2013年3月31日日曜日

進歩性否定の審決が、引用発明と本件発明との技術思想の相違を考慮していないとの理由で取り消された事例


知財高裁平成25年3月21日判決

平成24年(行ケ)第10241号 審決取消請求事件



1.概要

 本事例は、本件補正後の発明(医療用ゴム栓組成物)が刊行物1に対して進歩性を有していないと判断した審決が取り消された事例である。

 本件補正後の発明に係る医療用ゴム栓組成物の組成は、刊行物1に開示されている針刺し止栓の針刺部分組成物の組成を更に限定した組成といえる。

 本件補正発明は所定の構成によって、液漏れを生じないという効果を生じる。

 刊行物1に記載の針刺部分組成物は,当該組成物から得た針刺部分を針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形することが,液漏れのない針刺し止栓を得るために必要である。一方、本件補正発明の構成物は,ゴム栓組成物の成形物が針の針刺方向に撓ませて止栓本体と一体化して成形されていなくとも,特許請求の範囲で特定された組成及び硬さを有するものであれば,使用時に液漏れを生じないものとして発明されたものである。

 審決では刊行物1では組成物の組成以外の構成によって液漏れ防止を実現している事情を考慮せず、単に組成物の組成だけに着目し、刊行物1に開示された組成物の組成において、一部の成分の組成の範囲を最適化して本件補正後の発明に至ることとは当業者により容易であり、進歩性なしと結論付けた。

 これに対して知財高裁は、液漏れを防止するための技術思想が本件補正発明と刊行物1とで相違することを考慮すると、刊行物1の組成を最適化して本件補正発明の組成に至ることは容易とはいえないと判断した。

 

2.本件補正後の請求項1

「質量平均分子量が30万~50万であるスチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体100質量部に対して,軟化剤160~200質量部,ポリプロピレン15~40質量部を配合した組成物であって,該組成物のJIS 6253Aに規定する硬さが30~45であることを特徴とする医療用ゴム栓組成物。」

 

3.審決の理由の要点

 審決では、刊行物1での組成物の組成のみに着目して、以下の理由により本件補正発明は進歩性を有さないと判断した。

(1) 刊行物1(甲1)には,実質的に次の発明(引用発明)が記載されていることが認められる。「重量平均分子量が20万~40万であるスチレン・エチレン・ブチレン・スチレンブロック共重合体100部に対して,パラフィン系オイル50~300部,ポリオレフィン樹脂10~50部を配合した組成物であって,該組成物のJIS(DURO)のA硬度が20~70である医療用薬液用瓶若しくは袋の針刺し止栓の針刺部分。」

(2) 補正発明と引用発明との一致点と相違点は次のとおりである。

【一致点】

「スチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体に対して,軟化剤,ポリオレフィンを配合した組成物である医療用ゴム栓組成物。」

【相違点1】

スチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体の質量平均分子量が,補正発明は「30万~50万」であるのに対し,引用発明は「20万~40万」である点。

(3)相違点1について

 引用発明のスチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体の質量平均分子量は20万~40万であるが,補正発明のスチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体の質量平均分子量30万~50万とは,30万~40万の範囲で重複・一致している。そして,高分子材料の平均分子量が,その材料の物性値に影響することは当業者にとって自明であり,所望の性質を得るため,その分子量を適宜選択することは,数値範囲の最適化のための当業者の通常の創作能力の発揮である。また,引用発明においても,その質量平均分子量を,他の用途より大きい範囲に定めることを意図しているものである。さらに,補正発明の上記「30万~50万」という数値限定条件範囲において,補正発明が,格別に顕著かつ臨界的に優れた作用・効果を奏するものともいえない。

 

4.裁判所の判断のポイント

「補正発明の容易想到性について

(1) 刊行物1から認定すべき発明について

 刊行物1に記載された発明の構成は,前記のとおり,針刺部分を射出成形金型のキャビティ内に隙間を有して載置し,止栓本体の材料を射出成形金型と針刺部分とで区画された隙間を除いたキャビティに射出して成形した針刺し止栓であるところ,この針刺し止栓の針刺部分が補正発明に係る医療用ゴム栓組成物に相当する。そして,補正発明は,医療用ゴム栓組成物について,その組成と組成物の硬さを発明特定事項とするものであるから,刊行物1において補正発明と対比すべき発明は,刊行物1に記載された技術的事項から,針刺部分の組成及びその硬さについて抽出した「重量平均分子量で15万以上のスチレン・共役ジェンブロック共重合体の水素添加物であって前記共役ジェンがイソプレン及びブタジエンから選択される1種以上であるベースポリマー100部に対して,パラフィン系オイルを50~300部,及びポリオレフィン樹脂を10~50部配合した組成物であって,当該組成物のJIS(DURO)のA硬度が20~70である針刺し止栓の針刺部分組成物」となる。審決が認定した引用発明における「重量平均分子量が20万~40万であるスチレン・エチレン・ブチレン・スチレンブロック共重合体」は,上記認定の構成「重量平均分子量で15万以上のスチレン・共役ジェンブロック共重合体の水素添加物であって前記共役ジェンがイソプレン及びブタジエンから選択される1種以上であるベースポリマー」に包含されるものではあるが,前記のとおり,刊行物1に記載された発明が十分な液漏れ性能等の確保といった目的を達成するためには,止栓本体の成形時に針刺部分を針の針刺方向に撓ませて成形されたものであることが必要と解されるのに対し,補正発明では針刺部分を撓ませることは前提とされていないという点で技術思想が異なるものであり,このような差違を考慮しないまま上記認定の構成に包含されるからといって,その中の特定の構成を引用発明として認定するのは相当ではない。原告主張の取消事由もこの趣旨をいうものと理解することができる。

(2) 補正発明と刊行物1に記載の構成物の対比

 刊行物1に記載されているのは,医療用薬液を封入した薬液用瓶若しくは袋に使用する針刺し止栓(甲1の段落【0001】)の針刺部分組成物であり,そこにおける実施例では,スチレン系エラストマー,パラフィン系オイル,及びポリオレフィン樹脂のコンパウンドをエラストマー(弾性体)と称していることから,ベースポリマー,パラフィン系オイル,及びポリオレフィン樹脂を配合した組成物である針刺部分の材料は,ゴム状であると解される。そうすると,補正発明の医療用ゴム栓組成物に対比されるべき発明は,刊行物1における針刺し止栓の針刺部分組成物に相当する。

 そして,補正発明の医療用ゴム栓組成物は,質量平均分子量が30万~50万であるスチレン-エチレン・ブチレン-スチレンブロック共重合体をベースポリマーとする組成物であるのに対し,刊行物1における上記ベースポリマーは,重量平均分子量で15万以上のスチレン・共役ジェンブロック共重合体の水素添加物であって共役ジェンがイソプレン及びブタジエンから選択される1種以上のものであるから,両者は少なくともベースポリマーの成分で相違する部分がある。

(3) 相違点についての判断

 前記のとおり,刊行物1に記載の針刺部分組成物は,当該組成物から得た針刺部分を針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形することが,液漏れのない針刺し止栓を得るために必要であるのに対し,補正発明の構成物は,ゴム栓組成物の成形物が針の針刺方向に撓ませて止栓本体と一体化して成形されていなくとも,特許請求の範囲で特定された組成及び硬さを有するものであれば,使用時に液漏れを生じないものとして発明されたものである。具体的には,本願明細書で実施例1ないし3及び比較例1ないし5として記載された8種のゴム栓組成物は,いずれも刊行物1において補正発明と対比すべき発明に係る針刺し止栓の針刺部分の組成及び硬さを満たすものであるところ,刊行物1の記載によれば,これら8種の組成物を使用して製造した針刺部分は,これを針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形する構成を伴うことにより,液漏れが生じない針刺し止栓を得ることができる。一方,本願明細書の記載によれば,これら8種の組成物の中で,実施例として記載の3種の組成物,ひいては特許請求の範囲に記載されたベースポリマーの種類及び分子量,軟化剤及びポリプロピレンの配合量,並びに硬さに特定された組成物のみが,針刺部分を針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形するという手法を用いなくとも,液漏れのない医療用ゴム栓を得ることができるというものである。そうすると,補正発明は,当裁判所が認定した刊行物1に記載の上記組成物におけるベースポリマーの種類及び分子量,軟化剤及びポリプロピレンの配合量,並びに組成物の硬さを特定の範囲に限定することにより,針刺部分を針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形するという手法を用いなくとも,液漏れのない医療用ゴム栓を得ることができる効果を見出したものということができる。そして,針刺部分を針の針刺方向に撓ませて針刺し止栓を成形することを液漏れのない針刺し止栓を得るために必要とする刊行物1記載の針刺部分組成物のベースポリマーの種類及び分子量,パラフィン系オイル及びポリオレフィンの配合量,並びに硬さの範囲の中から,針刺部分を針の針刺方向に撓ませることが不要な特定の組成を見出すという発想は,刊行物1の記載から見出すことができず,刊行物1に記載の事項と補正発明とでは前提とする技術的思想が異なるものである。すなわち,補正発明の構成は,前記の技術的課題からの発想に伴うものであり,そのような発想である技術的思想が上記のとおり刊行物1には記載も示唆もない以上,そのような発想と離れた組成物が刊行物1に記載されているとしても,そこに,補正発明の構成が容易想到であると認めるまでの発明としての構成が記載されているということはできない。

 審決は,補正発明の技術的課題と刊行物1に記載の技術的課題の対比を誤り,補正発明と対比すべき技術的思想がないのに刊行物1に記載の事項を漫然と抽出して補正発明と対比すべき引用発明として認定した誤りがあり,ひいては補正発明を刊行物1に記載の引用発明から容易に想到しうるものと誤って判断したものというべきである。