2020年9月13日日曜日

複数の解釈が成り立ちうる用語の明確性が争われた事例

 

知財高裁令和2年9月3日判決

令和元年(行ケ)第10173号 特許取消決定取消請求事件

 

1.概要

 本事例は、特許を取り消した異議決定に対する取消訴訟の知財高裁判決である。異議決定では、本件発明1等が明確性要件違反、実施可能要件違反、サポート要件違反と判断されたのに対して、知財高裁は、これらの違反は無いと判断し、異議決定を取り消した。

 異議決定では、本件発明1の「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」という用語が複数の解釈が可能であり、いずれかが特定されてないとして明確性要件違反と認定した。

 知財高裁は、示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味し,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解すのが自然であり,その記載について,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない、として異議決定を取り消した

 

2.本件発明1

 基材の両面にアクリル粘着剤層を有する両面粘着テープであって,

 前記基材は,発泡体からなり,

 前記基材の厚みが1500μm以下であり,

 前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり,発泡倍率が15cm/g以下であり,気泡のアスペクト比(MDの平均気泡径/TDの平均気泡径)が0.9~3であり,

 前記発泡体がポリプロピレン系樹脂を含有する

ことを特徴とする両面粘着テープ。

 

3.特許庁が主張する明確性要件違反

 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」の意義

ア 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」とは,融点を意味する(乙1)。本件発明1の発泡体は,ポリプロピレン系樹脂以外の成分を許容するものであるから,示差走査熱量計により測定すると,ポリプロピレン系樹脂を含む各成分の融点に対応する結晶融解温度ピークが測定される。また,ポリプロピレン系樹脂自体も,示差走査熱量計による結晶融解ピークが複数本ある場合がある。

 このように,結晶融解温度ピークが複数測定される場合に,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について,①結晶融解温度ピークといえるものは140℃以上であるという解釈,②最も高温側の結晶融解温度ピークが140℃以上であるという解釈のほか,③最大ピークを示す温度が140℃以上である,又は,最大面積の吸熱ピークの頂点温度が140℃以上であるという解釈(乙2~6),④最も低い結晶融解ピーク温度が140℃以上であるという解釈(甲5,乙7~9),⑤わずかなピークであっても,そのピークが140℃以上に存在すればよいという解釈等,複数の解釈が考えられる。

 そして,特許請求の範囲及び本件明細書には,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」の定義の記載はない。

イ ピークが複数現れた場合は,複数のTpmを示すことになっているとされる(乙1)が,本件明細書には,結晶融解温度ピークが複数ある場合を含むことについての記載がないから,本件発明1は結晶融解温度ピークが複数ある場合については想定されていない

 また,本件明細書の実施例及び比較例における結晶融解温度ピークの温度の記載は1つであり,他の結晶融解温度ピークの有無や個数,複数の結晶融解温度ピークが測定されていたのであれば,いずれを記載したかについての記載はない。

 このように,本件明細書の記載からは,結晶融解温度ピークが複数ある場合に,いずれのピークに基づいて「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」の充足性を判断すべきかが不明であり,また,この点に関する技術常識もない。

ウ 以上のとおり,本件発明1の「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について複数の解釈が可能であるところ,本件明細書の記載を考慮し,また,本件特許の出願時における当業者の技術常識を勘案しても,これを一義的に解釈することができないから,第三者に不測の不利益を及ぼすこととなる。

 

4.裁判所の判断(明確性要件充足)のポイント

取消事由1(明確性要件の判断の誤り)について

(1) 明確性要件について

 特許法36条6項2号において,発明の明確性を要件とする趣旨は,仮に,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許が付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るので,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。

(2) 「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」の意義

ア 本件発明1の特許請求の範囲には,「前記発泡体は,示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」との記載があるが,それ以上に「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」について特定する記載はない。

 ピークとは,「①山のいただき。②絶頂。最高潮」(広辞苑第6版)を意味することからすれば,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり,」との記載は,示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味するものと解するのがまずは自然である。

イ 甲10(あいち産業科学技術総合センター研究報告「研究ノート ポリエチレン・ポリプロピレン樹脂における混合比の測定」12~13頁(2016年)),甲11(「フィルムの分析評価技術」52~55頁(株式会社情報機構,2003年))及び弁論の全趣旨によれば,結晶融解温度ピークの面積は,吸熱量を示すものであり,含まれる材料の結晶融解温度に応じて1個のピークが存在する場合と複数のピークが存在する場合があり,複数のピークが存在する場合に各ピークの面積(吸熱量)は,そのピークを発現する材料の含有量と相関することは,本件特許の出願時の技術常識であったと認められる。

ウ 本件明細書には,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピーク」とは,発泡体100mgを示差走査熱量計を用いて大気中において昇温速度10℃/分の条件下で測定された際のピーク温度を意味することが記載されている(【0020】)。そして,本件明細書の実施例1~7は,ポリプロピレン系樹脂(エチレン-プロピレンランダム共重合体:住友化学社製,商品名「AD571」)と直鎖状低密度ポリエチレン(東ソー社製,商品名「ZF231」)の混合物より構成される発泡体であり,その結晶融解温度ピークは,それぞれ141.5~147.4℃であることが記載されている。これに対し,比較例2,3は,直鎖状低密度ポリエチレン(東ソー社製,商品名「ZF231」)のみにより構成される発泡体であり,その結晶融解温度ピークは94℃,92℃であることが記載されている(以上につき,【0058】~【0067】,【0069】,【0070】,【表1】)。

 本件特許請求の範囲には,複数のピークが生じる場合に,特定のピークを選択する旨の記載や,全てのピークが140℃以上であることの記載が存在しないところ,上記のとおり,実施例1~7の発泡体は,比較例2,3と同じ直鎖状低密度ポリエチレンを20~60重量%で含有するから,【表1】に記載された141.5~147.4℃(140℃以上)の結晶融解温度ピーク以外に,140℃未満の結晶融解温度ピークを含むであろうことは,当業者であれば,上記イの技術常識により,容易に理解することができる。このことは,原告による実施例2の追試結果の図(甲8)や甲10の図4とも符合する。

 そうすると,本件明細書(【表1】)の実施例1~7についての結晶融解温度ピークは,複数の結晶融解温度ピークのうち,ポリプロピレン系樹脂を含有させたことに基づく140℃以上のピークを1個記載したものであることが理解できるから,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上」は,複数の結晶融解温度ピークが測定される場合があることを前提として,140℃以上にピークが存在することを意味するものと解され,このような解釈は,上記アの解釈に沿うものである。

 また,本件発明1は,ポリプロピレン系樹脂の含有量を規定するものではないから,ポリプロピレン系樹脂の含有量が,140℃未満のピークを示す直鎖状低密度ポリエチレンの含有量を下回る場合を含むことは,実施例7の記載から明らかである。そして,このような場合に,当業者であれば,140℃未満に一番大きいピーク(最大ピーク)が生じ得ることを理解することができるのであり,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」について,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解するのが合理的である。

以上のとおり,本件発明1の「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」とは,示差走査熱量計による測定結果のグラフのピーク(頂点)が140℃以上に存在することを意味し,複数のピークがある場合のピークの大小は問わないものと解され,その記載について,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。

(3) 被告の主張について

 被告は,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」について,①結晶融解温度ピークといえるものは140℃以上であるという解釈,②最も高温側の結晶融解温度ピークが140℃以上であるという解釈,③最大ピークを示す温度が140℃以上である,又は,最大面積の吸熱ピークの頂点温度が140℃以上であるという解釈,④最も低い結晶融解ピーク温度が140℃以上であるという解釈,⑤わずかなピークであっても,そのピークが140℃以上に存在すればよいという解釈等複数の解釈が考えられるところ,いずれを示すものかが不明であると主張する。しかし,③④の解釈を採るべき場合にはその旨が明記されているところ(乙2・【0032】,乙3・【0056】,乙4・【0024】,乙5・[0025],乙6・【0018】,甲5・【0014】,乙7・【0008】,乙8・【0091】,乙9・【0027】),本件明細書にはこのような記載はなく,複数あるピークの大小を問わず,1つのピークが140℃以上にあれば「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」を充足すると解すべきであることは,前記(2)において説示したとおりである。また,⑤について,特許請求の範囲の記載及び本件明細書にピークの大きさを特定する記載はないから,ピークの大きさを問わず「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」に該当するというべきであり,「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上であり」との記載が不明確であるという被告の主張は採用できない

 また,被告は,本件発明1において結晶融解温度ピークが複数ある場合は想定されていないと主張する。しかし,本件発明1において,結晶融解温度ピークが複数ある場合が想定されていることは,前記(2)ウに説示したところから明らかである。

(4) 小括

 以上によれば,本件発明1の「示差走査熱量計により測定される結晶融解温度ピークが140℃以上である」との記載が不明確であることを理由に,本件特許の特許請求の範囲の記載が明確性要件に適合しないとした本件決定の判断は誤りであり,取消事由1は理由がある。