知的財産高裁平成31年4月12日判決
平成30年(行ケ)第10117号 審決取消請求事件
1.概要
本事例は、原告(特許出願人)の特許出願に対する拒絶査定不服審判での拒絶審決の取り消しを求めた原告による審決取り消し訴訟の知財高裁判決である。審決では、本願請求項1に係る発明は明確でなく、特許法36条6項2号の明確性要件違反と判断されたが、知財高裁は、明確性要件違反には該当しないと判断された。
本願請求項1では
「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,
前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され」
という文言があり、審決では、年齢等を「指標として」使用する行為にどのような行為が含まれるか不明であることなどを理由に、明確性要件違反と判断した。
これに対し知財高裁は、脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,年齢,性別等の対象の要素をメルクマールにして,その脂質含有配合物の構成を決定すれば,要素を「指標として」使用したといえる、ことなどを理由に、明確性要件違反は無いと判断した。
2.判決抜粋(明確性要件の判断の誤り)
(1) 特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
そこで,本願発明に係る特許請求の範囲の記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるか否かについて,検討する。なお,以下,本願発明の発明特定事項について,次のとおり分説し,それぞれ「特定事項A」ないし「特定事項I」ということがある。
A 対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,
B 前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され,
C ここで前記配合物が,1又は複数の,相互に補完する一日用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含み,
D ここでω-6脂肪酸対ω-3脂肪酸の比,およびそれらの量が,前記一つ以上の要素に基づいており;
E ここでω-6対ω-3の比が,4:1以上,ここでω-6の前記用量が40グラム以下であり;
F または前記対象の食餌および/または配合物における抗酸化物質,植物化学物質,およびシーフードの量に基づいて1:1~50:1;
G またはここでω-6の増加が緩やかおよび/またはω-3の中止が緩やかであり,かつω-6の用量が,40グラム以下であり;
H またはここで前記脂肪酸の含有量は,下記表6:(表は略)と適合する,
I 前記使用。
(2) 「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用」との記載(特定事項A)の明確性
ア 特定事項A及びB
本願発明は,「対象の一つ以上の要素の,前記対象への投与のための脂質含有配合物を選択するための指標としての使用であって,」と特定され(特定事項A),続いて,「前記対象の一つ以上の要素は,以下:前記対象の年齢,前記対象の性別,前記対象の食餌,前記対象の体重,前記対象の身体活動レベル,前記対象の脂質忍容性レベル,前記対象の医学的状態,前記対象の家族の病歴,および前記対象の生活圏の周囲の温度範囲から選択され,」と特定されている(特定事項B)。
そうすると,特定事項A及びBは,本願発明が,少なくとも,下記の方法である旨特定するものと解釈するのが合理的である。
記
脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」,すなわち,年齢,性別,食餌,体重,身体活動レベル,脂質忍容性レベル,医学的状態,家族の病歴及び生活圏の周囲の温度範囲のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法
イ 特定事項C
本願発明は,「ここで前記配合物が,1又は複数の,相互に補完する一日用量のω-6脂肪酸およびω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含み,」と特定されている(特定事項C)。そして,「ここで前記配合物」とは,特定事項A及びBで特定された方法によって選択される対象物である「脂質含有配合物」をいうものである。
そうすると,特定事項Cは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有配合物がω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含むなどと,本願発明の方法によって選択される対象物の構成を特定するものということができる。
ウ 特定事項DないしHによって特定される目的物
特定事項DないしHは,ω-6脂肪酸とω-3脂肪酸の用量の比率を特定したり(特定事項D,E,F),ω-6脂肪酸及び/又はω-3脂肪酸の用量を特定したり(特定事項D,E,G),脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸,ω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸の重量%を特定したり(特定事項H),ω-6脂肪酸及び/又はω-3脂肪酸の摂取量の経時的変化(特定事項G)を特定したりするものである。
そうすると,特定事項DないしHは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成,すなわち,対象物である脂質含有配合物がω-6脂肪酸及びω-3脂肪酸を含む脂肪酸を含むという構成について,ω-6脂肪酸,ω-3脂肪酸又は脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸等の比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に着目することにより,更に特定するものということができる。
エ 特定事項DないしHの関係
(ア) 特定事項DないしHは,それぞれ「;」で区切られているから,それぞれの発明特定事項ごとに,個別の技術的意義を有すると解すべきものである。
(イ) そして,特定事項Dは「ここで」で始まり,特定事項Eは「ここで」で始まり,特定事項FないしHは「または」で接続されているから,特定事項DないしHは,特定事項Dと特定事項EないしHに更に区別され,特定事項EないしHは選択関係にあるものである。
(ウ) さらに,特定事項Dと特定事項EないしHとの関係について検討する。
これらの特定事項は,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,ω-6脂肪酸,ω-3脂肪酸又は脂肪酸に含まれるω-9脂肪酸等の比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に着目することにより,更に特定するものである。
そして,特定事項Dは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,脂質含有配合物が投与される対象の「要素」,すなわち,年齢,性別,食餌,体重,身体活動レベル,脂質忍容性レベル,医学的状態,家族の病歴及び生活圏の周囲の温度範囲のうち,一つ又は複数に基づいて特定しようとするものである。
一方,特定事項EないしHは,特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,客観的な比率,用量,重量%又は摂取量の経時的変化に基づいて特定しようとするものである。
このように,特定事項Dと特定事項EないしHは,いずれも特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,更に特定するものであるところ,その特定の仕方が異なり,特定事項Dと特定事項EないしHによる特定の間で矛盾が生じるものではないから,重畳して適用されるものというべきである。
オ 特定事項I
特定事項A及びBは,本願発明が,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法である旨特定するものであるところ,特定事項Cは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有組成物の構成を特定し,特定事項D及び特定事項EないしHは,重畳的に,これに更に特定を加えるものである。
そうすると,特定事項Iは,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち一つ又は複数を「指標」として使用する方法について,これが,特定事項CないしHによって特定された構成を有する脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するための方法である旨更に特定するものということができる。
カ 特定事項Aの明確性
以上によれば,特定事項Aは,「脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法」と解釈するのが合理的であって,特定事項Aを,このように解釈することは,その余の特定事項の解釈とも整合するものということができる。
キ 被告の主張について
(ア) 被告は,本願発明は「年齢」や「性別」のような属性を,ありふれた油脂を選択するための指標として使用する方法をいうところ,「指標として」という記載は抽象的であり,いかなる行為までが「指標」として使用する行為に含まれ得るのか明確ではないから,本願発明の外延は明確ではない,要素を何らかの形で脂質含有配合物を選択するための指標として用いたか否かについては,明確に判別することはできない旨主張する。
しかし,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,年齢,性別等の対象の要素をメルクマールにして,その脂質含有配合物の構成を決定すれば,要素を「指標として」使用したといえる。また,これにより決定される脂質含有配合物の構成がありふれたものであったとしても,ありふれていることを理由に発明の外延が不明確であると評価されるものではない。そうすると,「指標として」という記載が,第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。
また,対象方法が本願発明の特許発明の技術的範囲に属するか否かは,本願発明の技術的範囲を画定し,対象方法を認定した上で,これらを比較検討して判断するものである。そして,脂質含有配合物を選択するための指標として本願発明の要素をメルクマールとして用いたか否かは,対象方法の認定に係る問題であって,本願発明の技術的範囲の画定の問題,すなわち,明確性要件とは無関係である。
したがって,被告の上記主張は採用できない。
(イ) 被告は,特定事項EないしIは,特定事項Dにおける「ω-6脂肪酸対ω-3脂肪酸の比」及び「それらの量」が「一つ以上の要素」に,どのように基づいているのかを特定しようとする記載と解すべきである旨主張する。
しかし,特定事項Dと特定事項EないしHは,いずれも特定事項Cによって特定された本願発明の方法によって選択される対象物の構成について,更に,それぞれ異なる観点から特定するものである。特定事項E及びGには「一つ以上の要素」に関する記載が全くないのであるから,これらと選択関係にある特定事項EないしHとの関係から,特定事項Dの技術的意義を解すべきとはいえない。
したがって,被告の上記主張は採用できない。
(ウ) 被告は,本願明細書は「要素」の使用方法を明らかにするものではなく,それが技術常識でもない旨主張する。
被告の上記主張は,本願発明は,対象に投与する脂質含有配合物を選択するために,どのように「要素」を使用するかについて特定した方法であるという解釈を前提とするものである。
しかし,特定事項F及びHに係る特許請求の範囲の記載においては,「要素」である食餌及び生活圏周囲の温度範囲を,どのように使用するかについて特定されているものの,これらの特定事項と選択関係にある特定事項E及びGには,「要素」の使用方法に関する記載はない。特定事項F及びHは,本願発明の方法によって選択される対象物である脂質含有組成物の構成を特定するものにすぎないと解すべきである。そして,その余の本願発明に係る特許請求の範囲の記載には,「要素」の使用方法に関する記載はない。
したがって,被告の上記主張は,特許請求の範囲の記載を離れた本願発明の解釈を前提とするものであるから,採用できない。なお,本願発明の課題を解決するためには,脂質含有配合物の選択に当たり,特定の「要素」をどのように使用するかについてまで特定しなければならないにもかかわらず,特許請求の範囲に記載された発明が,脂質含有配合物の選択に当たり,特定の「要素」を使用する方法について特定するにとどまるというのであれば,それは,サポート要件の問題であって,明確性要件の問題ではない。明確性要件は,出願人が当該出願によって得ようとする特許の技術的範囲が明確か否かについて判断するものであって,それが,発明の課題を解決するための構成又は方法として十分か否かについて判断するものではない。
ク 小括
以上によれば,特定事項Aは,脂質含有配合物を対象に投与するに当たり,当該脂質含有配合物を選択するために,当該対象の「要素」のうち,一つ又は複数を「指標」として使用する方法である旨特定するものである。特定事項Aに係る特許請求の範囲の記載が第三者の利益が不当に害されるほどに不明確であるということはできない。」