2020年7月12日日曜日

下位概念発明の進歩性の判断に関し異議決定が取り消された事例


知財高裁令和2年6月3日判決
令和元年(行ケ)第10096号 特許取消決定取消請求事件

1.概要
 本件は、原告が有する特許発明の進歩性を否定した異議決定の取消を求めた審決取消訴訟において、異議決定の一部を取り消した知財高裁判決である。
 本件発明2は、後述する通り、(a)所定の構造のポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である、用途が特定された樹脂組成物である。
 甲1文献では、本件発明2で特定するアルコキシシラン化合物は記載されていないが、γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のアルコキシシラン化合物を添加することができることが記載されている。一方、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されている。
 異議決定では「本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。」として、本件発明2の進歩性を否定した。
 一方、知財高裁は、甲1には、本件発明2で規定する特定のアルコキシシラン化合物は記載されておらず、甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング剤として,本件発明2における4種のアルコキシシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない、として異議決定を取り消した。

2.本件発明2について
【請求項2】(本件発明2)
(a)一般式(1)(化学式は省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン及びフェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,(c)有機溶剤と,を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して0.2~2質量%である樹脂組成物であって,
 前記樹脂組成物をシリコン基板又はガラス基板に塗布,加熱し,1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。

3.異議決定の判断(本件発明2の進歩性否定)
 ア 本件発明2と甲1発明1の一致点及び相違点
(ア)一致点
(a)一般式(1)(化学式省略)で表される構造単位を有するポリアミド酸と,(c)有機溶剤と,を含有する樹脂組成物であって,前記樹脂組成物を基板に塗布,加熱し,ポリイミド樹脂膜を形成する工程と,前記ポリイミド樹脂膜上に半導体素子を形成する工程と,前記半導体素子が形成されたポリイミド樹脂膜を支持体から剥離する工程とを含む,ディスプレイ基板の製造方法に用いられる,樹脂組成物。
(イ)相違点3
 本件発明2では「(b)3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシラン,3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,フェニルトリメトキシシランからなる群から選択される1以上のアルコキシシラン化合物と,・・・を含有し,前記(b)成分の含有量が前記(a)成分に対して「0.2~2質量%である」のに対して,甲1発明1では「(b)アルコキシシラン化合物」を含有すること及びその含有量につき特定されていない点
(ウ)相違点2a
 「ポリイミド樹脂膜を形成する工程」において,本件発明2では「シリコン基板又はガラス基板」を使用するとともに「1~50μmの膜厚を有するポリイミド樹脂膜」を形成するのに対して,甲1発明1では「キャリア基板」を使用するとともに「固体の樹脂膜」の膜厚につき特定されていない点
イ 検討
(ア)相違点2aについて
 相違点2aに係る事項は,相違点2に係る事項と同一であるから,前記(2)()で説示した理由と同一の理由により,相違点2aは,実質的な相違点であるとはいえないか,甲1発明1において当業者が適宜なし得ることである。
(イ)相違点3について
 甲1には,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のために,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤等のカップリング剤を添加することができることが記載され,また,その使用量がポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,0.1質量%以上,3質量%以下が好適であることが記載されている(段落【0019】)ところ,甲1発明1のフレキシブルデバイス基板用ポリイミド前駆体樹脂組成物においても,ガラス基板又はシリコン基板などの被塗布体の表面に塗布成膜し,ポリイミド樹脂膜として他表面に回路形成を行った後,被塗布体から剥離することによりフレキシブルデバイス基板とするものであって,甲1発明1において,シランカップリング剤の適量の添加使用により被塗布体に対する接着性を改善するとしても,被塗布体からの剥離性につき許容される範囲内で行うことを前提とするものであるから,甲1発明1において,ガラス基板又はシリコンウエハなどの被塗布体に対する接着性向上を意図して,γ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどのシランカップリング剤などのアルコキシシラン化合物をポリイミド前駆体(樹脂分)に対して,「0.1質量%以上,3質量%以下」なる範囲のうちの0.2~2質量%の範囲で添加使用することは,当業者が適宜なし得ることである。
 また,本件発明2で使用されるアルコキシシラン化合物のうち,3-ウレイドプロピルトリエトキシシラン及び3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランは,いずれもγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に汎用のシランカップリング剤であり,その点につき,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しても,本件発明2に係るいずれかのアルコキシシラン化合物を使用した場合に,他のアルコキシシラン化合物を使用した場合に比して特異な効果を奏するものとは認識することができず,本件発明2において,上記特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められない。
 したがって,相違点3は,当業者が適宜なし得ることである。
(ウ)本件発明2の効果について
 本件発明2において,特定のアルコキシシラン化合物を使用することにより,特有の効果を奏しているものとも認められず,その余については,前記(2)()で示した本件発明1に係る効果と同様であるから,本件発明2の効果についても,甲1発明1のものに比して,当業者が予期し得ない程度の格別顕著なものということはできない。
ウ 以上から,本件発明2は,甲1発明1に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

4.知財高裁の判断のポイント(進歩性肯定、異議決定取り消し)
取消事由2-2(本件発明2について:相違点の判断の誤り)について
(1) 本件発明2と甲1発明1には,相違点3及び相違点2aが存在するところ,相違点2aは,相違点2と同様の相違点であるため,前記3(2)のとおり,容易想到であると認められる。
(2) 相違点3について
甲1には,甲1発明1において,ポリイミド樹脂膜の支持体への密着性を向上させることができるカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は記載されていない。また,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物がキャリア基板に形成したポリイミド樹脂膜上に回路を形成後,キャリア基板から剥離するフレキシブルデバイス基板形成用のポリアミド樹脂組成物から形成した樹脂膜のキャリア基板への密着性を向上させるのに適するものであることが本件優先日の当業者の技術常識であったことを認めることができる証拠はない。
 そうすると,甲1に接した当業者が,本件発明2に記載されたアルコキシシラン化合物を選択する動機付けがあるとは認められないから,相違点3が容易想到であると認めることはできない。
() これに対し,被告は,甲22の記載によると,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物は,いずれも,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランなどと同様に,シランカップリング剤(接着促進剤)として汎用のものであるとともに,甲2~6の記載から,他の基材に対する接着性改善のためにポリイミド樹脂(前駆体)に対して添加されるシラン化合物として当業者に公知なものであるから,甲1発明1の樹脂組成物において,キャリア基板などの被塗布体との接着性向上のためのシランカップリング剤として,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物を使用することは,当業者が適宜なし得ることであると主張する。
() 甲22について
a 甲22には,以下の記載がある。
(省略)
b 甲22によると,本件優先日時点において,プラスチックに添加するシランカップリング剤として,甲1の段落【0019】に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシラン,γ-アミノプロピルトリメトキシシランと,本件発明2における3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランが知られていたと認められる。そして,甲22には,甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリエトキシシランの特性として,「とくに塩ビ樹脂に有効で,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂,ポリプロピレン,ポリカーボネート,ナイロン樹脂,EPM,EPDMその他の硫黄加硫ゴム,ポリウレタン,多硫化ゴムにも利用できる。」と記載され(同じく甲1に記載されたγ-アミノプロピルトリメトキシシランの特性は,甲22には記載されていない。),本件発明2に記載された3-グリシドキシプロピルトリメトキシシランであるγ-グリシドキシプロピルトリメトキシシランについては,「ポリエステル,エポキシ樹脂,メラミン樹脂,ポリエチレン,ポリカーボネート,ABS,塩ビ樹脂,ポリウレタンに有用。」,「シリカ入りの硫黄加硫SBR,EPDMに添加すると物性が大幅に増大する。」,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランであるγ-ウレイドプロピルトリエトキシシランについては,「エポキシ樹脂,メラミン樹脂,フェノール樹脂などの複合材に卓効がある。」とそれぞれ記載されている。
 しかし,甲22に記載されたシランカップリング剤のうち,ポリイミドへの添加について言及されているのは,(21)のN-フェニル-γ-アミノプロピルトリメトキシシランのみであり,甲22には,甲1や本件発明2に記載された上記のアルコキシシラン化合物が,ポリイミドに添加されるシランカップリング剤であるとの記載はない。
 そうすると,甲22を根拠に,本件発明2記載のアルコキシシラン化合物をポリイミドに添加することが容易想到であると認めることはできない。

() 甲2~6について
・・・・
 甲2において,シランカップリング剤は,金属アルコキシドやその他の物質のポリイミド系重合体の前駆体であるポリアミック酸系重合体への分散性,混合性を向上させ,熱膨張率などの特性にもとづく寸法安定性を改善することを目的とするものであり,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲3において,アルコキシシラン化合物は,透明性を損なわずに,寸法安定性に優れ,かつ無機化合物基板との密着性が高いシリカ粒子が分散してなる新規なポリイミド組成物及びその製造方法を提供するために,ポリイミド溶液に添加し,ポリイミド溶液において水の存在下で反応させるものであり,本件発明2において,アルコキシシランが,ポリイミド前駆体であるポリアミド酸の組成物に配合されるのとは,配合対象が異なっている上,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲4は,ポリイミド銅張積層板のポリイミド層と銅箔との間の接着性を高めるために,ポリイミド前駆体コーティング溶液中に,アルコキシシランを組み込むというもので,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲5は,良好な熱伝導性と接着性を有し,さらに,良好な耐熱性を有する樹脂組成物を提供することを目的とするものであるが,(C)成分の例として,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを含む組成物が,ポリイミド樹脂と無機フィラーの相溶性を高め,ボイド(空隙)を抑制し,少ない無機フィラー含量でも高い熱伝導性が得られると記載されており,本件発明2のように,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離する」というものではないから,本件発明2とは異なる目的のために配合されている。
 甲6は,電子部品の絶縁膜又は表面保護膜用樹脂組成物,パターン硬化膜の製造方法及び電子部品に関するものであり,最終加熱時においてメルトを起こすことなく,最終加熱以降の加熱においても架橋成分等の昇華及びガス成分の発生が少ない層間絶縁膜又は表面保護膜を製造するために,3-ウレイドプロピルトリエトキシシランを添加することができる(段落【0057】)というものであり,シリコン基板に対する接着性増強剤として3-グリシドキシプロピルトリメトキシシラン,ビス(2-ヒドロキシエチル)-3-アミノプロピルトリエトキシシランなどのアルコキシシラン化合物を含むことができる(段落【0069】)との記載があるが,「支持体と十分な密着性」を有し,かつ,「物理的な方法で綺麗に剥離すること」が可能なポリイミド樹脂膜を形成することが可能な樹脂組成物を提供するという本件発明2とは添加目的が異なっている。
以上によると,甲2~6によって,甲2~6にされたアルコキシシ
ラン化合物を本件発明2のために用いるという動機付けがあるとは認められないか
ら,相違点3が容易想到であると認めることはできない
 なお,甲2~6には,ポリイミド前駆体に添加するシランカップリング材として,本件発明2における4種のある子機シシラン化合物のうちの少なくとも1種と甲1記載の他種のものが並列的に列挙されているとしても,甲2~6は,アルコキシシラン化合物を使用する目的や対象が本件発明2とは異なるから,本件発明2において,甲2~6に記載するアルコキシシラン化合物を用いることが容易想到であるとは認められない。
(3) 以上によると,本件発明2は,当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできないから,効果の点について判断するまでもなく,取消事由2-2は理由がある。」


x