2025年5月24日土曜日

先行技術と同一成分で用途が類似した医薬発明の進歩性が肯定された事例

 知財高裁令和7年4月23日判決
令和6年(行ケ)第10022号 審決取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、進歩性が争われた特許無効審判審決(進歩性あり)の取り消しを求めた審決取消訴訟の知財高裁判決(進歩性ありの判断)である。
 
 本件訂正発明の成分と用途
 有効成分:(2R、3R)-2-(2、4-ジフルオロフェニル)-3-(4-メチレンピペリジン-1-イル)-1-(1H-1、2、4-トリアゾール-1-イル)ブタン-2-オール)(以下「KP-103」いう)又はその塩
 用途:爪白癬の、爪への外用による治療
 
 主引用発明(甲1-1発明)の成分と用途
 有効成分:KP-103
 用途:足白癬の、皮膚への塗布による治療
 
 爪白癬と足白癬は同じ真菌が原因で生じることが公知であった。
 従来、爪に生じる爪白癬は、白癬による皮膚疾患の中でも難治性の疾患として知られていた。爪甲の性質上、抗真菌剤がその内部まで浸透、透過しにくいという障害があり、爪白癬の外用での治療は非常に困難とされていたことが周知であった。
 本発明の実施例では、KP-103の爪への単純塗布により爪白癬に対し優れた治療効果が確認された。
 
 本件訂正発明の甲1ー1発明に対する進歩性が争われた。
 知財高裁は、
「本件出願日当時、甲1-1発明の外用真菌性治療剤の治療対象を「爪白癬」とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが当業者において容易に想到できたというには、当時の技術水準等に照らし、当該治療剤を爪甲に単純塗布したときに、その有効成分であるKP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することが合理的に期待できることを要するというべきである。」
「(従来技術の)知見は、KP-103が皮膚への高い浸透性(吸着性)を持ち、浸透(吸着)時に高い活性を保持するであろうことを示唆するにすぎず、これを超えて、当業者において、外用真菌性治療剤として爪甲に単純塗布したときに、KP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することまで示唆するものとはいえない。」
として、本件訂正発明は、甲1―1発明から当業者が容易に想到できたものではない(進歩性あり)と判断し、請求を棄却した。


2.本件訂正発明
 以下の説明では有効成分である上記化合物を、「KP-103」という。
本件訂正後の請求項1に係る発明(本件訂正発明)
KP-103またはその塩を有効成分として含有する外用爪真菌症治療剤であって、爪真菌症が爪白癬である、前記治療剤。」
 
3.背景及び主引用発明
 真菌症の一種である白癬は皮膚糸状菌(皮膚糸状菌のうちトリコフィトン属のものが白癬菌)が皮膚(角質層)、爪及び毛髪等のケラチン質に寄生することによって引き起こされる表在性の皮膚疾患であり、特に、爪に生じる爪白癬は、白癬による皮膚疾患の中でも難治性の疾患として知られる。短期間で爪白癬を治癒させ、かつ経口剤と比較し全身性の副作用が少ない外用剤の開発が切望されていた。
 本件の発明の詳細な説明には「実施例4」として、KP-103が、従来の外用抗真菌剤では効果が得られなかった、皮膚糸状菌トリコフィトン・メンタグロフィテスによる爪真菌症に対して、爪への単純塗布で優れた治療効果を発揮したことを確認した実験結果が示されている。
 
 主引用発明の記載
 甲1の1には、次の発明(甲1-1発明)が記載されている。
「新規外用抗真菌剤トリアゾールである、KP-103を有効成分として含有し、皮膚への塗布により投与して皮膚糸状菌症に対する治療効果を有する溶液であって、皮膚糸状菌症が足白癬である、溶液。」
 
4.裁判所の判断のポイント
「ウ 本件訂正発明と甲1-1発明を対比すると、両発明は、「KP-103又はその塩を有効成分として含有する外用真菌症治療剤であって、真菌症が白癬である、前記治療剤。」である点において一致し、本件審決が認定したとおり、次の相違点1が認められる。
 「治療対象が、本件訂正発明では「爪真菌症」である「爪白癬」と特定されているのに対し、甲1-1発明では「皮膚糸状菌症」である「足白癬」と特定されている点。」
(2) 相違点1についての検討
ア 主引用例中の記載
 主引用例である甲1の1には、KP-103について、足白癬の原因菌であるトリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスに対する抗真菌作用を有すること、また、KP-103の皮膚糸状菌症に対する優れた効果は、高い活性と、角質層での長い保持時間に起因すると考えられることが記載されている。
イ 本件出願日当時の技術水準等
・・・・(略)・・・・
 ウ 相違点に係る容易想到性の検討
(主引用例である甲1の1には、KP-103について、トリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスに対する抗真菌作用を有し、その活性は強く、また、角質層での保持時間が長いと考えられることが記載されている。そして、外用剤の開発が待たれる爪白癬の原因菌の大半はトリコフィトン・ルブルム及びトリコフィトン・メンタグロフィテスであることは周知であった(技術常識①、②)。
 他方で、本件出願日当時、外用剤による爪白癬の治療を効果的に行うには、抗真菌剤を爪甲の角質内に浸透させ、感染部位に送達させる必要があるところ、爪甲の性質上、抗真菌剤がその内部まで浸透、透過しにくいという障害があり、爪白癬の外用での治療は非常に困難とされていたこともまた周知であった(技術常識②)
 したがって、本件出願日当時、甲1-1発明の外用真菌性治療剤の治療対象を「爪白癬」とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが当業者において容易に想到できたというには、当時の技術水準等に照らし、当該治療剤を爪甲に単純塗布したときに、その有効成分であるKP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することが合理的に期待できることを要するというべきである。
(そこで、本件出願日当時の技術水準について検討する。
 a 本件出願日当時、外用抗真菌剤を感染部位に送達させるための試みとして、ネイルラッカー剤の開発や、爪甲を化学的又は外科的に除いて抗真菌剤を塗布し、密封包帯法(ODT)と併用する治療等が行われていたことが知られていた(技術的知見④)。
・・・(中略)・・・
 このように、技術的知見④に係る試みは、いずれも、抗真菌剤を爪甲に単純塗布した場合に、その有効成分が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することを示唆するものとはいえない。
 b 本件出願日当時、抗真菌剤であるチオコナゾールを外用爪白癬治療剤として評価する甲6試験が実施されたことが知られており(技術的知見⑤)、甲6には、皮膚糸状菌感染症患者18名のうち8名に著明な改善、4名に臨床的及び真菌学的寛解の効果が得られた旨が記載されている(前記2(2))。
 しかし、前記2(2)エのとおり、甲6試験は、オープン試験であって、対照群との比較も行われていないほか、対象患者も18名にとどまり、かつ、寛解に至ったのは爪白癬のうちでも比較的治癒しやすい手指の爪の感染4例のみ(うち3例は足の爪にも感染がみられたが、完治しなかった。)というものである。そうすると、当業者は、甲6の記載のみをもっては、抗真菌剤であるチオコナゾールが有効成分として爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することを合理的に期待するには至らず、ましてやその知見をKP-103に適用できると考えるには至らないというべきである。
 c 本件出願日当時、KP-103について、ヒト毛髪(ケラチン)を添加しても抗トリコフィトン・メンタグロフィテス活性が減少せず、ケラチンに対する低い吸着、高い遊離といった性質を有すること(技術的知見⑥)、抗真菌薬の角質への吸着性と角質吸着時の活性の低下について、ヒト毛髪を用いて評価する研究があったこと(技術的知見⑦)が、それぞれ知られていた。
 しかし、本件出願日当時、表在性白癬とは白癬菌が表皮角層にとどまるものであること、感染部位である表皮角層が露出している足白癬等とは異なり、爪白癬の感染部位は主として爪甲下層及び爪床であり、抗真菌剤が容易に浸透、透過しにくい爪甲の存在が、爪白癬の外用抗真菌剤による治療を困難にしていたことは周知であった(技術常識②、前記2(1)及び(2))。また、爪白癬の局所薬物治療効果を高めるためには、抗真菌剤の選択において、その水溶解度、分子量、解離定数、製剤のpH及び白癬菌に対する最小阻止濃度を考慮する必要があるとの知見があった(甲35)。しかるところ、技術的知見⑦に係る研究(甲25、26)は、いずれも爪ではなく、皮膚への抗真菌剤の浸透性(吸着性)及び浸透(吸着)時の活性についての研究結果であるから、技術常識B(爪と毛髪が、いずれも硬ケラチンを含み、アミノ酸組成も互いに類似すること)及び技術的知見⑥(KP-103はヒト毛髪を添加しても活性が減少せず、ケラチンに対する低い吸着、高い遊離といった性質を有すること)を併せても、これらの知見は、KP-103が皮膚への高い浸透性(吸着性)を持ち、浸透(吸着)時に高い活性を保持するであろうことを示唆するにすぎず、これを超えて、当業者において、外用真菌性治療剤として爪甲に単純塗布したときに、KP-103が爪甲の内部まで浸透、透過し、感染部位である爪甲下層及び爪床に送達され、治療効果を発揮することまで示唆するものとはいえない。
(以上に検討したところによると、甲1の1の記載と本件出願日当時の技術常識その他の技術的知見を考慮したとしても、本件出願日当時、当業者において、甲1-1発明の外用真菌症治療剤の治療対象を爪白癬とし、相違点1に係る本件訂正発明の構成とすることが容易に想到できたということはできない。
 エ 原告の主張について
(原告は、進歩性判断における「動機付け」とは、主引用発明に副引用発明を「適用しようと試みる」ことであり、その適用を試みることもない、あるいは試みようとすると阻害要因がある場合に「動機付け」がないことになるとして、医薬品の研究開発において新たな治療薬を探すために試行錯誤するのは常道であり、ニーズが存在する限り、主引用発明に副引用発明の適用を試みることまで否定する(開発を完全に諦める)ことは考えられないから、従来の外用真菌症治療剤について爪白癬への適用を試みることが行われていたこと、爪白癬を様々な工夫を加えた外用抗真菌剤によって治療する試みもされていたこと、短期間で爪白癬を治癒させかつ経口剤と比較し全身性の副作用の少ない外用剤の開発が切望されていたこと等、本件審決も認定した事情からすると、当然に甲1-1発明のKP-103を外用の爪白癬治療剤に適用しようと試みること、すなわち動機付けが当然に認められると主張する。
 しかし、原告の主張が、医薬に係る発明の進歩性を肯定するためには、当業者が医薬品の開発を完全に諦めていることが必要とする趣旨であるとすると、このような見解は採り得ない。ある発明が主引用発明に基づいて容易に発明をすることができたかは、引用例の記載内容や出願日当時の技術水準等に基づく総合判断であって、原告が主張するような製品開発のニーズや試みがされていたという辞書的な意味での動機付けがあるとしたときに、阻害要因がなければ直ちに進歩性が否定されるかのような主張は、論理に飛躍があって採用することができない。

音声概要はこちら