2018年5月27日日曜日

引用発明を改変することの「阻害要因」が認められ進歩性が肯定された事例


知財高裁平成30年4月27日判決
平成29年(行ケ)第10013号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、特許無効審判審決(進歩性肯定、特許有効)に対する審決取消訴訟において、知財高裁が審決は適法であるとして請求を棄却した事例である。
 下記の本件発明2は,生麺体を「蒸煮工程なしに」乾燥する「乾麺」の製造方法に関する。一方、引用発明3には,生麺体を「蒸煮した上で」乾燥する「即席麺」の製造方法に関する。蒸煮工程の有無以外の特徴に関しては、本件発明2と引用発明3とは一致する。しかも、生麺体を蒸煮工程なしに乾燥するという本件発明2の特徴自体は、他の証拠から、周知技術と認定されている。この場合に、引用発明3において、課題解決に必要なものとして記載されている「蒸煮」の工程を行わずに乾燥することで、本件発明2を完成させることの、容易想到性が争われた。
 知財高裁及び審決は、引用発明3において必須の「蒸煮」の工程を行わないように引用発明3を改変することには「阻害要因」があるから、本件発明2は容易には想到できないと結論付けた。

2.本件発明2
「主原料と,前記主原料の総重量に対して0.5重量%よりも大きく6重量%未満の100%油由来の粉末油脂とを含む麺生地から形成した生麺体を90℃~150℃で発泡化および乾燥することを具備し,最終糊化度が30%~75%の糊化度を有する乾麺の製造方法。」

3.一致点相違点
「本件審決が認定した引用発明3,本件発明2と引用発明3との一致点及び相違点は,次のとおりである。
 ア 引用発明3(文中の「/」は,原文の改行箇所を示す。以下同じ。)
 主原料と,粒子径0.15mm以上の粉末粒状の油脂とを少なくとも含む麺原料と,水を混捏して得た混合物から麺線を作成し,該麺線を蒸煮し,次いで,熱風により膨化乾燥する,即席麺の製造方法であって,/前記主原料が小麦粉であり,/前記粉末粒状の油脂の添加量が,小麦粉に対して0.5~5%であり,/温度110℃~145℃,風速5~25m/sの範囲の熱風により乾燥する,/即席麺の製造方法。
 イ 本件発明2と引用発明3との一致点
 主原料と,前記主原料の総重量に対して0.5重量%よりも大きく6重量%未満の100%油由来の粉末油脂とを含む麺生地から形成した生麺体を90℃~150℃で発泡化および乾燥することを具備する,乾燥麺の製造方法。
 ウ 本件発明2と引用発明3との相違点
 本件発明2は,生麺体を(蒸煮工程なしに)乾燥する「乾麺」であるのに対して,引用発明3は,生麺体を蒸煮した上で乾燥する「即席麺」である点(相違点3)。」

4.裁判所の判断
「ア 引用発明3は,高温熱風乾燥の問題点であった「麺線の割れ」を解決すること,及び「生麺のごとき粘弾性」を容易に実現できる即席麺の製造方法を提供することを課題とするものであり(【0018】,【0019】),ひび割れや過発泡を解決するために乾燥工程を短縮し,良好に調理可能な麺の製造を可能とする製造方法を提供する点で,本件発明2と課題を共通にするものである。
 イ 引用例1(甲1),特開昭59-173060号(甲23),特開昭58-81749号(甲24)には,生麺及び蒸し麺のいずれに対しても高温熱風乾燥を施すことが開示されており,生麺及び蒸し麺に高温熱風乾燥を行うとの技術事項は,本件優先日当時,周知技術であったことが認められる。
 しかしながら,引用例3には,主原料と,粒子径0.15mm以上の粉末粒状の油脂とを少なくとも含む麺原料と,水を混捏して得た混合物から麺線を作成し,該麺線を蒸煮し,次いで,熱風により膨化乾燥するとの構成を有する即席麺の製造方法を提供するものであること(【0022】),麺線の蒸煮工程により,麺線内部の粉末粒状油脂が溶けることで麺線内部及び麺線表面に(適度なサイズの)穴が形成され,それに続く熱風による膨化乾燥工程により,麺線内部の水分をスムーズに蒸発させて,麺線を乾燥することができるため,麺線の急激な発泡を防止することが可能となり,その結果,麺線の割れ防止と,湯戻し後の良好な食感の両立(更には,生産性及び経済性の両立)が可能となると推定され,その結果,麺線の太さにかかわらず,従来の高温熱風乾燥の問題点であった「麺線の割れ」を効果的に防止しつつ,湯戻し後の食感を良好にすることができるとの効果が奏されること(【0023】)の記載がある。他方で,引用例3には,蒸煮工程を経ずに,熱風乾燥過程において油脂を溶解させることの記載はない。
 そうすると,引用発明3については,麺線内部及び麺線表面に(適度なサイズの)穴が形成され,既に多孔質化を実現しているのであるから,課題達成のため,生麺及び蒸し麺に高温熱風乾燥を行う周知技術を適用する動機付けはない。
 かえって,引用発明3においては,粉末粒状の油脂が添加された麺線に対し,蒸煮した上で熱風による膨化乾燥を行うとの工程により,所望の効果を実現することができるのであるから,課題達成のためには,熱風乾燥前に既に穴が開いている必要がある。したがって,引用発明3においては,麺線を蒸煮してから熱風により膨化乾燥するとの工程によることに,格別な技術的意義がある。そうすると,蒸煮工程を経ずに熱風による膨化乾燥を行うことは,その課題解決に反することになるから,蒸煮工程を経ないで高温熱風乾燥を行うことには,阻害事由がある。
 したがって,生麺及び蒸し麺に高温熱風乾燥を行うことが周知技術であるからといって,当業者が,蒸煮工程を経ない高温熱風乾燥を適用することを想到することはないというべきである。
 そして,引用例3には,「即席麺」を「乾麺」に置き換えることについて,記載も示唆もなく,当業者がかかる置換えを行うべき理由はない。
 よって,相違点3に係る本件発明2の構成は,当業者が容易に想到し得るものではないから,本件発明2は,引用発明3に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとすることはできない。」

2018年5月13日日曜日

特許成立後の誤訳の訂正は、特許請求の範囲を拡張・変更するものである場合には認められない


知財高裁平成28年8月29日平成27年(行ケ)第10216号 審決取消請求事件
1.概要
 本事例は、外国語特許出願(原文=ドイツ語)から成立した特許権に対する特許権者による訂正審判請求が成り立たないとする審決に対する審決取消訴訟の高裁判決である。
 請求項1において、本来は「ホスホン酸」と翻訳すべき用語が、誤って翻訳され「燐酸」と記載されていた。
 特許権者は請求項1の「燐酸」を「ホスホン酸」に訂正する訂正審判を請求した。
 特許法126条1項2号には「誤記又は誤訳の訂正」を目的として、特許権者は、願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができると規定されている。特許法第126条5項は、「誤記又は誤訳の訂正」を目的とする訂正の際は、外国語特許出願及び外国語書面出願の原文(この場合はドイツ語)を参酌できることを規定する。
 さらに、特許法第126条6項は「第一項の明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正は、実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するものであつてはならない。」と規定する。すなわち、原文に基づく「誤訳の訂正」は、特許請求の範囲を実質上拡張・変更しないという条件を満たす限りにおいて認められる。
 本事例では、特許請求の範囲を実質上拡張・変更するか否かの判断の際に、ドイツ語の原文を参酌してよいのか、日本語の特許明細書のみを参酌するのかが争われた。審決及び知財高裁は、ドイツ語の原文は考慮せず、日本語の特許明細書のみを参酌すべきと判断し、本件訂正は特許請求の範囲を変更するものであるから、特許法第126条6項の規定により、適法なものとは言えないと結論付けた。
2.訂正前の請求項1
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水溶性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水溶性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,燐酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水溶性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
3.本件訂正後の請求項1(下線部は訂正箇所。)
「-第1の処理ステップで,部品材料の腐食によりこの部品上に生じた酸化物層を,除染用の有機酸を含んだ第1の水性の処理溶液で剥離し,
 -これに続く第2の処理ステップで,少なくとも部分的に酸化物層が取り除かれた表面を,この表面に付着している粒子を除去するための作用成分を含んだ第2の水性の処理溶液で,処理する原子力発電所の冷却系統の構成部品の表面の化学的な除染方法であって,
 前記作用成分がスルホン酸,ホスホン酸,カルボン酸及びこれらの酸の塩からなる群から選ばれる少なくとも1つのアニオン界面活性剤で形成されている除染方法において,前記第2の水性の処理溶液が,遅くとも前記第2の処理ステップの終了する前に,イオン交換器に導かれることを特徴とする除染方法。」
4.審決の理由(訂正は認められない)
「本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)は,いずれも「燐酸」ないし「リン酸」の記載個所に対応する原文の記載個所には「Phosphonsäure」と記載されており,その日本語訳は「ホスホン酸」であるから,特許法126条1項2号(以下,条文番号を示す際は,特に断らない限り,特許法を示すものとする。)に規定する「誤訳の訂正」を目的とするものであるが,特許請求の範囲の請求項1における構成の一つである「燐酸」を異なる物質である「ホスホン酸」に訂正することは,上記請求項1の発明特定事項を変更するものであり,特許請求の範囲を実質的に変更するものであって,126条6項に規定する要件に違反するものである。」
5.裁判所の判断(審決維持)
「このように,請求項1の「燐酸」という記載は,本件発明の構成に欠くことができない事項の一つであるところ,その記載自体は極めて明瞭で,明細書の記載等を参酌しなければ理解し得ない性質のものではないし,燐酸塩がアニオン界面活性剤であることは技術常識であると認められるから(乙2ないし4),請求項1全体を見ても「燐酸」という記載にはその位置付けも含めて格別不自然な点は見当たらない。」
「・・・本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるといえるかを検討すると,前記(1)イのとおり,請求項1の「燐酸」という記載は,それ自体明瞭であり,技術的見地を踏まえても,「ホスホン酸」の誤訳であることを窺わせるような不自然な点は見当たらないし,前記(2)アのとおり,本件訂正前の明細書において,「燐酸」又は「リン酸」という記載は11か所にものぼる上,請求項1の第2の処理溶液の作用成分を形成するアニオン界面活性剤としてスルホン酸,カルボン酸と並んで「燐酸」を選択し,その最適な実施形態を確認するための4つの比較実験において,燐酸や燐酸基が使用されたことが一貫して記載されている。
 そうすると,化学式の記載が万国共通であり,その転記の誤りはあり得ても誤訳が生じる可能性はないことを考慮しても,本件公報に接した当業者であれば,請求項1の「燐酸」という記載が「ホスホン酸」の誤訳であることに気付いて,請求項1の「燐酸」という記載を「ホスホン酸」の趣旨に理解することが当然であるということはできない。
 以上によれば,本件訂正事項(燐酸→ホスホン酸)を訂正することは,本件公報に記載された特許請求の範囲の表示を信頼する当業者その他不特定多数の一般第三者の利益を害することになるものであって,実質上特許請求の範囲を変更するものであり,126条6項により許されない。
(4) 原告の主張について
ア 原告は,前記(2)イによれば,本件公報に接した当業者は,「燐酸(又はリン酸)」と「ホスホン酸」のいずれかが誤りであることを予測することができたとした上で,原文明細書等を参照すれば,ホスホン酸を示す記載はあるが,燐酸を示す記載はないから,当業者は,訂正前の「燐酸(又はリン酸)」が「ホスホン酸」の誤訳であることを認識することができた旨主張する。
 しかしながら,126条6項の要件適合性の判断に当たり,原文明細書等の記載を参酌することはできないから,原告の主張は採用できない。
 すなわち,同項は,第三者に不測の不利益が生じることを防止する観点から,訂正前の特許請求の範囲には含まれないこととされた発明が訂正後の特許請求の範囲に含まれるという事態が生じないことを担保するために,訂正後の特許請求の範囲が訂正前の特許請求の範囲を実質上拡張又は変更したものとなることを禁止したものである。そして,特許権が設定登録により発生すると,願書に添付した明細書及び特許請求の範囲に記載した事項並びに図面の内容が特許公報に掲載されて,第三者に公示され(66条1項,3項,29条の2),第三者が利害関係を有する特許権の禁止権の範囲である特許発明の技術的範囲は,この願書に添付した特許請求の範囲に基づいて定められ,その用語の意義はこの願書に添付した明細書及び図面を考慮して解釈するものとされている(70条1項,2項)。ところで,本件特許のような外国語特許出願においては,出願人は,翻訳文明細書等及び要約の日本語による翻訳文を提出しなければならないとされており(184条の4第1項),翻訳文明細書等及び国際出願日における図面(図面の中の説明を除く。)(以下「国際出願図面」という。)が36条2項の願書に添付した明細書,特許請求の範囲及び図面とみなされる(184条の6第2項)。このように,本件特許のような外国語特許出願においては,特許発明の技術的範囲は,翻訳文明細書等及び国際出願図面を参酌して定められ,原文明細書等は参酌されないから,126条6項の要件適合性の判断に当たっても,翻訳文明細書等及び国際出願図面を基礎に行うべきであり,原文明細書等を参酌することはできないというべきである。原告の主張するように,同項の要件適合性の判断に当たり原文明細書等を参酌することができると解した場合には,誤訳の訂正の許否は原文明細書等を参酌しないと決することができないことになるから,訂正審決の遡及効(128条)を受ける第三者としては,我が国の特許庁によって公開されるものではなく,外国語により記載された原文明細書等を,翻訳費用や誤訳の危険を自ら負担して参照することを余儀なくされることになるが,このような解釈が第三者に過度の負担を課すものであって不当であることは明らかである。
 これに対して,原告は,原文明細書等は126条1項2号の要件適合性の判断に使用される資料であり,同条1項と同条6項の条文の配置からすると,同条6項は訂正目的に応じて判断基準が異なることを当然の前提としており,原文明細書等を同項の要件適合性の判断に使用することができる旨主張する。しかしながら,同条1項2号の要件適合性と同条6項の要件適合性とは別個の訂正要件についての判断であるから,その要件適合性の判断に当たり参酌できる資料の範囲についてもそれぞれの訂正要件の目的に応じた解釈がされるべきものであり,同条1項2号の要件適合性の判断に当たり参酌できる資料であることは同条6項の要件適合性の判断に当たり参酌できることを基礎付けるものではない。そして,同条6項の要件適合性の判断に当たっては,同項の趣旨に照らし,原文明細書等を参酌することができないことは既に説示したとおりである。」