2010年5月16日日曜日

医薬組成物の製造方法の実施可能性が争われた事例

知財高裁平成22年5月10日判決

平成21年(行ケ)第10170号審決取消請求事件(

1.概要

 受容体ポリペプチドに対するリガンド等をスクリーニングする工程が実施可能な程度に十分に開示されている場合に、そのスクリーニング工程と、製剤化工程とを含む,抗血小板用医薬組成物の製造方法が実施可能要件を満たさないと判断した審決の違法性が争点。

 裁判所は、「製造される物」は有効成分である化合物と製剤化に必要な汎用の成分とからなる「抗血小板用医薬組成物」であるから,当業者がかかる医薬組成物を製造するためには,明細書の記載から有効成分たる化合物が何であるかを理解・把握する必要があり,その際は,有効成分たる化合物を化学構造の観点から化合物自体として把握する必要があるというべきであると述べ、本願明細書の発明の詳細からは有効成分を把握できないと判断して審決を支持する判断を下した。

 なお、いわゆる「リーチ・スルー・クレーム」とは、通常は、更に下流側の、例えば「抗血小板用医薬組成物」自体を物質クレームの形式で特許請求の範囲に記載するものを指していると考えられる。

2.本願請求項1に記載の発明

「(A)(1)配列番号2で表されるアミノ酸配列を有するポリペプチド,(2)配列番号2で表されるアミノ酸配列の1~10個のアミノ酸が欠失,置換,及び/若しくは付加されたアミノ酸配列を有し,しかも,ADPと結合し,Giに共役することにより,アデニル酸シクラーゼの活性を抑制する活性を有するポリペプチド,又は(3)配列番号2で表されるアミノ酸配列との相同性が95%以上であるアミノ酸配列を有し,しかも,ADPと結合し,Giに共役することにより,アデニル酸シクラーゼの活性を抑制する活性を有するポリペプチド,前記ポリペプチドを含む細胞膜画分,あるいは前記ポリペプチドをコードするDNAを含む発現ベクターで形質転換され,前記ポリペプチドを発現している形質転換細胞と,試験化合物とを,ADP受容体P2TAC標識リガンド存在下で,接触させる工程,及び

前記ポリペプチド,細胞膜画分,又は形質転換細胞への標識リガンドの結合量の変化を分析する工程

を含む,試験化合物がADP受容体P2TACリガンドであるか否かを検出する方法,

(B)C末端のアミノ酸配列が,配列番号11で表されるアミノ酸配列であり,しかも,ホスホリパーゼC活性促進性Gタンパク質のホスホリパーゼC活性促進活性を有する部分ポリペプチドとGiの受容体共役活性を有する部分ポリペプチドとのキメラであるGタンパク質キメラを共発現している前記形質転換細胞と,試験化合物とを接触させる工程,及び

前記形質転換細胞内におけるCa2+濃度の変化を分析する工程

を含む,試験化合物がADP受容体P2TACアンタゴニスト又はアゴニストであるか否かを検出する方法,又は

(C)前記形質転換細胞と試験化合物とを,血小板ADP受容体P2TACのアゴニストの共存下において,接触させる工程,及び前記形質転換細胞内におけるcAMP濃度の変化を分析する工程

を含む,試験化合物がADP受容体P2TACアンタゴニスト又はアゴニストであるか否かを検出する方法

のいずれか1つの方法,あるいは,これらを組み合わせることによる,ADP受容体P2TACリガンド,アンタゴニスト,又はアゴニストであるか否かを検出する工程,及び製剤化工程

を含む,抗血小板用医薬組成物の製造方法。」

3.裁判所の判断のポイント

「・・・本願発明は,抗血小板剤として有用なアデノシン二リン酸(ADP)受容体P2TAC 拮抗薬を得るための簡便なスクリーニング系及び新たな抗血小板剤を提供することを課題とし,その解決手段として,P2TAC 受容体をコードする核酸(具体的にはHORK3遺伝子)を単離させ,塩基配列及び推定アミノ酸配列を決定したもの,言い換えれば,血小板ADP受容体P2TAC の実体がHORK3タンパク質であることを明らかにし,それにより,P2TAC 受容体又はP2TAC 受容体を発現する細胞を用い,試験化合物がADP受容体P2TAC リガンド,アンタゴニスト,又はアゴニストであるか否かを検出する方法,及び前記検出方法を用いた抗血小板剤のスクリーニング方法を確立した上,かかる検出工程を含む抗血小板用医薬組成物の製造方法を確立しようとしたものであることが認められる。」

「イ 上記条文(本願について適用される平成14年法律第24号による改正前の特許法(旧)36条4項)は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が,明細書及び図面に記載した事項と出願時の技術常識とに基づき,請求項に係る発明を実施することができる程度に,発明の詳細な説明をしなければならないとしたものである。これは,特許を認め権利を設定するということは,十分な発明の開示の代償として独占権を付与するというのが制度の趣旨であることから,発明の詳細な説明の記載は当業者が当該発明を実施できるようにされていなければならない,ということである。

ウ そこで,これを本願についてみると,本願請求項の構成は,前記のとおり,「(A)・(B)・(C)の定める各検出方法いずれか又はこれらを組み合わせたことによるADP受容体P2TAC アンタゴニスト等を検出する工程」と「製造化工程」と含む「抗血小板用医薬組成物の製造方法」とするものである。上記構成は,概ね,原告が前記特許第3519078号(甲13)により取得した特許権請求項1~4の記載に「製造化工程」を付加し「抗血小板用医薬組成物の製造方法」としたものである。そして,検出方法(A)・(B)・(C)については具体的な技術内容が特定されているものの,その余の「製造化工程」・「医薬組成物の製造方法」には具体的な技術内容の記載が見当たらない。

 一方,本願請求項1は,その記載内容からして,末尾にある「医薬組成物の製造方法」であるから,「製造方法」の観点か,又は「物」の観点,すなわち製造原料の観点や製造された医薬組成物の観点若しくはその組み合わせに発明的な特徴があるのが通例であるが,本願請求項1には上記発明的特徴を窺わせる記載が見当たらない。

 上記によれば,本願請求項1は旧36条6項2号にいう「特許を受けようとする発明が明確であること」(明確性要件)の要件を満たすか問題となる余地があるが,審決は本願につき旧36条4項の実施可能要件についてのみ判断しているので,以下その当否に限って検討する。

() 本願請求項1(本願発明)の場合,「製造される物」は有効成分である化合物と製剤化に必要な汎用の成分とからなる「抗血小板用医薬組成物」であるから,当業者がかかる医薬組成物を製造するためには,明細書の記載から有効成分たる化合物が何であるかを理解・把握する必要があり,その際は,有効成分たる化合物を化学構造の観点から化合物自体として把握する必要があるというべきである。すなわち,本願発明の製造方法において製剤化工程を行うためには,その前提として,抗血小板用医薬組成物における有効成分となるものを化合物自体として特定して把握する必要があるというべきである。そうすると,審決が「当該製造方法において,製剤化工程を行うには,当該製剤化工程に先立って,当該(A)~(C)のいずれか1つの検出方法,又は,それらの組み合わせによるスクリーニングでもって,公知のものに限ってみても,種々の化合物,ペプチド等の,広範かつ無数に近い試験化合物の中より,抗血小板剤として有用なものを化合物自体として特定して把握する必要がある。」(5頁30行~6頁1行)としたことに誤りはない。

() そこで,かかる見地から本願発明をみるに,本願明細書(甲3)には,(A)~(C)として特定される検出方法によって抗血小板医薬となり得る化合物たるADP受容体P2TAC アンタゴニストをスクリーニングすることができること,すなわち抗血小板医薬の有効成分となる可能性のある化合物を選び出すことが可能であること,抗血小板作用を示す物質として知られている化合物(具体的には2MeSAMP又はAR-C69931MX)が,(A)~(C)として特定される検出方法によってアンタゴニスト活性を示すことが確認できたことが記載されている(段落【0012】)。また,抗血小板剤として公知のチクロピジンやクロピドグレルの体内での代謝物がADP受容体P2TAC を阻害することで効果をもたらしていると考えられていることなどが紹介され,血小板のADP受容体P2TAC に対する拮抗薬は,抗血小板剤となる期待のあることが記載されている(段落【0007】,【0008】)。そして,実施例では,上記2つの化合物(2MeSAMP,AR-C69931MX)についての検出実験が行なわれている(段落【0114】~【0121】)。

 しかし,上記2つの化合物は抗血小板作用を示すことが知られていたものであるからADP受容体P2TAC のアンタゴニストである蓋然性が高く,これらがアンタゴニスト活性を示すことが確認されたという結果は,単に(A)~(C)として特定される検出方法が有効な検出方法であることの証左になるにすぎない。しかも,実施例は単に上記2つの化合物からADP受容体P2TAC アンタゴニスト活性が検出されたことを示すのみで,検出される化合物が共通して持つ化学構造や物性など「物」の観点からの説明はなく,このような実施例の記載から他にいかなる化合物が検出されるか当業者が理解することはできない。すなわち,この2つの化合物以外にどのような化学構造や物性の化合物が(A)~(C)として特定される検出方法によって有効成分として検出されるか,当業者は理解することができない。

 そして,本願明細書(甲3)には,何ら新規な化合物からなるリガンド,アンタゴニスト,アゴニストを発見したことは記載されておらず,したがって,新規な医薬組成物を製造することも記載されていない。

 以上のとおり,本願明細書(甲3)は,実施例で検出が行われた個別の2つの物質に関してADP受容体P2TACアンタゴニスト活性が確認された旨の記載があるに止まるものであり,どのような化学構造や物性の化合物が有効成分となるかについての具体的な記載はない。したがって,当業者は,本願明細書の記載からある化学構造の化合物を含む組成物が本願発明に該当するかどうかを認識・判断することはできない。そして,本願発明の特許請求の範囲全体を実施するためには,特定されていない無数の化合物を無作為に製造し,特許請求の範囲に記載された検出方法を適用して試験化合物からADP受容体P2TACリガンド,アンタゴニスト又はアゴニストが検出されるかどうかを確かめ,ADP受容体P2TAC アンタゴニス たる化合物を見つけ出さなければならないが,このことは当業者に過度の試行錯誤を強いるものというべきである。すなわち,本願明細書の記載からは,スクリーニング工程を経てアンタゴニストとなる化合物が発見された場合に限り,その化合物を用いた抗血小板用医薬組成物を認識できるということが示唆されているのみであり,このことは特定の医薬組成物を認識しうることの単なる期待を示しているにすぎないのであるから,アンタゴニストとなる化合物を発見し,その化合物を用いた抗血小板用医薬組成物を認識するまでにはなお当業者に過度の負担を強いるものである。

() これに対し,原告は,本願優先日(平成12年11月1日又は平成13年1月11日)時点での技術水準を正確に認識し,本願明細書の発明の詳細な説明の記載からHORK3タンパク質が有する特徴的な結合特性を正確に把握すれば,HORK3タンパク質をGPCRとして用いる本願発明において「特定の医薬組成物を認識しうること」には極めて高い蓋然性が認められるから,当業者はHORK3タンパク質をGPCRとして用いる本願発明方法によって「特定の医薬組成物を認識しうること」が極めて高い蓋然性を有することは自明であると主張する。

 しかし,前記のとおり,本願発明の場合,「製造する物」は有効成分である化合物と製剤化に必要な汎用の成分とからなる抗血小板用医薬組成物であるから,当業者は明細書の記載自体から抗血小板用医薬組成物における有効成分となるものを化合物自体として特定して把握することができること,いいかえれば,明細書の記載自体からある化学構造の化合物を含む組成物が本願発明に該当するかどうかを認識・判断することができなければならないというべきである。そうすると,当業者がスクリーニング工程を含む検出過程を経なければ有効成分となる化合物を把握することができないという点において,候補化合物の多寡,スクリーニング対象となる化合物群ないしライブラリーの入手のしやすさ,検出に要する時間の長短,スクリーニング操作が簡便であるかなどにかかわらず,本願明細書の発明の詳細な説明は,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載されているとはいえない,即ち本願における発明の詳細な説明は実施可能要件(旧36条4項)を充足していないと認めるのが相当である。」