2024年9月23日月曜日

特許権侵害訴訟において、糸の「径」についての構成要件の充足が立証できないと判断された事例

大阪地裁令和6822日判決
令和4()9112(甲事件)・令和4()11173(乙事件)
 
1.概要
 本事例は、原告が有する微細粉粒体のもれ防止用シール材に関する特許権に基づく特許権侵害訴訟の地裁判決である。
 下記2に示すように、本件訂正発明1の構成要件1C(カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、)は、経糸、緯糸、パイル糸の「径」についての特徴である。一方で、明細書の発明の詳細な説明には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」の定義は記載されておらず、それを認識する方法が記載されていない。
 被告が実施する被告製品が、構成要件1Cを充足するか否かが争点となった。
 原告は、被告製品が、構成要件1Cを充足することの証拠として、糸の「断面積」を測定した測定結果を提出した。
 裁判所は、「被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはでき」ないとして、原告の請求を棄却した。
 
2.本件訂正発明の構成要件
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1の発明(本件訂正発明1)は以下のとおり。下線は強調のため加えた。
 
1A: 微細粉粒体を担持する回転体の外周面にパイルを摺接させながら軸線方向へのもれを防ぐ、画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材であって、
1B: 多数の微細長繊維を束ねて構成されるパイル糸が基布の表面に切断された状態で立設されるカットパイル織物を主体とし、
1C: カットパイル織物は、地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており、経糸と緯糸の径が同じ、もしくは経糸と緯糸が異なる径を用いてパイル織りされた織物であり、
1D: パイル糸は、基布の製織方向の少なくとも一方に平行な方向に沿うように配列され、該基布の表面に対して、該配列の方向から予め定める角度θだけ開く方向に傾斜する斜毛状態で、パイル糸を構成する多数の微細長繊維が分離してパイルが形成され、かつパイル間のピッチが狭められるように毛羽立たされており、
1E: 使用状態では、回転体の回転方向に対し、該配列の方向が該予め定める角度θよりも大きな角度φをなすように、該配列の方向を該回転方向に 対して傾斜させることを特徴とする
1F: 画像形成装置における微細粉粒体のもれ防止用シール材。
 
3.裁判所の判断のポイント
争点1(被告製品が、構成要件1Cの構成(地糸の経糸または緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされており)を備えるか)について
(1) 本件明細書の記載
 本件明細書の発明の詳細な説明のうち、【課題を解決するための手段】(0008】から【0023】まで)には、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法及び経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない。
・・・(略)・・・
 【0050()には、「たとえば、径が数D(デニール)程度の複数種類の単繊維」との記載が、【0052】には、「たとえば、300D(デニール)程度の複合繊維糸30をパイル糸4として・・」との記載がそれぞれある。
(2) 技術常識
ア 上記本件明細書の記載からは、経糸、緯糸、パイル糸の「径」を認識する方法は見当たらず、また、経糸又は緯糸の径がパイル糸の径よりも細くされることについての技術的意義に関する記述はない以上、そこから上記の「径」を認識する方法を推測することもできない・・・(略)・・・から、これらは当業者の理解する技術常識によって決すべきこととなる。
イ この点、繊維の形態的な太さは、一般的にその断面が不規則な形状を示しているので、正確な計測は困難であり、したがって、一定の長さ当たりの重量で繊維の太さが示されているとされ、また断面の形状にあっては、天然繊維の形状は、それぞれ特有の形をしており、化学繊維は、その形状も人為的に自由につくることができ、断面は主として紡績方法によって決まり、円形・だ円形その他複雑なものもある、とされている(4。三訂版「繊維」(昭和61年刊行))
 また、繊維における細さ(繊度)にはいろいろの表し方があり、メートル法の番手(1グラムの糸が何メートルの長さを持つかを示すもの。番手が大きいほど糸は細い。)や、デニール、テックス(いずれも一定長の糸の重量)が用いられ、デニールと繊維ごとの比重を用いて断面積を算出する方法もある(5。「繊維の科学」(昭和53年刊行))。撚りの強さによっても見た目の太さが変わる(6。令和2年当時のウェブサイト。)。本件明細書においても、パイル糸の繊度に関し、デニールが用いられている部分がある。
ウ ところで、「径」の字義は、「1さしわたし。直径。2みち。小道。近道。」というものである(7(広辞林第六版)。また、広辞苑第七版においては、「まっすぐ結ぶ道。さしわたし。」とされており、「差渡し(さしわたし)」の字義は、「1さしわたすこと。一方から他方へかけ渡すこと。また、その長さ。2直径。わたり。けい。」とされている。これらを踏まえると、「径」とは「直径」を意味するものと解される。「直径」の字義は、「円または球の中心を通って円周または球面上に両端をもつ線分。また、その長さ。さしわたし。」というものであるから(広辞苑第七版)、「直径」が認識されるためには、平面においては円又はそれに近い形状のものが想定されていると解される。
 他方、前記のとおり、糸は繊維の集合体であって、繊維の断面は一般的に不規則な形状を示すものであるから、少なくとも、「径」の大小の比較に、「断面積」(空隙を除外するかどうかを問わない)を用いることはできないものと解される。この点、原告は、糸の太さを断面積で表すことが当業者にとって一般的な手法となっていたとしてその旨の証拠(25から27まで)を提出するが、それらは口輪筋線維、等方性黒鉛材料の気孔、血管について画像解析により断面積を測定した例にすぎず、技術分野が全く異なるもので、原告主張の事実は認めるに足りない。
(3) 構成要件1Cの充足の検討
ア 原告は、各糸の径は糸の断面積を測定することにより比較判断することが可能であり、かつこれを製品状態で測定すべきものとした上で、かかる測定方法を採用した測定結果を証拠(1912)として提出する。
 この測定は、被告製品のシール材に対し、接着剤を滴下して浸み込ませ、乾燥後、養生テープで固定し、パイル糸の配列方向に対し垂直となるように、シール材に金尺を当てて、カット治具である剃刀刃を沿わせて一回のスライスにより切断し、断面画像を撮像した上、該画像を解析して、緯糸とパイル糸の断面積を求めるというものである。
イ しかし、本件訂正発明1の構成要件1Cは、糸の「径」の大小をその要素としており、糸の太さの比較に断面積を用いることは文言の一義的な意味に反し、また前述の当業者の技術常識にも合致しないものである。
 また、具体的な測定手段をみても、上記測定は、被告製品を加工、破壊した上で測定するものであって、原告が自らいう「製品状態での測定」とも前提を異にするものである(そもそも、製品状態では糸に様々な方向から様々な力が作用し、一定の「断面積」を得ることは困難であると考えられ、「製品状態での測定」という前提自体、本件明細書や当業者の技術常識から導き得るのかについて疑問なしとしない。)。加えて、上記切断方法は、繊維の方向に垂直に正確に切断されることが保証されるものともいえず、切断角度、切断箇所の違いによる断面積の変化が何ら考慮されていないと見受けられ、測の条件統制にも疑義がある。画像解析についても、糸(及びこれを構成する繊維)の外郭のとらえ方や、空隙の有無等によって「断面積」が異なり得ることが見て取れる。
 これらのことからすると、甲19号証の12に示された測定手段は、画像の作成過程、画像解析の双方において、測定の正確性、合理性が担保されたものとはいえないというべきである。
 また、画像解析の結果報告される糸の断面(空隙を含む外郭)は、不定形で円又はそれに近い形状を備えておらず、かかる画像から、「径」(といえるもの)を認識することも困難である。
ウ そうすると、甲19号証の12によって、被告製品について構成要件1Cの充足が立証されたということはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 小括
 以上によると、被告製品が構成要件1Cの構成を備えるとの原告の主張は、理由がない。」