2012年5月19日土曜日

明細書中での効果の開示の程度と進歩性との関係が議論された事例

知財高裁平成24年5月7日判決
平成23年(行ケ)第10091号 審決取消請求事件

1.概要
 引用発明に対する進歩性に関して引用発明との相違点が本願発明では有利な効果をもたらすことを強調する場合に、実験結果等の裏づけが明細書中に開示されていることが必要となる場合がある。
 本事例では無効審判審決において進歩性が認められ特許は維持された。これに対して知財高裁は、明細書中に効果を具体的に確認した記述がないことを理由として進歩性を否定する結論を下した。

2.本件発明1
「混合物中に,活性成分として,〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸 半-カルシウム塩および,少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定性によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物。」
(注:〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フェニルアミノ)カルボニル)-1H-ピロール-1-ヘプタン酸」を「CI-981」ということがある。「半-カルシウム塩」,「半カルシウム塩」,「半カルシウム」及び「ヘミカルシウム塩」は同義である。)

3.先行技術との関係
ア 甲1発明
「HMG-CoAレダクターゼ抑制であるプラバスタチン,及び,酸化マグネシウム及び水酸化マグネシウム等の塩基性化剤を含有する安定性良好な医薬組成物。」
イ 本件発明1と甲1発明との一致点
「活性成分として,HMG-CoAレダクターゼ抑制剤および少なくとも1種の医薬的に許容し得る塩基性の安定化金属塩添加剤を含有する改善された安定化によって特徴づけられる高コレステロール血症または高脂質血症の経口治療用の医薬組成物」という点
ウ 本件発明1と甲1発明との相違点
「使用するHMG-CoAレダクターゼ抑制剤が,本件発明1はCI-981半カルシウム塩であるのに対して,甲1発明はプラバスタチンである点。」
エ 甲2発明
「HMG-CoAレダクターゼを抑制し,高コレステロール血症の治療に用いられる薬剤として〔R-(R*,R*)〕-2-(4-フルオロフェニル)-β,δ-ジヒドロキシ-5-(1-メチルエチル)-3-フェニル-4-〔(フエニルアミノ)カルボニル〕-1H-ピロール-1-ヘプタン酸ヘミカルシウム塩」
ただし、甲2には、開環型である、本件発明1で用いられるCI-981ヒドロキシカルボン酸塩だけが掲示されているわけではなく、閉環型であるCI-981ラクトン体も同様に使用可能であることが開示されている。
オ.争点
甲1発明の有効成分を、甲2発明に言及されているCI-981半カルシウム塩に置換すすることにより本願発明を完成させることが容易であるか否か。

4.審決の判断
「甲第2号証公報の明細書におけるその他の,開環型の化合物又はラクトン型の化合物の何れかに言及した記載・・・(略)・・・をつぶさに検討しても,全て並列的或いは同等なものとして記載しており,どちらのタイプがより好ましいとか有利であるとかといった示唆を読み取ることはできないものである。
 したがって,甲第2号証の記載からは,開環型の形態とすることについて何らかの示唆がなされているとすることはできないものである。」

5.裁判所の判断のポイント
「このように,本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が「もっとも好ましい化合物」として記載されている。そして,他にも,CI-981半カルシウム塩が有利な化合物であるかについての本件明細書の記載として,「特に重要な化合物」(第10欄39~43行)であり,「もっとも好ましい活性な化学成分」(第19欄44~46行)であるという抽象的な記載があるものの,開環型であるCI-981半カルシウム塩とラクトン型とを比較して,開環型の方が何らかの有利な効果を有するものであることを具体的に明らかにしているわけではなく,逆に「実際に,塩形態の使用は,酸またはラクトン形態の使用に等しい。」(第16欄3~4行)との記載もあるところである。」
「・・・審決が判断の前提としたように,CI-981半カルシウム塩がラクトン体に比べて有利な化合物であり,そのことは本件発明において見出された,と評価することはできないのであり,本件発明1は,単に「最も好ましい態様」としてCI-981半カルシウム塩を安定化するものと認めるべきである。
 したがって,甲1発明との相違点判断の前提として審決がした開環ヒドロキシカルボン酸の形態におけるCI-981半カルシウム塩についての認定は,本件発明1においても,また甲2に記載された技術的事項においても,硬直にすぎるということができる。この形態において本件発明1と甲2に記載された技術的事項は実質的に相違するものではなく,この技術的事項を,甲1発明との相違点に関する本件発明1の構成を適用することの可否について前提とした審決の認定は誤りであって,甲1発明との相違点の容易想到性判断の前提において,結論に影響する認定の誤りがあるというべきである。
5 被告の主張について
 被告は,本件発明1のCI-981半カルシウム塩は,塩の形態のヒドロキシ酸部分のほかピロール環,アミド結合等を有しており,その不安定性を構造のみから予測することは困難であり,この化合物が,熱,湿気,および光による不安定化,製剤中の他の成分の分子部分と接触することによる不安定化など種々の不安定化要因を抱えていることは,実験してみなければ知り得ないことであり,この課題は,CI-981半カルシウム塩を製剤化する上での問題点として,本件明細書により初めて明らかにされたものであり,出願時に公知の課題として存在していたものではなかったと主張する。しかし,本件明細書には,実施例4~7として,CI-981半カルシウム塩製剤を45℃又は60℃で2週間および4週間貯蔵した後の薬剤残留%について測定した実験について記載されているものの,この実験における薬剤の喪失が具体的にいかなる原因や化学変化によるものであるかの解析,すなわち,熱,湿気,光,製剤中の他の成分の分子部分との接触など種々の要因による不安定化のそれぞれの要因ごとに,本件発明の「安定化金属塩添加剤」なる成分がどのように働いて安定化するかについての具体的な検討は,されていない。したがって,被告の上記主張は本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。被告は,CI-981について臨床試験中という事実が存在しても,CI-981が医薬として製剤化する対象となりうるかどうかは全く不確定な状態にあるから,「治験薬物として使用されたこと」が直ちに「製剤化する場合の原薬として好ましい形態」として開発対象となるとはいえないとか,CI-981開環体あるいはCI-981半カルシウム塩が臨床試験中という事実を知り得たとしても,当業者はその形態をすぐさま製剤原薬として採用し,かつ,安定化された経口治療用医薬組成物を製造しようとすることを動機づけられるものではないと主張する。これらの主張が成立するためには,本件発明の医薬組成物に含まれるCI-981半カルシウム塩が,特にこれを選んで製剤化対象とする程度に,ラクトン体のような他の形態の化合物と比較して医薬として優れていることが本件明細書において具体的に確認されていることが前提として必要となる。しかし本件明細書には,CI-981半カルシウム塩が他の形態と比較して優れているかについて具体的な記載はなく,ただ抽象的に「好ましい」などと記載されているにすぎない。したがって,被告のこの主張は,本件明細書の記載に裏付けられたものではなく,理由がない。」