2014年7月27日日曜日

「一般的な課題」を考慮し進歩性が否定された無効審決が取り消された事例


知財高裁平成26年7月17日判決
平成25年(行ケ)第10242号審決取消請求事件
1.概要
 本事例は、無効審判審決(進歩性欠如を理由に特許無効)を不服とする無効審決取り消し訴訟の高裁判決である。
 審決では、本件発明1などのもっとも近い先行技術として甲16発明が引用され、甲16発明における「一般的な課題」を解決するために甲17発明を組み合わせて本件発明1を完成させることは当業者にとり容易である、と判断された。

 これに対して知財高裁は、甲16発明における「具体的な課題」を考慮すると、甲17発明と甲16発明とを組み合わせることは当業者にとり容易なことではない、と判断し、審決を取り消した。

2.詳細
2.1.本件発明1
 所定方向に並設された複数のLEDと,各LEDの並設方向に延びるように設けられた集光レンズとを備え,各LEDの光が集光レンズを通過して集光レンズから所定の距離だけ離れた位置であって前記LEDの並設方向に撮像範囲の長手を有するように配置されたラインセンサカメラの撮像位置に線状に集光し,これにより前記撮像位置を照明しこれをラインセンサカメラで撮像するように構成されたラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置において,
 この照明装置は,前記各LEDから前記集光位置までの光の経路中に光を主に各LEDの並設方向に拡散させる拡散レンズを備えると共に,前記集光レンズの各LED側の面によって受光レンズ部が形成され,
 受光レンズ部を,各LED側に凸面状に形成するとともに各LEDの並設方向に延びるように形成し,各LEDにおいて他の照射角度範囲よりも光の照射量を多くした所定の照射角度範囲から照射される光を受光可能に配置し,
 前記拡散レンズを,前記光の経路と交差する所定の面上に延びるように設けられた透明な基板と,該透明な基板の厚さ方向一方の面上に並ぶように設けられた複数の凸レンズ部から形成し,各凸レンズ部を,各LEDの並設方向への曲率半径が各LEDの並設方向と直交する方向への曲率半径よりも小さい曲面状に形成し,
 前記各凸レンズ部を,互いに近傍に配置された凸レンズ部同士で各LEDの並設方向への曲率半径が異なるように形成し,これにより,光を前記複数の凸レンズ部のそれぞれの曲率に応じてLEDの並設方向に屈折させて前記拡散を行う
ことを特徴とするラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置。
2.2.本件発明1と甲16発明との一致点相違点
2.2.1.一致点
 所定方向に並設された複数のLEDと,各LEDの並設方向に延びるように設けられた集光レンズとを備え,各LEDの光が集光レンズを通過して集光レンズから所定の距離だけ離れた位置であって前記LEDの並設方向に撮像範囲の長手を有するように配置されたラインセンサカメラの撮像位置に線状に集光し,これにより前記撮像位置を照明しこれをラインセンサカメラで撮像するように構成されたラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置において,
 この照明装置は,前記各LEDから前記集光位置までの光の経路中に光を拡散させる拡散手段を備えると共に,前記集光レンズの各LED側の面によって受光レンズ部が形成され,
 受光レンズ部を,各LED側に凸面状に形成するとともに各LEDの並設方向に延びるように形成するラインセンサカメラ撮像位置照明用の照明装置。
2.2.2.相違点1
 「拡散手段」について,本件発明1では「光を主に各LEDの並設方向に拡散させる散レンズ」であって「光の経路と交差する所定の面上に延びるように設けられた透明な基板と,該透明な基板の厚さ方向一方の面上に並ぶように設けられた複数の凸レンズ部から形成し,各凸レンズ部を,各LEDの並設方向への曲率半径が各LEDの並設方向と直交する方向への曲率半径よりも小さい曲面状に形成し,前記各凸レンズ部を,互いに近傍に配置された凸レンズ部同士で各LEDの並設方向への曲率半径が異なるように形成し,これにより,光を前記複数の凸レンズ部のそれぞれの曲率に応じてLEDの並設方向に屈折させて前記拡散を行う」のに対し,甲16発明では「記各LED12から照射面3までの光の経路中に光を拡散させる散乱シート2」であり,「ポリエステルフィルム上に微粉末からなる光拡散層を積層することにより形成する」点。
2.3.無効審判審決のポイント
 結論=甲16発明と甲17発明との組み合わせで進歩性なし
「甲16発明において,照明位置における光量を確保するという一般的な課題のために,その「散乱シート2」を甲17記載の高透過率である上記「光拡散体」に置き換える,すなわち,相違点1における本件発明1の構成とすることは,何ら困難性なく,十分動機付けが存在し,当業者が容易に想到し得ることであるというべきである。」
2.4.裁判所の判断のポイント
 結論=甲16発明と甲17発明とを組み合わせることは容易とはいえない。審決取り消し。
「甲16発明は,主としてLEDアレイの並設方向に光を集中的に拡散させることを課題とするものではなく,かえって,これと直交する方向にも光を拡散させることを課題とするものであるから,光を特定の1つの方向にのみ集中的に拡散させるという機能を有する光拡散体である甲17発明を,甲16発明に組み合わせることは,その動機付けを欠くものであり,当業者が容易に想到することができるものとは認められないというべきである」
審決は,照明の分野において,「光のむらを解消しつつ,光量の確保をする」ことは一般的課題であると認定して,甲16発明においても同課題に基づいて甲17発明を適用することは容易であると判断する。しかし,仮に上記課題が一般的な課題であるとしても,甲16発明が,照射面の縦方向と横方向の双方向へ光を拡散することを具体的な解決課題としている以上,甲16発明に,照射面のいずれか一方の方向へ主に光を拡散するものである甲17発明を適用することが容易とはいえないことは,上記判示のとおりである。さらに,審決は,甲16公報の【実施例】に,「ポリエステルフィルム表面をヘアラインの凹凸化加工によって光を散乱させ」るものが記載されていることをもって,甲16発明において同方性の散乱シートの代わりに異方性の散乱シートを選択することも当業者において一般的になされているといえるとも認定するが,同記載からは,ヘアラインの凹凸化加工によって甲16発明の上記解決課題をどのように解決するのかという具体的な実施態様が不明であるから,同記載を根拠として,当業者が甲17発明を甲16発明の散乱シートの代わりに適用することが容易であるということもできない。」

2014年7月13日日曜日

特許権侵害訴訟において請求項中の「実質的に」の解釈が争われた事例

東京地裁平成26年5月22日判決
平成24年(ワ)第14227号 損害賠償請求事件
 
 1.概要
 本件は特許権侵害訴訟(損害賠償請求事件)の第一審において、原告(特許権者)の請求が認められた事例である。本件特許は半導体の製造法に関するものであり、「実質的に水素を含まない雰囲気中」(構成要件B)においてアニーリング(焼きなまし)を行うことを特徴のひとつとしており、この構成要件Bによって、「p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す」(構成要件D)という作用を奏する。
 被告方法では、アニーリングを「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中」で行う。アンモニアは水素原子を含んでいるため、被告方法の雰囲気は水素を含む雰囲気である。本件訴訟では、この被告方法の雰囲気が「実質的に水素を含まない」といえるか否かが争われた。被告は、「通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する」と主張した。
 裁判所は、構成要件Bは「文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気」であり、本発明の作用効果を奏するような雰囲気,すなわち、アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味する、と解釈した。そして、被告方法における雰囲気はアンモニアとして水素原子を含むが、本発明の作用効果を妨げるほどの水素は含んでいないため構成要件Bを充足する、と判断した。
 なお特許明細書には「アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。」という記載があり、NH3(アンモニア)を使用した雰囲気は除外しているようにも見えるが、裁判所は、この記載は「好ましくない」範囲を記載しているだけであって、アンモニアを使用した雰囲気を除外しているわけではない、と判断した。

2.本件特許
 原告が有する特許権の訂正後の請求項1に係る発明(本件発明)を分説すると以下のとおりである:
気相成長法により,p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,
実質的に水素を含まない雰囲気中,
400℃以上の温度でアニーリングを行い,
上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出す
ことを特徴とするp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法。

3.被告方法
 被告方法は,MOCVD(有機金属気相成長法)により,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体を成長させた後,1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気中,400度以上の温度でアニーリングを行うことが認められる。また,アンモニアの流量比が2.5%未満の雰囲気において,400℃以上でアニーリングすると,水素パッシベーション(水素結合)を発生させることなく,窒化物半導体がp型化する。
 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,Mgがドープされた窒化ガリウム系化合物半導体から水素を離脱させる。

4.争点
 被告方法における「1.3%のアンモニアを含む窒素ガスとアンモニアガスの混合雰囲気」が、本件特許での構成要件B「実質的に水素を含まない雰囲気」を充足するか否かが争点のひとつ。

5.裁判所の判断のポイント
「被告方法が本件発明の構成要件B及びDを充足するか。

本件発明の構成要件Bについて
() ・・・()本件発明のp型窒化ガリウム系化合物半導体の製造方法は,気相成長法により,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,実質的に水素を含まない雰囲気中,400℃以上の温度でアニーリングを行い,上記p型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層から水素を出すことを特徴とするものであり,これにより,従来p型不純物をドープしても低抵抗なp型にならなかった窒化ガリウム系化合物を低抵抗なp型にすることができるので,数々の構造の素子を製造することができ,また,従来の電子線照射による方法では最上層の極表面しか低抵抗化することができなかったが,アニーリングによってp型不純物がドープされた窒化ガリウム系化合物半導体層全体をp型化することができるので,面内均一に,かつ,深さ方向均一にp型化することができ,しかも,どこの層にでもp型層を形成することができ,さらに,厚膜の層を形成することができるので,高輝度な青色発光素子を得ることができるという作用効果を奏する,以上の事実が認められる。
() 「実質」とは,「物事の内容または本質」を意味し,「実質的」とは,「実際に内容が備わっているさま。また,外見や形式よりも内容・実質に重点をおくこと。」を意味する(広辞苑第六版)から,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」との文言は,文字通り水素を全く含まない雰囲気ではなく,水素を含んでいても,その内容や本質において,水素を含まないと認められる雰囲気をいうと解される。
 そして,証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,「【0009】アニーリング(Annealing:焼きなまし)はp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層を形成した後,反応容器内で行ってもよいし,ウエハーを反応容器から取り出してアニーリング専用の装置を用いて行ってもよい。アニーリング雰囲気は真空中,2,He,Ne,Ar等の不活性ガス,またはこれらの混合ガス雰囲気中で行い,最も好ましくは,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行う。なぜなら,窒素雰囲気として加圧することにより,アニーリング中に,窒化ガリウム系化合物半導体中のNが分解して出て行くのを防止する作用があるからである。」,「【0021】アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られる理由は以下のとおりであると推察される。【0022】即ち,窒化ガリウム系化合物半導体層の成長において,N源として,一般にNH3が用いられており,成長中にこのNH3が分解して原子状水素ができると考えられる。この原子状水素がアクセプター不純物としてドープされたMg,Zn等と結合することにより,Mg,Zn等のp型不純物がアクセプターとして働くのを妨げていると考えられる。このため,反応後のp型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体は高抵抗を示す。【0023】ところが,成長後アニーリングを行うことにより,Mg-H,Zn-H等の形で結合している水素が熱的に解離されて,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体層から出て行き,正常にp型不純物がアクセプターとして働くようになるため,低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体が得られるのである。従って,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用することは好ましくない。また,キャップ層においても,水素原子を含む材料を使用することは以上の理由で好ましくない。」との記載があることが認められる。これらの記載に前記()認定の事実を併せ考えると,本件発明は,アニーリングという技術手段を採用して,これにより,p型不純物をドープした窒化ガリウム系化合物半導体から水素を出すという作用が生じ,p型窒化ガリウム系化合物半導体が製造されるという効果が得られるというものである。そして,この場合のアニーリング雰囲気は,真空中,N2,He,Ne,Ar等の不活性ガス又はこれらの不活性ガスの混合ガス雰囲気中で行うのが好ましく,さらに,アニーリング温度における窒化ガリウム系化合物半導体の分解圧以上で加圧した窒素雰囲気中で行うのが最も好ましいとされる。これに対し,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したりキャップ層に水素原子を含む材料を使用することは,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型のための反応が進行せず,上記作用効果を奏しないことがあるので好ましくないとされるが,逆に,p型不純物に結合した水素原子を熱的に解離するというp型化のための反応が進行して,上記作用効果を奏することもあると考えられることから,アニーリング雰囲気中にNH3,H2等の水素原子を含むガスを使用したり,キャップ層に水素原子を含む材料を使用することが排除まではされていないということができる。
 そうであれば,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」とは,このような作用効果を奏するような雰囲気,言い換えれば,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するものと解するのが相当である。
() 被告は,次のように主張して,構成要件Bの「実質的に水素を含まない雰囲気」が通常の方法で除去することができない程度にしか水素を含まない雰囲気を意味するとする。
被告は,本件明細書の実施例におけるアニーリング雰囲気は窒素雰囲気又はアルゴンと窒素との混合ガス雰囲気であり,本件明細書中にアニーリング雰囲気中に水素を含むことを許容する記載はないと主張する。
 証拠(甲2の3)によれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,6の実施例が掲げられていて,そのうちの実施例1及び3ないし6では,窒素雰囲気中でアニーリングを行い,実施例2では窒素とアルゴンの混合ガス雰囲気中でアニーリングを行っていること(段落【0024】ないし【0041】)が認められる。しかしながら,実施例は発明の好ましい態様を開示したものであって,特許発明の技術的範囲が実施例に限定されるわけではないし,本件明細書の発明の詳細な説明の段落【0023】には,アニーリング雰囲気中に水素原子を含むガスを使用することが「好ましくない」と記載されているものの,水素を含む雰囲気中でのアニーリングが排除されていないことは,前示のとおりである。
 被告の上記主張は,採用することができない。
・・・
 () 被告方法は,1.3%のアンモニアを含む雰囲気中でアニーリングを行い,これにより,p型窒化ガリウム系化合物半導体を製造するのであって,アニーリング雰囲気中の1.3%のアンモニアから生じる水素原子は,窒化ガリウム系化合物半導体をp型化することを妨げていない。
 そうであるから,被告方法は,アニーリングにより低抵抗なp型窒化ガリウム系化合物半導体を得ることの妨げにならない程度にしか水素を含まない雰囲気中でアニーリングを行うものであって,本件発明の構成要件Bを充足する。」