2012年11月6日火曜日

化学発明におけるサポート要件違反の審決が取り消された事例

知財高裁平成24年10月29日判決
平成24年(行ケ)第10076号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、サポート要件違反を指摘する審決を知財高裁が取り消した事例である。
 本願発明に係る組成物は、不純物である3種の単環ヒンダードフェノール化合物が従来の組成物よりも少ないことを特徴としている。この不純物は酸化安定性が低く、油溶解性が低く、揮発性が高く、生物蓄積性が高いという不利な点があることは従来公知。本願発明ではこの成分を減らすことでこれらの不利益を解消する。
 審決ではこの効果を実際に確認した実験結果が記載されていないのでサポート要件違反とした。
 裁判所は、効果は実験結果がなくても予測可能であり、なおかつ、実際に製造されていないことは実施可能要件違反の問題であってサポート要件違反とは無関係であるとして、審決を取り消した。
 化学分野の発明では一般的に効果の予測が困難であるといわれる。このため効果が実験により裏づけられていないことを理由にサポート要件違反とされがちである。しかし、本願のように効果が当業者に予測可能なこともある。そのような場合に本事例の判断は参考になる。進歩性要件違反の問題としても議論されるべきであろう。
 更に裁判所は、解決課題として挙げられている課題が複数ある場合、すべての課題が解決されることまで明細書中で開示することは求められない、と指摘する。解決しようとする課題の部分は最低限達成される課題のみ記載することが一般的に推奨されるが、仮に複数の課題を記載した場合でも、本事例のような判断がなされる可能性がある。

2.本願発明(請求項1)
「化合物の混合物を含んで成るヒンダードフェノール性酸化防止剤組成物であって,該化合物の混合物が式
【化1】(省略)
の複数の化合物を含んで成り;そして組成物が非希釈基準で,
(a)3.0 重量%未満のオルソ-tert-ブチルフェノール,
(b)3.0 重量%未満の2,6--tert-ブチルフェノール,および
(c)50ppm 未満の2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノールを含む,
上記組成物。」

 「化1」の化合物は多環ヒンダードフェノールの一種である。この多環ヒンダードフェノールは、原料として、オルソ-tert-ブチルフェノール(OTBP)2,6--tert-ブチルフェノール(DTBP)とを用いる反応により製造される。一般的なOTBPDTBPは不純物として2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノール(TTBP)を含む。OTBPDTBPTTBPはいずれも単環ヒンダードフェノールである。
 単環ヒンダードフェノールであるOTBPDTBPTTBPは、多環ヒンダードフェノールと比較して水溶性が高く、油溶性が低く、揮発性が高いである。多環ヒンダードフェノールは単環ヒンダードフェノールよりも潤滑油などで用いられる酸化防止剤として好ましいことは従来公知であった。
 従来の一般的なOTBPDTBPを用いて多環ヒンダードフェノールを製造すると、OTBPDTBPTTBPが相当量残存するという課題があった。本願発明では、OTBPDTBPとして、TTBPの混入量が10ppm未満という微量である「超高純度OTBP」、「超高純度DTBP」を用いることで、製品である多環ヒンダードフェノールにおけるOTBPDTBPTTBPを上記(a), (b), (c) のように低濃度にすることを特徴とする。この組成物は、従来の多環ヒンダードフェノールと比べて「向上した酸化安定性、向上した油溶解性、低い揮発性および低い生物蓄積性」を有するというのが明細書の開示事項である。
 ただし明細書中には実際にこの組成物を製造し、上記の効果を奏することを確認した例は記載されていない。また、「超高純度OTBP」、「超高純度DTBP」の入手方法なども開示されていない。

3.審決の理由の要点
発明の詳細な説明には,本願発明の組成物を具体的に製造し,その酸化安定性,油溶解性,揮発性及び生物蓄積性について確認し,上記課題を解決できることを確認した例は記載されていないから,本願発明が,発明の詳細な説明の記載により,上記課題を解決できると認識できるものとはいえない。
 また,従来のヒンダードフェノール系酸化防止剤よりも低レベルの単環ヒンダードフェノール化合物,すなわち,「(a)3.0 重量%未満のオルソ-tert-ブチルフェノール,(b)3.0 重量%未満の2,6--tert-ブチルフェノール,および (c)50ppm未満の2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノールを含む」ことにより,「酸化安定性,油溶解性,揮発性及び生物蓄積性」が改良されることが,当業者であれば,出願時の技術常識に照らし認識できるといえる根拠も見あたらない。そうすると,具体的に確認した例がなくとも,当業者が出願時の技術常識に照らし,本願発明の課題を解決できると認識できるとはいえない。
 本願発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められないし,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められないから,この出願の特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項1号に適合しない。」

4.裁判所の判断のポイント
「2 本願明細書の発明の詳細な説明における課題解決の記載
 発明の詳細な説明には,「これらの単環ヒンダードフェノール化合物は水溶性であり,そして多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤よりも揮発性である。多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤はそのより高い分子量により,水溶性が一層低く,しかも揮発性が低い。」(段落【0008】)と記載されているが,この記載は,単環フェノールがメチレン架橋化多環フェノールよりも,より揮発性であり,より水溶性であり,油溶解性が低いという当業者の技術常識に沿った記載である。また,発明の詳細な説明には,「低揮発性成分は,潤滑剤の使用期間中に蒸発により失われないのでより効果的な酸化防止剤である。それゆえにそれら(判決注:酸化防止剤組成物のこと)は潤滑剤中に留まり,潤滑剤を…酸化の悪影響から保護する。」(段落【0022】)と記載されているところ,酸化防止作用を示す成分が揮発することによって減少すれば,組成物の酸化防止能も減少するので,組成物中の揮発性の成分の量を減らすことにより組成物の酸化防止能が向上することも,当業者の技術常識に沿った記載である。
 このように,発明の詳細な説明には,非常に低レベルのOTBP,DTBP及びTTBPの単環ヒンダードフェノール化合物を含有することによって,従来のメチレン架橋化多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤組成物よりも向上した油溶解性を有する組成物を得ることができ,また,低い揮発性を有し,その結果,向上した酸化安定性を有する組成物を得ることができる点が記載されているということができるから,発明の詳細な説明の記載から,本願発明の構成を採用することにより本願発明の課題が解決できると当業者は認識することができる。
 したがって,発明の詳細な説明は,請求項1に係る発明について,その発明の課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものとして記載されているということができるから,請求項1に係る発明は発明の詳細に記載されているということができる。これとは異なるサポート要件に関する審決の判断には誤りがある。
3 被告の主張に対する個別的判断
・・・
(2) 被告は,発明の詳細な説明には,向上した酸化安定性及び低い生物蓄積性という課題を達成し得ることの技術的裏付けが記載されておらず,また,向上した酸化安定性及び低い生物蓄積性の課題を達成し得ることが技術常識により当然に予想できるとする技術的根拠も記載されていないと主張する。
 しかし,技術常識を参酌して発明の詳細な説明の記載をみた当業者が,本願発明の構成を採用することにより,向上した酸化安定性という本願発明の課題が解決できると認識できることは前記のとおりである。
 また,発明の詳細な説明には,生物蓄積性についての課題が解決できることを示す記載はない。しかし,発明の詳細な説明の記載から,本願発明についての複数の課題を把握することができる場合,当該発明におけるその課題の重要性を問わず,発明の詳細な説明の記載から把握できる複数の課題のすべてが解決されると認識できなければ,サポート要件を満たさないとするのは相当でない。
(3) 被告は,本件出願時の技術常識を考慮すると,0~10ppm のトリ-tert-ブチルフェノールの混入物を含むDTBP単量体,すなわち本願発明の原料成分を入手することは困難なものであったから,該DTBP単量体の具体的入手手段について何ら明らかにされていない発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明の組成物を具体的に製造できるとは到底いえないとか,本願発明の組成物の具体的な製造を確認した例は記載されておらず,これらが技術常識により当然に予想できるとする技術的根拠も記載されていないのであるから,「特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明」であるということはできないと主張する。
 しかし,発明の詳細な説明の記載と出願時の技術常識からは本願発明に係る組成物を製造することはできないというのであれば,これは特許法36条4項1号(実施可能要件)の問題として扱うべきものである。審決は,本件出願が特許法36条6項1号(サポート要件)に規定する要件を満たしていないことを根拠に拒絶の査定を維持し,請求不成立との結論を出したものであるから,被告の上記主張は,審決の判断を是認するものとしては採用することができない。なお,被告は本願発明の具体的な製造を確認した例の記載はないと主張するが,サポート要件が充足されるには,具体的な製造の確認例が発明の詳細な説明に記載されていることまでの必要はない。