知財高裁平成23年9月7日 判決言渡
平成23年(ネ)第10002号 特許権侵害差止等請求控訴事件
控訴人(第一審原告)が有する特許第4111832号(発明の名称「餅」)は、切り込み部が設けられた切餅に関わる発明である。
被控訴人(第一審被告)が実施する切餅製品(被告製品)が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かが争われた。
東京地裁での第一審では被告製品は本件特許の「構成要件B」を満足せず侵害不成立と判断された。
一方、知財高裁は被告製品は本件特許の「構成要件B」を満足し、侵害成立と判断された。
特許第4111832号(発明の名称:「餅」)に係る本件発明の特許請求の範囲(請求項1)を構成要件に分説すると以下の通り:
「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け,」(構成要件B),
「この切り込み部又は溝部は,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に一周連続させて角環状とした若しくは前記立直側面である側周表面の対向二側面に形成した切り込み部又は溝部として, 」( 構成要件C),
「焼き上げるに際して前記切り込み部又は溝部の上側が下側に対して持ち上がり,最中やサンドウイッチのように上下の焼板状部の間に膨化した中身がサンドされている状態に膨化変形することで膨化による外部への噴き出しを抑制するように構成した」(構成要件D),
「ことを特徴とする餅。」(構成要件E)
3.主な争点
被控訴人(第一審被告)が実施する侵害被疑物品は、切り餅の側周表面に切り込み部が設けられているだけでなく、切り餅の平坦上面及び載置底面にも切り込み部が設けられている。
これに対して本件発明の構成要件Bでは「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」切り込み部を設けると記載されている。
構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という記述が、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部が設けられることを排除する意図であるのか否かが争点。
4.第一審(東京地裁)
第一審において東京地裁は構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなく」という記述により、「載置底面又は平坦上面」に切り込み部が設けられることは技術的範囲から除外されると判断し、被告製品は構成要件Bを備えておらず特許権の侵害は成立しないと結論付けた。
第一審の判断のポイント
「本件発明の特許請求の範囲(請求項1)の記載及び前記(イ)の本件明細書の記載事項を総合すれば,本件発明は,「切り込みの設定によって焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化でき」るようにすることなどを目的とし,切餅の切り込み部等(切り込み部又は溝部)の設定部位を,従来考えられていた餅の平坦上面(平坦頂面)ではなく,「上側表面部の立直側面である側周表面に周方向に形成」する構成を採用したことにより,焼き途中での膨化による噴き出しを制御できると共に,「切り込み部位が焼き上がり時に平坦頂面に形成する場合に比べて見えにくい部位にあるというだけでなく,オーブン天火による火力が弱い位置にあるため,焼き上がった後の切り込み部位が人肌での傷跡のような忌避すべき焼き形状とならない場合が多い」などの作用効果を奏することに技術的意義があるというべきであるから,本件発明の構成要件Bの「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,・・・切り込み部又は溝部を設け」との文言は,切り込み部等を設ける切餅の部位が,「上側表面部の立直側面である側周表面」であることを特定するのみならず,「載置底面又は平坦上面」ではないことをも並列的に述べるもの,すなわち,切餅の「載置底面又は平坦上面」には切り込み部等を設けず,「上側表面部の立直側面である側周表面」に切り込み部等を設けることを意味するものと解するのが相当である。」
5.第二審(知財高裁)
第二審の知財高裁は、東京地裁とは正反対に、載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることは除外されず、被告製品は構成要件Bを備えると判断した。
第二審の判断のポイント
「当裁判所は,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,「側周表面」であることを明確にするための記載であり,載置底面又は平坦上面に切り込み部又は溝部(以下「切り込み部等」ということがある。)を設けることを除外するための記載ではないと判断する。
この点,被告は,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分は,「この小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」との記載部分とは,切り離して意味を理解すべきであって,「載置底面又は平坦上面」には,「一若しくは複数の切れ込み部又は溝部」を設けない,という意味に理解すべきであると主張する。
しかし,①「特許請求の範囲の記載」全体の構文も含めた,通常の文言の解釈,②本件明細書の発明の詳細な説明の記載,及び③出願経過等を総合するならば,被告の上記主張は,採用することができない。」
「(ア) 特許請求の範囲の記載
本件発明の特許請求の範囲(請求項1)には,「載置底面又は平坦上面ではなくこの小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に,この立直側面に沿う方向を周方向としてこの周方向に長さを有する一若しくは複数の切り込み部又は溝部を設け,」(構成要件B)と記載されている。
上記特許請求の範囲の記載によれば,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分の直後に,「この小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に」との記載部分が,読点が付されることなく続いているのであって,そのような構文に照らすならば,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載部分は,その直後の「この小片餅体の上側表面部の立直側面である」との記載部分とともに,「側周表面」を修飾しているものと理解するのが自然である。」
「(イ) 発明の詳細な説明の記載
a 本件明細書(甲2)には,以下の記載がある。
・・・・
b 上記発明の詳細な説明欄の記載によれば,本件発明の作用効果として,①加熱時の突発的な膨化による噴き出しの抑制,②切り込み部位の忌避すべき焼き上がり防止(美感の維持),③均一な焼き上がり,④食べ易く,美味しい焼き上がり,が挙げられている。そして,本件発明は,切餅の立直側面である側周表面に切り込み部等を形成し,焼き上がり時に,上側が持ち上がることにより,上記①ないし④の作用効果が生ずるものと理解することができる。これに対して,発明の詳細な説明欄において,側周表面に切り込み部等を設け,更に,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を形成すると,上記作用効果が生じないなどとの説明がされた部分はない。本件明細書の記載及び図面を考慮しても,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,通常は,最も広い面を載置底面として焼き上げるのが一般的であるが,そのような態様で載置しない場合もあり得ることから,載置状態との関係を示すため,「側周表面」を,より明確にする趣旨で付加された記載と理解することができ,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を設けることを排除する趣旨を読み取ることはできない。
c これに対し,被告は,本件発明は,切餅について,切り込みの設定によって,焼き途中での膨化による噴き出しを制御できるという効果(効果①)と,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化できるという効果(効果②)を共に奏するものであるが(本件明細書段落【0032】),切餅の平坦上面又は載置底面に切り込みが存在する場合には,焼き上がった後その切り込み部位が人肌での傷跡のような焼き上がりとなるため,忌避すべき状態になることから(本件明細書段落【0007】),本件発明における効果②を奏することはないと主張する。
しかし,被告の主張は,採用の限りでない。
すなわち,本件発明は,上記のとおり,切餅の側周表面の周方向の切り込みによって,膨化による噴き出しを抑制する効果があるということを利用した発明であり,焼いた後の焼き餅の美感も損なわず実用化できるという効果は,これに伴う当然の結果であるといえる。載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けたために,美観を損なう場合が生じ得るからといって,そのことから直ちに,構成要件Bにおいて,載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けることが,排除されると解することは相当でない。
また,当初明細書(甲6の2)の段落【0021】には,作用効果に寄与する切り込みの形成方法が記載され,同明細書の段落【0043】,【0045】には,周方向の切り込み等は,側周表面に設けるよりは作用効果が十分ではないが,平坦頂面における場合でも同様の作用効果が生じる旨記載され,図6(別紙図5)が示されていたことに照らすと,周方向の切り込み等による上側の持ち上がりが生ずる限りは,本件発明の作用効果が生ずるものと理解することができ,載置底面又は平坦上面に切り込み部を設けないとの限定がされているとはいえない。さらに,本件明細書段落【0007】の記載は,米菓で採られた噴き出し抑制手段の適用における問題点を記載したものであり,本件発明において,周方向の切り込み等による,上側の持ち上がりによる噴き出し抑制手段を採用するに当たり,載置底面又は平坦上面に切り込み等を設けるか否かについて,本件明細書に何らかの言及がされていると解する余地はない。したがって,被告の上記主張は,採用することができない。
d また,被告は,切り込み部位が小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に設けられるという構成であることを表現するのであれば,「小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面に切り込み部又は溝部を設ける」と記載すれば足り,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載を付加する必要はない,と主張する。
しかし,被告のこの点の主張も採用できない。すなわち,前記のとおり,角形等の小片餅体である切餅において,最も広い面を載置底面として焼き上げるのが一般的であるといえるが,これにより一義的に全ての面が特定できるとは解されない(別紙「原告提出の参考図面」参照)。したがって,小片餅体の上側表面部の立直側面である側周表面を特定するため,「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載を付加することに,意味があるといえる。したがって,被告の上記主張は,採用することができない。」
「(ウ) 出願過程について
被告は,原告は本件特許の出願過程において,切餅の載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられることを述べた経緯がある旨主張する。
しかし,被告の上記主張は,以下の出願過程の具体的経緯に照らして,採用することができない。
「a 出願過程における具体的経緯
・・・
b 判断
上記本件特許の出願の経緯に照らすならば,原告は,平成17年5月27日付けで拒絶理由通知を受けたことから,同年8月1日付けで手続補正書(甲8の2)を提出して,切餅の上下面である載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明へと補正することを試みたが,同補正は,審査官から認められず,同年9月21日付けで拒絶理由通知(甲9)を受けたため,結局,同年5月の補正を撤回し,また,従前の意見内容も改めて,平成17年11月25日付けの手続補正書(甲10の2)を提出した経緯が認められる。
以上のとおりであり,本件特許に係る出願過程において,原告は,拒絶理由を解消しようとして,一度は,手続補正書を提出し,同補正に係る発明の内容に即して,切餅の上下面である載置底面又は平坦上面ではなく,切餅の側周表面のみに切り込みが設けられる発明である旨の意見を述べたが,審査官から,新規事項の追加に当たるとの判断が示されたため,再度補正書を提出して,前記の意見も撤回するに至った。したがって,本件発明の構成要件Bの文言を解釈するに当たって,出願過程において,撤回した手続補正書に記載された発明に係る「特許請求の範囲」の記載の意義に関して,原告が述べた意見内容に拘束される筋合いはない。むしろ,本件特許の出願過程全体をみれば,原告は,撤回した補正に関連した意見陳述を除いて,切餅の上下面である載置底面及び平坦上面には切り込みがあってもなくてもよい旨を主張していたのであって,そのような経緯に照らすならば,被告の上記主張は,採用することができない。
(エ)以上のとおり,構成要件Bにおける「載置底面又は平坦上面ではなく」との記載は,「側周表面」を特定するための記載であり,載置底面又は平坦上面に切り込み部等を設けることを除外する意味を有すると理解することは相当でない。」