結局のところ,ミニチュア機で実際に搗精を行うことにより,本格搗精を終わらせる時を調整することにより実現されるものであることが記載されている。
 したがって,本件明細書には,本件発明1の無洗米の製造装置につき,その特定の構造又は特性のみによって,玄米を前記のような精白米に精米することができることは記載されておらず,その運転条件を調整することにより,そのような精米ができるものとされている。そして,その運転条件は,本件明細書において,毎分900回以上の高速回転で精白ロールを回転させること以外の特定はなく,実際に上記のような精米ができる精白ロールの回転数や,精米機に供給される玄米の供給速度,精米機の運転時間などの運転条件の特定はなく,本件出願時の技術常識からして,これが明らかであると認めることもできない。
 ところで,本件明細書の発明の詳細な説明において,亜糊粉細胞層(5)については,「糊粉細胞層4に接して,糊粉細胞層4より一段深層に位置して僅かに薄黄色をした」,「厚みも薄く1層しかない」ものであり(【0015】),「亜糊粉細胞5は・・・整然と目立って並んでいる個所は少なく,ほとんどは顕微鏡でも確認しにくいほど糊粉細胞層4に複雑に貼り付いた微細な細胞であり,それも平均厚さが約5ミクロン程度の極薄のものである」(【0018】)と記載され,胚芽(8)及び胚盤(9)については,「胚芽7の表面部を除去された」ものが胚芽(8)であり,それを更に削り取ると胚盤(9)になる(【0023】)と記載されている。しかるところ,本件明細書の発明の詳細な説明には,米粒に亜糊粉細胞層(5)と胚芽(8)及び胚盤(9)を残し,それより外側の部分を除去することをもって,米粒に「旨み成分と栄養成分を保持」させることができる旨が記載されており(【0017】~【0023】),玄米をこのような精白米に精米する方法については,「従来から,飯米用の精米手段は摩擦式精米機にて行うことが常識とされている」が,その搗精方法では,必然的に,米粒から亜糊粉細胞層(5)や胚芽(8)及び胚盤(9)も除去されてしまうこと(【0024】,【0025】)が記載されている。また,本件明細書の発明の詳細な説明には,「摩擦式精米機では米粒に高圧がかかり,胚芽は根こそぎ脱落する」から,胚芽を残存させるには,研削式精米機による精米が不可欠とされていた(【0029】)ところ,研削式精米機により精米すると,むらが生じ,高白度になると,亜糊粉細胞層(5)の内側の澱粉細胞層(6)も削ぎ落とされている個所もあれば,糊粉細胞層(4)だけでなく,それより表層の糠層が残ったままの部分もあるという状態になること(【0027】)が記載されている。
 そうすると,精米機により,亜糊粉細胞層を米粒表面に露出させ,米粒の50%以上において胚盤又は表面を削り取られた胚芽を残し,白度37前後に仕上がるように搗精することは,従来の技術では容易ではなかったことがうかがわれ,上記のとおり,本件明細書に具体的な記載がない場合に,これを実現することが当業者にとって明らかであると認めることはできない。

 本件発明1は,無洗米の製造装置の発明であるが,このような物の発明にあっては,特許請求の範囲において,当該物の構造又は特性を明記して,直接物を特定することが原則であるところ(最高裁判所平成27年6月5日第二小法廷判決・民集69巻4号904頁参照),上記のとおり,本件発明1は,物の構造又は特性から当該物を特定することができず,本件明細書の記載や技術常識を考慮しても,当該物を特定することができないから,特許を受けようとする発明が明確であるということはできない。」

2017年10月29日日曜日

医薬用途発明を裏付ける具体例が記載されていないことを理由に実施可能性要件違反とされた事例

知財高裁平成29年10月13日判決 平成28年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、医薬用途発明に係る特許出願が実施可能要件違反であることを理由とした拒絶審決に対する特許出願人による審決取消訴訟において、拒絶審決は適法と判断された事例である。
 明細書中には医薬としての有用性を確認したことを示す実験について記載があるものの、使用した医薬組成物の具体的な組成が記載されていなかった。審決、判決ともに、実施可能要件欠如との判断を示した。
2.本願発明
「対象における,更年期,加齢,筋骨格障害,気分変動,認知機能低下,神経障害,精神障害,甲状腺障害,過体重,肥満,糖尿病,内分泌障害,消化器系障害,生殖障害,肺障害,腎疾患,眼障害,皮膚障害,睡眠障害,歯科疾患,癌,自己免疫疾患,感染症,炎症性疾患,高コレステロール血症,脂質異常症,または心血管疾患から選択される医学的状態の予防および/または治療における使用のための,異なる供給源に由来する脂質の混合物を含む脂質含有配合物であって,前記配合物は,ある用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含み,ω-6対ω-3の比が4:1以上であり:
(i)ω-3脂肪酸は,総脂質の0.1~20重量%であるか;または
(ii)ω-6脂肪酸の用量は,40g以下である,脂質含有配合物。」
3.審決の理由
実施可能要件違反:本願発明は,医薬用途発明であるから,明細書の発明の詳細な説明の記載が実施可能要件を満たすためには,出願時の技術常識に照らし,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されている必要があるところ,本願明細書の発明の詳細な説明の記載を検討しても,本願発明が,本願発明に係る各医学的状態のうち,内分泌障害,腎疾患,癌を予防および/または治療するとに有用であると当業者が理解できる記載は認められず,そのことが本願出願時の技術常識から明らかであるとする根拠もないから,本願の発明の詳細な説明は,当業者が本願発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載されたものではなく,実施可能要件を満たさない。
4.裁判所の判断のポイント
5.「そして,本願発明のような医薬の用途発明においては,一般に,物質名や成分組成等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができない。そのため,医薬の用途発明において実施可能要件を満たすものといえるためには,明細書の発明の詳細な説明が,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らし,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載されている必要がある。
 これを本願発明についてみると,本願発明は,前記1(2)のとおり,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物において,両者の含有比率及び含有量を前記所定の値とすることを技術的特徴とし,これにより本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療の効果を奏するというものであるから,本願発明について医薬としての有用性があるといえるためには,前記所定の比率及び量のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物(以下「本願発明に係る配合物」という。)を対象者に用いた場合に,本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じるものであることが必要であり,したがって,本願発明が実施可能要件を満たすものといえるためには,本願明細書の発明の詳細な説明が,本願出願当時の技術常識に照らし,本願発明に係る配合物を使用することによって本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じることを当業者が理解できるように記載されていなければならないものといえる。

「しかるところ,本願発明は,本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療における使用のための配合物として,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含み,①両者の含有比率につき,ω-6対ω-3の比が4:1以上であること,②両者の含有量につき,(ⅰ)ω-3脂肪酸が総脂質の0.1~20重量%であるか,又は,(ⅱ)ω-6脂肪酸の用量が40g以下であることを特徴とする脂質含有配合物を提供するものであるところ,このような比率及び量のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物の使用が,本願発明に係る各医学的状態の予防および/または治療の効果を生じさせるということは,本願出願当時における上記(2)イのような技術常識からは考え難い事態ということができる(本願発明に係る配合物には,例えば,ω-6脂肪酸の含有量が40gで,ω-3脂肪酸の含有量が0.1gである配合物(ω-6対ω-3の比が400:1であり,ω-6脂肪酸の用量が40gである配合物)も含まれることとなるが,上記技術常識からすれば,このようにω-3脂肪酸がごくわずかしか含まれず,大部分がω-6脂肪酸からなる配合物が,ω-6脂肪酸の過剰摂取による健康障害の観点から望ましくないものであることは明らかといえる。)。
 したがって,それにもかかわらず,本願発明に係る配合物が医薬としての有用性を有すること,すなわち,本願発明に係る配合物を使用することによって本願発明に係る各医学的状態のそれぞれについて予防又は治療の効果が生じることを当業者が理解できるといえるためには,本願明細書の発明の詳細な説明に,このような効果の存在を裏付けるに足りる実証例等の具体的な記載が不可欠なものといえる。
本願明細書には,実施例11として,「更年期,加齢および筋骨格障害についてのケーススタディー」についての記載があり,そこには,更年期に関連するのぼせを発症している47歳女性に対し,6週間にわたり植物油,種子油,ナッツ及び種子の組合せを補給した結果,のぼせの強さが徐々に低下するなどの改善がみられたことが記載されている。
 しかしながら,上記記載中には,対象に投与した配合物について,「実施例10に記載の1日2回の投与配合物」とされるのみであり,他方,実施例10の記載(段落【0071】及び【0072】)には,投与配合物の原料とその配合割合について,「アーモンド(10%~25%),カシュー(7%~15%)」などの記載はあるものの,含有されるω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率は示されておらず(表20には,「対象の1日当たりの栄養素の重量」が示されているが,これは,「投与された脂質組成物を含めた食餌全体に由来する栄養素」であるから,これによって,投与配合物中のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率が判明するものではない。),単に「ω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸及びこの組成物に関する場合の比率を最適化することにより」上記の効果が観察されたことが記載され,さらに,「治療の有益な効果が更年期関連の症状に及んだのは,ω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸の補給に由来する性ホルモン様の安定な利益と,抗酸化物質および植物性化学物質に関する最適化が達成されたことによったと思われる。」などの推論が述べられているにすぎない。
 しかるところ,上記のように,対象に投与された配合物中のω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の量及び比率すら具体的に示されていない実施例の記載では,本願発明に係る配合物(すなわち,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂質含有配合物において,ω-6対ω-3の比を4:1以上としたもの)を使用することによって更年期障害の予防又は治療の効果が生じることを裏付ける実証例の記載としては不十分といわざるを得ず,このような記載から,当業者が,更年期障害を予防および/または治療することに本願発明が有用であることを理解できるものということはできない。

2017年7月9日日曜日

欧州特許条約規則の改正により、本質的に生物学的な方法により製造された植物又は動物が特許対象外であることが明確化された

1.欧州特許条約第53条は以下のように規定している。
European patents shall not be granted in respect of:  
(a) 省略
(b) plant or animal varieties or essentially biological processes for the production of plants or animals; this provision shall not apply to microbiological processes or the products thereof; 
(c) 省略

2.経緯
 2015年3月25日の欧州特許庁拡大審判部審決G2/12(ブロッコリ事件II)及びG2/13(トマト事件II)において、欧州特許庁拡大審判部は、欧州特許条約第53条(b)で特許対象の例外として規定されている「essentially biological processes for the production of plants or animals 」は、あくまで「方法」のカテゴリーに限定され、その方法で得られた「物」(プロダクトバイプロセスクレーム)のカテゴリーに拡大して解釈する余地はなく、本質的に生物学的な方法により製造された植物又は動物は、特許可能である、という判断を示した。
 
 2016年11月3日に欧州委員会(European Commission)の通知において、EUの立法者は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物も特許対象外とすることを意図していたと通知した。
 2016年12月12日に欧州特許庁は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物についての特許審査を一時的に中断することを発表した。
 2017年6月29日に欧州特許庁は、本質的に生物学的な方法により得られた植物及び動物が特許対象外であることを明確にするため、欧州特許条約規則第28条(2)を追加することを発表した。
 2017年7月1日以降の欧州特許庁での審査、異議申立手続きにおいて、上記改正規則が適用される。

3.改正後の欧州特許条約規則第28条(2)
Rule 28
Exceptions to patentability
(1) (省略)
(2) Under Article 53(b), European patents shall not be granted in respect of plants or animals exclusively obtained by means of an essentially biological process.