2024年5月19日日曜日

本発明の2つの特徴を一体に検討した結果進歩性が肯定された事例

 知財高裁令和6422日判決
令和5(行ケ)10091特許取消決定取消請求事件
 
1.概要
 本事例は、特許異議申立の特許取消の決定(進歩性違反の決定)の取消を求めて、特許権者である原告が請求した取消決定取消請求訴訟の知財高裁判決である。
 本件特許の請求項1に記載の発明は、ボイルまたはレトルト処理される食品製品の包装等に用いられるバリア性積層体に関するものである。
 本件特許の請求項1に記載の発明(本件発明1)の、主引用発明として引用された甲3号証記載のバリア積層体(甲3発明)との相違点として、以下の[相違点1−2]及び[相違点1−3]が認定された。
  [相違点1-2]
   本件発明1は、「前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下である」のに対して、甲3発明は「該有機無機ハイブリッドバリア層は、X線光電子分光分析法によるアトミックパーセントの分析において、炭素と酸素と珪素が、それぞれ15~50%、30~65%、5~30%の割合で存在することが確認される」点。
  [相違点1-3]
   本件発明1は、用途が「ボイルまたはレトルト用」であるのに対して、甲3発明は「食品等の包装材料として使用可能」なものである点。
 
 取消決定では、[相違点1-2]は、副引用例である、甲4号証に記載のフィルムのバリアコート層が有する珪素原子と炭素原子の比(Si/C)を、甲3発明に適用することで容易に想到でき、[相違点1−3]は、食品等の包装材料に用いることは甲3発明に記載されているから、耐熱性や耐水性が要求される食品包装の用途として一般的な「ボイルまたはレトルト用」とすることに格別の困難性はない、として、2つの相違点についてそれぞれ個別に容易に想到可能であると判断し、進歩性欠如と判断された。
 これに対して知財高裁は、2つの相違点にかかる構成の容易想到性は「一体として検討されるべきもの」であり、一体として検討した結果、甲3及び甲4から容易に相当できたものではないと結論づけ、取消決定を取り消した。
 進歩性の判断手法として参考になる事例である。また、バリア性積層体についての、「ボイル又はレトルト用」という規定が、用途を特定する構成要件として考慮されている点も注目に値する。
 
2.本件特許の請求項1に記載の発明
  多層基材と、蒸着膜と、前記蒸着膜上に設けられたバリアコート層とを備えるバリア性積層体であって、
  前記多層基材は、少なくともポリプロピレン樹脂層と表面コート層とを備え、
  前記ポリプロピレン樹脂層は、延伸処理が施されており、
  前記表面コート層が、極性基を有する樹脂材料を含み、
  前記蒸着膜は、前記多層基材の表面コート層上に設けられており、
  前記蒸着膜が、無機酸化物からなり、
  前記バリアコート層が、金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であるか、または、金属アルコキシドと、水溶性高分子と、シランカップリング剤との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であり、
   前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下であることを特徴とする、ボイルまたはレトルト用バリア性積層体。」
 
3.本件発明1と甲3発明の一致点及び相違点
  [一致点1]
「多層基材と、蒸着膜と、前記蒸着膜上に設けられたバリアコート層とを備えるバリア性積層体であって、
    前記多層基材は、少なくとも樹脂層と表面コート層とを備え、
   前記表面コート層が、極性基を有する樹脂材料を含み、
    前記蒸着膜は、前記多層基材の表面コート層上に設けられており、
    前記蒸着膜が、無機酸化物からなり、
   前記バリアコート層が、金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜であるか、または、金属アルコキシドと、水溶性高分子と、シランカップリング剤との樹脂組成物から構成されるガスバリア性塗布膜である、バリア性積層体。」
  [相違点1-1]
   「樹脂層」に関して、本件発明1のものは「延伸処理が施されて」いる「ポリプロピレン樹脂層」であるのに対して、甲3発明のものは「高分子フィルム基材」である点。
  [相違点1-2]
   本件発明1は、「前記ガスバリア性塗布膜の表面は、X線光電子分光法(XPS)により測定される珪素原子と炭素原子の比(Si/C)が、0.90以上1.60以下である」のに対して、甲3発明は「該有機無機ハイブリッドバリア層は、X線光電子分光分析法によるアトミックパーセントの分析において、炭素と酸素と珪素が、それぞれ15~50%、30~65%、5~30%の割合で存在することが確認される」点。
  [相違点1-3]
   本件発明1は、用途が「ボイルまたはレトルト用」であるのに対して、甲3発明は「食品等の包装材料として使用可能」なものである点。
 
4.裁判所の判断のポイント
「相違点の容易想到性についての判断の誤りについて
  ア 原告は、本件決定が相違点1-1から同1-3までを関連付けずに判断している点が誤りであると主張するところ、当裁判所は、相違点1-1はともかく、少なくとも相違点1-2と相違点1-3は一体として検討する必要があると判断する。その理由は、以下のとおりである。
  本件発明の内容は前記第2の2のとおりであって、ポリプロピレンフィルムと蒸着膜との間に、密着性に優れた極性基を有する樹脂材料を含む表面コート層を備えることにより、層間の剥離を防止し、また、シランカップリング剤とともに用いられる場合も含め金属アルコキシドと水溶性高分子との樹脂組成物からなるバリアコート層を蒸着膜上に設けることで、蒸着膜のクラック発生をも防止し、さらには、ボイル又はレトルト処理が行われる場合であってもガスバリア性の低下の抑制が図られるように、バリアコート層表面の珪素原子と炭素原子との割合を特定の範囲にしたものであって、高いガスバリア性を有するボイル又はレトルト用バリア性積層体を提供するという技術的意義を有するといえる。
 そして、本件明細書によれば、珪素原子と炭素原子の比(Si/C)の上限は、バリア性積層体を屈曲させてもガスバリア性の低下を抑制できるという観点から定められ、下限は、バリア性積層体を加熱してもガスバリア性の低下を抑制できるという観点から定められているのであるから(【0076】、表5~表7)、ボイル又はレトルト用であるか否かに係る相違点1-3と、珪素原子と炭素原子の比の数値範囲に係る相違点1-2は、一体として検討されるべきものである。
  イ 以上を前提に、相違点1-2と相違点1-3に係る容易想到性につき一括して判断するに、まず、本件決定が副引用例とする甲4には、別紙6の記載があり、ここから本件決定の認定に係る甲4記載事項(別紙4の1(2))を認定できることについては争いがない。
  甲4は、電気製品等の機器の消費エネルギーを削減するための真空断熱材用外包材等に関するもので、外包材により形成された袋体内に芯材を配置し、上記芯材が配置された袋体の内部を減圧して真空状態とし、上記袋体の端部を熱溶着して密封し、上記袋体内部を真空状態とすることにより、気体の対流が遮断されるため、真空断熱材は高い断熱性能を発揮することができるというものである(【0001】~【0003】)。
 甲4記載事項は、第1フィルム(金属酸化物リン酸層付きフィルム。第1樹脂基材と金属酸化物リン酸層から成る。)、オーバーコート層付きフィルム(樹脂基板、無機層、オーバーコート層から成る。)、熱溶着可能なフィルムから構成される真空断熱材用外包材のうち、オーバーコート層付きフィルムの中のオーバーコート層及び無機層をもとに抽出されたものである。
  ウ 本件決定は、甲3発明に、甲4記載事項のオーバーコート層における炭素原子に対する珪素原子の比率を適用するものである。
 しかし、甲4記載事項は、前提とする積層構造が、甲3発明と異なる上、以下のとおり、甲4は、甲3発明とは技術分野が共通するものとはいい難く、さらに、相違点1-3に係る構成(ボイル又はレトルト用)を開示又は示唆するものでもない。すなわち、甲4は、高温高湿な環境においても長期間断熱性能を維持することができる真空断熱材用外包材等の提供を目的とするものであるが(【0008】)、高温多湿な「環境」を想定するにとどまり、物を入れて積極的に加熱殺菌処理をする行為であるレトルトやボイル(一例として、優先日前の公知文献である特開2007-137438号公報〔乙4〕では、レトルト処理について110℃~130℃ 位、圧力、1~3Kgf/cm 2 ・G位で約20~60分間程度の加熱加圧殺菌処理、ボイルについて90位で30分間位の加熱殺菌処理〔【0002】〕等が挙げられている。)を想定しているとはおよそ考えられず、実際、甲4には、レトルトやボイルを前提とする記載はない。
 その上、甲3の【0044】には、「炭素の割合が50%より多い場合、バリア性が温度、湿度の影響を受け易く、15%より少ない場合、バリア性が悪くなり、膜質が脆くなる。」として、炭素が少なすぎると膜質が脆くなることが示唆されているのに対し、甲4の【0111】には、「オーバーコート層を構成する原子における、炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)は、0.1以上、2以下の範囲内であり、中でも0.5以上、1.9以下の範囲内、特には0.8以上、1.6以下の範囲内であることが好ましい。」という炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)を示す記載に引き続いて、「比率が上記範囲に満たないと、オーバーコート層の脆性が大きくなり、得られるオーバーコート層の耐水性および耐候性等が低下する場合がある。一方、比率が上記範囲を超えると、得られるオーバーコート層のガスバリア性が低下する場合がある。」として、金属原子に対して炭素原子の数が過剰に多くなるとオーバーコート層の脆性が大きくなって、ガスバリア性の低下につながる旨の記載があるところ、これは、上記甲3の【0044】の記載と正反対の内容である。
 そうすると、当業者において、甲3発明の食品包装材料についてボイル又はレトルト用途とすることを想起したとしても、甲4におけるオーバーコート層を構成する原子における金属原子の比率は加熱によってもガスバリア性が維持されるかどうかとは関わりのないものであること、甲4には、炭素原子と金属原子の比率と、膜質の脆性について、甲3と正反対の記載があることに鑑みても、甲3発明とは技術分野も積層構造も異なる真空断熱材用外包材に関する甲4の積層体の中から、オーバーコート層付きフィルムの中のオーバーコート層及び無機層に関する記載に着目した上、オーバーコート層における炭素原子に対する金属原子の比率(金属原子数/炭素原子数)を参酌して、甲3発明に適用する動機付けを導くには無理があるというほかなく、本件決定の判断には誤りがある。