2010年5月30日日曜日

一見すると平易に見える構成を備える発明の進歩性判断

知財高裁平成22年5月27日判決

平成21年(行ケ)第10361号審決取消請求事件

1.概要

 請求項1に記載の発明(本願発明):

「被評価物の表面を水平面に対して特定の角度に傾斜するように固定し,油脂とカーボンブラックとを有する特定量の擬似油汚れを該被評価物の表面に滴下し,続いて特定量の水を該擬似油汚れよりも上方の該被評価物の表面に特定の高さから滴下して,該擬似油汚れの残留状態により該被評価物の耐油汚れを評価することを特徴とする耐油汚れの評価方法。」

 審決では、本願発明の進歩性が否定された。知財高裁はこの審決を取り消した。

 本判決では、一見すると平易に見える構成を有する発明の進歩性を否定する場面では、判断者は、主観や直感に頼ることなく先行技術に基づいて発明の構成に到達することが容易であることを論理的に説明する必要があり、論理的な説明ができない限り進歩性を否定することはできないと判断されている。

2.裁判所の判断のポイント

「当裁判所は,審決が,相違点(い)について,引用刊行物A,C等に基づいて容易に想到することができたとした点には, 誤りがあると判断する。すなわち,審決は,①本願発明と引用刊行物A記載の発明とは,本願発明において,擬似油汚れを被評価物の表面に滴下した後,乾燥工程を経由することなく,水を被評価物の表面に滴下しているのに対して,引用発明においては,流下水を滴下した後,乾燥工程を経由している点で相違すると認定した上,②同相違点に係る本願発明の構成は,引用刊行物Cに,乾燥することなく直ちに水洗して試料の汚れの付着の影響を評価する技術事項が記載されているから,本願発明に到達することができる旨の判断をする。しかし,本願発明は,引用刊行物Aと解決課題や発明の技術思想において異なるものであり,これに,同様に本願発明と解決課題や発明の技術思想の異なる引用刊行物Cの技術事項の一部を適用して本願発明に到達することはないと解すべきである。その理由は,以下のとおりである。

・・・

 審決が,上記の相違点(い)に係る構成中の「本願発明では,油汚れを付着するために乾燥を必要としないとした」との技術が,引用刊行物C記載の技術事項を組み合わせることによって,容易に想到することができたと判断した点は,誤りである。その理由は,以下のとおりである。

 引用刊行物Cは,実験報告に係る論文である。同論文では,各種汚れに対する親水・撥水表面の防汚特性を把握する目的で,表面への有機物付着の影響評価を実施した実験結果が報告,説明されている。その具体的な評価方法として,①有機物は,関東ローム及び油の水分散液を表面に滴下後直ちに水洗する操作を繰り返して付着させる旨,②防汚性能は,20%関東ローム/水分散液を防汚表面に滴下,乾燥後,流水に1分間さらし,汚れ付着前の表面との明度差(ΔL)を測定して泥の水洗除去性を測定する,有機物付着量は,XPS測定(検出角度5度)により求めた表面炭素量で評価する方法を採用した旨が記載されている。

 確かに,引用刊行物Cでは,有機物について,滴下後,乾燥工程を経由することなく,水洗する操作を繰り返す旨記載がされている。しかし,引用刊行物Cには,①同操作が繰り返して実施される旨記載されていること,また,②滴下及び水洗過程は,特定量を滴下して,滴下した量等を簡易廉価な評価のデータとするのではなく,擬似汚れ(有機物)を付着させる目的で実施されている旨が明確に記載されていることに照らすならば,同操作は,光触媒酸化チタン系触媒等の被実験物表面の効果を確認する前段階の処理として,擬似汚れ(有機物)を確実に付着させるために行われているものと解される(これに対して,本願発明では,滴下する擬似油汚れは特定の量であるとされていることから,格別の手順を踏むことなく初期値を把握することができ,時間,労力,価格の低減に資する。滴下量は,油汚れを評価する際の初期データとして用いられることが前提とされている。)。

 また,引用刊行物Cでは,防汚性能の評価段階においては,20%関東ローム/水分散液を防汚表面に滴下,乾燥後,流水に1分間さらし,汚れ付着前の表面との明度差を測定するとして,乾燥工程を付加している。

 以上を総合すると,引用刊行物Cからは,耐油汚れの評価に当たって,時間,労力,価格を抑え,手順を簡略化しようとする本願発明の解決課題についての示唆はない。

 引用刊行物C記載の発明における,「乾燥工程を経由しない滴下」という操作は,本願発明における同様の操作と,その目的や意義を異にするものであって,引用刊行物C記載の発明は,本願発明と解決課題及び技術思想を異にする発明である。

 前記のとおり,引用刊行物A記載の発明は,擬似油汚れについて特定量を滴下し,乾燥工程を設けないとする相違点(い)に係る構成を欠くものである。同発明は,本願発明における時間,労力,価格を抑えることを目的として,手順を簡略化しようとする解決課題を有していない点で,異なる技術思想の下で実施された評価試験に係る技術であるということができる。このように,本願発明における解決課題とは異なる技術思想に基づく引用刊行物A記載の発明を起点として,同様に,本願発明における解決課題とは異なる技術思想に基づき実施された評価試験に係る技術である引用刊行物C記載の発明の構成を適用することによって,本願発明に到達することはないというべきである。

 本願発明は,決して複雑なものではなく,むしろ平易な構成からなる。したがって,耐油汚れに対する安価な評価方法を得ようという目的(解決課題)を設定した場合,その解決手段として本願発明の構成を採用することは,一見すると容易であると考える余地が生じる。本願発明のような平易な構成からなる発明では,判断をする者によって,評価が分かれる可能性が高いといえる。このような論点について結論を導く場合には,主観や直感に基づいた判断を回避し,予測可能性を高めることが,特に,要請される。その手法としては,従来実施されているような手法,すなわち,当該発明と出願前公知の文献に記載された発明等とを対比し,公知発明と相違する本願発明の構成が,当該発明の課題解決及び解決方法の技術的観点から,どのような意義を有するかを分析検討し,他の出願前公知文献に記載された技術を補うことによって,相違する本願発明の構成を得て,本願発明に到達することができるための論理プロセスを的確に行うことが要請されるのであって,そのような判断過程に基づいた説明が尽くせない限り,特許法29条2項の要件を充足したとの結論を導くことは許されない。

 本件において,審決は,上記のとおり,本願発明と引用刊行物A記載の発明と対比し,擬似油汚れについて特定量を滴下し,乾燥工程を経由しないで水洗するとの構成を相違点と認定している。しかし,審決は,本願発明と,解決課題及び解決手段の技術的な意味を異にする引用刊行物A記載の発明に,同様の前提に立った引用刊行物C記載の事項を組み合わせると本願発明の相違点に係る構成に到達することが,何故可能であるかについての説明をすることなく,この点を肯定したが,同判断は,結局のところ,主観的な観点から結論を導いたものと評価せざるを得ない。