2017年3月12日日曜日

明細書に記載の実験系が適切でないためにサポート要件違反とされた事例

知財高裁平成29年1月31日判決
平成27年(行ケ)第10201号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、被告が有する特許権に対する無効審判審決(無効理由なしの審決)を不服とする原告(審判請求人)による、審決取消訴訟の高裁判決である。
 下記の本件訂正発明6等のサポート要件の充足性が争点の1つ。審決は、サポート要件は充足されると判断したが、知財高裁は、充足されないと判断した。
 本件訂正発明6は、イソクエルシトリン及びその糖付加物を含有する容器詰飲料が褐変して色調変化する、という課題を解決するために、所定のアルコールを添加して褐変を抑制する。
 明細書に記載の実施例は、イソクエルシトリン及びその糖付加物と、Lアスコルビン酸と、所定のアルコールとを含む容器詰飲料である。比較例は、イソクエルシトリン及びその糖付加物と、Lアスコルビン酸とを含み、所定のアルコールを含まない、容器詰飲料である。明細書では、実施例の飲料と、比較例の飲料を比較し、前者では褐変による色調変化が抑制されたことを確認した実験結果を示している。
 しかし、Lアスコルビン酸が飲料の褐変の原因となることが知られている。このため、明細書に記載の実験結果は、アルコールによって、Lアスコルビン酸の褐変が抑制されたことを示している可能性もある。イソクエルシトリン及びその糖付加物の褐変を、アルコールが抑制したと結論づけることはできないデータであるから、サポート要件は満たされないと裁判所は判断した。
 なお、被告は、実験成績証明書により、Lアスコルビン酸を含まない飲料による実験結果を追加提出したが、裁判所は、実験成績証明書は考慮できないと指摘している。

2.本件訂正発明6
「次の成分(A)及び(B):
(A)イソクエルシトリン及びその糖付加物 0.03~0.25質量%,
(B)イソアミルアルコール,1-ヘキサノール及びプロピレングリコールから選ばれる少なくとも1種 0.001質量%以上1質量%未満
を含有し,
pHが2~5である,容器詰飲料。」

3.裁判所の判断のポイント
(4) サポート要件について
ア 本件明細書の発明の詳細な説明には,前記2(1)のとおりの記載があり,本件訂正発明9~16の解決課題は,容器詰飲料に含まれるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化を抑制することにより,当該飲料の色調変化を抑制する方法を提供することであると認められる。
イ 本件明細書には,「フラボノール配糖体を始めとするポリフェノールは一般に酸化されやすいため,それを含有する飲料を長期間にわたって保存すると徐々に着色が進んで色調が大きく変化してしまう。本発明者は,酵素処理イソクエルシトリンを飲料に配合し,それを高濃度化するに従い色調変化が顕在化することを見出した。」(【0007】)と記載されている。他方,本件明細書の実施例・比較例では,イソクエルシトリン及びその糖付加物の製剤として,「酵素処理イソクエルシトリン15重量%,L-アスコルビン酸10重量%,メタリン酸Na0.1重量%,及び糖類74.9重量%」からなるサンメリンパウダーC-10(甲1の表1参照)を用いており,実施例・比較例の全てにおいてイソクエルシトリン及びその糖付加物に加えて,L-アスコルビン酸も含まれている。
 そして,前記(3)によれば,本件出願日当時,アスコルビン酸の褐変により飲料が色調変化するという技術常識があったものの,意足エルシトリン及びその糖付加物の色調変化に起因して,飲料が色調変化することは技術常識とはなっていなかったと認められる。
 このような技術常識を有する当業者が,本件明細書の記載に接した際には,【0007】に記載された「顕在化した色調変化」,すなわち,比較例において観察されたb*値の変化(Δb*)は,L-アスコルビン酸の褐変に起因する色調変化を含む可能性があると理解し,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化のみを反映したものであると理解することはできないと解される。
 そうすると,実施例において,アルコール類を特定量添加しpHを調整することにより,比較例に比べて飲料の色調変化が抑制されていることに接しても,当業者は,比較例の飲料の色調変化がL-アスコルビン酸の褐変に起因する色調変化を含む可能性がある以上,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化が抑制されていることを直ちには認識することはできないというべきである。
・・・・
 ウ 以上によれば,本件明細書の発明の詳細な説明の記載及び本件出願日当時の技術常識に照らして,本件訂正発明9~16は,容器詰飲料に含まれるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化を抑制することにより,当該容器詰飲料の色調変化を抑制する方法を提供するという課題を解決できるものと,当業者が認識することができるとはいえない。
・・・・・
 なお,被告は,「イソクエルシトリン及びその糖付加物を含有する容器詰飲料が,L-アスコルビン酸の非存在下においても色調変化を生じ,その色調変化がアルコールによって抑制されること」を立証趣旨として,乙14の実験成績証明書を提出するが・・・・(仮に,乙14が,・・・・これによりイソクエルシトリン及びその糖付加物を含有し,L-アスコルビン酸を含有しない容器詰飲料の色調変化を立証する趣旨であったとしても,そのような立証は,本件明細書の記載から当業者が認識できない事項を明細書の記載外で補足するものとして許されない。)。被告の主張は,理由がない。
 オ 被告は,「アスコルビン酸を含む」という条件において実施例と比較例は同一であることを理由として,サポート要件の充足を認めた審決の趣旨は,アスコルビン酸を除けば,実施例と比較例のb*値やΔb*値の絶対値は変わるかもしれないけれども,アスコルビン酸の有無にかかわらず,アルコールの添加によってイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化が抑制されるという傾向自体は不変であることを当業者が理解できると判断したものであり,その判断に誤りはないと主張する。

 この点について,審決は,アルコールを添加した実施例と,アルコールを添加しない比較例の双方に,L-アスコルビン酸が含まれているとしても,このような実施例と比較例の色調変化によって,L-アスコルビン酸の非存在下におけるイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化に対するアルコール添加の影響を理解することができると判断するところ,L-アスコルビン酸が褐変し,容器詰飲料の色調変化に影響を与え得るという本件出願日当時の技術常識を踏まえると,このように判断するためには,少なくともL-アスコルビン酸の褐変(色調変化)はアルコール添加の影響を受けないという前提が成り立つ場合に限られることは明らかであるが,そのような前提が本件出願日当時の当業者の技術常識となっていたことを示す証拠はない。したがって,本件明細書の実施例と比較例の実験結果をまとめた【表1】により,イソクエルシトリン及びその糖付加物に起因する色調変化の抑制という本件訂正発明9~16の効果を確認することはできない。なお,念のため付言すれば,以上の検討は,特許権者である被告が,本件明細書において,イソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化がアルコールにより抑制されることを示す実験結果を開示するに当たり,同様に経時的な色調変化を示すことが知られていたL-アスコルビン酸という不純物が含まれる実験系による実験結果のみを開示したことに起因するものであり,そのような不十分な実験結果の開示により,本件明細書にイソクエルシトリン及びその糖付加物の色調変化がアルコールにより抑制されることが開示されているというためには,容器詰飲料の色調変化に影響を与える可能性があるL-アスコルビン酸の褐変(色調変化)はアルコール添加の影響を受けないということが,本件明細書において別途開示されているか,その記載や示唆がなくても本件出願日当時の当業者が前提とすることができる技術常識になっている必要がある。したがって,特許権者である被告において,本件明細書にこれらの開示をしておらず,また,当該技術常識の存在が立証できない以上,本件明細書にL-アスコルビン酸という不純物を含む実験系による実験結果のみを開示したことによる不利益を負うことは,やむを得ないものというべきである。」