2012年12月24日月曜日

サポート要件違反を解消するために追加提出された実験データが考慮された事例

知財高裁平成24年12月13日判決
平成23年(行ケ)第10339号 審決取消請求事件

1.概要
 サポート要件違反の拒絶理由・無効理由が指摘されたときに、拒絶解消を目的に事後的に実験データを追加することは原則として認められない。しかしながら本事例では、発明の詳細な説明に基づき「当業者が予測できるような効果を確認する」ことを目的とする実験データ(乙1および乙3)の提出は、発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足するものではないため許容されると判断された。そして裁判所は、この実験データも考慮してサポート要件違反の問題はないと結論付けた。

2.裁判所の判断のポイント
原告は,出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって,明細書のサポート要件に適合させることは許されない旨を主張し,また,後から実験データを提出しなければサポート要件を満たしているか否かを判断することができない程度の特許請求の範囲の記載は,そもそもサポート要件を満たしているとはいえないと主張するので,以下に検討する。
a 乙1について
 乙1に示されたデータは,本件特許発明1が特定するコハク酸の添加量の上限値(遊離のコハク酸換算で1質量%)付近の結果を補足するもの(遊離のコハク酸換算で0.93質量%,コハク酸二ナトリウムとして1.30質量%のもの)である。
 ところで,本件明細書の表1によれば,試験品1-5~同1-8(カリウム含有量は2.34質量%と一定で,コハク酸二ナトリウムは0.05~2.0質量%と変化)についての,塩化カリウム及びコハク酸二ナトリウムが添加されていない減塩醤油A(試験品1-1)を対照とした2点識別試験法による塩味の評価は,対照と比べて試験品の方が塩味が強いとした人数が,いずれの試験品も20人中18人であったことが示されている。この結果から,減塩醤油にカリウムが配合されている場合には塩味の増強が認められ,コハク酸の添加量の相違による塩味の増強の程度は,カリウムに比べて極めて小さいと理解できる。また,これら試験品についての苦味に関する2点識別試験法の結果も,対照と比べて試験品の方が苦味が強いとした人数が20人中9又は10人であったこと示されている。この結果から,減塩醤油に添加されたカリウムの苦味の影響は,コハク酸を添加することにより相当程度解消され,その程度は本件特許発明1で特定されたコハク酸の添加量にほとんど影響されないと理解できる。
 このように,本件明細書の発明の詳細な説明には,食塩含有量の低減にもかかわらず塩味のある液体調味料を提供でき,かつ,本件特許発明1で特定された含有量のコハク酸を添加することにより,添加カリウムの苦味の影響を改善するという本件特許発明1の課題が解決できると認識できる記載があることから,乙1に示された結果は,発明の詳細な説明の記載を裏付けるものであって,原告主張のように発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足するものではない。よって,原告の主張は失当である。
b 乙3について
 乙3に示されたデータは,上記のとおり,本件特許発明1が特定する食塩の添加量の下限値(7質量%)付近の結果を補足するものである。
 本件明細書の発明の詳細な説明には,「本発明者は,食塩含有量を9質量%以下にしても塩味を感じさせる手段について検討してきた結果,食塩含有量を9質量%以下と低くし,かつカリウムを0.5~4.2質量%とした系で,特定の風味改良成分を含有させることにより,塩味がより強く感じられ,味の良好な液体調味料が得られることを見出した」(【0008】)と記載されているところ,カリウムが食塩の塩味を代替する成分であるという技術常識を参酌すれば,当業者は上記記載を理解するものと認められる。すなわち,発明の詳細な説明には,本件特許発明1が特定する食塩の添加量の下限値付近であっても,カリウム及び特定の風味改良成分であるコハク酸を配合することにより,本件特許発明1の課題が解決できると認識できる記載があることから,乙3に示された結果は,発明の詳細な説明の記載を裏付けるものであって(当業者が予測できるような効果を確認するものといえる。),原告主張のように発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足するものではない。よって,原告の主張は失当である。

2012年12月17日月曜日

結晶形態に特徴がある公知化合物の進歩性が争われた事例


知財高裁平成24年11月21日判決

平成24年(行ケ)第10098号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本件発明は,結晶形態を特定するためのX-線粉末回折パターン(本件発明1)や13C核磁気共鳴スペクトル(本件発明2)で特定される結晶性形態のアトルバスタチン水和物である。

 引用例では、結晶形態の結晶形態のアトルバスタチンが開示されているものの、本件発明のように結晶形態が特定されていない。

 進歩性が争われ、裁判所は進歩性なしと判断した。格別の効果が認められる場合や、結晶化を阻害するような特別な事情がある場合などを除いて、結晶化することが知られている公知化合物の新規結晶形態は進歩性が否定されることが多いように思われる。

 

2.裁判所の判断のポイント

「相違点に係る判断の誤りについて

・・・本件優先日当時,一般に,医薬化合物については,安定性,純度,扱いやすさ等の観点において結晶性の物質が優れていることから,非結晶性の物質を結晶化することについては強い動機付けがあり,結晶化条件を検討したり,結晶多形を調べることは,当業者がごく普通に行うことであるものと認められる。

 そして,前記(1)のとおり,引用例には,アトルバスタチンを結晶化したことが記載されているから,引用例に開示されたアトルバスタチンの結晶について,当業者が結晶化条件を検討したり,得られた結晶について分析することには,十分な動機付けを認めることができる。

 この点について,被告は,結晶を取得しようとする一般的な意味での動機付けは,具体的な結晶多形に係る発明に想到するための動機付けとは異なるのであって,およそ医薬において結晶の使用が好ましいことに基づいて動機付けを判断すると,結晶多形に係る特許は成立する余地はないと主張する。

 しかしながら,結晶を取得しようとする動機付けに基づいて結晶化条件を検討し,結晶多形を調査することにより,具体的な結晶多形に想到し得るものであるから,具体的な結晶多形を想定した動機付けまでもが常に必要となるものではない。

水を含む系による再結晶化の示唆について

・・・本件優先日前から,医薬化合物の結晶として水和物結晶が望まれており,非結晶の物質について,水を含む系から水和物として結晶させることを試みることは,当業者にとって通常なし得ることであったというべきである。

 したがって,引用例に開示されたアトルバスタチンの結晶について,水を含む溶媒を用いた水和物として結晶を得ることを試みることは,当業者がごく普通に行うことであるというべきである。

・・・

本件発明の効果について

() 濾過性及び乾燥性について

 化学物質の結晶,特に結晶多形の研究の重要性を指摘する文献(甲62。平成元年8月発行)には,一般に,単離,精製,乾燥及びバッチプロセスにおいて,結晶性製品は,取扱や製剤が最も容易であることが記載されている。

 したがって,一般に,結晶は,無定形と比較して,優れた濾過性及び乾燥性を有することは,本件優先日前から当業者に周知であったということができる。

 前記1(3)イのとおり,本件明細書には,結晶性形態のスラリー50mの濾過は10秒以内に完了したが,無定形のアトルバスタチンの場合,1時間以上が必要であった旨が記載されているところ,結晶スラリーの濾過性は,含まれる結晶の形態のみならず,大きさ(粒度)やその分布にも依存することは明らかであって,本件明細書の上記記載から,結晶性形態Iの濾過性及び乾燥性が,結晶として通常予測し得る範囲を超えるほど顕著なものであるとまで認めることはできない。

・・・

() 安定性について

 前記のとおり,結晶が無定形よりも安定性を有することは,当業者の技術常識であるということができる。本件明細書には,結晶性形態Iは,無定形の生成物よりも純粋で安定性を有する旨が記載されているが,当該記載の裏付けとして提出された各種データ(甲19,20)を考慮したとしても,なお結晶性形態Iの安定性が,通常の結晶から予測し得る範囲を超える顕著なものであるとまで認めることはできない。

訂正が新規事項追加に該当すると判断された事例

知財高裁平成24年11月14日判決
平成23年(行ケ)第10431号 審決取消請求事件

1.概要
 無効審判における訂正が新規事項追加に該当するか否かが争われた。審決は新規事項追加に該当しないと判断したが、知財高裁は新規事項追加に該当すると判断し審決を取り消した。
 問題となった訂正は実施例に開示された具体的な下位概念への減縮のように見えるため審決の判断は妥当であるようにも思われる。しかし裁判所は明細書中の一般的な記載は限定訂正後の構成が必須であることを意味しないことと、訂正後のクレームの構成と実施例とが機能上等価であるとはいえないことを理由に新規事項に該当すると判断した。

2.訂正の内容(下線部が訂正により追加された)
 表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなることを特徴とする液晶用スペーサーであって,かつ,前記長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上は,ラウリルメタクリレート又はステアリルメタクリレートを含み,前記他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上は,メチルメタクリレートを含み,前記グラフト共重合体鎖の前記導入は,表面に前記グラフト共重合体鎖が導入されていない重合体粒子に,前記長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上と前記他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上をグラフト重合するものである,前記液晶用スペーサー

訂正事項1:「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について,「前記長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上は,ラウリルメタクリレート又はステアリルメタクリレートを含み,」と訂正した

訂正事項2:「他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について,さらに,「前記他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上は,メチルメタクリレートを含み,」と訂正した

3.明細書の開示
【0011】「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体としては,炭素数が6以上の長鎖アルキル基を有するものが好ましく,炭素数12以上の長鎖アルキル基を有するものが特に好ましい。このような長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体としては,例えば・・・・ステアリルアクリレート,ラウリルアクリレート,・・・等がある。・・・(【0011】)。」
【0007】「官能基を有する重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体としては,例えば・・・・メチルメタクリレート・・・等のビニルエーテル類・・・などがあるが,これらの例示された単量体に限定されるものではない。・・・(【0007】)。」
【0024】実施例10(重合体粒子表面に長鎖アルキル基を含むグラフト共重合体鎖の導入)実施例5及び6により製造した表面に重合性ビニル基を有する重合体粒子E,F,G,Hのそれぞれ10gに対し,メチルエチルケトン200g,メチルメタクリレート50g,N-ラウリルメタクリレート50g,ベンゾイルパーオキサイド0.5gを一括に仕込み,重合開始剤開裂温度まで昇温し,窒素気流下で2時間グラフト重合反応を行い,長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖を重合体粒子表面に導入したスペーサー試料E-1,F-1,G-1,H-1を得た。
0025】実施例11(重合体粒子表面に長鎖アルキル基を含むグラフト共重合体鎖の導入)実施例7及び8により製造された表面にアゾ基を有する重合体粒子I,Jのそれぞれ10gに対し,トルエン200g,メチルメタクリレート20g,2-ヒドロキシブチルメタクリレート20g,ステアリルメタクリレート60gを一括に仕込み,重合開始剤開裂温度まで昇温し,窒素気流下で3時間グラフト重合反応を行い,長鎖アルキル基を有するグラフト共重合体鎖を重合体粒子表面に導入したスペーサー試料I-1,J-1を得た。

4.審決の判断
「訂正事項1について
 訂正事項1は、訂正前の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について、ラウリルメタクリレート又はステアリルメタクリレートを含むものに減縮する訂正であり、特許請求の範囲の減縮を目的とするものと認められる。
 この点について、請求人は、平成23年10月11日提出の弁駁書において、長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体にラウリルメタクリレート又はステアリルメタクリレートが含まれることは明らかであるから、自明なことをいっているだけであり、この訂正によって訂正前の発明特定事項は何ら限定されておらず、特許請求の範囲を減縮することにならない旨の主張をしているが、訂正事項1は、上記のとおり、訂正前の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について、ラウリルメタクリレート又はステアリルメタクリレートを含むものに限定する訂正であるから、特許請求の範囲を減縮するものであることは明らかであり、請求人の主張は採用できない。
 そして、訂正の根拠は、訂正前の段落【0011】に、ラウリルメククリレート、ステアリルメタクリレートを含む各種の長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体が例示、説明されていることに加えて、さらに具体的に、実施例10(段落【0024】)においてN-ラウリルメタクリレートが用いられ、また、実施例11(段落【0025】)においてステアリルメタクリレートが用いられていること等に基づくものと認められる。
訂正事項2について
 訂正事項2は、訂正前の「他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について、メチルメタクリレートを含むものに減縮する訂正であり、特許請求の範囲の減縮を目的とするものと認められる。
 これについて、請求人は、上記訂正事項1についての主張と同様の特許請求の範囲を減縮するものでない旨の主張をしているが、訂正事項2は、訂正前の「他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」について、メチルメタクリレートを含むものに限定する訂正であるから、特許請求の範囲の減縮を目的とするものであることは明らかであって、請求人の主張は採用できない。
 そして、訂正の根拠は、訂正前の段落【0011】に、「他の重合性ビニル単量体としては、重合体粒子の製造に使用される重合性ビニル単量体と同様なものが使用される。」と記載されるとともに、訂正前の段落【0007】に、重合性ビニル単量体としてメチルメタクリレートが挙げられ、さらに具体的には、実施例10、11及び13(段落【0024】、【0025】、段落【0027】)においてグラフト共重合体鎖に上記「他の重合性ビニル単量体」に該当するメチルメタクリレートが含まれていること等に基づくものと認められる。」

5.裁判所の判断
(2) 訂正事項1及び2について
 ・・・同法134条の2第5項が準用する同法126条3項は,「第1項の明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正は,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面・・・に記載した事項の範囲内においてしなければならない。」と規定しているところ,ここでいう「明細書又は図面に記載した事項」とは,当業者によって,明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,訂正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
イ 本件明細書の前記(1)()及び()の記載によれば,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」の具体例として,ラウリルメタクリレート及びステアリルメタクリレートが,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」の具体例として,メチルメタクリレートが,多種類の化合物とともに羅列して列挙されていたということができる。
 また,本件明細書には,実施例1ないし13並びに比較例1及び2が記載されているところ,前記(1)()の記載によれば,実施例10として,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」であるラウリルメタクリレートと,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」であるメチルメタクリレートとからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサーが,前記(1)()の記載によれば,実施例11として,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の一種または二種以上」であるステアリルメタクリレートと,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の一種または二種以上」であるメチルメタクリレート及び2-ヒドロキシブチルメタクリレートとからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなる液晶用スペーサーが,それぞれ開示されていたものというこ

審決において周知技術文献を新たに引用することが適法とされた事例


知財高裁平成24年11月21日判決

平成24年(行ケ)第10098号 審決取消請求事件

 

1.概要

 審決において新たな文献が引用されることが適法な場合と違法な場合がある。

 本事例では、審決で初めて引用された新たな文献に基づいて拒絶理由の通知をしなかったことが出願人の意見書提出及び補正の機会を奪う結果となるとはいえない、と判断され、審決は適法であるとされた。

 

2.裁判所の判断のポイント

「取消事由3(手続違背)について

(1) 特許法159条,50条について

 特許法159条2項が準用する同法50条は,拒絶査定不服審判において査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合には,拒絶の理由を通知し,相当の期間を指定して,意見書を提出する機会を与えなければならない旨を規定する。その趣旨は,審判官が新たな事由により出願を拒絶すべき旨の判断をしようとするときは,出願人に対してその理由を通知することによって,意見書の提出及び補正の機会を与えることにあるから,拒絶査定不服審判手続において拒絶理由を通知しないことが手続上違法となるか否かは,手続の過程,拒絶の理由の内容等に照らして,拒絶理由の通知をしなかったことが出願人の上記の機会を奪う結果となるか否かの観点から判断すべきである。

(2) 本件における手続違背の有無

 原告は,本件審決が,相違点5について,審査段階の拒絶理由通知において周知例1及び2を引用しなかったにもかかわらず,審決において初めて引用発明に周知技術を適用して,当該相違点が当業者に容易に発明することができたと判断したことが違法であると主張する。

 しかしながら,上記周知技術を採用した場合に,表示モードの切替えの際に,注目しているデータアイテムが失われることがないという作用効果を奏することは,当業者に自明のことにすぎない。

 そうすると,本件審決において上記周知技術を示したとしても,新たな事由により出願を拒絶すべきと判断したことにはならず,そのことが当業者である出願人に対し不意打ちになるということはできないから,本件の拒絶査定不服審判手続において改めて拒絶理由を通知しなかったとしても,原告にとって意見書の提出や補正の機会が奪われたということはできない。

2012年11月28日水曜日

サポート要件の趣旨が判断された事例

知財高裁平成24年11月7日判決
平成23年(行ケ)第10235号 審決取消請求事件

1.概要
 本事例は、サポート要件を満足するためにはクレーム発明が、発明の詳細な説明の記載に基づき問う業者が発明の課題を解決できると当業者が認識できるものである必要がある、というパラメータ特許事件判決(知財高裁平成17年(行ケ)第10042号平成17年11月11日判決)の考え方を支持する。本事例に係る特許はパラメータ等の特殊な方式で規定された発明ではない。

2.裁判所の判断のポイント
(1) 本件特許は,平成12年11月29日出願に係るものであるから,法36条6項1号が適用されるところ,同号には,特許請求の範囲の記載は,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」でなければならない旨が規定されている(サポート要件)。
 特許制度は,発明を公開させることを前提に,当該発明に特許を付与して,一定期間その発明を業として独占的,排他的に実施することを保障し,もって,発明を奨励し,産業の発達に寄与することを目的とするものである。そして,ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は,本来,当該発明の技術内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから,特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。法36条6項1号の規定する明細書のサポート要件が,特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは,発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると,公開されていない発明について独占的,排他的な権利が発生することになり,一般公衆からその自由利用の利益を奪い,ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ,上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。
 そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるか否かを検討して判断すべきものである。

2012年11月19日月曜日

「一般的な課題」+「周知技術の適用」の進歩性拒絶に対する反論のために参考になる最近の事例


進歩性の拒絶理由において、主引用発明に対する相違点に係る出願発明の特徴点が、一般的で自明な課題を解決する手段に過ぎないと認定され、当該課題を解決する手段として別の文献に記載の周知技術を採用することは容易であると指摘される場合がある。

 このような場合でも、主引用発明に対する相違点に係る出願発明の特徴点が、具体的な狭い課題を解決する手段であること、主引用文献においても当該課題の存在は認識されていないこと、周知技術は当該課題を解決する手段として知られていたわけではないこと、などを主張することで拒絶解消にいたる場合がある。

 このような対応のために参考になる最近の二つの事例を紹介する。

 事例1は無効審判審決において進歩性が否定されたが、取消訴訟において審決が取り消された事例である。事例2は拒絶査定不服審判審決において進歩性が否定されたが、取消訴訟において審決が取り消された事例である。

 

事例1:

知財高裁平成24年10月25日判決

平成23年(行ケ)第10432号 審決取消請求事件

裁判所の判断のポイント

「・・・本件特許発明1は,支持部材の下端部が支持面である地面に係合され,上端付近(支持面の上方)にキャノピーカバー等が配置される骨組構造体であることから,風力等によりシザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形を生じ得るという課題を有するものであり,マウント(連結装置)の「平行な側壁部分は上端部又は下端部において水平な壁部分で相互に連結されて」いる構成は,シザー要素の上記の変形を阻止する作用を有するものであり,連結部分の構造を改良・強化することにより,課題を解決する手段であるといえる。

 一方,上記ア() 認定の事実によれば,甲1には,引用発明の「優点」として,「任意に移位可能で定位できる」,「風に吹き倒されるおそれがない」ことが記載され,伸縮支柱(2)下端が一つの底台片(21)に溶接固定されること,第12図には底台片(21)に孔があることが記載されている。そうすると,引用発明は,止め孔を通じて支持面に定位され,風圧等による横方向の力の影響を受けやすい構造体の上部に屋根等が配置される(第1図ないし第6図)ことから,風圧等によるシザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形をも考慮して,構造体の補強を指向するものと一応認められる。しかし,引用発明の上固定支えバー軸体,下活動支えバー軸体(本件特許発明1のマウントに相当すると認められる。)は,端縁シザー組立体の外側端部がソケットを有し,上記バー軸体が当該ソケット内に受け入れられるものとなっており,かつ,ソケットの平行な側壁部分は上端部又は下端部において水平な壁部分で相互に連結されていない構成であるところ,甲1には,かかる構成が,シザー要素の上記の変形を阻止する作用を有すること及びそのために連結部分の構造を改良・強化するものであること(本件特許発明1の課題と解決)については,記載も示唆もされていないというべきである。

 また,上記ア() 認定の事実によれば,甲5,甲7及び甲9には,ソケットの平行な側壁部分が上端部又は下端部において水平な壁部分で相互に連結されている構成が示されておらず(この点は,被告も特に争っていない。),また,シザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形を生じさせるような力に対する考慮も示唆されていない。また,甲4及び甲8には上記構成と同様の構成が示されているが,以下のとおり,本件特許発明1や引用発明において想定される,シザー要素の上記の変形を生じさせるような力の作用を考慮した連結装置を開示するものとはいえない。

 すなわち,甲4記載の折畳み式ベンチは,交錯状に集交した脚管の端部の連結器具として軸受け盤の軸受けは平行な向き合った側壁部分を有し,その下端部が相互に連結されているが(第4図),携行収蔵に至便,組立て作製も容易なように,脚の下端が接地面(支持面)に固定される構成は有さず,脚の上下端に脚管が連結されて骨格を構成してベンチに作用する力を支持し,傾倒破損を防止する効果を有するものといえる。

 また,甲8記載の折り畳み式腰掛けは,その脚部が,筒体の下部で筒体の内部に上下に摺動可能に嵌挿された脚部保持体を有し,脚部保持体は,平行な向き合った側壁部分の下端部が相互に連結されているが(第7図),より一層軽量且つ小型に構成され,簡便に携帯可能なようにしたものである。

 そうすると,上記ベンチ及び上記腰掛けは,上記の構成,目的及び用途からして,シザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形を生じさせるような態様の力が作用することは想定しがたいものであって,甲4及び甲8に,そのような作用を想定した連結装置が開示ないし示唆されているとは認められない。

 以上によれば,甲1には,本件特許発明1のマウントに相当する上固定支えバー軸体,下活動支えバー軸体の構成により,シザー要素の横方向の変形およびねじりによる変形を阻止する作用を有することは格別記載も示唆もされていないから,甲1に接した当業者が,かかる変形を阻止するために,さらに,上記軸体の構成を,相違点1に係る本件特許発明1の構成とすることに容易に想到するとは言い難い。

 また,仮に,甲1の記載から,引用発明における上記軸体の構成を変更することの示唆を得たとしても,上記のとおり,甲4,甲5,甲7ないし甲9は,ソケットの平行な側壁部分は上端部又は下端部において水平な壁部分で相互に連結された構成は示されていないか,シザー要素の上記の変形を阻止する作用を考慮したものではないから,これらに記載された技術を引用発明に適用することが容易とはいえない。

・・・・

 これに対し,被告は,折り畳み可能な骨組構造体の技術分野における通常の知識を有する当業者にとって,折り畳み可能な椅子の骨組構造体に関する技術知識を有していたと合理的に判断でき,その技術知識に基づけば,甲4及び甲8記載の水平な壁部での連結構造を引用発明に適用するのは極めて容易である,「側壁部分が水平な壁部で相互に連結される構成」は,たわみを阻止するという作用効果を発揮させる上で特段の意味を持つとはいえず,引用発明において,強度の向上を図るため当業者により適宜採用される設計事項にすぎない旨主張する。

 しかし,上記の主張につき,甲4及び甲8には,ソケットの平行な側壁部分は上端部又は下端部において水平な壁部分で相互に連結された構成が記載されているとしても,シザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形を阻止する作用を考慮したものではないから,当業者が,甲4及び甲8記載の技術知識を有していたとしても,それを引用発明に適用することを容易に想到し得たとは認められない。また,上記の主張につき,本件特許発明1において,連結装置に関する「側壁部分が水平な壁部で相互に連結される構成」は,平行な側壁部分を連結してこれを補強するものであることは当業者にとって明らかであるから,シザー要素の横方向の変形及びねじりによる変形を阻止するという課題の解決手段であり,発明の特徴点といえる。甲1,甲4,甲5,甲7ないし甲9において,構造体の強度の向上を図るとの課題は示唆されるとしても,かかる一般的な課題から,シザー要素の上記の変形を阻止するとの課題が当然に発想され得ることを裏付ける証拠はないから,連結装置に関して上記構成を採用することを,当業者が適宜採用する設計事項と認めることはできない。よって,被告の主張は失当である。」

 

事例2:

知財高裁平成24年10月10日判決

平成23年(行ケ)第10396号 審決取消請求事件

裁判所の判断のポイント

「・・・引用文献1の図3のシール構造が具体的にいかなる機能を果たすものであるか直ちに断定できず,したがって流路内の主流の流れの乱れを小さくし,漏洩流を小さくし,かつ主流の流線型流れを促進するという補正発明の動翼プラットフォーム前縁(70)のフレア状構造を採用する動機付けが引用文献1に記載ないし示唆されているとはいい難いところ,引用文献2,3の周知技術ないし技術的事項は補正発明のフレア状構造とは技術的意義が大きく異なるし,また本件優先日当時,当業者の間では,蒸気タービン等の軸流タービンにおいて,静翼のノズルの根元付近で主流を乱す境界層が発生し,主流の流れを阻害して,タービン効率を低下させることが知られており,引用文献2のように,あえて主流の一部をホイールスペースに漏洩させて,上記境界層を除去することが試みられていたものである(甲7~11を参照)。そうすると,仮に引用文献1記載発明に上記周知技術ないし技術的事項を適用したとしても,当業者において補正発明との相違点3に係る構成に容易に想到することはできない。

 なお,被告は,タービン全体の効率のためにはあくまで主流の流れを確保することが基本であるなどと主張するが,これは流路を流れる主流が小さくなると出力に寄与する部分が小さくなるというごく一般的な見地から考察するものにすぎないというべきである。被告が本件訴訟で提出する乙第5ないし第7号証(特公平5-7544号公報,特許第2640783号公報,特開2002-201915号公報)にも専ら流路とホイールスペースとの間のシール(密封)について着目した記載があるのみで,補正発明のフレア状構造のように主流の乱れの防止や流線型流れの向上の点にも着目した構成が記載ないし示唆されているわけではないから,相違点3に係る構成の容易想到性についての前記結論を左右するものではない。当業者は,タービン効率を向上させるために,主流の流れをスムーズにするべく,少量の漏洩流を意図的に生じさせて犠牲にしたり,又は他の方法で主流の乱れを抑え,漏洩流を小さくしたり,あるいは異なる冷却等の見地から他の技術的事項を導入するのであって,他の多くの要因との兼ね合いで構成を検討するものである。したがって,主流の流量を確保することが重要であるからといって,かかる一般的な要請のみで補正発明の具体的なフレア状構造の構成(相違点3)に容易に想到できるものではない。

2012年11月12日月曜日

間接侵害の判断において「広く一般に流通しているもの」の該当性が争われた事例


大阪地裁平成24年11月1日判決

平成23年()第6980号 特許権侵害差止等請求事件

 

1.概要

 特許法101条は、2号に該当する「特許が物の発明についてされている場合において、その物の生産に用いる物(日本国内において広く一般に流通しているものを除く。)であつてその発明による課題の解決に不可欠なものにつき、その発明が特許発明であること及びその物がその発明の実施に用いられることを知りながら、業として、その生産、譲渡等若しくは輸入又は譲渡等の申出をする行為」を特許権又は専用実施権を侵害する行為であるとみなす規定である。

 すなわち「日本国内において広く一般に流通しているもの」は間接侵害の対象外である。

 本判決では、位置検出器に装着される部品である、被告が製造するスタイラス(接触針)が「広く一般に流通しているもの」に該当しないと判断された。

 裁判所は理由として以下の二つを挙げている。

(1)スタイラスは用途が検出器に限られるため、ねじや釘のように幅広い用途を持つ製品とは異なり、「広く」流通するとは言えない。

(2)用途及び需要者が限定されるスタイラスは、取引の安全を理由に間接侵害の対象から除外する必要性に欠ける。

 

2.原告が有する本件特許発明

「電気的に絶縁された状態で所定の安定位置を保持する微小移動可能な接触体(5)と,当該接触体に接続された接触検出回路(3,4)とを備え,当該接触検出回路で接触体(5)と被加工物又は工具ないし工具取付軸との接触を電気的に検出する位置検出器において,接触体(5)の接触部がタングステンカーバイトにニッケルを結合材として混入してなる非磁性材で形成されていることを特徴とする,位置検出器。」

 

3.被告の実施品

 被告は、ハ号スタイラス(接触針。位置検出器の接触体として用いられる)を製造販売する。

 ハ号スタイラスは本件特許発明における「接触体(5)」の要件を満たす。

 被告は、ハ号スタイラスを接触体として装着したイ号検出器およびロ号検出器を製造する。イ号検出器およびロ号検出器は、本件特許発明の技術的範囲を満足する。

 

4.争点

 ハ号スタイラスが、本件特許発明に係る物の生産に用いる物であつてその発明による課題の解決に不可欠なものであり、なおかつ「日本国内において広く一般に流通しているもの」ではない(特許法101条2号)、に該当するか?

 

5.裁判所の判断のポイント

「ア・・・・ハ号スタイラスは,「物の発明」である本件特許につき,「その物の生産に用いる物」であり,かつ「その発明による課題の解決に不可欠なもの」(特許法101条2号)といえる。

そして,原告は,被告に対し,平成22年12月3日付の「催告書」と題する書面を送付し,被告はこれを遅くとも同月6日には受領したが,同書面には,本件特許の特許番号,登録日,本件特許発明の構成要件に加え,イ号検出器が本件特許権を侵害することなどが記載されていた(乙1,弁論の全趣旨)ところ,被告は同日以降,本件特許発明が「特許発明であること」及びハ号スタイラスが「その発明の実施に用いられること」を知っていた(特許法101条2号)といえる。

・・・

一方,被告は,ハ号スタイラスにつき,間接侵害(特許法101条2号)の除外要件である「日本国内において広く一般に流通しているもの」に当たる旨主張する。

 確かに,ハ号スタイラスの用途は,これを備え付けた場合に本件特許発明の技術的範囲に属することになるイ号検出器及びロ号検出器に限定されているわけではなく,本件特許発明の技術的範囲に属さない内部接点方式の位置検出器とも適合性を有するものではある(甲2~4)。しかし,結局のところその用途は,位置検出器にその接触体として装着することに限定されており,この点,ねじや釘などの幅広い用途を持つ製品とは大きく異なる。また,そのような用途の限定があるため,実際にハ号スタイラスを購入するのは,位置検出器を使用している者に限られると考えられる。

 このような事情を踏まえると,ハ号スタイラスは,市場で一般に入手可能な製品であるという意味では,「一般に流通している」物とはいえようが,「広く」流通しているとは言い難い。また,そもそもこのような除外要件が設けられている趣旨は,「広く一般に流通しているもの」の生産,譲渡等を間接侵害に当たるとすることが一般における取引の安全を害するためと解されるが,上記のように用途及び需要者が限定されるハ号スタイラスにつき,取引の安全を理由に間接侵害の対象から除外する必要性にも欠けるといえる。

 したがって,ハ号スタイラスは「日本国内において広く一般に流通しているもの」に当たらず,この点に関する被告の主張は採用できない。」

2012年11月6日火曜日

化学発明におけるサポート要件違反の審決が取り消された事例

知財高裁平成24年10月29日判決
平成24年(行ケ)第10076号 審決取消請求事件

1.概要
 本件は、サポート要件違反を指摘する審決を知財高裁が取り消した事例である。
 本願発明に係る組成物は、不純物である3種の単環ヒンダードフェノール化合物が従来の組成物よりも少ないことを特徴としている。この不純物は酸化安定性が低く、油溶解性が低く、揮発性が高く、生物蓄積性が高いという不利な点があることは従来公知。本願発明ではこの成分を減らすことでこれらの不利益を解消する。
 審決ではこの効果を実際に確認した実験結果が記載されていないのでサポート要件違反とした。
 裁判所は、効果は実験結果がなくても予測可能であり、なおかつ、実際に製造されていないことは実施可能要件違反の問題であってサポート要件違反とは無関係であるとして、審決を取り消した。
 化学分野の発明では一般的に効果の予測が困難であるといわれる。このため効果が実験により裏づけられていないことを理由にサポート要件違反とされがちである。しかし、本願のように効果が当業者に予測可能なこともある。そのような場合に本事例の判断は参考になる。進歩性要件違反の問題としても議論されるべきであろう。
 更に裁判所は、解決課題として挙げられている課題が複数ある場合、すべての課題が解決されることまで明細書中で開示することは求められない、と指摘する。解決しようとする課題の部分は最低限達成される課題のみ記載することが一般的に推奨されるが、仮に複数の課題を記載した場合でも、本事例のような判断がなされる可能性がある。

2.本願発明(請求項1)
「化合物の混合物を含んで成るヒンダードフェノール性酸化防止剤組成物であって,該化合物の混合物が式
【化1】(省略)
の複数の化合物を含んで成り;そして組成物が非希釈基準で,
(a)3.0 重量%未満のオルソ-tert-ブチルフェノール,
(b)3.0 重量%未満の2,6--tert-ブチルフェノール,および
(c)50ppm 未満の2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノールを含む,
上記組成物。」

 「化1」の化合物は多環ヒンダードフェノールの一種である。この多環ヒンダードフェノールは、原料として、オルソ-tert-ブチルフェノール(OTBP)2,6--tert-ブチルフェノール(DTBP)とを用いる反応により製造される。一般的なOTBPDTBPは不純物として2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノール(TTBP)を含む。OTBPDTBPTTBPはいずれも単環ヒンダードフェノールである。
 単環ヒンダードフェノールであるOTBPDTBPTTBPは、多環ヒンダードフェノールと比較して水溶性が高く、油溶性が低く、揮発性が高いである。多環ヒンダードフェノールは単環ヒンダードフェノールよりも潤滑油などで用いられる酸化防止剤として好ましいことは従来公知であった。
 従来の一般的なOTBPDTBPを用いて多環ヒンダードフェノールを製造すると、OTBPDTBPTTBPが相当量残存するという課題があった。本願発明では、OTBPDTBPとして、TTBPの混入量が10ppm未満という微量である「超高純度OTBP」、「超高純度DTBP」を用いることで、製品である多環ヒンダードフェノールにおけるOTBPDTBPTTBPを上記(a), (b), (c) のように低濃度にすることを特徴とする。この組成物は、従来の多環ヒンダードフェノールと比べて「向上した酸化安定性、向上した油溶解性、低い揮発性および低い生物蓄積性」を有するというのが明細書の開示事項である。
 ただし明細書中には実際にこの組成物を製造し、上記の効果を奏することを確認した例は記載されていない。また、「超高純度OTBP」、「超高純度DTBP」の入手方法なども開示されていない。

3.審決の理由の要点
発明の詳細な説明には,本願発明の組成物を具体的に製造し,その酸化安定性,油溶解性,揮発性及び生物蓄積性について確認し,上記課題を解決できることを確認した例は記載されていないから,本願発明が,発明の詳細な説明の記載により,上記課題を解決できると認識できるものとはいえない。
 また,従来のヒンダードフェノール系酸化防止剤よりも低レベルの単環ヒンダードフェノール化合物,すなわち,「(a)3.0 重量%未満のオルソ-tert-ブチルフェノール,(b)3.0 重量%未満の2,6--tert-ブチルフェノール,および (c)50ppm未満の2,4,6-トリ-tert-ブチルフェノールを含む」ことにより,「酸化安定性,油溶解性,揮発性及び生物蓄積性」が改良されることが,当業者であれば,出願時の技術常識に照らし認識できるといえる根拠も見あたらない。そうすると,具体的に確認した例がなくとも,当業者が出願時の技術常識に照らし,本願発明の課題を解決できると認識できるとはいえない。
 本願発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとは認められないし,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるとも認められないから,この出願の特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項1号に適合しない。」

4.裁判所の判断のポイント
「2 本願明細書の発明の詳細な説明における課題解決の記載
 発明の詳細な説明には,「これらの単環ヒンダードフェノール化合物は水溶性であり,そして多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤よりも揮発性である。多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤はそのより高い分子量により,水溶性が一層低く,しかも揮発性が低い。」(段落【0008】)と記載されているが,この記載は,単環フェノールがメチレン架橋化多環フェノールよりも,より揮発性であり,より水溶性であり,油溶解性が低いという当業者の技術常識に沿った記載である。また,発明の詳細な説明には,「低揮発性成分は,潤滑剤の使用期間中に蒸発により失われないのでより効果的な酸化防止剤である。それゆえにそれら(判決注:酸化防止剤組成物のこと)は潤滑剤中に留まり,潤滑剤を…酸化の悪影響から保護する。」(段落【0022】)と記載されているところ,酸化防止作用を示す成分が揮発することによって減少すれば,組成物の酸化防止能も減少するので,組成物中の揮発性の成分の量を減らすことにより組成物の酸化防止能が向上することも,当業者の技術常識に沿った記載である。
 このように,発明の詳細な説明には,非常に低レベルのOTBP,DTBP及びTTBPの単環ヒンダードフェノール化合物を含有することによって,従来のメチレン架橋化多環ヒンダードフェノール性酸化防止剤組成物よりも向上した油溶解性を有する組成物を得ることができ,また,低い揮発性を有し,その結果,向上した酸化安定性を有する組成物を得ることができる点が記載されているということができるから,発明の詳細な説明の記載から,本願発明の構成を採用することにより本願発明の課題が解決できると当業者は認識することができる。
 したがって,発明の詳細な説明は,請求項1に係る発明について,その発明の課題を解決できると当業者が認識できる範囲のものとして記載されているということができるから,請求項1に係る発明は発明の詳細に記載されているということができる。これとは異なるサポート要件に関する審決の判断には誤りがある。
3 被告の主張に対する個別的判断
・・・
(2) 被告は,発明の詳細な説明には,向上した酸化安定性及び低い生物蓄積性という課題を達成し得ることの技術的裏付けが記載されておらず,また,向上した酸化安定性及び低い生物蓄積性の課題を達成し得ることが技術常識により当然に予想できるとする技術的根拠も記載されていないと主張する。
 しかし,技術常識を参酌して発明の詳細な説明の記載をみた当業者が,本願発明の構成を採用することにより,向上した酸化安定性という本願発明の課題が解決できると認識できることは前記のとおりである。
 また,発明の詳細な説明には,生物蓄積性についての課題が解決できることを示す記載はない。しかし,発明の詳細な説明の記載から,本願発明についての複数の課題を把握することができる場合,当該発明におけるその課題の重要性を問わず,発明の詳細な説明の記載から把握できる複数の課題のすべてが解決されると認識できなければ,サポート要件を満たさないとするのは相当でない。
(3) 被告は,本件出願時の技術常識を考慮すると,0~10ppm のトリ-tert-ブチルフェノールの混入物を含むDTBP単量体,すなわち本願発明の原料成分を入手することは困難なものであったから,該DTBP単量体の具体的入手手段について何ら明らかにされていない発明の詳細な説明の記載に基づいて,本願発明の組成物を具体的に製造できるとは到底いえないとか,本願発明の組成物の具体的な製造を確認した例は記載されておらず,これらが技術常識により当然に予想できるとする技術的根拠も記載されていないのであるから,「特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明」であるということはできないと主張する。
 しかし,発明の詳細な説明の記載と出願時の技術常識からは本願発明に係る組成物を製造することはできないというのであれば,これは特許法36条4項1号(実施可能要件)の問題として扱うべきものである。審決は,本件出願が特許法36条6項1号(サポート要件)に規定する要件を満たしていないことを根拠に拒絶の査定を維持し,請求不成立との結論を出したものであるから,被告の上記主張は,審決の判断を是認するものとしては採用することができない。なお,被告は本願発明の具体的な製造を確認した例の記載はないと主張するが,サポート要件が充足されるには,具体的な製造の確認例が発明の詳細な説明に記載されていることまでの必要はない。

2012年10月30日火曜日

補正新規事項か否かが争われた事例


 

知財高裁平成24年10月10日判決

平成23年(行ケ)第10383号 審決取消請求事件

 

1.概要

 本事例では、審決において新規事項追加と判断されたが、裁判所が新規事項追加には該当しないとして審決を取り消した。

 補正により追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」は、引用例記載の構成を除外するために追加されたものであった。

 審決では「反転」の意味を辞書に基づき解釈し、明細書に上記補正事項が記載されているかどうかを判断した。

 裁判所は、「反転」の辞書的意味だけでなく、審判請求書における請求人(出願人、原告)の主張や技術常識も考慮して、上記追加事項が「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」の意味であると解釈した。そして、補正は新規事項追加に該当しないと判断した。

 

2.補正の内容

【請求項1】

 ボディに形成された第1流路および第2流路の境に設けられた弁座に対し,アクチュエータの駆動軸に連結されたダイアフラムを当接または離間させることにより,前記第1流路と前記第2流路との間を閉鎖または開放するようにしたダイアフラム弁において,

 前記ダイアフラムは,弁座に当接する弁体部と,弁体部から外側に広がった膜部と,膜部外周縁に形成された固定部とを有し,前記膜部が,前記弁体部に接続され鉛直方向に形成された鉛直部と,前記固定部に接続され水平方向に形成された水平部と,前記鉛直部と前記水平部とを接続するために断面円弧状に形成された接続部とを備えること

 前記駆動軸の先端には,前記鉛直部および前記接続部に接触して前記膜部を受け止めるために前記ダイアフラムに一体化されたバックアップが設けられていること,

 前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,

を特徴とするダイアフラム弁。

 

3.争点

 審決では、補正により追加された下線部のうち「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」が新規事項であると判断された。

 この判断が妥当であるか否かが裁判にて争われた。

 

4.原告が意図した補正の目的

 上記補正は審査にて引用された先行技術である引用例1に開示された「ローリングダイヤフラム弁」を除外することを意図して「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行う」を追加した。

 上記クレームの対象である「ダイヤフラム弁」には、ローリングダイアフラム弁と、通常のダイヤフラム弁がある。原告の認識ではローリングダイアフラム弁は,「膜部を反転させながら,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁であり、通常のダイヤフラム弁は「膜部を反転させることなく,弁の閉鎖または開放を行うこと」を特徴とするダイアフラム弁である。

 本明細書では一貫して通常のダイヤフラム弁しか開示されておらず、ローリングダイヤフラム弁は開示されていない。そこで、ローリングダイヤフラム弁を開示する引用例1との区別を明確にするために上記文言を追加した。

 原告は裁判段階において、上記を「除くクレーム」として記載しなかった理由を、「化学系の発明では,『~を除く』形式のいわゆる『除くクレーム』の記載が認められているが,機械系の発明では,『ローリングダイアフラム弁を除く』という文言は,一般的でなく,またふさわしくないと考え,技術的意義において,ローリングダイアフラム弁を除外するために,『前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと』という発明特定事項を加えたのである。」と説明した。

 

5.審決の理由

「・・・上記事項の「膜部を反転させることなく」という記載は,その技術的意義が一義的に明確に理解することができるものとはいえず,しかも,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面(以下,「当初明細書等」という。)に明記されたものでもない。

 ここで,請求人は,審判請求書において,上記事項の「反転」が表す構成は「膜部の一部の天地が逆転すること」であり,また,上記事項は当初図面の【図2】に示されていると主張し,さらに,平成23年5月26日付けの回答書において,参考図1及び2に示されたA点が鉛直部22aとバックアップ40との位置関係を殆ど変えない点を主張している。

 しかしながら,当初図面の【図1】及び【図2】に示された,「膜部22」の特に「接続部22b」についてみると,「鉛直方向に形成された鉛直部」と接続される箇所から「水平方向に形成された水平部」と接続される箇所に至るまでの中には,弁の開放時における「接続部22b」の屈曲によりバックアップ40から離間する部分が存在しており,しかも,当該部分において,弁の閉鎖時と開放時とで,「膜部22」の延在方向の隣接部との間で上下関係が逆となる箇所が存在しないともいえない。そうすると,当初図面の【図1】及び【図2】には,「膜部22」において,弁の閉鎖時と開放時とで,請求人が主張する「膜部を反転させる」ような部分が存在しない構成とする技術思想が記載されていることが明らかであるということはできないから,当初明細書等の記載から,上記事項が,当業者に自明であるとも,当初明細書等に記載されていたに等しい事項であるともいえず,さらに,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるともいえない。」

 

6.裁判所の判断のポイント

「当初明細書等(甲2)には,かかる「膜部」の「反転」という挙動に関して明示的な記載はないが,以下の記載がある。

・・・・・

 上記記載には,一貫して高圧流体の供給制御を行う場合に,弁体部と膜部との境界に応力集中が発生し劣化が急速に進むという問題への対処方法が述べられており,そのような問題が薄膜の反転動作を伴うローリングダイアフラム弁においても発生すると理解しうる記載はない。

 そして,当初明細書には,本願発明の実施例として図1及び図2が,背景技術として図3が記載されており,いずれもローリングダイアフラム弁ではない通常のダイアフラム弁である。

(2) 本件審判請求書(甲3)には,以下の記載がある。

・・・・

以上の記載からすると,審判請求書において原告は,①「反転」とは,周知のように,膜部の一部が天地を逆転すること,との意味であること,②ロールダイアフラム式ポペット弁は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うのに対して,通常のダイアフラム式ポペット弁は,そのような反転をさせることなく開閉を行うものであること,③本願発明は,薄膜の反転動作(ロール・非ロール動作)により開閉を行うロールダイアフラム式ポペット弁とは異なるものであることを述べていることが理解できる。

ところで,一般に,「反転」とは,「(1)ころぶこと。ころばすこと。(2)ひっくりかえること。ひっくりかえすこと。(3)反対の方向に向きかわること。また,向けかえること。(4)〔数〕(inversion)一定点に関し,任意の点または図形の対称点を求める操作。(5)(写真用語)(reversal)ネガ像をポジ像に,あるいはその逆にすること。」という意味である(株式会社岩波書店,広辞苑第六版)。

 また,本願発明の分野の技術常識についてみるに,審決が挙げた引用例(特開2001-173811号公報,甲1)には,【0011】~【0030】に図1の実施例に基づく説明が記載された後,以下の記載がある。

・・・

 上記記載によれば,引用例の図2及び図3には,図1に示すダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体122が示されていること,ロールダイヤフラム式ポペット弁体122は,ポペット弁体の頭部126と一体で頭部からポペット弁体フランジ128へ軸線方向に延在するスリーブ124を具備すること,スリーブ124は「ロール及び非ロール動作」をすること,ピストンの頭部82の壁表面はスリーブ124の内側表面を支持することが理解できる。ダイヤフラム式ポペット弁体とは異なるロールダイヤフラム式ポペット弁体の存在は引用発明の前提とされており,ロールダイヤフラム式ポペット弁体自体は詳細に説明されていないことからすると,ダイヤフラム弁の技術領域において,通常のダイヤフラム弁と,それとは異なり「ロール及び非ロール動作」を伴うローリングダイヤフラム弁とが存在することは,引用例が公開された平成13年6月29日時点において,特段の説明を要しない技術常識であったことが理解できる。

上記の「反転」の一般的意味及び技術常識に照らし,また,審判請求書における原告の主張を合わせると,本件補正によって追加された「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」の構成は,「膜部の一部が天地を逆転することがなく,具体的には,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うことなく」との意味であることが明らかである。

以上によれば,「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと」とは,ロールダイアフラム式ポペット弁のような開閉時に薄膜のロール・非ロール動作を伴うものではないものである,という程度の意味で膜部の一部で天地が逆転しないものであることと理解すべきであり,係る事項を加えることは,当初明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえる。

 したがって,本件補正が「前記膜部を反転させることなく,前記閉鎖または開放を行うこと,」という事項を加えることをもって,本件補正が平成18年法律第55号改正附則3条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法17条の2第3項の規定に適合しないとの審決の判断は誤りである。この誤りが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。」